デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.259-283(DK430031k) ページ画像

昭和3年9月29日(1928年)

是日、帝国ホテルニ青淵先生米寿祝賀会ヲ開キ、佐々木勇之助、当社ヲ代表シテ祝賀文ヲ朗読シ、「国訳論語」及ビ其他ノ記念品ヲ贈ル。栄一謝辞ヲ述ブ。

次イデ十月、当社ハ「竜門雑誌」第四百八十一号ヲ、青淵先生米寿祝賀記念号トシテ特輯発行ス。更ニ当社ハ記念事業トシテ、先ニ出版セル「国訳論語」「訓点論語」「青淵先生訓話集」ヲ、適宜選定シテ全国小学校及ビ諸学校ニ寄贈ス。


■資料

竜門雑誌 第四七〇号・第八九頁 昭和二年一一月 本社理事会(DK430031k-0001)
第43巻 p.259 ページ画像

竜門雑誌 第四七〇号・第八九頁 昭和二年一一月
 本社理事会 十一月二日(水)午後四時三十分、東京銀行倶楽部に於て、本社理事会を開く○中略
 尚同会議に於て、明年開催すべき青淵先生米寿祝賀の方法を立案するため、準備委員を設くるの件を協議したり。
 本社評議員会 十一月二日(水)午後四時三十分、東京銀行倶楽部に於て、本社評議員会を開く○中略
 尚同会議に於て、明年開催すべき青淵先生米寿祝賀の方法を立案するため、準備委員を設くるの件に付協議したるが、理事長及び評議員会長の協議選定に一任することに決し、散会したり。


竜門雑誌 第四七一号・第九三―九四頁 昭和二年一二月 ○青淵先生米寿祝賀準備委員(DK430031k-0002)
第43巻 p.259-260 ページ画像

竜門雑誌 第四七一号・第九三―九四頁昭和二年一二月
○青淵先生米寿祝賀準備委員 十一月二日の本社理事会及評議員会に於て、理事長及び評議員会長の協議選定に一任することに決したる青淵先生米寿祝賀準備委員は、左の通り指名して、其承諾を得たり。

 石井健吾氏   穂積重遠氏
 渡辺得男氏   高根義人氏
 植村澄三郎氏  増田明六氏
 明石照男氏   阪谷芳郎氏
 佐々木勇之助氏 佐々木修二郎氏
 - 第43巻 p.260 -ページ画像 
 木村雄次氏   白石喜太郎氏
 杉田富氏     以上十三名

○青淵先生米寿祝賀準備委員会 青淵先生米寿祝賀に関する第一回準備委員会は、十二月七日午後三時より、日本橋区兜町第一銀行会議室に於て開催し、左記委員出席の上、該祝賀方法に就き種々協議する所ありたり。
 石井健吾氏   穂積重遠氏
 植村澄三郎氏  増田明六氏
 明石照男氏   阪谷芳郎氏
 佐々木勇之助氏 佐々木修二郎氏
 木村雄次氏   杉田富氏


(増田明六)日誌 昭和二年(DK430031k-0003)
第43巻 p.260-261 ページ画像

(増田明六)日誌 昭和二年        (増田正純氏所蔵)
十一月二日 水 晴                出勤
○上略
午後四時半、竜門社評議員及理事会ニ出席した
本年秋季総会・入社申込者諾否・青淵先生米寿祝賀の件ニ付き協議した
○下略
   ○中略。
十一月八日 火 曇                出勤
○上略
朝、明石男氏を第一銀行ニ訪ふて、竜門社ニ於ける青淵先生八十寿祝賀準備委員《(米)》の選定ニ付き協議した
氏の意見で、現理事・監事及委員を其委員とする事ニ内定し、阪谷理事長及佐々木評議員会長の同意を受く事とした
○下略
   ○中略。
十一月廿二日 火 曇               出勤
午後、第一銀行ニ佐々木頭取訪問、竜門社ニ於ける青淵先生米寿祝賀会実行準備委員選任方ニ付き、意見を聴取した、原案の通現理事・監事、集会・編纂両委員の外ニ、佐々木評議員会長ニ依嘱する事ニ決した、阪谷理事長・常務理事の同意ハ先ニ得てあるので、即日依嘱の書状を夫々発送した
○下略
十一月廿四日 木 晴               出勤
○上略
竜門社理事長阪谷男爵より、同社ニ於ける青淵先生米寿祝賀方法ニ関する準備委員依嘱を受けた
○下略
   ○中略。
十二月五日 月 晴                出勤
前八時半、阪谷男爵を原町邸ニ訪問拝眉、竜門社青淵先生米寿祝賀準備委員会の件に就き御意見を承り、来七日同会合を催す事として事務
 - 第43巻 p.261 -ページ画像 
所ニ到り、委員ニ宛て通知した
○下略
   ○中略。
十二月七日 木 晴 出勤
○上略
午後三時、第一銀行会議室ニ於て竜門社青淵先生米寿祝賀会第一回準備委員会あるニ出席した、阪谷男・佐々木勇之助・石井健吾・杉田富・明石照男・佐々木修二郎・植村澄三郎・穂積重遠・木村雄次・増田明六の十氏会合、種々意見を交換して大体の決定を得た
○下略


竜門雑誌 第四七二号・第八八―八九頁昭和三年一月 青淵先生米寿祝賀第二回準備委員会(DK430031k-0004)
第43巻 p.261-262 ページ画像

竜門雑誌 第四七二号・第八八―八九頁昭和三年一月
 青淵先生米寿祝賀第二回準備委員会 一月十九日午後四時より第一銀行会議室に於て、青淵先生米寿祝賀第二回準備委員会を開く。出席者は男爵阪谷芳郎・佐々木勇之助・男爵穂積重遠・石井健吾・木村雄次・杉田富・明石照男・佐々木修二郎・増田明六・渡辺得男・白石喜太郎の十一氏なり。阪谷男爵座長となり開会。先づ穂積男爵雑誌委員として、竜門雑誌記念号並に青淵先生訓話集の発行に就て詳述し、尚ほ古今東西経済合一説の蒐集並読本編纂の件は、未だ報告までに到らざる旨を告げ、又明石照男氏より記念品案の報告ありて文鎮作成と決し、最後に阪谷男爵より国訳論語に関する詳細なる報告、及び祝賀会に関する発案あり、大略左の如く決定せり。
一、雑誌記念号は祝賀会後発行のこと
  但し執筆者・談話者に就ては、各委員よりも、意見を雑誌委員の手許へ提出すること
二、青淵先生訓話集は祝賀会当日までに発行のこと
 イ、書名は「青淵先生訓話集」とすること
 ロ、訓話集は紙型を取り置き、広く販売の方針を取ること
三、国訳論語は、斯文会に於て来る三月編纂終了の由に付、之を竜門社に於て祝賀会当日発行すること
 イ、巻首に青淵先生米寿祝賀記念出版の文章を附すること
 ロ、全国の小学校へ寄贈すること
 ハ、以上は其他の必要事項と共に常務理事より斯文会の当局者と協議の上、覚書を交換すること
四、記念品として文鎮を作成すること。但表面に昭和戊辰の春及び青淵先生米寿祝賀記念、竜門社の文字を刻むこと
五、祝賀会当日の事項に関する件
 イ、祝賀会当日は余興を設くること
 ロ、祝賀演説は会員外の人々にも請ふこと
 ハ、祝賀会当日は理事長の挨拶の後、佐々木勇之助氏会員を代表して祝賀文朗読のこと
 ニ、祝賀文の起草は、穂積男爵・白石喜太郎・岡田純夫三氏担当のこと
 ホ、当日会員より相当の会費を受くること
 - 第43巻 p.262 -ページ画像 
 ヘ、陪賓を招待すること
 ト、以上各項の取扱実行は、常務理事及集会委員の担当として、其報告によりて決定すること
          以上


竜門雑誌 第四七三号・第七二―七三頁昭和三年二月 青淵先生米寿祝賀第三回準備委員会(DK430031k-0005)
第43巻 p.262-263 ページ画像

竜門雑誌 第四七三号・第七二―七三頁昭和三年二月
 青淵先生米寿祝賀第三回準備委員会 二月八日(水)午後四時より東京銀行倶楽部に於て、青淵先生米寿祝賀第三回準備委員会を開く。出席者男爵阪谷芳郎・佐々木勇之助・男爵穂積重遠・植村澄三郎・石井健吾・杉田富・明石照男・佐々木修二郎・増田明六・渡辺得男・白石喜太郎の十一氏なり。阪谷男爵座長となりて開会。
従来の協議事項たる
 一、記念文鎮作成に関する件
 二、国訳論語に関し斯文会との間に覚書作成の件
 三、訓話集編纂に関する件
 四、記念号編纂に関する件
の経過報告に対する承認ありて後
 五、祝賀会に関する件
を附議し、結局
  イ、開会日時 昭和三年五月六日(日曜日)
  ロ、場所 帝国ホテル
 順序
  イ、阪谷理事長開会の辞
  ロ、佐々木評議員会長祝賀文朗読(此文章は穂積男爵に起草を依頼すること)
  ハ、記念品捧呈
  ニ、先生の答辞
  ホ、閉式の辞
  ヘ、余興
  ト、祝宴
   イ、司会者阪谷男爵の挨拶
   ロ、祝辞
   ハ、先生の答辞
  チ、閉会の辞
と決定し
 六、陪賓招待に関する件
は先生の御同族に止むること
 七、祝賀会の会費に関する件
は特別会員金拾円、通常会員金五円とすることに決定し、最後に阪谷座長の挨拶ありて、同委員会を解散したり。
          以上
 本社理事会 二月八日午後四時三十分、東京銀行倶楽部に於て、本社理事会を開く。出席理事五名。阪谷理事長座長となりて開会。左記議案を附議し、満場異議なく原案を可決したり。
 - 第43巻 p.263 -ページ画像 
 一、入社申込者諾否の件
 二、青淵先生米寿祝賀準備委員会経過報告承認の件
          以上
   ○右理事会ト同時ニ開カレタル当社評議員会ニ於テモ、同一案件承認セラレタリ。
    三月六日開催ノ当社理事会・評議員会ニモ同様案件上程セラレ、可決セラレタリ。


竜門雑誌 第四七五号・第七六頁昭和三年四月 本社理事会(DK430031k-0006)
第43巻 p.263 ページ画像

竜門雑誌 第四七五号・第七六頁昭和三年四月
 本社理事会 三月廿六日(月)午後四時、第一銀行に於て、本社理事会を開く。阪谷理事長外理事三名出席し、左記事項を決議したり。
 一、第七十八回会員総会を昭和三年五月六日に開会する事。其時刻及実行方法は常務理事及集会委員に一任する事
 二、青淵先生米寿祝賀記念出版書籍の中に漢文訓点論語を加へ、之を全国中学校及師範学校に配附する事
 三、斯文会々員千二百名に国訳論語(小学校及会員に頒布する分)を寄贈する事
 四、青淵先生米寿祝賀会予算に左の追加を為す事、金二千八百七十一円也
 五、入社申込者諾否の件
   ○右理事会ト同時ニ開カレタル当社評議員会ニ於テモ、同一案件承認セラレタリ。


(増田明六)日誌 昭和三年(DK430031k-0007)
第43巻 p.263-265 ページ画像

(増田明六)日誌 昭和三年       (増田正純氏所蔵)
一月十九日 木 晴                出勤
○上略
午後四時、第一銀行会議室ニ於て、竜門社の青淵先生米寿祝賀会ニ関する準備委員会があつた、阪谷男爵外十氏会合、同男爵議長と為り
一、記念号及青淵先生訓話集、国訳論語を発刊する事
一、記念品調製の事
一、祝賀会執行順序の事
等を議了した
   ○中略。
二月二日 木 晴                 出勤
○上略
午後一時、帝国大学御殿に服部宇之吉博士を訪問した○中略
服部博士訪問の要件ハ、斯文会ニて編纂せる国訳論語の発行を竜門社ニ与へられたしとの希望を持込んだのであつたが、博士は快く之を容れ、何れ来五日の理事会ニ附議決定の上回答すべしとの挨拶であつた事務処ニ出勤の後、明石氏を第一銀行ニ往訪して右服部博士との協議事項を報告した、同意を得た
○下略
   ○中略。
二月八日 水 晴                   出勤
 - 第43巻 p.264 -ページ画像 
○上略
午後四時、銀行集会所ニ於て竜門社青淵先生米寿祝賀会準備委員会が開かれた、阪谷男爵議長となり、増田をして前回以来準備進行ニ関する報告をなさしめた
引続き理事会及評議員会が開かれて、準備委員会の経過報告を為して承認を得た
○下略
二月九日 木 晴                   出勤
朝、飛鳥山邸ニ子爵拝訪○中略 昨夜開かれた竜門社の青淵先生米寿祝賀準備委員会の決議事項を報告した
○下略
   ○中略。
二月十七日 金 晴                  出勤
○上略 朝九時宅を出て、徒歩て阪谷男爵を拝訪したら、直く引見せられた、御訪ねした要件ハ
一竜門社の青淵先生米寿記念文鎮銀製分の銀位を純銀とする事、過日の準備委員会で男爵より七・八百位が適当ならんとの御話ありしを製造家服部商店ニ交渉したら、銀貨なら左様ならんも、文鎮の如きは凡純銀を用ゆとの事であつたから、之を男爵に御話した
○中略
四竜門社より曲阜名徳学堂へ論語年譜・論語講義・実験論語処世談・青淵百話・青淵六十年史を、青淵先生米寿祝賀記念の為め寄贈の件
○中略
以上の各件ニ付き御報告を為し、又御承認を得た
○下略
   ○中略。
三月六日 火 晴                 出勤
○上略
午後四時より、銀行倶楽部ニ於て竜門社の理事会と評議員会とが同時に開かれた、各種議案が可決されてから、小生より青淵先生米寿祝賀会準備の報告を為した
○下略
   ○中略。
三月二十日 火 晴                出勤
午前、明石氏を第一銀行ニ訪ひ、竜門社の青淵先生米寿祝賀の件を打合ハせ○下略
   ○中略。
三月廿六日 月 雨                出勤
○上略
午後四時、第一銀行会議室ニ於て、竜門社評議員・理事及準備委員の会合を併ハせ開かれた、問題は来五月六日開催さるゝ青淵先生米寿祝賀会挙行の各項ニ亘りて協議されたのである
○下略
    ○中略。
 - 第43巻 p.265 -ページ画像 
四月十七日 火 晴                出勤
○上略
正午、工業倶楽部ニて開催された渋沢子爵米寿祝賀ニ関する特別委員会ニ出席して、種々の相談に参与した
○下略
   ○中略。
八月十六日 木 晴                出勤
午後、明石氏を第一銀行ニ訪問し、竜門社青淵先生米寿祝賀会の件及同社記念出版物寄贈先に付き協議した
○下略
   ○中略。
九月五日 水 晴                 出勤
○上略
正午、丸の内工業倶楽部に於て渋沢子爵米寿祝賀会の義ニ付き協議会が開かれた、小生も出席、格別問題も無く総て原案を決定して、明日会員に案内状を発送する事と打合ハせした


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【青淵先生米寿祝賀記念文鎮作成個数調】(DK430031k-0008)
第43巻 p.265 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
   青淵先生米寿祝賀記念文鎮作成個数調
                    (昭和三年二月十五日調)
       銀製ノ分(拾個)
  青淵先生
     ◇
   渋沢篤二殿   穂積歌子殿
   阪谷芳郎殿   渋沢武之助殿
   渋沢正雄殿   明石照男殿
   渋沢秀雄殿   穂積重遠殿
   渋沢敬三殿        以上
      銅製ノ分(壱千参百弐拾九個)
   特別会員    五百七個
   通常会員    八百弐拾弐個
                以上
  備考
   銀製ノ分    拾個
   銅製ノ分    壱千参百弐拾九個
  合計壱千参百参拾九個


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(印刷物) 拝啓、来五月六日(日曜日)午後三時、麹町区内山下町帝国ホテル(入口北側)ニ於テ…】(DK430031k-0009)
第43巻 p.265-266 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類         (財団法人竜門社所蔵)
(印刷物)
拝啓、来五月六日(日曜日)午後三時、麹町区内山下町帝国ホテル(入口北側)ニ於テ、本社第七十八回会員総会ヲ開キ、青淵先生米寿祝賀式ヲ挙行致候間、御繰合セ御出席相成度、此段御通知申上候 敬具
  昭和三年四月十八日
              竜門社理事長 男爵阪谷芳郎
 - 第43巻 p.266 -ページ画像 
    会員各位
      追申
  一当日ハ会費トシテ特別会員諸君ハ金拾円、通常会員諸君ハ金五円御持参被下度候
  一御来否ハ四月二十八日迄ニ御一報願上候
    当日ノ順序如左○略ス


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(控) 案 拝啓、益御清適賀上候、然ば先生昨年を以て八十八の高齢に躋らせられ…】(DK430031k-0010)
第43巻 p.266 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(控)  案
拝啓、益御清適賀上候、然ば先生昨年を以て八十八の高齢に躋らせられ、老て益壮に、日夜社会公共の為に御尽瘁被遊候は、洵に小生等会員一同の歓喜に堪へさる所に御座候、就ては来五月六日午後三時帝国ホテルに賁臨を仰きて、祝賀の典を挙行仕度候間、何卒御允諾御来駕被下度、此段願上候 敬具
  昭和三年四月廿一日
                 竜門社理事長
                  男爵 阪谷芳郎
    青淵先生
    同令夫人
        侍史
   ○同日、同趣旨ノ案内状、左記同族宛(令夫人トモ)発セラレタリ。(「青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類」所綴ノ資料ニ拠ル)
    渋沢篤二・阪谷芳郎・渋沢武之助・渋沢正雄・渋沢秀雄・穂積重遠・明石照男・渋沢敬三・穂積歌子


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(控) 案 拝啓、然ば来る六日帝国ホテルに於て、本社会員総会相開き先生米寿の祝賀式を挙行致度候に付…】(DK430031k-0011)
第43巻 p.266 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(控)  案
拝啓、然ば来る六日帝国ホテルに於て、本社会員総会相開き先生米寿の祝賀式を挙行致度候に付、御枉駕被下度旨御願申上候処、過日来の御病気未だ御快癒に不被為至候趣に付、同日の挙式は中止致し、近日御全快を相待ち、更に期を定めて御来臨相願可申候間、何卒御諒承被成下度候 敬具
  昭和三年五月一日
                 竜門社理事長
                  男爵 阪谷芳郎
    青淵先生
    同令夫人
        侍史
   ○同日、同趣旨ノ書翰同族宛ニ発セラレタリ。(「青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類」所綴ノ資料ニヨル)


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(印刷物、葉書) 拝啓、陳者来ル五月六日本社会員総会ヲ開キ、青淵先生米寿祝賀式ヲ挙行可致旨…】(DK430031k-0012)
第43巻 p.266-267 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(印刷物、葉書)
拝啓、陳者来ル五月六日本社会員総会ヲ開キ、青淵先生米寿祝賀式ヲ挙行可致旨、過日御通知申上、既ニ御参否ノ御回答ニ接シ居候処、先
 - 第43巻 p.267 -ページ画像 
生ニハ去月二十一日以来、風邪御治療中喘息ヲ併発セラレ、目下逐日快方ニ向ヒ毫モ御心配可申上御容態ニハ無之候ヘ共、当分御療養ヲ被為要候由、主治医ノ意見ニ候間、此際同日ノ開催ヲ延期シ、先生ノ御全快ヲ待テ挙行致候事ニ仕度ト存候、何卒右御承知被下度候、此段不取敢御通知申上候 敬具
  昭和三年五月一日
   東京市麹町区永楽町二ノ一、仲廿八号館渋沢事務所内
             竜門社理事長男爵阪谷芳郎
  尚々先生ニハ本文ノ通逐日御快方ニ被向居候間、其内改メテ開催ノ日取御通知申上候事ニ可相成ト存候、御承知置被下度候


竜門雑誌 第四七六号・第一〇七頁 昭和三年五月 本社会員総会並に青淵先生米寿祝賀式延期(DK430031k-0013)
第43巻 p.267 ページ画像

竜門雑誌 第四七六号・第一〇七頁 昭和三年五月
本社会員総会並に青淵先生米寿祝賀式延期 五月六日(日)午後三時より、帝国ホテルに於て、本社第七十八回会員総会、並に青淵先生米寿祝賀式挙行の旨、四月十八日附を以て、全会員に通知したるが、先生には四月廿一日以来、風邪御治療中、喘息を併発せられ、逐日快方に向はれ居るも、当分御静養を要する旨、主治医の意見に基き、此際同日の開催を延期し、先生の御全快を待ちて挙行するに決し、四月廿八日夜、阪谷理事長より其旨評議員各位に通知して同意を得、五月一日附を以て、全会員に延期の旨通知したり。


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(印刷物) 拝啓、益御清適奉賀候、陳ば青淵先生米寿祝賀記念の為め発行並に調整致候…】(DK430031k-0014)
第43巻 p.267 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類    (財団法人竜門社所蔵)
(印刷物)
拝啓、益御清適奉賀候、陳ば青淵先生米寿祝賀記念の為め発行並に調整致候
  一国訳論語(ポケツト型)  一冊
  一青淵先生訓話集      一冊
  一記念文鎮         一個
御送付致候間、御受領被下度候 敬具
  昭和三年六月
                      財団法人竜門社
   会員名位

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(控) 拝啓、益御清穆奉賀候、然ば青淵先生去年米寿に躋らせられ候に付…】(DK430031k-0015)
第43巻 p.267-268 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(控)
拝啓、益御清穆奉賀候、然ば青淵先生去年米寿に躋らせられ候に付、本社に於ては去る五月六日を以て、先生を始め御同族方の賁臨を仰ぎて祝賀会を挙行致し、記念として、特に発行並に調整致し候論語三種青淵先生訓話集及文鎮を進呈可致予定に御座候処、不測先生御病気に罹らせられ候為め、延期致候事と相成候は遺憾の至に御座候、就ては先以て右記念の品々を拝呈致置度、別封御送付申上候間、何卒御受納被成下度候、其為寸楮如此御座候 敬具
  昭和三年七月十八日
             竜門社理事長 男爵阪谷芳郎
 - 第43巻 p.268 -ページ画像 
    御同族宛
  追て、祝賀会は先生の御都合相伺候上、凡九月下旬挙行仕る予定に御座候、御含置被下度申添候


竜門雑誌 第四七九号・第六九頁昭和三年八月 青淵先生米寿祝賀式挙行期日の件(DK430031k-0016)
第43巻 p.268 ページ画像

竜門雑誌 第四七九号・第六九頁昭和三年八月
 青淵先生米寿祝賀式挙行期日の件 去五月六日開催の予定なりし青淵先生米寿祝賀式は、既報の通り先生御病気の為め延期せられしが、此頃先生の御健康も心配なきに至りたるに付、愈々左の通り挙行せらるゝことに決定したり。
 昭和三年九月廿九日(土曜日)午後三時三十分より、東京市麹町区内山下町帝国ホテルに於て挙行する事
  当日の順序
    祝賀式(凡午後五時終了)
 開会の辞           阪谷芳郎君
 祝賀文朗読          佐々木勇之助君
 記念出版書籍及記念文鎮捧呈  佐々木勇之助君
 謝辞             青淵先生
 閉会の辞           阪谷芳郎君
    余興(凡午後六時半終了)
 能   橋弁慶(喜多流)
 狂言  末広(大蔵流)
    祝宴(凡午後八時半終了)
 挨拶             阪谷芳郎君
 祝辞             来会者総代
 謝辞             青淵先生
 閉会の辞           阪谷芳郎君
        以上


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(控) 拝啓、時下益御清適賀上候、然ば先生には過般来御病気に被為在候処最早御快癒被遊候段…】(DK430031k-0017)
第43巻 p.268 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(控)
拝啓、時下益御清適賀上候、然ば先生には過般来御病気に被為在候処最早御快癒被遊候段、生等会員一同の 《(抃)》舞に堪えざる処に御座候、就ては本月廿九日午後三時半帝国ホテルに賁臨を仰きて先生の米寿祝賀式を挙行仕度候間、何卒御来駕賜はり度、此段奉願上候 敬具
  昭和三年九月十二日       竜門社理事長
                   男爵 阪谷芳郎
    青淵先生
    同令夫人
        侍史
   ○同日、同趣旨ノ案内状、同族宛ニ発セラレタリ。(「青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類」所綴ノ資料ニ拠ル)


青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【(印刷物) 拝啓益御清適賀上候、然ば青淵先生米寿祝賀会は先生御病気の為め延期致居候処…】(DK430031k-0018)
第43巻 p.268-269 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類       (財団法人竜門社所蔵)
(印刷物)
 - 第43巻 p.269 -ページ画像 
拝啓益御清適賀上候、然ば青淵先生米寿祝賀会は先生御病気の為め延期致居候処最早御全快相成候間、本月二十九日(土曜日)午後三時三十分より東京市麹町区内山下町帝国ホテル(入口北側)に於て左記の通挙行致候に付、万障御差繰御来会被下度此段御案内申上候 敬具
  昭和三年九月十二日
              竜門社理事長男爵阪谷芳郎
    会員各位
      追申
  一、当日は会費として特別会員諸君は金拾円通常会員諸君は金五円御持参被下度候
  二、御来否共同封葉書にて来二十五日迄に御一報願上候
    祝賀会の順序○略ス


竜門雑誌 第四八一号・第一―一八頁 昭和三年一〇月 青淵先生米寿祝賀会(本社挙行)(DK430031k-0019)
第43巻 p.269-282 ページ画像

竜門雑誌 第四八一号・第一―一八頁 昭和三年一〇月
    青淵先生米寿祝賀会
          (本社挙行)
 九月廿九日午後四時である。帝国ホテル演芸場のシートを埋めた六百の会員は等しく、輝き初めた電灯に映ゆる正面の萌黄の幕を注視する。嵐の前に似た静寂が場を圧する。
 鈴の音が強く響き渡る。稍暫し、音もなく幕は左右に開かれる。青淵先生並に同令夫人を中心にして、先生の左へ渋沢篤二氏・穂積御母堂・渋沢武之助氏・明石照男氏・同令夫人・渋沢秀雄氏、又先生令夫人の右へ渋沢敬三氏・阪谷男爵夫人・渋沢正雄氏・同令夫人・穂積男爵・同夫人の順に威儀を正した姿が、漸次繰り拡げられる。バツクは上と左右を浅黄幕で仕切り、中央、先生の後に金屏風燦と輝く。先生の前には稍大形の卓子が置かれ、下手寄りに理事長阪谷男爵、評議員会長佐々木勇之助氏が椅子による。増田常務理事が補佐として其後に立つて居る。
 どよめきの静まる頃、阪谷理事長起つて「只今より我竜門社の青淵先生米寿祝賀会を開催致します。諸君も御承知の通り、今春催す予定でありましたけれども、先生の御病気の為め延期致しましたが、玆に芽出度祝賀の式を挙げることになつたのは、御一同と共に慶賀に堪へない次第で御座います」と開会を宣し、続て「それではこれから始めます。評議員会長の祝賀文朗読」と陳べる。代つて佐々木勇之助氏舞台中央に近く進み、斜に先生に向つて立つ。
 「青淵先生並に令夫人、来賓の皆様、会員諸君。今日竜門社で青淵先生の米寿を御祝ひ申上げるに当りまして、私が祝賀文を朗読致すことになりましたのは、光栄の至りであります。甚だ僭越で御座いますが、これから朗読致します」
と述べて、巻物仕立の祝賀文を朗読する。
 「維時昭和三年九月二十九日、竜門社会員一同ハ」、と始める。フラツユの光、フラツシユの音。
 「常ニ師表トシテ尊崇スル青淵渋沢先生ノ米寿ニ躋ラレタルヲ祝セン為メ、本日ノ佳辰ヲ卜シテ頌寿ノ典ヲ挙ケ、虔デ賀章ヲ奉ル。
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  謹デ惟ルニ、先生ノ徳業ハ明治・大正・昭和ノ三代ニ亘リテ、国運ノ発展ト共ニ陸離タル光彩ヲ放テリ。蓋シ先生一代ノ経歴ハ、凡ソ之ヲ五期ニ分ツコトヲ得ベシ。即チ先生ガ壮年ヨリ還暦ニ至ル間ノ一期ハ、我ガ実業界ニ於ケル各種事業ノ創始者ニシテ、諸般ノ施設、一ニ先生ノ指導誘掖ニ俟タザルモノナカリシハ、青淵先生六十年史之ヲ記シテ明カナリ。還暦ヨリ古稀ニ至ルノ一期ハ、各般ノ事業及公益ノ為メニ尽力セラレタル時代ニシテ、其赫々タル光輝ト偉大ナル成果トハ、青淵先生七十寿祝賀記念号之ヲ語リテ詳カナリ。古稀ヨリ喜寿ニ至ルノ一期ハ、社会改良・感化救済・教育・宗教及国際平和等ノ方面ニ精力ヲ傾注セラレ、就中日米親善ノ為メ大ニ其力ヲ致シ、以テ国民外交ノ範ヲ示サレタリ。喜寿ヨリ八十寿ニ至ルノ一期ハ、先生ガ全ク方向ヲ転換シテ、其創立以来主宰セル第一銀行ノ頭取ヲモ辞シ、実業界ヨリ引退シテ、一層身ヲ社会公共的事業ニ委ネラレタル時代ニシテ、専ラ意ヲ労資ノ協調ト国交ノ親善トニ注ギ、併セテ教育・学術・思想・宗教・慈善・救済、其他百般ノ公益事業ニ尽瘁セラレタリ。而シテ八十寿ヨリ現今ニ至ルノ一期ハ、概ネ前期ノ事業ヲ継続シテ、之ガ恢弘完成ニ努力セラレツヽアリ、此期間ニハ、之ヲ内ニシテハ関東大震災ノ如キ非常ノ災害アリ、之ヲ外ニシテハ米国ノ我ガ移民排斥問題等アリテ、経済上・国交上、甚ダ多事ナリシヲ以テ、此間ニ於ケル先生ノ辛苦憂苦ハ蓋シ容易ナラザルモノアリシナラン。然レドモ先生ハ常ニ其愛国的至誠ト、世界的識見ト、博愛仁慈ノ温情トヲ以テ之ニ処シ、或ハ大震災善後会ノ施設ニ参画シ、或ハ米国ノ移民法ノ公平ナラザルヲ指摘シテ其反省ヲ促ス等、国家ノ福祉ト世界ノ平和トノ為メニ力ヲ竭サレタリ。
  之ヲ要スルニ、先生ノ事蹟ハ斯ク五期ニ分レテ、前後其方面ヲ異ニセルガ如キモ、其尽サレタル精神ト至誠トニ至リテハ、終始一貫シテ渝ル所ナク、一ニ国利民福ノ増進ヲ念トセラレタリ。是ヲ以テ先生ノ声望ハ日ニ益々隆ニシテ、苟モ国家ノ経済及ビ産業ニ関スル重事ハ、官トナク民トナク、先生ノ高慮ヲ煩ハシ、先生ノ示教ヲ仰ガザルモノナシ。
  今ヤ先生米寿ノ高齢ニ躋ラレタルモ、尚ホ矍鑠トシテ意気毫モ衰ヘズ、日夜其絶倫ノ精力ヲ傾ケテ事ニ当リ、孜々トシテ倦ムコトヲ知ラズ、偏ニ国家ノ福利ト社会ノ安寧トヲ企図セラルヽ高義ニ至リテハ、朝野内外ノ斉シク欽慕シテ已マザル所ナリ。
  嗚呼先生徳一世ヲ被ヒ、位高ク、望重ク、寿ニシテ康、家門繁栄シテ百福並ビ臻ル。孔子曰ク、大徳ハ必ズ其位ヲ得、必ズ其禄ヲ得、必ズ其名ヲ得、必ズ其寿ヲ得ト。聖訓我ヲ欺カズ、洵ニ国家ノ慶幸ト謂フベキナリ。
  玆ニ寿觴ヲ献ズルニ当リ、幸ニ先生ガ平素信奉セラルヽ論語ノ斯文会ニ於テ国訳セラレタルモノアルヲ聞キ、同会ニ乞ヒテ之ヲ印行シ、特ニ本社ニ於テ編輯シタル青淵先生訓話集並ニ銀製文鎮ト共ニ之ヲ先生ニ捧呈シ、且記念トシテ、此国訳論語ヲ遍ク全国二万一千有余ノ小学校ニ寄贈シ、又斯文会訓点ノ論語ヲ、六百余ノ師範学校中学校ニ寄贈シ、以テ先生ノ常ニ唱道セラルヽ道徳経済合一説ヲ普
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及スルノ一助タラシメントス。冀クハ先生益々加餐自愛シテ、大椿ノ寿ヲ享受セラレンコトヲ。之ヲ以テ祝辞トナス。
              竜門社会員総代 佐々木勇之助
 喝采が湧く。聢かりした音声である。謹厳な態度である。阪谷男爵代つて「それでは記念品の捧呈」と宣する。
 佐々木さんと増田氏で長い祝賀文を巻いて居る。私語、咳の音が極めて低く其所此所に聞える。
 佐々木さんが三宝にのせて記念品(青淵先生訓話集一冊、銀製文鎮一個、訓点論語一冊、国訳論語一冊、同袖珍一冊)と祝賀文を捧呈する。先生は直ちに起つて受けられ、目録を開いて見られる。佐々木さんが席に復ると、青淵先生が舞台中央に出られた。堂を揺がす拍手喝采が起る。
  「理事長、評議員長、竜門社会員の皆様に一言の御礼を申上げます。殆ど感極つて御礼を申上げるに言葉が無いと云ふ外は御座いませぬ。或時には長生をしたればこそ、こんな有様を見るとか、こんな鬱陶しいことを聞くとか申します。成べく愚痴を言はずに世の中を過したいと思ひつゝも、或る機会には左様な感想を起すことが、世の人々にもありませうが私も矢張左様云ふことがあります。」
フラツシユの光頻りに閃く。
  「然し本夕の如き時機に出会いますと、それこそ長生はすべきものだ、真に生きて居ればこそ斯かる心地好い、名誉と申してよいか光栄と申してよいか、かくの如き祝賀を受けることが出来ると思ひます。而して此お集りの皆様の如く同じ方面に在つて、世の中の為め社会の為に尽しつゝある方々から、祝ふていただくと云ふのは、年取つたればこそでございます。
  只今評議員長の御朗読の如き、多少誇張の嫌ひがありはしまいかと思ひますが、大体に於て私の経過を述べられたやうに拝しまして有難く之を拝受致しました。
  竜門社の起りは、特に私が或る学説若くは事業に就て企てたと云ふのではございませぬ。社名の如きも故尾高藍香先生が鯉魚竜門に登れば化して竜となる云ふ句、又李白の韓荊州に与ふる書の一登竜門則声価十倍と云ふ句から、命けたやうに記憶致しましす。蓋し明治十六・七年頃の事でありつらうと存じます。其時日はハツキリ覚えませぬから、朧気に申す外ありませぬ。其時分には私が深川に住つて居りましたので、深川の私の宅に居た学生諸君が主なる中心になつて出来たと思ひます。其後次第に増大し、又増大すると共に改善進歩が加りまして、遂に今日あるに至つたのでございます。
  只今私の事蹟に就いてお述べ下さつた廉々の中にも、斯かる方面に力を尽した、斯かる事に努力したと云ふ御賞讚を受けましたけれども、過当の点が多いので御座いますが、多少の尽力をした事もありますので、思ひ出すことがないでもないのであります。私が道徳経済合一論を申して居りますが、蓋し是は私の口から出るものゝ、実は竜門社の主義だと申しても、決して私は誇大の言葉ではないと思ひます。どうも経済を後にすると、決して事業の真正の発達はあ
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りませぬ。さらばと云うて、経済のみに依ると、換言すれば、苟も利を先にして義を後にすると、孟子が梁の恵王に答へたやうに、奪はずんば圧かず、と云ふやうな有様に至ることは、古今東西其例が甚だ多いのであります。故にどうしても経済を専らにすると同時に其経済を道理に合するやうにせねばなりませぬ。即ち道徳経済合一と云ふ言葉は、現に満場の諸君――竜門社の敢て専売とまで言ひますと、少しく過当の申分になるかも知れませぬが、吾々の常に行ひ得る事だと申しても、決して社会に対して過言ではなからうと思ふのでございます。何となれば、今日斯様に御賞讚を受けますのも、詰り申すと、仮に渋沢が竜門社の起る時分に稍々先輩位置に居つた為に、竜門社の受くべき所を、渋沢に与へられるのである。今日の幸福も全く、私に無理にお与下さつたやうなものであるから、私は諸君の為に御礼を申すとまで申したい位でございます。前にも申しました通り、実に感極つて謝辞を述べるの言葉を見出しませぬのでありますが、四十有余年の歳月に、段々に事が進んで参つて、今評議員長からお述になりました如く、竜門社の盛大になつたことを知りましたのは、何たる愉快でございませう。」
又してもフラシユの音が断続する。
 「殊に私の米寿を祝ふて下さるに付て記念として、私の尊崇する論語の国訳を発刊され、又私の主義として居る所を明かにせられたのは、真に有り難いのであります。皆様が斯様にして下されたことに対して、私が御礼を申上げる言葉としては、自身の働きではない、諸君が竜門社をして斯くの如く進め、竜門社の行動をして斯くの如く意義あるものにした、それを私をして仮に代表位置に御立て下さり、私は之を誇とするのであると、斯う解釈して、此喜びを受けるように致します。之を以て答辞と致します」
拍手喝采。フラツシユの音頻り。阪谷男爵代つて中央に出で
 「之で芽出度く式を終りました。次に余興でありますが、それまで三十分程時間がありますから、御自由に御休憩なさるように願ひます」
と宜し、会衆やゝざわめく。其間に青淵先生を先頭に舞台の人々休憩室へ引上げる。
 薄暗い観覧席や、廊下などに三々五々談笑の声を挙げて居る。植村澄三郎氏が病後の身を努めて居る。大橋新太郎氏が悦に入つて居る。浅野さんが白髪を振り立てゝ頻りに弁じて居る。藤山雷太氏が年には見えぬ脂切つた顔で睥睨して居る。古河男爵の端麗な姿が目立つ。諸井さんが光輝粲然と異彩放つて居る。大川さんがいとゞ目を細くして居る。珍らしく木村清四郎さんが腰を落付けて成瀬隆蔵氏と話し込んで居る。星野錫氏が偉大な身体を持ち扱つて居る。高根義人さんが病後と見えぬ元気な顔をして、石井さんと話して居る。鈴が長く響き渡る。騒音は鳥渡ひるんだが、更に又勢を加へる。中央後寄りのテープで囲つたシートを避けて、各自坐席につく。
 青淵先生其他が一同レザーヴ・シートにつかれる。待ち設けたやうに幕はスルスルと開いた。
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 笛の音が騒音を圧して響く、次で鼓の張りきつた音が聞える。喜多流「橋弁慶」が始まるのである。流石日本一の囃方である。実に心地よい限りである。牛若丸と弁慶の出合は絵のやうで美しい。
 代つて狂言「末広」である。野村万斎氏の幅のある声が痛快である「人もさすなら、われも傘をさそよう」の所は面白かつた。とぼけた引込みも愉快であつた。
 直ちに宴会に移るのであるが、途中中二階とも云ふべき所に、青淵先生と令夫人が椅子によつて居られる。恰もバンケツトへの途中であるから、会員一同挨拶をして行く、六百に近い会衆である。先生も容易でない。十五分近くを立ちつくされる。
 愈宴会である。バンケツトを両袖まで入れての大宴会である。献立を記して置かう。
 一、クリームスープ
 一、伊勢海老      マヨネーズ・ソース
 一、ブレーゼビーフ   マデラソース
 一、鶏肉ロースト    フライポテト
 一、サラド
 一、プデイング
 一、果実        コーヒー
と云ふ訳である。大勢の割にサーヴイスも悪くなかつた。
デザート・コースに入ると、トースト・マスターたる阪谷理事長は起つた。
 「今夕は我が竜門社の最も深い御恩を蒙つて居るところの、渋沢青淵先生の米寿――実は先生はもう八十九でゐらせられるのですから米寿は一年過ぎて居りますが、御諒闇の都合で今年になつたのであります。其賀宴を催しますに付きまして、御案内申上げましたところが、青淵先生及び令夫人並に御一門の皆様方、又竜門社会員諸君六百名の多き、御繰合せの上御出席を戴きましたことは、先生に於ても御満足でございませうが、此会を催しました幹部一同、非常に喜んで居る次第であります。厚く御礼を申上げます。還暦の祝ひ、喜の字の祝ひ、又米の祝ひ、是までは私は記憶致して居りますけれども、是から先はどう云ふ祝ひがあるか知りませぬ。蓋し其祝ひの名前を覚えて居る人は少いでせう。米寿と云ふことは余程芽出たい人世の最も芽出たいことゝ思ふのであります。前申しました通り、今夕六百余名の多数出席せられまして、而も東京ばかりでなく、全国各地から態々御上京の方々も多いのであります。此点に付いて幹部一同深く感佩致して居ります。重ねて玆にお礼を申上げて置く次第であります。今夕は余りにお客様が多いからと云ふてそれを以て申訳にする訳ではございませぬが、実は東京でも是だけのお客を致しますることは中々骨が折れます。幸に帝国ホテルがあるからやつと間に合つた位でございます。それは兎に角幹部の者が甚だ不行届の為に、お席次其外万事礼を欠くことが尠からぬことと存じます。是は幹部一同に代りまして、只管お詫を申上げて置きます。然し是も青淵先生の徳の高く、来会諸君が斯く多い為に已むを得ざること
 - 第43巻 p.274 -ページ画像 
と思ひますから、其失礼は却つて先生にお祝ひを申上げる所以かと存じます。何卒御諒承願ひたいと思ひます。本社会員として最も古き御一人である大橋新太郎君に於て、来会諸君を代表して御祝辞を願ひたいのであります。」
拍手盛に起る。
 「それから会員中青淵先生に次いでの年長者である浅野翁に万歳の発声を願ひたいと思ひます」
一同拍手を以て賛意を表す。
大橋氏が立つた。思ひの外に徹る声である。
  「只今阪谷男爵より、今夕の来会者諸君を代表しまして、自分より祝辞を申上げると云ふ役目を仰付けられました。甚だ光栄ではありますけれども、私より遥に先輩の諸君が多いにも拘らず、私が皆さんの代表の意味で、御祝辞を申上げると云ふのは甚だ恐縮の次第でありますが、お許しを受けまして一言祝辞を申上げます。」
拍手起る。
  「青淵先生は皆様御承知の通り、天保十一年二月に御誕生遊ばされたのであります。天保十一年は今日手帳を見まして、偶然にも日本帝国の紀元二千五百年に相当することを知つたのであります。吾吾実業界に於きまして最近第一銀行が創立五十年を記念しました。又青淵先生の均しく御指導になりました王子製紙会社が、五十年の記念会を催しました。それに明日は矢張是も青淵先生が創立当時より非常に御関係がありました東京株式取引所に於て、五十年の祝賀会を開きます。五十年と云ふ年は、矢張民間の実業会社は之を記念として祝賀会を開きます。其五十年を五十重ねました丁度日本帝国の紀元二千五百年に青淵先生は御誕生遊ばされたのでございます。更に其の日本帝国の紀元二千五百年に八十八の米寿を加へました、二千五百八十八年は本年でございます。本年は丁度紀元二千五百八十八年、玆に而も青淵先生の米寿の祝賀会を開きますと云ふ事は、数の上から言ひましても何か不思議の様な感が致すのであります。
  青淵先生の御一代の履歴に付きましては、先刻佐々木評議員長からも詳しいお話がありました通り、日本の実業界の有ゆる方面に尽されました。金融界と云ひ、経済界と云ひ、其他百般の事業に、青淵先生のやうな御功績のあつたお方は、将来はいざ知らず、私は此大日本紀元二千五百八十八年の、今日迄の過去に於てはないやうに存じます。又実業界以外の一般社会公共の事に対しまして、市民としても国民としても、青淵先生程長い間国家社会の為に御尽瘁下すつたお方は是亦私は既往に殆ど其例を見ないやうに思ひます。今春以来の御病気に付ては唯々非常に御心配致しましたが、此の祝賀会の本日、八十九歳の御高齢にも拘らず、御健康の体を諸君と共に拝し得ましたのは、是亦皆さんと共に大に祝賀しなければならぬと思ひます。吾々は青淵先生の益々御自愛下さいまして、百歳の寿を又此会に於てお祝申上げる機会を、お与へ下さいますことを偏にお願ひ致します。甚だ簡単でありますが、一言祝辞を申上ます。」
拍手の裡に浅野翁起つ。
 - 第43巻 p.275 -ページ画像 
  「どうも皆さん、今日は子爵の八十八歳のお祝ひで、私共も喜んでお招を蒙りまして、皆さんと共に玆に御健康なるお顔を拝見して誠に喜ばしいことでございます。然し私はもう少し慾張つて居りまして八十八歳と仰しやるのは長いやうでありますが、どうかせめて天海僧正のやうに百二十六歳まではお生きになることを私は祈つて万事の御尽力に預つて、どうか私も、お伴をして行きたいと思ひます。」
笑声と共に拍手起る。
  「私に此処では子爵に次いで貴様が一番年が上だからと仰しやるけれども、未だ漸く八十一になつたばかりで、老人呼ばりをされるのは、私から申しますと少し早いやうであります。然しながら明治五・六年の頃から渋沢さんのお顔を拝して居ります。私が王子製紙会社へ石炭を売りに行きましてシャベルを使つて人足と共に働いて居る所をお認め下さいまして、彼奴は働くから折があつたら己れの所へ遊びに来いと云はれたと云ふことを、谷敬三と云ふ人から聞きました。それから御伺ひしましたが、もう五十六年になると思ひますが、此中には五十六年のお方はたんとないやうに思ひますから、昔の話を致します。斯様な次第でありますから、五十六年間誠に昨日のやうに思ふて日を暮して居ます。四・五日前もお邸に行きまして、どうも大分御元気ださうですねと申しましたら、大分元気だ、お前は何時会つても若い時のやうに元気で結構だ、近頃は修養団に大分尽力をするさうだと云はれる。修養団は私が好きな愛と汗でやりますから大にやつて居ります。東洋汽船を罷めましたから、時が余つてしやうがない、それで方々奔走して歩きます。どうか貴方も御健康でせめて百二十六歳まで御元気でゐらつしやることを願ひたいと申しました。今日のお祝ひのことも能く承知して居りますが、私は是は中祝ひだと思ひます。八十八歳の中祝ひ。百二十六歳になつたならば、本当の長生のお祝ひを申上げたいと思ひますが、然しまあ八十八歳でもお芽出たいことでございますから、私は皆さんと共に万歳をやりたいと思ひます。其代りに八十一の奴が万歳を唱へるのでありますから、貴方がたも必ず八十一まではお付合ひを願ひます。子爵の年まで生きられゝば是亦誠に満足でございますが、兎も角も八十一の音頭取で一つ皆様お付合を願ひます。万歳!」
一同唱和、乾杯。
青淵先生は欣然起たれた。喝采堂を揺がす許り。稍々静まるを待つて徐に挨拶せらる。
  「重ね重ね盛大なる宴席にお招を戴きましたことを此上もない光栄と存じます。大橋君より意味ある御祝辞を戴き、又浅野御老人から――と申したら或はお叱を受けるかも知れませぬが、八十以上は私も老と言はれた為に無理に老を附けて申しますが、頗る興味ある御祝辞を戴いたことは、最も嬉しく存じます。
  実は私の今日あるのを考へますと、感慨無量でございます。或は家を出ました時の観念であつたならば、結局実業界の人でなかつたかも知れませぬ。寧ろ早く死んだかも知れませぬ。丁度偶然にも世
 - 第43巻 p.276 -ページ画像 
の中の変化と云ふか、時の廻り合せと云ふか、京都に行かなければならぬやうな境遇になつた為に変つた思案が生じ、平凡ながらも実業界に入り、遂に八十九を迎へるやうに相成つたのでございます。人の世に立つ有様と云ふものは、妙な変化があるものでございます故郷を出発する頃ほひの考は、寧ろ実業界と言はず、仮令微力ながらも政治界に何か働きをしたい、と云ふ考を持つて居りましたが、丁度二十八の時に仏蘭西に参りました。其留守に日本の将軍政治は止んで王政に恢復し、所謂維新がありました。帰つて参つた時に其有様に感じて、是は私共風情が斯様な時勢に遭遇した以上、政治界に名を成すなどと云ふことは、寧ろ其益が無いのみならず、或は害があるかも知れぬ。さりながら家を出たからには、唯此儘では家へも帰れぬ。何をしたら宜からうかと云ふと、どうか此社会の為めに幾らかの効果を収めたい。丁度僅か一年ばかり見て来た海外の模様も全く日本の状態と違つた所があつたものですから、所謂今の言葉で謂ふ実業界、其頃の商工業の有様を変化させることが、微力ながら或は出来はすまいかと感じたのが、斯の如く今日皆様方とお親みを厚くし、且又御賞讚を受け得るやうになつた所以であります。然し自身の力、自身の能力が何もないものですから、従て甚だ効果はございませぬけれども、唯其一部を申上げますれば、実業界の有様を政治界・学問界と稍々親しう結付けるやうにしたと云ふ点に、或は幾らか与つて力ありとのお許を得ることが、出来はせぬかと思ふのでございます。是れ以て唯思ふだけであつて、充分な方法を講ずるとか、充分の知識を以てやると云ふことではないものですから、総て至らぬ勝でございます。然し斯う申しますと甚だ僭越な口上になりますが、竜門社が斯の如く盛に皆様お集りになつて、且つ重要なことは此仲間で総て世話をして行けるやうになつたと云ふに付ては、憚りながら私共が、幾らか其素地を造つたと申上げても、決し過言ではなからうと思ひます。皆様方の如き多数の有為なお方の出たのは、吾々の幾らか微力を尽した効能であると、斯う考へますと甚だ皆様の働きを我手柄にする、俗に申す他人の褌でございますけれども、併し是は決して事実でないとは申されないだらうと思ひます。
  浅野さんは百二十六まで生きろと仰しやるが、私は百二十六よりも更に進んで生きたうございますけれども、然しどうも近頃老衰の兆至れりと感ぜざるを得ぬのであります。然し生命は幾つでも宜いと致しませう。人世百に満たず、常に抱く千歳の憂と云ふ句があります。必ず限りのないもので、幾ら生きても是で宜いと云ふことはない。又早く死んだからとて、長く生きると同様の効能のある人もあります。例へば楠公は五百年前逝かれたが、今日其精神が活きて居るとすれば、決して生命が短いとは言はれぬと思ひます。斯く申すと何だか八十八を祝ふことが無意味のやうに聞えるかも知れませぬけれども、然しそれは必ずしも左様云ふ意味でないと云ふことは皆様御了解のことゝ思ひます。
  どの道今日の有様を進めて行く、と云ふことに付ては、此竜門社
 - 第43巻 p.277 -ページ画像 
の諸君などが、自ら大に任じて、行かければならぬと、私は思ふのであります。其進めて行くに付て、最も注意せねばならぬことは、――近頃私が頻に心配しつゝありますのは――所謂道徳経済合一論の行はれぬことでございます。果して何処に斯う云ふ事があつた、どの社会が斯様だと云ふやうな例証を挙げて申述べることは、避けますけれども、然しお考へ下さつたら蓋し思ひ半ばに過ぎるだらうと思ひます。要するに私は、道徳と経済が一致せぬのが原因でないかと思ふのでございます。竜門社は前に申します通り、大なる力を持ち、大なる働きを為し得るのでありますから、此力に依つて若し憂ふべき事があるならば――之を改善することは、御同様の力と申すことは僭越でございますが、望むらくは皆様竜門社会員の御丹誠に俟ちたいと思ふのでございます。斯の如きお祝を戴く席に於て、何か未来を懸念するやうなことを申上げますのは、甚だ場所柄に不似合な口上でございますが、斯く多数の諸君がお集りになるのは珍しからうと思ひますから、敢て此場合に申上げたのでございます。又時勢が斯くならうと云ふことは、お互に考へて居ることでありますから、斯く申すのも、蓋し決して無用の言ではなからうと思ひます。果して然らば、お礼の為に唯有難いと申上げるよりは、お互に大に努力せねばならぬと申上げる方が、適当かと思ふのでございます。誠に斯くお祝ひ下さるに対して、何か憂を含んだやうなことを申上げますのは、場所柄に不似合な、当を失した陳上に当るかも知れませぬが、常に憂へて居ることは或る機会には発するのが、申さば私の癖でございますので、どうか此八十九まで継続した癖を御諒恕下さつて、之を以て御礼の言葉と御承知あるよう願ひたいのでございます。」
拍手喝采雷の如し。阪谷男爵起つて閉宴の辞を述べる。
  「今夕は大橋・浅野老人――と云ふと又お叱もございませうが、――両君が皆様に代つて、御祝辞をお述べ下さいました。又青淵先生より御答辞をお述べ下さいまして、謹で拝聴しました。道徳経済合一のことを忘れるなと云ふお示しは、深く承りました。一同の者が子々孫々まで忘れぬやうに致します。但し私は一言附加へたいと思ひます。私は青淵先生の道徳経済合一論を屡々聴きました。其時分には政治界の方に居りましたが、稍々安心して聴いて居つたのでございます。今日になりまして、青淵先生の道徳経済合一論を承りますと云ふと、少しく政治道徳合一論を唱へなければならぬ時期が来たやうに考へます。是は即ち非常なる世の変遷であらうと思ひます。青淵先生が道徳経済合一論を唱へられました時分には、商売人には殆ど道徳なしと云ふやうな時代でありましたから、此議論が発したのであります。其時分には先づ政治家と云ふものには道徳なるものがあつた。又あらねばならなかつたのであります。近来の有様選挙の場合に於ける政治家の行動、又市会議員の行動、苟も政治に携はる者に果して道徳ありや否や。是は青淵先生に何としても長生をして戴いて、更に政治と道徳の合一を図ることに、お骨折を願はなければならぬと思ふのでありまして、旁々益々青淵先生の御寿命
 - 第43巻 p.278 -ページ画像 
の長久ならむことを、諸君と共に祈りたいと思ひます。是で今日の宴会を終ります。」
拍手終るを待つて青淵先生は令夫人と共に退出せられ一同起立して送る。かくて散会したのは午后九時であつた。因に当日の出席会員氏名は左の如くである。
                         (イロハ順)
 井上徳治郎   井上勝治    井田英一
 井田善之助   井出源治    伊藤半次郎
 伊藤長次郎   伊藤美太郎   伊藤富蔵
 伊藤昇七    飯塚八平    飯野浩次
 犬丸徹三    犬丸鉄太郎   岩崎直樹
 岩崎寅作    岩垂梅四郎   今井又治郎
 今井勝弥    今泉嘉一郎   池田嘉吉
 池田朝次郎   石井健吾    石井祐斎
 石井信太郎   石井重克    石川道正
 石川一郎    石川二三    石川二郎
 石川茂     石田友三郎   石田千尋
 石田豊太郎   石坂泰三    入江銀吉
 五十嵐与七   五十嵐小太郎  猪飼正雄
 磯野達一郎   磯部亥助    磯村十郎
 稲本誠之助   泉二郎     服部金太郎
 原胤昭     原泰一     原田松茂
 早川素彦    林武平     林弥一郎
 林正道     林友吉     林興子
 長谷川粂蔵   長谷川太郎吉  長谷井千代松
 伴五百彦    萩原英一    橋本梅太郎
 橋本鉄吉    馬杉秀     馬場緑二
 波江野武雄   二宮行雄    二宮正幸
 西酉乙     西田敬止    西村直
 西村暁     西村道彦    西村好時
 西野恵之助   西尾豊     西谷常太郎
 西潟義雄    新美節     穂積律之助
 堀井卯之助   堀井武     堀内明三郎
 堀田金四郎   堀越善重郎   星野錫
 本田竜二    細貝正邦    土岐僙
 土肥脩策    土肥東一郎   豊田春雄
 利倉久吉    戸村理順    戸木信佳
 鳥居塚清    富永直三郎   苫米地義三
 友野茂三郎   斗ケ沢純也   小田精吉
 小田川全之   小川鉄五郎   小川金松
 小倉常吉    小倉房蔵    小倉槌之助
 小平儀平    小畑久五郎   尾高豊作
 尾高浩一    織田磯三郎   大原万寿雄
 大橋新太郎   大橋進一    大橋光吉
 - 第43巻 p.279 -ページ画像 
 大橋悌     大西卯雄    大川平三郎
 大川英太郎   大河原源五郎  男爵大倉喜七郎
 大友幸助    大塚直次郎   大塚四郎
 大塚四郎    大沢佳郎    大山昇平
 大木忠三郎   大木操     大島茂七
 大島勝次郎   大島英二    大島正雄
 大本計吉    大久保泰    大津俊一郎
 大浦佐     岡原重蔵    岡田元茂
 岡田能吉    岡田純夫    岡崎寿市
 岡本儀兵衛   岡本五郎    荻野正孝
 落合太一郎   渡辺得男    渡辺雄馬
 渡辺保     渡辺一郎    渡辺轍
 渡辺忠夫    脇田勇     和田義正
 和田巳之助   和合英太郎   加藤為二郎
 加藤右二    加賀太真一   鹿島精一
 鹿島新吉    鹿沼良三    川田鉄弥
 川村桃吾    川口一     川口寛三
 川島良太郎   川瀬雅男    金子喜代太
 金子四郎    金子吉弥    金谷藤次郎
 金沢弘     片野滋穂    片岡隆起
 片倉正顕    笠原厚吉    笠原逸二
 笠原孝三郎   亀島豊治    神谷十松
 柏原与次郎   角地藤太郎   書上庸蔵
 書上安吉    上条憲治    上浜誠
 鎌田繁治    唐沢孝雄    米倉嘉兵衛
 米沢靖     米谷吉五郎   横山徳太郎
 横山正吉    横山虎雄    吉岡堅太郎
 吉岡義二    吉岡慎一郎   吉田芳太郎
 吉田庄五郎   吉野千代吉   田中一馬
 田中太郎    田中楳吉    田中栄八郎
 田中二郎    田所義一    田島順三
 田幡鉄太郎   多賀義三郎   多々辰雄
 俵田勝彦    高井栄之助   高橋義夫
 高橋俊太郎   高橋静次郎   高橋毅一
 高田利吉    高山慥爾    高松豊吉
 高木瞬造    高広次平    高瀬荘太郎
 玉井周吉    玉木泰次郎   竹村利三郎
 竹内善造    竹内誠五郎   丹野元也
 大道寺忠雄   曾和嘉一郎   曾志崎誠二
 塘茂太郎    坪谷善四郎   鶴田伊作
 辻友親     根本源一    成瀬隆蔵
 中正一郎    中井一夫    中井三之助
 中田清兵衛   仲田慶三郎   中村鎌雄
 中村与資平   中村新太郎   中村松太郎
 - 第43巻 p.280 -ページ画像 
 中西善次郎   中西三七    中山正則
 中間高州    中島外吉    中野時之
 永井岩吉    長井喜平    永田甚之助
 永野護     長島隆二    内藤太兵衛
 内藤種太郎   武藤忠義    村上外次郎
 村上義諦    村上敏郎    村木善太郎
 村山太三郎   村沢弥三兵衛  向原太平次
 宇賀神万助   宇野武     内山吉五郎
 内山正七    内海盛重    浦田治雄
 上田光郎    上野政雄    植村澄三郎
 植村金吾    梅沢慎六    生方裕三
 瓜生喜三郎   野口半之助   野口弥三
 野口弘毅    野口米次郎   野崎広太
 野島秀吉    野治義男    野治忠直
 信原義夫    黒田義男    黒沢源七
 栗原鷹丸    栗林仙太郎   栗田金太郎
 久保田録太郎  国井岩二郎   国枝寿賀次
 桑村邦四郎   桑原玄一    熊井嘉一
 紅林英一    八十島樹次郎  八十島親義
 八木仙吉    矢野由次郎   矢野義弓
 矢板玄蕃    矢島潤式    矢島録三
 簗田𨥆次郎   山田敏行    山中譲三
 山村米次郎   山口荘吉    山口荘一
 山下亀三郎   山下近重    山下三郎
 山本徳尚    山本久三郎   山本栄男
 山本留次    山本鶴松    山本繁松
 山本幸児    安田久之助   安原孝次
 柳井信治    大和金太郎   間崎道知
 馬瀬清三郎   馬淵友直    松井万緑
 松谷謐三郎   松本常三郎   松本守一
 松村菊勇    松村修一郎   松崎善二
 前原厳太郎   前川益以    前島東造
 増田明六    正木富士三郎  万代重昌
 藤井甚太郎   藤田好三郎   藤田英治郎
 藤村義苗    藤山雷太    藤巻弓雄
 藤木男梢    福田盛作    福田茂
 福島甲子三   福島繁三郎   福島三郎四郎
 福本初太郎   古田錞治郎   古田元清
 男爵古河虎之助 二神駿吉    深井五郎
 小林武彦    小林武次郎   小林竹四郎
 小林徳太郎   小平省三    小平深
 小坂梅吉    小見波隆朔   小島幸三郎
 小島哲治    河野光雄    小寺敬孝
 国分平次郎   近藤竹太郎   近藤良顕
 - 第43巻 p.281 -ページ画像 
 後藤謙三    後藤捨夫    後久泰次郎
 菰淵三郎    籠山織三郎   江藤甚三郎
 江尻正一    江口定条    江口百太郎
 江馬覚之助   江守名彦    遠藤柳作
 手塚猛正    寺村邦衛    阿部吾市
 阿曾沼明    相沢才司    青木直治
 青木英作    青木寛     明吉富士男
 明楽辰吉    有川金吉    有田秀造
 赤羽克巳    赤松範一    赤沢素三
 赤山修三    赤荻誠     新井寛
 新井錠三    新井源水    荒井建三
 麻生正蔵    浅川真砂    浅野総一郎
 浅野泰治郎   浅木兵一    安達憲忠
 安東鼎     安念育美    甘泉豊郎
 秋谷元一    秋山一郎    粟飯原蔵
 粟生寿一郎   佐藤一雄    佐藤正美
 佐藤林蔵    佐治祐吉    佐郷栄一
 佐々木与一   佐々木清麿   佐々木哲亮
 佐々木勇之助  佐々木修二郎  佐々木三郎
 佐々木道雄   沢田信太郎   斎藤艮八
 斎藤福之助   斎藤峰三郎   斎藤精一
 斎藤三三    斎藤平治郎   斎藤亀之丞
 西園寺亀次郎  西園寺実    西条峰三郎
 坂田耐久    桜田助作    桜井寅之助
 桜井清     桜井武夫    真田孝太
 三宮五郎    三瓶覚     酒井正吉
 酒井杏之助   迫本実     木津太郎平
 大村雄次    木村弘蔵    木村清四郎
 木村清五郎   木村弥七    木本倉二
 木島孝蔵    木下憲     北脇友吉
 菊池峻治    菊池金四郎   弓削清
 湯浅泉     三上参次    三上初太郎
 三沢英一    水野孝三    水島敏行
 南塚正一    宮栄      宮下清彦
 宮川敬三    宮田昇五郎   宮内実
 宮里仲太郎   宮崎吉雄    宮本武雄
 緑川洽     蓑田一耕    湊屋梅吉
 志田鉀太郎   清水釘吉    清水一雄
 清水百太郎   清水精二郎   清水康雄
 清水新平    清水保徳    白岩竜平
 白石喜太郎   白石甚兵衛   白石元治郎
 白石精一郎   白石徳三郎   白石万吉
 白石小磨三   守随真吾    柴田愛蔵
 柴田亀太郎   柴田兵二郎   芝崎徳之丞
 - 第43巻 p.282 -ページ画像 
 島原鉄三    島田貫一郎   島田誠太郎
 島田延太郎   渋沢義一    渋沢元治
 渋沢治太郎   渋谷澄     下野直太郎
 下川芳太郎   品川瀞     塩沢昌貞
 塩田和平    篠原三千郎   肥田英一
 平岡道雄    平形知一    平賀義典
 一柳嘉一郎   諸井恒平    諸井四郎
 諸井六郎    村田巽     森村謙三
 森岡平右衛門  森岡文二郎   森泰吉
 毛利泰三    村木良清    関根要八
 関口児玉輔   関比企郎    関益位
 瀬下清     瀬戸久三    瀬川太平次
 瀬名貞利    杉田富     杉田丑太郎
 鈴木実     鈴木紋次郎   鈴木善助
 鈴木源次    鈴木旭     鈴木美修
 鈴木良樹    鈴木重臣    鈴木勝



〔参考〕青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類 【青淵先生米寿祝賀会記念品残高表(昭和三年七月廿日)】(DK430031k-0020)
第43巻 p.282 ページ画像

青淵先生米寿祝賀ニ関スル書類      (財団法人竜門社所蔵)
        青淵先生米寿祝賀会記念品残高表(昭和三年七月廿日)明六

図表を画像で表示青淵先生米寿祝賀会記念品残高表

                                                                                     (太字ハ朱書)            受入      支出      〃         〃      〃      〃     〃       〃      〃      〃      〃    残 種目         製調部数    小学校行   中学校及師範学校行  会員行    評議員行  第一銀行行  斯文会行  実業家祝賀会行  御同族行  青淵先生其他行  納本 国訳論語       二四、三〇〇  二一、二九二     ―           ―   三〇      ―  一、二〇〇  一、〇〇〇     九     四        二   七六三 ポケツト型国訳論語   六、三〇〇       ―     ―       一、三五〇  八七四  一、四〇〇  一、二〇〇  一、〇〇〇     九     四        二   四六一 訓点論語        二、〇〇〇       ―   六八三           ―   一〇      ―      ―  一、〇〇〇     九     四        二   二九二 青淵先生訓話集     一、七〇〇       ―     ―       一、三五〇    ―      ―      ―      ―     九    三三        二   三〇六 記念文鎮        一、五一〇       ―     ―       一、三五〇    ―      ―      ―      ―     九     一        ―   一五〇 



   ○右ハ中間集計ニシテ、最終的数字ヲ明カニスル資料見当ラズ。
   ○国訳論語等ノ寄贈ニツイテハ、本資料第四十一巻所収「国訳論語」昭和三年五月六日ノ条参照。
   ○竜門雑誌青淵先生米寿祝賀記念号ニ関スル資料ハ第三部身辺「米寿」ノ項ニ収ム。
 - 第43巻 p.283 -ページ画像 


〔参考〕竜門雑誌 第四八二号・第九二頁昭和三年一一月 秋季会員総会見合せ(DK430031k-0021)
第43巻 p.283 ページ画像

竜門雑誌 第四八二号・第九二頁昭和三年一一月
 秋季会員総会見合せ 本月開催を常例とせる本社会員総会は、過般青淵先生の米寿祝賀会を挙行したるあり、且又別段会員に報告すべき重要なる事項も無之ため、九月廿五日の理事会及評議員会に於て、別項の如く本年は之を見合すことに決したり。
 本社理事会 九月廿五日午後四時三十分より東京銀行倶楽部に於て本社理事会を開く。阪谷理事長外理事三名出席し、左記事項を決議したり。
 一、入社申込者諾否の件

 一、本秋会員総会を開催せざる件