デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
2節 軍事関係諸団体
4款 社団法人大日本国防義会
■綱文

第48巻 p.636-640(DK480176k) ページ画像

大正12年2月(1923年)

栄一、当会会長ヲ辞シ、是月名誉顧問ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK480176k-0001)
第48巻 p.636 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 曇 寒
午前七時半起床、入浴朝食畢リ○中略 山田英太郎氏来話ス、国防義会○中略 ニ関シ岡野氏ノ処分ニ付談話ス○下略

 - 第48巻 p.637 -ページ画像 

(増田明六)日誌 大正一一年(DK480176k-0002)
第48巻 p.637 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一一年         (増田正純氏所蔵)
十月十九日 木 晴
○上略
本日の来訪は松本幹一郎氏(国防義会々長ヲ渋沢子爵ニ於テ辞任セラルヽ件ニ関スル事)○下略


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁 昭和六年一二月刊(DK480176k-0003)
第48巻 p.637 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿)昭和六年十二月調 竜門社編
             竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 三 一一 ―大日本国防義会々員―大七、一〇、―〃会長、大、一二、二、―〃名誉顧問―昭和六、一一。


竜門雑誌 第四一九号・第六四―六五頁 大正一二年四月 ○大日本国防義会に於て(DK480176k-0004)
第48巻 p.637-638 ページ画像

竜門雑誌  第四一九号・第六四―六五頁 大正一二年四月
○大日本国防義会に於て 左は青淵先生の講演として「大日本国防義会々報」に掲載せるものなり。
 お暑い時分に皆様の御参同を請うたことを深く欣ぶのでございます殊に此問題は最も重要な事柄でありまして、陸軍の軍備の縮小を研究すると云ふ事は吾々の深く考慮しなければならぬ所であります。私は実は門外漢でありまして、何等左様な事には知識も経験も持ちませぬことは皆様の御承知の通りでありますが、誤つて本会の会長の名を先般からお引受致して居りまして、名があつて其の実の無い真に虚名の位地にあることを深く恐縮に考へますが、御免を蒙りたいと申しても、段々御懇親の皆様方から、まあ其名を存して置いて何かある時には皆で間に合せるからと云ふので、今迄虚名を保つて居る次第であります。
 さりながら、今夕開きました研究会のことに就ては、殊に昨年私は亜米利加に旅行を致しまして、ワシントン会議の御模様等を、一向任務を有つた訳ではありませぬけれども、間接に其内容も立入つて拝承致しましたが、実に局に当る皆様方の御苦労は拝見致しても辱く思ふ位であります。果して其会議は皆様の御承知の如く洵に都合宜く相済みまして、爾来東洋の平和を維持するのみならず、お聞及びの通り日米の間には時々に暗雲が漂ふことがありまして、軍備縮小問題の発する其前面には、御同様多少憂慮すべき点なきにしもあらずであつたのでありますが、併し是等の悉くが雲の如く散じ霧の如く消えましたことを深く喜ぶのであります。爾来両国の関係は、勿論東洋の平和を保障するのみならず、日米の間の暗雲は全く一掃されたやうでありますけれども、ワシントンに開かれた軍備縮少会議が両国の平和を強く包み得たと思ひますると、如何に其等の事は我が帝国民として大切に思はなければならぬかと云ふことを思ひ起さしむるのであります。
 前に申上げます通り、私は門外漢でありまして、軍事に就ては何等考はありませぬけれども、私自分としては、此軍務上に就て、或は軍事に対して深く注意を払ひ、十分に力を尽さなければならぬと云ふ事を深く思ふものであります。私は封建時代に成長した人間であ
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りますから、或は此武門武士に対しては或る点には尊敬し、或る点には嫌悪の念を生じて居るであります。殊に武門武士が一般平民を虐げたる事柄は尠からぬやうであります。けれどもそれは昔の夢で今日の時代は左様でありませぬことを諸君と倶に喜びますけれども併ながら、此武と云ふものは勿論力を払はんければならぬと思ひますが、其武に偏するや必ず一国の経済に偏重偏傾を起して、其極国の安固を傷くることが必ず無いとは申せぬのであります。故に武を尊敬し武を大切に思ふと同時に、武に対して大なる注意を払はなければならぬと思ふ、諸君の御研究下さることも蓋しそこにあらうと思ふのであります。此点に就ては諸君と見解を同じくするのであります。
 左様なる意味の下に甚だ此会を重んじますけれども、今日は他に余儀なき会議がありまして、其会議を開いて居りますのを、暫時の時を偸んで之に参りまして、一言此事を申上げて、是より復た其方に参上致さんければならぬ都合になつて居りますから、今日の此研究の御模様を拝聴する時を有しませぬことを甚だ遺憾に存じます。其点は佐藤君と篤とお打合せをして置きましたから、私が退出しましても佐藤君が代つて総ての事を御処理下さる筈でありますから、唯私は、此開会の辞を申上げますると共に、自分の所感を簡単に一言申上げて、長く此席に諸君と共に参列致さぬのをお詫びを致すのであります。是で御免を蒙ります。(一一・九・一)
  ○右資料ノ末文ニアル数字ハ年月日ヲ示ス如クナルモ、講演ノナサレタル月日・会場未詳。


(山田英太郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一四年一一月一七日(DK480176k-0005)
第48巻 p.638 ページ画像

(山田英太郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一四年一一月一七日
                       (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆)
                大正十四年十一月十七日
                   山田英太郎氏来状
謹啓 白雲紅葉之好時節愈御佳安被為入慶賀之至奉存候、陳は国防義会講演家選嘱方之件ニ付、是非自身参堂ヲ以而御高配願上皮兼々心算罷在候処、此節岩倉鉄道学校復興用向等殊之外急忙相極日送り荏苒之間日時之促々に堪ヘス、甚失礼ニ候得共同会幹事中田政信氏(氏ハ予備陸軍中佐にして往年学者法官中田憲信氏ノ嗣君)ニ托し代而参候為致候間、御多繁中甚乍恐縮何卒御差繰御延見願意御聴允被成下度御願申上候、此段奉得貴意候
  大正十四年十一月十七日            英敬具
    渋沢老台
         搨下
 王孫祠畔踏青回紅葉寺辺錦繍堆春露秋霜均惹客一年両度出城来
 半林霜樹銷荒龕圧水千枝秋影涵昨夜周侯斬蛟去朝来腥血沸寒潭
如此之什ヲ誦スルニツケテモ也知秋色勝春色不在朝陽属夕陽抔思浮御無沙汰御託旁々是非親敷函丈ニ接し度山々なから麼累不如意至憾々々御清恕奉願候


渋沢栄一 書翰 控 山田英太郎宛 昭和四年一月一五日(DK480176k-0006)
第48巻 p.638-639 ページ画像

渋沢栄一 書翰 控  山田英太郎宛 昭和四年一月一五日   (渋沢子爵家所蔵)
 - 第48巻 p.639 -ページ画像 
拝啓 益御清適奉賀候、然は今夕開催の大日本国防義会の義に関する陸海軍大臣主催の招宴に就ては、予て御内話も有之可相成出席致度と期し居候処、月初軽微の風邪に冒され、老齢の為めか捗々しく快癒不致、今尚籠居静養致居候次第に御座候、就て厳重なる医戒も有之乍残念陪席致兼候間不悪御諒恕被下度、且両大臣閣下始め御出席の諸氏へよろしく御申訳被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
  昭和四年一月十五日
                      渋沢栄一
    山田英太郎様


(山田英太郎)書翰 渋沢栄一宛 昭和四年一月一七日(DK480176k-0007)
第48巻 p.639 ページ画像

(山田英太郎)書翰  渋沢栄一宛 昭和四年一月一七日   (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆朱書)
                 昭和四年一月十七日
                      山田英太郎氏
謹啓 御風気兎角御捗々しからす被為渡候由此凍威之折柄弥か上御厳保之程切祷不禁候、偖一昨日は御病中を押して御親書ヲ辱し難有拝読御示教之趣夫々御伝意申上置候間可然御諒知被下度候、猶当夜ハ三井三菱両系初メ京浜六拾余家之出席アリ、主人側陸海首脳部ヲ合セ八十余名之御顔揃ニ而、海相之挨拶、陸相之挙杯ニ次キ野生乍潜越国防義会側代表トシテ聊陳述相試、之ニ対し団琢磨君来賓代表之答演アリ、讌終リテ大阪防空演習最近大観艦式等之映画モアリ、引続陸相之支那談モアリ、年首多忙時トシテハ存外之盛会と評せられ、先以而前途両大臣之隆意ニ副ひ得らるへき順序に相運可申哉に被布候得共、御恙気御全癒之後日ハ乍此上何歟ト御仁配被下候様懇願此事ニ奉存候、右一応之拝復旁々概況拝報申上度如此御座候、猶々呉々も折角之御厚摂ヲ以て一日も早く御全快被為遊候様切祈不堪候 草々敬具
  昭和四年正月十七日
                      山田英太郎
    渋沢老台々下


大日本国防義会書類(DK480176k-0008)
第48巻 p.639-640 ページ画像

大日本国防義会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清穆奉賀候、陳者本会ハ過る大正元年創立以来国防に関する智識思想の普及涵養並之れか調査研究機関として連綿今日に至り候処、世運の進歩推移ニ伴ひ従来実施之事業及其範囲に一旋転を要すへき時機と相成、理事者一同に於ても先般来夫々画策罷在候折柄、陸海軍両大臣亦深く本会の趣旨を賛せられ、殊に前途発展の企画に対し不尠督励せらるゝ所あると共ニ、汎く江湖大方の高援ニ待たんか為、両大臣ニ於て去月十五日京浜実業家各位並本会役員を芝公園水交社ニ招待相成候処、貴家におかせられては適々御支障被為在、親しく謦咳拝接の機を得す相過候、然るに本会合は素々国民国防機関の問題ニ繋り区々現義会の小私事ニ無之、又一日御出会と否との関係ニ無御座旁篤と当夜の概況御諒照を得度、別紙該招待会記事小冊一部拝呈申上候間御電閲被成下候ハヽ幸甚に奉存候 敬具
   昭和四年二月一日
 - 第48巻 p.640 -ページ画像 
      麹町区八重洲町一丁目一番地(丸ノ内仲通十号)
              社団法人大日本国防義会
               理事    山田英太郎
               同     山口勝
               同     手塚猛昌
               同     森山慶三郎
               同     望月軍四郎
               同  子爵 花房太郎
               同     小原正恒
               同     神林虎雄
               同     淡中孝八郎
               同     長岡外史
               同     中野金次郎
               同     前田珍男子
               同     亀岡豊二
               同     田中次郎
               同     谷田繁太郎
               同     相馬半治
               監事 子爵 曾我祐邦
               同     増島六一郎
               同     若林成昭
               同     笠井愛次郎
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
  ○別紙ヲ欠ク。