デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 5. 株式会社韓国銀行
■綱文

第50巻 p.302-319(DK500062k) ページ画像

明治42年8月16日(1909年)

是日栄一、内閣ヨリ韓国銀行設立委員ヲ仰付ケラレ、十一月九日同委員ヲ免ゼラル。


■資料

東京経済雑誌 第六〇巻第一四九八号・第二九頁 明治四二年七月一〇日 ○韓国銀行条例の内容(DK500062k-0001)
第50巻 p.302 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一四九八号・第二九頁 明治四二年七月一〇日
    ○韓国銀行条例の内容
韓国の中央銀行に関する日韓協約は、遅くとも本月十五日頃迄に発表し、直ちに銀行条例発布の筈なるが、兌換券の発行等に関する規定を除き、条例案に関し聞く所左の如し
△条例の体裁 殖民地銀行たる台湾銀行条例に類し、規定は約五十ケ条に上り、日本銀行と関渉する件に就て、多少の規定を設けたり
△行名の選定 行名は、伊藤前統監等の苦心せし所にして、大韓銀行との議もありしかど、韓国銀行の方稍や穏当なるべしとの意見あり、条例発布間際迄に、特別の名義を発見せざれば、韓国銀行と為す筈なり
△役員の選定 役員としては総裁一名・理事四名・監事二名を置き、理事主席を以て総裁代理たらしむるを以て副総裁を置かず、役員全部日本人を任用す
△銀行の監督 韓国銀行は度支部大臣の監督の下に営業せしめ、兌換券発行其他に関し日本銀行へ報告せしむ
△正貨の準備 韓国銀行の正貨準備は金銀の外、日本銀行兌換券を用ゆるを許し、営業の便を計らしむ
△利益の補給 韓国銀行の営業利益は、兌換券発行の特権のみにて相当の利益を占むべく、長期の補給を為す必要なきを以て、営業の初期は収益六分見当とし、之れに対する補給金を与へ、返還を要せざることゝしたり、同行の営業にして其の緒に就かば、少くとも年一割の利益を挙ぐるに至るべき見込なり
△創立の準備 創立委員約三十名は両三名の韓国人を除き、他は全部日本人にして東京・京都・大阪・名古屋・神戸等の有力なる実業家を挙げ、委員長には渋沢男を推薦する筈なるが、男は八月下旬渡米の予定に付き、遅くとも八月上旬に創立総会を開くに至るべし


銀行通信録 第四八巻第二八五号・第三八―三九頁 明治四二年七月 ○内国銀行要報 韓国中央銀行の設立(DK500062k-0002)
第50巻 p.302-303 ページ画像

銀行通信録  第四八巻第二八五号・第三八―三九頁 明治四二年七月
 ○内国銀行要報
    ○韓国中央銀行の設立
韓国中央銀行設立の議は、往年伊藤前統監赴任の当時より伝唱せられし所なるが、今回政府は愈々其設立に着手することに決定し、其組織に関しては我日本銀行条例に準じて、既に草案の起草を終り、不日之を発表すると共に、日韓両国政府より創立委員の任命を見るべしとの事にて、其組織及兌換券条例の大要なりとて、世間に伝説せらるゝ所
 - 第50巻 p.303 -ページ画像 
左の如し
 一、資本金を一千万円とし、一株百円として之を十万株に分つ
 一、株主は日韓両国皇室・政府及人民に限り、他に売買譲与することを許さず
 一、韓国政府は一定の期間年六分の利子を補給するものとす
 一、本店を京城に置き、現在第一銀行の支店及出張所を支店とす
 一、総裁以下重役は総て日本人とし、理事及監事中には韓人を交ゆることあるべし
 一、韓国政府及統監府監督の責に任じ、度支部次官及統監府員を監理官とす
 一、兌換券発行に就ては、発行高同様の金貨・金地金・銀貨・銀地金及日本銀行兌換券を準備とすること
  但し日本銀行兌換券を正貨準備とするに就ては、特別の規定を設くべし
 一、銀準備を置くときは、金準備の五分の一以内たるべきこと
 一、保証準備発行制限高は二千万円とす(第一銀行券の発行制限高は一千万円也)、但し第一銀行券中引換を了らざるものある間は其額丈之を引去り、其償却高を限りとして漸次制限高に達せしむるものとすること、全く国立銀行紙幣銷却の時と同じ
 一、兌換券の種類は、一円・五円・十円の三種とす
 一、営業及兌換券の景況等を毎週政府に提出せしむること
○下略


法令全書 明治四二年 内閣印刷局編 刊 ○統監府告示第七十六号(官報八月二十五日)(DK500062k-0003)
第50巻 p.303-304 ページ画像

法令全書  明治四二年  内閣印刷局編 刊
○統監府告示第七十六号(官報八月二十五日)
日韓両国政府ハ明治四十二年七月二十六日付ヲ以テ、両国間ニ韓国中央銀行ニ関スル覚書ヲ交換セリ、其全文左ノ如シ
  明治四十二年八月十六日   統監 子爵 曾禰荒助

    韓国中央銀行ニ関スル覚書
 日韓両国政府ハ韓国銀行ノ設立ニ関シ、左ノ条款ヲ協定ス
 第一条 韓国政府ハ韓国銀行ヲ設立シ、之ニ兌換銀行券ヲ発行スルノ権ヲ与ヘ、韓国中央金融機関タルノ業務ニ従事セシムルノ外、日本銀行ノ委託アルトキハ、日本国国庫金ノ取扱ヲ為サシムヘシ
 第二条 株式会社第一銀行ノ発行シタル銀行券ハ、韓国銀行ノ発行シタルモノト看做シ、韓国銀行ハ其ノ銷却ノ義務ヲ承継スルモノトス
 第三条 韓国銀行ノ株式ハ日韓両国人ニ限リ之ヲ所有スルコトヲ得
 第四条 韓国銀行ノ重役ハ当分ノ中、日本人ヲ以テ之ニ充ツヘシ
 第五条 韓国銀行ハ韓国政府持株以外ニ対シテ為スヘキ利益配当カ年百分ノ六ノ割合ニ達スル迄ハ、韓国政府持株ニ対シ利益配当ヲ為スコトヲ要セス
 第六条 韓国政府ハ韓国銀行ノ創立後五箇年間ハ、同国政府持株以外ノ株式ニ対シ年百分ノ六ノ割合ノ利益配当ヲ保証スルモノトス
 - 第50巻 p.304 -ページ画像 
  右覚書日韓文各二通ヲ作リ、之ヲ交換シ後日ノ証トスル為、記名調印ス
   明治四十二年七月二十六日
                統監  子爵 曾禰荒助
   隆熙三年七月二十六日
                内閣総理大臣 李完用


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇二号・第三五頁 明治四二年八月七日 ○韓国銀行の特典(DK500062k-0004)
第50巻 p.304 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五〇二号・第三五頁 明治四二年八月七日
    ○韓国銀行の特典
去月二十六日発布の韓国銀行条例は、大体営業規程に於て台湾銀行法に類し、銀行券発行規程に於て日本銀行条例に類せり、而して営業に於て台湾銀行法と異なる点は、公共団体に対しては政府の認可を受け無担保の貸付に於て日本銀行条例と異なる点は、日銀は保証発行兌換券に対し一個年千分の十二半の割合を以て発行税納付の義務あるに拘はらず、韓銀には此の義務無き代りに、其利益金株主に対する配当年一割二分を超過するに至る時は、其の超過額の二分の一を政府に納付すべきことを規定せり、又韓国銀行創立の際、其営業費を補助する為韓国政府より百二十万円を無利子にて貸下げ、右は五年間据置、以後十年賦を以て償還せしむる事、韓銀の利益金配当にして、政府持株以外の株式に対し、毎営業年度に於て年百分の六の割合に達する迄は、政府持株に配当を為すことを要せざるのみならず、一般株主の配当六朱に達せざる時は、政府は創立初期の末日より五年間を限り之を補給すべしと規定せるもの孰れも同行の特典なりと云ふ


官報 第七八四四号 明治四二年八月一七日 叙任及辞令(DK500062k-0005)
第50巻 p.304-305 ページ画像

官報  第七八四四号 明治四二年八月一七日
    叙任及辞令
                 大蔵次官 若槻礼次郎
              韓国度支部次官 荒井賢太郎
              大蔵省理財局長 勝田主計
             統監府書記官伯爵 児玉秀雄
          従四位勲二等功二級男爵 宇佐川一正
             従四位勲一等男爵 高橋是清
             従三位勲二等男爵 渋沢栄一
           従四位勲二等法学博士 添田寿一
               正五位勲二等 園田孝吉
               従五位勲三等 早川千吉郎
                  勲三等 大谷嘉兵衛
                正五位男爵 岩崎小弥太
               従四位勲四等 小山健三
               正五位勲四等 高橋新吉
               正五位勲四等 三井高保
                  勲四等 田中源太郎
 (各通)             勲四等 岩下清周
                  勲四等 豊川良平
 - 第50巻 p.305 -ページ画像 
                  勲四等 池田謙三
                  勲四等 志立鉄次郎
                  勲四等 左右田金作
                  勲四等 岡谷惣助
               従五位勲五等 土居通夫
               正七位勲五等 中野武営
                      安田善三郎
                      原田二郎
                      岸本豊太郎
                      神野金之助
                      滝定助
                      市原盛宏
                      白完爀
                      韓相竜
 韓国銀行設立委員被仰付(八月十六日内閣)
  ○韓国銀行設立委員等ハ明治四十二年八月二十三日ヲ以テ設立委員会ヲ開キタリ。(「銀行通信録」第四八巻第二八七号・第四七―五四頁)
  ○是年八月十九日、栄一渡米実業団ヲ率ヰテ東京ヲ発シ、十二月十七日帰国ス。


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇四号・第三四頁 明治四二年八月二一日 ○韓国銀行創立委員任命(DK500062k-0006)
第50巻 p.305 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五〇四号・第三四頁 明治四二年八月二一日
    ○韓国銀行創立委員任命
                   (株式の前景気)
 韓国銀行創立委員並に委員会幹事は、左の通り任命せられたり
  韓国銀行設立委員長被仰付
              従三位勲一等男爵 松尾臣善
 韓国銀行設立委員被仰付
  ○前掲ニ付キ人名略ス。
 韓国銀行設立委員会幹事被仰付
             二宮基成 河内山楽三
 乃ち十七日、松尾委員長並に若槻大蔵・荒井度支部の両次官、勝田理財局長・二宮銀行課長等、大蔵省に会合して創立委員会開会の打合せを為したるが、第一回設立委員会は来る二十三日開会に決し、其他の準備に二週日を要すべければ、株式募集は九月十日前後ならんと伝ふ目下金融緩慢の折柄、該事業の確実有利なるを見込み、未だ確然たる募集方法の発表せられざるに拘らず、財界の之に対する意気込は非常にて、既に権利株の売買も話頭に上り、其プレミアムの如きも十三円を唱へ、高きは二十円を予想するものあるほどなれば、実際募集の暁には無論東洋拓殖会社株以上の成績を挙ぐるに至る可しと云ふ


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇五号・第三五頁 明治四二年八月二八日 ○韓国銀行株募集手続(投機熱の予防策)(DK500062k-0007)
第50巻 p.305-306 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五〇五号・第三五頁 明治四二年八月二八日
    ○韓国銀行株募集手続
                   (投機熱の予防策)
△韓国銀行株式募集 は既報の如く期日未だ決定せざるも、日韓両国政府の定款の認可を待ちて発表する筈にて、二十五日既に両政府の認
 - 第50巻 p.306 -ページ画像 
可を得たれば、法定猶予期間を見積り、九月十日頃には株式の募集を開始するに至るべし、而して二十三日の設立委員会に於て最も議論ありたる
△株式募集の方法 は専ら取扱銀行を日本銀行の本支店等に止むべしとの説出でたるも、斯くては株主の多くが都会の人に限られ、遠隔地方には応募の便を与へしめざる結果となるが故に、縦へ満鉄の株式募集の場合の如く、取扱銀行数を余りに多くする必要なきも、可及的普及せしむる要ありといふに意見一致し、日韓両国を合し五十の取扱銀行を選定するに至れり、尚金融市場緩慢の折柄とて
△投機熱の防遏策 として応募の状況如何によりては、随時に締切をなすの権能を常務委員に一任したるのみならず、思惑買を制する目的を以て、応募者に渡すべき保証金の受取書は単に一通となし、割増金を全く附加せずして株式の割当を按分比例によることゝせり、而して
△取扱銀行との契約 は(一)株式取扱手数料を募入総高の千分の五とし、(二)保証金は無利息にて取扱銀行の当座預金となし、(三)随時に引出して日本銀行に預入することに決定せりといふ、従つて一部の投機者流は応募者の名義を多くし、応募高を分割して以て利を得むとの策を講ずるに至るべしと


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇七号・第三一頁 明治四二年九月一一日 ○韓銀株式募集成績(日韓両帝室持株)(DK500062k-0008)
第50巻 p.306-307 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五〇七号・第三一頁 明治四二年九月一一日
    ○韓銀株式募集成績
                   (日韓両帝室持株)
韓国銀行の株式募集は、六日午前九時より内地及び韓国の各取扱銀行に於て、応募申込を受付けたるが、非常の盛況にて、設立事務所に達せる午前十時の第一回報告によれば、東京・大阪・名古屋・京都を合せ一千百一万一千株の多数に上り、既に需要額の百七十三倍弱に達するを以て、松尾委員長は直に常任委員会を開き、即日午後一時を以て募集を締切るに決定し、其の旨各取扱銀行に通達したり、而して同創立事務所七日正午取調べに係る申込株総数は二千五十三万一千六百十四株にして、募集株に対し二百九十四倍九九四に該当す、其内訳左の如し
                  株
 東京       五、〇一四、六八〇
 大阪       七、六八二、九二六
 京都       一、〇五四、三七四
 名古屋      二、一〇五、二八四
 神戸         六一九、〇三三
 横浜         八一一、七八九
 福島         二九二、〇〇三
 北海道         四一、三九九
 金沢         二六三、九五〇
 新潟         三六一、一五八
 高松          六一、一〇六
 土佐         一〇四、八二五
 松江          二五、三五四
 - 第50巻 p.307 -ページ画像 
 広島         二九七、六五一
 門司         七八四、〇二五
 肥後         一九五、二五六
 鹿児島        一八九、七九一
 韓国         六二七、〇一〇
  計      二〇、五三一、六一四
即ち二百五十株の申込に対し一株を得る割合なり、因に我皇室よりは内蔵頭名義にて、十五銀行に一千株応募御申込あり、又韓国皇室よりは第一銀行京城総支店に千株の申込みありし由なるが、右両帝室の応募株は特別詮義を以て、多分優先的に募入せらるゝこととなるべし


第一銀行五十年史稿 巻六・第四三―四四頁(DK500062k-0009)
第50巻 p.307 ページ画像

第一銀行五十年史稿  巻六・第四三―四四頁
                     (株式会社第一銀行所蔵)
 ○第二編 第六章 第一節 韓国中央金融機関の譲渡
    韓国銀行の設立と本行の韓国における業務の譲渡
本行と韓国度支部との契約成立せしにより、韓国政府は同年七月廿六日を以て韓国銀行条例を公布し、其設立に関する事務を挙げて日本政府に委任せり、政府即ち八月十六日を以て日本銀行総裁松尾臣善を設立委員長に、本行頭取渋沢栄一・韓国度支部次官荒井賢太郎等三十一名を設立委員に任命せり、かくて設立委員等相会して定款を議定し、政府の認可を得て株式の募集を畢り、十月廿九日創立総会を開けり、此日韓国政府は総裁に市原盛宏を、理事に水越理庸・三島太郎・木村雄次を任命したれば、市原総裁は十一月十日京城裁判所において設立登記を為し、玆に韓国の中央銀行たる韓国銀行は成立せり ○下略


官報 第七九一五号 明治四二年一一月一〇日 叙任及辞令(DK500062k-0010)
第50巻 p.307-308 ページ画像

官報  第七九一五号 明治四二年一一月一〇日
    叙任及辞令
                 大蔵次官 若槻礼次郎
              韓国度支部次官 荒井賢太郎
              大蔵省理財局長 勝田主計
             統監府書記官伯爵 児玉秀雄
          従四位勲二等功二級男爵 宇佐川一正
             従四位勲一等男爵 高橋是清
             従三位勲二等男爵 渋沢栄一
           従四位勲二等法学博士 添田寿一
               正五位勲二等 園田孝吉
               従五位勲三等 早川千吉郎
                  勲三等 大谷嘉兵衛
                正五位男爵 岩崎小弥太
               従四位勲四等 小山健三
               正五位勲四等 高橋新吉
               正五位勲四等 三井高保
                  勲四等 田中源太郎
                  勲四等 岩下清周
 - 第50巻 p.308 -ページ画像 
                  勲四等 豊川良平
                  勲四等 池田謙三
                  勲四等 志立鉄次郎
 (各通)             勲四等 左右田金作
                  勲四等 岡谷惣助
               従五位勲五等 土居通夫
               正七位勲五等 中野武営
                  勲五等 市原盛宏
                      安田善三郎
                      原田二郎
                      岸本豊太郎
                      神野金之助
                      滝定助
                      白完爀
                      韓相竜
 韓国銀行設立委員被免(十一月九日内閣)


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一四頁 昭和六年一二月刊(DK500062k-0011)
第50巻 p.308 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
              竜門雑誌第五一九号別刷・第一四頁 昭和六年一二月刊
              明治年代
  年 月
 四二 八 ―株式会社韓国銀行設立委員―明、四二、一一。


銀行通信録 第四八巻第二九〇号・第四六頁 明治四二年一二月 ○内国銀行要報 韓国銀行事務引継(DK500062k-0012)
第50巻 p.308 ページ画像

銀行通信録  第四八巻第二九〇号・第四六頁 明治四二年一二月
 ○内国銀行要報
    ○韓国銀行事務引継
韓国銀行にては、十一月二十三日を以て第一銀行より同月二十日の現在帳簿により事務引継を終了し、翌二十四日度支部に於て藤原監理官立合の上、市原韓国銀行総裁と日下第一銀行取締役との間に授受の調印を終りたり、其引継目録左の如し
                            円
 一銀行券発行高           一一、八三〇、〇〇〇
 一韓国政府預金              三八〇、〇〇〇
 一公金預金                九八〇、〇〇〇
 一個人普通預金            一、七二〇、〇〇〇
 一政府貸上金             八、一四〇、〇〇〇
 一民団貸附金(京城及釜山)        六二〇、〇〇〇
 一行舎新築費               四〇〇、〇〇〇
 一土地建物(京城)             五一、〇〇〇
前記の中、政府貸上金及民団貸附金は、本支店の合計なるも、其他は京城本店の分のみにて、支店・出張所の分は後日引継を行ふこととし愈々十一月二十四日より一般の営業を開始せり


東京経済雑誌 第六〇巻第一五一一号・第三二頁 明治四二年一〇月九日 ○韓国銀行抽籤確定(DK500062k-0013)
第50巻 p.308-309 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五一一号・第三二頁 明治四二年一〇月九日
    ○韓国銀行抽籤確定
 - 第50巻 p.309 -ページ画像 
韓国銀行設立事務所にては、松尾設立委員長、若槻・荒井常務委員等立会ひ、一日午前九時より端株の抽籤挙行の結果、左記の如く抽籤募入五千六百二十五株、其口数同数となり、募入外は三万四千百十八株に上れり、右に付き委員長より即日大蔵大臣に設立認可申請を為したるが、第一回払込は十四日迄とし、其の通知は韓国其他遠隔地へは同日、市内は五日までに発せし筈、又た設立総会は二十九日開会することに決定したるを以て、委員長は払込通知と同時に各取扱銀行に宛て募入者をして、払込期日を厳守せしめんことを通牒したり
 募集総株数                六九、六〇〇株
  内 帝室分                二、〇〇〇株
 総申込株数            二〇、三五〇、三七四株
 同上口数                 四四、四九七口
 按分割当確定数              六一、九七五株
 同上口数                  四、七五四口
 募入外れ株(口)数          三九、七四三株(口)
 抽籤募入株(口)数           五、六二五株(口)
 募入外れ株(口)数          三四、一一八株(口)


東京経済雑誌 第六〇巻第一五一五号・第三九頁 明治四二年一一月六日 ○韓国銀行創立総会(DK500062k-0014)
第50巻 p.309-310 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五一五号・第三九頁 明治四二年一一月六日
    ○韓国銀行創立総会
韓国銀行創立総会は、既定の如く去月廿九日午後東京商業会議所に於て開会、松尾委員長は左の議案を附議せり
 第一号案 韓国銀行設立に関する事務報告
 第二号案 監事の定員は二人として、其報酬年額を各千円とす
 第三号案 一、株式の引受又は第一回の払込あるや否や
  二、銀行の負担となるべき設立費用の額は、金三万四千六百八十五円二十三銭とす
先づ書記をして、第一号案の設立に関する経過事項報告書を朗読せしめ、一同の承認を得、次で韓国銀行重役として韓国政府より、左の諸氏廿九日付を以て任命ありたりと披露す
 総裁 市原盛宏    理事 水越理庸
 理事 三島太郎    理事 木村雄次
 監事 浜口吉右衛門  監事 伊藤長次郎
次で第二号案可決、第三号案は監事に調査を依嘱することとし、其間議長は新任総裁並に理事を紹介し、市原総裁は重役を代表して、大要左の演説を試む
 余は計らずも今回総裁に任命せられたり、総裁の任務は実に重大なり、余は果して之に堪へ得るや否やを疑ふと雖も、兎に角忠実に務むる覚悟なり、抑々韓国の現状を見るに、日露戦争の結果日韓の関係は密接となり、統監政治の方針も確定して、今や法律又は制度は確立せり、而して此後重要なる事項は殖産興業の奨励にあり、此秋に当りて財界の現状を見るに、整理は略ぼ終了を告げ、農学校・工業試験所・模範農場は設立せられ、戦役当時に起工せる縦貫鉄道あるに加へて、京元及び湖南の支線起工の計画あり、而して停車場又
 - 第50巻 p.310 -ページ画像 
は開港場の道路は改築の企あり、此際金融機関の発達は大に注目の価値あり、三十年来第一銀行は各地に支店を設け、営業を為し、百三十銀行も同様なり、政府保護の下に農工銀行あり、東洋拓殖会社の金融部ありと雖も、其多くは内地銀行の支店に非ずんば則ち小資本なり、之に加ふるに確実なる担保物件少くして、商業手形の信用あるものも亦稀なり、従つて信用程度は低くして金融機関は幼稚なり、今や韓国銀行は中央銀行として設立せらる、其重なる職務は銀行券の発行、貨幣の整理、商業機関の中枢、国庫金の取扱なり、銀行券発行の如きは一種の特権なりと雖も、一面より之を見ば又重大なる責任なり、平時にありては何事もなからんが、非常なる場合に於て之が伸縮の手加減は、最も困難にして且つ危険なり、韓国銀行は幸に多年韓国にて営業に従事せる第一銀行支店の事務を継承せる事とて、普通の創立銀行とは異なり、最初より相当の成績を挙ぐる事ならんも、株主諸君は当分の間は先づ充分なる利益の獲得を我慢せざる可からず、余が責任は重大なりと雖も、賢明なる政府当局者の指導並に株主諸君の後援を得ば、幸にして大過なきを得んか
尚韓国銀行の組織に関し、市原総裁の談左の如し
△秘書室 総裁直轄の下に秘書室を置き、之に調査・検査の両課を設け、調査課は一般の経済状態又は取引事情の調査に従事し、検査課は銀行内部の執務を検査すると同時に、取引先の信用をも検査す、役員は当分一名の秘書役と若干名の調査役並に検査役を置く
△庶務局 一般の執務は庶務局・国庫局・営業局・出納局の四局に分ち、庶務局は発行・文書・用度三課に細別す、日本銀行には発行局ありと雖も、韓国にては銀行券の発行少額なるを以て、特に之が分局を設くるの必要なかるべし、局長は水越理事に内定せり
△国庫局 に於て韓国の国庫事務以外に、統監府・駐屯軍・司法部等の関係に因り、日本銀行の委託を受けて日本の国庫事務をも取扱ひ、韓国国庫課と日本金庫課に分類し、局長は三島理事に内定せり
△営業局 土地又は政府との関係に基き、普通の銀行業務は営業局に於て行ふ、営業・計算の二課を設くると同時に、普通銀行の如く夫々の係を置く、局長は木村理事に内定せり
△出納局 は地金銀及有価証券を首め一般出納に関する事務を処理す韓国に於ては地金銀の取引盛なるを以て、地金銀・出納の二課を設く局長の人選は未定なり



〔参考〕銀行通信録 第一六二号・第七一四―七一五頁 明治三二年五月 日韓銀行に就て 渋沢栄一(DK500062k-0015)
第50巻 p.310-311 ページ画像

銀行通信録  第一六二号・第七一四―七一五頁 明治三二年五月
    日韓銀行に就て
                      渋沢栄一
韓国に中央銀行を設立するの必要あることは、吾人の夙に認むる所なれども、之が設立の方法に至りては、世人の説く所様々なりとす
或は云ふ、日本人及韓国人の間に株主を募り、一の株式会社を組織し韓国政府と約定して紙幣発行及国庫金取扱等、総て中央銀行たるの事務取扱の権利を掌握し、我国人主として之か経営の任に当るべしと、是れ所謂日韓銀行と唱へらるゝ所のものたり
 - 第50巻 p.311 -ページ画像 
余も韓国に完全なる一の中央銀行を設けしむるは、同国の為め必要なることを信する者なり、去れども右に述ぶるが如き組織を以てしては啻に成立の難きのみならず、其成立後の効果に至りても、吾人の企望を充たすことを得へきやと疑ふものあり
何故に然るやと云ふに、第一斯の如き性質の銀行を成立せしむるが為め、韓国政府をして之を認諾せしむること頗る難事なるべし、或は云はん、我外務省の手にて韓国政府に勧誘せしめなば、直ちに許可せらるべしと、然れども余の見る処にては、韓国政府も容易に其誘導に応せざるべし、若し之を強迫して迄も設立せしめざるべからずと云ふに至りては、是れ国際上第一の難問なるべしと思はるゝなり
仮りに韓国政府之に同意して、其設立を許可したりとするも、成立後の維持に困難なきを得ざるべし、何となれば同国今日の如き状態に於ては、常に転輾すべき株主に依りて、起業中の難関を超ゆるは殆んと為し能はざる事柄ともいふべくして、其間種々の面倒を生して両国の株主間に、紛擾を来すべきの懼あれはなり
若し果して右の如くんは、日韓銀行なるものは国際上の紛議となり、日韓両国の交情を疎隔せしむることなきを保せさるべし、斯の如きは吾人の宜しく避けざるべからざる処なり
尚説を為す者あり、日韓銀行設立の目的は其中央銀行たらしむるにあれども、該銀行の資金は之を京釜鉄道に融通して、該鉄道成立の速成を期するにありと、然るに同鉄道の成立は実に容易の事にあらずして其完成迄には少くとも二千万円の資金を要すへく、而して其得失の如きは容易に予算し得さるへし、其利益の明確ならさる起業に対して、巨額の資本を投するは其危険少なからさるのみならず、一銀行の資金を挙て一事業に応するは、銀行の性質上為すへきことにあらさるなり我国に於て十五銀行は日本鉄道に対し、恰も右の如き位地に立ちしことあれとも、日本鉄道は其事業正確にして、加ふるに年々政府より利子の補給ありしゆへ、充分なる結果を見たれとも、京釜鉄道の如きは今日の現況にては全く其趣を異にし、成立後に於て収益する処は果して負債を償却し得るや否、疑なき能はざるなり
之を要するに、余の見る処は、韓国中央銀行の如きは我国人が之を経営せんよりは、寧ろ韓国人自身をして自ら之を設立せしめるか、自己の手に於て経営の任に当らしむるを以て至当のことなりと信す、即ち我国に於て日本銀行を成立したるが如く、其帝室若くは資本家有志者をして組織せしむること至当なり、然れども不慣なる韓国人か中央銀行を設立し、自ら之が経営に任するは或は出来得べからざる処なるべし、故に我政府は宜しく之に助力を与へて、契約上相応の権利を其担当者に付与せしめ、漸を以て其隆盛を謀るを今日に於る適当の処置と信するなり



〔参考〕東京経済雑誌 第四七巻第一一七二号・第四―五頁 明治三六年二月二八日 韓国中央銀行設立の計画(DK500062k-0016)
第50巻 p.311-313 ページ画像

東京経済雑誌  第四七巻第一一七二号・第四―五頁 明治三六年二月二八日
    韓国中央銀行設立の計画
韓国政府が第一銀行支店の発行に係る一覧払手形の通用を禁止したるは、中央銀行を設立し、之をして紙幣を発行せしめんとするの計画に
 - 第50巻 p.312 -ページ画像 
基けるものなり、而して手形の禁止は我が政府の談判に依りて解禁せられたりと雖、中央銀行を設立し、之をして紙幣を発行せしめんとするの計画は、引続き進行せるものゝ如し、其の計画者は内蔵院卿李容翊にして、中央銀行条例及び兌換条例は既に脱稿したり、農商工部顧問加藤増雄氏は、特に内勅を奉じて、李容翊の計画に種々の協力を与へたる由にて、中央銀行条例は要するに、我が日本銀行条例を参酌し加藤氏の起草したるものと見て差支なしと云ふ
 中央銀行は有限責任となし、本銀行より負債を弁償する時は株金総数に限ること
 中央銀行資本金は三百万円と定め、六万株に分ちて、一株を金五十円と定むること、但株主の決議にて株金を増加することを得
 中央銀行の株券は株主の姓名を記載して、大韓国人より募集して、売買譲与を国内人外に許さゞること
 中央銀行は一年内純利金の内、創業費と営業費と其他の諸費を削除して、余額の内十分の八は株金総額に対して配当し、十分の一は賞与金に、十分の一は積立金となし、或は資本金に損失を生ずるときは補充すること
 一、国庫金の出納と海関税及其他諸般の税金収俸一切の事務を担当すること
 二、兌換金券発行の権は本銀行の専任担当に属すること
 三、政府が発行する金銀票換票其他商業票の買入及内減貸与をなすこと
 四、金銀を買入して新旧貨幣を交換すること
 五、公債証書及政府発行の各種証書を典当とし、臨時定期の貸与をなすこと
 中央銀行は右に記載したる事業の外、左に掲載する条件に関渉せざること
 (一)不動産及本銀行と他銀行諸会社の株券に対し、典当貸与をなし、又は買入をなさゞること
 (二)本支店及分支店の開設に必要なるの外、不動産の所有主とならざること
 国庫金の出納と、各税額の収俸と、新旧貨幣交換に関する諸経費等は、度支大臣及中央銀行総裁と協議の上定むること、中央銀行は総裁一人・副総裁一人・理事三人にて綜理し、監理員五名以下を置くこと
韓国に於て中央銀行を設立するは、必要にして有益なる事業と謂ふべし、而して之に紙幣発行の特権を附与するは可なりと雖、銀行の設立と同時に兌換紙幣を発行せしめんとするは、困難と云はんよりは寧ろ出来得べからざるの計画と認めざるべからず、夫れ韓国には貨幣条例ありと雖、其の条例に基きて製造せる貨幣なし、貨幣なくして如何にして兌換紙幣を発行し得べき乎、況や兌換条例の草案第一条には、兌換金券は政府より製造して、中央銀行条例第九条第二項に依て、同銀行より発行して、金銀貨と兌換することを得と規定せるに於てをや、銀価下落せる場合に於て、兌換紙幣を以て金貨と交換すれば、中央銀
 - 第50巻 p.313 -ページ画像 
行は損失して紙幣の所持人は利益し、銀貨と交換すれば紙幣の所持人は損失して中央銀行は利益すべし、且夫れ両本位制は良制なりと雖、韓国一国の力を以て之を維持し得べきものにあらず、要するに韓国にては先づ中央銀行を設立して、其の成立を鞏固にし、而して貨幣条例に従ひて金貨を製造し、之を中央銀行に蓄積して後ち兌換紙幣を発行すべきなり



〔参考〕稿本日本金融史論 滝沢直七著 第九七一頁 大正元年一〇月刊(DK500062k-0017)
第50巻 p.313 ページ画像

稿本日本金融史論 滝沢直七著  第九七一頁 大正元年一〇月刊
 ○第三編 第五章 第七節 朝鮮銀行の発達
    第二款 韓国銀行の創設
韓国銀行を中央銀行として創設するに関しては、当局者間に数種の意見があつた。或は(一)第一銀行支店をその儘に存せしめ、中央金融機関設立の必要なしと為し。或は(二)第一銀行支店を改造して中央金融機関と為すべしと為すものあり。或は(三)日本銀行制度の一部を変更して支店を朝鮮首都に設置し、以て中央銀行の任務に当らしむべしと為し。或は(四)新に中央銀行を設立すべしとの説であつた。遂に四十二年十月韓国銀行は創設せられたのである。同月一日に於ける株式募集締切の結果は、所要の六万七千六百株に対し二千五十三万千六百株に達して二百九十四倍の多きに上つたのである。
○下略



〔参考〕本邦銀行発達史 石沢久五郎著 第五二〇―五二三頁 大正九年九月(DK500062k-0018)
第50巻 p.313-314 ページ画像

本邦銀行発達史 石沢久五郎著  第五二〇―五二三頁 大正九年九月
 ○第四篇 第四期 銀行制度の整頓及び資力充実の時代
    第二十一章 朝鮮銀行の創立及びその由来
○上略 斯様に帝国政府監督の下に、第一銀行は発行銀行として韓国に於て特殊の地位を占め、銀行券を発行し、貨幣整理事務及び国庫出納事務を取扱ひ、且つその業務も漸次に発展しつゝあつたが、爾来韓国政府は幾度かの変革を経て、明治四十年七月、日韓両国の間に協約成立し、日本人を韓国官吏に使用することゝなり、こゝに庶政一新し、財政は膨脹し、経済界益々発展するの気運を生ずるに至つたので、中央銀行を設立して国内に於ける金融機関を統一するの必要を感ずることとなつた。そこで韓国政府は中央銀行設立の計劃を立てゝ、第一銀行と交渉を開始し、それが四十二年六月円満に解決を告げたので、同月十四日韓国政府度支部次官荒井賢太郎と第一銀行頭取渋沢栄一との間に、権利義務に関する左記の覚書の交換を了つた。
      韓国中央銀行設立につき株式会社第一銀行
      との間における権利義務承継に関する覚書○略ス
 更に同年七月二十六日に韓国政府は、我が帝国政府と韓国中央銀行設立に関する左記の協約を締結し、翌八月十六日にこれを発表した。
      韓国中央銀行に関する覚書○略ス
 而して同日を以て、韓国政府は韓国銀行条例を発布し、その設立に関する事務を日本政府に委託することゝしたので、日本政府は八月十六日日本銀行総裁松尾臣善を設立委員長に、韓国度支部次官荒井賢太郎外三十一名を設立委員に任命して設立のことに当らしめた。そこで
 - 第50巻 p.314 -ページ画像 
八月二十三日彼等は設立委員会を開き、議事規則及事務章程・銀行定款・取扱店契約書・株主募集公告の諸案を議定し、且つ若槻礼次郎・荒井賢太郎・勝田主計・児玉秀雄・市原盛宏の五名を常任委員にあげた。而して該銀行定款が二十五日を以て其筋の認可を得たので、二十七日これを発表し、同時に株式の募集を公告した。
 さて募集は九月六日を以て開始し、十二日を以て締切るべき筈であつたが、応募非常の盛況であつたゝめ、初日の午後一時を以て締切ることゝなつた。而してその応募高は政府其他の持株を除きたる六万九千六百株に対し、二千三十五万二千三百七十四株の応募であつたから当さに二百九十二倍の多数に達したわけである。其処で日韓両皇室よりの申込二口二千株を優先に募入し、残株六万七千六百株は按分率に依つて各申込人に割当て、按分より生じたる端数株は更に抽籤を以て三百一株以下の総申込人に分配した。斯様にして株式募集事務の終了を告げたので、十月一日設立委員長は韓国銀行設立の認可を大蔵大臣に申請し、即日その認可を得たので、第一回株金四分の一の払込を通知し、同月十四日にその払込を終了することとなつた。於是同月二十九日創立総会を東京商業会議所に開き諸事を議決した、又同日を以て韓国政府は市原盛宏を総裁に、水越理庸・三島太郎・木村雄次三名を理事に、浜口吉右衛門・伊藤長次郎の二名を監事に任命したので、同総裁は翌三十日設立委員長から設立に関する一切の事務を引継ぎ、十一月十日設立の登記を為し、越へて二十三日に至り第一銀行から、同月二十日現在の帳簿により業務の引継を行ひ、翌二十四日度支部に於て市原韓国銀行総裁と日下第一銀行取締役との間に授受の調印を終つた。而してその引継目録は次ぎの如きものであつた。
○下略
  ○本巻所収「株式会社第一銀行」参照。
  ○明治四十四年八月十五日勅令第三百三号ニヨリ朝鮮銀行法施行セラレ、当行ヲ朝鮮銀行ト改称ス。



〔参考〕支那関係諸方往復(二)(DK500062k-0019)
第50巻 p.314-315 ページ画像

支那関係諸方往復(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    朝鮮銀行支店存続陳情書
謹啓 益々御清穆ニ被為渉候段奉慶賀候
陳者朝鮮銀行ハ這回突如トシテ、当地支店御撤廃ノ旨御発表相成候ニ就テハ、当四平街ノ将来ノ為メ冒涜ヲモ不顧其存続方ヲ御賢慮ニ愬ヘ以テ何分ノ御詮議ヲ相仰ギ度候
今当地ニ於ケル現状ノ梗概ヲ摘録スレバ、関東庁ノ如キハ昨秋巨費ヲ投ジテ爰ニ取引所ヲ新築シ、以テ経済界ノ展開ヲ急激ニ促進スルト共ニ、満鉄会社亦東洋ニ冠タリト称セラルヽ機関庫ヲ建設スル等、着々大都市トシテノ施設ヲ此ノ地ニ傾注シ、以テ北満及東蒙一帯ノ要衝タラシメタリ、而シテ当地ハ全満州ニ於ケル著名ナル農産物市場ニシテ其ノ集散スル数量ハ年額約三十万屯ニ達シ、尚蒙古鉄道完成ノ暁ニ於テハ優ニ百万屯ヲ突破シ、満州沿線中第一位ヲ占ムル市場タルハ明ラカナルモノニ有之、就中朝鮮ニ向ツテ輸出スル粟ノ如キハ実ニ年額六
 - 第50巻 p.315 -ページ画像 
万屯ヲ算シ、全満州輸出量ノ約三分ノ一ヲ占メ、尚玆両三年ヲ出デズシテ十数万屯ヲ呑吐スルノ趨勢ニアリ、而カモ其ノ粟ハ実ニ朝鮮ニ於ケル食料問題ト密接ナル関係ヲ有スルモノ有之、殊ニ当地ヲ起点トシテ北満ノ地斉々哈爾ニ至ル、欧州諸国ニ通ズルノ最径捷線タル蒙古貫通鉄道ノ全延長ハ四百拾余哩ニシテ、南北両満州ノ中枢地トシテ、且ツ蒙古開発ノ策源地トシテ、内外人ノ斉シク重要視スル所ニ有之候
抑々朝鮮銀行ハ朝鮮及満蒙ニ於ケル金券発行銀行ニシテ、経済的発達ノ淵源ヲナシ、更ニ我ガ対外経済的勢力ノ確立ニ参画スルノ一大使命ヲ有スルハ、今玆ニ絮説スル迄モ無之、殊ニ当地支店ノ如キ従来常時六百万円ヲ市場ニ流通シ、其ノ貸付高亦弐千万円ニ及ビ金融ノ円滑ヲ計リ来リシニ、今日ニ迨ビ遽カニ撤廃ノ御措置ハ誠ニ遺憾ニ不堪所ニ御坐候
以上開陳ノ如ク、満蒙開発ノ淵源ガ一ニ金融機関ノ活躍如何ニ依ツテ興廃ヲ定ムル実状ニ鑑ミラレ、且ツ現在及将来ニ於ケル四平街ノ発展ニ御賢慮ヲ垂レサセラレ、冀クハ朝鮮銀行当地支店存続ノ議ヲ御尽砕相成度、玆ニ市民大会ノ決議ニ依リ奉悃願候 敬具
  大正十五年一月十五日
              満洲四平街市民大会
                代表者 山添尚江 
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


〔参考〕支那関係諸方往復(二)(DK500062k-0020)
第50巻 p.315-319 ページ画像

支那関係諸方往復(二)        (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    朝鮮銀行支店復活請願書
謹啓 益々御清穆ニ被為渉候段奉慶賀候
陳者昨冬当地朝鮮銀行支店閉鎖ノ旨御発表相成候際ハ、当地金融市場ニ多大ノ影響ヲ醸成スルモノトシテ市民大会ヲ開催シ、其ノ決議ヲ提供シ、不敢取閣下並ニ各要路ノ御左右ニ其ノ存続方ヲ懇請致シ候処、朝鮮銀行総裁閣下ヨリハ、同行緊縮方針ニ基キ閉鎖ハ事情止ムヲ得サル旨ノ御回答ニ接シ、以来荏苒今日ニ迨ビ候、然ルニ当地ハ洮昂鉄路ノ開通ニ伴ヒ、特産市場益々多忙ヲ招〓シ、従而市街ノ発展モ亦顕著ナルモノアリ、朝鮮銀行支店復活ノ必要ヲ痛感スルノ状態ニ立チ至リ申候
偶々過般衆議院議員満鮮視察団一行ノ当地ニ来訪セラレタルヲ機トシ市民一同ヨリ朝鮮銀行当地支店復活方ニ関シ別冊ノ如キ意見書ヲ呈示シ、前記ニ依ル要望ヲ開陳仕リ候処、幸ニシテ我等懇請ノ要旨ヲ諒トセラレ、内地帰還後直チニ中央政界並ニ朝鮮銀行当局ニ向ツテ其復活方ニ関シ御尽瘁セラルヽ事ヲ御声明相成リ候ニ就而ハ、閣下ニ於カセラレテハ此際四平街ノ現在及将来ノ趨勢ヲ鑑察セラレ、御賢慮ヲ垂レサセラレ、冀クハ朝鮮銀行当地支店復活ノ議ヲ御詮議相成度、冒涜ヲモ不顧玆ニ重ネテ奉悃願候 敬具
  大正十五年七月十五日
              満洲四平街市民大会
                代表者 山添尚江 
 - 第50巻 p.316 -ページ画像 
(別冊、印刷物)
    四平街市民は挙て
      四平街朝鮮銀行の復活を要望す
朝鮮銀行に於ては大蔵大臣の所管に移り、新総裁を迎へてから専ら緊縮方針を取り、其一手段として大正十四年十二月末内地に於て一支店一出張所、満洲に於て四平街・吉林の二支店及鄭家屯の一出張所を廃止されました、其廃止の動機は経費の節約にあるそうであります、而して朝鮮方面の支店出張所に対しては何等一指だに染むることがなかつたのであります
鮮銀の支店出張所の廃止に付ては其以前から多少世評に上つて居つたのですが、之が実行の方法に付いては総裁の手元即ち東京に於て立案し、以て右の処置に及んだと云ひます、今他の土地のことを云々するは止めにして、当地四平街のことに付いて考ふるに、四平街は白音多拉鉄道及斉々哈爾鉄道の起点として交通運輸上将来頗る主要なる地点であり、殊に満洲特産の主要なる輸出地、蒙古方面への貨物輸入地であると云ふ点から見ても、こんな結果に立至つたのは頗る遺憾の極みであります、仄聞する処によれば、最初は鮮銀に於ては四平街の支店は存続することになつて居たのに、其後整理断行の際に於て当支店が其一に数へられたと云ふことです、鈴木総裁閣下は鮮銀の総裁に御就任以来、未だ一度も奉天以北を御視察なさつたと云ふことも聞かないし、又当地の支店などへは御見えになつたことがないのです、兎に角実情を御覧になつて処置されたのではないので重ね重ね遺憾のことであります
今玆に四平街の如何なる土地柄であると云ふことに付いて記述しますと、四平街には十数年前から鮮銀の支店が開設せられ、大正七・八年の好景気時代には大分活躍もして、其結果鮮銀では約二十万円も掛けて現在の如き堂々たる営業所を作られるやら、又数万円を投じて支店長始め行員の宿舎なども建られて居るのです、降て現在四平街には日本人弐千四・五百人、支那人二万人(一万人は最近建設されたる支那市街に)、朝鮮人二百人(主として粟買出しの商人)許りありまして現在では満洲に於ける特産物の主要輸出地となつて居ります、輸出に付ては最近数年間の四平街に集まる大豆・高梁・豆粕・豆油・粟等合せて大約三十万屯、一車三十三屯積の貨車で約九千車、之を価格に見積れば平均一車三千円と見て二千七百万円位です、而して輸入品に於ては其数大約二十四万屯、其価格正に三千万円に上ります、之に加ふるに四平街白音多拉線(一二五哩)及四平街洮南線(一九三哩)更に将来洮南斉々哈爾両線(一三〇哩)の出入貨物を加へたら、此等支那線路を伝ふて出入する貨車は将来七・八千万円より一億円の価格に上ると信じて居ります、現に目下の処でも出入貨物の価格は約四・五千万円の多額に上つて居ります、勿論此貨物の七分通り位は直通して大連なり其他安東・営口等の海港に行くのでありませうが、要するに四平街の土地は其地勢上決して繁栄の減退すべき土地でないと思ひます四平街斉々哈爾線と長春哈爾賓線(東支線)とを対比して見て、今後少くとも長春と比肩すべき将来を有する土地と思ひます、四平街斉々
 - 第50巻 p.317 -ページ画像 
哈爾線及四平街白音多拉線は玆数年間に建設されたるものでありまして、其附近には豊沃にして然も広漠なる土地を有し、各種農産物の耕作に適して居ります、支那官憲に於ても之が開拓の為め盛に移民を奨励して居りまして、山東或は山西或は直隷抔の方面より此地方目掛けて来集するものが多大なものであります、官憲は之等移民に対して大地域を与へて、一定の年限内は租税を課せずに随意に耕作せしむるとか、移住の際鉄道賃金を無料或は減額するとか、其他特種の便宜を与へて居るのであります、従て成績もよく年々数千或は万を以て算する家族携帯の移民が増加しつゝあるのであります、又斉々哈爾線の中間なる洮南には、現に亜米利加の大農組織の農具会社なども支店を出して活躍して居りますので、此等の地方が将来最も広大良好なる農耕地と化することは明々白々のことであります、然して之が農耕地に化したるとき、其土地の生産買出しは日本人に取りては日本の行政圏内にある四平街を中心として奥地に手を伸ばすことは最も安全にして、且つ便利なことと考へられます、又日本の資金によりて建設されたる此等鉄道は日本人が最も有効に利用すべき線路でありまして、此の鉄道の沿線には勿論日本人が進出して活動する必要があり、金融機関も之に伴ふて設置することは最も大切なことであります、又油房(豆油豆粕製造所)などを作つて生産工業を起すと云ふことも当四平街に取りては適切なる事業と思ひます、更に進んでは豆油に対する各種の加工品なども作つて、日本なり欧州などへ輸出すると云ふことは重大なる国策の一であります、然して当地方は製造業に重要な豊富なる水と、良好なる水質を有する上に、石炭も撫順を去る未だ遠しと云ふにあらずして、好適の位置に立つて居るのでありまして、此の他には人と資金問題のみです
此地方及四洮沿線に出廻る粟は今の処当地に毎年六・七万屯出廻ります、其約半分位は四洮線四平街南洮間を通じて来ますが、其売買は日本人なり朝鮮人なりが支那人から買つて之を朝鮮方面に輸出するので之を石数から見れば約七十万石、車数にて二千五百車、一車二千五百円として、之を価格にして八百二十万円位です、而して需用が多くなれば益々輸出も多くなる傾向を以て居りまして、年々一万屯即ち十五万石位増加しつゝある次第で、将来は二百万石は優に輸出し得るものです、今日迄満洲各地より粟の朝鮮に輸出されたるものが年平均二百万石、そして此粟は朝鮮が最近自国に産する米を出来得る限り多く内地に出して食糧米の不足を補ひ、一面朝鮮農村の改善に資する為めに此満洲粟を可成多く代用食にすると云ふので、所謂日本の食糧政策に大関係のある朝鮮産米増殖計劃に連絡のあることであります、今仮りに朝鮮産の米を内地に輸入しても、其不足を外米に仰ぐとしたら其代り金は自然支払勘定のみに立ち易くなるのです、輸送の運賃の如き外国船の利得になるものがあります、然るに此満洲粟の買付には朝鮮銀行券を以て買ひ、其輸送力の大部分は日本の運送会社の力によります而して此支払勘定に立ちたる金券は、日本内地より輸入したる輸入品の代金を以て自然的に回収の出来得るものであります、其関係を成る可く円滑にして出来得る限り廉価な粟を供給せんとせば、当地の如き
 - 第50巻 p.318 -ページ画像 
地に金融の便を計ることが最も必要のことであります
以上は四平街の位置と、輸出入貨物の大体を述べたのでありますが、これから此等の貨物に対する金融と日本貨幣と支那貨幣(奉天票)との交換使用の実情を述べて見たいと思ひます、満洲一般に於ける日本側の銀行と云へば鮮銀・正隆・正金・満洲銀行等で、此の幾多の地方的銀行が存在して、主として商業資金融通に関する業務を取扱ひ、其投資的機関としては拓殖及東省実業会社等の会社があるのですが、四平街には其内従来では鮮銀・正隆と四平街銀行とかあつたのであります、此度鮮銀が撤退されて、残るは単に安田系の正隆銀行と地方銀行である四平街銀行のみであります、而して此間鮮銀では手形貸付(手形買収)が一ケ年平均二千万円、正隆では同上千八百万円、四銀ては六百万円位の成績を示し、荷為替の取組が鮮銀平均一千七十万円、正隆一千万円、四銀三百万円(大連内地朝鮮向)送金為替取組高仕向被仕向共に鮮銀年額平均二千六百万円、正隆同上九百万円位であります当地商人は此等金融機関を利用して活動して居つたのです、今回鮮銀が当地を撤退したと云ふことは金融上の大打撃があつて、正隆や四銀のみでは資本金繰廻の関係上遺憾の点が多いのです、殊に鮮銀は紙幣発行の特点を有して利子も比較的安かつたものが、最近になつては利子の如きも高騰しつゝあるのであります、特に当地商人として最も苦痛の大なることは、鮮銀撤退に伴ふて其事業の遂行上機会を失ふことの大なることであります、現在に於ては貸出方面より見れば、不況時代の特色として鮮銀としても多少手心の点もありませうが、前記多額の為替取扱は他銀行のなかなか企図し難き処でありまして、邦人発展の為めに特に御努力を願ひたい次第であります
それから貨幣の交換に付て述べますが、申すまでもなく日本は金貨国です、殊に満洲には奉天票と云ふ紙幣が流通して居ります、日本人が銀行から金票を借りても貨物を買ふには此の地方通貨である奉天票を求め、其奉天票で貨物を買ふのです、其間には二つの相場の危険を負担するのです、即ち金票対奉天票と、奉天票対物価となるので、物貨の高低は別問題とするも、商人は此両種貨幣の比価に付て甚大の注意を払ひ、其危険を免れるが為めに「繋ぎを取る」と云ふこと、即ち奉天票を採算の取れる一定の価格に於て買ひ置き、其奉天票にて貨物を買ひ、物を転売する時には金紙幣で仕払つて貰つても損のないと云ふ如く、貨幣の交換率を先に決定し置いて商売をするのです、支那人にしても、大豆なり豆粕なりを大連に持出して売却し、鈔票なり、金紙幣で代金を受取るときは、之を奉天票に直して損をしないやう両異種貨幣の繋ぎを取ると云ふことが必要になるのです、即ち此の貨幣の交換と云ふことは、満洲に於ける貿易には最も重大なる関係を有して居るのです
以上の理由によりまして、満洲各地取引所にある銭鈔取引、即ち貨幣の交換取引と云ふことが重大なる使命を有することになるのでありまして、其銭鈔取引の受渡を最便利に、然も円満になさしむると云ふことには、鮮銀の如き紙幣発行権を有して居る銀行が最も適当して居ると云ふことになるのです、則ち取引所に於て銭鈔の受渡日になると、
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四十万円も五十万円も、多い時は何百万円と云ふ紙幣の受渡をして居りますが、普通の銀行ではそう云ふ多額の金を単に受渡の為めに準備し置くとか、又は現金を移動せしむると云ふことは頗る困難とするので、場合によりては実際の受渡は現金輸送の為め一日位は延期せねばならぬと云ふことになるし、又商人としては是れかため多くの輸送危険と輸送中の経費を別に払はなければならぬことになるので頗る苦痛とする処であります、然るに鮮銀にては何時でも金庫に相当の未発行券を蔵して居るので、通知一つにて必要に応じて随時に持出して其渡受を了し、又預金になりて回収することになれば又金庫に収めると云ふ具合に、銭鈔取引に対して伸縮自在の機能を発揮し得るのです、商人が其土地に居りて貨幣交換を随意になし得て、貨物に対する商戦をするにあらざれば到底日本人の発展は六ケ敷ことゝ存じます
右により当地に於ける鮮銀支店廃止の経緯、輸出入貿易の概況、支那鉄道との関係、粟の輸出、金融と貨幣の交換の大要を述べましたが、之より鮮銀の使命に付吾人の期待を述べたいと存じます、決して個人的利益の為めに論ずるにあらす、四平街の発展延いては国家の発展より申述ぶることで、切に御諒恕を乞ふ次第であります
鮮銀は満蒙に於て国家的使命を帯びて活動されて居るものと信じます又政府も国民も同じ所感を以て居るものと存じます、勿論銀行として存在する以上、営利的方面を没却すると云ふ訳に行かざるは充分承知して居りますが、国家が鮮銀に対して特種的待遇を与へ、役員の総べてを官撰にし、紙幣の発行権を与へ、而も過去に於ける鮮銀の多大なる損失に対しては大蔵省は援助的に低利の資金を融通し居らるゝと云ふことは、全く国家的の使命を遂行せしむるの意味より出たるものとより外了解出来ないのであります、恰も満鉄が鉄道・鉱山・港湾等の独占的特権の賦与せらるゝと反面に、鉄道沿線に於ける土木・教育・衛生・産業等の施設をなさねばならぬ国家的使命を帯ひて居るのと同様に、鮮銀に於ても経済的活動の血液たる金融を計るに付て、単に営利本位よりのみに打算すること能はざることは何人と雖も否定することの出来ない次第と存じます、最も過去に於ては鮮銀も地方銀行の救済やら併合に付て努力せられたる様なるも、夫れのみならず変り行く満洲の状態に付て重大なる使命を有する金融業者として、更に特種の考慮を願ふ次第であります○中略
今回議員各位の満鮮御視察を機として本問題に於ける真相を披瀝して御賢慮を煩はすことは、国際的邦人発展の関係上誠に止み難き次第であります、邦家の為め御多用のこととは存じますが本問題は地方問題とは云ひ前記の事情より見て等閑に附し能はざる事項と存じますので当地鮮銀の復活する様、特に御尽力を切望して止まぬ次第であります
  大正十五年七月