デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.698-707(DK440193k) ページ画像

昭和4年7月6日(1929年)

是日、当校ニ於テ、当校主催渋沢子爵九十寿祝賀会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、謝辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第四九〇号・第七三頁 昭和四年七月 青淵先生動静大要(DK440193k-0001)
第44巻 p.698 ページ画像

竜門雑誌 第四九〇号・第七三頁 昭和四年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十五日 日本女子大学評議員会相談会(曖依村荘)


竜門雑誌 第四九一号・第五一頁 昭和四年八月 青淵先生動静大要(DK440193k-0002)
第44巻 p.698 ページ画像

竜門雑誌 第四九一号・第五一頁 昭和四年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
六日 日本女子大学校催青淵先生九十寿祝賀会(同校)
   ○中略。
廿四日 日本女子大学校評議員会(渋沢事務所)


集会日時通知表 昭和四年(DK440193k-0003)
第44巻 p.698 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月六日 土 午前十時 日本女子大学主催青淵先生九十寿祝賀会
            (同校)


日本女子大学校書類(一)(DK440193k-0004)
第44巻 p.698 ページ画像

日本女子大学校書類(一)        (渋沢子爵家所蔵)
謹啓、薄暑之候益々御清穆被為渉奉恭賀候、陳者閣下九秩の御高齢を御祝申上候微意を表し、来る七月五日(金曜)正午学生調理の粗餐差上け、引続き一時三十分より講堂に於て祝賀会開催仕度候間御繰合せの上御光臨の栄を賜り度奉希上候、此段御案内迄如此御座候 敬具
  昭和四年六月二十八日
             日本女子大学校長 麻生正蔵
    渋沢子爵閣下
    同令夫人


竜門雑誌 第四九〇号・第七六―八四頁 昭和四年七月 日本女子大学校に於ける渋沢子爵九十賀祝賀会(昭和四年七月六日午前十時)(DK440193k-0005)
第44巻 p.698-699 ページ画像

竜門雑誌 第四九〇号・第七六―八四頁 昭和四年七月
    日本女子大学校に於ける渋沢子爵九十賀祝賀会
              (昭和四年七月六日午前十時)
     順序
 一、奏楽
 一、賀詞     学生総代
          桜楓会員総代
          教職員総代
          校長
 一、御祝の歌
 - 第44巻 p.699 -ページ画像 
 一、子爵の御話
 一、唱歌
   ○賀詞全部次掲ニツキ略ス。
  渋沢子爵九十賀お祝の歌
 一、万歳 々々 々々
    高き齢     寿ぐ佳き日
    至誠なる    奉仕もて
    御国のため   世のために
    明治の上より  昭和の御代かけ
    尽くし来ませる そのいさをし
    海の内外    ほぎ言あふる
     いざやけふを祝へもろ人
      あゝゝ 万々歳
 二、万歳 々々 々々
    高き齢     寿ぐ佳き日
    祖父なる    この君の
    わが学舎    育てんと
    たまひしめぐみ 深きを思へば
    吾等の使命   力の限り
    御国のため   つくさざらめや
     いはへけふを姉妹ともに
      あゝゝ 万々歳


家庭週報 第九九一号 昭和四年七月五日 【評議員渋沢子爵の九秩賀に捧ぐる詞 日本女子大学校長 麻生正蔵/渋沢子爵九秩賀 日本女子大学校に於ける卅年の功労をたたへて 祝詞 日本女子大学校教職員総代 島田重祐/祝詞 桜楓会総代 井上秀子】(DK440193k-0006)
第44巻 p.699-703 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

家庭週報 第九九二号 昭和四年七月一二日 渋沢子爵九十賀会(DK440193k-0007)
第44巻 p.703-707 ページ画像

家庭週報 第九九二号 昭和四年七月一二日
    渋沢子爵九十賀会
 母校の創立記念日、卒業式、其の他の式日又は会合のある毎に渋沢子爵の晴れやかなお顔が壇上に現れることは、どんなに嬉しいことであつたらう。そしてそのをりをりに子爵から親しくお話を伺ふ時の喜びと深い感銘!真に渋沢子爵は日本のあらゆる方面に欠くべからざる方であるより以上に、我等にとつては最大恩人の渋沢子爵であることは、過去三十年間の日本女子大学校発展の歴史を顧る時、思ひ至らざるを得ない所である。
 然るに、今春の卒業式又創立記念日にも、子爵は御微恙の由にて我等は遂にあの温容に接しまゐらすることが出来なかつた。我等は子爵の御体御恢復をひたすら祈り、再び壇上から微笑の輝くことの一日も早からんことを、待ち望んでゐたのであつた。
 七月六日、遂に我等の深き祈と希望を容れられ、此処に九十の御齢を迎へられ、尚钁鑠たる渋沢子爵お祝ひの会を催すことが出来たのは何と云ふ幸福なことであつたらう。
      ×
 午前十時、講堂には早くも全校の人々が集つてけふの喜びに溢れてゐるのであつた。きのふもけふも五月雨空が続くのであつたが、子爵御来校の十一時頃は空も何時か霽れて、庭の青葉もすがすがしく照りはえて居た。
 やがて子爵御夫妻は、阪谷男爵・穂積男爵母堂・渋沢武之助夫人・渋沢秀雄氏・明石照男氏夫人・渋沢敬三氏・同夫人の御一門の方々に
 - 第44巻 p.704 -ページ画像 
囲まれて賑はしく、ステージの上の設けの椅子に倚られた。
 塘幹事の挨拶によつて開会。奏楽は先づ明るい空気を満堂に漂はせて、久し振りの而もこの喜ばしい今日の日に、御臨席下さつた子爵御夫妻を心から歓迎するのであつた。
 次いで学生総代から、又桜楓会代表として井上理事長、教職員代表としての島田教授から、最後には麻生校長から祝辞が朗読された。子爵は一々に対して絶えず緊張の面持で傾聴され、此等の賀詞を恭々しくお受け下さつた。子爵は感慨深き御様子の中に、溢れる笑みを両頰に湛へてやをら椅子を立たれた。
    私の歓び
                     渋沢子爵談
      長命してよかつた
 校長、教職員諸君並に桜楓会員、学生の方々。今日は実に存じよりませぬお催しにお招き戴きまして、その上御賞讚のお言葉を多く下さりまして何とも喜びに堪へませぬ。斯の如き御鄭重なお催しは私にとつては誠に喜びの重畳でありまするが、あまりに御賞讚のお言葉を辱う致しますると却つて自ら之れを虞れる位でございます。これは全く私が今日迄息災に長命して居るお蔭と存じます。
 斯く申せば、皆様はお笑ひになるかも存じませぬが、実は何れの会合に出ましても、心の上でこそ先輩と仰ぐ方々は今もおありでござりまするが、年の上では、年一年と私が長老となつて行くやうでございます。私は、本年の二月十三日で恰度九十歳の誕生日を迎へました。斯うなると、先き程も申しましたやうに先輩友人はだんだんと故人となられて、其の上、世の中はよいことばかりはありませぬからそういふ時は、つくづくと長命するものゝ憂目を感じまするが、併し、今日のやうに皆様の心からのお催しに出ますると、身にあまるお褒めに預つて恐縮するとは申せ『長命してよかつた』としみじみ感謝いたす次第でございます。
      女子大学と私
 只今、皆様が御朗読下さいました私へのお祝辞は、誠に一々に忝く存じまする。
 繰り返して申すまでもありませぬが、私が本大学に対して些か致しましたことが、かりに只今数々お褒めいたゞくほどに、左様に相当するものがあると致しますると、それは却つて私から皆様にお礼を申さねばならぬことであると考へます。斯く申すは、私としては面目ない次第でありますが、実は私自身は本大学の為めに最初から斯く斯くといふ考へがあつたわけではなく、寧ろ女子の高等教育といふ事については半信半疑の状態にあつた事を卒直に申します。と申すのは、本大学の創立されるころの当時の日本の事情はまだまだ男尊女卑の思想の甚しい時でありまして、或る場合には、国家に女は不必要だとまで考へられたほどで、斯く申す私も廿四・五歳の頃まではそれを正常な考へと考へて居たのであります。『女子与小人為難養也近之則不遜、遠之則怨』といふ論語の思想は私の婦人観を為す根本でありました。又学者にしても同じやうに考へる人が多く、彼の政治家の第一人者で
 - 第44巻 p.705 -ページ画像 
あられ、そして一般人に読書することを奨められた松平楽翁公でさへその楽亭壁書の中には『あれどもなきに劣るものはまことなき人の才』……次に『女のさえ、いなづまのかげ、あふとみし夢』
と書いてあります。
兎に角に女といふものは初からものゝ数に入れられなかつたのが当時の実際であります。
 が、さすがに明治の御維新の頃にはこの考へがだんだんと進んで来て、日本国家を本当に進めて行くには男女ともに力を合せて行かなければならぬ、といふのが当時の主だつた人々の意見となりました。
 そこで故伊藤博文公などゝ私なども御相談役の一人となつて、女学校をたてることになりました。それが只今の東京女学館の創まりであります。
 左様なことから、女子教育といふことについて幾分機運が動くには動いて来ましたが、何と申してもその中心の考へは種々まちまちでありました。ところへ本大学の創立者であらつしやる成瀬仁蔵君がそれは誠に機縁と申しませうか、それ迄一面識もなかつたのでありますが大隈老侯爵の御紹介で私をお訪ね下さいました。御用件はと伺ひますと、直に女子高等教育の必要、そして其の主義方法について実に信念を以つてお話しになりました。斯う申しては潜越でありますが、このお方は誠に一図なお方で、思つたことは単刀直入式にどしどしと仰つしやる。再三御面会の上繰り返して問答して居るうちに遂に私も成程と感じて来ました。と申してお役にも立つまいが出来る丈けのことはさせて頂きませうといつたのが、私が本大学に関係する抑々の初まりであります。が先頃申しましたやうに当初其の結果については半信半疑でありましたが今日私をしてこの喜びに至らしめて下さつたのは一に本校の卒業生の方々や学生の皆様が学校の精神を奉戴してそれを身に行うて下さつた賜物であります。さうしてこの精神の根本であるところの成瀬君の卓見とその熱心にあることは申すまでもありません。
      重なる喜び
 今にして考へますと、当時はまだ機運が熟して居なかつたとはいへ若しあの時逡巡思案して居たなら既に時を逸して居たかもしれませぬ当時心配して居たことは今も同じことであります。即ち婦人が学問をするとその結果はどうあらうか。それは男子といへども同じでありますが、僅かな学問を鼻にかけて世の中をあざけつたり、他人を軽蔑したりするのでは困る。斯様な人は教育が役立ないばかりでなく、世の中の邪魔者である。婦人にしても同じこと、今迄は物の数にも入られない程であつたのが、大に認められ教育する価値ありと認められて来たのはよいが、其の結果が、実地になつて見るとさつぱり駄目といふことになると、これは百年の不作であります。それ故私はこのことを成瀬君には勿論現校長麻生君にも度々くどくも申し上げたことでありました。
 が、この学校の主義精神は実によく行はれて、この学校に学ばれる皆様は実に本大学創立の精神を辱めないところの実際を示して居られる。学校は又これによつて随て生じ随つて進むの感があり、私の最初
 - 第44巻 p.706 -ページ画像 
からの心配は漸次杞憂に終らうとして居ります。これは何といつても私としては最大の喜びであります。
 併し斯く申したとはいへ、私はこれで婦人の教育は足りたといふのではありません。これからは益々広い世間大きな社会から見ればいよいよ婦人の力は重要なものであります。其の時に真に、家庭に在りては良き妻、良き母であり、人としては真に役立つ用意と覚悟をお進めにならなければなりません。がそれも最前、私の為めにお述べ下さつた中に、その御立派なお覚悟も見えて居りましたが、どうかその通りに発揮されることを希望して止みません。この切望は私も敢て人後には落ちないものであります。
 けふは誠に喜ばしいことばかりでいろいろ有難いお言葉を頂戴し且又未来の為めに、かくも多数のお方々の前で私の希望を述べさせていたゞくことは此の上ない嬉しい事であります。まだ申し上げたいことは多々ありますが、たゞ私の精神をお答へして、而して未来に望むことは、あくまでも皆様御精励の程をお願ひするといふことに止めて置きます。
      ×
 子爵は御案じ申し上げたやうな御疲労の色さへなく、お言葉は明るく、微塵の暗影もなかつた。縷々として尽きぬ思出につけても、私達婦人の将来の為めに、その重大なる使命のあることを懇々とお訓し下さつた。やがて一同は母校創立記念の歌を合唱してけふの喜びを喜びつゝ閉会すると、子爵は壇上よりお声も大きく『まことにありがたうございました』と御挨拶があると、待ち構へて居た各新聞通信社の写真班は走せ集つて来て子爵のお笑顔をカメラに入れやうとする。とうとう写真班は子爵御夫妻を擁して万歳を呼ぶ学生の中にお立たせして頻りにフラツシユを浴びせるのであつたが、子爵は例の莞爾としてカメラに向はれやがて再び『まことに有り難うございました』と愛嬌をこぼして家政館食堂に準備されて居るけふの祝賀午餐会へ臨まれた。
    私達のおぢい様
      日本女子大学校学生生徒より
      渋沢子爵に捧ぐる祝詞
 木々の梢が其の濃い緑に限りない栄えをあらはして居ります今日、私共の恩人であり、日頃おなつかしいおぢい様として尊敬し、お慕ひ申して居ります渋沢子爵を、此処に御迎へいたして、九十の御齢をお重ね遊ばしたお喜びを申上げることの出来ますことを、学生一同心から嬉しく思ひます。私共は今日のこの日の来るのをどんなに待つた事でございませう。
 子爵は明治維新以来我国の経済産業に、又社会事業や国際的事業に御尽力遊ばされ何時もその先頭に立つて時代を導かれ、あらゆる方面に重きをなしていらつしやいますが、殊に女子教育には早くより御心を止めさせられ、今日私共の学んで居りますこの日本女子大学校の生れますにつきましても、又其の成長発展に対してどんなに多大の御尽力をいたゞきましたかは、先生や先輩の方々から常に承り、又折々直接子爵から教へ示され有難く存じて居ります事でございます。三十年
 - 第44巻 p.707 -ページ画像 
以前早く既に女子高等教育の必要を御感じ遊ばされた其の先見の明によつて、私共は救はれたのだと申しても決して過言では無いと思ひます。又世のため人のために益々御多忙でいらつしやいますにも拘らず何時も私共のために本校におこし下さいまして、式場の演壇に子爵のにこやかな御温顔を拝し、深い御信頼と強い御励ましとの御言葉を伺ひます度毎に、私共一人々々は此の本校をやがては日本の国を背負つてたゝなければならないと云ふ大きな責任と勇気とを、心の底深く有たずに居られないのでございます。本校は今日此処迄発展して参りましたものゝ、まだまだ子爵の御期待に添はぬ点も多々あることゝ存じます。併しその高い御精神は既に本校の精神となり私共の心に根ざしやがて成長して立派な実を国家社会に結ぶことゝ確信いたして居ります。又さうあらなくてはならないと決心いたして居ります。そして尚今後の何時々々迄も之から世に出ようとする私共学生を御導き頂き度いと皆が等しく望んで居ります。私共は今日のこのおめでたい日をお迎へ申したに就いて、湧き上る無量の思をもつともつと精しく申上げたいやうに思ひますが、今日は先生方や桜楓会の方々のお喜びのお言葉もいろいろお有り遊ばす事でございますから、私共学生一同はたゞ従来の御礼を申上げ御健康をお祝ひすると同時に、私共の大切なおぢい様でいらつしやいます子爵に、益々天の御加護の深からむことを、此処に集つて居ります三千の学生が心から祈りまつると申上げるに止めます。私の言葉はあまり簡単で拙くはございますが、学生一同の胸に溢るゝ真情をどうぞお汲みとり下さいませ。
  昭和四年七月六日



〔参考〕日本女子大学校書類(一)(DK440193k-0008)
第44巻 p.707 ページ画像

日本女子大学校書類(一)        (渋沢子爵家所蔵)
謹啓、秋涼相催候処益々御清穆被為渉奉恭賀候、陳者閣下米寿御祝の微意を表する為め来る十月二十二日(月曜)正午学生調理の粗餐差し上げ、引続二時より祝賀会開催仕度候間、御繰り合せの上同日午前十一時三十分迄に御光臨を賜はり候ハヾ仕合に奉存候、此段御案内迄如此御座候 敬具
  昭和三年十月十日
             日本女子大学校長 麻生正蔵
    渋沢子爵閣下
    同 令夫人
(別筆朱書)
総長御病気ノ為メ同校ヨリ他日ニ延期挙行ト決定ノ事ニ申シ来ル
   ○栄一ノ病気ニヨリ、コノ米寿祝賀会ハ延期サレ、昭和四年七月六日ノ九十寿祝賀会トナル。