デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.342-343(DK400104k) ページ画像

明治43年6月29日(1910年)

是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヘーヴン市、ウィリアム・ウドワードノ問合セニ対シ、「米国大学ニ関スル所感」ヲ回報ス。


■資料

竜門雑誌 第二六七号・第三六―三七頁 明治四三年八月 ○米国大学に関する所感 青淵先生(DK400104k-0001)
第40巻 p.342-343 ページ画像

竜門雑誌  第二六七号・第三六―三七頁 明治四三年八月
    ○米国大学に関する所感
                      青淵先生
 本篇は本年三月二十日付を以て米国ニユーヘーブン市ウイリアム・ウードワード氏より、青淵先生が昨年米国遍歴中各地大学を参観して如何なる感想を起されしや、其所感を承りたしとの照会状に対し六月廿九日を以て返書を与へられたる意見の概要なり
拝啓、三月二十日附貴書相達し、小生昨年米国遍歴中各地大学を参観□て如何なる感想を生ぜしや、又日本の大学に比して如何なる相違あ□と考ふるや等につき、愚見御尋の段敬承致候、御承知の通り多忙の裡に各地経過致候事にて、素より綿密なる観察批評等は致兼候に付、御希望の如く米国学生を裨益するなどゝは自信致さず候へども、玆に二・三の所感を記して御答と致候
第一、日本に存立する各種大学にも官立・私設の両種ありと雖も、施設完備するものは殆んど官立に限るとも申すべき実況に有之候、かゝる感念に慣れたる耳目を以て、米国の各地大学を視察したる小生に最も深き感情を与へたるは、米国に於ては全く日本と正反対なる一事に有之候、即ち官私立共完全なる大学多々有之候中にも、別して設備完全・財政豊富・教職優秀にして学校の品位最も立まされるものは寧ろ私設の側に多きことを発見致候、斯くてこそ教育機関に政治的干渉を受くることなくして、真に学問の独立を維持し得る儀と相信候、貴我の状況を比較して転た羨望の念を生じ申候
第二、日本現在の教育の主義は、其の道徳的基礎に於ては我邦固有の精神に依りたるものに候へども、其の制度及び組織等は維新以来欧米先進国の実況に傚ひ、採長補短以て今日に至りたる次第に有之候、併し之れを歴史的に回顧するときは、維新以前我が邦の学問は主として文学・哲理等の方面に発達して、単に学理の研究を本領とする傾あり其の結果として学問と民人生活の実社会との間に大なる阻隔を存ぜしものに有之候、従て前記の如く制度革新の現代に於るも、尚多少の余弊を遺せるの憾なしとせず、吾人は此弊を除去するに勉め候へども、数世の因襲は一朝にして除去する能はざるは亦無拠処ならんか、然るに米国に於ては学問と実際、理論と応用とは互に相一致融合し、実際の為の学問応用の為の理論と申す有様は、歴々として吾人の眼中に映じ来り、無限の快感を覚へ申候、惟ふに是れ単に学校の方針に基くの
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みならず、一面社会の趨勢之をして然からしむるものに可有之候へども、兎も角吾人の羨望を値する所に有之候
第三、日本の教育に於ては固有の文学、志想・道義等に関係深き、換言せば現代文明の基礎の主要部分とも申すへき漢籍、即ち幾万の象形文字より成る支那古典を度外視すること能はざると同時に、現代の文明を吸収する為には語系語源及志想の聯絡を全く異にせる外国語(主として英語)をも学習するの必要あり、此等の為め我邦の学生は欧米に比し、少くとも一年以上甚だしきは数年の間、在学期を多く要するの事実あり、事情已むを得ざる次第に候へども、吾邦の有識者は深く之を遺憾とし、何れも其改善に腐心しつゝある所に候、然るに米国に於ては此等の弊なき為め、二十二三歳の青年は夙に大学を出でゝ実際社会に活動するの実況を見候は、国情の相違に依るとは申しながら是又感慨を引起し申候一個条に有之候
第四、以上は教育の制度及び之が基礎たる国情に就て何れも米国の優越なることを嘆称して措かざる所なれども、最後に附加へんとする一箇条に至りては、敢て疑を存して米国識者の高見を叩かんと欲する所に候、即ち米国に於ける各学校共其施設鄭重、其供給豊富を極め、或は其程度に於て必要以上に超出の感なき能はさることに候、素より米国の教育の効果著しきは前項に記するが如くなりと雖も、その豊富なる設備と多額なる経費とに比例して、果して其効が伴ふや否や、換言せば更らに経済的の方法を以て尚現在と同一若くは其以上の効果を奏するの途なきに非らんかとの疑惑を、生じたる次第に候、我国の諺に「過ぎたるは尚及ばざるが如し」との語あり、之を玆に引例するは妄言に似たりと雖も、穴勝ち小生の偏見として擯斥することなく、一掬玩味の値ありとせらるれば至幸に候
小生日常の多忙に取紛れ、御返事のかく延引致候は不本意とする所に有之候、今玆に筆を擱くに臨み、昨年米国旅行当時を回想して今尚昨の如く其愉快を感じ申候、殊にエール大学には去る千九百二年と及び昨年との二回参観の栄を得、少からぬ興味を感じ、帰国後教育家・学者と会合の節は、常に自から話題の上ぼせ候次第に候、学校当局の諸君と御出会の節は宜しく御伝言慣下度乍序希望致候 敬具