デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.503-507(DK340057k) ページ画像

大正14年4月24日(1925年)

是日当委員会主催アメリカ合衆国人サミュエル・マザー招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一ハ病気ニヨリ出席セズ。


■資料

(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九二五年二月二四日(DK340057k-0001)
第34巻 p.503-505 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九二五年二月二四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第34巻 p.504 -ページ画像 
       NATIONAL COMMITTEE
           ON
     AMERICAN JAPANESE RELATIONS
     287 FOURTH AVE., NEW YORK
                 February 24, 1925.
Viscount Shibusawa,
  2 Kabutocho Nihonbashi,
  Tokyo, Japan,
My dear Viscount Shibusawa :
  I write to let you know that Mr. Samuel Mather is on a "round the world trip" on the Steamship Franconia, which is due to reach Yokohama April 22. Mr. Mather is one of our very important financial and Christian leaders, whose home is in Cleveland. When I offered to give him letters of introduction to leaders in Japan he declared that his time was so short that he would not be able to meet them.
  It has, however, occurred to me that possibly you and members of the Japan American Society might like to arrange a dinner or a luncheon for him while he is in Yokohama. According to the dates given me, the Franconia is due in Shanghai on April 8 and in Kobe April 17. you could, no doubt, get a reply from him by wireless regarding his willingness to accept a luncheon or dinner engagement.
  I am writing to this effect also to Count Kabayama. It may be well, if the American Japan Society and the Japanese American Relations Committee desire to welcome Mr. Mather, that they should first confer together and possibly arrange for a single reception.
             Very cordially yours,
               (Signed) Sidney L. Gulick
                     Secretary.
(右訳文)
         (別筆)
         日米関係委員会の主催にて小歓迎会を開くこと(増田氏と打合すること)
         (栄一鉛筆)
         来状中之マザー氏接待ノ事ハ如何ニスヘキ歟熟案有之度事 三月廿七日一覧
 東京市 (三月十九日入手)
  渋沢子爵閣下     紐育、一九二五年二月廿四日
               シドニー・エル・ギューリック
拝啓、サミユエル・メーサー氏儀汽船フランコニア号にて世界漫遊の途に上られ、来四月廿二日横浜に到着の筈に御座候、メーサー氏はクリーヴランドに居住せらるゝ重要なる財政家にして、又有力なる基督教信者の一人に候、小生は日本の有力者に宛て紹介状を認むべき旨申出候処、氏は日本滞在の期間極めて短きに付面会の余裕可無之と申され候
 - 第34巻 p.505 -ページ画像 
乍併閣下を始め日米協会の方々に於ては、同氏の横浜滞在中晩餐会又は午餐会の御催も有之べしと存申候、日程によればフランコニア号は四月八日上海に、同十七日神戸に入港の予定に候へば、午餐又は晩餐への案内に対する諾否の返答は無電にて御入手出来可申と存候
尚ほ右の旨は樺山伯爵にも当方より申送候、若し日米協会及日米関係委員会に於てメーサー氏歓迎の御思召も候はゞ予め御協議の上、別々に歓迎会を催さるゝ事も相叶べきに付、此儀申添候次第に御座候
                           敬具


日米関係委員会往復書類 (一)(DK340057k-0002)
第34巻 p.505 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (一) (渋沢子爵家所蔵)
拝啓時下益御清適奉賀候、然ば紐育ギューリック博士より今般来遊のサミユエル・メーサー氏を紹介致来候処、同氏はクリーブランドの財政家にて、日米親善に尽力せられ居る由に候間、会談致候はゞ両国の親善に裨益する処可有之と存候に付、差迫りたる義に候得共、来廿四日(金)正午東京銀行倶楽部に於て同氏招待午餐会相催候間、御繰り合はせ御来駕被成下度候、此段御案内申上候 敬具
  大正十四年四月廿二日
                日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
    委員各位
  追て御来否別紙端書速達便にて御回示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(DK340057k-0003)
第34巻 p.505-506 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 大正十四年四月廿四日、於東京銀行倶楽部、日米関係委員会開催
 目的 来賓招待午餐会
  出席者
   来賓 サミユエル・マザー氏
   委員 藤山雷太氏・男爵阪谷芳郎氏・団琢磨氏・井上準之助氏小野英二郎氏・大谷嘉平氏《(大谷嘉兵衛)》・内田嘉吉氏・串田万蔵氏・添田寿一氏・山田三良氏・姉崎正治氏・服部金太郎氏・頭本元貞氏
   幹事 服部文四郎氏・小畑久五郎氏
   以上 拾六名
阪谷男爵の挨拶(邦語)頭本氏通訳の労を取らる
 兼ねてギューリック博士より渋沢子爵に対してマザー氏の紹介ありし為め、子爵は是非会見して意見を交換せられたき希望なるも、昨年十一月下旬より病患に侵され今尚ほ全復せざるを以て、今日此席に列すること能はざるを遺憾とする旨、マザー氏に伝達され度しと告げられたれば、此機会に於てマザー氏に之を申上ぐるなり、本日吾等日米関係委員は、マザー君の如き有力なる紳士を迎ふることを欣幸とするものであります。御承知の通り日米両国の親善は永い歴史を有するものでありますから、些細の出来事によつて斯る親善関係が阻害せらるゝことは無いと信じますが、然し大正二年加州に於
 - 第34巻 p.506 -ページ画像 
ける土地法問題以来、或は人民投票による排日運動及昨今の排斥移民法成立の如きは、著しく両国の国交を悪化するものであります、幸に米国には正義人道を重んずる人士多くして、常に公正を主張せらるゝが故に、極端なる排日気勢の高まるか如き恐は万々無之るべくとは信じまするけれども、決して油断は出来ぬと思ひます、マザー君の如き方々が、常に日米親善の為に御尽力下さる事でありまするから、吾等は大に力強く感ずるのであります、若し渋沢子爵が列席されたならば、子爵の経験を辿つて如何にも興味ある御挨拶があつたに違ひないのですが、私には之が出来ませんので甚だ残念に存じます、爰に杯を挙げてマザー君の健康を祝します
サミユエル・マザー(Samiul Mather)氏の答辞 ギューリック博士の紹介状は溢美誇張の嫌がありまして、自分は寧ろ恥ぢ入る次第であります、私は米国に於ける普通の一市民に過きぬのであります、欧洲訪問の経験は有つて居りまするが、東洋訪問は今回が最初で御座います、尤もコンスタンチノーポルを訪問した事は御座います、私は最近日光を観光致しましたが、日光に於ける自然美と人工美とに驚歎したのであります、日本の美術の発達其精緻等を賞讚せざるを得なかつたのであります、支那の文明及美術も巧妙なものかありますが、其繊巧妙致に至つては日本の其れに劣ること遥かであると申さねばなりませぬ、之に関して思ひ出すことは日清戦争当時の事であります、一日紐育に於て同志が会合しました時、談偶々日清戦争に及び、此終決は如何に結はるゝかに至りました時、大勢は支那か勝利を得るに相違ないといふことでありました、而して此結論に到達した所以は、其席上に東洋の事を知つた人か殆んと絶無で、先づ第一に地図を広げて日支両国の大きさを比較したものであります地図を見ては何人も日本が勝利を博するとは思はれ無かつたのであります、然るに列席者中に一商人かありまして、此人は神戸とシャンハイとの間を往復して個人的商業を営み、凡そ二十年間も日支両国の間に貿易事業を経営して居つたのであります、此商人は一人断乎として日本が必ず戦勝するに違ひないと言はれました、一座大に其主張に驚いて理由を聞かして貰ひ度いと請求したのであります、之に対して右商人は左の経験談を話されました。私は或日支那の港に荷物船を着けて荷上げの為め労働者を索がしましたが、一人も得ることが出来ませんでした、実に変な事もあつたものと思つて種々探究して見ましたが、其結果当日は総督が港湾防備隊の検査を行ふことになつたので、地方の軍事当局は俄かに労働者を駆り集めて軍服を着させ行列を行つたといふことであります、支那の人民は割合正直でありますが役人は腐敗して居ります、其れで私は此の如き軍隊組織では、到底日本の精鋭なる軍隊に対抗して勝利を得る事が出来ないとの決心《(マヽ)》を抱いたのであります、以上の話は私の記憶に鮮でありますが、今日日本を訪問して日本文明の進歩の顕著なるに驚いたのであります、諸君は実に偉大なる将来を有して居られます、阪谷男爵に特に御願ひ致しますが、渋沢子爵に宜敷と御伝言下さる《(りたうカ)》ことで御座います
 - 第34巻 p.507 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛大正一四年六月二二日(DK340057k-0004)
第34巻 p.507 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛大正一四年六月二二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案
 紐育市第四街二八七
  シドニー・エル・ギユーリツク博士殿
                      渋沢栄一
拝復、益々御清適奉賀候、然ば本年一月以来時々拝受の御書面に対し其都度御回答可申上候処、予て申上候通り昨年十一月末より病臥致し尚未だ病褥に親しみ居候様の次第にて、執務等は全然廃し専念療養致候為め、心ならずも御無沙汰申上候次第に付、事情御諒察の上失礼の段御容赦被下度候、然し昨今幾分快方に赴き候に付、爰に一括して御挨拶申上ぐる事と致候、昨年十二月廿五日発の書面に対しては過賞敢て当らす候得共御賛同を得候は愉快に御座候
貴台には万難を排して排斥移民法改正の為め御尽力被下候は、真に感謝措く能はざる所に候、頃者又国民啓発運動の準備相整候趣着々実行の途に至候は今更ながら感服致候、乍去御同僚諸彦中には該運動の結果に付憂慮せらるゝ向も有之候やにて、寧ろ此際運動を開始せざる方得策なるべしとの主張も有之候趣に候処、斯る見解も亦無理からぬ儀とは推察致候得共、老生は直に御同意致兼候、そは万一貴方に於て本問題に関し具体的の運動も無之、又当方としても積極的に活動も致兼候様の場合に、我国民の極端派が本問題解決の為め直接行動に出でんなどゝ称して問題を悪化せしめ、延て不穏の形勢を醸成せしむる機縁を為すに至るべき憂有之候義に御座候、故に老生としては或は其結果の見るべきものなきに終らんやも知るべからす候得共、断然運動を開始せられ、貴台を始め御同僚諸彦が誠意を以て断へず邁進せられん事を希望致候、斯は甚だ勝手がましき申分にて恐縮に存じ候得共、当方に於ける民意を察し、彼等の希望を持続せしむる為め至極緊要の義とし敢て申進候次第に御座候
過般御紹介のサミユエル・マザー氏に対しては老生病臥中御面会するを得ざりしも、阪谷男爵及藤山氏等の斡旋により日米関係委員会に於て去月廿四日東京銀行倶楽部に於て午餐会を開催し、当方有力者諸氏と種々懇談せられ候、同氏も大に満足せられ候由にて今後益々日米親善に努力可致、又遠からず再び日本を訪問致し度き旨談話せられし趣に有之候、同氏帰国の上は貴台御訪問の事と存候間、其節貴台よりよろしく御申上被下、御面会出来兼しに対する老生の残懐可然御伝へ被下度候
最近下院移民委員公表の小冊子一部御送付被下正に拝受、其の内至急翻訳せしめ詳細通読致度と存候
右遷延ながら御回答まで得貴意度如此御座候 敬具
  大正十四年六月二十二日
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。