デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
10款 関東大震災在日罹災外人救済
■綱文

第40巻 p.304-324(DK400093k) ページ画像

大正12年11月26日(1923年)

是ヨリ先、九月一日ノ関東地方大震火災ニヨリテ住居ヲ失ヘル在日欧米人ノタメニ、仮住宅ヲ建設セントテ、栄一、在日外人有志並ニ藤沢利喜太郎阪井徳太郎等ト謀ル。是日栄一、南豊島御料地内下渋谷羽沢地区ノ二千九百余坪ヲ三年間無料借用スル件ヲ右藤沢・阪井及ビ黒田清輝・河井弥八トノ五名連署ヲ以テ宮内省ニ出願ス。十二月二十八日許可セラル。


■資料

青淵 第九六号・第二八―二九頁 昭和三二年三月 大震災当時の罹災外人救護事業 河井弥八(DK400093k-0001)
第40巻 p.304-306 ページ画像

青淵  第九六号・第二八―二九頁 昭和三二年三月
    大震災当時の
      罹災外人救護事業
                      河井弥八
 自分は青淵先生には直接お近附きになつていなかつた。関係する方面が違つていたからである。唯、当時自分は貴族院書記官長であつて議長徳川家達公の下で勤めていたので、青淵先生が慶喜公の家を再興なさつたことなど、徳川家のため、種々骨を折られた事はよく存じていた。
 そういう、関係の乏しかつた自分が青淵先生と接したのは関東大震災の折のことであつた。大震災が起つたのは大正十二年九月一日であるが、その四日と思うが、自分は衆議院書記官長中村藤兵衛君とともに市内の災害地をひとわたり、破壊された街路を通つて、自動車で行ける所は自動車で、車で行き難い所は徒歩で廻つた。到る処惨澹たる状況で、本所の被服廠跡を初めとしてまだ惨死者がそのままであり、負傷者も飢餓の者も何等救護の手が施されていなかつた。
 そこで自分等両人は、これは直ちに救済の方法を講じなければならないと考えた。事務局に帰るとすぐ、議長徳川公を千駄ケ谷の邸に訪うてこうお話した。――当時徳川公は日本赤十字社長も兼ねておられたので――赤十字として直ちに罹災者の救護に当つて頂きたい。その惨状は一時も猶予ならないものであるから即時に、医師と看護婦と医療品を備えて多数のトラツクを出動させて頂きたい。それと同時に、議会と財界の首脳者と一緒になつて、臨時応急の対策を実施するようにして下さるようお願いした。そこで公のお指図の下に自分はまず、青淵先生に御相談することとして王子の邸へお伺いした。
 王子の御邸には既に先客があつた。それはクリスチヤンの人と、もう一人は寛永寺のお坊さんであつた。ソコデ自分は先生にお目にかかるとすぐ、徳川公のお使いで伺つたと告げ、自分は今日罹災地を一巡して直接見たところを述べ、直ちに救済と復興とに着手したい、それ
 - 第40巻 p.305 -ページ画像 
には議会と財界と一緒にやつて頂きたいと思うので、先生には財界の中心として是非立ち上つて頂きたいとお願いしたところ、先生には直ちに力強き同意を与えられた。
 斯くて復興に当ることとなり、寄附金も内外から四百四十五万円余集つた。こうして大震災善後会ができたが、この会は事務所を東京商業会議所に置き、救済部と経済復興部とに別れ、連日会議を開いてそれぞれ事務を処理した。広汎に亘る救済事業も政府や議会に対する復興計画の要望もすべて急速に進捗し、翌年三月十三日には善後会の仕事は終つて解散した。これもまた未曾有のスピードであつて、先生の努力に負う所が多大であつた。
 この時のことであるが、救済部の義金は日本人救済のみに用いては不可というので、京浜間の外人でひどい目に遭つた人達をも何とか救護しなければならないということになつて、別に委員を作つて事に当つた。その委員は次の人達であつた。
 日本側=渋沢栄一 黒田清輝 藤沢利喜太郎 阪井徳太郎 河井弥八
 外人側=ブレーキ ブルター バートン フレザー メーソン メージヤー サムソム
 最初の計画は、京浜在住罹災欧米人百五十人を救済することとしてバラツクを建てる事であつた。これがため建物の敷地として、日本赤十字病院の向側の羽沢所在の御料地を三カ年無代で拝借することとし善後会から金六万五千円。徳川公が会長であつた震災同情会から金壱万五千円。他に、震災救護事務局から木材一、八九三石・毛布・寝具食器等見積額二万円。合計拾万円の金品で救護に当つたのであるが、羽沢の御料地には既に、無許可で住んでいる者があつて中々立退かない。そうこうしている中に外人側から、仮宅建築は中止して学校を建てたいという申出が出て来て、その方に変更することとなつた。
 この時出来たのが今もある目黒のアメリカン・スクールである。十二カ国、百三十余名の学生を収容する予定で、二階建八教室、他に寄宿舎(定員二〇―二五名)、集会堂(定員三〇〇名)、附属建物(食堂厨房・便所等)というものであつた。これは十三年九月に出来上つた
 大震災の折はアメリカを初めとして外国からの救援が非常に多く寄せられた。フリーメーソンからも金が来ている。そういう際であつたから、この京浜間の欧米人救済は余り人には知られていないが意義深いものがあつたのである。
 青淵先生はアメリカの財界人に非常に良かつた方であつたから、善後会にも大変功績があつた事になろう。又丁度この震災の起る前、同年四月頃からであつたが、東京パン・パシフイツク・クラブという会が出来た。毎週金曜日の昼食会で、貴族院議員井上匡四郎子爵を会長とし、会場は帝国ホテルを用いていたが、この会は実に六百回以上続いて今度の大戦の前迄開いていた。この会に青淵先生に来て頂いた事もあつた。震災の折の京浜間外人救護にはこのクラブが大に役立つているであろう。
 大震災善後会は寄附を受けた金四百四十五万円を全部寄附して終る事が出来た。事務費・視察費・報告書その他印刷費とかはすべてこの
 - 第40巻 p.306 -ページ画像 
寄附金の銀行利子でまかなつたものである。先生を初めとして財界の人々と国会の人達とで結成したもので、政府は関係しないことがこの会の特色である。             (前参議院議長)
  ○右ハ刊行ノ際追加セルモノナリ。


集会日時通知表 大正一二年(DK400093k-0002)
第40巻 p.306 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月廿二日 木 午前十時 河井弥八氏ト御会約(商業会議所)


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK400093k-0003)
第40巻 p.306 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一  自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記
                     (財団法人 竜門社所蔵)
○十一月廿九日
△○上略 善後会幹事河井弥八氏の訪問を受け、在留外人にして罹災せしものゝ住居の事、善後会の事務整理の事及同会閉鎖の事等につき協議せらる


渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二月十二月至 高田利吉筆記(DK400093k-0004)
第40巻 p.306 ページ画像

渋沢子爵親話日録  第二 自大正十二月十二月至 高田利吉筆記
                     (財団法人 竜門社所蔵)
○十二月四日
△○上略 下渋谷羽沢の御料地に○中略 善後会へ請求したる米人其他外人の震災の為、居宅を失へる人々に転貸したる土地あれば、それをも見分せられたり


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0005)
第40巻 p.306-307 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
    御料地無料拝借願
関東地方ニ於ケル大震ハ震害ニ加フルニ火災ヲ以テシ、死者十万、傷者算ナク、帝都ヲ焼夷シ田園ヲ荒廃シ経済・交通・軍備・教育其他百般ノ施設ヲ挙ケテ異常ノ惨害ヲ被ラサルナク、損失ノ洪大ニシテ激甚ナル洵ニ有史以来未曾有ノコトト存シ候、是ヲ以テ畏クモ我
皇室ニ於カセラレテハ直ニ 大詔ヲ煥発セラレ、以テ国民ノ適従スル所ヲ示サセ給ヒ、又特ニ巨額ノ御内帑金ヲ下シ賜ヒテ救恤ノ資ニ充テシメラレ
皇后陛下
摂政殿下ヲ始メ奉リ、尊貴ノ御身ヲ以テ親シク各地ヲ御巡覧アラセラレ、仁慈愛憐ノ台旨ヲ垂レサセ給ヘルハ、国民ノ罹災者タルト否トヲ問ハス斉シク感泣シテ措ク能ハサル所ニ御座候、又政府当局ニ於テモ速ニ救護ノ事務ヲ開始セラレ、全国ノ力ヲ挙ケテ救済ノ事ニ努メラレ海外各国亦深厚ノ同情ヲ寄セラレ多額ノ金銭物資ヲ贈リテ慰問ノ意ヲ表セラレタルハ、真ニ感謝ノ至ニ堪ヘサル所ニ有之候、随テ災後ハ旬ヲ経テ救護殆ト洽ネク、罹災民ハ概ネ飢寒病疫ヲ免レ、孜々トシテ旧業ノ回復ニ従事スルコトヲ得候ハ実ニ昭代ノ恵沢ト存シ候、然ルニ京浜ノ間ニ在留スル欧米人罹災者ニシテ其住居ヲ失ヒ、現ニ或ハ知人ノ家ニ寄寓シ、或ハ已ムナク其固有ノ慣習ト異リタル生活ヲ遂ケ、苦辛
 - 第40巻 p.307 -ページ画像 
名状スヘカラサルノ境遇ニ在ル者百五六十人ニ上リ申候、是等外国人ハ教員・宗教家・書記・商店員・タイピスト等ノ職ニ従事シ、其収入ハ以テホテル生活ヲ送ルニ難ク、加之我国人トハ言語・風俗ヲ異ニスルニ因リ最モ同情スヘキ悲境ニ在リ、依テ之カ救済ノ為速ニ仮住宅ヲ建設シテ使用セシムルハ、我国人ノ義ニ於テ当ニ務ムヘキコトト認メ某等窃ニ計画スル所アリシニ、偶々有力ナル欧米人ノ知ル所トナリ、仮住宅建設ノ資金ハ日本人ノ醵出ニ俟タス有志ニ於テ自ラ之ヲ処弁スヘキニ依リ、所要ノ土地ヲ借用致シタシトノ希望ヲ申出テ候、某等熟ラ思フニ若シ我カ至仁至慈ノ
皇室ニ於カセラレ斉シク是等欧米人ノ窮状ヲ愍マセラレ、市内若ハ付近適当ノ地ニ於テ御料地ノ使用ヲ許可セラレ給ハンニハ
皇恩ノ洪大ナル是等外国人ヲシテ深ク感激セシムルモノアラムト奉存候、依テ仰キ冀クハ左記要項ニ基キ御料地拝借ノ義特ニ御許可被下度伏シテ奉願上候 敬具
  大正十二年十一月二十六日
             東京府北豊島郡滝野川町飛鳥山
                      渋沢栄一
             東京市麻布区笄町百七拾七番地
                      黒田清輝
             東京市赤坂区青山高樹町二十番地
                      阪井徳太郎
             東京市小石川区諏訪町三十六番地
                      藤沢利喜太郎
             東京市麹町区内幸町二丁目一番地
                      河井弥八
    帝室林野管理局長官 本田幸介殿
      記
第一 拝借人ハ前記子爵渋沢栄一外四名トシ、罹災欧米人ノ為仮住宅ヲ建築スル目的ヲ以テ無料ニテ御料地ヲ拝借スルコト
第二 拝借御料地ノ面積ハ弐千坪トシ、拝借期間ヲ参年トスルコト
第三 拝借人ハ罹災欧米人カ拝借地使用ニ関シ生スヘキ一切ノ責ニ任スルコト
第四 拝借地使用者ノ氏名国籍使用方法等ハ届出ヲ為スコト
第五 以上ノ外帝室林野管理局長官ノ御指示ヲ奉スへキコト 以上


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0006)
第40巻 p.307-308 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)

第二一九五ノ三号
            東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                   子爵 渋沢栄一
                          外四名
東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字羽沢
南豊嶋御料地内
 - 第40巻 p.308 -ページ画像 
一貸付面積弐千九百八拾八坪五合 使用目的 欧米人住宅敷
 此貸付期間 自大正拾参年壱月至同拾五年拾弐月 満参ケ年
  但無料
右大正十二年十一月二十六日付借地出願之趣許可致候、願書記載事項ノ外御料地貸付規程ヲ遵守スル義ト心得ラルヘシ
 追テ実地ハ東京感化院改メ財団法人錦華学院ニ於テ、大正拾参年壱月弐拾日迄ニ地上物件取払ノ筈ニ付、其終了ヲ俟テ引渡ニ及フヘクモ、其前使用ヲ要スル場合ニハ予メ同院ヘ打合ノコトニ致度
  大正十二年十二月二十八日
              帝室林野管理局長官
        ―――――
    委員氏名
  英国人側委員
    パーレツト氏(英国大使館書記官)
    ストラザー氏、ジヨン(フレザー同族株式会社)
    カルー氏、ホレス(セール・フレザー会社)
  米国人側委員
  委員長
    ブレーキ氏、デイ・エチ、(フレザー同族株式会社副社長)
    バートン氏、イー・デイー、(合衆国鋼鉄会社代表)
    レーモンド氏、エー、(建築技師)
    フレザー氏、イー・ダブルユー(在東京米国人協会々長)
                    以上

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0007)
第40巻 p.308 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                  (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
            東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                   子爵 渋沢栄一
                          外四名
東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字羽沢
南豊嶋御料地内
一貸付面積弐千九百八拾八坪五合 使用目的 欧米人住宅敷地
 此貸付期間 自大正拾参年壱月至同拾五年拾弐月 満参ケ年
  但無料
右ハ大正十二年十一月二十六日付ニテ御料地借地出願中ノ処、同年十二月二十八日付第二一九五ノ三号ヲ以テ御許可被下難有奉存候、尚ホ願書記載事項ノ外御料地貸付規程ハ堅ク遵守可仕候
右御礼迄如斯御座候
  大正十三年一月廿四日      子爵 渋沢栄一
                          外四名
    帝室林野管理局長《(官脱)》 本多幸介殿


集会日時通知表 大正一三年(DK400093k-0008)
第40巻 p.308-309 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年    (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.309 -ページ画像 
一月十五日 火 午後一時 河井弥八氏来約(事務所)
  ○中略。
二月 九日 土 午後二時 河井弥八氏来約(事務所)
  ○中略。
二月廿八日 木 午後三時 河井弥八氏来約(事務所)
  ○中略。
三月廿八日 金 午前十時 罹災欧米人バラツク建設委員会(事務所)
  ○中略。
七月 二日 水 午後二時 罹災外人バラツク建設ノ件(事務所)


東京毎日新聞 大正一三年一月二九日 外人宿泊所 下渋谷の赤十字前へ二十万円で建築する(DK400093k-0009)
第40巻 p.309 ページ画像

東京毎日新聞  大正一三年一月二九日
  外人宿泊所
    下渋谷の赤十字前へ
      二十万円で建築する
昨年の震災で、在京外国人の焼け出されて困難したものは甚だ多かつた、外人を雇傭してゐる会社は、其の雇人の中殊に独身者の為めに今尚ほ寝食を心配してゐるが、此の状況を見た渋沢子と三井の阪井徳太郎氏等は
 在京外人 実業同志会の幹事フレーザー、バートン、レーモンド氏等と協議して、外人の為めの一大設備として公衆会館を建てることを発議し、日本側は之が援助の任に当り、建築費として十万円を醵出することになつた、右建築は総額二十万円半永久的建物で、会堂・男女宿泊所・台所・図書館・娯楽室等を
 設ける筈 であるが、フレーザー氏協力の下に過般米国建築会社のレーモンド氏に建築を委任し、下渋谷赤十字病院前の宮内省弓術場跡を三年間無償で借り受けることゝなり、愈外国商館側の醵金を集めて近日工事に着手することになつた、寝室は男女に分ち合計
 五十室を 作り、会堂の床は前の横浜ゲーテ座の如く電力で必要に応じて上下出来るやうにし、時には劇場にもダンスにも活動写真の開催にも用ふるやうになつてゐる、客室は一日食事付五円位で宿泊させるもので、位置が下町の
 商業区域 に遠く不便ではあるが、日比谷・日本橋迄毎朝夕専属の乗合自働車を運転して商店員の通勤に便ずといふことである、尚外人側の醵金を容易ならしむる為め客室の前売を初め、一室千円として既にバートン氏一室、ゲリー氏二室、トウイスラー氏二室
 フレーザー 氏三室、フライシアー氏四室、合計十二室は売れ、他の残つた分も来週中には決定する見込であると、宿泊料一日五円はホテルに比して安いやうであるが、三年後には元金を取り戻して尚剰余を見る予定である、此の企てに就いて
 外人達は 渋沢子・阪井氏の同情を徳として居る、尚同地には池があり庭があるので、居ながらにして充分楽しみ得る事を喜んでゐる


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0010)
第40巻 p.309-310 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.310 -ページ画像 
  大正十三年二月十五日
      大震災善後会々長 公爵 徳川家達 大震災善後会会長印
 子爵渋沢栄一殿
大正十二年十二月一日附ヲ以テ御請願相成候罹災欧米人仮住宅建設ニ対スル補助ノ件聴届ケ、建設地ノ整理区劃及所要設備費トシテ金五万円也ヲ交付スルコトニ決定致候、就テハ左記ノ件々御諒承ノ上速カニ震災救護ノ実績ヲ挙ケラレ候様致度、此段申進候也
    記
一、事業実施ノ状況ハ随時視察スルコトアルヘシ
一、事業実施後ハ詳細ナル御報告ヲ得度 以上
  ○右ニハ十二月一日付ヲ以テ請願トアリ、次掲写ニハ二十六日トアリ、写ノ誤ナルベシ。
  (写)
    罹災欧米人仮住宅建設事業ニ対スル補助金交付願
過般ノ大震災ニ際シ京浜地方在住欧米人ノ被害ハ劇甚ニシテ、惨状名状スヘカラサルモノ有之、殊ニ其中中流ノ階級ヲ占ムル宣教師・教員事務員・タイピスト等ノ職ニ従事スル者ニシテ、不幸ニモ其住居ヲ失ヒ、然カモ其収入ハ以テホテル生活ヲ送ルニ困難ヲ感スルモノ約百五十名ノ多キニ上ル由ニ御座候、是等ノ外国人ハ皆我国人トハ風俗・言語・習慣ヲ異ニシ、災後ノ今日ニ処スルニ方リ何レモ困憊ノ極ニ在ルノ状態ニシテ、真ニ同情ニ堪ヘサル義ト存候、俵テ曩ニ子爵黒田清輝藤沢利喜太郎・阪井徳太郎・河井弥八四氏ト謀リ、右外国人ノ為急速適当ノ仮住宅建設ノ計画ヲ為シ、貴会ヨリ之カ建築費ノ御寄付ヲ仰キ以テ外人ヲシテ斉シク教済ノ恩恵ニ浴セシメ、併セテ諸外国ヨリ我国ノ罹災者ニ寄セラレタル同情ノ厚キニ酬ヒ度ト存シ著々其計画ヲ進メ候処、幸ニシテ帝国林野管理局《(室)》ヨリ某等五名ニ対シ、右外国人所用仮住宅建設ノ為、下渋谷御料地内若干ノ土地ヲ三年間無償ニテ拝借ノ御許可ヲ賜リ、今更ナカラ
皇恩ノ渥キニ感泣仕候次第ニ御座候、就テハ特ニ是等罹災欧米人ノ窮状ニ付同情ヲ寄セラレ、貴会ヨリ金若干ヲ御補助相成、相当ノ設備ヲ完成セシムルヤウ特ニ御詮議被下度、前記一同ヲ代表シテ特ニ御願申上候 敬具
  大正十二年十二月二十六日
           東京市麹町区八重洲町一丁目一番地
                  子爵 渋沢栄一
 大震災善後会々長
    公爵 徳川家達殿
 震災同情会々長
    公爵 徳川家達殿     各通


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0011)
第40巻 p.310-311 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                    (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
 - 第40巻 p.311 -ページ画像 

一金五万円也
   但シ罹災欧米人仮住宅建設ニ対スル補助金
右正ニ領収候也
  大正十三年二月十六日
                渋沢栄一代理
                 白石喜太郎白石
    大震災善後会々長 公爵 徳川家達殿


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0012)
第40巻 p.311 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                    (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
    受領証
一金壱万五千円也
   但シ罹災欧米人収容家屋建設資金中ヘ御寄附金
右正ニ領収候也
    大正十三年二月二十日
                    渋沢栄一
    震災同情会々長 公爵 徳川家達殿


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0013)
第40巻 p.311-312 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                    (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
昨年九月一日ノ火震ハ前古未曾有ノ惨害ヲ惹起シ、人命財産ノ損失、経済・交通・教育・軍備等各種ノ施設ノ被害挙ケテ名状スヘカラサルモノ有之候、玆ニ於テ至仁至愛ナル我皇室ニ於カセラレテハ、直ニ愛憐ノ恵ヲ垂レサセ給ヒタルハ、国民ノ感激シテ措ク能ハサル所ニ御座候、又我政府モ速ニ救護ノ実ヲ全ウセラレ、海外諸国民ノ同情ノ深厚ナリシコト亦真ニ感銘ノ至ニ有之候
然ルニ、当時京浜間ニ在留セル欧米人ノ罹災者ニシテ其住居ヲ失ヒタル為、或ハ知人ノ家ニ寄寓シ、或ハ已ムヲ得ス其固有ノ慣習ト異リタル生活ヲ遂ケ、苦辛名状スヘカラサル境遇ニ在ル者百五六十人ニ上リ申候、是等外国人ハ教師・宗教家・書記・商店員・タイピスト等ノ職ニ従事シ、其収入ハ以テホテル生活ヲ送ルニ難ク、加之我国人トハ言語・風俗ヲ異ニスルニ依リ最モ同情スヘキモノト存候、依テ小生ハ之カ救済ノ為速ニ仮住宅ヲ建設シテ使用セシムルハ、我国人ノ義ニ於テ当ニ務ムヘキ事ト認メ、子爵黒田清輝・藤沢利喜太郎・阪井徳太郎・河井弥八四氏ト相謀リ之カ計画ヲ立テ申候、而シテ其使用ノ土地ハ幸ニシテ帝室ノ洪大ナル御恩沢ニ浴スルヲ得テ、帝室林野管理局長官ヨリ下渋谷字羽沢南豊島御料地内ノ土地二千九百八十八坪五合ヲ拝借シ大正十三年一月ヨリ三年間無償ニテ使用スルノ御許可ヲ相受ケ、又大震災善後会ヨリ金五万円、震災同情会ヨリ金壱万五千円ノ寄附ヲ与ヘラレ候、玆ニ於テ小生等ハ外国人側ヲ代表スル委員ト商議シ、此土地ノ使用権ト右金額トヲ提供シ、該委員等ヲシテ実際ニ適切ナル、仮住
 - 第40巻 p.312 -ページ画像 
宅建築ノ計画ヲ立テシメ申候処、右設計ニ依レハ差当リ罹災者約百名ヲ収容スルノ計画ニ於テ、尚資金若干円及木材ノ不足ヲ告クルモノ有之候ニ就テハ、政府ニ於テ特別ノ御思召ヲ以テ別紙ニ記載スル所要材木ノ全部ヲ、特ニ無料ニテ小生等ニ御下賜相成度切望仕候《(付)》、而シテ小生等ハ右御下付ニ係ル木材ハ之ヲ拝借御料地ノ使用権ト寄附金員ト共ニ、総テ之ヲ外国人委員ニ譲渡シ、以テ彼等ヲシテ急速ニ完全ナル設備ヲナサシメ可申候間、本願ニ対シ何分ノ御詮議ヲ仰度一同ヲ代表シテ爰ニ奉願候也
  大正十三年三月四日   東京府豊島郡滝野川町飛鳥山《(北脱)》
                    渋沢栄一
    震災救護事務局副総裁 水野錬太郎殿

発第四三〇号
  大正拾参年参月拾五日
       臨時震災救護事務局長 池田宏 臨時震災救護事務局長印
  渋沢栄一殿
    仮住宅建設用木材下附方ノ件
標記ノ件ニ関シ本月四日付ヲ以テ申請相成候処、今般外国寄贈木材壱千八百九十三石ヲ下附相成候条、当局横浜出張所ト協議ノ上御引取相成度此段及通知候也
 尚目下当局所管ノ木材ハ主ニ板材ニシテ、御請求ノ材種ヲ取揃フルコト困難ナルヤモ不計候ニ付予メ御含相成度候
  大正十三年三月二十六日
       臨時震災救護事務局横浜出張所 臨時震災救護事務局横浜出張所
 渋沢栄一殿
    木材発送ノ件
甲南丸積載木材一、八九三石ヲ鉄道公認運送取扱人組合大村市太郎ニ運送ヲ依頼シ貴下宛配付候条、貴着ノ上ハ御査収相成度此段及御通知候也

  (写)
 臨時震災救護事務局
  池田宏殿
拝啓、三月二十六日附ヲ以テ貴局横浜出張所ヨリ甲南丸積載木材一、八九三石ヲ公認運送取扱人組合大村市太郎ニ運送ヲ託シ、小生宛配付セラルヽ旨通知ニ接シ候処、右ハ下渋谷御料地内外人バラツク建設敷地内ヘ送附スル様前記大村ニ御申聞被下度候、此段及御依頼候 拝具
  大正十三年四月二日           渋沢栄一


(小畑久五郎)書翰控 イー・ダブリュー・フレーザー宛一九二四年三月二五日(DK400093k-0014)
第40巻 p.312-313 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控  イー・ダブリュー・フレーザー宛一九二四年三月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            (COPY)
                    March 25, 1924
 - 第40巻 p.313 -ページ画像 
Mr. E. W. Frazar
  1 Itchome, Yaesucho, Kojimachi-ku,
  Tokyo.
My dear Mr. Frazar,
  Following the instruction of Viscount Shibusawa I am addressing you this brief note. The Viscount and Japanese Committee are desirous to meet your Committee on the Foreign Community Housing Plan at the Viscount's Office of the above address on the 28th (Friday) at 10 a. m. Please kindly advise your Committee to this effect and oblige.
             Yours very truly,
               (Signed) K. Obata
                      Secretary


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0015)
第40巻 p.313-315 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                    (渋沢子爵家所蔵)
     (朱書)
     覚書
(一)帝国林野管理局《(室)》ニ対シ左ノ承認ヲ求ムルコト
  土地ノ引渡ヲ受ケタル時ヨリ三年間使用ヲ許サレタキコトニ付願書呈出ノコト
(二)材木ハ外人側ニ於テ実地ニ就キ検分ヲナシ得ルヤウ用意ヲナスコト又、代金ノ見積ハフレーザ君ノ決定ニ依ルコトトシ、三万五千円ヨリ之ヲ差引キ、差額ヲ善後会ヨリ受領シテ交付スルコト
(三)渋沢子爵ヲ総代トスルコト
 ブレーキ氏、阪井徳太郎・藤沢利喜太郎・河井弥八諸氏及渋沢子爵出席、渋沢事務所ニ於テ午前十時ヨリ
  大正十三年三月廿八日

 (写)
 東京市麹町区八重洲町一ノ一
  セール・フレザー株式会社気附
   米国人側委員
      デイー・エチ・ブレーキ殿
      ヂー・ダブルユー・メージヤー殿
      エドモンド・デイー・バートン殿
   英国人側委員
      ジヨン・ストラザース殿
             東京市麹町区八重洲町一ノ一
   大正十三年三月廿八日         渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然者予而御照会有之候罹災外国人仮居宅及集会所建築の件は極めて時宜に適したるものと存候に付ては、御目的達成の為め微力相添へ度と存じ、其れ其れ交渉相遂げ候結果左之通り取運候間、此段及御通知候
 一、下渋谷御料地弐千九百八拾八坪五合を、大正拾参年壱月より同十五年十二月卅一日迄三ケ年間右敷地として無料にて御貸下け
 - 第40巻 p.314 -ページ画像 
を受けたること
 二、金五万円也 建築費其他に充用する為め、大震災善後会より寄附せられたる事
 三、金壱万五千円也 建築費其他に充用する為め、震災同情会より寄附せられたる事
 四、建築材料壱千八百九拾参石 建築材料として臨時震災救護事務局より寄送せられたること
 五、右の外に建築材料費用として大震災善後会より更に若干の寄附ある予定(但前項材料の見積価格と本項金額の合計金参万五千円を限度とす)
尚右金員は建築事業御開始次第貴委員へ御引渡可致、其迄は阪井徳太郎氏に於て保管可致候間、左様御諒承被下度願上候 敬具
  ○照会状見当ラズ。

  (写)
    罹災欧米人仮住宅建築ノ為拝借ノ御料地ニ付稟請
大正十二年十一月二十六日小生外四名ヨリ、罹災欧米人仮住宅建築ノ為御料地無料拝借ノ義願上候処、特別ノ御思召ニ依リ十二月二十八日付第二一九五ノ三号ヲ以テ御許可被成下難有奉存候、右ノ次第直ニ外国人側委員ニ申伝候処、一同モ深ク感謝致居候次第ニ御座候、然ルニ拝借地内ノ居住者ノ所有ニ係ル家屋、樹木等ノ撤去意外ニ遅延シ、随テ急施ヲ要スル仮住宅ノ建築ニ差支居候ニ付、何卒罹災外国人ノ窮状ヲ愍察セラレ、速ニ該建造物其他ヲ撤去セシメラレ拝借地ヲ御引渡被下候様特ニ奉願上候、尚又拝借期限ハ、大正十三年一月ヨリ大正十五年十二月マテ満三ケ年間ト御指令相蒙リ候得共、上述ノ如キ支障ノ為空シク期限ノ一部ヲ経過致候ニ付、御指令書追書中御記載ノ、御引渡ノ時ヨリ起算シ満三年間拝借使用相叶候様御決定被成下度、此段併セテ奉願上候 敬具
            東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
  大正十三年四月四日       子爵渋沢栄一
    帝室林野管理局長官 本田幸介殿
  (写)
    罹災欧米人仮住宅用寝具其他下付願
本年三月四日付ヲ以テ罹災欧米人仮住宅建設用木材無料御下付ノ件出願仕候処、同月十五日臨時震災救護事務局長ヨリ特ニ御聴許被成下難有奉存候、右御下付ノ御趣旨ハ当時直チニ之ヲ外国人側委員ニ申伝ヘ又御交付ニ係ル木材ハ既ニ同委員ヘ引渡シヲ完了致シ、目下仮住宅ノ建築ニ著手スルノ運ヒト相成居候、而シテ右建物ハ来七月下旬迄ニハ落成シ、満三年間五十名以上ヲ収容スルノ予定ニ有之、然ル上ハ之ニ対スル設備トシテ寝台・蒲団・毛布・炊事具・食器及煖炉ヲ調達致度存候処、外国人ニ適当ノモノハ之ヲ得ルニ容易ナラス候ニ付、御所管ノ救護品中右ニ該当スルモノモ御座候ハヾ、罹災欧米人ノ特別ノ事情御斟酌被下、各五十人分ヲ無料ニテ御下付相成度、発起人一同ヲ代表
 - 第40巻 p.315 -ページ画像 
シ此段奉願上候也
  大正十三年五月   東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                    渋沢栄一
  ○右願書ハ宛名ヲ欠ク。


(イー・ダブリュー・フレーザー)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年六月四日(DK400093k-0016)
第40巻 p.315 ページ画像

(イー・ダブリュー・フレーザー)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年六月四日
                  (渋沢子爵家所蔵)
                Tokyo, June 4, 1924
Viscount E. Shibusawa,
  Tokyo
Your Excellency:
  With reference to the lumber which you have kindly arranged to be supplied to the foreign members of the Community Housing Committee, I beg to advise that it has been duly delivered at the Compound of the Japanese Red Cross Hospital, opposite the ground belonging to the Imperial Household.
  After a careful investigation, I appraise the value as follows:
  1893 koku of lumber @ \8.50 per koku ......\15,000. which with other material you have kindly offered to present, consisting of beds, blankets, bedding, stoves, etc., to the value of \5,000, makes a total of -\20,000.
  For all of the above, I beg to express our hearty thanks.
               Yours faithfully,
                (Signed) E. W. Frazar
(右訳文)
          (別筆)
          此写一通つゝを河井・阪井の両氏に発
          送せり(六月十九日)
          (栄一鉛筆)
          早々河井氏へ書通可致候事
          六月十一日一覧
 東京市                  (六月四日入手)
  子爵渋沢栄一閣下       一九二四年六月三日
               イー・ダブルユー・フレーザー
拝啓、予而御配慮を相煩し候罹災外国人住宅委員に交附せらるべき木材は、此程漸く宮内省御料地の向側なる日本赤十字社敷地に到着致候間、何卒御承知置被下度候
右は詳細取調の結果見積左の通りと相成候
木材壱千八百九拾参石、壱石に付金八円五拾銭替……金壱万五千円也
右之外閣下等より御寄附のベツド・毛布・寝具・煖炉等価格五千円のものを加へ合計金弐万円也と相成候
閣下の御厚意に対し小生は衷心より感謝の意を表し奉候 敬具


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0017)
第40巻 p.315-316 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.316 -ページ画像 
(朱書)

    罹災欧米人仮住宅建築費補助願
曩ニ京浜在留ノ罹災欧米人ノ為、仮住宅建設ノ目的ヲ以テ之カ計画ヲ相定メ候処、此事業ニ対シ帝室林野局ヨリ、下渋谷羽沢所在御料地二千九百八十八坪五合ヲ三箇年間無料拝借ノ御許可ヲ得、大震災善後会ヨリ金五万円、震災同情会ヨリ金一万五千円ヲ交付セラレ、又臨時震災救護事務局ヨリ木材千八百九十三石ヲ無償ニテ下付相成、今ヤ将ニ建築ニ著手可致手筈ニ相運申候、然ルニ右交付金及ヒ木材ヲ以テシテハ尚所期ノ目的ヲ達スルニ不十分ニ有之候条、大震災善後会ニ於テ募集相成候金員ノ中ヨリ、更ニ金壱万五千円ヲ追加御補助相成候様特ニ御取計被下度、発起人一同ヲ代表シ此段奉願候也
  大正十三年六月二十三日
            東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                  子爵渋沢栄一
    大震災善後会残務委員長 公爵 徳川家達殿
  「右ハ河井弥八氏ノ来示ニヨリ東京商業会議所ヘ特使ヲ以テ提出シタリ」

  大正十三年六月二十五日
    大震災善後会残務委員長 公爵 徳川家達 大震災善後会残務委員長印
    子爵 渋沢栄一殿
大正十三年六月二十三日附ヲ以テ御請願相成候罹災欧米人仮住宅建築費追加補助ノ件聴届ケ、金壱万五千円也ヲ交付スルコトニ決定致候、充当費目其他ノ条件ニ付テハ、本年二月十五日附前回分補助決定通知書ノ通ニ御了承相成度、此段申進候也


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0018)
第40巻 p.316-317 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)
一二第二一九五ノ七号
  大正十三年七月一日
          帝室林野局長官 本田幸介 帝室林野局長官印
    子爵渋沢栄一殿
           外四名
欧米人住宅敷トシテ南豊島御料地ノ一部貸付願ニ関シテハ、本年壱月ヨリ満三ケ年トシ、客年十二月廿八日第二一九五ノ三号ヲ以テ許可指令致置候処、右ハ本年四月四日付出願ノ次第モ有之、実地引渡ノ日ヨリ満参ケ年ノコトニ更訂シ、本日実地引渡ニ及ヒ候条、受領証御提出相成度                           以上
  (写)
    証
東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字羽沢南豊島御料地内
一借地面積弐千九百八拾八坪五合 使用目的欧米人住宅敷
 此借地期間 実地引渡ヲ受ケタル日ヨリ満参ケ年
 - 第40巻 p.317 -ページ画像 
   但シ無料
右御貸下地ハ本日実地引渡ニ相成受領致候
  大正拾参年七月壱日
             東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                      渋沢栄一
             東京市麻布区笄町百七十七番地
                      黒田清輝
             東京市赤坂区青山高樹町廿番地
                      阪井徳太郎
             東京市小石川区諏訪町三十六番地
                      藤沢利喜太郎
             東京市麹町区内幸町二丁目一番地
                      河井弥八
    帝室林野局長官 本田幸介殿


渋沢栄一書翰 控 イー・ダブリュー・フレーザー宛 大正一三年七月二日(DK400093k-0019)
第40巻 p.317 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  イー・ダブリュー・フレーザー宛 大正一三年七月二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                     (栄一鉛筆)
                     七月二日一覧
    案
 東京麹町区八重洲町
  イー・ダブルユー・フレーザー殿
                東京市 渋沢栄一拝
拝復、益御清適奉賀候、然ば六月四日付の貴翰正落手拝誦仕候、御申越の件に付き協議を遂け候為め御返事延引に及び候段御海容被下度候御来書によれば木材壱千八百九拾三石其価格金壱万五千円也、及ベツト・毛布・寝具・暖炉等金五千円也にて合計弐万円也の見積と相成候由確に諒承仕候、従つて貴下に対し尚ほ現金壱万五千円也を御渡可致次第にて、右は先きの六万五千円と共に阪井徳太郎氏の手元に保管致置候間、御承知被下度候
右現金総額 八万円也を事業御開始次第同氏より御受取被下度候、地所を貸与せられ候宮内省に於ても、速に工事に着手せらるゝことを希望せらる由に有之候間、一言相添ヘ候
右御返事旁々得貴意度如此御座候 敬具
  大正十三年七月二日
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


(ディー・エツチ・ブレーク) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年七月一〇日(DK400093k-0020)
第40巻 p.317-318 ページ画像

(ディー・エツチ・ブレーク) 書翰  渋沢栄一宛 一九二四年七月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
     INTERNATIONAL COMMUNITY COMMITTEE
               Tokyo, July 10, 1924
H. E. Viscount Shibusawa,
  2 Kabutocho, Nihonbashiku,
     Tokyo.
Your Excellency,
 - 第40巻 p.318 -ページ画像 
  As a result of many personal interviews and a considerable exchange of correspondence I have now the pleasure on behalf of my Committee in advising you of our understanding of the terms on which we take over the plot of ground at Shimo Shibuya so generously provided by the Imperial Household Department.
  It is understood by our Committee that in addition to 1893 koku of lumber now stored at the Red Cross Hospital Compound at Shimo Shibuya, and beds, blankets, beddings, stoves, etc. to the estimated value of \5000, we shall receive in due course a cash contribution of \80,000, which is now in the hands of Mr. T. Sakai.
  On our part we undertake to begin construction at the earliest possible moment of the following three buildings and outhouse:
 1. A dormitory of sufficient size to accommodate from 20 to 25 persons.
 2. An auditorium of a size not yet definitely decided upon but in all probability of about 200 tsubo suitable to accommodate an audience of 300 to 400 people.
 3. A school building of barrack type for the accommodation of the American School in Tokyo.
 4. Suitable outhouses as may be considered necessary for the buildings referred to in the previous three numbers.
  With reference to the term of the lease for the ground, we understand that we shall have free use of the property for a period of three years, say from July 1, 1924 until June 30, 1927, and on behalf of my Committee I confirm that we understand that our lease will definitely expire on the last named date, and I further give you our positive assurance that we shall faithfully abide by that condition.
  If the above is in accordance with the views of your Committee, of which your Excellency is the head, I shall be greatly obliged if you will kindly let us have your confirmation.
          I remain, Sir,
            Very respectfully yours,
               (Signed) D. H. Blake
                       Chairman.


(阪井徳太郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年七月一八日(DK400093k-0021)
第40巻 p.318-319 ページ画像

(阪井徳太郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年七月一八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下愈々御清適之段奉賀候、陳者一昨十六日附の貴状難有拝読仕候処、兼ねて御高配且つ御指導を仰き居候下渋谷の外人家屋建設の件ニ付き、外人側委員長ブレーキ氏よりの閣下ニ対する文通、並ニ閣
 - 第40巻 p.319 -ページ画像 
下よりの御回答文写各一通つゝ拝承仕候、実ハブレーキ氏より閣下ニ宛てたる書状発送前ニ同氏より小生ニ相談も有之候間、文案起稿ニも参加致し候関係上、同氏よりの申出の件ニ付てハ承認致度且つ閣下よりの御回答文も至極結構と存じ候間、可然御取斗被下度切に奉願候、猶御回答状御発送後ブレーキ氏と打合せの上、兼ねて小生許ニ保管致し居り候金員を同氏へ交附仕度存じ居り申候、先ハ右貴状御礼旁々御返事迄如此ニ御坐候 早々頓首
  大正十三年七月十八日
                       阪井徳太郎
    子爵渋沢栄一閣下
  ○本返書及ビ左ノ藤沢返書ハ前掲栄一宛ブレークノ来書並ニ次掲ブレーク宛栄一返書ノ草案ヲ栄一ヨリ示サレタルニ対スルモノナリ。十六日付書面控見当ラズ。


(藤沢利喜太郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年七月一九日(DK400093k-0022)
第40巻 p.319 ページ画像

(藤沢利喜太郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年七月一九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下炎暑之候ニ御坐候処益々御健勝奉恭賀候、外国人「バラツク」の件に就ては御多用中にも拘はらす万事御配慮御手数被下、彼我国交上好影響を齎らす次第と存候、御送附被下候外人側委員長ブレーキ氏よりの来書並ニ右に対する返書草按拝読、至極結構にて少しも間然するところ無く全然御同意を表すると同時に、諸御手数に対し御厚礼申上候 敬具
  大正十三年七月十九日
                    藤沢利喜太郎 拝
    渋沢子爵殿
 追て郵便物は凡て鎌倉長谷入地宛御発送被下度御願申上候


渋沢栄一書翰 控 ディーエツチ・ブレーク宛 大正一三年七月二一日(DK400093k-0023)
第40巻 p.319 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ディーエツチ・ブレーク宛 大正一三年七月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  (写)
拝復、本月十日付御書面拝見致候、然ハ下渋谷御料地借入並ニ同所ニ建設せらるへきバラツクに関する条件に付御来示之段詳細了承、全然当方之諒解と同一に御坐候間、左様御承知被下度候、右貴答申上度如此御坐候 敬具
                   日本側委員代表
                      渋沢栄一
  ○右英文書翰ハ大正十三年七月二十一日付ニテ発送セラレタリ。


時事新報 第一四七三九号 大正一三年七月二四日 ホテル泊りは困難な外人独身者の大寄宿舎 内外のお歴々が奔走して資金十万円で渋谷に建つ(DK400093k-0024)
第40巻 p.319-321 ページ画像

時事新報  第一四七三九号 大正一三年七月二四日
  ホテル泊りは困難な外人独身者の大寄宿舎
    内外のお歴々が奔走して
      資金十万円で渋谷に建つ
昨年の大震災以来京浜在住の各国外人中で、資力のあまり豊でない人即ち学校教員とか会社のタイピストと云ふ様な人々は、俄に住居を失
 - 第40巻 p.320 -ページ画像 
つて非常に困つてゐる、と云つてホテルへ行けばなかなか高くてとても月給全部を投げ出しても足りないと云ふ始末、そこでこれが救済として何処かへ寄宿舎の様なものを作つたならと、米国事情に最も
 精通し てゐる三井の理事阪井徳太郎氏、英国通の藤沢利喜太郎博士、仏国通の故黒田清輝子、汎太平洋会で外人の多くを友人に持つ河井貴族院書記官長等は、渋沢子爵を委員長に仰ぎ極力奔走の結果、内務省救済善後会より六万五千円、徳川公等を中心として貴族のみで組織されてゐる同情会から一万五千円、外に米材約二千石(価格約一万五千円)及び寝台・毛布・暖炉・卓子・椅子・シーツ等の家具約
 五千円 総合計十万円を得たので、此程前記諸氏は英・米・仏其他の外人と協議の結果、渋谷の赤十字病院前にある旧感化院跡敷地三千坪を、宮内省より無代価で七月一日より向ふ三ケ年借用し、大規模の外人寄宿舎を建てゝ前記の人人を救ふ外に、在留外人の子弟の多く通学するアメリカ学校(地震で大破損したので目下芝浦埋立地にバラツク校舎で一時間に合せてゐる)をも右敷地内に建て、又之等寄宿舎生活者の
 慰安を 目的とする集会所も二・三百坪の大きさで作り、演説会場や活動上映舞踏用等に供する仕組である、因にアメリカ学校の生徒は十ケ国程の外人の子弟を含み、外国生れの日本人の子供ともその生徒数は目下百四・五十名である
  アメリカンスクールを第一に建てる
    総て外人委員に任せて
      阪井徳太郎氏語る
右に付き阪井徳太郎氏は語る「此企ては昨年の十月に吾々が、思ひ付いたのですが、当時感化院跡の敷地の中に一・二の人が住んで居て、その人々が立退きを延引したので、遅れ遅れて遂に今日になつたのです、外国人の委員としては米国側セール・フレーザー氏、ブレーキ氏メーガー氏、バートン氏、ヱリオツト氏の五人、英国側英国領事ボルタ氏、大使館書記官のサムソン氏、高田商会のメーソン氏、英国電気スウヰフト氏、及びストラツサー氏の五人です
 遅くも 九月までには実現が出来ると思ひますが、一番急を要するのは外人子弟の教育に関係あるアメリカン・スクールで、これを先づ第一に建てる考です、寄宿者は独身者を原則とします、いよいよ出来上つた上は一切の権能を前記の外人委員に任せ、宿泊申込人に就ては責任を以て選択することにしたらと思ひます」
  申込は既に五十名
    ◇英大使館のサ氏語る
英大使館のサムソン氏は語る「誠に結構な企てで、吾々外人は非常な満足を持つて感謝してゐる次第です、唯今のところ申込者は既に五十名程ですが、愈々出来上つた暁には沢山の申込み者があると思ひます規則には別に露国人は入れぬとか独逸人は拒否するとか云ふことはありませんが、之れ等の人々を入れる場合は充分素質を調べてからにしたいと思ひます、私はアジア協会の会員ですが、協会として種々学術的演説や集会を希望しても、従来は安価で便利な家がなくて困りまし
 - 第40巻 p.321 -ページ画像 
た、が今度それが出来れば誠に好都合です、夫婦者は独身者とは多少事情もちがひ又資力も豊ですから、当分独身者のみを入れる事になるだらうと思ひます」


罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類(DK400093k-0025)
第40巻 p.321 ページ画像

罹災欧米人住宅敷地借入ニ関スル件書類
                     (渋沢子爵家所蔵)
12第二一九五ノ九号
  大正十三年十月廿九日
         帝室林野局長官 本田幸介 帝室林野局長官印
借地人総代
 子爵渋沢栄一殿
    照会
大正十二年十二月二十八日第二一九五ノ三号及大正十三年七月一日12第二一九五ノ七号ヲ以テ、東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字羽沢南豊島御料地ノ一部、面積弐千九百八拾八坪五合ヲ欧米人バラツク敷トシテ大正十六年六月末日迄三箇年間無料貸付致候処、右ハ面積ヲ自今別紙図面○略ス 朱色ノ区域、此実測面積弐千弐拾八坪七合七勺ニ変更致度候間御承諾相成度、御承諾ノ上ハ其旨御回答相煩度
                       以上

    拝借地面積変更ノ件
大正十三年十月二十九日付ヲ以テ、御照会相成候東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字羽沢南豊島御料地内拝借地面積弐千九百八拾八坪五合ヲ、弐千弐拾八坪七合七勺ニ御変更ノ件ハ、罹災欧米人仮住宅建設委員ノ意向ヲ問合セ候処、同委員ニ於テハ毫モ異存無之候ニ付、総テ御照会ノ通リ承諾仕候、依テ拝借人一同ヲ代表シ此段御回答申上候
                           敬具
            東京府北豊島郡滝野川町字飛鳥山
                   子爵渋沢栄一
  大正十三年十一月三日
    帝室林野局長官 本田幸介殿

    外国人委員側ヘ御通知案
拝啓、罹災欧米人仮住宅建設地トシテ拝借致候下渋谷羽沢御料地二千九百八十八坪五合ハ、之ヲ二千二十八坪七合七勺ニ変更致度旨、本月二十九日帝室林野局長官ヨリ申越有之候ニ対シ、予テ阪井徳太郎氏ト貴殿ト御打合セノ次第モ有之候ニ付、拝借人ニ於テハ異存無之旨本日回答致置候間御了知相成度、此段申進候 敬具
  大正十三年十 月 日       子爵 渋沢栄一
   テー・エチ・ブレーキ殿
 追テ該土地ノ図面ハ阪井氏ヨリ御交付申上置候
  ○右英文書翰ハ大正十三年十一月五日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK400093k-0026)
第40巻 p.321-322 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.322 -ページ画像 
三月十八日 晴 寒
○上略 小畑久五郎氏モ亦外来書状ノ訳書ヲ持参ス○中略 小畑氏申出ノ羽沢ニ於ル外人合宿所ノ新築落成ニ付テハ、一場ノ意見ヲ口授シ遣ス○下略
  ○栄一大磯ニ在リ。
  ○大正十四年三月十九日宿舎落成式ニ於テ小畑久五郎ノ代読セル栄一ノ祝辞ハ次掲。


外国係往復書類(一)(DK400093k-0027)
第40巻 p.322-323 ページ画像

外国係往復書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
          Congratulatory Address
               in the
          Official Opening of the
         Tokyo Community Center.
                    March 19, 1925
Mr. Chairman, Ladies and Gentlemen:
  To be permitted as one of the participants in the exercises of this afternoon is a very distinct honor which is bound to provoke an intense reaction of joy in the heart of its recipient. Therefore you can readily understand my keen disappointment when you find out that it is impossible for me to be present in the very scene of action on account of my illness, ― the illness though of no apprehensive character, yet enough to make me feel uncomfortable and wearisome.
  The degree of our joy is commensurate with that of hardship through which we come out as victors. The committee, especially its foreign members, know what innumerable obstacles have stood in the way of creating the Tokyo Community Center, but now that they were all overcome by the indomitable will and painstaking effort of the members of the committee is a source of the genuine joy not only to them, but also to all of us who are interested in the project.
  In this connection, it will be quite proper for us to publicly acknowledge the magnanimity of the authorities of the Imperial Household who leased this portion of the land owned by the Household. Mr. Y Kawai, the Chief Secretary of the House of Peers and Mr. T. Sakai, a Director of the Mitsui Gomei Kaisha deserve our sincere thanks for their constant cooperation and wise counsel. The Shinsai Zengo Kai (The Emergency Committee) which met various needs of sufferers at the time of the great disaster of September 1923 was equally sympathetic to suffering foreigners and the Emergency Committee extended its helping hand toward this enterprise. Several other factors entered in to make this work successful, and every one of them is deeply appreciated by us all.
  In an old Chinese classic entitled Shi-king a story of two
 - 第40巻 p.323 -ページ画像 
 birds ― a dove and magpie ― was told, which may find its application to the work of the Tokyo Community Center for the future success. According to the story, it is quite evident that even in the society of birds there exists a division of labour or team work. The story goes on to tell that the magpie is a fine nest builder, but not so good in laying her eggs; the dove is a poor nest builder, but an excellent layer. The two birds agreed to co-operate and the result was a great success.
  Without raising any question as to the status of an individual supporter of the Tokyo Community Center, that is, as to who belongs to the dove type or magpie type it will be well for us to learn of the story its outstanding lesson, which is the harmon ious co-operation and self-sacrificing reciprocity. Then and only then the object for which the Tokyo Community Center was founded will be truly achieved.
                 Viscount E. Shibusawa
(Handwriting)
The above was read at the time of the opening by K. Obata.
Mr. Blake presided at the meeting.


渋沢栄一 日記 昭和二年(DK400093k-0028)
第40巻 p.323 ページ画像

渋沢栄一日記  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十二日 晴 寒気日々減ス
午前八時起床、入浴シテ後朝飧ヲ取ル、後米人ガーマン氏、石垣勝三郎氏ト共ニ来訪、羽沢御料地ノ返納時期本年六月中ナルニ付、代地借入ノ件ニ付、山本達雄氏所有ノ渋谷ノ土地交渉ノ事ヲ依頼セラル○中略
増田明六来リ米人依頼ノ土地ノ事ヲ談ス○下略


(増田明六)日誌 昭和二年(DK400093k-0029)
第40巻 p.323-324 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年     (増田正純氏所蔵)
三月八日 火 雨                出勤
○上略
本日の来訪者
1、古河乕之助男 アメリカン・スクール敷地変更の件、現在の羽沢御料地は本年六月限リ宮内省へ返地するニ付き、其の為め山本達雄男の処有地を借受くるニ付き、渋沢子爵の助力を請度、同校ガアマン及石垣勝三郎の両氏子爵訪問の件
○下略
  ○中略。
三月十二日 土 晴               出勤
○上略
午後四時飛鳥山邸ニ子爵拝訪、アメリカン・スクール校舎建設敷地ニ関し、子爵より同校ガアマン、石垣勝三郎両氏と会談の次第を承る
○下略
  ○中略。
三月十四日 月 曇               出勤
 - 第40巻 p.324 -ページ画像 
雪融けの悪路を冒して午前八時阪谷男爵訪問、アメリカン・スクールは目下羽沢御料地ニあるが、本年六月末日限リ移転する約であるのて頻リニ替地を物色中の処、渋谷ニある山本通雄男爵所有地《(山本達雄)》が借り得らるゝ由同校当局者ニ於て他より聞及ひ、之を渋沢子爵ニ頼りて同男爵より借り受けんとしたるが、先之阪谷男爵ニ於て山本男爵ニ協議せられし趣なるを以て、其次第を承ハりたるニ、右ハ昨年十二月山本男より絶対ニ貸又ハ売らさる由を聞き、其旨同校のガアマン氏ニ通知したとの事であつた
○下略
  ○右住宅ハ、昭和二年六月其敷地借用期限ノ満期トナルニ及ビ解散シタリ。其内ニ含マレタルアメリカン・スクールノミ他ニ移転ス。(小畑久五郎談)