デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
8節 鉄鋼
2款 東洋製鉄株式会社
■綱文

第53巻 p.24-28(DK530005k) ページ画像

大正5年9月15日(1916年)

是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社発起人会開カル。栄一、出席シテ座長トナリ、創立委員トシテ中野武営外二十名ヲ指名ス。爾後、屡々創立委員会開カル。栄一、之ニ出席スルト共ニ、一方、政府当局ニ対シ、製鉄業奨励法ノ制定ヲ要請ス。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK530005k-0001)
第53巻 p.24-25 ページ画像

集会日時通知表 大正五年         (渋沢子爵家所蔵)
九月 十四日  木 午前十一時 製鉄会社ノ件(ホテル)
   ○中略。
九月 十五日  金 午前 十時 東洋製鉄会社発起人会(商業会議処)
   ○中略。
九月二十一日  木 午前 九時 製鉄会社創立委員会(商業会議所)
   ○中略。
十月 五日   木 午後三時  東洋製鉄ノ件(商業会議処)
   ○中略。
 - 第53巻 p.25 -ページ画像 
十一月 四日  土 午後三時  東洋製鉄会社創立委員会(商業会議所)
   ○中略。
十二月二十五日 月 午前十時  東洋製鉄会社創立委員会(ホテル)


中野武営翁の七十年 中野武営伝記編纂会編 第四六三―四六七頁 昭和九年一一月刊(DK530005k-0002)
第53巻 p.25-26 ページ画像

中野武営翁の七十年 中野武営伝記編纂会編
                    第四六三―四六七頁
                    昭和九年一一月刊
 ○八 晩年十余歳の貢献
    (32)東洋製鉄会社
 中野武営翁の最後の事業として数へらるべきものに東洋製鉄会社といふものがあります。之は大正六年の創業で、中野翁は同社長として大正七年に歿する迄足かけ二年間を勤めた次第です。勿論之は日清生命社長と兼任です。
 我国の製鉄事業は政府に於て九州八幡に疾くの昔から之を経営して居たのですが、時しも欧洲大戦となり、此の官営事業丈けでは不足であるといふので、更らに民間会社の製鉄が計劃されたのです。
○中略
 処が、大正二年に、我国と支那との実業者間に、中日実業会社といふのが組織されました。是は日支間の実業を完全に連絡させたいといふ希望から起つたもので、之は、其折支那革命が結了し、南北両派が合一し、孫逸仙が日本に来遊したのを機として計劃されたので、資本五百万円、日支各半額を出資といふ事に定めました。然るに其事成立間際に支那の南北両派又乖離し、孫と袁とは敵となり、此の政治上の混乱の為め、折角出来た中日実業会社も、事業に手を着ける事が出来ません。漸く其年の冬になつて、北方政府の了解も得られ、徐々に会社の事業も進捗しました。
 其中大正四年の春、安徽省の桃冲鉄山の採掘権を此の中日実業会社が獲得しました。此の桃冲鉄山は鉱量が豊富であり、其質は大治に劣らぬといふので、会社の実行委員六・七名が十分調査をするといふ事になり、此委員中には中野武営翁も加はり、熱心に尽力された事勿論です。
 元来製鉄業といふのは巨額の資本を要し、普通民間事業としては遣り得ないといふ処から、従来政府が官営として居たものですが、若し民間に相当なる計劃があるとすれば、政府は喜んで之を扶掖すべき筈のものです。それで、当時我政府では、中野翁等の此の製鉄計劃に十分の好意を向け、八幡製鉄所からも助力を得る事となり、そこで大正六年に東洋製鉄会社が設立され、其の目論見書には「第一、当会社は資本金二千五百万円を以て銑鉄年産額十七万噸の設備を為し、更に屑鉄及鉄鉱を加へ鋼塊二十万噸を作り、之より鋼材十五万噸を製出するの計劃なり。第二、当会社は支那安徽省繁昌県、桃冲鉄山の鉱石を基礎として朝鮮産其他の鉄鉱を混用し、先づ銑鉄を製し之を精煉して鋼鉄となし、其鋼鉄を以て目下我国に於て需要多くして、且製造に比較的容易なる普通商品、大さ約五吋内の各種鋼材及、厚さ二分の一吋以下の鋼板を製造するの見込なり」とあります。
 - 第53巻 p.26 -ページ画像 
 初め欧洲戦乱勃発に会しては、全世界共に鉄が不足して困つたのですが、特に我国では輸入が全く絶えて鉄の大飢饉といふ状態となり、甚しい苦境に陥つたのです。そこで、朝野を挙げて鉄の自給自足といふ事を叫ぶに至り、玆に官営製鉄所以外、別に、民営製鉄所を創立したいといふ希望が燃え出しました。偶ま大正五年一月米国から帰朝した渋沢栄一子爵(当時男爵)が中野武営翁其他の人々と図り、同年九月十五日東京商業会議所で東洋製鉄会社創立発起人会を開きました。其席上渋沢栄一子は座長となり、事業目的に対する調査報告後、創立委員を指名したのです。其人々は原富太郎氏・大橋新太郎氏・尾崎敬義氏・和田豊治氏・金子直吉氏・神野金之助氏・田中源太郎氏・中野武営翁・中島久万吉男爵・中村房次郎氏・村井吉兵衛氏・久原房之助氏・倉知鉄吉氏・安田善三郎氏・山田直矢氏・松方幸次郎氏・藤山雷太氏・男爵郷誠之助氏・麻生太吉氏・三村君平氏・男爵渋沢栄一氏と以上二十一名です。
 かくして、大正六年の第三十九帝国議会に於て製鉄業奨励法案が通過確定し、依て此の東洋製鉄会社は資本金三千万円、総株数六十万株とし、発起人二百六十四名に於て其中参拾万八千一百株を引受け、大正六年九月二十九日株式全部の引受を終りました。
○下略


中外商業新報 第一〇九八二号大正五年一一月五日 東洋製鉄委員会(DK530005k-0003)
第53巻 p.26 ページ画像

中外商業新報 第一〇九八二号大正五年一一月五日
    ○東洋製鉄委員会
東洋製鉄委員たる渋沢・中野・安田・三村・大橋・郷・倉知・中島・村井・藤山・中村・尾崎の諸氏は四日午後二時東京商業会議所に会合し、渋沢・中野両氏より免税其他に関して寺内首相・仲小路農相と会見交渉の顛末に就き報告あり、農相の如きは出来得る限り相当の尽力を約したりと云へるが、次で藤山雷太氏より九州視察談あり、工業熱の旺盛なる地とて敷地は比較的経費を要せずして選定し得べき見込也と報告し、四時半散会せり


中外商業新報 第一一〇三三号大正五年一二月二六日 東鉄創立委員会(DK530005k-0004)
第53巻 p.26 ページ画像

中外商業新報 第一一〇三三号大正五年一二月二六日
    ○東鉄創立委員会
東洋製鉄創立委員総会は二十五日午前十時より帝国ホテルに開催、渋沢・中島・郷各男、中野武営・倉知鉄吉各常務委員及各委員二十余名出席、中野常務委員長より創立経過を報告し、次で過日来九州方面に出張炭価其他に就き調査せる田崎技師より其調査報告を聴取し、夫より敷地選定等創立事項に関し諸事協議し、正午散会せり


竜門雑誌 第三四四号・第九五頁大正六年一月 ○東鉄創立委員総会(DK530005k-0005)
第53巻 p.26 ページ画像

竜門雑誌 第三四四号・第九五頁大正六年一月
○東鉄創立委員総会 東洋製鉄株式会社創立委員総会は昨年十二月廿五日午前十時帝国ホテルに開会、委員長青淵先生を始め各委員諸氏出席、曩に九州方面に於ける骸炭視察の為め出張を命ぜられたる主任技師田崎二三次氏の調査報告ありたる後、諸般の事項に付き打合せを為し、零時三十分散会せる由。
 - 第53巻 p.27 -ページ画像 


集会日時通知表 大正六年(DK530005k-0006)
第53巻 p.27 ページ画像

集会日時通知表 大正六年       (渋沢子爵家所蔵)
二月 三日 土 午前十時 東洋製鉄会社ノ件(同社)
   ○中略。
二月 五日 月 午前九時 東洋製鉄ノ件ニ付キ中野氏ト共ニ総理大臣ヲ御訪問(同官邸)
   ○中略。
二月 七日 水 午前十時 東洋製鉄創立委員総会(ホテル)
   ○中略。
二月 十四日 水 午後三時 東洋製鉄会社評議員会(同社)
   ○中略。
七月 七日 土 午後四時 東洋製鉄会社ノ件(新喜楽)
   ○中略。
七月 十七日 火 午前十時 東洋製鉄創立委員総会(鉄道協会)
   ○中略。
七月二十七日 金 正午 東洋製鉄会社ノ件ニ付御会合(兜町)
   ○中略。
九月 十二日 水 午後六時 東洋製鉄会社ノ件(ホテル)
   ○中略。
九月 十五日 土 正午 東洋製鉄会社ノ件(兜町)
   ○中略。
十月 三十日 火 午前十時 東洋製鉄創立委員会(同社)


渋沢栄一日記 大正六年(DK530005k-0007)
第53巻 p.27 ページ画像

渋沢栄一日記 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
二月三日 晴 寒
○上略 午前十時三菱会社二十一号館ニ抵リ、東洋製鉄会社ノ創立委員会ニ出席ス、中野・郷・中島諸氏来会ス○下略
   ○中略。
二月五日 晴 寒
○上略 午前九時寺内総理大臣ヲ永田町官邸ニ訪フ、中野武営氏ト共ニ東洋製鉄会社ノ事ニ付爾来ノ経過ヲ述ヘテ、会社ヨリ政府ヘ請願スヘキ要件ヲ縷陳ス○下略
   ○中略。
二月七日 晴 寒
午前八時起床、夜来咳嘈多《(嗽)》クシテ朝ニ至リテ疲労ヲ覚フ、洗面後褥中ニ在テ新聞紙ヲ一覧ス、午前九時半中島久万吉氏来話ス、今日東洋製鉄会社創立委員会ニ出席シ得サルニ付、意見ヲ具陳スル為メ来訪ヲ乞ヒタルナリ、依テ詳細ニ当日ノ協議趣旨ヲ述フ
○下略


中外商業新報 第一一〇七六号大正六年二月七日 東洋製鉄速進 株式募集と準備(DK530005k-0008)
第53巻 p.27-28 ページ画像

中外商業新報 第一一〇七六号大正六年二月七日
    ○東洋製鉄速進
      株式募集と準備
東洋製鉄会社にては七日創立委員総会を開く筈なるが、之に先だち五日渋沢男・中野武営氏は寺内首相を官邸に訪問し、東洋製鉄会社に関
 - 第53巻 p.28 -ページ画像 
する法律案を特別議会に提出する様尽力方に就き懇談を遂げしに、首相に於ては言外の裡に両氏の意を諒とせし模様なりしに依り、愈々委員側に於ても先づ株式の募集割当を決定し、以て創立上の諸準備を整へ、法律案の通過を待ち、直に会社を成立せしむべき意嚮なりと云へるが、株式の決定は創立委員の責任を以て証拠金を払込ましむる方針なりと


竜門雑誌 第三四六号・第七一頁大正六年三月 東洋製鉄会社創立進捗(DK530005k-0009)
第53巻 p.28 ページ画像

竜門雑誌 第三四六号・第七一頁大正六年三月
○東洋製鉄会社創立進捗 青淵先生が最も熱心に尽瘁せられつゝある同会社創立も、其後漸次進捗の域に入り、去る二月二十七日も午後三時より東京商業会議所に於て之が創立委員会を開き、青淵先生・中野・中島・郷等の各委員諸氏出席の上、寄附行為及び定款改正の件に就て協議する所ありし由。


竜門雑誌 第三五一号・第九九頁大正六年八月 ○東洋製鉄会社創立進捗(DK530005k-0010)
第53巻 p.28 ページ画像

竜門雑誌 第三五一号・第九九頁大正六年八月
    ○東洋製鉄会社創立進捗
 予て青淵先生を始め本邦有志者間に熱心計画せられつゝある東洋製鉄会社に於ては、其後政府の製鉄業奨励法も既に確定したるを以て、七月十七日帝国鉄道協会に於て創立委員会を開き、青淵先生・中野武営氏を始め、中島男・和田豊治・大橋新太郎・藤山雷太其他の各委員出席の上、左記事項を審議決定し、尚ほ創立事務に関する細目に関しては、全部之を実行委員に一任することゝして散会したる由なるが、当日の決定事項は凡そ左の如くなりしと。
 一、資本額二千五百万円を三千万円に増加すること
 二、設計予算は時局の影響に依り材料の価格乃至諸経費の見積りに差異を生じたるを以て之を変更すること
 三、中日実業会社に対する桃冲鉄鉱購入仮契約締結の件は此際創立委員長に於て覚書を交換するに留め、追て会社成立の上にて本締約を締結すること
 四、総株六拾万株中一部分を公募することゝし、其時期・割当は一切之を実行委員に一任すること
 五、株式申込の最少限度を五拾株となすこと
以上、然るに株式公募発表に至らざる今日既に賛成株の申込頗る多く其処分に苦しむの好況を呈しつゝある由なり。