デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
4款 中華民国国民党党首孫文歓迎
■綱文

第38巻 p.578-587(DK380064k) ページ画像

大正13年11月24日(1924年)

是日孫文、上海ヨリ海路北京ニ赴ク途次、神戸ニ寄航シテ栄一等ト会見ヲ希望ス。栄一病気ノタメ応ズルコトヲ得ズ。第一銀行神戸支店長大沢佳郎ニ託シテ伝言ヲ通ジ、更ニ日華実業協会専務理事角田隆郎ニ託シテ意ヲ通ズ。


■資料

渋沢栄一書翰控 孫文宛 (大正一三年)六月(DK380064k-0001)
第38巻 p.578 ページ画像

渋沢栄一書翰控 孫文宛(大正一三年)六月(渋沢子爵家所蔵)
    孫総理宛回答案
拝啓、時下薄暑ノ候ト相成候処、御起居佳勝ノ事ト遥察仕候、過般ハ御懇書ヲ忝フシ、有難ク捧誦致候、尚高木陸郎氏ヨリ御近情ヲ承聞致候ニ付早速御返書差上ベキ処、俗務蝟集竟々遅延致候、御栄篆以来半載トモ相成候ヘハ、着々御経綸御実行ノ事ト存候、今回高木氏復タ赴燕セラレ候ニ付、幸便ニ托シ鄙意申述置候間、東京ニ於ケル近情等ハ同氏ヨリ面述セラルヘキ事ト存候儘省略仕候、尚御公務ノ余暇ニハ時時御指数賜リ度、右拝答旁申進候 敬具
  六月
                         渋沢
    孫総理閣下


(孫文)書翰 渋沢栄一宛 中華民国一三年九月一八日(DK380064k-0002)
第38巻 p.578-579 ページ画像

(孫文)書翰 渋沢栄一宛 中華民国一三年九月一八日 (渋沢子爵家所蔵)
敬啓者暌隔
光儀毎深企仰遥承
勛問与日倶隆以為頒慰。世界潮流已為民気所激盪。有一日千里之勢。吾人内覘国情外察大局惟本互助之主義奮闘之精神。以順応趨勢。積極進行。迹其所至。豈惟両国人民蒙其幸福而已
 - 第38巻 p.579 -ページ画像 
執事領袖名流。高掌遠蹠。知有同情。吾国方従事于討賊文已率師北伐以答国人望治之殷。特派李参謀部長代表東渡奉候
左右兼致鄙懐。
訐謨所及。并望
随時接洽。不勝馳惰順頌
時祐此致
渋沢先生閣下
                          孫文

中華民国十三年○大正一三年九月十八日
(右訳文)
敬啓 久シク尊顔ヲ拝セス候処、閣下益御清廉ニ陟ラセラレ御功名陽ト共ニ高ク深ク敬賀奉リ候
却説、世界ノ潮流ハ已ニ民意ニ依テ鼓動セラレ、正ニ一日千里ノ勢ニ有之候、吾人内ニ国情ヲ見、外ニ大局ヲ察スルニ唯タ互助ノ主義ト、奮闘ノ精神ニ基キテ之ノ趨勢ニ順応シ、積極的ニ進ムニアルノミト存シ、斯クテ其ノ結果ノ致ス所ハ独リ両国人民ニ、幸福ヲ齎スノミニアラスト被存候
閣下ハ名流ノ領袖ニシテ見識遠大、必ス御同感ノ事ト存候
吾国ハ今方ニ国賊ノ討伐ニ従事シ、不肖已ニ軍隊ヲ率ヒテ北伐ニ当リ以テ国民治ヲ望ムノ懇望ニ酬ヒント期シ居候際ニツキ、特ニ李参謀長ヲ代表トシテ貴国ニ派遣シ、御伺ヲ兼ネ愚見ヲ申述ヘシメ度、何卒随時御謁見ヲ賜ハリ、御高見御教示被下候ハヽ誠ニ幸甚ノ至リニ奉存候
玆ニ閣下ノ御健康ヲ祝シ申候
                         孫文
    渋沢先生閣下
  民国十三年九月十八日
  ○李参謀長トハ幸烈均ノコトナリ。


渋沢栄一書翰控 孫文宛 大正一三年一一月一四日(DK380064k-0003)
第38巻 p.579-580 ページ画像

渋沢栄一書翰控 孫文宛 大正一三年一一月一四日 (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆・朱書)
             大正十三年十一月十四日孫文氏宛書状
貴地九月十八日付尊書、李烈釣氏より接手難有拝読仕候、爾来閣下日夜国事に御尽瘁之御模様は、時々新聞紙等にて承知致居候処、今次李烈釣氏の御来遊により御活動の近状を詳にし、往事を回想して深く感服御同情致居候、李君とハ東京着後直に御面晤を得、尊慮のある所を詳悉致候ニ付、小生ハ特に一夕之小宴を催し、在東京之有力なる実業家諸氏を招致し、席上李氏を御紹介致し、逐一尊意を伝へて一同十分了解致し候、其後小生ハ尚李者と会晤之上、君我之意見交換をも期し居候処、貴方之電報にても有之候哉、急遽御退京相成候為、再会之機を得さりしハ誠に残懐之義に御座候、右等之次第ハ李君帰着之上詳細御報告有之候義とハ存候へとも、尊書に対する拝答旁可得貴意如此御座候 敬具
  大正十三年十一月十四日
                      渋沢栄一
    孫大人閣下
 - 第38巻 p.580 -ページ画像 
(欄外・朱書)
  大正十三年十一月十四日
  日華実業協会
  油谷恭一氏ヲ経テ
  井上謙吉氏ニ交付ス


(李烈鈞)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一九日(DK380064k-0004)
第38巻 p.580 ページ画像

(李烈鈞)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一九日  (渋沢子爵家所蔵)
(訳文)
拝啓、過般貴国ニ参リ再度面謁シ、絶大ノ霊光ニ輝ク風丯ヲ仰キ、実ニ三神山ノ元気ヲ取リ鍾メタル賢人ナリト存候テ、帰国以来既ニ旬日ヲ経候ニ追懐ノ念倍々探キヲ覚ヘ候、世界ノ局面ハ日進月歩止ム事ナク、東亜民族ハ此際最大ノ結合ヲナスベキモノト存候、孫中山先生ハ夙ニ此所ニ着眼サレ北上ノ前、先ツ小生ト途ヲ門司ニ取リ再応御面談シ、即時ニ本件ノ第一次討論ト致度存候ニ付テハ、閣下ニハ幸ニ御来臨ノ栄ヲ辱フスル事ト存候、且御同志ノ方々ヲモ宜敷願上度、右得貴意候 敬具
                       李烈釣
    渋沢子爵閣下
  大正十三年十一月十九日
  ○上海発信
  ○原文汚損ノタメ不採。


(孫文)電報 渋沢栄一宛 一九二四年一一月二〇日(DK380064k-0005)
第38巻 p.580 ページ画像

(孫文)電報 渋沢栄一宛 一九二四年一一月二〇日 (渋沢子爵家所蔵)
 Shanghai
Baron Shibuzawa, Nishigawara, Tokyo 20/11 1924
 1148 7059 1122 1628 1854
 2037 7161 1653 6678 5113
 7559 4634 5267 1783 4424
 5907 3676 1580 2163 2164
 5558 4391 4377 1766
  ○上海局十一月二十日午前十時四十六分発信、王子局同日午後二時二十分着信。
(右暗号翻字)
          大正十三年十一月二十一日入手之電報
                       支那上海発電
 東京
  渋沢子爵
契闊多年、恒懐雅度、遠聞高節、至慰私衷、特布極拳、曷禁神往
 邦訳
 多年拝芝ノ栄ヲ得ス候モ、常ニ御芳儀ヲ欽慕致居候、遥カニ御高節ヲ仰テ私衷ヲ慰シ居候、特ニ敬意ヲ表シ御機嫌ヲ伺フ


渋沢栄一電報控 大沢佳郎宛 大正一三年一一月二二日(DK380064k-0006)
第38巻 p.580-581 ページ画像

渋沢栄一電報控 大沢佳郎宛 大正一三年一一月二二日 (渋沢子爵家所蔵)
              大正十三年十一月廿二日発電
 - 第38巻 p.581 -ページ画像 
 神戸山本通一ノ二〇ノ三
  大沢佳郎殿
                       渋沢
孫文氏秘ニ貴地ヘ立寄ル由ニ付、到着ノ上ハ何トカシテ御面会ノ上、左ノ通リ御伝ヘ乞フ
 「上海ヨリノ貴電拝見御厚意探謝ス、御面会致サヾレバ情意ヲ通スルコト能ハザルモ、邦家多事ノ際不尠御苦心御配慮ノコトヲ遥察シ探ク御同情致シ、切ニ御自愛ヲ祈ル、御上京ナサレ久々ニテ御面会ノ機ヲ得ハ幸甚ナリ」
  ○大沢佳郎ハ当時第一銀行神戸支店長ナリ。


(大沢佳郎) 電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二三日(DK380064k-0007)
第38巻 p.581 ページ画像

(大沢佳郎) 電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二三日 (渋沢子爵家所蔵)
(翻字)
            大正十三年十一月廿三日入手電報
 東京
  渋沢子爵
                    神戸
                      大沢佳郎
孫文氏ヘノ御言伝ニツキ御申越拝承、明日着ノ筈ニツキ御伝ヘスル、御承知乞フ
  ○午後一時十四分王子局受信。送達紙ニ「大正十三年十一月二十三日午後二時十分入手」ト朱書アリ。


(孫文)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二三日(DK380064k-0008)
第38巻 p.581 ページ画像

(孫文)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二三日 (渋沢子爵家所蔵)
(翻字)
             大正十三年十一月廿三日入手電報
 東京
  渋沢子爵
                      上海丸ニテ
                          孫文
此度弊国ノ時局収拾ノ為、北京ヘ行ク、特ニ廿二日出帆ノ「上海丸」ニテ貴国ヲ経テ、諸賢ト東亜ノ大局二付懇談シタシ、神戸迄御光来アラバ幸甚、尚朝野諸賢ニ伝ヘラレタシ
  ○午後七時王子局受信。
  ○孫文ハ二十三日正午上海丸ニテ長崎寄港、同午後五時同船ニテ長崎発神戸ニ向フ。


渋沢栄一電報控 孫文宛 大正一三年一一月二三日(DK380064k-0009)
第38巻 p.581-582 ページ画像

渋沢栄一電報控 孫文宛 大正一三年一一月二三日 (渋沢子爵家所蔵)
              大正十三年十一月廿三日発電
 郵船上海丸一等船室
  孫文
                         渋沢
再度ノ貴電拝承シタレトモ、所労中ニ付御希望ニ応ジ兼ヌル故不悪諒
 - 第38巻 p.582 -ページ画像 
承有度シ、尚貴電ニ付テハ同志ト相談中ナリ


(大沢佳郎)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二四日(DK380064k-0010)
第38巻 p.582 ページ画像

(大沢佳郎)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二四日 (渋沢子爵家所蔵)
(翻字)
       大正十三年十壱月弐拾四日後八時半入手電報
 東京
  渋沢子爵
                    神戸
                      大沢佳郎
孫文氏ニ面会御言葉ヲ伝ヘタルニ、氏ハ御厚意ヲ感謝シ、且ツ今回ハ上京出来ザルヲ遺憾ニ思フ
宜敷御伝ヘヲ乞フト申サレタリ
  ○孫文ハ二十四日午後入港、オリエンタル・ホテル宿泊。


渋沢栄一電報控 大沢佳郎宛 大正一三年一一月(DK380064k-0011)
第38巻 p.582 ページ画像

渋沢栄一電報控 大沢佳郎宛 大正一三年一一月 (渋沢子爵家所蔵)
 神戸市栄町
  第一銀行支店大沢佳郎
孫文氏ノ件ニ付、早速ノ御高配多謝、毎々恐縮ナカラ又左ノ通リ孫文氏ニ御伝達請フ
 過日来貴電ニ付彼是心配シタルモ、病臥中ノ為メ如何トモ致兼ネ、友人トモ協議シタレトモ都合悪ク、孰レモ貴地ニ参上致シ難キニ付不悪御諒承請フ、尚閣下ノ御清祥ヲ賀シ、益邦家ノ為メ御活動アランコトヲ祈ル
  ○十一月廿四日午後或ハ廿五日午前ノ発信ナラン。


(大沢佳郎)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日(DK380064k-0012)
第38巻 p.582 ページ画像

(大沢佳郎)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日 (渋沢子爵家所蔵)
(翻字)
            大正十三年十一月廿五日入手電報
 東京
  渋沢子爵
                       神戸
                         大沢
電信拝誦ス、御言葉ヲ伝エタルニ御高配ヲ感謝スト申サレタリ
  ○午後四時二十五分王子局受信。


孫文氏への御挨拶大要 大正一三年一一月二七日(DK380064k-0013)
第38巻 p.582-584 ページ画像

孫文氏への御挨拶大要 大正一三年一一月二七日 (渋沢子爵家所蔵)
    孫文氏への御挨拶大要
御一別以来、何時も国事に御奔走の事は新聞紙によりて承知致し、終始一貫御尽瘁の程遠方ながら感服致し、祝賀致し居る次第であります此度御来遊せられたに付ては、是非参上致したいとも存しましたが、折柄病気の為め参ることの出来ませぬことを非常に残念に存して居り
 - 第38巻 p.583 -ページ画像 
ます。又同志の人々とも協議しましたが、皆都合が悪く誰も行くことが出来ませず、真に遺憾と存じましたが、幸に日華実業協会の専務理事たる友人角田隆郎君が行かれることになりましたので、同君に托し衷情を御伝へすることゝしました。何卒御聴取を願ひます、私は政治界に関係なく実業界も数年前直接の関係を絶ち、縁が遠くなつて居りますので、現下の状態に付ての観察は頗る迂遠で御座います、今朝の中外商業新報で発表されました日本に対する宣言を通読しまして、頗る吾意を得たと思ふて居ります、それにつけても御面談の上親しく討議致しますれば、興湧き熱生することゝ思ひまして、残懐の感を深くします
角田君の尽力して居ります日華実業協会は、貴国と事業上の関係ある人々の組織して居る団体でありますが、私は会長を御引受して居る関係上、貴国の近状を時々承り居ります、一昨年から昨年にかけての学生・商工業者の行つた日貨排斥に付ては、真に不穏当と思ひ、其筋にも抗議を申込んだこともあります、幸に此頃では其騒動も後を絶ち、誠に結構なことゝ思ふて居ります、然し両国の国交が政治上から見ましても経済上から見ましても、兎角円熟せざるは痛憾至極で御座います、此問題に付てもお互に他を責めることをせず、自己を省み忠恕を以てし交誼を堅固にすべきである、又左様したいと期念して居る所であります
私は道徳経済合一説を力説して居りますが、今は経済界を離れた自分でありますから、道徳の方から之に適合する様にしたいと心配もし努力もして居ります、此等の点は角田君よりも御聴取下されば仕合で御座います
不日北京に御出での様に承知して居りますが、諸賢と御会議の節は何卒国交の円滑に参ります様大局高所よりは勿論、些々たる問題に付ても此目的に副ひます様御心配が願ひたいのであります、一家より一村に、一村より一郡に、一郡より一国に、更に世界にまで及ぼす、即小より大に及ぶと云ふことが事物の妙諦でもあり、道徳経済合一の基礎でもあると思ひますので、国家の大問題を議するに付ても些事と雖も能く御考へ願ひたいと存じます
尚先年御相談しまして組織しました中日実業会社も、其後一向発展は致しませんが、続いて貴国との関係に付努力は致して居ります、序ながら申添ヘます
終りに益御健祥で邦家の為め、御活動の事を衷心より深く御喜申上ます
    戴天仇氏への御挨拶
暫く御無音に打過ましたが益御健全で何よりと思ふて居ります、日本語に益御熟達の御模様を新聞紙を通して承知致し喜んで居ります、只余りに雄弁である為め他の嫉視を受ける様なことがあつてはと秘に心配して居ります、何卒御自重願ひます
  大正十三年十一月廿七日
  ○右ハ角田隆郎ニ託シテ在神戸ノ孫文ニ宛テタル栄一ノ挨拶状ノ控ニシテ、渋沢家所蔵書類綴込「支那人往復(一)」中ニアリ。
 - 第38巻 p.584 -ページ画像 
  ○孫文ハ十一月二十八日午後二時ヨリ神戸高等女学校ニ於テ、大阪毎日・大阪朝日両新聞社後援、神戸商業会議所主催ノ講演会ニ出場シ、戴天仇ノ通訳ニテ「大亜細亜問題」ナル題下ニ約二時間ニ亘リ講演シタリ。


(大沢佳郎)書翰 渋沢栄一宛 (大正一三年)一一日二八日(DK380064k-0014)
第38巻 p.584 ページ画像

(大沢佳郎)書翰 渋沢栄一宛 (大正一三年)一一日二八日 (渋沢子爵家所蔵)
尊書拝読仕候、益御多祥奉賀候、陳は当地滞在中の孫文氏へ御伝言ニ付てハ、其都度以電報申上候為め御文通を怠り居候処、今回却而御丁寧なる御書面を賜り恐縮ニ奉存候
日華実業協会理事角田隆郎氏ハ今朝御来神相成、御書面拝見、御来意之趣敬承仕候、同氏とも緩る緩る御面会致、孫文氏との御対談も承り申候、同氏が態々閣下の意を体して来神せられ、其希望を御聴き被成候事ハ、孫氏も大ニ満足せられ候事と奉存候
中華民国も新政府樹立せられ、聯省自治の目的を達し得られ候ハヽ、日支之関係も追々改善可被致と奉存候、承り候へハ御風邪にて御熱もあらせられ候よし御案し申上候、何卒一日も速かニ御全快之程祈上候右拝答旁得貴意度如此御座候 拝具
  十一月二十八日
                         佳郎
    青淵先生
       榻下
 追而角田氏ハ今晩七時の汽車ニて御帰京のよしニ承り候


(孫文)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一二月一日(DK380064k-0015)
第38巻 p.584 ページ画像

(孫文)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一二月一日 (渋沢子爵家所蔵)


図表を画像で表示--

 モジ      后三・五〇   五/一一〇 トウケウシニホンバ シクカブ トテウ」   ソンブン [img 図]〓   東京中央電信局、 シブ サハシシヤク                        一三、一二、一付消印 コンカイキコクニマイリテウヤノゴ コウイヲウケタルヲカンシヤスゴ ビ ウキノヨシオミマイニマイラレザ ルヲイカントシセツニゴゼ ンカイノハヤキヲイノリナホリヨウコクミンケイザ イレンケツノタメゴ ハイリヨヲセツボ ウス 


                   受信 午后四時四五分
(右翻字)
 東京日本橋兜町
  渋沢子爵
                        孫文
今回貴国ニ参リ、朝野ノ御好意ヲ受ケタルヲ感謝ス、御病気ノ由御見舞ニ参ラレサルヲ遺憾トシ、切ニ御全快ノ速キヲ祈リ、尚ホ両国民経済聯結ノ為メ御配慮ヲ切望ス
  ○孫文ハ十一月三十日午前十時北嶺丸ニテ神戸発天津ニ向フ。


渋沢栄一電報控 孫文宛 大正一三年一二月二日(DK380064k-0016)
第38巻 p.584-585 ページ画像

渋沢栄一電報控 孫文宛 大正一三年一二月二日 (渋沢子爵家所蔵)
 - 第38巻 p.585 -ページ画像 
             (大正十三年十二月二日発電)
 北京
 日本公使館気付
  孫文殿
                         渋沢
門司ヨリノ貴電拝誦、小生ノ病気ニ付御高配ノ段感謝ス、漸次快癒シツヽアレバ御安神請フ、角田氏帰京ノ上御近情ヲ承知シ欣慰ノ至リナリ、尚将来共両国親善ノ為メ御配慮ヲ希望ス



〔参考〕中外商業新報 第一三九一二号 大正一三年一一月二七日 東洋民族の為め日支の握手 特に貴紙を通じ日本朝野に愬ふ 高木特派員報(DK380064k-0017)
第38巻 p.585-586 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東京朝日新聞縮刷版 大正一三年一一月号・第三―四頁 大正一四年一月刊 ○大正十三年十一月重要記事 孫文氏来朝(DK380064k-0018)
第38巻 p.587 ページ画像

東京朝日新聞縮刷版 大正一三年一一月号・第三―四頁 大正一四年一月刊
 ○大正十三年十一月重要記事
    孫文氏来朝
 北京に於ける直隷派没落後、孫文氏は天津に開かれたる巨頭会議に列すべく、十三日軍艦永豊にて北上の途に上つたが、十八日上海にて李烈鈞氏と懇談の結果、急に日本行を決行することに決定し、一行十三名は二十四日神戸入港の上海丸にて来着した。孫氏来朝の目的は、日本の政党及び民間の有志と隔意なき意見を交換し、完全なる諒解を得るにあり、望月小太郎・古島一雄・高見之通・頭山満諸氏は孫氏と会見し、互に懇談するところがあつた。なほ、孫氏は連日各種の歓迎会に出席し、或は講演会に臨み、或は新聞記者等と会見し、極力日支提携実現の必要を説き、先づその第一歩として日本が支那に示す好意を具体化する為に、日本は須らく列国に率先して支那の治外法権撤廃関税の外人管理廃止等を主張して列国を指導し、以て支那人が最も苦痛とするところを除き、支那人をして永久に日本の友誼を記憶せしめるやうにしたいと希望した。かくて孫氏は滞在一週間の後、三十日幕僚二十余名を従へ、神戸出帆の北嶺丸にて天津に向つて出発した。