デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.227-236(DK370053k) ページ画像

昭和3年12月1日(1928年)

是日、当協会第六十五回談話会、丸ノ内中央亭ニ開カル。栄一出席シテ、ソヴェト聯邦駐箚特命全権大使田中都吉ノ講話ヲ聴ク。


■資料

集会日時通知表 昭和三年(DK370053k-0001)
第37巻 p.227 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月一日 土 午後二時 国際聯盟協会談話会(同会)


国際メール 第二三号・第二三丁一九二八年一一月二五日 本会談話会(DK370053k-0002)
第37巻 p.227 ページ画像

国際メール 第二三号・第二三丁一九二八年一一月二五日
(謄写版)
    ○本会談話会
 来る十二月一日午後二時より、本会集会室に於て第六十五回談話会開催、駐露大使田中都吉氏の「ソヴエツト現勢」なる講話を聴くを得べし


国際知識 第九巻第二号・第一一九頁昭和四年二月 本協会ニユース(十二月中)(DK370053k-0003)
第37巻 p.227 ページ画像

国際知識 第九巻第二号・第一一九頁昭和四年二月
    本協会ニユース(十二月中)
一日 △第六十五回談話会を中央亭に開催し、田中駐露大使の「ソビエツト聯邦の内状」と題する興味ある講演あり。


国際知識 第九巻第二号・第七―一九頁昭和四年二月 ソビエツト聯邦の内状 駐露大使 田中都吉(DK370053k-0004)
第37巻 p.227-236 ページ画像

国際知識 第九巻第二号・第七―一九頁昭和四年二月
    ソビエツト聯邦の内状
                駐露大使 田中都吉
      露西亜の対聯盟関係
 露西亜は初めから全然聯盟には参加して居ない。聯盟は所謂資本主義国の結合で、自国を敵視してゐるものであるといふやうな考や、又は聯盟といふものは要するに、英吉利の傀儡であるといふやうな考を初めはもつてゐたが、今日の露西亜は、多少聯盟に対して同情を持つて来るやうになつた。聯盟の事業に対しては成るべく差支のない限り参加をするといふ態度をとつて来た。是は無論聯盟の効果が世の中に段々に知れ渡つて来て、露西亜と雖もそれに対して、国を塞いでゐることが出来ないといふ事情もあらうが、或る穿つた人は露西亜が資本家国と手を握る方法として聯盟に入つた。さうしてゼネバに会合してそこで以て各国の代表者と会ひ、それに依つて資本家国に接近する機会を作り得るために入るのだといふ人もある。要するに聯盟の趣意にはまだ賛成したとは言へぬが、聯盟の事業といふものに対しては参加せんとしつゝある。私はその参加の範囲が今後漸次加はつて来るだらうと思ふ。
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      露西亜の外交関係
 今露西亜を承認してゐる国は、日本、支那、アフガニスタン、波斯土耳古、フインランド、ラトビヤ、エストニヤ、リスアニヤ、諾威、瑞典、丁抹、独逸、波蘭、墺太利、希臘、伊太利、仏蘭西で、チエツコスロバツクは承認は与へて居らぬが、事実上承認したのと同様の態度をとつて居る。欧羅巴に於て承認を与へて居ない国の主なるものは西班牙、白耳義、和蘭、ユーゴースラブ、ルーマニヤ、ハンガリ、アルバニヤである。又英国は一旦承認して之を取消して国交断絶の状態にある。南北亜米利加で承認した国は、メキシコ及びウルゲー国で、その他はまだ労農露国とは関係を結んで居らない。日本はまだ独立国として認めて居らないが、露西亜の方から言へば独立国と認めて居る国で、露西亜を承認してゐる国に蒙古とウランハイ(是は蒙古の更に西にあつて、露西亜と支那の国境にある)とがある。故にモスコーに駐在してゐる外国代表者は約二十ケ国近くある。
 支那との関係に於ては、是は今甚だ変態を呈してゐて、北京にも或は南京にも露西亜の代表者は一人もゐない。然るに露西亜には支那の大使館がある。今は大使は居らないで代理大使が居り同じく大使館として待遇を受けて居る。それから支那の領事館は露西亜の各地方にあり、露西亜の領事館は支那の或る地方にはまだ存して居る。斯う云ふ訳で妙な状態になつて居るが、之に就て露西亜人は、支那との国交は何等断絶したのではない、唯一時都合に依り代表者を撤退したるに過ぎない、是は何時でも送ることが出来るのであつて、何等国交断絶でないといふことを言つて居るが、支那の方の代表者が現にモスコーに居つて仕事をやつてゐる所を見ると、是はさうだらうと考へる。
 今承認して居ない国で、露西亜が最も承認を熱望してゐるのは、いふまでもなく亜米利加である。亜米利加の承認に一番障害をなして居る問題は、露西亜が国際義務を認めない。換言すれば公債を放棄したこと、外国人の財産を没収してそれを還附しないこと、更に主義の宣伝をすることである。是に対してまだ具体的発展はしないが、露西亜の考では亜米利加と近付かうとしつゝあることは注目すべき事実である。即ち宣伝のことは先づ暫く別とし、その以外に於て外国人の持つてゐた財産で、没収したものを還附或は賠償せよといふ問題に付ては露西亜は相当考慮を払ふ積りで居るらしいのである。他国との関係もあるからそれを無条件には承認しないと思ふが、実質上亜米利加が或る程度の満足を得られるだけの解決をしたいといふ考へがあるらしく考へる。公債の破棄に到ては露西亜は、ツアールの時代の政府が結んだ借款契約といふものは、是はどうしても償却する訳に行かぬ。併し後の公債は必ずしも認めないといふ訳ではないといふやうなことを、この頃持論として居る。即ち亜米利加の持つてゐる露西亜に対する債権はケレンスキー政府時代のものであるが、ケレンスキーの政府は今の政府とは違ふが今の政府の前身或は多少親類関係のあるものであるその点までは認めやうといふ風に傾いて来てゐる。その全額は認めた所で三億円位だらうといふことである。認めるといふことは、何年かに亘つてそれを償却する義務を認めるといふ考で、さうなれば亜米利
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加との接近は或は出来はしないか、唯困る問題は宣伝の問題で、之に対して露西亜が亜米利加に相当な保障を出し、さうして此問題が解決されるといふと、或は亜米利加と露西亜の関係が、非常に変つて来はしないかと思ふがまだなかなか近付きさうにも考へられない。然しフーバー氏が大統領に就任した後に於ても、その変化が急にあらうとは思へぬが何等か脈絡が通じかゝつてゐるといふ機運があるのである。是は露西亜の側から見たのであるから、亜米利加の側からどう見るかそれは判らぬ。若し亜米利加と露西亜の間が何等か関係つくことになると、是はもう米露関係のみならず、延いては世界的に非常に重大な結果が来るだらうと思ふ。亜米利加が露西亜に対して相当の関係を結び、亜米利加の資本が露西亜に入ることになると、是は単り露西亜の産業経済の上に影響するのみならず、露西亜の思想にも影響しはしないか、その影響たるや良い影響を来しはしないかと思ふのである。亜米利加と露西亜の接近を我々は必ずしも心配する必要はない、むしろ之を歓迎すべきものと考へるのである。
 英吉利に対しては一旦断交したが、商売は今に行はれてゐる。断交といふことが必しも商売に影響しない。さうして露西亜としては英吉利ともう一遍よりを戻さうといふ考らしい。現に軍縮の会議の際に露西亜の代表リトビノフと、英吉利の代表チエンバレンとが会見した事実を見ても、露西亜と英吉利とは何等かの意味に於て、接近せんとしつゝあるといふことが分るのである。そこで世界の二大強国である英吉利と亜米利加の関係が、改善されるといふことになれば、亜米利加と露西亜との状態が改善され、英吉利が加はれば更に大きな影響が来るのであつて、我々は此問題に付ては大いに注意すべきであらうと思ふ。併しどうしてもその関係がつきさうでつかない、最も重大なる原因は宣伝といふ問題に在るのである。この問題に付き、私が先般英吉利に行つた時に、英吉利の考をそれとなくきいて見た所が、英吉利としては必ずしも露西亜の宣伝を、非常に恐れてゐるといふのではないやうで、露西亜が如何に宣伝しやうとも、英吉利といふやうな国は、決してそれが為に何等害毒は受けないのである。英吉利の国民は思想上、非常に健全であるから、さういふやうなことがあつても、恐しくないと考へてゐるけれども、併し何分うるさい、恰度蝿がとまつたやうなものである。蝿が十匹・二十匹とまつてゐるから、それが為に呼吸が止まるとか、生命に危険があるといふことはないが、併し何分うるさいので御免を蒙る、といふのが根本の考のやうに見える。亜米利加の方も或はさういふ考ではないかと思ふ。宣伝禁止といふ問題がなまじかの禁止程度では、所謂一匹の蝿でもうるさくてたまらないので是はなかなか解決がうるさい問題であると思ふ。
 仏蘭西との関係は仏蘭西にも宣伝の問題もあるけれども、もう一つ大きな問題は債権の回収と、自分の国の没収された財産の返還賠償といふ問題が少くとも宣伝同様に重要視されてゐるのである。先般英吉利が露西亜と断交した際、露仏関係も悪化し、遂に駐仏露西亜の大使は更任の余儀なきに至つたことがあるが、その当時又仏蘭西と露西亜も、英吉利と同様に断交するのではないかといふやうな説もあつたが
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併しさういふ風な密接な関係が処理されずに残つて居つたといふことが、断交せられなかつた原因であらうと思ふ。宣伝に就ては英吉利と見方が違つて単に蝿がたかつてゐるといふことでなく、露西亜に対して仏蘭西が色々金を送つてるとか、軍隊に対して宣伝をするとか、さういふやうな具体的な問題が大分あつて、その問題の為には寧ろお互に国交を継続して居、さうして之を漸次に処理解決して行つた方が宜いといふ考だと見える。兎に角英吉利と仏蘭西とは宣伝に対する考を異にしてゐるのである。
 露西亜の外交の話の序に一言したいのは、露西亜は革命以来亜細亜土耳古を含んだ以東の国に対して、非常な親善を標榜し昔の侵略的のことは一切やらぬといふ建前をとつてゐることである。それで表面上土耳古、波斯、アフガニスタンといふやうな国とは、昔よりも余程関係が安定して、両方とも此頃では安心してゐる状態だと言つて然るべきだらうと思ふ。
      露国の国内状態
 十二年前の十一月七日に、今の労農政権が樹立され、此政権は共産党といふ党派が握つてゐたが、当時の共産党といふものは、僅か党員二万で、あの大きな露西亜を遂に支配したのである。露西亜はもと貴族・大地主といふものが支配してゐたのであるが、その数は約一万二千である。是が支配することが出来るならば、二万の共産党員が之を支配し得ない理屈はないといふ考でレニンが始めたのである。そして唱へて居つた所のマルクス主義共産主義を行はむとしたのである。是は日本で唱道される如く徹底的に行はれたといふことは一遍もない。併ながら初めに行つたことは、先づ第一働かざる者は食ふべからず、又生産の手段は総て生産に従事する者に返せといふやうな標語を設けて、その標語に従つて土地・森林・鉱山・工場・鉄道・汽船、総て生産手段としてゐるものは、之を生産する労働者の手に移さなければならぬといふので、その労働者を代表してゐる国家が取上げたのであるが、全然私有財産を隈なく取上げたのではなく例へば一万円以下の銀行預金、人口一万以下の村の家屋はそのまま存して置いたのである。人口一万以上の都市と雖も小さな家屋は取上げなかつたのである。そして労働者の賃銀を切符に依つて仕払ふ、切符に依つて食料幾らといふことにして、食料の切符を出し、それで支払ふといふことにしたのである。それから農家の方は自分の作つたものの中で、自分の食べる物以外の余剰の物は、すべて国家に奉納をしやうといふやり方をしたのである。故に随分濃厚なる社会主義を取つたのである。然るにその結果第一百姓が物を精出して作らなくなつた。又労働者が単に切符を頂戴するのではつまらぬと言つて働かなくなつた。加ふるに露西亜では大抵七年目に一度ぐらゐ饑饉がまわつて来るのであるが、その饑饉にぶつつかつた。
 それや是やで露西亜の経済界は、非常な危険に陥つた。その時に非常に転換を計つたのが有名なる新経済政策である。その新経済政策の根本は個人の活動の自由を認めやうといふことで、第一、外国人の利権を認め外国資本の入ることを認めたのである。是は一九二〇年に此
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法律が出たのある。併し利権の問題に於て必ずしも寛大ではないので今日まで僅かに五千万円しか外資が入つて居らない。それから得る政府の収入が一年四百万円位で露西亜の財政から言へば微々たるものである。次に国内に於て個人の活動の範囲を拡げ、第一に私有財産といふものをもつとずつと広く認めたのである。露西亜の私有財産非認は或る程度のもので全般的の非認ではない。現在の状態は先づ不動産に於ては土地は無論国有でその売買譲渡一切を禁じてある。併ながら家屋は極く大きなものはいけないが、普通の個人の住まふ家屋は順次にもとの所有者に返して居る。故に土地は持てないが家屋は持てる。
 最近更に寛大な法律を出し、一種の地上権を認めたがそれは家屋を木造家屋と石造家屋とに分ち、之を建てたものに対しその土地の上に於て、四十年乃至六十年の地上権を認め、建物それ自身に本人の所有権を認める、斯ういふやうな法律を作つて個人の建物を造ることを奨励し始めたのである。それで今その他国と非常に違つてゐる点は、自分が建てる分には幾ら建てても差支ないが、売買に依つて二つ以上の家を持つこと、及び一人の人が三年間に一回以上売買することを禁止して居る。兎に角家屋は建てれば地上権を与へて、その家屋は自分の所有権に属するといふ、矢張私有財産権を余程広めて認めることになつて居る。唯玆で注意を要するのは露西亜の民法では必ずしも是は家屋に限らないが、誰でも自分の財産を生産的に使用せざる場合にはその使用権を失ふといふことがある。それで所有権を認めたと言つてもそれを生産的に使用して居るかどうかといふ認定如何に依つてはまたその権利は薄弱たるを免れない。私有財産は他の国では個人の権利を尊重する為であるが、露西亜では詰り国家の生産に必要なる範囲に於て、個人の活動を認めることが趣意である。故に個人がそういふ風にして家を建てれば国家全体の生産上、非常に便益であるといふ意味に於て権利を拡げたのである。要するに私有財産制といふものは制度から論ずれば、露西亜は私有財産をさういふ風に余程認めて来て居るがそれに伴ふ条件といふものは、他の国と同様に行かないのである。
 その他の動産即ち金銭或は有価証券といふものは、何等制限なく幾ら所有しても差支ないことになつている。それから工場の経営といふことが、是がもと非常にやかましい問題であつて、工場はすべて国家に取上げたのであるが、今は工場を三つの階段に分け、二十人以下の労働者を使用するものは之を自由に委かして居る。更に中工場、一番上の工場は自分で建築したりすることが出来ない。大きなものは国家で建てゝ国家で経営するといふ建前になつて居る。それから相続の問題はもと一万円以上のものは許さなかつた。が今度は相続を許すことになり、その率は累進的に高くしてある。千ルーブル位のものは一分取る、それが段々高くなつて五十万ルーブルになると、二十三万ルーブル即ち四割六分を取る。それから五十万ルーブル以上になると段々殖やして九割まで取ることになつて居る。故に百万ルーブルであると十万ルーブルしか残らぬ。要するに趣旨として相続を認めることになつたのである。猶又百姓の作つた物は自分で食べるもの以上のものは国家に奉納しなければならぬといふことを全然やめて、すべて自分の
 - 第37巻 p.232 -ページ画像 
自由処分が出来るといふことに改めたのである。
      新経済政策の結果
 斯ういふ風にもとから比べると非常に寛大な処置を取つた結果、露西亜で共産主義といふものの色合が残つてゐるのは、大きな工業の国営、外国貿易通信運輸事業の国営である。その他の点は余程色が薄くなつて来て居る。唯々非常に他と変つて居るのは労働者の為に非常に有利に出来て居る。労働者は天下を取つた人間である、工場及び鉱山の労働者が是は自分達の地位を良くせむが為に天下を取つたのであるから、革命後はその待遇が非常によくなつて来た。第一に賃銀が上り災害病気等に対する保険が完全して来、労働時間が非常に縮まつた点に於て非常によくなつた。又一般の労働者を休養せしめる設備などが大変よくなつた。昔の貴族の住宅或は別荘、或は大地主の住宅・別荘といふやうなものは、今は多くは労働者の休養所になつて居る。又労働者の法規といふものが非常に多くて所謂汗牛充棟も啻ならぬが労働法を知つて居る者が非常に少い、非常に煩雑で容易に早呑みこみが出来ないやうになつて居り、この頃では法律に書いてある通りになかなか運用が出来ない。例へば社会保険の制度が非常に完備してゐる、病気をすれば病気の手当、失業をすれば失業の手当が出来て居るが、それを研究して見るとなかなかさう手当が貰へない事情がある。次に労働者の待遇改善で能率が上つたかどうかといふことは疑問である。能率が上らなくて賃銀が余計取れるといふことは、生産費が増加するといふことで、その結果は一方に於ては生産品の欠乏となり、一方に於ては生産費が非常に高くなる、そこで労働者の待遇が良くなつたといふことは、是はありさうなことであるが、併しその待遇は農業労働者に及んでゐない、露西亜の労働者の八割だけが農業労働者で、その余が鉱山労働者・工場労働者であるからその労働の法制の余恵を受けてゐるものは僅かしかない。広い農業労働者は尚ほその恵沢に浴してゐない、又之に浴せんとすれば非常に困難な問題であらうと思ふ。露西亜全体の労働者が非常に好い待遇を受けてゐるやうであるが、非常に満足してゐるといふのはその労働者の一部分に過ぎない。その一部分と雖も今の法規の非常な煩雑のために、規定通りに満足を得られないといふ状態である。
 然るに労働者はさういふ風に待遇を好くしてあるから、一見誠に結構のやうであるが、玆に政府としても如何ともすべからざることは、失業者の増加を防ぐことが出来ないことである。労働者の待遇はよくなつて賃銀はよくなつたといふことは言へるけれども、一朝失業すれば賃銀は幾ら高くても何にもならない。その失業に対する救済といふものは甚だ少い。殆どまあ行渡らないと言つて然るべきだと思ふ。今露西亜の失業者の数は農業は別として、政府の統計に依ると百七十万位ある。恐らく実際は二百万位だらうと思ふ。かかる失業者を生ずるといふことは、如何に労働者万能の国であつても、之を政府が如何ともし得ないことは非常な悲哀だと思ふ。詰り労働者自身が労働してゐる間は、之に好い待遇を与へるといふことは出来るが、労働しない者に好い待遇を与へるといふことは是は出来ない。然らば之に職を与へ
 - 第37巻 p.233 -ページ画像 
なければならぬが、それには事業を起さなければならぬが、その金に悩みがあるのである。
 要するに新経済政策を取つた結果は、国内の景気は大変良くなり、恰度私が露西亜に行つた四年前は、恰もその効果が十分に現れて来た時で大変景気が好かつたが、その後の状態を見ると、それが景気としての頂点だつたと思ふが、その後は段々下り坂になつて来たやうに感ずるのである。
      共産党の内訌問題
 今の政府の根本の主義といふものは、無産階級の独裁政治で、従つて露西亜には普通の意味の民主主義といふものはない。
 無産階級以外の者は先づ人間の数に入らぬと言つていゝだらうが、まだ共産党に入つてゐない。その無産階級の独裁政治を行つてゐるのである。共産主義の理想とする所は各人必要に依つて社会から取るがいい、その代りその能力に依つて社会に貢献せよ、是が理想であつて無産階級といふものは当然の結果である。有産階級が出来たのは不思議である。有産階級は初めから予想してゐない社会であるといふことが先生方の考の根本である。さてこの新経済政策を取つた結果は、個人の財産が殖える、個人の有産階級が続々出来るといふことになつた為、現共産党の中は治まる訳はない、何故さういふことをやるかといふ議論が大変喧ましくなつた。一体我々は有産階級を作らないことが主義ではないか、そこへ持つて行つて有産階級を作つて喜んでゐるのは宜敷くない、有産階級をぶつ潰さなければならぬといふ議論が大変やかましくなつて来た、その結果はトロツキー一派とそれから今の幹部派と言はれる者とが互に衝突をし、遂に今の幹部派は巧みにトロツキーを抑へつけてトロツキーは支那に近い所の或る小さな村に流し者とし、又それに従つてゐる所の有力者はすつかり失脚させるやうにしたのであるが、さて根本の議論である無産階級の独裁に反して居りはしないかといふことに付ては大分非難が甚しい。そこで色々な方法に依つて農家に於ては、農家の裕福なる者に非常に重税を課す、都会に於ても色々な方法に於て個人の商売の立行かないやうに、段々仕向けて行くといふことになつて来たのである。そしで統計を出して新経済実施後さう反対されるが如く殖えてゐない、生産の手段、分配の手段その他に於て、個人がやつてゐるのは何割に過ぎぬ、小部分であるといふやうなことを示して、そして此位の部分は国家の必要上、個人の活動に委せることは已むを得ない、我々の終局の目的はプロレタリヤ独裁にあるが、その目的を達するまでは個人にその位の自由を認めるのは已むを得ぬといふことで、一方に於ては反対派の主張を容れて、今政治をやつてゐるといふ状態である。
 私が聞く所としてお話したいのは、どうも露西亜といふ国に共産主義の政府を立てたといふことが、非常な間違であつたのではないかといふ疑念が起るのである。マルクスが説いてゐる所では、共産主義といふものは資本主義が爛熟して、工業の経営が全く爛熟した時機に達して、之が行はれるといふことを説いて居るのである。所が国もあらうに世界で資本主義の色彩の薄い、工業の甚だ振はない露西亜に共産
 - 第37巻 p.234 -ページ画像 
主義が初めて試験的に行はれたのであるから、うまく行く気遣はないのである。露西亜の工業の状態は、例へば革命前に於ては露西亜の工業は殆ど外国の資本で出来て居つた。十四・五億の外資を運用してさうして得る所のものは、国内の需要の四割を満すに過ぎなかつたのである。そこへ持つて行つてマルキシズムを植付けたので、事が逆になつて了つたのである。故に今先方では口癖のやうに、インダストリヤリゼイシヨンをやらなければならぬといふことを皆言つて居る。
 今の露西亜の第一の掛け声は、インダストリヤリゼーシヨン、その一部分はエレクトリフイケーシヨン、即ち電化といふことである。それで極端論者は兎に角工業が発達しなければ、我々の理想は到底実現出来ない。工業を発達せしめる為には、農業を犠牲にしても宜しい、農民をうんと搾り上げて工業の方に注込まなければならぬ、といふことを唱道してゐるのであるが、是は大胆なやり方ではないかと思ふ。然しとも角工業の為に、或は電気の動力に関聯した機械、其他工業の原料品といふやうなものゝ輸入を、非常にやつてゐるのである。所が露西亜の工業といふものは、今日一方に工業化を非常に迫られて居るに拘らず、その設備か余り不完備でその補充をすることが困難であるといふことで、益々焦せつてゐるのである。此結果がどうなるかといふことは、露西亜に取つて非常に注目すべき問題であらうと思ふ。然るに今の政府を取つてゐる人々は、実際に政治をやつてゐる人であるから、さう大胆なことは出来ないのである。即ち工業化は無論必要だが、先づ我々は消費を節約するといふこと、及び労働の能率を増進して生産費を節約して、さうして資本を蓄積して工業の発達を図るがいいといふ、謂はゞ穏健なる説を取つてゐるのである。扨て之を実際問題として考へると、何れもその実行が容易でない。ながく一方の農業を犠牲としても、工業を発達させなければならぬといふことが、出来兼ねるのみならず、又一方の消費節約をして、労働の能率を増進しなければならぬといふことも、労働者が天下を取つたといふ建前の国に於ては、なかなか行はれるものではない。何れにしても進退両難の立場にあるのである。どうしても外国の資本技術を入れて、工業化の域に達しなければならぬのであるが、又それが本当の筋道だらうと思ふが、扨てそれに就ては宣伝の問題、公債の破棄、外国人の財産の没収に対する償却といふやうなことをしなければならないので、是は独逸の賠償以上に大きな負担になるのである。是ではまことに露西亜の運転が楽でない訳である。然し今の要路の人の言つてゐる所は、詰り我我はもとは世界に革命を起さずしては、我々の理想が達しないといふ積りであつた、併ながら今ではさういふことを考へてゐない。この大きなソビエツト露西亜には、天産物の殆ど凡ゆるものが出来るのであるから、我々の国家の中で社会主義でも共産主義でも建設することが出来る、必ずしも世界の革命を企てるに及ばない。併ながら唯我々の国でやつてゐるといふだけで、外国の援助がなければさう急速には資本の蓄積も出来ないし、効果を挙げることが出来ないけれども、十年のものは.二十年或は三十年掛つて、兎に角少しづつでも積上げて、それで我々の理想を達する。従つて我々の必要とする所は平和である、
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その間に外国から侵略されるといふことになると、その計画が壊れるから万難を排しても外国とは事を構へないといふことである。是は相当穏健な論で現在の新経済政策実行の際に於ては、それで一時は宜かつたが、現在の共産党の中の内輪もめといふものが起り、何と幹部派が名論を吐いても、卓説を立てても喧嘩せむと欲すれば喧嘩する口実があるのであるから、何かの機会に又共産党はもめはしないかと思ふのである。それで共産党の独裁政治といふものは、傍で見る如く楽なものでないのである。内部に於てはなかなか面倒があるので、その面倒に依ては外国にも影響することが出来はしないかと思ふのである。
      露西亜の国民性
 露西亜の問題を研究する上に於て、露西亜の国民性は重要なる問題である。私が彼地に行つて見ると一般の国民は、私の想像した通り兎に角赤いといふやうなことや、又今の主義を盛に唱道して我々を引込まんとするものでもない、又政府の人にぶつつかつても一向さういふやうな講釈をきかない。唯国内に於て何か事が起るとか、新しい施設をやる時にその説明ぶりを見ると、主義の色彩が大分強くレニンが斯う言つた、マルクスがどう言つたといふやうなことはあるが、日常生活に於て余りさういふことは聞かないのである。これは矢張り、国民性に帰着するので、幾ら偉い人が政府に居るからと言つても、僅か二万の同志を以て、非常な困難な中をかけ歩いて、僅か十年位で自分の主義が、さう国民の大多数に徹底する筈はないのである。理論とか主義といふものは、或点まではどうでも理窟はつくものである。現に露西亜人は私共が見ると欧羅巴人でないと思ふ。顔は別として思想・観念に於てむしろ亜細亜人だ、東洋哲学の影響を非常に受けてゐる。今から四・五百年前、露西亜はダツタン人の支配を二百年も受けて居つた、然し大して感化されもしなかつたといふ訳で、それに希臘正教といふ宗教は、皇帝は神の表現者なりといふ主義で立つてゐるから、東洋哲学なり、又宗教なり、さういふものが頭に染込んでゐる。露西亜人は謂はば宿命論者で、運命が斯ういふ風になつてゐる、さう騒いでもだめだといふ宿命論者である。それで官憲とか政府とかいふものに対しては、一般に非常に恐れてゐる。是は何も官憲とか政府とかを解剖して言ふのではない、兎に角自分の上に立つてゐるものは怕いものである。これの言ふことは何でも服従しなければならぬといふ露西亜人の思想、是がツアルであらうとも労農政府であらうとも、国民の観念に於ては違はない。又一方に於ては政府といふものは、兎に角何とかしてくれるものであると云ふ風に政府を頼るといふか、政府をアテにしている観念が非常にある。だから何があつても政府に対して、不平を言ふとか、それに対して反対するとかいふことでなしにもう少し見てゐやう、どうにかならうといふ観念が非常に多い。随分我々が見てひどいと思ふことを、何とも思はない。最近の国民性として非常に変つた点である。多数の国民がさうであるから、我々が外で今の政府がいけないだらうと思つてゐる位、中でも考へてゐるかと思ふと、中ではさう感じない。外の者は色々心配するが、中の者は無論不平があるだらうと思ふが、それはそれとした所で、兎に角愚痴ぐらゐの程度
 - 第37巻 p.236 -ページ画像 
は言ふけれども要するに不平といふ程の大事件にならない、露西亜の経済状態は大変むづかしいけれども、国民一般はさう今それが為に騒いでゐるといふ状態ではないのである。是で又政府がやり方を変へて新しい方策を採つて行けば、それは誰もレニンの言つたことゝ違ふとか、怪しからぬといふやうなものは、共産党の中にはあるけれども、露西亜国民の全体としてはない。国民性が従順に出来て居るから、政府のやり方が善いにしても悪いにしても、急に政府が倒れるとかいふことはありさうに思はれない。それは何がなしに国民性が一番重大なる原因を成してゐると思ふ。
   ○昭和三年度ニ開カレタル談話会ニ就イテハ本款昭和三年一月二十一日ノ条参照。