公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正14年4月12日(1925年)
是日、当社創立三周年記念園遊懇親大会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。栄一、病気静養中ニツキ在邸スルモ出席セズ。尚、栄一当社ニ援助スル所アリ。
埼玉県人会会報 第六号 第九四頁大正一四年一〇月 埼玉及埼玉人社三周年記念園遊懇親大会(DK480068k-0001)
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埼玉県人会会報 第六号 第九四頁大正一四年一〇月
○埼玉及埼玉人社三周年記念園遊懇親大会 埼玉及埼玉人社々長山口六郎次氏は、同社創立以来玆に三周年に達せるを記念とし、本年四月十二日桜花満開の候王子飛鳥山渋沢邸に於て園遊懇親大会を開催せられたり、県人士の集まるもの無慮五千余人、講演あり余興あり流石の広き同邸内も殆ど立錐の地なき程なりしが、吝いかな正午頃より降雨止まず、切角の計劃実行せられざりしは遺憾なりき、本会よりは阪本幹事出張して左の祝辞を朗読せられたり。
祝辞
時維れ大正十四年四月十二日埼玉及埼玉人社は創立三周年記念祝賀会を挙行するに当り、渋沢邸内に於て県民大懇親会を開催せらる、県下名士集る者無慮数千人、講演あり、演芸あり、模擬店あり、実に盛なりと云ふべし、是れ実に社長山口六郎次君奮闘努力の結果と云はざるべからず、本会は益々同君の成功を祈り謹で祝辞を呈す
大正十四年四月十二日 埼玉県人会
(増田明六)日誌 大正一四年(DK480068k-0002)
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(増田明六)日誌 大正一四年 (増田正純氏所蔵)
四月十二日 日 雨
今日ハ飛鳥山・上野両地の桜花半開寔ニ見頃なり、早朝観桜の客両地ニ充満するならんとハ何人も想像する処なり
此時を機し埼玉及埼玉人社は飛鳥山邸庭園に於て埼玉県人懇親園遊会を開催したり、来会者約参千人、十時より十二時ニ亘り来会者を庭園ニ入場せしめたる位なり
山口社長開会の辞ニ次て左の諸氏の演説あり
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杉崎半三郎 加藤政之助 粕谷義三
出井兵吉 卜部喜太郎
余興 沢村宗十郎 若松若太夫 楽燕
山田隆弥
午前十一時頃より降雨ありて夕刻ニ至るも不竭、来会者孰れも大ニ困却したる様子なりしが、開会前心配したる程にも無く比較的静蕭ニ終了したるハ誠に幸福なりし
此日子爵ハ日本室の御居間ニ在り会にハ出席せられす、山口社長をして病気静養中なるを以て出席して諸君と面会し得さる趣を伝へしめられたり
懇親会は会費一円宛を徴し、弁当・菓子・福袋・記念品(手拭壱、子爵・粕谷・加藤氏等の書寄せ印刷紙)を来会者ニ頒布したり
此会ハ埼玉人社の主催なるニ、同社は来会者を多からしむる為め大ニ宣伝に努めたる由にて
一、渋沢子爵老後の思出ニ県人の為ニ最後の大園遊会を催すなり
一、渋沢子爵は埼玉県人会長として県人の為ニ大園遊会を催すなり
右の如き誤謬伝ハり、此渋沢子爵の厚志ニ対し県人たるものハ振て参会せさるべからすとて、万障繰り合ハセ地方ニ依りてハ総代を特ニ上京せしめたりと云ふ、誠ニ寒心すべき行為なり
尚当日の混雑整理の為め滝野川町分署ニ依頼して、巡査三十名の派出を受けたり
渋沢栄一 日記 大正一五年(DK480068k-0003)
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渋沢栄一 日記 大正一五年 (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 寒
午前七時起床、入浴朝飧ヲ畢リ○中略 埼玉雑誌社主山口六郎次氏来話、雑誌ニ付テノ趣意書ニ記名シ遣ハス○下略
○中略。
二月二日 快晴 寒
○上略 埼玉雑誌山口六郎次氏来訪ス○下略
○中略。
三月九日 晴 寒
午前七時起床、入浴朝飧ヲ畢リ○中略 埼玉雑誌社山口氏等来訪、曾テ依頼アリシ富岳ト桜花トノ画幅ニ東湖先生正気歌之句ヲ書シテ之ヲ還ス○下略
集会日時通知表 大正一五年(DK480068k-0004)
第48巻 p.240 ページ画像
集会日時通知表 大正一五年 (渋沢子爵家所蔵)
七月二十八日 水 午前八時半 山口六郎次来約(アスカ山邸)
○中略。
九月一四日 火 午前十時 山口六郎次訪問(アスカ山)