デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.105-123(DK390045k) ページ画像

大正4年1月31日(1915年)

是日、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリック、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問ス。二月六日、大隈重信邸ニ於テ、ギューリック及ビシカゴ大学神学部長シェラー・マシューズノ歓迎会開カレ、栄一出席ス。二月十日、帰一協会ハ上野精養軒ニ於テ、両博士ノ歓迎晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、同協会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二月十一日、栄一、両博士及ビアメリカ合衆国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリーヲ日本女子大学校ニ迎ヘテ午餐ヲ共ニス。二月二十四日、外務大臣加藤高明、同大臣宮邸ニ於テ両博士招待午餐会ヲ開ク。栄一之ニ陪席ス。二月二十五日、栄一、両博士ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK390045k-0001)
第39巻 p.105-106 ページ画像

渋沢栄一日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
一月卅一日 雨
○上略 午前十時半米人キリユツク氏、成瀬仁蔵氏外一名来ル、ギ氏一昨年冬米国ニ赴キシ以来、日米ノ親善ニ付テ百方尽力シタル顛末ヲ詳細ニ演説ス、四人午飧ヲ共ニシ種々ノ懇談ヲ為シ、且新来ノ博士マシユース氏ヘノ伝言ヲ托シテ分袂ス○下略
   ○中略。
二月六日 晴
○上略十二時半早稲田大隈伯邸ニ抵ル、米人マシユース及ギユリツク二
 - 第39巻 p.106 -ページ画像 
博士ノ招宴ニ出席ス、米国大使モ来会ス○下略
   ○中略。
二月十日 晴
○上略 午後六時上野精養軒ニ抵リ、米人マシユース及キユリツキ両博士ヲ帰一協会ニ於テ歓迎スル宴会ニ出席ス、加藤外務大臣・松井次官・米国大使等来会ス、食事前キユリツク博士日米ニ関スル演説アリ、食卓ニ於テ余モ会員代表ノ歓迎演説ヲ為ス、後席ニマシユース博士ノ演説アリ、最後ニ加藤外相ハ両博士ノ演説ニ対スル謝詞ニ加ヘテ、日米間ニ於ケル謬見ヲ弁明スル為ニ詳細明確ノ演説アリ、夜十二時過一同興ヲ尽シテ散会ス


竜門雑誌 第三二一号・第六六頁大正四年二月 マシユウス博士招待会(DK390045k-0002)
第39巻 p.106 ページ画像

竜門雑誌 第三二一号・第六六頁大正四年二月
○マシユウス博士招待会 大隈首相は二月六日正午、目下来朝中のマシユウス博士及びギユリツク博士の為めに、早稲田自邸に於て歓迎午餐会を催されし由なるが、当日青淵先生にも加藤外相・米国大使等と与に列席せられたりとなり。


帰一協会書類(DK390045k-0003)
第39巻 p.106 ページ画像

帰一協会書類              (阪谷子爵家所蔵)
拝啓、来る二月十日午后六時上野精養軒に於て、今般来朝せられたる北米合衆国シカゴ大学教授マシウス博士、並ニ本会々員ギューリック博士の歓迎を兼ね例会開催可仕候、而して当日は米国大使ガスリー氏及大隈内閣総理大臣・加藤外務大臣、並ニ一木文部大臣に臨場を請ひそれそれ承諾を得居候、就ては何卒御繰合せ御来会被下度、此段御案内申上候
当日左の講演を請ひ
 一、米国より観たる亜細亜問題 マシウス博士
 一、米国観察談 ギューリック博士
猶ほ時間に余裕有之候はゞ、引続き左の講演を請ふべく候間、左様御含置被下度候
 一、時局に対する国民の覚悟 男爵 渋沢栄一氏
                  中島力造氏
乍御手数御来会の有無折返へし御一報被下度候
  大正四年二月四日 帰一協会幹事
   追記 当日の御服装は燕尾服(勲章ヲ佩ビズ)若しくは之に準ずべき衣服御着用願度候
      当日会費金二円御持参願上候


帰一協会会報 特別号・第一―六頁大正四年五月 マシウス博士ギューリック博士歓迎会(DK390045k-0004)
第39巻 p.106-108 ページ画像

帰一協会会報 特別号・第一―六頁大正四年五月
    マシウス博士ギューリック博士歓迎会
 去る二月十日夕、本協会は当時在京中の米国シカゴ大学神学部長にして米国教会同盟会長たるシェーラー・マシウス博士、及び京都同志社教授にして米国教会同盟会国際関係代表者たるシドニー・ギューリック博士(本協会員)を上野精養軒に招待して歓迎会を開催せり、米国教会同盟会は千九百八年の創立に係り、現に三十の基督教派を聯結
 - 第39巻 p.107 -ページ画像 
し、会員約千七百万人を算する甚だ有力なる会にして、昨年四月日米問題研究の目的を以て特に日本関係事項調査委員を設け、基督教の見地より日米問題を研究し、且両国相互の善意を進むるに必要なる手段をも実行することゝなれり、該委員会は既に米国に於ける研究に着手し、且日米問題に就き洽く米人を教へ且導くべき手段を取れり、而して今や該手段と関聯して米国基督教徒より日本基督教徒に向つて、米国の真の態度は不断の善意の態度なることを証言すべく、前記二博士を我邦に派遣するに至りしなり、二博士の使命は一は米人を教導するの事をして有効ならしめんが為めに新なる資料を得るにあり、米国の態度は一般に友誼的なりと言ふものゝ、猶之と反対の力の存することは事実なればなり、又日米問題を満足に解決せんとするには立法上の行動を必要とすべく、此に対して一面米国の輿論を動かすの要有ればなり、二は日本に於ても米国の態度を疑ひ、且米国は極東侵略の計画を有すと疑ふが如くなれば、米国の真意を開示して其疑惑を釈くに在り、前記の有力なる団体が其最も有力なる首脳たる二博士に、如上の使命を帯びて来朝せしめたることなるを以て、本協会は特に其歓迎会をして単に外交的辞令の交換を以て終はる一の形式的会合たらしめずして、更に深き意味有るものたらしむべく計画し、左の人々に向つて招待状を発送せり。
  ガスリー米国大使       ホイーラー米国大使館書記官
  大隈内閣総理大臣       加藤外務大臣
  一木文部大臣         松井外務次官
  福原文部次官         松浦専門学務局長
  田所普通学務局長       大隈内閣総理大臣秘書官
  山崎内閣総理大臣秘書官    柴田宗教局長
  赤司維新史料編纂局長     小池政務局長
  坂田通商局長         江木内閣書記官長
  金子子爵           山川東京帝国大学総長
  上田東京帝国大学文科大学長  シヤーキー氏
  ケネディー氏         井深梶之助氏
  元田作之進氏         平岩愃保氏
  植村正久氏          徳富猪一郎氏
  ライシヤー氏         ウイクリー氏
                    (以上次第不同)
 当夜に至り公務其他差支の為めに大隈首相其他欠席されたるは遺憾なりしも、猶ほ左記十三名の出席を見るを得たるを幸とす。
  ガスリー大使   ホイラー書記官
  加藤外務大臣   一木文部大臣
  松井外務次官   松浦専門学務局長
  田所普通学務局長 上田文科大学長
  シヤーキー氏   ケネディー氏
  井深梶之助氏   ライシヤー氏
  ウイクリー氏
会員の出席者は左記三十八名なりき
 - 第39巻 p.108 -ページ画像 
   井上哲次郎氏     井上雅二氏
   石橋甫氏       服部宇之吉氏
   馬場恒吾氏      本多日生氏
   ジー・ボールス氏   小野英二郎氏
   高田早苗氏      添田寿一氏
   綱島佳吉氏      頭本元貞氏
   中島力造氏      成瀬仁蔵氏
   浮田和民氏      内ケ崎作三郎氏
   矢野茂氏       山田三良氏
   山内繁雄氏      クレー・マツコーレー氏
   松本亦太郎氏     ケールン氏
   フイツシヤー氏    福岡秀猪氏
   五代竜作氏      エツチ・コーツ氏
   海老名弾正氏     麻生正蔵氏
   秋月左都夫氏  男爵 阪谷芳郎氏
   沢柳政太郎氏     佐野善作氏
   岸本能武太氏     宮岡恒次郎氏
   柴田礼一氏   男爵 渋沢栄一氏
   塩沢昌貞氏      森村開作氏
 午後七時開会、先づギユーリツク博士に一場の演説を請ふ、博士は流暢なる日本語を以て一時間以上に亘りて日米問題を論じ、遂に其解決の案を示さる、右講演を終つて食堂を開き、卓上に於て司会者渋沢男爵は両博士に対し歓迎の辞を述ぶ。
 夜十時食事終るや、マシウス博士起ちて自己の意見としてにはあらず、米国人の考ふるところ又感ずるところを有りの儘に話さんとの前提を以て、有益なる講演あり、会員宮岡恒次郎氏之を口訳し、次で加藤外相は来賓を代表してマシウス博士に対し挨拶をなし、且日本人側の考を腹蔵無く述べんとて興味ある演説を為し、会員頭本元貞氏之を英訳す、時に零時十分、乃ち閉会を告ぐ。
 此会合に於けるギユーリツク博士の熱心なる意見と、マシウス博士が亜米利加に於ける意見と感情とを、腹蔵なく報導せられたる事とは来賓・会員共に深く満足する所なり、又加藤外務大臣の演説が主賓二博士に多大の興味を感ぜしめ、此会合が因て甚だ有意味のものたる事を得たるは本協会の深く感謝するところなり、而して米国ガスリー大使の講演をも請ふ筈なりしも、時既に夜半を過ぎたるを以て之を見合すの已むを得ざるに至りしは甚だ遺憾の事なりとす。
 前記講演は次に之を載す、但マシウス博士の講演は速記の儘にて校閲を経るに至らざりしものなれば、博士並に読者の之を諒せられんことを請ふ。


帰一協会会報 特別号・第七―九頁大正四年五月 歓迎の辞 男爵 渋沢栄一(DK390045k-0005)
第39巻 p.108-109 ページ画像

帰一協会会報 特別号・第七―九頁大正四年五月
    歓迎の辞 男爵 渋沢栄一
 私は本協会を代表して両博士歓迎の為め、一言の蕪詞を申し上げます。
 - 第39巻 p.109 -ページ画像 
 今般マシウス、ギユーリツク両博士が米国基督教々会同盟会の使命を齎して、特に日米問題解決の為めに来朝せられたるは、本会の深厚なる感謝の意を表すると同時に、最も歓迎の誠意を致さうと欲するのであります。
 蓋し吾々帰一協会員は単に我が国内に於ける思想界の帰一を図るばかりでなく、広く東洋と西洋との思想道徳の相異を知悉して調和を図らんとする目的を有するのでありますから、両博士は実に本会創立者の一人であられて、一昨年以来米国に立越されて日米問題の為めに米国各地に於て熱心なる演説を試み、之が解決に御尽力下さつたのは恰も本会が此の事に当つたものゝやうに感ぜられて、我々は非常に喜ばしく思ふのであります。
 私は我が日本が今日ある所以のものは、当初米国の正義人道に依つて誘導された結果であると信じますので、日米両国は益々親交を増進せねばならぬと思ふの念は常に脳裡より去らぬのであります。依つて私は日本国民の一人として、日米両国間の情意の疏通を計るの必要を感じ去る明治四十二年に渡米実業団体を組織して米国に旅行し、五十有余箇処の都市を訪問して吾々日本人の意念は斯うであるが、米国各地の諸君の高案は如何であるか詳しく拝聴致したいと、各所に於て衷情を披陳して情意の貫徹に努めたのであります。其後賓客の米国から渡来せらるゝ毎に及ばずながら率先奔走して之を迎へ、両国民の意思の疏通を謀りますけれども、今以て其の効果の十分に挙らないのを遺憾とするのであります、前席に於てギユーリツク博士の御述べになつた事柄に就いては、日本人よりの希望として論ずるよりも亜米利加の人々より発案されるのが、其解決に良い結果があらうと思ふのであります、回顧すれば六十余年前の我国は鎖国主義を取り、世界の大勢を他処に見て惰眠を貪りつゝあつた、夫れを覚醒し世界との交通を得せしめたのは実に亜米利加である。爾来米国は常に正義に依り公道に基いて種々の方面から我国を誘導するに勉められたのは、日本国民の挙りて感謝する処であります、然るに近年米国の一角に時々悲しむべき問題が起りまするが、是は独り日本人に取りて憂慮する事柄たるのみならず、米国に於ても同じく痛心すべきものなりとすれば、是非共一日も早く之を解決しなければならぬと思ふ、而して米国に在る有識の諸君が果して之を憂へてその解決に尽力せらるゝであらうと、我々は期待して居るのであります。
 而して今般のマシウス及ギユーリツク両博士の帯びられたる使命は吾々の年来希望した解決を実現しやうといふのであるから、吾々の真に喜に堪へぬのであります、果して是れが我々の喜ぶが如く其の実を挙げ得るの日は、日米両国即ち東西両洋の思想が帰一しまするのであります、此に来賓閣下に対して一言の御挨拶を述べ、特にギユーリツク博士が我々の為めに熱心なる御尽力の労を謝するのであります。


竜門雑誌 第三二一号・第五六―六二頁大正四年二月 ○帰一協会に於けるマシユウス及ギユリツク両博士歓迎会(DK390045k-0006)
第39巻 p.109-114 ページ画像

竜門雑誌 第三二一号・第五六―六二頁大正四年二月
    ○帰一協会に於けるマシユウス及ギユリツク両博士歓迎会
 - 第39巻 p.110 -ページ画像 
青淵先生等の設立せられたる帰一協会は、去十日夕目下来朝中のシエラー・マシユウス及シドニー・エル・ギユリツク両博士の為めに、歓迎会を上野精養軒に催したり、マ博士は現に市俄古大学長にして米国基督諸教会同盟団長の位置にあり、過日の紐育新聞に依れば、博士はカーネギー氏の出捐より成れる協会平和聯合会の遣日大使に任命せられ、ギ博士と共に在本邦教会に日米両国親交に関する使命を齎らすことゝなり、又ギ博士は二十六年間本邦に滞在し、現に京都同志社大学教授の職に在りて前記同盟団日本関係部代表者として多年両国の親交に深憂を抱き、今や之が解決に一身を献げて尽力せらるゝ人にして、両博士とも本邦に取り尊重すべき人なりとす、当日来会の来賓は両博士の外、米国大使ガスリー、加藤外相、一木文相、松井外務次官の諸氏等十五名、又会員は青淵先生、阪谷男、及井上・服部・高田・添田・中島・浮田・沢柳・松本の諸博士、成瀬仁蔵、海老名弾正諸氏等三十余名にして、近来稀なる盛会なりし、晩餐前ギ博士は流暢にして力ある日本語を以て一場の講演(別項記載)を為し夫れより晩餐に移り、宴酣にして司会者青淵先生帰一協会を代表して、先づ両博士歓迎の辞を述ぶ、云はく、
   ○歓迎ノ辞前掲ニツキ略ス。
続て食後に於てマ博士の講演(別項記載)あり、最後に加藤外相は司会者の依頼により、来会者一同を代表して一場の挨拶を述べて云はくマ・ギ両博士の今般の来朝は予等の深く謝意を表する処にして、唯今マ博士が米国民の如何に日本を考へ居るかに関し、其胸襟を披きて叙述せられたるは殊に感謝する処なり、由来日米両国の国交は極めて親善なりしに拘はらず、近年動もすれば雲霧の妨あるは甚だ遺憾とする処なり、其主因は云ふ迄も無く加州の土地問題なるが、之れ必ずしも大問題にはあらざるも、唯極めて不愉快なる事柄なり、即ち米国人が東洋人に対して差別的の待遇を為すは、吾人の最も痛苦に感ずる処なり、然れども此問題は両国政府及両国民の誠意を以てすれば、早晩適当なる解決を得べきものと信ず、又マ博士の講演中、日本の対支那関係に付ては、日本は決して利益の壟断を企つる者にあらず、妄りに他の権利を侵害する事なくして、唯だ相当な分け前に与からんとするに過ぎざるなり、最後に吾人の感想を述べむには、欧米が日本の行動を批評する場合に於ける態度なり、彼等は同一の行動に対しても、欧米人の場合には極めて寛大なる推測を以てするに反して、日本人に対しては頗る冷酷なる評語を以てするの一事なり、蓋し予はマ博士の講演に対して、敢て論難を加へたるにあらず、唯博士が腹蔵なく米国人の対日感情を述べられたるを喜びて、予も亦忌憚なく日本人の感想を述べたるに過ぎざるなり云々、続て米国大使ガスリー氏一言を試みんとせられしが、時既に午前一時を過ぎたれば、大使の演説は他日に請ふ事として、和気靄々の裡に散会したり。
      ギユーリツク博士講演の大要
此度私が日本に帰つて特に愉快に感ずることがあります、それは私が最早二十六年間日本に滞在して居た為に、幾分か日本人化せられて居るので、本国に帰つた様な心持がする、又帰一協会に出席して諸君と
 - 第39巻 p.111 -ページ画像 
共に此問題を研究するのは、大に愉快に且名誉に思ひます、私は一年半許前に突然本国へ帰りましたが、丁度加州に日米問題が起つて喧しくなつて居る際なので、私に日本の事情を色々と尋ねられました、私も加州人の考へを出来る丈尋ねました結果、其間に誤解の多いことを発見した、それで私は三ケ月間同地に逗留して彼等の云ふ事を充分聴き取り、段々研究して向ふの誤解もよく分つた、彼等は唯日本のこと許でなく、在米の日本人もよく知らない、一向交際もせずして今の日本人を二・三十年前の日本人の通りだと考へてたものも大分あつた、そこで加州にも日本にも共に其主張に道理があるから、それを調和せしむる道を見出さねばならぬと講究して私見を纏めて見ました、私は加州より紐育に行つて、米国各教会同盟実行委員に逢つて今の問題を話し、そして亜米利加組合教会の宣教師の委員会で一の決議をした、それは基督主義の上から、この場合どう云ふ風な解決の方法を取るべきかを研究したのである、私は一年半の間に二百五十九回の話を諸方の教会や会社でした、華盛頓では移民法案委員会でやつた、ウイルソンも非常に丁寧に私の云ふ事を聞かれた、私は諸方で斯ふ云ふ風に話した、所謂日米問題は東洋問題の一部的のもので、唯日米問題のみとしては解決されない、両方の利害得失を能く考へた後でなければならぬ、吾々は歴史上一の新時代に生れ、他人種と接近して来たので問題が起きる様になつたのである、そして東西両方の都合を克く知つて居るのは日本人である、今迄無関係だつた東西両文明の潮流が接近して来て、之が都合よく調和すれば、互に長所を交換される、さうでないと却て軋轢が起る、日本は三百年前に西洋人と交つたが、其後二百五十年間鎖国主義を取つたが、それでいけぬと分るや、直に此主義を止め、広く全世界と交るに至つた、一八六八年に五ケ条の御誓文が出た之が新時代の始まりで、以後五十年間日本は新き時代を作りつゝあるそして我は世界の一であると云ふ事が分つて居る、決して西洋人を排斥しない、然るに西洋人は之が分つて居ない、西洋人が東洋人を排斥するのは時勢後れの主義である、最も東洋に近い吾々米国人さへ、正当の処置を考へて実行するならば、東洋と西洋との関係は睦しくなる反之米国が誤つたら実に危険な障害が起るに相違ない。
全体米国人は日本の主張を誤解してゐる、彼等は日本の要求を自由移住即幾百万人でも行くものを入れて貰ひたいのだと思つてゐる、そこで私は七・八年前に日本政府が実行した移住制限の契約を説明して、日本の要求の精神を話したのである。
此問題の解決法は先づ米国では人種の区別を立てず、東洋人否総ての移住者に対して公平な正義の態度を取らねばならぬ、総べてを同等に待遇するには、同化し得る丈けの人数を入ればよいと思ふ、それ以上であると不都合の点が起る、然らば何人位同化せられるかと云ふに、それは最初其国から入つて来て同化された人数に依る、既に沢山同化されてゐるならばそれに応じて多くの人を入れられる、この法で僅かだけ入れるなら米国に不都合は起らぬ、それで私は百人に対して年年五人づゝ入れると云ふのである、米国生れの日本人の子供は四千余人あるから、その五分即ち二百人づゝ入れられる、これならば差支ない
 - 第39巻 p.112 -ページ画像 
然し玆に之が取締に関する一の制限を設くる必要がある、即ち
(一)登録局を造つて年々住所を登録する事、其登録税は十弗にしてはどうかと思ふ(二)移住者に英語・米国歴史・共和政治の教育を教ゆる事(三)其教育の試験をして通過する毎に登録税を減らす、その試験は無税でやる、かくして試験通過の人は人種の区別なく帰化権を得られる事。如此して十年二十年には随分沢山の移住者になるだらうが、百人に対して五人と云ふ僅かな数だから経済上習慣上別に不都合が起らぬ。これで加州の要求も日本の要求も調和されると思ふ、私が之を話すと勢力のない少数の人々(中には日本人は熱心なる愛国者だから帰化しないと)は反対したが、大多数の有力者は賛成した、実際四・五年前迄は帰化しない人もあつたが、二・三年来は帰化を求めてゐる、私のこの解決法は加州ではまだ話さぬが、東の方では大抵賛成してくれた。然し之は私自身の解決法で、一般に認められたものではないので、漸次多数の賛成者を得るやうに勉めねばならぬ、そして之を労働社会は如何に見るかゞ心配なので、桑港の排日本洗濯労働者会長に会ひ話をしたら、彼はそれは結構である、この法案が出たら投票しようと云つた、又同市の労働会を代表する書記にも会つて賛成を得た、その外十二人の労働者会の代表者又は書記などに会つて大多数の賛成を得た、中に非常に喜んで、後で労働者会の会議所で話してくれと云ふものもあつた、又我々は米国の労働者と日本の労働者と近寄らしむるために兄弟の立場を以て、代表者を交換さしたら大に助けにならうと云ふ意見もあつたが、之は非常に面白い方法と思ふた、投票権を以て居る多数の米国の労働者を導ひて、日本の事情を知らしめ、且同情を起さしめれば、誠によいと思たのである。
私が一年半の研究で見ると、是は幾分人種問題だが、其原因は経済問題である、故に経済問題が解ければ人種問題は大に容易くなる、然し消えては了はぬ。米国の南方に黒人が居る、そして白人との間に常に問題が起る、之も同様に大勢東洋人が来るならば、其間矢張難問題が起だらうと、之が米国で一番有力な反対論である、玆に注意したいのは(一)日本の新聞では米国で段々排日問題が盛になるやうに書くが、私はさう思はれない、却て段々解決しつゝあると思ふ、其証拠として在米日本人の有力者に五年前と今日と其待遇の如何を聞て見たら、多くは善くなつたと云て居る、(二)東洋人が帰化権を得られぬと云ふ法律は近頃米国で立てたものだと考へて居る日本人があるが、夫れは大間違である、該法律は一七九〇年米国建国後間も無く、自由を有つて居る白人種以外帰化権を得られないと云ふ法律を立てたのである。
要するに此の問題を解決するには長き時日を要すのである、即先づ米国人を教育しなければならぬのである、而して其教育は(私は日本人の為めに云ふが)米国人がやるので、日本人がしやうとすれば却て反動を起すから、日本人は側で静にして黙て居る、さうすると段々解けて行くと思ふ、如此して互に同情を以て相互の事を研究して、八釜しくさへ云はなければ、解決が出来易い。
終りに御話したい事は、日本人が帰化権を得たいやうに云出したのは二・三年来の事である、所が大多数の米国人は帰化権を得たいのでは
 - 第39巻 p.113 -ページ画像 
ないと云つてゐるから、日本の有力者が之を明かに言ふならば、米国で甚だ論じ易からうと思ふ、米国では真に同化しない人種の居ることは嫌ふ所である、日本人が米国に帰化して日本と無関係になり、戦争があつても米国の為に戦ふ精神があるならば結構である、さうでないと問題は六ケしい、之が日本ではつきりするならば米国の運動が易くなる、米国で生れた子供は法律を変へずして米国人になられるのに、日本の籍に入れて居る、是等も米国人に悪感情を抱かしめて居る。
最後に米国基督教同盟会日本部委員から米国の国会に提出した東洋問題に関する決議文の和訳を報告して私の演説の終りと致します。
 米国基督教々会同盟会日本部委員決議
委員は左の決議を提出して、上下両院議員各自並に米国の宗教新聞社に千九百十四年十二月送達せり。
 新東洋政策
亜細亜の覚醒したる事と、又西洋文明の重要なる要素を急速に穫得したる事とは、人類歴史に於ける新時期を画するものなり、亜細亜は世界歴史に於て新にして又益重大なる役を勤めんとす、而して其役たるや、平和と善意と協同一致とに基くものたるべきか、若しくは又進撃的白人諸国民を益恐怖するに至るべきものたるやは、大に白人諸国民自身の彼等に対する態度の如何に依るものなりとす。
東洋と益密接なる接触を保ち、是より生ずる処の問題を熟知する我等市民の多数は、一層適確なる東洋政策を採用すべきものなりと信ずるが故に、左の決議を為すものなり。
米国基督教々会同盟に依りて選定されたる日本部委員は、下院並に合衆国の民衆に向て、徹頭徹尾基督教的なる東洋政策を採用するの大切なる事を切言し、為之、近き将来に於て移民問題全体を調査し、此問題の各方面(即移民の制度、其登録・配置・雇入・教育併に帰化等の事)に亘る所の総括的法律を制度せんこと、且由之、米国の諸制度を保存し、危険なる経済上の競争上より米国の労働を保護し、万国の民と和解的永続的の友情を増進せしむるに至らしめんことを提議するものなり。
      マシウス博士講演概要
日米問題に付て米国人の感想を腹蔵なく話をせよとの事でありますが自分等の宗教界及び社交上の運動等から申すと、
第一 自分等の団体は(一)日本の支那方面に於ける勢力拡張に対して米国は反対するや。(二)米国は支那に於ける領土獲得の希望を持すべきや又実際斯る希望を有するや。(三)米国は外方に膨脹すべき政略を執るべきや。と云ふ三問題に付て、米国各方面の意見を徴したが、此に対し肯定的に答をした人は一人もなかつた、元来亜米利加人は外国との関係といふ観念は殆んど最近までなかつた事であつて、即ち東洋に於ける日本の勢力を牽制しやうとの考もなければ、或は又比律賓や玖瑪に対しても、実際にその自治を望んでゐるのであつて、最近の墨西哥に対する戦争にても分るが、米国は領土を拡張する政略は執つてゐない然るに太平洋問題となると色々の問題が這入つて来て、妙な有様になつてゐる。
 - 第39巻 p.114 -ページ画像 
第二 加州問題は今日迄の大勢を見るに、一般米国民は加州の態度を快からず思つてゐる、同じ加州でも北部と南部は非常に感情が違つて南部は北部の態度を喜ばない。
第三 加州問題は要するに労働者の利益保護の為め、労働者の組合と雇主との争から発した問題に外ならぬ。アリゾナ州の法律には雇主の有する労働者にして五人以上ある八割は外人なるべからずとあつて、主として教育なき地方は外人を禁じてゐるけれども、コロラド州の如きは外人の移住を奨励してゐる次第で、要するに労力と資本との争である。此の純然たる加州の労働問題が、奇異な色彩を帯び来つたのは諸種の学者達が牽強附会な説を為した為めに、黒人問題や猶太人問題と同じ工合に、東洋人に対する人種問題の様な観を呈するに至つたのである。
第四 米国民が多少疑念を有する点は、日本の外交政略であつて、恰も独逸が欧洲に於けると同じく、日本は東洋の覇権を握らんとするのではないか、又新西蘭や其他濠太利にても排日の形跡あるに拘らず、加州の排日のみを八釜敷云ふのは、畢竟米国をして支那に手を出さしめず、或は世の注意を加州に集めて、其間に日本は其の政略を支那に行はんとするのではないか、と云ふやうな猜疑もある。一体米国民は外に対する主義としては、殊に支那に対しては門戸開放主義で、又弱者を保護せんとする義侠的感情がある所からして、どうも日本が盛んに帝国主義をやつて、東洋の覇権を握るやうになつては大変である、と云ふやうな考から、米国に日米問題などゝいふ事が起つたのと思はるゝ。
第五 絶対的国際論争は直に国際仲裁々判に附すると云ふ条約が、米国を主として二十五ケ国が同意して居るのに、只独逸と日本とが同意しなかつたとか、或は又日本の間者が沢山米国に這入つて居ると云ふ様な流言や、日露戦争に日本が大勝を得たので、日本の野心を云々して、問題を起さうと努めてゐるものもあると云ふ様な事がある。
以上米国人が日本に対して有する感想を遠慮無く申たので、私の日本に参つたのは米国基督教各教会の代表としての資格で、政治上の運動では固よりない。唯宗教家に最も適当なる方法により、米国人に於て日本を能く了解する様に努めたいとの考を持て居るのである云々。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK390045k-0007)
第39巻 p.114-115 ページ画像

渋沢栄一日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 雨
○上略 午前十時日本女子大学校ニ抵リテ、米人マシユース、ギユリツキ二氏ノ参観ヲ案内ス、講堂ニ於テ一場ノ講話アリ、米国大使カスリー氏モ来リテ一言ヲ添フ、余モ一場ノ訓戒演説ヲ為ス、畢テ午飧ヲ晩香寮ニ於テス○下略
   ○中略。
二月十四日 晴
○上略 三時過事務所ニ抵リテ増田氏ト共ニ帰一協会ニ於テ米人マシユース及ギユリツク二氏、其他ノ演説筆記ヲ修正シテ明日ニモ通信社ニ交付スル事ヲ命ス
 - 第39巻 p.115 -ページ画像 
○下略
二月十五日 曇
○上略五時外務省ニ抵リ松井次官ト公務ヲ談シ、牛島氏ヨリノ来書ヲ一覧セシメ、且マシユース、キユリツク二氏ニ関スル事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月廿四日 晴
○上略 十二時半加藤外相邸ニ抵リ、米国人招宴ノ午飧会ニ出席ス○下略


(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正四年(DK390045k-0008)
第39巻 p.115 ページ画像

(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正四年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○二月廿四日
 加藤外相午餐 マツシユース、ギユーリツク二氏招待


竜門雑誌 第三二二号・第八七頁大正四年三月 ○加藤外相午餐会(DK390045k-0009)
第39巻 p.115 ページ画像

竜門雑誌 第三二二号・第八七頁大正四年三月
○加藤外相午餐会 加藤外務大臣は二月二十四日正午、霞ケ関官邸にマシウス、ギウリツク両博士を招待して午餐会を催したる由なるが、当日青淵先生にも招待に応じて陪席せられたりと。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK390045k-0010)
第39巻 p.115 ページ画像

渋沢栄一日記 大正四年             (渋沢子爵家所蔵)
二月廿五日 晴
○上略 午前十一時米国人マシユース、キユリツク二博士来訪、米国大使及参事官等来リ日米国交ニ関スル談話ヲ為ス、蓋シ此日二博士ヲ招宴シ、且其使命ニ関シテ談論ヲ交換スル為メナリ、中野・添田・成瀬・阪谷氏会話ス、午後一時ヨリ宴会ヲ開ク、来会者二十名許リナリ、余興ニ琵琶及三曲等アリ、午後三時過散会ス○下略


招客書類(一) 【大正四年二月二十五日正午於飛鳥山邸 米国市俄古大学神学部長マシウス博士送別会】(DK390045k-0011)
第39巻 p.115-116 ページ画像

招客書類(一) (渋沢子爵家所蔵)
 大正四年二月二十五日正午於飛鳥山邸
  米国市俄古大学神学部長マシウス博士送別会
                    マシウス
                米大使 ガスリー
               同参事官 ヴイラー
               同書記官 アーネル

                  子 三島弥太郎
                  男 近藤廉平
                    中野武営
                    添田寿一
                    佐々木勇之助
                    小野英二郎
                    安田善三郎
                    大川平三郎
                    白石元治郎
 - 第39巻 p.116 -ページ画像 
                    成瀬仁蔵
                    服部宇之吉
                    頭本元貞

                    主人


竜門雑誌 第三二二号・第八六頁大正四年三月 青淵先生の送別会(DK390045k-0012)
第39巻 p.116 ページ画像

竜門雑誌 第三二二号・第八六頁大正四年三月
○青淵先生の送別会 予て来朝中なりし米国市俄古大学神学部長マシウス博士が、二月二十六日横演解纜の便船にて帰国せらるゝに付き、青淵先生には同月二十五日正午同博士を飛鳥山別邸に招待して送別会を開きたり、当日は特に博士の為め純日本食の饗膳を供し、席上青淵先生の送別辞あり、博士は慇懃に其厚意を感謝し、且つ朝野各方面の懇篤なる歓待に依り、来朝の使命を全ふし、旦つ極めて愉快に観光の目的を達することを得たるは、衷心感謝に堪へざる旨を述べられたる由、当日陪席諸氏は即ち左の如し。
 米国大使ガスリー氏、ヴイラー参事官、アーネル書記官、三島日銀総裁、近藤郵船社長、中野商業会議所会頭、添田博士、佐々木一銀取締役、小野日銀営業局長、安田喜三郎氏、大川平三郎氏、白石元治郎氏、成瀬女子大学校長、服部宇之吉博士、頭本元貞氏


Report of the Association Concordia of Japan Extra Number May, 1915 Dr. Mathews's Letter Written to Baron Shibusawa(DK390045k-0013)
第39巻 p.116-117 ページ画像

Report of the Association Concordia of Japan
                     Extra Number
                     May, 1915
 Dr. Mathews's Letter
        Written to Baron Shibusawa
My dear Baron Shibusawa,
  I can not wait till my return to Chicago to express again to you my sincere gratitude for all that you did to make our visit to Japan successful.
  I shall always remember your hospitality and be grateful to you for the frankness with which you commented upon my report as to my experiences in the various cities of your great country.
  Your words served to steady my judgment and give me a true perspection.
  In my opinion your estimate of the situation is correct, and I shall do all within my power to bring America to see the foolishness of misjudging and discriminating against a nation that by its traditions and its desires is friendly and destined to be of increasing influence in the world,s history.
  Toki no Mondai- I am carrying this admirable expression home with me!
             With sincere regard,
              (Signed) Shailer Mathews
March 7th, 1915.
 - 第39巻 p.117 -ページ画像 
   ○次掲資料ハ右ノ訳文。


帰一協会会報 特別号・第五一―五二頁大正四年五月 マシウス博士書翰(渋沢男爵宛)(DK390045k-0014)
第39巻 p.117 ページ画像

帰一協会会報 特別号・第五一―五二頁大正四年五月
    マシウス博士書翰 (渋沢男爵宛)
拝啓、小生等の貴邦訪問に当り其の使命を完からしめんが為に、閣下が御尽くし被下たる多大の御好意に対しては「シカゴ」に帰り着後礼状相認め可申心構へに候ひしも、今は何分其れ迄を待兼ね候ことゝ相成り、玆に洋上より一書を裁して小生の謝意を披陳仕候。
小生が貴国の各都市を巡回して得たる経験に関し、御報告申上げたる際、閣下が之に対して御腹蔵なき御見解を御与え被下たる御親切は、小生の永く感佩致す所にして、御好意の段は永久忘るゝことあるまじく候。
実に閣下より承りたる御言葉によりて、小生は自己の判断を確実にし且真正の見解を抱くを得たる次第に御座候。
小生の見たる所によれば、日米両国現在の位置に関する閣下の御見込みは全く正鵠を得たるものなりと信じ候、小生帰国後は過去の伝説に於ても或は現在の志望に於ても、米国に対して頗る有誼に富み且将来世界の歴史に於ても益勢力を増加せんとしつゝある日本国民に対し、米国が其心事を曲解し若しくは差別的待遇を与へんとするが如きは、実に愚の極みなることを我国人一同に知らしむる為め、有らん限りの努力を試み可申正決心致候。
「トキノ・モンダイ」(時の問題)とは実に感じ入りたる御言葉に御座候、小生は今や此の言葉を家土産として故郷に向ひ居り候、終に臨み玆に誠実なる敬意を表し申候 敬具
  一九一五年三月七日
              モンゴリア号に於て
                 シエーラーア・マシウス
   東京
    渋沢男爵閣下


渋沢栄一 日記 大正四年(DK390045k-0015)
第39巻 p.117 ページ画像

渋沢栄一日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
二月廿二日 晴
○上略○午前東京商業会議所ニ抵リ要務ヲ談ス○下略
   ○中略。
三月八日 曇又雨
○上略 午前十時商業会議所ニ抵リ、中野・添田・阪谷・ボールス氏等ト共ニ、キユリツク氏依頼ノ件ニ付協議ス○下略


(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正四年(DK390045k-0016)
第39巻 p.117-118 ページ画像

(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正四年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○二月廿二日○中略
 商業会議所ニテ渋沢男・添田・成瀬・余集リテギユーリツク氏ノ移民法案ニ付論究ス、尚同氏ヨリ日本ノ代表的人士ニ発セントスル日米関係六問ノ儀ニ付テ討議ス
 - 第39巻 p.118 -ページ画像 
   ○中略。
○三月八日商業会議所ニテ渋沢・添田・中野・ボールス・余寄合、ギユーリツク氏ノ六問ニ対スル答ヲ求ムル人名、山脇来状ノコト、鈴木文治ノコト話アリ
   ○鈴木文治ハ是年アメリカ労働大会ニ代表トシテ出席ス。本資料第三十一巻所収「友愛会」大正四年六月一日及ビ同月十七日ノ条参照。


竜門雑誌 第三二二号・第二四頁大正四年三月 ○日米問題と日米貿易 青淵先生(DK390045k-0017)
第39巻 p.118 ページ画像

竜門雑誌 第三二二号・第二四頁大正四年三月
    ○日米問題と日米貿易
                      青淵先生
○上略
 殊に近年は両国から一流の人物学者を派遣して、互に研究し融和を計つて居るのである、現に近くは「マシユス」博士が、米国の卅二の教会の代表者として来り、同行者には長く日本に居つた「ギリツキ」博士があり、同博士は日本語は自在であるから相方の意見益々疏通し国交上愈々親密を来す事であらうと思ふのである、自分は玆に深く両博士の渡来を歓迎し喜ぶものである、元来「カリホルニア」州の問題は、仮令ば足指に出来た肉刺の如きもので米国内部の病根では無く、「カリホルニヤ」州の紛擾も、日米双方で自分の都合許りから論ずるから解決されぬもので、双方先きの都合に同情心があれば、速に解決される問題なのである。
 現に過日両博士歓迎会では、双方胸襟を開いて真率に云い度い事を述べた。
 此時も自分は、「カリホルニヤ」州問題は是れ米国の責任である、其解決の責任」と迄極言した。
同じ席上に於て加藤外務大臣も
 「欧米人は欧米人の言論には注意同情するが、東洋人の言論行動には思ひやりが無い」
と極言されたのである。
 要するに此日米問題の解決は双方の譲歩に依らねばならず、双方の徳義問題に依つて解決するのである、理論の問題でなく感情の問題である。
 予は両博士の来朝に際し、両博士を歓迎し、喜悦の情に堪へざると共に一言自己の感想を述べたのである。
   ○右一文ハJapan Magazineニ掲載セラレタルモノノ訳文ナリ。



〔参考〕THE JAPANESE PROBLEM IN THE UNITED STATES June, 1915.(DK390045k-0018)
第39巻 p.118-119 ページ画像

THE JAPANESE PROBLEM IN THE
UNITED STATES June, 1915.
          FOREWORD
  The Commission on Relations with Japan, appointed by the Federal Council of the Churches of Christ in America at the request of missionaries in Japan, believing that its most immediate need was that of correct information, engaged the expert services of Professor H. A. Millis of the University of
 - 第39巻 p.119 -ページ画像 
Kansas, to go to the Pacific Coast and make such an investigation as would enable the Commission to proceed with intelligent sympathy in the performance of its task.
  At the same time the Federal Council, at the request of the Commission, sent its President, Professor Shailer Mathews, and Rev. Sideny L. Gulick to Japan, on behalf of the Christian Churches of America, for the purpose of expreessing our good will and to bring back to us a report from the point of view of the Christian churches and the people of Japan.
  The Commission also conveyed a memorial to the President and to the Congress of the United States, as follows :
  ……………………



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第三五二―三五七頁昭和七年二月刊(DK390045k-0019)
第39巻 p.119-121 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. p.297. Nov., 1937.(DK390045k-0020)
第39巻 p.121-122 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT
SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA p.297. Nov., 1937.
              CHAPTER XIII
         IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
  …………………
             SIDNEY L. GULICK
                     January 2, 1936
                     Ashland, Oregon
  ……………………
  I first learned of the Baron's special interest in American-Japanese relations when Dr. Shailer Mathews and I visited
 - 第39巻 p.122 -ページ画像 
Japan in February 1915. Our errand was to convey to Japanese Christians the Message of the Federal Council of the Churches of Christ in America and to tell them that the leaders of the Churches had started a program of education on the problem of American-Japanese relations. The Baron welcomed our visit most heartily. A special and large meeting of the Kiitsu Kyokai was held, the Baron being the generous host, the particular interest of that meeting being the address by Foreign Minister Kato.
  ……………………
             Ever cordially yours,
              (Signed) Sidney L. Gulick


〔参考〕AN INTERPRETATOIN OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. pp.306-307. Nov., 1937.(DK390045k-0021)
第39巻 p.122-123 ページ画像

AN INTERPRETATOIN OF THE LIFE OF VISCOUNT
SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA pp.306-307. Nov., 1937.
              CHAPTER XIII
         IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
  ……………………
             SHAILER MATHEWS
                    February 3, 1936
My dear Dr. Obata:
  My acquaintance with Viscount Shibusawa began in 1915 when, as president of the Federal Council of the Churches of Christ in America, I visited Japan with Dr. Sidney L. Gulick to bring assurances of friendship and good will to the churches of Japan. Thanks to the cordial reception of this so-called Christian embassy, Dr. Gulick and I found our contacts were wider than had been expected. I have always believed that this was due in no small measure to the influence of Viscount Shibusawa whose devotion to the cause of international good will was everywhere recognized. He was not only the soul of courtesy but it was clear that his interest in the relations of Japan and the United States was that of a far-seeing statesman. Both in the meeting of Concordia, which he had founded, and in his repeated interviews he disclosed his profound interest in the establishment of mutual understanding and cooperation in the development of the new era upon which the world was entering.
  In our various conferences he disclosed a concern for the ethical and spiritual elements of life which was very impressive. His nobility of mind was always apparent. His kindliness was so persistent and his loyalty to high ideals was so sincere that his opinions always had great weight with me. The same qualities gave him a very unique position in his visits to America.
 - 第39巻 p.123 -ページ画像 
He was everywhere received with that respect which is given only to men of high purpose and sincerity. I shall always cherish the memories of this friendship and his devotion to that which is true and beautiful and good.
            Very truly yours,
            (Signed) Shailer Mathews