デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.336-339(DK420084k) ページ画像

明治43年7月4日(1910年)

是日、当社評議員会渋沢事務所ニ於テ開カル。栄一出席シテ懐旧談ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK420084k-0001)
第42巻 p.336 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
七月四日 雨 冷
○上略五時過ヨリ竜門社評議員会ヲ開キ、要件ヲ議決シ、後、維新前後ニ於ル重要書類ニ付懐旧談ヲ為ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四三年(DK420084k-0002)
第42巻 p.336-337 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四三年     (八十島親義氏所蔵)
七月四日 少雨
○上略
今夕竜門社評議員会開会、青淵先生、社長、評議員十三名、外ニ尾高矢野・増田等列席、中々ノ盛会ナリキ、入退会・除名等評議ノ後晩餐終テ評議員半数改選(去二月為スヘキ筈ノ処延期)ハ今回第一回ナルニ付、抽籖ニテ退任者ヲ定メ、後、留任者ガ後任者ヲ選挙スヘキ訳ナルガ、其選挙ノ方針ニツキ予メ評議ノ末、佐々木勇之助氏ノ説ニヨリ重任々々ト申ス如キ習風ニ依ラズ、可相成新陳代謝セシムル趣意ニテ必投票ヲ用ヒ選挙スル事ニ申合ヲナシタリ、然ル後抽籖ヲナシ、結局来九日兜町ニ再会シテ、選挙ヲ行フ事ニ定メタリ、終テ青淵先生ヨリカーネギーのゼ・プロブレム・オブ・ツデーノ訳書ニ序文ヲ請ハレタ
 - 第42巻 p.337 -ページ画像 
ルニ対シ、熟読中ノ処、富ノ成ル所以ノ観察及其処分法等社会主義ニ傾ケルモ、予ハ大賛成ナリトテ、一・二章ヲ読ミテ所感ヲ陳ヘラレ、又明治六年退官当時大隈伯ヘノ書状写、卅四年大蔵大臣辞退(井上内閣成ラントセシ際)、当時ノ芳川・井上・山県諸公トノ往復等捜シ出セリトテ追懐談ナドアリ、十一時散会○下略


竜門雑誌 第二六六号・第五五―五八頁明治四三年七月 ○竜門社評議員会(DK420084k-0003)
第42巻 p.337-338 ページ画像

竜門雑誌 第二六六号・第五五―五八頁明治四三年七月
    ○竜門社評議員会
七月四日午後六時より、日本橋区兜町渋沢事務所に於て、本社評議員会を開きたり、出席者は左の如し
  青淵先生       渋沢社長
    評議員
 原林之助君   西脇長太郎君   穂積陳重君
 尾高次郎君   田中栄八郎君   山口荘吉君
 八十島親徳君  男爵阪谷芳郎君  佐々木勇之助君
 斎藤峰三郎君  渋沢元治君    諸井恒平君
 杉田富君
席定まるや、幹事八十島親徳君は、先回の決議に係る春季総集会を延期し、後更に開会を見合はすに至りし事情を報告したる後、会議に移り満場一致を以て左記の事項を決議したり
 一昨年度社務及会計決算報告の承認(前号雑報欄参照)
 一入社申込者米倉嘉兵衛外十五氏の入社承諾(別項参照)
 一社則第十一条に依り会員六名の除名
次で、阪谷男爵より、旧臘本会の決議を以て同男爵に委任したる青淵先生六十年史追加編纂に関し、上半季中に進行したる状況の報告あり是れにて休憩となり、別室に於て晩餐会の催あり、午後八時再会、此度は新社則に依り評議員の半数改選期に当れるに付、退任者の抽籤を為すに先だち、予め後任者選挙の方法に関して本社の主義を定むるの必要を認め、此事に就き協議せしに、佐々木勇之助君起ちて其意見を述べらる、其趣旨は従来世間の役員改選の慣行を見るに、多くは投票の労を避け、容易く重任と決するを例とす、重任必ずしも悪しからずと雖も、重任を慣例とし、改選を除外例となすが如きは、決して親切なる方法に非ず、又真に会其物の為に取らざる所なり、故に改選の場合には相成るべく新陳代謝をなすの趣旨を以て、必ず無記名投票に依り慎重に選挙を為すことと致したしといふに在り、之に対して阪谷男爵の意見もありしが満場は佐々木君の所説に賛し、結局左の如き申し合はせをなしたり、
   ○評議員の選挙方法に関する本社の方針
 一毎年一回評議員半数の選挙を為すに際しては改選するを原則とし(必ずしも再選を妨げざれども)必ず投票を以て之を選挙する事
前記の申合は、青淵先生も大に其趣旨を賛成せられ、玆に之を以て我社将来の方針と為すことに決定せり、此くて社則附則第二十七条に拠り、抽籤を以て半数の退任者を定めたるに、其結果は左の如し
      退任者
 - 第42巻 p.338 -ページ画像 
 石井健吾君  尾高次郎君  田中栄八郎君
 山口荘吉君  阪谷男爵   佐々木勇之助君
 渋沢元治君  清水釘吉君  諸井恒平君
 杉田富君
依て半数の留任評議員は、同月九日午前渋沢事務所に会合して後任者の選挙投票を行ふの申合を為し、是れにて議事を終りたれば、夫れより随意談話に移り、青淵先生の「カーネギー」の富に関する所説(ゼ・プロブレム・オブ・ツデー抄訳)に就ての御講話あり、尚ほ此程会々古書類整理の際見出されたりとて、明治六年大蔵少輔御辞任の際大隈大蔵事務総裁に送られたる書面の控、及三十四年井上内閣の成らんとするに臨み大蔵大臣として入閣の内議を受けられし際、井上・山県両元老及芳川子爵等との間に往復せられし書面等を示して懐旧談を試みられ、一同団座拝聴時の移るを覚へず、散会せしは十一時なりき
    ○評議員半数改選
前項記載の如く、本月四日の評議員会に於て評議員半数退任者の抽籤も終りたれば、渋沢社長は後任者選挙投票を行ふ為め、本月九日午前十一時を期し、留任評議員を兜町渋沢事務所に召集せらる、即ち原林之助・西脇長太郎・穂積陳重・星野錫・植村澄三郎・八十島親徳・福島甲子三・斎藤峰三郎の八君(外に市原盛宏・堀越善重郎の二君は海外在留の故を以て欠席)出席の上、一同去四日申合はせの趣旨に従ひ無記名投票を行ひ、社長之を開票せられたるに、其結果は左の如し
      当選者
      服部金太郎君    土岐僙君
      大川平三郎君    山田昌邦君
 (再)男爵阪谷芳郎君     佐々木慎思郎君
 (再)  佐々木勇之助君   清水一雄君
      桃井可雄君  (再)杉田富君
右の如く確定したるを以て、渋沢社長は直ちに之を各当選者に通知し何れも其承諾を得たり
   ○当社第四十四回総集会ハ、明治四十三年三月二十九日ノ評議員会(栄一欠席)ニテ、栄一帰国歓迎会ヲ兼ネテ、五月八日飛鳥山曖依村荘ニ於テ挙行スルコトニ決定セシガ、栄一妹貞子(渋沢市郎夫人)ノ病気ノタメ延期シ五月二十七日貞子死去ニヨリ遂ニ中止ト決シタリ。(「竜門雑誌」第二六三・二六四・二六五号ニヨル)


(八十島親徳)日録 明治四三年(DK420084k-0004)
第42巻 p.338 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四三年    (八十島親義氏所蔵)
九月二十九日 雨
朝ヨリ兜町、夕竜門社詳議員会《(評)》ヲ開ク、青淵先生ハ一昨日来御病気ノ為欠席セラレシモ阪谷男以下二十二名計出席、幹事一名補欠選挙其他二・三常務ノ後、十月廿三日ヲ以テ秋季総集会ヲ兼ネ、青淵先生七十寿ノ祝賀式ヲ挙クル事ニ決シ、賀表ハ阪谷男爵立案、大隈伯ニ演説ヲ乞フ事トス、終テ晩餐会○下略


竜門雑誌 第二六九号・第四五―四六頁明治四三年一〇月 ○竜門社評議員会(DK420084k-0005)
第42巻 p.338-339 ページ画像

竜門雑誌 第二六九号・第四五―四六頁明治四三年一〇月
    ○竜門社評議員会
 - 第42巻 p.339 -ページ画像 
竜門社にては、九月二十九日午後六時より日本橋区兜町渋沢事務所に於て評議員会を開きたり、来会者は左の如し
  渋沢社長
    評議員
  原林之助君   服部金太郎君
  西脇長太郎君  八十島親徳君
  阪谷男爵    佐々木勇之助君
  斎藤峰三郎君  清水一雄君
  杉田富君
席定まるや、八十島幹事より、当日第一号議題たる幹事一名の補欠選挙を求めたるに、満場一致を以て前任者杉田富君再選重任に決定せり次で別項記載の如く入社申込者に就ての協議を遂げたる後、来る二十三日秋季総集会開催と同時に、青淵先生七十寿祝賀式を行ふことに決し、其方法は社長及幹事両者に一任することに評議一決して、評議員会を終り、例に依り別室の晩餐会に移りたり、此食卓には前任評議員たる石井健吾・山口荘吉・清水釘吉・渋沢元治の四君、及ひ尾高幸五郎・矢野由次郎・増田明六の諸君も加はりたり、後阪谷男を中心として種々有益なる雑談快話に時の移るを知らず、散会したるは午後十時過なりき、当日は青淵先生聊御風邪気のため御出席無かりしは、一同の遺憾とするところなりき