デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.16

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
5款 日米有志協議会
■綱文

第35巻 p.359-449(DK350058k) ページ画像

大正9年4月26日(1920年)

是日ヨリ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テアメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ外十二名及ビ日本側協議委員ニヨル日米有志協議会開カル。栄一出席シ、座長トシテ当会議開催ノ由来ヲ述ベ、引続キ毎回出席、カリフォルニア州日本移民問題其他ニ就キ意見ヲ述ブ。五月一日相互ニ覚書ヲ提出シテ会議ヲ解ク。


■資料

日米有志協議会記録 同協議会編 第一―一九五頁大正一〇年三月刊(DK350058k-0001)
第35巻 p.359-431 ページ画像

日米有志協議会記録 同協議会編 第一―一九五頁大正一〇年三月刊
    序
一、此の日米有志協議会記録は、大正九年四月二十六日より五月一日
 - 第35巻 p.360 -ページ画像 
に至る迄六日間、東京銀行集会所に於て我米賓歓迎会協議員とヴアンダーリップ氏一行と共に、日米問題に就て協議したる当時の記録なり
一、此の記録は和英両文の速記を基とし、本川一郎氏の担任せられたる協議要領を参照して編輯せしも、成る可く速記の原文を其の儘採録するに努めたり
一、此の記録は協議会の議事録を以て其の本体とし、附録として協議会開催の由来、準備、ヴアンダーリップ氏一行滞在中の動静、会計等のことを附記せり
一、尚ほ此の記録はヴアンダーリップ氏一行が帰米後其の携へ帰られたる速記録を校閲し、其の回送せらるるを待ちて出版すべき予定なりしも、時日余りに遅延するが為めに校閲せられたる速記録の送附を待たずして出版するものなり
  大正九年九月二十八日
            名誉書記長ドクトル服部文四郎
  日米有志協議会記録
    目次
 一、序…………………………………………………………一
 一、一九二〇年四月日米有志協議会………………………一
 一、第一日……………………………………………………三
 一、第二日…………………………………………………三〇
 一、第三日…………………………………………………五九
 一、第四日…………………………………………………九〇
 一、第五日………………………………………………一二二
 一、第六日………………………………………………一四九
 一、附録…………………………………………………一九九
日米有志協議会記録
    一九二〇年四月日米有志協議会
最近日米両国間に於ては種々なる問題発生し、玆に誤解を惹起し嘗て極めて親善なりし両国の交誼も、時に或は大に疎隔せられ国際関係の紛糾を来さんとするの虞甚だ大なり、此の誤解を釈然たらしめ日米両国間の関係を改善するには、両国の有力者共に一堂に会合し両国間に蟠れる種々なる問題を討究し、互に腹蔵なき意見を吐露して其の事情を明かにし互に自他を諒解するに若くはなし、是を以て我国よりは徳川公爵・渋沢男爵以下十三名の署名を以て一書を米国財界の巨頭ヴアンダーリップ氏に致し、単に同氏のみならず同氏主動者となり米国民間有力者を誘ひ一行を組織し、親しく我国に来遊して我国を視察し兼ねて懇談会を開催せん事を以てせり。
同氏は此の招請を快諾し一行を組織し、大正九年四月二十四日我国に渡来せられたり、玆に於て同月二十六日より五月一日に至るまで六日間、毎日午前九時三十分より正午に至るまで東京銀行集会所会議室に於て非公式的に日米有志協議会を開催し、両国間に蟠れる諸問題に就き互に真情を吐露し腹蔵なき意見を交換して、誤解を一掃するに努むると同時に相互の諒解に資する所ありたり、左に記述する所は即ち本
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協議会の内容なり。
日米有志協議会第一日(大正九年四月二十六日)
会場 東京銀行集会所会議室
開会 午前九時
      日本側出席者
 男爵 渋沢栄一君     子爵 金子堅太郎君   男爵 阪谷芳郎君
 男爵 目賀田種太郎君   男爵 近藤廉平君    男爵 中島久万吉君
    藤山雷太君   法学博士 添田寿一君  工学博士 団琢磨君
    串田万蔵君        早川千吉郎君      頭本元貞君
    大谷嘉兵衛君       梶原仲治君       堀越善重郎君
      米国側出席者
    ヴアンダーリップ君    ゲージ君        キングスレー君
    タフト君         シヤーマン博士     イーストマン君
    クロムウエル君      クラーク君       ストリート君
    デビス君         ベネヂクト君      ムリガン博士
    セレンベツ君
渋沢男爵(開会の辞)
 唯今列席諸君の御推薦に依りまして私は此席の座長になりましたのを光栄に存じます、此会議の開かれましたことは主として私が客年の末に一書をヴアンダーリップ君に呈したるに基因致しますから、事長うございますが、今日亜米利加の諸君と吾々が玆に相会して協議すべき必要ありと一致するに至りました由来を一言申述べたうございます、勉めて冗長のことは略しまして事柄の沿革を申述べるに止めます故に、暫時清聴を煩します。
 日本と亜米利加との国交は今を去る六十七年前コンモンドル・ペルリー氏が軍艦を率ゐて浦賀港に来り、日本の長夜の夢を醒したのに其端を発したのであります、是は丁度私の十四歳の時でございました、私は其頃農家に在りましたけれども聊か漢籍を好みまして日本の国体は斯くあるものだ、又支那の歴史が斯様であると云ふことを学問的には修めませぬけれども小説的に知りましたから、亜米利加から軍艦が来たと云ふことには世間の憂国者と共に少年ながら実に驚愕致したのでございます、その後年一年と成長するに従つて時々扼腕切歯したことを記憶して居ります、六年を経て安政五年に至り日本と亜米利加との通商条約が成立したのであります、其頃は私も二十歳の青年となりましたから、当時の日本の外交に種々なる欠点があると云うて漢学書生が頻りに物議を唱へましたことを屡々耳にして其憂を同じうしたのでございます、其頃の憂国者即ち私共の仲間は唯々外国が我日本を侵略する、即ち領土的野心を以て交を日本に求むるのであると誤解して深く憂ひたのでございます、但し其頃の外国の行動には幾らもさう云ふ例証がありました、現に三百年前に徳川幕府が断然と国を鎖したのはヂスウェツト教徒が日本を乱さうと謀つたのに原因したのであります、故に徳川幕府は防禦の策として絶対に鎖国をしたのである、其鎖国が善いか悪いかは別問題でありますが、宗教に依つて他の国を侵略したと云ふ事は当時多く実
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例があつたのであります、殊に米艦渡来頃の我邦の志士が酷く憂ひを有ちましたのは支那の道光の乱であります、この道光の乱は英吉利が支那に対して阿片を輸入した、今日満洲に於て小量の阿片が輸入されても基督教家は種々の小言を云ふ、其阿片を英国より公然と多量に支那へ輸入した、そこで支那の林則徐と云ふ大官がこれを禁止した事から英支の国交が破れて遂に戦争になつて、其後支那は香港を割譲して降を乞うたのは目の前に見た歴史であります、斯の如き実例を知りたる日本の憂国者は盲目的に外国の侵略を恐れたのでございます、私も其一人として同じく憂ひ同じく恐れて外国は油断のならぬものだと思うて、亜米利加も侵略主義なる一国と看做して敵意を有つたのであります、併し今日回顧すると実に慚愧の至りでございます、爾来日本の外交が変化すると共に私の身も変遷しまして亜米利加を敵視したのは私の僻見であつた、私の誤解であつた、如何にも恐縮の至である、間違つた考であつたと深く悔悟致したのでございます、其悔悟と同時に一国として唯々鎖国攘夷ばかりで其国の隆盛を期する訳には行かぬ、是非とも物質的文明を進めなければ繁盛富貴を進める事は出来ぬと云ふ考慮を有ちまして、自身も青年時代の粗暴なる考案を打捨てゝ物質文明に向つて力を尽したのでございます、此改心後の努力中に於て、日本が亜米利加に負ふ所の大なることを悟つたから、どうぞ両国国交の親善を永久に進めて行きたいと期念しました、詰り私の一身として殆んど忘るべからざる情意を存して、亜米利加に対しては常に尽力して居るのでございます、加州に居住する我邦よりの移民に付ては私は其の沿革を詳細に心得ませぬが、当初は加州人民も我が同胞が農業又は労働の為めに移住するを歓迎して居りました、千八百九十年から千九百年頃迄の間に、布哇転航の為めに在加州の日本人の数が俄然増加して、其多数が亜米利加の国情に添はずと云ふ所からして、多少日本人を嫌ふと云ふやうな事が起つたやうに思はれます、私の初めて亜米利加へ旅行したのは明治三十五年でございました、加州に参りまして桑港の風土文物の如何にも美麗豊饒なるを羨しく思ひましたが、我国民の移住して居る実況に於て一は大に喜び一は少しく憂ひました、それは桑港の公園中にクリップハウスと云ふ所に水泳場がありまして此水泳場の立札を見ますと『日本人泳ぐべからず』と書いてある、是は私には奇怪の感じがした、何故日本人だけが水泳することが出来ぬのかと承はりますと、日本人の少年が米国婦人の水泳中其下を潜つて行つて足を引くと云ふやうな事が屡々あつた為めに、日本人泳ぐべからずと云ふことになつたと聞きました、私は是を甚だ面白くない事であると思うて其時の領事に能く注意しました、其時はまだ加州に於ける移民に付て亜米利加人から排斥されると云ふやうなことは承知しませぬでした、其翌年の冬即ち明治三十六年から七年八年と掛けて日露の戦役があつた、我が日本は明治政府となつてから明治十年に国内の戦乱があり、同二十七年には支那との戦争があり又同三十七年は露西亜との戦争があつて内外頗る多事でありましたが、幸に吾々国民は共同一致国を愛するの心から国内の禍乱は速
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かに平和に帰し、外国との戦乱も国辱を受くることなくして講和となり、随つて国運も漸く進歩致したのであります、併し此国運の進歩は随つて外国の注目を引き亜米利加の或る方面の人々からも、識者は別として、誤解を受くるに至つたのであります、是が加州に於ける日本移民の嫌はれる端緒であつた、而して加州人の日本移民を嫌ふのは実際に之を厭ふ著しき理由があるのではなくして、感情的に左様に相成つたのでありますが、同時に之を利用する政治家が生じたのであります、想ふに亜米利加の如き正義人道を重ずる国風であつても、亦此弊害なしといふ訳に参らぬのであります、現に今日も華府の中央議会に於て上院議員の言動中には時々此僻見が見えますから、加州州会に於て日本人排斥の議のあるのは已むを得ざる事と思ひます、私は今米国の諸君の面前で此言を発するのは失礼とは思ひますが、此政治的僻見より出る行動が日本の移民を嫌ふと云ふ声を大ならしめたやうに感じまするから遺憾ながら此言を為すのであります、而して此移民に付ては両国国交上の協議からして所謂紳士協約と云ふものが、明治四十年に成立したのであります、其頃よりして国交の親善は単に政府にのみ委するものでなく、国民的交際を以て相互の意志を融和せしめ、以て両国の親善を計りたいと云ふ希望が両国の政治家及有識者間に於て一致して、遂に明治四十一年には我が五商業会議所が聯合して米国太平洋沿岸の八商業会議所の諸君を歓迎する事になり、私は此国民外交とも申すべき事柄には始終関係し来つたのでございます、此八商業会議所の諸君が日本に来られて意志を交換し日本人の真情を諒解して帰国されましたが、続いて其翌年は米国太平洋沿岸の八商業会議所が聯合して吾々を招いて下さいました、私は悦んで之を御受して渡米実業団を組織し、団長として同年の八月渡航して十二月迄五箇月間の大旅行を致し、到る所に米国官民の非常なる歓迎を受けましたが、私は十余年を経過する今日に於ても尚ほ鮮かに当時の事柄を記憶する程愉快なる旅行でありました、該旅行に於ては到る所に於て日本人の真情を披瀝して出来得る丈け克く米国人の諒解を得て帰りました、併しそれにも拘らず其翌年になりますと、時の国務卿ノックス氏から南満鉄道を中立的地位に置くといふ提議がありました、私共は此事を聞て亜米利加の政治家が如何に無遠慮であるか余りに突飛ではないかと思うたのであります、但し是は政治上の関係でありますけれども亜米利加の人々の日本に対する思遣りの少いと云ふことを深く感じました尋で其翌々年大正二年には加州々会に於て苛酷なる土地法が設けられまして、日本人には三年以上は土地を貸さぬと云ふことになりました、曩に明治四十一年には亜米利加から大勢御出でになり、同四十二年には我国から多数渡航して、両国民相互の真情を諒解し合つたにも拘らず、爾来数年を過ぎざるに、斯る苛酷なる制度が加州在留の日本人に対して施行せらるるは何故であらうかと嘆息致したのでございます、其時も私は此加州州会の決議に対し融和を試みる為め一会を組織し、同志会と名付けまして其会の代表者として添田博士が加州に出張し、日本人の詐りなき精神を米国人に示し此州法の
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実現を見るに至らぬ様にと勧めましたが此希望は達し得ずして其法案は州法として成立したのでございます、其後日本人を嫌ふと云ふことが益々激しくなると云ふ程にもなく経過する中に欧羅巴の戦乱が起つたのでございます、此大戦乱は暫く人気を終熄せしめたやうに私は感じました、而して其翌大正四年即ち千九百十五年には桑港に巴奈馬開通記念博覧会が催ほされました、是は加州に対して日本人の親切を十分表現すべき好時機と考へまして、我が帝国が既に欧羅巴の戦争に参加して青島の戦争又は地中海の防禦等に関し大に力を致し居る際にも拘らず、此博覧会に熱心なる賛意を表して我が政府も国民も相協力して出来得る限りの出品を致しました、其時に私は敢て公の資格ではございませぬけれども前々より継続した沿革もございますので、自ら日本実業家の代表の心を以て同年十月桑港に参り博覧会を視察致し、且つ会長たるムーア其他知名の諸氏と屡々会合致し、両国間の問題に付き各自の意見を交換致し、尚ほ将来の親善に付て種々協議致しました、恰も当時桑港に於て米国と日本との関係に付て有志が一の委員会を組織すると云ふ企図がありましたのを承知して大に喜んで我が東京にも同様なる委員会を組織し将来両国間の問題に付て互に相提携し協議し合ふ事を約して帰りました現在の日米関係委員会の起源は実に此処に存するので、今日列席する日本側の人々は総て此会員と申上げて宜しいのでございます、而して其時に私は日米間の問題は単に加州方面のみに止まらず、更に米国東部地方にも及ぼすものと思ひました、それは欧洲大戦乱の結果が米国東部の商工業家と日本の同業者間に事業上の紛議を来すことがありはせぬかと憂ひたのでございます、何故ならば斯く申すと亜米利加の諸君に対して失礼の言なれども、亜米利加は是迄は自国の富源を開拓するに忙しきため外部への発展は英吉利の如く行届いて居ないと申上げて宜いと思ふのであります、然るに近年著しく自国の開拓に手が届いて来る上に今般の欧洲戦乱の為めに非常に富を増すのである、既に自国に手が届いて而して国民の富が増大すれば勢ひ他に発展するのは自然の道理である、其発展は何れであるか或は南米もあらうが、東洋が唯一の場所であると云ふことは説明を俟たずして知れるのであります、而して其東洋は我帝国であるか、支那であるか、蓋し支那が主たる目的であると云ふを得べきである、果して然らば此支那に対しては従来日本でも関係の深い国柄であるから、亜米利加人の性質として若しも傍若無人の行動ありとすれば日本人も亦退歩せぬと云うて両者間に自然と悪感を生じ甚しきは衝突が起りはせぬか、斯の如きは日米の親善を毀ふのみならず延いては世界の平和を破ることなしとも計られぬのであります、而して是は唯々経済上ばかりでなく政治上にも波及することを憂ひましたのであります、それで桑港の博覧会へ参観の後更に市俄古・費府・ビッツバーグ・紐育・ボストン、華盛頓の各地に至り政治家・学者・実業家の諸氏と胸襟を披きて日米両国は是非とも協力を以て支那の事物を開発せざるべからずと云ふ愚見を陳述し、中に就て最も切実に此説を開陳したのは唯今隣席に御座るヴアンダーリップ君でござ
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います、忘れも致しませぬ大正四年の十二月四日午後二時頃同君の御宅で午餐の後でありました、その時には同君は私の至誠がまだ至らなかつたものと見えて十分なる感を惹起し得なかつたやうに思はれました、但し私が申上げた事は御納得を得たやうであつて、自分はまだ東洋を見たことがないから一遊を試みたいと希望して居ると云ふのが末段の御話であつたから、私は是非とも御出で下さいまし日本だけは私が十分御目に懸けて詳しい御諒解を得るやうに勉めますと切望致したのでありす、爾来欧洲戦乱の進むに随つて亜米利加と日本との間には単に西部に於ける移民問題の紛糾のみならず、東部に於ても対日中傷的紛議が続出し、殊に支那に関しては或はランシング氏の失念事件の如き、或は借款問題の如き或は山東問題の如き或は朝鮮・西伯利等事々物々我国に非難攻撃を加へらるゝのでございます、此際米日両国の有志者が相合して此等の問題に就き互に胸襟を披きて協議し極めて公平に講究したならば、両国の国交を昔の親善に立ち戻らしむることが出来るのであらうと云ふことを確信して、此希望を日本の日米関係委員に諮りましたところが、至極宜からう速に亜米利加の識者に図り玆に一の協議会を開いて見たならば完全に解決し得るであらうと云ふことに一決して、昨年の十二月の二十九日に一書を認めて其使命を堀越善重郎氏に託して三十日に日本を出立致し、同氏は直ちに紐育に赴き先づヴアンダーリップ君に其事を申上げ同君の快諾を得ましたのが今日此会議を開く原因になつたのでございます、上来陳上します如く今日会議を開くに至つたことは決して偶然でないことを満場の諸君に於て御承知を願ひ上げます、元来私は英語を解せず、又世界の事情も詳かにせず、云はば固陋の老人でありますけれども、日本の国を愛し、世界の平和を望むの一念は決して人後に落ちませぬ、幸に私の友人が私の此希望に同意を表し、又多年知遇を忝けなうして居るヴアンダーリップ君及同君の同志なる亜米利加各方面の有力の諸君が私共の希望を賛成せられ、貴重の時日を割きて我国に渡米し玆に一堂に会せられたるは私の衷心より喜ぶ所であつて、遠来の諸君に厚く感謝する次第であります、是より相互に胸襟を披いて是を是とし非を非とし、両国の国交は斯くしたら円満に親善が維持し得ると云ふことが玆に協定せられたならば、以て両国の今迄の雲霧が晴れて明光をそこに発揮するやうに相成ることと思ひます、終りに臨んで私は更に一言添へますが、此会議は昨晩ヴアンダーリップ君が御述べの如く決して公式のものではない、去りながら議事中の或事柄は国交上政務の一部に関係することがあります、又国民の多数に吾々の是と思ふ事は知らしめなければならぬ義務もございます、故に吾々は政府又は国民に対して相当なる諒解を得られると云ふだけの手続を以て此会を開いたのであると云ふことを、どうぞ亜米利加側の諸君も御諒承下さるやうに希望致します、開会の言葉としては頗る多弁を費やしたやうでございますが、私が十四歳の時から爾来六十七年間の亜米利加と日本との関係を申上げたのでございますから決して私は無用の弁とは思ひませぬ、諸君、どうぞ宜しく御諒恕あらむことを御願ひ致
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します。(拍手起る)
阪谷男爵
 私は此聯合協議会を組織するに当り、日米両国委員中より議長一名宛を挙げんことを動議致します、而して米国委員側よりはヴアンダーリップ氏、日本委員側よりは金子子爵を議長に挙げられんことをも希望致します。(満場一致可決)
金子子爵
 斯様な御歴々の集会を主宰するために私を議長に御選び下されたことは、私に取りまして最も大いなる光栄と存じます、此協議会に於て国際的性質の問題が幾多討議されることを私は疑ひません、此等の問題は甚だ困難複雑、又日米両国の関係に於て甚だ重要なものであります、況んや討論は日英両国語で行はれる訳であります、英語は殆んど半世紀前にボストンの公立学校やハーバート大学で学んだもので、私の英語には大分錆が着いて居りますので、此重任を尽すことは覚束ないと感ずるのであります、御委任を受けまして私は斯様な御歴々の協議会を司る力の乏しいことを自ら感ずる次第でありますが、然し諸君の寛裕と援助を力を持ちまして此任務を十分に遂行し得ることを望み、私が協議会を主宰する間諸君の御寛恕を求むる次第であります。
ヴアンダーリップ君
 諸君、私は我が同僚に代りて御挨拶致しますが、先づ第一に諸君が此日米協議会を組織されて金子子爵と共に議長たるの名誉を私に与へて下さつたことを厚く感謝致します、然しながら議長としての主なる役目はどうぞ是を金子子爵に御願ひ致し、議題選定其他の諸問題に就ても成るべく日本側委員諸君に御依頼して、私共は寧ろそれに順うて行くといふ風に致したいと存じます。
 唯今渋沢男爵より色々と有益な御話を承りましたが、其内に私との会見に説き及ばれました、私は不幸にして男爵が有つて居らるゝ様な強い記憶力を有つて居りませんし、又男爵程長い面白い歴史を有つて居りませぬ、去りながら男爵に御目に懸つた当時の事情は之を記憶して居ります、私が最初に男爵に御目に懸つたのは一九〇二年でありまして、当時私はナショナル・シチー・バンクの副頭取を致して居りました、頭取はスチールマン氏で、同氏が渋沢男爵を訪問するに就て私にも同道するやうにとの話が、抑も私が男爵に御目に懸るに至つた端緒でありました、即ち私共両人はマジェスチック・ホテルに男爵を訪れ申したのであります、其頃は私がナショナル・シチー・バンクに入つてから丁度一年程経つた時でありましたが、私が大蔵次官の職を辞して此銀行に入るまでの余暇を利用し欧洲を旅行致し『欧洲《(へ脱)》の商業的侵入』と題する小著を公に致しました、私共がマジェスチック・ホテルに男爵を訪れました時、男爵は日本語で書かれた原稿を読んで居られました、伺つて見ると其れは男爵の御指図で拙著を翻訳に附せられたものであると申すことでした、此事は男爵に取つては何等深い意味のあつたものではありませんでしたらうけれど○当時ノ模様ニ就テハナホヴァンダーリップノ自叙伝From Farm Boy to Financier pp.105-7 1935, N. Y.ニ記セリ
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も、私には強い印象と快感とを与へたのであります、男爵の御演説中にアメリカは高大な国であると同時に無限の富源を有つて居る国である、為めに自国開発に国民の注意が払はれて居るから外交的手腕を発揮する暇がないとの御言葉がありましたが、真に正鵠を得た御説であると存じます、欧洲戦争開始の頃までは我邦の精力は殆んど全く自国開拓の為めに聚集せられたと申して差支へないのであります、過去百年間に三千三百万人の移民が我が邦に入り込み、一九一〇年の人口調査に因りますと合衆国全人口の一割五分は移民であります。
 私共がアメリカ人と申します意味は、日本の諸君が日本人と申さるる意味とは大に異つて居ります、何故ならば日本人は単純なる人種であるのに引き替へてアメリカ人は複雑な人種であります、尤も純アメリカ人と申すものも御座います、然し其れを除いてはアメリカの人口は多数の移民更に多数の移民の子孫よりなつて居るのであります、随つて諸般の事物に対する見地も種々雑多であります、合衆国人口中一千五百万は移民の子孫であります。
 男爵の御説の通り、私共は自国の開発の為め全力を傾注したのであります、先づ此点を商業の上から解釈して見ますると、我が邦は債務国であつて欧洲諸国より資本を借りました、我が邦に鉄道を布設する為めに、諸種の工業を経営する為めに、欧洲諸国より借金をし又其等の国々に向つて外債を募集しました、大戦争突発の際には我が邦が欧洲に対して凡そ百億円の債務を負うて居つたのであります然し此大戦争は我が邦の商業上に大変化を来たさせました、同盟諸国は我が国民の生産力が到底堪へ切れぬ程の注文を以て我が邦に殺到したのであります、戦争中我が国民は欧洲に対して価格約六百億円の物品を輸出し、二百八十億円の輸入を致しました、其結果従来欧洲に負ひたる債務を償却し尚ほ其上に欧洲に対して債権を有することゝなつたのであります、其処で私共の地位は一百億円の債務者より一転して殆んど二百二十億円の債権者となつたであります、私共の地位は国際経済的に変化したのであります。
 私共は二百万人よりなる軍隊を外国に輸送し、国内の諸新聞は外国に関する記事特に軍事的行動に関する記事を以て満されました、私共は国民として外国の地理を研究したのでありますから、一層世界の事物を学ぶやうになつたのであります、戦争前までは外交といふものはワシントン市に於ける外務省の仕事とのみ思つて居つた訳であります、私共一行は一人も政府と直接の関係を有つて居る者はありませんが、皆国際問題には深き興味を抱いて居ります、私共は素より十人十色でありますが、兎に角此点に就ては我が国民の意向を代表して居ると申して差支へないと存じます、又男爵の御話中に外交術に於ては米国は英国の比でないとの御言葉がありましたが、過去に於てはいざ知らず、将来に於ては必ずしも左様でなからうと思ひます、其訳は私共は国際的諒解を求むる必要を痛切に感じて来たからであります。
 我が合衆国の国是に関し絶対的断言をなし得ることは、我が合衆国
 - 第35巻 p.368 -ページ画像 
の何れに於ても如何なる人も領土拡張を夢見て居る者はないと申すことであります、合衆国の輿論に若し絶対の統一なるものありとせば、其れは領土侵略否定の精神であります、此事実は第一に私共がキューバに対して取つた政策に於て表明され、つぎに中央アメリカの諸国、西印度及フィリッピン群島に対する態度によつて証明せられて居ると思ひます、特にフィリッピン群島に対しては将に自治権を賦与せんとして居るほどであります、私共は十分の領土を有つて居りますから是れ以上に領土を要しませんですが、日本国及他の諸国と親交を維持し度く思ひます。
そして是れが為めに諸友邦の要求に関して明確な諒解を得たいと存じます、今日我が邦の国是とも称すべきものは世界の列強と真の友情を全うしたいといふに外ありません、そして日本国は列強中の一位を占めて居らるゝから、委はしく日本の諸問題を攻究して相当の理解を得ようと努むる訳であります。
 私共の著しく感ずることは、日本が其領土の割合に比較して人口の夥多なる一事であります、承れば日本国の人口は五千七百万で年々六十万づつの増加を見るさうであります、さて斯く急激に増加する人口を如何に処置すべきか、若し諸君が是れを殖民に因つて解決せんとするもそは不可能と思ひます、私見を申上ぐれば日本の人口増加は殖民政策に因つて解決せらるゝには余り激げし過ぎるので、我がアメリカに移民を送ることに因つて是れを解決せようなどとは、到底考へられぬことであります、若し斯く激増する人口を我が邦が収容することとせば、忽ちに国中を覆うて仕舞ふことになると存じます。
 斯る移民政策は、諸君に取つても私共に取つても好ましからぬものであると存じます、私共の確信する所は、諸君は私共に対して合理的態度、即ち諸君が他国民に対して与ふるもの、又他国民から要求する所の態度を望まるることゝ思ひます、私も是れを主張する一人であります、兎に角甲国が乙国或は丙国より無制限の移民を迎ふるといふことは到底堪へ難いことであつて、我が邦の有識者も夙に此問題に醒めた感があります、元来我が邦は制限的政策を保持して参つたのであります、例へば前科者、疾病者及無教育者の入国を禁じたるが如きは国家の自衛上為すべきことゝ思ひます、此大戦後は必ず多数の入国者が欧洲より我が邦に入り込まれることを気支つて居ります。
 我が邦には入国者禁制に関して一種の強固な輿論があります、其れは申すまでもなく労働者の団体であります、我が邦の労働者は欧洲の労働者が安価な労銀に甘んじて労働することを嫌うて居ります、又一方には同化し得る以上の程度を越える入国者の数を制限して是れを教育せねばならないと主張する一派があると思へば、他方には入国者を国民化して我が邦の国体・風俗・習慣を学ばしめ以て彼等の生活標準を我が生活標準に高める必要があると説へる一派もあります、他の一派は人種的僻見に捕はれて居る団体でありまして是が加州に於て最も顕著であります、尚ほもう一つあるのは嘗て独逸の
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カイザーが『黄禍』を称へて世間を騒がせたことがありますが、其主張は他日東洋人が大挙して西洋諸国を圧倒するといふのでありました、ところが我が邦には一種の黄禍が存在して居ります、是れを称して黄色紙(Yellow Paper)と申します、此種の新聞は真実を無視して政治上の野心を逞しうせんが為めに僻見や誹謗などを使用する輩であります、私共は我が邦に斯る新聞の存することを恥辱に感ずるのでありす。
 私は移民問題に関する事実を諸君に御紹介申し上げましたが、是れは渋沢男爵の御演説に因つて、此問題が諸君の間に重きをなされて居ると感じましたからであります、是れより諸君の驥尾に附して此協議会に列し、胸襟を開いて協議を遂げたいと思ひます、私共は質実を重んずる米国市民であつて、芳情に富める日本の諸君と意見を交換する考であります、アメリカに関して申し上ぐる必要があれば知り得る限り諸君の希望に応ずる積りでありますが、先づ私共が諸君の意見を聞いて、大に自ら啓発する所がありたいと思ふのであります。
阪谷男爵
 私は本会の名誉書記長として米国側よりベネヂクト氏、日本側より服部文四郎氏を推薦致します。(可決)
 又私は本聯合協議会を秘密会となし、新聞紙上に公表すべき事柄は凡て両議長の協賛を経て、書記長之を取扱ふべしとの動議を起します。(満場一致可決)
 又私は渋沢男爵及ヴアンダーリップ氏の演説は之を新聞紙上に公表せんことを望みますが、之に関しては御両人の許可と校閲とを得て左様取り運びたしと存じます。(満場一致可決)
次で本会の名称に関して種々の提案ありしが、結局タフト氏の動議即ち名称の詮考は之を両議長に附託し、両議長は次回の協議会に其結果を報告することに決す。
阪谷男爵
 私は協議事項の順序を左の如く定め順次討議せんことを動議致します。
  第一、移民問題
  第二、支那に於ける商工業発展の為め日米両国の協力
  第三、山東問題
  第四、サイベリヤ問題
  第五、朝鮮問題
頭本君
 此協議事項中より朝鮮問題を除去するのが適当と思ひます。若し朝鮮問題を聯合協議会に附する様にては、東京市の市政までも討議せねばならないといふことにならうと思ひます、米国側委員諸君も此問題は日本国内の問題であつて国際的問題で無いといふ点に首肯せらるゝことゝ考へます。
タフト君
 私一己の意見を述べますならば私は此の際朝鮮問題を此協議会に討
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議せられんことを切望する一人であります、朝鮮に於ける日本の政策に関して我が邦に流布された謬伝誤解を一掃するといふことが本協議会の務めであると存じます、朝鮮問題はアメリカ人をして日本に対する偏見を抱かしめた諸問題中の一つで御座います、私共は本問題に関しては賛否の意見を発表する考へで参つたのではありません、唯本問題や山東問題などの真相を知つて之を米国民に知らせ、以て彼等の反感及偏見を除去するやうに致したいと思ふのであります、又此協議会の目的も此処にあると思ひます、世間では朝鮮問題の日本に於けるは恰もアイルランド問題の英国に於けるやうなものであると申して居りますが、果して夫れ程の類似点が存して居るかどうかは私にはよく了りません、私は唯だ朝鮮に対する日本の政策を諒解して置けば私共が確信を以て意見を発表することが出来ますから、誤解を解く為めに本問題を討究することが必要な事と思ひます。就ては是非本問題を本協議会の協議事項中に加へられたいものであります。
渋沢男爵
 爰にもう一つの問題を協議事項中に加ふべきものと思ひます、即ち日米両国間の海底電信及改善法とも申すべきで御座います。
金子子爵
 唯今渋沢男爵が海底電信問題を協議事項中に加ふべしとの提議をなさいましたが之に関して御意見がありませうか、無ければ採決を致します、賛成の方に挙手を願ひます、満場一致と認めます、又本問題は第六問と致します。
 私共は此会議室に於て已にアレキサンダー氏、ホイラー氏及其他の諸君等と協議を遂げましたが、其内の重要問題は加州に於ける日本人の生活状態と申すものでありました、私共は腹蔵なく、来る十一月に催ほす筈であるといふ民衆投票問題を討議致しました、協議会は秘密会で御座いましたからアレキサンダー氏一行との協議に関する事は其御考にて御聞き取りを願ひたいと思ひます。加州の人々が民衆投票に因つて成就せようとする目的は我が在留同胞より借地権を褫奪し、且つ米国に於て生れた日本人未丁年者の親が彼等の保護者となることを禁ぜようとするものであつて、如何にも無法極る提案でありますから、私共日米有志者等は此民衆投票を変更して加州議会に附議せらるゝやう尽力せんとして居るのでありますが、然し之とても甚だ姑息の方法であつて一時の緩和策とはなりませうが、再び起るに相違ありません、然らば現下の問題を根本的に解決すべき方法は如何なるものであるかと申しますと、私は両国政府より高等聯合委員を挙げて之に問題の調査を附託し且つ解決の提案をなさしむることが最も適当なる方法であると思ひます、アレキサンダー氏も此意見に賛成せられて、高等聯合委員を設置する為めに大に尽力すべしと答へられました、何れ近々に同氏より通信のあることゝ存じます。又アレキサンダー氏は民衆投票問題を州議会に転移せしむる為めに極力斡旋すべしと云つて帰られましたから、此点に関しても其内に何等かの報告があることゝ思ひますが、未だ報告に接し
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ません。

    日米有志協議会第二日(大正九年四月二十七日)
会場 前日の通り
開会 午前九時三十五分
      日本側出席者
 男爵 渋沢栄一君   子爵 金子堅太郎君   男爵 阪谷芳郎君
 男爵 目賀田種太郎君 男爵 近藤廉平君    男爵 中島久万吉君
    藤山雷太君      井上準之助君 法学博士 添田寿一君
    串田万蔵君      早川千吉郎君      頭本元貞君
    大谷嘉兵衛君     堀越善重郎君
      米国側出席者
    第一日に同じ
ヴアンダーリップ君
 今朝の協議事項は移民問題で御座います、之れに関し先づ渋沢男爵の説明があります、昨日の協議会に於ては米国側委員よりも意見を発表したいとの事で御座いましたが、日本側委員諸君は此移民問題に就ては大に憂慮せられて居る次第で私共米国側委員も之に同情する訳であります、併し近来我が邦には全国を通じて日本の政策に就て一種の疑念を抱いて居ります、昨日も此聯合協議会が朝鮮問題を論ずるは内政問題を論ずるに等しいものであつて東京の市政を是非すると異なる所がないと云ふ様な議論も出ましたが、然し米国には朝鮮人が居住して居ります、而して微力ながらも種々の小団体を作つて独立運動を唱導して居ると云ふ始末であります、勿論此運動は甚だ無謀の企図であると思ひますが、事実この様な有様でありますから私共は事の真相を知つて穏健な処置を取る事が出来る様にいたしたいと思ふのであります、又山東問題に就ても疑惑の雲が懸つて居ります、何れ山東省は支那に還附さるゝことでありませうが、日本では商業上の利権は之を保留せらるゝことゝ存じます、又サイベリヤに関する日本の政策に就ても疑念が挟まれて居ります、例へば日本の出兵は将来に於ける領土侵略の序幕に過ぎぬのであらうといふが如きことであります、今日の形勢は斯る次第ありますから、サイベリヤ・山東及朝鮮問題等に関しても諸君の御高見を伺つて之を我が国民に伝達するといふことが頗る大切な事柄であらうと存じます。
目賀田男爵
 日本語の弁論も之を英語に通訳した方がよいと思ひます。
ヴアンダーリップ君
 通訳の件は日本側委員諸君に於て可然御取り計ひを願ひたいと思ひます。
渋沢男爵
 移民問題に付て私は意見を玆に申上げたうございます、此申上げます意見は決して今日初めてゞはなくして、従来の関係から斯く希望するのでございます、昨日の開会に際して申述べました愚見と同一
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で、私は初めて亜米利加に参りました時から移民に対して懸念を持ちました、第二回に参りましたのは此移民関係から国民外交の意味でありました、第三回に参つた時に初めて此移民に付て将来斯くありたいものだと云ふ愚見を、桑港に開かれて居る商業会議所の加州方面の方々が亜米利加と日本との関係に付て委員会を作らんとする会議の席上に於て、日本に於ても同様のものを作る積りであると云ふことを私が申しましたら、座長アレキサンダー氏から日本に於ける多数の意見を代表する心で、渋沢より意見を述べよと云ふ求めを受けまして、私は玆に初めて自己の愚見を申したのでございます、其意見は日本を代表するとは申されませぬが多数は斯様であらうと思ひます、今加州に、否各方面の太平洋沿岸に参つて居る日本の移民は、最初適当なる規則等に依つて移住したのではありませぬが、既に十万に近い者が参つて居る、之を特に加州方面の人々が嫌うて種々なる面倒が生ずるのは日本移民の風俗の異なること、行状の宜しくないこと、種々なる欠点も多うございますけれども、斯の如く排斥する亜米利加側の説も頗る不適当の様に感じます、限りなき移民が来ることを嫌うて、政治上の折衝から紳士協約の出来たことは日本の人民は好みは致しませぬけれども既に国際上の協定なれば服従を致します、其紳士協約に服従する以上は参つて居る移民に対して排斥若くは虐待等の事あるは亜米利加人の為され方が悪いと思ひます、若し悪いものであるならば、是は速かに改めて貰ひたいものであります、又現在移住して居る日本人の中に、例へば風俗の異なること、考慮の誤つて居る等の事がありまするならば、吾々は日本人として努めて改めさせるに躊躇致しませぬ、改めますことを努めると同時に亜米利加の人々からも之を嫌ふ、之を排斥すると云ふ行動は取去つて御貰ひしたいのであります、加州方面の人々の言ひますには、日本人は一時の出稼ぎの観念を以て働いて居る、一向亜米利加に同化せぬ、故に嫌ふ、又風俗が異なつて居る、習慣が一致せぬ故に嫌ふ、或は人種が異なつて居る、宗教を同じうしないから嫌ふ、其嫌ふ事柄は幾らもございますが、主として唯々厭やだから嫌ふと云ふことに帰着するのでございます、先づ第一に永住的観念を有つて居らぬ、亜米利加人となつて努める心が薄いから嫌ふと、加州の人は斯く申しますけれども、既に加州の人々は日本人に対する処置をば殆んど同国人の待遇を致さぬのであります、動もすれば借地の権利も奪ふと云ひ、職業も同様に経営させぬと云ふ、斯の如き仕向を以て日本人に永住的観念を起せと云ふことは、尚ほ入口を閉めて中へ入つても宜しいと云ふやうな訳で、殆んど望むべからざるわけになります、又習慣を異にするは其の通りでありますけれども御互に相親しむと云ふ情があつてこそ親睦するのである、例へば日本人が親しまうと考へても、加州方面の亜米利加の人が之を嫌ふ以上は真正の友情が生ずることは望まれませぬ、斯の如き有様で経過して居りまする中に、大正四年頃は、其感情が稍々融和致したやうに考へました、それは前に申上げました明治四十二年から比較して吾々は多少尽力の効果ありと喜んで居りましたが、然るに昨日も述
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べました如く、欧羅巴大戦は寧ろ総ての方面に於て、亜米利加の発展、日本の進歩は多大のものがありましたが、国民思想上には却つて反比例に、相互の感情を疎隔しまして、東部に於ては朝鮮の問題或は山東省の問題等種々なる事に日本に対する誹謗の声の高まると同時に、加州方面に於ても前に申す日本移民を排斥する観念が数年前大に融和したと反対に、嫌悪の感情が強く生じて参りました、此の生じて参つたのは如何なる原因かと云ふことを私は詳かに知り得ませぬけれども、著しい一例は、加州方面に於ける政治家の人々が政治上の材料として、日本人排斥は地方一般の希望に添ふ為めに人望を得る一の手段として、事実に於ては真に迷惑をする、困難をする等の事なくして、唯だ政略として日本人の排斥を主張し、近頃に至りましては、特に一種の臨時州会を以て此排斥を遂げようと考へて居ります、正しい探知ではございませぬが、私共の聞く所に依りますと、現在の所では左様な過激な行動は宜しくないと云ふ、反対派もある如く承知して居ります、其反対は更に排斥者の気勢を増して、本年十一月に至つて、イニシヤチーブと云ふ一種の国民投票に依つて、日本人の有つて居る土地を奪ひ去らうと云ふ如き新法を施行することになると承知致します、但し日本人の土地の所有に関する経営が適法でない事があるかも知れませぬ、例へば生れた子は亜米利加の国民であるけれども其親は国民でない、故に子の名前に依つて有つて居る土地を親が管理するのは違法であると云ふ趣旨を以て、イニシヤチーブに依つて其取扱ひを停止すると云ふが如く聞えます。
 若し果してさう云ふことに成行きまするならば、現に加州に居りまする日本人が概略七万人、殊に農業に関係の者が其十分の六、七と思ひます、是等の人々は独り職業を失ふのみならず、国に帰らんか家は無し、殆ど路頭に彷徨するやうに相成る、是は人道でありませうか、道理ある処置でありませうか、博愛に強い亜米利加の人々が斯の如き暴戻の手段を講ぜらるゝと云ふことは、洵に情け無いと思ふのであります、但し斯く申上げまする私は、日本人の農業の経営に付て一々に過失が無いとは申しませぬ、其過失若くは不道理の行動がありますならば之を矯正するに躊躇を致しませぬけれども、今申上げましたイニシヤチーブの制度の如きは、此場合に是非阻止することを私は希望して止まぬのでございます、元来此移民につきまして更に進んで考へを申上げまするならば、果して現在の有様、即ち紳士協約が永久的の方法であるや否やを亜米利加の識者諸君とも攻究致して見たいと思ふのでございます、けれども私共は、今日は更に移民を送りたいと云ふ意思を有つては居りませぬ、既に我政府が紳士協約を以て将来労働者を送らぬと云ふことに決めて居る、其趣意に対しては謹んで服従して居るのでございます、蓋し世界を通じて人の居住又は移動と云ふことに付て如何なる原則を設くるが宜いかと云ふことは、是は全世界に亘る共通的の別問題であるから今日の問題と混同は致さぬ積りでございます、さりながら加州移民の問題は前来陳情する通り殆んど十数年来の懸案であつて、四、五年
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前大に緩和して聊か微力の効果ありと喜びましたのも夢の如く消え失せて、今日は我が六、七万の同胞中殆んど七、八割は若しイニシヤチーブが加州に於て通過しましたならば、謂はれなくして路頭に迷ふのである、而して此悲惨なる処置は博愛正義を重んずる亜米利加人の行動から出たと云ふ事は、実に私は嘆はしいと思ふのでございます、亜米利加の国民たる諸君に対して斯く申上げますると、誹謗を申すやうに聞えて言語は穏当でありませぬが、此会は亜米利加人でもなく日本人でもなく公平無私なる一種の協議会でございますから、全く同種類の集まりと思つて忌憚なく陳述したのであります故に私の玆に希望する処は、現在加州に在る所の多数の日本人をして、今述べましたイニシヤチーブの如き過激なる法律の制定せられぬことを、何等の方法に依つてか、列席の米国側諸君の御力入を願ふのであります。
 更に私は申添へたいことがございます、従来加州方面の米国人の日本移民に対する感情が、宗教・人種の異なると云ふよりは、習慣の異なると云ふことゝ、亜米利加化して事業を経営せぬと云ふことが排斥の主点のやうにございます、是は米人が日本人を同胞として待遇して呉れぬ所から、自然の成行とは申しながら其土地居住の日本人をして、成るべく同化せしむるやうにありたいと、私は努めて日本移民を指導致して居ります、単に指導するのみならず、其土地に於て事業を共に経営すると云ふ方法が講じられたならば、自然と嫌悪の心が減ずるのであらうと思ひます為めに、先頃はアイダホ州から砂糖の農作に付て、日本人の資本の輸入を求めると云ふ相談を受けまして、其会社の創立に、東京若くは其他地方が申合せて少分ながら株式を募つて此仲間入りを致しました、又当春加州知事スチーブンス氏の友人でサクラメントのセネーターをして居るビルスと云ふ人が東京に参られて、前陳趣意を頻りに申述べられました故に、私は同意致しましてサクラメントにヴアーデンと云ふ缶詰事業を経営する会社が起つて居るから日本人も之に協力して、又加州に居る日本移民からも加入致して此ヴアーデン会社を日米協力の性質にしたら宜からうと思つて目下尽力して居ります、蓋し此ビルスと云ふ人は州知事スチーブンス氏とは頗る懇親の間柄で、左様な事柄は加州の亜米利加人を緩和せしむる手段として頗る宜しいと云ふことを知事も申された趣で是非成立せしめたいと評議しつゝあるのでございます、左様な事柄が追々と生じて参りましたならば、亜米利加と日本との間に事業も共にすることが出来るであらう、是迄の加州方面の人々が日本の移民は唯出稼に参つて働いて得た金を日本に送るだけで、亜米利加に対する愛郷観念を有つて事業を致さぬと云ふ誹りは根柢から取除け去られるのであらうと思つて努めつゝあるのであります。次に申上げたいのは、本年三月の中旬に加州方面即ち桑港の有志家諸氏が同じく協議会を開く為めに東京に参られまして、種々協議を致しまして上来再三申述べましたイニシヤチーブのことも如何なる方法を以て之を阻止するかと云ふ評議を致しましてございます、是等の顛末は今金子子爵が参られましたら詳しく申上げて
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諸君の御耳に入れるやうに致します、要するに加州方面に於て日本人と亜利加の人との間に事業を提携し、資本を共通しようと云ふことに付て私共は左様にまで力を尽して居ると云ふことを玆に申添へたのでございます。
阪谷男爵
 渋沢男爵が移民問題を論ぜらるゝに当りて之を至要の点に局限されたことは真に感服の至りです、此聯合協議会は短い時日の間に種々の問題を討議することになつて居りますから、移民も制限し或は禁止することの合理不合理を広く議論して居る余地はありません、極めて緊急にして又重要なる問題は民衆投票の件であります、諸君も御承知の通り日本の政府は紳士協約に賛同を表し、又昨年は淑女協約とも申すべき、写真結婚問題に就ても之を撤廃することをアメリカ政府と協定しました、此等の点から考へて見ても、日本はアメリカの要求を容るゝ為めに出来る丈けの譲歩を致して居ることがわかります。却説イニシヤチーブ(民衆投票)の件でございますが、之は誠に憂ふべき問題で、若し仮りに此問題が転化して加州の法律ともなるべき結果に至りますれば、加州に於ける日本人間には勿論のこと、本国に於ける日本人間に如何なる反響が起りまするか、兎に角重大事件であります、一般の人心に不安の念を起さしめて、終には両国間に存する親交をも破壊するに至るやも計られません、此イニシヤチーブは単に不合理といふばかりでなく、醜悪極るものであります、私は現に其謄写を有つて居ります(玆に男爵はイニシヤチーブの一部分、即ち合衆国に於て市民権を獲得し得ざる外国人の土地所有権及借地権に関する一項を朗読せらる。)此イニシヤチーブは未だ広く我が邦の新聞紙上に公表されて居りませんので、日本人はアメリカに如何に危険な事が行はれんとしつゝあるかを知りません、私共日本側委員はアレキサンダー氏一行との聯合協議会に於て如何にしたならば此イニシヤチーブ運動を阻止することが出来るかと云ふ点を攻究する為めに熟議を遂げました、之が今討究すべき最も重要なる事柄であります、それから加州人に時を与へ静に此運動が如何なる結果を来すものであるかといふことを考究せしむる必要があります、昨日金子子爵は簡単明瞭にアレキサンダー氏一行との聯合協議会に於ける経過を私共に告げられましたが、其時イニシヤチーブ案を加州州会に附議せしむる様に仕向ける事が最も善い手段であると申されました、尚ほ又其代案として、此際日米両国政府に対して高等聯合委員の設置を申請し、此等の委員に加州問題を熟議せしめて其結果を両政府に報告せしむるばかりでなく、委員の意見をも添へて両政府に提出せしむることゝすれば、加州の人々も其報告を待つといふことになりまして、爰に危機を避けて両国の好感を維持することが出来るに違ひが無いと申されましたが、至極御尤もの御説と考へます、何れ此イニシヤチーブ案に就ては本協議会委員中に種々の御意見があると存じますから、此際十分打ち解けて腹蔵なき意見の交換を遂げ、不愉快極まる当面の問題を適当に解決致したいものであります、私は不充分な英語で自分の意見を満足に発表
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する事の出来ない事を甚だ遺憾に思ひますが、此の問題の重大なることだけは諸君に告ぐることが出来たと思ひます、此問題は現下の処一地方に限られて居りますけれども、若し加州に於て此問題が通過致しますならば、此余波がオレゴン、ワシントン、アイダホー、及其他の諸州に伝播して終には中央政府の法律とならないとも限りません、斯る暁には両国の国交が危くせらるゝに至ることは、炳乎として火を見るよりも明かであります、これはたゞ単に一地方のみの問題ではありません、予防の一オンスは治療の一ポンドに優るといふことがありますから、此悪事を一日も早く防止して其害悪を被らぬやうに致したいものであります。
目賀田男爵
 アレキサンダー氏一行との聯合協議会に於ては二つの点が問題となりました、即ち其一つは同化問題で、第二は日本人割居問題であります。本聯合協議会に於きましてもこの二問題を論じて戴き度いと思ひます、同化問題に関して私見を申せば先づ私は進んで同化すべしと主張するものであります。我が邦に渡来する欧羅巴人中特に独逸人の如きは同化の必要なしなどと言つて一種の宣伝を試みたことなどを記憶して居りますが、やはり日本人も他国民と共通の性情を有するものであると見えます。第二の問題たる日本人割居の習慣は改良の余地が多々あると思ひます。
タフト君
 諸君の御演説を伺ひ、又阪谷男爵の御答弁に因りますと、カルフオルニア州が同州に居住する日本人の権利を侵害するやうな条項を案出し、之に因つて同州の憲法を修正しようとして居るものであると云ふことを諒解致しましたが、イニシヤチーブに対する私の解釈は違ふのであります、元来合衆国に於ける各州の憲法中には法規の基礎的原理なるものが規定されて居りまして、州の憲法は憲法それ自体の中に規定されたる条項に基くのでなければ修正の道が無いことになつて居ります。カルフオルニア州が民衆投票に因つて、憲法を修正すると云ふが如きことであれば之は由々敷い大事で御座います然し私の記憶致して居りまする処では、カルフオルニア州には憲法修正に関する議案を提出する為めの民衆投票の制度があります、今回のイニシヤチーブ運動は其議案を成立せしめんとする立法運動であつて、直接に憲法を是非するものではありません、従つて此イニシヤチーブの提出する条項は、今年の州議会で通過しても来年の同議会で撤廃することが出来る性質のものであります、ですから世間で評判するやうにさう極端なものでは御座いません、私の意見を簡単に申し上ぐれば次の通りで御座います。
 先づ此イニシヤチーブの第一項は未丁年者の所有財産、放資額及其他是に関聯したる事柄に就て其未丁年者の保護者、若くは代理人が一定の期間内に公式の書類を当局に提出せざるべからずといふのでありますが、私は此規定中に日本人の異議を称ふべき処が無いと思ひます、第二項は未丁年者の保護者の資格に関する規定であつて、未丁年者の両親が合衆国の市民たる権利無きものである場合には、
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州の官吏が其保護者の任に当るべきものであるといふのであります此規定は合衆国の多くの州の現行法として存して居ります、例へば嬰児の保護者を設定する場合であります、而して其目的は其児童の利権を保護するにあるので、今回の提案も其れに過ぎないと思ひます。各州に於ける公任保護者の任務は、常に公平を主として被護者の権利を擁護することになつて居りますから、被護者の権利を侵害する様な規定は設定されない筈であります、斯く考へて参りますれば、此規定も敢て極端なりとは言はれません。此イニシヤチーブの規定中甚だ不当であると思はれるのは、最後の規定であつて是は重大問題であります、此規定中に含まれて居る極端の点は此処にあると思ひます、即ち合衆国の市民権を得ること能はざる外国人がカルフオルニア州に投資する或る会社の社員になる時は、其会社はカルフオルニア州の土地を所有する権利を失ふといふのであります、是は如何にも悪辣な条項であつて、比類の無い規定であります、同様の条項が土地所有権・借地権等にも応用さるゝ様になつて居ります又カルフオルニア州の法律には新法律を設定する場合には、其設定が緊急を要する場合でなければ相当の手続を経ることになつて居ります、同州の憲法中には、若し緊急の議案を提出する場合には其理由を提案中に明記することになつて居ります、此最後の規定中に理由が説明されてあるのは之が為めであると思ひます、此規定中に不快の念を催ほさせるのは、実に此最後の規定中の第十項であります私は此上協議会の貴重なる時間を費し度く無いのですが、尚ほ暫らく此等の規定の如何なるものなるかを説明したいと思ひます、又日本側委員諸君も御存じの通り、我が邦に於ては一切の国際問題を処理する時には、州政府を主として後に中央政府に及ぶと云ふ順序であることを申して置きたいと思ひます、最も国法又は憲法上の問題になりますと、国際契約は一切の州法に対して優越権を有つて居りますが、各州に関する地方的規定には中央政府は干渉致しません、例へば土地所有権とか借地権等に関する規定は、皆之を地方政府即ち州の立法部に一任するを合衆国政府の慣例として参つたのであります、従つて中央政府は各州に於ける特種的法律の規定に容喙することを避ける訳で、出来得る限り内地の問題をば其地方の権能に一任するのであります、中央政府がカルフオルニア州に於ける日本人問題に干渉することを憚る所以は実に此処に存するのであります、然しカルフオルニア問題中国際条約の規定に触るゝ点があれば、中央政府は堂々と之に容喙するの権能を有することゝ私は信じます、我が邦の政体は代議政体でありまして、此点に於ては貴国の代議政体と酷似して居ります、私共は国際問題と国内問題との関係を論ずる時には屡々困難及び紛糾を来すことが御座います。
頭本君
 目下問題となりつゝあるイニシヤチーブ法案に関しましては、私はタフト君の解釈には同意を表し難いのであります、同君の意見によりますると、合衆国の法律に因つて市民たることを禁ぜられて居る外国人は現行の国際条約中に規定されてない財産を所持したり、或
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は其他の利害関係を結ぶことが出来ないのである、タフト君の主張は此法案は明かに条約に規定せられて居る権利を認め居るが故に、約る所日本人の為めに好都合のものとなるであらうと云ふにあります、私は法律家たるタフト君に敬意を表して居る一人でありますが此イニシヤチーブ法案は如何にも不都合なものと考へます、如何となれば、本案の目的は日本人に財産所有権を与ふる点に関して、中央政府の行動を妨害し、同政府が将来日本と交渉を開始せんとするに当り、其自由を束縛するものとなるからであります。
市橋君
 私は数分間諸君の御静聴を煩はしたいと存じます、私は此カルフオルニア日本人問題に最初より注意を払ひつゝ今日に至つたものであります、従つて其実情を存じて居りますから御参考までに聊か申し上げる次第であります。私は此問題に関して愚見を発表せる一つの小冊子を有つて居りますが、これをデヴイス君に差上げて置きましたから、米国側の各委員諸君が之を御覧下さることを願ひます、必ずカルフオルニア日本人問題を一層明瞭に御諒解なさることが出来ると信じます。この小冊子の外に尚ほ私は印刷物を発行して事実の真相を縷述しました、兎に角此のイニシヤチーブ案は日本人に対する不正行為であつて態と之を提出したのであります。此提案を有効ならしめようと奔走し居る人々は此れを正当なるかの如く見せようと努めて居りますが、其精神は徹頭徹尾不正なるものであります、既に御聞き及びの通りにカルフオルニアに於ける日本人の六割五分は農民であつて、其人々は土地を所有して居るか若くは傭はれ人であるかであります、本案は此日本農民より土地所有権を褫奪しようと云ふのであります、私は私の生涯の大部分をカルフオルニア州に過しましたので此辺の事情を委しく知つて居るのですが、カルフオルニア州の人々がこんな法律を制定せねばならない理由は更に無いのであります。私は同州に在りて教育の任を帯びて居る者でありますが常に我が同胞学生に対しても、米国の学生に対しても正しき生活を鼓吹して居る一人であります、故に今回の提案が如何にも不都合極まるものであることを公言せずには居られないのであります。
金子子爵
 私は此場合に我国が移民を合衆国に送るに至つた歴史又は日米間の国際関係に関する条約の来歴を詳述する事は出来ませんが、タフト君の論ぜられたる点に就ては私も已に意見を申述べた筈です、どうも此イニシヤチーブ案は悪辣なものと考へます、日本人の未丁年者の親が彼等の保護者であり、彼等の所有する土地より生ずる利益を擁護すべき筈であります、カルフオルニア州の法律は何故に日本人の親をして其子たる未丁年者の保護権を失はしむるが如き処置を取るのであらうか、此れイニシヤチーブ案は米国内に住む日本人の未丁年者の資格にも差別的区域を設けて独逸・英吉利及仏蘭西の未丁年者に与へられたる資格に劣るものとするのである、即ち此提案は日本人の親より其子供の養育を司るべき権能を褫奪するといふのである、如何なる理由に基いてカルフオルニア州の人々は日本人の親
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より保護権を奪うて、之を同州の役人に与へようとするのであるか斯る保護者は被保護者の父母・叔父、若くは其他の近親に代りて被保護者の財産を安全に擁護し得ますか、何故にカルフオルニア州の当局者は日本人の未丁年者を、英国及独逸の夫れ等と同等に取扱はれ無いでせうか、カルフオルニア州の人は日本人の両親を無能と見られるのであるか、或は彼等に米国の市民となるべき権利がないから彼等より此特権を奪取するといふのであるか、而して此の如き処置は正当であり、且つ公平であるでせうか、カルフオルニア州に於ても他の州に於ても多くの米国に生れた外国人の未丁年者が土地の所有権を得て居るではありませんか、其れとも若し合衆国の中央政府が我邦の政府に対して正式の交渉を開始して、此未丁年者問題を討議しようといふならば、彼の写真結婚の問題や、紳士協約問題を処理したやうに、相互間に適当な方法が考案せられないことも無いだらうと思ふ、然るに斯る順序も経ないで直ちに親が未丁年者たる子供の財産を保管するとか、或は其他の事柄を彼等に代つて代弁することが出来ぬやうにするとは、如何にも合点の行かない点である公任保護者よりも親の方が遥かに優つて居ることは了り切つた話である。
ヴアンダーリップ君
 金子子爵が云々せらるゝ親権若くは親の愛は別問題で、法律以外の問題では無いでせうか。
金子子爵
 私の主張は何故に我が未丁年者は英・仏及独の夫れ等と異つて、差別的取扱ひを受けねばならぬかと云ふのであります。
シヤーマン博士
 米国に於て生れた独逸人の子は、米国市民であります。又独逸の両親は米国の市民となり得る資格を有つて居りますが、日本の移民は米国の市民となるべき資格を有つて居りませぬ、故に理由としては日本人が米国に生れた日本人の子供に関しては之を米国の法律に一任すべきであつて、深い干渉は出来ぬ筈と思ひます。
金子子爵
 カルフオルニア州に於ける日本人の市民権獲得無資格の点に就て一言致しますが、此市民権問題は重大なる国際問題であるにも拘らずカルフオルニア州が勝手に此問題を処置しようとするのであるから吾々は之に同意することが出来ぬといふのであります、若し合衆国の中央政府が此問題を提供して折衝を遂げようとするならば、日本政府も之に応じて交渉を始め、此処に両国に取つて満足な解決が与へらるゝ様になるのであります、故に日本人が合衆国の国法を侵害して居るならば、米国は適当の順序を履んで此問題を吾々に提出さるべきであると思ひますが、之が一層合法的の仕方では無いでせうか、カルフオルニア州の人々は日本人を以て好ましからざる人種と看做し、往々之を劣等視しました、若し此のイニシヤチーブ案が仮りに通過したとすれば此一事は吾々日本人に取つて重大事件であります、合衆国の中央政府も之を重要視して居らるゝ事はカルフオル
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ニア問題の起る毎に、当時の大統領が心配されたといふ事実に因つて見ても明かであります、例へば大統領ローズヴエルト氏が知事ジョンソン氏に対して使者を遣はせしこと、ウヰルソン大統領が時の国務卿ブライアン氏をサクラメント市に派遣せしことなどは周知の事実でありますが殆んど何等の効も奏しませんでした、嘗てローズヴエルト大統領が私に向つて斯う申されました、ハワイ島よりカルフオルニアに向ふ日本移民の転航は、何等かの方法に依つて防止せざれば将来必ず難問題を惹起するやうになるが、然し之は合衆国の一領地より他の州に移転するのであるから、日本人がニユーヨーク市よりフイラデルフイヤ市に移転するやうなもので、此自由を束縛することは困難なことである、これは一千九百五年に起つた話であります、私が帰国の後この事を我が政府当局に報告しました所が、当局は此転航を禁止しました、又近頃写真結婚問題が政府筋の注意を引くやうになりましたから之も我が政府は撤廃しました、斯様な次第で吾々は合衆国政府の要求には大概同意を表して参りました、然らば何故に合衆国政府は此のイニシヤチーブ案が提出せられざるうちに吾々に交渉をして呉れなかつたのでせうか、私は米国に於ける日本人問題に関しては、政治家・学者及宗教家等の意見を徴しましたが、此問題の根柢に横はつて居るものは人種的偏見であります米国の或る弁護士は此屈辱的で、且つ残忍な法案を避忌するやうにと我が同胞に薦めたといふことを聞いて居りますが、私の希望する所は此問題を穏便に且つ外交的に解決したいと云ふ事であります、従て私共委員等は此紛糾せる問題に根本的解決を得んが為めに、腹蔵なき意見の交換をなすべきことゝ思ひます。
ヴアンダーリップ君
 日本国民は他国民に対して偏見を抱いて居らぬでせうか、支那人の入国を制限し彼等に土地所有権及借地権等を附与せぬといふのは如何でせうか、若し是れありとすれば、吾々が日本人に対して取つた態度をさまで非難すべきでは無からうかと思ひます。
金子子爵
 支那人が或る範囲に於て制限せられて居る理由は、彼等は西洋の文明が標榜して居る原理に基いて制定された刑法、民法及商法を有つて居らぬによるのであります、彼等は其法廷に於て此等の原理を承認致しません、諸君は安心して支那の内地を旅行することが出来ません、然るに日本に於ては聊かも其恐はありません、日本の都会はニユーヨーク市よりも一層安全であります、夜半十二時頃我が都市を通行するも日中と何等異つた所がありません、過去五十年間に吾吾は文明国の期待に添ふやうにと努力して来ました、今日は吾々は一人の労働者をも米国に送りません、何故ならば紳士協約が成立したからであります、抑も日本労働者の渡米はアメリカ人が其端緒を開いたのであります、即ち一千八百八十二年支那人排斥法案が通過した時に、米国に労働者の払底を来たしたので其補充として日本人を使用し、鉄道布設や耕作などの進歩を計つたのであります、米国の資本家が我が国に参つて内地の労働者の代表等と契約を結び、便
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船毎に或は一千名或は二千名の労働者を入国させたのであります、日本の労働者は案内なしに勝手に米国に入国したのではありません然るに今日はどうです、聞くも忌まはしいカルフオルニア州に於ける日本人排斥問題が持ち上つて居るではありませんか、私は従来再三我が政府の当局者に警告して労働者の渡米を拒絶する事を報告しましたことがありますが、其都度当局者は日本の労働者の渡米を拒絶することは到底出来ぬ、其理由は米国の資本家が日本人労働者代表等と契約して勝手に連れて行くからであると答へたのであります而して、此等の労働者と雖も今日米国にあるものは成るたけ其土地の風習に順応せんと努めて居るのであります、然らば此問題を解決する適当の道が無い筈は無い、必ず在ると信じます。
タフト君
 今朝の討議は一種法律的色彩を帯んで参りました、日本人側に於ける不満の大原因はカルフオルニア州に於けるイニシヤチーブ案で御座います、頭本君の質問に対する頭本君自身の解釈は至極尤もで御座いますが、合衆国の国際条約に関する保留権は唯だ現行条約にのみ関係するものであつて、将来に締結さるべき条約の為めには保留が御座いません、此処に一つ困る事は合衆国と日本との現行条約はカルフオルニア州に重きを置かないと云ふ点であります、合衆国は日本に対してカルフオルニア州の法案を左右し得る条約を締結する事が出来ないとも限りません、今回私共の多数は東部方面より参りました者ですから、イニシヤチーブ案が如何なる性質のものであるかを委しく存じません、唯其方法の宜敷を得ない為めに日本人諸君の感情を害うて居る事と存じます、諸君は合衆国内に敵を有つて居ります、私が敵と申しまするのは排日党を指すのであります、斯る敵はカルフオルニア州に多いのであります、而して彼等は一種の法案を提出して諸君の憤怒を買つて居るのであります、本案の出所は必ず排日に起因するとは思ひますが、順序としては之を批評する前に委しく其内容を取り調べる必要があると思ひます、諸君は単に差別するからと云ふだけで其れを問題の要点にすることは出来ないと思ひます、何故なれば吾々は未丁年者保護の点に関しては欧羅巴人に対しても差別を附するからであります、唯此点を取つて考へるならば私には敢て極端の処置とは思はれません。

    日米有志協議会第三日 (大正九年四月二十八日)
会場 前日の通り
開会 午前九時四十分
      日本側出席者
 男爵   渋沢栄一君   子爵 金子堅太郎君 男爵 阪谷芳郎君
 男爵   目賀田種太郎君 男爵 中島久万吉君    藤山雷太君
 法学博士 添田寿一君      井上準之助君    串田万蔵君
      早川千吉郎君     頭本元貞君     堀越善重郎君
      米国側出席者
    第一日に同じ
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目賀田男爵
 カルフオルニア州が凡ての外国人出生の未丁年者は之を公任の保護者に監督せしむると云ふならば私共は反対しませんが、このイニシヤチーブ案は独り日本人にのみに適用さるゝ事になつて居ります、合衆国中央政府の権限が甚だ狭隘であるから、中央政府が州の立法権に干渉せぬといふことは私共も能く心得て居るので、若し中央政府が干渉しようとするならば、先づ勧告位の所であらうと思ひます兎に角此際私の希望する所は何とかして此問題を緩和する方法を講じたいといふ事で御座います、私の意見としては、先づ第一にこのイニシヤチーブを撤廃する途を講じ、第二にこの問題に関して日米両国間に国際条約を締結する方法を採ることで御座います、吾々は支那の労働者或は一般の支那人に対して何等の差別的規定を採用して居りません、昨日ヴアンダーリツプ議長は支那人に対する差別的待遇に就て質問されましたが、日本に於ける支那人の資格は次の如きもので御座います、即ち支那と日本との間には相互の領土に関する契約がありますので、両国人はこの契約に支配されて居るのであつて、是は差別行為では御座いません、相互間に差別的法律は成立して居らないのであります、私は先きに第一、第二の方法を申し上げましたが、此処に第三の途があると思ひます、而して夫れは両国の間に高等聯合委員を設置して之を永久的機関とすることで御座います、以上の方法によつて此イニシヤチーブ案を撤廃する様に御互に協力致し度いと思ひます。
タフト君
 昨日はカルフオルニア州の法律問題に立ち入りました為めに相互の主張も緊張し且つ紛糾して参つたので御座いますが、法律問題を一一論議することになりますると、専門家の範囲に立ち入るので随分長い時間を要するばかりでなく、恐らくは効果を奏することも少ないと思ひます、焦眉の急は先づ第一に今懸案になつて居るカルフオルニアのイニシヤチーブ案を、如何に処置すべきかにあると思ひます、第二には両国の外交機関を経て両国の関係に就て新に諒解を求むること、第三に高等聯合委員を両国間に設置して両国間の国際問題を処理せしむると言つたやうな事にすれば好都合と思ひます、其処で私は会議の進捗と便宜とを計る為めに私案として、当面の問題に関する一種の提案を致し度う御座います、然し諸君の御諒解を得て置かねばならぬ事は、此案は全く私の私案で米国側委員と相談して作つたのでも無ければ、又は私一個としても必ず此案で無ければならぬと云ふやうな窮屈のものでは無いので御座います、何れもつと明瞭なものに修正致す積りではありますが一通り朗読致し度う御座います、私は此提案に因つて協議を重ねたならば、問題の解決に光明を添へる事が出来はしまいかと思ふので御座います、即ち合衆国内に居住する日本帝国臣民の権利・義務並に合衆国内に生れたる日本人出生の合衆国市民の権利・義務に関する法律の執行より生ずる実際的難問は、日米両国民の間に誤解を生ぜしめ、之が為めに相互の融和親善を妨害し、延いては両国民間に芟除し難き禍根を残す
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憂あるを以て、両国の政府若くは国民は此等の諸問題を研究すべきものでありますが、これを外交機関に一任するは甚だ困難なことでありますから、日米両国は特別の機関を設けて之に一切の紛擾其他改正すべき条項を調査し指摘せしむることを最も有効なりと認むと云ふのであります、特に両国政府が公式に高等聯合委員を設けて両国間に横はる色々問題を研究して之が解決法を両国政府に提出し、根本的両国々交上の障害となるべき点を排除し得る法律を規定せしむと云ふ様なものであります。
ヴアンダーリップ君
 私はタフト君の提案が一層明瞭な形式で発表されんことを希望致します。
タフト君
 唯これは会議の参考までに提出したに過ぎないのであります。
イーストマン君
 私の公会の席に出でて演説などをした事がありませんから、諸君の面前に立つことを躊躇致します、昨日両国側委員の御高見を承りまして、二つの問題が私の心に浮びました、其第一の問題は合衆国に於ける移民問題であつて之は二部に分つて論ずべきであると思ふ、即ち第一に現在の状況と次に此処に至らしめた原因とであります、私が今回の旅行中に聞きました事は、日本人は現在合衆国に実行されて居る移民法に何等の異存を唱へないといふことですが、此点に就て私は我が国民に之を諒解させることが出来るやうな確実の知識を得度いのであります、此聯合協議会としても確然たる意見を纏め置くべき筈と思ひます、第二の問題は物の根源を極めないでは其真相を穿ち知ることが困難であると思ひます、昨日市橋教授の演説を承りましてカルフオルニアに於ける日本人の貢献せる方面を逐一伺ひ至極結構と存じます、然し斯の如き意見を聴けば聴く程何か其処に欠陥がある様に思ひます、『膏油中に蠅が浮んで居る』ことを感ずるのであつて、此蠅なるものは此場合何物であるかを探究するのが急務であると存じます、我が合衆国には一種の資本合同団なるものがありまして常に自己の利益を先きにして公共の利益を考へません彼等は他の個人的競争者を圧倒するが為めに生産物の市価を甚しく引き下げることがあります、即ち弱者に不利益を来たさせます、カルフオルニアに於ける日本人労働者は、他の外国労働者に対して斯る関係を有して居るのかも知れません、然し之は私の想像に過ぎないので御座います、兎に角周到の研究を遂げて日本人に対する不正又は不公平なる取扱を禁ずる様な法案を推薦することが必要と存じます、日米両国の関係は常に親密である様に取り計はるべきであつて、必ずしも国際聯盟の後援に因らねばならぬといふことは無いと思ひます。
添田博士
 私は此等の問題を解決する為めには何処までも日米相提携して一致協力せねばならないと思ひます、私はタフト君の動議に至極賛成であつて、之が問題解決の良策であると考へます、若し此動議が亜米
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利加人及亜米利加の政府に依つて採用さるゝならば、必ず此の難問の解決に貢献して、両国の国交を親密ならしむるであらうと思ひます、此動議の成立のみにても諸君の渡来が大なる意義を有するものとなると信じます。
ヴアンダーリップ君
 尚ほ外に重大問題が多々ありますから移民問題は先づ此れで打ち切り、タフト君の動議は字句を修正したる上次回の会議に附し此上討論を要せずに其通過を見ることゝ致したいものであります、時間に限りがありますから急ぎたいと思ひます。
タフト君
 此提案を両議長に託し修正の上次回の会議に提出せられん事を動議致します。
金子子爵
 唯今の動議は両国側委員の賛同を得ました、而して字句の修正は之を動議者及賛成者と両議長とに任せ其修正されたるものを次回の会議に提議に提出して承認を経ることゝし、移民問題は之を以て結了することゝ致します。
シヤーマン博士
 此決議案は大体に於て承認を経、字句の修正あれば次回の会議に於て採用さるると云ふので御座いますか。
渋沢男爵
 移民問題に付きましては、大体の議事が高等委員を設くると云ふことになりました、私もそれに至極賛成する一人でございます、此案は加州から御出になつた諸氏とも吾々は話合ひまして、殊に其最終にアレキサンダー氏の帰米の時に特別に私は会見致しまして、其事の将来に付て同氏の意見も聞き私の愚見も申述べましたが、今現に加州に於ける気勢は甚だ手荒いやうに考へます、故に之を防ぐと云ふことは今玆に協議する案のみで行きますか、或は他に之に対する防禦方法がありはせぬか、若しありとするならばどうぞ其方法を電信で吾々に報道して貰ひたい、此の方にも何か良い思案が生じたならば電報で以て照会すると云ふことを協議致したのでございます、此事を一言此会議に対して申上げて置きます、殊に此案に付て今日亜米利加側の諸君の御意嚮も吾々と殆んど一致したやうに見えますのを深く喜びます、又イーストマン君の御説の将来に対して云々と云ふに対しては私は之を明瞭に御答へ申上げ兼ねるが、但し此紳士協約に付ては必ず服従すると云ふことは私共深く信じて居るのでございます、亜米利加人と日本人に付て永久の考を定めることは今論ぜずとも宜からうと私に於ては考へるのであります、而してイニシヤチーブに対しては事小のやうでありますけれども、若し其案が通過して励行されるとしたならば日本移民の受ける惨害は容易ならぬことになる、事は小であつたとしても両国の平和を破るに至らぬとも申されぬと私は深く之を憂慮する、而してそれは所謂人道からしても甚だ厭ふべき事と思ひますから、是非之を防禦致したいのでございます、どうぞ此事は亜米利加側の諸君に別して御諒承を乞ひた
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うございます。
金子子爵
 此決議案はタフト君によつて提出せられ、添田博士に因つて賛成されました、即ち本聯合協議会は満場一致を以て其決議案の実質を賛成し、字句は動議者たるタフト君及賛成者たる添田博士と両議長とに一任して之を修正せしめ、以て次回の協議会に報告せらるべしといふのであります、之に異議なければ採決致します、満場一致と認めます。
阪谷男爵
 次の問題は新支那借款問題を討議せられんことを希望致します、井上君がラモント君と此問題に関して会見せられました、故に其経過の報告を同君より承ることゝ致したいものであります。
井上君
 私は余儀ない先約がありまして十一時には退場致さねばなりませんから今日は御免を蒙りまして、明朝此問題に関する意見を申し上げたいと思ひます。(承認)
ゲージ君
 私は本国を去つて貴国に到着するまで全く口を閉ぢ、眼を広く明けて我が合衆国に対する日本の国家的、思想、感情、目的及動機等を知らんと努めて居りました、私はロスアンゼルスの東に当る南カルフオルニアに住んで居るものでありますが、移民問題に関して何等の議論も起つて居りません、土地のものは在留日本人等と調和して居ります、従つて日本人の権利を侵害して彼等に不正行為を示すと云ふ様な事は致さないと思ひます、然しながら、サクラメント市及サンフランシスコに於ては、移民問題に対する感情が非常に興奮して居ります、現今合衆国全部に行き亘つて居る疑問は合衆国及世界に対する日本の態度、目的及希望とは何であるかといふことであります、我が国民は日本に関して容易ならぬ疑念を挟んで居ります、イニシヤチーブ案に関しては私は本案の不成立を希望する者でありますが、何分にもカルフオルニアの民衆は日本の真相を知りませんから、多分本案を通過するであらうといふ事を虞れて居ります、若し日本の合衆国及世界に対する慾望及目的等が明瞭に示されないならば、カルフオルニアの市民は来る十一月の選挙期に此のイニシヤチーブ案を通過するに違ひないと思ひます、諸君は独逸に倣つて軍国的行動を逞うせんとなさいますか、独逸は之を実施して終に失敗しました事は御同様慶賀に堪へぬ事と思ひます、要するに吾々の知らんと欲する所は日本の目的、動機、慾望及主張であります、若し日本が我が米国人に対して以上の点を明確に公表せられなば、イニシヤチーブ案は敗北に帰すると思ひます、何故ならば吾々は正義と公平とを愛する人民であるからであります、之に反して諸君が以上の点に関する諸君の態度を明示なされなければ、イニシヤチーブ案防止法も失敗に帰するであらうと虞れます、私の希望はサイベリヤ朝鮮・支那及他の問題を先きにして移民問題を後にせられんことで御座いました、如何となれば此等の諸問題に対する諸君の態度は、
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自ら移民問題に対する態度をも卜せしむることが出来るからであります、諸君の態度如何を知ることによりて、亜米利加人の間に蟠る恐怖と狐疑とを排除することゝもなり、或は増進することゝもなると思ひます。
添田博士
 ゲージ君は世界に対する日本の思想・慾望及動機を知りたいと申されましたが、これに対して私は、日本の従来踏襲し来つた政策は正義人道及び世界の進運に順応するにありと答へたいのであります、私の米国側委員諸君に厚き諒解を得たいと思ふことは、我が日本国民の間には個人として種々雑多な意見を有つて居る者もありますけれども、国民一致の考としては常に約束を重んじたといふに在ります、皮相の観察者は、我が国を以て軍国主義であり、侵略主義であると考へる傾きがありますけれども、我が国の輿論は全く之と正反対であります、米国に於て日本の疑はるゝ一つの理由は、亜細亜大陸に於ける我が国の侵略的行動であります、尚ほ其他の原因は日本の進歩は武力に負ふ所あり、且つ軍国としてであつたといふ点であります、世間では軍閥といふ一種の階級が日本に存在するやうに考へて居りますけれども、そんな階級は今日我が国には存在して居りません、過去に於ては我が国の為政者及指導者等は武士でありました、此会議に列席せられて居る渋沢男爵・金子子爵及其他の各位は皆武士でありましたが、今日となりましては我が国の軍隊は凡ての階級を網羅して居ります、政府の官吏は各方面の階級を代表して居つて決して一階級に局限されて居りません、政治界にも実業界にも各階級の人々が活動して居られます、独逸では或る一定の階級より国家の枢機に参与する人材を登庸しますが、我が国に於ては、さういふことは御座いません、今私は諸君に対して所謂サイベリヤに於ける日本の軍国的侵略に関して私の経験談を申し上げ度いと思ひます。(金子子爵=添田君の御話はサイベリヤ問題を論する場合に願ひ度いものであります。)
 官吏の行動は必ず政府の方針に従つて実行さるゝことになつて居りますが、何れの国にも行はれる通り少壮の役人は重大事件で無い限りは自分銘々の意見に任せて之を断行する場合もあります、而して米国人の疑念を煽ふるのは此等出先き軍人の行為であります、陸海軍々人が如何なる行動を取るにしても、中央政府の賛同を得ないでは其実行を見ることが出来ません、軍事行動は徹頭徹尾政府監督の下にあるのであります、又諸君は日本の政府が民本的傾向を取りつつあることを理解なさるゝに何等の困難を見出さぬことゝ思ひます著名の新聞雑誌は自由に社会主義とか自由思想とかいふものを掲載して居ります、而して彼等の多くはサイベリヤ撤兵論を主張して居ります、諸君は此等の例によつて見ても、日本国が其国是を定むるに当り軍人の力を借ることが至つて少いと云ふことを諒解せらるゝであらうと思ひます、兎に角諸君は是れ丈けの諒解を以て居られて少しも差支へないと思ふ、即ち軍閥の為めに他国に対する我が国の政策を危険ならしむることは無い、殊に米国に対して全く無いと云
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ふ事であります、尤も西米戦争の当時大艦隊を送りてフイリッピン島を占領し我を威嚇せられた時は、我が軍人社会に幾らかの恐怖を見ましたが、今となつては一睡の夢と消え去りました。
渋沢男爵
 唯今ゲージ君の御演説に対して敢て反対を述べるのではございませぬけれども、日本の国民全体が如何なる主義を採るかと云ふことに付て深く御懸念なさると云ふことは、洵に亜米利加側の諸君から考へれば御尤でございます、日本の今日迄の国是若くは外に対する交渉が一定して明瞭に貫徹して居らぬと云ふことは、吾々共の深く憂ふるのでございます、去りながら過日御一行を歓迎する時に申述べました通り、日本の進歩に仮令種々なる混淆の有様はありましても世界の大勢に順応して進むと云ふことを、私共は確信して居るのでございます、況んや御同様此処に集まつて斯る事を評議する人々の意思は、今ゲージ君の御懸念なさるやうなる点は万々無い、即ち亜米利加もなければ日本もない、宇宙の真理に依つて世界の公平を求むる一団と吾々は此会議を思ふのでございます、去りながら日本の広い範囲を申しますれば、尚ほ諸君が亜米利加を御覧になると同じやうに、人道を重んずる諸君の中にも、加州に於てイニシヤチーブを主張して居る人は、私共から見ては真実な御友達とは思はれませぬ、又華盛頓の上院に於て日本の事を論議なさる議員の説も、或点からは私は公平を失つて居ると申し上げたうございます、故に世の中は総てを通じて一つの意見にすると云ふことの出来ぬのは人類の常でございます、日本の或点を御聞込みになつて、或は侵略主義であるとか、好戦国であるとか云ふやうなことを御疑ひなさる場合があるかも知れませぬが、是は前に私が申し上げた通り左様な御懸念の無いやうにして戴きたいと思ひます、而してロスアンゼルスに御住ひになつて居ります為めに、加州方面に居る日本人に対する感情が桑港、サクラメント辺と大に違ふとの御言葉は私は能く諒解して居ります、併しながら加州と云うても桑港方面の今日の日本人に対する態度は、私の思ふ所では日本人に欠点も多少ありませうけれども、其欠点以上なる悪い御仕向けと思ふ故に深く憂ひます所から、頻りに此事に付て苦心を致すのでございます、但し此問題は既に結了しましたから強ひて申し上げるのではありませぬが、ゲージ君の日本の全体に対して如何なる御観察が生ずるか、兎に角どうぞ広く御知りを願ひたい、而して各方面に色々な分子があると云ふことに付て、御判断を誤らぬやうに致したい、或一部の謬説を御聞になつて、日本全体がそれであると云ふ誤解はない様にして貰ひたいと思ひます、尚ほ吾々が亜米利加の加州方面のイニシヤチーブを主張する人を、亜米利加全体でないと信ずる様にして戴きたいと思ふのでございます、ゲージ君の御厚意に対して、私も斉しく老人の婆心として一言を述べたのでございます。
頭本君
 亜米利加人をして亜細亜政策に関し、日本の誠実を疑はしめんとする一事は日本国は侵略的であり、且つ軍国主義的であると考へる誤
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解でありまするが、此信念は誤解に基づくものであります、日本が世界に於て今日の地位を贏ち得たのは、慥かに戦争の為めであることは疑ふことの出来ない事実でありますが、我国の戦争は悉く自衛の為めに行はれた戦争であります、独立国の実を維持せんが為めに戦つたのであります、尤も我が国は武士《サムライ》と称する軍人に因つて支配された時代もありましたが、是れは遠い昔の事であります、今や武士は其特権を失つて仕舞つて、他の一切の階級の人々と相伍して活動して居ります、例へば爰に御出での渋沢男爵の如き、金子子爵及其他の諸君の如き武士の代表者であります、されば今日となりましては、日本には特殊の軍人階級と云ふものはありません、陸海軍は各階級を代表する壮丁より組織せられて居ります、政府の役人にしてもさうでありまして、彼等は農・工・商・労の各階級から採用されて居ります、諸君も御覧の通り我が国の制度は至つて民主的でありまして、此点に関しては我が国の制度は独逸の制度とは大に異つて居ります、独逸では官吏は殆んど全部特別階級より採用されて居ります、而して之は私自己の実験に照して申して居るのでありますと云ふ訳は、私はサイベリヤに於て十八ケ月間我が軍隊の総司令官の下に於て、弘報局長たるの光栄を有して居りました、但し我が軍隊の中にも軽佻にして偏狭なる少壮士官があつて、人に疑念を抱かしたり、非難の種を播いたりする者のあることは敢て否定致しません、日本人が侵略的であると云ふ誹謗を受くる様になつたのも、全く此種の熱狂士官に起因するのであります、然し私は自己の直接知識よりしてサイベリヤに於ける日本軍の政策及挙動は、悉く東京政府の命令の下に行動したものであるといふ事を断言し得るのであります、而して東京政府は、実質上文官の為政者より成つて居るといつてよいのであります、斯る次第でありますから日本政府が軍閥的であるといふ抗弁には何の根拠もないのであります、我が国民を全体として考へまする時は、現在我国は民主的潮流に棹して居るのであります、例へば刊行物特に雑誌を取つて読んで御覧になつても、紙面は極端な自由主義から社会主義的彩色を帯んで居り、新聞記者仲間に歓迎されて居る意見は驚く程自由主義的であります、従つて玆に序に一言我が米国側委員諸君に御注意までに申し度いのは、過去に於けるアメリカの政策及実行は可なり侵略的であつたと謂はれても、弁解の道が無からうと思はれると云ふ事であります、例へば西米戦争の例を取つて御覧になれば、此戦争に因つて諸君は殖民地的権力を占め、諸君は実に我が領土の最も近き隣人となられたのである、尚ほ又諸君が十年前に企てられた彼の壮観を極めた大艦隊の航海を御覧なさい、一部のアメリカ人の如きは、此大航海は日本を恐怖せしむる為めに企てらたものであるとまで言つたではありませんか、私一己としては斯る批評の価値を認めませんが、然し世に侵略国であるとの非難は、独り日本国ばかりが受くべきものでないと云ふことだけは言ひ得ると思ひます。
金子子爵
 日程に従へば次に山東問題を議すべきで御座います、諸君の賛成を
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得て此問題に移ります。
ヴアンダーリップ君
 日本は何時如何なる方法を以て山東省を支那に還附するであらうかと云ふのが、我が国の各所に於て抱かれて居る疑問であつて、或る人は日本は商業上の保留を得て之を支那に還附するであらうといひ又他の人は日本は殻を還して実を保留するに違ひないなどと云つて居ります。
タフト君
 日本が一千九百十四年山東半島を占領せんとせし際、日本は当時中立を表明したる支那政府に通牒を発し、此土地を占領する為めに日本の軍隊は支那の内地一百五十哩以内に進入せねばならぬと申しました、而して此進入をなし得た為めに山東省の占領を全うすることが出来たのであります、夫れから日本が支那に対して二十一ケ条の要求を提出したのは一千九百十五年一月十八日と覚えて居ります、此提案の意義及目的に関しては、少なからざる誤解があつたやうに思ひます、支那政府が日本の軍隊を内地に進入せしむることに反対しました際に、日本は二十一ケ条中の或る部分を放棄されたやうに記憶して居ります、兎に角山東問題に就て一種の外交的交渉を開始した事は事実であつて、此事の起りましたのは一千九百十五年の夏であつたやうに思つて居ります、諸君が当時独逸国に通牒を発して若し山東省を日本に渡せば日本は之を支那に還附するとの諒解を求めたと思つて居ります、最も其還附には何等かの条件が附されたことで御座いませう、一千九百十八年の条約に依れば、日本は山東省を支那に還附する代りに謬州湾及青島に関する諒解と、山東鉄道に関する商業的優越権とを獲得することゝなつたと思つて居ります、戦争中に日本政府が各列強より以上の点に関する諒解を得たのですが、終に平和会議なるものが開かれました。
頭本君
 先づ第一に我が軍隊が青島に於ける独逸の要塞を襲撃せし際に、中立地帯を侵害したりとのタフト君の抗弁に関して一言申し度いのですが、同君の議論は事実の証明を得て居りません、日本が攻撃隊を支那に送る前には支那政府と我が当局との間には諒解があつたので此諒解に因ると支那は我が軍隊が或る指定された領域地帯内に軍事行動を取ることを承諾したのであります、日本は厳密に其行動を此地帯内に局限しました、尤も我が軍隊が支那に上陸する当時は一週間も打ち続いて烈しい降雨のあつた時ですから、さなきだに支那の道路の粗悪なるに加へて当時の通行は非常に困難であつた、それが為めに或は指定地帯の外に出て権道を選んだかも知れんのであります、若し斯る事実があつたとすれば、之は全く特殊の事情で且つ止むを得ぬ事であつたと云ふべきであります、第二にタフト君は日本が青島を占領したばかりでなく山東全部を占領したやうに論ぜられたけれども、此議論には拠るべき事実が無いのであります、日本軍隊の処置は独逸の租借地なる膠州を占領し、軍事上必要と認めた為めに済南に至る迄の独逸管轄の鉄道を占領したのであります、かゝ
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る処置は聊かなりとも軍略上の知識ある人には容易に諒解される事柄であります、之れ以外の領地には日本の軍隊は一歩と雖も其足を踏み入れないのであります、而して支那は其領土に対して従前の通り支配権及保護権を施行して居つたのであります、第三にタフト君は日本は支那と世界とに対して公然山東省還附を約束しながら、何故に日本の使節はヴエルサイユ会議に於て山東省に於ける独逸の利権を無条件に日本に引き渡すことを要求したのであらうかといふ質問と、何故に日本は其約を履んで早く之を支那に還附せぬのであらうかといふ質問とを発せられて居る、此れに関して解り切つた事実は左の如くであります、即ち日本は明確に山東に於ける独逸租借地を支那に還附すべきを宣明し、而も此厳粛なる国際的宣明は世界周知の事実でありますから、之を再び平和会議に於て繰り返へす事は不必要の事柄であつたのであります、然れば此問題を平和会議に附することは近来日本の措置を邪推して居る方面に対して言訳けをするやうなものであつて、却つて日本の威信を害ふことになるのでありますから、日本は堅く取つて動かなかつたのであります、何故支那に之を還附せぬかと云ふ質問に関しては聊か驚かざるを得ませぬ御承知でもあらうと思ひますが、日本は平和会議の結了を待つて時を移さず両国間の契約に基いて租借地還附の件及独逸の利権処分に就いて協議せんことを支那に通牒しました、然し支那は此通牒に対して回答を与へない、日本は本年一月此通牒を再び発しました、然るに其れに対しても今日に至るまで何の回答が無いのであります、帰着する所、米国人の間に行はるゝ此流言蜚語は、米国に於ける支那贔屓の宣伝者の然らしむる所であつて遺憾千万の事であります。
渋沢男爵
 山東問題に就ては私は其多くを述べませぬけれども、唯今ヴアンダーリップ君・タフト君の御述べになりました大趣意だけを此所で伺ひますると、大正三年若くは四年頃の有様に就て御聞込みを御強めであつて、今頭本君の言はれる支那の宣伝に多く耳を御貸しなさつた所から、現在の日本政府若くは国民の希望よりも強い推察を御置きなさる様に思はれます、或は大正三年若くは四年頃の日本人中或種類の人、例を申せば軍人若くは野心の強い政治家は左様な考があつたかも知れませぬ、けれども日本の国民の多数即ち吾々の階級の人々は、支那に対して斯様な意思のあつて宜しいとは思はぬのでございます、其意味は御集りの亜米利加側、日本側大抵同一だらうと思ふのでございます、義に依つて兵を挙げて、欧羅巴の戦乱に参加したのでございます、敵国に青島を占領されて居つては平和に妨げあると思ふ為めの攻撃である、決して是が侵略などと云ふ考でなかつた事は私共証言致すのでございます、而して之を還附するの方法も、決して日本政府が野心を有つて今日種々なる考案を立てゝ居ると云ふことは、万々ないと云ふことを私は信じて居るのでございます、但し其方法に付ての細かい事は今私には申されませぬが、試みに支那が日本政府の希望に依つて直接に交渉を受けんとして之に応ずるならば容易に支那の希望通り、亜米利加の人々も成程あれであ
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つたら何でもないと思ふ様に解釈せられるに相違ないと思ふのでございます、私は実業家である為めに日本の支那に関する実業界の人人の多数の意向に依りまして、特に其注文を受けて現に政府の人々に成る丈早く還附をする様になさいと云ふ事を屡々忠告し、今尚忠告しつゝあるのでございます、又一方の支那側の局に当る人ではございませぬけれども、稍々政治に与り官辺の事情を審かにして居る友人知己に対しても同じ意味を以て種々忠告を致して居りますが、略々其意を同じくして、斯る方法であつたならば山東還附の完了が出来るであらうと云ふことを、今吾々の間には描きつゝあるのでございます、其案は若し亜米利加側の諸君が斯くあつたら宜からうと思惟する案がありとすれば、必ず余り差の無いことであらうと思ひます、決して諸君の御聞込みの如くに或は勢力範囲を造るとか、土地を占領しようとか申すやうなことはございませぬ、例へば居留地の如きも、必ず専管のみに止めると云ふことを主張せぬ位に日本の方で思つて居ると私は信じます、鉄道の問題も成るべく支那の便利になる様に致したいと云ふことを考へて居ります、斯の如き有様であるからして、必ず支那の政府に於て直接に交渉を受けると云ふことに同意したならば、此事は世間の疑を速かに解決するであらうと思ふのでございます、若し諸君の中に斯くあつたら宜からうと云ふ御提案でもあるならば、私はそれを伺ふことを希望するのでございます、自分の承知して居る大体を玆に陳述致して、諸君の疑を解きたいと思ふのでございます。
タフト君
 渋沢男爵は私の考を誤解なされたではなからうかと虞れます、先きに私が述べました事柄は現に我が邦に存在して居る事実を有りの儘申し述べたのであります、米国には確かに支那に対する日本の態度に関して疑念を抱いて居る者が沢山御座います。私一個人と致しましては山東問題に関して平和会議に提出された条項や、原総理大臣及内田外相の主張などを聞いて満足を抱いて居ります、私は平和会議の決議に賛同を表し今も同じ意見を有つて居ります。
頭本君
 専管居留地は契約の内に明言せられてあるのであつて、日本が青島を支那に還附するに当り、一種の保留権を支那より得ることになつて居つたので、其保留権は即ち専管居留地と云ふのであります。
添田博士
 近来私共は民主的傾向に向つて進んで来たといふことを御忘れの無い様に願ひたいので御座います、仮りに労働問題及普通選挙問題に注意して御覧なさいませ、軍閥は過去の夢であります、日本人は侵略的とか征服とかいうことを欲して居りません、諸君にして吾々を抑制しようといふならば其れは甚だ不都合と存じます、吾々は何処までも進歩を欲する者であります、今日の吾々は十年前の吾々ではありません、今日は政治的に経済的に民主的進歩を遂げんと欲して奮闘して居る時代であります、我が邦は国際聯盟に加入して居りますから、理由もなく弱者に圧迫を加へて国際聯盟の規約を破壊する
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様なことは致しません、我が邦は或る宣伝者の非難する様に侵略を事とする国では御座いません、支那が山東省を日本より受け取らぬのは支那の責任であります。日本は何時でも交渉に応じようとして居るのですが、支那は日本を疑ひ誤解して居るのであります、若し独逸の兵力を日本が山東省より駆逐しなかつたならば、欧洲戦争の大局は今日とは大に異なつたでせう、而して世界就中極東の平和は一層危険に迫つたでせう、支那人は寧ろ吾々が支那及同盟国に貢献した点に就き大に感謝すべきであらうと思ひます、膠州湾還附に就ては殆んど一致点を見出したやうでしたが、支那が日本を信用せぬ為め未だに功を奏しません、吾々が血を流し多額の財産を費して独逸より青島を奪取しました訳は、支那の自力でそれが出来ぬからでありました、パリーに於ける支那の代表者は如何にも意外の挙動に出でました、パリーでは多くの排日宣伝者がありまして、演説や印刷物の配布等によつて日本を讒誣中傷しました、私は之に対して弁解しようと思ひましたが、日本の代表者は其必要を認みられざりし故捨て置きました、彼等宣伝者は独りパリーに於てでばかりでなく世界到る所に害毒を流しました、私は断言します、日本は決して軍事的侵略を欲しません、然しながら日本国民として生活する為めに経済的膨脹を計らねばなりませぬ、若し日本人は亜米利加に入るべからず、カナダに入るべからず、亜細亜大陸に入るべからずといつて到る所に縄張りの運命に合はゞ如何にすべきでありませうか、吾吾は何処にか移住するか、又は吾々の生存を維持するには工業の発展に因らなければなりません、両者共に不可能とあれば餓死するのみであります、吾々が移民につき若くは工業上の発展につき亜米利加の同情を求むるのは此処にあるのです、諸君と雖も吾々から生存権を褫奪せようとはなさらぬでせう、今日吾々の状態は自国の産物のみにては生存し得ぬのであります、従つて米国と、吾々に接近せる亜細亜大陸とより供給を仰がねばならないのであります、要は吾吾は餓死せざらんが為めに、経済的膨脹を欲するに過ぎないのであります。
タフト君
 合衆国の一部には斯ういふ疑念が抱かれて居りました、即ち日本の経済的膨脹は一つの口実に過ぎないので、此種の膨脹を基礎として政治的膨脹を企でて居るのであると。
シヤーマン博士
 合衆国々民の大多数は、支那をして独逸が支那の領土を占領せし前の状態に在らしめんことを欲して居るのであります。
キングスレイー君
 我が国民は此問題に関する平和会議の条項を諒解して居ると信じますが、彼等の知らんと欲する所は何時如何なる方法に於て日本が膠州湾を支那に還附するかといふことであります、彼等は之が将来どうなるのであるか知りませんから、私共は此点に関して明確なる説明を与へたいと思ふのであります。
添田博士
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 私は此処に繰り返して申しますが、日本は熱心膠州湾を支那に還さうとして居ります、此点に就て協議を開く様に支那側を慫慂して居るのでありますが、支那は血を以て汚された日本の手からは受取らぬ、国際聯盟から受け取りたいと言つて居るのであります、吾々は領土保全、門戸開放、機会均等に就いては宣明に忠実であります、軍事的膨脹は私共の欲望ではありません、以上私の申した事は米国側諸君の諒解を得た事と思ひます、日本は今と云ふ今膠州湾を支那に還附しようと努めて居るのです、唯日本の要求は正当の手続順序を経たいといふのであります、吾々は支那と相提携して同国の安寧秩序及び進歩の為めに尽さんとして居る以外に、何等の慾望はないのであります。

    日米有志協議会第四日(大正九年四月二十九日)
会場 前日の通り
開会 午前九時四十分
      日本側出席者
 男爵   渋沢栄一君   子爵 金子堅太郎君 男爵 阪谷芳郎君
 男爵   目賀田種太郎君 男爵 中島久万吉君    藤山雷太君
 法学博士 添田寿一君      井上準之助君    串田万蔵君
      早川千吉郎君     頭本元貞君     大谷嘉兵衛君
      堀越善重郎君
      米国側出席者
    第一日に同じ
金子子爵
 議事日程に依れば山東問題を継続論議することになつて居りますが井上君が借款問題に関する報告を朗読せられますから同君の朗読後更に日程に移ります。
井上君
 私は今ラモント君代表の銀行団と日本側銀行団との間に成立せる規約を朗読し、其謄写版摺を各位に配布したいと思ひます。
    (謄写版内容)
 今年三月の初にジョン・ピー・モルガン会社のラモント氏はコンソーチアムに関して満足なる協定をなすべく、米国側の銀行団を代表して渡来され協議は滞りなく進捗しまして、終に日本の銀行団も他の銀行団と共にコンソーチアムに加入することゝなりました、然し当該政府間に於きましては此問題は未だ解決されてありませんから私は政府の間に於ける協議の内容を此場合に陳述する訳には参りません、私の述べます所は我等銀行団の間に起りし事柄丈けを申上げるのでありますが、私は今爰に此機会を得ましたことを光栄と致します。
 抑も一千九百十八年合衆国政府は、支那に対する四国借款の議を提出されましたが、当時私共は此提議を以て、支那に起りつゝある一切の問題を解決すべき最良の方法なりと考へたのでありました。斯る企図に依つて支那に於ける強固なる中央政府は維持せらるべく、
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財政は統一され貨幣制度又改善せられ、鉄道事業並に其他諸種の事業は玆に資金の融通を受け以て支那の統一は実現さるゝものと考へました。元来支那は欺瞞の術に長けて居るので有名でありますが、此れが為めに日本の支那に対する経済的並に政治的施設は常に第三国の誤解を招いたのであります、斯る誤解を一掃する為めにも、四国の協同動作は最も必要であると思ふのであります。
 斯る理由に基き私共は合衆国政府が此提案を為せし当時より、コンソーチアム成立を熱心に希望致したのであります。
 昨年の五月でありました、パリーに於て本コンソーチアムに関する協議会が開かれました、当時日本側に於ては、政府の訓令により満蒙に関する一種の保留を致し、右協定に承認を与へることゝ致しました、然るに此保留は他の政府及銀行団に依りまして満蒙除外を意味するものと解釈せられたるが為めに、同意を得ることが出来ませんでした、爾来コンソーチアム問題は銀行団の手を離れて関係政府の問題となつたのであります。
 今般ラモント君が米国より渡来されましたに付ては、私は日本銀行団を代表し本問題に関して同君と意見を交換するの任に当りましたが、私は諸君の前にラモント君が公平無私の判断と一切の偏見を脱した態度とを以て、本問題の解決に努めたれたる事実を発表することを得るを欣幸と致すものであります、従つて私共の協議も相互の諒解を得る点に於て大なる貢献をなしたのであります、ラモント君に対して、私が先づ第一に解釈の労を取りました点は南満並に蒙古東部内地に於ける日本の特殊的関係でありまして、ラモント君は此れに関して満足なる諒解を得られました、満蒙の保留に関しては、日本は最初から領土的除外の意志を有して居らなかつたのであります、言葉を換へて申せば日本は領土的除外に依つて勢力範囲を設定しようとか、経済的経営を独占しようとか云ふ意志は寸毫もなかつたのであります。
 然しながら歴史上の出来事から見ましても、或は国防上の必要若くは経済上国家の存立の点から見ましても、日本は以上の二領土に対して特殊的関係を有すると云ふことは何人にも容易に諒解せらるゝ点であると思ひます、日本は前述の関係を侵害せられざる限り、此等の領土の門戸を開放して諸外国と協力せんことを欲して居るのであります、私の諸君に対する希望は諸君が明確に日本の此特殊的関係を理解せられんことであります、故に私はラモント君に告げしことを再び玆に諸君の前に簡単に繰返へして見たいと思ひます。
 即ち経済上の見地から見ますると、日本は其内地だけにても年々六十万の人口増加し、食料品の生産は人口の増加に伴はないのでありますから、満蒙の生産物に依頼する所が甚だ多いのであります。
 米は御承知の通り、日本人の主要食料品でありますが、戦前までは豊作の年には国内の消費は国内の生産を以て足り、外国より米の輸入を仰ぐの必要はなかつたのであります、然るに大戦争後米の消費額は俄かに著しく増加して、今後は仮令豊作の年にありても、兎に角年々外国米の供給に待たなければならぬのであります、例へば昨
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年の如き米の収穫は相当の豊作なりしにも拘らず、米に対する需要激増したるが為め、勢ひ其不足額を外国米の輸入によりて之を補ふの絶対的必要を見たる状態であります、而して外国米又著しく価格の暴騰を告げ、日本政府は西貢米を輸入したるが為め巨額の財政上損失を蒙りたる次第であります。
 而して満蒙を見ますれば其食料品の生産物には種々ありますが、小麦が甚だ多い、又最近鉄嶺・奉天及其以南に於きましては米の耕作は大に進歩致しました、羊毛は日本に於ては其産出殆んど皆無と申してもよいので、それが為め羊毛は種々不利益なる事情の下にオーストラリヤ、アルゼンチン及南アフリカ等の諸国より輸入するのであります、然るに蒙古地方に於きましては、其羊毛は品質稍々劣りまするが、可なり沢山産出致します、製鉄業に関しましては日本で消費する鉄鉱の三分の二は支那から供給を受けるのであります、併し支那から受くる鉄鉱の供給量と其供給契約の条件は、我国の製鉄業を確実なる基礎の上に建設する訳には参らないのであります、幸にも満洲に於きましては、相当鉄鉱に富みたる本渓湖及鞍山站の二鉱山があります、然しながら此等の鉱山を以てしても、其鉄鉱は日本に於ける製鉄業の要する需要の最低量を充たすに過ぎぬのであります、斯る次第でありまするから、食料品に於ても亦其他の原料に於ても日本は自給の途が無いので、日本の経済的立場は如何にも不安定であることが御諒解になると思ひます、此問題は実に日本国家の死活問題であります、日本が食料品や其他原料の欠乏に依つて悩まされた経験は真に苦しいもので、従て此の記憶は頗る峻酷で国民の忘るゝ能はざるものであります、而して私共は仮令一部分なりとも此難局より日本を救ひ得る途は、満蒙より供給を仰ぐ外に途が無いと堅く信じつゝあるのであります。
 次に満蒙に於ける日本の軍事上の事柄に関して爰に一言致しますれば、日本が殆んど常に無秩序擾乱絶間なき支那を隣国とする以上、之に対する日本の重要なる地位を諒解する敢て六ケ敷き事では無いのであります、又サイベリヤの現状並に同地に於けるボルセヴイックスの跳梁跋扈を考察しますれば、満蒙が我が朝鮮の防禦の為めに如何に重要なる関係を有するかが御諒解になると思ひます。
 ラモント氏は以上私の述べました事情を能く諒解されまして、私に対して新コンソーチアムは日本と密接なる関係を有する領土の安寧や繁栄やなどを妨害することは断じて致さない、又コンソーチアムは日本の国防と経済上国家の存立と云ふ二点に危害を及ぼすが如き対支借款の契約は致さないと確言致されました。
 斯る諒解の下にラモント氏と私とは更に一歩進んで実際具体的事項に就て互に意見を交換し、満蒙の鉄道の孰れが協定の範囲に入り、孰れが入らぬと云ふことを私共二人の間に於て決定致しました、而して之に関するステートメントは既に出来上つて居りまして、両国政府の協定が決定次第其覚書を取換はす事になつて居ります。
 又ワシントン政府が、日本政府に交附されました通告によりますると、同政府は私共の間に成立せる諒解を是認せられたと見ても差支
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無いと思はれる節が御座います、殊に御同様欣喜に堪へぬ事はワシントン政府が其通告に於て満蒙に関する日本の特殊的地位を承認された事であります、尚又該通告に対して我が政府に於ては詳細に渉る回答を作成し、ワシントン政府に発送されたと伺つて居ります、然し米国政府は日本の通告に対し未だ回答致さぬさうでありますから、私はこゝに夫れ等の内容を発表することを憚る次第で御座います、併し私は先づ大体に於て従来の懸案たる障害は取り除かれ、新借款団に関する協議は百中九十九まで満足に運ばれたと申しても、決して過言でないと存じて居ります、唯日本政府の通牒は百中九十九の残りの一に関することで、之をラモント氏は新提案と申されて居りますが、併しそれは米国政府が其通告に於て満蒙に於ける日本の特殊的関係を承認された原則の当然の応用と見るべきものと考へて居ります。
 仮りに夫れがラモント氏の所謂新提案なりと致しました所で、それは一小問題に過ぎぬのでありまするから、既に九割九分迄の難問題が解決された以上、残り一分の為めに両国政府の協調整はず、大部分が破壊さるゝに至るべしとは信ぜられないのであります。
 以上の理由に基きまして、私は此等の問題が満足に解決され、日本は遠からず四国借款団の仲間入りを致すに至るべしと確信致して居る次第であります。
目賀田男爵
 一部の委員諸君より御請求もありましたので、私は外務省に参りまして山東問題に対する日本の態度を示す事実に就て調査致しました欧洲大戦の始に溯りまして考へて見ますと、我が政府は一千九百十四年英国政府より電報を受取りました、而して其の電文の意味は英国政府は日本政府に向つて此際出来得る限りの援助を請ふと云ふのでありました、実は戦争前から此青島の軍政は侵入すべからざる地方に向つて侵入せんと企て、其れが為めに青島の軍備を堅固にしてゐたのであります、独逸は青島内に密探を置ました、此の如き処置が商業的経営に妨害を加ふることは明白なことであります、同年八月下旬頃青島の当局は港内に水雷を設置して日本の船舶の出入を禁止しました、時には港内から巡洋艦を派出して商船を威嚇した場合もありました、かゝる次第でありますから、英国は再び通牒を発して或る行動に出づることを請願して参りましたが、日本も既に之に応ずる丈けの覚悟は致して居りました、又此問題に関して我が上院議員中に烈しい議論も起りました、我が政府が英国の要求を容れたのは斯る事情の下に於てでありました、然し我が政府が英国の請願に賛同を表しまする前に支那政府に対して、青島攻撃の目的を以て日本軍隊の支那領土を通過する許可を求めました、如何となれば港内に潜水水雷が布設されある為め海軍を港内に進入せしむることが出来なかつたからであります、我が政府は之に対して支那政府の同意を得ました、故に一千九百十四年八月十五日独逸政府に対して膠州湾一帯の借地権を日本政府に譲渡すべき旨の通牒を発し、同年九月十五日までに回答せられんことを請求しました、同時に又青島に
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於ける軍備を撤廃して港内を通商貿易の為めに開放せられたしとの請求を提出しました、而して或る期間回答を待ちましたが何等の回答が参りませんでした、此の日本政府が膠州湾に関して取りました態度については此れを公表して関係諸国にも通牒しましたが、何等の反対をも受けませんでした、独逸がとうとう回答を与へませんので我が政府は終に独逸に対して宣戦を布告しました、当時私共は此欧洲戦争は亜細亜に累を及ぼすとは考へませんで、仮令亜細亜に影響を及ぼすとしても膠州湾丈けに留るものであつて、山東省には関係が無いと考へて居りました、然しながら日本政府の請求が一切の独逸借地権と青島より鎮南までの鉄道をも含むと云ふのでありますから、問題は山東省、青島及膠州湾を抱容することゝなりました、而して鉄道の延長線は一百七十哩でありました、此等の点に関する日本の立脚地は、昨年のパリー会議に於て明瞭にされた筈であります、日本の態度は何処までも山東省を支那に還附し、たゞ相互に協定した点即ち、日本の専管居留地を建設するの特権を得ようとして居るのみであります、鉄道は日支両国の協同管理の下に経営せられるべく、一切の保護権は支那側にて之を担当し、日本の軍隊は直ちに引き上ぐることになつて居ります、尤も此撤退問題は秘密事項でありまして、私も其意味に於て諸君に申上げたのてありますから左様御含みを願ひます。(爰に目賀田男爵は平和協約の第百五十六条即ち山東問題に関する日本の承諾を示したるものを朗読す)
 既に申しました様に鉄道は日支両国の協同経営に因つて行はるべく其他の事柄は平和会議に於て協定された規定に従つて着々実行する考へであります、併し遺憾な事には支那が協議開始に関する日本政府の提案に回答を与へません、尤も支那の現状に関しては同情すべき点が多いのであります、第一支那には堅固な政府が成立して居りません、現政府は学生の集団に過ぎません、山東問題の交渉が荏苒進捗しないのも之が為めであると思ひます、仄聞する処によりますれば、支那は日本政府の要求を容れたといふ様にも理解されますから、遠からず此問題も解決を見ることゝ思ひます。
タフト君
 私の承知して居る所では、支那に南北二個の政府が存立して居るやうでありますが、日本政府が山東問題に関して交渉を進められつゝあるのは北方政府なので御座いませうか。
目賀田男爵
 左様北方政府とで御座います、而して支那は最初日本の提案に賛成して居りましたが、平和会議に於て之を非認したのであります。
タフト君
 私は一個人として考へて見ますと、此問題に関する支那の態度が頗る不合理的であると思ひます。
目賀田男爵
 鉄道の共同経営は出来る丈け速かに之を実行する積りであります、支那は線路の警護に従事し、日本は財政上の方面に尽力することとなつて居ります、又支那は米国より援助を乞ふことになるであらう
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と信じます、我が政府は従来国際問題に関しては寛容を旨として参りました、特に支那に対して然りと申すことが出来ます、従て山東問題も其中に満足なる解決を見ることゝ考へます。
渋沢男爵
 山東問題に付ては外務省にも交渉して、目賀田男爵が是迄の行懸り今日に及んだ沿革を丁寧に御話しになりましたから、満場の諸君は御諒承下すつたらうと思ひます、私は昨年来支那が日本に対して排日の事を一般に行つて居りますのを如何にも残念に思ひます、従来支那の経済関係に付ては私は各種の会社を造らしめ、東亜興業会社中日実業会社は総て私の心配によつて成立して居ります、支那の事業に深い関係を有つて居る、経済上の見地から左様に日貨を排斥するとは如何にも残念な至りと、自ら考へますると従来の日支政治上の関係は支那が総て悪いとも申されませぬが、同時に又日本が全然善いとも思はれぬ点があります、併し此山東問題に付て左様に支那の国民が排日をするのは、どうしても彼が間違ひで我に間違ひはない、支那の方が不道理だと深く信じて居ります、又政治上の関係も若し支那政府が全く一致して居るならば、斯様な事がなくて済むであらうが、二つの頭がある為めに始終意志が徹底せず、其間に軽卒なる盲目的愛国者が頻りに日本を誹謗するのであります、どうか此等の人々の迷夢を醒させたいと思ひます、而して私は彼の経済上にも政治界にも力のある人々と日本の経済界の人々と話合ひまして、其結果此問題を日本政府と支那政府との間に円満に解決せしめたいと云ふ意見で私共は聊か尽力しましたが、未だ成績を見るに至りませぬ、要するに山東を支那に還附すると云ふことは最早問題ではない、既定の日本政府の考である、唯之を還すに付て、例へば青島の居留地とか山東鉄道とかの処分を如何にするか是等二三の点でございます、而して日本政府は直接支那と交渉を開いたならば、努めて支那に満足を与へるやうに考慮して居ると私は推察致します、否推察許りではない、当局に就て承つて見ましても其意思が見えるやうでございます、但詳細の事は私は申し上げる自由を有ちませぬ、故に支那の実業界の人又実業界に関係の深い政治界の人々が、今日の如く相猜疑することをやめて、打解けて直接の交渉に応じて、而して其廉々に付ては支那の国情を安んずる為めには斯くして欲しいと云つて、吾々にも協議されるならば、日本の実業界の人々も力を併せて、出来るだけ円満なる解決を努めたいと期待して居ります、支那側でも私共と見地を同じくする人々は、之を是として其場合に達せしめることを希望して居るやうでございますが、前に申す如く政治に当る人が二つに分れて居る為め、又は他の第三国が此直接交渉を妨げるからして、支那が之に同意し得ぬのであります、併し私は是は余り深く憂ふるに足らぬと思ひます、去りながら直接交渉の事は日本政府より一月に持出されましたのが、未だ之に応ずると云ふ回答に及ばぬのは頗る遺憾な事であつて、私共から見ますれば速かに適当に解決し得べきものを解決に至らしめぬのは、どうも支那政府の行動が穏当を欠くとしか思はれませぬ、蓋し自己を是として他
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を非とするは君子の為すまじきことで、私は平素の事には左様に考へませぬけれども、此纏まるべきものゝ纏まらぬのは、其謬誤が寧ろ支那側にありと断言して憚からぬのであります、斯く申すからとて従来の日支間の政治交渉が総て日本側が善くして、支那側が悪いとは決して思ひませぬ、其事は私共も能く自覚して居るのであります、此山東問題に付て私の関係した一端を諸君の前に申上げて、私の衷情を披瀝したのであります。
阪谷男爵
 山東問題に関しては私も愚見を申し上げ度いと存じます、私は一千九百十八年凡そ三ケ月を費して支那を視察致しました、その目的は日支両国間に介在する諸種の問題を調査しようといふので、山東問題に関しては私の親友である当時の青島総督と隔意なき意見の交換を遂げました、而して総督も過去に於ける種々の過失を発見して之を訂正せねばならないと云ふ点に同意を表されました、元来当時に於ける私の支那旅行は私の発意に成つたものではなく、支那政府より勧誘せられたので、支那政府は私に対して同政府の財政顧問たることを懇望して参りましたが、従来支那政府の顧問は莫大の俸給を貰つて何等の成績を挙げて居りませんので、私は此種の顧問たることを欲しませんでした、其処で私は先づ第一に支那の状況を視察したる上自己の意見を定め、若し支那政府にして其意見を納るゝならば顧問を快諾すべしと申して遣りましたのであります、去る一千九百十五年渋沢男爵がヴアンダーリップ君を訪問しました時、談偶々支那財政の改造に及び、米国も支那の為めに計る所なかるべからずと申されましたが、ヴアンダーリップ君は当時渋沢男爵の意見に十分の同意を表されませんやうであつたと承りました、その後ゲリー君が支那を旅行して後日本に立寄られました際、渋沢男爵はゲリー君と支那に於ける貨幣制度の改革に関し意見の交換を行ひ、支那は貨幣制度を改革し且つ堅固なる銀行制度を採用するの必要ありと申されました、丁度その頃私は日本政府を代表し巴里に開かれた一千九百十六年の聯合国経済会議に出席しました、同会閉会後私は米国を経て帰国することになり紐育に到着しました際、渋沢男爵より一通の電報が参り、其電文の内容はゲリー君を訪れて支那の貨幣問題及銀行問題に関する意見を徴し、尚ほ進んで此等の問題に関する米国の国論及重なる財政家の意見を調査して帰つて貰ひたいと云ふのでありました、然るに一方に於ては私を任命した内閣は将に辞職しようといふ状況でありましたから、私は辞職前に帰つて報告をなし以て私の使命を果さうと致しました故、紐育に留つてゲリー君と懇談する暇がなかつたのです、私の帰国したのは一千九百十六年十一月の初めでありましたが、残念な事には内閣は既に辞職の後でありました、こんな風で私は一千九百十八年支那に渡り、北京に赴く途中青島に立ち寄り二・三の問題を調査しましたが、私の考では戦争中日本の軍隊が山東省に於て取つた行動は支那の中立権を侵害して居らぬと思ひます、日本の軍隊が所謂支那の中立地帯を通過したのは北京政府の承諾を得てのことでありました、日本が青島を占領し
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た後は此処に軍政を施き又斯る政治は欧洲戦争中でありましたので継続の必要がありました、即ち五年に亘る戦争中青島は軍政の下に統治されて参つたのでありますが、私は五年間に於ける青島の発展を見て大に驚いた次第であります、多数の工場や商店が或は建設され或は拡張されまして此処に日本人の一大都会が出来ました、駐屯軍の軍政はその統治の下に在る土民を支配するに当つて、普通の民政官なれば避け得べき行き違ひを却つて招くことが有り勝ちであります、青島の軍政が支那の反対を受くる理由は其処に在ると思ひます、又軍人は一般に冷酷で厳重に過ぎる所がある所から、往々其行動に関して誤解を招く虞があります、而して斯る施政は戦争中には何れの国に於ても有り勝ちの事柄で御座います、極めて総括的に批評を下すならば、支那の国患は偉大な人物の欠乏といふことであらうと思ひます、若し衆望を一身に集むるに足る偉人が立つて支那を指導し、且つ諸外国の信用を得るに至らば、日支両国の関係を親密ならしめ、種々の疑惑を芟除する敢て難事ではないのであります。
藤山君
 私は此の場合甚だ遺憾ながら日本語で御話を致しますが、一体私は政治に余り関係がなく、従つて政党政派抔の関係を一切持たない、全く純粋の実業家の地位に立つて自分の意見を申上げて見たいと考へます、蓋し日本の今日の現状に於て吾々実業家が考へて居る事は東西の両国即ち東の方では亜米利加と云ふ大国がある、西には支那と云ふ一つの大きな国がある、其間に立つて居りまする我が国は如何なる方法で此国家を発展せしめ国民の幸福を進めなければならぬかと云へば、どうしても両国の充分なる諒解を得なければならぬと云ふことであります、夫れ故に亜米利加に対しては吾々の出来るだけのベストを尽して親善を結ばなければならぬと同時に、支那に向つても決して吾々は野心抔は有つてはいけない、而して此事は独り実業家のみならず一般国民の考へて居ることであらうと思ひます、それで今迄の歴史を見ますれば、随分日本のした行動に付ても色々諸君の誤解を招くやうなこともあり、又其後の形跡の上に現はれた事に付きましても、さう云ふ様に御考へになる事も随分見えるだらうと思はれますが、併しそれは所謂事実の間違ひであつて、その事実は今日の此協議会で充分に両者より其当時の模様其内容を詳しく御話になれば自ら御諒解になることであらうと考へます、玆に大体に於て此日本と云ふものは、決して他人の国を侵略しようなどと云ふ主義に依つて立つ国でなくして、商売・貿易を盛んにして国の向上を図らなければならぬと云ふ主義の上に日本国民は居るものであると云ふことの諒解を第一に御持ち下さらなければならぬ、日本人は口にはあゝ云ふけれども其実は矢張り他国を侵略して国の発展を図り又人口も非常に増殖しつゝある、此人口を捌かすには他所に土地を得てさうして捌かせようと云ふ考を有つて居りはしないか、若しさう云ふ最初に色眼鏡を以て此関係を見られたならば、常にさう云ふ方に現はれて来ると云ふ形になりはしないかと私は憂へるのであります、併し吾々実業の方面のものが考へて居りますには、此の
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人口の増殖、国家の繁栄も日本の産業政策に依らなければならぬ、即ち日本は産業を盛んにしてさうして商売・貿易を充分に進めたいと云ふのが吾々の考であります、それには第一に日本は小さな国で産業に要する所の原料を有たない、其原料を得る途は支那より他にない、で其支那の人と十分な諒解を得て、さうして決して向ふの疑ひを起されぬ様にしたいと吾々国民は考へて居りまする、併ながら甚だ不幸な事には支那とは先年戦争をしたことがある、其後色々の政治上の問題の為めにどうも両国の間が或る疑ひを抱いて、甚しき至つては支那は自分の力で出来ない為めに欧羅巴に、或は亜米利加に行つて色々のプロパガンダを行ひ、さうして日本の意志を曲解して色々の宣伝をして居るやうに考へられます、しかし吾々の考へますのには、日本の是迄の遣方に付きましても、成程支那の人達が或る点には疑ひを起しはしないかと云ふやうな形の見えたこともある但し其点に付きましては、実際さう云ふ考を以てした事でないことが、形に於てさう云ふ風に見えた為めに、支那の人々が非常に誤解をして居るのである、夫故に是も吾々国民としては非常に心配をして、支那の人達がさう心配して色々の事をすると云ふことは我が国の将来の立場に於て甚だ遺憾である、是はどうしても支那の誤解を解かなければならぬと云ふことで、私抔は商業会議所を代表して支那に旅行したこともあり、又個人としても数回支那に参りまして支那の人達とも充分な或諒解を得たいと今日努めて居るのでありますそれと同様に支那に依つて我が国の原料を仰ぎ、商売の道を進めるにはどうしても亜米利加の人達の諒解を得なければならぬ、何故かならば亜米利加と云ふ国も今日迄は国内の工業に於て色々の仕事をして御出であつたらうが、戦後の今日では非常に大きな資本を海外に出さなければならぬ地位に立つて居られる、而して是は矢張り支那に向つて資本を下し、支那に向つて商売をされる人である、而して其間に立つて居る此小さな日本はどうしても是は亜米利加の人に十分の諒解を得て提携をしなければならぬ、是が即ち吾々の務めである、亜米利加の人の諒解を得て亜米利加の人と充分な提携をして日本のみに於て支那に色々の仕事や色々の原料を得る途を講ずると云ふことは出来ぬ、即ち相提携するのは、我が国に於ては支那と亜米利加より外はないであらうと私抔は考へる、此両者と充分手を握つて仕事をして初めて我が国の人口増殖にも当り、産業の発展も之を起すことが出来て、さうして此文明を進め国民の幸福を増進することが出来るものであると考へて居ります、併しながら日本も開国僅か六十年、其間今日迄に発展しまするのには随分此武力を用ひて色々戦ひをしたと云ふやうなこともありまするが、之には自ら今日迄の歴史がある、即ち自衛の為めに戦つたのであると云ふことは是は御承知の通りであらうと考へます、決して自ら進んで他の国を取らうと云ふ考へではなかつたのである、而して吾々が今後実業家として努めるのは日本の産業を発展せしめる、此産業を発展させる原料は遺憾ながら自国にはそれだけの物を得られない、已むを得ず是はどうしても他国に頼らなければならぬ、即ち支那と提携するが宜
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い、支那の人の人気を損してはいけない、支那の人には十分の同情を有たなければならぬと云ふのが、即ち吾々は外の物を持て来て日本で製造工業を始めようとする考であります、是も亜米利加の人の諒解を併せて得なければならぬ、支那と日本と亜米利加と一体になつて仕事をしなければならぬと私抔は考へて居ります。
 それ故に今度の問題は総て青島問題も、或は西伯利の問題其他朝鮮問題も色々並べてありますが、其総てが斯う云ふ風になつたのは一種の事情が通じない誤解の点から起つたのである、而して亜米利加に於て移民問題が斯う八釜敷くなつたのはまだ日本の文明の程度を充分に御承知なくして、昔の六十年前のやうに日本は差別的待遇を与へても宜い国であると云ふ考がありはしないかと思ふ、併しながら日本は形の上に於ても亦精神の上に於ても決して他の文明国に恥ぢないだけの行動をしようと国民は凡て決心して居るのである、此の自尊心は日本人は皆有つて居る、此自尊心を非常に押付けて非常な差別的待遇をしようとしますれば、自ら日本人と雖も感情を害せなければならぬ場合に達しはしないかと思ふ、私などは国内法に於て自国の必要上より労働者を送るなと云ふことの法律が亜米利加に在ればそれは已むを得ないと考へる、併しながら其事は亜米利加の事情に於て必要の為めに在るのであつて、日本文明が同等に行かぬから日本人種を軽蔑しなければならぬ意味に於ての仕事でないと私は解釈しなければならぬと思ふ、而して其点に付きまして、吾々は将来のことに付ては無論亜米利加は亜米利加の国家を維持する必要から法律を拵へる、移民問題に付て色々な規則が出来るか知らぬ、併し既に入つて居る労働者に向つては相当な矢張り日本の国に敬意を払ふ、是は個人でも国でも自ら人を敬すると云ふ道が必要な話であらうと思ふ、文明国としたならば互に相敬して行くと云ふ考がなければならぬ、さうしますると今迄既に入つて居る者に付ては相当な待遇を与へて、安んじて其土地に住居するやうにして下さるのが是は当然でないかと私は考へる、支那に向つても此戦争に付て、例へば青島の戦争に付て、戦争中に支那の中立地帯を侵した、或は斯う云ふ約束をしながら日本は守らなかつたと云ふやうな色々な故障は私は種々な事があらうと考へまするが、併しながら其時の事情は今目賀田男爵から御話しになり、其他の人からも御話になつた事柄で自ら諒解されたであらうと思ふ、若し是等の事から亜米利加と若し仲違ひをする、誤解をして感情を害するとすれば、是は実に私などは遺憾ながら日本人の全く考に無いことの為めに両国が非常な感情を害する、斯んな馬鹿気たことはないだらうと考へる、又今日青島問題が如何に進行して居るかは存じませぬが、日本の国民として支那の主権を侵す、支那の国土を侵略しようなどと云ふ考は恐くは此国民一人も有つ者がない、若し政治の趨向が其所にあつたならば吾々は反対しなければならぬと考へる、何故かと云へば日本の立国は支那と親善をして支那の人の人気を得て、さうして彼処の土地より産する所の原料を以て日本立国の産業を興さうと云ふのが吾々の目的である、而して商売を盛んにして支那の人にも廉い品物を送つ
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てやらう、それには亜米利加も同じ考へを御持ちなさるであらうから、亜米利加とも充分に提携をし協同をして、さうして支那と亜米利加の両国の完全なる諒解を得て総て仕事をしたいと云ふのが吾々の希望である、それでありますから例へば支那に対する貨幣問題是も吾々は熱心に主張した、支那は御承知の通り銀貨の国である、亜米利加でも日本でも今日金貨制度を用ゐて居る、支那に商売貿易をして行かうと云ふのにはどうしても是は支那の貨幣制度が変らなければならぬ、支那の貨幣制度の改革を吾々が希望するのは決して支那の内政に立入つてさうして支那の政治上の権力を取らうなどと云ふ考は一切無い、唯支那と日本との商売をする上には此貨幣制度がどうしても同一になつて、文明国と同一になつて、始めて商売・貿易が盛んになることが出来る、是は支那の人にも御勧め申して若し御同意があつたならば、進んで日本も亜米利加も金を出して一緒になつて貨幣制度の改革をして貰ふと云ふのが吾々実業家の立場で、此支那の貨幣問題に付ては商業会議所も数回決議して、さうして政府にも望み、又亜米利加の商業会議所にも私は商業会議所として此件に付ては照会を致したことであります、要するに吾々は、亜米利加に望むと同様に支那にも望んでゐる、支那の人が誤解して呉れては困る、又支那の主権を害しようと云ふ考は日本の政治家にも日本の政党にもあつてはならない、又さう云ふ事は今日迄無い、併しながら若し其形がさうなつたならば、それは其時の事情がさう云ふ形に為したものであらうと私は考へて居る、始めからさう云ふ目的を以て――中立地帯を侵し、或は青島を取らうと云ふ目的で戦争をしたと云ふ様なことは決して私は無いだらうと考へて居る、要するに此両国の問題に付きましては、私は第一に此日本の立場はさう云ふ点に居つて日本は産業立国で行かなければならぬ、人口の増殖もそれで防いで行かなければならぬ、又人口の少い場所には其人を出さなければならぬ、併し乍ら亜米利加が自己の必要から移民を止めるならば或は支那にも出さう、南洋にも出るか知りませぬ、併し乍ら到る所に日本人の発展を止めなければならぬ、又到る所に日本の向上を抑へなければならぬと云ふ事を若し他の国民が考へたならば、是は無理であらうと、私は考へる、私などの考では今日迄支那に対し、亜米利加に対して此国民は両国の諒解を得て仕事をしなければならぬ、殊に支那に向つては私などは熱心な其論者であつて、どうしても支那人を怒らせてはならぬ、併しながら支那と云ふものを御研究になつた方は御承知でありませう、日本の支明は昔は支那から来た、吾々は支那を恩人と考へて居るけれども今日の支那の政体は実に統一することが出来ずして南北に相分れて争うて居る、さうして北京の政府と相談しても亦南部の人達は非常に反対する、それは自国の政治上の意味に於て態と反対する、日本が北京の政府と相談すれば南部の人は其事の利害は措いて反対をする、又南部の人に若し引合をすれば北部の人は国家の利害を棄てゝ反対すると云ふやうなことである、其等も即ち政治上の問題でありまするが、私などは支那にも統一された政府が出来て早く商売・貿易なり、又平和の商
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売が充分に出来るやうに他の国と共に支那を援助して行かなければならぬ、それには矢張り日本として最も望む所は亜米利加の御方々と手を握つてやるが宜い、亜米利加とは離るべからざる関係がある即ち支那に於て充分諒解を得なければならぬと同様の立場になつて居ると私などは考へる、要するに幾つも問題が出て居りますが、第一日本の国是と云ふものは何処にあるか、侵略主義でないか、独逸見たやうな国でないかと云ふことが先入主となつて居られる人があるか知りませぬ、其考を第一に棄てゝ貰ひたい、而して日本人は六十年前迄は実に頭髪を結び腰に帯刀をして居つたやうなまだ文明の大勢に通じない国民であつた、六十年後の今日も矢張り未だ文明人の仲間入りをするだけの人間でないだらうと云ふ其考を棄てゝ、相当に日本人は今日に於ては西洋の文明に伍するだけの程度に進んで来た、是には対等の交際をしてやらねばならぬと云ふ第一の考を御持ち下さらなければ、今後の充分な諒解を得ることが非常に困難であらうと思ふ、若し此二つの事が――日本人の文明を認めて日本人の即ち今日の事情を能く御承知になると云ふ一つの事と、而して日本人は決して武を以て立たうと云ふ国民でない、平和を愛して而して産業政策に依つて支那と亜米利加と、どうしても結付いて仕事をしなければならぬと云ふ全国民が観念の下に働いて居る国民であると云ふことを御承知になつて、而して後総ての問題を御覧下さつたならば、私は朝鮮問題なり、西伯利問題なり、総て一方の人の宣伝に依つて起る所の一の誤解が大半であると云ふことが明瞭になると思ふ、吾々は全部とは申さない、吾々に於ても或点に於て是は面白くないと考へる点もあります、其故全部とは申しませぬが大半は其意味に於て解釈することが出来やうと考へて居る、言葉の通じない為めに吾々の十分な意思を申上げることは出来ませぬが、私は商業会議所に於て全く政治上とか政党とか云ふものと離れて独立の地位に居りまするが故に、是丈けの事は皆様方に充分に御諒解を得なければならぬと云ふ希望から一言致した次第でございます。

    日米有志協議会第五日(大正九年四月三十日)
会場 前日の通り
開会 午前九時四十分
      日本側出席者
 男爵 渋沢栄一君     子爵 金子堅太郎君 男爵 阪谷芳郎君
 男爵 目賀田種太郎君   男爵 近藤廉平君  男爵 中島久万吉君
    藤山雷太君   法学博士 添田寿一君     井上準之助君
    串田万蔵君        早川千吉郎君    頭本元貞君
    大谷嘉兵衛君       堀越善重郎君
      米国側出席者
    第一日の通り
ヴアンダーリップ君
 今日の問題は朝鮮問題であります。
タフト君
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 日本人側委員諸君は昨日を以て山東問題に関して其言はんと欲する所を尽された様でありますが、私は本問題が米国の政界に如何なる地位を占めつゝあるかに関して一言致し度いと思ひます、米国民は概して平和会議の問題が国民の注意を引くに至りしまでは、山東問題の如何なるものなるかを知りませんでした、然も平和条約が上院の問題となりました時、反対論者は其批准を妨害する為めに一切の手段を講じました、反対事件中には合衆国に直接の関係を有するものもありました為めに、上院議員の外交委員等は各自の意見を発表する為めに平和条約に関する保留案や、改正案を提出する事になりました、而して平和条約第百五十六・七・八条は山東問題に関するもので、之に対して保留案第十二条なるものが出来ました、私の考では平和条約は成立し、爰に国際聯盟は事実となつたものと思ひます、仏蘭西・英吉利・日本及伊太利は条約を批准し、従つて第百五十六・七・八条は有効なものとなつたのであります、然るに合衆国と支那とは之に署名を拒み、米国に於ける或る一部の政治家は条約には批准を与へるが保留案は必要であると主張しました、私一個としては何等の保留案なしに批准を与えた方が宜敷いと思いました、如何となれば山東問題に関しては日本の当局者が一再ならず我が大統領と上院に対して宣言する所があつたからであります、山東問題は徳義上より考へれば別として、合衆国が直接利害関係を有しない問題であると思ひます、私一個としては絶対的に日本の提言に重きを置くべきものと考へました。
金子子爵
 タフト君は実際この問題の真相に触れられました、私は合衆国の上院が平和条約第百五十六・七・八の三条に対して取られました態度を知りし以来本問題に関して周到の注意を払ひ且つ知名の実業家新聞雑誌記者及宣教師等と懇談する所がありました、私の考では合衆国は平和条約に批准を与へて居りませぬから国際聯盟の一員ではない従つて此問題に容喙する資格は無いと思ひます、勿論支那は自らの主張を貫徹せんが為めに、合衆国の援助を仰いで居ります、而して日本は独力を以て世界環視の間に此問題の解決に資せんとして居るのであります、願はくはタフト君始め委員諸君の御帰国の上は尚ほ一層此問題に深き注意を与へられて吾々を支持せられんことを希望する次第であります、本問題は協議会の討議事項としては一先づ打切りますが、諸君は尚ほ此上とも之を研究せられて真理の存する所を看破せられんことを望みます、私は首府ワシントンに住居せらるる親友にして常に日本の為め配慮せらるゝ人々に書面を送りまして山東問題解決の為め尽力せられんことを乞ふ旨を伝へました、所が其返事に自分は多数の米国民と等しく此問題に関して知る所甚だ少しと言はれました、此一事に因つて見ましても米国の有力者が如何に山東問題を等閑し居るかが分ります、米国に於ける智識階級の人人が此問題の真相を知らるゝならば米国に行はるる今日の輿論は一変して日本の従来取り来りし方針に賛同せらるることと信じます。
タフト君
 - 第35巻 p.406 -ページ画像 
 外国の事柄に関して我が国の公表機関を活用することは至極困難であります、従つて国民一般を教育することも至難の業であります。
目賀田男爵
 サイベリヤ問題はロシヤ及サイベリヤを含むものと諒解せられたいものであります、一千九百十四年の十二月露国は日本より武器と弾薬との供給を得んが為めに全権委員を日本に派遣しました、日本は露国の請求に悉く応じようとはしませんでしたが、英・仏・露の大使から聯合して請願せられました故に、武器及弾薬に関する露国の請願を容るゝ事と致しました、然るに露国は最初使用すると宣言しただけの武器を使用せず、且つ露国の形勢は吾々日本国民の不安を招く様になつて参りました、開戦後の五月に露国の形勢は一層悪化して、ペトログラードに於ける官権は日本大使館の書記が日本語で電話を掛けたのは不都合であるといつて彼を捕縛しました、然し独逸語の通話は許したといふことであります、又日本より発送した武器や弾薬などは最初に約束した土地に輸送せず、砲銃は甲地へ、弾薬は乙地へといふ具合に個々別々に送られ、終に日本よりの武器及弾薬等は独逸人の手に渡されて居るとの報知を得ました、日本は独逸の侵略より露国を救済せんが為めに日露条約を結び、露国の腐敗して居ることは承知しながら、彼の国と支那とを独逸の毒牙より救はんとの目的を以て、日露両国の契約を協定した訳けであります、日本政府が二十一ケ条の要求を支那に提供したのも此頃でありました、若し日本がサイベリヤに軍隊を派遣しませんでしたならば、独逸は露、支両国の弱点に乗じて両国に侵入し、以て日本をも危殆に陥らしめたかも計られなかつたのであります、欧洲戦乱開始の頃から日本は之に対して警戒し、若し合衆国が同盟軍に加入しませんでしたならば、独逸は露西亜を圧迫して我が邦に鋒を向けさせはしまはぬかと恐れました、かるが故に先づ独逸を支那の領土より放逐して、堅く支那と相提携すべき必要を見たのであります、諸君は御存じがどうか知りませんが、多くの独逸官吏は支那を征服しようと努めたのであります、日清及日露の役も其の原因を糺せば皆独逸の官吏の処作に帰すべきものであります、一千九百十八年四月露国は日本政府に向つて同国保護の為めに一聯隊程の派遣を請願して参ゐりました、私は自ら此事に関して寺内伯爵と会見し、全露国が我が邦の出兵を請願するにあらざれば之に応ぜざることとしました、日本は米国と他の列強との強請に従つて一千九百十八年九月チエックを援護せんが為めに一部隊を派遣したので、之には同盟国の賛同を得た筈であります、露国に於けるもう一つの困難は現在の貨幣制度で露国の群雄は勝手にルーブルを発行しましたから、其数幾千万に達し其購買力は非常に下落したのであります、現今一ルーブルの相場は我が国の二銭に過ぎません、之に因つて見ても如何に露国が乱れて居るかを知ることが出来やうと思ひます、サイベリヤに於ける悪貨幣制度の為めに人民は飢餓に迫られて居ります、斯る場合に於ける我が出兵は秩序維持の為めであつて、決して領土拡張の為めではありません、然るに我が軍隊が静粛に且つ秩序正しく任務を果して
 - 第35巻 p.407 -ページ画像 
居るにも拘らず、ウラジオストックの仮政府や其他の団体は我が軍隊を目懸けて発砲したのであります、之は今年の四月のことであります、これに対しては我が軍隊も臨機の方法を取らねばなりませんでしたが努めて紛擾を醸すことを避けました、然して我が軍隊は彼等の武器を奪取し、彼等を脅嚇する為めに空砲を放ちました、最も其内に僅かの実弾砲が発射されて二・三の露国人が負傷したといふことですが、これは過失であつて全く偶発のことなのであります、元来交戦が目的でなく保護を主とした事でありますから、先づ生命と財産との安全を計りました、サイベリヤ地方に於ける日本の商人及住民を保護して、彼等の安全を計らうとするのですから、露国の強固な政府が設立されて安寧秩序が保証さるゝ様になれば、我が軍隊は何時でも撤退する覚悟であります、然し其時期の到来しない中は、露国に於ける我が権利を擁護するに必要である丈けの軍隊は之を駐屯せしめねばなりませぬ、吾々はウラジオストック港を貿易の為め開放することを主張しますが、貨幣制度の不始末よりして露国との貿易は物々交換に因らねばなりません、サイベリヤのチエックを援助する為めに我が軍隊を派遣しましたが、其後の報告に因ればチエックは組織されて居らないといふことでありましたが、事実は之に反対で彼等は能く組織されて居つたさうであります、尤も彼等は其後サイベリヤを去つて、後に残つた我が軍隊は種々な憂目を見たさうであります。
頭本君
 私は一千九百十八年の末頃から度々サイベリヤを訪問してサイベリヤの内地を縦横に旅行し去年の夏はオムスクまで参りました、其頃オムスクには米国大使モーリス君も居られた、私は爰にサイベリヤに於ける日本の政策は一種の過失であつたと言ひますが、之は私一個の私見で私以外邦人の意見も代表して言つて居るのではありません、然し間違をしたのは日本ばかりでなく各国共に間違つたのであります、日本が他の国々と一緒になつてコルチャックやセミオノッフの如き反対党を援助したのは間違で、此等露国人の露国挽回に努めた理由は、従来の圧制政治たるロマノッフ制度を再興せんが為めであつたのであります、若し他国の干渉が無かつたならば、サイベリヤ問題はつとに解決された筈なのであらうと信ずるのであります露国人自らが解決の任務を果し得たに違ひない、私は爰に余り多くを言ひたくありませんが、日本はサイベリヤに対して何等の領土的野心を抱いて居らぬといふ事だけは敢て言明して置きたい、日本の希望はサイベリヤの経済的開発に参与したといふに過ぎないのであります、私は此機会に於て私のサイベリヤ滞在中独り米国軍隊の幹部のみならず、赤十字社及基督教青年会の人々とも共に常に最も愉快な関係を維持し来つたことを満足とするものであるとの一言を加へて置き度いのであります。
タフト君
 ボルシェヴィズムが日本を嚇脅するとか、或は嚇脅し能ふとかいふ点に就て日本の御考は如何ですか、承りたいと思ひます。
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頭本君
 日本にはボルシェヴィズムの恐れはないと思ひます、此方面の宣伝者に対しては日本の政府は周到な注意を払つて居りますから、縦令幾分の余波を受くることがありましても、他の国に於ける様な伝播を見ることが無いと信じます。
タフト君
 諸君は東部サイベリヤに日本品を輸出し、経済上の関係を持つて御いでになりますか。
目賀田男爵
 吾々はサイベリヤと貿易関係を維持し出来得る限り其港口を開放せしむるやう努めて居ります、サイベリヤへは我が商品を輸出し去年の輸出品総額は七千万円に達しました、又マッチの材料に供する木材や毛皮等を輸入しまして其総額が二三百万円に達して居ります。
阪谷男爵
 吾々は露西亜と独逸との将来を気遣つて居る者でありますが、独逸は知識の進歩して居る国でありますから何時迄も今日の状態には居るまいと思ひます、現在に於ては両国共気の毒な状態に陥つて居りますが、独逸の方は有望で無政府的傾向が露国の様に烈しくありません、独逸は将来必ず東方に其発展の途を求めて此処に覇権を握らうとして居ると思ひます、如何となれば独逸は其殖民地を失つて西方に延びる道が絶たれたからであります、若し此等の国々が揃つて東方に向ふこととなれば之は日本に取つて捨て置き難き重大事件であります、従つて之に対する準備を怠るわけには参りません、我が邦は過去二百年間彼等両国の危険な政策から辛い経験を嘗めて居ります、諸君は露国が如何にして支那に侵入せしか、而して終に太平洋岸に達せしかを御承知でありませう、又露国が如何なる手段に因つて日本より樺太領を奪ひ、嘗つて日本の領土たる対馬島をも奪はんとし、我国は漸く英国の援助に因つて露国を撃退せしかを御承知でありませう、又露国が如何なる手段を用ゐて旅順港を占領し、独逸が如何なる手段を用ゐて膠州湾を占領せしかを御承知でありませう、諸君は露国と独逸とが、支那と日本とに対して如何に横暴を極めしかを御承知でありませう、アムール領より支那人を放逐せんとして無惨にも彼等をアムール河に追ひ込み、追ひ込まれたるものゝ内水泳術を知るものは游いで彼岸に達せんとしましたが、露人は惨酷にも支那人に発砲溺死させました、諸君は又団匪事件の際独逸人と露西亜人とが行つた残虐なる行為を御承知でありませう、私は最近の出来事として文明人の胆を寒からしむる行為、即ちアムール河口に位するニコライエフスクに於ける露西亜人の残虐事件をも諸君に御話致しますが、無害の良民たる日本人男女が老若合せて七八百人程虐殺されたのであります、我が邦の総領事と夫人とは彼等の毒手に懸かるを恥辱とし而も到底逃るゝ道無きを知つて終に身を火中に投じて相果てたのであります、私共は戦争中独逸人がベルギーに於て、又は北部フランスに於て振舞つた残虐の行為やボルシェウヰックスの残忍行為等を能く知つて居ります、日本人が独逸人や露西
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亜人などを怖るゝのは決して理由の無いことでは御座いません、其処で私共の希望は、英国が露国と英領印度との間にトルキスタンを有つて居る様に、露国と支那及日本との間に中立地帯即ち中間国の如きものを置き度いのであります、而して此地帯の管轄権は之を露国に附与するも敢て差支はありませんが、法律秩序を維持するといふ諒解は必要と思ひます、一部の人々は日本がサイベリヤに領地を占領しようとして居るのであるといつて、日本を攻撃して居りますが此れは間違ひであります、日本は到底サイベリヤに大軍を派遣して此れを維持するに堪へません、若しサイベリヤを占領して此処に平和を維持しようとするならば少なくとも十万位の軍隊は必要でして此れに要する政府の費用は莫大なものであります、而も私の考では十万位の軍隊では安全にサイベリヤを保護することは困難であると思はれます、現に露国は二十万の軍隊を以てしても尚ほ秩序を維持することが出来なかつたのであります、若し日本より二十万の軍隊を派遣して此れを支ふるといふ事になれば其費用莫大なことは想像に余りある程であります、諸君も御承知の通りサイベリヤは未だ自給の域には達して居りませぬが、而も殆ど無限の富源を有つて居つて一向開拓されて居ら無いことも事実であります、これを開拓しやうとするには莫大の投資を要し日本独力の財力では到底及ぶ所ではありません、日本が領土的野心を有つて居るなどと云ふ人々は、自らの無智を暴露するに過ぎないので愚にも附かない話であります日本の要するものは先程も申し上げた様に、露国と日本との間に厳然たる中立地帯即ち秩序と法律との施行せらるゝ中間国の如きものを造ると云ふに過ぎないのであります、日本はサイベリヤの門戸を開放して、彼の地の開拓を願ふものでありますから、諸国が競うてサイベリヤの開発に従事せられんことを希望します、それと同時に我が邦は其人口増加に処する為めに自由移民を欲するのでありますサイベリヤ、支那、モンゴリヤ及マンチューリヤ等は大陸であつて無限の未開的富源を有つて居ります、之に反して日本は島国で且つ人口増加に悩んで居ります、日本は年に六・七十万づつ増加し行く人口を処理する為めに移民政策を講ぜねばなりません、支那、マンチューリヤ、モンゴリヤ及サイベリヤ等が日本に死活的関係を有するといふのは是れが為めであります、尤もサイベリヤに於ける我が軍隊中には過失なしとは申しませんが、過失があれば之れを処分する道は具備して居ります、兎に角諸君の諒解を得たいことは、日本は主義として領土拡張の精神を有せず飽く迄唯正義公道を履んで事に望まうとして居るものであるといふ事であります、但しニコライエフスクに於ける日本人の虐殺事件は之を別問題として研究する必要があると思ひます、我が国民の義憤を緩和する為めに適当の方法を講ぜねばならないと考へますが、其方法に就ては私一個としては何等の具体案を以て居りません。
添田博士
 私は今朝の新聞に掲載されてある山東問題に関する記事の一部を諸君に御紹介致さうと思ひます、此記事は米国に於ける支那公使館が
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支那政府に向つて発した電信の形式を取つて居ります、『山東問題は成る丈け遷延する程支那の為めに有益なり、独逸は条約を破棄せんとしつつあるなり……』斯る記事は将来に於ける日米両国の親交を阻碍せぬとも限りません、私は斯る記事の公表を見て慨嘆に堪へぬ次第であります、若し支那が米国を利用、否な害用して日本を苦むるならば勢ひ日米両国間の疎隔を増進するものとなります、又本紙はラモント氏の成功は支那が必ず借款に因らねばならない事情あるに基くものであるといつて居ります。
タフト君
 我国の上院議員中には遮二無二党とも云ふべき一派がありまして、何処までも自己の主張を貫徹せねば止まぬといふものがあります、此種の人が偶々支那公使館に懇親を重ね、山東問題の遅延を洩らした為めに公使館が之を本国に打電したのでありませう、斯る行動を未然に防ぐといふことは殆んど不可能事であります。
ヴアンダーリップ君
 日本は昨年大金を支那に貸与しなかつたでせうか、
添田博士
 決して大金ではありません、而して貸与した金額は大部分各種の事業に向けられたと信じます、私一個としましては支那の財政か整理せられ貨幣制度が堅固な基礎に立てらるゝ迄は、支那に金を貸すことは支那の不為めなりと考へます、サイベリヤ問題に関しましては私の考は若し日本がもつと早く軍隊を同地に派遣しましたならば、之に因つてボルシェヴィズムを根絶することが出来たであらうと思ひます、私は自衛の為め、極東平和の為め我が軍隊をサイベリヤに派遣することを賛成した一人であります、日本をボルシェヴィズムの災禍より逃れしむる方法は軍隊派遣に若くはなかつたと思ひます昨年の夏デニキンや、ユーデニッチや、コルチャクなどの引率して居る軍隊が三方より同時にレーニン政府に殺到したならば、之を顛覆することが出来たであらうと信じます、支那及朝鮮は少からずボルシェヴィズムにかぶれて居りますから注意しませぬと之れが終に日本にも累を及ぼさないとは限りません、私はボルシェヴィズムは日本に蔓延する慮れがないといふ人々の意見に賛成することは出来ません、又サイベリヤに軍隊を派遣したことが日本の大過失であるといふ説にも賛同を表することが出来ません、当時の事情は之を余儀なくせしめたのであります、独逸がアミヤンの突撃を行ふまでも大軍を露国に面する国境に集中し、万一日本が東より来るに備へたといふ事実に照らしても、我が邦が一部隊をサイベリヤに派遣した事は有効であつて何の非難すべき点はありませぬ。
阪谷男爵
 朝鮮問題は之を他の問題に比較すれば誠に微々たるものであります而して朝鮮問題は殆んど解決が附いて過失や誤解等が明白になつて居ると思ひます。
デヴィス君
 独逸政府が膠州湾及山東に関する書類を日本に交附しつゝあるとか
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或は已に交附したとか云ふことを聞いて居りますが如何でせうか。
目賀田男爵
 私はデヴィス君の御質問に対し公式的に、御答を致すことは出来ませんが、該書類は本年一月二十四日以後三ケ月以内に交附せらるべき筈であつて、此契約は両者の批准を得たものと思つて居ります。
阪谷男爵
 (朝鮮問題の続)併合以来日本は朝鮮の政策に努力し、朝鮮民の生活状態を改善せんが為めに有りと有らゆる手段方法を尽しました、鉄道や道路を改良し、且つ学校の増設進歩を計り植林の途を講じました、実に日本が朝鮮の山々に樹木を扶植するまでは朝鮮の諸山岳は全部裸であつたのであります、斯くして朝鮮は日本の統治の下に過去数年間実に著しい進歩発達を遂げたのであります、素より朝鮮の統治に就ては過失なしとは申しません、例へば物質的方面の改善に重きを置き過ぎて社会的・道徳的並に精神的方面を軽視した傾きがないでもありません、然し今日の状態は大に改良されて各方面に一大進歩を致して居ります、特に昨年来の改善が大功を奏しました総督始め其他の大官に更迭が行はれ憲兵は巡査に代へられ、笞刑は撤廃され、殆ど三千人の政治的罪人は赦免の恩典に浴しました、然し諸君が若し朝鮮人に逢うて君は総督府の新政治に満足し居るや否やと問はれなば彼等は必ず否と答ふるでせう、此の如きは人種的僻見に囚はれて居る所より起る問題であつて、同様の事柄がエジプトや英領印度、アイルランドや合衆国などにも起つて居ります、異人種が政治上の関係に於て相接触する時には必ず起る現象であつて、此病癖を癒する力は時の外ありません、要するに朝鮮に対する日本将来の政策は素より朝鮮に独立を許す訳には参りません、此独立運動は何処までも撲滅せねばなりません、如何となれば朝鮮の独立は日本帝国の分裂を意味することになるからであります、独立以外の事ならば朝鮮人の意向は成るべく之を尊重して、彼等が法律と秩序とを重んじ文明開化の特長を侵害せざる限り彼等の要求を充たす方針であります、現に総督は昨年就任以来最も忠実に此方針に向つて政治を施して居られます、又昨年九月朝鮮政治の大綱を明かにせる詔勅が下りました、文武の官職及俸給に関する日鮮人間の差別は撤廃せられ、諸学校に於て朝鮮語を使用することも自由になりました斯くして朝鮮は漸次に自治制度の域に向つて進むのであります、其順序としては町村より市に至るまで自治的習慣を養成して、永い経験を積まねばなりません。
目賀田男爵
 ポルツマス条約の結果として、日本は朝鮮の財政制度を改革する任に当ることとなりました、当時朝鮮には一千五百五十七種のニッケル製の貨幣がありました、私は朝鮮の財政を調査し、且つ助成する為めに彼の国に派遣されましたが、三年の任務を果して将に帰国せんとする時、朝鮮の皇室典範に関して伊藤公と協議を遂げ皇室費を一百五十万円と定めました、時に朝鮮国大蔵大臣が私に対して告白された言葉に『私は今日に至るまで男爵の質問に応ずることを忌避
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した、其わけは実際我が邦の財力を恥ぢて閣下に申上ぐる勇気が無かつたので、朝鮮の貨幣は一百六十万円に過ぎないのであります』といふことが御座いました、我が邦が朝鮮の財政を改善する為めに多大の貢献を致しました其結果、朝鮮は今日見る様な進歩を見ることとなつたのであります。
金子子爵
 朝鮮に関しては私も少からず尽力しました、諸君は記憶せらるゝでありませうが、昨年の三月に朝鮮に暴動が起りました時、一部の米国人は日本人が残虐行為を逞うしたといつて日本に抗議を申込みました、併し朝鮮統治の政策は常に進歩と改良とを主義として行はれて来たのでありまして、勿論私共は過失に陥り、失敗を招いたこともありますが、是れに気の附き次第改善を試みたのであります、私共は社会的に、又政治的に朝鮮人を援助して自治的国民となさんとして居るのであります、而して今や朝鮮の政治は、武官の手より文官の手に移りました、然るにワシントンに、朝鮮人の一団があつて(ゆふ)といふ輩が之を指導し、彼等は始終宣伝に務めて日本国を中傷讒誣して居ります、諸君は米国の新聞紙に朝鮮人が日本人に迫害されて居る絵を御覧になつたでせうが、斯る悪劇を演じたのは即ち此一団でありました、私は此絵を見るや否やジャパン・アドヴァタイザーに寄稿して説明しましたが、抑も此絵は一千九百四年に撮映したものであります、其絵は二人の鮮探が陸軍の当局に因つて死刑に処せられたのであつて、此れには朝鮮政府に於ても明確な諒解があつたのであります、右の死刑囚は陸軍の当局から戦略上の秘密書類を盗んで、之を露西亜人に交附したのであります、彼等は捕縛され、軍法会議に附せられて有罪の判決を受け、続いて死刑の宣告を受けました、彼等が軍法会議に懸けられたのは彼等が間諜であつた為めであります、然るに此絵が一千九百十九年の三月に残虐行為の一例として利用せられたのであります、而して不幸にも之を見て成る程と思つた米国人は少くないと聞いて居ります、又ワシントンには独立の夢を見て居る鮮人が全く跡を絶つて居らぬやうであります兎に角我が政府は故伊藤公の提唱された政策を踏襲して、朝鮮開発の為めに全力を注いで居るのであります、私はポルツマス条約締結後ローズヴェルト大統領と懇談したことがありましたが、大統領は日本が米国特に太平洋沿岸に対して移民を送らない以上は、日本の激増し行く人口の処置に関して米国は同情を有つて居るのである、日本は慥かに朝鮮の開発に貢献することが出来るから過剰の人口を朝鮮に送る方がよからうと云はれました、其れが為めか日本が朝鮮を併合した時には米国には反対の声が開かれませんでした、朝鮮民族の開発に関しては何等懸念する処なく、我が日本政府の施政に信任を置かるゝやうに願ひたいものです。
渋沢男爵
 朝鮮の問題に付ては、日本側の諸君から既に充分に説明を致されましたから少し重複になりますけれども、朝鮮の経済上に関係して長い間力を入れましたのは憚りながら私だと申上げても過言ではなか
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らうと思ふのでございます、現在朝鮮銀行といふものがありますが私の経営する第一銀行は明治十一年から朝鮮に支店を置いて長い間朝鮮の金融上のことを努めました、為めに金融の事に朝鮮人が習慣を持つ様になつたのでございます、朝鮮の国に兌換紙幣の流通し得るのも、銀行の経営が宜しきを得た為めに左様に進んで参つたと申しても過言でないのでございます、又朝鮮の国には一切鉄道が無かつたのでございますから、是非彼の国を開くには鉄道が必要と云ふことは、政治家・経済家皆目を着けて居つたのでありますが、差向いて利益の無い為めに此鉄道を建設するのが困難でありました、併し私共は是非鉄道を起したいと云ふ考から、丁度二十三年以前であります、明治三十一年に京城と仁川の鉄道を経営しましたのが最初でありまして、此次に釜山から京城迄の鉄道、此両線の連絡を致し引続いて京義線・京元線其他南部の線路も段々出来て参りましたが明治三十年三十一年頃に鉄道を経営する困難は容易でなかつたのであります、併し此金融と鉄道が朝鮮の国民の利益を増し、生活を進めたと云ふことは争ふべからざる事実であります、殊に明治三十七八年の日露戦役後、朝鮮の貨幣制度を改良せんければならぬ、朝鮮の財政を堅固にせねばならぬ、斯かる主義から日本政府は即ち目賀田男爵を推薦されて、朝鮮の財政顧問とした、政治上は目賀田君の御担当であります、併し実際は銀行者若くは鉄道関係の者の骨折りで、丁度目賀田君と相呼応して私は其経済上即ち銀行経営に付て相当なる努力を致しました、併し其後朝鮮の国に対して一国の主幹となるべき金融機関は是非一の特殊銀行を造つたが宜しい、第一銀行は支店であるから制度上適当でないと云ふ伊藤公爵の主張で、私はそれを満足しなかつたけれども、国の制度上からそれが必要だと云ふに依つてこゝに始めて朝鮮銀行と云ふものを特に創立致したのであります、同時に又鉄道も政府が国有にすると云ふので、吾々の経営した鉄道は国の経営になりました、併し銀行と鉄道とが朝鮮の国民に利益を与へ、朝鮮の物質上に進歩を開いたのは蓋し少々ではないのでございます、是等の事は朝鮮の国民は余程能く知つて呉れて宜いのでありますが、多少知りませうけれども、若い人々は唯々目前の事のみを思つて、根本の進歩を忘れる所から今日のやうなことになると私は甚だ憂慮致すのでございます、斯の如き有様でございますから、吾々共が朝鮮に対して是迄尽したことを斯かる機会に於て、亜米利加側の諸君に御話するのは或は自己の功労を衒ふやうに聞えますが、決して私は無用の弁でなからうと思ふので、自己の功労を喋々するやうになる虞れがありますけれども、朝鮮に対する日本の経済界の人の力を尽したことは決して一朝一夕でないのを充分御諒解を願ひたうございます。
タフト君
 高等聯合委員設置の決議案に関しては左の字句を使用することに決しました。
                     (満場一致可決)
  Mr. Taft presented the following resolution in respect of
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 the subject of Japanese immigration into the United States, and the resolution was adopted as the sense of the conference :
  Whereas, the enforcement of certain States and Federal laws, now in effect in the United States which affect the status and right of citizens of Japan and American citizens of Japanese origin have tended to disturb the friendly relation between the people of the two nations, because it is claimed to be discriminatory, and other legislation of a similar character is being proposed, and
  Whereas, the removal of misunderstanding and dissatisfaction growing out of the foregoing causes is difficult through, ordinary diplomatic channels and without providing some means by which each nation may be afforded an opportunity to present the facts from its standpoint, now, therefore, be it,
  Resolved, that it is the sense of this conference that a Joint High Commission should be constituted by the respective Gevernments of Japan and the United States to examine the conditions of the Japanese immigration and to investigate any causes of complaint by either nation against the other on account of discriminatory legislation or treaty provisions, and to recomend measures for their removal.
  It was the further sense of the Conference that the American members would ascertain if the United States Government will take affirmative action on this resolution if presented, and if so, the Japanese members will approach their Government in endeavor to have the Japanese Government take the initiative in the matter. It was understand that this matter will be treated as wholly confidential pending such action.
  Upon motion it was made the sense of the American members that copy or information in regard to the above resolution will be given out by any members, but the matter is left entirely to Mr. Vanderlip for his action.

    日米有志協議会第六日(大正九年五月一日)
会場 前日の通り
開会 午前九時四十五分
      日本側出席者
 男爵 渋沢栄一君   子爵 金子堅太郎君 男爵 阪谷芳郎君
 男爵 目賀田種太郎君 男爵 近藤廉平君  男爵 中島久万吉君
    藤山雷太君 法学博士 添田寿一君     井上準之助君
    串田万蔵君      早川千吉郎君    梶原仲治君
    大谷嘉兵衛君     堀越善重郎君
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      米国側出席者
    第一日の通り
金子子爵
 最初に渋沢男爵が支那の開発に関して日米両国協力の件を論ぜられ尚ほ満蒙に関して一言なさるゝことになつて居ります、次いで阪谷男爵も此問題に論及せられ、最終の議事日程は米国側委員と日本側委員とより決議文を提出して然る後に本聯合協議会を閉会することになつて居ります、閉会に望みましては、日本側委員は米国側委員諸君が今回遥々御出で下された其好意に酬ゆべき精神を発表する時間の充分ならんことを希望します。
渋沢男爵
 日本の経済的協力を以て支那の事業の発展を期図すると云ふことはもう五年以来の私の主張でございます、大正四年に亜米利加に旅行しましたのは太平洋沿岸の事が気に懸りました為めに桑港に開かれた博覧会を機会に出ましたけれども、西部即ち加州方面の事は余り懸念と見えないのでありました、之に反して其当時まだ亜米利加は参戦しない時でしたが、欧羅巴戦乱の影響は亜米利加の富を頗る増しつゝありましたと同時に日本も国は小さうございましても其影響があつて、此発展の力を多く支那に向つて伸ばすと云ふことを心掛けて居つたのであります、故に亜米利加の発展は必ず支那に於て日本の事業と競争、衝突に至りはせぬかと云ふことを憂ひたのでございます、既に欧羅巴の戦乱が経済関係から起つて右様な惨禍を呈するとするならば、万一亜米利加と日本が経済上相争うて左様な惨害を惹起すやうな事があつては此上もない不幸である、況んや私共の希望は西洋の文明は亜米利加に、東洋の文明は日本に、東西洋の文明が太平洋を隔てゝ相接触し、相融和してこゝに初めて世界の文明を完備させたいと云ふ希望に引換へて、亜米利加と日本とが若し相争ふやうなことになつては実に相成らぬと思ひました、為めに此意見を政治界に、経済界に、学者に亜米利加旅行中数々御話をしました、今日御列席下さる此御一行の首脳に立つて御いでになるヴアンダーリップ君には特に其事を申し上げた所以は更に一の理由があつたのであります、即ち其頃紐育に於てはインターナショナル・コーポレーションと云ふものを造られて、此広大なる会社が東洋に、南米に事業を発展させようと云ふ経営であると承りました、果して然らば私の前に述べたる憂ひの点を此会社が惹起せぬとも限らぬ、其首脳に居られ殊に従来御親しみある、又世界の平和に深き趣味を有つて居らるゝ経済界の権威者たるヴアンダーリップ君に此説を呈するのは、私の最も愉快に感じたのであります、しかし唯だに一場の談話では其希望が完全に徹底致さなかつたやうに思ひました、殊に其際は亜米利加の新聞社会の人々は日本人が狡猾な口吻を以て、自分の微力を亜米利加の力に借りて、日本の言葉で申せば他人の牛蒡で法会をすると云ふが如き誹謗迄私は受けましたが、私はさういふやうな野心はなかつたのであります、其会見の時にヴアンダーリップ君に是非貴下は東洋の事情を視察して戴きたい、詳しく見て下さ
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つたならば此真実が分る、貴下の御胸に頷かれるであらうと思ひます、唯文書又は談話許りでは徹底的に貴下の御諒解を得難いと思はれると申し上げ、同君も期があつたら是非一覧したいと云うて御別れしました、其希望が今日に達したに依つて私は深く喜ぶのであります、それが大正四年のことで超えて大正五年にヂャッヂ・ゲリー君が日本に御越しになりました、是は支那の旅行を終つてから日本に御出でになつたので所謂東洋を概括的に御覧になつた、此御覧になつたゲリー君に対して私はヴアンダーリップ君に申上げたと同じやうな意味を御話をした、ゲリー君の其時の御答は、趣意に於ては同感であるけれども、その方法をどうするか具体的の意見聞きたいと云ふことでありました、私は元来政治家でありませぬから、従来の欧羅巴・亜米利加若くは日本の政治上に於ける支那との関係を詳かに知りませぬけれども、常識を以て考へますると政治家であつても実業家であつても善い事は善い、悪い事は悪い、他人の国を取らうと云ふやうな野心は宜くない、政治家が言うても左様である、実業家が言うても同様である、故に此見地から考へれば決して政治家でないと云うても意見が述べられないことはない、而して支那の財政を完全にするには是迄の有様ではとてもいけない、相当なる援助の方法を設けて、経済上、財政上助けを与へると同時に或部分に干渉する、さうして此財政を鞏固にさせなければ支那の国は財政上から破産に陥るであらう、又貨幣制度を改善しなければならぬ、今日の貨幣制度では永久的に困難して世界の人々が支那に行つて貿易するに頗る困難である、而して之を決行するには是非日本の先例に倣うて、完全なる政治上の力を加へた所の銀行の組織と兌換制度に拠る紙幣の発行が甚だ必要である、此銀行の組織、兌換制度、幣制の改善、此三つに力を尽すには財政の基礎を鞏固ならしめねばならぬ財政の基礎を鞏固にするには今日の場合英吉利・仏蘭西は兎も角も亜米利加と日本とは十分の力を入れ得るから日米協力して先づ政治に順序を立てゝ、其根本を定めたいのである、此根本さへ確定すれば他の小さい事は事毎に皆米日協同でなければならぬと云ふには及ばない、其事業の範囲に於て互に譲るべきは譲り、又協同すべきは協同する、特に鉄道の如きは成るべく協同する、斯くなつたならば支那に於て、日米両国が競争する事がなくなるから、必ず支那をして右を向いたり、左を向いたり、亜米利加人に御世辞を云うたり、日本人を嫌うたりするやうな間違ひはさせずに一定の行動を執らせ得るであらう、若し之に反して此方で手を引いて嬉しがらせ彼方で肱を引いて怒らせると云ふ如き、所謂左顧右眄の有様であつたら決して支那をして真直な途に進ましむることは出来ない、支那それ自身の心得違ひは已むを得ぬ事であるが、他の之に接触する国も共に心得違ひとなるのである、要するに狂者に倣ふ不狂者が同じく競奔する如きことは知識ある人の行動でないではないかとゲリー君に御話しました、ゲリー君は全然同意だと云はれた、日本に於ても他の宴席にて渋沢の説には全く賛同を表すると言はれましたが、帰米の後も公開の席若くは友人の寄合ひ等に於て其趣意を述べられたやう
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である、其後支那の政府が貨幣を改良したい、中央銀行を組織したいと云ふ所から日本の政府に相談があつたことを聞きましたから、私は至極宜からうと思うて其任に当る適材を得たいと希望致しました、此に列席される阪谷男爵は丁度支那政府で是等の関係を以て助力されたいと云ふ御話があつた趣きであつたが、同氏は其成功を懸念されて是は失敗に終りはせぬかと云ふ心配を以て、私とは厚い縁戚の間柄で其相談がありましたから、私は之に答へて一身の成敗は問ふ所でない、東洋の平和は是が確実に成立するにあると思ふからして、若し真に支那政府の依頼であるなら足下の身体を犠牲にして其任に当るは世界に尽す務めであらうと思ふ、蓋し個人としては甚だ困難である、成つて賞められず、破れて謗られる事業であるけれども、身を殺して仁を為すと云ふことはこゝらの辺を言ふのであるから、私は足下に其覚悟があるならば至極賛同する、親戚の間柄として遠方に行かれることは好まぬけれども国家の為めには代へられぬ、と慫慂して同氏が北京に参つたのは一昨年のことと記憶致します、併し其事を此間ヴアダーリップ君よりランシング氏が忘れたと云ふのは何事かと云ふ御尋がありましたが、機会があつたら詳しく申し上げようと思ひました故玆に併せて申添へます、斯る次第で阪谷男爵が支那政府の財政顧問になると云ふことは、亜米利加政府と日本政府との話合ひが付いた如くに聞きましたが、完全でなかつたと見えて、石井大使が華盛頓に於て国務卿ランシング氏と会談して至極同意したと云ふことが日本に伝つて居つたにも拘はらず、その後の話はランシング氏はさう云ふことを言うた覚えはないとか、或は忘れたとか云ふことがランシング氏の欧羅巴に行かれた後に電報で照会して分つたと云ふことを、私は公式には聞きませぬけれども噂に聞きまして、政治家と云ふものは左様に放慢なるものか、日本政府も亜米利加の政治家も余りに無責任だと思うたのであります、私は決してそれを憾みはしませぬが、しかし日米協力して支那を開発すると云ふことに頓挫を来たしたのでございます、但し是は阪谷男爵個人のことでございまして、果して同人が任じて尽力しても支那の幣制を改善し、支那の銀行を確立せしめ、支那の財政を鞏固にすることが容易に出来るものでございますかは問題でありまするが私が支那の財政経済に対して毎度申上し上げた如く、亜米利加と日本と一致して之を応援するにあらざれば、永久に完全たらしめることが出来ないと思ひます、ことが其緒にも就くことを得ないのを深く遺憾とするのであります、その後の有様は特筆すべきことはありませぬ、日本政府でも寺内内閣は唯だ支那から望んで来ると完全なる目的もなく、漫りに金を貸して権利を得ると云ふ政治上卑しむべき行動を執つたのであります、現今の政府は其主義を異にするやうであるけれども、他国の窮迫に対して借款を以て一時弥縫せしむるは真実を尽すのでない、却つて之を蠹毒するのであります、斯様な政治の仕方は私は我が政府の為したことでも甚だ遺憾に思つて居る幸に御列席の諸君が真に支那をして完全なる国たらしめたいと云ふならば、私は前に論じ来つた方法を執る外妙策は無からうと信ずる
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のでございます、私が日米の協力に依つて支那の財政経済を改良したいと云ふ趣意は大要上来陳情致した通りでございます、而して是れは私が真に世界を愛するの微衷から発するので、他に少しの野心も希望もないと云ふことを能く御諒察を請ひたいのであります。
キングスレイー君
 石井大使が帰国されたのは此れが為めで御座いましたらうか。
阪谷男爵
 本件に関しては語ることを好まないのであります。
ヴアンダーリップ君
 本件は秘密の事柄で御座いませうか。
金子子爵
 諸君が切りに此れを知り度いと云ふ御考でなければ、私も此処で之を語りたくはありません、事件は秘密の事柄で御座います。
ヴアンダーリップ君
 若し我が国民が過失に陥つたとすれば、其事実は事実として此れを彼等に知らすべきあると思ひます、尤も此れを日本人側より起つた不平として発表するのではありません。
金子子爵
 諸君は之をランシング君より直接に聞取らるゝならば其れまでゞあるが、私共の側より言ひ出さぬ方がよからうと思ひます。
ヴアンダーリップ君
 私は此秘密事件を周到な注意を以て処理するが故に説明を伺ひ度いものであります、我が国民は此れを知るべきであると思ひます。
シヤーマン博士
 私共は此秘密事件の出所に言及せずして事実其物を公表することが出来ると思ひます、又此事柄は聯合協議会の話題となつたが、日本の人々は此れに関して説明を与ふることを忌避されたと云ふことも出来ます。
ヴアンダーリップ君
 我が国務省が過失に陥つたとすれば国民は其過失の何事たるかを知るべき筈と考へます。
金子子爵
 私は此れに関して何も言はん方がよろしいと思ひます。
中島男爵
 日米両国の間に海底電線の布設を見ることは目下の急務であります若し此電線制度を今日の儘に捨て置きましたなら、吾々の文明や商業上又は経済上の活動は非常に阻害され、且つ渋滞を来すことになります、而して此問題の権威で居らるゝ内田嘉吉君は本件に関する日米両国協力問題に就て一再ならず渡米せられました、昨年本問題に関して五十名の委員が挙げられましたが、其内の十二人は実行委員で御座います、内田君は米国国務省の次官ロング君と交渉されましたが、何等具体的の決議に達しませんでした、然し将来有望である事丈けは確実で御座います、内田君が在京でありますれば無論本協議会に列席せらるゝ筈でしたが、唯今一種の使命を帯びて伊国に
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参つて居られます、同君は何れ米国を経由して帰国せらるゝことと思ひますから、其時は又本問題に就て其の人々と交渉なさるゝことと思ひます、私は諸君が帰国された後に、貴国に於て内田君に御会見なさるゝことを希望致します、どうしても日米両国は本問題に就て相提携せねばならないと存じます。
ヴアンダーリップ君
 私は帰国後内田君に御眼にかゝつて、是非本問題に就き協議致し度いと思ひます。
渋沢男爵
 更に今一案を私は玆に陳述することに致したうございます、それは海底電線の一事業でございますが、日米間の電報が戦争の頃から甚だ遅延致しまして、戦争以後も尚続いて甚だ通信の多いのと規模の小さいのと両者相背馳し、為めに益々遅延致します、一音信が十日も掛からなければ亜米利加と日本の間が通ぜぬと云ふ有様である、世の中の事物の益々増して来ること又其急激を求むる時勢に際して反比例に電信が左様に遅れると云ふことは、如何にも嘆はしいと云ふことは吾々実業界の人々も共に皆憂ひて居つたのでございます、丁度一昨年元逓信次官をされた内田嘉吉氏が、欧羅巴・亜米利加を旅行して此有様を見て帰られて、是非此海底電線の経営を日米間の協力に依つて成立せしめたならば宜からうと云ふ意見を私に申聞けられました、私はもう実業界を引きまして、自己の事業として資本に依つて利益を得ると云ふことを求めるのでございませぬけれども通信事業の世界の進歩若くは其他の社交上に甚だ必要と云ふことは申す迄もないことでございますから、殊に亜米利加関係のこと故に実業界を引退した私も、どうか此海底電線を両国の間の協同事業に依つて成立せしめたいと云ふことを希望致しまして、玆に日本の同志者を勧めて凡そ五十人有余の主唱の発起者を作りました、而して其間から十二名の委員が出来まして、其十二名の委員中に私も尚一人に加へられて、内田君など其一人として種々評議を致しました末我政府にも意見を尋ね、内田氏は昨年再び亜米利加に参つて此海底電線を両国の間に架設致したいと云ふことの交渉を致しました、国務省の第三課長のロングと云ふ御人と会見して一応の御話を致しましたが、此ロング氏は両方の間、即ち亜米利加と日本と相互的の主義に成立つことなら至極宜からうと自己は考へると云ふことを言はれたさうでございます、併しまだ確つかりとした運びは付き兼ねて内田氏は帰へられました、其後亜米利加で現在経営して居る会社若くは其他シヤートル方面からの説もある、二、三意見が玆に提供されて居る為めに、日本に於ても孰れが一番宜しいかと云ふことを攻究しつゝ居るのであります、唯其事に付て更に亜米利加と御協議を申上げたいと云ふ意向を有つて居る際に、此内田氏は他の政府の任を帯びまして、今伊太利に参られ、此用事は短い時間に済みますので大抵当年八月若くは九月頃に帰途亜米利加に参つて此事柄に付て更に米国の其筋の御人に、即ち今希望されて居る会社の人若くは亜米利加政府の御方其他の向きと成るべく交渉を致して、今の事業を
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一番宜い方法に依つて成立せしめたいと云ふことを心配して居らるる次第でございます、此事柄は若し幸に両国の政府が許して亜米利加と日本の資本が協同し得られて此事業が成立ちましたら、私は予て日米間の事業の出来得る程合に応じて協力の仕事の成立を求むる一人でございますから、斯の如き国際上大きな事業は至極結構な事と思つて其成立を頻りに希望致して居ります、幸に此処に御集りの亜米利加側の諸君は皆有力な御人で居らつしやる、此機会に此事を申上げて置き、内田氏が当年八月若くは九月頃亜米利加に参りましたら、吾々からも其事を内田氏に申通じます、同氏は必ず諸君に御目に掛つて或は其事に御関係の方もあるでありませう、又御関係なくても経済界に勢力のある御方でありますから、成るべく日米協同に係かる事業が成立つ事を希望して止まぬのでございます、故に玆に其事を申上げて置くのは日米の事業の成るべく協力を願ふと云ふ趣旨としても適当な順序と思ひます、殊に日米の事業の協力に付ては他にも私の如き資本の少い者でも、例へば朝鮮の鉱山に付て協同に仕事をして居ります、又此程紐育のジョージ・フーラー会社が亜米利加式の建築業を東京に開きたいと云うて、今其会社を東京に開いて居ります、斯かる仕事にも私は一部の仲間入をして居ります、皆総て是も両国の間に道理正しい仕事は両者相協同して進むやうにと希望するに外ならぬのであります、他の小さい事業も其通りでありますから、此海底電信の如き世界の重要なる通信に向つて、幸に是が両国の有志者の力に依つて成立するならば此上もなく喜ばしく感じますので、此行掛りを概略申しました、此の事に付ては委員中中島男爵は私より余程詳しく心得て居ります、尚ほ申し足らぬことは同氏からも御話を申上げるでありませう、又質問に対しては同氏が御答致しますからどうぞ左様御承知下さるやうに願ひます。
中島男爵
 日米両国の間に於ける事業提携は既に始まつて居ります、朝鮮には日米協同の鉱山事業が経営され、ニユーヨークの建築会社ジョージエー・フーラーは其支部を日本に設けて、日米両国人より成る株式会社を起して居るの類であります、唯今私は渋沢男爵に代りまして海底電信問題に関する記事を朗読致します。
  最近米日両国間に於ける電信往復数は著しく増加したるのみならず、世界大戦争の破裂後益々其の量を増し、其の結果米日両国間の電信は絶えざる遅延と種々なる故障を来し、米日両国政府並に国民に大なる不便と損失とを生ぜしむるに至れり、而も平和克復後此の状態は毫も改善せず、却つて益々渋滞を来し米日間の電信は今や十日乃至十四日を要するにあらざれば到達せず、商業上並に国交上甚大なる不便を被らしめつゝあり、前逓信次官内田嘉吉氏は其の第一回欧洲漫遊の際帰途米国を通過し、同国に於ける重なる実業家と会見して米日両国間に於ける此の電信の不完全なる状態に関して互に意見を交換し、米国に於ける代表的意見も亦太平洋に於ける海底電線増設の必要なるを認めつゝあるを知れり、玆に於て内田氏は帰朝後朝野の有力者と会して共同以て可及的短
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時日の間に、米日間電信事務の改善を計るの計画を主張せられ、吾人も亦内田氏と同じく米日両国間に於ける迅速にして且つ円滑なる電信事務は両国貿易上必要なるのみならず、米日両国国民の相互了解の手段、換言すれば両国民間に於ける誤解を避くるの手段として最も重要なるものなるを認め、且つ米日間の商業関係を改善するがためには現在の如き米日両国間の電信の輻輳を軽減するの必要あり、そが為め或種の計画を立て太平洋海底電線増設の急務なるを認めたり、之を以て千九百十五年五月渋沢男爵並に内田嘉吉氏の連名を以て、日本に於ける重なる実業家を招集し太平洋海底電線の増設並に有力なる無線電信の設備に関して協議会を開催せり、当時此の協議会に出席したる人々は悉く其の必要を認め、渋沢男爵・内田嘉吉氏を初め十二名の委員を選挙し、米日間電信に関する実際的計画を研究せしむることゝし、更に特別委員を設けて之に関する技術的方面を調査せしむることとせり、而して此の特別委員には逓信省、海軍省、帝国大学其の他民間の海底電信に関するオーソリテーを網羅したり、次で内田嘉吉氏は千九百十九年八月再び欧米視察の途に上られたるを以て、此の海底電線計画を速かに完成するがため米国に於ける官民の有力者と協議すべきを委任せり、内田氏は同年九月米国に於て同国国務省第三次官たるロング氏と会見し協議するに、此の海底電線のことを以てせられたるが、ロング氏は非公式的に米日間に於て互恵的の方法により此の計画を進むるに於ては、何等の反対なき旨を以て答へられたり、内田氏は此の互恵の原則を如何に実現すべきやに関して日本人側の意見を確むるの必要ありとし、ロング氏との会見は此の程度に止め帰朝せられたり。
  然るに時恰も内田氏の未だ帰朝せられざるに当りて、太平洋商業会社は我が逓信大臣にミッドウエーを経てサンフランシスコ東京間に直接海底電信を敷設するの許可を求め来れるあり、吾人は内田氏に対して米国政府に依りて従来提議せられつゝある現在のグアム線の増設と、シヤートル商業会議所に依りて提唱せらるゝアルジアン線と、太平洋商業会社に依りて申し出されたるミッドウエー線との比較研究をなす可きを求め、米国政府との交渉は内田氏が欧洲より帰朝の途次米国に立寄らるゝ予定なる九月迄延期せられんことを以てせり。
  云ふ迄もなく海底電信の事業たる、之に関係する米日両国間の完全なる了解と互恵的利益の原則を承認せる共同的精神に依らざれば到底満足なる解決は之を望むること能はざるなり、是を以て吾人は今や、ヴアンダーリップ氏一行の来朝せられたる此の好機会を利用し、一行の諸氏に本問題の過去の経過を報告して其の実情の諒解を求め、一日も速かに此の事業を成功せしむるが為め諸氏の同情と援助を求むるものなり。
クラーク君
 私の聞きまする所では電信の輻輳は欧洲戦争開始後に起つたことで其以前には斯ることが無かつたとのことで御座います、さて何故に
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此輻輳が起つたかと申しますれば、戦争前には五種の電線が使用されて居つたのに、唯今は唯一線となつて残りの四線は多少廃止の状態にあるからで御座います、而して使用中の一線と云ふのは、ハワイ、太平洋中部、グアム及ボニン島を経て日本に達するものであります、私は又一千九百十七年前迄は海底電線の能率が凡そ五割であつたと云ふ事を聞いて居ります、勿論露西亜、独逸及ペルシヤ経由と地中海経由との欧米間電線は戦争中停止されました、実は此海底電信問題は我が邦の上院の商業委員が周到な研究を遂げた問題で御座います、私の考としては新たに北部線を布設するよりも現に日米両国間に存在する太平洋線を複線にする事が良策であると思ひます費用の点に於ても海底電線に要する船は十万弗を要し北部線に於ては先づ此費用を掛けねばならず、複線にすれば此費用は省略されます、又仮りに北部線を布設するとしましても其修繕は極寒及濃霧等の為めに極めて困難で、従つて費用も多く掛ります、太平洋線にしましてもグアム及ボニン島等を経由せずに桑港より直接に日本へ引くといふ様なれば通信が一層便利になると思ひます、私は日本国内に電線上陸権を得る事は甚だ困難であるといふ様に聞いて居りますが如何でありますか、それから話が戻りますが、電報の延着の問題は戦争前までは日米間の電信往復は米国と他東洋諸国との往復よりは遥かに優良であつたのであります、唯今諸君の前に太平洋商業電信会社が過去十六年間に被つた故障を毎年の平均数として御示し申せば十四日半に過ぎないので御座いますと申上げたら、幾部分か其能率を御察し下さる事が出来やうかと思ひます、一年中に最も長い間の故障を蒙つたのは一千九百十七年で停止三十二日間に及びました、而して其故障の原因は合衆国の海軍省がグアム港に浮標を其処に維持する為めに一大錨を投じた為めでありました、私は左に一千九百六年より一千九百十九年間に起つた故障の統計を示して御覧に入れようと思ひます、最も之には些細の故障は含まれて居りません
    一千九百六年   十九時間   一度
    一千九百七年   三十二日間  同
    一千九百八年   二十日間   同
    一千九百九年   無故障
    一千九百十年   同
    一千九百十一年  二十五日間  一度
    一千九百十二年  三十三日間  二度
    一千九百十三年  六時間    一度
    一千九百十四年  無故障
    一千九百十五年  十五日間   一度
    一千九百十六年  無故障
    一千九百十七年  三十二日間  一度
    一千九百十八年  二十日間   一度
             十五日
    一千九百十九年  二十六日   三度
             二十七日間
 以上の故障中大部分はラゾン島の南方に位するサン・バナディー海峡で起つて居るさうであります、同海峡の海底は甚だ不良であると
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聞いて居ります、而して新電線布設に関しては吾々は政府に対して唯一般的の要求をなすばかりで、斯る事業は民業と致した方が遥かに優良であると思ひます、太平洋商業海底電信会社は一千九百二年より今日に至るまで料金を一語一弗十五仙から九十六仙に減じました、私は是非此問題に関して日本の政府当局者に協議を遂げ、米国の電線上陸権を得ること等の点に関して明瞭な理解を得て帰つて我が国の当路者と相談して見度いと思ひます。
金子子爵
 私は米国側委員に対して日米両国の海底電信問題は長い歴史を有つて居るものであることを申上げて置き度いのであります、私は一千八百八十九年我が政府の命を帯びまして西洋諸国の国会組織を研究する為めに欧米を漫遊し、翌年時の国務卿ブレーン氏と日米間の電信問題に関して懇談しました。
 ブレーン氏の案は合衆国、日本及ハワイが協同して此れを経営し其費用を負担するといふのであつて、其割当額は合衆国の五割、日本四割、ハワイ一割でありました、私が帰朝しましてブレーン氏の案を我が総理大臣に報告しましたが、我が政府の意向は貴国政府の案と相一致した次第でありました、斯る行掛りになつて居るのでありますから、内田君が米国を訪うて此問題を当路者に提出する時には諸君の後援を得て日米両国間に此事業を成立せしむる様御尽力願ひ度いものであります。
クラーク君
 私は政府が此問題を取り扱ふことは策の得たるものでないと思ひます、此種の事業は民間の経営に任ずべきものと思ひます、又我が政府が此事業に対して財政上の補助を与ふることも如何かと思ひます然し私共は出来る丈けの力を尽して本事業の成立を見度いと思ひますが、重要の点は日本国の領土内に米国の海底電線上陸権《ランヂングライツ》を獲得することが出来るかどうかといふ問題であります、私は此問題に関して日米両国間に満足な協定が出来ぬ筈は無いと思ひます、若し此上陸権を得ることが出来れば私は諸君に対して甚大なる便宜を計ることが出来ると思ひますが、実は私も此問題に就ては素人でありますから、此後大いに此方面に関する知識を得度いと思つて居ります。
金子子爵
 私は公式的に断言することは出来ませんが、私の意見としましては我が国内に上陸権を得ることに関しては我が政府は此れに反対はしまいと思ひます、唯今の処ではボニン島に上陸権が与へられてある筈でありますが、我が政府及国民は上陸権を附与することを寧ろ喜ぶことと思ひます、要するに私共は商業上尚ほ一層深く米国と親交を厚くしようと希望して居るのであります。
中島男爵
 私の承知して居る所では逓信省は海底電信の現状を改良する為めに調査を進めて居らるゝとのことであります、上陸権に就ても当局者の間に交渉が纏りまして、陸海の両省は交互的条件の下に上陸権を米国政府に許可するさうであります。
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渋沢男爵
 唯今提案になりました問題に付て段々に御説を伺ひまするのを喜びます、要するに此席で斯かる方法を定むることは出来まいと思ひます、内田氏は今海外に出て居りますが、是が亜米利加へ出ますのは必ず九月頃と考へます、内田氏は出発前に日本に於ける電信技術家若くは逓信省、海軍省などの意見を夫れぞれ徴して、さうして吾々の意見をも尚併せ徴して出掛けられました、右様な訳ですから同氏が九月頃亜米利加に入ります時に前以て吾々から通知を致します、其時にヴアンダーリップ君又クラーク君に是非御目に掛つて詳しい御話をしたならば、陸揚げの場所等に付ても同氏が吾々以上に詳しうござります、是等の事に付て能く申上げられるだらうと思ひます要するに私の希望は成るべく両国の事業が協同して成立つやうにと云ふことを今日陳情したのでございますが、其等の実地に付ては尚内田氏が彼方に参られた時分に、どうか此席の御方其他の御方々で充分御協議下さつて、吾々の希望が成るべく達せられんことを望み上げます。
阪谷男爵
 満蒙問題に関しては多くは申す必要が無いと思ひますが、唯一つ大切な問題があります、即ち若し露国政府(モスコーに於けるソヴィエット政府)が其満洲鉄道及其他の租借権を支那に還附するならば此等のものが将来如何に処置さるゝであらうかといふ問題であります、私は支那が皆此れを受くると思ひますが、さうなると此処に問題が起るのであります、勿論私一己の意見としましては若し支那が其譲り受けた鉄道や居留地などを能く保存し、維持して行く事が出来れば其れで宜ろしいと思ふのであります、而して是れは満洲に利害関係を有する他の国にも商業上一問題であると思ひます、実を言へば満洲鉄道を満足に擁護して其沿線地帯に安寧秩序を維持し得るものは日本の軍隊を措いて他に何者もないと思ひます、諸君も御承知でせうが現時に於ける支那の施政は甚だ乱脈で、支那の中心を去る遠き満蒙の施政は一層紊乱して居るのであります、私は実験上から申しますが満洲は決して支那人に因つて統御されて居りません、これを支配して居る者は馬賊であります、支那には元馬賊であつて今日高位高官を占めて居る輩があります、末輩の官吏に至りましては其数を知られざるほど多くあります、この事実は支那に於て決して珍らしいことではありません、陸軍の将校連も馬賊上りのものが多くあります、一人の馬賊が跋扈して政府が之を操縦することが出来なくなると彼を引上げるのでありまして、之が満洲の実情であります、日本の軍隊は此等の馬賊が加へんとする危害より鉄道を防禦せんとするので、時には鉄道の乗客を保護する為めに兵士を乗車せしむる必要もあるのであります、支那の政府が満洲に於て安寧秩序を維持し能はざる限り、日本の政府が此れに代つて保護の任に当らなければ、他の何れの国も軍隊を派遣してまで斯る難局に処することをしないと思ひます、日本は此鉄道線路に沿うて処々に守備の部隊を派遣して居ります、日本は軍隊を遠隔の土地に派遣することを
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好みませんのですが、線路又は内外国人の生命財産及貿易等を保護する為めに止むを得ず、サイベリヤ、満洲に軍隊を送つて居るのであります、私共は国際聯盟を信ずるものでありますけれども、此れが未だ充分に発展して居りませんから、国際問題を之に一任するわけには参りません、かくの如き大機関の有効なものとなりますまでは永い年月を待たねばなりません、それから話が少し変りますが、近頃日英同盟問題が大分世間の注意を引いて居ります、私は日英同盟の継続を希望する一人でありますが従来の儘では不満足でありますから、之を現時の形勢に順応するやうに改正し、サイベリヤ、満洲、蒙古、支那等に平和と法律及秩序等を維持せしめ得る手段とせねばなりません、合衆国は従来の国是として他国と同盟を結ぶことを致さないことは充分承知して居りますが、相成るべくは合衆国も日英同盟に加入して貰ひ度いものであります、サイベリヤ、満洲、蒙古、支那等の大陸に於て安寧秩序を維持することの必要は、日本国其れ自体の安寧秩序を維持する必要と同一であります、何故なれば此等の地方は日本国民に対して生活の原料を供給するばかりでなく、年に六七十万の増加率を以て膨脹し行く日本人を移住せしむる唯一の土地であるからであります、此等の広漠なる土地は外国の放資を待つて始めて開拓せらるべきものでありますから、私共は合衆国の放資を慫慂致します。
シヤーマン博士
 私は昨日井上君が御読みになつたステートメントに関し二つの質問を致したいと存じます、それは合衆国が日本の満蒙に関して有して居ります独特の地位を諒解し居るとの点に論及せる第六項と第七項との間に矛盾がある様に思はれるのであります。
井上君
 私は此等の二点に就て爰に公言するの自由を有つて居りません、此れは未だ公然発表せられない問題で御座いまして、米国政府に送附せる通牒の中に含まれて居るのであります、私が申上げ度い点は合衆国政府は日本が満洲に於て有する経済上の利権、例へば満洲及其他の事業等を毀損する如き事は無いといふことであります、鉄道の布設経営及所有権は支那人の手に帰し日本の銀行団は其資金を提供することになりました、蒙古鉄道の保留権は四国借款問題外に属します、之も所有権は支那人に属して日本政府は放資の衝に当る事になつて居ります、南満鉄道丈は日本の所有に帰して居りますが、其他は全部日本銀行団より資金の運用を仰ぐといふに過ぎぬのであります、南満に於ける鉄道保留権の多くは日本銀行団の放資に属し、蒙古鉄道は四国借款によりて放資せらるゝのであります、以上はラモント君と私共との間に於ける諒解で御座います。
タフト君
 阪谷男爵の御意見によりますると満蒙の状態は自ら自己を治むることが出来ない国家の状態であります、而して日本は国際聯盟に加入せられて居りますが合衆国は未だ加入して居りません、然るに国際聯盟の規約を見ますると或る国が微力であり或は文明の程度低きが
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為めに自主権を全うし得ざる場合は、其国に対して国際聯盟の評議委員会は監督国を指定すべきことになつて居ります、阪谷男爵の意見に従へば、満蒙の事情は此条項を適用せらるべきものと思はれます、又此見地より考へて見るならば満蒙に対して日本が施して居らるゝ政策は確に支那共和国の自主権を侵害するものと思ひます、諸君は支那共和国は自国の領地を治むることが出来ない為めに他国の力を借らねばなりませんと言はれますが、果して然らば日本は国際聯盟の加入者として此問題を監督国設置問題に移すべきものと思ひます。
添田博士
 斯る面倒なる問題を起させない為めに、米国が一日も早く国際聯盟に加入せらるゝことを望む次第であります。
タフト君
 当面の問題は少しく違ふと思ひます、勿論私は米国の加入を望む者の一人であります。
添田博士
 満蒙に関して日本政府の取つた方針は聊かも支那の自主権を侵害して居らぬと思ひます、日米政府の施設は一つとして予め支那の承諾を得ないものはありません、日本のなしました事は凡て合法的にして国際上正当なる方法に依つたのであります、今日に至るまで日本の行ひ来つた事は自衛の為め、並に東洋に於ける平和維持の為め止むを得ざる事のみでありたることを確信します。
目賀田男爵
 私は日本が決して支那の自主権を侵害したとは思ひません、日本の軍隊は団匪の乱時代から彼の地に駐屯して居るのであります。
阪谷男爵
 タフト君の議論は至極興味あるもので、尚ほ進んで討議すべきものであると思ひますから、仮令此聯合協議会が一旦閉会を告げましても、アヘン及モルヒネ問題と共に論究せられんことを希望します。
タフト君
 私は爰に一冊の印刷物を有つて居りますが、此れは朝鮮に於て日本人が朝鮮人及亜米利加人に対して振舞はれた残虐の行為を示したものであります、朝鮮問題に関する昨日の協議は専ら政治的方面に過ぎなかつたのでありますが、私は此方面の知識をも得たいと思ひます、此小冊子は私の知人に因つて投書された新聞記事の謄写であります、此知人はニューエル・マーチン君と申してエー・ピー・マーチン博士の令息であります、勿論マーチン君は支那で生れた人で自然親支的傾向を帯んで居りますが、此論文によると日本人は基督教徒を迫害した様に書いてあります、私は之を金子子爵の御手元に御廻し致します。
金子子爵
 朝鮮に於ける日本人の非行に関しましてはタフト君の言はるゝ事柄ばかりではありません、種々の過失に陥りました、しかし日本は大いに警醒して、斯くの如き過失を再び繰り返さぬやうに努めんとし
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て官民共に改善を計りつゝあります。
阪谷男爵
 諸君も御承知かと思ひますが、朝鮮には五百人程の宣教師が居りまして大多数は米国人であります、此等の人々は長い間朝鮮に伝道して居られ、朝鮮が日本に併合されない前から朝鮮に参つて居られたのであります、而して併合前に於ける朝鮮の統治は甚だ不完全なものであつたが為めに、宣教師達は朝鮮人に対して多大の勢力を有つて居りましたが、朝鮮に新政が布かれて諸般の事物が整頓して参るに従つて宣教師の勢力も自然衰へて参りました、此処に宣教師達と総督府の官吏達との間に疎隔を見る様になつたのであります、斯くして誤解が原因となりまして種々の面倒を見る様になりましたが、宣教師達は極めて少数者の外は善人であります、朝鮮人の宗教的訓練及教育を司り、慈善救済の事業を起して博愛の精神を実際に現しました、従つて人民も彼等を尊重し彼等に厚き信任を措きました、蓋し朝鮮の基督教徒は他の鮮人よりも進歩した考を持ち泰西の文明にも通じて居ります故に、政治上の困難や不平が先づ此辺より流れ出るのであります、又宣教師達と朝鮮の基督教徒との関係が非常に親密になつて居りまするから、巡査若くは探偵の側よりは黒白の区別をなすことが甚だ困難であつたのであります、之が為めに一部の宣教師は嫌疑を蒙るに至つた様なわけで、問題は全く政治的で、其間に基督教徒を迫害するといふが如き目的は寸毫も無かつたのであります。
ヴアンダーリツプ君
 私は是れより米国側委員より提出の覚書を朗読致します。
   一千九百二十年四月日米有志協議会米国側委員提出ノ覚書
 一千九百二十年ノ日米有志協議会ニ、日本側委員ノ招致ニ応ジテ本協議会ニ参加セル米国側委員ハ、本協議会ニ於テ日本側委員ガ終始隔意ナキ打明ケタル態度ヲ以テ論議セラレタル事ニ満足シ、会議中種々ノ問題ニ関シテ与ヘラレタル報道ニ対シ感謝スル事ヲ言明ス、米国側委員ハ合衆国ニ於ケル日本ノ移民問題ニ関シ並ニ山東・サイベリヤ・蒙古・満洲及ビ支那ニ於ケル日本ノ目的及ビ政策ニ就テ、米国人民ノ心中ニ起リタル如何ナル疑問ヲモ考究スルノ機会ヲ与ヘラレ、最モ充分ニ之ヲ受諾シタリ、而シテ右疑問ニ対シテハ腹蔵ナキ答弁ヲ得タリ。米国側委員ハ一ノ組織的団体ニアラズシテ同様ナル日本側委員ノ集団ト、非公式協議会ニ参加セル個人々ノ市民タルニ過ギズ、故ニ協議事項ニ就テ公式的結論若クハ或最終ノ判定ヲ下スコトハ適当ナルモノニアラズ、然シ乍ラ米国側委員ハ帰米後、機会到来スル毎ニ此協議会ニ依リテ到達シ得タル意見ヲ各自ニ公表セント欲ス、此等各自意見ノ公表ハ協議会ニ於テ論議セラレタル問題ニ就テ、日本側委員ノ与ヘラレタル事実ノ真相ヲ米国人間ニ表明スルニ有用ナリト思惟ス、右事実ノ多クハ今日マデ広ク知ラレズ、若クハ米国ノ公衆ニ向テ明瞭ニ表明セラレザリシモノナリ、米国側委員ハ斯ノ如クシテ此協議会ノ召集セラレタル目的ノ遂行、即チ両国間ニ於ケル国際関係ニ関スル事項ノヨリ善キ相互ノ諒解ニ貢献スル
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コトヲ得ベキヲ確信ス。
  The Americans who have participated in the unofficial conference of 1920 on American-Japanese affairs upon the invitation of the Japanese members of the conference, wish to express their satisfaction with the candor and frankness of the Japanese members throughout the discussions ; and their appreciation of the information which has been furnished during the several sessions. They were accorded opportunity, which they accepted in the fullest degree, of propounding any questions which have arisen in the minds of the American people with reference to Japanese immigration into the United States, and to the aims and policies of Japan in Shantung, Siberia, Mongolia, Korea, Manchuria and China, and these questions were answered without reservation.
  They are not an organized body, but merely individual citizens taking part in an informal conference with a similar group of Japanese citizens. It would not be fitting, therefore, for them to present any formulated conclusions or any final judgments with regard to the questions discussed. They desire to say, however, that they will, as occasion offers after their return to America, individually express the opinions which this conference has enabled them to reach. They hope that such expressions of individual opinion will be useful in presenting to their fellow countrymen the facts in regard to the questions discussed, as given them by Japanese members of the conference. Many of these facts have heretofore not been widely known or clearly expressed to the American public. They trust that this will contribute to the accomplishment of the purpose for which this conference has been called, namely, a better mutual understanding in respect of matters affecting the international relations between the two nations.
阪谷男爵
 私は日本側委員より提出の覚書を朗読致します。
   一千九百二十年四月日米有志協議会日本側委員提出ノ覚書
 一千九百二十年ノ日米有志協議会ニ於ケル日本側委員ハ、吾人ト共ニ此協議会ニ参加セル米国側委員ノ提出セラレタル覚書記載ノ旨意ニ対シテ、全会一致満足ノ意ヲ表ス。
 吾人日本側委員ハ米国側委員ガ虚心坦懐、以テ本協議会ニ現ハレタル諸問題ヲ討議セラレシコトヲ衷心ヨリ感謝スルモノナリ。
 吾人日本側委員ハ右覚書ノ精神ニ基キテ、吾人モ亦総テノ誤解ヲ一掃シ、両国間ニ於ケル従来ノ親交ヲ益々鞏固ナラシメン為メニ、最善ノ努力ヲ為スベキコトヲ敢テ言明ス。
  We the Japanese members of the conference wish unanimously to express our satisfaction with the sentiment stated
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in the memorandum presented by the Americans who participated in the conference with us.
  We also desire to express our fullest appreciation of the candor and frankness with which they presented their views as regards the various questions that came before our conference.
  We on our side wish to assure the American members that we too are determined to do our best in clearing up any misunderstandings and in cementing the cordinal relations already existing between our two nations in the spirit set forth in the American memorandum.
ヴアンダーリップ君(閉会の辞)
 閉会に際んで一言致しますが、自分としては此協議会中、両国側委員の間に終始した美はしい精神を衷心より喜ぶものであります、此点に関しては我が米国側委員全体の意見を代表し居ると云うても差支ひないと思ひます、私共は種々な疑問を抱いて貴地に参りましたが、此等の疑問に関して殆んど何等の光明も持つて居りませんでした、然るに私共の遠慮なき質問に対して、日本側委員諸君は腹蔵なき説明を与へて下さつた為めに、非常な満足を得ましたわけであります、勿論斯く申せばとて、過去に於ける日米両国民の関係は万事理想通りに行はれたと云ふのでは御座いません、諸君も御自覚なされて居るやうに日米関係に就ては双方に過失がありました、人間は過失をなし易いものであります、殊に日米両国間には地理上の隔離と云ひ、言語の相違と云ひ、動もすれば相互の間に謬伝誤解を生ぜしむるやうな事情が多々存在して居るのであります、要は私共が斯る境遇の下に国家をなして居る間にも、尚ほ正義人道に基きて両国の間に親交を維持し度いと云ふ熱誠を抱いて居るべき筈であると云ふ点に懸ることと思ひます。
 私共米国側委員は日本側委員諸君の説明や演説を聞いて深き感激を覚えたのであります、渋沢男爵の嘆美すべき精神は全協議会の空気を作りました、東京商業会議所会頭藤山氏の雄弁は大に私共を啓発して下さいました、阪谷男爵の御意見は有益なる参考資料となり、目賀田男爵の周到なる説明は等しく有益であり、その他添田博士並に他の委員諸氏の提出提出せられたる意見及資料は私共に取つて貴重なる材料となつたのであります、私共が国に帰りました暁には、我が国人に対して成る程日本国民は過失に陥つたこともあり、其れに対する我が米国人の批評も免れ難いことではあつたが、兎に角日本国民は高尚なる精神を抱いて居る、而して万事を正義人道に基いて処理して以て世界の文明に貢献しようとして居ることは決して疑ふ余地はないと云ふことを、機会ある度毎に発表しようと思ふ覚悟を懐いて居るのであります。
   ○右ヴァンダーリップノ閉会ノ辞ハ左ノ紙上ニ掲ゲラレタリ。
    The Japan Advertiser, May 4, 1920.
金子子爵(閉会の辞)
 本協議会の終りに臨んで私はヴアンダーリップ君及諸名士御一行に
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対し衷心より感謝致します、諸君は本国に於て諸君の尽力を必要とする国務に忙殺せらるる折柄なるにも拘らず、日米間の関係を擾乱しつゝある幾多の問題を協議する為め態々御来朝になつたのであります、諸君は決して御自身の利益の為めに御出になつた訳ではない日米両国の国際案件を処理すべく、正義と人道の高尚な理想に感激して御出になつたのであります。
 両国民の誤解は国際紛擾の母であります、故に国際事件に何等かの誤解があるならば極力之を除去することを努むることは愛国心ある人の義務であります、之は特に之に関聯して支那や西伯利の事件を考察する場合にさうであります、支那や西伯利の政府や国民に法律や秩序を確立すること、又は政治や経済の国家的制度を回復し組織することを注告し説伏するに先立ちて、先決問題として日米間の誤解を一掃しなければなりません。
 私は従来多くの国際協議会に列りましたが、本協議会で実見したやうな事実の赤裸々なる陳述や意見の腹蔵なき開陳を見たことはありません、明快と率直は国際的困難の封鎖を破る唯一の鍵であります本協議会は其非公式なるに拘らず、将来必ず国際事件の要所に打込まれた楔と考へらるべく、之によりて目下両国間に存在する一切の誤解は雲散霧消すべく、多年の懸案たる移民問題及米国在留日本人の状態に関する問題を解決し、両国民の親善友交を永遠に確立し、宣伝者流や悪戯者流が到底之を攪乱し得ざる良好状態に至らしむるものであるに相違ありません。
 日米の幸福なる関係を維持すべき我々の義務に於て、極東の平和を保証すべき我々の責任に於て、若し我々日米両国民が協力すれば必らず成功す、若し之に反して紛争すれば必らず失敗するのであります。
渋沢男爵(閉会の辞)
 亜米利加と日本との有志者の協議会が、凡そ一週間に亘り玆に満足の結了を見まして双方の決議文が出来ました、此会議の顛末に付ては両議長即ちヴアンダーリップ君及金子子爵から充分に御述べになりましたから私は簡単に一言の謝詞を述ぶるに止めます、抑も此会を起すに至りましたのは私の主唱で御座いまして、始め堀越氏に託してヴアンダーリップ君に書を呈し、同君の御賛成を得ました事が即ち本会の原因となりましたのでありますから、私に於ては斯る結果を得ましたことを別して深く喜ぶので御座います、此会議の効果に対しましては、只今ヴアンダーリップ君及金子子爵の御演説が御座いましたから重複を避けまして、私は更に希望致し度い事は、どうぞ亜米利加及日本の一般の国民が吾々と同じ様なる感情を起される様に致したいと云ふ事であります、幸に両国民が同様なる感情を以て情誼を厚うして参りましたならば、政治家も同じ観念を有する様になる、此に於て国際上の情誼も完全になると思ふので御座います、斯く致したいのが私の終生の希望であるから、此機会に於て御同様は益々協力して以て世界の人民をして道理正しい平和と秩序ある進歩を致させたいと希望して止まぬので御座います、本協議会に
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於て両議長を始め亜米利加側及日本側の此会議に列席なされた諸君は、実に衷心から腹蔵なき御意見を御披瀝になつて種々御協議下さつたことは私は涙を以て感謝の意を表します、又堀越善重郎氏が私共の意を受けて渡米致しまして以来、実に赤誠を尽して奔走せられ遂にヴアンダーリップ君一行を御誘引下されたのは決して忘れてはならぬことで御座います、此機会に於て特に同氏に厚く謝さねばならぬと思ふのであります、一言を述べて終結の辞と致します。
ヴアンダーリップ君
 私は閉会に臨みまして第一に日本帝国の天皇陛下、日本帝国、日本帝国臣民諸君、並に日本の老偉人にして世界の一市民たる渋沢男爵我が聯合協議会議長たる金子子爵及最後に日米有志聯合協議会委員諸君一同の為めに乾盃を動議いたします。
阪谷男爵
 私は聯合協議会中忠実に其任務を果されたる両名誉書記長の為めに乾盃を動議いたします。
金子子爵
 私は米国側委員の為めに乾盃を動議致します。
渋沢男爵
 私は玆に米国大統領の御健康を祝し上げます、且つ玆に御尊来を辱う致しました皆様の御健康を祝します。
渋沢男爵
 私は米国側委員諸君を御案内して最初より今回の聯合協議会の為めに尽力せられし、堀越君の為めに乾盃を動議致します。


中外商業新報 第一二二四七号大正九年四月二七日 ○協議会 日米両委員(第一日会合)(DK350058k-0002)
第35巻 p.431 ページ画像

中外商業新報 第一二二四七号大正九年四月二七日
    ○協議会
      日米両委員
       (第一日会合)
今回来朝せるヴアンダーリップ氏其他米国諸名士及我国実業界を代表する諸名士一団となり、両国間に交渉を有する重大問題に付き相互の諒解を得て其円満なる解決を遂げ、彼我両国民の福祉を増進すると共に進んで世界人類に貢献せんとする企てあり、米国側及日本側より委員を選任し右諸問題を審議するに決定せること既記の如くなるが、二十六日午前十時米国側委員としてはヴアンダーリップ氏外十二名、日本側よりは堀越善重郎・梶原仲治・団琢磨・頭本元貞・串田万蔵・近藤廉平男・目賀田種太郎男・藤山雷太・早川千吉郎・大谷嘉兵衛・金子堅太郎子・添田寿一・中島久万吉男・阪谷芳郎男・渋沢栄一男の各委員諸氏銀行集会所に会合し、今後の協議事項に関して打合す所ありしが、当日は日米代表者より協議会参加の理由に関する打解けたる談話をなし、次いで今後の協議事項及其協議事項に対する具体案の作成方法等に関する協議をなし、午後零時半散会せり、因に協議事項の範囲は山東問題・西比利亜問題・満蒙問題等極東に於ける重大問題に対して両国民の誤解を一掃し、其決議は非公式のものなるも可成両国政府に実行を勉めしむる筈なり
 - 第35巻 p.432 -ページ画像 

中外商業新報 第一二二四八号大正九年四月二八日 ○協議会 日米両委員(第二日会合)(DK350058k-0003)
第35巻 p.432 ページ画像

中外商業新報 第一二二四八号大正九年四月二八日
    ○協議会
      日米両委員
       (第二日会合)
日米経済上の重要問題を審議する為め今後引続き会合の予定なる日米協議会は、二十七日午前九時より銀行集会所に開催し、米国側よりヴンダーリツプ氏外十二名、日本側より渋沢男其他の委員諸氏出席し、前会に於て決定したる方針に基き協議事項に関する意見の交換をなし相互に其諒解を得たる所少からずと


中外商業新報 第一二二四九号大正九年四月二九日 ○協議会 日米両委員(第三日会合)(DK350058k-0004)
第35巻 p.432 ページ画像

中外商業新報 第一二二四九号大正九年四月二九日
    ○協議会
      日米両委員
        (第三日会合)
日米協議委員諸氏は二十八日午前十時より銀行集会所に会合し、引続き日米関係重要問題の審議をなし、当日は山東問題に付て互に意見を交換し正午散解せり


中外商業新報 第一二二五〇号大正九年四月三〇日 ○協議会 日米両委員(第四日会合)(DK350058k-0005)
第35巻 p.432 ページ画像

中外商業新報 第一二二五〇号大正九年四月三〇日
    ○協議会
      日米両委員
       (第四日会合)
日米協議会は廿九日午前十時より銀行集会所に開催せるが、当日の出席者は米国全部、日本側は渋沢男爵・金子子爵・阪谷男爵・目賀田男爵・井上・藤山・中島男爵・添田博士・串田・早川・頭本・大谷・堀越諸氏の出席あり、井上日銀総裁の借款団に関する説明あり、次いで前日に引続き目賀田男・タフト氏・渋沢男・阪谷男・藤山氏等の山東問題の起源沿革、現状に関する説明並に之に関する意見の交換あり、日米両国側共に忌憚なく論議し、米国側に於ては日本側の説明意見に大なる満足を表せりと


中外商業新報 第一二二五一号大正九年五月一日 ○協議会 日米両委員(第五日会合)(DK350058k-0006)
第35巻 p.432 ページ画像

中外商業新報 第一二二五一号大正九年五月一日
    ○協議会
      日米両委員
       (第五日会合)
日米協議会は前日に引続き三十日午前十時より銀行集会所に開会し、米国側はシヤーマン氏を除く外全部出席、日本側は渋沢男・金子子・阪谷男・目賀田男・井上・藤山・近藤男・中島男・添田・串田・早川頭本・大谷・堀越諸氏出席し、目賀田男爵・頭本氏及阪谷男爵等の西比利亜問題に付き意見の交換あり、朝鮮問題に関しては阪谷男・金子子・渋沢男の諸氏明細なる説明を与へ米国側も非常に満足せり


中外商業新報 第一二二五一号大正九年五月一日 日米協議進捗 米国側我提案を容る(DK350058k-0007)
第35巻 p.432-433 ページ画像

中外商業新報 第一二二五一号大正九年五月一日
 - 第35巻 p.433 -ページ画像 
    ○日米協議進捗
      米国側我提案を容る
来朝中なる米国実業家ヴアンダーリップ氏一行十二名と日本側実業家との間に協議中なる日米関係委員会は、四月二十六日開会し会を重ねること五回にて両国提案大体の協議は終了したるも、五月一日
△最後会議 に於て形式的に全部を一括したる上之を確定する都合なるが、其協議経過の内容は厳秘に付しあれば容易に窺知し得ざるも、確聞する処によれば米国側委員は支那朝野の排日宣伝及び猶ほ米国に現存せる一派の排日運動の結果等の関係にて帝国に対し釈然たらざるものあるを看取したれば、我委員は其主要点たる対支政策就中青島問題、新借款団に伴ふ満蒙除外問題より進んで現時の西比利亜問題に至る迄委曲説明し、帝国の態度の常に
△公明正大 にして何等領土的野心等あるなきを力説したるが為め、米国委員も其全く誤解に出でしものなるを感得し、玆に諒解する処ありたれば進んで逐条協議事項の審議に移りたるが、米国上院の媾和条約問題、青島・加州問題等当面の問題より将来の日米間の経済的聯絡日米共同の対支借款等協議事項は各方面に亘れるが如く、而して協議の結果は至極良好にて、大体に於て帝国委員の提案を採用したる模様にて、只其経過及び決定の内容は米国側委員の希望によりて、米国委員の帰米後日を改め日米両国同時に之を発表するに決したりと云ふ


中外商業新報 第一二二五二号大正九年五月二日 ○協議会 日米両委員(第六日会合)(DK350058k-0008)
第35巻 p.433 ページ画像

中外商業新報 第一二二五二号大正九年五月二日
    ○協議会
      日米両委員
       (第六日会合)
日米協議会は一日も前回に引続き銀行集会所に開会し、当日の出席者は米国側全部出席、日本側は渋沢男・金子子・阪谷男・目賀田男、井上・藤山・近藤男、中島男、添田・串田・早川・大谷・梶原・堀越諸氏にして、先づ渋沢男支那開発及海底電信問題を論じ、クラーク氏は海底電信に関する意見を発表し、続いて阪谷男の南満蒙古問題に関する意見あり、之に対して米国側委員より質問ありて諒解を得たり、最後に両国側委員よりの決議文朗読、両議長及渋沢男の閉会に関する挨拶ありて、両国の主権者、両国、両国民及両国有志議員等の為め乾杯をなし、且つ阪谷男は商業会議所・銀行倶楽部の両名誉書記長、通訳其他今回の会議に関して陰に陽に尽力せられし諸君に感謝すべしとの動議を起し、渋沢男は堀越善重郎氏のヴアンダーリツプ氏一行を案内して今日あらしめし功を多とすると述べ、之に対する堀越氏の挨拶ありて、一週間に渉る会合は最も満足なる結了を告げたり


東京日日新聞 第一五六四七号大正九年五月二日 日米協定成る 両国同時に発表されん(DK350058k-0009)
第35巻 p.433-434 ページ画像

東京日日新聞 第一五六四七号大正九年五月二日
    日米協定成る
      両国同時に発表されん
来朝中の米国実業家ヴアンダーリツプ、キングスレー、タフトの三氏は同一行を代表して卅日午後五時十五分永田町首相官邸に原首相を訪
 - 第35巻 p.434 -ページ画像 
問し、会談一時間にして同六時十五分辞去せり、会談の内容は、廿八日原首相主催の一行招待会に対する謝辞に次ぎ、ヴ氏より其来朝の結果種々対日誤解を一掃し得たるを悦ぶ旨を述べ、一行来朝の最大使命たる日米実業家の提携殊に対支投資に関する日米提携に関し、過般来彼我実業家協議の結果円満なる協定成立し、卅日該協定の案文を作成し、五月一日最後の協議会を開きて確定の手筈となれるに付、ヴ氏より右協定の案文を原首相に示し両者間に種々意見の交換ありたるが、原首相は右協定に頗る満足の意を表せりと云へり、尚日米協定の内容は米人側の希望により、追つて期を定めて日米両国より同時に発表する筈なりと
   ○右ニハ日米協定トアレドモ個人的ノ日米協議会ナリ。従ツテ決議ナク単ニ覚書ヲ発セルニ過ギス。


東京日日新聞 第一五六四八号大正九年五月三日 日米協議終了(DK350058k-0010)
第35巻 p.434 ページ画像

東京日日新聞 第一五六四八号大正九年五月三日
    日米協議終了
去る廿五日以来連続開会せる日米有志協議会は、一日午前九時より前日に引続き銀行集会所に於て最終会議を開き、各関係者出席、渋沢男より支那開発及海底電信問題並にクラーク氏より同じく海底電信に関し各意見を開陳し、次で阪谷男より南満及蒙古問題に関する意見を述べ、之に対し米国側委員より質問ありて了解を得、最後に両国委員より決議文の朗読あり、畢つて両議長及渋沢男の閉会の辞あり、正午散会したるが、斯くして過去一週間に亘りし該協議会は両国の関係に対し最も満足なる解決を告げたり


中外商業新報 第一二二六四号大正九年五月一四日 ○日米親善覚書 両国有志協議委員交換(DK350058k-0011)
第35巻 p.434 ページ画像

中外商業新報 第一二二六四号大正九年五月一四日
    ○日米親善覚書
      両国有志協議委員交換
四月二十六日より五月一日迄六日間、東京銀行集会所に於て開かれたる日米有志協議会は、移民問題・山東問題・支那借款問題・シベリヤ問題・朝鮮問題・満蒙問題・日米共同事業問題・日米間海底電信問題等に就き、協議したるは既報の如くなるが、是等問題に関し、日米両国委員は左の如き覚書を交換し、十三日々米両国同時に発表せられたり。
○下略


竜門雑誌 第三八四号・第四九―五〇頁大正九年五月 ○日米協議会(DK350058k-0012)
第35巻 p.434-435 ページ画像

竜門雑誌 第三八四号・第四九―五〇頁大正九年五月
○日米協議会 前掲プログラムの通り、四月二十六日より五月一日迄連日午前中東京銀行集会所に日本側としては青淵先生其他十数名、米国側としてはヴアンダーリツプ氏外十二名の委員集合し、相互に隔意なき意見の交換を為したる結果、彼我委員とも満足なる諒解を得、本月一日正午を以て協議会を終了したる由なるが、大体(一)加州移民問題に就いては来る十月の議会に於て排日一派の最後の圧迫計画に対し日米両国委員間に於て予め充分なる対策を決定(二)対支借款問題に就ては満蒙除外は加入外国と吾国との立場の自ら異れる関係上、従
 - 第35巻 p.435 -ページ画像 
来日本は極力之を主張したるが、之は加入国の諒解さへ充分なれば、必ずしも主張の貫徹を期すと云ふにも非ず、此点は米国側委員も十分満足なる諒解を得たるものゝ如く、(三)西伯利、(四)朝鮮問題も従来屡々両国間に誤解を来したるが、是亦今回相互に氷釈する所あり、尚最後の議案たる(五)海底電信問題は、人文の発達せる今日、日米両国間に於て尚十日の日子を要するが如きは、不便不利の極と言はざる可らず、本問題に関しては従来屡々電信会社の腹案を蔵しつゝありしが、米国側委員クラーク氏の如きは、米国重要電信会社に関係せる専門家にして、此等専門家の意見あり、結局資本金五・六千万円を以て一大会社を設立する要あり、未だ調査足らざるも、多分之が実現を見るならん、尚過般ゼノア海員労働会議に出発せる内田嘉吉氏、同会議終了後直に渡米し、之が調査研究に尽力し帰朝の筈の由にして、結局左記覚書を交換したりと云ふ
    日本側委員提出○前掲ニツキ略ス
    米国側委員提出○前掲ニツキ略ス


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年(DK350058k-0013)
第35巻 p.435 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年
                     (阪谷子爵家所蔵)
    六、二 原首相晩餐、米賓懽迎会協議員招待、種々意見交換アリ


中外商業新報 第一二九〇六号大正一一年二月一五日 米国に使して (三) 子爵渋沢栄一氏談(DK350058k-0014)
第35巻 p.435-436 ページ画像

中外商業新報 第一二九〇六号大正一一年二月一五日
    米国に使して (三)
                  子爵渋沢栄一氏談
 嫌はれ者真平
日米関係委員会等が出来て、西部方面の具合は良くなつたに反し、東部紐育方面の日本に対する人気が、大分悪くなつて来た、殊に亜米利加は欧羅巴戦争の為に国は非常に富み、其富んだ力は必然外に向つて発展しやうとするのに、徒に日本を誤解し悪感情を持つと云ふ事になると、勢ひ支那に於て日本と衝突するやうになるのは当然である、其処で私は日米協力、支那開発と云ふことを第一の問題として、東部に於て極力之を説き、バンダーリツプ氏等を動かさうと思つたが、却々動かない、中に甚だしいのになると、斯う云ふことを東部米人は云つて居る「貴君(渋沢子を指す)の云ふ処は至極尤もである、決して悪いとは云はぬけれども、今支那に於て日本は非常に嫌はれて居る、亜米利加は夫と反対に好かれて居るのである、好かれて居る者が嫌はれて居る者を道連れにして行けば同じやうに扱はれて、好かれて居る者は結局馬鹿を見る、だからどうせ行く位なら米人丈けで行く方が好いと云ふ風に我々の仲間が云ふたなら、貴君は何と答へられるか」といふことを云ふ
 薬は飴と違ふ
其処で私は「然し好かれて居る者が果して何時迄好かれると思ふか、亜米利加が支那から永久に好かれる何等かの事情があるか、日本が永久に嫌はれる理由があると私は思はぬ、詰り日本人は支那に薬を飲ま
 - 第35巻 p.436 -ページ画像 
せるから嫌はれるので亜米利加は飴を嘗めさせて居るから喜ばれて居るのである、亜米利加とても何時迄飴を嘗めさせても居られまい、軈ては薬を呉れなければならぬであらうが其薬を飲ませる時は日本と同様に嫌はれるのである」と答へた、开んな有様で東部の人気は却々容易に緩和することが出来なかつた、其内に戦争も済んで在郷軍人が亜米利加の各地に帰つた、所が是等の帰省した人々が労働党等と相連絡して盛に日本人排斥の声を高めた、之が為に折角大正四年頃には形勢好転したと思はれし加州人の日本人に対する人気が七・八年頃から又復悪くなり掛つたので、亜米利加の日米関係委員会の連中も非常に心配して一昨々年にアレキサンダー氏とかリンチ氏などが遣つて来て呉れ何とか防禦策を講じやうと云ふので、協議の結果大正九年三月に日米両国委員の協議会が開かれることになつたのである


中外商業新報 第一二九〇七号大正一一年二月一六日 米国に使して (四) 子爵渋沢栄一氏談(DK350058k-0015)
第35巻 p.436-437 ページ画像

中外商業新報 第一二九〇七号大正一一年二月一六日
    米国に使して (四)
                  子爵渋沢栄一氏談
 ゲリーを説く
米日関係委員会側の観測によれば、今年(大正九年)辺りはことに依ると烈しい排日問題が加州に起るかも知れぬから予め是に対する防禦策を講じて置かう、夫に就いては西部の人許りでは不可ぬから東部紐育方面の人々も招かうと云ふので、ヂアツヂー・ゲリー氏やヴアンダーリツプ氏等の有力者にも是非日本に来て呉れるやうにと御招きしたので、東西両方面の有力者が来て呉れ会は三月に開いて四月の初めに亜米利加の人々は帰られたのである、ヂアツヂー・ゲリーと云ふ方は元裁判官であつたが後実業界に入り、今では鋼鉄王と云はれる程有力な地位に居られる七十位の老齢者である、氏は大正五年に日本に来られたことがあるが、其際も種々と排日問題のことに就いて意見を闘はしたが、其時私は此問題の解決策としては支那の経済状態を根本から改善するより他にないのであるから、一つ夫を亜米利加と日本とが力を入れてやらうぢやないか、夫には我々民間の努力丈けでは力が足りないので国家が相当に力を入れて貰はなければならぬ、私は日本の政府を説くことが出来ると思ふから貴方は米国政府を説いて貰ひたい、若しさう云ふことで日米両国が協調することが出来れば非常な幸福だと思ふと云ふて力説した
 太平洋会議
ゲリー氏も大に同意であると云ふので帰国されてから布哇・紐育・市俄古・聖路易・費府等で其趣意の下に力を入れて演説した、开んな縁故があつたから一昨年の協議会の時も桑港の連中を招待すると同時に東部の方からヂアツヂー・ゲリー氏、ヴアンダーリツプ氏、都合によつたらどちらかの一人でもと思つて堀越善重郎さんが使者として出向いた、所が西部の方は前の約束があるので直接来て呉れたが、東部はゲリー氏が来ないでヴアンダーリツプ氏が団長格で来て呉れたのである、会は三月四日《(及四月に)》から双方一週間宛東京に於て開催し主に移民問題に就いて協議した、云はゞ我々の小さい範囲の太平洋会議で、如何にし
 - 第35巻 p.437 -ページ画像 
たら好いかと云ふことを七・八ケ条に分けて意見を闘はしたのである中には却々議論があつて金子堅太郎さんの如きは終には机を叩いて論じ合つた程であつたが、其結果は余程好い感情を与へて、ヘンリー・タフト氏やストレート氏《(ストリート)》などは此会合に関して感想意見を書いて出版した、ヴアンダーリツプ氏は筆も達者であるが当時出版はせなかつた但し其代り大阪に行つて演説した、其処へ行くと日本人の多くのやうなものではなく、欧米人は口も八丁手も八丁で、我々は誠に顔色がない。
 二丁位は利く
日本人は喋舌る者は喋舌る許り、仕事をする者は唖か聾で仕事をする許りで筆は立たない、喋舌ることも出来ない、日本人は云はゞ片輪である、私等は多少口も手も八丁とは云へぬけれど二丁位は利く積りである、今日世の中に立つには怎うしても口も八丁手も八丁でなければ不可ぬ、开んな按排で加州問題は両国の政府で特別委員を選ばせて其委員が十分に協議して事態を詳にして、其結果得た案を両国政府で採用して或は条約にするか、或は特殊の協約にするか、そう云ふこと迄は極らなかつたが兎に角問題の解決を期した、又支那に対しては私は何処迄も日米協力と云ふことを眼目にして、互に相侵し相競ふことは止めようと云ふことに相談が纏まつたので、私共は直に其事を政府に申出した、所が日本の政府は採用しさうであつたが米国の政府が首を捻つた、夫は此方に来て呉れた人々は共和党の連中で時の政府は民主党であつた関係から、或は其趣旨が徹底し兼ねたやうであつた、又其人々はデモクラツト派に依つて仕事をさせられるのは嫌だと云ふ感じもあつたらしき事情もあり、随つて委員会組織の協議は整つたが、さて愈々実行することは多少の問題あつた様子である
   ○アメリカ側委員ノ帰国後ヴァンダーリップ其他ニヨリ発表セラレタル意見ノ数種ヲ左ニ掲グ。



〔参考〕中外商業新報 第一二二六九号大正九年五月一九日 ○対支援助と列国の協調 ヴ氏の意見(DK350058k-0016)
第35巻 p.437-438 ページ画像

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〔参考〕東京朝日新聞 第一二一九八号大正九年六月二日 日本の為に弁ず 三十一日合同通信社発 ヴアンダーリツプ氏帰来(DK350058k-0017)
第35巻 p.438-439 ページ画像

東京朝日新聞 第一二一九八号大正九年六月二日
 - 第35巻 p.439 -ページ画像 
    日本の為に弁ず              三十一日合同通信社発
      ヴアンダーリツプ氏帰来
東洋汽船コレア丸はラモント、ヴアンダーリツプ氏一行を載せ桑港に帰着せり、ヴアンダーリツプ氏曰く「陸軍計画と相伴うて日本に於て発達せるは民主主義にて、近時著るしく増長しつゝあり、斯かる傾向は東洋に於ける数百万衆に対して平和が多大の幸福なることを予示するものなり、日本は米国との友誼を維持せんことを希望し何処に於ても戦争を欲せず、移民問題に関しては米国に対する日本の態度は米国の方針と撞着せず、日本は山東に於て二十平方里以外に在る政治的支配権を放棄するの意あり、日本は戦争の念なく其の国費は唯国防の為めにのみ費すのみ」と、ラモント氏は曰く「差当り大規模なる公債を起す計画無し、借款問題に関して最も重要なる発展は日本が右支那借款団に加入せることなり、而も支那の南北が有効に融和する迄は借款団は大規模に其の行動を発揮する能はず、支那の最大且緊要なる需要の一は広東より漢口に至る鉄道を有効にし、支那の南北間に於ける交通を便にし、其の結果南北の親密と友誼を齎すに在り」と



〔参考〕横浜貿易新報 第六九一六号大正九年六月三日 米賓日本観察(DK350058k-0018)
第35巻 p.439 ページ画像

横浜貿易新報 第六九一六号大正九年六月三日
    ○米賓日本観察
ヴアンダーリツプ氏の視察談としてホノルル英字新聞に掲載せられたる処に拠れば、日本刻下の問題は如何にして其の人民に日々の糧を供せんかにあり、之が為め日本は何れかの方面にか其の活路を開かざる可らず、日本は泰西の理想に合致せんと努め居るも、経済政策と衝突せば之を放棄せざるべからざる立場にあり、日本は米国の移民禁止に憤慨するものにあらずして差別的州法の制定に反対するものなり、移民問題は凡て両国中央政府の協議に任せ円満解決を見るに至るべし、日本の実業家・政治家及一般人民は平和を愛し衝突の虞ある領土拡張に反対なり、極東問題は世界的問題なるを以て米国も之が解決に干与せざる可らざるも、之に対し海軍拡張よりも寧ろ同情ある了解と観察とを有する国務省を要す云々、氏は又白人商業会議所の午餐会に於て氏の一行が日本実業家と諸般の問題に付隔意なき意見を交換し効果ありしこと及日本の現状等を述べたる上、更に当地実業家がホノルル商業会議所を通じ日本実業家を布哇に招き日米問題協議会を開催せば双方の利益なるべき旨述ぶる所あり



〔参考〕中外商業新報 第一二二八九号大正九年六月八日 ○ヴ氏親日演説 米政治家に警告(DK350058k-0019)
第35巻 p.439-440 ページ画像

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〔参考〕竜門雑誌 第三八六号・第四二頁大正九年七月 ○シヤーマン博士の日本観(DK350058k-0020)
第35巻 p.440 ページ画像

竜門雑誌 第三八六号・第四二頁大正九年七月
○シヤーマン博士の日本観 過般ヴアンダーリツプ氏一行に加はりて来朝せしコーネル大学総長シヤーマン博士は帰国後左の如き観察談をなせる趣、六月十二日の東京朝日新聞は報ぜり。
 日本は今後二十年の後には世界に於て最も民主的なる国の一に至るべしと信ず、日本は今より五十年程前迄は世界より隔絶して隠遁的状態にありき、而して当時日本の先覚者は軍閥派にして戦争によりて日本に権力を賦与せり、故に彼等が人民の上に勢力を有するも宜なり、されど今は主として実業家及び大学生等より成る新自由派あり、彼等は日本が東洋の普魯亜なりとの非難を深く憤慨す、旧軍閥と新興の自由派との間に一大争闘あり、予は之を以て日本に於ける最も興味ある形勢と観察せり、日本は支那に山東還附の好意を有し屡々支那と交渉を開始せんと努めたるも、支那は国際的聯盟によりて之を解決せんとして日本の交渉を拒絶せり、独逸は同地方を九十九箇年の租借権を得たり、故に日本は其の残りの期間之を保持するの正当なる権利を有す、満洲に於ては日本人が開発せる鉄道に沿うて単に経済上の権利を要求するのみなり、日本人とても山東・満洲及び西伯利に彼等の利益を永久に保持せんとするに対しては、世界の感情は之に反対するものなる事を自覚し居るものと信ず、日本の過去の歴史は孤立的のものなりき、然れ共其の将来は経済的のものたるべく、同国の大実業家の殆んど大部分は自由派の人なり、而かも日本は進んで前途の問題に当りつゝあれば、以上の諸地方に対する政策も永久的に決定するに至るならん、目下の施政は一時的のものなり云々(九日紐育発)
 尚七月十六日の東京日々新聞は十四日発紐育電報として同氏の談を掲載せり、曰く
 日本は将来、恐らく英国に類似せる政府を有し、世界に於ける偉大なる国家の一と成るに至るべし、日本は亜細亜に何等の野心を有せず、而して吾米国人の友誼を疎んじる必要なし、そは吾人の支那に与ふべき如何なる援助も、日本に対して良き影響を与ふべければなりと

 - 第35巻 p.441 -ページ画像 


〔参考〕東京朝日新聞 第一二二三〇号大正九年七月四日 タフト氏山東評論 支那側不利(DK350058k-0021)
第35巻 p.441 ページ画像

東京朝日新聞 第一二二三〇号大正九年七月四日
    タフト氏山東評論
      支那側不利
ヘンリー・タフト氏は六月二十八日ニユーヨーク・タイムスに寄書し山東問題を詳述し、歴史的に研究せば日本は或る方面に於て一時は山東の主権領有を夢想せる事ありしが如きも、本問題に対する日本の態度に終始一貫の方針無かりし、証拠としては往年日本が支那に過大の要求を提出し之を緩和せるの事実を指摘する事を得べしとし、次に客年八月の外相の声明及び原首相の声明を引き、更に今回発表の日支往復文を引用して、本件
 解決の遅延 せる理由が一に支那政府の各問題処理に関する能力無きに起因する事を述べ、仮令日本に於て圧迫を加へて支那に不利なる条約を締結せしめたるにもせよ、最近公表せられたる事実に依つて是を見れば、少くも支那は本件の善後策に付交渉せんとする日本の提議を拒むに於て弁解の辞無かるべし、日本は屡次山東省の政治上の権利を掌握するの意志無き事を声明したるも、幾多米人の疑惑は未だ全然緩和するに至らず、支那贔屓論者は日本が膠済鉄道に対する監督権を利用し
 漸次政治上 の支配権を収むるに至るべきを推論し居れり、現在には膠洲湾のみならず鉄道沿線一帯は日本軍隊の治下にあり、秩序維持の必要が如何なる程度迄軍事占領継続の理由となるかは恐らく証明に困難なるべしと雖も、日本は安寧維持の保証せらるゝを俟ち直に其の一軍隊を撤退すべしと声明し、又既に鉄道の協同経営に関しても之を提議する所ありたるに拘らず、支那側は数箇月の後漸く回答を送り而も其の趣旨は結局交渉の延期を求めたるに過ぎずして
支那の真意 何れにありやは之を了解する事難し、日本外務省の発表に依れば「日本は本問題に関し根本的協定を遂げ」云々とあり、其の意恐らく一九一五年及び一九一八年の日支条約に依らん事を指すもなるべし、今回日本政府は本件交渉の成行を公表し之を世界列国の前に提示したるに対し、支那に於て日本に反対する主張を明かにせんが為めには又別に其の主張を公表する事を要すべく、目下支那の態度は甚だ明瞭を欠くものと言はざるべからず云々(其筋着電)



〔参考〕時事新報 第一三二八二号大正九年七月一八日 日米関係討論 外交関係会議(DK350058k-0022)
第35巻 p.441-442 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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〔参考〕AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. p.197. Nov., 1937.(DK350058k-0023)
第35巻 p.442-443 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT
SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA p. 197 Nov., 1937
          CHAPTER X
      INTERNATIONAL ACTIVITIES
  ………………
  There was a businessman in New York whose name should not be omitted in connection with this trip of the Viscount. He was Mr. Frank A. Vanderlip, the Vice-President of the National City Bank. A few days after the Viscount paid his respects to the chief executive of the great Republic ― namely on the 25th of June, 1902, Mr. Vanderlip called on the Viscount in one of the hotels in New York. In those days Mr. Vanderlip was making himself famous as the author of the book entitled "The American Commercial Invasion of Europe." This was translated into Japanese and the Viscount wrote an introduction to it. It so happened that the Viscount was reading the manuscript when Mr. Vanderlip called on him in the said hotel. The two men could have hardly dreamed then that this interview would form the occasion which caused Mr. Vanderlip to organize a Vanderlip party, eighteen years later in 1920, for visiting Japan to hold
 - 第35巻 p.443 -ページ画像 
 a conference with the Viscount and his colleagues ― a conference which greatly contributed to the promotion of neighborly feelings between the two countries. If such a book as might be called The History of People's Diplomacy between Japan and America is to be written, this conference should certainly receive due recognition in that book.



〔参考〕AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA. pp.311-317. Nov., 1937.(DK350058k-0024)
第35巻 p.443-445 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT
SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA pp. 311-317 Nov., 1937
          CHAPTER XIII
     IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
………………
         JULIAN STREET
                January 4, 1937
Dear Mr. Obata :
  I thank you most heartily for your invitation to contribute something to your forthcoming book, "An Interpretation of the Life of Viscount E. Shibusawa," and yet, when I face the problem of expressing something of the feelings that I had about the late Viscount, I find myself in difficulties. For to speak in praise of such a man seems an audacity.
  It has been my privilege to meet many of the great men of the past thirty-five or forty years in my own and other countries, and this has perhaps engendered in me some understanding of the marks of greatness.
  Of all the great men it has been my privilege to know the two who seem to me to have surpassed all others are Viscount E. Shibusawa and Theodore Roosevelt, former President of the United States. Dissimilar in many ways, these two nevertheless had certain qualities in common. Both were remarkable for their clearness of thought, their prevision, their realistic view of life and events, the simplicity and directness with which they met all problems, and their steadfastness of purpose.
  To have experienced the same transitions that Viscount Shibusawa experienced, a man of the Occident must have lived five or six hundred years, for the Viscount's life encompassed everything from the feudal period of Japan to the modern period. Having seen so much, no wonder he was wise ! The wonder is that any man ― or nation ― was able in a time so short to make so vast a readjustment.
  In appearance Viscount Shibusawa suggested to me nothing so much as a Japanese portrait of the traditional figure of John Bull ; and just as John Bull is supposed to represent the sterling qualities on which the British nation justly prides itself, so the
 - 第35巻 p.444 -ページ画像 
 figure of Viscount Shibusawa represented in my eyes the sterling qualities of the Japanese race at its best.
  His charities, his generosities, were unnumbered. He was in the finest sense of the term a democratic gentleman. In the building up of modern Japan he played an important part, and his sense of world affairs was stupendous.
  One of the great desires of his life was to improve relations between Japan and the United States. I have heard him tell how, as a youth, he saw Commodore Perry's ships anchored off the Japanese coast, and how he then flamed with hatred for the intruding foreigners. But later he came to believe that the breaking down of Japanese isolation was a good, or at least an inevitable thing, and no one saw more clearly than he the absolute necessity of friendly understanding between the two great nations facing the Pacific Ocean.
  Born of a modest family he rose through his own ability to a position of greatness, and his greatness was of a kind that far transcends mere economic success, or titles of nobility. His greatness was of the spirit. He was the sort of nobleman who is a noble man ― a sort such as the Creator seldom makes. His greatness was not restricted by a narrow nationalism, Japanese patriot though he was. It was of benefit to the entire world, and I am sure that countless others, from all parts of the world revere his memory as I do, and will continue to revere it while they live.
          Always sincerely yours,
               (Signed) Julian Street

           HENRY W. TAFT
Dear Mr. Obata :
  I received your letter of December 5th, and I very gladly respond to your request that I make a brief statement concerning Viscount E. Shibusawa.
  I first met Viscount Shibusawa over fifteen years ago, on the occasion of my visit to Japan as a member of a party headed by Mr. Vanderlip. Our visit was at the invitation of the Welcome Association, of which Viscount Shibusawa was then the head. The Viscount's chief interest then and during the remaining years of his life, was to cultivate friendly relations between Japan and the United States. He contributed much to achieve that result, for he was so earnest and disinterested that his influence was potent in both countries. At an advanced age he several times visited the United States and made many sincere friends in this country. I hope that the effect of the
 - 第35巻 p.445 -ページ画像 
 Viscount's zealous efforts will continue and that there may be in this country many who will cooperate with representative men of Japan in seeking to advance the cause of international friendship.
           Very sincerely yours,
               (Signed) Henry W. Taft
  …………
       FRANK A. VANDERLIP
   RECOLLECTIONS OF VISCOUNT SHIBUSAWA
        FOR MR. OBATA
  I think of Viscount Shibusawa as a typical good citizen, and in thinking that I do not regard him as peculiarly a good Japanese citizen but rather an example of the type of citizenship which the whole world needs. Indeed, his breadth of comprehension, his sympathies and his desires for mutual understanding between alien peoples was such that he might well be described as a good citizen of the world.
  I had the privilege of many conversations with him. There was the dfficulty of being obliged to have these conversations carried on through an interpreter, but they were numerous enough for me to get, I felt, a pretty clear picture of his aspirations for better understanding between countries and their people. His views were never tinged by narrow nationalism, but had a breadth which always gave to me an added breadth of view. He had begun his travels early in life and kept them up almost to the end of his remarkable career.
  His life covered almost the same range in world affairs. Japan has by no means been alone in coming to the realization that all the lives of all people are interwoven with the welfare of other people.
  I think Viscount Shibusawa saw this truth vividly and that this insight led him away from a strictly nationalistic view and toward a view in which international fairness was predominant. I felt that he saw that immediate national wellbeing should not alone be the aspiration even of an intense national patriot ; that a reputation for all around fairness was as essential to a nation as to an individual ; and indeed that the welfare of one's own country is related to the welfare of other countries.
             (Signed) F. A. Vanderlip



〔参考〕竜門雑誌 第五一九号・第三一―三二頁昭和六年一二月 常識の大人格者青淵先生 藤山雷太(DK350058k-0025)
第35巻 p.445-446 ページ画像

竜門雑誌 第五一九号・第三一―三二頁昭和六年一二月
    常識の大人格者青淵先生 藤山雷太
○上略
 - 第35巻 p.446 -ページ画像 
 私は大正十二年亜米利加に参りまして、当時御承知の紐青のバンダーリツプ君と一夕色々の話をしました。其時、日本の人は誰が一番偉いかと君は考へるかと申しました所が、バンダーリツプ君は言下にそれは渋沢子爵であると申しました。そこで其通りだ、私も青淵先生の門下生としてさう考へるのであるが、君はどう云ふ訳でさう云ふことを感得したかと云ふことを尋ねました。所が彼曰く、私は独逸と日本と戦を交へて青島を日本兵が奪つた。其時の世界の輿論は、日本は奪つた以上は支那に返すものではない、あれは日本が返すと云つて居るけれども、戦定つて平和になつても返す気遣はない。日本は侵略国である。そんなことをする筈がない。と云ふのが亜米利加の大体の輿論であつた。そこで私――バンダーリツプが言ふのに、私は日本の友達である。日本人好きである。日本の同情者である。そこで是は渋沢子爵にお尋ねをしなけれなばらないと思うて、渋沢子爵にお尋ねした所が、渋沢子爵は曰く、戦争治つて平和になつたらば返すのだ、何故返すかと云ふと、日本人は嘘を言はない。一度言つたことは必ず実行する。日本国民は嘘を言ふ国民でないと云ふことは君達も記憶しておかなければならぬ、必ず他日返す、と云ふことを渋沢子爵から聞いた。そこで私は大に喜び、私の友達が言ふからには確かだ、世間では日本はそんなことをしない、奪つて返す気遣はないと云ふて居たのを、私は大言壮語して、断然そんなことはないぞ、私の友達日本の渋沢さんがあれは返すと言はれるのであるから返すに違ひないのだ、斯う云うて威張つて居つた。それは難しいぞと云うて居つたのに、他日――私が向ふへ行つた数日前のことでありませう、青島を返した。其時の私の喜び――即ちバンダーリツプ君の喜びは、一方ならず、渋沢子爵の言はれたやうに日本は嘘吐ではない。嘘の国民ではない。渋沢先生の言はれる通り返つたぢやないかと言うて威張ることが出来た。さう云ふことを以て渋沢子爵の偉いと言ふことの証言と致して居ります。私は感じました。渋沢先生の一言一句と云ふものは、世界を動かして居る、誠に偉いものである。何処の国でも偉い人はありますが、其一言が世界の国民よりあの人が言つたから確かだと云ふ信念を受ける人がありますか、それで私は此点に於て非常に感動したのでありますが、これは渋沢子爵の徳望が啻に内のみではなく、世界の信望を繋いで居つたのである。○下略



〔参考〕竜門雑誌 第三五三号・第六八頁大正六年一〇月 ○米国気質と其代表的人物 青淵先生(DK350058k-0026)
第35巻 p.446-447 ページ画像

竜門雑誌 第三五三号・第六八頁大正六年一〇月
    ○米国気質と其代表的人物 青淵先生
 本篇は七月十日及八月十日発行の雑誌「実業公論」誌上に掲載せられたる青淵先生の談話なりとす(編者識)
○中略
      △スチルマン氏の後継者ワンデリツプ氏
 人物としては、最初に話したナシヨナル・シチー・バンクのスチルマン氏の後継になつた現総裁ワンデリツプ氏の事に就てお話しすれば氏は以前大蔵次官の官職にあつたもので、三十五年スチルマン氏の手引にて銀行に入り、現時は此銀行の主脳である。穏健なる性質で、学
 - 第35巻 p.447 -ページ画像 
問もあり、実業界に立つても迂遠なる議論をしない。此人は学者から実業界に入つた人で、前に挙げたワナメーカー氏の如き、ハインツ氏の如きが、実業家から学問的の人物になつたのと反対である。
○下略



〔参考〕実業之世界 第一八巻・第一二号大正一〇年一二月 米国大実業家の印象(承前) 子爵渋沢栄一(DK350058k-0027)
第35巻 p.447 ページ画像

実業之世界 第一八巻・第一二号大正一〇年一二月
    米国大実業家の印象(承前) 子爵渋沢栄一
○上略
 尚ほ昨年の春来朝された米国実業団の人々は何れも相当の地位声望を有する人であつて、一行のヴアンダーリツプ氏は前にも述べた通り新聞記者出身で、後官吏となつて大蔵次官まで出世し、其後ナシヨナル・スチー・バンクの首脳シチルマン氏に見出されて其副総理になり今は独立して世界的大業業家として知られてゐる人である。ライマンチーブ氏《(ライマンゲージ)》はヴアンダーリツプ氏の先輩であり、キングスレー氏は、保険事業家として知られ、タフト氏は有名な法律家であり、シヤールマン氏は現に駐支公使になつてゐる人で、其外の人々も皆相当アメリカに在つて活動しつゝあるが、之れは何れも我国に来朝したのであるから、玆には此人々に就ては多く語る必要はなからう。
○下略



〔参考〕実業之日本 第三一巻・第一九号昭和三年一〇月 渋沢子爵米寿記念座談会(DK350058k-0028)
第35巻 p.447-448 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕如水会々報 第一二四号・第一〇二―一〇三頁昭和九年三月 座談会 青淵先生を偲ぶ夕(DK350058k-0029)
第35巻 p.448-449 ページ画像

如水会々報 第一二四号・第一〇二―一〇三頁昭和九年三月
 座談会
    青淵先生を偲ぶ夕
              昭和九年二月十三日、於如水会館
      出席者
         渋沢敬三氏      石井健吾氏
         成瀬隆蔵氏      幸田成友氏
         藤村義苗氏      尾高豊作氏
         江口定条氏      金井滋直氏
        ○
     理事長 江口定条氏 同    武井大助氏
    常務理事 田尻常雄氏 同    煙谷忠氏
    同    横山兼吉氏 講演委員 猪谷善一氏
○上略
渋沢子爵
○中略
 只今石井頭取から祖父の電話についての御話がございましたが私も五六回電話で話したことがありましたが、ひよつと思ひ起した。是は今迄忘れて居りましたのを御話に依つて想ひ起したので申上げるのであります。それは大正八年日米問題《(九)》の盛んな時に御承知の通りアメリカのヴアンダーリツプ氏が団長となつてイーストマン氏、ライマン・ゲージ氏、キングスレー氏などが日本に参りました。私まだ学生でありましたが、私の只今住んで居ります三田の家を開けて、それを一行中の団長たるヴアンダーリツプ氏夫妻及びその御嬢さんとマツキンレー時代の大蔵大臣ライマン・ゲージ氏等の宿舎に充てゝ勝手に使つて貰ふことになりました、私は其のマネージヤーをした事があります。直接お客様にはあまり関係致しませんでしたが、裏に居りまして、御泊りになつた方々に対して、色々と祖父の命を受けて御もてなしをしたのであります。丁度其の御客様の御出になる前の朝、色々準備をして居りますと電話が掛りまして出て見ると祖父であります。何を言ふのかと思ひました所が、二・三外の用事を申しました後に、驚いたのは「便所に紙があるだらうね」と云ふのであります。幸ひ何れも用意してありましたが、随分細かい事に気が付くものだと思つて実は其時驚いたのであります。細かい話ですが只今の御話から思出しましたま
 - 第35巻 p.449 -ページ画像 
ま一寸申上げて置きます。
○下略