デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.256-264(DK370061k) ページ画像

昭和4年7月9日(1929年)

是ヨリ先、当協会内ニ海軍軍縮研究委員会ヲ設ク。是日栄一、会長トシテ其委員ヲ委嘱ス。


■資料

国際聯盟協会報告(二)(DK370061k-0001)
第37巻 p.256 ページ画像

国際聯盟協会報告(二) (渋沢子爵家所蔵)
(控)
拝啓、向暑の砌益御清栄の段奉大賀候、然ば当協会内に海軍々縮研究委員会を設け、海軍々縮に関し研究致度候に付、乍御迷惑右委員就任方御承諾被下度御願申上候 敬具
 追而来る十六日(火)午後五時より、当協会集会室に於て第一回委員会を開き度、当日は海軍省左近司軍務局長及小槙海軍大佐の両氏も出席の上、海軍々縮問題の説明に当らるゝことゝ相成居候に付御繰合せ御来会被下度、併せて御案内申上候
  昭和四年七月九日        国際聯盟協会々長
                    子爵渋沢栄一


国際メール 第四〇号・第六丁一九二八年八月一〇日 協会日誌(七月)(DK370061k-0002)
第37巻 p.256-257 ページ画像

国際メール 第四〇号・第六丁一九二八年八月一〇日
(謄写版)
    協会日誌(七月)
 十六日 軍縮委員会を開く。なほ本委員会の顔触れは坂本俊篤氏、
 - 第37巻 p.257 -ページ画像 
田川大吉郎氏・原正直氏・信夫淳平氏・伊藤正徳氏・前田多門氏・結城豊太郎氏・榎本海軍省参事官・小槙和輔大佐、協会側阪谷副会長・山川理事・奥山主事で、本会合には、左近司海軍省軍務局長も出席した。
   ○大正十三年三月二十六日ノ理事会ニ於テモ、軍備縮小委員会委員ヲ指名セリ、第三十六巻同日ノ条参照。又、昭和六年四月十日軍縮問題委員会委員ヲ委嘱セリ、本巻同日ノ条参照。


集会日時通知表 昭和四年(DK370061k-0003)
第37巻 p.257 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年 (渋沢子爵家所蔵)
七月九日 火 午前九時 奥山清治氏来約(飛鳥山邸)



〔参考〕国際知識 第九巻第八号・第六―一七頁昭和四年八月 海軍縮少会議の一側面 田川大吉郎(DK370061k-0004)
第37巻 p.257-264 ページ画像

国際知識 第九巻第八号・第六―一七頁昭和四年八月
    海軍縮少会議の一側面
                      田川大吉郎
      一
 今回の会議が主として政治家に由つて、政治的方面から観察され指導されんとしてゐることは疑ひない、米国の駐英大使ドース氏は、それを明白に要求して居るが、その前ギブソン氏もジユネーヴに於てその通り主張してゐた、それは純然たる専門的立場から、軍縮問題の解決に達することは不可能である、と明言してゐたことでも分かる、但こんな様な観測は近来になつてから初めて起つたのではない、例へば一九二〇年九月サンセバスチアンで、軍縮に関する専門家委員会の第一回会合が初めて催された時、早くもこれらの委員だけでは可けないとの感じが起り、次で政治家・経済家・財政家各方面の委員を作ることになり、相合してこれを研究することになつたのである、のみならず一九二一年より二二年にかけて、ワシントンに開かれた海軍縮少会議は主として政治家の会合であつた、私は海軍大将たる故加藤氏の資格に於てよりも、全権使節たる加藤氏、政治家たる加藤氏の密量なる全局的考察・勇断に由つて、同会議は成功したものであつたと思ふて居る、氏と米国の代表ヒユース氏と、英国の代表バルフオーア氏との隔意なき懇談、肝胆相照した意気に依つて、同会議は指導され調定されたものであつたと思ふて居る、これが軍縮会議の成功した只の一例であつた、それだけ軍縮は只の一回でも、政治家の手腕と識見に由つて、政治的に考慮せられて成功したのである、専門家に由つて技術的に成功した例は、未だ一回もないのである。
 それ故に、私は今回の会議が政治家に由つて、政治的に考慮せられんとする近来の希望と傾向とに満足するものである。どうぞその様にやつて貰ひたいと思ふ。序に申し添へるが、私は次の会合がワシントンに開かるゝことを希はない、さりとてそれをジユネーヴに限る必要もないから、ロンドンでも可し、パリーでも可し、とにかくワシントンで無い所に開かるゝことを希望する、その理由の一は、これをワシントンに開いて成功すると、米国民をしてますますジユネーヴを軽んぜしむることになるからである、米国は国際聯盟に加盟しないでも、思ふ様に国際の大事を指導することができると、米国民をしていよい
 - 第37巻 p.258 -ページ画像 
よ国際聯盟に、遠ざからしむることになる虞れがあるからである。
      二
 今回の会議は、必ず成功するだらうとの観測が一部には行はれてゐるが、私もそれに同様の感じを有つ。
 けれども、五・五・三の比率である、前回の会議に主力戦艦に対して取り極められたこの比率である、今回の巡洋艦問題に関しては、米国はこれをあまり主張しない、現にその様な傾向が見へつゝあるとの様に一部では見てゐるが、私はそれを懸念する者である。
 私は、米国はその標準を主張するだらうと思ふて居る、それに対し日本は、それを移動せんと主張し、日本のために割よく、それを設定せんと主張するものゝ如く見える、それだけその協商は容易でない、私は今回の会議の一難点は、こゝに在るだらうと予測して居る者である。
 海軍の勢力を測る新標準尺度のことに就て、第一にその決定が困難であらうとの論がある、私もさう思ふて居る、第二にそれでもそれはできるであらうと予測されてゐる、私もさう予測して居る者である、そこで第三にこれを以て、この標準尺度の制定を以て、これを制定したいといふ米国の意向を以て、米国が五・五・三の比率を主張しない意向であるかの如く、それに取り換へんとする意向が、あるものゝ如く論ぜらるゝ向もあるが、私は標準尺は標準尺である、五・五・三は五・五・三である、それは別物であるとして考へたい、米国は標準尺を作るといふけれど、それに由つて五・五・三の比率を換へようといふのではない、それは換へるかも知れないけれど、若し換へれば外の理由・事情に由るのであつて、必らずしも標準尺を作つたからでない寧ろその標準尺をあてはめて、五・五・三の比率を測る標準とするといふことになるかも知れない、それは有り得ることであると思ふ、私はそれを有り得ないこととは思ひ得ない、要するに私はこの二者を別別のものとして考へたいのである。
 各国の海軍建設の標準を「守るに足りて攻むるに足らぬ程度」にすべしとの論には、私は全然同意である、もともと国防である、防ぐのである、侵すのでない、守るのである、攻むるのでない、各国は各国の安全を守り得ればいゝとしなければならない、それでないと相互の安全、一般の平和は保たれない、各国互にこの程度の標準にその海軍力を制限すべきである、或は縮少すべきである。
 これに就て想ひ起すことは、前回の海軍縮少会議の時である、米国にはルーズベルトといふ海軍次官が居り、それが専門家として会議にも列して居り、有力なる代表者として多大の勢力を揮ふてゐた、一友人がそのルーズベルト氏を訪れて、五・五・三の比率が日本に取つて不利である、不合理であると難じた時、氏は
 その様に、米国が先づ日本を攻むるものとして、その攻むる時の都合のいゝ様に、この標準を作つたらうと思はるゝことは、誤解である、迷惑である。
 吾々はそんな意図で、この標準を立てんとするのでない、これは米国が自ら守り、進んで日本を侵すに足りない程度の勢力を標準とし
 - 第37巻 p.259 -ページ画像 
へて居るのである。
 考へて御覧なさい、仮に米国が日本と開戦したとする、米国は幾何の軍艦を日本に差向けることができるであらうか、それを最大に見積つて八であらう、十の勢力を十全部、差遣することのできないことは分りきつて居る、最大に見積つても八にとゞまる、二は米国に遺して置かねばならない、大西洋岸に太平洋岸、二ではあまり不足であるけれど。
 そこで、その日本に向つて差遣せられた艦隊であるが、その日本海に近づいた際の勢力は、少くとも二割を減じて居ると見なければならない、故にこの時の米国艦隊の勢力は六である、日本の六に対する米国の六である、米国の六を以てどうして日本の六を攻撃することができるか、そのできない事は明白であらう。
 そこで、米国が今回、十・十・六の比率を持ち出したのは、決して攻撃を目的としたのでない、守るを目的としたのである、攻撃ができないから戦争は起らない、平和が目的である、平和を維持するの手段として、この方法を立てんとしつゝあるのである。
 どうぞ、どうして攻めんとするかでない、どうして勝たんとするかでない、その方からでなく、どうすれば攻めず、攻められず、平和を維持し得らるゝことになるかといふ、主として其の方面から考へていたゞきたい。
と申した、一友人は、それを一と通り理のある説明だと首肯して帰り来つて、早速私に話してくれたのであつた。
 私は十・十・六、即ち五・五・三の比率が、適当の標準であるか否かをこゝに論じない、たゞ「守るに足りて攻むるに足らない程度の勢力」といふことは、彼れ、米国の海軍論者も、その当時からこれを希望し要求してゐたのであるから、これは相談のでき得ることゝ思ふ、各国がその心持になり得さへすればいゝのである、どうかその様な意向をこの時に一層高調し、それに伴ふ縮小の計画を、この時に確立いたしたいものである。
      三
 英米の接近は、勿論、この際成功を保障する主たる要素である。
 イ、米国の大統領フーヴアー氏は、前回の大統領ハーデング氏よりも、この事業に対し熱情があり、計画があり、手腕もある。
 ロ、英国の首相マクドナルド氏は、前回の首相ロイドジヨージ氏よりも真面目で、且その全権バルフオーア氏よりも、気力に富んで居る。
 この両者が、この度の会議の主要の役者であるべきことは申すまでもない。
 日本は、これに対し誰を送るか、前回は加藤全権といふ無類の、恰好の代表者を得てゐたが、今回は誰を送るか、実に見物である、見物であると余所事の様に申して居られない、実に心配である。
 が、それは暫く別として、尚、左の事を今回の会議の要素の中に加へて置きたい。
 ハ、不戦条約の成立である、これは誰にも注意せらるゝ如く――日
 - 第37巻 p.260 -ページ画像 
本に於ては存外注意されてゐないかも知れないが――戦争に対する思想の革命的変化である、将来は戦争をしない事にする、戦争を以て国家の正当なる手段と認めないことにするといふことは、従来の戦争を以て国家的名誉と心得てゐた思想を、根底から覆へしたものである、この一大変化の影響は、社会的に、教育的に、深く広く赴かねばならないものであるが、差当り今回の会議は、その主張の上に、その予備的基礎の上に開かるゝものであるから従来よりも、会議が著るしく、為しよくなつたわけである、従来の会議の場合よりも、もつと著るしい平和、親愛の気分が現れなければならないわけである、それは或は直接に現れないか知れないとしても、もつと思ひ切つた、大胆なる縮少ができ得べき筈である、不戦条約が一片の反古でない限りは、単なる辞令の交換でなかつた限りは各国の代表者は自然に以前よりも、縮少の協議に熱心であり、勇邁でなければならない。
 ニ、独逸賠償額の改定されたことである、この問題に対しては、日本人の感想は極めて薄い、これは実際上已むを得ないことでもあるが、欧米の輿論は、この点に関し頗る痛烈なものがある、実はこの問題が解決されない以上、欧洲諸国並びに欧米二洲の関係は本当に安定されないとさへ、しばしば申されてゐた、それが今回漸く改定されたのである、これを最後の確定と申しても、大凡、差支へないだらう――聯合国間の借金の問題は尚残つて居るが、――それだけ、欧米の代表者即ち英・仏・伊・米の代表者は、この際の軍縮会議に一層励むべき理由がある。
 ホ、英国のマクドナルド氏は、今回の会議の主要なる役者であることは前に掲げた、それよりも先般の選挙である、私のその総選挙に感じた所は(一)失業問題の解決といふは、三政党共通の題目であつたけれど(二)国際の平和(三)産業の平和、即ち労資間の平和といふ二大問題こそは、その論争の焦点であつたのであるそしてその平和論者が勝つた、保守党は必らずしも平和の敵といふわけではない、彼等も聯盟を支持し、軍備を縮小すると声明したのであるけれど、それが稍やなまぬるかつたのに対し、労働党も、自由党も、それを痛快に主張したので勝つたのである、即ち今日の英国民は、平和の思想に充されて居る、それが今日の英国に於る最大の勢力である、マクドナルド氏はその勢力を指導したとも言へる、又その勢力に乗せられ、乗つて居る者であるとも言へる。
 私は大凡以上の様なことを、今回の軍縮会議に見逃してはならない要素と思ふ、それだけ私は今回の軍縮会議に好望を感ずると共に、又英米二国の関係態度に多大の興味をそゝられつゝある者である。
 尚、それに就ては、便利上別段に述べて置きたいものがある。
      四
 私の見る所、国際聯盟以後の英国は、とかく仏国に引き摺られてゐた気味がある。
 それを軍備縮少案に就て申すなら、
 - 第37巻 p.261 -ページ画像 
 イ、英国の主張は、それを世界に一般的に縮少することにしたい、大戦前にあつた数ケ国間の協商とか同盟とかいふことは、一般的平和保障の邪魔になるから、それをしないことにしたいといふのであつた。
 ロ、それに対し仏国は、それらの協商とか、同盟とかいふものが尚必要である、それなしには各国家の安全は保障されない、その保障が軍備縮少の前提要件であるといふのであつた。
 ハ、一九二三年の「相互援助条約案」は彼等両国の戦士が、聯盟創立以来、相互深刻に争つた後の妥協案であつた、その案は一名セシル、レカン案とも称せられた、英国の代表者セシル子と、仏国の代表レカン大佐とが互に譲り合つた、考慮の後に作り上げたといふのである。
 その案には軍縮に関し、大凡、四種の条件が含まれてゐた。
  一、一般的に各国の平和を保障する規約が、条約を以て制定せられ、其の主義が確認せらるゝ事、これが第一段である(私はこれを主として英国流の主張と申す)
  二、前項の一般的条約の下に、或る国々の間に於ては、更に特別の条約を以て、相互の保障につき補足することができる(私はこれを主として仏国流の主張と申す)
  三、各国は、この単式か、若くは複式の保障の下に、その軍備をどれだけ縮少することのできるかを推計すること、これが軍縮への第二段である。
  四、前記の各国の推計に本づき、聯盟理事会は、規約第八条の縮少案を起草すること、これが軍備への第三段である。
  五、前記の案を承諾した各国は、条約に定められた期間内に、縮少を実行すること、これがその第四段である。
 以上の要旨に由つてできた相互援助条約案を、聯盟総会――一九二三年の――は異議なく承認したのであつたが、一九二四年にできたマクドナルド氏主宰の労働内閣はこれを否認した、否認した理由は、前記第二項の仏国流の主張に満たないからであつた。
 次で一九二四年の聯盟総会は、有名な平和議定書を作成した、これは国際聯盟の真憲法と称せられた、国際聯盟に由つて平和を維持し、軍備を縮少せんとする当初の理想目的が、この議定書に由つていよいよ実現せらるゝことになつたとの意味に於てである、申すまでもなくその主役者は英のマクドナルド氏と、仏のヱリオー氏であつた、仏の主張を一蹴し、主として英の主張を基調とした此の議定書の成功に、マクドナルド氏等一派が得意の感を覚へたのは無理もない。
 しかしながら、英国の当時の労働内閣は、槿花一朝の栄を夢みたに過ぎなかつた、同年の暮、同内閣は倒れて、ボールドウイン氏の保守党内閣ができ、外相にはチヱムバーレン氏がなり、自ら国際聯盟に出かけて斡旋することになつた結果として、前記の平和議定書を葬つたこれが一九二五年である。
 そこでどうしたかといへば、ロカルノ条約ができ、仏国と独逸、独逸と白耳義、独逸と波蘭、独逸とチヱツコ・スローヴアキアの間には
 - 第37巻 p.262 -ページ画像 
互に戦争をしない約束を結んで、チヱムバーレン氏は凱歌を揚げた、しかしながら、これは仏国の宿志を成したものであつた、仏国は前にも記した如く、前々から此の様の局部聯合・同盟・協約を以て、各自の安全を保障することに尽力してゐたのである、それが此の時にできたのである。
 世界は、このロカルノ条約のできた事に、大拍手、大喝采をした、丁度、相互援助条約案のでき、平和議定書のできた其の時と同様に、
 しかしながら、マクドナルド氏は満足しなかつた、彼はロカルノ条約に関するチヱムバーレン氏の、得意満面の報告に対し、近来の欧洲に、これほど厄介な出来事はなかつたと思ふ、チ氏は、平和議定書の戦争を不法とする主張、国家間の争議を仲裁々判に由つて解決せんとする計画を排棄し、軍事的同盟協約の時代に還らんとする者であると非難した。
 ともあれ、ロカルノ条約にも、進歩した平和の精神が含まれて居ないことはない、それにしても、それは相互援助条約の仏国の主張の部分に由つて構成せられたものである、これに対し英国の自由思想者の中に、幾分の不安の色が漂ふたのは致し方がない。
 既にして、昨年の英仏海軍協約となつた、これは米国と伊国との攻撃に由つて破られたと謂はるゝけれど、事実は英国の輿論がこれを破つたのである、自由派・労働派に属する新聞紙の主張、団体の運動がこれを破つたのである、彼等は保守党政府が事ごとに仏国に追随するのを癪にさへかねたのである。
 しからば仏国に追随しない彼等は、何国と提携して、世界の平和を確保しその進運に貢献せんとするか、それは言ふまでもなく米国とである、彼等は仏国を去つて米国と結ばんとした。
  世界には唯二つの世界的勢力がある、それは英帝国と北米合衆国の二国である、この二国の間の親善の関係を保つことは、仏国と英国との親善を保つことと較べ物にならない、これはそれにも倍した緊要味があるものである。
 これが海軍協約当時の、英国自由派新聞に現れた評論であつた、彼等の眼中には仏国はもはや無いのである、仏国と離れて米国と結ばんことが、彼等の希望であつたのである、彼等の世界的政策は此の中に在り、此の中に動いて居る。
 そこでその一端は、総選挙以前の議会の討論にも現れた、英仏間の戦債協定に対するスノーデンの不満の演説はそれであつた、彼はこの協定をした保守党の政治家を、仏国のために英国の利益を犠牲にした者であるとまで罵つた。
 総選挙は、この労働党を助け、自由党を助けたのである、この勢力に乗ずるマクドナルド氏が、米国と結びつゝあるのは自然である、彼は平和議定書に於て戦争の不法を高唱した、米国は不戦条約に由つて戦争が国家の正当なる行為と相容れないものであることを規定した、フーヴアーはその思想の代表者である、両々明かに相通じて居る、彼等がこの時に於て、平和議定書・不戦条約の主旨に則つて邁進せんとするのは無理もない、それが彼等に取り最も自然の行き方である。
 - 第37巻 p.263 -ページ画像 
 かくして英米の提携は将に成らんとする、已に成つたと申しても差支へない、英国は大戦当時の仏国との関係を去つて、いよいよ米国と共にするに至つたのである、これに由つて仏国を引き摺らんとするのである、この時仏国は如何にするか、仏独の関係は如何になるか、それが今後の問題である。
 注意、今日の東京日々には、シカゴ日々通信員ベル氏が、英米の関係に不測の憂ひがあり、その危機が迫つて居ると観測する旨の電報を載せてゐたが、私はその理由を解しない、私は両国間の危機は已に去つたらうと認めて居る者である。(六月二十九日)
      五
 但、列国の協約である、之をまとめるには、並み一と通りならぬ苦心を要することは勿論である、この際、米国はそれをどうしつゝあるかといふに、
  一、縮少に当り、総噸数主義と、種別主義とを兼用し、以て融通の途を開くべく提案したのは、彼れの仏国に対する会釈であり愛相である。
  二、陸軍問題に関し、訓練ある予備兵を全部計算の外に置く方針を唱へたのは、尚その仏国に対する第二の愛相である。
  三、一層甚しいのは、陸軍縮少問題を無期延期にし、以て仏国の同情を買はんとして居るとの説もある。
  四、英国に対しては、巡洋艦に関し、英国の便宜とする小艦主義を認め、従つて隻数の増加と噸数の増加とを認め、例へば米国の三十万噸に対し、英国の三十五万噸を認むるに至るだらうとの観測がある。
  五、尚又、英国の大商船を認めるであらう、それを計算の外に置き、それだけ万一の場合に於る英国の勢力の増加を認めるだらうと伝へられた。
  六、更に海洋自由の問題を延期し、以て英国に和らぐだらうとの説もある(私は此のことを希望するけれど、米国ボラー氏等が躍起にこの自由論を主張しつゝあるのを見れば、これは一寸疑問である)。
彼れ米国は、かくの如き問題に、かくの如き方針を以てできるだけ和らぎ近よらんとして居るのである、私は彼れの苦心をも若干買つてやるべしだと思ひつゝある者である、それにしても、
  七、空軍を如何にするのであるか、その噂が、何も問へないのは物足りない感じがする。
 私は、今後の軍国的憂ひは、攻勢に出づるにせよ、守勢を取るにせよ、空軍の勢力がその重要素であらうと信ずる者である、それだけ此の事が気にかゝる。
 そこで、本会議の難題は前に挙げて置いた通り、
  八、標準尺の算定如何。
  九、五・五・三の比率如何。
 であらうと思ふ、それがどうしても気にかゝるのである。
      六
 - 第37巻 p.264 -ページ画像 
 そこで、日本の立ち場若くば将来に関する私の憂へは
 一、今回の会議に由り、日本は、従来、世界の三大海軍国として、優勢の位地に奉つられてゐた其の位地を失ふことになりはしないかといふことである。私はこれを一番気遣はしく思ふ、これに較べれば五・五・三の如き問題――その三を三半にするか、四にするかの問題――は、数ふるに足らない。
 二、それでは今回の会議に、日本の位地をますます好転する見込は有るか無いかといへば、
  甲、英米の間に立つて、調停者・指導者となることである、英米は容易に此の間隙を与へないだらうけれど、その機会は決して絶無ではあるまい。
  乙、英米の提携に対し、一方、仏伊の提携が起り、その間多少の啀み合があるかも知れない、その調停者、指導者となることである。
 私は、此の機会が日本に与へらるゝであらうと思ふ、これを巧みに利用すべきである。
 三、但、それには日本自身に、大縮少をする準備、決心を必要とする。その決心計画なしには、此の役割は立ち廻れない、
 一体、米国は巡洋艦をどう協定する方針であらうか、それは未だ分らないことであるけれど、ジユネーヴ会議の折、彼は、四十一万噸と称してゐた、或は三十五万噸にといふ説もあつた、然るに今回は二十五万噸にといふ説がある、して見れば、その決心の程が窺はれるのである、彼はかなり大胆なる縮小の希望を抱いて居るらしい、就ては日本は、一層大縮少の決心を要する、先づその決心を固めてから会議に臨むべきである、さうすれば、或はひけを取らない役廻りを演ずることができ、因て世界に対する一等国の声価・信用・威力を発揮することができるであらう。
 私は日本が、この役廻りに、万々抜かりの無い様にと切望する。
 顧るに我が日本は、金解禁に於て大いにおくれて居る、世界は嘲けり笑ひつゝあるであらう。
 次に不戦条約に於てもおくれた、何といふ見苦しい、へまな、まごつき方であつたらう、世界はますます日本を軽んじたに相違ない。
 次に今回の海軍縮少会議である、どうぞ後れない様にと願ふ。
 既に二度の大事に、ひどい後れを取つた、此の上後れたらどうするくれぐれも、我が当局者が、慎重に考慮し、遠大・公明の計画を立てこの好機に決して辜負しない様にと祈り願ふ次第である。