デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
8款 陽明学会
■綱文

第41巻 p.185-188(DK410058k) ページ画像

大正10年1月(1921年)

栄一、引続キ当会ノ為メ尽力スル所アリシガ、是月栄一、陽明学会賛助会設立趣意書並ニ賛助会規約ヲ発案ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK410058k-0001)
第41巻 p.185 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十五日 雪 厳寒
○上略 東敬治氏来リ陽明学雑誌ノ事ヲ談シ、刊行継続ノ事ヲ勧告ス○下略


集会日時通知表 大正九年(DK410058k-0002)
第41巻 p.185 ページ画像

集会日時通知表 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
七月廿五日 日 午前八時 東敬治・奥宮正治両氏来約(飛鳥山邸)


陽明学会規則 第一〇―一六頁 刊(DK410058k-0003)
第41巻 p.185-186 ページ画像

陽明学会規則 第一〇―一六頁 刊
    賛助会設立趣意書
曩ニ陽明学会創立セラレ、雑誌陽明学発刊以降玆ニ十有余年ノ星霜ヲ経過シ、其間能ク王氏致良知ノ実学ヲ提唱シテ反省ノ心法ヲ鼓吹シ、併シテ本邦王学伝統ノ沿革ヲ闡明シタルハ、吾人本雑誌ニ負フ所少ナシトセズ、然リト雖モ近世物質ノ外形ニ眩惑シ、新奇ノ題目ニ随喜スル者多クシテ、為メニ斯学ノ萎微振ハザルハ吾人ノ深ク之ヲ遺憾トスル所ナリ、是ヲ以テ本雑誌愛読者特ニ賛助会ヲ設立シテ、共力以テ本雑誌刊行ノ維持ヲ謀ラントス、依テ其規約ヲ協定スルコト左ノ如シ
    賛助会規約
一賛助会員ノ醵出スル維持資金ハ、一口ノ金高ヲ年額百弐拾円トシ、一口以上何口ニテモ引受クルモノトス
一醵出金ノ払込方ハ一年ヲ二分シ、其年ノ前季分ヲ一月中、後季分ヲ七月中ニ入金スベシ
一醵出金引受年限ハ一期ヲ五箇年ト定メ、大正十年ニ始マリテ十四年ニ終ルモノトス
  但期限ニ至リ其時ノ情勢ニ応ジテ更ニ継続スルコトアルベシ
一維持資金ノ予算額ハ一年ノ金額概算参千六百円乃至四千円ヲ要スルニ付、賛助会員ノ引受高モ右予定ニ達スルヲ限度トス 以上
  大正十年一月
                  右賛助会規約発案者
                   子爵 渋沢栄一
 - 第41巻 p.186 -ページ画像 
           目下賛助会員  入籍順
                子爵 渋沢栄一
                男爵 岩崎久弥
                   大村彦太郎
                男爵 大倉喜八郎
                   菊池長四郎
                   細沼浅四郎
                   渡辺忠
                   大橋新太郎
                   石井健吾
                   大倉久米馬
                   望月軍四郎
                   矢野恒太
                   武田秀雄
                   江口定条
                   桐原像一
                   赤星陸治
                   和田正男
                        諸氏
尚新入会ノ諸君ハ右会則ニ照シ四種会員ト賛助会員トノ内ニ就キテ自選加入アランコトヲ乞フ



〔参考〕陽明学 第一四一号・第一―三頁 大正一〇年三月 陽明学会拡張に就き大方の諸君に告ぐ 南鴻(DK410058k-0004)
第41巻 p.186-188 ページ画像

陽明学 第一四一号・第一―三頁 大正一〇年三月
    陽明学会拡張に就き大方の諸君に告ぐ
                       南鴻
人心惟危く、道心惟微なり、惟精惟一允に厥の中を執れとは、尭舜禹三聖の授受する所孔孟聖賢の紹述するところのものにして、万世不易の格言、王道の要訣、聖学心術の根柢実に此より出づ。若し此の道にして行はれんか、国家隆昌、万衆安息、所謂最大の民衆をして最大の幸福を享受せしむべし。若し之に反して、精一執中の道を講ぜず、危微の惰勢に放任し、滔々として底止する処を知らざれば敗壊紛乱して政権法制の力も亦如何ともすべからざるに至らん、殷鑑遠からず、実例近に在り、有識の士は悚然として憂懼し、心を其の匡済に致す所以なり。吾人自揆らす爾来同志を糾合し、先輩の賛助に因り、曩に陽明学会を創立し、宣伝の為め、雑誌を発行し、致良知の実学を提唱し、自省涵養の心法を鼓吹し、先づ各人心性の内部より改善し、以て頽風を未だ墜ちざるに防ぎ、綱常の扶殖を計らんと企てたり。然るに、世は物質文明の外形に眩惑し、皮相新奇の題目に随喜し、斯学の如きは陽春白雪和するもの寥々たる有様にして、爾来殆んど二十年に垂んとするも萎微振はず、荏苒遂に今日に逮べり。是畢竟吾人の薄徳浅学にして熱誠未だ足らず、宣伝宜を得ざるの致すところなりと雖も、亦た時機の猶未だ到熟せざるに因らずんばあらず。然るに欧洲の大戦勃発以降時勢急転して、過激の風潮東漸して、浮騒競奔の思想著しく瀰蔓
 - 第41巻 p.187 -ページ画像 
し、階級の闘争を馴致し、貧富の反目を惹起し、実に一髪万釣を繋ぐの状勢なり。此の如き思想激変人心動揺の過渡期に於て、進んで迷海の指針暗礁の標識となり、社会の上流に居る富豪縉紳の反省を促がし中流の人士を警戒し、下層の民衆を善導して、心底内部より、緩和啓迪の衝に当り、社会上中下三階の人心をして、中正穏健の方向に導き内省覚醒に至らしむるは洵に刻下の急務とす。我が陽明学会は、微力を顧みず奮然として蹶起し、大方有力の賛同援助を求め、玆に社会に呼号して、益々斯学を提唱し、其の効用を闡明して世道人心を救はんことを計画したり。因て学会創立以来多大の援助を与へられたる子爵渋沢青淵先生に謀りたる処、先生は特に世道人心の帰向に関し、深甚なる憂慮を抱かれをるの際にして、大に吾人を激励し、益々斯学の拡張宣伝を謀り、率先して雑誌発行の資に充つる為め巨額の金員を義捐し、且つ自ら筆を執て、出資名簿の巻頭に緒言を書し、簡明に斯学宣伝の要旨を開述せられたり。続て男爵岩崎久弥君に於ても此の趣旨を賛成し、渋沢子爵と同額の金員を義捐したるを以て、続々有力なる諸君の賛助を得て、拡張の業略ぼ其の緒に就き、雑誌の改良も亦著々其の目的を達せんとするに至れり、蓋し陽明学会の期待する所のもの固り鮮少にあらず、而して吾人の責任も又益々重大なるを覚悟せざるべからざるなり。
 抑々王陽明先生は、絶大の偉人にして、其の大節功業の顕著なるは普く人の知る処、亦絮説を須たず。而して先生の三字宗旨と唱ふる致良知の教義は、先生が千死万難の中より、体験実得せるものにして、彼の辞章学の浮靡、訓詁派の煩鑿、功利説の馳騁等、本を忘れ末を逐ふところの俗学を排し、知行合一以て知を致し物を格し、其の工夫簡易直截にして、高遠玄妙に走らず、拘泥支離に落ちず、能く時処位の三者に考へ、事上錬磨に重を措き、日用常行の間に於て躬行履践する実用の活学なれば、世の時間空間の無限を説き、惟物惟心の両端を論じ、性情の現象を弁じ、人類の進化を究むる所の哲学派とも同じからず、又死後未来の禍福を説く宗教家とは、全然其の逕路を異にせり、因て先生を評して、聖徳を備へたる哲人、卓越せる教育家なりとするは或は当れりと雖も、単に倫理学上に一種の新説を創唱せる学者なりとするは、未だ先生の本領を知らざる皮相の論評たるを免れず。之を要するに、先生の学術は、尭舜孔孟の諸聖より、的々、伝承せる躬行実践の心学にして、宋周茂叔・程明道・陸象山の三大儒之を前に唱へ陽明先生に至り集めて大成せるものなり。我邦に於ては、其の遺緒を茫々の中に繹ねて中江藤樹先生創めて之を開き、熊沢蕃山・淵岡山・二見直養・三輪執斎・佐藤一斎・大塩中斎・春日潜庵・吉村秋陽・山田方谷・池田草庵・奥宮慥斎・東沢瀉等の諸人、祖述継承薪火を伝へて今日に至れり。蓋其の学術を以て政治を行へば王道となり、社会民衆に対しては友愛奉仕となり、君上父母には忠孝となり、妻子兄弟には愛敬仁慈となり、其の応用は、時と処と位とに応じ、千種万態に変化すと雖も、本体は致良知の三字に帰納す。尚之を換言すれば、省察克治自力改善の法なり、事上修錬活用自在の術なり、安心立命不平消融の訣なり。抑々社会を改良せんとするには、各箇人を改善せざる可
 - 第41巻 p.188 -ページ画像 
からず、公徳を嵩めんとするには私徳を進めざる可からず、己を修めず徒らに他人を責むるは本末を顛倒せるものなり、大学の所謂修身斉家治国平天下は万古不易の順序なり、然るに、世の所謂政治家学者論客を以て自ら任ずるの士にして果して此の根本的の修養あるや、自信あるや、恐くはありと確答し得るもの幾人かある、自己心術に関するの反省克治の工夫を為さず、囂々として公徳の向上、社会の改良を号呼するは片腹痛き事にして、恰も人に禁酒を勧告し、自らは日夕酣酔沈湎するものと同じく、其の説の寸効なきを知るべきなり。陽明学は此の根本的反省改善を目的とするものなり、己を正ふして後ち人を正さんと謀るものなり、私徳を進めて公徳を嵩めんとするものなり、否自己反省が即他人の改善、私徳修養が即公徳増進にして、是れ即体用一機知行合一たる所以なり。
 今や本会を拡張し、旧説の固陋に泥まず、向上進取の意見を立て、機関雑誌の記述に改善を加へ、随時公衆を集め講演を為し、斯学の為めに熱誠忠実なる宣伝者となり、世道人心の維持救済に付大に貢献するところあらんとす。世人或は斯学の鼓吹を以て故らに異を立て奇を好むと為し、又は空疎と謗り陳腐にして用に適せずと嘲り、或は旧学説保存を趣旨とする骨董的学会と目するは、斯学の何物たるを知らず誤解の甚しきものなり。庶幾くは大方の有識諸彦、吾人の微衷を察し賛同援助を得て、斯学の趣旨広く社会に宣伝普及し、世道人心の匡救に幾分の実効を奏することを得るに至れば、独り本会の幸栄のみにあらざるなり。