デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
13款 アメリカ海軍卿エドウィン・デンビー歓迎
■綱文

第39巻 p.21-26(DK390004k) ページ画像

大正11年7月4日(1922年)

是月二日来日セルアメリカ合衆国海軍卿エドウィン・デンビーヲ迎ヘ、是日内閣総理大臣加藤友三郎主催午餐会、同夜アナポリス兵学校同窓会、五日東京市長後藤新平主催午餐会、同夜外務大臣内田康哉主催晩餐会、六日平和記念東京博覧会主催午餐会等各所ニ催サレ、栄一ソレゾレ出席ス。


■資料

中外商業新報 第一三〇四〇号大正一一年六月二九日 海越しの同窓会 遥々米国から渡来するア兵学校出身者の一行(DK390004k-0001)
第39巻 p.21 ページ画像

中外商業新報 第一三〇四〇号大正一一年六月二九日
    海越しの同窓会
      遥々米国から渡来する
     ア兵学校出身者の一行
千八百八十一年、米国アナポリス兵学校を卒業した人々に依つて組織されて居るクラス会は、昨年は米国華盛頓市に開かれ、我海軍からも瓜生大将が出席したが、今年は既報の通り来る七月四日の米国独立記念日に東京で開かれる、で夫に出席する海軍卿デンビー夫妻、桑港海兵団長ヂヨージ・バンネツト氏、有名なる法律家フランク・バンツ氏上院議員ウエラー氏等の一行二十七名と、其夫人・令嬢等総勢七十名の一行は、七月二日横浜入港のヘンダーソン号で来朝する筈であるが一行は十日迄滞在して各種の招待会に出席、十一日午前横浜から乗船し、神戸、上海、マニラ、ガム等を経由して帰国する筈である、右に就いて外務省欧米局の岩手事務官は語る
 「現在日本で同校を出身した人は瓜生大将のみで、他は皆他界して了つた、今度はハーデイング氏も非常に力を入れて居るので日米親善の上から見ても好い機会だと思ふ、尚宮中のお催物もある筈であつたが、東伏見宮が薨去遊ばされたのでお取止めになる事と思ふ云云、一行の中には活動写真隊も居て日本に於ける一行の動静を詳細撮影し、帰国してから大いに日米親善を宣伝するさうだ」云々


集会日時通知表 大正一一年(DK390004k-0002)
第39巻 p.21-22 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年      (渋沢子爵家所蔵)
七月四日 火 午後〇時半  総理大臣催米国海軍卿歓迎午餐会(同官舎)
       午後八時   米国海軍兵学校卒業生(デンビー氏一行)ヨリ正式招待(銀行クラブ)
              燕尾勲章佩用
七月五日 水 午前十一時半 東京市長催
              米国海軍卿一行招待会 工業クラブ
       午後七時半  外務大臣晩餐会(同官舎)燕尾服略章
 - 第39巻 p.22 -ページ画像 
       午後九時   右同 夜会
七月六日 木 午前十一時  東京博覧会協賛会催
              米国海軍卿デンビー氏一行歓迎会(迎賓館)


東京日日新聞 第一六四四一号大正一一年七月五日 米賓招待 官邸の午餐会(DK390004k-0003)
第39巻 p.22-24 ページ画像

東京日日新聞 第一六四四一号大正一一年七月五日
    米賓招待
      官邸の午餐会
加藤首相は四日正午より永田町首相官邸に、今回来朝した米国海軍卿デンビー氏を招待し、午餐会を開催したが、当日の出席者は主賓側より
 デンビー海軍卿、ウエスラー、ストラウス両海軍大将、バンフ博士その他デ卿夫人・令嬢等五十余名、陪賓として米国大使ウオーレン氏、ウイルソン参事官、バーネツト陸軍武官、アーボツト商務官等夫人・令嬢十余名
日本側陪賓は
 内田外相、大木鉄相、水野内相、荒井蔵相、鎌田文相、岡野法相、山梨陸相、牧野宮相、井上式部長官、珍田東宮大夫、植原外務次官、幣原米国大使、その他外務各局長、瓜生海軍大将、山下軍令部長、井出海軍次官、その他海軍省各局長、後藤市長、金子・渋沢両子、目賀田男、井上日銀総裁、その他東京の重なる実業家、以上の令夫人等
四十余名にして主人側よりは
 加藤首相同夫人、以下馬場法制局長官、宮田内閣翰長及内閣書記官等出席し、直に食堂を開きデザトーコースに入り、加藤首相は立つて左記一場の挨拶をなしたるに対し、デ卿は謝辞を述べ、更に加藤首相は再び立つて米国大統領のため万歳を三唱し、次いで米国大使は日本帝国陛下のために万歳を唱へ、主客歓を尽くして午後二時半散会した
      首相演説
 ◇デンビー閣下、大使閣下、セネター・ウエラー並に淑女紳士諸君日米両国を始め諸邦国の間に重要なる協約の締結後間もなき今日、諸君が我日本を訪問せられたることは洵に顕著なる意義を有する事柄でありまして、何人が首相の職に在つても諸君を歓迎することを以て、大なる栄誉となす次第であります。
 ◇ワシントン会議開催中の繁忙なる而も愉快なる四箇月間、多少貴国に就て観察する所もあり、又貴国の指導者と親しく交を結んだ私は、常に貴国人士の墾切なること、並に貴国の目的とする所、着目する所の崇高にして偉大なる事を記憶するものであります、私は国民全体が真実でなければ、貴国為政者の如き真実なる人士の指導に服するものではないと信じます、又如何なる国と雖も貴国の友情を尊重し、又は貴国の純真なる動機を諒とせざるものはないと確信致します
 ◇我日本国民につきましては、諸君は短日月の滞在中、尚ほ能く彼等が卒直を尚び友情を重じ、資性訓練共に自由主義に傾ける国民な
 - 第39巻 p.23 -ページ画像 
ることを看取せらるゝことゝ信じます、而して彼等は職業の如何に関せず、又貧富貴賤を問はず、皆近来貴国の卓越せる政治家が一般国民の支持によりて発揮して来た幾多美徳の実例を目睹して、深甚なる感銘を受けたのであります、従つて先般全世界に向つて貴国が提唱せる平和並に友誼の協力を拒絶するが如きは、実に日本国民本来の性質に背反する所以であります
 ◇日本国民は日米両国間に現存する親善関係を持続し、且つ絶へず此を増進せん事を熱望して居ります、私は日米両国間にして真実平和、友好を欲するならば、両国は啻に両国間現存の了解を永久的ならしむるのみならず、進んで広く進歩思想の指導者とも、恒久的了解を保持する事に努力すべきであると信じます
 ◇世界の主要国民にして協心協戮すれば、基礎を海上に置く現時の平和を将来永く維持し得ない道理はないのであります、而して若し海上の平和にして確立せば延て一般陸上の平和も維持増進せらるべきは明瞭なる事理であります、而してこの感想は海軍々人を以つて自任する人士の挙つて賛同せらるべき所たるを確信致します、瓜生大将が諸君のクラスを日本に御招待せられたるは誠に結構なる思付きにして、海軍長官が自身諸君と行を共にせられ、ストラウス提督が諸君と玆に会せられたるは共に私の感謝する所であります、只私の遺憾とするは諸君のクラスに欠員があり、殊に陸軍長官が御一行に加はられない事であります
    海軍卿挨拶
  ◇予は閣下の慎重なる御挨拶を感謝し、予等一行が日本到着以来受けたる懇切なる待遇に対する余の深き感謝を閣下に向つて述べ度いと思ふ、予等は又男爵がワシントン会議において為されたる偉大なる事業、並に同会議をして成功を得せしめた男爵の無限な援助に対して、予等は個人として特に男爵に感謝すべき義務があるを感じ居るものである
  ◇ワシントン会議において世界海軍国の海軍力比率問題に於いて多大の議論が生じた日米海軍力の比率問題は、飽くまで専門的討議の問題として決して砲火を以つて解決さるべき実際問題とするべきでないことは、余の熱心に希望した所で且つさう成ると信じた所である、吾々は平和と親善のために真摯なる努力を致さねばならぬのみならず、吾々は又吾々と目的を同じくする他の諸強国と協力して吾々の諸隣国を援助する上に努力しなければならぬ
  ◇今や諸国民は良心及び人道の上から云つても、又自利の上から云つても相互援助は諸国家の執る可き最善の政策であると云ふ事を理解するに至り、首相が只今言及されたワシントン会議は、諸国家をしてこれを理解せしむるにあづかつて力あつたものである、孤立無援の裡に遺棄されたる国家は、世界平和にとつて大なる危険の一つである、されば如何なる国家も左様な苦境に遭遇するを避け得らるれば、その凡ての国家にとつて利益である、余は今朝(四日)の新聞に掲載された加藤総理大臣の声明を読んで、閣下が八八艦隊計画に規定されたる以上に、補助艦を建造するの意志なきことを見て
 - 第39巻 p.24 -ページ画像 
非常に満足とするものである
  ◇吾人は日本がワシントン会議に於て、締結されたる条約を厳格に履行するのみならず、更らに同条約に規定されなかつた補助艦艇の建造に就いても、条約の精神を尊重するであらうと確信するものである、之を以て吾人は吾人の締結したる海軍条約なるものが、全く誠心誠意に出たるものであつて、決して此を裏切るが如き行動の無いことを世界に示し得ることが出来るのである、云々


東京日日新聞 第一六四四三号大正一一年七月七日 外相米賓歓迎(DK390004k-0004)
第39巻 p.24 ページ画像

東京日日新聞 第一六四四三号大正一一年七月七日
    外相米賓歓迎
五日午後五時より外相官邸において、デンビー卿一行の歓迎晩餐会並びに夜会を開き、デンビー卿一行の外、陪賓として米国大使チヤールス・ウオーレス氏を始め
 加藤首相・牧野宮相・金子枢密顧問官・珍田東宮大夫・山下軍令部長・井出海軍次官・加藤寛治中将・瓜生大将・渋沢栄一・阪谷芳郎・伊集院彦吉・幣原大使・埴原次官
諸氏その他多数列席したが、晩餐会席上における内田外相の演説要旨左の如し
  ○私は諸君の友誼ある御来訪を迎ふるに今日程適切なる時機はないと考へます、日米両国関係が常に親善を保持し来つたのは実に至幸なることであります、両国間には未だ曾て重大なる意見の扞格を来したことがありませんでした、時に或は些少の誤解を生じまして近年に至り恰も諸君が横断せられたる太平洋に陰影を投ぜんとするが如き傾向なきにしもありませんでしたが、而も真の危険は一度も存在したことがありませんでした、而して幾多邦国間に一層良好なる了解を確立せんが為め、数個月前貴国大統領が太平洋並に極東問題に関係を有する諸国民に対して、慇懃に各自其代表者をワシントンに派遣せんことを懇請せられたるは、洵に幸慶にして且つ賢明なる処置でありました、次で率直にして友誼的なる討論を以つて終始したる会議の結果、此等関係国民の間には何等解決し得ざる困難なる問題も存在せぬ事が発見せられました、従つて四箇月未満の間に絶大なる好評を齎すべき、諸般の条約及び決議が締結せられました
  ○米国の提議の公正寛大なることは、他国民の実行的協約を締結せんとする用意と相俟つて、爰に一つの新国際精神は、今や日米両国の此に臨む光輝ある太平洋上に樹立せらるゝに至つたのであります、此の新しき国際精神は、同情と了解と提携とより成るものであります、ワシントン会議開催以前に存しましたる如何なる疑惑の念も、之に依つて一掃せられ今日に於ては、国際間には最早一抺の暗雲をも認むる能はざるに至つたのであります、故に淑女紳士諸君も斯く友愛の情を以て我が国を御訪問せられたるは、甚だ機宜を得たことゝ申す外はありません


竜門雑誌 第四一〇号・第五二―五三頁大正一一年七月 ○加藤首相主催午餐会(DK390004k-0005)
第39巻 p.24-25 ページ画像

竜門雑誌 第四一〇号・第五二―五三頁大正一一年七月
○加藤首相主催午餐会 加藤首相は七月四日正午より、首相官邸に於
 - 第39巻 p.25 -ページ画像 
てデンビー卿一行の歓迎午餐会を開催したるが、参会者は一行の外、陪賓として内田外相以下各大臣、青淵先生、米国大使、後藤市長、井上日銀総裁其他五十余名出席し、席上、加藤首相の歓迎辞、デンビー卿及上院議員ウエラー氏の謝辞あり、午後二時半主客歓を尽して散会せりと云ふ。
○アナポリス兵学校同窓会 一八八一年米国アナポリス兵学校卒業生第十一回同窓会は七月四日午後八時より丸の内東京銀行集会所に於て開催せられ、主賓米国海軍卿デンビー氏を始め瓜生男外同窓生二十七名並に陪賓加藤首相、内田外相、ワーレン米国大使、徳川公爵、青淵先生、幣原大使、山下軍令部長、井出海軍次官、金子子、後藤男其他五十余名の諸氏参会し海軍々楽隊の奏楽裡に宴を開き、青年時代の楽しき追懐談に興じつゝデザートコースに移るや、同窓生なる上院議員ウエラー氏は同会幹事として挨拶を述べ、更にステートン氏起つて歓びの辞を述ぶれば瓜生男は之に応へて来訪の厚意を感謝する所あり、デンビー卿次で謝辞を述べ、同十時半和気靄々裡に散会せりと云ふ。
○東京市長主催歓迎宴 後藤市長は七月五日午後丸之内日本工業倶楽部に於て、デンビー卿一行を招待し午餐会を催したるが、当日はデンビー卿一行の外、加藤首相、内田外相、青淵先生、米国大使、瓜生・山下両大将、宇佐美府知事其他市会議員等諸氏出席し、主客合せて二百余名、宴は三曲の合奏に始まりて興を添へ、更に別室に於て食堂を開き、席上後藤市長の歓迎辞、デ卿の挨拶あり、午後一時半一同和楽の裡に散会せりと云ふ。
○内田外相主催晩餐会 内田外相は七月五日午後七時半より、外相官邸に於てデンビー卿一行の歓迎晩餐会、同九時より夜会を催したるが参会者は来賓一行の外、加藤首相以下各大臣、青淵先生、米国大使、金子子、阪谷男、瓜生男、幣原大使、埴原次官其他数十名の諸氏陪賓として参列し、席上内田外相の歓迎辞に対し、デンビー卿の挨拶あり終つて宴を閉ぢ更に九時より階上の舞踏に移り、夜の更る迄歓を尽せりと云ふ。
○平和博覧会デ卿一行招待 平和記念東京博覧会にては七月六日、デンビー卿一行を招待して随意に各館を観覧せしめたるが、同日零時二十分デ卿其他の来賓諸氏は、宇佐美会長の案内にて迎賓館に入り、青淵先生、瓜生男夫妻、幣原大使、伊集院男、後藤市長と共に設けの宴に着き、デザートコースに入るや宇佐美会長及協賛会長青淵先生の歓迎辞に対し、デ卿の謝辞ありて宴を閉ぢ、夫れより各館を巡覧して午後二時半辞去したりと云ふ。


平和記念東京博覧会協賛会事務報告書 同協賛会編 第五九―六〇頁大正一二年二月刊(DK390004k-0006)
第39巻 p.25-26 ページ画像

平和記念東京博覧会協賛会事務報告書 同協賛会編 第五九―六〇頁大正一二年二月刊
 ○開会中の事業
    接待
○上略
米海軍卿招待会 瓜生海軍大将の招待により、米国海軍兵学校一八八一年出身者同級会出席のため、七月二日米国海軍卿デンビー氏一行渡来に付、博覧会と共同し同月六日一行を迎賓館に招待し、午餐会を開
 - 第39巻 p.26 -ページ画像 
催せり。食堂は大広間とし休憩室には貴賓室・同附属室・貴賓室前広場・特別室を以て之に充て、玄関階段を始め各室入口、天井支柱は日米国旗、花環等を以て美々しく装飾せり、当日は主賓デンビー卿同夫人、上院議員ウヱラー氏、亜細亜艦隊司令官ストラウス提督、同夫人を始め一行七十名、陪賓として米国大使ワレン氏及び同大使館員其他在京米国新聞記者、瓜生大将、同夫人、珍田伯、伊集院大使、同夫人鳩山春子刀自等、主人側として博覧会長、本会長を始め常任常議員及び理事其他関係役員等主客百二十名出席せり。
定刻に至り海軍軍楽隊の奏楽裡に食堂は開かれ、宇佐美博覧会長の挨拶に対しデンビー卿の答辞あり、次に渋沢会長の歓迎辞に対し、ウヱラー氏の謝辞及びヘインズ夫人の感想談等あり、主客歓談和気靄々の裡に散会せり。



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第六三五―六四〇頁昭和七年二月刊(DK390004k-0007)
第39巻 p.26 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。