デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.10-26(DK430002k) ページ画像

大正9年4月18日(1920年)

是日、当社第六十三回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。

七月二十七日、当社有志晩餐会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、渋沢秀雄ノ欧米視察談ヲ聴ク。栄一出席ス。


■資料

竜門雑誌 第三八四号・第三八―四二頁 大正九年五月 ○竜門社春季総集会(DK430002k-0001)
第43巻 p.10-15 ページ画像

竜門雑誌 第三八四号・第三八―四二頁 大正九年五月
    ○竜門社春季総集会
本社第六十三回春季総集会は、予報の如く四月十八日午前十時より飛鳥山曖依村荘に於て開かれたり。定刻幹事石井健吾君登壇、「大正八年度の社務及会計報告を為すに先だち、諸君に対し、悲むべき報告を為さゞるべからざる凶事に際会したるは、本社の頗る遺憾とする所な
 - 第43巻 p.11 -ページ画像 
り。本社の創立者にして、長く評議員の職に在り、陰に陽に本社の発展に努力せられたる尾高次郎君には、折角の療養も其の効なく、竟に去る二月逝去せられ、その涙痕未だ乾かざるに、去月又評議員兼幹事として常に本社の発展に尽力せられたる八十島親徳君を失ひたるは、重々の不幸にして、両君が生前の功労を追懐して、転た痛惜の情に堪へざるものあり、今日特に此事を報告して、諸君と与に哀悼の意を表する所以なり」と述べ、引続き大正八年度社務及会計報告を為し、次で講演会に移り、法学博士岡実氏の『欧米雑話』及び阪谷男爵並に青淵先生の講演ありて、会を閉ぢ、夫れより園遊会に移り、更に余興に各自歓を尽して、散会したるは午後四時過なりき、大正八年度社務及会計報告並に当日の出席者は即ち左の如し。
    大正八年度社務報告
社則第二十二条に依り社務報告をなすこと左の如し
一会員
 入社{特別会員 拾五名 通常会員 参拾名}合計四拾五名
 退社{特別会員 拾壱名 通常会員 拾七名}合計弐拾八名
 外に通常会員より特別会員へ編入者拾参名
 現在会員{名誉会員 壱名 特別会員 四百四拾名 通常会員 五百六拾弐名}合計壱千参名
一現在役員
 評議員会長         壱名
 評議員(幹事共)      弐拾名
 幹事            弐名
一集会
 総集会           弐回
 評議員会          弐回
一雑誌発行部数
 毎月一回       平均 壱千百部
 年計            壱万参千弐百部
 此の如くして聊か社の目的を遂行せんことに努めたり
    会計報告
      収支計算
        収入之部
一金四千七百参拾六円拾参銭    配当金及利息
一金弐千弐拾弐円八拾弐銭     会費収入
一金弐百八拾五円也        寄附金収入
一金参百六拾参円七拾壱銭     雑収入
 合計金七千四百七円六拾六銭
        支出之部
一金壱千八百八拾五円拾七銭    集会費
一金壱千七百四拾七円五拾四銭   印刷費
一金八百拾円也          俸給及諸給
一金六百弐拾八円五拾壱銭     郵税及雑費
 - 第43巻 p.12 -ページ画像 
 合計金五千七拾壱円弐拾弐銭
差引
 超過金弐千参百参拾六円四拾四銭
           但積立金に編入したり
      貸借対照表

        貸方之部
一金参万九千九百参拾壱円参拾六銭 基本金
一金弐万参千六百弐拾壱円八拾九銭 積立金
 合計金六万参千五百五拾参円弐拾五銭
        借方之部
一金五万七千八百九拾七円弐拾五銭  有価証券
 (内訳)
一金参万弐千円也        第一銀行株四百株(一株に付金八拾円の割)
一金弐万五千円也        第一銀行新株五百株(一株に付金五拾円の割)
一金八百九拾七円弐拾五銭    四分利公債額面壱千円(額面に付金八拾九円七拾弐銭余の割)
一金五百九拾壱円拾壱銭     仮払金
一金七拾壱円拾銭        什器
一金四千九百八拾五円弐拾八銭  銀行預金
一金八円五拾壱銭        現金
 合計金六万参千五百五拾参円弐拾五銭
  備考
   本年度期間に於て左の会員諸君よりの寄附に依り、基本金四百六拾六円拾七銭を増加したり
一金参百六拾六円拾七銭 服部金太郎君
一金壱百円也 斎藤平治郎君
    以上


△来賓
    青淵先生 同令夫人
 法学博士岡実君
△特別会員(イロハ順)
 石井健吾君   伊東祐忠君   一森彦楠君
 磯野敬君    石川道正君   伴五百彦君
 原胤昭君    西田敬正君   二宮行雄君
 堀内明三郎君  星野辰雄君   土肥脩策君
 富沢充君    戸村理順君   利倉久吉君
 鳥羽幸太郎君  大橋悌君    大塚磐五郎君
 織田雄次君   尾高幸五郎君  尾高豊作君
 岡本忠三郎君  脇田勇君    金子喜代太君
 川田鉄弥君   神田鐳蔵君   角地藤太郎君
 片岡隆起君   神谷義雄君   川村桃吾君
 - 第43巻 p.13 -ページ画像 
 金井滋直君   神谷十松君   神谷岩次郎君
 吉田芳太郎君  吉野浜吉君   吉岡新五郎君
 吉池慶正君   横山徳次郎君  滝沢吉三郎君
 田中元三郎君  竹田政智君   高橋波太郎君
 高橋金四郎君  田中太郎君   田中徳義君
 曾和嘉一郎君  成瀬隆蔵君   中井三之助君
 中田忠兵衛君  中村鎌雄君   野口半之助君
 野口弘毅君   倉田亀吉君   山口荘吉君
 矢木久太郎君  山中譲三君   山本久三郎君
 矢野由次郎君  前原厳太郎君  松本常三郎君
 松谷謐三郎君  増田明六君   福島宜三君
 古田中正彦君  河野通君    江藤厚作君
 手塚猛昌君   明石照男君   浅川真砂君
 有田秀造君   佐々木勇之助君 佐藤正美君
 佐々木慎思郎君 斎藤精一君   阪谷芳郎君
 阪谷俊作君   佐々木清麿君  沢田竹次郎君
 弓場重栄君   守随真吾君   渋沢元治君
 芝崎確次郎君  下野直太郎君  白岩竜平君
 白石喜太郎君  白石元治郎君  渋沢義一君
 清水釘吉君   清水揚之助君  島原鉄三君
 渋沢正雄君   肥田英一君   平岡利三郎君
 諸井恒平君   桃井可雄君   関直之君
 鈴木善助君   鈴木金平君
△通常会員(イロハ順)
 板倉甲子三君  市川武弘君   石田豊太郎君
 飯島甲太郎君  井田英一君   石井与四郎君
 石井禎司君   伊沢鉦太郎君  家田政蔵君
 磯村十郎君   井上井君    石田千尋君
 石井竜一君   伊藤大三郎君  飯沼義一君
 井上成一君   井田善之助君  伊藤美太郎君
 蓮沼門三君   浜口嘉一君   林広太郎君
 馬場信豊君   早川素彦君   秦乕四郎君
 長谷部九能君  西潟義雄君   西正名君
 堀内歌次郎君  堀口新一郎君  堀家照躬君
 東郷郁之助君  友田政五郎君  土肥東一郎君
 友野茂三郎君  斗ケ沢純也君  豊田喜重郎君
 大石良淳君   小畑久五郎君  大平宗蔵君
 岡本謙一郎君  岡崎寿市君   太田資順君
 岡崎惣吉君   岡田能吉君   岡原重蔵君
 奥川蔵太郎君  織田磯三郎君  大木為次郎君
 小川銀次郎君  大須賀一郎君  鷲尾貞蔵君
 渡辺雄馬君   渡辺轍君    金古重次郎君
 川島正治君   上倉勘太郎君  金沢求也君
 金子四郎君   川口寛三君   上条憲治君
 - 第43巻 p.14 -ページ画像 
 鹿沼良三君   河見卯助君   笠間広蔵君
 横田半七君   吉岡慎一郎君  吉岡義二君
 高畠登代作君  田中一造君   田中鉄蔵君
 高橋森蔵君   高山金雄君   田島昌次君
 玉虫貞介君   滝本真一郎君  田子与作君
 玉江素義君   高田利吉君   竹島憲君
 高橋毅一君   提真一郎君   蔦岡正雄君
 塚本孝二郎君  根本源一君   内藤太兵衛君
 中野時之君   中山智君    長宮三吾君
 中村習之君   中山輔次郎君  中西善次郎君
 村上義諦君   村上外次郎君  村松秀太郎君
 上田彦次郎君  梅津信夫君   梅沢鍾三郎君
 上野金太郎君  野口米次郎君  久保幾太郎君
 熊沢秀太郎君  黒沢源七君   桑山与三男君
 久保田録太郎君 山下三郎君   山本宜紀君
 山崎一君    八木安五郎君  八木仙吉君
 山口乕之助君  山田直次郎君  山下近重君
 安井千吉君   山田源一君   松本幾次郎君
 松村三五郎君  万代重昌君   杉園忠雄君
 松田兼吉君   松井猛三君   松村繁太郎君
 松村修一郎君  松下末三郎君  藤江元享君
 福田盛作君   古田元清君   福島元朗君
 深沢真二郎君  福島三郎四郎君 小林茂一郎君
 小山平造君   小林清三君   河野間瀬次君
 小林梅太郎君  近藤進君    近藤良顕君
 小宮善一君   小林徳太郎君  出口和夫君
 粟生寿一郎君  赤木淳一郎君  阿部久三郎君
 綾部喜作君   荒川虎男君   赤萩誠君
 明楽辰吉君   相沢才司君   佐野金太郎君
 沢隆君     桜井武夫君   佐藤林蔵君
 斎田銓之助君  木村金太郎君  北脇友吉君
 木下憲君    蓑田一耕君   水野豊次郎君
 宮谷直方君   御崎教一君   三宅勇之助君
 緑川洽君    柴田房吉君   塩川薫君
 塩川政巳君   島田哲造君   清水景吉君
 清水鑙君    柴田亀太郎君  島田延太郎君
 平賀義典君   平岡道雄君   門馬政人君
 両角潤君    森戸伝之丞君  関口児玉之輔君
 瀬川太平次君  瀬川光一君   須田武雄君
 鈴木房明君   鈴木正寿君   鈴木勝君
 鈴木富次郎君  鈴木豊吉君   周布省三君
因に当日本会に対し、左の会員諸君より寄附金を辱うしたり、謹で玆に御厚意を拝謝す。
 一金弐拾円也        穂積男爵殿
 - 第43巻 p.15 -ページ画像 
 一金弐拾円也        阪谷男爵殿
 一金弐拾円也        神田鐳蔵殿、
 一金弐拾円也        東京印刷会社殿
 一金拾五円也        白石元治郎殿
 一金拾円也         大川平三郎殿
 一金五円也         星野錫殿
 一金参円也         岡本忠三郎殿


竜門雑誌 第三八五号・第一一―二一頁大正九年六月 ○春季総集会に於て 青淵先生(DK430002k-0002)
第43巻 p.15-22 ページ画像

竜門雑誌 第三八五号・第一一―二一頁大正九年六月
    ○春季総集会に於て
                      青淵先生
  本篇は、四月十八日、本社第六十三回春季総集会に於ける、青淵先生の講演なりとす(編者識)
 春期大会に参上致しまして、愚見を申述べる機会を得ましたことを深く喜ぶのでございます。岡博士より仏蘭西に於ける若くは亜米利加に於ける、重要なる会議に御参列になつたお身柄、世界の各方面に於ける大勢を充分に御研究になり、又自ら其間に接触して種々なる方面の人々とお会ひになり、御意見も戦はされ、所謂練りに練つたるお考を、今諸君と共に拝聴したことを深く喜ぶのでございます。是は毎々申しては自ら愧ぢ、又自ら誇るのでありますれども、私は此大正三年に戦争の勃発した時には、必ず永くは続くまいと云ふ事を主張した一人である、何故さう思うたかと云ふと、世界の知識の進む程、相争ふと云ふ事柄の悪いのを知る、其悪いのを知れば国を賭して角逐することは、自然の智恵が之を抑止するであらうと、斯う思うたのである。故に必ずやり掛けて見ても好い加減に治りが着くであらう、長い戦争にもなるまいと云ふ如き、世界の大勢を知らずに、甚だ無謀なる評論をしたことを、今も尚愧るのであります。之に反して五年続く。どう云ふ有様になつたときに治る。所謂西の鳥が来つて東の魚を呑む。天下に猿の如き者が現はれて、世の中を治めると云ふ、天王寺の未来記を、楠正成が読んだと云ふことがありますが、さう云ふ予言をした人があつた。予言であつたか、放言であつたか後での予言と云ふものは至て容易い。若し後で言ふならば私でも斯うなるであらうと思つたと云ふことは言へる。蓋し其人も前に言はずに、五年経つてから五年前の事を言はれたのかも知れませぬが、さう云ふ説を為した人もあります。之に引換えて、自分は甚だ世の中の平和を強く望む為めに、考は却て誤りましたが、併し戦争中に、どうも斯う云ふ有様で何時までも続く訳はない。何れ或る終局があるであらう。其終局がどうなるであらうか、之にも幾分の考を置きたいものである。飽迄も力づくなる平和のみ頼むの外ないものか、若くは知識手段からして、世の中をもう少し武力平和より改める工風がありはしまいか。若しそれが無いとするならば、前に申す通り人類は実に果敢ないもので、何の為めに知識を進めるか、世の中は唯殺伐の――押倒すとか力で相争ふとか、云ふより外に道が無いとなつて来ると、色々の智恵が進んで、学問が綿密になる程禍害を多くする訳になる。度々譬へて自分も笑ひますが、鼠
 - 第43巻 p.16 -ページ画像 
や兎の戦は至て殺伐さが少うて、相争うても誠に物柔かで、又蛙の合戦とか蛍の合戦とか云ふものは、倒れた者が出来ても、左まで殺伐でもないが、併し之が獅子とか虎とかが相争ふと、随分惨虐である。丁度吾々世の中も斯の如き姿で、唯強い同志で相争ふと云ふことの外に策が無いとすれば、智恵を進める程惨虐の度が強くなると云ふことは是は争ふべからざる事実である。さう云ふ世の中になるのは情けない一度は過つたが、今に悟るであらう。其方法はどう云ふ趣向に現はれるかと云ふたならば、唯単に皆賢人君子になつてしまつて、一人も争ふと云ふ心が出ぬと云ふ訳にも行くまいから、孰れ何かの手段は要らうけれども、或る方法が其処に成立するものではなからうか、斯う予想したのです。併し其予想はまるで無効には終らなかつた。所謂国際聯盟と云ふものが発表されて、其一つの働きからして更に進んで行くと、丁度今、岡博士の所謂一言に云うたら、世の中の階級の解除、平等の強く行はれる方法、斯の如き仕組が好い具合に纏つて行つたならば、殆ど相争ふと云ふことは、絶対に取除くまでに至らないでも、大に緩和されるやうになるであらう、只国際聯盟の方法が、未だ其完全の域に達せぬのを遺憾と思ひますけれども、斯の如き真正なる世界改造の方立は、如何にウイルソン大統領であれ、如何なる大宗教家であれ、英雄であれ、申出したからと云うて、一度の提案が直さま完全に解決されると云ふことではなからうと思ひます。基督が磔刑に処せられて、其当時直さまあのやうな大宗教が世界に宣伝されたか、是は数代を経て始めて人に尊敬された。又二千五百年前の孔子があゝ云ふ道徳説を主張しましたけれども、其当時も多少は賞讚されたが、追々年を経て始めて、所謂千古不易の道徳と尊敬されるやうになつたのと同じやうに、今の国際聯盟も亦、目下は直さま完璧とはなり得ぬでありませうけれども、蓋し遂に行はれるやうにならうと思ひます。故に其点から考へると、最初戦争は永く続くまいと思うた誤りは、大に愧ぢましたけれども、併し何か斯う云ふ方立が出来はしまいと云ふ予想は当時頻に私は申したのであるから、己れが思うただけの説が、其処へ提出されたと云ふ感じを以て、今に一は失ひ一は得たことを多少愉快に思うて居ります。
 是等は即ち只今、岡博士の四段に別けて、各方面の潮流が斯う変化して来ると云ふことが、果して国際聯盟と一致するかどうか、殆ど大勢から御観察の吾々へのお示は、如何さまさうあらうと思ふやうでございます。併し私は之に就て始終申して居るのは、国際聯盟がどう云ふ形、どう云ふ方法で行くかと云ふ、其細かい法律論若くは政治論は私自身がそれに付ての知識もなし、又考も置きたくない方でございますが、唯一身の思想上、道徳論に就て多少の考を持つて居るのでございます。けれども真に此国際聯盟を完全に進めて行かうと云ふには、どうしても国家間の、即ち国と国との間の徳義と云ふものを、今一層重んずると云ふ国民の人気にならなければ、迚も往くまいと思ひます今までの国際公法はどう云ふ風になつて居るか、是等の性質から論究せねば、極く適切なる説は為し得られますまいけれども、どうも私の見る所では、凡そ国々の主権を持つ人、或は君主であれ、政治家であ
 - 第43巻 p.17 -ページ画像 
れ、国際関係になると殆ど道義を無視して、利害のみに付て判断するやうに見える。即ち国際に道義なし、国際には唯利益あるのみ。斯の如き一体の風習であつて、然も国際聯盟が完全にやれやうと云ふことが、抑々誤りである。本を忘れて末に走るのだ、ウイルソン大統領が其処に何故早く気がおつきなさらぬか。私が此処で、斯様な説を言うたからと云うて、蒼海の一粟、聞えもすまいと思ひますが、必ずそれでなければ決して此事は行へまいと思ひます。国際道徳が完全に行はれずに、国際聯盟の完きことを求めるのは、殆ど底を塞がずに物を入れるやうなもので、幾ら入れても底へ脱けてしまふ、却て争の種になる、平和を求めて却て紛糾を来すと云ふことになりはせぬか。どうも国と国との間は、兎角今までの有様が、自国の利益の為めには、他国に対する無理を平気ですると云ふことが、それが政治家の慣手段、慣手段どころではない、本能としてある。其本能を以て、各国真に道理正しい相和睦した国交を為さうと云ふことは、どうしても出来る訳がない。国際の道徳を左様に希望して、さらばそれだけで満足するかと云ふと、もう一つ更に必要なるものは、個人の道徳、一国中の人と人との間の道徳が進まなければ、決して国際道徳を高めると云ふことは私は出来まいと思ふ。斯う考へますると、丁度私が、長い間富を増さねばいかぬ、生産殖利に力の鈍い国は、決して真正なる国家たり得るものではないと覚悟して、自己の力の不足は甚だお恥かしいけれども併し一人一己は第二として、一国全体の富を完全に進めると云ふにはどうしても其国の物質を高め、国運を増進させるのが根本義であると思うて、必死に苦みましたけれども、其力は甚だ著しくはないが、併し世の有様を既往に顧みますると、私一人の力ではないけれども、物質上の進歩は、之を数十年の昔に顧みると、大に進歩して居るに相違ない。其進み方が甚だ見るべきものがあり、又喜ぶべきものがあるがそれと同時に単に道徳と簡単に申し尽せませぬけれども、例へば事業の進歩に対して、其進歩を図る人々の為す行動が、道義に基き、人道に過つ所が無いかと、斯う穿鑿しますると、大に否と言はなければならぬ。甚しきは吾れ人共に、極く接近する間にすら其事があるやうである。世間を挙げてさう云ふ風習が段々と多くなる。蓋し是は世の中の慣れて行くに就て生じて来る弊害で、善い事が悪くなつて来るのが幾らもあります。勉強勿論結構。勉強と云ふのは即ち物を求める為めにするのであるが、其求めるから勉強すると云ふことが、自己の為めに図ると云ふ場合には、勉強が悪徳を来すと云ふことが、決して無いとは言はれぬ。孟子の言にもあります、鶏鳴而起、孳孳為善者舜之徒也。鶏鳴而起。孳孳為利者蹠之徒也。彼は善を為すが為めに勉強し、此は悪を為すが為めに勉強して居る。故に勉強を為す者が必ず善事ばかりを進めるものではない。勉強は悪事をも為す。能く勉強して悪事を為す人が随分実業界にも私は数多くあるだらうと思ふ。商売は共同的でなければいかぬ。其初めは合本法すら成たけ避けて、自己だけで富を増したいと云ふ考が皆強かつた。それではいかぬ、共同的にやらなければ、此世の中は進むものではない、まあ自分の資力が無かつたから、さう言つたのかも知れませぬが、私共はそれを頻に主張した。
 - 第43巻 p.18 -ページ画像 
そこで会社の仕事が段々進んで参りましたが、其会社の進んで行つた事柄は決して悪くない。悪くはないけれども、併し其会社が皆道理正しく、所謂正義人道に必ず基いて居るか、或る場合にはそれが却て害を為すと云ふことが、決して無いとは言はれぬのであります。殊に共同的にしなければならぬ事業を、互に競争をして相排擠すると云ふやうな事では、決して工業などは進歩するものではない。併し更に進んで真に共同的にやつて、さうして其共同の力で以て世間を酷く制してやるとしたならば、此共同は或はトラストの如きものになつて大変な害を為す訳になる。或る品物を独占して、それ程利益を得ないでも宜いものを、高く売つて、厭やなら売らなくとも宜いと云ふやうな事が幾らも出来る。今日或る商売人はさう云ふ共同力を以て、普通の利益以外の利益を取つて居る者がある。或は竜門社のお仲間の人にも、さう云ふ人が無いとは言はれないと思ふ。斯の如く利益を進めるにも、直さま富を増したいと云ふ観念が第一になると云ふと、此道義と云ふものを疎略にして、自己の富を増すだけが唯一の目的となつて来る。即ち個人道徳と云ふものは、浮かとすると段々に退歩して、悪事――悪事と云ふ言葉は穏当ではないが、徳義に欠けた行動が、世の中に段段行はれて、今の善い事が悪い結果を見るやうに至るのは、其類甚だ少くない。玆に於てどう致しても、実業界の所謂商業道徳と他の道徳と一致することを心掛けねば、結局国際の道徳を真に高めることは出来ないと思ふ。斯の如く、色々の方面に事物の変化を来して、其来す毎に尚更其観念を強めて、甚だ老衰して余命幾何もなく、我希望の達することは期し難うございますけれども、併し此観念は、独り竜門社の諸君のみならず、少くも日本国民だけには、普及せしめたいと、私は熱心に思うて居るのであります。洵に是は一種の本願として、私は今に苦んで居ります。丁度近頃竜門社以外に、幾らか私の斯う云ふ感じを以て、其主義を宣伝して居る修養団と云ふお仲間があります。比修養団に対しては、お集りの皆様中には、多少お聞及び若くは御賛助下すつて居るお方もあるのでありますが、どうも逞しい働きは出来得ぬから、一種の先づ宗教的運動のやうな塩梅で、各地方の青年が、人は成べく自己の努力を以て世に立たねばならぬ。而して自身自ら欺く心があつてはならぬ。信義を厚うし、所謂額に汗して我生活を維持すると同時に、人に対しては信義を重んじ、博愛の情を以て相交ると云ふより、流汗鍛練同胞相愛と云ふ短い言葉を以て宣伝する。さう云ふ主義を奉する青年団体を各地方に造りつゝあります。今日は大分各地に支部が出来て初めには三・四千人の仲間であつたが、昨今は三・四万の人数になりました。本日も主幹の蓮沼門三と云ふ人が参りまして毎月二千人づゝ殖えて行くから、此有様で行くと、四・五年の間には十万人位雑作はありませぬと云うて、頻りに団員の増加するのを喜んで居りました。併し私は之に対して、どうも人が余り多くなると、弊害を生ずる、早からう悪からうとか、安からう悪からうとか、多くなると雑駁になると云ふことは必ず免れぬから、余程今から其辺に力を尽して、徒に人数の多いと云ふことだけを自慢して、唯夏の休みに一つの形式的の集をすると云ふやうなことでは、何の効能も無いから、
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真に其人々が真情を以て、此主義に依つて働く、苟且にも他に心を移さぬと云ふだけの覚悟がなければ、折角左様な団体を造つても、効能が薄い。或は其筋で造つた地方青年団体などを見ても、悪くすると形のみあつて、実が無いのが多いやうである。それは私の取らぬ所であると申して、頻に注意を与へつゝあります。併し少くも、是等の人々に道義と云ふものを重んずると云ふ観念は、追々に進めて行き得るだらうと思ひます。蓋し是等の青年は、或は職工が多数を占める位でありませう。左なくとも、或は事務員とか、若くは教員とか、教員も小学教員と云ふやうな種類の人が多数でありますが、蓋し是等の人々が今申す通り、道義と云ふものを重んずると云ふ観念を持つことになり此観念が追々に広く若い人々に行渡つて行きますれば、個人道徳を幾らか世間に拡めることが出来得るだらうと、多少喜んで居るのであります。又一方に私は埼玉県出身である故に、埼玉県下の人々に対して矢張同じ主義を以て埼玉学生誘掖会と云ふものを造つて、頻に其事を宣伝して居ります。牛込砂土原町に一の寄宿舎があります、此寄宿舎に集つた学生だけは、必ず今の主義に依つて、稍々徹底的の覚悟をして、世に立ち得るだらうと思ひます。洵に範囲は狭うございます、けれども私は惟ふに是から先、真に此世界の完全なる平和を期さうと思ふならば、是非国際聯盟に力を尽さなければならぬ、国際聯盟を完全にさせんとするならば、今申上げました、国と国との間の道徳を、もう一つ進めなければならぬ。此国際間の道徳が、今日の姿では迚もいけない。是は実に目前の大なる憂慮と思ひます。一方に此世の進み、世界の気運の改進から、改進と云ふより寧ろ改造とも言ひませうか、押流されて来る有様は、善い事も勿論沢山ある、併ながら又悪い事も甚だ多い。労働者の関係などを観ても、或る点から云へば、昔の温情と云ふと、何だか一の恩恵のやうにのみ解釈されて、一方受ける方も恩恵を受ける、仕向ける方も恩恵を与へると考へて居る。故に此労働者の過激の人々は、温情主義怪しからぬ、先達て芝へ出て話をしやうと思つたら、温情主義の隊長などと言つて、酷く私を攻撃しましたけれども、私はさう云ふ積りではないが、矢張急激に論ずる人はさう云ふ風に解釈する。資本家は総て彼等を撫でさすつて、貴様達に飴を嘗めさせると云ふやうな仕向を与へるものであると、斯う解釈する弊があるやうです。其弊は単に彼等にのみあるではなくて、此方にもあるから、彼にも生じたので、相待つて其弊が生じたから、一概に労働者の過激を咎める訳に行きませぬけれども、併しさらば其労働者が左様な考を以て仕向けて来るのに対して、至極尤もだと云ふ学者がありとしたならば――岡さんはさう云ふ方では無いけれども、之を一概に是なりとも言へぬのである。此間はどうしても、両者相共に譲合つて、宜しきを制せしめなければならぬ。私は相競うて、宜しきを制するでなしに、互譲的に行ける道があるであらう、即ち今の言葉で言ふと、共同協和と云ふやうな意味にしたら宜からうと思ふので、詰り先づ主としては、資本と労働の協調も遂げ得るであらうと、今頻に苦心して居りますが、力少く時が良くなし、又事柄が頗る重大である。故に今俄に組立つた協調会が、其間に立つて何等飛びもせぬ鳴きもせぬ、出
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来たゞけであるが、心は其処に在ると云ふことを、諸君御諒解を願ひたいのであります。
 実に昨今の金融界の大変化は、只今阪谷男爵から一言述べざるを得ぬと云うて、帰する所忠実・勤勉を国民に望みたい。国民に望むには我より行はなければならぬ。即ち先づ竜門社員に望まざるを得ぬと云はれた言葉は、洵に私も其通りに申述べたいと思ふのであります。斯う云ふ有様に成行くと云ふことは、私は洵に分り切つて居るとまで言ひたい。私共でも今にさうなると云ふことは、大抵言ふたのである。例へば此処にお出になる第一銀行の頭取もさう仰しやつたに相違ない又私も度々伺つた。独りさう云ふ先輩のお方でなしに、お集りの皆様果して是で往けるものかと云ふお疑は、屹度お持ちになつたに相違ない。否必ず往くまいと信じたに相違ない。甚しきは時々申しましたが自身が会社を起した昔を考へますと、現に第一銀行の如き政府の力を以て勧めて、共時の富豪を網羅して、而も大蔵次官まで勤めた渋沢が直さま其処に投じて、一身を犠牲にしてやると云ふ意気込でやつてすら、二百五十万円の銀行を造るには、大変な骨折であつた。王子製紙などは漸く二十幾万、大阪紡績なども二十万位の資本であつた。さう云ふ会社を造つて居つた身から考へまるすと、今日それ程豪い人とも思はぬ、それ程勤労を為すつた人とも思はぬお方が、何百万円、何千万と云ふ会社をどんどん造る。近頃余り会社設立の相談に預りませぬから、詳しい事は分りませぬが、ハテナ私が馬鹿なのか、向ふが利口なのか、抑々時勢が変つたのかと、疑を起した事が屡々あります。其疑からどうも行き過ぎた有様ではないか、今に変化を生ずるであらう行止りがあるであらう。どうぞ此行止りを余り強くさせたくないと思うて、殊に其有様が私共思うたには、一昨年即ち大正七年の十一月の休戦から直ぐ来はせぬかと思つた。之が少し私共の考が違つた。あれから直に鉄や船が下つたと同じやうに諸物価が下つて呉れると、注文通りとは言はぬけれども尤もだと思つた。途中で一遍立止つたものですから、はてどうなるか余寒であらうか、今に暖かになるであらうと思ひつつ、まだ寒さが続くものではないかと云ふ感じを起した。是は何方の感じもさうだつたらうと思ひますが、是が急激に来た。梅が他の花に先立つて咲いたと同じやうに、其理窟が能く考へて見ると分るが、直接の位置に居ると実は能く分らぬ。そこで今日になつて、あゝ成程さうであつたかと云ふのでありますが、必ず来るべき事が来つたので、敢て驚くには及ばぬのであります。併し其原因が明かであつても、其場合が場合であると云ふと、此間の変化に対して、其変化の波及する所の禍害が、段々此仕事の大きくなる程大になる。本が小さいと其禍害も小さいし、丁度前にも申す通り、兎や鼠の噛合は其惨毒が少いけれども、牙の強い爪の高い勇猛な獣の争は、それだけ禍害が多いと同じやうに、力が進んで行く程、経済の範囲、経済の力が多くなる程、斯う云ふ変化に対して受ける禍害と云ふものが甚だ大である。又其中には有力な向にて、一種の禍害を被ると云ふやうな事は、屹度無とは云へぬと考へますから、斯かる場合に於ては余程注意を要するのでございます。私は常に斯う云ふ害に対しては、何時でも調子の好
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い時分に、余り調子付かぬやうにするのが、金融に従事する者の職分である。好い場合に人が浮かれて行くのを引止めるのが、金融に従事する者の務めである、と云ふことを申して居ります。調子の好い時には、誰しも捻り鉢巻で一番先へ出たいものである。又出た方が利益である。けれどもさう云ふ金融家は、真正なる国家を益する金融家ではない。金融機関と云ふものは、どうしても諸事物の自ら中心に立つと云ふか、枢機に居ると云ふか、或る場合には先導者にもなり、或る場合には殿にもなる。故にどうしても、其注意を怠つてはならぬ。其代り、斯う云ふ場合には一歩踏留る、殿の覚悟が必要である。己れだけが早く逃げて、禍害を免れやうと云ふ考は、金融業者の最も慎むべき所である。併し世の中を見渡しますると、調子の好い時分にワイワイ先へ進む人は、悪くなつた時に一番先へ引込む人である。丁度反対に来るのです。初めに余り騒がない人が、今日の如き場合にシツクリ驚かずに事を処するもので、若し果して力ある向が左様であつたならば此禍害を少くせしむることが、必ず出来るであらうと思ふのでございます。
 世の中の事は、種々な方面に色々に、効果が現れましたり、又弊害が生じましたりしますから、殊に今日の知識の進んだ世の中に、決して此多数の者に対して、手で揉むやうな助けを与へるとか、効果を示すとか云ふことは出来ませぬが、併し詰りは、自然に従ふの働きが能く遇して行くに就て、初めて百事が宜しきを得るので、私は一寸此間柳宗元の書いた郭橐駝と云ふ人の伝を見て、卑近な事であるけれども大層面白い事と感じまして、丁度此土地が苗木を仕立てる場所であり時候に応ずる話と思うて、此処に控へて参りました。木を植える郭橐駝の伝と云ふのであります。甚だ今日のお寄合には不相応しからぬお話であるけれども、郭橐駝、其始めの名を知らない。僂を病んで隆然として伏して行く。傴僂で背中が隆くなつて、駱駝を見たやうな容をして居るから、郷人が之に駝と云ふ名を附けた。そこで郭が之を聞いて、甚だ面白いと云つて自ら橐駝と称した。木を植えることが大変に上手で、其人の植えたものは、決して枯れない。早く茂つて且つ実る他の植える者が傚ふけれども、及ぶことが出来ない、それで駝に問うた所が対へて曰く、橐駝は能く木をして寿に且孳せしむるに非ず、木の天に順つて其性を致すのみ。唯其木の自然に従ふことを努めるのみである。凡そ木を植えるの性は、其木舒びんことを欲し、其培ひ平かならんことを欲す。其土は故いのが宜い、其築くことは密ならんことを欲する。既に然り、木を植えたならば動かすことなかれ、慮ることなかれ、去て複た顧みず。其蒔くや子の若く、其置くや棄るが如し。木を植えるに就ては、先づ第一に木の本性を知つて、其木の性情に応ずるやうにしなければならぬ。其根本は余り堅く締めないやうに、其養方は極く平かに、其土を能く均して、良いものにせにやならぬ。又其周囲は堅固にせにやならぬ。既にさう云ふ風にしたならばそれから先は一切構はない、殆ど棄て顧みざるが如き有様に置くが宜い。色々余計な世話などをしてはいけない。さうすると其天なる者全く、而して本性が得られるやうになる。故に吾其長を害せざるのみ。自分が木
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を舒すのではない、木の舒ひるのを妨げないのみである。能く之を碩茂するに非ざるなり。他の植える者は然うでない、私の遣方とは違ふ無暗に根を固くしたり、其養ひにも肥料が過ぎたり、然らざれば足りない。苟も能く是に反する者あれば、則ち又之を愛する太だ恩あり、之を憂ふること太だ勤む。時々来て視て其木を弄り散して、大事に思ふ為めに、始終世話をする。旦に視て而て暮に撫し、已に去つて復た顧る。甚しきは枯れはしまいかと思うて、木の枝を折つて見たり其膚に爪を立てゝ見たりする。さうして其生育を求むるから、木が繁茂しやうと思つても出来ぬ話である。だから愛すると云ふけれども、其実は之を害ふものである。憂へると云ふけれども、其実は之を讎とするのである。斯う云ふ言葉を以て、橐駝が答へた、そこで或る人が、洵に面白い言葉である。自然に従つて其本性を尽させると云ふことは、如何にも尤もである。然らば其道理を以て、政治に移したらどうであらうか、斯う橐駝に問うたら橐駝が曰く、私は木を植えることを知つて居るばかりで、政治の道理などは、私の一向関係する所ではありませぬ。然れども、私は郷に居つて人に長ずる者を見るに、好んで其令を煩しくし、甚だ憐むが如くにして、卒に以て禍す。旦暮に役人が来て、呼んで曰く、官命して爾が耕を促し、爾が植を勗め、爾が穫を督す。早く機を織れ、子供を育てろ、鶏豚を遂げよと、八釜しく言ふけれども、其八釜しく云ふ事は、一向其人を真正に成長させ、其木を真正に繁茂させる事柄には、益を為さぬやうである。若し果して左様であるならば、木を植えるの術も、尚能く官の政治に当嵌らぬものでもなからう。併しそれは私の知つた事ではありませぬ、と斯う申したと云ふ事である。至て此郭橐駝と云ふ人は、唯王子であるか、巣鴨であるか、唯苗木を拵へて之を売ると云ふだけの人であるが、其言ふ所が面白い。文章は柳宗元の文である。是等は頗る卑近の譬であるが、民を治めるは尚木を植えるが如し、と云ふことは至言であつて、今日の政治を為す者が、旦暮やつて来て、此の木は成長するか、此肥料は利いたか、と世話を焼く場合が少からぬやうに見える。真正なる助けを与へずに、之を助けるのは之を害するものだ、孟子にも之を助け長ずる者は、苗を櫃ぐ者也とあります。余り延びが悪いから延して、翌日行つて見たら枯れて居つたと云ふ、丁度橐駝の話と同じやうな事があります。今日の政治が或は銀行なり諸工業等に対する待遇にも、随分橐駝に言はしめたならば、あれだからいけませぬと云ふことが、第一銀行にはなくても世の中に無いとは言はれぬのでありますから、是も尚御注意を願ひたいと思ひます。詰り帰着する所は道徳に基き、節義を重んずると云ふ所から、根本を取るべきものと思ひますので、自身の感想を一言申上げて飽までも此個人道徳を益々進めると云ふことは竜門社会員諸君が、充分に其基礎たり得るやうにお願ひしたいと思ふのであります。


竜門雑誌 第三八五号・第二二―二五頁 大正九年六月 ○春季総集会に於て 男爵 阪谷芳郎(DK430002k-0003)
第43巻 p.22-25 ページ画像

竜門雑誌 第三八五号・第二二―二五頁 大正九年六月
    ○春季総集会に於て
                    男爵 阪谷芳郎
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  本篇は、四月十八日、本社第六十三回春季総集会に於ける、阪谷男爵の講演なりとす(編者識)
 唯今は岡博士より御旅行中御視察になつた有益な御話を伺ひまして洵に感謝に堪へませぬ。私は評議員会長として厚く御礼を申上げます
 次に青淵先生に御演説を願ひますのでありますが、私は一言玆に諸君に申上げて置きたい事がございますのは、此度の最近に起りました財界の混乱に就て、吾々竜門社会員として心得て置かなければならぬ事は何であらうか、又苟くも評議員会長と致して、何等此事に就て一言も言はぬと云ふ事は、自分の責任が果せぬやうに感じますので、唯だ一言其事を申述べたいと思ひます。
 日本の商工業の発達は既往を考へますると、明治十九年日本銀行の兌換制度が初めて実際に行はれ、兌換紙幣を発行するやうになりまして、其より商工業界の景気を喚起し、其結果、明治二十三年に一度、当時の日本の経済社会としては相応の金融逼迫を告げました。其頃から救済策として、所謂担保制度と云ふものが出来たのであります。其後多少波瀾がありましたが、二十七・八年戦役後に又株界に大動揺を来し、又三十七・八年戦役後に大動揺を来し、更に此度の大動揺になつたのであります。二十七・八年の時は大阪の恐慌と云つても宜かつたのでありまして、東京は余り痛まなかつた。三十七・八年の時は寧ろ東京の恐慌と云つても宜いので、大阪の方は其痛みが重くなかつた此二つは、何れも日本が支那及露西亜との戦争に依つて大勝利を得たる後ち、事業熱を勃発したる結果の動揺であります。当時国民は挙国一致非常の奮発心を起し、就中日露戦役のときは償金も取れず結局勉強努力の外なく、財界の回復には多少の時を要したけれども、国力は漸次発展に向ひたるのであります。
 然るに此度の財界混乱は、前二役の財界混乱とは事情を異に致して居る、日本は戦時中経済上に於ては寧ろ便宜の位地に立つて居たのでありまして、物価・労銀の法外なる暴騰に依り、社会の秩序、国民の思想にも変動を及ぼし、随て私は病が深いと見て居ります。此度の一番財界の病を為したのは大阪にあらず、東京にあらず、日本全国の地方農民が此混乱を来したる主たるものであります。詰り物価・労銀騰貴熱に浮かされて農民が無暗に株を買出し、株式熱を勃発したるのでありますから、日清戦争・日露戦争の後の財界の混乱とは違つたる一つの現象があります。加之、他国の不幸が日本の幸福となつて日本の輸出が急激に増加し、在外正貨が二十億に達したとか、物価・労銀が法外に騰貴したとか云ふやうな、自ら努力して正当に得ると云ふ事を忘れて、他人の不幸に乗じ、偶然の利益にのみ走りましたからして、人心と云ふものが非常なる紊乱を来して、サボタージであるとか、同盟罷工であるとか云ふやうな、事物の真相を能く了解せずして唯だ横着をして儲けると云ふ事に走る様になつたのが、今日の時弊である。
 そこで、日本でも識者がありまして、政府に向つて、所謂物価調節の警告をすると云ふやうな事を、一昨年来屡々試みたが、当局者が十分なる警戒の手段を執らなかつたが為に、遂に極端まで進んで行つて今日の反動的打撃を見るに至つたのである。私の考ふる所に於ては、
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今後に於ても、尚ほ此打撃は当分継続すると思ひます。是は当然の結果で、物価なり労銀なり金利なりが落着くべき所に落着いて、即ち努力の結果当然の程度に帰着すべきものであらうと思ふのであります。それ故に、今日の救済策を立て、又日本の将来を憂へる人は、即ち竜門社会員として、どう心得なければならぬかと云ふ事に就て、一点御注意を申上げる事は、即ち努力勤勉と云ふ事をお忘れになつてはならぬと云ふ事であります。総て偶然の利益、又期して得べからざる利益をのみ望んで、人心が総てサボタージになつたならば、如何なる場合と雖も、必ず失敗に終るは数の免れざるものである。抑々今日世界の有様を見ると、未だ物資は不足して居る、大戦に加つた欧洲何れの国もまだ元のやうには回復して居らぬ。而して日本はまだ玆に、二十億に近い在外正貨を持つて居るのである、而して亜細亜は勿論、南洋方面其他に向つての、日本品の需要はまだナカナカあるのでありますから、玆に於て努力勤勉するならば、十分に今日の禍を転じて福となして行くことが出来るのであります。是が果して為し得るや否やと云ふ事は、日本今日の現在朝野諸方面の局に当つて居る、諸君の一に決心如何にあるのである。今日の如く、役人は唯だ俸給を増して貰ふ事を希ひ、会社の重役は唯だ賞与金の多からんことを希ひ、努力勤勉と云ふ念が欠けて居つて、決して此救済の出来るものではない。如何なる世に於ても、如何なる時代に於ても、努力勤勉せずして事の為せるものではない。日本人が早く覚醒して努力勤勉するならば、今日玆に何も狼狽する必要は無いのである。綿糸が下つた、綿糸は下つた所が、綿を仕入れるに幾ら掛るか、之に工賃を加へて幾ら掛るか。それを七百円・八百円に売らうと云ふ事が既に間違つて居る。原綿の価から工賃を計算して、技師から、職工から、重役一同が勤勉して、相当に儲けたものが初めて真の儲けである。其決心を持つて行くならば、今日は戦前よりも尚ほ経済上有力なる地位に日本は立つて居るのである。智者は宜しく早く事の真相を見て、所謂人の憂ひに先立つて憂ひ、人の楽しみに後れて楽しむ、と云ふ決心を持つて行つたならば、決して今日の日本の地位を非常なる悲観を以つて見る必要はないと私は考へます。
 併し今日演説をするのは私の役目ではなかつた。私は今日の講演者たる岡博士・渋沢青淵先生の御演説に就て、御礼を申述べる役目で此処に上つたのでありますが、如何にも自分は憂慮する所がございますので、私の精神のある所を一言披瀝して、諸君を警醒すると申しては甚だ失礼でありますけれども、御注意を促して、どうか日本の今将に来らんとする不景気の大洪水に対して、泰然として事を処し、此の難関を通り越して行くと云ふ勇気を、諸君の腹の底へ充分に据付けたいと云ふ事を、切に希望するのでございます。
 唯今から青淵先生の御演説を伺ひまして、後は園遊会に移ります。今日も亦例に依つて、篤志諸君より種々御寄贈に与りました事を、玆に改めて御礼を申上げて置きます。我が竜門社会員も、唯今幹事から御報告になりました通りに、既に千人を超えまして社会の諸方面に於て、皆々有力な地位を会員諸君が御占めになりました事は、寔に年々
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ながら慶賀に堪へぬ次第でございます。殊に寔に春の好時節に、よく雨で困りました竜門社総集会が、今日は誠に青天であります。演説の後で御緩くりと、園内に於て一日の御楽みをなされますやうに、幹事評議員に代りまして一言御挨拶を申上げて置きます。


竜門雑誌 第三八七号・第三八頁大正九年八月 ○本社有志晩餐会記事(DK430002k-0004)
第43巻 p.25 ページ画像

竜門雑誌 第三八七号・第三八頁大正九年八月
○本社有志晩餐会記事 七月二十七日午後六時より丸の内銀行倶楽部に於て、本社有志諸氏の晩餐会を開催せり、開宴に先立ち過般商工業界の視察旁、田園都市株式会社の委託を受け、欧米諸国を巡察帰朝せられたる渋沢秀雄氏の漫遊視察談あり、終つて宴を開き、会食後、在米十数年間にして過般所要を帯び帰朝せられたる、米国加州中央農会専務理事千葉豊治氏の演説(追て本誌掲載)あり、最近加州に蟠りつつある排日問題の内容及び之が善後策に就き、熱心詳述する所あり、尚同州に発展しつゝある邦人の農事状況を撮影せる数十種の写真と相俟て来会者を益すること極めて多かりしが、要之、排日問題防止策としては、先づ排日反対の正論を喚起し、又来朝米人に正解を与へて排日反対に努力せしめ、尚ほ日米関係調査機関の設置等を以て其急務とすべく、而して其散会せるは十一時を過ぐる十五分なりき。
 因に当日の来会者諸氏は左の如くなりき。
△来賓
 青淵先生    千葉豊治君
△評議員
 石井健吾君   堀越善重郎君  土肥修策君
 増田明六君   明石照男君   阪谷男爵
 渋沢元治君   清水一雄君   白岩竜平君
 諸井四郎君
△前評議員
 上原豊吉君   日下義雄君   渋沢義一君
 桃井可雄君   杉田富君
     ―――――――――
 西村道彦君   西野恵之助君  堀内明三郎君
 利倉久吉君   小畑久五郎君  竹田政智君
 永田甚之助君  野口弥三君   八十島樹次郎君
 藤村義苗君   昆田文二郎君  佐藤正美君
 渋沢武之助君  渋沢正雄君   渋沢秀雄君
 白石喜太郎君



〔参考〕竜門雑誌 第三八一号・第五六―五七頁大正九年一一月 ○尾高次郎君逝去(DK430002k-0005)
第43巻 p.25-26 ページ画像

竜門雑誌 第三八一号・第五六―五七頁大正九年一一月
○尾高次郎君逝去 本社評議員尾高次郎君は、昨春流行性感冒に罹りし以来、兎角健康勝れず、依りて箱根に於て静養の上、一時快癒せられしも、再び健康を害されしより、鎌倉長谷別荘に於て静養中なりしが、旧臘更に腎臓炎を併発し、越えて一月下旬より病勢革り、青淵先生にも同月二十四日、午前東京駅発鎌倉に出向して、親しく同君の病床を見舞はれたるが、本月四日午前八時半終に溘焉逝去せられたり、
 - 第43巻 p.26 -ページ画像 
享年五十五。同君は青淵先生の従兄尾高惇忠氏の二男にして、其青年時代郷里埼玉県大里郡下手計より上京して、先生の膝下に薫陶を享けつゝある際、同志と謀りて我竜門社を創始せられしものゝ由にて、爾後今日に至る迄、終始一日の如く本社の為めに熱心尽力せられたるに今や同君の訃報に接す、真に惋惜の至りに堪えざる次第なり、噫。
 斯くて、同月八日午前十時、上野寛永寺に於て、輪王寺門跡大僧正円朗師導師となり、東叡山総出にて荘厳なる葬儀を執行し、更に同日午後二時二十分上野駅発汽車にて霊棺を郷里に送り、翌九日同地に於て埋葬式を執行せられたり。
 同君葬儀の当日、本社評議員会長阪谷男爵の霊前に朗読せられたる本社の弔辞は左の如し。
    弔辞
竜門社評議員尾高次郎君の霊に告ぐ、顧れば明治十八・九年の交、君が尚青淵先生の膝下に薫陶を享けつゝあるの際、君は先生の高教を仰ぐと共に、併せて同門の情誼を厚ふせん事を企図し、同志と胥ひ謀りて、一社を組織せり、君の先考尾高藍香翁、社名を竜門社と命じたるが即ち本社の起原にして、其創立には君に負ふ処恂に多かりき、爾後二十有余年、入社する者年に多きを加へしかば、同四十二年二月本社の組織を変更し、従来社交的集会の観ありし本社をして、一定の主義を有する団体と為し、青淵先生の常に唱導せらるゝ主義に基き、主として商工業者の智徳を進め、其人格を高尚にする目的の下に、専ら本社趣旨の発揚に力めん事を期するや、君又選ばれて評議員と為り、本務怱劇の際にも、常に力を本社の発展に尽さるゝこと終始一の如くなりしは、余等の深く君に感謝する所なり、今や本社は会員一千余名を算し、社運益隆昌なると共に、君の指導に待つべき事愈多きに当り、溘焉として逝去せらる、哀慟極りなく、惋惜何ぞ堪へん、然れ共千行の痛涙も、君が遠逝を駐むるに由なし、只今後は余等胥依り胥助けて社運の隆昌を図り、永く青淵先生の主義を宣揚せんとす、是亦君の素志に酬ゆる所以ならんか、嗚呼尾高次郎君在天の霊、冀くは照鑑せられよ
  大正九年二月八日   竜門社評議員会長
                法学博士 男爵 阪谷芳郎
   ○尾高次郎・八十島親徳ノ追悼会ニ就イテハ、本款大正十年三月十五日ノ条参照。