デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.255-256(DK370060k) ページ画像

昭和4年7月7日(1929年)

是ヨリ先、本月四日当協会副会長添田寿一逝去ス。臨時理事会ノ決議ニヨリ、是日葬儀ニ当リ、栄一当協会会長トシテ弔詞ヲ贈リ、又其告別式ニ参列ス。


■資料

国際メール 第三八号・第七丁一九二九年七月一〇日 添田副会長逝去さる(DK370060k-0001)
第37巻 p.255 ページ画像

国際メール 第三八号・第七丁一九二九年七月一〇日
(謄写版)
    ○添田副会長逝去さる
 本協会副会長添田寿一博士は、七月四日午前九時、麹町区富士見町の自邸に於て腹膜炎の為め逝去せらる。行年六十六、七月七日神式に依り告別式を挙げ、八日青山墓地に埋葬さる。
 博士は国民外交の指導者として一世に仰がれ、特に国際聯盟に依る平和協力の精神を高調し、国際聯盟協会を設立するに当つて、博士は其中心人物であつた。大正九年本協会の成るや、推されて副会長の任に就き、爾来終始一貫会務に尽されたるは、内外人の洽く欽仰措かざりし所である。


国際メール 第四〇号・第五丁一九二九年八月一〇日 協会日誌(七月)(DK370060k-0002)
第37巻 p.255 ページ画像

国際メール 第四〇号・第五丁一九二九年八月一〇日
(謄写版)
    ○協会日誌(七月)
 四日 副会長添田寿一博士逝去。
   ○中略。
 六日 臨時理事会を開き、故添田副会長の悼辞を協議す。


国際聯盟協会書類(四) 【(控) 昭和四年七月五日】(DK370060k-0003)
第37巻 p.255 ページ画像

国際聯盟協会書類(四)         (渋沢子爵家所蔵)
(控)
 昭和四年七月五日       国際聯盟協会々長
                      渋沢栄一
拝啓、明七月六日午後二時より、本協会に於て臨時理事会を開催、故添田副会長に対する弔意の方法につき御協議申上度候間、御繁用中甚だ乍唐突、同刻御参集被成下度、此段御通知申上候 敬具


集会日時通知表 昭和四年(DK370060k-0004)
第37巻 p.255 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月七日 日 午後一、三時 故添田寿一氏告別式(富士見町一ノ一自邸)


国際知識 第九巻第八号・第一頁昭和四年八月 【本協会創設以来の功労者として、…】(DK370060k-0005)
第37巻 p.255-256 ページ画像

国際知識 第九巻第八号・第一頁昭和四年八月
本協会創設以来の功労者として、十年間副会長の職務に尽瘁せられた
 - 第37巻 p.256 -ページ画像 
添田博士は、去る七月四日急患にて長逝せられた。玆に謹んで哀悼の意を表し、左に本協会理事会の決議を掲ぐることとする。
    弔詞
昭和四年七月七日、国際聯盟協会会長子爵渋沢栄一、会員一同に代り謹で従三位勲一等法学博士添田寿一先生の霊に言す。先生が我国社会政策の為に終始し、之を体現せられたるは周知の事実なるが、又夙に国運の進展は国民外交の基調の上に、列国の親善を計るに在るを察知し、卒先之が実現に努め巴里平和会議の開催さるゝや、其の地に在りて備に其の状況を視察し、早くも大戦後の世界は、国際聯盟に依る平和、協力の精神に基かざる可からざるを洞察せられ、帰朝匆々同志と共に、朝野の識者を勧説して、初めて国際聯盟協会を設立せられたり之れ実に大正九年の始めなり。推されて副会長の任に就き、爾来終始一貫会務に尽瘁せられたるは、内外人の洽く欽仰措かざりし所なり。
玲瓏の天賦を以てして、議事に集会に、先生の在るところ春風和気自ら漲り、又全国に遊説しては博学宏辞、よく聯盟の思想を普及せられ以て協会の発達をして今日に至らしめたるは勿論、亦国交の親善に資したること幾何なるを知らず、而して先生今や亡し。我等再び其の温容に接すること能はず。哀しい哉、されど先生の播かれたる、国際平和親善の種子は生成止むことなく、先生の愛育されたる聯盟協会は、益其の使命を果すべきを疑はず、玆に国際聯盟協会理事会の決議に依り、深厚なる弔意を表す。冀くば英霊幸に我等の衷情を享け給はんことを。