デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.249-264(DK390153k) ページ画像

大正12年12月3日(1923年)

是日栄一、アメリカ合衆国ポートランド市ダグラス樅材伐採輸出株式会社代表者オー・エム・クラーク等ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ七日、明治四十二年渡米実業団主催ノ歓迎晩餐会、芝紅葉館ニ開カレ、栄一出席ス。翌大正十三年一月十二日留別会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK390153k-0001)
第39巻 p.249-250 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第39巻 p.250 -ページ画像 
十一月廿九日 木 午前九時半クラーク氏ト御会見ノ約(帝国ホテル)
   ○中略。
十二月三日 月 正午 クラーク氏招待午餐会(飛鳥山邸)


招客書類(二) 【大正十二年十二月三日正午、飛鳥山邸ニ於テ (太丸・太字ハ朱書)】(DK390153k-0002)
第39巻 p.250 ページ画像

招客書類(二) (渋沢子爵家所蔵)
 大正十二年十二月三日正午、飛鳥山邸ニ於テ
                   (太丸・太字ハ朱書)
                    ○クラーク氏
                    ○グリツグス氏
                    ○同夫人
                    ○ホーグ氏
                    ○伊藤米治郎氏
                    欠一宮鈴太郎氏
                    欠小野英二郎氏
                    ○団琢磨氏
                    ○添田寿一氏
                    ○頭本元貞氏
                    欠串田万蔵氏
                    ○山科礼蔵氏
                  ○男 古河虎之助氏
                    ○藤山雷太氏
                    ○浅野総一郎氏
                  欠男 阪谷芳郎氏
                    欠松木幹一郎氏
         ○服部文四郎     ○井上秀子氏
                    ○主人
                    ○主夫人
                    ○渋沢美枝子
                    ○渋沢鄰子

                    ○増田明六
                    ○小畑久五郎
           〆廿五人
               内出席二十人
               欠席 五人
  料理 東洋軒


竜門雑誌 第四二四号・第七一頁大正一三年一月 ○クラーク氏招待会(DK390153k-0003)
第39巻 p.250-251 ページ画像

竜門雑誌 第四二四号・第七一頁大正一三年一月
○クラーク氏招待会 青淵先生は十二月三日正午、曖依村荘に於て此程来朝せる米国ポートランド市のクラーク氏、並同行のグリツグス氏及びホッグ氏夫妻を主賓とし、尚日米関係委員会の諸氏を陪賓として饗宴を催されたるが、ク氏は米国太平洋沿岸に於ける有力なる木材業者にして、先生とは明治四十一年我が六商業会議所が、米国太平洋沿
 - 第39巻 p.251 -ページ画像 
岸の八商業会議所の人々を招待せる際、ポ市商業会議所会頭の地位にあり、同会議所を代表して来邦先生と会談、一見旧知の如く同四十二年先生が渡米実業団を統率して三ケ月米国各地を巡回せられたる際、ク氏は委員の一人として始終一行の東道をなしたり、其後先生が大正四年及同十年渡米の際、氏は多忙なる先生の為に朝食の歓迎会を催し又は先生を態々桑港のホテルに訪問したるなど、懇親の情益密なるを加へたるが、今般オレゴン州木材組合の代表に推され、震災の見舞旁木材の見本を持参して国交上に資せんとの誠意より来朝せるものにて高潔なる人格の所有者なりと云ふ。


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK390153k-0004)
第39巻 p.251 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記
                   (財団法人竜門社所蔵)
○十一月廿九日
○上略
△尚一・二の来客に御接見の上、九時半帝国ホテルに赴き、昨日来着したるポートランドのクラーク氏、及同行の有力なる木材業者グリツグス氏と会見せらる、クラーク氏は明治四十一年以来の御知己にて、其後御渡米の節も屡住来して親交を重ねられ、両国国々交上深き関係を有する有力者なり、今度の渡来もオレゴン州木材組合の代表に推され、震災の見舞かたがた木材の見本を持ち来れるものなるが、唯米国の木材を日本に売込まんとするにあらず、深く今次の震災に同情し、国交上に資する所あらんとする誠意に出でたるものなること、其言語にも現はれたりといふ
○下略


渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至 高田利吉筆記(DK390153k-0005)
第39巻 p.251 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至 高田利吉筆記
                   (財団法人竜門社所蔵)
○大正十二年十二月三日
○上略
△正午、クラーク氏、グリツグス氏夫妻、ホーグ氏を主賓とし、日米問題に関係深き人々を、飛鳥山邸へ招待して饗宴を催さる、庭園散歩の後食卓に就きて緩談し、遠路渡来の労を謝するよしの演説をなされたるに、先方よりも謝辞を述へたり、氏等来着以来同志の人々と共に宴を開き、各方面にも紹介せられたる為頗る優遇せられ、種種の便宜を得たりとて深く喜ひ居れり、日光など遊覧の後、京阪地方に赴くといふ
○下略


(増田明六)日誌 大正一二年(DK390153k-0006)
第39巻 p.251-252 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
十一月廿八日 水 晴
○上略
今朝ポートランド市クラーク氏太洋丸ニて来邦、横浜上陸ニ付、子爵ハ小畑久五郎氏を出迎の為め横浜ニ遣ハされたり
十一月三十日 金
 - 第39巻 p.252 -ページ画像 
出勤
米国ポートランド市ドクラス樅材伐採会社ヲ代表シテ渡来シタル、オー・エム・クラーク氏、グリツグス氏、ホツグ氏連立チテ、昨日子爵ガ同氏等ヲ訪問シタル答礼トシテ子爵ヲ来訪ス、子爵御不在ノ為メ小生代ハリテ面会、小畑氏ノ通訳ニテ厚ク謝辞ヲ述ヘタリ
クラーク氏ハポートランド市ニ於テクラーク木材会社々長ニテ、多年親日家ヲ以テ著名ナリ、オレゴン州ニ於テ排日法案ノ提出ヲ見サルハ全ク同氏ノ努力ニ因レルモノナリ、氏ハ渋沢子爵ハ明治四十一年以来ノ最モ親シキ友人ニシテ、子爵カ渡米毎ニ歓迎ニ努ムル誠意ハ実ニ感謝スベキナリ、明治四十二年・大正四年・大正十年、小生ガ子爵ニ随行渡米シタル際ニ於ケル同氏ノ子爵ニ対スル厚意ハ、子爵ニ最モ深キ印象ヲ与ヘタリ、今回渡来ノ趣旨ハ、東京其他ノ大震火災ニ対シ深キ同情ヲ寄セ、其復旧ニ要スル木材ヲ政府ト直接協議ノ上低廉ノ価ヲ以テ供給シ、以テ日本ニ対スル同情ノ意ヲ表セントスルモノナレハ、子爵ニ於テハ政府ニ注意シ、出来得ル限リノ便宜ヲ与ヘ、其渡来ヲ有効ナラシメント尽力セラレ居レリ○下略
   ○中略。
十二月三日 月 晴夕雨
朝飛鳥山邸ニ赴き、クラーク氏招待午餐会の準備を為す
正午同氏と一行のグリツグス氏夫妻、ホツグ氏来着、外陪賓一同(日米関係委員会中の主として実業家、米国ニ関係を有する)来会、晩香廬にて会談の後、庭園の散歩を試ミ書院より食堂ニ入る、料理は東洋軒に命す、食事終了ニ先ちて渋沢子爵より簡単ニ一行歓迎の辞を述へクラーク氏之カ答辞を述へ、終りて更ニ洋館ニ至り陳列したる屏風を観、午後二時半退散す○下略


(オー・エム・クラーク)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一二月四日(DK390153k-0007)
第39巻 p.252-253 ページ画像

(オー・エム・クラーク)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一二月四日
                  (渋沢子爵家所蔵)
    DOUGLAS FIR EXPLOITATION AND EXPORT CO.
          260 CALIFORNIA ST.
           SAN FRANCISCO
                  December 4, 1923
Viscount Shibusawa,
  Tokio.
My dear Viscount :
  Please accept my very sincere appreciation for the very delightful luncheon arranged yesterday for myself and my associates and for the opportunity again to meet your charming wife the Viscountess and so many of our friends. We appreciate the occasion the more because of the severe trial through which you have so recently gone and because of the damage caused to your estate, making it so hard to conduct affairs in the usual way.
  With the sincerest appreciation for your courtesy and hospitality,
 - 第39巻 p.253 -ページ画像 
            Cordially yours,
             (Signed) O. M. Clark
                O. M. Clark, Chairman,
                 Commission to Japan.
(右訳文)
                 (栄一鉛筆)
                 十二月八日一覧
 東京市             (十二月六日入手)
  渋沢子爵閣下
             東京、一九二三年十二月四日
                団長 オー・エム・クラーク
拝啓
昨日私共一行の為に愉快なる午餐会を御催被下、令夫人を始め多数の友人と再会するを得たるは、欣喜に堪えざる処にして御厚志難有奉深謝候、先般の大震災により貴邸も多大の損害を被られ、万事御不自由の際なるにも拘らず、御鄭重なる歓待を蒙り候を特に感謝に不堪次第に御座候
右御礼まで得貴意度如此御座候 敬具


集会日時通知表 大正一二年(DK390153k-0008)
第39巻 p.253 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月七日 金 午後六時 旧渡米実業団催、クラーク氏招待会(芝紅葉館)


旧渡米実業団書類(DK390153k-0009)
第39巻 p.253 ページ画像

旧渡米実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
                         明六
拝啓、時下益御清適奉賀候、然は御同様去明治四十二年の秋渡米実業団員として渡米の際、一行の為に種々斡旋尽力せられたるポートランド市オー・エム・クラーク氏、今般同地ドグラス樅材伐採会社を代表して我震災善後計画援助の為め来邦致し候に付ては、京浜の同団員打寄り歓迎会相催候はゞ、同氏に於ても大に悦ばるゝ事と存候間右御賛同被下、来る七日午後六時芝公園紅葉館へ御来会被成下度願上候、尚会費の義は後日精算の上御通知可致候 匆々敬具
                     渋沢栄一
 尚御来否乍御手数御回示被下度候
  大正十二年十二月二日


渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至 高田利吉筆記(DK390153k-0010)
第39巻 p.253-254 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至 高田利吉筆記
                   (財団法人竜門社所蔵)
○十二月六日
○上略
△六時、浅野総一郎氏邸に於けるクラーク、クリツグス、ホーグ三氏の招待会に出席せらる、三氏の外ハ子爵と藤山雷太氏くらゐにて、他は一家の人々のみ、儀式ばりたる演説などはなく、饗応は日本料理にて陳列品等華麗を極め、米人側も大に喜びたりといふ
○十二月七日
 - 第39巻 p.254 -ページ画像 
○上略
△六時、芝紅葉館に於ける旧渡米実業団主催のクラーク氏招待会に出席せらる、明治四十一年に我国の六商業会議所申合せて、米国太平洋沿岸の八商業会議所の人々を招待せしことあり、蓋し米国移民問題につきてかの所謂紳士協約成立せし時、外務当局より慫慂せられしに由るものにて、国民外交の起原ともいふへきものなり、当時ク氏はポートランド市商業会議所会頭の地位にあり、同所を代表して一行に加はり来れり、其後米国側よりも答礼の意味にて我か商業会議所の人々を招待し来りしかば、子爵ハ親ら五十一人の実業家を率ゐて渡米せられ、前後三ケ月を費して米国知名の都市六十ケ所を巡回せられしが、ク氏はこれにも委員の一人として始終一行の東道をなしたる人なり、爾来渡米団にては毎年十二月十七日を以て記念会を開き来りしが、今年は特に其期日を繰り上げてク氏を招待し、往事を談じ旧情をあたゝむる事とせられしなり、団員中既に下世せしもの二十人ばかりに及べるに、子爵と大井朴真氏とは最年長者なから今尚健在せらるゝなり


(増田明六)日誌 大正一二年(DK390153k-0011)
第39巻 p.254 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
十二月七日 金 曇
○上略
後六時、先般来邦のクラーク氏歓迎の為め元渡米実業団員中、京浜の者打寄り芝紅葉館に於て晩餐会を催す、賓客はクラーク氏の外グリツグス氏、ホーグ氏の三人、団員は十一名にて合計十四名なり、料理ハ一人八円、余興として同館附属踊手の京人形あり、一同歓を尽して午後十時退散す
   ○中略。
十二月十二日 水 曇
○上略
正午、東京商業会議所会頭主催のクラーク氏一行招待午餐会ニ出席す藤山会頭の歓迎辞、クラーク氏の謝辞、グリツグス氏の一行来邦の使命談ありたり
○中略
子爵ニハ引続き飛鳥山邸ニて静養せらる
   ○右十二日ノ午餐会ニハ栄一病気ノタメ出席セズ。


渋沢栄一書翰 控 高松四郎宛大正一二年一二月一二日(DK390153k-0012)
第39巻 p.254-255 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 高松四郎宛大正一二年一二月一二日 (渋沢子爵家所蔵)
   (朱書)
    案
拝啓、益御清適奉賀候、然は本書持参之オー・エム・クラーク氏は、米国ポートランド市の有力なる木材業者にして日米国交親善に付、十数年来親友として極めて昵懇に致居候紳士にて、今般米国太平洋沿岸木材業者の団体を代表し、団長として震災慰問品たる巨多の木材を携え且技師を随へ、ドグラス樅材伐採及輸出会社社長グリツグス氏夫妻と共に態々渡来せられ、復興事業に付種々御貢献相成候処、此機に於て一行と共に貴宮参拝を希望せられ、御紹介方依頼せられ候に付、本
 - 第39巻 p.255 -ページ画像 
書相付候間、参上之節は御差支無之範囲に於て御便宜御与被下度候
毎々種々の人々を御紹介致御迷惑の段察入候得ども、共に貴宮参拝を本邦渡来の目的の一に数へ居候次第にて、押して拙書相付候義に御座候間、事情御諒恕被下度候、右御紹介旁得貴意度如此御座候 敬具
  大正十二年十二月十二日
                     渋沢栄一
   日光東照宮
    高松四郎殿


渋沢栄一書翰 控 佐伯定胤外八名宛大正一二年一二月一二日(DK390153k-0013)
第39巻 p.255 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 佐伯定胤外八名宛大正一二年一二月一二日 (渋沢子爵家所蔵)
   (朱書)
    案
拝啓、益御清適奉賀候、然は本書持参之オー・エム・クラーク氏は、米国ポートランド市の有力なる木材業者にして、日米国交親善に付十数年来親友として極めて昵懇に致居候紳士にて、今般米国太平洋沿岸木材業者の団体を代表し、団長として震災慰問品たる巨多の木材を携え且技師を随へ、ドグラス樅材伐採及輸出会社社長グリツグス氏夫妻と共に態々渡来せられ、復興事業に付種々御貢献相成候処、此機に於て一行と共に貴地方拝訪致度由にて、御紹介致候様依頼せられ候に付本書相付候間、参上の節は御差支無之範囲に於て御便宜御与被下度候右得貴意度如此御座候 敬具
  大正十二年十二月十二日
                       渋沢栄一
   法隆寺貫主 佐伯定胤殿 奈良
    名古屋市長  川崎卓吉殿
    京都市長   馬淵鋭太郎殿
    大阪市長   関一殿
    神戸市長   石橋為之助殿     各通
    第一 名古屋 佐々木興一殿
    同  京都  西村道彦殿
    同  大阪  野口弥三殿
    同  神戸  大沢佳郎殿


(エヴァレット・ジー・グリッグス)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一二月一三日(DK390153k-0014)
第39巻 p.255-257 ページ画像

(エヴァレット・ジー・グリッグス)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一二月一三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    DOUGLAS FIR EXPLOITATION AND EXPORT CO.
           260 CALIFORNIA ST.
            SAN FRANCISCO
                Tokio, December 13, 1923
Viscount Shibusawa,
  Tokio.
My dear Viscount :
  I do not feel that it is necessary for me to convey in a long communication the appreciation I feel on behalf of myself and associates of the many courtesies which you have extended to us on this trip. We came for a definite purpose and I believe
 - 第39巻 p.256 -ページ画像 
 that we are accomplishing results which will be of mutual benefit to our business relationships.
  You have been exceptionally kind and courteous to us and I am sure Mr. Clark, who is chairman of the Commission and a personal friend of yours, highly appreciates the favors that have been extended. I wish to add in a feeble way my own words because I do not know how we could have proceeded as satisfactorily had we not received your kind assistance. It has given us an entré which has been particularly desirable at this time. The business side of this Commission you are fully aware of, but I wish to add―when men of your character provide such an open house and the entertainment which has been tendered in so many ways,― and really is unexpected ― we are simply overwhelmed.
  I recall your visit to Tacoma my home city when you were with the Chamber of Commerce delegation and I trust that you will have an opportunity to visit us again. Men of your stamp are required to lead the thought of the nation and confirm the sentiments which have been expressed in the various meetings which I have attended. It is only in this way that our individual relationships can continue to grow and prosper.
  With kind regards to the Viscountess and best wishes for your health,
             Yours sincerely,
            (Signed) E. G. Griggs
            E.G. Griggs, President,
        Douglas Fir Exploitation and Export Co.
EGG:CS
(右訳文)
                  (栄一墨書)
                  十二月三十一日一覧
 東京市               (十二月十七日入手)
  渋沢子爵閣下 東京、一九二三年十二月十三日
                  イー・ジー・グリツグス
拝啓
今回の旅行に際し私共一行が、閣下より多大の御好意を忝ふせるは感謝に不堪処にして、長文の手紙を以て御礼申上ぐる必要を感じ不申候私共は或目的を以て日本に来りしものに有之、而して通商関係上貴我共に有利なる功果を成就しつつありと相信じ申候
私共は閣下より特別の御好意を蒙り候へば、一行の団長にして且つ閣下の親友たるクラーク氏は深く感謝の意を表し居る事と相信申候、私共が閣下より御親切なる御援助を仰がざりしならば、私共の事業は斯くも満足なる結果を得る能はざりし事と存候に付、私一個人としても謹んで御礼申上ぐる次第に御座候、私共が万事支障なく行動を為し得るに至りしは、閣下の御高配に負ふ処甚た多きを覚え、特に感謝に不堪処に御座候、私共一行の旅行目的に就ては閣下には已に充分御承知
 - 第39巻 p.257 -ページ画像 
のことに候へば、小生は閣下の如き人格崇高の方により私共が真に予期せざりし御鄭重なる歓待を、屡々種々なる方法を以て賜りし事は感謝に不堪、謹んで御礼申上候
小生は先年閣下が商業会議所代表者と共に小生の故郷タコマ市に御来訪相成候事を想起致候、将来再び御来訪の機会あらん事を希望致候、閣下の如き方々は国民の思想を善導せらるると共に、小生が出席せる各種の会合に於て表明相成たる御意見の実現せらる事を期待罷在候、吾々個人の親善が発達増進するも此方法によりてのみ実現し得る処に御座候、乍末筆令夫人にも宜敷御鳳声被下度、尚ほ閣下の御健康を祈上候 敬具


(オー・エム・クラーク)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一月九日(DK390153k-0015)
第39巻 p.257-259 ページ画像

(オー・エム・クラーク)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一月九日 (渋沢子爵家所蔵)
    DOUGLAS FIR EXPLOITATION AND EXPORT CO.
           260 CALIFORNIA ST.
            SAN FRANCISCO
                TOKYO Imperial Hotel,
                   January 9, 1924
Viscount Shibusawa,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount,
  Before our departure for home I wish to express our heartfelt gratitude for the way we have been received by the Japanese people, especially by the different officials we have visited.
  Both Col. Griggs and myself think that our people as well as the Japanese have been greatly benefietd by our investigations. I have always expressed appreciation for the Japanese business men and citizens. As this is Col. Griggs' first visit, he has been more than surprised, and says that any claims I made before landing have been more than realized.
  Our trip to the Imperial Forest has been very instructive, and when we return home we are going to advocate heartily some such laws of reforestation as your Government has adopted.
  I want to thank you personally for the help you have given us, as I am confident that without your help and influence we would not have been able to get the results and information we have gotten. We want also to thank you for the help that has been given us by Dr. Obata, and for your sacrifice of his time for our benefit. He has given us help and advice in a very able manner.
  We regretted very much the resignation of the Yamamoto Cabinet, as we had gotten to know several of the members and considered them very able gentlemen, and hope and trust that the new Cabinet may be as good or better legislators for their
 - 第39巻 p.258 -ページ画像 
 country.
  In going over the city we have noticed that there is a great chance to widen streets and give more playground to the children. I hope that the new Reconstruction Board will not be limited to too small an amount in reconstruction work as this is a chance of centuries to do excellent reconstruction work which will be a benefit to posterity.
  We are going to leave your country with the best of feeling for our Japanese friends whom we have met, particularly yourself and your good wife. We hope that you may live to enjoy many more years, as we know that your place can never be filled in so able a manner. You have always been an advocate of peace, for which I surely admire you.
  With the best of good wishes to yourself and the Viscountess, and hoping that we may meet again in the near future,
             I remain,
             Yours very sincerely,
                 (Signed) O. M. Clark
(右訳文)
                 (栄一墨書)
                 一月三十一日一覧
 東京市              (一月十二日入手)
  渋沢子爵閣下    東京、一九二四年一月九日
                   オー・エム・クラーク
拝啓、日本を去るに臨み、私共の滞在中日本の人々、特に私共の訪問せる官吏諸氏より厚遇せられたることを衷心より奉感謝候、私共の調査により日本人も米国人も大いに利益を得たることと、グリツグス氏と共に相考へ候、私共は常に日本の実業家及市民に対して感謝致居候へども、グリツグス氏は初めての日本旅行にて一方ならず驚きたると共に、小生が日本に到着致す前に、声明致置候事が予期以上に実現せられたりと申居候、木曾の御料林を拝観致し私共は大いに得る処有之候へば、帰国の上は貴国政府の殖林法に做い類似の法律を制定せん事を慫慂可致候、滞在中閣下より多大の御援助を忝ふし感謝に不堪候、若し閣下の御援助なかりせば如此好結果を得ること能はざりしことと存候、猶小畑博士をして援助せしめられ候御厚意に対しても深く奉感謝候、博士には種々御迷惑相かけ候事とは存候へども、多大の尽力と助言とを賜り深く感謝致居候、山本内閣の閣僚は何れも手腕ある人々にして、小生の知己を得候為め同内閣の辞職は残念に存候、猶小生は新内閣が前内閣にも優るものと相成るべきを希望罷在候
小生は市中を往来して屡々街路のの幅員を広げ、児童の遊技場を増設する必要を感し、今日を以て之れを実施する好乎《(個)》の好機と相考へ候、今日は子孫の為に有利にして卓絶なる復興事業を成就すべき千歳一遇の好機と存候に付、新復興局の予算が余りに少額に制限せられざる事を希望致居候、閣下御夫妻を始め私が日本に於て面会せる友人に対して私共は深厚なる感謝の念を抱いて日本を去らんとするものに候、閣
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下に代るべき大人物の後継者を得ること能はざるに付、閣下には今後益々御長寿被遊候事を祈願罷在候、閣下は常に平和の唱道者にて、小生は多大の賞賛を捧居るものに候
閣下並に令夫人に対し謹んで敬意を表し候、猶近き将来に於て再び御面会の機あらん事を希望罷在候 敬具


集会日時通知表 大正一三年(DK390153k-0016)
第39巻 p.259 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十二日 土 午後七時 クラーク氏ヨリ御案内(帝国ホテル、略服)


(増田明六)日誌 大正一三年(DK390153k-0017)
第39巻 p.259 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵)
一月十二日 土 晴
出勤
午後五時半、帝国ホテルに赴きクラーク氏留別晩餐会、食卓席順表を作成す
午後七時晩餐会開催、卓上の装飾料理共ニ虚飾を避け、両者併て金拾円、外ニ酒・紅白ブドウ酒及ビールを用ゐたり、デザース《(ト)》・コースに入りクラーク氏ハ起て今晩の司会者をグリッグス氏に依頼する旨を述へ、続てグ氏は起てベルを振り日本実業界の泰斗、日米親善を以て老後の生命とせらるゝ渋沢子爵ニ一場の御感想を請ふべしと宣し、即子爵ハ微恙にて咽喉を痛め発声頗る困難なるニ不拘、起て親友クラーク氏の為ニ、又日本国民に対する懇篤なる使命を以て来邦せられし同氏並グリツグス氏其他一行の為に殪れて後已む之考を以て所感を陳ふべしとて、クラーク氏の友人ニ対する厚き情を陳へ、其例として大正五年渡米《(四)》の際朝餐の宴会を受けたる事、同十年ニハステツキの寄贈を受けたる事を陳へ、且両氏の如き米国人のミならハ排日問題の如きハ雲煙の如く飛散すべきものなるニ、今や米国西海岸ニ於ける暗雲ハ益濃厚の状を呈せるが、蓋し両氏帰米の上ハ必す日本国民の真意を了解して之カ除掃ニ努力せらるべしと結ひ、次きニ日置益、米国代理大使カフヱリー、団琢磨、米商務官バビツト、大村彦太郎    《(原本欠字)》フレーザー、藤山雷太、アンダーソン諸氏の卓上演説あり、後記念撮影を為し午後十一時散会
○下略


竜門雑誌 第四二五号・第四一頁大正一三年二月 クラーク氏留別会(DK390153k-0018)
第39巻 p.259-260 ページ画像

竜門雑誌 第四二五号・第四一頁大正一三年二月
○クラーク氏留別会 前号所載の米国ポートランド市ドグラス樅材伐採輸出株式会社を代表して、我が大震災を見舞旁来邦したる同市材木業者オー・エム・クラーク氏一行は、来邦の使命も完了したる由にて去一月十二日午後七時より、青淵先生始め七十余名の人々を招待して別宴を張られたり、当日は青淵先生は少しく風邪の気分なりしも親友なるクラーク氏の別宴を盛ならしめんとて特に出席せられ、デサートコースに於てクラーク氏の挨拶後、一行のグリツグス氏司会者と為り先づ第一に青淵先生を指名す、先生起ちてクラーク氏とは十数年来懇親を厚ふし居れるが、同氏の友情に厚き誠に敬服の至りにて、去る大
 - 第39巻 p.260 -ページ画像 
正四年渡米の際、同氏より歓迎の朝餐会に招待せられし事、及同十年渡米の節氏はステツキを子爵に贈らんが為め、先づ粗末なる子爵のステツキを所望し置き、代はりに高価なる品を寄贈せられたりとて事実を披瀝して氏の徳を頌し、以て今回の来邦は国民に代はり衷心より感謝する旨を陳べられ、続て米国代理大使カフヱリー氏、日置駐独大使団琢磨氏、米国商務官バビツト氏、大村彦太郎氏、日米協会次長ヱンズウオース氏、セール・フレーザー商会主フレーザー氏、藤山雷太氏アンダーソン氏の卓上演説あり、後記念撮影を為し十一時半散会したりと云ふ。


(グレース・アイ・ダブリユー・グリッグス)書翰 渋沢栄一宛(一九二四年)一月一四日(DK390153k-0019)
第39巻 p.260-261 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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(オー・エム・クラークエヴァレット・ジー・グリッグス)電報 渋沢栄一宛一九二四年一月一七日(DK390153k-0020)
第39巻 p.261 ページ画像

(オー・エム・クラークエヴァレット・ジー・グリッグス)電報 渋沢栄一宛一九二四年一月一七日
                  (渋沢子爵家所蔵)
  Radiod, Presidenta Grant Jan. 17, 1924
Shibusawa, tokio.
Congratulations give friends best wishes
                 Clark   Griggs
(右訳文)
   電報翻訳              (一月十八日入手)
 東京
  渋沢子爵
                       クラーク
                       グリツグス
閣下ノ御無事ヲ祝ス、友人諸君ニ宜敷御伝声ヲ願フ


渋沢栄一書翰 控 エヴァレット・ジー・グリッグス夫人宛大正一三年二月二日(DK390153k-0021)
第39巻 p.261 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 エヴァレット・ジー・グリッグス夫人宛大正一三年二月二日
                  (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一墨書)
                   二月二日一覧
    案
 華州タコマ市北「イー」街三一八
  グリツグス令夫人様
                   東京 渋沢栄一
拝復 去る十四日横浜出帆の際、小畑秘書に御手交相成候御書面、同人より正に受領難有拝誦仕候、然ばクラーク氏を始め貴方様御夫妻予期の御使命を十分に果され、併せて我か邦の風物を御視察相成候は、老生の欣快措く能ざる所に候、特に実業家として重要の地位にある御良人と御親交を結ぶ機会を得候事を光栄と存候、御良人には今回の御渡航を始めとして将来屡々御来訪相成候事と存候が、日米両国間に経済上の聯絡を成立せしむる事は両国親善の為に頗る有効なる画策に有之候へば、老生は御良人に対し是非此方面に御尽力被下候様切望致居る旨御伝達被成下度候
尊書御封入の弐百金確に拝受仕候に付ては、御厚志に添はんが為め井上秀子女史と協議の上、同女史の関係致居らるゝ日本女子大学の同窓生より成る桜楓会の経営に懸る児童救護事業に充つることゝ致候間左様御諒承被下度候、尚ほ井上女史より貴方様へ宛てられたる書面一通玆許封中致候間、御査収被下度願上候
クラーク氏へは近日書通可致候へ共、貴方様より宜敷御鳳声の程願上候
右御礼旁々得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ大正十三年二月二日付ニテ発送セラレタリ。


(武田円治)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一〇月二四日(DK390153k-0022)
第39巻 p.261-262 ページ画像

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〔参考〕渋沢栄一書翰 控 武田円治宛大正一三年一月一二日(DK390153k-0023)
第39巻 p.263 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 武田円治宛大正一三年一月一二日 (渋沢子爵家所蔵)
 ポートランド市
  武田領事殿
                   東京 渋沢栄一
拝啓、時下益御清適奉賀候、然は昨冬貴地オー・エム・クラーク氏渡日ニ付、御紹介の貴翰拝見致候、同氏ハ小生十数年来別懇の親友ニて小生渡米の際も同氏来邦之節も必す御互ニ訪問を楽しミとする間柄ニ有之、同氏今般の来邦ニ付ても小生ハ予め帝国ホテルに室を準備せしめ、又小生の秘書を同氏の接待並通訳に充てゝ来着を待居候次第ニ候同氏一行ハ十一月廿八日無事横浜ニ上陸、其翌日小生ハホテルニ同氏を訪問して親敷来邦の使命を聞き、爾来官民諸方面ニ一行を紹介し出来得る限りの便宜を与へ候
一行ハ十一月廿八日より十二月十八日まで其間二日を日光見物ニ費したる外、東京に滞在して殆と毎日諸方面の歓迎宴を受けつゝ、震災後に於ける当地の状態、材木集散の景況等を調査し、十九日よりハ関西方面ニ遊び又均しく各地の歓迎を受け、又木曾山中の御料林等をも視察して本月五日帰京し、本夕は帝国ホテルに於て盛大なる留別之宴会を催し、愈来十四日プレスデント・グラント号にて帰米の途ニ就かるる都合ニ御座候
同氏一行の来訪は我国民に非常の好印象を与へ候、為之我等ハ未曾有の災害を受けて困憊せる折柄なるにも不拘、十分の厚意を以て一行を歓待したる次第ニて、同一行も必す我が誠意を深く記憶せらるゝ義と察居候
先は尊書拝答旁御通知致候 匆々敬具
  大正十三年一月十二日



〔参考〕(武田円治)書翰 渋沢栄一宛大正一三年一月二九日(DK390153k-0024)
第39巻 p.263-264 ページ画像

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〔参考〕外国人履歴 【オ・エム・クラーク氏ト渋沢子爵トノ関係】(DK390153k-0025)
第39巻 p.264 ページ画像

外国人履歴                (渋沢子爵家所蔵)
    オ・エム・クラーク氏ト渋沢子爵トノ関係
一氏ハ明治四十一年、ポートランド商業会議所ヲ代表シテ訪日実業団ニ加ハリ来朝、始メテ子爵ト知合トナル
一明治四十二年、子爵ガ実業団ヲ組織シテ渡米ノ際、同氏ハポートランド商業会議所ヲ代表シテ同団ノ接待掛トナリ、一行ニ加ハリ斡旋尽力大ニ努メラレタリ
一大正四年、子爵渡米ノ節、同氏ハポートランドニ子爵ヲ迎フルベク大ニ希望サレシガ、子爵ノ旅程之ヲ許ササリシカバ氏ハ通過丈ケニテモ可ナリトテ、特ニ子爵ヲ早朝同地停車場ニ迎ヘ自動車ニテホテルニ導キ、朝餐ヲ饗シテ歓迎ノ意ヲ表シタリ
一大正十年、子爵渡米ノ際、ポートランドニ同氏ヲ訪問シタルニ鄭重ナル晩餐会ヲ催ウシテ、同地ノ有力者ニ子爵ヲ紹介シ且子爵ノ桑港出発前、ホテルニ子爵ヲ送リノ意味ニテ来訪シ、厚意的ニ子爵ノステツキヲ請ヒ受ケ、代リニ自己ノステツキヲ子爵ニ呈シテ辞去シタリ、今回ノ来訪ニハ多分右ノステツキヲ携帯スルナラント思ハル
一氏ハ夙ニ米国西北部ニ於ケル代表的親日家ナリシガ、明治四十一年来朝、能ク日本人ノ真意ヲ諒解シ、爾来我ガ国民就中子爵トノ友情ハ頗ル親密ト為リ、オレゴン州ニ於テ排日法ノ成立セサルハ同氏ノ力ニ由ルト云フモ過言ニアラサルナリ
   ○オー・エム・クラークハ、昭和四年十一月逝去セリ。本資料第四十巻所収「慶弔」昭和四年十一月二十六日ノ条参照。
   ○尚、栄一トオー・エム・クラークノ関係ニ就イテハ本資料第二十五巻所収「アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員歓迎」明治四十一年十月十六日ノ条、第三十二巻所収「渡米実業団」明治四十二年九月六日ノ条、第三十三巻所収「第三回米国行」大正四年十一月八日ノ条、同巻所収「第四回米国行」大正十年十二月十三日ノ条、並ニ第四十巻所収「関東大震災ニ対スル外国ノ援助」大正十二年九月ノ条参照。