デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
4節 教育行政関係
1款 教育調査会
■綱文

第46巻 p.290-297(DK460086k) ページ画像

大正4年9月21日(1915年)

是年八月、高田早苗、大隈内閣ノ文部大臣ニ就任ス。是日文部省、菊池大麓提出ノ改革案ノ精神ヲ生カセル大学令案ヲ発表ス。

同日正午、栄一中央亭ニ於テ、菊池大麓等ト会シ、当調査会ニ関スル要件ヲ協議ス。


■資料

半峰昔ばなし 高田早苗著 第五九五―五九七頁 昭和二年一〇月刊(DK460086k-0001)
第46巻 p.290 ページ画像

半峰昔ばなし 高田早苗著  第五九五―五九七頁 昭和二年一〇月刊
    二八九 文部大臣
 私が文部大臣になつたに就ては、世間は多少の期待を以て私を迎へてくれた様であつた、それも或る程度迄は理由のない事はないのであつた。私は其前に教育調査会委員として頻りに修業年限の短縮を唱へ菊池大麓・渋沢子爵等の諸先輩と共に其意見の貫徹を計り、一時は調査会の多数を制する勢であつた。又私の過去三十年間に於ける経歴は私学のチヤンピオンとして世間が私を見るのは決して無理はなかつた併し私は結局世間の期待に背く事となつたと私自身も認めざるを得ないのである。但し、其期待に背いたといふのは、私が修業年限短縮の実行に不熱心であつた為でもなく、又私自ら私の過去を葬つて私学を裏切り、官学に叩頭した次第でもなかつたのである。
 私は大正四年の八月に入閣し、同五年の十月に職を辞したのであるから、其間僅かに十五ケ月に過ぎないのであつたが、就職後間もなく十一月十日から十二月の九日迄かゝつた処の即位の大典が、京都に於て行はせらるゝ事となり、常務の繁忙な上に、それが為に多くの時間を費して、年は暮れたのであつた。そして年が改まつて大正五年となると、大隈内閣の前途長からずといふ兆候は已に現はれたのである。元来教育上の改革といふものは、元より軽卒に行ふべきものでなく、深思熟慮は勿論、調査に月を重ね日を費して、而して更に教育調査会の如き機関の審議を経なければ、到底実行の場合に達すべきものでない。されば私として虚名をてらひ、成功を急ぐといふ考があつたならば、固より平生の抱負を行ふに躊躇すべきでないが、国策中の国策たる教育方針の改善を首として、重要なる改革を実行するには、少くともなほ一年や二年の歳月を要すると考へた。
○下略
  ○高田早苗ノ一木喜徳郎ニ替リテ文部大臣ニ就任セルハ大正四年八月ナリ。(創元社版、昭和三十年十一月刊「日本史研究事典」ニヨル)

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中外商業新報 第一〇五四七号大正四年八月二九日 ○学制案意見 大津参政官の談(DK460086k-0002)
第46巻 p.291 ページ画像

中外商業新報  第一〇五四七号大正四年八月二九日
    ○学制案意見
      大津参政官の談
新任大津文部参政官は目下文部省の懸案たる学制案に就き語つて曰く教育調査会に於ける該案の経過は従来と雖も多少注目し居たるが、素より充分なる研究に非らず、今日責任者の地位に在りては自ら門外漢たりし当時の見解と多くの相違を来す可きは当然にして、近く該案作成の議にも与り、又調査会にも出席し研究を重ねたる結果ならでは未だ意見を発表し難きも、予一個の解釈にては、従来大学教育・専門教育又は予備教育たる高等学校制度等に於て劃一主義の弊を甚だしく認め居らず、且つ之を劃一制度なりとして批難す可きか否かも疑はしきものにて、菊池案第一条の決議を基礎として成案するときは将来制度の自由を確保するにより直ちに現行の学制を根本より変革する謂にあらず、改革の趣意に就きては未だ当路者の説明を求めざるを以て、聊か憶断の慊ひあれば、尚充分研究したる後予も亦相当成案を得べきも要するに学制案の本旨は現状維持を破壊して急激なる変革を為すものには非ず、大体に於て漸進改革の基礎を定むるに在る可し云々と


渋沢栄一 日記 大正四年(DK460086k-0003)
第46巻 p.291 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
九月十六日 曇 昨夜ヨリ特ニ秋冷ヲ覚フ
午前七時起床、入浴朝飧ヲ畢リ○中略成瀬仁蔵氏来リテ教育調査会ノ事○中略ヲ談ス○下略
  ○中略。
九月廿一日 曇
○上略 正午中央亭ニ抵リ、菊地氏其他《(菊池)》ノ諸氏ト教育調査会ニ関スル要件ヲ協議ス、午飧ヲ共ニシテ三時散会○下略


集会日時通知表 大正四年(DK460086k-0004)
第46巻 p.291 ページ画像

集会日時通知表  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
九月廿一日 火 正午 菊池男・成瀬氏等ト御会合(中央亭)


中外商業新報 第一〇五七一号大正四年九月二二日 ○大学令案決定 廿一日文部省発表(DK460086k-0005)
第46巻 p.291-292 ページ画像

中外商業新報  第一〇五七一号大正四年九月二二日
    ○大学令案決定
      廿一日文部省発表
文部省に於て審議中なりし大学令案は左の如く決定、二十一日公表せり、来る教育調査総会を経て枢密院へ廻附さるべき筈也
    △大学令草案
第一条 大学は高等の学識及品格を備へ社会の指導者たるべき須要の人材を養成し、及学術の蘊奥を攻究するを以て目的とす
第二条 北海道地方費、府県又は市は大学を設立することを得
第三条 私人は大学を設立することを得
第四条 公立私立の大学の設立・廃止は文部大臣の認可を受くべし
第五条 私人にして大学を設立せんとするときは、其学校を維持するに足るべき収入を生ずる資産及設備又之に要する資金を備へ、民法に由り財団法人を設立すべし
 - 第46巻 p.292 -ページ画像 
第六条 公立及私立の大学は文部大臣之を監督す
第七条 大学の修業年限は四ケ年以上とす
第八条 大学に入学することを得るものは中学校若くは修業年限五ケ年の高等女学校を卒業したる者、又は文部大臣に於て之と同等以上の学力を有するものと指定したる者たるべし
第九条 大学に於ては其の卒業者の為に研究科を置き、其他学術研究に必要なる設備を為すべし
第十条 大学に於ては別科及附属専門部を置くを得
 附属専門部に関しては専門学校に関する規定を準用す
第十一条 官立大学の修業年限・学科目及其程度並に研究科及別科に関する規定は特別の規定ある場合の外文部大臣之を定む
 公立及私立の大学の修業年限・学科・学科目及其程度並に研究科及別科に関する規定は、公立大学に在りては管理者、私立大学に在りては設立者、文部大臣の認可を経て之を定む
第十二条 公立・私立の大学の教員の採用は、公立大学に在りては管理者、私立大学に在りては設立者に於て、文部大臣の認可を受くべきこと、但し勅任せらるゝもの及奏薦により任命せらるゝものに付ては此限りにあらず
第十三条 大学に於ては其卒業者に対し学士の称号を授くるを得
第十四条 大学に於て其研究科に三ケ年以上在学し研究の成績を提出して請求を為す者、又は論文を提出して請求を為す者に対し、教授会の審査を経て博士の称号を授くるを得、前項の外学術上功績ある者に対しては大学に於て教授会の決議を経て、博士の称号を授くるを得
第十五条 称号に関する規定は文部大臣之を定む
第十六条 本令に依る学校にあらざれば新に大学又は大学校と称するを得ず
    △附則
学位令及博士令規則は之を廃止す、但し本令施行前授与したる学位並に本令施行の際現に論文を提出して学位を請求する者に対し、本令施行後授与する学位に関しては、博士令に関する事項を除く外尚従前の規定に拠る


中外商業新報 第一〇五七二号大正四年九月二三日 ○新大学令説明 高田文部大臣談(DK460086k-0006)
第46巻 p.292-293 ページ画像

中外商業新報  第一〇五七二号大正四年九月二三日
    ○新大学令説明
      高田文部大臣談
高田文相は同案につき二十二日午後左の如く説明せり
△案の沿革 始め一木文相より教育調査会に提案し同会にて審議の末小委員会成立したるも、而も取扱は小委員会に反対の所謂菊池案の賛成者多数を占め、劃一主義の打破と年限短縮の二を趣旨とせり、当局は此の菊池案を基礎として発案せる次第なり
△案の要旨 第一条に規定せる如く従来の帝国大学令は学理の蘊奥を攻究すると国家に有益なる人材を養ふにありたり、然るに新案は更に高等の学識品格を備へたる社会の指導者を教育する旨を定めたり
 - 第46巻 p.293 -ページ画像 
△公私大学 従来の制度に依れば政府自ら設立するものは官立大学のみなれど、時勢は斯く一方に偏するを許さゞるを以て、一木文相時代よりして大学は官立にのみに限らずして官公私立をも認むる事とせり之れ従来の制度に比しては非常の変革なりと謂はざる可からず
△修業年限 年限を四個年以上と改めたるは年限短縮の趣旨によれるものにて、欧米列国の卒業平均年齢は二十二・三歳なり、独逸の如きは程度高く年限も長けれど彼は大学在学の年限乃至必修科目を規定せず、抑も大学の年限と科目を限りて在学を強制する点に於ては世界中日本を以て最とす、之れ元来無理なる制度なり
△女子入学 大学に入学すべきは従来男子のみに限られたれど、今回は女子をも入学せしむる事とせり、最も東北大学に於ては目下女子を入学せしめて之を試験しつゝあり、尤も大学に於て男女別々に教育するか若しくは同時にするかは将来に於て決すべき問題にて、欧米に於ても種々の例あり、要するに此点は未来の問題也
△研究科制 大学に研究科を設くることは重要なる個条として当局の意を用ひたる所なり、第一条の示す如く大学は学理の蘊奥をも攻究するにあり、教授も学生も共に研究せざる可からず、況んや大学には最高の学位を授くるの権能あるを以て、研究科は当然設置せざる可らず尤も研究科を設けず同時に学位の授与の権利をも要せずとの説なきにあらざれど之れ非なり、即ち研究科を設くるは大学と専門学校との区別をも明かにし且つ大学の濫設を防ぐにあり
△博士称号 従来博士号は文部大臣之れを授け、他の位階同様文書にも之を掲ぐる例なれど、今回の案にては大学自身之れを授くる事にせり、元来位階は元首の授け給ふ所なるを以て、学士博士の称号は今回之を大学に授与せしむることゝしたる次第にて、世界の諸大学亦然り欧米の大学には卒業試験なるものなく博士要求の試験あり、而して学位受験請求の研究科年限を三個年とせるは短きに過ぎて学位濫授の弊を来さゞるかとの反対説もあれど、独逸の大学の如き大学其者に三個年学べば博士受験権を生ず、米国も略ぼ之に等し、されば従来の大学院五年は長きに失するを以て三ケ年とせる所以なり、尤も此の以外にも論文を提出して博士を請求するを得、名誉博士を授くる規定もありて、各大学の教授会にて之を行ひ、学位要求の論文は世間に公表して学位濫授の弊害除去に努めんとし、其の規定は文部大臣別に之を定むることゝなしたり
△根本処理 新大学令は根本的一般的のものにして、現在の帝国大学高等学校及専門学校其他私立大学等の処分を如何にするかは第二段の実際問題にて、新案にして教育調査会を通過し勅令案として公布されたる場合には、之れを処分せざる可らず、要するに今回の案は根本問題を処理せるに過ぎず


集会日時通知表 大正四年(DK460086k-0007)
第46巻 p.293 ページ画像

集会日時通知表  大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
九月廿七日 月 午後二時 教育調査会(文部省)


中外商業新報 第一〇五七六号大正四年九月二七日 ○学令案愈上議 通過疑ひ無し(DK460086k-0008)
第46巻 p.293-294 ページ画像

中外商業新報  第一〇五七六号大正四年九月二七日
 - 第46巻 p.294 -ページ画像 
    ○学令案愈上議
      通過疑ひ無し
高田文相以下当局の調査したる新大学令勅令案は、愈々二十七日午後二時より文相官邸に開会の教育調査会に上議の筈にて、民間中には本案に対する反対の説を唱ふる向きもあれども、調査会員の多数は無論之に賛成し、尚枢密院方面に於ても今日は敢て反対的態度を採らんとするもの無きが故に、其通過は疑無く、従て発布の時期も案外早かるべしと


中外商業新報 第一〇五七七号大正四年九月二八日 ○大学令案質問 教育調査会総会(DK460086k-0009)
第46巻 p.294 ページ画像

中外商業新報  第一〇五七七号大正四年九月二八日
    ○大学令案質問
      教育調査会総会
文部省が今回公表したる大学令を附議すべき教育調査会総会は、既報の如く二十七日午後二時より文相官邸に於て開会す、出席者は加藤総裁・高田副総裁・成瀬仁蔵・関直彦・菊池大麓男・水野直子・三土忠造・中野武営・早川千吉郎・桑田熊蔵・花井卓蔵・嘉納治五郎・高木兼寛男・岡田良平・鈴木貫太郎・江原素六・山川健次郎・蜂須賀茂韶侯・手島精一・渋沢栄一男等にして、文部省側より高田文相、福原次官、大津・大隈正副参政官、田所普通学務局長臨席せり、先づ案の大体について高田文相の説明ありたるに対し、山川健次郎氏
 何故に帝国大学の処分をも併せて行はんとはせざるか。旧文部省案即ち一木案中には之を含み居たるにあらずや、年限短縮といふは畢竟官立大学についての事也、此の方の処分を規定せざるは不備にあらざるか
と質問したるに、高田文相
 开は何れ調査を遂げ機を見て之を行はん考にして、此の大学令は要するに原則を定めんとするもの也、此案通過して次の問題に移らんと欲するのみ
と対へたるが、桑田熊蔵氏は
 文部省は曩きに案を出し今又案を提出せり、曩に提出されたる案は破棄されたるものなるか
と質問し、高田文相より
 前案は自然消滅したるものとの解釈を採り居れり
と答へ、同意者ありたり、続いて蜂須賀・花井・三土・岡田氏等より山川氏と略同様の問題についての質問あり、高田文相は帝大の処分に付ては多少の腹案ある旨を告げたるが、尚来る二十九日午後二時より引続き総会を開き質問を続行することゝし、午後五時散会したり


中外商業新報 第一〇五七九号大正四年九月三〇日 ○教育調査会 引続く質問戦(DK460086k-0010)
第46巻 p.294-295 ページ画像

中外商業新報  第一〇五七九号大正四年九月三〇日
    ○教育調査会
      引続く質問戦
大学令に関する教育調査総会は前回に引続き廿九日午後二時より文相官邸に開会す、出席者は加藤総裁以下菊池・鎌田・水野・三土・中野・早川・桑田・花井・鵜沢・嘉納・高木・岡田・鈴木・江原・山川・手
 - 第46巻 p.295 -ページ画像 
島氏等にして、文部省側よりは高田文相、福原次官、大津・大隈正副参政官及び田所普通学務局長出席せり、前回に引続き質問に入り、岡田良平氏「研究科の主旨は如何、現在の大学院と差異ありや」と質問し、高田文相は
 研究科の主旨は以て直ちに大発見・大発明を為さしむといふにはあらず、唯居残つて尚熱心に研究せんとする者を収容する処にて、恰も米国のボース・グラヂユエート・コースの如きものとして講義も実験も討論もあり、要するに真面目に研究を遂げしめんとするものにて、唯籍を置いて研究に従事する現在の大学院とは赴きを異にせり
と対へ、三土忠造氏「帝大、高等学校、東北大学予科の処分案を明かにせざるは如何、其逆に高等学校を一年に短縮することも難かしかるべく、若し之を二年となさば、四年の大学制は全然破壊さるゝにあらずや」と、文相
 這は前回に申せし通り研究中にして、未だ具体的成案なし
と対へ、高木兼寛男「草案第一条には大学は高等の学識及び品格を備へ……を養成し云々とあり、然らば現在の大学には高等の品格者は之を望み難しとなすか、又大学本科を卒へたる者にして或科につき特に研究を欲する者には、例令二・三週間にても研究科の生徒たらしむることを得るか」と質問し、文相
 今日迚も高等の人格を備へたる者なきにあらざれど、今後は一層之を目的とすべく明記したる訳也、次に研究科志望者には短期と云へども素より入学を許可すべく、唯学位を得んためには所定の年限在学せざる可らず
と対へ、菊池大麓男「研究科は各大学共必ず之を置くべしとの精神なるか」と問ひ、高田文相
 然り、大学の権威の上よりいふも爾くあるべきものにて、以て学位授与権を有する次第也
と対へ、桑田熊蔵氏「已に大学本科を卒へ世間に職業を有する者も研究科に入学するを得るか」と糺し、文相
 斯る者は入学するを得ず、之れ現在の大学院と異る点にして、研究科は真面目に専心研究せんとする者のために設けんとする者也
と対ふ、午後五時散会、次回は一日


中外商業新報 第一〇五八五号大正四年一〇月六日 ○帝大は反対也 学制案評議員会(DK460086k-0011)
第46巻 p.295 ページ画像

中外商業新報  第一〇五八五号大正四年一〇月六日
    ○帝大は反対也
      学制案評議員会
東京帝国大学にては曩に評議員会の議決により、高田文相に対し、新大学令と帝大と関係あるものならば、諮問に与りたしと要求し、文相は年限短縮の件を諮問せしにより、四日と五日とに教授会を開きたる結果、各分科毎に多少の相違はあれど大体に於ては反対の意嚮を明かにし、農・法科最も猛烈に反対し、医・工科之につぎ、文・理科は比較的温和の反対なるが、六日更に評議員会を開き決定の筈

 - 第46巻 p.296 -ページ画像 

中外商業新報 第一〇五八六号大正四年一〇月七日 ○大学令一部改正か 調査特別委員会(DK460086k-0012)
第46巻 p.296 ページ画像

中外商業新報  第一〇五八六号大正四年一〇月七日
    ○大学令一部改正か
      調査特別委員会
教育調査会の新大学令に関する特別調査委員会は既報の如く六日午前九時より文相官邸に開会、菊池・成瀬・三土・鎌田・早川・鵜沢・岡田・嘉納(花井氏欠席)の各委員出席、文部省よりは高田文相・福原次官等出席し、菊池男を委員長とし、新大学令案につき懇談的協議に移りたるが、菊池男は学芸大学の説明を為し、岡田氏は帝大年限短縮につき意見を述べ、成瀬氏は参考資料として欧米現在の大学につき例を挙げて説明したるが、結局同委員会の任務たる帝大及び高等学校処分問題に先だち、新案第七条の「大学の修業年限は四ケ年とす」とあるは文部当局の精神は予備教育をも含みたるものを指したるならんが、而かも明かに大学修業四年と規定しあるは、現在の帝大が修業三年なるに比し一見甚だ体裁を為さゞるの嫌ひあり、故に委員は次回までに此の第七条を如何にすべきやにつき各自研究すべきことを申合せ正午散会せり、次回は十三日午後二時


中外商業新報 第一〇五八八号大正四年一〇月九日 ○大学令と帝大 賛否の言明を避く(DK460086k-0013)
第46巻 p.296 ページ画像

中外商業新報  第一〇五八八号大正四年一〇月九日
    ○大学令と帝大
      賛否の言明を避く
曩に帝国大学の希望に依り大学令案並に帝国大学及高等学校処分に関する諮問案に対し、山川東京帝国大学総長は八日同学評議会の決議を齎し開陳する処ありたるが、右答申の趣旨は、第一項の新学制案に対しては条文中不明の個所尠なからざるを以て未だ賛否を言明し難く、又第二項の年限短縮案に就ては大学本科に於ては絶対に短縮の余地なく予備教育に於ては充分なる研究を要せざるべからずとの不得要領なる意味に外ならず、曩に自ら諮問を要求しながら今更斯の如き答申を見るは多少徹底せざるの感あり、而して之に対する文部省の態度は何れ他の京都・九州・東北各大学の答申纏りたる上ならでは決し難く、目下開会中の教育調査特別委員会に附託したる同案が修正可決したる上にて再諮問を行ふや否やも目下未定也


中外商業新報 第一〇五九三号大正四年一〇月一四日 ○帝大処分協議 学制案特別委員会(DK460086k-0014)
第46巻 p.296 ページ画像

中外商業新報  第一〇五九三号大正四年一〇月一四日
    ○帝大処分協議
      学制案特別委員会
文部省学制特別委員会は十三日午後二時より永田町文相官邸に開催、花井氏を除く外菊池委員長以下全員出席、文部省より福原次官・粟屋幹事等出席、先づ会員側より新学制案中には学芸大学なるものを包含し居れりやとの質問あり、之に対し福原次官は包含し居る旨答弁あり種々懇談の後、菊池男は帝国大学処分問題としては学芸大学を認むる事に依りて帝国大学の年限短縮をなし得るものなりとの説明あり、之に対し早川千吉郎氏は学芸大学の設立と否とに関せず帝国大学の修業年限を短縮する旨希望したるも、何等纏りたる意見なく、午後五時散会したるが、次回は十八日午前九時開会の筈

 - 第46巻 p.297 -ページ画像 

中外商業新報 第一〇六三〇号大正四年一一月二〇日 ○学制問題と貴院 高田案の前途悲観(DK460086k-0015)
第46巻 p.297 ページ画像

中外商業新報  第一〇六三〇号大正四年一一月二〇日
    ○学制問題と貴院
      高田案の前途悲観
今期議会に於ける貴族院の態度は我が政局変転に至大の関係を有するは勿論なるが、由来上院は政治問題に対する各派歩調一致を見るは多少困難なる事情あれど、教育問題に至りては容易に其議纏まる可き傾向あり、現に山本内閣時代に於ける教育調査会設置に関する建議案の如き全会一致を以て可決せるに見るも明かなり、左れば全院が熱心なる主張の下に設置したる同会は、今や共通の利害関係を有する者共相集まりて、高田現文相を推し立て相援けて、拙速的に姑息なる学制改革を成立せしめんと企てつゝあるを見て痛く感情を害し、来るべき総会に於ては是非共高田案を一挙にして葬り去らんことを期し、目下極力奔走しつゝあるものあり、勿論此の運動の中心は貴族院側にあれど其背後には有力なる帝大教授及び枢密顧問官等と気脈相通じて陰約の間に確き黙契あるものゝ如くなれば、高田案の運命は未だ容易に楽観を許さゞるものあり、近時漸く政治季節の近くと共に、我学制改革問題も場合に依りては政争渦中に投ぜらるに至るやも計り難し


中外商業新報 第一〇六三四号大正四年一一月二四日 ○学制案の前途 反対運動益旺盛(DK460086k-0016)
第46巻 p.297 ページ画像

中外商業新報  第一〇六三四号大正四年一一月二四日
    ○学制案の前途
      反対運動益旺盛
新大学令案に対する貴族院側及帝大教授の反対運動着々其効を奏しつつありて頃日来枢密院の形勢漸く文部当局案に非なるものゝ如く、又教育調査会にても、所謂私学派は来るべき総会に於て一挙に可決すべきやに今尚極力唱導せられつゝあるも、会員の大部分は帝大処分案の成立確定するまで一先づ大学令案の議決を保留すべしとの説、漸く会内多少の有力者間に唱へられつゝありと伝へらる