デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

2章 交通・通信
1節 海運
2款 東洋汽船株式会社
■綱文

第51巻 p.482-500(DK510105k) ページ画像

大正15年1月18日(1926年)

是日栄一、郷誠之助及ビ井上準之助ト共ニ、当会社ト日本郵船株式会社トノ合併ニ関シ調停案ヲ提示ス。両会社之ヲ受諾ス。其骨子ハ、当会社ノ桑港線及ビ南米西岸線ノ両航路権並ニ就航船八隻ヲ以テ第二東洋汽船株式会社ヲ設立シ、該会社ヲ日本郵船株式会社ニ合併スルモノニシテ、二月二十二日、合併仮契約ノ調印ヲ了ス。


■資料

日本郵船株式会社五十年史 同社編 第三四八―三五四頁 昭和一〇年一二月刊(DK510105k-0001)
第51巻 p.482-484 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史 同社編 第三四八―三五四頁 昭和一〇年一二月刊
 ○第二編 第八草 第二節 桑港線及び南米西岸線の継承並に改善
    第三款 第二東洋汽船会社の合併
      合併問題の由来――合併の経緯――合併の方法――合併契約の実行
○上略
 合併の経緯 其後世界海運界の不況は益々深刻となり、東洋汽船会社の経営難は愈々加はれり。即ち外には桑港線に於ける競争対手たるダラー社が、一九二三年(大正十二年)九月プレジデント型優秀客船七艘七万三千七百六十一総噸を米国船舶院《ユー・エス・シツピング・ボード》より廉価にて払受け、更に一九二五年(大正十四年)四月、従来太平洋郵船会社の運用せる院線カリフォルニア・オリヱント・ラインを、プレジデント型客船五艘・七万六百八十三総噸と共に船舶院より廉価購入して、桑港―日・支・比島間航路を経営することとなれる為め、非常なる脅威を感ずると共に、内には桑港線の使用船老齢と為り補助金受領資格を欠くが為め、新船建造の必要に直面するに至り、東洋汽船会社は内外容易ならざる窮地に陥れり。是に於て逓信当局並に財界有力者の合併意見は著々具体化し、大正十四年五月以来子爵渋沢栄一・井上準之助・男爵郷誠之助の三氏起ちて当社及び東洋汽船両社に対し慫慂斡旋に力む。依て当社は再度調査審議の末、東洋汽船会社の財産中より陸上財産及び貨物船を除き、単に桑港線及び南米西岸線の営業権と其使用船舶を挙げて之を継承するの案を三氏に提出したり。此間に在りて安達逓相亦本邦航権の前途
 - 第51巻 p.483 -ページ画像 
を憂ひ、外国競争船に対抗し得べき優秀船の就航に関し、特に補助方法を講ずることとなれり。渋沢・井上・郷の三氏は、両社より提出せる採算及び希望を慎重に考慮せる上、裁定案を作製して之を両社に提示せり。其骨子左の如し。
   東洋汽船は、桑港線及び南米西岸線の一切の営業権を其使用船八艘と共に日本郵船に譲渡し、日本郵船は、右対価として額面五拾円全額払込済の株式拾弐万五千株を東洋汽船に交付する事
 当社は本裁定案を以て、当社の宿望たる南北太平洋航路及び南米東西両岸航路の統一的解決に適当なりと認めて之を諾し、東洋汽船亦之を承諾したり。
 是に於て多年の懸案たる両社合併問題は、漸やく実現を見る事となれり。
 合併の方法 両社は右裁定案に基き合併準備契約を作製し、大正十五年二月十六日当社白仁社長と浅野東洋汽船社長との間に調印を了したり。而して合併の方法に就ては、先づ東洋汽船に於て、桑港及び南米西岸両線に関する一切の営業権及び其使用船八艘を現物出資として資本金六百弐拾五万円の第二東洋汽船株式会社を新設し、次で之を当社に合併したる上解散することに協定せり。
 斯くて二月二十二日東洋汽船会社は新会社設立の手続を完了するや即日当社は右新会社即ち第二東洋汽船会社と合併仮契約を締結し、尋で三月十日両社は夫々臨時株主総会を開催して合併仮契約に対する承認を得、玆に両社の合併契約は正式に成立したり。即ち当社は此臨時総会の決議に依り、新に資本金六百弐拾五万円を増加して現在の資本金たる壱億六百弐拾五万円とせり。
 合併契約の実行 合併契約成立すると共に、両社は船舶・店舗の授受を開始し、五月十四日を以て合併契約を実行し、六月十二日横浜港に於ける楽洋丸の授受を最後として合併に関する事務を完了せり。其経過概要左の如し。
 (イ)船舶の授受 船舶は凡て其当時実行中の航海を終へ横浜帰著の上授受することと為し、左記の如く其引継を完了せり。

              (船名)      (引継日)
              天洋丸       三月十一日
              これや丸      三月二十二日
   桑港線使用船     春洋丸       四月六日
              さいべりや丸    四月十九日
 
右四艘の外本線使用の大洋丸は、当時大蔵省の委託船なりし関係上当社は五月五日大蔵省と同船の運用委託契約を結び(同日引継)、爾来引続き運用せしが、昭和四年五月四日同じく大蔵省の委託船吉野丸と共に之が払下を受けたり。
  因に記す、曩に世界大戦の結果帝国政府が賠償船として取得せる独逸汽船六艘の処分及び回航に関し、当社は政府の依嘱に因り、其中二艘を英国に於て売却し爾余の四艘即ちカプ・フィニスター号(大正十年一月三十日横浜回著・大洋丸と改称)、クライスト号(同十年一月二十三日回著・吉野丸と改称)、ビーレフェルド号(同十年四月十日回著・光文丸と改称)、及びノルマニア号(同十年四月十六日回著・日高丸
 - 第51巻 p.484 -ページ画像 
と改称)を幾多の困難を排し損益を顧みずして回航の任務を果したり又吉野丸は大蔵省より払受くるや、直に之を近海郵船会社に譲渡し、現に同社に於て逓信省命令航路基隆神戸線に使用中なり。

              (船名)      (引継日)
              銀洋丸       三月十一日
              安洋丸       三月十九日
   南米西岸線使用船   墨洋丸       五月一日
              楽洋丸       六月十二日

 (ロ)店舗の継承 三月十五日横浜・神戸・門司・上海・香港の五店を継承せるを最初とし、四月三十日桑港出張所を、五月一日ホノルル、カイヤオ両店継承を最後に、各地支店・出張所・代理店の継承を完了せり。
 依て契約に依る合併実行日たる五月十四日、当社は第二東洋汽船会社より其総株式を受領し、之に対し一対一の割合にて額面五拾円全額払込済の当社株式拾弐万五千株を東洋汽船会社に交付し、以て合併契約の実行を完了し、玆に当社は香港・桑港を両端港とする桑港線と、香港・バルパライソ(智利国)を起終点としてマンザニヨ港(墨西哥国)を寄港地の一とする南米西岸線との経営に膺ることとなれり。
 斯くて約四十年の過去に於て、当社が外交上・軍事上及び経済上の見地より逸早く太平洋の航権把握の急務を政府当局に稟申し、明治二十年に於ては墨西哥太平洋汽船会社より其東洋航路を買収せんと計り翌二十一年更に米国オー・オー汽船会社の桑海航路を併合せんと企てて果さざりし宿志(第二編第一章第一節参照)を今や貫徹し、桑港にマンザニヨ港に二引の社旗を翻へすに至りしは当社の殊に満足する所なり。


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK510105k-0002)
第51巻 p.484-485 ページ画像

渋沢栄一日記 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 快晴 寒
○上略 八時半浅野総一郎氏来リ、汽船会社併合ニ付、計算ノ事ヲ詳陳ス
○下略
   ○中略。
一月十二日 曇 軽寒
午前○中略 時事新報社員来リ、日本郵船・東洋汽船両会社合同問題ノ事ヲ質問セラル○下略
一月十三日 晴 寒
午前七時起床入浴朝飧ヲ畢リ、浅野総一郎氏来訪、郵船・東洋合併ノ問題ニ付種々ノ意見ヲ開陳ス○下略
   ○中略。
一月十六日 曇 寒
午前○中略 井上準之助氏来リ、郵船・東洋汽船二会社合併ノ事ヲ内話ス明後十八日郷氏ト共ニ二会社重役等ト会見ノ事ヲ協議ス○下略
   ○中略。
一月十八日 晴 寒
○上略 午前十時半銀行倶楽部ニ抵リ、郷男爵・井上準之助二氏ト共ニ日本郵船会社・東洋汽船会社合併ノ件ニ付協議シ、共ニ両社ノ重役ヲ招
 - 第51巻 p.485 -ページ画像 
致シテ合併条件ヲ説示ス、郵船ハ社長以下三名、東洋ハ社長以下四名来リテ種々ノ談話ヲ交換ス、午後一時過右談判畢リテ帰宅ス○下略
   ○中略。
一月二十日 晴 寒
午前七時起床入浴朝飧ヲ畢リ、安田銀行主任結城豊太郎氏来訪、東洋汽船会社ニ関スル金融ノ整理ニ付種々ノ談話ヲ為シ、頃日来ノ日本郵船会社ト合併問題ヲ詳話ス○下略
一月二十一日 快晴 寒
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ○中略 太刀川又八郎氏来訪、郵船・東洋汽船合併ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
一月二十三日 快晴 寒
午前○中略
井上準之助氏ヨリ日本郵船・東洋汽船両会社合同ノ件ニ付銀行倶楽部集会ノ事ヲ電話シ来ル、浅野総一郎氏来リ、東洋汽船会社合併ノ事ニ付談話ス○中略午後三時銀行倶楽部ニ抵リ、日本郵船・東洋汽船ノ両会社合併ノ件ニ付、郷・井上二氏ト共ニ両会社重役ニ会話ス○下略
   ○中略。
二月五日 晴 寒
○上略 午飧後○中略 海員協会員来リ、郵船・東洋合併ノ事ニ付談話アリ
○下略


中外商業新報 大正一五年一月一七日 政府の北米新船案に郵船は運航受諾 東汽合同案いよいよ実現せん(DK510105k-0003)
第51巻 p.485-486 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月一七日
    政府の北米新船案に
      郵船は運航受諾
        東汽合同案いよいよ実現せん
安達逓相の提案に係る北米航路の新経済船三隻の建造問題に関し、日本郵船会社は逓信省からの内示に依つて、同船建造後の運航収支予算その他総てに亘つて詳細調査
 研究中 であつたが、右調査は旧冬漸く完成したので、その結果を取敢ず政府当局に回答した由である、それによれば、政府の指示案たる一万四千トン級、デーゼルヱンジン船三隻、速力十八ノツト、航海度数年十七往復、補助年額二百八十六万円で以て大体郵船会社において引受け運航し得るといふにある、そして郵船会社が政府案通り新船を建造し、予定の補助金を交付さるゝとして、収支計算は大体一ケ年十万円の欠損を生ずる由で、これが欠損額は多年政府の補助奨励を受け来つた手前、これを犠牲に供するも苦しからずとの意向を有してゐる、されば郵船会社の回答によつて政府が
 補助案 に対する議会の協賛を経たならば、直ち受命会社を郵船会社とするか否かを決する訳であつて、これを機会に予て懸案となりをる東洋汽船会社との合同問題が具体化するものと確信されてゐる、現に郵船会社の新船建造調査終了に依つて、東洋汽船会社との合同交渉は再開され、新春匆々斡旋役の井上準之助氏は浅野東洋汽船社長を訪ね、合同の根本案に対しその諒解を求めたところ、これまで合同に反
 - 第51巻 p.486 -ページ画像 
対意見を支持した浅野社長も、略承諾の旨を回答したと伝へられる、さればこれより愈々
 実際的 条件を取まとむべく交渉を開始する段取となつたが、大体郵船会社の提案する東洋汽船の合同物件たる船舶中、貨物船を切り放ち定期船だけを引受くることには東洋側も異存ないが、その提供株数の郵船株十万株では一概に承諾し難く、東洋側では暗に十三・四万株以上を希望してゐるから、この両者の主張を如何に取纏めるかに依つて決せられるのであると


中外商業新報 大正一五年一月一九日 郵船東汽合併の条件を正式に提示 渋沢子・郷男・井上の三斡旋役が十八日両社重役を招き(DK510105k-0004)
第51巻 p.486-487 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月一九日
    郵船東汽合併の条件を正式に提示
      渋沢子・郷男・井上の三斡旋役が
        十八日両社重役を招き
日本郵船・東洋汽船両社の合併問題は既報のごとく、安達逓相の提案に係る北米航路経済新船の建造運航に関し、日本郵船が政府の補助案で運航可能との回答をなせるに依り、旧冬来
 斡旋役 の一人たる井上準之助氏が主として東洋汽船側との折衝を重ねたところ、浅野東汽社長も合併の根本案に賛意を表したので、斡旋役たる渋沢子・郷男・井上氏等は十八日午前十時半丸の内銀行クラブに日本郵船・東洋汽船両社重役を招いて、正式に合併に関する調停条件を提示した、同日は郵船側から白仁社長、武田・大谷両専務、東洋汽船側から浅野社長、白石・浅野(良三)・高野の各取締役出席し、先づ最初に郵船側が三斡旋役から調停条件を聴取したに次で、別室に控へた東洋汽船側が別個に同様条件を聴取し、何れ両社とも重役会並に関係方面の
 諒解を 求めた後三斡旋役の手許まで回答すること、合併条件に関しては絶対秘密を守ることを約して正午散会した、従つて合併調停条件の内容は前記のごとく秘密厳守を申合せられたるにより詳細不明なるも、仄聞するところによれば、その合併提出物件は東洋汽船現在の所有財産中
 一、北米航路サンフランシスコ命令線の天洋丸(一三、四〇一総トン)、春洋丸(一三、〇三九総トン)
 一、ホンコン=桑港線のコレア丸(一一、八〇九総トン)、サイベリア丸(一一、七九〇総トン)
 一、南米航路西岸命令線の楽洋丸(九、四一八総トン)、安洋丸(九、二五六総トン)、墨洋丸(八、六〇三総トン)、銀洋丸(八六〇〇総トン)
以上総計船舶八隻、八万五千九百十六総トン並に政府
 委託船 大洋丸(一四、四五七総トン)の各定期線船舶及び北米・南米両航路権等を含み、これで東洋汽船会社は合併の目的を以て右現物出資に依る新会社を設立し、郵船会社に船舶及び航路権を交付せんとするにある、そして郵船会社は右新会社の合併に依り増資を行ひ、この増資株を東洋汽船側に交付するのであつて、その交付株数は絶対不明なるも、郵船側が当初斡旋役に通知した十万株では、東洋側にと
 - 第51巻 p.487 -ページ画像 
り余り苛酷に失する嫌ひありとし、一方東洋側の主張したる十四・五万株との中間、即ち約十二・三万株を適当な株数と認め、調停
 条件と して提示したらしい、右の条件により郵船・東洋汽船の両社が果してこれを無条件で承諾し、三年越し懸案の合併案が直に円満成立を得るか否か頗る興味ある問題といふべきである


中外商業新報 大正一五年一月二一日 いよいよ郵船と東汽 合併確定す 郵船株十二万五千株で北米航路補助案の通過後決行(DK510105k-0005)
第51巻 p.487-488 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月二一日
  いよいよ郵船と東汽
    合併確定す
      郵船株十二万五千株で
        北米航路補助案の通過後決行
日本郵船・東洋汽船両社の合併調停案に対する賛否について、既報の如く郵船は二十日午後二時から、東洋汽船は同日正午からそれぞれ臨時重役会を開いて、渋沢子・郷男・井上氏の三斡旋役から提示された調停案を審議したところ、両社とも斡旋役諸氏の労を多としその調停案を異議なく
 承認する ことに決定した、即ち郵船会社は白仁社長以下重役全員出席して調停案並に今後の対策に関し協議した結果、調停案を無条件承認し、三斡旋役への合併承認に対する回答は東汽側の態度決定と同時に報告すること、三斡旋役を顧問とし両会社代表者を以て合併委員会を組織し、仮契約の調印を経た後両社臨時重役会を開いて、合併仮契約の承認を求め、本契約は北米航路補助案の議会通過を俟ちて行ふことに決定した、一方東洋汽船は郵船側とほゞ同様の意味において合併案を承認することゝしたが、債権者たる安田銀行に対し正式の承認を求めねばならぬと同時に
 債権整理 例へば利息引下げその他細目について決定し置くの必要あるため、同日は確定までに行かなかつた、併し合併案には同様安田銀行結城副頭取の諒解を得たにより、二十一日の重役会では単に報告の承認に止まり、こゝに両社とも合併調停案を無条件承認することゝなつたのである、両社重役会で承認した合併調停条件の内容左の如し
    合併条件
 一、東洋汽船会社は同社所有船舶中、天洋・春洋・コレア・サイベリヤ・楽洋・安洋・墨洋・銀洋の八隻(外に政府委託船大洋丸を含む)並に北米・南米両航路権を譲渡する目的を以つて切放ち、この現物出資により資本金六百二十五万円(全額払込)の新会社を設立し、郵船会社一株五十円払込み株金一株との対等条件で郵船会社と合併し、郵船株十二万五千株の交付を受くること
 一、郵船会社は東洋汽船の北米・南米両航路権及び就航船舶を譲受くるべく前記東汽側新会社と合併し、その代償として郵船株一株五十円払込株式十二万五千株を東汽側に交付すること
 一、右合併付帯条件として(イ)両社株主総会の承認を経た場合、(ロ)五十一議会に於て逓信省所管の予算外国庫負担となるべき契約(北米航路経済船に対する十七年度から年額二百八十六万円の航路補助金交付)の議会を通過したる場合に限る
 - 第51巻 p.488 -ページ画像 
なほ右合併案成立の結果、郵船会社は現在資本金一億円に対し六百二十五万円(全額払込)を増資して、資本金一億六百二十五万円(払込み六千四百二十五万円)となり、東洋汽船会社は残余の
 所有船舶 十隻を以て貨物船主義により会社を存続し、専ら負債の整理をなす一方、右合併案に依り郵船からの交付株十二万五千株はこれを東洋汽船の名儀にて所有し、現在安田銀行に担保として質入物件となつてゐる前記郵船への提供物件、即ち船舶八隻との身替り担保として提供することに安田銀行側と諒解が出来てゐると


中外商業新報 大正一五年一月二二日 東洋汽船の合併整理に安田銀行承諾す 債権に対しては寛大の処置(DK510105k-0006)
第51巻 p.488-489 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月二二日
    東洋汽船の合併整理に
      安田銀行承諾す
        債権に対しては寛大の処置
郵船・東汽合併調停案については、既報のごとく両社とも廿日の重役会で無条件承認することゝなつたが、東洋汽船側としては三斡旋役に正式合併
 承認の 回答をなすについて債権者たる安田銀行との諒解を求めねばならないと同時に、北米・南米両航路権及び船舶譲渡後の善後策並に債務の整理方法を協議する必要がある、廿一日の継続重役会は主としてこの問題を打合せ、その決定案に基いて債権者側に示し正式に承認を得たので、同社は廿二日正午重ねて重役会を開いて議を纏めた後直に三斡旋役の手許まで合併調停案受諾の旨、正式回答をなすこととなつた、同日重役会の決定案
 要点は 左のごとし
 一、北米・南米両航路譲渡後の東汽は、主として残余の貨物船十一隻で会社を存続するが、前記譲渡航路船乗組の海員処分は、恩給並に退職手当を支給して一旦解雇した後、最善の努力を以て郵船側に引継ぎ交渉を為すこと、陸上社員に対しても最善の方法を執ること
 一、北米・南米両航路の逓信省受命会社が日本郵船に変更することとなるに依り、これ等総ての手続きについて逓信省と交渉をすること
 一、両航路権及び船舶譲渡に依る合併新会社設立方法として、既報のごとく現物出資に依り資本金六百二十五万円(全額払込)の会社を設立し、郵船株一株との対等条件で合併すること
 一、債権者たる安田銀行に対し、郵船からの交付株券は東洋汽船名儀で所有し現在安田銀行に担保物件として提供しある船舶八隻とこの郵船株と入替へること、並に債務の利払その他整理方法について安田銀行の諒解を求むること
なほ同重役会決定案に基いて、浅野良三氏は安田銀行に結城副頭取を訪ね
 懇談し た結果、安田側は飽までも債務者将来の成り立つやう、かつ権債者にも特に迷惑とならざる範囲において頗る寛大な処置を執り互譲に依り東洋側の希望条件を承認し、大体左の方法を以て債務整理
 - 第51巻 p.489 -ページ画像 
を行ふことゝなつた
    東洋汽船整理案
 一、東洋汽船会社は郵船会社からの交付郵船株(東汽所有名儀の)十二万五千株を、現在担保物件として債権者に質入れしある船舶八隻と入替へること
 一、交付郵船株は将来株価の昂騰した適当の時期に於て処分し、安田銀行への債務を整理すること
 一、債務償還期限は特にこれを明記せず、適当の時期とす
 一、現在安田銀行の保有する支払手形約二千百万円に対しては切り下げ整理を為すことをしないが、今後の利息については多大の切り下げを為し大体交付郵船株の配当金を以て利払に充当すること
 一、東洋汽船会社は将来減資することゝするが、この減資に依つて未払込株金に対する株主の義務を失はしめざる方法に依つてこれを行ふこと


中外商業新報 大正一五年一月二三日 郵船への船舶譲渡後東洋汽船は減資 半額の千六百二十五万円に(DK510105k-0007)
第51巻 p.489 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月二三日
    郵船への船舶譲渡後
      東洋汽船は減資
        半額の千六百二十五万円に
日本郵船に北米・南米両航路権並に船舶八隻を譲渡後の東洋汽船会社整理案に関しては、既報の通り債権者たる安田銀行が頗る
 寛大な 処置に出で総て決定したので、いよいよ廿三日午後正式に合併調停案承認の共同回答をなすことゝなつた、東洋汽船としてはこの合併成立を機会に船価償却整理並に減資を断行することに決定した即ち現在同社負担は社債九百七十五万円の外、安田銀行への支払ひ手形二千百万円合計三千万余円あり、これ等は帳簿上差当りそのまゝ存続し、何等整理することをせぬが、その担保物件には郵船会社からの交付株券を身替りとして提供し、利息はその交付株券の配当金を以て大体充当することゝした、これと同時に
 船価は 帳薄上三千八百四十余万円を計上してあるから、前記船舶八隻郵船へ譲り渡しと共にこれが切り下を為す必要あり、また一方前期決算において繰越欠損額五百七十六万八千余円を算するから、これが整理を行ふと同時に、現在資本金三千二百五十万円未払込(九百七十五万円)を、大体半額の千六百二十五万円に減資し、この減資に依つて欠損額その他の償却整理を決行するのである、そして未払込金も右減資に依り半額の四百八十七万五千円に減額するはずで、合併契約成立後改めて株主
 総会を 開いてこの減資案を附議するはずであると、因に現在同社の社債発行総額は九百七十五万円で、この内七百万円は本年五月廿九日、二百七十五万円は明年十一月廿日の償還期限である、これ等社債は既償還社債のごとく安田銀行の保証はないが、受託銀行として安田銀行でも考慮し、期限には全部償還することに諒解が出来てをり、また東汽解雇社員並に海員の恩給及び退職手当資金は、東汽所有財産の処分に依つて調達することに決定してゐる由である
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中外商業新報 大正一五年一月二四日 郵船と東汽の合併 近く仮調印を 減資後の東汽は配当可能(DK510105k-0008)
第51巻 p.490 ページ画像

中外商業新報 大正一五年一月二四日
    郵船と東汽の合併
      近く仮調印を
        減資後の東汽は配当可能
日本郵船と東洋汽船との合併調停案(東汽北米・南米航路権及び船舶八隻の譲渡)に関し既報のごとく両社とも無条件で承認したので、これが共同回答のため両社重役並に渋沢子・郷男・井上氏の三斡旋役は廿三日午後三時丸の内銀行クラブに会合した、先づ三斡旋役は郵船側重役から合併承認の
 回答 を聴取した後、東洋汽船側から同様の回答並に航路権及び船舶譲り渡し後の善後処置についての要項を聴取したので、改めて三斡旋役立会の上両社重役の顔合せをなし、正式に合併承認の手打ちを行ひ、こゝに三年越し懸案だつた北米航路維持を目的とする郵船・東洋汽船両社の変態的合併案が決定した、そして合併契約調停委員として郵船側から武田・大谷両専務、東洋汽船側から浅野(良三)・高野両氏都合四氏を挙げ、直に合併委員会を開いて合併仮契約調印の手続きを執ることゝなつた、なほ前記北米・南米両航路権及び船舶八隻を譲り渡し後の東洋汽船会社は、貨物船十一隻を
 所有 して貨物船主とし既報のごとく資本金三千二百五十万円を半額の千六百二十五万円に減資し同時に未払込金も半額の四百八十七万五千円に減少して繰越欠損及び船価償却金等に充当し社内の整理を断行することゝし、債権者たる安田銀行に対しては合併に依る郵船からの交付株券十二万五千株を、現在安田への支払手形二千百万余円の担保として入替へ、また社債九百七十五万円には残存貨物船十一隻を担保に提供し、差当り本年五月廿九日償還期限の社債七百万円は、安田側において責任を以て償還支払をなすことゝし、更に債務利払は大体郵船からの交付株券の配当金を
 充当 し、今後東洋汽船所有船十一隻の利益金は約半額を債権者に利息として提供し、残り半額は株主に配当し、行く行くは株主配当を充分ならしめるやうな整理案が出来てをる、また東洋汽船の解雇社員(海陸員とも)は出来得る限り郵船側に引継ぐことに郵船側との諒解が成つた、それで東洋汽船では、合併成立と共に海陸員を一旦解雇した上郵船へ引継ぐはずで、その解雇手当及び恩給金百数十万円は略規定通り支給し、その資金は一部財産処分並に安田銀行からの融通に依り調達することになつてをり、債権者側との交渉は総て円満に解決したと


中外商業新報 大正一五年一月二六日 郵船と東洋汽船 合併仮契約要項 廿五日両社委員の会合協議(DK510105k-0009)
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中外商業新報 大正一五年一月二六日
    郵船と東洋汽船
      合併仮契約要項
        廿五日両社委員の会合協議
日本郵船・東洋汽船合併調停案は既報のごとく三斡旋役立会の上両社重役間に承認されたが、右合併調停案に基いて合併仮
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 契約 を結ぶべく廿五日午後三時郵船本社で合併委員会を開いた、出席者は郵船側大谷・武田、東洋汽船側浅野・高野の各専務で、左の合併仮契約書の要項を審議した
    合併仮契約要項
 一、東洋汽船会社は北米・南米両航路権及び就航船八隻を譲渡すべく郵船会社に合併する目的を以て、新会社(多分第二東洋汽船会社と称し資本金六百二十五万円とす)を設立すること
 二、前記船舶の引渡時期
 三、仮契約成立の附帯条件として、北米航路新造船の航路補助案が議会の協賛を経た後、並に受命会社の変更手続きを終了した後に於て合併契約の効力を発生すること
 四、合併前後の債権債務の責任所在(合併以前の債権債務の一切は東洋汽船で引受け、それ以後郵船側で引受けること)
右の要項を大体決定して原案を
 作成 することゝし、これが逐条審議の上仮契約に調印することゝした、そして第二回委員会を廿七日午後三時続開し、至急仮契約書を作成し今後一週間以内に仮契約に調印するはずであると、因に東洋汽船では仮契約調印と同時に新会社設立の手続を執り、これに先だち大株主会を招集して郵船との合併案(一部船舶処分)に伴ふ債務整理並に減資案等について諒解を求むる由


東京朝日新聞 第一四二五八号 大正一五年二月二日 郵東合併の仮契約案決定(DK510105k-0010)
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東京朝日新聞 第一四二五八号 大正一五年二月二日
    郵東合併の
      仮契約案決定
郵東合併委員会は、一日の会議にて合併仮契約案の審議を終了決定したが、不日逓信省の諒解を得次第両社重役会に付議し仮調印の予定である、右調印後東洋汽船は十六日頃臨時株主総会を工業クラブに開き第二東洋汽船会社の新設とを合せて付議し、郵船は東洋の決定後三月中旬臨時株主総会を開く事となつた


東京朝日新聞 第一四二五九号 大正一五年二月三日 漸く出来上つた郵東合併仮契約案の内容 近く逓信省へ内伺ひ(DK510105k-0011)
第51巻 p.491-492 ページ画像

東京朝日新聞 第一四二五九号 大正一五年二月三日
    漸く出来上つた
      郵東合併仮契約案の内容
        ――近く逓信省へ内伺ひ――
郵東合併委員会が一日仮契約案の成案を得た事は既報の通りであるが
右成案は渋沢・井上・郷
 三斡旋役に 報告承認を得る所があつたから、三日午後郵船側より大谷・武田両専務、東汽側より浅野・高野両重役、逓信省を訪ひ内諾を求むるはずであるが、合併仮契約案十一ケ条内容は次の如くである
      合併契約案
一、東汽は天洋丸・春洋丸・これや丸・さいべりや丸・楽洋丸・安洋丸・銀洋丸・墨洋丸並に北米航路桑港線及南米航路西岸線に関する一切の営業権を物的出資とし、第二東洋汽船会社を新設して、郵船会社に合併す
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一、郵船は東汽の物的出資に対する代償として同社五十円払込済株十二万五千株を東汽に提供す
一、提供船舶の現実引渡までに生じたる危険負担は東汽において之を引受く
一、船舶の引渡は原則として横浜において之をなす、但し引渡の日時は別に協定す
一、右八隻の船舶保険は現実引渡の時各船につき郵船に之を引継ぐ
一、東汽は何等の負担なき状態において船舶の引渡を担保す
一、郵船及第二東洋汽船は三月中に合併臨時株主総会を開く
一、両社合併の実行日を五月中旬とす
一、両社の合併は桑港線補助案が議会を通過する事を条件とす
一、逓信省が桑港線の受命につき東汽より郵船に受命方変更の認可を以て合併の条件となす
一、東汽社員の後始末は東汽自身において之をなす


東京朝日新聞 第一四二七三号 大正一五年二月一七日 東汽臨時総会 第二東汽設立と合併承認(DK510105k-0012)
第51巻 p.492 ページ画像

東京朝日新聞 第一四二七三号 大正一五年二月一七日
    東汽臨時総会
      第二東汽設立
      と合併承認
東洋汽船は十六日午後二時より工業クラブに臨時株主総会を開き、郵東合併の前提たる第二東洋汽船の設立に関する左記議案を付議したが二・三質問ありたるのみにて平穏裏に議案を一括可決した
    決議事項
一、天洋丸・春洋丸・これや丸・さいべりや丸・楽洋丸・安洋丸・銀洋丸・墨洋丸並に北米航路桑港線及南米航路西岸線に関する一切の営業権を物的出資として第二東洋汽船会社を新設し、次で之を郵船会社に合併する事、但し右合併により同会社より交付さるべき同社株式は五十円払込済十二万五千株とす
二、第二東洋汽船会社の設立に関する一切の手続、並に同会社を郵船会社に合併する条件の細目協定に付ては取締役に一任する事
三、第二東洋汽船会社の取締役及監査役の選任は取締役に一任する事
然して第三項の取締役・監査役は、社長浅野総一郎氏、取締役は浅野(良三)・大川・白石・橋本・高野の現重役、監査役は田中・河合の現監査役を選任する事に内定し、十八日の創立総会に付議決定するはず


東京朝日新聞 第一四二七五号 大正一五年二月一九日 郵東合併調印(DK510105k-0013)
第51巻 p.492 ページ画像

東京朝日新聞 第一四二七五号 大正一五年二月一九日
郵東合併調印 十六日郵船会社において郵東両社代表会合し、合併仮契約案の仮調印を了した、正式調印は五月中旬の予定


東京朝日新聞 第一四二七五号 大正一五年二月一九日 東汽社員の採用問題解決(DK510105k-0014)
第51巻 p.492-493 ページ画像

東京朝日新聞 第一四二七五号 大正一五年二月一九日
    東汽社員の
      採用問題解決
郵船会社及び第二東洋汽船の合併臨時株主総会は三月十日両社同時に
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開催、郵船と東汽及び郵船と第二東汽の仮合併契約案を付議し正式の調印をなす事に決定したが、郵船では十九日重役会議を開き、第二東汽との仮契約案及総会の件を付議するはずである、尚問題となつて居る東汽社員の郵船採用問題は、両社数次交渉の結果
 下級船員 約八百名、高級海陸勤務数十名を郵船に採用方交渉成立を見た、但し船長・機関長・一等運転士級は全部郵船現社員を以て之に充当する事に決し、夫々人選中であるが、差当り三月初旬横浜入港の天洋丸は、右総会の決定を見るまで横浜にてい泊せしめ、幹部の人選と共に船舶の引継を開始する事となつて居る


日本郵船株式会社株主書類(DK510105k-0015)
第51巻 p.493-496 ページ画像

日本郵船株式会社株主書類         (渋沢子爵家所蔵)
          (渋沢)(明石)(渡辺)
(印刷物)      (印)  (印) (印)
             明六 白石 (印)
                        (別筆)
                        2月24日委任状発送済
拝啓 左ノ目的ヲ以テ来三月十日午後二時ヨリ、東京市麹町区永楽町一丁目一番地当会社本店ニ於テ臨時株主総会相開候間、御出席被成下度此段得貴意候 敬具
  大正十五年二月二十三日
               日本郵船株式会社
                 取締役社長 白仁武
    株主各位
  追申 今回ノ総会ハ出席株主及株数共ニ総数ノ半数以上ヲ要シ候ニ付、万一御差支有之御出席難相成トキハ、至急別紙委任状用紙ヘ御記名御捺印(予テ当社ヘ御届出ノ印章)ノ上御送付被下度、然ルトキハ当日出席ノ株主中ヘ御代理相頼可申候

    臨時株主総会ノ目的事項
第一項 東洋汽船株式会社ト締結シタル契約(左記甲号)及ヒ、第二東洋汽船株式会社ヲ合併スル為メ締結シタル仮契約(左記乙号)承認ノ件
     尚右合併契約遂行ニ必要ナル事項ノ協定執行ヲ取締役ニ一任スルコト
第二項 右合併成立ノ場合ニハ左ノ通リ定款ヲ変更スルノ件
     一、定款第四条中「壱億円」トアルヲ「壱億六百弐拾五万円」ト改ム
     一、定款第二十三条中「弐百万株」トアルヲ「弐百拾弐万五千株」ト改ム
     一、定款第二条ノ末尾ニ左ノ通リ追加ス
       「桑港支店 北米合衆国桑港」
            以上

(甲号)
      契約証書
東洋汽船株式会社(以下東洋ト称ス)カ経営スル北米航路桑港線及ヒ
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南米航路西岸線使用船並ニ当該両航路一切ノ営業権ヲ日本郵船株式会社(以下郵船ト称ス)ニ譲渡スルハ帝国ノ海運国策ニ順応スル所以タルヘキヲ以テ、両会社役員会ハ互譲妥協ノ精神ヲ以テ慎重審議ノ上之カ斡旋者タル子爵渋沢栄一・井上準之助及ヒ男爵郷誠之助三氏ノ提案ヲ最モ適当ナリト認メ、前記両航路使用船及ヒ営業権ノ譲渡ニ付契約ヲ締結スルコト左ノ如シ
第一、郵船カ東洋ヨリ譲受クヘキ物件
 (一)左記汽船八隻
   但法定属具・無線電信設備・貨客搭載設備及ヒ什器備品等一切ヲ具ヘ、堪航状態ヲ完備スルコト
  天洋丸     総噸数  一三、四〇一噸
  春洋丸     同    一三、〇三九噸
  コレヤ丸    同    一一、八〇九噸
  サイベリヤ丸  同    一一、七九〇噸
  楽洋丸     同     九、四一八噸
  安洋丸     同     九、二五六噸
  銀洋丸     同     八、六〇〇噸
  墨洋丸     同     八、六〇三噸
 (二)北米航路桑港線及ヒ南米航路西岸線ニ関スル一切営業権
第二、郵船ヨリ東洋ニ交付スヘキ対価
 各株金五拾円払込済ノ郵船株式拾弐万五千株
第三、譲渡ノ実行ハ、東洋ニ於テ何等ノ負担ナキ譲渡物件ノミヲ資産トスル株式会社ヲ別ニ設立シ、郵船ハ之ヲ合併シテ前項ノ対価ニ相当スル増資株式ヲ交付スル方法ニ依ル事
 右新会社ノ設立、譲渡物件及ヒ合併後ノ営業ニ重要ナル影響ヲ及ホスヘキ一切ノ事項ニ就テハ、新会社設立ノ前後ヲ問ハス東洋又ハ新会社ハ予メ郵船ニ打合ノ上之ヲ処理スル事
第四、郵船ヨリ東洋ニ交付スル対価ハ、何等ノ負担ナキ完全ナル状態ニ於ケル譲渡物件ヲ標準トシテ定メタルモノナルヲ以テ、東洋ハ合併実行迄譲渡物件カ右状態ニ於テ現存スルコトヲ担保シ、不可抗力ニ因ル場合ト雖モ譲渡物件ノ負担・滅失・毀損其他新会社ノ債務等ニ起因シ郵船カ被ルコトアル可キ損害ノ塡補ヲ為スヘク、且之ニ関シ郵船カ満足スル適当ナル保証ヲ立ツル事
  但合併実行前ニ郵船ノ使用人カ乗込ミタル船舶ニ付テハ、其乗込後ニ生シタル船舶及ヒ航海ニ関スル損害ハ郵船ニテ之ヲ負担シ、合併実行後尚東洋ノ使用人カ乗込居ル船舶ニ付テハ、郵船ノ使用人カ乗込ミテ其引渡ヲ受クル迄ニ生シタル船舶及ヒ航海ニ関スル損害ハ東洋ノ負担タル事
第五、合併実行日ヲ大正拾五年六月壱日トシ、合併契約ノ承認ヲ求ムル為メ、新会社及ヒ郵船ハ夫々可成参月拾五日以前ニ株主総会ヲ開催スル事
  但六月壱日以前ニ於テ合併可能トナリタルトキハ其以前ニ於テ、又右六月壱日ニ合併ヲ不能ナラシムル事件発生シタルトキハ大正拾五年拾月末日迄ノ期間内ニ限リ、更ニ協議ノ上合併実行日ヲ変
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更スル事
第六、東洋ハ直接ナルト間接ナルトヲ問ハス、郵船ノ継承スル桑港及ヒ南米ノ両航路ニ於テ、将来貨客又ハ貨物運送ノ定期航海ニ従ハサル事
第七、東洋及ヒ新会社ハ本件譲渡航路ニ関スル重要ナル事項ノ処理ニ付テハ、一切予メ郵船ノ承諾ヲ得ヘキ事
第八、本契約ノ遂行完了ニ至ルマテノ間ニ於テ、両社間ニ意見ノ一致ヲ見ル能ハサル事項発生シタル場合ニハ、前記ノ斡旋者ニ其裁定ヲ一任スル事
第九、新会社ノ合併其他物件及ヒ営業ノ受授等本契約ノ遂行ニ必要ナル事項ニ付テハ、別ニ夫々予メ協議ノ上契約書又ハ協定書ヲ作成スル事
第十、本契約其他譲渡実行ニ関スル一切ノ契約ハ、政府提出ノ予算カ本年拾月末日迄ニ決シ、政府ノ桑港航路新命令確定シ、郵船カ之ニ基キ受命者タルコト決定シ、並ニ現存桑港・南米両航路ノ受命者タルコトカ決定セラレ、且関係会社ノ法定株主総会ニ於テ夫々之ヲ可決シタル上、監督官庁ノ認可ヲ得ルコトヲ必要条件トシ、以上何レニテモ不能トナルトキハ其効力ヲ失フモノナル事
右契約ノ証トシテ本書弐通ヲ作成シ、各自壱通ヲ所持スルモノ也
  大正拾五年弐月拾六日
               日本郵船株式会社
                取締役社長 白仁武
               東洋汽船株式会社
                取締役社長 浅野総一郎

(乙号)
      合併仮契約書
日本郵船株式会社(以下単ニ甲ト称ス)ト第二東洋汽船株式会社(以下単ニ乙ト称ス)トノ間ニ於テ、両会社ヲ合併スル為メ契約ヲ締結スルコト左ノ如シ
第一条 甲乙両会社ヲ合併シテ甲ハ存続シ乙ハ解散スルモノトス
第二条 甲ハ合併ノ結果トシテ資本金六百弐拾五万円ヲ増加シ、其増加ニ因ル株式ハ合併実行日ニ於ケル乙ノ最後ノ株主ニ対シ乙ノ株式額面五拾円全額払込済壱株ニ付甲ノ株式額面五拾円全額払込済壱株ノ割合ヲ以テ之ヲ割当交付スルモノトス
第三条 乙ハ此仮契約締結後其所有ニ係ル一切ノ資産及ヒ権利ノ管理保存ニ関シ最善ノ注意ヲ為シ、資産及ヒ権利ノ処分、新ナル義務ノ負担、北米航路桑港線及ヒ南米航路西岸線ノ両航路ニ関スル重要ナル事項、及ヒ合併後ノ営業ニ重要ナル影響ヲ及ホスヘキ一切ノ事項ニ付テハ、予メ書面ヲ以テ甲ノ承認ヲ経ルコトヲ要ス、但営業上日常ノ取引ニ付テハ此限ニアラス
第四条 甲カ合併ニ依リ発行スル株式ニ対スル配当金ハ合併実行ノ日ヨリ日割計算ニ依ルモノトス
第五条 合併実行日ヲ大正拾五年五月拾四日トス、但右五月拾四日ニ
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合併ヲ不能ナラシムル事件発生シタルトキハ、大正拾五年拾月末日迄ノ期間内ニ限リ更ニ協議ノ上合併実行日ヲ変更スルモノトス
第六条 此仮契約ニ規定セルモノノ外合併遂行ニ必要ナル事項ハ、甲乙ノ代表者ニ於テ之ヲ協定ノ上執行スルコトヲ得ルモノトス
第七条 甲及ヒ乙ハ此仮契約ノ承認並ニ其実行ニ関シ必要ナル決議ヲ経ル為メ、可成大正拾五年参月拾五日以前ニ各株主総会ヲ開催スルモノトス
第八条 此仮契約ハ甲乙各株主総会ニ於テ其承認ヲ経ルコト能ハサルトキハ其効力ヲ失フモノトス
第九条 此仮契約ハ甲乙各株主総会ニ於テ承認ヲ経タル上相互ニ其通知ヲ為シ、之ヲ以テ本契約ト為スモノトス
第十条 本契約成立ノ後ト雖モ之カ実行ニ関シ監督官庁ノ認可アルコト、政府提出ノ予算カ大正拾五年拾月末日迄ニ決定シ、政府ノ桑港航路新命令確定シ、甲カ之ニ基キ受命者タルコト決定シ、並ニ甲カ現存北米航路桑港線及ヒ南米航路西岸線ノ両航路ノ受命者タルコトカ決定セラルルコトヲ必要条件トシ、以上何レニテモ不能トナルトキハ本契約ハ当然其効力ヲ失フモノトス
右契約ノ証トシテ本書弐通ヲ作成シ、各自壱通ヲ所持スルモノ也
  大正拾五年弐月弐拾弐日
               日本郵船株式会社
                取締役社長 白仁武
               第二東洋汽船株式会社
                取締役社長 浅野総一郎


(白仁武) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年三月一〇日(DK510105k-0016)
第51巻 p.496 ページ画像

(白仁武) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年三月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
粛啓
愈々御清穆被為渉奉恭賀候、陳者予而不一方御高配相蒙り居候東洋汽船会社の桑港線及南米航路西岸線を其使用船と共に合併するの件々、本日臨時株主総会に於て満場一致を以て議決相成候間、不取敢此段御通知申上候 敬具
  大正十五年三月十日
                  日本郵船株式会社
                   社長 白仁武
    子爵 渋沢栄一殿


郷誠之助談話筆記(DK510105k-0017)
第51巻 p.496-497 ページ画像

郷誠之助談話筆記           (財団法人竜門社所蔵)
                 昭和十一年十月九日 於同氏邸
    東洋汽船と郵船の合併
 その頃、子爵はもう実業界から引退されてゐたのだが、何かと皆が相談に行つてゐた。この時は表面に立たれることはなく、仕事は私と井上準之助とでやつた。井上は浅野側で、私は郵船側であつたが、浅野との交渉は渋沢さんにお願ひして、説得して貰つた。実をいふと、あの時はむしろ大部郵船の方に有利に終つた。後で浅野は泣いてゐた
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程でした。
 要するに、この問題は私と井上との間で折衝し解決案を作り、それを渋沢さんに報告して裁断して貰つたといふことになる。



〔参考〕井上準之助伝 井上準之助論叢編纂会編 第三三三―三四二頁 昭和一〇年四月刊(DK510105k-0018)
第51巻 p.497-500 ページ画像

井上準之助伝 井上準之助論叢編纂会編 第三三三―三四二頁 昭和一〇年四月刊
 ○第六編 第六章 財界世話業
    第二節 日本郵船会社と東洋汽船会社との合併
 我国海運業は欧洲大戦乱勃発と共に劃期的飛躍を遂げ、太平洋・印度洋はおろか、遠く大西洋にまで我船舶の進出を見た。然るに大正七年十一月、休戦条約の締結を見るに及んで、各国は自国産業の回復を計ると同時に、失はれたる海上権の奪回に努めた為め、我海運業は一朝にして其の地盤を失ふに至つた。加ふるに米国政府が其の剰余船舶を払下げ、東洋航路に優秀なるプレシデント型を出現さすに及んで、最大打撃を蒙つたものは命令航路たる桑港線を維持する東洋汽船であつた。元来東洋汽船は浅野総一郎氏の豪放なる経営の下にあつて、創立当初より放胆なる施設を為し、天洋丸・地洋丸の如き巨船を建造し其の船室には桑板を用ひて国内の桑樹を伐り尽し、其の相場を沸騰せしめたと噂された位積極政策を採つてゐた。従て創立後会社の営業成績は浮沈常なき状態であつたが、幸ひ欧洲大戦に遭遇するに及んで、未曾有の収益を挙げ、漸く同社の基礎は確立せられんとした。然るに此の収益を社内に留保することなく、拡張資金に充当したので、折角建直りかけた同社の資産内容は大戦終熄と共に再び悪化し、無配当に次ぐ無配当を余儀なくさるゝに至つた。それは同社の株主に多大の迷惑を及ぼしたばかりでなく、巨資を投じてゐる安田銀行をも危殆に陥れる結果を招いた。従て同社を其の儘に放置するに於ては桑港線の維持は勿論、会社そのものを破産に陥れる虞れがあつた。而して同社が自ら施設宜しきを得ずして倒産するのは已むを得ずとするも、我国策上、是非共維持しなければならぬ桑港線の為めに多額の補助金を交付してゐる政府として、之れを観過する訳にはいかなくなつた。此の国策上の立場から政府は郵船と東洋の両汽船会社を合併せしむる案を立て、屡々之れを両社に慫慂したのであるが、其の都度種々の障碍が生じて実現を見るに至らなかつた。而して当時より此の合併問題の斡旋役を引受けてゐたのが、渋沢栄一子を中心とする井上君と郷誠之助男であつた。渋沢子が我国財界の元老格として、斯の如き問題が起る場合に其の間の斡旋に当るのは当然であつたが、井上君は当時、日本銀行時代の盟友であつた結城豊太郎氏を安田銀行に推薦した関係で、安田一家とは間接ながら縁故があつた。従て井上君は安田家の盛衰については十分の関心を持つ地位にあつたのである。而して大震災前に両当事者と斡旋者との間に具体化されてゐた合併案の大綱は、次の如きものであつた。
 一 東洋汽船より郵船会社へ引渡すものは
  (イ) 所有船舶全部と桑港線並に南米線の航路権
  (ロ) 政府よりの委託船大洋丸の運営権
  (ハ) 浅野造船所にて建造中の貨物船二隻(竣工の上引渡す)
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  (ニ) 神戸オリエンタル・ホテル
 二 郵船は之れに対し同社の五十円払込済株式三十万株を東洋汽船に交付する
 即ち郵船会社は千五百万円を以て東洋汽船の所有船・委託船、建造中の船舶並にオリエンタル・ホテルを買収するといふ案であつた。而して郵船の買収価格は額面からすれば千五百万円であるが、之れを当時の株価で換算すれば正に三千万円に相当した。東洋汽船は此の三千万円と残存財産約一千万円を以て外部負債二千五百万円を返済し、残金は株主に分配して解散するといふのであつた。
 右の案は郵船・東洋両会社の承諾を得、殆んど成立するばかりになつてゐた時、偶々関東地方に大震災が勃発して郵船株は百円搦みより八十五・六円に暴落した。それで東洋汽船は右の合併案を以て自社に不利と考へ、大正十三年の春更に五万株の増株を要求したが、郵船会社の認容せざる所となつて、此の合併案は有耶無耶の内に葬り去られたのであつた。其の後も両社の合併は度々企てられたが、世間は両社の合併問題について可成り其の可否を論じた。合併不可論者は、両社を合併せしむることは、殊に前掲の如き条件にて結び付けることは、要するに東洋汽船の救済あるのみで、これが為め郵船会社の資産内容は非常に悪化するであらうと唱へた。之れに対し合併論者は、斯の如き問題は宜しく国家的見地に立脚して処理すべきものであつて、双方共相当の犠牲は覚悟して桑港線の維持を計るべきであると主張した。尚此の桑港線の維持といふことについても、当時賛否の両論があつた東洋汽船の桑港線は明治三十一年十二月に開始されたもので、郵船の欧洲線、シャートル線に次で、我遠洋定期航路線としては可成り古い歴史を有するものである。而して政府が此の線を命令航路に指定して東洋汽船に授命したのは明治三十三年一月で、それ以来政府は大正十四年迄に累計三千七百万円の補助金を支給してゐる。然るに受命会社たる東洋汽船は当時既に三千万円の負債を背負ひ、半期の欠損は二百万円に達せんとする有様で、此の儘に放任せんか同社の倒産は火を見るよりも明かである。二十五箇年の長年月に亘つて三千七百万円の国費を蕩尽しながら、受命会社として代船一隻すら建造し得ない東洋汽船の不成績は遺憾であるが、特に此の航路に対して打撃を与へたものは、米国船舶院のプレシデント型の出現である。吾々は先づ東洋汽船の営業成績を言ふ前に、此の米国船に対抗すべき優秀船を建造しなければならぬ。今日の儘に放任して置けば、国家が三千七百万円の巨費を投じて培養した桑港線を破棄しなければならぬことゝなる。これは国家の体面上から云つても到底忍び難い所であるといふのであつた。之れに対し維持不要論者の言ふ所は純然たる経済眼に立脚したものであつた。(一)体面論は経済理法の範囲外である。(二)我国の如き貧乏国が一箇年数百万円の損失を蒙る不経済船を運営することは贅沢である。(三)適当の運賃を払へば船籍の内外を問はず、輸送の目的は達せらるゝのであるから、国家が多大の犠牲を払つてまで自国船を保護する必要はないといふにあつてこれは有力なる海運業者の間にも相当力強く唱へられた。政府当局の意見は勿論桑港線の維持にあつた。
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それは従来巨額の補助金を支給してゐた事からいつても当然であつたが、プレシデント型に対抗する優秀船の建造に就ては巨額の資金を要することゝて数年来唱へられながらも、其の実現を見るに至らなかつたのである。然し最早玆に至つては、之れを坐視して放任する訳にはいかなくなつた。何故ならば、桑港線の受命会社たる東洋汽船の業態は愈々危殆に瀕し、且つ其の就航船は老齢に達して、補助金交付の年限が終りに近づいてゐたからである。当時東洋汽船が桑港線に就航せしめてゐた船舶は天洋・春洋の一万四千噸型、コレヤ、サイベリアの一万二千噸型、並に日独戦争の賠償金の一部として、我国が独逸から得た政府委託船、一万五千噸型の大洋丸の五隻であつた。此の内コレヤ、サイベリアの二隻は元来が輸入船で船齢二十五年を累ね、補助金交付の資格を失してゐたので、当時既に東洋汽船の自営に置かれてゐた。他の三隻の命令船も相当の老齢で船齢十五年の政府規定には幾許の年月も残されてゐなかつた。即ち春洋丸は大正十五年二月に、大洋丸も亦十五年八月には制限年齢に達することゝなつてゐた。殊に天洋丸は既に大正十一年に満期となつてゐたが、当時迄政府の同情で補助金を交付されてゐたのであつた。かゝる場合に肝心の受命会社たる東洋汽船は其の存立さへ危ぶまれる状態に立ち到り、代船を建造して外国船に対抗する見込みは到底望まれぬので、政府は之れを郵船会社に受託せしめんとしたのであつた。但し桑港線の運営権を奪つて郵船会社に与へるだけでは東洋汽船を自滅さすのみである。北米方面に於ける東洋汽船の名は二十数年に亘つて広まつてゐるから、国の体面からいつても此の名を徒らに滅すことは良策でないといふ理由で、政府当局者は桑港線の挽回を目的として新優秀船の建造計画を進めると同時に、郵船会社と東洋汽船の合併に対し、特に尽力することゝなつたのであつた。従て此の時の合併は特に政府自らの発意であつた丈に、政府の慫慂が交渉の進行に貢献した所は少くなかつた。而して其の合併案は如何なるものであつたかといふに、震災前に於けるそれは前述した如く両社間の私的交渉に依るものであつたが、新合併案は桑港線の維持といふ国策上の目的が其の骨子となつてゐたので、政府より財政的援助を受けるといふ事が第一要件となつた。これは時の逓信大臣安達謙蔵氏が立案したものであつたが、郵船会社は直ちに之れを承認し東洋汽船への交渉は井上君が引受けることゝなつた。仍て井上君は東洋汽船当事者と数次折衝を重ね、その結果同社々長浅野総一郎氏は合併の根本案に賛成することゝなり、遂に数年来の懸案であつた両社の合併問題は大正十五年に至つて漸く解決した。但し此の合併案の根本を為す政府補助金の増額は議会の承認を得る必要があつたので、一時仮契約を結び五十一議会の協賛を経て、初めて効力を発することゝなつた。この仮契約の要綱は次の如くであつた。
 一、東洋汽船は北米及南米の両航路権並に就航船舶九隻(内一隻は政府所有船で其の使用権)を分離し、其の現物出資に依り新会社第二東洋汽船会社(資本金六百二十五万円)を設立して、之れを郵船株十二万五千株(五十円払込済)で郵船会社に譲渡すること
 二、郵船会社は第二東洋汽船合併と同時に六百二十五万円増資する
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こと
 三、郵船会社は桑港線の代船として一万四千噸型十八ノツト、ディーゼル・ヱンヂン式貨客船三隻を建造すること
 四、政府は右新造船の運営(年十七航海)に対し年額二百八十六万円の補助金を支給すること
 五、合併以前の債権・債務一切は残存の東洋汽船に残ること
 六、仮契約成立の附帯条件として桑港航路新造船の航路補助案が議会を通過すること
 即ち此の合併案は従前のそれと著しく内容を異にし、桑港線の新船建造が不可分の条件となつてゐた。而して郵船の受取る可き資産も、前回の合併案は東洋汽船の所有船全部であつたが、此の案は桑港線並に南米線を運航する天洋・春洋・コレヤ・サイベリア丸及楽洋・安洋・墨洋・銀洋丸合計八万五千九十六噸、外に政府委託船大洋丸一万四千四百五十七噸の船舶に限られた。此の案が作製さるゝに就ては、最初郵船会社は十万株を適当とし、東洋汽船は十五万株の引渡しを要求した。然し渋沢・井上・郷の斡旋者はその中間を取つて十二万五千株に纏めたのであつた。
○下略