デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
3款 財団法人日本日曜学校協会
■綱文

第42巻 p.252-253(DK420059k) ページ画像

大正11年3月13日(1922年)

是日、当協会主催、栄一ノ帰国歓迎茶話会、帝国ホテルニ於テ開カル。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK420059k-0001)
第42巻 p.252 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
十三日○三月 月 午後三時 渋沢子爵歓迎日曜学校茶話会(帝国ホテル)


竜門雑誌 第四〇七号・第六二頁 大正一一年四月 ○青淵先生帰朝歓迎茶話会(DK420059k-0002)
第42巻 p.252 ページ画像

竜門雑誌  第四〇七号・第六二頁 大正一一年四月
○青淵先生帰朝歓迎茶話会 日本日曜学校協会にては、三月十三日午後三時より、帝国ホテルに於て、青淵先生の帰朝歓迎茶話会を催す所ありしが、当日は、長尾半平・井深梶之助・コールマン氏等同協会関係の名士七十余名参会の上、先生の渡米感想談等ありて極めて盛会なりしと云ふ。
  ○栄一大正十年九月十四日渡米シ、同十一年一月十日帰国ス。本資料第三十三巻所収「第四回米国行」参照。



〔参考〕日本日曜学校年鑑 日本日曜学校協会編 第一―六頁 大正一三年一月刊 日本日曜学校協会略史(DK420059k-0003)
第42巻 p.252-253 ページ画像

日本日曜学校年鑑  日本日曜学校協会編 第一―六頁 大正一三年一月刊
    日本日曜学校協会略史
日本に於ける日曜学校事業は、明治五年三月十日、横浜山下町に創設せられた海岸教会と同時に開かれた海岸教会日曜学校に始まる。翌明治六年十一月二日、メソジスト教会宣教師ソーパル氏は、東京築地明石町十七番地の住宅に日曜学校を開始した。更に同年十二月七日、神戸元町に於ても、安息日学校が開設されて、ベレー氏がその校長となつた。
○中略
明治四十年一月四日、同博士○世界日曜学校協会代表フランク・エル・ブラウン博士は、日本福音同盟会評議員・協同ミツシヨン委員、及東京日曜学校同盟委員等と会見し協議の結果、日本日曜学校協会組織の議が纏り、直ちに役員選挙を為し、会長三好退蔵、副会長宮川経輝・渡辺暢、幹事鵜飼猛・三戸吉太郎・ダンロツプ、会計荒川文六・デーリングの諸氏当選したが、三好・宮川両氏は辞退した。
 明治四十年五月一日より三日間、東京芝区愛宕教会に於て、第一回日本日曜学校協会大会を開き、役員改選の結果、会長渡辺暢、専任幹事新井正平、常務委員長小崎弘道の諸氏当選した。
○中略
大正三年三月、第八回日本大会を横浜に開く、同年四月コールマン氏を名誉幹事に推選した。○中略
第十一回大会は、大正六年三月、神戸基督教青年会館に開かれた。当時日本日曜学校協会は、所属部会四十六個を有し、加盟校六百八十八
 - 第42巻 p.253 -ページ画像 
校を算した。大正八年十一月、東京に於て、臨時大会を開き、第八回世界日曜学校大会に関する協議をした。翌九年四月、京都に於て第十二回大会を開き、同年九月廿五日協会の財団法人組織を完成した。
 大正九年十月五日より十四日まで、東京に於て、第八回世界日曜学校大会を開催し、三十余ケ国より多数の代員来集し、盛会を極めた。
 大正十四年四月、大阪市に於て、第十三回大会を開いた。此の大会に於て、井深梶之助氏を会長に選挙、小崎弘道を理事長に互選した。
同年四月、今村正一氏総主事として就任した。大正十二年四月、東京霊南坂教会に於て、第十四回大会を開催し、本協会寄附行為の改正をなし、新たに小崎弘道氏を理事長に選挙し、今日に及んでゐる。