デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.163-166(DK390076k) ページ画像

大正7年4月15日(1918年)

是日栄一、アメリカ合衆国人ジョン・シー・ベリーヲ案内シテ、東京市養育院本院、同巣鴨分院及ビ板橋分院ヲ参観セシメ、次イデ飛鳥山邸ニ於テ午餐会ヲ催ス。


■資料

九恵 東京市養育院月報第二〇六号・第一一―一三頁大正七年四月 渋沢院長のベリー博士招待会記事(DK390076k-0001)
第39巻 p.163-164 ページ画像

九恵 東京市養育院月報第二〇六号・第一一―一三頁大正七年四月
    ○渋沢院長のベリー博士招待会記事
 都大路の人々は今や盛りの桜に酔うて太平の春を夢見つゝある四月十五日、渋沢院長は本邦に於ける監獄改良並びに救済事業の恩師たる遠来の客ジー・シ・ベリー博士を招待し、膝を交へて本邦救済事業の発達に関して談合を試みられたり、当日先づ養育院の現状を紹介せんとて、午前十時小石川区大塚辻町なる養育院本院に参集を乞ひ、仔細に本院病室・老癈室等を視察し、序で巣鴨村なる巣鴨分院に於て児童の教育状況並に療舎等を巡視し、更に府下板橋町なる板橋分院に赴きて、肺並に失禁患者の療養状況及将来の移転敷地等を視察し、終つて王子なる院長邸に於て午餐を共にせらる、宴正に終らんとする時、院長は立つて大要左の如き挨拶ありたり
『今日は本邦監獄改良事業並に救済事業の為め永年御尽粋下さいました、遠来の客ベリー博士を御招き致し、此機会に於て斯業を専門に研究さるゝ人々、並に宗教界の御方と一堂に御会談を願ひまして、本邦に於ける救済事業の発達方法に付、隔意なき御高説を伺ひ度く存じまして御案内致しました処、幸皆様多数の御出席を得ました事は誠に喜ばしく存じます
昨夜来の天候では、今日も如何があらうかと心秘かに慮つて居りましたが、今日は此様に近来にない快晴となりました事は、誠に諸君をお招待致した私の最も幸と感じ、之れも平生より善根功徳を積ませらるるによる事と、深く感謝を諸君に致す次第で御座います、今朝は私が明治五年創設当時から引続いて今日迄関係して居りまする養育院を御案内致しました処、本院を初め巣鴨分院・板橋分院と仔細に御覧下さいました事は、平素斯かる事業に御熱心なる方の御集りとは申せ、大に光栄と存じます、後刻席を替え別室で皆様方から隔意なき御批評を願ふ考で御座います、猶過日博士と兜町なる事務所にて御目に懸りました際、御話致しまして充分御高見を伺ふ迄に至りませんでした欧洲戦乱に関して、欧米の宗教家は之を如何に見るかの問題に(別項「院
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長のベリー博士と語る」参照)ついても、引続いて御高説を伺ひ得まする事を希望致します、呉々も今日は御多用中にも拘はらず、斯くも多数御臨席下さいました事を感謝致します』
序で博士は敬虔にして謙遜なる態度を以て、大要左の如き一言の謝辞ありたり
『今日は貴国に於ける有力な、然も世界の人道と平和の為めに熱誠を以て御働きになつて居らるゝ渋沢男爵閣下の御招待によりまして、閣下が多年御尽瘁なさるゝ養育院の御事業を仔細に拝見致す事を得、猶斯業に御熱心なる貴国の諸君と一堂に会するの光栄を与えられたる事は、私の深く感謝致すので御座います、玆に衷心より厚く一言御挨拶申上げます』
宴終つて記念の撮影を為し(口絵参照)長閑なる春の邸内を逍遥し別室に入る
 院長は先づ立て養育院の現況並に将来の計画を詳細に説明し、如何にせば今後最もよく我救済事業の進歩発達を促がし行くべきかにつきて、博士の意見を需めらる
博士はこの時慇懃に立つて本邦救済事業の発展策を論ぜらる(別項論説欄掲載)
博士が本邦救済事業の為め熱心に唱導せられし後、院長小河博士等の間に二・三談話の交換ありて、散会せしは午後四時過ぎにてありき、静かに邸を辞し去れば、牆囲一重を隔てたる飛鳥山公園内には歓楽に酔える幾多の群集が、猶一日の享楽に足らずして全山に蟻集し居れり


九恵 東京市養育院月報第二〇六号・第五―六頁大正七年四月 日本の救済事業界に望む ドクトル ジー・シ・ベリー氏(DK390076k-0002)
第39巻 p.164-165 ページ画像

九恵 東京市養育院月報第二〇六号・第五―六頁大正七年四月
    日本の救済事業界に望む
               ドクトル ジー・シ・ベリー氏
  左に掲ぐるは、渋沢院長の同博士招待会席上、博士の試みられたる講演の大要なり、文責記者にあり。
 渋沢男爵閣下並に御列席の諸君
 私共は今朝養育院参観の御案内を受けまして、其処に幾多の不幸なる人々を視察致しました、本院には沢山の病人も居りましたが、此の病気を治療するに当りましては、云ふ迄もなくよく其病源を探らねばなりませぬ、然しながら其病源の探索につきまして、私共は更に其因て来る所の社会的現象を各汎に亘つて充分に調査致すことが必要であると思ひます。彼等の多くは無学であるが為めに衛生方面の注意を欠いて居りますとか、品性が下劣で屡誘惑などに陥りまして、道徳上の罪悪を犯し、遂に身を亡ぼす様になりますとか、又或は都会の繁栄や商業の勃興に伴ふて、樸訥な地方農民が僅少な田園を金銭に替えて上京し、其多くは工場労働者となり、極めて粗末な家屋に群居し、遂には精神も身体も不健康なる者となる様なのも決して僅少ではありませぬ、社会改良に心を致すものは宜しく斯く成り行く所の社会的状勢の探究と共に、之が原因を根本から撲滅する様に力めねばなりませぬ。
この点につきましては米国に行はれて成績を挙げて居る方法は「セツルメントウオーク」(貧民同化事業)であります、所謂救済事業を為
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す建物或は団体を貧民窟とか或は不道徳の盛んに行はるゝ所に設けまして、教育あり品性高潔なる人が一生涯をこゝに費すと云ふ決心を以て入つて行くのであります、是等の人々は其附近の人々の中心となりまして、貧民に対し理想の向上や教育の普及を図るのであります、之が為めには時々集会を催したり、簡易な図書館を建てたりなど致すのであります、米国では之が非常な効果を挙げて居ります、第二には従業員の養成であります、適当なる人を求めて教員とし、献身的に真に働く人を養ふ様に致したいものであります。
 第三には、斯業に対する輿論を盛ならしめる為めに、全国よりの有志を糾合して、資金二百万円位を集合する法人を組織し、渋沢男の如き斯業に熱心にして人格高尚なる人々の指導の下に、慈善救済事業の後援を為すことであります、差し当り前申した貧民同化事業の如きものを起さるゝ事は誠に必要と存じます。猶新聞記者等に興味を以て斯業に関する各種の問題を語りまして、之を面白く社会に紹介する様に致します事も、斯業の発達を促す上に肝要であります。斯く致しました一方には、斯業に向つて真に献身的に働く人を養成し、一方に於て是等の人々の充分な働きを為し得る様後援致すのであります。岡山孤児院の例に見ましても、石井氏があの熱誠を持ちまして一身を捧げて孤児の為めに尽されました事は、やがては遂によき後援者を得る事が出来ましたに見ても、斯業に当る者にして深き信念の下に献身的に進まれたならば、必らずや之を後援するの人が出るものであります、況んや先年日露戦争の際、貴国の為めに陣頭に立ちし軍人に対し、あの様な熱烈なる後援を為した貴国民でありますから、社会の為め人道の為め奮闘努力せらるゝ斯業の人々に対しまして、有力の後援団体を組織するのは必らずしも難事でないと思はれます、貴国に於ける斯業発達の為め、以上の事が一日も早く実行せられん事を熱望して止まぬのであります。


竜門雑誌 第三六〇号・第六九―七二頁大正七年五月 ○青淵先生と米国ベリー博士/○青淵先生のベリー博士招待会(DK390076k-0003)
第39巻 p.165-166 ページ画像

竜門雑誌 第三六〇号・第六九―七二頁大正七年五月
○青淵先生と米国ベリー博士 四月十四日本社第五十九回春季総集会の折、講演会の席上に於て、青淵先生が、自身に物せられたる「珍客ベリー氏と語る」の記事を朗読せられたるは、参会者諸君の今尚ほ耳に新なる所なるべし。左に右記事と其後青淵先生とベリー博士との会談せられたる記事とを併せ掲載して読者の一餐に供す。
    ○珍客ベリー氏と語る
   ○本巻大正七年三月二日ノ条(第一六〇頁)ニ収メタル「九恵」所載ノ記事ト同一ナル部分略ス。
 斯くて兜町事務所に於て会見したる三月二日の午後、ベリー氏は東京を発して関西旅行の途に上ぼられ、翌三日大阪着の上同地を初めとして神戸・岡山等を巡遊せられたる後、更に朝鮮に渡航し、釜山京城及び其他の諸都市を視察せられて、再び東京へ帰着したるは四月十四日であつた。
 余は予てベリー氏の如き社会事業に趣味と経験とを有せらるゝ人々に余が多年経営しつゝある東京市養育院の実況を一覧に供し、且其
 - 第39巻 p.166 -ページ画像 
意見を叩かんと欲し居りたるを以て、氏の帰京を好機とし、翌四月十五日午前ベリー氏を初めとして他の在京米国宣教師七名及び社会事業に関係深き朝野の名士十数名を招待し、大塚辻町なる本院を初めとして巣鴨分院及び板橋分院を巡視し、夫れより王子拙邸に各位の尊来を請ひて午餐会を開き、宴後別室に於て懇話会を催したり、此席上に於てこそ余はベリー氏と再び曩日の宗教論を交換せんと希望したのであつたが、事の順序として当日来賓一同の視察に供したる養育院の沿革及将来の施設等を説明することゝなしたるを以て、為に長時間を費したるより、窃かに期待し居りたる宗教談は遂に開始するに及ばずして散会することゝなつた、聞く所によればベリー氏は不日東北地方視察の為め東京を発し、帰京後間もなく帰米の途に就かるゝ予定なりと云ふことであるから、余が提起したる世界の現状と宗教の勢力に関する問題に就ての氏の説明は、遂に之れを聴取するの機会なかるべきも、現に東京に在住する他の基督教の大家より徹底的説明を与へらるゝことあらば、豈に唯だ余一人の幸福のみならんやである。
○青淵先生のベリー博士招待会 青淵先生には四月十五日ベリー博士を招待し、東京養育院及巣鴨・板橋両分院巡視の後、飛鳥山曖依村荘に於て午餐会を催されたり。○下略