公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第46巻 p.246-247(DK460074k) ページ画像
昭和2年6月11日(1927年)
是日、上野精養軒ニ於テ、当校創立十周年記念式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
集会日時通知表 昭和二年(DK460074k-0001)
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集会日時通知表 昭和二年 (渋沢子爵家所蔵)
六月十一日 土 午后参時 成城小学校創立十周年記念式(上野精養軒)
竜門雑誌 第四六号・第一〇一頁 昭和二年七月 青淵先生動静大要(DK460074k-0002)
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竜門雑誌 第四六号・第一〇一頁 昭和二年七月
青淵先生動静大要
六月中
十一日 ○上略 成城小学校創立十周年記念会(上野精養軒)
成城学園回答(DK460074k-0003)
第46巻 p.246 ページ画像
成城学園回答 (財団法人竜門社所蔵)
成城小学校創立十周年記念祝賀会を昭和二年六月十一日上野精養軒に開く。
主催 成城小学校。 司会者 沢柳政太郎。
席上文部大臣水野錬太郎閣下、子爵後藤新平閣下に次いで、子爵渋沢栄一閣下祝詞を述べられる。
○右ハ当資料編纂所ノ問合セニ対シテ、昭和十三年十一月二十四日付回答セラレタルモノナリ。
教育問題研究 第八八号・第一〇―一一頁 昭和二年七月 成城小学校創立十周年を祝す(成城小学校への希望) 子爵渋沢栄一(DK460074k-0004)
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教育問題研究 第八八号・第一〇―一一頁 昭和二年七月
成城小学校創立十周年を祝す
(成城小学校への希望)
子爵 渋沢栄一
御祝ひの御言葉を申上げます。私は此の壇に登つて只「およろこばしゆうございます」と言ふより外に言葉を知りません。教育に対して門外漢である私はこれ以上言ふことが出来ないのです。
沢柳君は「楽んで教育をやつてゐる」と云はれた。此の沢柳君の楽しい仕事が十年といふ一くぎりをつけた今日、尚十年十年と幾つも十年をくり返す様においのりいたしたい。私はこの第一の十年に御喜びを申上げることを此の上もない光栄と思ひます。
成城小学校経営の実際については私は実際のところ少しも知らない又実際教育について経験のない私は批評は勿論御注文も出来ない。つまり御祝ひの言葉より外に申し上げる言葉を知らないのです。
さきに文部大臣は「短かい間に日本は長足の進歩をなし、五・六十年以前に於ては其の存在さへもみとめられなかつた、東海の一孤島日本が今や英・米と肩を並べるやうになつたのは、偏へに教育の力に待つものが多い」と云はれたが、仰せの通りであつたら心強いことである。短かいといへば短かいかも知れない、長いと云へば長いかも知れないが、此の五・六十年の間に英・米と肩を並べる様になつたことは嬉しい。
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其の長足の進歩にあづかつて力あることもたしかな事だろう。而し私は無学故、教育に対する適確な信念は持つてゐないが、私をして考へさすれば
知識は進んで行くが、真実の「魂の進歩」があつたか、私はこの疑問に対して懸念なき能はず、文部大臣も或場合にはこの事実を認めて下さるだらうと思ふ。
一般の学校が知識偏重に陥つてゐる際、成城に於て知情意の各方面に注意した教育をやつてゐるといふことを聞いて、よろこばしいことである。
成城学校に於ては、私の教育に対する心配が皆とりのぞかれてゐるのだと考へることが出来てうれしい。
沢柳博士は教師も生徒も父兄も楽しんでゐるといはれたが、楽しむといふことは、必ず子供をして感化せずにはおかないであらう。即ち知育のみでなく精神全体の発達は、児童が教師や父兄と楽しむ世界に於てのみ、はぐくまれるであろう。全く私はこの言葉を聞いて満足である。
私は古い教育――漢籍を少し学んだのみで、教育に対して殆んど知識がないが、維新当時の教育に比して、それ以後の教育は或は知育に偏し過ぎてゐはしないかと思ふ。その事実は色々の姿になつて現はれてゐる。成城小学校に於ては知育に偏することなく、子供の知情意の各方面は勿論、体育も重んじになり、子供の可愛がり、真に子供に楽しんで修養が出来るやうにして下さる、といふことは必ずや、教育上よき結果をもたらすに違ひない。
この考へを広く天下に押し広めて、教育の更新が行はれたならば、日本の幸福のみでなく、人類の幸福だと思ふ。十年十年とくりかへして、やがて健実な国民をつくられるであらう。其の第一番目の十周年を教育革新の第一着手たらしめんことをお願ひすると同時に、沢柳君の御未来をお祝ひ申上げます。
以上私はとりとめもないことを申上げてお祝ひの言葉とします。
〔参考〕集会日時通知表 昭和二年(DK460074k-0005)
第46巻 p.247 ページ画像
集会日時通知表 昭和二年 (渋沢子爵家所蔵)
七月十七日 日 午前九時 成城小学校主事小原国芳、市川夫人来約
○市川夫人ハ市河三喜夫人晴子(栄一外孫)。
〔参考〕渋沢栄一 日記 昭和三年(DK460074k-0006)
第46巻 p.247 ページ画像
渋沢栄一 日記 昭和三年 (渋沢子爵家所蔵)
二月二十五日 晴 寒気厳ナラズ
午前八時起床、入浴シテ朝飧ス○中略 小原国芳・三島海雲二氏来訪シテ沢柳氏ノ遺業タル成城学校ノ件ニ関シ種々説明且依頼アリ、依テ井上準之助氏トモ協議シテ何分ノ意見ヲ述フヘキ旨ヲ答ヘテ、両氏ハ辞去ス○下略