デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 インド国綿糸布輸入関税引上問題
■綱文

第52巻 p.172-243(DK520018k) ページ画像

大正15年2月17日(1926年)

是ヨリ先、インド国ニ於テ、同国紡績業者ニヨリ日本ヲ目的トスル綿糸布輸入関税引上運動起ル。是日栄一、日印協会会頭トシテ、同国デリーニ開催中ノ全インド商工業者大会ニ宛テ、右関税引上反対ノ電報ヲ発シ、同時ニ同国ノアール・ディー・タタニ対シ該運動ノ阻止方尽力ヲ電請ス。次イデ二十二日、栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル日印協会臨時理事会ニ出席シ、大日本紡績聯合会委員等ト該問題ノ対策ニツキ協議ス。以後引続キ同協会ハ、インド国ニ於ケル該運動ノ阻止ニ尽力ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一五年(DK520018k-0001)
第52巻 p.172 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十五日 晴 寒
○上略 午前九時林医師来診ス、桜井義肇・副島八十六二氏来訪、日印協会ニ関シ印度ニ於ル関税ニ関シテ、会長ノ資格ヲ以テ特ニ電報ヲ発スル事ヲ打合ハス○下略


日印協会書類(一)(DK520018k-0002)
第52巻 p.172-173 ページ画像

日印協会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    デリー全印度商工業者大会宛
印度綿糸布関税引上問題は大局より見て相互の利益を阻害するものなり、万一同案の通過を見るが如きことあらんか両国の不幸たるのみならず、引て将来日印親善の趣旨に戻ることを憂慮す、之れ吾が日本の輿論なり、貴会は此形勢に鑑み、臨機の措置を執られんことを熱望す
               日印協会々頭 渋沢子爵
               同  副会頭 大隈侯爵
 (別筆)
 本文反訳(小畑氏ニ於テ)ノ上副島八十六氏ニ交付シタリ
  大正十五年二月十五日

    ターター氏宛            渋沢子爵
当地日印協会ノ決議ニ基キ下記ノ電報ヲ発シタリ
 …………宛電文
此際切ニ貴下ノ御尽力ヲ願フ
                      渋沢子爵
 (別筆)
 本文小畑氏ニ於テ反訳ノ上副島八十六氏ニ交付シタリ
  大正十五年二月十五日
   ○アール・ディー・タタニ就イテハ本資料第八巻所収「日本郵船株式会社」
 - 第52巻 p.173 -ページ画像 
明治二十六年十一月七日・同二十七年三月六日ノ各条並ニ第十巻所収「大日本紡績聯合会」明治二十六年五月ノ条参照。


日印協会書類(一)(DK520018k-0003)
第52巻 p.173-174 ページ画像

日印協会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
  大正十五年二月十七日 明六
             (ゴム印)
              東京市京橋区築地三丁目十六番地
                    日印協会
  渋沢事務所               電話京橋(五六)一〇八〇番
    増田明六様
         侍史
謹啓 愈々御清栄奉賀候、会務上毎度御懇情ニ預り難有奉存候
陳者印度綿糸布関税引上問題ニ関し、印度ニ向け発送すべき電報ニ就て色々御配慮を蒙り、洵ニ難有奉拝謝候、然る処本会理事の中にて折角の架電ゆへ今少し委曲を尽し明確ニ且つ円滑ニ申送る方宜しからんとの議も相出で、頭本元貞氏(本会理事の一人)ニ御相談の結果多少訂正致候上、別紙の通り差出置候間何卒左様御諒承被下度、不取敢御礼旁々御挨拶申上度如此ニ御坐候 拝具
(別紙一)
  President Industrial and Commercial
  Congress Delhi
RESPECTFULLY BEG CALL YOUR ATTENTION TO SERIOUS SITUATION RESULTING FROM POSSIBLE ADOPTION OF PROPOSED INCREASE OF COTTON GOODS TARIFF INDIA STOP PUBLIC SENTIMENT HERE WIDELY SENSITIVE BECAUSE SUCH MEASURE WILL INJURE PRESENT MUTUAL INTERESTS AND CONSTITUTE SERIOUS BLOW TO FUTURE GROWTH OF ECONOMIC RELATIONS BETWEEN TWO BROTHER NATIONS STOP IN VIEW OF THESE IMPORTANT CONSIDERATIONS WE EARNESTLY ASK YOU TAKE SUCH STEPS AS YOUR JUDGMENT MAY SUGGEST VISCOUNT SHIBUSAWA PRESIDENT MARQUIS OKUMA VICEPRESIDENT INDO-JAPANESE ASSOCIATION.
Shibusawa
(別紙二)
  R. D. Tata Bombay
ADDRESSED FOLLOWING TELEGRAM TO CONGRESS DELHI PURSUANT DECISION OF INDO-JAPANESE ASSOCIATION EARNESTLY REQUEST YOUR POWERFUL SUPPORT QUOTATION RESPECTFULLY BEG CALL YOUR ATTENTION TO SERIOUS SITUATION RESULTING FROM POSSIBLE ADOPTION OF PROPOSED INCREASE OF COTTON GOODS TARIFF INDIA STOP PUBLIC SENTIMENT HERE WIDELY SENSITIVE BECAUSE SUCH MEASURE WILL INJURE PRESENT MUTUAL INTERESTS AND CONSTITUTE SERIOUS BLOW TO FUTURE GROWTH OF ECONOMIC RELATIONS BETWEEN TWO BROTHER NATIONS STOP IN VIEW OF THESE IMPORTANT CONSIDERATIONS WE EARNESTLY ASK YOU TAKE SUCH STEPS AS YOUR JUDGMENT
 - 第52巻 p.174 -ページ画像 
MAY SUGGEST VISCOUNT SHIBUSAWA PRESIDENT MARQUIS OKUMA VICEPRESIDENT INDO-JAPANESE ASSOCATION.
Shibusawa


渋沢栄一書翰控 アール・ディー・タタ宛 大正一五年二月一七日(DK520018k-0004)
第52巻 p.174 ページ画像

渋沢栄一書翰控 アール・ディー・タタ宛 大正一五年二月一七日 (渋沢子爵家所蔵)
 ボンベイ        東京、一九二六年二月十七日
  アル・デイ・タタ殿         日印協会々長
                      渋沢栄一
拝啓 本日貴殿宛にて左記の電報を発信致候に付、御受け被下候事と存候
 『日印協会の決議に基き吾等は貴方の有力なる御援助を熱望す」とデリー議会に電報せり。印度に於て綿製品関税の引上案を通過せんとする恐あるにより、之れより発生すべき重大なる形勢に関し謹んで貴下の御注意を乞ふ。当地一般の感情は鋭敏となれり。何となれば如此立法は現在に於ける相互の利益関係を傷くるものにして、且つ両友邦間に於ける将来の経済的関係の発達に重大なる打撃を与ふるものなればなり。此等重要なる問題あるを考慮せられ、貴方にて適当なりとせらるゝ方法を採られん事を吾等は熱心に希望す
             日印協会々長 子爵渋沢栄一
                副会長 侯爵大隈信常』
日本綿糸布に対する印度の関税引上の噂、並に数世記間打《(紀)》ち続き支障なき親交を全ふせる両国の通商条約を廃止すべしとの説あるは、吾等の深く遺憾とする処に候、日本人は貴国内に排日運動の存するを深く意に介し、気早な人々の中には之れが対抗的手段に出づべしとの説を為すものすら有之候
若しデリー議会が排日運動を幇助するが如き挙に出づるに於ては、両友邦間の歴史的友誼は傷けられ、相互の利益は害せられ、日印間に越ゆべからざる間隙を生するに至るべく候
日印協約は不倫の地位に在るものなれば依□《(怙)》贔屓なく事態を観察する事相叶ひ申候、如此法案が印度の商工業者による議会を通過する事あらば、そは両国の利害及友誼関係に多大の損害を蒙らしむるに至るものに候、吾等は平和を好愛する貴国民の忠誠と判断とに□《(倚)》頼し、本件が極めて満足なる結果を見るに可至様、貴方の御尽力を謹んで御願申上候
貴下の御援助と御協力とに対し予め御礼申上候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


(アール・ディー・タタ商会) 電報 渋沢栄一宛 大正一五年二月一九日(DK520018k-0005)
第52巻 p.174-175 ページ画像

(アール・ディー・タタ商会) 電報 渋沢栄一宛 大正一五年二月一九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             KITAHAMA 80 43 19/2 11.50M
VISCOUNT SHIBUZAWA, EIICHI.
  1 KABUTOMACHI, NIHONBASHIKU, TOKIO.
R D TATA WIRES FROM BOMBAY AS FOLLOWS YOUR TELEGRAM RECEIVED YOU NEED NOT BE ANXIOUS ABOUT THIS
 - 第52巻 p.175 -ページ画像 
QUESTION AM AWAITING RETURN OF YOUR CONSUL FROM CALCUTTA BEFORE SENDING YOU FURTHER INFORMATION R D TATA COMPANY
(右訳文)
                (別筆)
                二月十九日申上済
    電報翻訳     (大正十五年二月十九日入手)
 東京市日本橋区兜町
  子爵渋沢栄一閣下
              アール・デイー・タタ商会大阪支店
孟買より左の如く電報ありたり
 「貴電拝誦、本件に関し御心配の必要なし、カルカツタより貴国領事の来着を待つて更に通知すべし
                アール・デイー・タタ商会」


タタ関係書類(DK520018k-0006)
第52巻 p.175-176 ページ画像

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日印協会書類(一)(DK520018k-0007)
第52巻 p.176 ページ画像

日印協会書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十五年二月二十日
    (宛名手書)
    子爵渋沢会頭殿         日印協会 
拝啓 寒冷の候愈々御清栄奉賀候
陳者新聞紙上ニ於テ既ニ御承知の如く、印度に於ける日本綿糸布関税引上問題は、印度紡績側の悪宣伝に依り全国の輿論を指導し、日印通商条約の廃毀を迫るの提案すら現はるゝ形勢に有之、事態甚容易ならず、是れ単に我当業者のみの問題に止まらず、両国共通の利益の為めにも将又日印親善の為にも甚だ憂慮すべき問題に御座候、就ては過般来此状勢に鑑み、本会は公平なる立場より臨機の措置を執り種々運動を始め居候事に御座候
然る処今回大日本紡績聯合会に於ては特ニ本会と協議策応の為め、既に過日大阪より事務員菊池氏の来訪を受け申候上、更に又同会委員数氏上京相成候ニ付、之を機とし甚だ突然に候も
 明後二十二日(月曜)午前十一時より帝国ホテルニ於て理事会開催可致候間何卒万障御繰合せ御出席被下度、委曲同席上ニ於て御報告を兼ね貴意を得候、此段御案内申上度如此に御座候 拝具
 二申
  印度タタ氏より回電有之、折角阻止努力中、多分否決の見込、安心あれとの意味に御座候


集会日時通知表 大正一五年(DK520018k-0008)
第52巻 p.176 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
二月廿二日 月 午前十一時 大阪紡績会社委員ト日印協会理事ト(帝国ホテル)会見


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK520018k-0009)
第52巻 p.176 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十二日 曇 寒
○上略 正午帝国ホテルニ抵リ日印協会ノ臨時集会ニ出席ス、大坂ヨリ紡績業者来会シ種々要務ヲ談ス、午飧後当務ヲ議決ス○下略


(日印協会)参考書類 自大正一一年至昭和五年 【(写) 大正十年二月二十三日】(DK520018k-0010)
第52巻 p.176-177 ページ画像

(日印協会)参考書類 自大正一一年至昭和五年 (日印協会所蔵)
(写)
 大正十年二月二十三日
  理事殿                 日印協会
    侍史
謹啓 愈々御清栄奉賀候
陳者御案内申上置候通り、印度問題ニ関し昨二十二日午前十一時より帝国ホテルに於て理事会開催
 - 第52巻 p.177 -ページ画像 
 出席者 渋沢・大隈正副会頭、藤山・児玉・間島・森・副島・高楠・頭本各理事
以上九名、外ニ大阪より大日本紡績聯合会委員長斎藤恒三氏(東洋紡績会社社長)・同委員福本元之助(大日本紡績会社副社長)・山田穆氏(日本棉花会社副社長兼輸出綿糸布同業会々長)・神阪静太郎氏(大日本紡績聯合会常務委員)・入江鼎氏(日本棉花同業会輸出綿糸布同業会書記長)・東京側同委員持田巽氏(富士瓦斯紡績会社専務)・同三ツ矢勝次郎氏(東洋棉花会社東京支部長)の七氏及び此問題ニ就て最初より色々斡旋の労を執られし本会評議員桜井義肇氏ニ特ニ出席を請ひ、左記主要案件ニ就き協議懇談を重ね午後二時半散会致候
一、印度ニ於ける日印条約廃毀問題は去十九日のデリー大会ニ於て否決せられ、印度議会への提案ハ一時見合せとなりしも、更ニ内地産業保護法案ニ形を変へて提唱せらるゝ模様にて、今後の形勢毫も楽観を許さず、仍て猶引続き相協力して目的の達成ニ精進すること
一、日印協会は更ニ印度各方面の要路へ宛て文書を以て右趣旨貫徹ニ努め最善の努力を怠らざること
一、児玉の《(衍)》理事の提案にて、日印協会より印度各方面へ打電せし電文及び書面写を英国の駐在商務官に提示して、本国及び印度への伝達を煩はすこと、同時ニ英大使に諒解を求むること、右頭本理事直ニ交渉の衝ニ当らるゝこと
一、森理事の提案にて、紡績聯合会主催の下ニ大阪ニ於て輸出綿糸布同業者及新聞社と聯合して市民大会を開催し、反対の気勢を揚ぐること
一、山田穆氏の提案にて、今後の両国親善促進の為ニ我実業家及朝野の有力者より成る印度観光団を派遣する様日印協会側ニ於テ尽力ありたきこと
一、問題今後の進展ニ鑑み将来の策動ニ備ふる為め、特ニ連絡員を印度へ派遣のことは双方ニ於て更ニ考慮すること
猶右理事会席上ニ於て渋沢会頭の挨拶ニ対し斎藤委員長は大要
 先程藤山氏御説の如く、将来各国ニ於て夫々自衛的関税政策の実施は或は有之べきも、北印度ニ於ける問題ニ就て吾々の希望する処は如何なる形式であるとも日本商品に対してのみ差別的待遇を受くることは、国家の体面ニ於ても又実際上の利害問題よりするも堪へ得ざる処で、吾々は飽く迄も公明正大の見地より我国経済上の発展の為ニ抗議もし努力も必要と存ず、今差当つて具体的対策を有せざるも、有力なる皆様の御指導ニ依て此難局ニ処したし、幸ニ日印協会は吾々当業者の立場と異り、公平なる又大局の見地より日印両国の利益の為ニ正当の御主張は、印度側ニ対し最も権威のあるものなれバ、何卒此上とも宜しく御援助を賜はり、御活動を懇請して已まざる次第なり
との意味を申述べられ候
右御報告申上度如此ニ御坐候 敬具
 二申○略ス
 - 第52巻 p.178 -ページ画像 

日印協会書類(一)(DK520018k-0011)
第52巻 p.178 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    印度財務・商務両長官宛書簡写
 謹テ日本紡績事業ニ関スル陳述書ヲ閣下ニ呈シ、印度関税問題ニツキ御調査アル場合ニ於ケル御参考ニ資シ度ク奉存候
 近来印度ニ於テ日本紡績事業ニ関スル種々ノ批評行ハレ居リ候処、右ハ大概事実無根又ハ甚シク誇張セラレタル流説ニ過ザル事ハ賢明ナル閣下ノ已ニ御熟知ノ儀ト奉恐察候、然ルニ印度ノ民間ニ於テハ此誤報ヲ基礎トシテ同国関税改正ヲナス事ヲ主張シツツアルモノ有之、殊ニ日本綿糸布ニ対シ関税上ノ差別的取扱ヲナスベシトノ説行ハレツヽアル事ハ、吾々紡績業者ノ立場ヨリ考ヘ痛心ニ堪ヘザルノミナラズ、其ノ結果ハ日印貿易ヲ阻害シ延テ両国民ノ経済的利益ヲ傷クルモノト愚考シ、密カニ憂慮罷在候
 当聯合会ハ、数年前印度財政調査会ニ於テ、特恵関税問題ニ就キ御調査相成居候趣拝承致シ、万一此種関税法ガ印度ニ於テ実施セラルルニ於テハ、其結果ハ両国民ノ経済的利益ヲ阻害スルニ止マラズ、延イテ従来最モ親善ナリシ両国民間ノ感情ヲ大ニ傷ツクル恐アルモノト信ジ、千九百二十一年十二月卅日付ヲ以テ財務長官・商務長官及ビ財政調査委員各位ニ陳述書ヲ提出致候、然ルニ其後関税上此種ノ改正ノ行ハレザリシハ、一ニ閣下及ビ御同僚ノ賢明ナル御配慮ノ結果ト存ジ深ク感謝罷在候処、最近ニ至リ再ビ斯ル傾向ノ議論ノ一層盛ニ唱ヘラルルヲ聞キ我々ハ黙止スルニ忍ビズ、玆ニ重ネテ陳述書ヲ提出スル所以ニ有之候
 我々ハ印度財政上ノ必要ノ為各国輸入品ニ対シ均一ニ輸入税ヲ引上ゲラルヽ事ニ就テハ何等意見無之候ヘドモ、唯ダ日本ヨリノ輸入品ニ対シテノミ差別的関税策ヲ実施セラルヽニ於テハ、ソノ結果ハ両国民ニ取リ頗ル重大ニシテ吾々ノ忍ビ難キ所ニ有之候、而シテ最近印度ニ於ケル日本紡績業ニ対スル浮説ハカヽル結果ヲ誘致スル一ノ大ナル動機トナル恐レアルベキヲ憂ヒ、爰ニ謹デ本陳述書ヲ提出致候、伏シテ冀クバ御高読ヲ給ハリ、日印両国ノ公平ナル利益ノ為御配慮仰ギ度奉存候 敬具
  一九二六年二月  日
            大日本紡績聯合会
              委員長 工学博士斎藤恒三
    印度財務長官・商務長官宛各通
   ○「大日本紡績聯合会月報」第四〇二号(大正十五年三月)ニ掲載サレタル右書翰ハ、日付ヲ二月十七日トナス。陳述書ハ後掲ノ参考資料中ニ収ム。


日印協会書類(一)(DK520018k-0012)
第52巻 p.178-179 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十五年三月一日
                    日印協会 
    (宛名手書)
    子爵渋沢会頭殿
拝啓 愈々御清栄奉賀候
 - 第52巻 p.179 -ページ画像 
陳者最近外務省へ到着せる印度よりの電報に依れば、過般本協会より架発せしデリー大会宛の電報が相当効果ありたる趣、特に同省通商局より二月廿七日附機密合第四四二号公文書を以て通達有之候間御参考迄に御内覧に供し申候 拝具
             在カルカツタ伊藤総領事代理発電
  幣原外務大臣宛
『当地邦商ニ対シ「デリー」ヨリ帰来セルBamerjeカ語レル処ヲ綜合スルニ、今回「コングレス」ニ印度紡績業保護問題ニ関シ日印条約廃棄、並ニ為替安及労働協約ヲ守ラサルニ依リ不正利益ヲ受クル外国競争ニ対スル措置ニ関スル案アリタルモ、甲谷陀ヨリノ代表者カ本問題ハ政治ニ亘リ、商工会議ニテ論スベキモノニ非ストナシ、又単ニ孟買及「ランカシア」ノ為ニ印度大衆ノ不利益タルコトヲ計ルヲ得ストテ反対スルトコロアリ、孟買側ヲ除ク各代表者ハ一向興味ヲ示サス沈黙ヲ守リタル由、尚Ahmedabadノ紡績業カ現ニ利益ヲ見ツツアルニ孟買紡績ノ欠損続ケルニ鑑ミ、紡績業ニ関シ調査ヲナスノ必要アリト決シ、既報ノ如キ結果ニ到達セル由、尚「総会」ニ宛テタル日印協会ノ電信ハ至大ノ効力ヲ有シタル趣ナリ


日印協会書類(一)(DK520018k-0013)
第52巻 p.179 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十五年三月二日
                    日印協会 
冠省
本日印度よりの入電情報に依れば
 Budget based on rate of Exchange 1s―6d no change custom tariff, no change taxation except cotton excise duty which is definitely abolished
と有之、政府予算案に右様の決定を見たるものと被見受候、兎に角吾吾関係者一同が努力せし効果空しからず、印度関税問題は一先づ少康を得たる次第に御座候、乍然印度及英本国の情勢より見て前報申上候通り、将来猶毫も安心難出来一日も警戒を怠り得ざる儀に付、此上とも其推移に注目し、随時適応の処置を講すべく候
尚又、其後紡績聯合会委員方々より日印間の根本問題として一層親密なる接触交通を必要と認め、今回の如き時局問題に際し、殊に痛切に其の感を深くせし趣にて、今後日印協会の活躍に待つもの頗る多く、両国利益の為に益々発展せんことを至嘱する旨申越され候事に御座候右不取敢御報申上度如此に御座候 拝具


日印協会書類(一)(DK520018k-0014)
第52巻 p.179-180 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十五年三月廿六日
                    日印協会 
    (宛名手書)
    子爵渋沢会頭殿
 - 第52巻 p.180 -ページ画像 
左記の情報外務省より内示有之候に付、御参考の為に御覧に入れ申候
                           拝具
○中略
    孟買発
    本省着 大正十五年三月廿日
                   渡辺領事○渡辺知雄
  幣原外務大臣
議会ハ印度ノ自治問題ニ付政府側ノ無関心ナルヲ慨シ「ネルー」ノ統率スル「スワラジ」一派議会撤退問題等モアリ、日本綿糸布排斥問題ノ論議ヲ見ス、而シテ先般本邦側ノ宣伝ハ短時日ナカラ相当盛ナリシ次第モアリ、旁当地ニ於ケル本邦対策ノ主張多少緩和セル如ク、同時ニ従来ノ如ク誇張セサル丈、夫レ丈識者ニ於テモ之ヲ聴クノ傾向ヲ生セサルヤヲ恐ル、従テ本邦側ニ於テ印度産品トノ競争烈シカラサルヲ述フル余リ英国トノ競争ヲ云々スルハ、結果面白カラサル如ク、此点当方ニ於テモ充分注意シツツアリ、本件ハ其性質上将来何等カノ形ニ依リ屡々発生スヘシ、本邦側意見発表ノ機関ヲ有スルコトハ、唯本件ヲ離レテモ又貿易発展ノ現状ニ鑑ミ其必要ヲ痛感シ、種々考慮中、尚先般「デリー」ヨリ帰来セルモノ其ノ他ノ情報ヲ綜合スルニ、日印協会ヨリノ電報ハ一般ヲ動スニ頗ル力アリタル模様ナリ


(アール・ディー・タタ)書翰写 渋沢栄一宛 大正一五年三月一五日(DK520018k-0015)
第52巻 p.180-182 ページ画像

(アール・ディー・タタ)書翰写 渋沢栄一宛 大正一五年三月一五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
              (COPY)
Confidential
15 3/26
(Viscount)
Dear Marquis Shibusawa
  Many thanks for your letter of Feb. 17 & also your telegram. I replied to the latter by my telegram to you. Since then I explained to the consul my views & he had agreed to write to you. Before the controversy between the Bombay Millowners & the Japanese cotton association commenced if I was consulted by the latter I would have asked them to keep a dignified silence, because I knew nothing will come out of it. Now the objection resolves iteslf to employment in the Japanese mills, of women at night. If you can, with your powerful influence, have this system gradually abolished, nothing can be more said about it.
  Since I received your telegram, I had to go to Delhi on several business to consult with the Government & some of my friends in the parliament. I have explained to some of our important members who are my friends another side of the question on tariff in the Japanese import. However, most of my friends have unfortunately withdrawn from the Assembly (Parliament). Even then I don't see anything may be taken up even in the absence of the opposition party. At present there
 - 第52巻 p.181 -ページ画像 
is no need for anxiety, I have already seen to it that our amicable relations & mutual trade between Japan and India for which late Mr. Jamselji Tata & myself worked successfully be disturbed. By our mutual efforts both the countries are benefitted & it is a good fortune for yourself & me that we are alive to see the result of these efforts.
  In my opinion the anti-Japanese movement, which is not at all serious, will die out by keeping silence & not showing unnecessarily so much anxiety.
  Let me assure you that I will be always ready to cooperate with you whenever Japan-India relations are concerned & I shall remain always at your disposal. I hope you are in good health. I am very anxious to go to Europe but for over last 3 years I have not been able to take my holiday. However, I have decided in any account to go as I fear that otherwise my health will break down.
  With Kindest regards
           Very sincerely yours
               (Signed) R. D. Tata
(右訳文)
(写)
 東京市
  渋沢子爵閣下
            ボンベイ、一九二六年三月十五日
                    アール・デイ・タタ
拝啓 二月十七日附貴翰並に貴電正に落手難有奉深謝候、貴電に対しては電報にて御返事申上置候、其後小生は貴国領事に私見を述べ候処閣下へ出状可有之旨同意相成候、ボンベイの紡績業者と日本の棉花協会との間の紛紜の始まるに先ち、若し小生が同協会より相談を受けしならば、同協会に対し威儀ある沈黙を守る様勧告したるべく候、如何となれば、小生は斯る紛紜は聊かも歯牙に掛るに足らざる事を承知せるが故に御座候、今や日本人紡績工場に於て夜間婦人を使傭する件に対する反対有之候、若し、閣下の有力なる御斡旋によりて漸次此の制度を廃する事と相成候はゞ、反対の理由も自然消滅すべくと存候
貴電拝受後、小生は所要の為めデリーに参り、政府並に議会に於ける友人と協議する所有之候、小生は小生の友人にして有力なる議員数名に対し、日本輸入品に課せらるゝ関税問題の一面につき説明を試み申候処、友人の多くは不幸にして議員を辞職致居候、乍併之れが為め日本に対する不利なる決議の行はるゝが如き事万々無かるべくと存候間御心配は全然御無用に御座候
故ジヤムセルヂ・タタ並に小生が微力ながらも成功を見るに至りし日印間の親善及び通商関係は毫も乱さるゝ所無之候、私共相互の努力によりて両国は利益を享くる事と相成候が、生き永らへて此の努力の結果を見得るは幸運と可申候
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小生は今回の排日運動を以て聊も憂ふるに足らざるものと相考へ候、就ては寧ろ之を黙殺に附する事宜敷かるべくと存候、日印関係問題に就ては小生は何時にても御協力可申上、又常に貴意に相従ひ可申候、小生は欧洲に参る事を希望罷在候得共、過去三年間以上一日の休暇をも得ず困却仕候、乍去兎に角参るべき決心に御座候、然らずば小生は健康を害ふに至るべくと気支ひ居候
閣下に対し謹んで敬意を表し且つ御健康を祈上候 敬具


渋沢栄一書翰 控 アール・ディー・タタ宛 大正一五年七月二〇日(DK520018k-0016)
第52巻 p.182 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 アール・ディー・タタ宛 大正一五年七月二〇日 (渋沢子爵家所蔵)
                 (栄一鉛筆)
                  十五年七月九日一覧
    案
 ボンベイ市
  アール・デー・タタ殿
拝復 三月十五日付御懇書難有拝見仕候、然ば先般デリー会議開催の際は甚だ唐突恐縮至極と存候得共、電報を以て尊台の御尽力拝願仕候処、早速御快諾被下、御多忙中にも拘らず不容易御高配を賜り、御蔭を以て好結果を得候段、真に難有拝謝の至に御座候
日本紡績工場に於ける婦人夜間就業の儀は、多少議論可有之と存候得共、来示に基き微力ながら努力可仕候間、左様御承引被下度候
尊示の通り、日印両国通商関係が現下の盛況を見るに至候は全く尊台等の御尽力の賜物に有之、今後も亦負ふ所多かるべきは云ふを俟たず候に付ては、尚一層御好誼の程切望の至に御座候
右拝答旁奉得貴意度如此御座候 敬具
                 日印協会会頭
                    子爵渋沢栄一
   ○右英文書翰ハ七月二十日付ニテ発送セラレタリ。


日印協会書類(一)(DK520018k-0017)
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日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    会務報告 (自大正十五年一月至同年四月)
      一、商工業に関する件
一、印度綿糸布課税問題に関し東京各新聞社に通信文を送り該問題に就て輿論の喚起に努む
一、右の印度時事問題に関し会頭・副会頭の名を以てデリー大会初め印度二・三の有力筋へ打電せし処頗る効果ありたる趣なり
一、紡績聯合会と提携して印度方面の関係筋へ文書を発送し緩和に尽力しつゝあり
○下略


日印協会会報 第四〇号・第五頁昭和二年六月 日印協会会務報告(昭和二年三月五日日印協会総会席上に於て) 日印協会理事 副島八十六(DK520018k-0018)
第52巻 p.182-183 ページ画像

日印協会会報 第四〇号・第五頁昭和二年六月
    日印協会会務報告
         (昭和二年三月五日日印協会総会席上に於て)
               日印協会理事 副島八十六
○上略
 - 第52巻 p.183 -ページ画像 
印度綿糸布問題 昨年春印度に於て綿糸布関税問題が勃発しました際本会は其の機会を逸せず、而も十分の講究を遂げて印度の要所々々に正副会頭の名を以て長文の電報を発し、日印貿易の危機を未然に防止する事に努力しました。就中デリーの印度商工業大会に宛てた電報は予想外の反響があつて、日印の親善を企図する本会の趣旨に共鳴を博し、成功を見たのであります。此事は当時各方面よりの情報に由て確実になりました。斯の如く本会努力の効空しからず、一時少康を得たのは本会の最も慶幸とする所でありますが、併し本問題に対する其後の印度の情勢は決して油断がならぬのであります。本会は今後一層注意を怠らず、其の責任を果すに万遺漏なきを期して居ります。
○下略


日印協会会報 第四二号・第一―五頁昭和二年一一月 印度綿糸関税引上事情 大日本紡績聯合会会長 阿部房次郎(DK520018k-0019)
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日印協会会報 第四二号・第一―五頁昭和二年一一月
    印度綿糸関税引上事情
           大日本紡績聯合会会長 阿部房次郎
      印度綿糸布関税沿革
 今次の印度綿糸関税引上の事情を明瞭ならしめる為には先づ印度綿糸布関税の沿革を略述して置く必要があると思ふ。
一、印度の綿糸布関税は古く東印度会社時代より存在し、当時の税率は従価五分であつたが其後之を一割五分迄引上げられた事もあつた。併し其後一八六四年七分五厘、一八七五年五分と低下し、一八八二年には他の輸入関税と共に全廃せられた。是は英本国に於ける自由貿易主義に影響せられた為である。
二、其後十二年間印度は全然無関税の儘経過したが、一八九四年銀価暴落による財政難を救ふ為、同年三月重要輸入品に対し再び従価五分を賦課したが、同税率中には輸入綿布のみを除外したので、是を以て印度政府は英本国紡績を保護せんが為印度紡績を犠牲に供するものとなし、印度の輿論沸騰せしにより、政府は止むなく同年十二月改めて綿糸布共に従価五分を課すこととした。然るに政府は之と同時に印度内地に於て製造する二〇番手及夫以上の綿糸に同じく五分の国産税を課する事とした為、印度人の政府に対する反感は却て昂められた。尤も此の綿糸国産税に対してはランカシア側も歓迎しなかつた故、一八九六年制定の印度棉花税則により綿糸は輸入税国産税共に廃止し、綿布に対して輸入税国産税共に三分五厘の税率を賦課することとした。
三、一八九六年以降一九一六年に至る間は、印度政府の財政は極めて良好なる状態を示したが、此前後より大戦の影響を受けて印度財政は頓に困難を来した為、歳入増加の目的を以て一九一六年関税改正を行ひ、一般税率を七分五厘に引上げ、尚細目に亘り可なり顕著なる改正を加へたが、単り綿糸のみは除外した。当時印度の綿布輸入額は総輸入額の三分の一を占め、綿布関税の引上を行ふに於ては他の関税引上は少率にて足りる筈であつたが、政府は英国紡績の利益を考慮し、大戦終了の上にて本問題を解決する意向を有してゐた。然るに大戦は翌年に至つても終熄の景色が見えなかつた為、一九一七年遂に一八九六年以来の綿布関税を改正して従価七分五厘とし、而も国産税のみは従
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前通りに据置くこととした。
四、一九二七年《(一)》の綿布関税改正によりその税率を一躍倍加した印度政府は、一九二一年更に関税を改正して綿布一割一分に引上げた。此の関税改正は同年議会に於て為されたる政府の答弁によれば、全然財政的理由に依り産業保護の意義を含むものでないとの事であつたが、印度紡績業者は綿布関税のみを以て満足せず、翌年更に綿布一割五分、綿糸五分、国産税廃止の三案を議会に提出し、政府は綿布、国産税は其儘にし、綿糸五分の関税を新設した。
 現行綿布一割一分、綿糸五分の従価税は同年制定の印度改正関税法の規定によるものである。
 以上の如くにして印度綿糸布関税政策上未解決の儘残されたのは国産税のみとなつたが本税廃止の顛末に就いては項を改めて記載する。
      新綿糸関税問題の経過
一、国産税廃止 印度綿布国産税廃止は上述印度綿糸布関税略史の末尾に記載さる可きものであるが、本税廃止と今次綿糸関税改正との間には密接なる関係が伏在する故、特に本項に於て述べることとする。
 国産税の設置及之に対する印度民の反感に関しては上述した如くである。而して本税を何時迄も存置するは印度統政上甚だ不利益なることは明であつたが、印度政府は専ら戦後の財政困難を理由とし、毎議会激論を闘はしつゝ容易に其廃止を許さずして一九二五年に及んだのである。
 一九二五年七月印度紡績業者は印度財政長官バシル・ブラツケツト氏の英国よりの帰印を迎へて懇談し、綿糸布関税引上国産税廃止を要求したが、同長官は久しく帰英して印度の現況不明なる故商務大臣チヤドウイツク氏に就き問題を質され度いと述べた。斯くて孟買紡績業者は七月六日孟買紡績聯合会特別委員会を開催したる際、同氏を招き本問題に就き意見の交換を行つたが、其の時氏は紡績業者の要請に答へて、
『財政調査会報告第一四一節に従ひ日本綿布に輸入税を増徴する権限は関税法上許容せられておると解釈するのは妥当でない。又前記条項には外国政府が印度工業を妨害するが如き輸出奨励策を故意に採用する場合には関税法に依り之に対抗すべき権限を有すと記述しあるが、現時日本政府が右の如き政策を実行して居ると云ふ証跡を見ない。又一九二一年の英国産業保護法を印度に適用する方策は最恵国条項に抵触する故、日印通商条約を破棄せねば所期の目的を達し難い』と述べ尚個人的意見であるとして、本問題解決の鍵は英印特恵関税にある旨縷々説明する所があつた。
 越えて八月孟買紡績聯合会は会長ワジア氏をして印度総督をシムラに訪問せしめ、日本紡績の不正競争を理由として国産税廃止並に日本品に対する増税を請求せしめた。是に対し総督は『印度紡績の不振は世界的原因に依ること、国産税廃止は財政上許容し難きこと、及日本品に対する増税は重大問題故熟考を要すること』等を述べて是等の要求を斥けた。如斯拒絶の裏面にはランカシア紡績の利益擁護が含まれ居ることを覚つたワジア氏は、問題解決の鍵は先づランカシア紡績業
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者の諒解を得るに在りと見做し、九月末渡英することとなつた。同氏は渡英中ランカシア棉業者を初め該有力者と会見し、印度紡績と英国紡績とは全然競争状態にないこと及日本紡績は印度に対し不正競争を行へるもので之を防止することは英印両国紡績にとり緊要なることを説明し、英印紡績の協調を高調して何等かの諒解を遂げて帰印した。
 是より先印度紡績業者は経営困難を理由として九月一日賃銀一割一分五厘の引下を断行したる為、九月十五日職工のストライキは急激に拡大し、九月末十月上旬には参加職工十五万を算し、各紡績は殆ど皆運転を休止し、僅に四・五千の職工により工場及機械整備をなすに至つた。
 右大罷業はデリー祭(十月十五日―十七日)には解決せらるゝものと一般に予想せられて居たが、紡績業者は政府に対し賃銀引上を理由とし国産税撤廃を請求し、職工は海外労働組合の援助を受けて譲らず持久戦を継続しつゝあつたが、十一月末突如として印度政府は『十二月一日より翌年三月一日迄に生産せられたる綿布に対し国産税を一時中止する』旨発表したる為、紡績業者は公約の通り貸銀を旧に復し職工も復業して大罷業は無事解決を見たのである。斯くて印度紡績業者は多年の希望たる国産税撤廃の目的を半ば達成することを得たのであるが、当時印度に於ては印度紡績業者は国産税廃止の目的を達成する為、暗に職工を煽動して此挙に出でしめたと評する者もあつた。併し其真偽に就ては固より探索する積はない。
二、日印通商条約破棄運動 以上の如くにして国産税は紡績大罷業を動機として十二月一日より翌年三月一日迄一時中止せられるに至つたが、紡績業者は之と引宛に賃銀を引上げた為にその効果は比較的薄かつたのみならず、本税は翌年三月予算編成には再び復旧する恐あつた為、印度紡績業者は又復日本紡績業者の不正競争を理由として関税引上国産税の全廃を叫ぶに至つた。
 当時ランカシア紡績は戦後の不況に依り甚だしき不振に苦しみつゝあつた故、同紡績に対し間接に利益を与へつゝあつた国産税廃止は内心頗る不満であつたが、十二月一日印度国産税廃止の公表せられるやマンチエスター商業会議所紡績織布協会及工場主協会は連名にて声明書を発し、印度政府の措置を是認し、却て歓迎的言辞を掲げたのである。而して右声明書中には英印特恵関税の希望を洩し、印度が国産税廃止の代償として英国に許すに英印特恵関税を以てせんことを私に期待してゐたのである。乍然本税を許可することは印度輸入綿製品の大部分を占める英国製品の輸入を容易ならしめ、印度紡績は永久的に英国紡績の競争に依り圧迫を蒙むることゝなる為、本税に就ては一九二一年財政調査会に於ても全然反対の態度を示し、以来常に之を否定し来つたもの故、国産税廃止を条件として本税制度を許すが如きこと無く、ランカシア紡績業者の期待は全く裏切られたのである。併し本税廃止により英印紡績間の空気は表面上著しく緩和せられ、爾後印度関税引上の理由は全く日本紡績の競争に向けらるゝに至つた。
 抑々印度紡績が日本紡績の競争を目して不正とするは、如何なる根拠に依るものか、又何故に日本紡績の競争を誇張して関税引上の具に
 - 第52巻 p.186 -ページ画像 
供せんとするものかに就いては後段項を改めて記載するが、当時日本紡績不正競争の文字は印度就中孟買に於ける新聞雑誌面を賑はし、印度紡績の誇大なる宣伝により次第に印度の輿論を醸成するに至つた。
 固より日印貿易は一九〇五年の日印通商条約の規定により実行せられ、その規定する所の最恵国条款により、日本に対してのみ差別関係を賦課する事は同条約に反し、強ひて之を行ふとすれば条約破棄を先にせねばならぬことは、先にチヤドウイツク氏が孟買紡績聯合会特別委員会に於て言明せし如くである。
 然るに孟買紡績業者は十二月一日を以て中止せられたる国産税廃止運動奏功に気をよくし、更に一気に関税引上を行はんと欲し、国産税中止期間の切迫するに連れ運動猛烈となり、遂に日印通商条約破棄運動の暴挙に出でることゝなつた。
 日印通商条約破棄運動の第一声は一九二五年十二月カルカツタに於て開催せられたる商業会議所に於て、孟買商業会議所会頭にして同時に紡績業者なるグラサム氏により挙げられた。併し同地は孟買と異り綿製品に対しては需要者の側に立ち、而も銑鉄其他の対日輸出地たる関係上、カルカツタ商業会議所は同氏の意見に反対し、同時にカルカツタと略同様の関係にあるマドラス亦是に反対し、結局本会議に於ては不成功に終つた。然るに其後孟買紡績側の運動は着々効を収め、翌年二月十九日にはデリーに於て孟買商業会議所主催の全印度商工大会を催し、当時中止期の迫りつゝあつた国産税廃止と共に日印通商条約の破棄を決議し、是を開会中の印度立法議会に提出せんとした。
 大会前の形勢は孟買紡績にとり有利にして、若し本問題が右大会に提案せられんか、大会通過は勿論印度立法議会に於ても亦大多数を以て通過すべき状態にあつた。
 言ふ迄もなく何国の通商条約に於ても其の成立するや必ず由て生ずべき原因あり、是が存在は即ち両国の経済的・政治的並に民族的連鎖となるものにして、若し故なく之を破棄するに於ては、其の影響する所は啻に経済関係にのみ止まらぬことは明瞭である。故に孟買紡績業者が印度関税引上を行はんが為に、日印通商条約破棄を敢てせんとするや、孟買紡績業者と利害相反するカルカツタ、マドラス側の反対あつたのみならず、印度有識者は挙つてこれに不同意を表するに至り、一方日本政府は当時帝国議会に於て問題となりし銑鉄関税引上を中止して間接に印度の輿論の緩和を計り、又大日本紡績聯合会は、印度政府並に議会に対し二月陳述書を呈出して印度紡績の主張の誤謬を指摘し、かゝる謬論又は誇張に立脚して日印通商条約破棄を行ひ、差別関税を設置し、以て日印多年の友好関係を害するが如きこと無からんことを要請する所あり、又日印協会其他有力団体より熱心反対運動せられた。斯くて内外の輿論は急激に条約破棄反対に傾きし為、大会当日は遂に本案は討議に上らずして葬られ、孟買紡績の猛運動も三月一日の国産税廃止を見たに止まつたのである。
○下略
   ○「大日本紡績聯合会月報」第四二一号(昭和二年九月)ニ掲載ノ同文記事ニハ執筆者名ヲ欠ク。
 - 第52巻 p.187 -ページ画像 


〔参考〕東京経済雑誌 第一二七八号・第二―三頁 明治三八年三月二五日 日印通商条約の締結(DK520018k-0020)
第52巻 p.187-188 ページ画像

東京経済雑誌 第一二七八号・第二―三頁 明治三八年三月二五日
    日印通商条約の締結
我が邦と英領印度との外国貿易は、逐年増加せるにも拘らず、未だ通商条約の締結なかりしが、日英両国政府は、日印間の通商関係を利便ならしめんと欲し、其の趣旨の条約を締結することに決し、日本政府は小村外務大臣を、英国政府はマクドナルド公使を其の全権委員に任命し、両全権委員は昨年八月廿九日東京に於て日印通商条約に署名調印し、本年三月十五日我が 皇帝陛下の批准を経て発布せられたり
日印通商条約に於て規定せる原則は、左の三ケ条なり、
 第一条 日本国皇帝陛下の版図内の生産或は製造に係る物品は印度国へ輸入するに際し、別国の製産に係る同種の物品に適用せらるる最低率の関税を賦課せらるべし
 第二条 右と同様に印度国の生産或は製造に係る物品は日本国皇帝陛下の版図内に輸入するに際し、別国の製産に係る同種の物品に適用せらるゝ最低率の関税を賦課せらるべし
 第三条 本条約の特権及約定は大不列顛国皇帝陛下との条約又は其の他別段の理由に依り本条約の規定に関し英領印度と同一の地位に置かるゝ印度土着の諸邦土にも適用せらるべし
  大不列顛国皇帝陛下の政府は時々此等邦土の表を日本帝国政府へ通牒すべし
是れ固より至当の規定なり、然るに日印間の外国貿易を見れば、印度よりの輸入高は非常に多くして、我よりの輸出高は大約其の七分の一に過ぎざるなり、即ち

         輸出高          輸入高
                円           円
 三十五年   五、〇六七、二六三  四九、三〇二、七八九
 三十六年   八、〇八六、七九五  六九、八九四、一九五
 三十七年   九、四〇四、九五一  六八、一一一、九九四

輸出入額に大差あること斯の如くにして、而して彼我の関税率にも亦軽重の差あること大約左の如し
  印度よりの輸入品

         普通率          最低率
 (百斤に付)
 乾藍   二十一円四十二銭七厘  十二円九十五銭三厘
 錫      三円三十七銭七厘   一円九十九銭九厘
 護謨板    十七円九十銭五厘       従価一割
 牛革      十円十三銭七厘     五円六十九銭
 羊革     十一円七十銭六厘       従価一割
  日本よりの輸出品
 樟脳、熟銅、羽二重、洋傘、茶箱板、人力車、
 燐火、紙巻煙草                 五分
 綿メリンス                 三分五厘
 石炭 無税 其他                五分

即ち我輸出品は印度に於て五分以下の関税を課せられ居るものにして
 - 第52巻 p.188 -ページ画像 
前記日印通商条約実施後と雖、これより軽減せらるゝことなしと雖、印度よりの輸入品は、日印通商条約実施の結果として最低率を適用せらるゝ時は、大約現今よりは半減せらるべし、而して関税を半減せらるゝ印度の輸入高は六千八百万円の巨額を占むと雖、関税を軽減せられさる我が輸出高は八・九百万円に過ぎざるなり
是に於てか日印通商条約は、我に不利なりと論ずるものありと雖、是れ余輩の取らざる所なり、蓋し、印度に於て我が輸出品が現今よりも関税を軽減せられざるは已むを得ざることなり、而して印度の輸入品が我が邦に於て関税を軽減せらるるときは、其の結果として印度は利益すべし、何となれば其の輸入高増加すべければなり、然れども之と同時に我が国民も亦利益すべきことを忘るべからず、蓋し輸入税は所謂間接税にして、需要者たる我が国民の負担に帰せざるべからざればなり、余輩は日印通商条約の締結を悦ばずんばあらざるなり



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三四六号・第五二―五三頁大正一〇年六月 ○英印間特恵関税問題(DK520018k-0021)
第52巻 p.188 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三四六号・第五二―五三頁大正一〇年六月
    ○英印間特恵関税問題
 本年三月中印度立法議会に英印間特恵関税案提出せらるべしとの説ありしも、遂に其事なく単に関税率増徴に止まりしが、英国及印度政府に於ては此時以来右特恵関税主義実施に向つて着々歩を進めつゝあり、去三月立法議会に於て政府委員は本秋迄には印度財政委員会を選任し、一般関税則に関する調査と共に、印度をして英本国と其殖民地との間に於ける特恵関税同盟に加入せしむる事に関して調査せしむべき事を明言したるが、最近の情報によれば、来る十一月頃財政委員会設置せらるゝ筈にて、右委員としては英国より二人、孟買及甲谷陀より各二人、印度政府より二・三人位の選任を見るべく、結局英印間特恵関税主義実施を可決し、立法議会に報告する事となるべき形勢にあり、随て早晩立法議会に於ては該案提出せらるべきは略明白にして、愈よ特恵主義の実施せらるゝに於ては、折角戦時中拡張したる我対印輸出貿易は根底より動揺を来すべく、就中我国綿製事業の如きは綿布輸入税に対して英国品と本邦品と差別的取扱を受くるのみならず、従来無税品たりし本邦綿糸に対しても亦輸入税を課せられ、且つ我国に輸入する印度棉に対しても、亦輸出税を賦課せらるゝ結果となる恐れあり



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三七九号・第五三―五四頁大正一三年四月 ○印度関税引上問題続報(二月廿九日孟買発電)(DK520018k-0022)
第52巻 p.188-189 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三七九号・第五三―五四頁大正一三年四月
    ○印度関税引上問題続報
                  (二月廿九日孟買発電)
 不日議会に提出せらるべき来年度予算案中には、本邦関係品の輸入税は大体変化を見ざるべしと一般に観測せられ居りたるが、頃日来燐寸及同原料品の税率に多少改訂を見るべく、又綿糸布輸入税率引上並鉄鋼輸入税を引上ぐるか、若くは奨励金附与の方法に依り保護を与ふべしとの説あり、デリーに於ける議会の情勢に鑑み燐寸若くは同原料品の輸入税率変更行はるべきも、国会の予算案中関税改訂あらば引上のみにして引下げらるべき品目一もなかるべく、印度鉄工業の保護は
 - 第52巻 p.189 -ページ画像 
大体政府に於ても其必要を認めたるも、関税に依るや将又奨励金制度に依るや不明なり
○下略



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八六号第五四頁大正一三年一一月 ○印度綿布国産税撤廃問題(十月九日着、在カルカツタ総領事電報)(DK520018k-0023)
第52巻 p.189 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三八六号第五四頁大正一三年一一月
    ○印度綿布国産税撤廃問題
          (十月九日着、在カルカツタ総領事電報)
 本年二月孟買紡績業組合は印度政府に現行綿布国産税(三分五厘)の廃止、紡績用品の関税軽減並綿布類関税引上を請求せり、由来綿布国産税撤廃問題は多年の懸案なりしが、戦後不況の為継続的損失をなしつゝある紡績業者は、今回一大結束をなして政府に請願すると同時に議会の問題となすに至れり、其主たる理由は、一、印度製品がマンチエスター品と対抗すべき範囲は僅に輸入英国綿布全額の二分に過ぎず、二、印度紡績の真の競争者は日本なり、国産税の存置は実益をランカシアに齎らさずして日本に漁夫の利を占有せしむ、三、印度は勿論帝国内にも酒・煙草等の奢侈品にのみ此種の税あり、四、同税存置は多数細民を苦しむるものなりと云ふにあり、客月下旬シムラ議会にて民選議員は、本税は政治上の見地よりして撤廃すべきものにして、若し予算に余剰なき場合は、之に代るべき新税を興して其不足を補ふべきものなる決議案を出し、満場一致可決せるが、政府は其撤廃理由には賛するも、余剰は先づ塩税撤廃及地方政府貢献金一億千万留比に充当すべきものなりとて決定を見ざりしが、大勢は撤廃に近づけり、因に本税収入は二千余万留比なり



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八六号・第四―一一頁大正一三年一一月 ○印度綿布消費税に関する孟買紡績聯合会の宣伝 在孟買 玉垣生(DK520018k-0024)
第52巻 p.189-196 ページ画像

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〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八七号・第一―三頁大正一三年一二月 ○印度綿布消費税撤廃問題に関する当会答申(DK520018k-0025)
第52巻 p.196-198 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三八七号・第一―三頁大正一三年一二月
    ○印度綿布消費税撤廃問題に関する当会答申
今回外務省通商局長より当会委員長宛書面にて、在カルカツタ総領事より通報にかゝる、印度綿布消費税撤廃に関する孟買紡績聯合会提唱と、日本製綿糸布に対する同会の態度に関する件に付、本邦関係の事情には事実を枉げて宣伝せる点多々あるを以て、適当の機会に於て広く之が是正を講ぜしめたき趣にて、当会意見及資料等諮問ありしを以て、当会は左記の通り答申せり、尚為参考、孟買紡績聯合会の提唱記事別項に掲ぐ○次掲
 拝啓陳者本月十八日付「通商普通合第一九三三号」を以て「印度綿布消費税撤廃問題に関する孟買紡績聯合会の提唱」御同封の上、右に対する当会意見又は統計材料等御諮問に預り敬承仕候、就ては左記御回答申上候間何卒可然御取図の程奉願上候
      左記
 一、印度綿布消費税撤廃に対し当会は必ずしも反対の意見を有せざるも、唯其撤廃の結果印度に於ける日印綿布競争上我国の不利に帰することは自明の事とす
 二、日本及び支那市場に於て、印度糸の販路漸減して日本糸が之に代り、又た印度市場に於ても日本綿糸布の販路が大戦以来増したることは、孟買紡績聯合会の提唱する所大体に於て事実に反せざるも、唯支那市場に於ては去十年間に於て支那紡績業の発達に伴ひ、日本綿糸は漸次に駆逐せられて、我対支綿糸輸出額は此間に
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凡そ六・七分の一に減退し、今後尚減少の傾向あることは印度糸と其事情を同ふし、又た印度に於ては大戦中英国綿製品が一時的現象として其対印輸出額を減少したる為め、之が代品として我綿糸布の対印輸出額大に増加したるも、戦後英印間貿易の恢復以来我綿糸布の輸出は増加せざるのみならず、動もすれば減退の傾向を示し、孟買紡績聯合会調製の報告によるも、一九二二年――二三年度中の我対印綿布輸出額一億七百万碼にして、之を最多額に達したる一九一八――一九年度の二億三千八百万碼に比すれば半額以下に減退し、尚之を一九二三年中の英国綿布輸入額十四億一千万碼に比すれば、僅かに十三分の一強に過ぎずして、孟買紡績聯合会の提唱中「印度・支那及東阿は日本の跳梁するが儘に委し居る」と云へるが如きは誇張の説と謂はざるを得ず、尚最近十五年間日印両国綿糸上海輸入額、日英両国綿糸布印度輸入額統計は本文末尾添付の如し
 三、孟買紡績聯合会は、日本及支那に対する印度綿糸布の販路縮少並に印度に対する日本綿糸布の輸出増進を目して、日本に於ける紡績業並に船会社に対する日本政府の保護の結果なりと断言したるは、全く謬見にして、此種の議論は近年印度に於て一般に唱へられ、之が為め彼我貿易上障害を来す恐あるに付き、我国は常に之に対し、印度人一般に対し説明を加ふるの必要ありと思惟す、而して之に就ては去大正十年中、英印間特恵関税法案の印度議会に提出せられたる際、当会より印度財務長官・商工部長・並に関税調査委員其他有力者に対し提出したる陳述書に明記しあるを以て、該陳述書写(同封送附当会月報所載)に於て見られんことを望む、尚此点に就ては当局に於て特に注意あらんことを切望す
 四、現行綿糸輸入税は二十四番手以下のもの毎百斤五円八十銭にして、時価により換算すれば従価五分見当となり、同番手以上亦略之に準じ、又綿布従価換算率は品により区々なるも綿糸関税率と大差なし、若し之を関税の墻壁と云へば印度にも亦綿糸五分、綿布一割一分の輸入税あり、独り我国のみ関税あるに非ず
 五、又た船会社助成金に関しては、郵船会社の孟買航路開始当時の事情、並に同航路に対する助成金は去一九〇六年以来全廃せられたる事等前記印度当局に提出の当会陳述書中記述せる如くなるが唯同社米国航路は目下郵便航送料の名義により少額の交附を受けつゝあるも、棉花及綿製品の運賃に差したる影響なきことは、大阪商船会社が該交附金を受けるが為め政府にも特別の義務を負ふを却つて不利なりとして、自ら其交附を謝絶したるを見るも略明瞭なるべし、尚大阪商船会社は大正二年初めて日印間航路汽船同盟に加入したるが、同社は同航路に対し初めより助成金を受けしことなし
 六、印度綿布消費税撤廃に関する孟買紡績聯合会提唱中記載の外、孟買紡績業者中には大日本紡績聯合会が先年実行したる輸出奨励金制度を以て、綿糸に対する政府の保護金なりと云ひ、甚しきに至ては当会及日本郵船会社間の印棉運送契約により生ずる割戻金
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を以て、是れ亦政府の「バウンチー」なりと説き、其他内地鉄道運賃に関し特に紡績業者を保護せりなど種々の誤報を伝ふるもの多し、之に対しても亦前記印度当局に提出の陳述書中詳述せるに付き之に就き見られんことを望む     以上
   大正十三年十一月一日   大日本紡績聯合会
                  委員長 菊池恭三
  外務省
   通商局長 佐分利貞男殿
○下略
   ○インド当局宛陳述書ハ「大日本紡績聯合会月報」第三五三号(大正十一年二月)ニ掲載サル。ココニハ略ス。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八七号・第四―六頁大正一三年一二月 ○印棉消費税撤廃問題に関する孟買紡績聯合会の提唱(DK520018k-0026)
第52巻 p.198-199 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三八七号・第四―六頁大正一三年一二月
    ○印棉消費税撤廃問題に関する
     孟買紡績聯合会の提唱
印度の紡績業と比較せば日本に於ける斯業の発達は極めて最近の事に属し、日本の現在有する錘数は五百万、織機数は六万台と称せらる、而して印度に於ける錘数は八百万に及び、織機数は十四万五千台を数ふ、錘数に於て日本は印度の半数を越ゆるに過ぎず、又織機数に於ては其の半数に満たず、然るに日本が棉花を消費すること尚印度と同量なる約二百万噸たるの事実は、日本が印度よりも太糸を紡ぐこと多きに依るものなりと云ふべきも、単に然るのみならず、日本は印度に比し其の生産能率高きに居るが故なり、日本が一日二回の職工交代制を採り、一日の操業時間二十二時間たるに、印度に於ては一週僅に六十時間たるに想到せば、蓋し思半に過ぐるものあらん
印棉消費税は素とランカシア産綿布と印度産品との競争を抑圧せんが為に賦課せられたるものなることは公然の秘密なるが、此の両方面の競争は起らずして止み、今日印度の実際競争者はランカシアに非ずして却て日本たるの事実を招来せり
○中略
此等数字に依らば印度・支那及東阿は日本の跳梁するが儘に委し居る土地と称するも過言に非ず、而して其の地歩を失ひたるものは印度にして、然も印度は日本の手頃なる投売市場たるに化し了れるの観あり然も日本は、自国に於ては保護税の障壁を設けて印度産品を斥け、仮令印棉を用ひたるものなりとは言へ、自らは其の産品を印度に輸送し生産原価以下にて之を売りつゝあり、然らば日本は如何にして斯かることを敢てなし得るやと云ふに、日本は印米棉を買入るゝには、奨励金の下附を受け居る船舶に頼り、低率の運賃にて積取り行き、更に低率の斯かる船舶にて、当国及其の他に製品を運輸し来るを得るが故なり○中略
同国の関税は外国品の輸入を妨ぐるのみならず、日本紡績業者を庇護するを以て、其の製産品は国内に於て高値にて売り、其余力を以て印度に投売するの挙に出づ、印度紡績業者が之に対抗せんとするも及ばざる亦所以なきに非ず
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一九一五年「ハーデング」卿印度総督時代に於ける印度政府は、印度事務大臣に電致して、政府の適当なる保護なければ印度は外国製品の投売市場となること更に一層甚しきものあるべしと告げたり、不幸にも此の事今や適確たる事実となれり
○中略
財政上不当にして悪税たる本消費税撤廃の必要なる、「アウトルツク」誌の「自国製品に消費税の如き非道なる重荷を負担せしむる国家他にあるなく、又英領地に於て之を認むるを得ず、斯の如き国家に採りて経済上不健全なる法規は単に其の工業の発達を阻害せしむるの外他に何等の効果なし」と云へるに待つて始めて知るべきに非るなり、云々



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八七号・第一三―一九頁大正一三年一二月 ○印度綿布消費税廃止運動の経過 在孟買 玉垣徳蔵(DK520018k-0027)
第52巻 p.199-205 ページ画像

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〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三八八号・第八八―九〇頁大正一三年一二月 ○印度綿布消費税撤廃問題(DK520018k-0028)
第52巻 p.205-207 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三八八号・第八八―九〇頁大正一三年一二月
    ○印度綿布消費税撤廃問題
 印綿消費税撤廃に関する孟買紡績業者組合の提唱に基き、改めて提議せられし印綿消費税の撤廃を印度総督に勧奨する決議案、二十四日中央立法参事会を通過したる次第は曩に報道したる処なるが、本件に関する中央立法参事会の決議及印度政府の態度は左の如し
 印綿消費税撤廃問題は過去に於て時々叫ばれ来りたるものにして、本年三月の春季中央立法参事会に於ても此事ありしが、八月に至り孟買紡績業者組合が印綿消費税廃止及印度紡績業保護に関する提唱をなしたるに端を発し、九月の立法参事会に於てカストウルバイ・ラルバイ氏が三月に動議せし決議案を提げて再び之に臨みたるに依り、本問
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題は又復活気を呈するに至れり、即ち其決議案なるものは、本立法参事会は印度財政調査委員会に於て印度人委員の多数により提議せられたる印綿消費税撤廃を速に措弁せんことを総督に勧奨す、又速に印度紡績業保護問題を関税調査会に附議せしむるの所置を採られんことを冀望すと云ふに在りて、其提出の理由として、本税は生産に関する課税にして悪税たるを論じ、孟買に於ける紡績業者の損失千百七十万留比中千万留比は本税として納付せざるべからざるものに係り、本税は実に印度紡績業の払込済総資本額の五分に当る、紡績業は印度に於ては飢饉に対する保険の地位に在る唯一の産業なるに拘らず、本税あるが為其支那及東阿に於ける市場は漸次失はれ、国内産業を危殆に導きつゝあるものなりと難じ、印度に於ける先進工業の発達を阻害する斯の如き政策は、最早之を踏襲するの要なしと唱ふるものにして、ネールー氏等の印度人議員は本決議案を賛成し、本税の存在は政治的にも将又道学的にも弁護の辞なきものにして、マンチエスター及ランカシアよりの指図に依り制定せられたるものなりと憤慨し、本税廃止は納税者を利する所なくして、印度紡績業者の懐中を肥すに過ぎざるに至るべしとの説をなすものあるを排し、印度紡績業の資本の大部分は英国人により支出せられ居るを指摘し、結局本税撤廃の利を受くるは多数印度人なりと説き、印度の自給自足の上よりも本税は速時廃止すべきものなりと高唱せり
 之に対し政府委員は弁疏して、政府は現在此決議を容諾するを得ずと反論し、財政状態の之を許す場合には本税が当然撤廃せらるべきは政府の屡々声明し来りたる所なり、尚政府は本税廃止後、綿製品の輸入税が消費者に不利とならざるや否やを調査するの必要上、之を関税調査会に諮るの権利を保留せんとするを関税調査会に問ふの必要なしとなせる印度人議員の説を駁し、印度に於ける英人中本消費税の賦課せられたることに関して遺憾なりと思ひ居る者一人もなく、本消費税が印度紡績業の発達を阻害し居るものなりとは信じ難しとて統計に依り之を説明せり、本消費税の賦課せられしは一八九六年にして、其当時より今年八月に至る迄を比較考査するに、印度の紡績工場数は百五十七より三百三十三に増し、資本金は一億三千五百万留比より四億三千万留比に進めり、又織機数は三万七千台より十四万五千台に、錘数は四百万より八百万に夫々増加し居るに見て、印度紡績業保護の要なきは明なり、現に印度紡績業者は綿糸に就ては五分、綿布に就ては結局七分五厘の保護を享有し居るに非ずや、尚綿糸の自一九一二――一三年度至一九一四――一五年度三年間の平均消費量は五億四千百万封度にして、内印度綿糸は九割二分を占め、輸入品は八分を占む、而して一九二三――二四年度の消費量六億千三百万封度の内印度産品は九割三分を占め、輸入品は七分に当る以て、如何に保護せられつゝあるかを知るに足らん○中略 次に綿布に関しても、一九一四――一五年度に終る三年間の平均に於て、印度製布は十一億七千三百万碼にして輸入品は二十八億五千五百万碼なりしも、一九二三――二四年度には印度製布十七億碼、輸入布十四億六千六百万碼となれり、即ち印度品は四割五分増に当り、輸入品は四割九分減に当る、日本品は主として太物
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にして比較的少量の輸入ありしのみ、此種輸入は相当注意を要するも之を以て印度紡績業を更に保護すべき必要ありと云ふべき程のものにあらず○中略 綿製品の輸入税は、一九一七年の七分五厘より一九二一年には一割一分に増賦せられたるものなれども、消費税は三分五厘の率を更ふることなくして今日に及べり、是等疑惑の根拠なき亦知るべきのみ、今仮に消費税を撤廃すとせば、消費者を利することなく、さりとて政府の助ともならず、畢竟利益を蒙る者印度紡績業たるに止まらん、更に之を印度の財政方面より論ずるも、政府は玆暫く諸税を引上ざる方針を持し、且政費の節約に意を用ふるものなるが、印綿消費税を撤廃し、更に近時盛に唱へらる地方政府より中央政府へ貢献せる分担額減額の議さへあり、然るに他に今是等より生ずる不足額塡補の方途なきを奈何せんと云ふに在りたり
 而してネオヂイ氏の右決議案末段の関税調査会に附議するの項を除くべしとなす修正動議ありたる外、印度人議員は殆ど全部撤廃の必要なるを説かざるなく、政府委員として商務長官サー・チヤールス・インニス及財務長官サー・バシル・ブラケツトの両氏交々上述の趣旨を以て之に抗弁せしも、結局裁決に問ひたる結果、多数を以てネオジー氏の修正を容れたる決議案は二十四日の参事会閉会間際に通過せり
 マンチエスター・ガーヂアン紙の本問題に関する所論として倫敦電報の伝ふる所に拠れば、同紙は印綿消費税の撤廃は印度紡績会社の株主に平均六分の特別配当を得せしむるに終らんとなし、若し政府が今回の決議を将来容認すとせば、そは只印度紡績業者を肥さんとする単純なる政治的の理由に基くものなりと云ふべし、之に依り印度に於ける綿製品の相場下落するの望み全然なく、綿製品の価格は依然輸入税を支払たるものと同様の相場を持続せらるべきは明なり、現在印度は未だ其所要品を凡て製造すること不可能なり、現にランカシアより輸入する細糸布を印度が産出するは産業上の奇蹟なくしてなし能はざることに属す、故に印度人を実際益する政策は綿布類に対する有らゆる課税を全廃するにあるのみ、スワラジスト派の人士惜むらくは此理を会得し得ず云々、と論じ居れる趣なり



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九四号・第八―一二頁大正一四年七月 ○印度綿布消費税問題(一) (孟買紡績聯合会の主張)(DK520018k-0029)
第52巻 p.207-211 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三九四号・第八―一二頁大正一四年七月
    ○印度綿布消費税問題(一)
          (孟買紡績聯合会の主張)
      綿布消費税の沿革
 綿布消費税の歴史を見んとせば、勢一八九六年の同税賦課以前に於ける関税問題に触れざるべからず、東印度会社時代より十九世紀の初期に至る迄、印度の手織機により織出さるゝ綿布は世界的の名声を有し、多量に輸出されたり。此時代に於ける印度綿布は英国製品に比して五割乃至六割安価に販売され猶利益を得たり。従つて六割程度の課税か積極的の禁止により英国製品を保護するに非れば、同工業は滅亡の外なき状態なりき、印度綿布に此の禁止的関税が課せられざりしならば、一九世紀の前期に於て英国紡織業が此の如き進歩をせしや否やは疑の存する所なり、即ち同工業は印度工業の犠牲により開発されし
 - 第52巻 p.208 -ページ画像 
なり、若し印度にして独立国なりしならば英国商品に禁止的課税を為し、以て印度の生産工業をその潰滅より防ぎて報復せしならん、且英国紡績業は織機の発明により、工場工業に変更する事により長速の進歩をなし、一八五〇年に於ては英国綿布業は世界市場を独占するに至れり。而して此英工業の発達は印度の手織工業をして機械工業に発達せしめ、更に印度紡績業の発達は遂にランカシヤイアを脅威し、錘数は英国の三千五百万に対する百万、機数は英国の四十五万に対する九千なるに拘らず、英国をして印度の該工業の進歩を阻止するの運動を起さしめたり。
 一八七四年印度に於て綿糸に対し三分五厘、綿布に対し五分の輸入税を収入の目的よりして課せらるゝに至るや、マンチエスター商業会議所は印度事務大臣に対して、綿製品に対する印度輸入税は印度紡績業者を保護するの故を以て、その廃止を力説する陳情書を提出せり、然れども総督ノースブルツク氏は此に対し、その誤謬を指摘し、印度輸入税は公平なるものにして、単に収入の点より課せられ、決して国内工業を保護するの趣意に出しものにあらずと反駁せり、然れども一八七五年の関税定率改革に於て、マンチエスターの運動を緩和する為め、埃及・亜米利加より輸入さるゝ棉花に五分の輸入税を課したり、勿論マンチエスター製品と競争する精良品の製造を制限するの意よりなり。
 ヂスレリ―保守党内閣の成立と共に、サリスベリー卿の印度事務大臣就任となり、輸入税の全部廃止を企てたり、此に於て印度総督ノースブルツク氏との間に劇烈なる論争行はれ、遂にノースブルツク卿は印度の利益の無視さるゝを見つゝ現職にあるを潔しとせず、一八七六年の初にその辞職を見たり、其の後リトン卿の総督となるや、輸入税の全廃を断行せんとせしも、印度に於ける饑饉により、且銀価の下落により彼の所信を実現し得ざりき、一八七七年サリスベリー卿は議会に於て「五個の新工場が印度にて新設せられつゝあり、且百廿三万余の錘数が存在するを見て驚愕したり、若し現在の財政状態が輸入税の全額を撤廃し能はずとせば、現在の課税にて特に保護的性質を有し、収入の点よりは重からざる粗質の綿布に対しては、輸入税を撤廃すべきものなり」と云ひ、次で実現せらるゝに至れり。
 此のランカシヤイア運動の成功は彼等をして猶以上の要求を為さしめ、綿糸の種類に関せず輸入税の撤廃を行はんとし、一八七九年の議会に左の趣意の決議案を提出せり。
 「印度輸入税は印度の消費者及び英国の生産者にとりて不公平であり、去る年の輸入税の軽減は全廃への第一歩である」と。
 一八七八年の一部免除は、英国該工業をして輸入税の賦課より免るる為に精細なる種類を粗悪なる種類に代らしむる変態を生じ、此に於て英国同業者間に競争を生ぜしめ良質の織物は減じ粗悪なる織物は増加し、為に印度をして五万磅の収入減を来さしめたり。此に於てリトン卿は熱心に輸入税の全廃を主張し、遂に同氏の後を継ぎたるリポン卿総督時代たる一八八二年に至りてその廃止を見たり。同年に於ける関税改革は総ての関税廃止にして、自由貿易政策の極度に適用された
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るなり、勿論其の廃止は自由貿易の名の元に行はれたるも、此はマンチエスターを保護するの意に出でたるは周知の事実なり。
 一八八二年より一八九四年の間は、一八八八年に石油に小額の輸入税を課したる他、印度にては輸入税は全然課せられざりき、此の間印度にては軍費莫大に増加し、為替相場暴落等により印度政府を財政上窮境に陥らしめ、一八九四年には二百万磅以上の歳入不足額を生ぜり此時、財政調査委員は此く述べたり。
 「調査の結果歳入増額計画中、輸入税賦課が最も批難少き方法なるも、綿製品の輸入税賦課は大なる反対を受くるか、共に印度綿製品に同率の消費税を賦課するの要求起らん」と。
 此くて一八九四年に綿製品を除外して輸入税は課せられ、印度全土より大なる批難を受け、印度該工業は保護の必要ありとせらるゝ時、歳入増加計画は当然綿製品輸入税賦課を含まざるべからざるに、其の除外を見たるの理由何処にありやとせらる、印度政府も綿製品の関税定率除外に反対なるにも拘らず、印度事務大臣の決定せる所に服従せざるべからざりしなり。
 此の輸入税賦課は一千五百万留比の収入を生ずと概算され、政府収入の総不足額は三千五百万留比なり、若し綿製品に輸入税課せらるゝならば、猶一千五百万留比の収入を加へ、従つて不足額は五百万留比と成る筈なり、而して印度事務大臣は印度政府に指令して曰く「若し財政状態が綿製品に輸入税を課する必要ある時は、印度製品と競争する如き物を免除するか、印度製品に輸入税と匹敵する消費税を課する事によりその輸入税賦課の内地工業保護の性質を避くべきなり」と。
 此に対してゼームス・ウエストランド氏は英印両土産出の綿布の質及び其の量に就き次の如く述べたり。
一、印度製品は其の九四%は粗布にて、マンチエスター品の競争外にあり。
二、マンチエスターは精良品に就ては絶対の独占権を有す。
三、二十六番手以上の綿布は印度にて製産困難にて少量を産するのみなり、此の範囲に於てのみマンチエスター品と競争す。
此の調査の結果同氏は印度事務大臣に次の如く進言せり。
一、総ての綿布に対して五分の輸入税賦課
二、二十四番手以上の綿糸に対しては三分五厘の輸入税賦課
三、二十四番手以上の機械製綿糸に対して三分五厘の消費税賦課
 此に対して印度事務大臣は綿布に織らるゝ綿糸の消費税は三分五厘課せらるゝのみなるに、輸入綿布は五分の輸入税を課せらるゝは、平衡を失すとて、三分五厘の綿糸消費税を五分に引上げ且二十四番手以上を廿番手以上と改正すべしと批評せり。
 此の事務大臣の修正案は議会に提出され痛烈なる反対を受けたり、殊に印度に輸入さるゝ綿糸は二十八番以上にして、印度に於ては二十四番手以上の綿糸は凡んど産出されざるに拘らず、免除の限界を二十番手以上とせるは、印度政府は課税の理由なき自国生産品に二割以上課税する事になり、此は印度工業を圧迫するものなりと反駁さる。
 此の法案はかゝる状勢なりしに拘らず遂に成立するに至れり、此に
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於て関税問題に関する英国の処置に対する批難は、新に起れる消費税問題と共に益々高まるに至り、且今尚印度朝野の問題たる消費税問題は此に其の発端を開きしなり。
 然るに此の関税定率法は英国に於ても批難多く、遂に一八九六年再び改正せらるゝに至れり、即ち輸入綿布には三分五厘の輸入税を、自国製品には同じく三分五厘の消費税を課するに至り、綿糸は総て課税より免れたり、此の改正案は新に粗布即ち印度綿布に課税し、細糸即ちランカシヤイア糸を課税より免れしむるものなり。而して前述の如く二十番手以下の粗布は本国品とは決して競争せざる事は明なり。
 印度紡績業者はランカシヤイアの不振には充分の同情を表するも、彼等英国紡績業者が彼等の現状に不満なるが故に如何なる理由によつて印度に於ける関係なき工業を圧迫するかその理解に苦しむ所にして且前年政府によりて与へられたる印度に輸入さるゝ綿布と競争する印度製綿布に対してのみ課税すべきなりの言と矛盾するの甚しきものなりと批難を受けたり、印度に於ける税制の歴史は総て譲歩に終始すと雖も、此の一八九六年の税制改革は印度に曾て施行せられたるものと其の趣を異にす、即ち一八七九年に英国同業者の利益の為に輸入税の一部免除に始り、一八八二年には総ての輸入税免除となり一八九四年には輸入税再課せらるゝと共に内地製品に消費税賦課さる、一八九六年に於ける印度綿製業の譲歩は最も甚しく、マンチヱスター綿布と競争せし事なく将来も競争し能はざる印度産粗布に課税するに至れり。
 かゝる内地工業に課税するが如き悪税は殆んどその類例を見ざる所にして、此の税制は廿年間種々の批難を蒙りつゝ変更さるゝ事なく持続し、該業の不当の障碍を為せり。
 一九一一年マネクヂーダダバイ氏により該消費税廃止の決議案提出されしに、当局は次の三点より反対せり。
 (一)消費税の廃止はマンチエスター貿易に悪影響を及ぼす事
 (二)政府は収入の点より、消費税廃止及びそれに伴ふマンチエスター製品の蒙る打撃より生ずる輸入税の減少を認容し得ざる事
 (三)消費税は手織工業を保護する事
 此等の三点は已に論難せられたる点にて新に論評する範囲にあらざるに、此の決議案は否決されたり。
 一九一六年に一般関税率七分五厘迄増徴せられしに拘らず、綿布輸入税を従来の税率たらしめしより再び消費税問題盛になれり、即ち輸入品中三分の一を占むる綿布の輸入税の増徴を為さざるは、印度当時の歳入不足状態を顧みて妥当とするを得ずの批難を受けたり。印度政府は左の如き言明を為したり、曰く「斯く総ての輸入品に対し一様に其の輸入税率を引上げざる可からざる今日の財政状態の下に於て、独り綿布輸入税を其まゝに据置きたるは何故なりや、と議員諸君は問はるゝならんが、如何にも政府に於ても此の際綿布輸入税を引上げ、而して一方に於て従来最も議論多き綿布消費税を其のまゝに据置き、以て他日印度の財政状態の改まりたる日を俟ち之を全廃するの基礎を作り置く事に就き、充分考慮したれども、如何せん英本国政府は一層広き範囲の立場より観察して、戦時の今日此種の問題を起す事は最も機
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宜を失したるものにして、英帝国内及び英帝国と其の他諸国との間に於ける一切の財務問題は、総て戦後に於て此を解決するを適当と考へたり。」
 加ふるに総督ハーヂング卿は「綿布に対する輸入税は増徴せらるべく、且つ消費税も印度の財政状態許さば成るべく早く撤廃すべし」と言明せり、一九一七年には綿布輸入税は七分五厘に上げられたるも、消費税は変更せられざりき。
 然れども印度全民により信ぜられたる戦時に於て与へられたる消費税廃止の言明が、其の後大戦の終熄し数年を経たるに拘らず、依然として旧来の儘たるは遺憾の極みなり、殊にかゝる責任ある言明ありしに拘らず、一九二二年綿布輸入税の一割一分に増徴せらるゝと同時に該消費税の増徴企てられ、此く説明せられたり、「英印両土の綿布は競争せざるも、印度綿布の価格は英綿布の価格により左右さるれば、輸入税増徴の結果英綿布の騰貴は当然印度綿布の騰貴を引起す、而してその利益は紡績業者よりも政府が受くべきなり」と。
 且財務長官は当時開会中の消費税廃止に関する財政委員会の報告決定するに至る迄、一時的に該消費税の増徴を可決せん事を歎願せり。
 然れども此の提案は否決されたり。
 其の後間もなく財政委員会は消費税撤廃を主張する報告書を全員一致にて提唱せり。
 先に財務長官の財務委員会の報告に従ふの確言ありしに拘らず、消費税は依然として存在せり、此に於て一九二四年の議会に於てカストルバイ・ラルベイ氏は「政府は何故に印度財政委員会の報告に従ひ印度綿製業を保護する様税務局に命ぜざるか」の質問を発せしに対し、当局は「政府は消費税廃止に関する該報告書を調査の結果、即時の消費税廃止は実際問題にあらず」と答へたり。
 思ふに一九一六年にはハーヂング卿の宣言あり、一九二一年には印度財政策調査の為に委員が選任され、充分の調査の結果、消費税廃止の全員一致の意見を得たり、一九二二年には財務長官により該消費税は数ケ月の内に廃止さるべしと断言され、一九二三年には同じく政府の高官は該税の廃止を明に希望せる事を言明せしに拘らず、一九二四年に至りて該問題の前途を悲観せしむる宣言を為せり、此実に印度全民を欺瞞するの甚だしきものと云はざるべからず。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九五号・第二三―二六頁大正一四年八月 ○印度綿布消費税問題 (二) 孟買紡績聯合会の主張(DK520018k-0030)
第52巻 p.211-214 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三九五号・第二三―二六頁大正一四年八月
    ○印度綿布消費税問題 (二)
           孟買紡績聯合会の主張
      消費税撤廃を必要とする理由
 印度に於ける紡績業発展の不当の障碍たる綿布消費税は、一八九六年の賦課その日より印度の各方面は勿論、英本国に於ても猛烈なる批難を受けたり、然れども該問題は英領印度に於ける政治経済史上の論争の中心点たるにも拘らず、その廃止に就ては反対者を見ず、即ち各政党を代表せる三代の首相グラツドストン氏、ボナー・ロー氏、マクドーナルド氏を初め有力なる政治家・評論家より財政調査会の如き責
 - 第52巻 p.212 -ページ画像 
任ある調査機関に至る迄、皆その廃止の必要を宣明せり。
 カーゾン卿曰く「過去の凡ての経験によれば、かゝる財政問題の決定に就ては本国の有力なる部分が印度自身よりも彼等の利害を先づ考慮に入れる事になり居れり」と、而して此のカーゾン卿の言明は、一八七〇年代及び一八九〇年代に於ける関税率改革を見るときは何人もその事実たる事に首肯するならん。
 消費税の賦課及び継続に就き、其の理由とする所は其時々の政治的必要に適応する為屡々変更されたり、一八九六年に賦課さるゝや、印度に輸入さるゝ英国製綿布が輸入税賦課により蒙る影響保護の為、該輸入税に匹敵する消費税を課するの必要ありとの意見よりなり。
 その後英本国及び印度綿布間に殆んど競争なきを明にせらるゝや、その課税の理由とする所はクラーク氏により述べられたり、即ち同税は手織業の保護に欠くべからざる手段なりと、その理由とする所は更に進んで消費税の維持は同税より得る収入を断念し能はざるによるとせり。
 第一の英国製綿布保護を其の課税理由となすは、英国製綿布の精良なるに反し、印度製綿布の粗布にして両者間に競争行はれざる事よりして其の理由は意味なきに至れり。
 第二の消費税は手織業を保護する為に課せらるゝとする説の欠点は輸入綿糸に対して五分の輸入税が課せられ、而して其の大部分は此等手工業者により消費さるゝ事実は、一方当局は消費税賦課により手工業を保護し、他方此を圧迫するは明に矛盾す、猶手織業による製品は機械工業による製品とは競争せず、寧ろ支那・日本が印度より綿糸を買はざる今日、手織業は印度紡績業に唯一の市場を与ふるものたる点よりして印度紡績業は其の発達を望み、此等の点よりして第二の理由たる消費税は印度手織工業を保護するの意に出でたりとする理由は立たざる也。
 第三に印度政府は収入の財源の点よりして消費税を断念し能はずと為す、若しも消費税の齎らす現在の収入が必要ならば、公平なる立場によつて課税せらるべく、又総ての税源を探索すべきなり、元来消費税の賦課に適せる物品は多くの文明国に於ては酒・煙草の如き贅沢品と思考さるゝものか、或は政府が専売的性質を有するフランスに於けるマツチ工業及び印度に於ける塩製業の如きものに限定せらるゝを原則とす、然るに綿製事業は此等の何れとも其の例を異にし、その充分なる発達は望まるゝ所なり、若しも消費税を収入の点より継続する事必要ならば、麻織物・毛織物・絹織物の如き物が課税より免るゝに拘らず、綿織物のみ課税せらるゝは妥当ならず、政府が歳入を得る総ての方法を探究せりとは信ぜられざるも、若し消費税を課する事必要ならば、当然他の課税に適当なる物品をも含むべきなり。
○中略
 印度に於ける綿製事業は過去卅年間に於て急速なる進歩を為せり、チヤールス・イン氏は統計上、印度紡織業は確固たる進歩を表示すれば、該消費税はその発達を妨害せずと云へり、チヤールス氏は工場数の増加、投資資本の増加を以て消費税は紡績業の発達を妨げざるの論
 - 第52巻 p.213 -ページ画像 
結を得たるなり、然れども印度の紡績業の進歩は、五百万梱の棉花産出及び三億万以上の人口の自然的恩恵に負ふ所大なり、而して其の進歩すら一九二二年――一九二三年度に於ける印度産棉花の五分の三は輸出され、外国にて綿糸布に製造され、且印度工業は印度にて消費さるゝ綿布の三分の一を製出するに過ぎざるを考ふる時は満足なる結果にあらざるなり、殊に不景気の時に於ては工場中には或は閉鎖され、或は譲渡さるゝを見るべし、此は消費税の負担によるもの多き事明なり、次表により一八九六年の消費税賦課以後に於て印度紡績業及び諸外国の該事業所有の錘数・織機の増加数を比較せば、印度該工業の将来は楽観を許さず、殊に其の増加は其の大なる人口及び原料を自国にて産出する点に負ふ所大なるに於てをや。

            錘数                      織機
        一八九六年      一九二三年      一八九六年     一九二三年
 印度    三、九三二、九四六  七、九二七、九三八    三七、二七〇  一四四、七九四
 英国   四四、九〇〇、〇〇〇 五六、五八三、〇〇〇   六〇六、五八五  七九五、二四四
 アメリカ 一七、三三三、三九六 三七、三九七、〇〇〇   三七九、三四一  七四四、六八六
 日本      六九二、三八四  四、八七七、〇〇〇     二、八五二   六〇、八九三
 支那           ――  二、六八〇、〇〇〇        ――   一三、六三一

 かゝる状態たるに拘らず、印度綿製事業は消費税賦課の重荷を負はさるゝなり、殊に一九二三年度の如く不況時代に於ては、該税の圧迫益々明にして、同年孟買市及び附近に於ける紡績事業は千百七十万留比の損失を生ぜり、而して其の間消費税として納めたる者凡そ一千万留比なれば、若し消費税なかりしならば其の損失は百七十万留比に止るべかりしなり。
 一九二三年度に於ける印度紡織業の総払込資本は凡そ三億六千万留比にして、その消費税は二千九十万留比なり、加ふるに該税は利益に課せらるゝにあらずして、生産そのものに課せらるゝなれば、損益如何に拘らざれば、其の負担非常に大なるべく、所得税其の他諸税よりも障碍甚しく、又財政史上罕に見る現象と云ふべきなり。
 一九二三年度に於ける調査によれば、原料たる棉花の価格は綿布出来上り品の六割にして、他の四割は生産費なり、而して消費税は全額の三分五厘なれば、生産費に対しては八分七厘五毛の割合なり、此の事実は印度市場より原料たる棉花を買入れる諸外国との競争上重大なる問題と云ふべきなり。
 次に紡織業は他の諸税に於ても重課せらる、即ち一梱につき四安の綿税、諸機械其の他諸原料の輸入税及び孟買に搬入さるゝ綿に対する市税等あり。
 此く消費税は印度紡績業の障碍たるに拘らず、チヤールス・イン氏は此く述べたり、「英本国より輸入さるゝ多くの綿糸布は、その品質に於て印度製品より上級なるを以て両者間には競争行はれず」と、又曰く「消費税にして輸入税と同率或は五分なる時は批難あらんも、輸入税にして一割一分に上げられたる以上批難の起る理由毫もなし」、同氏の言の矛盾せるは明にして、英本国・印度両製品間に競争なきものとせば、両市場は全然独立にして、輸入税率により影響さるゝ事な
 - 第52巻 p.214 -ページ画像 
き筈なり、従つて輸入税の三分五厘、五分の時代と同様に、今日も批難あつて然るべく、三割に増徴せらるゝ事あるも猶其の批難は当然起るべきなり、更に同氏は一九一四年より一九二四年に至る間、印度綿製品産出額の増加は四割五分にして、輸入は四割九分の減少を見たり従つて両者の百分比は一九一四年度に於て二二に対する五七(手織業製品あれば)なりしもの、一九二四年度には四一に対する三八となりしなり、同氏は此の現象を以て消費税・輸入税の差七分五厘が、印度よりランカシヤイア製品を駆逐せりと為すも、両者間に競争なきは已に述べたる所にして、此の現象は他に原因する所ありとすべきなり、此等の点より問題の中心たる消費税の撤廃は、英本国よりも寧ろ近年印度に長速の進展を為したる日本を目的とするに至れり。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九六号・第一〇―一三頁大正一四年九月 ○印度綿布消費税問題 (三) 孟買紡績聯合会の主張(DK520018k-0031)
第52巻 p.214-217 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三九六号・第一〇―一三頁大正一四年九月
    ○印度綿布消費税問題 (三)
           孟買紡績聯合会の主張
      綿製業に於ける日印間の競争
 印度財政調査会の報告に曰く「英印両国間の綿製品貿易に於ける競争に就て輿論は寧ろ誇大視せり、英本国工業家は印度工業の発達により損失を受くるよりも印度工業の繁栄により得る所大なり」と、此によりても消費税の問題は英国を目的とするよりも日本を目的とすること明なり。
 二十年前に於ては、印度紡織業は日本・支那に対し多量に輸出し、多くの利益を得たり、同時期に於ける孟買よりの年輸出額は六十万梱の糸と三百万ヤードの綿布なりき、其後日支両国に於ける紡織業の発達及び印度に於ける労賃及び機械購入費の騰貴は印度工業を衰微せしめ、一九二三年度に於ける孟買輸出額は六万梱の綿糸と二千ヤードの綿布を見たるのみなり。
 此に於て印度紡織業は自国市場にのみその販路を限定せられ、且本国市場すら日本工業の発展により脅威を受け、支那紡織業の発達は近き将来に於て印度市場に進出を見るならん。
 日本は能率高く安価な労働の充分なる供給、一日廿二時間労働、その他国家の直接間接の援助及び安価なる運賃により日本製綿糸綿布をして、綿布は一割一分、綿糸は五分の輸入税あるに拘らず、印度製品より安価に印度市場に供給することを得せしめ、其の原料の大部は印度より購入せば印度紡織業の真の競争者はマンチエスターにあらずして日本たるは事実なり、而して急激なる対日本競争の増進は次の数字により明瞭なり。
    消費税賦課後三年間及び最近三年間に
    於ける日本よりの綿製品輸入額表

   年度              綿布        綿糸
                    ヤード        ポンド
  一八九六―一八九七      二六、八八八         一〇
  一八九七―一八九八      一〇、四一三         一〇
  一八九八―一八九九       九、三九四        一五〇
  一九二一―一九二二  九〇、二七五、二一〇 一四、九一五、〇〇九
 - 第52巻 p.215 -ページ画像 
  一九二二―一九二三 一〇七、七七八、〇九六 二六、五四六、九〇五
  一九二三―一九二四 一二一、九〇一、七四九 二〇、四三〇、〇二五

 殊に英本国は精良布・細糸を印度に送り、日本は粗布・太糸を以て印度市場を侵しつゝあるものなれば、此の意味に於て又日本は印度の真の競争者なり、若しも消費税の撤廃が断行せられざれば、更に保護の手段が講ぜられざれば、此の日本の発展は益々其の歩を進め、印度の紡績業を不遇なる地位に陥らしむるならん。
 かく印度の綿布消費税は印度紡績業発展の大なる障碍なれば、其の廃止は常に熱心に主張されたり、一九一一年の議会に於けるマネツクジー・ダダバイ氏の同税廃止の決議案は破れたりと雖も、政府側の議員が彼等の確信通りに投票し得るならば、大多数を以て通過し得たるべしと云はれ、一九二三年のカストルバイ・ラルバイ氏の決議案に対して、唯五人が反対の発言を為し○中略 かゝる状勢なれば政府の消費税撤回の為全力を尽すべきに拘らず、政府は撤回せざるのみならず、紡織業を他の工業と同位置に置くことすら努めざりき、若しも輸入品に課せられたる税率を以て、輸入品・印度製品間に競争ありや否やに拘らず、印度の生産物を保護するの趣意に出しとせば、紡織業は只に消費税の廃止のみならず、綿布に対する輸入税を一割一分より少くとも通常輸入税率たる一割五分に引上げんことを要求し得る筈なり、印度紡織業は未だ嘗て他の国産工業と同一の待遇を要求せしことなく、唯印度の他工業に課せられざるのみならず、何れの国にも其の例罕なる消費税の撤回を要求せしのみなり。
 当然の結果として、一九一六年に印度政府は、英帝国政府の承認を得て、該消費税は戦後財界の回復と共に出来得る限り早く廃止するの言明を与へたり、近年に於ける印度財政問題の趨勢は、印度に対する財政上の自由が第一の問題にして、従て此の消費税の問題も大なる見地より論ぜられつゝあり。
 元来印度は属領として原料品を英国船により英国に送り、英本国の資本技術により製作され、再び英商人により印度の英国市場に輸出さるゝものと考へられたり、此の経済上に於ける英国の支配は、政治上に於ける支配よりも印度一般に知覚されざりしが、近年に至つて印度工業の発展は、総て財政上の自由を許さるゝに非れば望み無きものたる事を自覚し、加ふるに戦時に於ける敵国よりの輸入禁止は、外国商品を国産品に代へしむる好機会を与へ、戦後印度をして競争しつゝある外国工業品のダンピング市場たるに終らしめざらんとせば、印度工業の発展の必要は大なるべく、従つて印度が工業国とならんが為に政府は援助すべきなり、且財政上の自由は工業的発展の為にのみ要求さるゝにあらずして、更に印度国民をして彼等の立場の公平たらんの希望を満足せしむる点より要求さるゝなり。依てその輿論とする所は工業の発達の為に英本国及び諸外国の貿易に如何なる関係を与ふるや否やに関せず、自らその税則を定むる事にあり、加ふるに此の輿論は政府により賛成せられ、印度政府を代表して一九一一年にリンゼイ氏は此く云へり。
 「印度政府に印度議会と共に最も印度の利益と思はるゝ財政政策を
 - 第52巻 p.216 -ページ画像 
行はんとする意志を有する事を言明す」と。
 此の言明及び一九一六年にハーヂング卿により与へられたる消費税廃止に就ての言質にも拘らず、政府近年の消費税撤廃に対する態度は失望にたへず。バシール・ブラケツト氏は近き将来に於ては綿布消費税の撤廃も州政府負担額の軽減も共に望みなしと云ひ、チヤールス氏はハーヂング氏の言明を以て消費税は国庫に対する緊急なる要求無くなりし時廃止すべしとの意に解せんとしつゝあり、此等政府当局者の意見は一九二三年の宣明と明に矛盾し、彼等の選びし代議士により表明せられたる一般人民の意志を無視することにより、民心に与へたる悪影響に留意せざるは甚だ遺憾とする所なり、印度紡績業者は政府が発行したる手形を裏書し、財政委員会の如き専門委員会の意見及び昨年九月に立法議会を通過したる決議案を尊重せん事を希望して止まざるなり。
      更に該工業に対し保護政策の必要
 一九二三年にカストルバイ・ラルバイ氏により提出されたる印度消費税廃止の決議案によれば次の如し。
 「其の発端に於ては綿布消費税は決して財政上の考慮の元に課せられたるにあらずして、其の理由とする所は関税の保護的性質を避くる為に課せられたり、然れども今や保護政策は印度のみならず、英本国に於ても承認せられ、英本国に於ては染料初め他の工業に於て此の政策を取れり、一九一六年の宣言以後に於ては財政上の理由より課税する方針と為れり、此くの如く其の場合に適応する理由の元に此の不公平なる租税の課せらるゝは甚だ迷惑なるのみならず、且財政的立場のみより本税を見るも、明に其の不適当なる賦課とすべき也、即ち綿布は一般的消費物なれば、其の課税は生産者によりて負担さるゝ事罕にして、通常消費者に転嫁し従つて社会の下層階級を圧迫すべし。
 且つ印度財政委員会に於て諸委員主張して曰く、印度財政は鞏固なる基礎の元に立たしむるには歳入の源泉たるべき印度国富の貯蔵所を充満する手段をとるべきにして、其の手段の最たるものは保護政策により工業発展を図る事なり、近年の大戦により必要品の自給は如何に重要なるかは体験せられ、従つて印度に於ても綿布の国内消費に充分なる供給を与ふることは必要なり、然るに印度に於ては国内需要の四割を産出するのみなり、印度綿製業は著々と進歩を為すと称せらるゝも、亜米利加・日本の進歩と比して遜色あるのみならず、印度は六十年を経過して僅にその四割を自給するなれば、かゝる遅々たる進歩にては其の需要が現在と変ぜざるものとするも、国内消費に充分に応ずる為には一世紀を要すべし、又保護政策を取らざるにより日本紡織業の進入を容易ならしめ、一九一〇年には綿の印度輸出なかりし日本をして一九一九年より一九二三年の五年間の平均輸出額を一億三千五百万碼たらしめたり、加ふるに該工業発展の遅き結果、印度は原料を輸出し綿製品の輸入を余儀なくされ、為に農業従事者の過剰を来すのみならず六億留比の流出を見るなり。
 如何なる点より見るも、印度紡織業の現状に安んじ得ず、印度をして自国主要商品の自給国たらしめんが為に印度該工業の保護を強張し
 - 第52巻 p.217 -ページ画像 
て止まず、印度政府は已に保護政策主義を採用せば、印度綿製業に該主義を採用すべく調査考究あらんことを期するなり。
 以上の点よりして、印度綿製業の保護を考慮すると共に、其消費税は速に次の諸点よりして撤廃さるべきなり。
 一、該税は印度自身の利益の為に課せられしにあらず
 二、該税は屈辱且不愉快なる聯想を与ふ
 三、該税は朝野専門家より批難を受く
 四、其の廃止は印度に於ける最高代表者により決議されたり
 五、其の廃止は印度政府の当局者より屡々宣明されたり
 六、該税は綿製業進歩の障碍たり
 七、最後に重要なるは該税は印度服従の象徴にして自尊心を傷るものたるなり(終)



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九八号・第八―一六頁大正一四年一一月 ○印度紡績業と対日競争(上) (ボンベイ・クロニクル社説)(DK520018k-0032)
第52巻 p.217-220 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三九八号・第八―一六頁大正一四年一一月
    ○印度紡績業と対日競争 (上)
                (ボンベイ・クロニクル社説)
      (一)
 印度主要製造工業たる印度綿製業の不振に就ては種々其の原因あらんも、日本製綿糸布との競争より大なるものなかるべし○中略
 日本は外面上綿製品の生産にも其の配付にも不利益を有し、印度は総て夫れに対応する利益を有するなり、即ち印度は原料たる棉花を有し、一方日本は棉花は印度・亜米利加にて求め、夫等を本国工場に輸送し、気候其の他の関係より国内消費少く、為に印度其の他の市場を目的に製産せねばならぬ、然るに印度は自国内に有力なる市場を有し一方印度は三分五厘の消費税を課せらるゝも、日本綿糸に対しては五分、綿布に対しては一割一分五厘の輸入税の負担あり、以上の如き状勢なるに拘らず、日本紡績業は著々進歩発展し、印度市場より印度産品を駆逐しつゝあるなり、日印の貿易表を示せば

    年次       印度の輸入品  印度の輸出品
            (単位十万留比)
  一九一一―一九一二     三四五   一、六六六
  一九一三―一九一四     四七八   二、二六九
  一九一九―一九二〇   二、五二七   四、八七八
  一九二一―一九二二   三、五三〇   三、七八五
  一九二二        一、三三一   三、六四〇
  一九二三        一、四〇〇   四、三一〇
  一九二四        一、六七三   五、一一四

○中略
右表の示す如く、年毎に日本よりの輸入高は増加しつゝあり(大戦中に於ける変態的増加はあれど)、其の輸入高中の五割乃至六割を占むる綿製品の増加には殊に甚しきものあり、且日本品は支那・エヂプト土耳古・地中海沿岸国及び亜弗利加等よりも印度品を駆逐せるなり。
○中略
 此くの如き日本該工業の長速の進歩は、安価なる婦人労働、綿布の世界的消費地に接近せる事、印度・亜米利加・支那産の棉花の混合に
 - 第52巻 p.218 -ページ画像 
特殊的技倆を有するの点に帰因すと云はるゝも、此等の原因の他に更に日本の通貨の下落、従つて為替関係に於ける利益、補助金の附加さるゝ運賃及び輸出奨励金を挙げねばならぬと思ふ。
 此等の便益は印度紡績業に如何なる影響を与ふるかに就ては、此の次節以下に譲り、此には唯日本及び日本との印度市場に於ける競争に対して如何なる懸念を払ふ必要あるにせよ、又東洋の大海軍国と不和を避くる必要ありや否やは問はず、当局が若し自国工業の保護のみならず、此の不公平なる競争に対して適当なる処置を執るにあらざれば彼等当局に対する誤解不満は益々募りつゝあるの事実に対して当局の注意を促さんとするなり。
      (二)
 日本の有利条件中最も大なる者は其の労働力に就てである。日本の公の年鑑によるも、綿製品の産出に於て日本の有する利益は婦人労働者の使用による事を承認して居る、日本の紡績工場労働者中の八割は十三才より廿才に至る女子であり、其の賃銀は男子成人職工の七五パーセント乃至五〇パーセントにして、それ以上少き事も間々あり、一九一九年の華盛頓国際労働会議に於て、亜細亜工場労働者就業時間を一週六十時間、一日十一時間に制限せしに対し、印度政府は其の決議を実施せり○中略 日本は該条約に調印し、加ふるに国際聯盟の一員たるに拘らず、同条約の決せられしより満六年を経過せし今日猶其の決議に効力を与へざるなり○中略
 日本雇傭主側は婦女子労働者の落着かざる事により其の補充に益々困難を感じつゝあるも、猶其の労働者の大部は婦女子よりなる、夫等婦女子は工場側の束縛により驚くべき雑沓と不衛生随つて不道徳の状態の元に生活するを余儀なくさるゝなり、日本工場主は低廉なる賃銀を仕払ひ、彼女等を垢と塵と不徳の中に年期間を憐憫なる状態に過せしめ更に悔ゆる所なく、女工等は不幸にして追出さるゝ時は、我々の人道及び道徳問題としては言ふにすら耐へざる方法により生活するの必要あり、日本に於ては家計上の困難に遭遇せる場合に於てすら、婦女子の不正なる稼ぎにより生活を維持して恥ぢざる事多く、印度に於ける最も愚昧なる牛馬の飼養者にても、その牛馬を屠殺場に送るに就き、より以上の憐憫を感ずべし、かゝる雰囲気の中に於ける日本の安価なる労働力に対抗して、印度は均等なる競争を如何にして為し得るや、然れども、日本に於ても近年賃銀増額の止むなき有様にて、一九一四年より一九二〇年に至る間の紡績業に於ける賃銀は二八一パーセントの増加を為せり、一九二〇年以後に於ては経済状態の不況より再び下りつゝあり、然れどもかゝる増加も女工に仕払はるゝ賃銀は、男工の三分の二なれば、実質上大ならざるなり○中略
 日本資本家階級の労働力を見る事恰も独逸貴族階級が其の兵士を大砲・糧秣と同一視せしと異ならずして、原料の産出と同じく、労働者をして安価なる賃銀にて最大の能力を発揮せしむるを当然と為すなり印度に於ても英国は其の良心より印度をして毎年一億留比を国庫に収めつゝありし印度阿片の独占を断念せしめたり、我々は同様に日印綿製品間の不公平にして且不道徳なる競争に対して、正義と公平を要求
 - 第52巻 p.219 -ページ画像 
する権利を有する筈なり、即ち雇傭状態及び賃銀率に就き多少なりとも礼節と人道と公平とを主張するなり、故に我々は敢て印度政府に対して、たゞちにかゝる競争を中止すべく有効にして断固たる国家的態度を執らん事を要求するなり。
      (三)
 前節の安価なる賃銀労働者に加へ、日印競争に大なる関係あるは戻金及び補助金による日本企業家の利益なり、日本は工場開設に就ては不利なる条件の元に置かるゝに拘らず、工・商・金融機関の聯絡により日本工業をして進出せしめ得るなり、日本は印度に於ける如く諸外国より多量の器械を購入する必要あるも、日本政府は常識と愛国心に欠くるものにあらざれば、印度政府の如く国庫収入の点より輸入税を重課する如き等を行はざれども、尚英米両国よりの機械購入費は日本に於て紡織工場開設に際し極めて重要なる部分たるべし、然るに日本は表面に於て航路補助金を有し、裏面に於て日本綿製業者により管理さるゝ輸出奨励金を有す○中略 輸出奨励金即ち運賃戻金と、日本対外人の訴訟に於て正義の基本観念に乏しき事、及び綿糸の運送に就て補助金の交附を受くる船舶を有する事は、日本をして第三国市場に於て競争者を破らしむるは当然の帰結にして、印度工場及び手工業者の如く全然国家的保護を受けざる競争者を絶滅するに至るべし、一九二一年北米合衆国の調査官が本国関税委員会に報告せし所によれば「日本紡績業をして益々発展せしむる便益の一は、綿製業者の密接なる結合即ち大日本紡績聯合会の存在する事なり、此の聯合会は総て紡績業に関係する問題を処置し、棉花輸入業者及び綿製品の輸出業者と密接なる関係を有す、更に該工業は日本の主要工業なれば、世界貿易界に於て有利なる地位を占めんとする日本政府は該業を保護するに努む、物質的補助、殊に進歩せる金融組織により、又領事及び商務官を海外各地に派し、且大戦中世界各地に及べる航路に対する補助金を交附する等皆其の保護を目的とするなり」と。
 次に船舶の建造に対しても、船舶の航行に就ても、日本政府は自由に補助金を交附するの事実に就てエスエヌ・ハヂ氏は同氏の船舶経済なる著書に於て次の如く述べて居る、「日本の特別補助金は一八九六年の法律以前に於ても与へられたるも、一八九六年の法律により十五の補助航路を挙げたり、同法は一八九九年に改正せられ、更に一九一〇年に其の範囲を益々広むるに至り、欧米濠洲に至る航路に特別補助を為せり、此の補助船舶は三千噸以上十二節以上にして、建造後十五年以内なる事を要し、一噸一千哩《(浬)》に五十銭の補助金が与へらる」とあり、千九百十年の法律は千九百拾七年及び千九百拾九年に大部改正せられ、日本政府は千九百二十二年に補助金として百九拾六万二千六百三十四円即ち凡そ三百万留比を仕払ひたり。
 運賃は陸送よりも船による方必ず安価なれば、日本紡績工場は凡んど大阪に集中するが故に、綿製品を神戸よりカルカツタへ、孟買よりカルカツタに至るよりも安価なる運賃にて運搬し得るなり、同様に棉花の輸入に就ても日本は印度中部に於て多量に購入し、バンヂヤブ・アメリカン種はカラチにて、ブローチ種・南部印度種即ちカムボチア
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種・チネベリー種は忠竹林にて夫々船積さるゝなり、孟買より積出るる中央印度種及びブローチ種に就ては、汽車運賃にて不便を有すれども、カラチより積出るゝバンヂヤブ・アメリカン種、忠竹林より積出さるるカムボヂア種及びチネベリー種に就ては、日本船舶は孟買紡績工場が同種を得るよりも安価にて神戸に陸上げし得るなり。
 日本紡績業者は印度及び亜米利加の棉花を混成する特殊技能を有し夫を高級品として印度及び紅海地方の市場に供給するなり、パナマ運河の落成は日米間に総て海上による交通が可能となり、支那其の他東洋諸国にて日本と競争しつゝあるアメリカ綿製業者は、パナマ運河経由東洋行アメリカ綿製品の運賃に就て一噸に付き十七弗日本より不利を受け○中略 東洋に於ける日本の日々に発展しつゝある勢力は遂に英米をも圧倒するに至るべし、徹底せる自由放任主義の元に置かれたる印度の如きに於てをや、此に再び印度政府に対して不公平なる競争を中止すべく断固たる処置を執られん事を要求す。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九九号・第七―一四頁大正一四年一二月 ○印度紡績業と対日競争(下) (ボンベイ・クロニクル社説)(DK520018k-0033)
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大日本紡績聯合会月報 第三九九号・第七―一四頁大正一四年一二月
      ○印度紡績業と対日競争(下)
               (ボンベイ・クロニクル社説)
      (四)
 我々は日本の世界市場に進展せんとする断固たる決心を尊敬せざるを得ず、然れども大英国の支配の元にある印度が、何故に日本を恐れて国内工業を保護するに躊躇するの理由を知るを得ず、日本の製造業及び貿易業に就て苦心せる観察者は、世界市場に於ける日本の成功は単に賃銀の安き事、補助金等にのみよるにあらずして、日本は世界に於ける主要消費地に接近し、且極端なる国家主義的銀行組織により其の対外取引に有利なる地位を占むる事にも依るなり、日印間の競争のみの問題としては、日本の為替操縦問題も忽にすべからざるものなり印度の為替政策が、外人に有利にして印度自身に不利なる様に取扱はるゝ以上、日本は綿製品輸出に有利なり○中略
 かゝる銀行の援助を有する以上、日本の工業の発展も偶然にあらざるなり、且安価なる賃銀及び安価なる運賃を有するに於てをや、日本の製造業者は、かゝる了解と同情とを以て活動する銀行を有するが故に、印度の製造業者の永遠の困難なる資金の欠乏と云ふが如き事は決して無かるべし、印度の大蔵大臣は、九分の銀行利率の如何に工業を圧迫するかも理解せず、印度政府も其の当局者が印度人に非ずして、且商工業の増進発展に対する努力と云ふ点に就ては殆んど国家的同情を有せざるものと云ふべく、彼等の執れる放任主義は紡績業に取りて致命的の態度なり○中略
 北米合衆国の如きに於ては益々其の保護関税主義を強めつゝあり、日本商品を亜米利加市場に入れつゝある日本商人は、船賃其他の費用により初めの価格よりも凡そ三割の割高となり、此の事実は日本商品を亜米利加市場に於て不利なる地位に置くにも拘らず、猶一割五分乃至三割の関税を設け、猶且日本商品と競争する場合に於ては税額を二倍にも三倍にも増加す、然るに我々印度は印度工業の利益を無視する
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如き利他的の政府を有するなり、若し印度政府がかゝる印度工業に対する冷淡なる態度を持続するに於ては、印度国民の絶望は遂には総ての外国品に対してボイコツトをなす事によつて表現せられる事を予期せねばならぬ。
      (五)
 識者の中にも、印度工業の対日競争の現在の状態に於ては、印度は日本に対して報復するより道なしと云ふものあり、故に我々は国内市場に於ても外国市場に於ても、日本が彼を有利に導く為に用ひつゝある手段及び不徳を告発する為に努力せねばならぬ、然し此と別に日本自身が国内工業を如何に保護しつゝあるかを知るも重要なる事なり。
 日本政府の商工業に対する態度を見る時は我々は賞讚せざるを得ず且多少の嫉妬すら感ずるなり、彼等が如何に彼等自身の工業発展に努力しつゝあるかを見れば、我々が我々自身の手に依つて印度を支配し得るならば、其の多少なりとも模倣したしと感ずるなり、勿論印度大蔵大臣は常に議会に於ても其以外に於ても、印度の利益の為に力めつつありとは主張するも、却つて其の実行に於ては其の反対なり。
○中略
 日本当局者が奨励金・運賃戻金及び補助金の事実を否定するにしても、日本商品は明に種々の奨励金を受けつゝあるは明確なり、一方印度工業は其の苦境に陥りつゝある時に於すら、猶不公平なる消費税をランカシヤイアの利益が万一にも印度に於て害せらるゝを恐れて其の廃止を行はざる如きバヂール卿により、日本と全然正反対なる政策により、自国市場に於てすら不利益を蒙るなり。
 彼等印度当局は印度の要求を断然と無視し、印度と二・三の外国の商品間に、実際に競争の行はれつゝあるを調査する事すら行はざるなり、印度当局は実質上は英本国に対して何ものも貢献せずして、唯避くべからざる不信任と不公平なる課税の廃止を拒む事に依つて名声を保つ事に務むるなり、然れども我々は現在に於ても、印度が日本の模範より教訓を受くる時機として遅きものにあらずと信ず。
      (六)
 日本の関税法の第五条には更に印度にとりて尊き教訓となるものあり、即ち
 不当廉売品の輸入又は輸入品の不当廉売に因り、本邦に於ける重要産業が危害を被る虞あるときは、勅令の定むる所により、不当廉売審査委員会の審査を経て当該物品を指定して、之に対し期間を定め別表に定むる関税の他、其の正当価格と同額以下の関税を課し得
○中略
 此は日本が其の国内工業を保護する意志を最も露骨に表したるものにして、其の課税は不当廉売価格の十割たるも、二十割たるも、更に五十割たるも制限を受けざるなり。
 印度の主要工業たる紡績業は、日本よりの不当廉売価格商品により非常に脅かさるゝなり、然も其の価格の安き事は単に経済的理由に因るに非ずして、国際的協約及び社会的礼節、人道を全く無視する事により、或は政府の補助金及び輸出奨励金等に因るなり、我々は印度に
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於て日本を保護する為に輸入税に匹敵する国産税を課するよりも、日本を模倣して保護関税の必要を感ず○中略
 然れども印度政府は消極主義にして、眼前に横れる印度工業に利益を齎らす提案に就ても、恰も諺に所謂豚の前の真珠の如きものなり、後者は少くとも其の真珠の価値を知らざるなれば此を責むる能はざるも、印度政府は対外的の不当競争より国内工業を保護する経済的提案の真意を了解し得ざるものにあらず、我々は彼等当局者に日本の如く徹底せる保護政策主義を執る事を要求するものにあらずして、唯彼等が現在印度市場に於て外国品輸入業者に恰も一割二分以上の秘密補助金を交附する如き結果となりつゝある為替政策及び通貨政策を改め、又有害にして無益なる国内消費税を廃し、機械類の如きものにも区別なく課税する事を改革するならば、印度工業が現在希望せる其の大部を為せしものと云ひ得るなり。
 印度該工業の終局の目的は、印度の紡績業を益々発達せしめ、少くとも国内に於て原料たる棉花を有する以上、現在八億留比も輸入しつつある綿製品の輸入を防遏し、国内的には自給自足を為す事なり、現在に於ける該工業の地位は猶退歩的傾向にして政府が其の発展を助力すべき状態なり。
 若し印度政府が、我々が提案せる前記の微穏なる提案中の最も微穏なるものすらも無視するが如き事あらば、印度政府は印度国民の断固として外国品の徹底せるボイコツトを為すに至るを知らねばならぬ。
      (七)
 本論文に対して日本人読者より来れる通信ありしも、同通信は我々が日本を責めたる告訴に対し挑戦する所更に無し。
 参考の為及び議論の明確を期する為、再び日本に対して加へたる非難を概括せん、我々は日本との競争は彼等が賃銀の安き労働により、且綿製品の輸出に対し、或は単に其の運搬に対し、公然若くは秘密裏に補助金の与へらるゝ特典を有する事により、又日本帝国の終始一貫せる経済政策として日本政府の執りつゝある財政経済の手段を有する事により、不公平なる立場にあると云はざるべからず、前記通信は此等列記せる抗議の主因に対して何者も弁護せず、彼の云ふ所によれば日本に於ては其の工場法により十歳以下の少女は工場に使用し能はず且義務教育法により六歳より十二歳に至る少年少女は強制的に学校に行く義務を負はさるゝなり、此等の事実は勿論承認するも、我々の為せる抗議の内容たる労働力の大部は十三歳以上二十歳に至る少女よりなる事に対しては答弁とならぬ、次に其の通信は、労働時間に関する華盛頓協定よりも長き事に対する我等の抗議に対して弁護せず、唯我我の十一時間と云ひしに対し、大日本紡績聯合会の決議の元に労働規則として十時間労働となれりと述べたり、然れども此の事実は正文法律により強制的に制限さるゝ場合と趣を異にす、且彼は日本工場が一日二回交替制にして一月二十七日労働たる事に就て何等の抗議を加へ居らず、従つて労働時間に因る利益に就ての割合は、我々の主張せるよりも少かるべきも、日本は夫れによつて競争者に対して本質的利益を有する事は明なり。
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 下落せる為替は競争上日本を有利ならしむるの論拠に就ても我々の主張は論難されず、我々は其の日本の通信者と同様に印度への輸出品は為替上有利にして一方同国の輸入品に就ては不利なるの事実は承認す、且印度よりの輸入品は日本の輸出品よりも価格多き事も知れり。
 然れども日本の金融機関は貿易業者に為替問題に就ても種々の利益を与へつゝある事に就ては該通信は何事も述べ居らず、我々は日本に於ける労働者の賃銀は只食住を充すもののみよりなると云はざるのみならず且日本工場主は資金の集積に務めつゝありとも云はざるなり。
 最後に再びバヂール・ブラケツト氏及び同僚に対して、彼等が常に印度工業の利益の為に尽力しつゝありと主張しつゝあるに拘らず、日本との不当の競争を断然と中止せしむる手段に出でざるを責むるなり我々が目的とする所は、その実施の暁に於ても日印の貿易を阻害するものにあらずして、両者に対して正当に且便利に貿易の行はるゝものなりと信ず、我々と雖も日本に輸出する棉花に対して輸出税を課する如き考は更に有せざるなり、我々は政府が元来の政策の誤を改め、印度国民の期待に従はれん事を望むなり。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九九号・第六九―七〇頁大正一四年一二月 ○印度紡績業者の日本綿糸布対抗策(十一月十四日著在新嘉坡領事電報)(DK520018k-0034)
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大日本紡績聯合会月報 第三九九号・第六九―七〇頁大正一四年一二月
    ○印度紡績業者の日本綿糸布対抗策
            (十一月十四日著在新嘉坡領事電報)
 ルーター電報に依れば、孟買紡績聯合会長ワデア氏は本月九日マンチエスターに於て、同地綿業者代表と日本綿糸布対抗策に関し意見の交換を行ひ、印度紡績製品に対する三歩五厘の消費税を撤廃し、英国高級綿糸布に対する輸入税を軽減するの建議をなせる趣なるが、之に対する英本国並印度政府の意嚮は固より想像困難なるも、両国当業者の到達すべき方策としては、一、三歩五厘の消費税撤廃、二、高級品に対する輸入税軽減、三、主として日本及上海より輸入せらるゝ品目に対する輸入税の引上又は課税評価額の引上にあるべし、と予想せらる、尤も右の方法にては、予て英本国の主張し来れる英帝国間特恵関税の実現とは距離あるも、英本国としては一部其目的を達するものと見る可く、又印度政府としても消費税に於て失ふ処を関税の引上に依り補充し得るものなれば、両国政府も遂には之に賛同するに至らずやと予想せらる。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三九九号・第二―七頁大正一四年一二月 ○孟買紡績業の救済と賃銀値下続報 在孟買 玉垣生(DK520018k-0035)
第52巻 p.223-226 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇〇号・第三七―三八頁大正一五年一月 ○印度綿布消費税中止(DK520018k-0036)
第52巻 p.226 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四〇〇号・第三七―三八頁大正一五年一月
    ○印度綿布消費税中止
 印度総督は突如十二月一日発行の官報号外を以て公布したる印度統治法第七二条の権限に基く緊急勅令(効力六箇月間)を以て、一日より来年二月末日迄印度産綿布消費税の賦課並徴収の停止を命じたるものにして、同時に其理由に付縷々説明せるが、要は会計年度も終期に近づきたる今日モンスーン終了の結果又良好なるものありし為、今や今年並来年の財政状態に付的確なる予測をなすを得るに至りたる結果(一)今会計年度の残期に対し本税の停止を行ふも大なる歳入不足の危険なかるべく、(二)本税なくとも明年予算は歳出入を相平均すべき相当の見込あるに依り此処に本税を停止するに決せり云々と述べ、次で此財政状態に関する予測にして誤らざる限り、政府は次期議会に本税の廃止案を提出すべき意嚮なる旨を附言せり○中略 今回の決定に対し大体各方面は満足せるが如く、孟買紡績聯合会は昨日直ちに緊急会議を開き、前約に依り職工賃金を十二月一日より旧率に復すべきを決議したり、従て罷業の終熄亦近からんも、帰郷せるもの少からざるを以て工場全部の作業再開は一月中旬後なるべしと予想せらる



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇一号・第四八頁大正一五年二月 ○印度綿布消費税撤廃と英国の態度(DK520018k-0037)
第52巻 p.226-227 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四〇一号・第四八頁大正一五年二月
 - 第52巻 p.227 -ページ画像 
    ○印度綿布消費税撤廃と英国の態度
 印度政府綿布国産税撤廃発表は、既に同政府が財政の整理付き次第同税廃止の意嚮なることを声明し居りたる関係上、右は予定の事実なりし処、之に依り蒙むる英国製品の打撃大ならざる点より、英国当業者は意外に冷静なりしが、ガーデイアン紙は、右国産税撤廃の為英国品の受くる影響は印度向輸出の三分の一に過ぎず、之に反し印度財政の整理、経済界の好転は印度の購買力を増進し、上級品たる英国品の需要を増すものなりとし、又十二月一日マンチエスターの綿業者総会の決議も、同税廃止は印度斯業の苦境に鑑み、印度自身の発意に出でたるものなるべく、右廃止に依り印度経済界の回復を招致せば印度の購買力を増進し、却て英国品の需要を増すのみならず、印度製品の販路を拡大すべければ、英国品にinjusticeをなすことなく、印度自身のLegitimate Aspirationを満足するを得べし、只英吉利人は印度消費者の利益より見て、英国品に対し是以上の課税をなさゞるのみならず、更に印度財政の許す限り英国品に対する輸入税の低減を希望す、之を要するに、英印両国の了解より共助の精神を助成し得ば、吾人は右廃止に伴ふ不利苦痛は之を寛恕するの用意ありとせり、右決議に対し印度総督も英国同業者に同情的にして、寛大なる態度を多とする旨を寄せたるが如く、只印度向輸出を専業とする企業者間には、今回印度政府の措置に対し不満を懐き居る向もある以外、大体に於て同政府の措置を首肯し居るものゝ如し、尤も印度財政の整理と共に英国品に対し関税引下又は特恵附与を期待し居る向なきに非ざるも、右期待が果して何等かの根拠を有するものなりや、将又単なる希望なりや、今の処不明にて、従来両国間の関税問題に関する交渉並過般印度綿業者代表ワデアの来英等より推し、両者間に何等かの了解あるに非ざるやに付取調べたるに、何等斯る了解無きは勿論、印度政府の措置に対し対策すら考究し居らざる模様なり、斯く表面のみならず、内部も亦英国当業者の比較的平静なるは、英国品の蒙むる打撃の本邦・伊太利製品等に比し比較的僅少なるに依る処大なりと思考せらるゝも、他方英本国と属領との関係が年と共に益々デリケートとなり、殊に属領の内政又は財政に干渉することは、英国政府として出来得る限り避け居る方針なるが如きを以て、今回印度政府の措置の如きも、単に自国産業の救済を目的とし、何等外国品に対し掣肘を加へんとするものに非ざる限り、英国側より英国品に限り関税の引下又は特恵附与を要求することは困難なるものと察せらる、既に一九一七年及一九二一年の再度の綿製品関税引上に際し、英国品に対し何等の利益をも考慮せざりし次第もあり、今回の廃止問題に対しても当業者は大体に於て諦め居るものゝ如し、尚印度国産税撤廃決定は声明当時数日間世論の注意を喚起したるに止り、其後之に関し新聞雑誌上記事掲載甚だ少きは一面綿業者の平静を語るものと見るを得べし



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇二号・第一―一〇頁大正一五年三月 ○印度政府に提出の陳述書(DK520018k-0038)
第52巻 p.227-234 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四〇二号・第一―一〇頁大正一五年三月
    ○印度政府に提出の陳述書
  印度に於ける本邦品排斥運動は欧洲大戦後間もなく萌し、去一九
 - 第52巻 p.228 -ページ画像 
二一年より翌年まで存続の印度関税調査委員会に於ては、主義上に於て保護関税及英帝国特恵関税を承認し、尚之と共に輸入本邦綿糸布に関し相当深く調査の歩を進めたる模様の処、幸にして今日まで実際上同国関税に於て重要なる変改は行はれざりしも、昨年中印度紡績業者等は其年来の主張たる綿布国産税撤廃の目的を略貫徹したるを機会として、従来の排英思想を転して之を我国に移さんとする傾向あり、其結果同国紡績業者等を中心とする本邦品排斥運動は益々露骨となり、有ゆる手段に訴へて同国関税上我国に対して差別的待遇をなさんとする運動、最近に至りて益々猛烈なる有様にして、印度関税上に於て若し此の種の変改の行はるるに於ては、独り本邦綿糸布のみならず、印度に輸出せらるゝ一般商品も亦恐らく同一取扱を受け、日印貿易上に及す影響の甚大なりと信じ、今般当会より左記陳述書を英訳の上、印度財務長官及商務長官宛提出せり
      印度財務、商務両長官宛書簡写○前掲ニツキ略ス
      日本紡績事業に対する印度の誤解に関する陳述書
 印度に於て最近日本綿糸布輸入防遏の目的を以て、日本紡績事業に対する無稽の流説益々熾んに行はれ、其結果動もすれば、同国関税に於て日本を特殊扱にせんとする傾向ある種々の政策に就て考慮するものあるを聞く事は、吾々日本紡績業者の立場より考へ最も遺憾とする所なるのみならず、近年年と共に増進しつゝある日印間貿易の上より考慮し亦同一の感を懐くものなり、印度に於て此種の議論の唱へらるるに至りしは、相当以前よりの事なるも、特に最近に至り益々熾んに主張せらるゝに至りし一の原因は、印度紡績業者が其の年来の主張たる印度綿布国産税撤廃を貫徹せん為めと見らるゝ点あるが、元来国産税の起源及び今日迄存置せられし理由は、日本綿糸布と何等関係ありしに非ざるを以て、吾々は該税撤廃に対して全然意見を有せず、随て該陳述書も亦決して綿布国産税撤廃に対し聊かたりとも反対の意志を包含するものに非ざる事を諒知せられたし。
 吾々は去る一九二一年十二月卅日付を以て、印度財務長官及財政調査委員会各委員等に対し、当時印度に於て専ら流布せられつゝありし日本紡績業に対する種々の誤解に就て陳述書を提出したり、蓋し当時該調査会に於ては英印特恵関税問題に関する調査行はれつゝありしを聞き、而して斯の如き調査の行はれし所以は、畢竟日本紡績業に対する種々の誤解が重大なる原因となり、尚万一斯くの如き誤解が基因となりて、英印特恵関税若くは之に類する印度関税上の変改が行はるゝに於ては、日本紡績業に取りて非常の迷惑のみならず、延て日印一般貿易の発達を阻害し、彼我両国民に対し経済上不幸なる結果を齎らすべきを憂ひ、之を未然に防がんが為め右の陳述書を提出したる所以なり、然るに其後に至つても印度に於ては関税改正の問題は絶えず世上に起り、特に印度紡績業者は、国産税撤廃を主張する傍らに於ては必ず綿糸布輸入税引上を主張し、而して該引上を主張する場合には又た必ず日本紡績業者の競争――印度紡績業者の所謂不公正なる日本の競
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争――を高調しつゝあり、吾々は綿糸布国産税撤廃の為めに日本紡績事業の現状が多少誤解せらるゝ事は或は忍び得べしとするも、其結果が延て我が綿糸布に対する差別的関税設定の原因となる恐れありと思はるゝ今日の事情に於ては、其誤解を一掃する事は日本紡績事業に取りて最も必要の事項たるのみならず、日印間貿易の為め、将た又彼我両国民の経済的福利の為め必須の事項と信ずるを以て、玆に重ねて陳述書を提出し前陳述書を補遺する所以なり。
 (一)印度棉花運送契約による割戻金 数年前より印度に於て常に宣伝せられ、今尚止まざる大なる誤解の一は日本紡績会社が大日本紡績聯合会の名により、日本郵船会社及び其他の汽船会社と締結せる印度棉花運送契約により、汽船会社より受入れつゝある運賃割戻金を以て日本政府の紡績事業に対する保護金なりとせる一事なり、此事に就ては一九二一年中提出の陳述書中に於て該運賃契約の来歴に就て詳しく説明し、直接と間接とを問はず割戻金と政府と何等関係なき事を明かにしたれば、玆に之を再説せざるも、若し一言にして分り易く云へば該契約は目下の所紡績聯合会と日本郵船会社・大阪商船会社及び彼阿汽船会社の三汽船会社との間に締結せられ、尚欧洲大戦以前に於てはオーストリヤン・ロイド社、伊太利汽船会社並にメサゼリー・メリチム社とも同一に契約せられ、是等の外国汽船会社は日本の汽船会社と同一の割戻金を日本紡績会社に支払へる点より見るも、該戻金が日本政府と何等関係なき事を知り得べく、又た昨年末上海に於て日本人経営紡績会社の発起により、支那人・英国人及印度人の経営にかゝる紡績会社及在上海各国人棉花商の充分なる満足と賛同とを得て、是等の紡績会社及棉花商等が一団となりて、従来日本に於て実行しつゝありしと全然同一の契約を締結したる事によりて見るも亦明かなるべし。
○中略
 最後に印度に於ては、日印間航路に対し日本汽船会社が政府助成金を支給せられつゝあるが如く云ふも、該助成金は去る一九〇六年中に全廃せられ、今日政府より支給せられつゝあるものは、其輸送する郵便個数に応じ支給せらるゝ郵便航送料あるのみにして、其金額は少額に止まり、固より保護金の性質を有せず、大阪商船会社は自から右の支給を辞退したり。
 (二)華府労働会議採択の労働時間制条約案批准の問題 印度に於ける一部論者の説によれば、日本は華府に開かれたる第一回国際労働会議に於て採択せられたる、労働時間制に関する条約案を今日迄批准せざるを以て、既に之を批准して実行中にある印度工業は自から非常の圧迫を蒙り居ると主張し、而して此説をなすものは主として印度紡績業者にして、彼等は恰も同国紡績事業が之れが為めに非常なる打撃を蒙りつゝあるが如く唱へ居る模様なるも、之に就ては印度に於て種々の誤解ある事を陳弁せざるを得ず。元来日本に於て此条約案を批准せざるに就ては、国内に於て種々の事情存する事にして、吾々は其事情につき一々説明すべき位置にあらざるも、要するに日本は決して華府に於て決定せられたる各種条約案及び勧告案を軽視せるが如き事全然なく、国内の事情の許す限り可成速かに決議通り実行せんと勉めつゝ
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ある事は、一九二三年に議会を通過したる改正工場法、及び各種工場の労働状態が近年急速に改善せられつゝある事実によりて明かなりと信ず、但し単に批准の点より云へば、今日迄該条約案を批准せざるは独り日本のみに非ず、却つて之を批准したる国が僅かに希臘、ブルガリヤ、ルーマニヤ、チエツクスラボキヤ及び印度の五ケ国に過ぎざる今日、日本のみを問題とする印度の態度は妥当なるものと云ふべからず ○中略 印度にして若し日本が該条約案を今日迄批准せざるを責むるを至当とすれば、同一に又欧洲各国をも責めざるを得ざるべし。
 尤も印度の論者が前記の如き議論をなすは必しも斯かる形式論に非ずして、畢竟日本に於ける未批准の結果として、日印両国労働条件に懸隔生じ、延て綿糸布価額に影響すべしとの懸念より訴ふるものと信ずるが、若し労働時間に関する実際に就て云へば、少くとも日本紡績会社の労働時間は、印度に於て唱へらるゝが如く十一時間に非ずして去る一九二三年以降は、十時間労働制を極めて小部分の例外の外は実行し居り、大体印度の現行労働時間と異なる所なし。
 又職工年齢に関し、印度の或る有力家は印度政府当局者に対し、日本は十一才の職工を単に衣食を給する外無賃銀にて酷使せりと説明したるやに聞けるが、這は実に無責任なる批評にして、現行工場法に依れば、工場に於て使傭し得べき職工は十二才以上のものに限られ、又多分本年より実施さるべき改正工場法には第一回労働会議に於て採択せられたる通り、之を十四才以上と改正し、現在に於ても十四才未満のものは仮令ありとするも極めて僅少に過ぎず、況んや職工に給料を与へずと云ふが如きは実に非常識なる誤謬と云ふ外なし。
 (三)職工賃金 印度の一部には日本紡績会社の職工賃銀は印度よりも低廉なりとの説あるも、是亦事実を転倒したるものなり、最近に於ける印度紡績職工賃銭に関する計数は之を知り難きも、昨年中発表せられたる孟買政府労働局の報告によれば、一九二三年八月中孟買州百八十六紡績工場に於ける職工賃銀総平均率は、一ケ月二十七日間勤務するものとして一人につき三十二留比一安なりとの事なるが、同年同月中日本紡績職工の総平均賃率は、仮りに孟買同様二十七日間勤務するものとすれば、一ケ月一人に対する賃率三十三円五十三銭にして、若し同年中の平均為替率、即ち壱百円に対し百五十五留比八によりて換算すれば、右日本賃率は五十二留比四安に匹敵し、我国は印度よりも六割以上高率なり、加之ならず、日本に於て最も完備せる職工寄宿舎設備に要する費用は相当巨額に達し、尚近年日本に於ける一般物価の騰貴率は世界に比類なき高率なる事は、統計上最も明白なる所なるを以て、紡績職工に対し毎半年に支給せらるゝ賞与金・職工募集費・養成費・其他の間接費用は、右寄宿舎設備費と共に近年非常なる膨脹を来し、是等の間接費用を加ふれば、紡績職工に対する日印両国紡績会社の負担額は、蓋し非常に径庭あるものと謂はざるべからず。
 (四)二十時間操業の問題 又印度に於ては日本の紡績会社は一昼夜に二十二時間操業し、印度は十時間なるが故に、日本に対する競争至難なりとの説あり、併し日本紡績の操業時間は前記説明の通り、職工二交替制にして片番十時間宛の労働なれば、事実二十時間にして二十
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二時間にはあらず、一九二四年二月八日付を以て孟買紡績聯合会が印度政府に提出したる陳情書中に於て、日本紡績は二十二時間乃至二十四時間操業すと記したるは、誤報を基礎として更に之を誇張したるものなり
○中略
 (五)租税負担額 一九二四年二月八日付を以て孟買紡績聯合会が印度政府に提出したる陳述書中に、日本紡績の各種租税負担額は印度に比し軽微なりと記載せるが、元来該陳述書提出の目的は国産税撤廃の必要を述べしものなるに付き、国産税撤廃の実行せられたる後に於ては、恐らく此問題は消滅するものと信ず、何となれば、現在印度紡績納税額中其大部分を占むるものは国産税総額約二千万留比にして、此外所得税・超過利得税・機械輸入税・染料其他紡績用品輸入税、並孟買に於ては消費棉花一俵に対する一留比及び四安の市税等あり、其外尚多少の租税負担あるも、其総額は国産税額に比し、普通の年に於て少額なるを以てなり。
 (六)低利資金に関する問題 最後に印度に於ては、日本紡績が社債又は低利資金の形式により政府の保護を受けつゝありとの説伝へらるるも、是亦運賃に関する誤解と同じく全然根拠なき説にして、若し其事実ありとすれば、事実上の説明を与へん事を望まざるを得ず。
 印度に於ける一部の論者は、日本興業銀行が社債の形式により紡績会社に対して低利資金を供給し、又は海外にある日本棉花商が同銀行より低利資金を融通されつゝあるが如く云ふものあるも、元来日本紡績会社の内錘数より云へば其殆んど全部は近年其基礎最も鞏固なる上に、多額の流動資金を抱有し、銀行に対しては寧ろ貸方に属するを以て、高利と低利たるとを問はず銀行より資金の融通を受くる例は極めて少なく、仮令一小部分の会社に於て之をなすものあるも、紡績に対し特に低利の融通に応ずる銀行なく、興業銀行より資金の融通を受けたる紡績会社は今日の所恐らく一会社もなし○中略
 (七)日本紡績業の将来のハンヂキヤツプ 欧洲大戦以後、日本程物価騰貴の急激なる国は他に其例なくして、日本銀行の調査によれば、一九一四年七月の物価を一〇〇として、一九二五年六月中の指数は東京二一〇・三、倫敦一六九・六、紐育一五七・三を示し、又印度の調査によれば同期間の騰貴率六割に過ず、尚日本は人口の激増と一般工業の発達の為め市街附近の地価は著しく暴騰し、凡そ是等の事情の為め紡績建設費も亦近年続々膨脹し、此一・二年間大阪附近の地に於る建設費は、一錘百五十円乃至二百円見当に達し居れば、今後日本紡績増錘と共に平均建設費の増大する事は必要なるべく、労銀も亦各国との比較上最も急激に今後騰貴すべき傾向あり、元来日本紡績事業は自国に棉産地なき為めと、其建設費が特殊の事情により非常に嵩める為め、現在に於ても諸外国との競争上少からざるハンヂキヤツプを負へるに、将来に於て起らんとする傾向前記の如くなるを以て、今後日本紡績の競争力は逐次渋滞を来すものと見ざるべからず。
 (八)日本輸入綿糸及綿布 日本綿糸及綿布が欧洲戦後初めて印度に輸入を開始し、今尚或数量の輸入を持続せるは事実なるも、其数量は
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印度の総消費額に比すれば問題とするに足らざる数量にして、即ち一九二四年に終る五年間平均に於て綿布三万八厘、綿糸二分四厘を超えず、之と同時に印度に於ては機械綿布の外手織綿布の製額甚だ多くして、若し之を加ふれば、日本品の輸入額は総消費額に比し殆んど云ふに足らず、加之ならず日本綿布輸入数量は一九一八―九年度を頂点とし、其以後再び斯かる多数に達せざるに反し、英国綿布輸入額及び印度紡績製産額は近年多少増加の趨勢を示めし居れり、要するに右の如き少額の日本綿糸布輸入の事実に基づき、俄かに日本品圧迫の手段を講ぜんとするが如きは、余りに狭量なる政策なると同時に、苟くも印度にして日印貿易を全然断絶せんとするものに非ざる以上は、右の如き方法を講ずる事は余りに穏当を欠きたるものと謂はざるべからず、今右に関する統計を示せば左の如し。
 綿布(日英輸入及印度産額)


 
         日本   合計に対する歩合   英国     合計に対する歩合   印度     合計に対する歩合    合計
               千碼                千碼                千碼                千碼
 一九一九―二〇年  七五、九五三   二・八     九七六、一二七  三六・三   一、六三九、七七九  六〇・九   二、六九一、八五八
 一九二〇―二一年 一七〇、三三九   五・六   一、二九一、七六三  四二・四   一、五八〇、八四九  五二・〇   三、〇四二、九五一
 一九二一―二二年  九〇、二七五   三・三     九五五、〇九九  三四・四   一、七三一、五七三  六二・三   二、七七六、九四七
 一九二二―二三年 一〇七、七七八   三・三   一、四五三、四〇八  四四・二   一、七二五、二八四  五二・五   三、二八六、四七〇
 一九二三―二四年 一二二、六六六   三・九   一、三一八、八〇四  四二・〇   一、七〇〇、三九七  五四・一   三、一四一、八六七
 平均                 三・八%             三九・九%             五六・三%
綿糸(日英輸入額及印度産額)
          日本   合計に対する歩合   英国     合計に対する歩合   印度     合計に対する歩合    合計
              千封度               千封度               千封度               千封度
 一九一九―二〇年   一、九一七   〇・三      一二、二二九   一・九     六三五、七六〇  九七・八     六四九、九〇六
 一九二〇―二一年  二〇、一二二   二・九      二三、三九五   三・三     六六〇、〇〇二  九三・八     七〇三、五一九
 一九二一―二二年  一四、九一五   二・〇      四〇、〇七四   五・三     六九三、五七一  九二・七     七四八、五六〇
 一九二二―二三年  二六、五四六   三・五      三一、〇一八   四・一     七〇五、八九三  九二・四     七六三、四五七
 一九二三―二四年  二〇、四三〇   三・一      二一、七八九   三・四     六〇八、六二七  九三・五     六五〇、八四六
 平均                 二・四%              三・六%             九四・〇%



 印度の紡績業者は最近事業の不振に就て頻りに訴へつゝあるも、日本紡績事業も亦戦後の不景況は免れざる所なり、併し之を大局より見れば、印度紡績は大戦後錘数百五十万錘、織機三万三千台を増加し、必しも事業の蹉跌を来したるものに非ず、日本紡績は印度よりも長速の進歩をなしたる事は事実なるも、後進国が先進国より比較的長足の進歩をなす事は多くの場合に於ては止むを得ざる所にして、支那紡績は日本よりも一層長足の進歩をなしつゝあるも、日本は之に対し嘗て嫉視したることなし、印度にして若し今少し日本紡績進歩の実情を詳知せば、日本に対する反感は著しく緩和せらるべし。
 併し若し印度紡績業者の云ふ如く、日印の競争上印度が敗を取る恐れありとの事を以て真に事実なりとすれば、其原因を究むるに当り、只管に之を外国の事情にのみ帰せしめんとする印度の態度は、決して公平且正当なる結論を得る所以に非ずと信ず。吾々をして若し遠慮なく云はしめば、日本国民の進取的なるに反し、印度国民の保守的傾向を免れざる事は、両国工業の進歩の上に重大の影響あるべしと考ふる事は決して根拠なき独断に非ずと信ず、例へば印度紡績に於て其多年の因襲にして最も弊害ありと認めらる所謂エゼント・システムさへも
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今尚何等改善せられざるが如き其一例にして、吾々は印度紡績業者に対し切に希望したきは、最も公平なる態度を以て両国紡績事業につき研究する事の一事にあり。
 (九)日印貿易の現情 尚此機会に於て貿易上より見たる両国の一般的利益に就て一言せんとす、両国間の貿易は一九一四年の一億八千六百万円より、一九二四年の五億二千三百万円に激増したる事は、両国民の最も欣ぶ所なりとし、玆に注意を喚起したきは、右の如く激増したる重なる原因は、印度より日本に対する輸出累進の為めなる一事にあり、即ち之が為め印度は日本に対し連年莫大の輸出超過をなし、日本の立場より見れば、日本の貿易国中印度は実に第一位の輸入超過国たる位置にあり、日印貿易の趨勢左の如し。(単位千円)

       印度に対する輸出額 印度よりの輸入額   合計     輸入超過額
 一九〇九年  一四、四二六     六五、一五七  七九、五八三  五〇、七三一
 一九一四年  二六、〇四八    一六〇、三二四 一八六、三七二 一三四、二七八
 一九一九年 一一六、八七八    三一九、四七七 四三六、三五五 二〇二、五九九
 一九二四年 一三五、三七三    三八七、七九一 五九三、一六四 二五二、四一八

 而して此貿易状態を最も具体的に云へば、日本は印度より主として原棉を輸入し、印度に対して各種雑貨と共に少しばかりの綿糸布を輸出しつゝあるが、然るに日本の輸入する印度棉は印度原棉総輸出額の約半額を占め、日本より輸出する綿糸布は印度綿糸布消費額の僅に三分見当に過ぎず、然るに其輸出棉花に対しては何等考ふる所なく、独り綿糸布の輸入防圧に腐心するは、双互利益交換の原則より見て決して妥当なる措置に非ざるのみならず、斯くて日本よりの輸出を阻害する結果は、日本に於て仮令報復的手段に出ずとするも、当然印度輸出貿易の上に影響を及ぼし、原棉は云ふ迄もなき事として、目下日本に相当輸出せられつゝある穀類・鉄・皮革・Lac,・肥料並黄麻製品等にも亦全然影響なしとはせず、加之ならず、日本綿製品の内印度品よりも安価なるものあるも、其輸入を防ぎて高価なる綿糸布の買入を印度一般消費者に強ゆる事は、同国紡績事業の為めに印度一般消費者の利益を犠牲とすとの譏なきや、尚有体に云へば現今の印度綿糸布関税を仮りに引上ぐるとして、其結果は徒らに製品価額を高むるに止まり、之によりて果して印度紡績の発展を期し得べきや否やに就ては、由来余りに関税の保護に依頼し、関税引上は却て工業家をして偸安無為に流れしむる傾向ある印度に於ては、最も慎重なる研究をなす必要あるものと信ず。
 (十)棉花輸出税問題 此問題に就ては印度に於ても既に略ぼ論じ尽されたる所にして、同国一般の輿論は之を好まざる模様なれば、玆に再説の要なしと信ずるも、元来該税は一九一六年に於て初めて賦課せられたる黄麻輸出税と全然其性質を異にし、結局印度棉作業者の負担に帰すべきは最も明かなる所なり、加之ならず該税の目的は、印度に輸入せらるゝ日本綿糸布に対して間接に課税せんとするものに外ならざるに、製品として印度に逆輸入せらるゝ印度棉花は日本総輸入額の極めて小部分に過ざるを以て、印度紡績は該税によりて多少得る所ありとするも、之によりて棉作業者の失ふ所を補ふに足らず、且万一該
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税が棉作業者の負担に帰せずして、日本紡績の負担となるものと仮定すれば、其結果は日本に於ける一般綿糸布消費者に課税するの結果となり、或程度まで国民的悪感情を招く恐れなきに非ず。
 (十一)吾々の希望 以上多岐に亘りて説明を試みたるが、吾々の希望する所は極めて簡単なり、即ち吾々の敬愛する印度紡績業者並に其他の人々は、最も公正なる態度を以て日印紡績事業の状態を研究し、公正なる判断の上に適当の方法を講ぜらるゝ事にして、即ち一歩を進めて云へば、公正なる基礎の上に関税政策を置き、以て益々彼我貿易の増進を図られたき一事なり○中略 要するに、吾々は国内に於ても常に極端なる関税の引上を排し、貿易を公正なる主義の上に置き、国家全体の永遠の利益を計らんとしつゝあり、故に印度に於て、若し印度財政上の必要により、列国に対し一様に輸入税率を此上引上ぐる事あるも、其理由が真実にして公正なるに於て、日本は之に対し何等云ふべき所なきも、最近印度一部論者の間に主張せらるゝ如く、誤解又は誇張せられたる報道に基づき、日本に対し関税上差別的政策を施すが如き事あるに於ては、所謂フヱヤー・トレードの主義に反し、両国貿易の進歩を阻害し、両国民に対し同一に経済上の不幸を齎すべきを憂ふるものにして、此種の関税策実施につきては充分に考慮せられん事を希望するものなり。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇五号・第二―四頁大正一五年六月 ○当会総会に於ける斎藤委員長演説(DK520018k-0039)
第52巻 p.234-235 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四〇五号・第二―四頁大正一五年六月
    ○当会総会に於ける斎藤委員長演説
本年度中の事務経過に付ては既に報告書として諸君の御手許に差出して置きましたが、之に関聯して一言附加したいと考へます
本年度中我国紡績事業に関する重大なる出来事は、支那関税問題と印度に於ける綿糸布排斥問題でありますが、支那関税問題に付ては日々の新聞紙上に於て御承知の通りでありますから玆に贅言を省きます
印度の事に就て少しく述べて見たいと思ひますが、御承知の通り印度に於ては欧洲大戦当時より本邦綿糸布の輸入が始つて以来、本邦綿糸布に対する反感は年と共に加はり、特に昨年より本年に亘りては我国に対して関税上の特殊的待遇をなさんとする議論が頗る熾んとなり、終には日印通商条約破棄と云ふが如き極端なる説をなすものがありましたが、幸にして印度に於ける具眼者は大に其非を唱へ、結局此の日印通商条約破棄の提案は二月中デリー市に開催の全印度商工業者大会に於て葬られ、又三月中開会の印度立法議会にも遂に此種提案の無かつた事は我国紡績事業の為め、又広く云へば日印貿易進歩の上より見て大に慶すべき事と思ひます
然らば此種議論は印度に於ては全然絶滅したかと云ふと、決して左様には非ずして、最近印度より到達した多くの報道によりますと、同国紡績業者は今尚ほ日本綿製品の「不正なる競争」と云ふ事を盛に主張し、日本紡績事業の競争に対する印度紡績事業保護の必要に付て頻りに論じて居る事を見ますと、曩の如き議論は必ず今後も印度に於て唱道せらるゝものと見ねばなりませんので、現に是等の情報の内には来る九月の印度議会には、何等かの形式の下に日本に対する印度紡績保
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護法案が提出せらるゝ恐れがあると申して来て居ます、印度に於ける保護論者が、今後果して如何なる種類の保護法を主張するかは今日の所尚不明でありますが、若しデリー大会の決議にある通り、英国産業保護法類似のものを主張するものとせば、少くとも其一条件として我国紡績事業は日本政府の保護を受け居る事が確実となるにあらざれば斯かる保護法の実施せらるべき筈はないのであります、然るに我国に於て此種保護のなき事は諸君の御承知の通り最も明白に断言し得るのでありますから、吾々の信ずる所によれば、斯かる種類の保護法が日本に対して実行せられ得べき余地は全然ない事と確信致します
又印度紡績業者は、我国に於ては労働問題又は為替の問題に付て種々の説をなしますが、其云ふ所は概して同一の事を幾度か繰返すに過ぎないので、其主張の事実無根又は甚しく誇張せられたる報道に基いて居る事は、本会が去る二月中印度政府に提出した陳述書によりて略ぼ明瞭であると考へます
最近接手した印度新聞によると、孟買紡績聯合会々長ワヂヤ氏は、去る三月中開会の同会総会席上に於て、所謂「日本の不正なる競争」に就て一場の長演説を試みて居りますが、私は、若し其の演説の内に同氏等が従来唱へなかつた新たなる主張があれば、此機会を利用して一応弁明したいと考へ、其演説を通読しましたが、殆んど一点たりとも従来よりも新たなる主張の無かりしを見て、実は幾分失望した程であります
唯同氏の演説の結論の内に「我々は世間に於て一般に唱へらるゝが如き意味の保護を要求するのではなくして、唯印度に対して不正なる競争をなす国に対する印度工業の保護を主張するのである」と論じて居りますが、此一言は印度紡績業者の今後主張せんとする保護策の輪廓を説明したものでありまして、我々が印度現在の保護論に反対せざるを得ざる所以も亦実際此点にあるのであります、即ち印度にして若し各国に対して平等に保護関税其他の保護策を講ずるならば、素より止むを得ざる所であると考へますが、単に無根の事実を基礎として、我国のみに対して関税上の特殊扱をなさんとする印度紡績業者の態度は日本の「不正なる競争」を叫びつゝ、実は印度紡績業者が此の「不正なる競争」をなさんとするものでありますから、印度に於て若し斯かる方法を講ずるに於ては、我国も亦た断乎として之に対応すべき策を講ずる必要があると確信します
併しながら昨年以来の経過から見ますと、印度にも亦多くの具眼者があつて、斯かる不公正にして又実際卑怯なる態度を取ることは、印度大多数国民を禍するものであると云ふ議論が印度に於て最後の勝利を得ることゝ信じ、日印の間に斯かる好ましからざる論戦の今後長く継続せざることを切望する次第であります
此問題は曩に申した支那関税問題と共に、我国紡績事業に対する最も重大なる問題でありますから、一言諸君の御注意を促した次第であります



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇五号・第八―一二頁大正一五年六月 ○孟買紡績業者の日印通商条約破棄運動 在孟買 玉垣生(DK520018k-0040)
第52巻 p.235-237 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四〇八号・第八―一三頁大正一五年九月 ○印度織布業と関税調査会事情 本会孟買出張所 玉垣徳蔵(DK520018k-0041)
第52巻 p.237-238 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四一〇号・第一―一〇頁大正一一年一一月 ○印度第二関税調査会に提出の陳述書 印度第二関税調査会々長宛書簡写(DK520018k-0042)
第52巻 p.238-243 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四一〇号・第一―一〇頁大正一一年一一月
    ○印度第二関税調査会に提出の陳述書
      印度第二関税調査会々長宛書簡写
 目下印度の朝野に於て討議せられつゝある同国関税問題と日本紡績
 - 第52巻 p.239 -ページ画像 
事業との関係に就き、卑見を陳述して御参考に資するの光栄を得申候
 仄聞する所によれば、印度政府は現在に於ける、印度紡績事業の不振の原因を調査し、且つ其対策を提議せしむる為め、第二関税調査会○鋼鉄業ニ関スル関税調査会ニ対シ綿糸布関税調査会ヲ云フ を設置せられたる趣に有之、且又最近接手したる情報によれば、右調査事項中には印度紡績事業に対する「日本の競争」に関する事項を包含せる趣に有之候に付ては、該調査会調査の結果が、日本紡績事業の利害に最も重大なる関係あるに顧み、敢て卑見を陳述して公平厳粛なる御判断を仰ぐ次第に御座候
 日本紡績業者が単純なる印度の関税率引上に対し異論を申立つるものにあらざる事は、去一九一七年以後綿布に対する二回の同国関税率引上に際し、吾々が何等訴ふる所なかりし事により御賢察被下候儀と存候、然るに今日卑見を述て御明断を仰ぐ所以のものは、最近印度に於て論議せられつゝある関税問題の主要点は、従来に於ける関税率引上の場合と全く其性質を異にし、日本綿糸布に対して関税上の特殊的待遇をなさんとするものなるが為に御座候、殊に特別関税設定を主張するものゝ論拠は、概して虚構又は誇張若くは論者自身の偏見誤解に基くものに有之候事は、既に恐らく御明察被下居候儀と確信罷在候処万一斯る誤れる見解に基き印度関税上の改正を施さるゝに於ては、独り日本紡績業に取りて非常の苦痛なるのみならず、延て日印間の貿易を阻害し、両国民間に存する親善なる感情に影響する所少からずと存じ只管憂慮罷在候
 貴調査会に於ては、日本紡績事業に関する御調査の材料は既に略御整備相成居候儀と拝察仕候得共、尚日本紡績業の実情を一層明白にする為め、玆に謹で本陳述書並に之に添へて吾々が本年二月十七日付印度財務長官及商務長官に提出したる陳述書、及び去る一九二一年十二月三十日付右両長官並に当時の財政調査会委員各位に提出せし陳述書各写を提出仕候間、何卒御閲読の栄を賜はり、本問題に関する日本紡績事業の立場を充分御諒察の上、公正なる御判断の程伏して奉冀上候
                           敬具
  大正十五年十月一日
            大日本紡績聯合会
                  委員長 阿部房次郎
    印度第二関税調査会々長宛

      印度紡績業と日本紡績業
      との関係に関する陳述書
 近年印度の一部論者によりて、日本綿糸及綿布の印度輸入額増進は日本紡績事業の印度紡績に対する不正なる競争の結果なるを以て、日本綿糸布に対して特別に輸入関税を増徴し、以て日本に対し関税上特殊的待遇をなすべしとの主張益盛なる事実に鑑み、大日本紡績聯合会は去る一九二一年十二月中印度政府に提出したる陳述書に次で、更に本年二月中同政府に第二の陳述書を提出し、印度に於て唱導せらるゝ前記の如き説は全く事実無根又は非常に誇張せられたるものにして、万一斯かる虚構の宣伝に基き軽々しく印度関税定率法に変改を加ふる
 - 第52巻 p.240 -ページ画像 
が如きことあるに於ては、其結果は独り日本紡績事業の大なる不幸なるのみならず、延て日印間の貿易を阻害し両国民間の親善なる感情を傷け、両国に対し共に不利益なる結果を齎すべき事に就き、誠実に事実を述べ併せて吾々の所見を陳述したり
 故に吾々は今又殆んど同一の事を重て説明する必要なしと信ずるも去る七月中孟買紡績聯合会が第二関税調査会々長に提出したる長文の意見書を閲読するに、その重要なる部分に誤謬の点あり、又日本の事情に不明なる為め誤解の点少なからざるを以て、こゝに該意見書に対する吾々の意見を述べ、以て之を第二関税調査会に提出し其調査の参考に資せんとする所以なり
   一、印度綿糸の対支輸出減退の件
 孟買紡績聯合会意見書の初めの部分を要約すれば、最近に於ける印度紡績不振の遠因は前世紀末以来支那に対する輸出減退に在り、而し印度糸の対支輸出減退の原因は主として印度幣制の変改、並に日本紡績業の競争なりと云ふにあり
 吾々は今印度幣制に関して説明すべき立場に在らざるも、唯だ日本も亦一八九七年中初めて金貨本位制を採用したる以来、対支貿易に関しては印度と略同一の事情の下に置かれたるを附言せんとす、又支那市場に於る日本糸の競争に関する件は、印度に於ける現在の関税問題と左程重大なる関係なきものと信ずるも、其事情に就ては簡単に玆に説明し置く必要あり
○中略
   二、華府労働会議条約案及日本
     工場法に関する誤解
 孟買紡績聯合会意見書中の次の要点は、日本紡績事業は印度紡績に比し「特殊の利便」を有せるを以て、印度は之に対抗する為め、印度紡績に対し特別の保護政策を施す必要ありと主張せる点にあり
 印度紡績が日本の所謂「特殊の利便」として挙ぐる所を見るに、先ず第一に日本は華府労働会議に於て採択せられたる労働時間、並に女子及小児の夜間使用に関する両条約案を批准せざる事を以てし、更に進んで一九二三年三月発布の日本改正工場法は、印度工場法に比し労働条件に於て程度の低きものなりと断定せり
 日本の華府条約未批准の件に関しては、本年二月十七日付の吾々の陳述書中に縷々事情を説明したるを以て、玆に重て詳説の要を見ざるも、若し日本の条約上の立場及び本問題に関する日本と印度との関係に至つては、印度政府が去三月廿六日付を以て孟買紡績聯合会に送附したる書面の一・二節により明白なり
 同書面中の第四節及第五節の要領は、印度紡績に於ける婦人及小児の夜業禁止及十時間労働制は、印度に於て華府会議条約案を批准したる以前より既に実行したる所なるを以て、印度工場法の改正と華府条約案批准とは其間何等の関係なし、又た日本は平和条約第四〇五条に照し必ずしも華府労働会議条約案を批准せざるべからざる義務なく、従て日本の未批准を理由として日印間の他の条約を否認することは印度政府の為し能はざる所なりと明言し、本問題の核心を最も直截に説
 - 第52巻 p.241 -ページ画像 
明したり、唯吾々が印度政府の右の言明に附言すべき一事は日本は必ずしも平和条約第四〇五条に隠れて批准を怠れるものに非ず、又た決して右条約案を軽視せるに非ずして、却て国内の事情の許す限り速に其実行を期し、現に華府会議に於て採択せられたる各種条約案の殆んど全部は既に現行工場法中に取入れられたることにあり
 孟買紡績聯合会が、日本改正工場法は印度工場法に比し労働条件の上より見て低級なるものとして一々指摘せる所は、実に甚しき誤謬にして、吾々は該意見書の筆者は果して日本労働法規の大体を通読したることありや否やを疑はざるを得ず
○中略
 若し夫れ日本労働法制中、印度に比し遥かに勝れる点を列挙すれば極めて多々なるべくして、例へば一九二二年発布せられたる健康保険法の如き職工の安全福祉を図る上に於て最も有効なるものなるも、印度に於ては今日迄此種の立法あるを聞かず
 印度紡績業者は大凡右の如き誤れる臆測を基礎として、日本の競争は「不正」又は「不当」なりと云ふも、吾々より見れば、斯る無稽の事実に基きて他を中傷し貿易を阻害せんとすることこそ却て「不当」なる行為と云はざるべからず
   三、運賃に関する助成金及低利資金問題
 該問題に関しては一九二一年十二月中及本年二月中印度に提出したる吾々の両陳述書中に詳述したるを以て、玆に蛇足を加へず○中略
   四、生産費の昂騰
 孟買紡績業者は近年に於ける印度紡績業不振の一大原因として生産費の昂騰を挙げたり、生産費の昂騰が果して如何なる程度迄紡績不振の原因をなせるやに就ては、精確に説明する材料を有せざるも、其生産費の著しく昂騰したる事実は明かに之を認むべきなり、何となれば物価及労銀の昂騰は、大戦以後各国共通の傾向にして、日本の如き恐らく印度よりも一層物価・生活程度及び労銀の昂騰を示し居ればなり○中略 但し此機会に於て印度紡績業者等の参考に資する為め、左に日本銀行の調査に係る日・英・米に於ける物価指数表と孟買政庁労働局調査の指数を対比附載すべし
      内外物価指数対照表
                (一九一四年七月基準一〇〇)

  年次     東京    倫敦    紐育    孟買
一九一五(平均)一〇一、六 一二九、二 一一三、八 ――
一九一六(同) 一二二、九 一六八、三 一三六、六 ――
一九一七(同) 一五四、七 二一四、四 一八〇、五 ――
一九一八(同) 二〇二、六 二三六、〇 二一六、七 二三六、〇
一九一九(同) 二四七、八 二四六、八 二一五、七 二二二、〇
一九二〇(同) 二七二、八 二九七、四 二一七、三 二一六、〇
一九二一(同) 二一〇、八 一九〇、一 一三一、三 一九七、〇
一九二二(同) 二〇六、〇 一六七、三 一四〇、〇 一八七、〇
一九二三(同) 二〇九、五 一七〇、二 一五四、八 一八一、〇
一九二四(同) 二一七、三 一八二、六 一四八、六 一八二、〇
 - 第52巻 p.242 -ページ画像 
一九二五(平均)二一二、二 一七四、八 一六一、一 一六三、〇

  備考 東京は日本銀行調査、倫敦はヱコノミスト社調査、紐育はブラツドストリーツ社調査、孟貫は孟買政庁労働局調査、(孟買は一九一四年中平均基準一〇〇)
   五、特別関税一割三分増徴説
 孟買紡績聯合会意見書の結論は下の如し、即ち日印為替は戦前の平価百円につき百五十三留比より最近百二十九留比となり円価一割五分の下落となるを以て、日本が印棉輸入に就て損失する所と製品の対印輸出に就て利益する所とを差引き、日本に対し特別に輸入関税約八歩を増徴し、又日本は二交替制により一部操業に比すれば、生産費に於て綿布価格の約五分に匹敵する節約をなし得るを以て、之により更に関税五分を増徴し、尚工場及機械損傷償却に充つる為幾分の保護を加へられたしと云ふにあり
 為替問題に就ては、孟買紡績聯合会の主張を批評するに先ち、最近為替は既に殆んど平価に恢復したる事を指摘せんとす○中略
 又印度紡績業者が日本に対する特別関税八分を主張する所以は、日本は為替下落により印棉輸入の際一割五分を損失し、又製品輸出の場合に一割五分を利益するも、原棉価格は製品価格の約五割に相当するを以て、両者相控除し製品価格の八分を増徴すべしと云ふにあり、此論旨より云へば印度棉を輸入せずして製品を印度に輸出する諸国に対しては、為替下落率の半部に非ずして全部を増徴するを至当と信ず
 更に単に日本に対する場合に付て見るも、日本紡績が為替下落により損失する所は、独り原棉のみに非らず、紡績の使用する総ての輸入消耗品及び機械は皆悉く為替下落の為め損失し、更に為替下落は日本の一般物価並に労銀昂騰の大なる原因をなし居るを以て、総て是等の点を考慮し製品輸出の際に於ける利益と差引計算すれば、為替下落により日本紡績が利益する所は極めて微弱なるものと云はざるべからず
○中略
 特に日本は最近の状態に於ては為替恢復の為めに輸出上極めて不利の立場にありて、仮令先年来其下落によりて多少利益ある立場にありしとするも、今後は其反対の立場にあることを考慮する要あり
 二部交替制の問題に関して云へば、日本紡績織布部の最大部分は一部操業制を採れるを以て、孟買紡績聯合会の前記の主張は根本に於て誤りありと云ふ一語を以て足れりと信ず
○中略
   六、綿製品以外の保護
 印度にして若し為替問題及び其他を理由として或一・二国に対し特別関税を賦課する事を正当と認むるに於ては、該特別関税は独り綿糸布に限らずして、極めて多くの他の印度産業をも特別に保護せざるを得ざる結果に陥るべし、現に孟買紡績聯合会意見書中にも砂糖・セメント・鉄鋼鉄及皮革等の製造業者は何れも印度政府の為替政策に悩まされ其保護を求めつゝありと云へり、印度に於て若し是等産業に対し一様に特別保護税を設くるに於ては、印度一般物価が著しく昇騰するは必然にして、国内消費者の迷惑察するに余りあり、而して其結果は
 - 第52巻 p.243 -ページ画像 
更に国内産業を圧迫し、斯くて印度は将来非常に不利益なる立場に陥るべきことは予想に難からず
   七、関税増徴の結果如何
 印度紡績業者は既往十数年間絶へず関税保護を主張して常に其目的を達したり、一九一六年以前に於ては綿布輸入関税三分五厘にして、之に対し三分五厘の国産税ありしを以て、結局関税の保護なかりしと同一の結果たりしなり、然るに一九一七年中戦時歳入補塡の必要上綿布輸入関税を七分五厘に引上げ、更に一九二一年之を一割一分に増率し、加ふるに従来無税なりし綿糸に対し一九二二年中五分の輸入税を設け、而して国産税は昨年十一月まで三分五厘に据置き、十二月以後は此国産税さへも撤廃したるを以て、今日の印度綿製事業は十年以前に比すれば結局非常に多くの保護を得つゝあり
 然るに此大なる保護は印度紡績事業に対して果して如何なる結果を齎らせしや、事業の不振は関税の牆壁なかりし以前に比し何等異なる所なきのみならず、近年に至り其不振の益々甚しき傾向あることは、同国紡績業者の自白せる所の如し
 吾々は常に印度紡績業者が従来の如く事業の経営上何等改善を試みず、徒らに偸安を事とする間は保護関税は紡績業者をして益々守旧的傾向を長ぜしめ、却て事業の改善進歩を妨ぐる弊ありと信ずるものなるが、過去十数年間の経過は不幸にして事実の上に於て之を説明せるものと信ず
 蓋し印度紡績の経営方法に関し幾多の欠点あることは、既に一般の定論あり、此欠点は保護関税によりて決して矯正せらるべきに非ずして、保護関税は恐らく益々之を助長せしむる傾向あり、故に今日仮りに印度紡績の唱ふる如く一割三分の関税増率を行ふも、彼等は遠からずして更に第二の関税増率を迫まるの日あるべきは想像に難からず
 吾々は去二月中印度政府に提出したる陳述書中に説明したる如く、印度財政の必要上印度に輸入せらるゝ各国綿糸布に対し均一に関税増徴を行ふ場合に当りては、之に対して何等異議を唱ふべき理由を有せざるも、日本綿糸布に対し関税上の特殊的待遇をなさんとする印度紡績業者の主唱に対しては、極力之に抗議するものなり、蓋し此種の関税保護は誤解を基礎として設定せられんとするものにして、万一其設定の暁に於ては、日印両国に対し共に不利益を及ぼすべきは既に屡々指摘したる如くなればなり