公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第42巻 p.137-138(DK420038k) ページ画像
大正15年10月17日(1926年)
是日、青山会館ニ於テ、当軍講演会開カレ、栄一出席ス。
集会日時通知表 大正一五年(DK420038k-0001)
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集会日時通知表 大正一五年 (渋沢子爵家所蔵)
十月十七日 日 午後二時半 救世軍講演会(青山会館)
竜門雑誌 第四五八号・第八七頁大正一五年一一月 青淵先生動静大要(DK420038k-0002)
第42巻 p.137 ページ画像
竜門雑誌 第四五八号・第八七頁大正一五年一一月
青淵先生動静大要
十月中
十七日○中略救世軍講演会(青山会館)
ときのこゑ 第七三五号大正一五年一一月一五日 歓迎!勝利! 各地に於けるブース大将(DK420038k-0003)
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ときのこゑ 第七三五号大正一五年一一月一五日
歓迎!勝利!
各地に於けるブース大将
▽東京の集会
○上略
同日○大正一五年一〇月一七日午後二時より、同じ会場○青山会館にて大講演会、これには若槻総理大臣・徳富猪一郎氏・阪谷芳郎男・米国大使、其他知名の士が出席された。山室少将の祈の後
若槻首相は「大将の来朝に際し、一言歓迎の言葉を述ぶることを欣幸に存ずると。」冒頭し、日本救世軍創立のことより、救世軍創立当時のことを述べられ、大震災に於ける活動、健全なる思想涵養に努力する点を挙げ、前大将のことから、現大将の来朝に及び懇切なる歓迎の辞を述べられた。
大将が起ちて、その懇切なる歓迎の辞に対して、謝意を表し「救世軍は精神である。主義である。」とて『救世軍の由来及び主義』に就て述べられた。これは大いなる感動を与へた。
阪谷男爵は「日本国民として大将に御礼を申上げたい。」といはれ
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「山室少将等の熱心な働によつて、日本の欠陥が補はれてゐるのを見て、山室少将は自分より賢いと思つた。」などといはれ、徳富猪一郎氏は「大将の話を聴いて、頭も心もせいせいしたことと思ふ、自分の心も、空中に舞ひ上つた心地がした。」「救世軍は製造したのではなく、生長したのである、生長したのには原因がなくてはならぬ。」「救世軍は秩序と法律との味方である。」「宗教家は兎角理窟に流るゝが、ブース大将が実行を重んぜらるるのは結構である。」といはれた。
会衆は大会館に満ち.三千人以上を算した。それでも入り切れず、地下の二つの室が人で溢れ、三階も人で一杯であつた。四千人以上に上つたであらう。それで空しく帰つた人もあつた。大将は第一・第二会場で語り、第三会場はカニンガム少将、第四会場は山室少将が大将に代つて語られた。
○下略
○右記事中ニ栄一ノ名見エザレド、前掲「竜門雑誌」ニ所載アレバ、出席シタルナラン。