デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
4款 日米関係委員協議会
■綱文

第35巻 p.267-281(DK350054k) ページ画像

大正9年3月16日(1920年)

是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー一行、日米関係委員協議会開催ノ目的ヲ以テ来朝ス。栄一、アレグザンダーヲ東京ステーション・ホテルニ訪フ。十七日、東京商業会議所主催歓迎午餐会麹町区内山下町華族会館ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二十日大谷嘉兵衛主催一行招待午餐会、同夕丸ノ内帝国劇場ニ於テ横浜正金銀行主催一行招待晩餐会、二十二日外務大臣官邸ニ於テ内田康哉主催一行招待午餐会開カレ、栄一之等ニ出席ス。同夜栄一、一行ヲ飛鳥山邸ニ招ジテ晩餐会ヲ開ク。二十四日日本橋倶楽部ニ於テ高田商会主催一行招待晩餐会、二十七日麹町区永田町
 - 第35巻 p.268 -ページ画像 
内閣総理大臣官邸ニ於テ原敬主催一行招待茶会、同夕麹町区内山下町帝国ホテルニ於テ一行主催留別会開カレ、栄一之等ニ出席ス。三十一日、兜町渋沢事務所ニアレグザンダー送別午餐会ヲ催ス。四月二日、栄一横浜ニ赴キ、一行中ニ在リテ死去セルバーカー夫人ニ哀悼ノ意ヲ表ス。四月六日、一行中ノローヤル・エー・オズボーン、如水会館ニ於テ講演ヲナシ、栄一臨席ス。


■資料

(増田明六) 日誌 大正九年(DK350054k-0001)
第35巻 p.268 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正九年      (増田正純氏所蔵)
三日○二月 火 晴
定刻出勤
午前東京駅ホテルニ至リ副支配人森田泰三氏ニ面会、来ル三月中旬来朝ノ米国桑港日米関係委員会々員ノ宿舎準備ノ件ニ付キ依頼シ、十室丈ケ準備ヲ請フコトヲ約シタリ
○下略


集会日時通知表 大正九年(DK350054k-0002)
第35巻 p.268-269 ページ画像

集会日時通知表 大正九年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十六日 火 午後一時  アレキサンダー氏一行乗コメル(電車東京駅着ノ予定)
        午後四時  アレキサンダー氏ヲ御訪問(ステーシヨンホテル)
三月十七日 水 午後六時  アレキサンダー氏一行歓迎会(華族会館)(燕尾服勲章)
   ○中略。
三月二十日 土 (時間脱) 大谷氏主催アレキサンダー氏一行招待午餐会
        (時間脱) 横浜正金銀行主催アレキサンダー氏一行招待晩餐会(帝ゲキ)
   ○中略。
三月廿二日 月 午後一時  外務大臣催アレキサンダー氏一行招待午餐会(官邸)
        午後六時  アレキサンダー氏一行招待会(飛鳥山邸)
   ○中略。
三月廿四日 水 午後六時  高田商会主催アレキサンダー氏一行招待晩餐会(日本橋クラブ)
   ○中略。
三月廿七日 土 午後三時  原首相ヨリ御案内(首相官邸)
        午後七時  アレキサンダー氏一行ヨリ御案内(帝国ホテル)
   ○中略。
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三月卅一日 水 正午    アレキサンダー氏招待送別会(兜町)
   ○中略。
四月六日  火 午前十一時 オスボーン氏講演ノ件(如水会館)
   ○四月二十二日飛鳥山邸ニ於ケル招待会ニ関スル資料ハ、本章第五節所収「其他ノ外国人接待」同日ノ条ニ収ム。

中外商業新報 第一二一九二号大正九年三月三日 ○米実業団着期(DK350054k-0003)
第35巻 p.269 ページ画像

中外商業新報 第一二一九二号大正九年三月三日
    ○米実業団着期
北米合衆国の実業団は愈々本月十七日横浜に入港すべし、一行は約三十名にして、内にはジヨン・ロツクフイラー氏の息子ゼニアス氏もある筈なり、渋沢男爵事務所は一行のため盛大なる歓迎会を催すため之が準備に着手せり


中外商業新報 第一二二〇六号大正九年三月一七日 ○続いて乗込んで来た米国実業団 一行は男女二十二名 日米親善唱導者ア氏が団長 各都市の代表的人物を網羅(DK350054k-0004)
第35巻 p.269-270 ページ画像

中外商業新報 第一二二〇六号大正九年三月一七日
  ○続いて乗込んで来た米国実業団
    一行は男女二十二名
      日米親善唱導者ア氏が団長
      各都市の代表的人物を網羅
「ヤア、又来ました、相変らず宜しく」米国実業団男女二十二名の珍客を乗せて、東洋汽船サイベリヤ丸が十六日午前六時半吹き荒るゝ怒濤の中を横浜港外に着いた時
 ◇逸早く 団長アレキサンダー氏は斯う叫んだ、一行はぞろぞろと談話室に入つて来る、ア氏は更に語り続ける「昨年の春来朝した時は銀行家リンチ氏と一緒だつたが各方面から非常な歓迎を受け、帰米後は自ら桑港商業会議所内に日米親善委員会を組織し、日米両国民が親善のみを口にしても、風俗・習慣・言語を異にする為、諒解の上に不足を生ずるを思ひ、夫には
 ◇其国を 見学するに限るといふ意見から、今度は米国各大都市から殆ど代表的のお客さん許りを連れて来た、明年も明後年も自分は此仕事を続けたいと思つて居る」と語る、一行中には有名な加州大学総長ベンジヤミン・ホイーラー博士がある、博士は欧米各大学の学位十四といふ多数の所有者で当年六十五歳、二十年前加州大学を創立して現在に於ては学生一万人、校外生十万人を養成するの盛大を見るに至つた、特に
 ◇独逸語 希臘語に通じて居るが、一方政治的に隠然たる勢力を有し、其一言一句は米国政界に頗る影響すると言はれて居る、博士は快活に語る「私は日本へのお目見得として、日米親善の四つの鍵をお渡しゝたい、第一が思慮、第二が忍耐、第三が吾に知己たれ、第四が互に意見を尊重せよ……之だけあれば充分である、現に加州地方に於ける日本人排斥問題の如き、明かに
 ◇此鍵を 忘れて居ることが分る、もう少しお互に理解しやうではないか、殊に欧洲戦争は太平洋を接近させた、両国の経済関係は将来益々密切にならなければならない、米国は欧洲から東洋に眼を向け始めた、日本は又地理的に米国と結ばねばならぬ関係がある、米国には
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戦争で沢山の金が余つて居る、自給自足策は見事成功して、先づ不景気風などに病みつかれる心配はない、あつてもホンの
 ◇一時的 のものである、独逸の帝政復活?之は実現が困難であらう、否不可能と言った方が当つて居る、自分は先年独帝を訪問したが当時未だ元気旺盛で八方に却々気焔を聞かされた、英雄の末路も哀れではないか」云々、一行は婦人連が十五名といふ多数な丈に頗る賑やかで、九時船が岸壁に着くと杉原会議所副会頭等に迎へられ、花環を手にしながら十一時十分桜木町から東京駅へ向つた
 ▽一行滞在の
  日程
米国実業団一行の滞在日程は左の如くである。協議会と云ふのは日米関係協議会の事である
 △十六日東京着、ステーシヨンホテル投宿△十七日協議会、東京商業会議所午餐会、関係委員晩餐会△十八日協議会、三井家晩餐会△十九日協議会、大隈侯茶話会△二十日協議会、横浜大谷氏午餐会、正金銀行晩餐会△廿二日協議会、外務大臣午餐会、渋沢男晩餐会△廿三日協議会、浅野氏晩餐会△廿四日協議会、高田商会晩餐会△廿五日午前十時上野発日光行(金谷ホテル)△廿七日日光発帰京△廿八日東京出発箱根行(富士屋ホテル)……三日滞在△四月一日国府津出発名古屋行△三日名古屋出発京都行△五日京都出発奈良行△同日午後奈良発神戸行△六日七日神戸滞在大阪訪問△八日神戸発宮島着△九日宮島出発十日東京着△十二日東京出発横浜出帆、春洋丸にて帰国


JAPAN ADVERTISER, No.9171 March 17, 1920 JAPANESE RELATIONS COMMITTEE ARRIVES(DK350054k-0005)
第35巻 p.270-271 ページ画像

JAPAN ADVERTISER, No.9171 March 17,1920
  JAPANESE RELATIONS COMMITTEE ARRIVES

  Party Headed by Mr. Wallace M. Alexander Reached Yokohama on Siberia

       INCLUDES LEADING MEN
Other Groups of Prominent Travelers on Same Liner ― Have Pleasant Voyage

  The Japanese Relations Committee, a group of prominent business men of San Francisco and New York, reached Yokohama yesterday morning on the Siberia Maru. This group plans to stay in Japan for several weeks and an elaborate program has been arranged for their entertainment. The members will consult with leaders in the Japanese political and business worlds with a view to promote cordiality in the business and other relations of Japan and the United States.
  ………………
 - 第35巻 p.271 -ページ画像 
      Alexander Heads Committee
  The Japanese Relations Committee is under the leadership of Mr. Wallace M. Alexander, Chairman of the Japanese Relations Committee of the San Francisco Chamber of Commerce and President of Alexander and Baldwin of Honolulu. Mr. Alexander was in Japan last year in the interests of more cordial American-Japanese relations. The other members of the party are:
  Mr. Walton N. Moore, President of the Walton N. Moore Dry Goods Company of San Francisco, former President of the San Francisco Chamber of Commerce.
  Dr. Benjamin Ide Wheeler, President Emeritus of the University of California.
  Mr. William T. Seshon, former President of the San Francisco Chamber of Commerce and one of the Directors of the Panama-Pacific Exposition.
  Mr. Loyall A. Osborne, President of the Westinghouse Electric International Company, President of the Steven Arms Company, and vice-presidents of a number of the subsidiary organizations of the Westinghouse interests.
  Mr. Walter L. Clark of New York, member of the Foreign Trade Council of the United States, and holding high positions with many big concerns.
  Captain Frederick H. Randall, an attorney of San Francisco, who is secretary of the committee.
         Accompanied by Ladies
  The committee is accompanied by Mrs. Wallace M. Alexander, Miss Martha B. Alexander, Miss Alice Read, Mrs. Mary. S. Barker, Miss Anna Le. B. Barbour, Dr. E. Bertella Fergusson, Mrs. Walton N. Moore, Miss Elizabeth Moore, Master Joe G. Moore and Mrs. Loyall A. Osborne.
  ………………


竜門雑誌 第三八四号・第四二―四三頁大正九年五月 ○アレキサンダー氏一行来朝(DK350054k-0006)
第35巻 p.271-272 ページ画像

竜門雑誌 第三八四号・第四二―四三頁大正九年五月
○アレキサンダー氏一行来朝 昨年来朝せし米国桑港のアレキサンダー、リンチ両氏と、青淵先生の常務委員たる日米関係委員会委員と協議の結果、本年四月上旬、日米問題に関し、右両氏の委員たる桑港日米関係委員会委員諸氏の来朝を得て、相互に隔意無き協議を遂ぐることに打合せたる由なりしが、アレキサンダー氏は該打合に基き、ワルトン・エヌ・ムアー(桑港商業会議所前会頭)ベンジヤミン・イーデホイラー(エメリタス大学総長)ウヰリアム・テ・セスノン(桑港商業会議所前会頭)ローヤル・エ・オスボーン(ウエスチング・ハウス電気会社々長)ウオルター・エル・クラーク(大西洋造船会社副社長)フレデリツク・エチ・ランダル(弁護士)六氏と共に去二月廿八日サ
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イベリヤ丸にて桑港を出発し、三月十六日未明横浜に入港、同日午前東京着、ステーシヨン・ホテルに投宿したるが、右一行は前記諸氏の外、アレキサンダー氏夫人及令嬢、ムアー氏夫人及令息令嬢、オスボーン氏夫人、バーカー夫人、バーボアー女史、フアーガツソン女史、リード女史等拾七名なりき。而して右一行滞在日程は左の如くなりしと云ふ。
大正九年三月十六日 火 東京着                ステーシヨンホテル投宿
三月十七日     水 協議会   東京商業会議所主催午餐会 日米関係委員会主催晩餐会
三月十八日     木 協議会   ハーバート倶楽部茶話会  三井家主催晩餐会
三月十九日     金 協議会   早稲田大隈侯爵茶話会   杉原山科両副会頭主催晩餐会
三月二十日     土 協議会   横浜大谷氏主催午餐会   横浜正金銀行主催晩餐会
三月二十一日    日       帰一協会主催茶話会    カリホルニヤ大学校友会(晩)
三月二十二日    月 協議会   外務大臣主催午餐会    渋沢男爵主催晩餐会
三月二十三日    火 協議会   赤坂離宮拝観(茶菓)   浅野東洋汽船会社長主催晩餐会
三月二十四日    水 協議会                高田商会主催晩餐会
三月二十五日    木 東京出発  午前十時上野発      日光着午後二時四十分金谷ホテル
三月二十六日    金 日光出発  午後零時五十五分東京着午後五時五十五分 マツクレガー氏主催晩餐会
三月二十七日    土 買物日
三月二十八日    日 東京出発  午前九時五十分      国府津着午前十一時五十四分箱根行
                               宮ノ下富士屋ホテル搭宿
三月二十九日    月 箱根滞在
三月三十日     火 同
三月三十一日    水 国府津出発 午前十時五分       名古屋着 午後四時十二分名古屋ホテル
四月一日      木 名古屋出発 午後四時三十分      京都着  午後七時三十分都ホテル
四月二日      金 京都滞在
四月三日      土 同
四月四日      日 京都出発  午前九時三十六分     奈良着  午前十時五十三分奈良ホテル
四月五日      月 奈良出発               神戸着  オリエンタルホテル
四月六日      火 神戸滞在  此間大阪訪問
四月七日      水 同
四月八日      木 神戸出発  午前八時七分       宮島着  午後四時八分
四月九日      金 宮島出発  午後二時三分
四月十日      土 東京着   午後零時五分
四月十一日     日 東京滞在
四月十二日     月 東京出発  横浜出帆春洋丸搭乗帰国ノ途ニ就ク
かくてアレキサンダー氏は四月二日横浜出帆のサイベリヤ丸にて帰国し、ホイラー博士、ランダル氏は四月十二日予定の通り春洋丸にて帰途につきたりと云ふ。


東京商業会議所報 第二四号大正九年四月 ○米国実業家歓迎会(DK350054k-0007)
第35巻 p.272-273 ページ画像

東京商業会議所報 第二四号大正九年四月
    ○米国実業家歓迎会
大正九年三月十七日正午当会議所に於て今回来邦せられたる米国実業家アレキサンダー氏の一行を招待し歓迎会を開催したり。出席者は正賓「ワーレース・エム・アレキサンダー」氏、同令夫人、「ベンジヤミン・ホイラー」氏、ワルトン・エムムーア氏、同令夫人、令息、令嬢「ウイリアム・テイー・セスノン」氏、「ウオルター・ヱル・クラーク」
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氏、「ヱル・ヱー・オスボーン」氏、同令夫人、「フレデリツク・ヱツチ・ランダル」氏、「フアーグツソン」氏、陪賓、芳沢外務省政務局長・田中同通商局長・岡本農商務省商務局長、金子子爵・田尻子爵、渋沢・大倉・阪谷・近藤・森村の各男爵、井上・木村の日本銀行正副総裁、志村日本勧業銀行総裁・梶原横浜正金銀行頭取、早川・有賀・福井・浅野・高田、其他の各実業家側主なる諸氏、添田・高峰・阪田 塩沢・須田等の各博士、及主催側東京商業会議所杉原・山科両副会頭及議員等八十六名にして、正午一同食卓に就き「デザート・コース」に入り山科副会頭会議所を代表し、旭日の旗と星旗とは相離るべからざる関係を有するを以て、日米の親交は断じて疎隔せらるべきものにあらざる旨を述べて歓迎の辞となし、主賓「アレキサンダー」氏は昨年来遊し今又再遊して東京商業会議所に於て重ねて歓迎せらるゝは光栄なりとの謝辞を述べ、次て陪賓渋沢男爵・田尻東京市長の日米親交論あり、一同歓を尽して午後二時三十分散会せり


東京商業会議所報 第二四号・第一五―一七頁大正九年四月 ○アレキサンダー氏一行招待会演説速記(DK350054k-0008)
第35巻 p.273-276 ページ画像

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中外商業新報 第一二二〇八号大正九年三月一九日 ○日米親善協議 関係者の会合(DK350054k-0009)
第35巻 p.276 ページ画像

中外商業新報 第一二二〇八号大正九年三月一九日
    ○日米親善協議
      関係者の会合
十八日午前九時半より銀行集会所に於て
 金子子爵、渋沢・阪谷・近藤各男爵、添田博士、井上日銀総裁・志村勧銀総裁、早川千吉郎・大谷嘉兵衛・内田嘉吉・串田万蔵・服部金太郎・服部文四郎の諸氏
会合し、今回の米国実業観光団来朝を好機とし、日米親善の実を挙ぐる目的を以て此際具体的成案を得る為に審議する処ありたるが、其内容に就ては或時期を待ち発表せらるべき筈


中外商業新報 第一二二一五号大正九年三月二六日 ○日米親善協定 両国委員協議内容(DK350054k-0010)
第35巻 p.276-277 ページ画像

中外商業新報 第一二二一五号大正九年三月二六日
    ○日米親善協定
      両国委員協議内容
日米両国の親善を図らんが為め曩に両国の識者は各関係委員会を組織し、両国の間に蟠まれる誤解又は疎隔の原因を一掃せんことに努力せり、而して昨大正八年四月米国よりはアレキサンダー、リンチの二氏日本を訪問し、本年春東京に於て両国関係委員の協議会を開催し、土地・移民・資本合同・交換教授・通信交通機関等に就て腹蔵なき意見を交換すべきことを協定せるが、右の契約に基き米国側に於けるアレ
 - 第35巻 p.277 -ページ画像 
キサンダー氏の如き爾来健康勝れざりしにも拘はらず再び渡来し、ホイラー博士、ムーア氏、セスノン氏、クラーク氏、オスボン氏の諸氏と倶に秘書ランダル氏を随へ三月十六日日本に着し、其翌十七日より会場を東京銀行集会所と定め、日々午前九時半より十二時三十分に至る迄、日本側関係委員と共に互に最も熱心にして且腹蔵なき意見を交換せり、協議事項は土地・移民・資本合同・海底電信・交換教授・公表通信・産業問題・商事仲裁機関等頗る多岐に亘れるが、協定せる事項左の如し
 (一)土地・移民 土地と移民問題は相互間に極めて密接なる関係あり、且両国間に横る最大重要なる問題なるを以て最も慎重に考究するの必要あり、数日に亘りて各自其意見を交換したる後、両国関係委員は互に協同して之が解決に努力することに申合せたり
 (二)資本合同 両国の関係は経済上に於て結合するにあらざれば強固とならざるを以て、今日迄多少既に資本合同事業の観るべきものなきにあらざるも、今後尚一層之を奨励するに意見一致せり
 (三)海底電信 両国々民の外交上、貿易上今日の如き海底電信の有様にては到底満足すること能はざるを以て、之が改善に必要なる方策を講ずることに決定せり
 (四)教授交換 教授の交換より生ずる利益の多大なるを認め、学理上より冷静公平に両国国民間に知識の交換をなすが為め、双方より適当なる学校を選定して講座を設け、教授を派遣することを申合せたり、又通信公表機関の方法に付ても考究せり
 (五)通商問題 商業上種々なる行違ひ、論争は日米両国の関係を疎隔するの虞あり、日米両国共に商業会議所は商事仲裁の任に当りつゝあるを以て、之に基き相当の方策を講ずることに決せり
 (六)産業問題 産業上労働問題は今や国際的重要なる問題となり、而も各国経済事情を同じくせざるを以て、互に両国の事情を参考に供し完全なる労資の解決に努めざるべからず、此点に付ては日本の現状は最も其講究を必要とするを以て、米国の実例を斟酌すべきことを協議せり


竜門雑誌 第三八三号・第四七頁大正九年四月 ○原首相の米賓招待(DK350054k-0011)
第35巻 p.277 ページ画像

竜門雑誌 第三八三号・第四七頁大正九年四月
○原首相の米賓招待 原首相は三月二十七日午後三時より永田町官邸に、アレキサンダー氏一行及米国大使モーリス氏以下館員並に青淵先生其他の日米関係者諸氏を招待して、茶菓の饗応を為したる由。


中外商業新報 第一二二一七号大正九年三月二八日 ○首相邸晩餐会 米国実業家招待(DK350054k-0012)
第35巻 p.277 ページ画像

中外商業新報 第一二二一七号大正九年三月二八日
    ○首相邸晩餐会
      米国実業家招待
原首相は二十七日午後三時より永田町官邸に目下来朝中の米国実業家アレキサンダー氏一行十名、米国大使モーリス氏以下館員六名、日米関係実業家・同夫人二十七名を招待し茶菓を饗応したるが、一同歓を尽し同六時過ぎ散会せり、尚当日の日本側陪賓左の如し
 金子子・渋沢男○以下二十数名氏名略
 - 第35巻 p.278 -ページ画像 

中外商業新報 第一二二一七号大正九年三月二八日 ○何う歓迎し何う遇するや 今夜首相官邸の打合会 花の東京に米国大実業家集る 国民銀行頭取や石油王も来朝(DK350054k-0013)
第35巻 p.278 ページ画像

中外商業新報 第一二二一七号大正九年三月二八日
  ○何う歓迎し
    何う遇するや
      今夜首相官邸の打合会
    花の東京に米国大実業家集る
    国民銀行頭取や石油王も来朝
昨今頻々として米国の有名な実業家連が乗込んで来る、先づ二月末に来朝したモルガン商会のラモント氏は米国の
◇財団を 代表して我政府当局や実業家連と打合せした結果、問題の満蒙除外に我国から余程譲歩する協定案を氏に手交したので、氏は之を携へて四月二日再び渡支し、五月下旬にもう一度我当局と協議の末帰米し何分の回答をするといふが、氏を皮切りに三月に入ては八日に天洋丸で前桑港商業会議所会頭ワーレス・アレキサンダー氏が、加州大学名誉総長ベンジヤミン・ホヰラー博士其他米国各都市の
◇実業家 並に同夫人・令嬢を引具して来朝し、我実業家側と日米親善の各種の協議会まで開き今尚滞在中で、又同十二日には南京丸で米国生糸協会長チヤールス・チニー氏等十四名絹業視察団が来朝し、目下は支那方面の同業を視察中だが、四月上旬再び来朝して視察する筈である、さて之から来る人では
◇世界的 に令名あるナシヨナル・シチー・バンク頭取ヴアンダーリツプ氏は重役ヱイチ・ピーアソン氏を従へ、又世界の一大富豪で石油王のロツクフヱラー氏、紐育生命保険会社長のキングスレー氏、プリンストン大学総長として太平洋岸のジヨルダン博士、世界平和論者として知らるゝヒツベン博士等を初め男女二十二名を
◇一行と して四月十日の桑港発郵船鹿島丸に乗組み同二十五日頃来朝し、ア氏と同様日米親善の為めに日米関係委員会を開催し、金子子渋沢男・阪谷男、其他日本側委員と経済的に各種の協議を凝らす筈であるが、一行の滞在日数は約二十四日にて五月二十日頃帰国の筈である、此外ユー・ヱス・スチール会社のゲーリー氏、コスター会社長フレツド・コスター氏等も相前後して渡来するので
◇原首相 は内田外相・金子子、其他朝野の日米関係名士十名を二十八日午後五時から官邸に招致して歓迎方法を熟議するといふ、之等米国の実行家が斯く来朝する目的は日米親善を経済的に緊密ならしむる為めと、欧洲戦争の結果商品の販路を東洋に求むるにあると


竜門雑誌 第三八四号・第四六頁大正九年五月 ○バーカー氏夫人逝去(DK350054k-0014)
第35巻 p.278 ページ画像

竜門雑誌 第三八四号・第四六頁大正九年五月
○バーカー氏夫人逝去 アレキサンダー氏一行のバーカー氏夫人は三月三十一日心臓麻痺の為め箱根に於て客死せられたる由にて、遺骸は四月二日横浜出帆のサイベリヤ丸にて本国に向け護送せられたるが、当日は青淵先生も態々横浜に赴かれし上哀悼の意を表されたりと。


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年(DK350054k-0015)
第35巻 p.278-279 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年
                 (阪谷子爵家所蔵)
 - 第35巻 p.279 -ページ画像 
   三、二六 マグレゴール氏・ルツケンバツハ氏留別、船舶委員モリス大使、金子、姉崎、ホイーラー、マグレゴール諸氏演説、銀行クラフ
   三、二七 アレキサンダー氏一行留別 帝国ホテル アレキサンダー、金子、ヲスボン、ホイラー、渋沢諸演説
   三、二八 渋沢・藤山両氏及別服部宛決議事項中農商務省・商業会議所又ハ外務省等ヘ移牒方ニ付申送ル、附事務従事者行賞ノ件共


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第一一四―一二一頁大正九年一二月刊(DK350054k-0016)
第35巻 p.279-281 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第一一四―一二一頁大正九年一二月刊
○附録
一、米国側関係委員は大正九年三月十六日早朝サイベリヤ丸を以て横浜に入港、午前九時上陸せらる、東京より山科礼蔵氏外東京商業会議所役員並に書記長横浜に出迎へ、横浜正金銀行本店楼上に休憩、借切電車を以て東京に入り、ステーシヨンホテルに於て午餐を共にし散会、米国側委員はステーシヨンホテルに分宿し、当日は休息日とす
一、協議会後、米国側委員は三月二十五日日光を見物し、一旦帰京、更らに三月二十八日箱根より関西旅行の途に向はる、箱根滞在中アレキサンダー氏夫人母堂バーカー夫人は、三月三十一日宮ノ下富士屋ホテルに於て急病を以て逝去せらる、悼惜の至りに堪へず
一、米国側委員の帰米左の如し
  四月二日  サイベリヤ丸 アレキサンダー氏一族
               (バーカー夫人の棺を守りて)
  四月十二日 春洋丸    ホイラー博士
               ランダール氏
  五月十四日 コレヤ丸   オスボン氏
               クラーク氏
               (ヴァンダーリップ氏一行と同船)
  六月八日  天洋丸    ムーア氏
               (ヴァンダーリップ氏一行中のクラーク、ストリート氏等と同船)
ムーア、セスノンの二氏は関西旅行後、直ちに朝鮮を経て支那・比律賓視察の途に上り、ムーア氏は左の如く天洋丸を以て帰米せられたるが、セスノン氏は五月二十七日横浜に立寄り上陸せずして帰米せられたり
一、米国側委員の地方旅行に際しては笠井重治、鉄道院嘱托矢部八重吉、ツーリスト・ビウロー宮内昌雄の三氏案内者となりたり
一、米国側委員日本滞在中のプログラム左の如し
   (プログラムは和英両文を以て印刷す)
    米国側日米関係協議会出席委員滞在プログラム
大正九年三月十六日 火 東京着                        ステーシヨンホテル投宿
三月十七日     水 協議会   東京商業会議所主催午餐会         関係委員主催晩餐会
三月十八日     木 協議会   ハーバート倶楽部(自午後三時至午後五時) 三井家主催晩餐会
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三月十九日     金 協議会   早稲田大隈侯爵茶話会
三月二十日     土 協議会   横浜大谷氏主催午餐会           横浜正金銀行主催晩餐会
三月二十一日    日                            カリホルニヤ大学校友会(晩)
三月二十二日    月 協議会   外務大臣主催午餐会            渋沢男爵主催晩餐会
三月二十三日    火 協議会                        浅野東洋汽船会社長主催晩餐会
三月二十四日    水 協議会   内閣総理大臣主催茶話会          高田商会主催晩餐会
三月二十五日    木 東京出発  午前十時上野発              日光着午後二時四十分金谷ホテル
三月二十六日    金 日光出発  午後零時五十五分東京着午後五時五十五分  マツクレガー主催晩餐会
三月二十七日    土 買物日                        アレキサンダー氏一行主催留別晩餐会
三月二十八日    日 東京出発  午前九時五十分              国府津午前十一時五十四分箱根行(宮ノ下富士屋ホテル)
三月二十九日    月 箱根滞在
三月三十日     火 同
三月三十一日    水 国府津出発 午前十時五分               名古屋着午後四時十二分名古屋ホテル
四月一日      木 名古屋出発 午後四時三十分              京都着午後七時三十分都ホテル
四月二日      金 京都滞在
四月三日      土 同
四月四日      日 京都出発  午前九時三十六分             奈良着午前十時五十三分奈良ホテル
四月五日      月 奈良出発  午後 時 分               神戸着午後 時 分オリエンタルホテル
四月六日      火 神戸滞在  此間大阪訪問
四月七日      水 同

四月八日      木 神戸出発  午前八時七分               宮島着午後四時八分
四月九日      金 宮島出発  午後二時三分
四月十日      土 東京着   午後零時五分
四月十一日     日 東京滞在
四月十二日     月 東京出発  横浜出帆春洋丸搭乗帰国の途に就く
一、米国側委員滞在中の費用はホテル宿泊料並に汽車賃は米国側に於て負担し、協議会、協議会中備付自動車三台、旅行案内者、汽車中弁当等の費用は日本側日米関係委員に於て負担せり、其費用共に内訳左の如し
    日米関係委員会国際協議会会計
一金弐千七拾参円参拾銭    協議会に係る費用
  金参百拾円也       速記料英文及和文
  金壱千拾円五拾八銭    協議会場費(会食費を含む)
  金弐百八拾八円七拾弐銭  諸用紙代及印刷費
  金四百六拾四円也     通訳者其他へ謝儀
    〆
一金壱千百弐拾九円八拾五銭 東京ステーシヨンホテルに係る費用
  金百六円也        共同事務室借料及ボーイ手当等
  金壱千弐拾参円八拾五銭  自働車・人力車賃等
    〆
一金壱千八百参拾円八拾五銭 歓迎会に係る費用
  金参百九拾円六拾銭    一行到着の日に於ける午餐会費
  金壱千四百四拾円弐拾五銭 一行歓迎晩餐会費
    〆
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一金壱千四拾七円拾壱銭  各地観光に係る費用
  金拾弐円参拾六銭    桜木町駅より東京駅に至る電車賃
  金参百拾四円六拾壱銭  日光観光費
  金百四拾八円弐拾六銭  箱根観光費
  金五百七拾壱円八拾八銭 名古屋・京都・奈良・大阪・神戸等各地観光費
    〆
一金四拾九円四拾四銭   諸雑費
  金参拾弐円五拾四銭   電報料及郵税
  金拾六円九拾銭     諸雑費
    〆
以上合計
  金六千百参拾円五拾五銭
右之通相違無之候也
  大正九年五月十八日
                 日米関係委員会
                  幹事 服部文四郎
                  同  増田明六
一、米国側委員一同は三月廿七日帝国ホテルに於て留別会を催し、日本側委員を始め朝野の名士を招き盛宴を張られたり