デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.166-168(DK390078k) ページ画像

大正7年4月22日(1918年)

是ヨリ先三月二十六日、インド国人アール・ディー・タタ、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。是日栄一、タタヲ飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。


■資料

竜門雑誌 第三五九号・第七五頁大正七年四月 ○印度富豪タタ氏の来朝(DK390078k-0001)
第39巻 p.166-167 ページ画像

竜門雑誌 第三五九号・第七五頁大正七年四月
○印度富豪タタ氏の来朝 印度棉花の日本輸入並に日本郵船会社孟買航路開始等、日印貿易の進展に多大の功労ある印度富豪アール・デー・タタ氏は、去三月来朝せし由なるが同廿六日上京し、午後四時、兜町事務所に青淵先生を訪問して明治廿五年以来の再会を喜び、約一時間に亘り、公私の用務を物語り合ひ、同五時辞去して横浜の寓居に帰りたる由なるが、氏は齢六十歳に近く、印度第一流の実業家にして、現にタタ製鉄所長たり、明治廿四・五年の頃来朝したる事ありしが、当時氏は青淵先生並に大隈侯等を歴訪して、日印貿易の発展は両国間に直接輸出入の途を開くに如かずとの意見を披瀝し、本邦有志と深く誼みを結ぶと共に、故国に帰りて大に此挙を画策する所あり、其結果、孟買航路の開始となり、次に日本の正金銀行・領事館の設置を見るに至り、更に進んで印度貿易の一大発展を促すに至れる日印貿易の大功
 - 第39巻 p.167 -ページ画像 
労者たる由にて、一昨年は従弟タタ氏の来朝を見たるが、氏今回の渡来は予て病気静養の為め滞在中なりし夫人を迎ふると同時に、日本の観光を兼ねたるものなりといふ。


招客書類(一) 【大正七年四月二十二日午後四時、於飛鳥山邸 印度アール・デ・タタ氏招待】(DK390078k-0002)
第39巻 p.167 ページ画像

招客書類(一)                 (渋沢子爵家所蔵)
 大正七年四月二十二日午後四時、於飛鳥山邸
  印度アール・デ・タタ氏招待
                   (太丸は朱書)
                  ○アール・デ・タタ
                  ○同夫人
                  ○同嬢

                ○男 三井八郎右衛門
                ○男 古河虎之助
                  ○同夫人
                  ○井上準之助 等

                  ○主人


竜門雑誌 第三六一号・第八五―八六頁大正七年六月 ○タタ氏招待会(DK390078k-0003)
第39巻 p.167 ページ画像

竜門雑誌 第三六一号・第八五―八六頁大正七年六月
○タタ氏招待会 日印貿易の発展に多大の関係を有する印度紳商アール・デ・タタ氏の来朝を機とし、青淵先生には四月二十二日午後四時より飛鳥山曖依村荘に於て、同氏夫妻及令嬢を招待して慇懃なる招待会を催されたるが、当日陪賓としては三井八郎右衛門男・古河虎之助男・同令夫人・井上準之助氏等知名の士十六名出席せられたる由。



〔参考〕経済知識 第三巻第五号・第八五頁昭和五年五月 タターとバーン 渋沢子爵の余徳(DK390078k-0004)
第39巻 p.167-168 ページ画像

経済知識 第三巻第五号・第八五頁昭和五年五月
  タターとバーン
    渋沢子爵の余徳
 タター製鉄会社はドラッブ・タター氏の経営で、現在のタター氏の父君は明治二十年代に暫らく我国に滞在して印棉の取引並に鉄材の輸入契約をなしました。当時渋沢栄一子爵は先代タター氏のために配船の手配、取引の締結等一方ならぬ尽力をなされました結果、今日の如き盛大なる日印貿易の基礎を作つたものです。
 それで今回の我国よりの依頼に対し、バーン製鉄社長マーチン氏は印度銑鉄の日本輸入は逓減しつゝあるが、之に対して日本側が方策を樹てるなら、自分も今回の関税案緩和に尽力しようと云ふ欲の深い返電を寄せたが、ドラツブ・タター氏の方は直ちに『自分は日本の知己の人格を知るが故に、御要望の趣旨を徹底せしめるやうに印度商業会議所を通じて運動を起すべし、成否は不明なるも誠意を以て事に当らう』との挨拶を以てした。
 このタター氏は一方に印度内地の紡績業と深い関係を持ち、今回の関税引上案は印度紡績の救済と云ふ意味が多分に加味されてゐるのにも拘らず、よく旧誼を重んずるの態度に出でました。之は全く嘗て渋沢子が印度人のことなどは殆ど紹介もされなかつた時代に、之に親切
 - 第39巻 p.168 -ページ画像 
なる斡旋をされたことを多として居るためで、子爵の余徳の広大さが偲ばれます。



〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK390078k-0005)
第39巻 p.168 ページ画像

集会日時通知表 大正五年 (渋沢子爵家所蔵)
五月十八日 木 午後三時 印度人タタ氏来約(兜町)
五月廿六日 金 正午 印度タタ氏招待会(飛鳥山邸)
   ○右ニ就イテハ他ニ資料ヲ見ズ。前掲竜門雑誌記事中ニ言ヘル「従弟タタ」カ。