デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

2章 交通・通信
1節 海運
1款 日本郵船株式会社
■綱文

第51巻 p.391-437(DK510101k) ページ画像

大正13年10月15日(1924年)

是ヨリ先、当会社内部ニ海員・陸員ノ反目アリテ屡々紛擾ヲ醸ス。是年九月、陸員幹部、会社ノ振起粛正ヲ社長伊東米治郎ニ要望スルヤ、夫等幹部十一名馘首ノ事アリ、陸員七百余名起チテ重役ニ辞職ヲ迫ル。是日、伊東社長辞職ス。玆ニ於テ栄一、郷誠之助・岩崎小弥太ト共ニ後任重役ノ銓衡ニ当リ、新ニ社長ニ白仁武就任シ、次イデ取締役ニ木村久寿弥太・大橋新太郎・各務鎌吉・土方久徴・原富太郎・菊池恭三就任ス。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0001)
第51巻 p.391 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
九月廿四日 水 午後五時  藤山雷太氏より御案内晩餐会(同氏邸)
○中略。
九月廿六日 金 午前八半時 山下亀三郎氏来約(飛鳥山邸)
○中略。
九月廿九日 月 午前九時  伊東米治郎氏来約(飛鳥山邸)


東京朝日新聞 第一三七六四号大正一三年九月二五日 調停運動始れる郵船騒動 紛擾調停に渋沢子乗り出さん 衆力で目的貫徹は風教問題 但し事態惹起は社長も有責 伊東社長藤山氏の調停を喜ばず(DK510101k-0002)
第51巻 p.391-394 ページ画像

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都新聞 大正一三年九月二五日 渋沢子調停に起つ 財界の巨頭と共に(DK510101k-0003)
第51巻 p.395 ページ画像

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中外商業新報 第一三八五〇号 大正一三年九月二五日 サツパリ動かぬ郵船騒動 必勝を期して互に豪語す 渋沢子等も形勢傍観(DK510101k-0004)
第51巻 p.395-397 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 藤山雷太宛大正一三年九月二六日(DK510101k-0005)
第51巻 p.397-398 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  藤山雷太宛大正一三年九月二六日   (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年九月二十六日付藤山雷太氏宛総長親書写
拝啓 過日ハ盛宴に陪し種々御馳走ニ相成感謝仕候、其際申上候郵船会社之紛議に付而ハ、爾来諸方より陳情又ハ電報等有之候ニ付、其電文之写ハ御参考まで封入差上候、聞く処によれハ今日重役会開催之由に付、何等会社之方針も相定可申、就ハ其模様ニより何卒御調停之労御任し被下候様奉願候、小生ハ明日旧里ニ用事有之一泊掛罷越候間、二十八日夜ニハ帰京可仕候ニ付貴命次第努力可致と存候、昨日海員派より之電報能々御覧被下度候、又今朝山下亀三郎氏よりも情報有之候
 - 第51巻 p.398 -ページ画像 
右等ハ拝眉之際申上候様可仕候、右一書申上置度匆々 敬具
  九月念六
                      渋沢栄一
    藤山賢台
       玉案下


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0006)
第51巻 p.398 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆書朱)
                 大正十三年九月二十五日
                  神戸市上筒井通五ノ十二
                   社団法人青年同窓会来状
粛啓
初秋ノ候御清穆ノ段奉慶賀候
陳者当社今回ノ紛擾ニ就キ本会ハ拱手坐視スルニ忍ビズ、事急ヲ要スルモノト存ジ失礼ヲモ顧ミズ別紙ノ通リ電報ヲ以テ御賢察ヲ煩シ候段不悪御了承相成度候 敬具
  大正十三年九月廿五日
                     青年同窓会
    子爵 渋沢栄一閣下
(別紙)
今回ノ郵船内紛ハ社会組織ヲ危殆ナラシムル重大問題ナレバ、此際徹底的ニ禍根ヲ一掃セラレムコトヲ望ム
若シ悪例ヲ貽スコトアラバ将来船長・機関長トシテ船務遂行上部下統御不能トナル虞アリ
右御配慮ヲ乞フ
               社団法人 青年同窓会 
  ○着信局(王子)日付印、十三年九月二十五日ノ電報原文ハ略ス。


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0007)
第51巻 p.398 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類         (渋沢子爵家所蔵)
  大正十三年九月二十六日返電発
 神戸市上筒井通五ノ十二
  社団法人 青年同窓会宛        東京
                      渋沢栄一
詳細ノ貴電拝見シタレドモ、老生ハ其位置ニ非ザレバ此際何分ノ御回答致シ難シ
  ○右ハ返電ノ控。


東京朝日新聞 第一三七六五号 大正一三年九月二六日 郵船紛擾問題 渋沢子爵の調停を会社は暫時謝絶 先づ本日の重役会議にかけ 其次は大株主会議の段取り(DK510101k-0008)
第51巻 p.398-399 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七六六号 大正一三年九月二七日 形勢非と見て重役会議俄に延期 不安に充ちた社長室の内外 けふ改めて開催(DK510101k-0009)
第51巻 p.399-401 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七六七号大正一三年九月二八日 紛擾解決は社内重役一任 自信ある態度に信任して一先折れた社外重役(DK510101k-0010)
第51巻 p.401 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七六八号大正一三年九月二九日 社外重役の肚 社長の進退は切離して一先づ馘首社員復活策 昨日内外両重役の協議 本日伊東氏渋沢子訪問(DK510101k-0011)
第51巻 p.401-402 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七六九号大正一三年九月三〇日 社外四重役の斡旋で郵船紛擾漸く収まる 七百余名社員は全部辞表撤回 けふ正式に重役会議(DK510101k-0012)
第51巻 p.402-404 ページ画像

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集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0013)
第51巻 p.404 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
十月一日 水 午後四時 黒川郵船会社副社長来約(渋沢事務所)
  ○中略。
十月十二日 日 午前九時 伊東米治郎氏来約(飛鳥山邸)
  ○中略。
十月廿一日 火 午後三時 郷誠之助男来約(渋沢事務所)
十月廿二日 水 午後二時 郷男・岩崎男両氏ト御会見ノ約(銀行クラブ)


東京朝日新聞 第一三七七〇号大正一三年一〇月一日 郵船騒動劇大団円の幕下る 重役会議五分間で解決条件を承認 同交会側も同意の旨公表(DK510101k-0014)
第51巻 p.404-405 ページ画像

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(伊東米治郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一〇月一五日(DK510101k-0015)
第51巻 p.405 ページ画像

(伊東米治郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年一〇月一五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
粛啓                   十月十五日后七時半
本日の重役会ハ予定通り午后六時開会同三十分終了、小生ハ予而申上置候通り席上辞表提出致し申候、他重役一同も同様辞表提出致候へ共斯くてハ社務執行上差支候ニ付、来る十一月下旬の定時総会迄留任の事と相成り候間、不取敢御報申上候、今夜早速拝趨仕り候筈ニ有之候処、御差支の御模様ニ付明十六日更ニ御都合御伺ひの上参堂万申上候事ニ致し可申候間、何卒不悪御諒承被成下度奉願上候
右取急き要用迄如此御座候 匆々敬具
    渋沢子爵閣下           伊東米治郎


東京朝日新聞 第一三七八五号大正一三年一〇月一六日 紛擾の責を負うて郵船社長辞表提出 取締役一同も辞表、但し総会迄保留 後任社長選定の為め臨時総会招集 昨夜重役会議後の公表(DK510101k-0016)
第51巻 p.405-407 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七八六号大正一三年一〇月一七日 郵船社長の後釜は先例を破り社外から 重役も半数は新人物を 罷免社員には特別の考慮(DK510101k-0017)
第51巻 p.407-408 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七八七号大正一三年一〇月一八日 郵船新社長は白仁武氏に決定 製鉄所の整理を見越して老後の一花を咲かす決心 郷男の推薦で農相も賛成(DK510101k-0018)
第51巻 p.408-410 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七八八号 大正一三年一〇月一九日 郵船大株主間に反白仁熱高まる 天降り的選任は心得ぬと 只では納まりさうもない来月七日の臨時総会(DK510101k-0019)
第51巻 p.410-411 ページ画像

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東京日日新聞 第一七二七七号大正一三年一〇月一九日 郵船今後の始末 白仁氏推薦に郷氏反対 重役選定につき種々苦心 渋沢子談(DK510101k-0020)
第51巻 p.411-412 ページ画像

東京日日新聞  第一七二七七号大正一三年一〇月一九日
    郵船今後の始末
      白仁氏推薦に郷氏反対
        重役選定につき種々苦心
          渋沢子談
郵船総重役辞任の後始末を主として引受けた渋沢子は、後任社長推薦の実情、重役選定の方法順序につき左の通り語つた
 総べて未確定 後任社長も重役の顔触れもまだ最後の確定を見てゐるわけではなく申し上げる程の途は決定してゐない、第一の問題たる後任社長は白仁氏に頼みたいと考へてゐる位で、十六日事務所に来られた節、一つ成つて見てはとすゝめたら「私に出来るだらうかどんなものだらう」との御返事で、あなたにお鉢が廻つて来たのだからと云つたら「郵船会社も困つたものですね」と挨拶され其儘別れたが、其口吻では絶対にいやでもなかつたやうである、同氏を推薦したのは私ではなく伊東社長と岩崎小弥太男であつた、ところが困つてゐるのは
 郷相談役反対 此白仁氏には郷さんが反対で、実は京都へ行かれるに前伊東社長からちよつと話をしただけなので、推薦の事情もよく
 - 第51巻 p.412 -ページ画像 
承知されてゐない、郷氏反対の趣きは同氏に属する某氏から昨十七日晩、私の忰に話があり、今朝直接に私に通ぜられて分つたので、不賛成でも丁寧にお話をすれば承知してくれると思ふ、旅行先きよりなるべく早く帰つてもらふやうに電報を打つて置いたが、十九日着京される筈で其上納得のいくやうに話すことにしてゐる、郷氏が白仁氏を推薦したといふ噂はちようどあべこべで、更に渋沢が志村源太郎氏を推したとは驚いた風説! どうして話はさう飛ぶものかねエ、今回の産婆役三人のうち岩崎氏と私とには白仁氏推薦は異議はないのだから、郷氏さへ納得してくれると、白仁氏当人も嫌でないらしいから話が纏ると思ふ
 重役選定問題 今までの重役は全部重任せず、新重役は悉く新顔の方がよからうとの説も話に上つてゐる、之までの経緯を一掃するには或はこれもいゝ方法かも知れない、又副社長・専務は当分置かず仕事は従来通り営業部長・船舶部長にやらして、社長・重役は之を督励することにしたらどうだとの話も起つてゐる、なほ重役は財界の名士五名を選定したい考へで三菱から岩崎小弥太男、三井から団琢磨氏、大阪方面から重鎮の実業家一名等を理想とし、井上準之助氏なども之に加へたい考へで本日も勧誘したが、ちよつと動きさうにない、此重役は海運には無経験でも、信望あり株主側も心服する人物が欲しく、社業の諮問・監督に任ずる社会的有力者を求むる考へである


時事新報 第一四八二八号大正一三年一〇月二一日 郵船社長後任の白仁氏反対運動起る 銓衡は総て伊東氏の計画 郷男並に株主の反対(DK510101k-0021)
第51巻 p.412-413 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七九〇号 大正一三年一〇月二一日 重役問題を絡ませて正面からは反対せぬ郷男 けふ郵船社長問題で渋沢子と会見(DK510101k-0022)
第51巻 p.413-414 ページ画像

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中外商業新報 第一三八七六号大正一三年一〇月二一日 もつれ出した郵船社長の後任 渋沢子との会見に郷男 一ひねりひねつて問題は未解決(DK510101k-0023)
第51巻 p.414-416 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七九一号大正一三年一〇月二二日 岩崎男専ら白仁氏推薦 本日渋沢子との会見で 最後の決定は一両日中(DK510101k-0024)
第51巻 p.416-417 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七九一号 大正一三年一〇月二二日 よい膳立が出来れば白仁氏で我慢する 渋沢子と会見した郷男の意嚮 万事は本日三巨頭会見で(DK510101k-0025)
第51巻 p.417 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七九二号大正一三年一〇月二三日 郵船社長は白仁氏に確定 重役は全部社外新顔で改選 政務事務に分けて更始一新 きのふ三巨頭会見(DK510101k-0026)
第51巻 p.417-418 ページ画像

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後藤国彦談話筆記(DK510101k-0027)
第51巻 p.418-419 ページ画像

後藤国彦談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
                   昭和十七年十月三十日
                   於郷男爵伝記編纂所
 - 第51巻 p.419 -ページ画像 
 その頃郷は京都に行つてをつた。その間に岩崎男や渋沢さんの推薦で八幡製鉄所々長の白仁武氏が伊東社長の後任になるといふ話を聞いた。私はをかしいと思つた。直ぐに京都に電話をかけて郷に訊いてみると、郷はそのことを知らぬと云ふことだ。そこで、私は渋沢さんをお訪ねして、郵船社長に白仁氏が推薦されたさうであるが、郷はそのことを知らぬと云ふ。株主総会で株主から選ばれた相談役に何んの話もなく、後任社長を決められたのは、少し筋道が違つてはゐませんかと、私は渋沢さんを責めた。渋沢さんは私の話を凝つと聴いてをられた。癖だつたのか噯をしながら聞いてをられたが、私が悪かつた、郷さんが帰られたらよくお話しようと、私に詫びたのだ。私は驚いたねその頃私は郷の秘書をしてをつて、年齢は三十一・二だつた。血気旺んな頃なので渋沢さんに撚ぢ込んだのだが、むろん私は渋沢さんからお前のでしやばる所ではないと云はれると予期してゐた。さう云はれたら私にも言分があると考へてゐた。ところがだね、渋沢さんは一言私が悪かつたと云はれた。それで私はすつかり感服して了つた。私は恥かしくなつたな。
 郷が京都から帰つてくる朝、私は国府津まで迎へに行つて、渋沢さんに会つた話をすると、郷に余計な事をすると叱られた。そして郷もまた渋沢さんには自分も感服してをると云つてゐました。御承知のやうに郷は誰れにも頭を下げなかつた人だ。だが、渋沢さんだけは尊敬してゐた。恐らく郷の一生で尊敬してゐた者は渋沢さん一人だけだつたらう。
 郷は別に白仁氏の推薦に反対だつたと云ふ訳ではない。もともと白仁氏を推薦したのは実は三菱の木村久寿弥太なんだ。木村氏は白仁氏と同級で親しかつたから、岩崎男に話したんだらう。岩崎男が推薦する、渋沢さんも賛成する。たゞ相談役の郷だけが白仁氏の推薦を知らなかつた。白仁氏に郷は不満だつたといふやうなことはなかつたやうだね。だから、後任社長は左程問題なく決つた。
 兜町(取引所会員、郵船大株主)から郷が推されて板挟みになつてゐたかつて? いや、郷には社長にならうといふそんな野心は毫もなかつた。むしろ頭を突込みたくなかつた。尤も郷がゐない間に白仁氏を推薦したには或は岩崎男に考へがあつたかもしれぬ。けれどもその頃はもう郵船も大きくなつて岩崎一人のものではなくなり、他にも大株主はゐたからな。郷が伊東社長の行動が面白くないと、新聞は書いてゐたが、伊東米治郎は近藤廉平の後で社長になつた時分から快くは思つてゐなかつた。兎も角郷は白仁氏に反対といふわけではない、郷には白仁氏に代る推薦候補者はなかつた。


集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0028)
第51巻 p.419-420 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年     (渋沢子爵家所蔵)
十月廿四日 金 午後二半時 日本郵船会社ノ件(銀行クラブ)
十月廿五日 土 午後二半時 団琢磨・井上準之助両氏来約(事務所)
  ○中略。
十月廿九日 水 午前十時 井上準之助氏来約(事務所)
 - 第51巻 p.420 -ページ画像 
        午前十一半時 岩崎小弥太男来約(事務所)
十月三十日 木 午後三時 岩崎・郷両男爵来約(事ム所)
  ○中略。
十一月一日 金 午前十一時 井上準之助氏来約(事務所)
  ○中略。
十一月三日 日 午後四時 木村久寿弥太氏来約(事務所)
  ○中略。
十一月六日 木 午後五時 郵船問題ニ付木村久寿弥太氏来話ノ件(築地瓢屋)
  ○中略。
十一月十一日 火 午後三時 白仁武氏来約(事ム所)
  ○中略。
十一月十三日 木 午後三時ヨリ四時マデ 郷・岩崎其他郵船重役懇談ノ件(三菱本社)
  ○中略。
十一月十五日 土 午前十時 郵船会社ノ件(三菱本社)
  ○中略。
十一月十九日 水 午後四半時 菊地恭三氏来約《(菊池恭三)》(事務所)
  ○栄一ノ日記大正十三年一年間ノ記事ヲ欠ク。


東京朝日新聞 第一三七九三号大正一三年一〇月二四日 木村・大橋両氏郵船重役を承諾 残余の五重役は明日の銓衡会議で決める(DK510101k-0029)
第51巻 p.420 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三七九四号大正一三年一〇月二五日 郵船五重役の銓衡無事に終る 昨日の委員会で意見一致し愈口説き落しに着手(DK510101k-0030)
第51巻 p.421 ページ画像

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中外商業新報 第一三八八〇号大正一三年一〇月二五日 佐々木氏は推薦謝絶 本日渋沢子と会見(DK510101k-0031)
第51巻 p.421 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 菊池恭三・原富太郎宛大正一三年一〇月二六日(DK510101k-0032)
第51巻 p.421-422 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  菊池恭三・原富太郎宛大正一三年一〇月二六日 (渋沢子爵家所蔵)
(別筆朱書)
大正十三年十月廿六日付、菊池恭三・原富太郎両氏各通書状写
拝啓 爾来御疎情に打過候得共賢台益御清適御座可被成欣慰の至に候然は近頃唐突ながら特に申上候義は、過日来在東京各新聞紙に散見致居候日本郵船会社重役交迭に付、其後継重役の一人に賢台を御推挙申上度と希望仕候事に御座候、斯の如き重要事項を書中拝願致候は頗る卒爾の取扱にて恐縮至極に御座候得共、事態差迫り候為め不得已斯る略議の取計致候義、呉々も御諒恕被下度候、日本郵船会社の現社長は
 - 第51巻 p.422 -ページ画像 
本月既に辞任せられ、他の取締役一同も十一月の総会に於て退任致候筈に有之、玆に従来の紛紜を一掃し全然更始革新を期し候に付ては、後継重役詮衡を老生、岩崎・郷両男爵と共に引受くることゝ相成、爾後相共に種々考慮協議の結果、社長には現製鉄所長官白仁武氏を推し他の取締役としては東京・大阪・横浜の最有力なる諸氏を御願致候事と相成、即ち貴地(大阪・横浜)に於ては御迷惑ながら賢台に御願致度と決定致候義に御座候、右に付ては御別懇の井上準之助氏とも内々御談合致し候処、悉く御同案相成、別に一書を以て御勧誘被下候都合に御座候、就ては当方切望の事情御諒察被下、是非とも御承諾被成下度只管悃願仕候、而して其御承諾の旨は御手数ながら至急御一報被下度、且又其撰挙の事は来月開催の同社総会に於て挙行の筈に候間、其御含にて御準備可然御高配被下度候
右書中拝願如此御座候 敬具
  大正十三年十月廿六日
                      渋沢栄一
    菊池恭三様
          各通
    原富太郎様
 尚々右は取急ぎ候為め老生一人記名致候得共岩崎・郷両男爵と共に御願申上候義に付、何卒左様御承知被下度候


東京朝日新聞 第一三七九七号大正一三年一〇月二八日 郵船新重役は予定通り纏らう 定時総会も無事通過せん 社長問題は八分通り解決(DK510101k-0033)
第51巻 p.422-423 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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(原富太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一三年一〇月二九日(DK510101k-0034)
第51巻 p.423 ページ画像

(原富太郎)書翰  渋沢栄一宛大正一三年一〇月二九日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆朱書)
                   大正十三年十月廿九日
                        原富太郎氏
恭啓仕候
御来示之趣委曲拝承仕候、御垂示之趣ハ小生としては光栄の至に存候得共、何等経験なき門外漢ニ有之、御辞退可申上候ハ勿論のぎと存候得共、昨日井上準之助様態々御来浜下され、縷々御垂示被下候ニ付、一切を挙けて井上様ニ御一任申上候間、何卒井上様より御聴取奉願上候、本日小生参上拝顔を得て可申上候処、本日は終日当地絹業協会の総会有之参上仕兼候間、玆ニ失礼を顧ず書面を以て申上候、何れ不日参上可得拝顔候、尚乍恐岩崎様・郷様へも宜敷御執成奉願候
                        草々敬具
  大正十三年十月二十九日
                       原富太郎
    渋沢栄一様
        硯北


東京朝日新聞 第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日 郵船会社重役問題 三井系の一人が残る問題(DK510101k-0035)
第51巻 p.423 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日 漸く確定した郵船の新陣立 三井系代表者は結局保留 新ボード愈々成立(DK510101k-0036)
第51巻 p.423-424 ページ画像

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(菊池恭三)電報 渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日(DK510101k-0037)
第51巻 p.424 ページ画像

(菊池恭三)電報  渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日
                    (渋沢子爵家所蔵)


図表を画像で表示(菊池恭三)電報  渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日

 オテガ ミハイケンユウセンジ ウヤクヤムナキコトアリオウケシガタシイサイフミビ ヨウキチウゴ ヘンジ エンニテゴ ヨウシヤアレキチク《(クチ)》 ニホンバシカブトチヨ シブザワジムシヨニテ シブザワエイチ 「午前八時十五分京都発信」 (日付印・一三・一〇・三一) 






渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛大正一三年一一月一日(DK510101k-0038)
第51巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一電報 控  菊池恭三宛大正一三年一一月一日   (渋沢子爵家所蔵)
 大阪、東、上本八ノ二三二           渋沢
    菊池恭三
電見タ、御申越ノ趣ハ井上氏ヨリモ承知シタルモ、同氏トモ相談シ是非一時ナリトモ、御引受願フ外ナキニ付、再応御承諾ヲ懇願ス、委細文
  大正十三年十一月一日発信済


渋沢栄一書翰 控 菊池恭三宛大正一三年一一月一日(DK510101k-0039)
第51巻 p.424-425 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  菊池恭三宛大正一三年一一月一日  (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年十一月一日付菊池恭三氏宛総長親書写
拝啓 益御清適奉賀候、然者過日一書を以て賢台を日本郵船会社取締役ニ御推薦之義ニ付、押付ケ間敷拝願いたし、同時ニ井上君ニも事情詳細ニ開陳して御同情相成、特ニ御勧誘之書状も差出呉候処、今日同君より承及候ニハ、賢台にハ目下御所労中にも有之、何分御引受被成兼候旨御回答有之候趣伝承仕候、折柄小生過日之呈書に対する御回示も只今貴電拝受、同しく御辞退之義了承致候、右様之場合にも拘はらす強而拝願致候も如何にも恐縮之至ニ候へとも、只今井上君とも種々協議之上此際ハ一時たりとも枉而御引受相願度と申事ニ打合せ、同君より特ニ其事情詳述いたし呉候筈ニ候間、玆ニ小生も拙書を呈して再
 - 第51巻 p.425 -ページ画像 
願致候義に御座候、何卒御迷惑之程万々御察申上候得共、御応諾之程偏ニ御依頼申上候、事至急を要し候為め匆々之執筆文意不徹底之事共可有之候も、呉々も御宥恕被下、小生之苦衷御諒察被下度候 敬具
  十一月一日
                      渋沢栄一
    菊池恭三様
       玉案下
 尚々目下少しく御所労中之趣折角御摂養之程祈上候也


(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一日(DK510101k-0040)
第51巻 p.425 ページ画像

(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆朱書)
                  大正十三年十一月一日
                      菊池恭三氏来状
          (栄一墨書)
          十一月三日入手、即日電報を以て曩ニ書状と電信とにて、一時なりとも此際是非応諾致呉候様返信せし事を、繰返して再応発電致候事
拝復 時下秋冷之候御座候処閣下益々御健勝御精励之段乍憚奉慶賀候陳者此程ハ御懇篤なる御書状を賜はり、拙者を日本郵船会社新重役之一員に御推薦被成下御厚情難有謹而御礼申上候、尚同件ニ付井上準之助氏よりも同様之御勧誘状に接し申候ニ付、直ちに御高志に従ひ御請可致筈ニ御座候得共、元来拙者ハ過去数十年間紡績業而已に従事仕り此れを終生之事業として他方面には一切関係致さゝる方針にて御座候ニ、本年御承知之如く三十四銀行頭取故小山氏之後を周囲の事情已むなく相引受け未た間も無之、且つ近来大ニ健康を害し困入居候折柄折角之御勧誘を御請申上候も責任上心苦敷存候間、御厚意之御推薦に預り寔に千万感謝に不堪次第ニ御座候得共、以上申述候如き事情ニ有之且又大日本紡及三十四銀行之株主始め世間ニ対し候ても如何哉と懸念致候ニ付、折角之御思召に背き誠ニ恐縮之至りニ存候得共、此度ハ平ニ御辞退申上度、何卒不悪御海容被成下度候、尚拙者儀先月初旬以来病臥中に御座候処、目下追々恢復罷在候ニ付近日上京之予定ニ有之、其節ハ是非拝趨御挨拶可申述候も、先ハ乍略儀以拙筆御礼旁右申進候
                           敬白
  十一月初一
                      菊池恭三
    子爵渋沢栄一殿閣下


東京朝日新聞 第一三八〇二号 大正一三年一一月二日 海員の意志を代表する重役を就任せしめようと今度は海員側代表続々入京(DK510101k-0041)
第51巻 p.425-426 ページ画像

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渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月三日(DK510101k-0042)
第51巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月三日 (渋沢子爵家所蔵)
  大正十三年十一月三日発電
  大阪市東区上本町八ノ二三二
    菊池恭三殿             東京 渋沢
一日付の貴書拝見したるも、一昨日貴電に対し電報及手紙にて申上たる通り、此際枉けて御引受あり度、再応懇願す


渋沢栄一書翰 控 原富太郎宛 大正一三年一一月三日(DK510101k-0043)
第51巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 原富太郎宛 大正一三年一一月三日 (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年十一月三日付原富太郎氏宛総長親書写
拝読 爾来益御清適之条奉賀候、就ハ過日ハ突然御無理なる事件御願申上候処、事情御諒察被下、且同時ニ井上君之御助力も有之候ニ付、枉而御応諾被下候旨御回示ニ接し難有拝承仕候、右に付而ハ尚引続き苦配罷在候得共、何れ近日爾来之成行詳細御報告いたし、一段之御高配御尽力相願可申と存候、不取敢来示拝答旁匆々如此御座候 敬具
  十一月三日
                     渋沢栄一
    原富太郎様
        玉案下


(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0044)
第51巻 p.426-427 ページ画像

(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日
                          (渋沢子爵家所蔵)
          (栄一墨書)
          十一月六日落手
                (別筆朱書)
                大正十三年十一月四日 菊池恭三氏
 - 第51巻 p.427 -ページ画像 
謹啓 去る一日御差出尊翰並ニ電報弐通共敬受難有拝見仕候、陳者郵船重役就任之件ニ付閣下並ニ井上氏之御懇篤なる御勧説ニ就而ハ寔に光栄之至りニ有之、殊ニ御老体之御手書を辱くし恐縮之至りニ奉存候本来直様御指図ニ任せ乍不及犬馬之労を執るへき旨御請可申上之処、先便にも申出候通り拙者元来大日本紡績及三十四銀行ニ対し責任を帯ひ居候事とて、折角之御厚志ニ対し徒らに勝手を主張する義には毛頭無之、只々両会社ニ対する重責を惟ふ点より申述候次第ニ御座候間、何卒不悪御諒察被遊度候、然るニ一面には郵船之御内情も万々量察仕り、又閣下御始め有力なる各位之御推薦を無にするハ誠ニ忍ひざる事と考慮致候ニ付、此上ハ近日之内ニ右両社之重役会を開催仕、十分協議相遂げ其承諾を得る様相努め申度、其上にて異議も無之候はゞ御指図ニ従ひ可申候
然るニ不肖折悪しく先般来不快にて引籠中ニ御坐候処、最早余程快気ニ向ひ申候間、来る十三・四日頃には右重役会開催之予定ニ御坐候間何卒本件ハ其迄のところ御手許ニ御保留置被成下度、誠ニ勝手之願意恐縮千万奉存候得共、右事情御洞察之上宜敷御猶予悃願此事御座候、先右不取敢貴酬如此御坐候 敬具
  十一月初四於京都
                      菊池恭三
    渋沢子爵閣下


渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0045)
第51巻 p.427 ページ画像

渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月四日 (渋沢子爵家所蔵)
   大正十三年十一月四日発電
  大阪市東区上本町八ノ二三二
    菊池恭三殿
貴電拝承、御無理拝願したるに御承諾を得たるを感謝す
                          渋沢
   ○菊池恭三承諾ノ電報ヲ欠ク。


(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0046)
第51巻 p.427-428 ページ画像

(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆朱書)
                   大正十三年十月四日
                    木村久寿弥太氏来状
拝啓
昨日御打合申上候六日夕白仁武氏紹介之会席は瓢屋(築地)ニ取極メ別紙写之通御三方御連名ニテ、郵船現取締役宛ニ案内書差出し置申候間左様御承知置奉願上候 拝具
  大正十三年十月四日《(十一)》
                      木村久寿弥太
    渋沢子爵
        閣下
(別紙)
拝啓 秋冷之候益御清栄奉大賀候、陳者来六日白仁武君御紹介旁麁餐差上申度候間、御多用中御迷惑トハ被存候ヘ共、当日午後五時築地瓢
 - 第51巻 p.428 -ページ画像 
家ヘ御光来被下度御案内申上候 敬具
  大正十三年十一月四日
                      渋沢栄一
                      郷誠之助
                      岩崎小弥太
          殿


日本郵船株式会社営業報告書 第三九期後半年度 刊(DK510101k-0047)
第51巻 p.428 ページ画像

日本郵船株式会社営業報告書 第三九期後半年度 刊
一大正十三年十一月七日、東京市麹町区永楽町一丁目一番地郵船「ビルデイング」ニ於テ臨時株主総会ヲ開ク、出席ノ株主壱万壱千壱百八拾七人此株数壱百弐拾弐万四千参百拾五株ニシテ、副社長黒川新次郎氏会長席ニ着キ左ノ件ヲ議了セリ
 一大正十三年十月十五日取締役社長伊東米治郎氏辞任ニ付、取締役一名補欠選挙ノ結果、白仁武氏当選ス


東京朝日新聞 第一三八一三号 大正一三年一一月一三日 郵船の新陣容 部長を廃して事務重役二名(DK510101k-0048)
第51巻 p.428 ページ画像

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日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0049)
第51巻 p.428-429 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
       (別筆朱書)
       大正十三年十一月十四日
          日本郵舶会社
                船長総代四宮源三郎 機関長総代坂本鍵造 両氏来状
粛啓
時下秋冷ノ候貴台益々御清穆慶賀ノ至リニ存候、陳バ今回偶我社内部ニ不祥事発生シ紛糾ヲ極ムルヤ、朝野ノ名望ヲ担フ貴台ニハ時局収拾ノ任ニ膺ラレ候事大慶不過之候、抑モ我社従来ノ紛擾ノ禍根ヲ絶チ以テ百年ノ大計ヲ樹ツルハ方ニ此秋ニ如クハナク、其重任ニ膺ラルヽハ貴台ヲ措テ他ニ之ヲ求ム可ラズト存候、玆ニ於テ小職等貴台ノ御斡旋ニ信頼シ、節制アル態度ヲ以テ其推移ヲ観望致居候、然ル処局面ノ進展ニ伴ナヒ目下ノ情勢ハ最早小職等黙止スル事能ハザルニ立到リ候間僭越ナガラ敢テ一書ヲ呈シ貴台ノ御高覧ヲ仰グ次第ニ御座候
 - 第51巻 p.429 -ページ画像 
曩ニ一部社員ノ非違行為ヲ処断セラレタル現重役ノ辞任ニシテ其儘容認セラルヽガ如キコトアラバ、小職等ノ甚ダ諒解ニ苦ム処ニ御座候、勿論這般ノ消息ニ至リテハ窺知シ能ハザル複雑ナル事情有之候ハンモ小職等ノ職責上部下統御ノ重大ナル任務ヲ有スル立場ヨリ観レバ、斯ノ如キハ船務遂行上ノ一大脅威ニシテ、非常ナル悪例ヲ貽スモノト断言シテ憚ラザル次第ニ御座候、例ヘバ部下海員中其本分ヲ忘レ妄ニ徒党ヲ組ミテ秩序ヲ紊リ上長ニ反抗スルモノニ対シ適法ノ処分ヲ加ヘタル場合ニ於テ、処分者自身モ亦一々自決セザル可ラザルコトヽ相成リ斯クテハ所謂下剋上ノ甚シキモノニシテ、為メニ人心ノ安定ヲ欠キ、国家海運ノ健全ナル発達ハ到底之ヲ望ム可ラズ、其影響スル処大ナルヲ想ヘバ現重役ノ進退ニ就キ深甚ノ考慮ヲ要スル事ト存候
我社重役中ニハ社務ニ通暁スル社内重役数名ヲ挙ゲラレン事ヲ希望致候、蓋シ社内重役ノ必要ナルハ自明ノ理ニシテ、特ニ海運業ニ於テハ業務ノ性質上海上事務ノ実際ニ精通スルモノナクンバ、社務ノ円滑ナル運用ハ期ス可ラザル次第ト存候、今若シ時代ノ趨勢ヲ無視シ、社員ノ過半数ヲ占ムル海上社員ノ立場ヲ考慮スル処ナカランカ、営業ノ第一線ニ立ツ幾多海員ノ所期ニ反シ、能率増進ヲ阻碍シ思想ノ悪化ヲ招来セン事ヲ衷心憂慮罷在候、小職等ハ新聞紙上ニ伝フルガ如ク陸上社員ニ対シ毫モ敵意ヲ挟ムモノニアラズ、又好ンデ事ヲ搆フルモノニアラズ、誠心誠意会社ノ利益ヲ念トシ、海陸協調以テ社礎ノ鞏固ト社運ノ隆昌トヲ図ラントスルニ他ナラズ候
今ヤ我社ハ万目注視ノ焦点トナリ、時局収拾ノ結果如何ハ独リ我社ノ安危ニ関スルノミナラズ、延テハ社会ノ思想問題ニ影響スル所必ズ大ナルモノアルベシト存候、此間ニ処シ貴台ノ御配慮洵ニ恐察ノ至リニ御座候得共、小職等モ亦一片耿々愛社ノ念黙止シ難ク爰ニ敢テ卑見ヲ陳ブル所以ニ御座候 恐惶謹言
  大正十三年十一月十四日
               日本郵船株式会社
                船長総代  四宮源三郎
                機関長総代 坂本鍵造
    子爵渋沢栄一殿
 追而同文岩崎男爵及郷男爵宛発送致置候間御含置被成下度候


東京朝日新聞 第一三八一四号 大正一三年一一月一四日 郵船の事務重役銓衡協議 二名とし従来の慣習打破(DK510101k-0050)
第51巻 p.429-430 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三八一六号 大正一三年一一月一六日 郵船社内重役 一部重役再選説(DK510101k-0051)
第51巻 p.430 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三八二五号 大正一三年一一月二五日 郵船の事務重役内定す 黒川・武田両氏銓衡さる(DK510101k-0052)
第51巻 p.430-431 ページ画像

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(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日(DK510101k-0053)
第51巻 p.431 ページ画像

(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆朱書)
                 大正十三年十一月廿五日
                    木村久寿弥太氏来状
拝啓仕候、陳者頃日御病床ニ被為在候趣御当座之御事とは拝察仕候も向寒之候御静養御専一ニ可被為遊候、昨日之会合ハ原・久方之御両処欠席相成候外菊池君《(土方)》も御出席被下候
問題の要点ハ
 一可居残現重役ニ前以テ(廿七日頃)更ニ推撰之意志を漏し其承諾ヲ求ムルカ、又ハ
 一総会ニ於テ指名し、其去就を任意ニスルカ
之二点ニ有之、評議之結果ハ
 総会之当日朝之内ニ其人ニ対し推挙之意を伝へ、其承諾ト否トニかゝはらす指名スル事
其結果、辞退之場合ハ元之趣意ニ立戻リ、部長制ニテ業務執行之事と相成申候、人名ハ黒川・大谷之内一名(多分大谷)、武田を加へて弐名とし、尚今後の懸引ハ社長ト相談役の協議ニ御委せ為す事ニ一決致し申候
目下陸員の反抗運動も有之、前項之事ハ暫時極秘ニ願上候 敬具
  十一月廿五日
                    木村久寿弥太
    渋沢子爵
        閣下


(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日(DK510101k-0054)
第51巻 p.431-432 ページ画像

(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                 「午後七時二十分神戸三ノ宮発信」



図表を画像で表示(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日

  アスカヤマ   シブサワエイイチ  (書入レ)  午後十一時五十分(日付印・一三・一一・二五)         入手○ 



 - 第51巻 p.432 -ページ画像 
ゲ ンジ ウヤクヲコノサイジ ムジ ウヤクニサイセンスルコトハカイシヤネンライノカコンヲゼ ツメツスルユヱンニアラズ モシゼヒトモジ ムジ ウヤクセツチノヒツヨウアラバ 一パ ンシヤインノシンボ ウアルモノヲアゲ ラレンコトヲコンガ ンスコウベ シテンシヤイン一四〇メイ


東京朝日新聞 第一三八二六号 大正一三年一一月二六日 大谷・武田二氏に郵船事務重役決定 二十六日重役会に発表(DK510101k-0055)
第51巻 p.432 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三八三六号 大正一三年一二月六日 馘首された支店長等の復職は詮議出来ぬ 昨日郵船重役会で決議し社長から高級社員へ説諭 同交会泣寝入か(DK510101k-0056)
第51巻 p.432-433 ページ画像

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日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0057)
第51巻 p.433 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆朱書)
                大正十三年十二月十九日
                  日本郵船会社
                    船長一同 機関長一同 ヨリ礼状
粛呈
時下向寒ノ砌貴台益々御清栄御健勝之段慶賀ノ至リニ奉存候、陳ハ吾社先般ノ紛擾ニ関シ、貴台ニ於カセラレテハ善ク大局ヲ明察セラレ、種々御斡旋ノ労ヲ執ラレ候結果、吾社今日ノ安定ヲ得タルハ誠ニ御同慶ノ至リニ有之、特ニ過般ノ時局ニ関シ憂慮ノ念黙止シ難ク、失礼ヲモ顧ミス曩ニ卑見ヲ陳情スル処アリシ小職等トシテハ、誠ニ欣快ノ至リニ御座候、今後ハ小職等モ自重以テ部下ヲ督励シ、貴台ノ御期待ニ副ハン事ヲ努力致度決心罷在次第ニ御座候、一言御挨拶申上度如斯ニ御座候 恐惶謹言
  大正十三年十二月十九日      日本郵船株式会社
                       船長一同
                       機関長一同
    子爵渋沢栄一殿


東京朝日新聞 第一三八五三号 大正一三年一二月二三日 郵船騒動又盛返す 犠牲に殉じ同交会員続々辞表(DK510101k-0058)
第51巻 p.433-434 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三八五四号 大正一三年一二月二四日 紛擾再燃に対抗して海員側動き出す 郵船騒動又復悪化(DK510101k-0059)
第51巻 p.434 ページ画像

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日本郵船株式会社営業報告書 第四〇期前半年度 刊(DK510101k-0060)
第51巻 p.434-435 ページ画像

日本郵船株式会社営業報告書 第四〇期前半年度 刊
    第二 株主総会
一大正十三年十一月廿八日、東京市麹町区永楽町一丁目一番地日本郵船株式会社本店ニ於テ、第三十九期後半年度定時株式総会ヲ開キ、出席株主壱万壱千六百四拾七人此株数壱百弐拾八万八千参百四拾九株ニシテ、社長白仁武氏会長席ニ着キ、左ノ事項ヲ決議ス
 一大正十三年四月一日ヨリ同年九月三十日ニ至ル第三十九期後半年度ノ営業報告書・計算書類ノ承認、及利益金処分案原案ノ通リ可決ス
 一取締役補欠選挙ノ結果、永田仁助氏ノ後任トシテ菊池恭三氏、湯河元臣氏ノ後任トシテ大橋新太郎氏、水川復太氏ノ後任トシテ木村久寿弥太氏、石井徹氏ノ後任トシテ原富太郎氏、安田柾氏ノ後任トシテ各務鎌吉氏、江口定条氏ノ後任トシテ土方久徴氏、大谷登氏ノ後任トシテ大谷登氏、武田良太郎氏ノ後任トシテ武田良太郎氏当選ス
 一監査役改選ノ結果山本直良・島徳蔵ノ両氏再選重任ス
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 一前取締役社長伊東米治郎氏ヘ功労金贈呈ノ件ハ取締役会ニ一任スルコトニ決ス
   前記前取締役社長伊東米次郎氏《(伊東米治郎)》ニ贈呈スヘキ功労金ハ取締役協議ノ結果金弐拾五万円ト決定シ、大正十三年十二月十三日之ヲ贈呈セリ
   ○日本郵船株式会社重役改選ニツキ其新旧役員ヲ対比スレバ左ノ如シ。
     取締役社長 伊東米治郎  同副社長    黒川新次郎
     専務取締役 大谷登
     取締役   永田仁助   湯河元臣    水川復太
           石井徹    安田柾     江口定条
           福井菊三郎  成瀬正恭    富永敏麿
           武田良太郎
     監査役   山本直良   河村金五郎   島徳蔵
     相談役   郷誠之助
                     (以上大正十三年五月)
     取締役社長 白仁武
     専務取締役 大谷登    武田良太郎
     取締役   菊池恭三   大橋新太郎   原富太郎
           木村久寿弥太 各務鎌吉    土方久徴
                     (以上大正十三年十二月)


竜門雑誌 第四三三号・第三―五頁 大正一三年一〇月 私の接した最近の二大問題 青淵先生(DK510101k-0061)
第51巻 p.435-436 ページ画像

竜門雑誌 第四三三号・第三―五頁 大正一三年一〇月
    私の接した最近の二大問題        青淵先生
○上略
      郵船会社の紛議に関して
 日本郵船会社の紛議は兎に角解決した。この問題の起つて居る間、私は双方の人は勿論第三者の訪問をも屡々受け、訪問責めに遭つたのであるが、郵船会社の今日あるのは、資本家と経営者との尽力にもよるが、国家が少なからぬ援助を与へて居る御蔭である。我が国は四面環海の国柄であるから、海運の事が諸外国より一歩進んで居ないと、事業の発展を望み得ず、国運の衰退を来たさねばならぬのである。それ故、国力進展上からも常に此点に一歩を先んずる心掛けが必要である。これは私等の昔から希望せる点で、斯う云ふ国家的の仕事に従事する者が一日も忘れてはならぬ処である。我が海運事業は欧洲大戦の当時から過大の進歩を示したかの観があり、船舶数の激増も著しかつたが徒らに古船を多く買ひ込んだが為め、量は多いが質が悪いといふ実状にある。故にこれは郵船のみに限らず、我が船舶会社としては何れも改良と整理とを速かに行はねばならぬ筈である。他方海運に対する諸外国政府の努力は実に眼醒しいものがある、中にも亜米利加の如きは最も力を致せるもので、優秀船の新造とか重油船の採用とか、船舶の数も質も急に善くなつて来た有様である。それ故我が国の如きは今日の進んだ知識を基礎としていくら努力しても尚ほ足るまいと云ひたい程である。然るに斯かる時期に際し郵船会社に於て此度の如き大紛擾を来し、重役は「社員が重役の権限に立入り、而も之を排斥するといふが如き不合理はない」と唱へ、社員側では「重役の重みが足りぬ」と云ひ合つて居たやうであるが、それでは洵に日本海運の将来の
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為め心細い限りであると云はずには居られない。この物議は社外の四重役たる江口・福井・永田・成瀬諸氏の顔と尽力とで漸く納つたのは結構であるが、真に根本まで徹底的に融和したかどうかを疑ふのである。前にも述べた様に海運は日本の実業にとつて最も重要なる地位にあるものであり、而して郵船会社は日本での大会社であるから、其会社の紛擾は各方面に影響する処が多く、我国実業の発展に取つて打撃であり得る。従つて重役も社員も共に反省して、善くなかつた点を直すやうに考へを進めて行かなければ根本的解決は至難であらう。人はよく自分のみは善いが人が悪いといふ風に考へたがるものであり、また一方を善しと見て他方を悪いとしたがるが、紛議が起るのは両者五分五分に罪があるのであつて、郵船の問題もその観があるを免れまい即ち会社内部には定つた制度があるのに、社員が社規を紊乱するに到つたのは社員側が悪いと云ひ、また他面からは重役の威信が足らぬからだと云ふ、処が両者がこの態度で相譲らず争ふたならば、結局信ずる処や見る点が違ふのであるから水掛論に終らう。斯かる場合に於ては必ずや一方が譲るとか、相互に譲り合ふとか、誤れる点を教へ合ふとかして、共々に反省しつゝ進むのでなくては、何事も円満には行かない。これは単に郵船会社に於てのみならず、政治上でも経済上でも支配者と使用人といふ様な相対峙する地位にある者のよくよく考へるべきことで、各自が自分の本分と職務とに忠実で道理をはずれないならば、此様な紛擾は起らぬであらう。郵船の紛議も先づ納つたが、私は切にこの考へがよいと思つて居るので、特に述べた訳である。
○下略


雨夜譚会談話筆記 下・第八一七―八二一頁 昭和二年一一月―五年七月(DK510101k-0062)
第51巻 p.436-437 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第八一七―八二一頁 昭和二年一一月―五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第三十回 昭和五年六月二十四日 於渋沢事務所
    一、紛争の仲裁に立たれた時の御気持に就て
先生「此質問要項に(大正十三年十月郵船会社の紛擾の際、御調停になつた時の御気持は如何でございましたか)と書いてあるが、此十三年の郵船会社の紛擾と云ふのはどんな事だつたかネ、一寸覚えてゐないがネ。」
篤「私もよく存じませぬが、何でも内輪の紛擾ではなかつたかと思ひます。確か他会社との問題ではなかつたやうに記憶致して居りますが……」
白石「事件の内情につきましては、只今一寸記憶がございませぬが、私はあの時子爵の代理として、後任重役の事に就て、郷さんを訪問致しました事などを覚えて居ります。此処に其頃の新聞記事がございますが、此中に子爵のお話として、こんな事が載つて居ります。『私(註、青淵先生なり)も曾ては郵船に関係があつたので、今回の問題に対しては密かに事の経過を憂慮して居つたが、従来の同社の紛擾は配当問題・人事問題・金銭問題等の範囲を超えなかつたが今度の事件は、社員が多数の力を以て、社長を排斥しようとするのである。勿論多数の力を待つことは、場合によつては良いこともあ
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るが、今回の郵船問題の場合においては、最も慎まなければならぬことである。……』」
篤「成程。伊東社長の排斥運動だつたのでございませう。伊東米治郎さんがよして、その後に白仁武さんが社長になつた時の事でございますネ。」
先生「伊東米治郎氏が社長を罷める時の話だネ。あれはどう云ふ行きがかりで、あんな事になつたのだつたか、今鮮かに覚えてゐないがネ、株主側から始まつた事だつたか、それとも他の会社との経緯から起つた問題だつたか、そこの処は一寸記憶しないが、要するに伊東と云ふ人は据りの悪い人だつた。何でも近藤廉平氏あたりから引立てられて、船会社の事務に就ては、多少心得があつたやうだつたが、人格がない人で、その関係から罷めるやうになつたのだらう。そこのところははつきりわからないがネ。」
篤「その動機は社員に対する待遇とか、社員の勤務とか云つた事にあつたのではございますまいか」
先生「その、今読んだ新聞記事にはどんな事が書いてあるかい」
 (白石氏新聞切抜を読む)
篤「社員中の海員側と陸員側とに対する伊東社長の態度が不公平と云ふのが事の起りだつたのでございませう」
先生「そんな事もあつたやうに思ふが、要するにそれも伊東氏の人格による事なので、元来伊東といふ人は事務家である、それが社長となつて人の上に立つて種々な事を処理したり、多人数を動かして行く間に、無理を生じて、遂に陸員と海員の間に取扱の不公平も出来て、到頭社長を罷めねばならぬ事になつたのだと思ふ。何だか、ぼんやりしたお答になつて仕舞つたが、其当時の事情をはつきりと記憶しないから致し方ない。もつと的確な材料でも出て来たら、其上でお話する事も出来よう。○下略」
   ○此回ノ出席者ハ栄一・渋沢篤二・渡辺得男・白石喜太郎・小畑久五郎・佐治祐吉・高田利吉・岡田純夫・泉二郎