デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
2款 世界日曜学校大会後援会
■綱文

第42巻 p.173-175(DK420050k) ページ画像

大正2年11月28日(1913年)

是ヨリ先十月二十七日、大隈重信邸ニ於テ、小崎弘道・井深梶之助帰朝報告会アリ。栄一之ニ臨ミ
 - 第42巻 p.174 -ページ画像 
演説ス。時ニ大隈重信ヲ会長トスル第八回世界日曜学校大会援助機関設置ノ議決シ、委員指名ヲ栄一ニ付託セラル。是日、同大会後援会規約制定セラレ会ノ設立ヲ見ル。後チ、栄一副会長トナル。


■資料

第八回世界日曜学校大会記録 第三―四頁 大正一〇年三月刊(DK420050k-0001)
第42巻 p.174 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第三―四頁 大正一〇年三月刊
    後援会の成立
 同年○大正二年十月、小崎・井深の両氏が帰朝されたので、その報告会が前記四氏の名によつて、大隈侯爵邸に開かれた。朝野知名の士がその招待を受けて集つた。即ち十月二十七日、午后二時鵜飼猛博士司会をなし、江原素六氏開会の辞を述べ、続いて小崎・井深の両氏はヅーリツクに於ける大会に就いて詳細なる報告を述べられた。
 次いで大隈侯爵は、斯る世界的大会の我が日本に開催さるゝ事は、政治上また国際上の問題としても大なる意義の存することなれば、是非各方面の賛成を得て此挙を完成したいものである、との意を語られた。尚ほ東京市長として阪谷男爵、および渡米実業団長たりし渋沢子爵は、好意に充てる演説を試みられた。
 それより添田寿一博士の発議、志立鉄次郎氏の賛成にて、これを援助すべき機関を設け、大隈侯を其会頭《(長)》に推挙し、且つこれが組織を依頼することを可決した。侯は快くこれを承諾し、委員の指名を渋沢子爵に附托して、一先づ其日の会を終へた。越えて十一月二十八日、第八回世界日曜学校大会後援会の規約が制定せられ、前記四氏の承認を得、爰に世界大会をして有終の美を済さしめんとする後援会が成立したのである。
   ○前記四氏トハ大隈重信・渋沢栄一・阪谷芳郎・中野武営ナリ。


各個別青淵先生関係事業年表(DK420050k-0002)
第42巻 p.174 ページ画像

各個別青淵先生関係事業年表     (渋沢子爵家所蔵)
 大正二年十月二十七日
大隈侯邸ニテ小崎・井深両氏帰朝報告会ヲ行フ、大隈侯ハ、大会ガ日本ニ開催サルルコトノ政治的国際的ニ重大ナルコトヲ説キ、青淵先生ハ曾テ渡米実業団長タルコトモアリ、国際親善ハ必要ヲ常ニ痛感セルヲ以テ、好意ニ充テル演説ヲ試ム、ソレヨリ後援会組織ガ提議セラレ大隈侯ヲ会長ニ推ス、侯ハ委員ノ任命ヲ青淵先生ニ附托ス
   ○栄一ノ演説資料見当ラズ。
 大正二年十一月二十八日
第八回日曜学校大会後援会規約制定シ、同会愈成立ス


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一七頁 昭和六年一二月(DK420050k-0003)
第42巻 p.174 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第一七頁
               昭和六年一二月
    大正年代
  年 月
 二 一一 ―世界日曜学校大会後援会副会長―大、九、一〇。


第八回世界日曜学校大会後援会報告 同会編 第一四―一五頁 大正九年一二月(DK420050k-0004)
第42巻 p.174-175 ページ画像

第八回世界日曜学校大会後援会報告 同会編
                        第一四―一五頁
                        大正九年一二月
 - 第42巻 p.175 -ページ画像 
    一一 後援会の成立と其の役員並会員
 第八回世界日曜学校大会東京開催の事決定せらるるや「斯る世界的会合は国際上にも大なる意義あるものなるを以て、各方面の援助を得完成を期したし」との希望の下に、大正二年十月、朝野有志大隈侯爵邸に会合、後援会設立を発議し、大隈侯爵を会長に推し、翌大正三年四月評議員約三十名、常務委員約十名を依嘱せり。越えて大正四年九月総理大臣官邸に於て朝野有志を招待し、大会開催に関する協議会を開き、当日出席者全部の賛同を得、亜で事業遂行上特別委員を常置することとし、庶務・交通・旅館・接待・設備・財務・宣伝等各方面の担当を依頼することとせり。○下略