デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.647-657(DK390294k) ページ画像

昭和4年11月15日(1929年)

是日、アメリカ合衆国ニュー・ヨークノ宣伝業者アイヴィ・リー、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ニ種々質問ヲナス。


■資料

(ダーウィン・ピー・キングズリー)書翰 渋沢栄一宛一九二九年九月二〇日(DK390294k-0001)
第39巻 p.647-648 ページ画像

(ダーウィン・ピー・キングズリー)書翰  渋沢栄一宛一九二九年九月二〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
         Darwin P. Kingsley
      51 MADISON AVENUE, MADISON SQUARE
           NEW YORK, N.Y.
                   September 20, 1929
My dear Viscount Shibusawa:
  I am giving a formal letter to Mr. Ivy Lee, introducing him to you.
  I am writing to you now direct something about Mr. Lee, because if one says a lot of nice things about a man he is introducing in the letter of introduction, the recipient of the letter is apt to think that this is a matter of politeness and formality and perhaps the writer does not really mean it.
  Mr. Ivy Lee is perhaps the outstanding high-class publicity man of the United States. His clients include such great institutions as the Standard Oil Company, John D. Rockefeller, the Pennsylvania Railroad, and I do not know how many others.
 - 第39巻 p.648 -ページ画像 
His position as a publicity man is unique. He is a man of the highest character, a personal friend of mine.
  He is starting very soon for a trip around the world, coming to Japan from Vladivostok, having crossed Russia by rail. I believe he is attending some meeting in Kyoto but will spend a few days at Tokyo. With him will be his wife and two friends, a lady and gentleman.
  Mr. Lee is a stranger in Japan. If he presents the formal letter I hope you will extend such courtesies to him as you can without inconveniencing yourself in any way.
            Very truly yours,
             (Signed) D. P. Kingsley
Viscount E. Shibusawa.
  2 Ichome Marunouchi Kojimachiku,
  Tokyo, Japan.
(右訳文)
                (栄一鉛筆)
                四年十二月六日一覧
                早々回答書案取調可申事
 東京市                 (十月十五日入手)
  渋沢子爵閣下
            紐育市
   一九二九年九月廿日  ダーウヰン・ピー・キングスレー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば閣下に対し、アイヴイ・リー氏紹介の書状、同氏に附与致候
紹介状中に種々結構なる事柄を陳述致候事は、一種の形式的儀礼にして、必ずしも筆者の真意に非ずと、紹介状受領者に思惟せらるゝ傾向有之候に付、前記リー氏に関し直接一言申上候
アイヴイ・リー氏は米国の卓越せる高級の宣伝業者と申すも差支なかるべく候、同氏の顧客中にはスタンダード石油会社、ジヨン・デイ・ロツクヘラー氏、ペンシルバニア鉄道会社其他多数の大会社を含み居候、宣伝業者としての同氏の地位は独特に御座候、品性の最も高潔なる人にして、小生の親友に御座候
同氏は近々世界漫遊の途に上り申すべく、露国を鉄道にて横断し浦塩より貴国へ渡航仕る予定に候、京都の大会に出席すべきも、東京に数日滞留の事と存候、同伴者は同氏夫人と一貴婦人及び紳士に有之候
同氏は日本には始めてに候へば、紹介状提出の節は、御差障りなき限り御便宜御与へ被下候様奉願上候
右得貴意度如此御座候 敬具


(アイヴィ・リー)書翰 渋沢栄一宛一九二九年一一月九日(DK390294k-0002)
第39巻 p.648-649 ページ画像

(アイヴィ・リー)書翰  渋沢栄一宛一九二九年一一月九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                     Kyoto, Nov. 9.
Dear Baron 《(Viscount)》 Shibusawa,
  I have great pleasure in enclosing a letter of introduction
 - 第39巻 p.649 -ページ画像 
to you from Mr. Darwin P. Kingsley.
  I am arriving at Imperial Hotel, Tokyo, Monday morning and will be there all week, leaivng the 18th for Shanghai. I return to Tokyo the Dec. 3, and sail for America Dec. 6.
  I look forward with much pleasure, as does my wife & my son James, to attending the lunch you are giving in Tuesday, November 12.
            Very faithfully,
             (Signed) Ivy Lee
(右訳文)
                  (栄一鉛筆)
                  四年十二月六日一覧
 東京市                (十一月十一日入手)
  渋沢子爵閣下
                    京都にて
  一九二九年十一月九日          アイヴイ・リー
拝啓、益御清適奉賀候、然ばダアヴイン・ピー・キングスレー氏の紹介状を、玆に同封拝呈し得る事を欣幸に存候
小生は月曜日の朝東京帝国ホテルに到着の上、同週中は同市に滞在致し、十八日上海に向ひ出発可仕候、十二月三日再び東京に帰来し、十二月六日発航帰国の予定に御座候
十一月十二日火曜日御開催の午餐会には、荊妻及び愚息共々出席仕るべく、今より楽しみに致居候
右得貴意度如此御座候 敬具
(同封紹介状)
          Darwin P. Kingsley
     51 MADISON AVENUE, MADISON SQUARE
        NEW YORK, N,Y,
                  September 20, 1929
My dear Viscount Shibusawa:
  This letter will serve to introduce Mr. Ivy Lee, of New York, of whom I have written you direct.
             Very truly yours,
             (Signed) D. P. Kingsley
Viscount E. Shibusawa,
  2 Itchome Marunouchi Kojimachiku,
  Tokyo, Japan
(右訳文)
                  (栄一鉛筆)
                  四年十二月六日一覧
 東京市                (十一月十一日入手)
  渋沢子爵閣下     (アイヴイ・リー氏紙面に同封)
             紐育
   一九二九年九月廿日  ダアウヰン・ピー・キングスレー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば本書を以て紐育のアイヴイ・リー氏を御紹介申上候、同氏に関しては直接申上候通りに御座候
右得貴意候 敬具

 - 第39巻 p.650 -ページ画像 

総長ト外国人トノ談話筆記集 【アイヴィー・リー氏の訪問】(DK390294k-0003)
第39巻 p.650-654 ページ画像

総長ト外国人トノ談話筆記集        (渋沢子爵家所蔵)
    アイヴィー・リー氏の訪問
        (昭和四年十一月十五日午後三時半於王子御邸)
   京都の太平洋問題調査会大会に出席したる紐育の宣伝業者(a publicity man)アイヴィ・リー(Ivy Lee)氏はダーウィン・ピー・キングズレー氏の紹介状を以て子爵に面会を求められ、十一月十五日午後三時飛鳥山邸に於て面接することに打合はせられたり。
   当日午後三時半頃リー氏漸く見え、直ちに洋館応接室に招じ、子爵と会見せられたるが、其談話の大要左の如し。
 リー氏「本日は御多忙の所をわざわざ時間をお繰合せお面会下さいましたことを感謝致します。」
 子爵「キングズレーさんとは古いお友達で、千九百廿年に遇ひましたし、其後貴方のお国へ出かけました時も御世話になりまして、今でも時々手紙の往復を致してゐます。」
 リー氏「私はロックフェラをよく存じてゐます。実際は子爵はロックフェラより一年お若くいられますが、斯く御見受致します処ではどうも十歳位は子爵の方がお若いやうに思はれます。」
 子爵「ロックフェラさんとは、私は明治四十二年に渡米実業団の団長として御国を訪問致しました際、紐育の附近で遇ひました。」
 リー氏「ロックフェラさんは満九十歳の誕生日にゴルフをやられ、その後でなほ事務を執られました。」
 その後、しばらくロックフェラ氏と子爵との年の違ひなどの話があつて、リー氏は質問を始めた。
 リー氏「私は始めて日本の土を踏みました。日本へ来る前には、支那側の廿一ケ条等を云々する宣伝によつて、日本といふ国は帝国主義を翳して侵略を事とするものではないかと疑つて居りましたが、今度の太平洋問題調査会の京都大会に出席して日支両国の言論を聞きまして、日本側の言分が穏健であるといふ事を知りました。私は宣伝業といふ仕事を致してをりますが、今回の日本訪問によつて日本の真面目を米国の社会に知らしめる事が出来るといふ事を喜んでをります。殊に子爵の御希望が御座いますならば、それを米国民に伝へたいと思ひます。」
 子爵「御訪問の御趣旨はよく了解しました。少し長い話になりますが、これをお聞きに入れなければ、従来どうして渋沢が米国に対してかゝる思想を持つやうになつたかゞ判らないと思ひますから、自分の履歴から申上げたいと思ひます。」
 リー氏「喜んで拝聴致します。然し京都大会で御発表になつたステートメントの内容ならば十分承知致してをります。」
 子爵「あれを見て下されば、私の心事はよく御了解の事と思ひますが、私は農家の生れで、外国は非常に恐いものと考へて居りました。鴉片戦争での英国の支那に対して採つた態度、つまり鴉牙問題に事寄せて遂に香港を奪つた事などは、私共に非常な刺戟を与へたものでし
 - 第39巻 p.651 -ページ画像 
た。当時日本で学問をしたと云はれるのは漢学を学んだ人々でありましたが、是等の人々は皆攘夷排外の思想を抱いて居りました。私も同じ考を持つて居つたのは申す迄もありませぬ。然るに其後色々事情が御座いまして境遇も変化致し、千八百六十七年に仏蘭西に行く事になりました。此旅行中外国の有様を聞きましたが、此時同行した友人からタウンゼンド・ハリスの事を聞いたのであります。殊に深い感触を持ちましたのはハリスの通訳官のヒユースケンが暴徒に殺されたとき他の国々の公使が旗を捲いて江戸を引払はうと勧めたに対し、敢然として反対し、平然として江戸に止まつた態度と云ひ心事と云ひ、実に日本の武士道そのまゝであることでありました。外国人にも斯る立派な心事の高潔な人があるかと感じ入りました。自然外国に対する考が変り、就中米国に対しては、特に好感を抱くやうになつたのであります。此間のメッセージにも記しました通り、其後は日米両国は極めて好都合に経過致しました。然るに日露戦争後加州に学童問題が起り、何となく両国の間がうまく行かず、日本人は米国を理解せず、米人も亦日本を了解せぬといふやうな風が見えるやうになりました、斯くあつてはならぬ、微力ながら何とかせねばならぬ。国民の一人として出来るだけ尽して見たいと思ひました。政治上よりする外務大臣等の努力は勿論あつたけれども、ともかく私達は国民として尽力しようと云ふので種々致しました。先程鳥渡申上げた渡米実業団の如きも其一例であります。其後大正四年巴奈馬運河開通記念の博覧会が桑港に開かれた時にも御国へ参りましたが、其時に桑港のアレキサンダさん達が主導者となつて米日関係委員会を起され、北はワシントン州のスポケーン(Spokane)より南は桑港に至るまでは、商業会議所の力によつて、日米間に蟠る不利を取退けたいと努力せられるのを知りました。
そしてアレキサンダさんの勧めもありまして、此桑港の米日関係委員会に相対して、東京に日米委員会を造り、引続き日米親善増進の為めに努力を続けて居る次第で御座います。以上甚だ疎漏ではありますが私の米国に対する関係を申上げました。斯る沿革から日米親善といふ事を私の生命と致してをるのであります。そしてあのタウンゼンド・ハリスの如き立派な人格者を出したやうな御国は、必ず正義人道を重んずる国民に相違ないと考へてをるのであります。」
 リー氏「よく判りました。今日も外国人の御客があつたさうでありますが……」
 子爵「それはシャーレンバーグさんで、私の古くからの知り合ですが、ことに懇意にして居る鈴木(文治)氏が渡米した時世話になりましたので、今度の御来遊を機としまして、今日御招ぎしたのであります……。
 果して私の理想通り参るかどうかは判りませんけれども、とにかく力づくで通るといふ事では、人類社会が強食弱肉といふが如き有様になつては、丸で禽獣に堕する訳であると言はざるを得ませぬ。道理を無視してどうして人たり得るでせう。人たる以上どうしても道理・道徳を根本として行かねばなりませぬ。道徳が政治と合一し、経済と相伴ふならば、其国は隆盛になり、世界の国々が斯くなれば戦争は起ら
 - 第39巻 p.652 -ページ画像 
ないであらうと思ひます。よしやそこまでは行けなくとも、道理を重んずるやうにしたいと思うて居ります。理想論は暫く措き、日本は米国の美点を学び、日本にも多少は美点がありますから、米国で之を取り入れらるゝやうにしたいものと思ひます。今や世界の視聴は太平洋に集中してゐるやうな感があります。米国が之を体し、日本も亦微力ではありますが其積になりますならば、太平洋の平和は容易に得る事が出来るであらうと考へます。」
 此処で子爵は「日本に於けるタウンゼンド・ハリス君の事蹟」と「ハリス記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の演説」とをリー氏に呈せられ、リー氏は之に署名を求めたので、子爵はリー氏の万年筆を執て次のやうに書かれた。
  昭和四年十一月十五日
     於曖依村荘   渋沢栄一
                時年九十
 リー氏「極く簡単にお伺申上げたいのですが日本の抱負(Japanes aspiration)日本の理想といふものをお聞かせ願ひたいと思ひます。米国人は未だ正当に日本を解して居りませぬ。却つて支那に廿一ケ条を強要した事などを考へて、日本は何か野望を抱く国のやうに考へてをりますやうで、明に誤解があると思ひます。子爵のやうな地位の人から日本の国策、日本の信念を伺ひたいと思ふのであります。」
 子爵「私は此事を深く考へ、又は友人と其事を論じた事もありませぬが、支那に対しては私は師匠の国と考へて居ります。先程も申しましたやうに漢籍を学び支那の先哲から教育を受けたからであります。孔子が人道は斯うであり、人たるものは斯くあらねばならぬといはれた事を書いた論語といふ書物があります。私は之を金科玉条として尊敬し服膺して居ります。が現在の支那は此孔子の教を守つてゐるかどうかと云へば、どうもイエスとは云へない。ノーといふ他ないのであります。支那は御承知の如く天恵に富む国ではありますが、之を利用し応用することの下手な国であります。日本は富源はないが、事業経営は下手でないと申し得られるかと思ひます。故に日本と相俟つて支那が其富を利用する工夫があらうと常に考へて居りますので、相争ふ所か相和して行くべきものと思うて居ります。然るに実際に就て見ますと左様ばかりでもありません。日本にも悪い所は一つもないとは申されますまいが、支那の仕向もよいとのみ申すことは出来ませぬ。仮りに一事業を起しても、自己の都合さへよければよいといふやうな所謂利己主義がありますが、これは厳に避けねばなりませぬ。孔子の説いた『忠恕』を念とするならば相和し相助けて行けると思ひます。御説の対支二十一ケ条問題に就ては特に申すまでもなく変態で御座いまして、之を以て日本を侵略的であると考へられては正当なりと申すことは出来ませぬ。唯今は排日排日と申してをるやうでありますが、将来日本が如何なる国であるかゞ分り、日本は決して掠め取るのを事とする国ではないと考へるやうになるであらうと思ひます。」
 リー氏「よく判りました。私は十分子爵の御趣意を米国民に伝へたいと思ひます。序乍ら子爵の御健康法をお伺ひ致したいものでありま
 - 第39巻 p.653 -ページ画像 
す。」
 子爵「イギリスにラプソン・スミスといふ方があります。これは御医者さんださうですが、そのスミスの著書を訳した「百歳不老」と云ふ書物がありまして、之に書いてある事が、私の考へて居た所と一致してをります。スミスの説は『六十歳以上になると、老人になると考へるが普通であるが、斯く考へてはいけない。六十歳前と同じく活動を続けねばならぬ。たゞ年をとるに従つて無理をせぬやうに注意せねばならぬ。屈託したり、苦悶したりすれば、それが最も生命の妨げとなる』と云ふのであります。私は自身六十歳になつたときに考へた所が丁度その通りでありまして、此頃スミスの説を読みまして、自分の考を其まゝ申して呉れたやうに考へたのであります。」
 リー氏「いや誠に不思議です。先刻申上げたロックフェラさんが仰の通りの健康法を守つて居られます。」
 子爵「なほラプソン・スミスはかう申して居ります。『人間生れて三十年は学ばねばならぬ。次の三十年は働くべきである。その次の三十年は完全な生活をすべきである。此最後の時期と雖世間の為に働かねばならぬが、たゞ度を超えぬやうに、無理をせぬやうに心懸くべきである』と申してをります。誠に我意を得た事で、私も亦さう思ひます。けれどもラプソン・スミスは九十歳のあとの事を申してをりませぬ。私はもう九十歳なので、これからはラプソン・スミスの教に拠る事は出来ませぬ。これから一つ私自身の健康法を作らねばならぬことになりました。」(一同哄笑。)
 リー氏「ロックフェラさんに何かお言伝でもございますなら……」
 子爵「いや、ロックフェラさんは金持ですから、私は物質上でロックフェラさんにあやかるのは御免です。ロックフェラさんは従来とても日本の為に尽して呉れました。その御好意は誠に辱けないと感謝して居りますけれども、日本の為にして下さる事は嬉しいが、私自身ではロックフェラさんに申上げる事はありません。私はロックフェラさんから欲しいと思ふものはありませんのに、誤解せられては困りますから……。」
 リー氏「いや決して決して、左様な事はありません。決して御心配には及びません。ではもう一つお伺致したいことがあります。子爵は既に九十歳まで御長寿を保たれましたが、まだまだ生きたいと思召しますか。」
 子爵「死にたくはありませんね。どこまでも生命を続けたい。――此社会をば神聖な文明社会にまで向上さして行きたい、その為にどこまでも生きたいと思ひます。その神聖な社会では政治にも経済にも完全な道徳が入らねばなりませぬ。とかく現在の状態では経済の為に道徳を忘れ、政治は力であるといふやうな弊が甚だ多いのでありますが私は生きてゐる限り世界のよくなるのを見なければなりませぬ。……然し世の中の悪い事を見聞きする時はまつたく死にたいと思ひますがこれは自分が大君子でないからでせう……。」
 リー氏「子爵が静思せらるゝ時、子爵は神・宗教等に関しては如何なる信念を持せられますか。」
 - 第39巻 p.654 -ページ画像 
 子爵「日本は神の国で八百万の神々があります。けれども私は少年時代より孔子の教を、人たる務はこれであると親より教へられてをりました。ことに先妻の兄が学者でして又孔子の尊崇家でありました所から、猶更これに感化せられました。私は法華宗の信者が日蓮を信ずると同じ程度に於て孔子を信仰してをります。特にその他の神仏といふものは信仰してをりませぬ。孔子の言葉中の「天」、この「天」といふものを信仰致します。「天徳を予に生ず、恒魋其れ予を如何せん」とか、「天の未だ斯文を喪さざるに、匡人其れ予を如何せん」とか申されてをりますが、この天といふのは即ち「神」であります。私は孔子の教通りに、此「天」を信じてをります。仏教も基督教も私は信じてはをりません。」
 リー氏「いや誠に失礼な質問を連発しまして、而かも快く御答を頂きました段厚く御礼を申上げます。」
 子爵(独語)「遠慮のない御質問で、却つてさつぱりして心持がよかつた。」
  リー氏は更に子爵の御写真を求め、子爵は之に左の如き署名をして与へられたり。
    昭和四年十一月十五日
       於曖依村荘     渋沢栄一
                    時年九十
   呈アイヴイ・リー君 恵存
  リー氏礼を述べて帰途につける時は外面既に暗かりき。
   ○右ハ「竜門雑誌」第四九五号(昭和四年一二月)ニ転載セラレタリ。


渋沢栄一書翰控 藤巻正之宛 昭和四年一一月一六日(DK390294k-0004)
第39巻 p.654 ページ画像

渋沢栄一書翰控  藤巻正之宛昭和四年一一月一六日   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば本書持参のアイヴイ・リー氏は、米国に於ける有数の記者に有之、今般太平洋問題調査会第三回大会に代員として出席の為め、夫人と共に御来遊相成候に付ては、是非貴宮参拝致度由にて、御紹介申上候様依頼せられ、本書相付候間、参趨の節は御便宜御与へ被下度希望の至に候、右御紹介旁得貴意度、如此御座候
                           敬具
                      渋沢栄一
   日光東照宮々司
    藤巻正之殿
  昭和四年十一月十六日


(小畑久五郎)書翰控 アイヴィ・リー宛一九三〇年一月一三日(DK390294k-0005)
第39巻 p.654-655 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控  アイヴィ・リー宛一九三〇年一月一三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
         Viscount Shibusawa's Office
     2 Itchome, Marunouchi, Koijmachi-ku,
             Tokyo.
                    January 13, 1930
Mr. Ivy Lee,
  15 Broad Street,
  New York.
 - 第39巻 p.655 -ページ画像 
Dear Sir,
  Remembering that you expressed the desire of having the record of the conversations between your good self and Viscount Shibusawa, I am now sending it to you herein enclosed. I shall be glad if it can be of any service to you.
             Yours very truly,
                  (Signed)
                 Kyugoro Obata
             Secretary to Viscount Shibusawa


(アイヴィ・リー)書翰 小畑久五郎宛一九三〇年二月三日(DK390294k-0006)
第39巻 p.655 ページ画像

(アイヴィ・リー)書翰 小畑久五郎宛一九三〇年二月三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
Fifteen Broad Street
  New York
                  February 3, 1930
Dear Mr. Obata:
  You were very kind indeed to send me the record of my conversation with Viscount Shibusawa. I shall never forget that delightful experience and the inspiration of coming into contact with so wonderful a man. Will you kindly give my kindest good wishes to the Viscount and accept my cordial regards for yourself.
                Sincerely yours,
                   (Signed) Ivy Lee
Mr. Kyugoro Obata,
Secretary to Viscount Shibusawa,
  2 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-ku,
      Tokyo, Japan.
(右訳文)
              (別筆)
              五月一日御一覧済 回答済
 東京市                (二月廿四日入手)
 渋沢事務所
  小畑久五郎様
                    紐育市
   一九三〇年二月三日          アイヴイ・リー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば渋沢子爵閣下と小生との談話筆記御送附被下、御深切誠に難有奉深謝候、彼の愉快なる経験及び子爵の如き驚異に値する偉人に接して得たる感激は、小生の決して忘れざる処に御座候、何卒貴下より子爵へ宜しく御伝達願上度、併せて貴下に対し厚き敬意を表上候 敬具


渋沢栄一書翰控 ダーウィン・ピー・キングズリー宛 (昭和五年五月九日)(DK390294k-0007)
第39巻 p.655-656 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ダーウィン・ピー・キングズリー宛(昭和五年五月九日)
                     (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆)
                 昭和五年四月七日承認
    案
 - 第39巻 p.656 -ページ画像 
 ニユー・ヨーク州
 ニユー・ヨーク市
  ダーウヰン・ピー・キングスレ様
                   東京 渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ばアイヴイ・リー氏御紹介の昨年九月廿日付御懇書確かに拝受、興味を以て拝読仕候、又リー氏に御交附の御紹介状は同氏より拝受拝読仕候、リー氏は京都に於ける太平洋問題調査会大会に御列席の後上京せられ、昨秋十一月十五日午後飛鳥山拙宅に御来訪被下、一時間余に亘り胸襟を開きて懇談し、近来になき愉快なる時間を過し候、其際リー氏は貴台よりの御厚意を懇篤に被申聞難有拝承仕候、会談の模様は同氏より直接御聴取被下候事と存候得共、其一斑を御報告申上度候
リー氏は来示の通り有為の人物なるを以て巧みに質問を連発して、平素大抵の談話に退避ろかぬ老生も返答に忙殺せられ愉快なる緊張を覚え、近来珍らしき訪問客に接せりとの感を抱き申候、質問は日米問題より老生の支那観、健康法及信仰問題等に及び、生死観をも問はれ候巧妙にして而も尖鋭なる質問の連発に誘はれ老生の思ふ所、信ずる所を赤裸々に申上げ磊塊を吐露致、真に快然たるを覚え候、リー氏は談話中屡々ロツクフエラー氏と老生とを比較対照せられ候、年齢の点以外に相似の点は無之様被存候も、リー氏は其他の点に付ても頻りに対照せられ候、リー氏には令夫人並に令息及友人をも御同伴の由に付、御一行を御招待申上更に緩々歓談致度存候処、老生が当時非常に取込居たると、且つリー氏御一行も非常に御多忙にて殆ど寸暇なかりし為め、終に不得其意遺憾千万に有之、折角御紹介被下候貴台に対しても申訳無之次第に御座候得共、事情御諒察被下不悪御推恕の程願上候、尚ほ遷延ながら此機会に於て一事申上度き義有之候、即ち先年貴台再度御来遊の節、古河男爵を経て記念の為め美事なる銀製茶托一対御恵贈被下候御厚意に対し、拝謝仕度義に御座候
右記念品は真に結構なる出来にて常に愛用珍重罷在候、就ては老生等拝謝の験迄別封の書籍、即ち孔夫子の教を記せる「大学」並に詩聖蘇東坡の「前赤壁賦」を拙筆を以て浄書して印行致候ものゝ一を拝呈仕候間、御笑納被下度候、尚ほ日本の風物を偲ばるゝよすがともならばと存じ、先便日本菓子数種取混せ御送致申上候処、御笑納被下候由、正に拝誦致候、老生一月初旬流行感冒に罹り、爾来籠居静養致、昨今漸く稍快方致候次第に有之、自然本書も遷延今日に及候事情御諒恕被下度候
右拝答旁得貴度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ五月九日付ニテ発送セラレタリ。


(アイヴィ・リー)書翰 渋沢栄一宛一九三〇年六月二一日(DK390294k-0008)
第39巻 p.656-657 ページ画像

(アイヴィ・リー)書翰  渋沢栄一宛一九三〇年六月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 Fifteen Broad Street
  New York
                     June 21, 1930
 - 第39巻 p.657 -ページ画像 
My dear Viscount:
  It was most kind of you to write me the way you did on May 22nd, and I feel very honored to receive a letter from you. I still remember with great inspiration the privilege I had of talking with you in Japan, and I have had framed and put conspicuously on the wall of my office the very interesting photograph of you, with your autograph, which you gave me at the time I had the honor of being received by you in Tokyo.
  The memories of my visit to Japan are still vivid in my mind, and I am eagerly looking forward to the time when I can be there again.
  …………
  With most cordial regards and great respect, and hoping that your health continues to be good, I am,
        Cordially and sincerely yours,
                  (Signed) Ivy Lee
Viscount E. Shibusawa,
  2 Itchome Marunouchi kojimachiku
     Tokyo, Japan.
(右訳文)
              (別筆)
              取置昭和六、三、三白石 小畑
 東京市                 (七月十二日入手)
  渋沢子爵閣下
                   紐育市
   一九三〇年六月廿一日         アイヴイ・リー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば去る五月廿二日御懇篤にも小生のため御執筆下され難有存候、閣下より御芳書を頂戴するは小生の大なる名誉に御座候、今猶日本滞在中御会談申上ぐるを得たる栄誉を想ひ出で感激罷在候、東京にて拝光の節御恵与に与り候御自署の美事なる御写真は、額に仕立て事務所の壁上に掲げ絶へず御面影を偲び居候
貴国訪問の記憶は今猶新しく、再遊の時機到らんことを熱心に希望致居候
○中略
爰に謹而敬意を表し併せて閣下の益御健勝ならんことを奉祈上候
                           敬具