デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.335-339(DK370084k) ページ画像

昭和6年1月17日(1931年)

是日、当協会婦人部発会式催サル。栄一出席スルヲ得ズ。副会長阪谷芳郎祝辞ヲ代読ス。


■資料

国際聯盟婦人部書類(DK370084k-0001)
第37巻 p.335-337 ページ画像

国際聯盟婦人部書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 厳寒の候益々御清適恐悦に存じます。扨て国際聯盟の目的遂行の為め、更に婦人方の御協力を仰ぐの必要を痛感し、別紙記載の通り昨秋国際聯盟協会に於て、婦人部を設立することゝ相成り、本月十七日別紙プログラムに依り、発会式を挙行することに致しましたから、何卒御友人御誘ひの上、奮て御出席下され度御願ひ申上げます。
先は右御案内迄 敬具
  昭和六年一月七日
                 国際聯盟協会々長
                       渋沢栄一
                 同 婦人部々長
                       本野久子
(別紙・印刷物)
    国際聯盟協会婦人部の創立
      婦人部の沿革
 毎年春開かれる本協会総会の、晩餐会の席上に於ける有志の五分間演説は、何れも熱烈な平和愛好の精神から発露する名言卓説で、本協会の活動の指針となつてゐるものが少くない。婦人部の創立の如き其の一例であらうと思ふ。即ち昭和二年の第七回総会の時には、日本女子大学の校長麻生正蔵氏が「聯盟協会内に婦人部の如きものを設け、婦人をして聯盟の為に働かしめて貰ひたい。又聯盟では婦人児童の売買禁遏に尽してゐるが、こういふ方面にも大いに婦人を採用して欲しい云々」と力説され、越えて昭和四年の第九回総会の時には塚本はま子氏が「協会の会員の大多数が学生であることは心強いが、それよりも先づ婦人部といふものが出来て、婦人の会員が沢山出来ることが望ましい、婦人の力によつて情の方面から平和の基礎を固くして行きたい云々」と主張され、こういふことが動機となつて本協会では、婦人部を作るといふ方針をとつたのであつた。
 然し種々の事情でその設立が延引してゐる間に、京都地方支部内に駒井静江氏(京大教授駒井○卓博士夫人)等の努力によつて、京都地方支部婦人部なるものが昭和三年四月に設立され、百名の会員を擁し、講演会、会員相互の懇談会、京都来訪の外国名士の接待等、男子を凌駕するめざましい活動をなし、京都支部の重要の地位を占むるに至つた。
 また同年七月には、本協会理事法学博士林毅陸氏の山陰地方講演を機として、鳥取支部内に婦人部が設立され、有力なる活動をなして今日に及んでゐる。
      婦人部設立成る
 - 第37巻 p.336 -ページ画像 
 さて延引してゐた本協会の本部に、婦人部を作るといふ件は、昨年秋になつて漸く実行に着手することゝなり、十月六日及び廿四日の両回に亘つて協議会を開き、どういふ工合に婦人部を作るかに就て大体の相談をした。その結果により、十一月二日午後三時から丸ノ内中央亭で、婦人部創立打合会を開くことゝし、会長渋沢子爵から左記の方方に案内状を発した。(○印は当日御出席の方)(順序不同)
 水野ます子氏  ○門野りよ子氏    ○大江すみ子氏
 亀井久子氏   ○河井道子氏      松平俊子氏
○山脇房子氏   ○矢田千代子氏    ○木内キヤウ子氏
 星野愛子氏   ○川崎静子氏      古田とみ子氏
○前田房子氏    川上ときわ氏    ○石井玉子氏
 松井てる子氏   羽仁もと子氏    ○嘉悦孝子氏
 安井哲子氏   ○本野久子氏     ○吉岡弥生氏
 守屋東氏    ○ガントレット恒子氏  跡見李子氏
○駒井静江氏   ○井上秀子氏
 猶当日の会合には協会からは、阪谷・山川両副会長、及奥山主事等が出席した。
 当日の会合に於て、山川副会長が先づ開会の辞を述べ、吉岡氏が推されて座長席につき、婦人部を設くるや否やを一同に諮つた。その結果婦人部を作るといふことになつたのであるが、その際種々述べられた理由を綜合して見ると、次の如きものであつた。
 (イ)国際聯盟が何事も輿論に訴へるといふ方法をとつてゐることが、平和達成の上に非常によい結果を得てゐるが、輿論の一半は婦人に負ふものであり、特に正しい輿論を起すには、婦人に俟つべきものが多大であり、男子が疎略にすることも婦人によつて改善されたものが少くない。然るに日本に於ては、今日種々の方面に婦人が活動してゐるが、直接聯盟の為には婦人の活動は、比較的少いやうに思はれるし、旁々聯盟協会も、その使命を達成するには婦人の力に俟たねばならぬこと。
 (ロ)聯盟では青少年に対し、聯盟の目的事業を教ふることの必要を力説してゐるが、此の青少年に対する聯盟思想普及には、婦人の力に俟たねばならぬこと。
 (ハ)聯盟協会内に従来婦人部のなかつたことは、婦人が自ら聯盟に対する理解を持つのに不便であつたこと。等。
 それから規約を審議して別項○後掲の通り決し、更に役員の選挙を行つて部長に本野久子氏、常務委員に石井玉子・山脇房子・井上秀子・ガントレット恒子・吉岡弥生の五氏が当選し、委員には、規約の附則により、渋沢会長から案内状を発した前記の方々全部がなることになつた。
 その後十一月廿二日には第一回常務委員会を開き、婦人部将来の活動に就て協議し、先づ婦人部拡張部(部員の増加を計るを目的とす)及婦人部調査部(国際問題の研究調査を目的とす)の二部を設置し、各部に委員を置くことゝし、拡張部の委員には矢田千代子氏・前田房子氏・古田とみ子氏、調査部の委員にはガントレツト恒子氏・井上秀
 - 第37巻 p.337 -ページ画像 
子氏・守屋東氏・駒井静江氏になつて戴く案を立てた。そして十二月十三日の第一回委員会は右案を承認した。ついで拡張部委員会は十二月廿日会合して、昭和六年には新に三千名の部員を募集することを目標として進まうといふ喜ぶべき計画を立てた。猶婦人部が正式に成立したので、その発会式をあげやうといふことが、創立総会の時に満場一致決議され、そのプログラムが前記第一回常務委員会、及第一回委員会の審議を経て、別紙の通り確定し、それに従ひ本月十七日(土)午後二時から、丸ノ内工業クラブで発会式が挙行せらるゝことになつた。当日は男女を問はず、一般の来聴を大いに歓迎するから、奮つて御出席を乞ふ。
 猶婦人部が今後如何なる活動をするかは、婦人部の役員を初め部員一同のこれからの努力によるのであるが、我等は日本婦人が戦争をする以上の努力と忍耐とを以て世界の平和の為に、又此の婦人部の発展の為に、尽されんことを切望してやまないのである。
                      (昭和六年一月)
(別紙・印刷物)
    国際聯盟協会婦人部発会式次第
        日時 来る一月十七日(土)午後二時(入場無料)
        会場 丸ノ内日本工業倶楽部
    司会者  井上秀子氏
一、開会の辞   本野久子氏
一、経過報告   吉岡弥生氏
一、祝辞     国際聯盟協会々長 子爵渋沢栄一氏
         大日本聯合女子青年団 山脇房子氏
         東洋婦人会      鍋島栄子氏
         愛国婦人会      水野ます子氏
         平和団体を代表して  河井道子氏
         東京聯合婦人会    守屋東氏
         外務大臣     男爵幣原喜重郎氏
一、講演(依頼中)         子爵石井菊次郎氏
一、映画
  国際聯盟作製の映画「世界の平和」(三巻)
一、閉会の辞              ガントレツト恒子氏


国際聯盟婦人部書類(DK370084k-0002)
第37巻 p.337 ページ画像

国際聯盟婦人部書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    国際聯盟協会婦人部規約
第一条 本部は国際聯盟協会婦人部と称す
第二条 本部の事務所は東京市麹町区丸ノ内二丁目十二番地国際聯盟協会内に置く
第三条 本部は国際聯盟協会の目的及事業を遂行するものとし、就中特に婦人として適当と認むるものを行ふ
○中略
備考 此の規約は昭和五年十二月五日に本協会理事会の承認を得た
 - 第37巻 p.338 -ページ画像 


国際メール 第七五号・第三―四丁昭和六年一月二五日 婦人部発会式挙行さる(DK370084k-0003)
第37巻 p.338 ページ画像

国際メール 第七五号・第三―四丁昭和六年一月二五日
(謄写版)
    ◎婦人部発会式挙行さる
 久しく待たれて居つた国際聯盟協会婦人部は、愈去る十七日発会式を挙げた。婦人は平和の建設と云ふ天賦の使命を持つて居るから、この婦人部の創設は日本婦人のかゝる使命遂行の一機関として、平和運動に第二歩を進めたものであらねばならない。
 会は同日午後二時から井上秀子女史司会の下に、丸ノ内工業倶楽部に開かれ、婦人部々長本野久子氏開会の辞に次ぎ、吉岡弥生氏より婦人部設立の経過報告あり、此時会衆既に三百余名に達した。次いで阪谷副会長は会長渋沢子爵に代つて祝辞を述べられ、続いて大日本聯合女子青年団を代表して山脇房子氏、東洋婦人会を代表して鍋島栄子氏愛国婦人会を代表して水野ます子氏の祝辞があつた。又河井道子氏は平和団体を代表して祝辞を兼ね、平和運動に対する受難期に於ける覚悟に付述ぶる所あり、守屋東氏は東京聯合婦人会を代表して、祝辞と共に、我国婦人運動が、現下の事情に於ては国際的に発表の好ましからざる我国悪習慣をも、之が改善の為には発表もまた止むを得ざるものあることを述べ、窮極の目的に精進するの要を説かれた。
 右に続いて幣原外務大臣の祝辞を、大臣差支の為に条約局長松田大使○道一代読し、終りて石井名誉会長の講演に移つた。○下略
   ○婦人部ハ設立ノ後昭和六年三月「国際聯盟協会婦人部に入会のお勧め」ト題スルリーフレツトヲ添ヘテ、広ク入会勧誘書ヲ発シ、又婦人部委員会ヲ継続開会シテ、各地支部ノ設立ヲ策スル等ノ活動ヲナセリ。
   ○婦人部設立ノ相談ニ就イテハ本款昭和三年一月十九日ノ条参照。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 柴田善三郎夫人宛昭和六年六月四日(DK370084k-0004)
第37巻 p.338-339 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 柴田善三郎夫人宛昭和六年六月四日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、未得拝光の栄候処、唐突失礼ながら拝願申上度義は国際聯盟協会の件に御座候、同会創立の際関係者の勧説により、僭越ながら会長を引受け、爾来聊か微力を致居候処、婦人の間にも国際聯盟精神を普及せしめ度、曩に同協会内に婦人部を置き、本野久子氏部長として活動せられ名流婦人の協力を得、相当成績を挙げ、地方に於ても御賛同被下、京都には既に支部の設立を見候処、貴市に於ては未た其運びに不至残念の至に奉存候、就て甚だ恐縮には候へとも、御高配により右設立を見、上記目的の為御協力を得度、当局一同切望罷在候に付、老生より特に拝願仕候
突然無躾ながら愚衷拝陳仕度、関係書類相添如此御座候 敬具
  昭和六年六月四日
                     渋沢栄一
    柴田善三郎殿令夫人
 (欄外別筆)
 [昭和六年六月四日巻紙ニ毛筆《(ニテ)》ハ認メ国際聯盟協会ニ交付済
   ○欄外ニ控トアリ。
   ○柴田ハ福岡県知事。
 - 第37巻 p.339 -ページ画像 
   ○栄一、昭和五年十一月中旬ヨリ専ラ在邸摂養シ、三月ニ及ブ。