デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.247-253(DK500041k) ページ画像

大正6年――昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和五年(DK500041k-0001)
第50巻 p.247 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和五年          (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 晴 寒気厳ナラス
○上略 午前十一時第一銀行ニ抵リ、新正ヲ賀ス、佐々木頭取以下重役一同及行員多数相会シテ祝盃ヲ挙ク、畢テ行員ニ一場ノ訓示ヲ為ス、朝来揮毫セシ書感ノ七絶ノ詩ヲ話題トシテ所感ヲ述フ○中略帰路佐々木氏ヲ訪ヒ、新年ヲ賀シテ帰宅ス○下略


竜門雑誌 第四九七号・第八五頁昭和五年二月 青淵先生動静大要(DK500041k-0002)
第50巻 p.247 ページ画像

竜門雑誌  第四九七号・第八五頁昭和五年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
一日 年頭の賀詞を受けらる。第一銀行年賀式に出向


竜門雑誌 第四九六号・第五―一〇頁昭和五年一月 昭和五年元旦所感 第一銀行に於て 青淵先生(DK500041k-0003)
第50巻 p.247-250 ページ画像

竜門雑誌  第四九六号・第五―一〇頁昭和五年一月
    昭和五年元旦所感
      ――第一銀行に於て――
                      青淵先生
 皆さん明けましてお目出度うございます。
 今年も亦かうして皆様にお目にかゝれたのは、此上もない喜であります。毎年年頭に此席で皆様にお目にかゝるのを楽しみに致して居ります。私は当銀行の経営者ではありませんが、心の裡では何時までも当銀行の関係者の一人と思うて居ります。故に誰から出よと言はれたからと云ふのではなく、渋沢が健康である限り、自分の第一の義務と考へて喜んで出席致すのであります。只今佐々木頭取から私の一身上のことに付て詳しく御話がございましたが、大分溢美の感が御座いまして恐縮千万で御座います。然し過当の御賞讚を別にしまして、長く当銀行に関係をして居たことは事実で御座います。
 此銀行の創立は明治六年の八月かと思ひます。私は初めは総監役と云ふ名で、次に頭取として経営に任じて参りましたが、大正七年《(五)》に辞しまして、佐々木さんが代つて頭取に御就任になりました。佐々木さんは突然此職に就かれた訳でなく、明治初年以来此銀行の為めに働いて来られたのであります。故に佐々木さんもさう新しい方ではないので、私から見ればこそ年下ではありますが、貴方方の間では先づ私と並んで年嵩の方でゐられます。たしか佐々木頭取は私よりは十歳ばかりお若いと思ひます。何でも私が三十幾才の時に、佐々木さんは二十台の青年であつたと記憶して居ります。其時分から引続いて共に此銀行の事務に力を尽して参りました次第で御座います。こんな話は頭取にとつては却つて迷惑かもしれませんが、往事を思ふと先づ頭に浮ぶ為めに申添へた次第であります。
 斯の如き方を頭取とし、他の重役諸氏がよい方々であり、其方針よろしきを得、其経営に一致協力して居られるので、立派な成績を挙げられた訳で、真に結構なことで御座います。銀行を人体にたとへます
 - 第50巻 p.248 -ページ画像 
と、重役は頭のやうなものであります。頭が大切な事は勿論であります。けれども頭に応じて働く手足も亦重要で御座います。手足が健全でなければ満足に活動することは出来ませぬ。故に此銀行の手足として働かれる諸君は、十分健全でなければなりませぬ。私は皆さんがよく此事を理解下すつて、誠実に其職に尽されるやうに希望致します。此誠実といふ事は人として最も大事なものでありまして、之が無ければ人たるの価値が無いと迄申したいのであります。白河楽翁公も『あるもなきにおとるは誠無き人の才』と仰せられてをります。誠意のない人の才は無くもがなであると云ふ意味で御座いまして、真に同感を禁じませぬ。それにつけても、慨かはしきは近来の世の風潮であります。真に憂ふべく恐るべきものがあります。若しこのまゝ進んで行つたならば、或は社会の廃滅を見るに至らぬとも限らないと迄感ぜられます。其為めであらうかと思ひますが、昨年文部省で教化運動を起され、私にも何か話すやうにと、文部大臣から依頼がありました。誠に結構の計画であると思ひましたので、喜んで承諾しました。私と致しましては、何も之といふ立派な説もありませんでしたけれども、近来私の切に感じて居りますことを申述べたのであります。それは要するに『義務を先にし権利を後にせよ』と云ふ事であります。世間の有様を見ますに、皆争うて権利を主張し、権利さへ得るならば後はどうなつてもよろしい、たゞ何でもよいから権利を握らうとあせつて居ります。その為に、遂に種々の不祥事なども生ずるのであります。面白からぬことでありますが、動かすことの出来ぬ事実で御座います。これではいけない。先づ義務をはたして後権利を得るやうでなくてはならぬ。一体権利といふものは必ず義務を伴ふものであり、義務のある所必ず権利ありであります。かくて両者は互に切離すことの出来ぬものであります。故に義務を尽す時には権利は求めずして、自ら来るものであると申すことが出来ます。若し世人が皆かく義務を先にするやうになつたならば、社会教化は自然に行はれるのであります。之は私の年来主張する所で御座いまして、唯口で言ふのみでなく、及ばずながら自ら行はんことを心掛けて参つたのであります。
 今年も例によりまして年頭所感を詩に致しました。此所に掲げましたのはそれで御座いまして、今朝書きました為め、皆様を大分おまたせ致した次第で御座います。事々しく申上げるほどではありませんが一寸読み下しますと、
  小成自擬古誠忠 愧我経綸未奏効
  山海殊恩何日報 喜迎九十一春風
といふのでありまして、解釈致しますと、今迄は君の為め世の為めにと骨折つて来た積りだが、まだ充分に其効果の上がらぬのはお愧しい次第である。自分も愈九十一の年を迎へたから、これらの山の如く高く海の如く深い君恩に報いる為に、大に努力しようといふのであります。九十一歳を迎へた此老人が、これから大いに忠誠を尽さうといふ点を見て頂きたいのであります。従来詩人の作中にも、老域に達して大いに気を吐いたといふ詩は多く見当らぬやうであります。陶淵明なども帰去来辞の中で、
 - 第50巻 p.249 -ページ画像 
  悟已往之不諫知来者之可追
  実迷塗其未遠覚今是而昨非
などと申してをります。にも拘らず渋沢がかういふ意気でゐるといふ事をお知りおき下さるやうにありたいのであります。
 先程佐々木さんの御言葉も御座いましたやうに、旧臘十九日思ひがけなくも 聖上陛下から御陪食の光栄を賜はりました。陛下から直接の御下問は御座いませんでしたけれども、近侍の方々、牧野内大臣・一木宮内大臣・鈴木侍従長などから種々の御質問がありまして、之に御答申しますのを 上には御気嫌麗はしく御聴きになりました。かういふ事を申述べるのは誠に畏多い事でありますが、皆様の前に内々御洩らし致す次第であります。
 当日の御話の大要を申しますと、『維新前に私が欧洲の地を踏んで感じました事は、彼地の実業界の人々が、官吏と肩を並べて全然対等の交際をして居りまして、我国の事態と余りに隔りのあるのに驚きましたが、是非かうなければならない、従来の日本の有様は間違であると深く感じました。その為めには我国でも大いに産業を興して、欧洲のやうに実業家の地位を高めねばならぬといふ事を深く感じました。爾来六十年、及ばずながら其方面に力添へをいたして参りましたが、一昨年私の米寿を祝うて下さると云ふので、時の総理大臣であつた田中さん、其他各大臣、各国の大公使を始め各方面の立派な方々が集つて、盛大な祝賀の宴を開いて下さいました。其時に真に六十年前の希望が始めて達せられたといふやうに感じまして、私の喜は非常に深いものでありました。故に私は皆様は私を祝うて下さるが、寧ろ皆様に御喜びを申上げたい程に嬉しく存じますと申述べました。然るに本日は辱くも 上御一人から、かういふ破格の御恩典を賜はると申すのは畏多くも 御聖徳の宏大無辺なる為めではありますが、また私の長命の御蔭でありまして、真に難有き極みで御座います。従来長生をした為め折々嫌な事を耳に致しますので、命長ければ恥多しである、少しも早く此世を去りたいなどと考へたこともありましたが、今日は之に反して長命すればこそ、此御恩命を拝する事が出来るのであると、沁沁長寿の難有さを感じ入る次第であります。』
 といふ意味で御座いましたが、陛下には時々お肯き遊ばされ、御微笑を湛へさせられたやうに拝しました。誠に死して猶余りある光栄で御座いまして、私は此光栄を私するに忍びず、敢て皆様に此事を内々に申上げる次第であります。
 満堂の諸君、諸君は益々以て此銀行の為に忠実に精励せられるやうに、重ねて希望致します。社会の模範となる程の御覚悟を以て御尽瘁あらん事を切望するのであります。固より社会教化運動を興すといふやうな事は、銀行者の本分では御座いませんから、其を勧めは致しませぬが、此銀行丈はかうであるといふ迄に致したいものであります。
 長々御清聴を煩はしまして恐縮で御座いました。それでは之で私の話を終ります。(一月一日)
 編輯者註 このお話中の新年所感の、詩の第一句は「小成自擬古誠忠」でありますのに、口絵の元旦試筆の方は「瓦全自擬古誠忠」と
 - 第50巻 p.250 -ページ画像 
なつて居ります。これは最初「小成」であつたのを、後に「瓦全」と訂正せられたからでありますが、尚ほ青淵先生は、これをも未定稿とせられ、さらに推敲に推敲を重ねられやうとして居られるのであります。
  ○右「竜門雑誌」巻頭口絵ニ栄一書元旦試筆ノ写真ヲ掲グ。編者注ハソノ冒頭第一句ト本文ニ引用セラレタル第一句ノ相違ヲ説明シタルナリ。未定稿云々ハ落款ニ「青淵未定稿」トアルニヨル。


竜門雑誌 第五〇一号・第八七頁昭和五年六月 青淵先生動静大要(DK500041k-0004)
第50巻 p.250 ページ画像

竜門雑誌  第五〇一号・第八七頁昭和五年六月
    青淵先生動静大要
      五月中
十七日 第一銀行諸氏招待茶会(曖依村荘)


集会控 自昭和四年七月一日(DK500041k-0005)
第50巻 p.250 ページ画像

集会控  自昭和四年七月一日        (渋沢子爵家所蔵)
○昭和五年
五月十七日  (土) 後二半 第一銀行諸氏招待茶会 飛鳥山邸
○中略。
七月二十六日 (土) 後二 第一銀行定時株主総会 銀行集会所
○中略。
九月三日   (水) 後二、五〇 第一銀行へ御出向
○中略。
九月六日   (土) 前十一 第一銀行へ御出向


竜門雑誌 第五〇四号・第一―六頁昭和五年九月 ○巻頭言 吾道一以貫之 第一銀行総会に於て 青淵先生(DK500041k-0006)
第50巻 p.250-253 ページ画像

竜門雑誌  第五〇四号・第一―六頁昭和五年九月
 ○巻頭言
    吾道一以貫之
      ――第一銀行総会に於て――
                      青淵先生
 久々にて皆様にお目に懸かりましたことを此上なく喜ばしく存じます。一月の総会には所労の為に欠席致しまして、お目に懸かることを得られませなんだ。もう罷り出ましても何等用事もなし意見もありませぬけれども、何やら第一銀行の総会と云ふと宅にぢつと居るのが嫌で、ちよつとでも罷り出たいと云ふ感じが致します。若い時分から始終附いて居る一つの癖とでも申しませうか、幸に今日○七月二六日は不快もございませぬで、玆に参上致して皆様にお目通が出来たのでございます。参上しますると、私が経済界に何等特殊の知識を持つて居る訳ではありませぬけれども、長い間従事したと云ふ縁故から、多少の愚見を陳上すると云ふのが、一つの慣例のやうになつて居りますから、実は段々老衰の結果、世間に疎くなりまして、何等意見は持つて居らぬのでございますが、併し此処に参上致して経済界の重要なる機関としての第一銀行の半期の報告を承り、又其配当を承知致し、皆様にお目に懸かつて見ますると、多少経済界若くは社会上の事に就て、愚見を陳上すると云ふことは、必ずしも無用の弁とばかりも申されぬかと思ふのでございます。
 - 第50巻 p.251 -ページ画像 
 今日に相応しいお話でないかも知れませぬが、昨年の秋頃でしたか現内閣○昭和四年七月浜口内閣成立が組織されて直ぐだと思ひます、文部大臣から教育に就ての教化運動をするからしてお前も何か意見があるならば意見を出せと云ふ御勧誘を蒙りましたことがございます。それは丁度昨年の今頃であつたと思ひます。折角の御諮問でありますから愚説を申述べましたことがございます。其以後社会に向つて意見などを申しませぬから甚だ古いものではございますけれども、他に変つた意見の持合せもございませぬから、其愚見を陳上して皆様の御参考に供したいと思ふのでございます。大臣の諮問に対しては書いたものを出しましたけれども、くだくだしく読上げる程の効果はないかも知れませぬから何かの機会があつたら、短いものでありますから之を印刷して銀行から株主の皆様にお配りして、或る場合の御参考に供して頂いたら仕合せでございます。併し是は敢て私が願ふのではありませぬ。今日暑中の折柄朗読するのは骨が折れますし人に読んで貰ふ程のことでもありませぬから、詰り趣旨は教化運動をしやうと云ふことに就て、文部大臣が私――渋沢栄一に対して、何と考へるかと云ふお問に対してのお答でございます。其要領はどうも今日世間の人が権利のみを主張して義務を後にすると云ふことが一般の弊と云ふか、さう云ふ習慣が強く行はれて居る。之が教化の行詰る所以であらうと思ひます。是非教化総動員をなさると云ふならば、一般の人心が寧ろ義務を先にすると云ふ観念を強めるやうな風習に導いたら、教化が完全に行はれるだらうと思ひます。即ち総ての事は、政治上であれ経済上であれ教育上であれ、権利義務共に附帯して其宜しきを得るに於て、物の進みを見ることは、もう此処で喋々を要しませぬけれども、其権利義務の間に必ず義務を先にするか、権利を先にするかと云ふことが附いて廻る重要の問題であります。併しながらお互に我が持つて居る所の権利を先にして、我が尽すべき所の義務を後にすると云ふのが、斯く申す私もさうですが、此処に集つて居る皆様も共に人情の然らしむる所、あり勝であると思ひます。決して悪いとは申しませぬが、それを甚しきに至らしめたならば社会は遂に混乱に陥る、真に教化を完全に尽さうと云ふならば、其観念から直さなければいかぬと、斯う私は考へるのであります。蓋し私の主義とする所は少し古風で、今の学問をしたお方の目から見たならば、あんな野暮なことを言ふと排斥されるかも知れませぬけれども、先づ第一に私の平素愛読して居ります論語、此論語に種種なる事がございますが、――其中の最も重要なる事の一つに、例の曾子と云ふ人――孔子に最も信用された人でございます、丁度孔子から見ると四十以上年下の門人ですが、非常に親孝行の人で二十四孝の中にも載つて居る人です――其曾子が孔子の門人及び曾子の門人数名と、夫子に対して談話をして居る。其中に孔子が改つて参乎――曾子は曾参と云ひました――参乎、吾道一以貫之。ちよつと吾々から見ると禅宗の問答のやうですが、さう呼掛けた、さうすると曾子曰、唯。承知しましたと云ふ意味になりませう。どうも私共に能く分りませぬ諸君にも唯それだけ申上げたでは御了解が難かしうございませう。孔子は他に用事があつて出かけられた。そこで他の門人が矢張私共と同
 - 第50巻 p.252 -ページ画像 
じやうに只「唯」きりでは分らぬから、今の孔夫子の御問答はどうもはつきり理解致し兼ましたが、あれはどう云ふ意味ですかと尋ねた。曾子が門人に答へて言ふのに、夫子之道忠恕而已矣――吾道一以て之を貫く、一とは何ぞや忠恕である。忠恕の観念が行はれゝば天下の事は総て解決が付く。斯う答へた。門人達それに対して質問はなかつたけれども、念を入れて聞きたい人があつたら、忠恕とは如何と問ふ所であつたらうが、それだけは皆分つた人と見えまして聞かなかつた。論語の里仁第四にございます。此忠恕の文字を更に四書を本当に噛み砕いて理解したと申す支那の学者朱文公――四書の朱註と云ふものは皆様もお読みでございませうが、あれは宋朝の学者の朱熹と云ふ人が周茂叔・邵康節・張横渠・程明道・程伊川などと云ふ人の段々研究し来たつたことを集めて、註釈を入れた、之が即ち朱註と云ふものです――孔子を大成したとまで自ら気取つて居る此人が、今の曾子の問答を充分に理解して対句を以て説明して居る。内自不欺忠是体。推己及物恕行焉。衷心に思ふことが一つも欺りがない、又行ひも決して飾りもせねば遠慮もしない、之が本当の忠である、己を推して物に及ぶ恕焉を行ふと読んだ方が分り好いやうです。恕は即ち思ひやり、夫子の道は忠恕のみ、一心に信じたことを全く欺かずに屹度やり遂げる、之が忠恕である。君に対して本当の力を尽すと云ふことが忠臣である。臣をして忠臣たらしめよ良臣たらしむることなかれ、多分唐の魏徴の言葉であつたと思ふ、良臣になりたくはない忠臣になりたいと云ふのは尤もな話、忠は自分の心に聊かも滞りのないやうにすること、恕の方は己を推して物に及ぶ――古歌に「身を抓みて人の痛さを知られけり……」。成程我身を抓つて見ると、自身の痛さも大抵想像が出来る即ち夫子の道は忠恕のみと曾参が門人達に説明した。其忠恕のことを朱子が一つの対句に依つて説明したのでございます。誠に此忠恕の解釈は簡単ではございますが、曾参と云ひ朱子と云ひ偉いと思ひます、私も充分の理解は出来ませぬが、併し今申上げた所に依つて見ても成程と御理解が願へると思ひます。而して前に申上げる現在の有様が、此忠恕の観念が程好く行はれて行くか、或は追々に離れて行くかと考へて見ますと、己れ自身も敢て忠恕を忘れはしませぬが、お互に世の中は忠恕をそつち除けにして、内自ら欺き、己を推して物に及ぶではなく、人の痛さは三年も堪へると云ふ有様が、どうも今日ありはせぬか、即ち権利は己れ主張するけれども義務は人に尽させる、斯の如き有様が今日の通弊ではないかと思ふのでございます。敢て是は第一銀行に就てのみ論ずべきことではない、国民として斯かる弊害は追々に矯正するでなければ、決して完全なる国家とは申せぬではないか、世界が悪いのはどんなに悪くても吾々は我慢すると云ふ様にはありたくない。世界が間違つたら其間違つた世界を引直すだけの勇気を持たなければならぬ。果して然らば今申す忠恕の道が今日逆に使はれて居るならば、どうぞ御同様力を協せて此忠恕を本筋に行はれるやうに引直さなければならぬ。それには私はどうしても権利を後に義務を先にすると云ふことにせねばならぬと思ふ。極く平凡の申分でございますけれども、お互自分の義務を満足に尽して居るかと申しますと、第一に
 - 第50巻 p.253 -ページ画像 
私自身が口で申上げる程義務を尽さぬで、事に依ると隣りに義務を負はせる、我家内に対し召使に対し、兎角に我儘が出る、是は人の弱点でございますけれども、併しせめては其弱点を心付いて直さうとして居れば、幾分か矯正が出来るのであります。否是くらゐの些細なことではいかぬ、お互に申合せて真に此風習を改め、完全なる忠恕の行はれる国家たらしめたいと思ふのでございます。我孔子の教に対してはお上に於ても始終御留意遊ばすことは御詔勅の上にも常に拝されることであります。決して私の一家言として申上げるのでございませぬ。どうしても義務を先にし権利を後にすると云ふ、私が今申上げました趣意を御同様力を協せて完全に行つてこそ、初て玆に真の国家の安泰が期せられると思ふのでございます。斯様な席で申上げる事ではないかも知れませぬが、併し平素思うて居ることでございますから、丁度好い機会と思うて一言陳上致しました。
  ○右総会ハ第六十八期定時株主総会ナリ。
  ○国民教化運動関係ニツイテハ本資料第四十六巻所収「国民教化運動」昭和四年八月二十二日ノ条参照。