デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.177-178(DK450055k) ページ画像

昭和4年11月23日(1929年)

是日、当会ノ大会飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一病気ノタメ尾高豊作代理トシテ出席ス。


■資料

集会日時通知表 昭和四年(DK450055k-0001)
第45巻 p.177 ページ画像

集会日時通知表  昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月二十三日 土 午前九時 埼玉学友会大会(飛鳥山邸内)
               但御出席ナシ


埼玉県人会会報 第一五号・第一二―一三頁昭和五年一月 郷土の先輩渋沢子爵邸に埼玉学友会大会開催の記(DK450055k-0002)
第45巻 p.177-178 ページ画像

埼玉県人会会報  第一五号・第一二―一三頁昭和五年一月
    郷土の先輩渋沢子爵邸に埼玉学友会大会開催の記
                        一記者
 昭和四年十一月廿三日、我等の先輩として日夕尊敬する王子飛鳥山なる渋沢子爵邸に埼玉学友会大会が開催せられ、都下高等学校・専門学校・大学校に在学する県出身の男女学生数百名が会合し、先輩名士多数も出席され、講演に余興・会食と楽しい一日を郷土気分に満たされて有意義な会合が催うされたのである。風こそあれ小春日和にて角帽・丸帽・中折れ・カシミヤ装ひ様々ではあるが、純気な学生気分は会場の隅み隅みに迄満ちて輝かしい情景を演出したのであつた。
 定刻十一時四十分打ち鳴す鐘を合図に、来賓学生一同所定の場所に着席すれば、幹事大島三之助君は演壇に立つて埼玉県人の短所として(一)孤立的観念が濃厚にして一致団結の美風に欠除して居る。(二)先輩と後輩との連絡提携に欠くる所がある。(三)埼玉人士は猜疑心深い。と三ケ条を挙げ之が改善の急務を高潮し開会の挨拶を述べ、続いて長島親夫君立つて会務報告をなし、尾高豊作氏は会長渋沢子爵代理とし、大要次ぎの如き挨拶を試みられたのであつた。
 会長渋沢子爵にはこの二・三日来風邪にて遺憾ながら本日は失礼す
 - 第45巻 p.178 -ページ画像 
るから、尾高から皆様に子爵の趣旨を伝達するやうにとの事でしたので、僭越ながら速記がわり、ラジオ変りにこゝから放送いたす事にいたします。
 学友会の起りは自分も承知して居りますが、最近立ち消えの様になつたものを復興され、学生諸君・先輩諸君が談論し誘掖し会合することは誠に喜びに堪えません。然しこの会合を単なる園遊会としてはならぬと思ひます。
 亦如何に会員の数を増大しても精神の統一を図らねばなりません。一面団体的に集ることによつて団体の力、集団の力を以つて利用を求むることはつゝしまねばならぬことであります。正義は集団にはありません。お互にせつさ琢磨し国家のため社会のため権利と義務を一致し混一する事を以て指導精神とせねばなりません。政治・教育・経済方面に於ても、単に集る事により正義の仮面を被ることは深憂に堪えぬ事であります。
 明治初年以来学校教育は普及拡大され、邑に不学の戸なく、家に不学の人なきの盛況となつたことは慶賀すべきの現象ではあるが、如何に智育が進歩向上しても、正義に基ずかざる断片的のものであるなら大いに考慮しなければならない、我が国学校教育の全分野を大観し静かにこの盛況を打ち眺めた時、現代の社会進運に対し国家百年の大計に対し、果してどれ程の成功を謳歌し得られるであらう。教育が非常に発達して行くことが国力の発展を粗害する様な、逆な現象が見受けられることは遺憾な話しである。自分も若い時には血気にはやり、いろいろの社会運動にも参加して来たが、国家社会のため至誠を以て正義感から行動して来たのであります。
 風の強い寒い時にこの天幕内の光景は宛然日本の現状そのものゝ様な感がいたします。諸君は同郷の繁栄を図ると同時に、国家的立場から見て一致団結し権利義務感に徹し、埼玉学友会存立の意義を明かにされんことを希ふものであります。
○下略