デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
3款 凱旋将士歓迎会
■綱文

第48巻 p.501-513(DK480147k) ページ画像

大正3年12月18日(1914年)

是ヨリ先、栄一、東京市長阪谷芳郎・東京商業会議所会頭中野武営等ト共ニ発起人トナリ、東京駅開業祝賀会ヲ兼ネ、青島ヨリ凱旋スル陸軍中将神尾光臣・海軍中将加藤定吉一行ノ歓迎会ヲ挙行センコトヲ議ス。是日午前、東京駅前広場ニ於テ、東京駅開業祝賀会、神尾中将一行入京歓迎ト共ニ挙行セラル。栄一、発起人総代トシテ祝辞ヲ述ブ。同日夜、帝国ホテルニ於テ、神尾中将一行ノ凱旋歓迎祝賀会挙行セラル。栄一出席シテ歓迎文ヲ朗読ス。


■資料

竜門雑誌 第三一九号・第四八頁大正三年一二月 凱旋祝賀晩餐会(DK480147k-0001)
第48巻 p.501 ページ画像

竜門雑誌 第三一九号・第四八頁大正三年一二月
○凱旋祝賀晩餐会 青淵先生・阪谷男爵・中野武営三氏は十二月七日午前十一時より東京商業会議所に会合し、同月十八日神尾中将凱旋祝賀及び東京駅開通祝賀会等に就て種々協議する所あり、尚ほ右祝賀会当夜右三氏主催となりて、帝国ホテルに於て陸海軍凱旋晩餐会を開催したる由


中外商業新報 第一〇二八八号大正三年一二月一一日 ○大祝賀会日取 来十八日と決定(DK480147k-0002)
第48巻 p.501 ページ画像

中外商業新報 第一〇二八八号大正三年一二月一一日
    ○大祝賀会日取
      来十八日と決定
東京市に於ける神尾青島攻囲軍司令官一行の凱旋大祝賀会は、陸海両省との関係上其の日時等は市と両省との間に於て交渉中なりしが、愈愈来る十八日開催する事に決定したり


中外商業新報 第一〇二八九号大正三年一二月一二日 ○愈十八日 神尾将軍の凱旋式と東京駅の開場式(DK480147k-0003)
第48巻 p.501-502 ページ画像

中外商業新報 第一〇二八九号大正三年一二月一二日
    ○愈十八日
      神尾将軍の凱旋式
      と東京駅の開場式
我が青島攻囲軍総司令官神尾将軍及其麾下の凱旋式に兼ぬるに、東京大停車場の開場式は、愈々十八日を以て挙行する事と決定したるは既報せる処なるが
○中略
△凱旋式 それより凱旋将軍歓迎式の次第はといふに、東京停車場前に大国旗を設らへ軍楽隊を招聘して奏楽せしめ、着京時刻を見計ひ煙火を連発し、市内各戸は無論電車には皆国旗を掲揚せしめ、二百万市民を代表して市長阪谷男爵は市会議長と共に出迎へを為すべきが、同夜五時より帝国ホテル内に祝宴を張り市長歓迎の辞を述べ、将軍の挨
 - 第48巻 p.502 -ページ画像 
拶あるべく、君ケ代を吹奏して、大元帥陛下の万歳(中野市会議長発声)を三唱し、続いて神尾将軍の万歳(渋沢男爵発声)を三唱する予定の由なるが、蓋し非常の賑ひならむ、尚ほ当日上京す可き神尾司令官幕僚の官氏名は左の如し
 △砲兵大佐磯村年△工兵少佐河田四十一△歩兵少佐黒沢準△同上林彦一△砲兵少佐猪狩金介△歩兵大尉平松英△同上萩原俊三△騎兵大尉飯田貞固


中外商業新報 第一〇二九二号大正三年一二月一五日 ○東京駅開業式次第(DK480147k-0004)
第48巻 p.502 ページ画像

中外商業新報 第一〇二九二号大正三年一二月一五日
    ○東京駅開業式次第
来十八日午前九時東京停車場に於て開業式挙行に付き、当日の次第書左の如く決定せり
 一大正三年十二月十八日午前九時東京停車場構内に於て挙行 一鉄道院職員参着 一来賓参着 一第一振鈴(諸員着席) 一第二振鈴(開会挨拶) 一工事報告 一式辞 一来賓祝辞 一閉会挨拶 一諸員退場


中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日 凱旋! 開駅! 宏壮輪奐の美是れ新駅(DK480147k-0005)
第48巻 p.502-504 ページ画像

中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日
    凱旋! 開駅!
      宏壮輪奐の美是れ新駅
      威風温容是れ凱旋将軍
 待ちに待ちたる神尾常勝将軍の凱旋式と、東京新停車場の開業式は予定の如く十八日を以て挙行せらる、御濠の松緑りに水また澄みて紺青の空には繊雲なく縦横の広衢また微塵を見ず、何等の好日和ぞや、日本晴か東洋晴か、青島に独軍を破りし我が神尾将軍此の日此の新停車場に凱旋す也、何等の喜ばしき日ぞや、而して貴婦人の一団は数多の女性と倶に籠を荷うて慈善の花を售るにてある也、抑も亦何等の優しき日ぞ、二百万市民の意は丸の内へ丸の内へと動き、其の殷賑其の雑閙実に筆紙の力に及ばざりき
      開業式
午前九時停車場本屋南広間に於て挙行す、鉄道院職員一同参着し、続て大隈総理大臣を始め陸海軍各元帥大将、各大臣、貴衆両院議長及び渋沢・大倉氏等の実業家続々参着するや、第一振鈴を以て着席、第二振鈴を以て古川副総裁開会の挨拶を為し、亜で石丸技監より詳細なる工事の報告あり、終りて仙石総裁式辞を述ぶ、左の如し
 東京及新橋両停車場の工事成るを告げ東京横浜間の電車線路亦其の工を竣れるを以て、玆に朝野貴紳の賁臨を請ひ開業の式典を挙ぐるは本官の光栄とする所なり
 顧ふに帝都及横浜間の交通は輓近殊に劇繁を加へ旧来の線路は以て其の需求を充たすに足らず、是に於て乎夙に複線の増設を計画し更に電気動力の設備に著手し、倶に其の工成りて新に電車の運転を開始するに至れり、自今両地の交通応に其の面目を一新すべきを疑はず
 今や我邦の鉄道は時勢の進運に伴ふて顕著なる発達を遂げ、朝鮮及
 - 第48巻 p.503 -ページ画像 
南満洲鉄道に由て支那及欧洲の各鉄道と連絡し、国際交通上の主要幹線として其の任務愈々重且大なるを感ぜしむるに至れり、即ち玆に開業せる我東京停車場は、正に時運の要求に応じ中外幹線路の発足点を帝都の中心に導けるものにして、電車の開通と相俟ち我鉄道網の中枢として其の効果必らず大なるものあるべきを信ず、是れ実に斯業発展の一標徴たるに値ひし、邦家の為寔に慶賀に堪へざる所なり
 然りと雖我鉄道の前途は尚遼遠なり、曩に東海・東北両幹線連絡の目的を以て計画せられたる市街高架線の敷設は今其の一半を了したるに過ぎず、今後世運の進展に随て倍々鉄道網の普及を図り、愈々其の施設を改善し以て斯業の本務を完ふせむことを期す、但夫れ鉄道をして克く其の成果を収めしむるは一に活用の如何に因る、冀くは挙国斉しく其の利用を盛にし、益々邦家の利益を増進するあらむことを、一言以て式辞と為す
  大正三年十二月十八日
            鉄道院総裁工学博士 仙石貢
続て来賓総代として大隈首相起上り
 此の荘麗なる停車場の開業式に臨むを得たるを光栄とす、顧みれば去ぬる明治五年九月二十二日、始めて新橋駅の設けらるゝや、畏くも 先帝陛下親から臨幸あらせ玉ひ、国務大臣を代表して式を行はせ給へり、当時本大臣は当局者として同開通式に臨席したるに、爾来玆に四十三有余年、今日亦此の停車場の開業式に等しく当局者として参加するを得たるに付ては、感激の深きものあると同時に甚だ愉快を覚ゆる次第也、凡て国家の進運発達は共同の力と交通の力とに由らずんばあらず、而して交通機関には自づから中心の必要ありて、即ち此の新東京停車場は実にその中心機関たるもの也、思ふに今日やゝ宏大に過ぐるの観ある此の大建築も、今後数十年を経ば、恰も新橋停車場の狭少なるを感ずると同一の感を懐くの時来るべきを信ず、歓喜の余り一言以て祝辞とす
と、次で阪谷市長の祝辞あり、左の如し
      開業式祝辞
 東京停車場其他建設略々竣功を告げ玆に本日を卜して盛大なる開業式を挙行せらる、抑々東京停車場の建設は政府に於て既に廿有余年前計画せられたる所にして、明治四十一年四月工を起し今日に及ひ遂に落成を告げたるものなり、而して其の規模の宏大にして輪奐の壮麗なる、市内建築物中第一位を占め、近く又宮城の森厳崇高なるを拝して更に一段の情趣を添へ、啻に全国鉄道の中心施設たるに恥ぢざる而已ならず、本邦に於ける世界交通の基点設備として優に帝都の誇りと為すに足る、惟ふに自今本市の益々発展するに伴ひ内外各国の交通愈々頻繁複雑を加ふるに至るも、克く利便を公衆に与へ永く市内の繁栄を助くること蓋し論を竢たず、殊に今日の典儀に方り青島占領に関し赫々たる武勲を収められたる神尾中将の入京を迎ふることを得るは、洵に本場開通の好記念にして又本市の光栄を重ぬるものと謂ふ可し、乃ち本市及有志胥謀り玆に其の開業を慶せむ
 - 第48巻 p.504 -ページ画像 
か為祝賀会を設け、満腔の赤誠を披瀝し以て本日の盛儀を祝賀すと云爾
  大正三年十二月十八日
               東京市長 男爵 阪谷芳郎
終るや古川副総裁閉会の挨拶を為し諸員退場せり、時に午前十時也、同三十分に至れば凱旋将軍神尾中将到着す
      祝賀会
神尾将軍が万民歓呼の間に参内せしより一時間を過ぎ、十一時三十分東京市及び市有志の発起になる開業祝賀会は停車場本屋三階北広間に於て挙行せり、大隈首相以下朝野の貴顕紳士一同卓に着くや、発起人総代渋沢男爵は
 諸君、市及び市有志相謀りて此祝賀会を開くに際し、首相大隈伯閣下を始め内閣諸公其他各位の御来光を忝ふしたるは発企人として感謝の辞に窮する次第也、式場に於て大隈伯は四十三年前を懐古し感慨無量なりとされたるが、思ひ廻せば徳川氏時代の江戸にありては日本橋を振出しとする五十三次なるものあり、双六にまで持て囃されたる程にて京都を以て上りとせり、然れども此の我が東京停車場を振出しとする今日に於ける道中記は、其の上りは決して京都にあらず、遠く海を超へ宜しく英京倫敦辺りを以て上りとなすべき也、豈に痛快にあらずや、之を思へば更に大に感慨に深うする者也云々
と挨拶し、之に対し来賓総代として大隈首相祝辞を述ぶ、曰く
 私設鉄道及び台湾・朝鮮鉄道等を合算すれば、今や実に一万哩以上の鉄道を有するに至る、四十三年間の発達としては洵に偉大なるを感ず、然れども鉄道其者の実質については未だ尚大に改良すべきものありて、今後着々実行せんことを望む次第なるが、這は政府の手に於てのみ出来たる者にあらず、一に国民の力に竢たざる可らず、就中東京市民の力に待たざる可らず
云々と、君ケ代の吹奏あり、阪谷市長の発声にて 両陛下の万歳を三唱し、中野会頭の発声にて帝国鉄道万歳を三唱し、杯を挙げて散会せしは正午十二時、式場内外の雑沓混雑は別記の如し


竜門雑誌 第三二〇号・第九〇―九一頁大正四年一月 ○東京駅開業祝賀会(DK480147k-0006)
第48巻 p.504 ページ画像

竜門雑誌 第三二〇号・第九〇―九一頁大正四年一月
○東京駅開業祝賀会 旧臘十八日東京駅開業式挙行せられ、引続き東京市及び市有志の発起にて開業祝賀会を同日午前十一時半より同駅北側出入口の三階八角形の大広間に於て催されたり、大隈首相以下朝野の貴顕紳士一同食卓に着くや、発起人総代青淵先生起立して曰く
   ○前掲ニツキ略ス。
青淵先生の挨拶に対し、大隈首相来賓として祝辞を述べられ、次いで『君ケ代』の奏楽あり、阪谷市長の発声にて 天皇皇后両陛下の万歳を三唱し、中野商業会議所会頭の発声にて帝国鉄道万歳を三唱して散会したるは正午過なりしと云ふ。


東京駅開業祝賀会及凱旋将軍歓迎会報告書 同会編 第一―六四頁大正四年四月刊(DK480147k-0007)
第48巻 p.504-511 ページ画像

東京駅開業祝賀会及凱旋将軍歓迎会報告書 同会編 第一―六四頁大正四年四月刊
    一、東京駅開業祝賀会及神尾・加藤・栃内
 - 第48巻 p.505 -ページ画像 
      陸海軍中将歓迎会の成立
  (一) 発端
東京駅開業祝賀会及神尾・加藤・栃内陸海軍中将歓迎会の成立は、阪谷市長より、東京府知事久保田政周氏・警視総監伊沢多喜男氏・警視庁保安部長長谷川久一氏・鉄道院工務課長岡田竹五郎氏・同旅客主任兼貨物主任木下淑夫氏・同参事三上真吾氏・東京府会議長杉原栄三郎氏・市部会議長酒井泰氏・東京市会議長中野武営氏(東京商業会議所会頭)・同副議長山口憲氏・同市参事会員坪谷善四郎氏・同野々山幸吉氏・同辰沢延次郎氏・同斯波厚氏・同星野錫氏・同松崎権四郎氏・同安藤兼吉氏・同伊藤定七氏・同藤原俊雄氏・同江間俊一氏・同原田種徳氏・同溝淵正気氏・麹町区会議長竹村良貞氏・神田区会議長福田又一氏・日本橋区会議長柿沼谷蔵氏・京橋区会議長田村藤兵衛氏・芝区会議長細野順氏・東京商業会議所書記長白石重太郎氏・市参与松木幹一郎氏・市収入役渡辺勘十郎氏・電気局理事井上敬次郎氏・東京市技師長日下部弁二郎氏・同技師田島穧造氏・同主事野依源吾氏・同大橋重省氏・同松尾儀一氏・同安藤彪雄氏・東京市会書記長古橋幸正氏・麹町区長橋本久太郎氏・神田区長山県鉄蔵氏・日本橋区長新井友三郎氏・京橋区長国技捨次郎氏・芝区長長岡往来氏の諸賢に大正三年十一月二十七日午後二時三十分東京市役所に参会を請ひ、東京駅開業に伴ふ附帯設備に関し協議会を開きたる時に胚胎せり、蓋し東京駅の建設たる、帝国多年の計画にして、其の構造の宏壮偉麗なる、啻に都下建設物中の一美観たる而已ならず、実に東洋第一の大停車場として一般市民の世界に誇るべき所、我が東京市が此の停車場の開業に依り愈々帝国の首都たる面目を発揮し、益々市内の繁栄を増進すべきこと固より弁を竢たず、之を以て上記協議会の席上新駅開業の当日を期して市民の一大祝賀会を開催し、且つ此の佳日に於て青島要塞の攻略に関し赫々たる勲功を収められたる神尾陸軍中将の入京を迎へ、以て新駅開業の劈頭を飾る好個の記念と為し、併せて同中将及曩に凱旋せられたる加藤(定吉)・栃内両海軍中将の歓迎会を同日に挙行せむとの希望出で一同之に賛し、其の方法及施設等は挙げて之を市長に一任することとし散会せり、是れ実に右二会の発企せられたる端緒にして、将た其の成立を見たる萌芽なり
  (二) 準備会
十二月七日阪谷市長・中野東京商業会議所会頭・男爵渋沢栄一の三氏東京商業会議所に集合し、前記祝賀会及歓迎会の挙行に関し諸般の打合せを為し種々協議の末、東京市及有志相合同して一団体を組織し之を挙行するに決し、其の費用は市及有志に於て之を負担することゝ為し散会せり、依て市長は右祝賀会及歓迎会挙行の件並に費用支出方に就き市参事会の同意を求めて其の賛同を得、尋で市会の承認を経、一面渋沢男爵・中野会頭は市内実業家の重なる人々を商業会議所に請招して協議会を開き其の賛襄を促したるに、満場異議なく之に賛成せられたるを以て、先に愈々右二会の成立を見、阪谷市長・中野会頭・渋沢男爵三氏を発企人総代に挙げ其の事務を進むることゝなり、而して之に関する百般の事務は東京市役所及東京商業会議所に於て之を取扱
 - 第48巻 p.506 -ページ画像 
ふことゝなれり、以下項を分ち順を逐ふて、其の顛末の梗概を叙述すべし
    二、神尾陸軍中将入京に関する情願
是れより先き阪谷市長は衆意の存する所に随ひ、東京駅開業の佳日に於て神尾陸軍中将の入京を迎へむことを希望し、十二月一日付左の情願書を陸軍大臣に進達せり、然るに其の後同中将は東京駅開業の当日即ち同月十八日を以て入京せられることゝ為り、市民は玆に東京駅の開業と中将の入京とを同時に祝賀し、二重の歓を一にすることを得たるは一同の深く光栄とする所にして、又実に本会の最も満足とせし所なり
      情願書
 拝啓 青島攻城軍司令官神尾将軍は不日凱を闕下に奏せらるるやに承り及び東京市民は感喜措く能はず、満腔の熱誠を以て此の武勲赫赫たる将軍を迎へ大に感謝の意を表し度切望致居候、就ては来十二月十八日・十九日は我が中央停車場の開通に当り大に記念すべき佳日なるを以て、特に右両日の内に於て将軍の御入京を迎ふることを得候へは、一層本会の栄光を重ぬる儀に有之、衆意期せずして其希望を同ふする次第に御座候、随て軍旅の事一に御公規に属し情願の以て之を窺ふ可からざる所には候得共、聊か民意の在る所御参考迄披陳致候、閣下希くは微忱を諒とせられ宜敷御寛量被成下度、此段得貴意候 敬具
  大正三年十二月一日
           東京市長法学博士 男爵 阪谷芳郎
    陸軍大臣 岡市之助 閣下
    三、会費出金者及其の金額
東京駅開業祝賀会及神尾・加藤・栃内陸海軍中将歓迎会挙行に関し、会費を醵出せられたる向及其の金額左の如し
                        (芳名イロハ順)
 一金弐百円也 横浜正金銀行頭取         井上準之助殿
 一金百五拾円也 第百銀行頭取          池田謙三殿
 一金弐百円也 株式会社三井銀行常務取締役    早川千吉郎殿
 一金五百円也 日本橋区六ノ部          有志者殿
 一金五千五百七拾九円五拾四銭也         東京市
 一金弐百円也 富士瓦斯紡績株式会社取締役    和田豊治殿
 一金弐百円也 合資会社高田商会代表社員     高田慎蔵殿
 一金弐百円也 三井合名会社参事         団琢磨殿
 一金弐百円也 株式会社十五銀行頭取       園田孝吉殿
 一金弐百円也 株式会社東京米穀商品取引所理事長 根津嘉一郎殿
 一金弐百円也 日本石油株式会社長        内藤久寛殿
 一金弐百円也 東京商業会議所会頭        中野武営殿
 一金弐百円也 合名会社村井銀行社長       村井吉兵衛殿
 一金弐百円也 株式会社大倉組頭取        大倉喜八郎殿
 一金弐百円也 東京瓦斯株式会社長        久米良作殿
 一金弐百円也 株式会社安田銀行監督       安田善三郎殿
 - 第48巻 p.507 -ページ画像 
 一金弐百円也 大日本麦酒株式会社長       馬越恭平殿
 一金弐百円也 大日本製糖株式会社長       藤山雷太殿
 一金弐百円也 三井物産株式会社取締役      福井菊三郎殿
 一金弐百円也 帝国生命保険株式会社長      福原有信殿
 一金弐百円也 古河合名会社長          古河虎之助殿
 一金弐百円也 日本郵船株式会社長     男爵 近藤廉平殿
 一金弐百円也 東京株式取引所理事長    男爵 郷誠之助殿
 一金弐百円也 東洋汽船株式会社長        浅野総一郎殿
 一金弐百円也 東京電灯株式会社長        佐竹作太郎殿
 一金弐百円也 三菱合資会社管事         三村君平殿
 一金弐百円也 日本銀行総裁        子爵 三島弥太郎殿
 一金弐百円也 日本興業銀行総裁         志立鉄次郎殿
 一金弐百円也 日本勧業銀行総裁         志村源太郎殿
 一金弐百円也 株式会社第一銀行頭取    男爵 渋沢栄一殿
○中略
    五、東京駅開業祝賀会及神尾陸軍中将入京の歓迎
  (一) 祝賀会挙行順序及神尾陸軍中将入京歓迎順序
     イ、祝賀会挙行順序
 一挙行の時日 十二月十八日(金曜日)
  一開業式(鉄道院主催)午前九時
    (此間神尾将軍著京午前十時三十分)
  一開業祝賀会挙行 午前十一時三十分
 二場所 東京駅
○中略
     ロ、神尾陸軍中将入京歓迎順序○略ス
     ハ、祝賀会挙行次第
  一午前十一時三十分開宴(奏楽)
  一東京駅祝賀会発企人総代挨拶
  一来賓挨拶
  一君が代(奏楽)
  一天皇陛下
   皇后陛下万歳三唱(発企人総代発声)
        以上
  (二) 祝賀会場内外の設備及市内装飾
     イ、東京駅「プラツトホーム」の装飾
○中略
     ロ、食堂の装飾
○中略
     ハ、東京駅前方錐双緑塔
○中略
     ニ、道路両側の装飾
○中略
     ホ、東京駅前電車停留場側方緑双塔及半円緑柱列
○中略
 - 第48巻 p.508 -ページ画像 
     ヘ、余興場其の他の設備
○中略
  (三) 来賓及案内状
○中略
     ロ、案内状
 拝啓 時下益々御清穆奉賀候、陳ば来る十八日午前九時東京停車場に於て開業式挙行相成候に付、聊か祝意を表する為め東京市及有志相謀り祝賀会相催候間、同刻御臨席被成下候はゞ光栄に存候、右御案内迄如此に御座候 敬具
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
        宛
 追而当日此案内状御持参被下度希望仕候
○中略
  (五) 開会
大正三年十二月十八日は正に維れ都下二百万の市民が鶴首して待ちたる東京駅の開業式と、神尾陸軍中将入京の歓びとを一時に集めたる佳日なり、此の日や早朝より朝野貴紳の新駅に集まるもの陸続として絶へす、幾万の民衆亦此の盛儀を祝福し併せて功名赫々たる中将の入京を歓迎せむため駅前に雲集し、左しもに広き三菱原頭も、唯見る一面人の山、人の海、其の盛観壮況殆ど名状すべからず、斯くて午前九時盛大なる開業式は駅の一室に於て挙行せられ、尋て中将著京の時刻と為るや一同「プラツトホーム」に整列して来著を待つ、軈て中将及其の幕僚を乗せたる一輛の電車は時刻を過らず新駅に到著し、一行は玆に一同の熱心なる歓迎を受け、其れより高橋駅長及阪谷市長の先導にて駅の入口に向ひ、此所より馬車に分乗して宮城に向ふ、駅前の群衆踊躍抃舞して万歳を連呼し其の声天地を揺かす、稍ありて東京駅開業祝賀会挙行の時刻と為るや、来賓及主人側一同会場に集合し立食の宴を開く、宴酣なる頃発企人総代渋沢男爵は会衆に一礼して挨拶を陳べ終りに例を東海道五十三次の道中双六に採り同双六に於て江戸を振り出とし京都を上りと為したる道程も、今や我が国運の進歩と世界交通の発達とに依り、東京を起点とし倫敦を上りと為すの盛況に達するに至れり、而して東京駅の建設は実に此の世界的交通の上に最も善美なる設備を与へたるものなりと説きて新駅の開業を祝し、次で大隈首相は来賓一同を代表して一場の答辞を為し、東京市及有志が新駅の開業に際し特に祝賀会を設けて盛宴を開催しつる厚意を謝したる後、国家は交通の発達に依りて発展す、我が帝国は東京駅の開業と共に益々其の改善進歩を企図せざる可からず、鉄道の速力を増し貨物の取扱を完からしむるが如き蓋し刻下の要務に属す、而して其の能く之が実結を挙ぐるは是れ一に鉄道当局者の職務なりと雖も、亦実に一般国民の努力に竢たざる可からずと説述し喝采を博せり、右了るや陸軍軍楽隊は「君が代」の国歌を吹奏し、次で発企人総代阪谷男爵の発声にて 天
 - 第48巻 p.509 -ページ画像 
皇 皇后両陛下の万歳を三唱し、祝盃を挙げ主客歓を罄して散会したるは正午三十分を過ぐる頃なりき
○中略
      気球公告社に挨拶
 拝啓 今回東京停車場開業祝賀会及神尾・加藤・栃内陸海軍中将歓迎に際し繋留気球飛揚御寄附相成り、為に一層盛況を加へ候段感謝致候、右御挨拶申述候也
  大正三年十二月二十一日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
    気球公告社 御中
此の他の挨拶状は孰れも右と大同小異なるを以て之を省略す
    六、神尾・加藤・栃内陸軍中将歓迎会
○中略
     ロ、案内状
      主賓案内状
当日の主賓たる神尾・加藤・栃内陸海軍中将に対し、発企人総代より発送したる案内状左の如し
 拝啓 閣下曩に青島攻撃の大任を全ふし殊功を収められ候御事某等の感謝措く能はざる所に御座候、就ては今般御入京を機とし聊か御慰労の微意を表する為、東京市及有志胥謀り来る十八日午後五時帝国ホテルに於て歓迎会相開き候間何卒御来臨の栄を得度、此段御案内申上候 敬具
  大正三年十二月十四日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
        宛
    ハ、陪賓案内状
又陪賓に対し発送したる案内状左の如し
 拝啓 今般入京の神尾陸軍中将閣下・加藤海軍中将閣下及栃内海軍中将閣下一行を招待し歓迎会相開き候間、来る十八日午後五時帝国ホテルへ御光来被成下度、幸に御臨席を得は光栄の至に御座候、此段御案内申上候 敬具
  大正三年十二月十四日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
        宛
 追て当日此案内状御持参被下度希望仕候
 - 第48巻 p.510 -ページ画像 
 (御服装は通常服「フロツクコート」又は通常礼装に願上候)
○中略
  (五) 開会
東京駅開業祝賀会は前述の如く非常の盛況を以て終了を告げたるが、次で神尾・加藤・栃内陸海軍中将歓迎会開催の時刻と為るや、幾百の来賓人車馬車自動車を駆りて帝国ホテルに参集し歓談笑語場内に充溢せり、既にして当日の正賓たる神尾・栃内両中将は馬車を駆りて会場に来著し、渋沢男爵の先導にて場内設備の休憩所に入れり、暫くにして主客一同食堂に臨み宴を開く、此の間海軍軍楽隊は軍楽を奏して興を添ふ、宴半にして渋沢男爵は発企人を代表し左の歓迎文を朗読す
      歓迎文
 陸軍中将神尾光臣閣下
 海軍中将加藤定吉閣下
 海軍中将栃内曾次郎閣下並出征陸海軍将校各位
 閣下及各位は日独開戦以来敵の東洋に於ける根拠地たる青島要塞の攻撃に従事し、勇戦奮闘、其の要塁を陥れ其の堅艦を破り、遂に之を占領して大に我が武力を発揚し国光を中外に顕彰せられたり、是れ偏に閣下及各位が国家の為に身を忘れ、義勇奉公の忠節を全ふせられたるに依らずむばあらず、其の功勲偉業炳として日星を懸け長へに青史に垂る、惟ふに今次の戦乱は世界有史以来の事件にして、帝国栄辱の繋る所亦極めて大なり、而して青島の陥落は陸上に於ける我が軍事行動の一段落を画したるものなりと雖も、尚ほ交戦の実情を持続し、其の将来に於ける戦機の変転蓋し予測す可からざるものあり、此の時局に処して光栄ある戦果を収め以て益々国威を四表に宣揚せむことは、帝国上下の斉しく要望する所にして、又閣下各位の今後に於ける淬励に竢たざる可からざる所なり、今や閣下及各位の入京に際し、其の赫々たる武勲を憬仰し感激敬慕の情自ら禁ずる能はず、某等乃ち玆に歓迎会を設け満腔の赤誠を披き、以て労犒感謝の意を表す、閣下及各位冀くは某等の微衷を諒とし幸に之を享受せられむことを
  大正三年十二月十八日    発企人総代
                   男爵 渋沢栄一
                      中野武営
                   男爵 阪谷芳郎
右了るや神尾将軍は拍手急霰の裡に起ち、陸海軍を代表して大要左の如き答辞を陳ぶ
 今夕は東京市民及び実業家の御主催にて、生等の為めに極めて鄭重なる歓迎の宴を催されたるは深く謝する所なり、幸ひに生等は使命を全うして帰りたるも、畢竟するに
 天皇陛下の稜威と国民の深厚なる同情とに依ることゝ信ず、惟ふに今後は商戦に移らざる可からず、山東方面の商機を一手に掌握するが如きは現に今夕此の席上に列せらるゝ実業家諸君の御働きに竢たざる可らず、次に斯の如き盛大なる歓迎会に臨むに付け坐ろに生等が胸を打つものは、青島の戦争に犠牲となりし部下将卒の身の上な
 - 第48巻 p.511 -ページ画像 
り、彼等は実に皇国の為めに一命を捧げたるものなり、「一将功成万骨枯」とは古来よりの言なるが、武将の心事は全く此の感に打たれ万斛の涙を胸に湛ふるなり、希くは満場の諸君、彼等の父母、彼等の妻、其の他彼等の遺族の為めに最も深厚なる同情を寄せられんことを
中将の此の答辞は一般会衆に対して多大の感動を与へ満堂粛として声なきもの稍々久しかりき、斯くて全員起立の上「君が代」の吹奏を了り、次で阪谷市長の発声にて 大元帥陛下の万歳、中野武営氏の発声にて帝国陸海軍の万歳、渋沢男爵の発声にて凱旋将軍の万歳を三唱し之にて当日の宴を閉ぢ一同小憩の後八時四十分頃散会せり
 因に当日の正賓たる加藤海軍中将は、同月十六日第二艦隊を率ゐ横須賀出発の命を奉ぜられたる趣を以て臨場の光栄を得る能はざりしは、本会の最も遺憾とせし所なり、今同中将より本会発企人総代宛送附せられたる書簡を挙ぐれば左の如し
  拝啓 来る十八日東京市及有志諸彦より鄭重なる御招待に接し御厚志誠に忝なく存候得共、小官は明十六日第二艦隊を率ゐ横須賀軍港出発の命を受け居り、列席の光栄を有するを得ざるを深く遺憾と致候、曩に入京の際は盛大なる御歓迎を受け今又御招待に接し感謝の至りに堪えず、玆に御断りを兼ね深厚なる謝意と敬意を表し候 敬具
    大正三年十二月十五日
          第二艦隊司令長官
                海軍中将 加藤定吉
    男爵 阪谷芳郎殿
       中野武営殿
    男爵 渋沢栄一殿


中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日 陸海両将軍歓迎の宴 灯影花の如き帝国ホテル(DK480147k-0008)
第48巻 p.511-512 ページ画像

中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日
    陸海両将軍歓迎の宴
      灯影花の如き帝国ホテル
東京市主催の凱旋祝賀会は十八日午後五時帝国ホテルに開催せらる、此日ホテルの門には緑門を造りて歓迎の意を表し、来賓の控室は舞踏室を以て之に充てたるが
△天井は日章旗 に擬して紅白の布を用ひいと雄大なる装飾を凝らしたるなど時に取りて面白き趣向なり、定刻前より車馬を駆りて来る者引きも切らず、控室にては時を計りて演芸場の幕を撤し、海軍々楽隊数十名洋々たる音楽を奏す、当日の主賓たる神尾中将並に栃内中将は最初別室にて休憩しつゝありしが、軈て間もなく会衆の打集へる控室に来るや
△拍手雷の如く 起りて更に一層洋々たる歓声満つ、八代海相の如きも自ら軍楽長を麾きて演奏すべき曲目を命ずるなど、歓迎の意を表するに於て到らざるなし、午後六時半食堂を開き、神尾・栃内両中将を正座に招じ、以下の幕僚之に並び、数百名の会衆又等しく食卓に就く打見やれば天井には銀モール輝く花傘を吊し、色彩美しき経木の縄を
 - 第48巻 p.512 -ページ画像 
引き渡し
△壁間に月桂樹 の環を飾り、多数の小国旗を翻へし、灯光燦然白昼を欺くが如く荘麗いはん方もなし、軈てデザートコースに入るや、渋沢男起ちて歓迎辞を朗読し、之に対して神尾中将は陸海軍を代表し、大阪に於ける演説と同意味の謝辞を述べ、次で軍楽隊の君が代の吹奏あり、阪谷市長の発声にて 陛下の万歳を三唱し、更に、中野武営氏の発声にて
△陸海軍の万歳 を、又渋沢男の発声にて神尾中将・栃内中将の万歳を三唱し、之にて宴を撤し、別室に於て歓談に耽りたる上、午後八時半頃散会せり、来会者は神尾・栃内両中将(加藤海軍中将出席なし)を始め、大島・川村両陸軍大将、出羽海軍大将・島村海軍々令部長・徳川貴族院議長・奥衆議院議長其他衆議院議員・府市会議員、其他朝野の名士数百名に達し非常の盛会なりき


竜門雑誌 第三二〇号・第九〇頁大正四年一月 ○凱旋将軍歓迎会(DK480147k-0009)
第48巻 p.512 ページ画像

竜門雑誌 第三二〇号・第九〇頁大正四年一月
○凱旋将軍歓迎会 青淵先生・阪谷市長・中野商業会議所会頭、其他東京市の重なる人々の発起に依り、昨年十二月十八日午後五時より帝国「ホテル」に於て神尾・加藤・栃内三中将の歓迎会を開かれたり、六時半食堂を開きやがて「デザートコース」に入るや、青淵先生には発起人総代として左の祝辞を朗読せられたり。
    △凱旋将軍歓迎会歓迎辞○前掲ニツキ略ス
之れに対し神尾中将は陸海軍を代表して熱誠を罩めたる感謝の辞を述べ、終るや『君が代』の奏楽起り一同起立、粛然として敬意を表し、次いで阪谷男爵の発声にて天皇陛下の万歳を、中野武営氏の売声にて陸海軍の万歳を、青淵先生の発声にて神尾中将・栃内中将の万歳を三唱し、同八時半散会せり、因に当夜食堂を開く前、阪谷男爵より加藤中将は第二艦隊を率ゐて出動の命に接したる為め、遺憾ながら折角歓迎会に列席する能はざれども深く市民諸君の厚意を感謝す、との書面に接したる旨を披露せられたりとなり。


中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日 駅前雑踏 燦たる夜の美観(DK480147k-0010)
第48巻 p.512-513 ページ画像

中外商業新報 第一〇二九六号大正三年一二月一九日
    駅前雑踏
      燦たる夜の美観
空は一碧拭ふが如くに晴れ冬には珍らしい好天気であつたので、三菱原頭目蒐けて集つた市民の数は驚く程多かつた、神尾将軍の凱旋を迎へた後で一時は帰り行く者の方が多いやうであつたが、正午頃からは
△爺も婆も娘も 孫も東京駅へ東京駅へと押出したので、それこそ全く定り文句通り美しく装飾された三菱ケ原は人を以て埋められた、紅白の巻柱に紅白の幔幕、剰けに色提灯など花々しく吊るした三個の余興場では、一方に犬塚士道門下の剣舞術が始まれば、他では滑稽の隊長鶴屋団十郎一座が大阪式の仁和加を演じ、又一ケ所では
△丸一の大神楽 が「吉例によりまして鞠と撥との綾取りを始めまする」次第でさしもの広場が見物人で一杯となる、此他に花火は止め度もなくボーンボーンと打揚げられるし、鬚達摩主催の素人相撲が亦大に
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人気を喚ぶし、此処新東京駅前は忽ちにして歓楽の巷に化した、空地といふ空地には香具師や露店が陣取つてこれ又盛に客を喚び
△お濠端の道路 にまで沢山の露店が並ぶ有様である、斯うして其処へ日ねもす押寄せて来る人間が澱みをなし、仰いでは煙火を見、アーチを望み、余興を見物し、殆んど未曾有といふも可い程の賑ひを呈した、殊に夜に入つては此辺一帯イルミネーションの光で白昼の如く、新停車場・大アーチ・緑塔など珠を鏤めたやうな美観を呈したので余興も引続き演ぜられたから、昼にも増した雑踏を呈した