デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.421-422(DK430068k) ページ画像

明治43年6月19日(1910年)

是日栄一、来訪セル蓮沼門三等ニ援助ヲ約シ、当団機関誌「向上」ノ出版費補助トシテ金三十円ヲ寄付ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK430068k-0001)
第43巻 p.421 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
六月十九日 曇 冷
○上略朝飧ヲ食ス○中略修行団員蓮沼氏等来話《(マヽ)》ス○下略


向上 第三巻第六号・第二一頁明治四三年七月 ○熱誠なる尽力(DK430068k-0002)
第43巻 p.421-422 ページ画像

向上 第三巻第六号・第二一頁明治四三年七月
    ○熱誠なる尽力
一、渋沢男爵 六月十九日、蓮沼・加藤両氏は男爵を王子の別邸に訪ふ、男は本団の発展に心を注がること深ければ談は忽ち団の維持法発展策に及ぶ。蓄沼氏は団の現在の会計部の困難を説明し、尚本団
 - 第43巻 p.422 -ページ画像 
の将来につきて語りたりしかば、誓つて助力すべしと言はれたり。尚男は出版補足として、参拾円を送られたり。
○下略


向上 第三巻第六号・第一頁明治四三年七月 ○修養団維持の出来るやうに計らはう 本団顧問 渋沢栄一(DK430068k-0003)
第43巻 p.422 ページ画像

向上 第三巻第六号・第一頁明治四三年七月
    ○修養団維持の出来るやうに計らはう
                 本団顧問 渋沢栄一
蓮沼君の説明によつて、修養団の維持の困難なことは悉く解りました今までも「何とかしてかゝる真面目な精神的の団体をば発展させたいものだ」とは思つて居たが、何分多忙なもので遂に其儘に過ごして居たが、早速岡田さんと亀井さんに相談して、向上雑誌出版上に助力することにしませう。どうか日本全国の青年に真面目な精神を吹き込むやうにしたい。手島さんは「維持員をこしらへて、その人から維持費を出してもらふことにしたら宜からう」とのことであるが、それよりも私共の顧問と賛助員で骨折つても易々と出来ることゝ思ふ。しかしいくら尽力する人が多くとも差支へは無いので、金があればある程多くの活動が出来るわけである、どうか熱心にやつてもらいたい。



〔参考〕修養団三十年史 同団編輯部編 第五九―六〇頁昭和一一年一一月刊(DK430068k-0004)
第43巻 p.422 ページ画像

修養団三十年史 同団編輯部編 第五九―六〇頁昭和一一年一一月刊
○本篇 三十年史 一、創立の初期
    愛の天使
 四十一年三月、機関誌を発行することになり、幹事松本虎雄氏の発案で『向上』と命名した。
 麹町区飯田町に『向上』編輯所を設けた。斯うなるとこれが取締りをする人が必要となつた。
 折しも親友原惣知氏が大町糸子女史をすゝめて来た。女史の人となりを知る主幹は、非常に満足した。
 この頃、主幹を妄想狂と嘲り、山師と罵り、気狂ひと蔑む者、日と共に多く、四囲の情勢、主幹にとつて甚だ非なるものがあつた。
 この苦境を如何にかして切り開かんとする主幹を慰め励ましてくれたのは、実に女史の献身的真情であつた。
 女史は寝ても覚めても口に念仏の声を絶たず、疑はず、偽らず、徹頭徹尾親切であり、勤勉であつた。
 数多い来客や、同宿の学生達も、その天使の如き温容と誠心の流露する応待に接しては、常に明るい気分に更生するのであつた。