デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
8款 財団法人理化学研究所
■綱文

第47巻 p.82-94(DK470008k) ページ画像

大正5年10月5日(1916年)

是日栄一、当研究所第二回設立協議会ニ出席、創立委員ニ選バル。次イデ十八日東京商業会議所ニ開カレタル創立委員会ニ於テ、推サレテ創立委員長トナリ、十九日常務委員ヲ指名ス。爾後当研究所設立ノタメニ政府トノ交渉、帝室御下賜金ノ請願及ビ東京其他各地富豪ニ対スル寄付金募集ニ奔走シ、十二月九日東京商業会議所ニ開カレタル常務委員会ニ出席シテ寄付ノ情況ニツキ説明ス。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK470008k-0001)
第47巻 p.82 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
十月五日   木 午前十時 理化学研究所ノ件(首相官邸)
  ○中略。
十月十八日  水 午後一時 理化学研究所創立委員会(商業会議所)
  ○中略。
十一月一日  水 午後二時 総理大臣御訪問(官邸)
  ○中略。
十一月十八日 土 午前十時 理化学研究所ノ件(商業会議所)
  ○中略。
十二月九日  土 午前十時 理化学研究所ノ件(商業会議所)


設立経過(DK470008k-0002)
第47巻 p.82-83 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    第二回設立協議会
大正五年十月五日午前十一時、大隈首相官邸ニ於テ設立協議会ヲ開ク大隈侯爵ハ理化学研究所設立ニ関シ経過ノ大要、時局ニ鑑ミ設立ノ急務ナルコト、並ニ政府ニ於テハ既ニ本案ノ為助成スヘキ事項ハ尽シタルニヨリ、速ニ設立ノ完成ヲ期スヘキコトニ就キ演説セラレ、渋沢男
 - 第47巻 p.83 -ページ画像 
爵ハ設立ニ関スル沿革ノ詳細ニ就テ報告セラレ、一同ニ発起人トシテ協力一致本業ノ為尽力アランコトヲ懇望セラレタリ、次テ河野農相ヨリ事業ノ進捗ヲ計ル為三十名内外ノ創立委員ヲ選任スルコト、創立委員中ヨリ更ニ数名ノ常務委員ヲ選任スルコト、発起人増加ノ必要アルトキハ創立委員ニ於テ之カ委嘱ヲ為スコト、創立委員ノ人選ハ大隈侯爵ノ指名ニ依リ決定スルコトヲ発議セラレ、左ノ通リ決議シ、更ニ大隈侯爵ヨリ創立委員ヲ指名セラレタリ
    理化学研究所設立協議会決議事項
一、曩ニ渋沢男爵外十一名ヨリ政府ニ建議書トシテ提出シタル理化学研究所ノ設立計画(前便御送付シタルモノ)ヲ承認スルコト
二、出席者ハ理化学研究所設立発起人タルコト
三、差当リ左記三十名ニ創立委員タルコトヲ依嘱シ、創立ニ関スル一切ノ事務ヲ処弁スルコト
四、六大都市其ノ他ノ地方ニ於ケル発起人増員ノ必要ナルトキハ創立委員ニ於テ之カ委嘱ヲ為スコト
五、創立委員増員ノ必要アルトキ亦前項ニ同シ
六、創立委員中ヨリ更ニ若干名ノ常務委員ヲ選任シ、日常ノ事務ヲ掌ラシムルコト
    理化学研究所創立委員氏名
 東京府  井上準之助          中野武営
      豊川良平  理学博士薬学博士 長井長義
   男爵 大倉喜八郎          安田善三郎
      大橋新太郎          馬越恭平
 工学博士 渡辺渡         男爵 近藤廉平
      和田豊治
 工学博士 団琢磨       理学博士 桜井錠二
      高松豊吉        男爵 渋沢栄一
 京都府           神奈川県
      浜岡光哲           原富太郎
      田中源太郎          中村房次郎
      内貴甚三郎    兵庫県
 大阪府                 川西清兵衛
      土居通夫           滝川儀作
      片岡直輝     愛知県
      久原房之助          滝定助
      小山健三           鈴木惣兵衛
      平賀義美
      鈴木馬佐也
而シテ渋沢男ノ発議ニヨリ、来ル十八日午後一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ創立委員会ヲ開催スルコトニ決シ散会セリ、当日ノ出席者左ノ如シ
  大隈首相・河野農相・渋沢男爵○外四一名氏名略ス


中外商業新報 第一〇九五二号 大正五年一〇月六日 理研発企総会 創立委員決定す(DK470008k-0003)
第47巻 p.83-84 ページ画像

中外商業新報  第一〇九五二号 大正五年一〇月六日
 - 第47巻 p.84 -ページ画像 
    ○理研発企総会
      創立委員決定す
理化学研究所発企人総会は五日午前十一時より永田町首相官邸に開会し、河野副会長を始め主唱者側発企人中野武営・井上準之助・桜井錠二・長井長義・渡辺渡・団琢磨・近藤廉平・安田善三郎・豊川良平、其他東京・大阪・京都・神戸・横浜・名古屋等の発企人四十余名出席し、先づ大隈会長創立計劃を述べ、準備委員の労を謝し、次で河野副会長よりも挨拶あり、続いて渋沢男は準備委員長として発企人会に於て決定せる今後の制定順序、方針及委員設置の件等報告ありて種々協議を為し、委員の人選は会長一任に決し、正午階下大食堂に於て会長より鄭重なる午餐の饗応ありて、午後一時散会せり、会長の指名せる創立委員左の如し
 △東京 井上準之助・豊川良平・大倉喜八郎・渡辺渡・団琢磨・高松豊吉・中野武営・長井長義・安田善三郎・近藤廉平・桜井錠二・渋沢栄一・大橋新太郎・和田豊治・馬越恭平△京都 浜岡光哲・田中源太郎・内貴甚三郎△大阪 土居通夫・片岡直輝・久原房之助・小山健三・平賀義美・鈴木馬左也△神奈川(横浜) 原富太郎・中村房次郎△兵庫(神戸) 川西清兵衛・滝川義作△名古屋 滝定助・鈴木総兵衛


設立経過(DK470008k-0004)
第47巻 p.84-85 ページ画像

設立経過             (財団法人理化学研究所所蔵)
    創立委員会
大正五年十月十八日午後一時半、東京商業会議所ニ於テ創立委員会ヲ開キ、中野委員ヨリ大隈侯爵ハ脚痛ノ為、又渋沢男爵ハ風邪ノ為不得已欠席セラレタル旨報告アリ、次テ同委員ヨリ本日ノ議題ニ就キ説明セラレ、全員一致左ノ通決議ス
 一、創立委員長ハ渋沢男爵ヲ煩ハスコト
 二、発起人及創立委員ヲ各地方ニ増加スルコト、其人選及委嘱方ハ委員長ニ一任スルコト
 三、常務委員ノ選任ハ委員長ニ一任スルコト
 四、資金募集ノ方法並ニ財団法人設立ノ予定計画ニ関シテハ、常務委員ニ於テ具体的ノ案ヲ草シ、創立委員会ニ於テ決定スルコト
 五、創立費支弁ニ関シテハ委員長ニ於テ便宜取計フコト
而シテ中野委員ヨリ書記トシテ水谷清ヲ嘱託シタルコトニ就キ全員ノ承認ヲ得、尚同委員ヨリ本日議事ノ顛末ヲ渋沢男爵ニ報告シ、併セテ之カ承認ヲ乞ヒ着々設立事務ノ進捗ヲ図ルコトヽシテ、午後三時半散会セリ○中略
    創立委員長承諾
大正五年十月十八日創立委員会ノ決議ニ依リ、即日中野委員ヨリ渋沢男爵ニ創立委員長タルコトニ付承諾ヲ求メラレタルニ直チニ快諾セラレタリ
    常務委員委嘱
大正五年十月十九日創立委員長ヨリ左記ノ六氏ヲ常務委員トシテ委嘱セラル
 - 第47巻 p.85 -ページ画像 
                理学博士 桜井錠二
                工学博士 高松豊吉
                工学博士 団琢磨
                     和田豊治
                     大橋新太郎
                     中野武営


中外商業新報 第一〇九六五号 大正五年一〇月一九日 理研の委員長 渋沢男に決定(DK470008k-0005)
第47巻 p.85 ページ画像

中外商業新報  第一〇九六五号 大正五年一〇月一九日
    ○理研の委員長
      渋沢男に決定
理化学研究所創立委員近藤廉平男・団琢磨・中野武営・大橋新太郎・高松豊吉・渡辺渡・長井長義・桜井錠二(以上東京)、原富太郎・中村房次郎(以上横浜)、滝川儀作(神戸)は十八日午後一時東京商業会議所に於て会合、左記事項に付き協議したる結果、創立委員長としては渋沢男を推す事とし、此の旨中野武営氏より男に協議する筈なるが、常務委員の指名並に員数は委員長に一任し(二)(四)(五)の三件は委員長及び常務委員の詮議に任ずと決定、二時半散会せり
 (一)委員長推薦の件
 (二)発起人並に創立委員増員の要否
 (三)常務委員選定の件
 (四)資金募集方法並財団法人設立の予定計画に関する件
 (五)創立費支弁に関する件


竜門雑誌 第三四二号・第八七頁 大正五年一一月 ○理化学研究所創立委員会(DK470008k-0006)
第47巻 p.85 ページ画像

竜門雑誌  第三四二号・第八七頁 大正五年一一月
○理化学研究所創立委員会 同会にては十月十八日開会の創立委員会に於て青淵先生を委員長に推選し、且つ同委員中より常務委員を選定することゝし、其人選は委員長に一任することに決したれども、当日青淵先生が病気の為め欠席したるに付き、中野武営氏委員会を代表して廿日青淵先生《(マヽ)》を曖依村荘に訪ひ、右の決議を報告したるに、先生には直ちに委員長たることを快諾せられ、同時に常務委員として左の諸氏を指名せられたりといふ。
  ○氏名前掲ニツキ略ス。
尚ほ創立事務所は東京商業会議所内に設置することとなりし由。


渋沢栄一書翰 杉田富宛 (大正五年)一〇月二〇日(DK470008k-0007)
第47巻 p.85-86 ページ画像

渋沢栄一書翰  杉田富宛 (大正五年)一〇月二〇日  (杉田富氏所蔵)
○上略
十八日之理化学研究所創立委員会も不快之為め欠席仕候、乍去中野氏代理ニて当用ハ相運申、委曲ハ滝川氏帰神御申通之事と存候
○中略
理研寄附金募集ニ付而ハ品ニ寄り更ニ老生出張と申事ニ可相成歟、詰り新内閣之決意篤と承り合候上ニて、右等之運動ハ取掛可申と存候
○中略
  十月廿日
                     渋沢栄一
 - 第47巻 p.86 -ページ画像 
    杉田賢契
       坐下
  ○追書略ス。


設立経過(DK470008k-0008)
第47巻 p.86-87 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
                           (水谷)
  大正五年十月十九日               書記(印)
 創立委員長栄一 (印)
桜井博士外五名宛常務委員推薦方ニ関スル書状案

  桜井博士外五名宛常務委員推薦方ニ関スル書状案
拝啓 時下益々御多祥被為入奉賀上候、陳者昨十八日理化学研究所創立委員会開催相成候ニ就テハ、是非出席可致筈ニ有之候処、過日来ノ風気未タ全快不致、医師ノ注意ニ依リ遺憾ナカラ欠席仕候次第、不悪御諒察被下度候、其節委員会ノ決議ヲ以テ不肖創立委員長ニ御推薦ヲ蒙リ誠ニ光栄ニ奉存候、然ルニ任甚タ重ク素ヨリ其器ニアラス候得共研究所ノ事業タル、国家ノ事業ト云フモ不可ナク、其設立ノ必要ハ実ニ一日ヲ緩フスヘカラサルモノアルヲ以テ、不肖ナカラ承諾致候次第ニ御座候、何卒今後御援助之程切ニ奉願上候
次ニ同委員会ノ決議ニヨリ、常務委員ノ選任ヲ御一任相成候ニ就テハ貴殿、高松博士・団博士・和田君・大橋君・中野君ヲ御推薦申上候間御繁用ノ折柄甚タ御迷惑ノ義ニ存候得共、何卒御承諾被為下候様御依頼申上候、尚直チニ常務委員会ヲ開キ、種々御協議申上度ト存候得共引続引籠中ニ付、全快次第御会合相煩シ度ト存居候、御含置被下度、先ハ御依頼旁々右得貴意度如斯ニ御座候 敬具
  大正五年十月十九日
          理化学研究所創立委員長 渋沢栄一
    桜井博士外五名宛
                       (水谷)
  大正五年十月二十日           書記(印)
 創立委員長栄一
左案ヲ印刷ニ附シ夫々発送相成可然哉伺上候
 第一案 中野委員ヨリ創立委員ヘ十八日ノ委員会決議事項、委員長承諾、常務委員委嘱ニ関シ報告(大正五年拾月廿参日施行)
 第二案 渋沢委員長ヨリ大隈侯爵、関係各省次官及設立発起人ヘ挨拶状(大正五年拾月廿四日施行)
    第一案
拝啓 時下益々御多祥奉賀候、陳者予テ御配慮相煩居候理化学研究所設立ノ件ニ関シテハ、去ル十八日東京商業会議所ニ於テ創立委員会開催致候処、当日大隈侯爵・渋沢男爵共病気ノ為不得已欠席セラレ、小生ヨリ協議ヲ遂ケ候処、出席委員近藤男爵外十名一致左ノ通決議致候仍テ小生ヨリ渋沢男爵ニ議事ノ顛末ヲ報告シ、併テ之カ承認ヲ乞ヒタルニ、幸ニ創立委員長タルコト其他決議事項ヲ承認相成、同男爵ヨリ左ノ六氏ニ常務員タルコトヲ委嘱相成候、就テハ当分創立事務所ヲ東京商業会議所内ニ設ケ、渋沢男爵ノ快癒ヲ俟テ着々設立事務ノ進捗ヲ
 - 第47巻 p.87 -ページ画像 
図ルヘク、従テ今後御配慮ヲ相煩シ候事多々可有之ト存候、何卒御尽力ノ程切ニ奉願上候、先ハ右御報告旁御依頼迄如斯ニ候 敬具
  大正五年十月二十日           中野武営
    創立委員宛
    第二案
拝啓 時下益々御多祥奉賀候、陳者予而御配慮相煩居候理化学研究所設立ノ件ニ関シテハ、去ル十八日東京商業会議所ニ於テ創立委員会開催相成、不肖同会ノ決議ヲ以テ創立委員長ニ御推薦ヲ蒙リ候処、素ヨリ其器ニアラスト存候ヘ共、同研究所ノ設立ハ一日モ緩フスヘカラサル義ニ御座候間、此際彼是ト逡巡致居候ハ為国家甚タ不利益ト相成候ニ付、不肖ナカラ承諾仕候、就テ同委員会ノ決議ニ依リ小生ヨリ桜井博士・高松博士・団博士・和田君・大橋君・中野君ヲ常務委員ニ委嘱致シ、近ク東京商業会議所内ニ創立事務所ヲ設ケ、着々設立事務ノ進捗ヲ相図可申候間、何卒本計画遂行上特別ノ御尽力相仰度懇望ノ至ニ不堪候、先ハ右御依頼旁得貴意候 敬具
  大正五年十月二十日        男爵渋沢栄一
    大隈侯爵・関係各省次官
                宛
    設立発起人
  大正五年十月三十日
 創立委員長栄一
 来ル十一月一日内務省ニ於テ農商務大臣ヨリ各地方長官ニ理化学研究所設立ニ関シ訓示有之
  右設立ニ関スル印刷物ハ各地方長官旅宿ヘ送付シ置クヘキ内命有之候ニ《(衍)》間、左案ヲ附シ別冊印刷物送附相成可然哉
拝啓
時下益々御清穆之条奉恭賀候、陳者本日農商務省ヨリ御達有之候ニ付別封ヲ以テ理化学研究所設立ニ関スル建議書並ニ仮ニ作成シタル趣旨及計画書等御送付申上候、何卒御一覧被下度候、右研究所設立ノ事ハ数年来ノ懸案ニシテ、時局ノ為遂ニ朝野ノ輿論ト相成、先頃発起人会ニ於テ不肖創立委員長ノ重任ヲ負ヒ、愈々近々其設立ニ着手可致見込ニ御座候、就テハ甚ク御迷惑ノ義トハ存候得共、本事業ノ為公私共御助力被成下度切ニ奉懇願候 敬具
  大正五年十一月一日         男爵渋沢栄一
    各地方長官宛

  渋沢創立委員長及中野常務委員首相ヲ訪問
大正五年十一月一日午後、渋沢創立委員長及中野常務委員ハ寺内首相ヲ永田町官邸ニ訪問セラレ、研究所設立ニ関スル経過並ニ之カ設立ニ関シ希望等ヲ陳述セラレタリ


中外商業新報 第一〇九八四号 大正五年一一月七日 理研創立進捗(DK470008k-0009)
第47巻 p.87-88 ページ画像

中外商業新報  第一〇九八四号 大正五年一一月七日
    ○理研創立進捗
理化学研究所設立に関する諸準備は着着其歩を進めつゝあるも、渋沢
 - 第47巻 p.88 -ページ画像 
男病気のため所管新大臣に対する申告遅延し居たるが、両三日前同男は中野武営氏同道農商務省に仲小路農相を訪ひ、之が趣旨計画並に従来の経過に付詳細報告せるを以て、近く常務委員会を開き寄附金募集方法其他細目に亘り協議決定の上、愈々具体的に事業の進捗を図る予定也と


中外商業新報 第一〇九九二号 大正五年一一月一五日 理研創立進捗(DK470008k-0010)
第47巻 p.88 ページ画像

中外商業新報  第一〇九九二号 大正五年一一月一五日
    ○理研創立進捗
      十八日委員会
理化学研究所設立に関する総ての準備協議は常務委員長たる渋沢男病気中延期されしが、同男病気全快したるを以て愈々来る十八日商業会議所に於て常務委員会を開催し、左の三件を協議することに決定せり
 一発起人及創立委員の増加人選に関する件
 二資金募集方法
 三財団法人設立の予定計画


設立経過(DK470008k-0011)
第47巻 p.88-89 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    第一回創立常務委員会
十一月十八日午前十時ヨリ東京商業会議所ニ於テ、第一回創立常務委員会ヲ開催シ、専ラ寄附金募集ニ関シ協議ヲ遂ケ、左ノ通リ決議シ、〇時半散会セリ
 一、法人設立ニ必要ナル第一回寄附金ヲ募集スル準備トシテ、内々寄附ヲ申出ラレタル原六郎氏ニ寄附金額ノ決定ヲ請ヒ、次テ東京市ニ於ケル有力ナル実業家ニ就キ寄附金ニ関シ打合ヲ為スコト
 二、研究所事業カ我カ工業界ニ及ホス影響ノ如何ヲ一般ニ貫徹セシムルノ必要アルニヨリ、適当ナル説明書ヲ起草スルコト
      以上
 追テ散会後、高松・桜井両博士ハ右説明書ノ起草方ニ関シ協議セラレ、直ニ起草ニ着手スルコトヽシ、午後四時退出セラル、当日ノ出席者左ノ如シ
  渋沢委員長○外七名氏名略ス

    辞退発起人ニ再ヒ懇請
発起人ハ曩ニ大隈侯爵ヨリ委嘱ノ際
  東京  八九
  京都  一〇
  大阪  四四    合計百八十九名
  神奈川 二三
  兵庫  一一
      一三
ナリシカ、其後辞退申出タル向十九名ニシテ、内死亡一名洋行中二名ヲ除キタル十六名ニ対シ、渋沢委員長ヨリ更ニ発起人タルコトヲ懇請セラレタル結果、左ノ通リ決定セリ
  理化学研究所設立発起人名簿(イロハ順)○氏名略ス
 - 第47巻 p.89 -ページ画像 
  ○東京府八十三名(内創委十五名)
  ○京都府十名(内創委三名)
  ○大阪府四十一名(内創委五名)
  ○神奈川県二十二名(内創委二名)
  ○兵庫県九名(内創委二名)
  ○愛知県十三名(内創委二名)
 但シ以上ハ大正五年末迄ニ確定シタル分
   合計発起人百七十八名 創立委員二十九名


中外商業新報 第一〇九九八号 大正五年一一月二一日 理研設立協議(DK470008k-0012)
第47巻 p.89 ページ画像

中外商業新報  第一〇九九八号 大正五年一一月二一日
○理研設立協議 理化学研究所創立常務委員中野武営氏は、二十日正午農商務省に岡商工局長を訪問し、理研創立事務に就き懇談する所ありたり


中外商業新報 第一〇九九八号 大正五年一一月二一日 理研附帯事業(DK470008k-0013)
第47巻 p.89 ページ画像

中外商業新報  第一〇九九八号 大正五年一一月二一日
    ○理研附帯事業
目下創立事務進捗中の理化学研究所は、研究及発明奨励の為め左記事業を併せ行ふ計画なりと
 一、海外各地に於ける試験所・研究所等と連絡を保ち、報告書其他の印刷物の交換を為すこと
 二、理化学に関する内外の著述を蒐集し、図書館を設置する事
 三、原料調査又は実地視察の為め、所員又は嘱託員を内外各地に派遣すること
 四、特殊の事項に付き発明的考案を募集する事
 五、本所の募集に応じ又は随時発明的考案を提出する者ある時は、審査の上相当の報償を以て買収し、本所に於て其実地研究又は応用試験を為すこと
 六、卓越せる研究又は発明を表彰すること


中外商業新報 第一一〇〇八号 大正五年一二月一日 原六郎氏卅万円を寄附す 理化学研究所の為に(DK470008k-0014)
第47巻 p.89 ページ画像

中外商業新報  第一一〇〇八号 大正五年一二月一日
    ○原六郎氏卅万円を寄附す
      理化学研究所の為に
理化学研究所の設立は欧洲大乱の勃発と共に益々急を訴へ、政府に於ても補助金の支出に就て既に議会の協賛を求むる所あり、之と呼応して民間に於て亦寄附金募集の計画を以て、渋沢男常務委員長として折角斡旋中なりしが、実業界の耆宿原六郎氏は卒先此挙に賛意を表し、三十万円の寄附を渋沢男並に桜井博士迄申出でたり、右寄附金は原氏が予て自ら一の研究所を設立するの計画を立て之が資金に充当せんとしたるものゝ由にして、畢竟同一趣意の計画に参与し、之を大成するの寧ろ国家の為め利益なるべきを信じ来れるによるものゝ如し、渋沢男は近く此旨を委員に通じ、更に原氏とも協議する所あるべしと


中外商業新報 第一一〇〇九号 大正五年一二月二日 理研寄附動機 原六郎氏談(DK470008k-0015)
第47巻 p.89-90 ページ画像

中外商業新報  第一一〇〇九号 大正五年一二月二日
    ○理研寄附動機
 - 第47巻 p.90 -ページ画像 
      原六郎氏談
 今回原六郎氏が理化学研究所に三十万円を寄附したる事に付き、同氏は往訪の記者に語つて曰く
従来我国に理化学研究に関する特種の設備無かりしことは大なる欠陥なりしが、欧洲戦乱勃発以来殊に之れが必要を感ずること痛切にして余は微力ながら昨年頃より右研究所設置の計画をなし、知人山川帝大総長・菊池博士等にも相当なる人の選択を依頼するなど着々其歩を進めて居たりしところ、別に政府に於て補助金を支出すべき同一趣旨の計画成り、これに付ては渋沢男を始め桜井博士其他の人々専ら斡旋中にて、余の計画を聞き先般之を一つの事業にしては如何との交渉あり元来が同一趣旨の下に成る計画なる以上は、是非共単独にて設立せざる可らざるの理由もなく、縦ひ単独にて計画するとするも十分なる事は力の及ぶところに非ず、依て寧ろ先方の交渉に応じて之が経営を託すれば大なる者が出来、且つそれだけ国家の利益となる可きを信じ、余の計画に充てたる三十万円の金額を其儘先方の理化学研究所に寄附したる次第也、この寄附をなすに付ては、同事業の設備其他に関する二・三の条件をも提出せるが、先方も大体承諾せり、余の寄附は少許の金額に過ぎずと雖も、各有志の寄附金と合して幾分にても規模を大ならしむるを得ば、国家の利益の為に本懐也云々


原六郎翁伝 原邦造編 中巻・第四九三―五〇一頁 昭和一二年一一月刊(DK470008k-0016)
第47巻 p.90-92 ページ画像

原六郎翁伝 原邦造編  中巻・第四九三―五〇一頁 昭和一二年一一月刊
 ○ 後篇 第十二章 翁の社会・公共事業(二)
    第二節 理化学研究所の創設
○上略
 しかるに当時翁とは別に渋沢栄一氏や東京帝国大学教授桜井錠二博士等の間でも亦理化学研究所の設立が計画されてゐた。その年○大正五年の十一月、観菊御会の御宴会場で偶々渋沢氏並に桜井博士と懇談する機会をえた翁は、そこに自分と全く同じ計画を抱く両友を見出した。渋沢氏等の計画の発端は嚮きに述べた高峰譲吉氏提唱の化学研究所並に農商務省の化学工業調査会にある。即ち大正三年十一月に行はれた農商務省化学工業調査会の第一回調査会においては、我国に於ける化学工業の改良発達を図るには、化学研究所設立を以て第一の急務であるとの結論に達し、農商務大臣に建議書を提出した。大正四年三月、第二回化学工業調査会に於いて偶々委員中に化学のみの研究では其範囲が狭過ぎるとなし、物理学及び化学の両方面に亘る理化学研究所の設立を要望する声が起り、委員の多数もまたこれに賛同したので、長井長義・渡辺渡・高松豊吉・桜井錠二・古在由直の五博士を特別委員に挙げて実行方法を一任することになつた。そこでこれ等の特別委員等は数次の協議を重ねた上設立計画の大要、研究事項等を協定し、さきに有志等の計画した化学研究所設立案とも連絡統一を得、特別委員の外、渋沢・菊池・山川の三男爵並に中野武営氏が主唱者に加はり、大正四年四月左の如き趣旨のもとに理化学研究所設立の曙光を見るに至つたのである。
    理化学研究所設立ノ趣旨○前掲ニツキ略ス
 - 第47巻 p.91 -ページ画像 
○中略
 かやうにして理化学研究所設立の基礎準備が略々成り、愈々富豪及び篤志家から寄附金を募集しようとすると、嚮きに巨額の寄附を申込んでゐた応募者の中にも種々の理由の下に躊躇するものが現はれ、募金事務は遅々として進まず、遂に委員の中にも尻込みするものが生じこの調子では年度内に予定額を募集することは思ひもよらず、折角国家の補助までえたこの計画も中途にして挫折の危機に瀕した。そこで計画の最初から熱心に運動して来た桜井博士等は偶々観菊会の席上で翁に衷情を訴へ援助方を懇請したのであつた。
 この会談の結果翁は邦造氏とも相談の上、単に資金募集遅延の為に理化学研究所設立委員達が国民に対する公約を破棄する結果となることを遺憾とし、自ら計画してゐた電気化学研究所設立資金の一部を割いて桜井博士等の挙を応援すべく決意した。翁が大正五年十一月二十六日付を以て渋沢男爵並に桜井博士に宛てた手紙は翁の決意を物語るに充分であらう。
 拝啓 向寒之砌益々御清栄奉大賀候、陳者予て御談示有之候理化学研究所資金之儀金参拾万円也寄附可仕候、右は拙者記念事業資金之一部にして予て電気化学研究所を設置すべき計画中に有之候処、今般御談示之次第も有之大学に於て御計画の理化学研究所資金の一部に寄附可致候間、右資金御使用之儀前述拙者記念の目的に適合する様御考慮之上其方法御示し相成度候、右御報旁々得貴意度如此御座候 敬具
  大正五年十一月二十六日         原六郎
    男爵渋沢栄一殿
    理学博士桜井錠二殿
右の書翰に対し、同月二十九日附を以て翁の許へ次のやうな返書が届いた。
 拝啓 貴翰拝承仕候、向寒の砌に御座候処益々御清穆の段奉慶賀候陳者貴下記念事業として予て電気化学研究所設立の御計画中に被為在候趣に有之候処、今般右事業は目下設立準備中の公益法人理化学研究所事業の一部と被為度其の趣旨を以て、資金三拾万円也御寄附の儀御申越被下正に拝承仕候、御芳志の程感謝に不堪候、就ては直ちに御趣旨に添ふべき施設等につき御通報申上べき筈に候得共、創立委員長渋沢男過日来風邪御引籠中に有之候間、同男爵の快癒を待ち其施設方法決定仕り御通知可申上候、何卒不悪御承知被成下度、先は取敢ず御挨拶旁々如斯御座候
  大正五年十一月二十九日
                      桜井錠二
    原六郎殿
 翁のこの挙が動機となつて理化学研究所設立に関する諸般の準備工作は再び順調にかつ急速に進展した。即ち翌大正六年三月十二日関係者一同は永田町総理大臣官邸に集まつて午餐を共にし、案の具体化につき打合せが行はれた。今や翁も亦設立委員の一人としてこの会合に出席し、渋沢男の隣席にあつて種々意見の交換を行つた。午餐後、化
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学工業に関する総理大臣並びに渋沢男爵の演説があり、それが終ると一同別室に入つて各自の出資金額を協議し、その結果寄附契約書に三井・三菱各五拾万円(但し五ケ年賦)と並んで翁は予定の如く参拾万円五ケ年賦と記入した。但しこの三拾万円は翁の意志を尊重して、独立の電気化学研究館を研究所構内に建設する費用に充て、この研究館の名称も翁の号をとつて「観海研究館」とする用意のあることを、渋沢男並びに桜井博士は交々翁に告げるのであつた。(大正六年三月五日日記)
○下略


設立経過(DK470008k-0017)
第47巻 p.92-93 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    第二回創立常務委員会
十二月九日午前十時ヨリ、東京商業会議所ニ於テ第二回創立常務委員会ヲ開キ、渋沢委員長ヨリ去ル五日及六日ノ両日東京市ニ於ケル最モ有力ナル実業家三井・三菱・安田・大倉・村井・高田・森村・古河家ヲ訪問シテ設立基金募集方ニ関シ懇請セラレタル件、並ニ原六郎氏ヨリ三十万円寄附申込マレタル件ニ付報告セラレ、次テ寄附金募集方法原氏寄附ノ趣旨ニ副フヘキ施設方等ニ付協議ヲ遂ケ、左ノ通リ決議シ〇時半散会セリ
      記
 一、東京市有力者ノ寄附金決定ヲ俟テ募集方法ヲ定ムルコト
 二、○略ス
 三、帝室ヨリ御下賜ヲ仰クヘク宮内大臣ニ請願スルコト
 四、辞退発起人・創立委員及常務委員ニハ、再ヒ委嘱方ヲ懇請スルコト
 五、寄附行為案ヲ確定スルコト
 六、未定稿趣旨及計画ノ大要ハ委員長ノ一覧ヲ請フコト
 七、○略ス
 八、発起人及創立委員増加ノ件ハ暫ク延期スルコト
   追テ散会後桜井・高松・中野委員及柴山課長ハ募集方法其他設立ニ関スル事項ニ付協議セラレ三時退出セラル
  当日ノ出席者、渋沢委員長○外七名氏名略ス
      御願
理化学研究所設立ニ付テハ、帝室ニ於テモ御助成被為在度旨曩ニ口頭ヲ以テ請願致候次第モ有之候処、政府ニ於テハ別冊ノ建議書ニ基キ第三十七回帝国議会ノ協賛ヲ経テ、本年三月理化学ノ研究ヲ目的トスル公益法人ノ国庫補助ニ関スル法律ヲ発布シ、十年間ニ金二百万円ヲ補助セラルヽ事ト相成候、其後大隈侯爵閣下主唱ノ下ニ、東京・京都・大阪・神戸・横浜及名古屋ノ富豪及篤志家相会シテ右研究所設立協議会ヲ開キ孰レモ発起人タルコトヲ承諾シ、不肖選ハレテ創立委員長ノ任ニ当ルコトヽ相成候、爾来数名ノ常務委員ヲ挙ケ、設立事務ノ進捗ヲ図リ、不取敢東京市ノ富豪篤志家ヲ歴訪シテ其賛助ヲ得タルニ付、引続資金ヲ募集シテ愈理化学研究所ノ設立ヲ見ルヘキ運ト相成候、就テハ帝室ニ於テモ此際至急御下賜金ノ儀御決定ノ上、右設立ニ付御助力相仰度候、尤モ御下賜金ハ理化学研究所ノ基金トシテ永遠ニ保存シ
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学術及産業御奨励ノ御思召ニ酬ユル計画ニ有之候間、何卒特別ノ御詮儀ヲ以テ右御聴許被成下度此段奉懇願候也
  大正五年十二月十二日
            理化学研究所創立委員長
                      渋沢栄一
    宮内大臣 波多野敬直殿


竜門雑誌 第三四三号・第六六―六七頁 大正五年一二月 ○理研常務委員会(DK470008k-0018)
第47巻 p.93 ページ画像

竜門雑誌  第三四三号・第六六―六七頁 大正五年一二月
○理研常務委員会 理化学研究所設立に関する常務委員会は、十二月九日午前十時より東京商業会議所に於て開会せられ、委員長青淵先生以下各委員諸氏の出席あり、青淵先生より、前会に於て協定したる民間寄附金勧誘の件に就ては、早速三井・三菱・古河・大倉・村井・森村・安田・高田諸氏八家に交渉したるに、孰れも其趣旨は賛成なりとの挨拶あり、尚ほ曩に私財を以て電気化学工業研究所設立の計画を立てたる原六郎氏は、理化学研究所設立の趣旨を大いに賛成せられ、三十万円の寄附を申出でられたりと報告せられ、一同之を是認したる後帝室御下賜金並に各地方有力者に対する勧誘方法に就て協議せられ、午後二時散会したる由なるが、原六郎氏の寄附金に就て、青淵先生が世界新聞記者の訪問に対し語れる要領は左の如し。
 理化学研究所設立に関しては目下創立委員に於て種々準備中にして遠からず一般募集をも公表する筈なるが、今回原六郎氏より三十万円の寄附ありしは、同研究所設立の為め有力なる援助にして創立委員会にては之を受納する事に決したり。元来原氏は時局の関係上我国に於ける理化学研究の必要なるを切実に感ぜし結果、独力を以て斯業を起さんとの計画なりし由なるが、偶々同一の目的を有する此の理化学研究所の設置せられんとするに当り、進んで合同的寄附を申込まれたる次第なれば、吾々創立委員に於ても可能的同氏の意見及希望等を容れ、氏の寄附金を右方面に使用せん考なり、尚ほ同研究所は政府の補助もある次第なれば、吾人は全力を尽し斯業の完成を期せん考なり云々


中外商業新報 第一一〇一七号 大正五年一二月一〇日 理研常務委員会 募金方法協議(DK470008k-0019)
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中外商業新報  第一一〇一七号 大正五年一二月一〇日
    ○理研常務委員会
      募金方法協議
理化学研究所常務員会は、九日午前十時より東京商業会議所楼上に創立常務員会を開き、渋沢男、桜井・高松・団の三博士、中野武営・大橋新太郎の各常務員並に農商務省より上山次官・柴山工務課長臨席の上、渋沢男より、過般同男・桜井博士の両氏が東京の有力なる実業家たる三井・三菱・古河・安田・大倉・森村・村井・高田の八氏を訪問せる顛末を述べ、次で一般寄附金募集は東京の募集額決定の上着手する事とし、又過日原六郎氏より創立資金一部として寄附せる三十万円は之れを寄附金中に繰入るゝ事となりたるが、尚帝室よりの御下賜金は理化学研究所が法人として成立せる後之れを請願する事に決し、零時半散会せり

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東京日日新聞 第一四四一七号 大正五年一二月一五日 理化学研究所が出来上れば日本の誇りになる 高峰博士の帰朝談 米国化学の大家来朝(DK470008k-0020)
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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

設立経過(DK470008k-0021)
第47巻 p.94 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    建築及設備ノ設計ニ関シ協議会
桜井及高松両常務委員主唱ノ下ニ、十二月二十三日午後一時半帝国大学構内会議所ニ、各専門家二十一名ノ参集ヲ請ヒ、桜井委員ヨリ本年一月政府ニ建議書ヲ提出シタル以来ノ設立ニ関スル経過ヲ詳細ニ報告セラレ、又高松委員ヨリ設立ニ関シ一同ノ援助ヲ請フ旨簡単ニ陳述セラレ、次テ本所ノ建築及設備等ニ関シ各自意見ヲ交換シ、大河内・長岡両博士ヲ物理学研究部設計委員ニ、池田・井上両博士ヲ化学研究部設計委員ニ選任シ、予定計画ニ拠リ物理学部及化学部建築費各二十五万円、設備費各二十五円ノ概算ヲ以テ来ル正月迄ニ大体設計ヲ作成シ更ニ審議スルコトトシテ午後四時散会セリ
                      (来会者十七名)