デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
8款 早稲田大学
■綱文

第45巻 p.314-317(DK450125k) ページ画像

明治45年5月17日(1912年)

是ヨリ先明治四十一年、当大学総長大隈重信ニ恩賜金アリ、当大学ハ之ヲ以テ恩賜記念館ヲ其構内ニ建テ、是月初旬竣工ス。是日、皇太子殿下、大隈重信邸並ニ当大学ニ行啓アリ、栄一、大学基金管理委員長トシテ大隈邸ニ於テ拝謁ス。


■資料

半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第二五七―二五九頁昭和七年一〇月刊(DK450125k-0001)
第45巻 p.314 ページ画像

半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第二五七―二五九頁昭和七年一〇月刊
 ○第一編 第四章 拡充期
    第三節 恩賜記念館の建設
 明治四十一年五月五日、明治天皇から金三万円恩賜の光栄を荷つた学園当局は、何らかの方法で此恩典を永久に記念しようと、爾後屡々慎重な協議を重ねつゝあつたが、理工科の経営上物理学実験室の建築が急務であつたところから、之を其費用に充てることに四十三年二月五日の維持員会で決定した。御下賜金は過去に於ける各学科の成績を認められ、且つ新学科の増設を聞召された結果であるから、理工科の経営に必要なる物理学実験室を主とし、それに政・法・文・商・高師各科の研究室を併せ、学園に於ける総ての教師・校友・学生を一列一帯に聖恩に浴せしめる為め、恩賜記念館を建築すれば優渥なる聖旨に副ひ奉ることが出来るといふ信念の下に如上の決議が成立したのであつた。
○中略
 恩賜記念館の名称は、建築竣成の後に命ぜられたもので、館の玄関正面の左側壁間に、其由来を刻んだ石を篏入して、日夕そこに出入するものに聖旨の有難さを回想せしめることにした。銘文は坪内の選んだものである。
 『明治四十一年五月、聖旨を以て特に金参万円を本校に下賜せらる多年学術を振作し、人才を造就せるを嘉賞したまへる也。これより本校の事功洽く世の認知する所となりぬ。理工科の創始、大学組織の整備の如き、要するに聖恩の余沢たり。仍りて之を永遠に紀せんが為めに、四十三年六月二十五日本館の工を起し、四十四年五月十二日に至りて竣成す。建坪百十一坪余、煉瓦屋三層にして、室二十あり。之を政・法・文・商・師範各科の研究室、理工科物理実験室貴賓室・会議室等に配し、館を恩賜紀念館と名づく』
○下略


早稲田学報 第二〇八号明治四五年六月 皇太子殿下行啓(DK450125k-0002)
第45巻 p.314-316 ページ画像

早稲田学報 第二〇八号明治四五年六月
    皇太子殿下行啓
本大学は五月十五日光栄ある左の通牒を接受せり
 皇太子殿下来十七日午後三時其大学へ行啓被為在旨被仰出候此段及
 - 第45巻 p.315 -ページ画像 
通牒也
  明治四十五年五月十五日
              東宮大夫 男爵波多野敬直
    早稲田大学学長 高田早苗殿
○中略
殿下には御治定の通り午前十一時青山御所御出門、一条侍従長御陪乗侍従武官・侍医等従へさせられ、御通路なる牛込通寺町・矢来町通りの両側に整列したる区内小学生の奉迎を受けさせられ、又山吹町・鶴巻町通りの両側に奉迎せる、早稲田中学・同実業学校・工手学校及本大学々生の整列中を、御車静に挙手の御挨拶を賜はりながら大隈総長伯邸へ成らせられたり。
殿下には陸軍中将服に大勲位を佩ひさせられ、御機嫌麗はしく同邸洋館御車寄に御出迎へ申上けたる伯爵夫妻、家族一同、親戚、渋沢男爵、高田学長、天野・市島両理事、坪内・有賀・浮田三博士等に御会釈を賜ひ、君ケ代奏楽清が清がしきうちを伯爵令嗣信常氏の御先導にて便殿に入らせられたり。
御陪食席順 高田学長 海江田東宮侍従 鍋島正四位 村木東宮武官長 大隈伯 渋沢男 稲葉式部官 西東宮武官 原東宮主事 片山侍医 波多野東宮大夫 殿下 一条東宮侍従長 松浦伯 本多東宮侍従 大隈信常氏
○謁見を賜る 便殿は芝生青く老樹鬱蒼たる広庭に面したる四十畳日本間の広書院に之を宛て、塵も留めぬ段通を敷詰め、床には橋本雅邦筆巌上の鶴の一軸を掲げ、青銅の大水盤には太藺・杜若・菖蒲の花美しく配ひたるを据ゑ、王座の卓には前年至尊が伯邸へ行幸の際、下賜せられたる由緒深き金襴の卓子掛をかけたり。此処にて伯爵・同家族親戚の人々及び渋沢男爵・高田学長等に拝謁仰付けられ、御少憩の後食堂に入らせられ御昼餐を召さる。
○食堂に於ける御陪食 食堂卓上には百合・菖蒲・薔薇の盛り花咽せぶが計りに芳香を放ち、棕櫚・竹・松等の盆栽窓際を飾り、空洩る日影もいと爽かに静なりき、御昼餐には伯爵・令嗣信常氏・波多野大夫村木武官長・一条侍従長・西武官・海江田侍従・稲葉式部官・本多侍従・原主事・片山侍医・松浦伯・鍋島直映氏・渋沢栄一男爵・高田学長等に御陪食仰付けられたり
○温室に於ける殿下と総長 御昼餐後温室に御案内申上げ此処にて御休憩、コーヒー及び御煙草を召され、御機嫌いと麗はしく直に伯に座を賜り種々御下問あり、伯は渋沢男の老いて益々国家社会の為めに尽力止まざる事を申上げ、其の実業界に於ける功労は勿論、一般社会上並に教育上殊に本大学及び女子大学等に対する同情尽力の次第を詳細御聴きに達し、次で高田学長の本大学に於ける功労を申上げ、三十年一日の如く中々の勉強家で殆んど寸暇もない位で、友人校友等は皆其の健康を気遣い居る事など御聴に達し、唯最後に「が謡曲が好きで御座いまして」と、とんだ処で素破抜かれたので、殿下も御微笑を御漏らしあらせられた。
 - 第45巻 p.316 -ページ画像 
○下略


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK450125k-0003)
第45巻 p.316 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十七日 晴 暖
○上略午前十一時早稲田大隈伯邸ニ抵リ、皇太子殿下ノ台臨ヲ奉迎シ、後午飧ニ陪食セシメラル、御食後庭園御散歩ニ随行シ、伯爵邸ニ於テ余興御一覧アリ、三時ヨリ学校御巡覧ニテ、各学科悉ク御視察アリ、終ニ浮田・有賀・坪内・天野四博士ノ講義御聴問アラセラレ、五時半頃御還リアリ○下略


竜門雑誌 第二八九号・第九〇頁明治四五年六月 ○東宮殿下大隈伯邸行啓(DK450125k-0004)
第45巻 p.316 ページ画像

竜門雑誌 第二八九号・第九〇頁明治四五年六月
    ○東宮殿下大隈伯邸行啓
東宮殿下には五月十七日午前十一時青山御所御出門、一条侍従長御陪乗、式武官・侍従武官・侍医等を随へさせられて、早稲田大隈伯邸へ行啓あらせられたり、途中早稲田大学・同中学・同実業学校の教職員生徒及牛込区内の中小学校教職員生徒の奉迎を受けさせられ、十一時四十分大隈伯爵邸へ着御あらせらるゝや、大隈伯、同令夫人及び家族一同、高田大学長、天野・浮田・坪内・有賀四博士は恭々しく洋館御車寄に御奉迎申上げ、大隈伯令嗣信常氏の御先導にて恩賜紀念館内の貴賓室に入らせられ、此処にて伯爵家族一同及親族の方々に拝謁を仰付けられ、御少憩後御昼餐を召させられたるが、青淵先生にも大隈伯其他の方々と与に御陪食を仰付けられたり、午餐後殿下には種々の余興抔を御覧あらせられて後早稲田大学へ臨御あらせられたるが、其際青淵先生にも高田学長其他の教職員と与に正門外にて御奉迎申上げ、軈て殿下には同校庭へ出でさせられて大隈伯銅像の台上に立たせ給ふや、庭内に整列せる数千の生徒並に校友諸氏は君が代を合唱し、終つて大隈伯の発声にて殿下の万歳を三唱し、次いで生徒一同校歌を合唱して玆に奉迎の誠意を表し、夫れより殿下には大隈伯及高田学長の御先導にて、理工化其他の各教室に成らせられ、親しく学生の実習を臠はせられて後再び校庭に出でさせ給ひて、御手づから鋤を把らせられ紀念の月桂樹を御手植ゑ遊ばされ、夫れより貴賓館に戻らせられて暫時御休憩の後、午後五時還啓あらせられたりとなり。


渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第五六五頁昭和八年一二月刊(DK450125k-0005)
第45巻 p.316-317 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第五六五頁昭和八年一二月刊
 ○第四編「初秋」五 教育
    その二 早稲田大学
○上略
 この温室に於ける拝謁に就ては、子爵の謹話があるから掲げて置きたい。
 『いとも畏き事なれども、陛下がいまだ東宮にあらせらるゝ時、早稲田大学へ行啓あらせられ、私は大隈伯爵邸で御陪食を仰付けられて親しく拝謁の光栄を荷ひました。軈て御午餐を済まさせられて暫時の御休憩中、畏れ多くも経済上の事に就て特に御下問あらせられました
 「現在の経済は概括的に言うたら、大体に於て格別心配すべき程の
 - 第45巻 p.317 -ページ画像 
事はないか。是迄発達した有様を継続して、更に進歩拡張する状態と言ひ得るか。」
 と云ふ御下問でありました。よつて私は或点からは多少心配がないでもございませぬ、併しながら国民は打挙つて努力勤勉して居りますから、事々物々満足に進歩発達を遂ぐるとは言上しかねますけれども大体に於て順当の進運を見ると云ふ状態にありますと、私が常に思うて居るところを極く卒直に拝答しましたら「尚精々勉強するやうに」と云ふ御言葉を賜はりました。尊き御身でありながら御気軽に御言葉を賜はり、前に述べたやうな事を御下問遊ばさるゝに就ても、威厳ある中に御愛情を含ませられて臣下に接せらるゝ御有様の所謂威あつて猛からずと云ふ御容子を拝見して、深く感佩致した次第であります。」
 子爵が大正天皇に拝謁したことは、或は此時のみであつたかと推察せられる。此記録すべき光栄が、早稲田大学基金管理委員長たりし関係からであることを考へると、このことを特に記すのも、また理由あることを首肯せられるであらう。
○下略
   ○栄一当大学基金管理委員長就任ニツイテハ本資料第二十七巻所収「早稲田大学」明治四十一年十一月三十日ノ条参照。