デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.711-714(DK440195k) ページ画像

昭和4年12月23日(1929年)

是日、総理大臣浜口雄幸当校ニ来リ、学生ニ対シテ講演ヲナス。栄一傍聴シテ、所感ヲ当校桜楓会機関誌『家庭週報』昭和五年一月一日号ニ寄ス。


■資料

竜門雑誌 第四九六号・第八七頁 昭和五年一月 青淵先生動静大要(DK440195k-0001)
第44巻 p.711 ページ画像

竜門雑誌 第四九六号・第八七頁 昭和五年一月
    青淵先生動静大要
      十二月中
廿三日 浜口総理大臣来観に付日本女子大学校に出向


東京朝日新聞 第一五六七五号 昭和四年一二月二四日 政戦をよそに 砕けた首相振り きのふ目白女子大へ乗出して女性へ『難局打開策』(DK440195k-0002)
第44巻 p.711-712 ページ画像

東京朝日新聞 第一五六七五号 昭和四年一二月二四日
  政戦をよそに――
    砕けた首相振り
      きのふ目白女子大へ乗出して
        女性へ『難局打開策』
浜口首相は大いに新しい時代の政治家振りを発揮して、二十三日わざ
 - 第44巻 p.712 -ページ画像 
わざ目白の女子大学に赴き、一場の講演を行つて知識階級女性に呼びかけた、この日は議会の召集日の事とて
 民政 党総裁として、一国のさい相としてかつは議場の駆け引きに忙しかつたのが、午後三時議会政治家から婦人論者に早変りして、中島秘書官を伴ひ、目白の日本女子大学を訪問し、我も我もと講堂に集まつた大学部・女学部の若い女性千六百名の前にあのいかめしい顔を押立てゝ「難局打開策」の演題の下に、たうたう一時間半にわたり熱弁を振つた、何しろ総理大臣の御入来は、女子大として破天荒のことなので
 女性 インテリゲンチヤの先端に立つ女大生も、全く身動き一つせず終始緊張して聞きほれた、首相は開口一番『婦人参政権問題は今や実行期にいつた』と大見得を切つて一同を喜ばせ
 『現在の日本は政治、経済、社会、教育の各方面にわたつて難局に直面してゐる、これを打開するためには消費経済の改善、政界浄化徳育尊重等種々の方法があるがこれを実行する者はたれか?五割以上は婦人の力にすがらねばならぬ……』と
 熱誠 をこめてかゆい所に手が届くやうに説明し、多大の感激を与へて午後五時半講演を終つた、当日は麻生校長始め評議員の渋沢子・森村男等も傍聴したが、首相が女性に語りかけたのはさきに首相官邸で婦人団体代表と会見したのとこれで二回目で、今回は学校からの頼みを気軽に容れて自らわざわざ講演に出かけたところは大いに若い女性の心をとらへ、『浜口さんは中々進歩的だわねエ』と
  好評 を博してゐる
 なほ同日田中文相も首相に少し遅れて同校を訪問し、麻生校長の案内で校内の設備を視察し、沿革現状、教育方針について詳しく説明を聞いた


家庭週報 第一〇一一号 昭和五年一月一日 浜口首相の来校(DK440195k-0003)
第44巻 p.712-713 ページ画像

家庭週報 第一〇一一号 昭和五年一月一日
    浜口首相の来校
 かねて母校よりの講演依頼を快諾せられた浜口総理大臣は時恰も第五十七議会召集当日であつたにも係らず、廿三日午後三時親しく来校せられて大学部・女学部併せて二千の学生に対して堂々一時間半余に亘る大演説をせられた。その厳粛荘重のうちに、赤心そのものゝ如き首相の態度は先づ無言のうちに純真な学生の魂に偉大な感銘を与へたが、一度語り出でられるに及んで一語は一語より意味深く、その熱弁にやゝ紅潮した首相の面を仰いで熱心に耳を傾ける学生には戸外に夕闇の迫るのも意識せられぬ程であつた。
 総理大臣の来校を仰いだのは本校としては全く異例であつて、これ迄も総理大臣たりしお方の来校は屡々であつたが、総理大臣としての来校は今回が最初の事であつた。「この一事は、啻にわが日本女子大学校の栄誉であるのみならず、帝国女子高等教育のために欣快に堪へず」と麻生校長は感激溢るゝ挨拶をなし、首相の演説後には学生代表も亦一同に代つて言葉に余る感謝の衷情を披瀝した。
 なほ当日は文部大臣田中隆三氏も臨席せられ、併せて一場の講演を
 - 第44巻 p.713 -ページ画像 
拝聴出来た事は重ね重ねの悦びであつた。
 因みに浜口首相の演説全文は追つて桜楓会パンフレツトとして刊行する事とし、ここにはその要点殊に演説の後半「浜口個人としての意見を申上げたい」と前置きして「政治の浄化」からひいて「人生の最高標識は道徳である」と力説せられた辺りを主として筆録したいと思ふが、到底偉大な感銘を如実に伝へ得ぬ事を遺憾とする次第である。


家庭週報 第一〇一一号 昭和五年一月一日 浜口首相の講演を聴いて 渋沢子爵談(DK440195k-0004)
第44巻 p.713-714 ページ画像

家庭週報 第一〇一一号 昭和五年一月一日
    浜口首相の講演を聴いて
                     渋沢子爵談
 先達は偶然に女子大学で一国の宰相に御目にかゝり、且つあれだけに懇切なお話を伺つた事は私として誠に満足、感謝する次第であります。定めし校長始め各教職員諸君並に学生諸子は勿論、あの講演を拝聴した満堂の諸君も満足であつたらうと思ひます。
 浜口さんには曾て若槻内閣の大蔵大臣であられた時と記憶しますが折々お目にかゝつた御懇意と申上げる程の私ではありませんが、一通りは私の事も御承知下さつて居るであらうし、私も浜口さんを存じ上げて居ると申上げる事が出来ます。
 浜口さんはまことに忠誠の人であられるやうです。それ故に私はまことに結構な現内閣と賞讚してをる次第であります。女子大学に於ての此の間の御話は只余りに高遠で、女子に対してのお話としては少し政治演説めいてゐるではないかとさへ思はれた程で、或は女子に対してはふさはしくない話だと申す人があるかも知れませんが――私は一国の宰相が女子の学生に向つてあの通り堂々と大演説をされたと云ふ事は実に会心と云はうか、学校を深く思ふ者にとつては、学校のために女子教育のために大いに喜ばざるを得なかつた次第であります。
 曾て或る時代には、女子大学の教育は少し日本の女子には高過ぎはしないかと云ふ人もありました。実は私もその一人で、正直に申せば前校長の成瀬君にも度々その意味の注意を致した事でありましたが、女子が学問をして「言葉多ク品寡シ」と云ふやうになつてはならぬと云ふ杞憂を少からず抱いてゐた、ではない今日もこの点は最も注意してをる処であります。併し女子大学の教育主義は女子を人として国民として教育すると云ふ、その説はまことに結構で私もそれに賛成して微力を捧げて来たのでありますが、教育が学問に偏してはならぬと云ふ事を呉々も心配したのであります。
 現に今日の学問界がそれで、どうも学問が進み智恵がつくと人間の道徳心が薄らいで来ます。之を悪く云へば学問をすると云ふ事は道徳心が薄らぐといふ事になり、教師も亦子弟を教育するといふ事が学問の切り売りをするといふ事になつて居る処がないでもありませぬ。併し本当の教育といふものは人々の心を育てゝ行くと云ふ事で、丁度家庭の父母が面倒を見ながら子供を育てゝゆくやうに、教師は躬を以て子弟を導いて行く、而して道徳心を育てゝゆくといふ事が教育の本義であると私は考へます。処が近頃はその教育と云ふ事が前申すやうに知育と云ふ事に取り間違へられ、悪く云へば席上間に合ふ人間になる
 - 第44巻 p.714 -ページ画像 
と云ふ事になつて来ると、自づと忠誠の気風と云ふ事は薄らぐ様になります、早い話が片言の英語でも出来れば一寸の間に合ふと云ふ工合で……。
 敢へて婦人を見下す申し分ではないが、うつかりするとさう云ふ風にならないでもない、といふ心配をもつて女子大学の教育主義に対しても、その主義に賛成しながら絶えず注意をして居つた次第で、よく成瀬君とも話した事であるが、教育に対する主義は違はないが行き方が違ふのだと云ひ云ひしたものであります。この事に就ては私のみならず故森村さんも常に心配して、生意気な婦人が出ないやうに注意したものでありました。然るに幸にも成瀬君始め現麻生君その他の教職員方、及び学生諸子も余程注意周到に教育され、且つ教育を受けられて、之等の心配は殆ど俗に云ふ取越し苦労に過ぎなかつたと云ふてよい程順当に当女子大学の教育が進んで来てゐる事はまことに悦ばしい事に思ひます。斯くなつて見ると女子大学創立の精神――即ち成瀬君が最初に云はれた「女子は国民である、人である」と云ふ考の下に教育を進めて来られた――のその昔を顧みて、実にその達見に敬服せずにはいられません。
 先日浜口首相は女子大学の学生諸子に向つて、実に最高等の知識階級であると呼びかけて演説をされた事に就て、私はあの言葉をあの場所に聴いてゐない成瀬君にも聴かせたい気が致しました。そして私自身も若しあの席に成瀬君がゐたら、実に我々は先見の明がなく、屡々議論と云ふではないが、先にも申す女子教育上に杞憂を抱いて実に度度注意をした事を恥ぢ入つたであらう、実に世の中が進んで来たと云はうか三十年の昔此のやうな心配を皆でしたにも拘らず、「果せる哉成瀬君の信念の如く女子が国民として人として立つ時代が来た」と云つて成瀬君に頭を下げたであらうと思ひます。
 浜口さんの話された話の一々は今此処に繰返さぬが、大体の問題は今の政府の取つてをる施政方針と云ふやうな事から、金解禁の事に就てまで、女子の学生に向つて「諸子は何と思つてゐるか」と相談しかけるやうな態度で、実に教育ある女子を重く視て、経済界の話から政治界、教育界諸種の方面に就て真情を吐露した処のあの大演説を拝聴して、私は感謝と云はうか感激と申さうか、真に有り難いと云ふ気持ちで、誠に感慨無量でありました。
   ○右演説ハ『家庭週報一月一日号所載』トシテ「竜門雑誌」第四九六号(昭和五年一月)ニ転載シアリ。