デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
3款 埼玉学生誘掖会舎友会
■綱文

第45巻 p.265-266(DK450096k) ページ画像

大正6年6月17日(1917年)

是日栄一、丸ノ内中央亭ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。


■資料

(埼玉学生誘掖会舎友会)文書綴 大正二年―(DK450096k-0001)
第45巻 p.265 ページ画像

(埼玉学生誘掖会舎友会)文書綴  大正二年―
                (埼玉学生誘掖会舎友会所蔵)
拝啓、時下春緑之砌愈々御清適奉賀候、陳者規約第九条に拠り六月 日(日曜日)午后四時より麹町区八重洲町一ノ一中央亭に於て春期懇親会を相催候、当日は渋沢男爵及特別会員多数出席相成り候間、是非御出席被下度此段御案内申上候 敬具
  大正六年五月 日
                舎友会幹事総代
                      大井台司
 追伸
  一、会費金弐円五十銭当日御持参被下度候
  二、御出席之方は六月 日迄御一報被下度候
御注意 御出席なきも現職住所変更の方は必す御返信被下度、猶名簿中誤謬脱漏等御気付の点ハ是非御教示願上候


集会日時通知表 大正六年(DK450096k-0002)
第45巻 p.265-266 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第45巻 p.266 -ページ画像 
六月十七日 日 午後五時 埼玉学生誘掖会舎友会(中央亭)


学友会報 埼玉学友会編 第二五号・第九二頁 大正七年二月 【六月十七日○大正六年丸の…】(DK450096k-0003)
第45巻 p.266 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二五号・第九二頁 大正七年二月
六月十七日○大正六年丸の内中央亭に於て、第七回舎友会懇親会を開く、折柄降りしきる梅雨をも厭はず黄昏の都大路を急ぎて早くも会し、定刻遅しと待つ会員十数氏。午後六時渋沢会頭閣下の御来臨を辱うするや、一同直ちに食堂に入り、幹事山田醇氏起つて簡潔爽快なる開会の挨拶を述ぶ。次に会頭閣下には食卓場裡温顔に笑みを湛へつゝ、人の此の世に処する虚言妄語こそ最も慎しむべきものなれと説かる。実にや紙上の空論に非ず、一々其豊富なる経験に徴して具に実例を挙示せられつゝ「渋沢は終始一貫虚言を吐かざるを以て主義をなす」と明言せらるゝ処、宛然古聖に接するが如し。
軈て宴を撤し別室に移る。同郷の先輩、同窓の友、打寛いで或は武蔵武士の高風を欽じ、或は砂土原生活の昔を偲び、或は理想を談じ抱負を語る事暫時、山田幹事の動議に基き舎友会発展の方法を議し、満場一致左の諸項を可決す。
 一、埼玉学生誘掖会より毎年五十円宛本会に補助金を支出せらるゝ事
 二、幹事を増員し、其選定方法を改正する事
 三、懇親会其他集会のありたる時は、其都度会況を詳細に認め舎友会報に掲載する事
 四、舎友会発発展策《(衍)》に関し全舎友の意見を徴し、之を舎友会報にて発表する事
 五、埼玉学友会報に舎友会の記事を掲載せしむる事
右了つて更に男爵の有益なる回顧談あり、即ち明治二年大蔵省の役人を辞せんとし、当時の長官大隈侯に此の旨を述ぶるや、侯爵の巧妙なる勧説に依りて思ひ止まりたるの一節なり。両老偉人の青年時代の面目躍如として想見せられ、興味津々として尽きざると共に年若き舎友の壮心を鼓舞する事転た切なるものあり。同十時和気靄々裡に散会したるが当夜の出席者芳名左の如し。
○下略
  ○演説筆記ヲ欠ク。