デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
4款 財団法人糧食研究会
■綱文

第49巻 p.578-587(DK490194k) ページ画像

大正8年6月28日(1919年)

是ヨリ先栄一、稲垣乙丙ノ主唱セル糧食問題研究ニ賛成シ、竜門社総会ニ招キ、或ハ東京銀行倶楽部ニ講演会ヲ開キテ、当会ノ設立ヲ援助ス。是日糧食研究会創立セラレ、栄一ソノ名誉会員ニ推サル。後金千円ヲ寄付ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK490194k-0001)
第49巻 p.578 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
五月四日 快晴 軽暖
○上略 十一時過帰寓、稲垣乙丙博士東京ヨリ来訪シテ、糧食節約ノ方法講究ノ事ニ付意見書ヲ示サレ詳細ノ説明アリタリ○下略
  ○中略。
五月十日 晴 暖
○上略 大磯停車場ニ抵リ一時十五分発ノ汽車ニテ帰京ス、車中稲垣氏ノ糧食問題ニ付テノ意見書ヲ一覧ス、三時過東京停車場ニ着ス○下略
  ○中略。
六月一日 晴 軽暑
○上略 午前十一時ヨリ竜門社総会ヲ広庭ニテ開設ス、稲垣農学博士ノ糧食問題ニ付テ講演アリ、午後一時頃ヨリ余モ一場ノ講演ヲ為ス○中略
(欄外記事)
当日ノ竜門社総会ニ於ル演説ハ、稲垣氏ノ糧食問題ニ関スル講演ニ対スル意見ト共ニ○中略 縷述スル所アリタルナリ。
  ○栄一、五月一日ヨリ十日マデ大磯明石邸ニアリ。


竜門雑誌 第三七三号・第四七頁 大正八年七月 ○竜門社春季総集会(DK490194k-0002)
第49巻 p.578-579 ページ画像

竜門雑誌  第三七三号・第四七頁 大正八年七月
    ○竜門社春季総集会
 本社第六十一回春季総集会は予報の如く六月一日午前十時より飛鳥山曖依村荘に於て開かれたり。軈て振鈴を合図に、幹事石井健吾君登壇、大正七年度の社務及会計報告を為し、次で講演会に移り、先づ農学博士稲垣乙丙氏の『食糧問題に就て』の講演あり、最後に青淵先生の講演(追て掲載)ありて会を閉ぢ、夫れより園遊会に移り、例に依り生麦酒・煮込燗酒・天麩羅・蕎麦・寿司・団子・甘酒の各模擬店は孰れも満員の盛況を呈し、初夏の香濃かなる彼方の樹下、此方の丘上に三々伍々、野外の趣味を味ひつゝ新を談じ旧を語らふ和気靄々の光景、左ながら一幅の画図を展べたるに髣髴たり。興酣なる頃、此方の会場に於ては尺八・太神楽・西洋奇術の余興あり、会員各自充分歓を尽して帰途に就けるは午後五時前後なりき、大正七年度社務同年度会計報告及当日来会諸君は左の如し。
○下略
 - 第49巻 p.579 -ページ画像 
  ○栄一ノ右講演筆記ニツイテハ本資料第四十二巻所収「財団法人竜門社」大正八年六月一日ノ条参照。


渋沢栄一 日記 大正八年(DK490194k-0003)
第49巻 p.579 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年
          (渋沢子爵家所蔵)
六月二十日 晴 暑
○上略 六時銀行倶楽部ノ晩餐会ニ出席シ、稲垣氏ノ糧食問題ニ対シテ賛成ノ演説ヲ為シ、夜飧後串田・志村・松方其他ノ諸氏ト糧食ノ補足ニ関シテ意見ヲ交換ス○下略


竜門雑誌 第三七七号・第二九―三三頁 大正八年一一月 ○稲垣博士の講演を聴きて 青淵先生(DK490194k-0004)
第49巻 p.579-582 ページ画像

竜門雑誌  第三七七号・第二九―三三頁 大正八年一一月
    ○稲垣博士の講演を聴きて
                      青淵先生
 本篇は本年六月銀行倶楽部に稲垣博士を招待して、米穀問題に付て講演を乞はれたる際、青淵先生が晩餐会に於て演説せられたる速記にして、銀行通信録七月号に掲載せるものなりとす。(編者識)
今夕の晩餐会に私も御案内を戴いて参上致しました、偶然にも稲垣博士の米の補足と云はうか、味を良くする方法と云はうか、に就てのお話を伺ひました。私は博士の御説は是で丁度三回承りまして、少し請売の出来る位覚えて居る積りであります。抑も此米穀の価が今日段段騰つて来るに付て如何したら宜からうかといふ問題に就ては、是は諸君と共に決して等閑視せられる事ではない。戯談つこに考へて居られる事でないやうに思はれるのであります。極く大体から論ずれば、斯く成行くのが必然の数だと云つても宜くはないかと思ふので、私が事々しく爰に論理を申すのではございませぬけれども、工業の進歩といふものは、段々に農をして工に移すといふことが自然の趨勢で、是は素晴らしい勢を以て進んで居ります。それから都会の人口の増して往くといふことは全く農業を減損しつゝあるといふ傾向を生ぜしめて居るに相違ないので、此等の関係は取も直さず農を減じて工を増す。米を作る人を寡くして米を食ふ人を衆くするといふ、明なる数字を示して居るだらうと思ひます。現に是迄総体で食ひ足りた米が、十分の七しか食ふだけの物がなくなるといふことはどうも免れぬ訳であらうと思ふ。是は大きい事柄でありますから、国の模様に依て一々、年々に其数字が現れて来ないで、或る機会に於て遽にそれが生じて来るといふことは、恰も波が風の度合に従つて、同じ寸法に高くなるものではない。或る場合に堪へ或場合には俄に激しくなるといふが如く、平均で無い場合もございませう。昨年以来の米の価の高いのなどは、即ち其等に原因するものではなからうか。斯う考へますと、どうも一方には何とか良い方法を付けて、米を余計に生産し得る方法即ち開墾事業に、大に力を入れなければならぬかのやうに私は考へます。
丁度私は病気でございましたが、内閣総理大臣が折角此事に就て心配をなされて、全国の有力な方々を招んで、開墾会社を興すといふ事に付て、誘導があつた様子でございましたけれども、丁度折柄の議会の有様が政府の意見と一致せずに、其仕事が途中で中止の姿になつたのは、甚だ残り惜しい事で残念に存じましたから、病後に於きまして
 - 第49巻 p.580 -ページ画像 
其事を担当なさつた民間のお方々、又は政府当局の総理大臣・農商務大臣等に伺ひますと、斉しく残念と言つて御座るが、果して如何なる方法で、開墾事業を拡張されますかといふ事は玆には申上げられませぬ、一方に爾ういふやうな事を根本に努めるのは甚だ必要と思ひますけれども、併しそれは開墾会社が出来たにした所が、来年直ぐ米が生れ出る訳ではない、爰に此米を食ふ割合を幾許か少くする。或は便利にする。或は粗末な米を良くすると云ふ方法があれば、随つて其価格が自然に安くなる。是は目前幾分の調節法にもなるだらうと思ふ。其方法として稲垣博士の今お述になつた事が、果して適当に行へることであつたならば、例へば澱粉を加へて御飯を焚くといふ方法が普及されたならば、甚だ粗末な米も大に供用される訳になりますので、粗末な米が供用されることになれば、外国米の輸入が多くなる。それは貿易上から困難か知らぬが、内地の米の価を無暗に騰げさす事だけは、確に防ぎ得るだらうと思ひます。是が第一の作用。而して米以外の物を食ふといふ事に付いても、併せて良い方法を定めて、之を宣伝するといふやうなことで、一般の人気が其所に進んで参りまして、悪い米を美味く食はせることが出来るのみならず、米を少く食べても尚ほ人の保健上、必要な栄養物を摂ることの出来る方法が行はれたならば、是が一方に米を殖す働に伴ふ。而も是は今日急場に行はなければならぬ事と考へるのであります。
 此稲垣博士のお話は、丁度私が大磯に居ります時に、一日詳しく伺ひました。尚ほ本月の一日に私の王子の宅で、竜門社の大会を開きました時に稲垣博士にお出でを願ひまして、同君のお話を来会者一同と共に承りましたから、前申す通り今夕で丁度三遍承知しました訳であります。今伺ひました所では、甚だ面白い方法のやうに考へられまするが、此事をば実施せしむる手段が無いやうに見える。私は稲垣博士から、此事は甚だ必要だと思ふから、どうか心配して欲しい。彼の人にも話した、此の人にも話した、お前にも話すが、どうか爾ういふ人人と相談して見て呉れまいかといふ、懇切なる御委嘱を受けましたので、何とか方法がありはせぬかと考へて居りました際、丁度今夕銀行倶楽部で此お話があるといふことを承つて、申さば銀行者諸君が、斯ういふ事に興味を持つてお聴き下さるといふことは、流石に銀行のお方々の御注意の深いことだと思つて、実は欣んで参上して共に拝聴した次第でございます。
 そこで私の希望する所は、全体此事は政府でやつて下すつて宜からうやうに思ひますけれども、若し此全体を政府でやることが出来ぬならば、或は何等かの方法に依て、其設備に対して一の勢を付けるだけの寄附金でも募るといふ考を以てやれば、政府が若し斯ういふ事をやつて呉れるならば、吾々は斯うしませうといふ多少条件付位の相談が出来はしませぬか。試みに打明けて申して見ますならば、此事は甚だ必要と思ふが、政府は何と思ふか、そんな事は心配するに及ばぬと言ふたならば、稲垣博士が如何にお勧めになつても、吾々に於て力の入れやうが無いけれども、若し政府にしても其事は極く必要と思ふが、今予算が無いために実行が出来ない、必ず来年からやるといふことな
 - 第49巻 p.581 -ページ画像 
らば、どうせ来年と云はず今から直ぐやらなければならぬ必要な仕事でありますから、申さば托鉢をしてゞも少々の金を醵めて、一時の仕事をやりたいといふことを、文部大臣に話して見るとか、農商務大臣に話して見るとかして、一時の寄附金を募ることが出来はせぬかと考へて居ります。其振合は何うなるか判りませぬが、私が伺つたのでは一時の設備費が三万円ばかり要る。先づ六年間宣伝鼓吹するには一年に少くとも二万円位の金が要る。之を合すれば十三万円ばかりの金が要る訳になる。これに付ては稲垣博士が先日も云はれたことでありますが、それだけの金が皆出来れば実に仕合だが、縦し幾分でも寄附が出来たならば、政府に望むことが出来ぬものでもなからうと思ふ、然し政府に力を入れさすといふことも、私共学者だけでは力が弱いと思ふから、若し寄附でもして呉れるならば、其寄附をして呉れる勢を以て政府に望みを強く言うて呉れたならば、自分の考では此方法は決して一種の慰み物ではない、確に世の中に供用出来ると思ふと云ふことでありました。伺ひますと私は爾う思はれるので、何うかして上げたいと思ひましたけれども、自分が微力でございまして――又縦令微力でないにした所が、今申す通り釣合話で、道理上から政府がもう少し力を致して呉れて宜いとしたならば政府がやるが宜い。やらぬと言へば致方がありませぬけれども、有力なるお人々のお話合に依て、何とか出来さうなものぢやないか。或は中途半端の考だといふ説もあるかも知れませぬが、マア私は早きを望むならば、もう一歩進んで、仮令設備費に属するものだけでも、強ち此所にお集の銀行家諸君丈とは申しませぬが、幸に倶楽部のお方々が申合せて、少々づゝの寄附を募集なさるとか、尚ほ其他に向つても同情の有る方から寄せるとかしたならば、相当の金を醵めることが出来はしないか、さういふ事の見込があるならば誰方でも申合せて、農商務大臣とか或は文部大臣とかに向つて、斯ういふ話があるが、政府が是だけの事を計画しますかといふことを私共出てお願して見て、それは必ずやる積りだ、二の矢を継ぐ積りだから初めの力入れを頼むといふ話があつたら、此話は唯々一場の講演に止めずに、実施をするまでに到らしむることが出来るだらうと考へるのであります。
 私が曾て亜米利加に参りました際に、ゼームス・ヒルといふ人に会ひました。此人は最早死にましたが、曾て市俄古で銀行者仲間に開墾の事を講究しました。其講演をした事に就て後で私に手紙を寄越しましたが、其講演の顛末を詳しく述べた言葉が甚だ意味ある事であつて先づ冒頭に『銀行家のお集りで、此金融機関の枢軸に居る諸君に向つて、最も迂遠な最も基礎的事業、而も其農業が差向き斯うすれば耕作を余計穫れるといふ訳でなしに、謂はゞ農業の根本義たる開墾の説を述べるといふことは、凡そ是位見当違ひの話はないと人も批評しませうし、お聴きなさる銀行家諸君も爾う思召すに相違ない。併ながら是は実に皮相の考で、もう一歩進んで考へたならば、是れくらゐ適切な事は無いと私は言ひたい。抑々銀行家が、唯々金融が大事だ、貿易を盛にするとか工業を進めるとかいふ事ばかりが銀行の本能と思召すならば、それは銀行を片輪にお使ひなさるので、銀行の根本はそれでは
 - 第49巻 p.582 -ページ画像 
無いでございませう、蓋し銀行は経世の事業ではございませぬか。若し経世の事業であるならば、其根本義たる開墾といふ事に銀行家諸君が観念をお置きなさるといふことは、決して間違つた事ではない、否な大に本能を発揮する所以ではありませぬか。斯く考へますと、成程貿易金融を善くするとか、為替の便利を図るとか、手形の流通を良くするとかいふことは、是は銀行の華であります。併し此開墾事業の如きは銀行の実でございます。然らば其基礎を築き上げる事を、銀行者諸君が充分お考へなさらなければならぬと思ふが故に、玆に私は開墾法――農業経営の演説をします。』斯ういふ趣意で申述べてありました。或は冗弁といふ嫌があるかも知れませぬが、私は其演説筆記を見て流石にゼイムス・ヒルの経綸であると思ひました。
 今日の食糧問題は、それよりも尚ほ一層切実と言うても宜しいと考へます。銀行家のお方々が、食糧問題に就て御心配なさるのは御不似合どころではない。最も適切な御務と申しても宜しいと考へるのであります。尚ほ委員長にお話を致しますが、私は稲垣君から、此仕事を進めるに付て何とか方法はないかといふお話も度々承りました。それに就て幸ひ斯る御場所に於て銀行家のお方々がお聴き下さることを喜びまして、私は斯う思ふといふ事を一言申上げた次第でございます。


渋沢栄一 日記 大正八年(DK490194k-0005)
第49巻 p.582 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年            (渋沢子爵家所蔵)
六月二十一日 雨 暑
○上略 午前十時中橋文相ヲ私邸ニ訪ヘ○中略 稲垣博士ヨリ請求ノ食糧改善方法ヲ談ス○下略
  ○中略。
六月二十五日 晴 暑
○上略 小阪農商務大臣秘書官来リ、食糧問題ニ付大臣ヨリノ伝言アリ○下略
  ○中略。
七月四日 曇雨 冷
○上略 小阪農商務秘書官来話ス、稲垣氏ヨリ建議アル食糧ノ事ヲ談ス
○下略
七月五日 晴 暑
○上略 稲垣博士来リ、食糧補足方法宣伝及研究ノ事ヲ談ス○下略


糧食研究会設立協議会案内状(DK490194k-0006)
第49巻 p.582-583 ページ画像

糧食研究会設立協議会案内状       (堀内明三郎氏所蔵)
(印刷物)
拝啓
益々御清栄奉賀候、陳者予て御賛同を得候糧食研究会設立の件に付御協議仰ぎ度、御多忙中恐縮に存候得ども、来六月二十八日(土曜)正午十二時築地精養軒へ御来臨被成下度、此段得貴意候 敬具
  大正八年六月廿一日        伯爵 林博太郎
                 農学博士 稲垣乙丙
                      堀内明三郎
       殿
 - 第49巻 p.583 -ページ画像 
 追て 乍御手数御来否、市外下目黒三四八稲垣乙丙宛にて御一報被下度願上候


糧食研究 第一号・第四九頁 大正八年一〇月刊 本会記事(DK490194k-0007)
第49巻 p.583 ページ画像

糧食研究  第一号・第四九頁 大正八年一〇月刊
    本会記事
本会成立 糧食問題に関する研究会組織の機運熟して、六月廿八日築地精養軒に発起人会を開く、会するもの廿六名、会則を議決し、評議員を選み、会長に林伯爵を推し、玆に糧食研究会成立す
○下略


糧食研究 第一号・第五二頁 大正八年一〇月刊 糧食研究会会員名簿(DK490194k-0008)
第49巻 p.583 ページ画像

糧食研究  第一号・第五二頁 大正八年一〇月刊
    糧食研究会会員名簿
  名誉会員(イロハ順)   内務大臣 床次竹二郎君
                 子爵 加藤高明君
             法学博士子爵 田尻稲次郎君
              農商務大臣 山本達雄君
                 男爵 渋沢栄一君
  評議員○氏名略ス


糧食研究 第一号・表紙ノ三 大正八年一〇月刊 糧食研究会々則(DK490194k-0009)
第49巻 p.583-584 ページ画像

糧食研究  第一号・表紙ノ三 大正八年一〇月刊
    糧食研究会々則
第一条 本会ハ国民糧食ノ安定及改良ヲ計ルヲ目的トス
第二条 本会ハ前条ノ目的ヲ達センガ為ニ、時々集会ヲ催フシテ討論研究シ、特殊ノ研究ハ之ヲ東京帝国大学及其他適当ト認ムル所ニ委託シ、研究ノ結果世ニ実行ヲ奨ム可キモノハ之ヲ宣伝ス
第三条 本会ノ会員ハ名誉会員・特別会員及普通会員トス
第四条 普通会員ハ会費年額金参円ヅヽ若クハ一時金五拾円、特別会員ハ一時金壱百円以上ヲ出スモノトシ、此ノ会費ヲ以テ支弁シ難キ特殊ノ費用ハ寄附金ヲ以テ支弁スルモノトス
第五条 本会ハ随時集会ヲ催フスノ外、毎年一回総会ヲ開キ会務ノ報告ヲナスモノトス
第六条 本会ハ随時会報ヲ発刊シテ会員ニ頒ツ
第七条 本会ノ役員ハ会長・副会長・幹事及評議員トス
第八条 評議員ハ会員ノ投票ニヨリテ十名以上ヲ選挙スルモノトシ、会長・副会長及幹事ハ評議員之ヲ選挙スルモノトス
第九条 本会ノ事業ハ会長・副会長ノ指揮ニヨリテ幹事之ヲ遂行スルモ、重要事項ニ就テハ評議員会ノ決議ヲ経ベキモノトス
第十条 本会ノ事務所ハ東京市麹町区内山下町一丁目一番地ニ置ク
第十一条 本会ニハ必ズ会員名簿・会計簿及本会記録ヲ備フルモノトス
第十二条 本会々則ノ改正ハ評議員会ノ決議ヲ経ベキモノトス
        東京市麹町区内山下町一ノ一
          糧食研究会
             会長    伯爵 林博太郎
 - 第49巻 p.584 -ページ画像 
             副会長   子爵 前田利定
             幹事長 農学博士 稲垣乙丙


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二〇頁 昭和六年一二月刊(DK490194k-0010)
第49巻 p.584 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第二〇頁 昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 八 六 ―糧食研究会名誉会員―


中外商業新報 第一一九四八号 大正八年六月二九日 ○糧食研究会成る 廿八日発会式(DK490194k-0011)
第49巻 p.584 ページ画像

中外商業新報  第一一九四八号 大正八年六月二九日
    ○糧食研究会成る
        廿八日発会式
食糧問題は我国に於ける刻下の重大問題なるが故に、予て該問題に就き熱心に研究を進めつゝある農学博士稲垣乙丙氏を中心とし、糧食研究会なるものを設立計画中なりしが、二十八日正午より築地精養軒に於て之が発会式を挙行し
 稲垣乙丙・堀内明三郎・林博太郎伯・畑中養一郎・沢村真・土岐子爵・小川平吉・湯本武比古・志村源太郎・鈴木梅四郎・矢木久太郎・平田初熊・伊藤梯蔵・指田義雄・鈴木梅太郎・恒藤規隆氏等
二十六名出席、先づ同会の規約を可決し、会長に林博太郎伯、顧問に渋沢栄一男、加藤高明子及び山本達雄氏を推薦せり、而して稲垣博士が席上に於て説明したる大要左の如し
 大正六年中に我国より輸出及移出せる小麦・澱粉・菜豆・豌豆及小豆等に含有する澱粉を米に換算すれば実に二百二十四万石を算し、大正七年度には百七十万石を増加して三百九十四万石に達せり、之れ即ち我国に於て食糧の不足を来せる所以也、然れども米は我国人口五千五百万人に対し七十六パーセントの供給力あるが故に、我国に生産する甘藷・裸麦・大麦・小麦・馬鈴薯・粟・玉蜀黍・蕎麦等の全部を使用せば、国民生活上何等不安を来す事無きのみならず、寧ろ相当の余裕を生ずるに依り、之が緩和策として雑食制度を採る事必要なる可し云々


糧食研究 第三号・第六八―六九頁 大正九年三月刊 糧食研究費並宣伝費寄附芳名録(大正八年六月より同九年一月末迄)(DK490194k-0012)
第49巻 p.584-585 ページ画像

糧食研究  第三号・第六八―六九頁 大正九年三月刊
    糧食研究費並宣伝費寄附芳名録
          (大正八年六月より同九年一月末迄)
 一金壱万円也             森村豊明会殿
 一金壱万円也             古河合名会社殿
 一金壱万円也             三菱合資会社殿
 一金壱万円也             三井八郎右衛門殿
 一金参千円也             湯浅竹之助殿
 一金参千円也             勝田銀次郎殿
 一金参千円也             鈴木よね殿
 一金壱千円也             渋沢栄一殿
 一金壱千円也             志村源太郎殿
 - 第49巻 p.585 -ページ画像 
 一金壱千円也             松方巌殿
 一金壱千円也             井上準之助殿
 一金壱千円也             梶原仲治殿
 一金壱千円也             服部金太郎殿
 一金壱千円也             今村繁三殿
 一金壱千円也             佐々木勇之助殿
 一金壱千円也             高倉為三郎殿
 一金壱千円也             恒藤規隆殿
 一金壱千円也             植村澄三郎殿
 一金壱千円也             斎藤浩介殿
 一金壱千円也             内田信也殿
 一金壱千円也             神田鐳蔵殿
○下略


糧食研究 第五六号・第二―六頁 昭和四年六月 財団法人糧食研究会に就て 理事 堀内明三郎(DK490194k-0013)
第49巻 p.585-587 ページ画像

糧食研究  第五六号・第二―六頁 昭和四年六月
    財団法人糧食研究会に就て
                   理事 堀内明三郎
 私は理事の一人と致しまして、事務の事、会計の事を聊かお手伝ひしてをりますので、この糧食研究会の創立以来今日までの経過に就きまして、大体のお話をさして頂きたいと思ひますので、講演会に移る前暫くの時間の御割愛を願ひたいと思ひます。
 只今林会長からお話もございました通り、大正七・八年の頃に米価が暴騰を重ねまして、御承知でもございませうが、一時、富山県では米騒動が起りましたとか、神戸では例の焼打騒ぎなどが起りました際であります。これからどうなり行くか、寔に国民生活の不安を来すと云ふやうな次第でありますので、兼てから故稲垣乙丙博士が、糧食問題に就いては非常に研究してをられたので、是非この急を救ふと同時に、日本として重大なる関係のある糧食問題を解決して行かなければならぬと云ふので、各方面に同士を求められたのであります。
 それで、段々機が熟しまして、大体の目鼻がつきましたので、大正八年の六月二十八日に築地の精養軒に於きまして、発企人会を開きました、その時に集りましたものが各方面の有力者が二十六名でありましたが、その際一通りの定款を決めまして、続きまして、会長として伯爵林博太郎閣下、副会長として子爵前田利定閣下を推薦申上げました。而して稲垣博士は専務理事として直接にその衝に当らるゝ事になつたのであります。玆に始めて此糧食研究会が成立致しました。その際に丁度渋沢子爵が、酷くこの糧食研究問題に就いて憂慮されてをられましたので、私はその研究会の出来たお話をし、又稲垣博士の御熱心なる事をお話しました所が、是非稲垣博士のお話を聴きたいものだと云ふので、御紹介申上げまして、稲垣博士が渋沢子爵にお会ひになりまして、色々お話せられた所が、渋沢子爵がこの稲垣博士のお話を聴かれまして、その当時はさやうな際でありましたから、各方面から色々な意見や計画がありましたのですが、その中でも稲垣博士の話は極めて穏健で、実際的であらうと云ふ、これは実行の可能性があらう
 - 第49巻 p.586 -ページ画像 
と云ふので、非常に共鳴せられました。
 そこで、渋沢子爵も自ら進んで銀行・実業界の方面に紹介せられまして、大分御尽力を下さつたのであります。斯やうにしまして、実業界の方面のものは勿論各方面の有力の方々の御賛同が殖えまして、資金も大分寄るやうになつて参りました。そこで稲垣博士も、数名の研究員と共にこの焦眉の急である所の節米、或は代用食と云ふやうな事に就いて御研究になり、更にこの米価の調節と云ふ事に就いて、色々に御宣伝になりまして、或は講演会に、或は又試食会をせられ、又その際には只今の林会長に於かれましても度々御講演等に出られまして宣伝をされたものであります。
 その後大正九年……翌年でございまするが、帝国大学の農学部に、約百坪に近い研究所を新設致しまして、これを農学部へ寄附をされたのでございます。そこで、更にこの研究所に於きまして代用食の研究は勿論、米価の調節と云ふやうな事に、常に怠りなく尽力をされてをりました。この際に会員は、未だ未だ五百人そこそこのものでございました。
 大正十年には法人組織にしやうと云ふのでその筋へ申請を致しまして、間もなく認可になると共に、それまでの間の事業並に資産と云ふものはこの法人研究会に継承致しました。即ち現在のこの財団法人糧食研究会がこれでございまして、今日に至つてゐるのでございます。
 只今も申上げました通り、本会と致しましては、その当初に於きましては、専らこの節米であるとか、代用食であるとか、並に米価の調節と云ふやうな事に主力を注がれて来たのでありますが、爾来各種の方面に研究の歩を進めまして、その主なるものを纏めて申上げますれば(一)米麦の混食の奨励(二)米価並に一般物価の研究(三)各種の食物の生産と消費の研究及統計(四)栄養の研究、又その他一般食糧に関する研究などをされまして、それ等の結果は、その都度……本会の雑誌がございます――「糧食研究」と云ふ雑誌に掲載致しまして発表をしてをつたのでございます。
 最近、この昭和二年の春頃になりましては、稲垣博士が専ら米糠食を推奨せられまして、これも亦各地に於て宣伝に努められ段々に拡まつて参つたのでございまするが、不幸にして稲垣博士が病気に罹られまして、昨年の春、三月の末に他界せられたのでございます。恂に惜しい事でございます。
 爾来当会と致しましては、斯界の泰斗であらせらるゝ鈴木梅太郎博士が、御多忙の御身にも拘らず、当会の為めに御尽力下さると云ふ事になりまして、引続き専務理事と云ふ事を御承諾になりまして、当会の為に御努力下さつて、更に新しく各方面の御研究を重ねてをらるゝのでございます。段々これから御研究の結果が発表せられる事と信ずるのであります。現に本日これから博士の御講演がございますが、その一部を御発表下さる事と存じてをるのでございます。
 大体斯やうな次第でございまするが、最後に本会現在会員の状態はどうでございますかと申しますれば、名誉会員が十名、特別会員が四百五十名、普通会員が約一千二・三百名でございます。殊にこの当会
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と致しまして力強く思ひますのは、本会々長林伯を始めと致しまして前田副会長並に鈴木専務理事の御三方が、何れもお揃ひで政府の人口食糧調査会の委員に御選任されてをられまして、常に、絶えず糧食の事に携つてをられまして、且努力されておらるゝことであります。
 又当会の資産は約十万八千円あまりでございます。その中六万三千円あまりと云ふものが信託預金、三万五千円ばかりが公債・社債其他の債券類、約一万円と云ふものが現金・銀行預金と云ふやうなものになつてをりまして、極めてこれは確実なものであります。
 斯くの如く当会と致しましては、色々の設備又は基礎も稍々できてをりまして、これから多々益々すべき事は沢山ございませうと思ふのですが、更に皆さま方の御助力を仰ぎまして、一層この会の為め、即ちこの国家の重大なる糧食問題に就いて努力をしたいと思ひますのですが、どうか既にこの会員であられる皆さまは勿論の事、未だお入りになつてお出でにならぬ方は、どうか又お入りを下さいまして、名実共にこの会の為めに御努力をされて、此会の使命をして完からしめると同時に、この糧食問題の解決に資せられるやうに切に希望するものであります。
 一言成行をお話申上げました次第であります。



〔参考〕堀内明三郎談話筆記(DK490194k-0014)
第49巻 p.587 ページ画像

堀内明三郎談話筆記           (財団法人竜門社所蔵)
          昭和十三年一月廿六日 於東京丸ノ内、海上ビル旧館内山川製薬会社応接室 李快洙、松平孝聴取
    糧食研究会に就て
 糧食研究会創立の主唱者は故稲垣乙丙博士で、発起人は林博太郎伯と私を入れて三人です。そして成立したのが大正八年六月二十八日。それ以前に人造肥料の方をおあづかりして居た私が時々子爵にお会ひしてた頃、丁度所謂米騒動で世間が大変だつた。此際米だけを主食としてはいけない。代用食を大いに研究する必要があると主唱してゐた右の稲垣博士の事を子爵に申上げた処、当時色々之に対する策を子爵の手許まで呈出したのが沢山あつたが「稲垣博士のが一番実際的である、一つ博士に会はう」と言はれて早速私が紹介致しました。子爵は博士の論に賛成し、大正八年六月一日の竜門社の春季集会の折に博士の講演を願つた。更に又子爵自ら御出掛けになつて銀行集会所で博士の講演会を開くやうにお力を尽して下さつた。かくして成立した会に子爵を名誉会員として推薦し、其の後、大正十年二月二十五日に財団法人に改組されたが、益基礎固まり、内務省・農林省等より助成金を頂いたり、帝大農学部に糧食研究室を寄贈したりして種々の研究成果をあげ、今日までも斯界の為に尽す処ある会として頂いたのも、皆創立当初に産婆役として、御尽力を願つた子爵のお蔭と深く感謝致してます。