デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
11節 瓦斯
1款 東京瓦斯株式会社
■綱文

第53巻 p.232-271(DK530046k) ページ画像

昭和4年6月22日(1929年)

是ヨリ先、東京市ハ市会ノ決議ニヨリ、当会社ニ対シテ料金ノ値下ト計量器使用料ノ廃止ヲ求メシモ、当会社ハコレヲ拒ミ、当会社ハ資本金増額ヲ市ニ申請セシモ、市ハコレヲ容レズ、ココニ紛糾ヲ生ゼリ。

是日、星野錫・坪谷善四郎・山崎亀吉・田川大吉郎等、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪ヒ、コレガ調停ヲ懇請ス。栄一、井上準之助ニ諮リテ調停ニ立タントセシモ、辞退ス。

八月ニ至リ、該問題ニ関シテ天皇陛下ヨリ商工大臣俵孫一ニ御下問ノ事アリ。ココニ於テ当会社常務取締役鈴木寅彦ハ更メテ栄一ニ調停ヲ乞フ。栄一、郷誠之助・大橋新太郎ト共ニ調停ニ立タントシタルモ、八月十二日開カレタル市会全員協議会ニ於テ、調停拒絶ノ決議行ハル。仍ツテ調停ノコト止ム。


■資料

東京市公報 昭和四年八月二七日 最近の瓦斯問題(一) 文書課 天利新次郎(DK530046k-0001)
第53巻 p.232-235 ページ画像

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東京市公報 昭和四年九月七日 最近の瓦斯問題(六) 文書課 天利新次郎(DK530046k-0002)
第53巻 p.235-238 ページ画像

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瓦斯問題ニ関スル書類(DK530046k-0003)
第53巻 p.238-239 ページ画像

瓦斯問題ニ関スル書類          (渋沢子爵家所蔵)
    東京瓦斯問題経過大要
          (昭和四年九月四日渋沢子爵の御談話概要)
本問題との交渉は本年六月二十二日星野錫・坪谷善四郎・山崎亀吉・田川大吉郎の諸氏が飛鳥山へ来て、何とか心配をして呉れと云ふ依頼若しくは勧説があつたから始まつた。
其所で事によつたら心配しても善い位に考へたが、それにしても相談相手が無いと困るので、井上準之助氏に頼まうとして、同日午後二時丸の内の事務所で同氏に会ひ種々話したが、当事者双方の意嚮を確めないでは如何とも出来ないので、之を探ることにした。先づ東京市長の意の在る所を知らうとしたが、夫丈で訪問すると云ふのも面白くない。恰度東京市養育院の事で話があつたので、之を言ひ立てゝ翌々二十四日の午前十一時に堀切市長を東京市庁に訪問して、瓦斯問題に付ての自分の意志を話したところ、仲裁に立たれると云ふことはえらい御奮発で難有いことですけれども、中々厄介なことで恐縮千万で御座いますと云ふ意味の話で、断ると云ふのではなかつた。恰度其日の正午から醍醐寺奉賛会理事会が華族会館で開かれ、其席に井上氏も出席したので、市長との話を移したところ、何でも瓦斯会社の鈴木寅彦氏が大分強い事を云ふて居るので、同人が頼むと云ふか如何かを探らうと云ふことになり、翌二十五日朝飛鳥山へ鈴木氏に来て貰ふて話したところ、大分強い事を云ふて仲裁に起つて貰ふては困ると云ふ風であつた。肝心の瓦斯会社が此有様では如何にもならぬので仲裁は思ひ止つた。処が七月の末であつたか、俵商工大臣が葉山へ天機奉伺に参り陛下から瓦斯問題に付ての御下問があり、俵氏が恐懼したことがあつた。かくして八月三日午前鈴木氏が飛鳥山の宅へ来訪して、其話があり、誠に恐多い次第で何とかせねばならぬかと思ひます云々と話があり、暗に私に仲裁して呉れと云はぬ許りであつた。そこで同月五日に
 - 第53巻 p.239 -ページ画像 
堀切市長と渋沢事務所で面会し、非公式に、若し必要ならば仲裁の労を採つてもよいが如何思ふかと尋ねたところ、誠に御老体を煩はして恐縮千万です。御調停を御願ひすると致しましても、市会の意嚮を聴かねばなりませんし、商工省の意見も質す必要がありますから、直ぐに御依頼も致し兼ねますと言ふ返答であつた。八月七日午前十時堀切市長は飛鳥山の宅へ来訪せられ、正式に商工大臣も子爵が調停に起たれるのは結構と思ふて居ると云ふことであつた。同日午後二時鈴木氏が来訪したので、調停に起つことを話したところ、同氏は万事よろしくとの事であつたので、愈起つことに決心し、市長に右の旨を通じ、正式に調停に関する東京市の意嚮を確めたところ、瓦斯委員会を開いて決定せねばならぬから、二・三日猶予して欲しいと云ふことであつた。尚補佐役として郷男爵・大橋新太郎両氏を御願ひする積りであると云ふことは、市長にも鈴木氏にも話して置いた。(井上氏が去七月大蔵大臣になつた為め、斯様に変更したのであつた)
 註 右委員会は八月九日午前中開かれたが、事重大なる故全員協議会に諮ることゝなりて決定に至らなかつた。
八月九日午後、俵商工大臣を首相官邸に訪問して此話をした。又金沢(武蔵)に避暑中だつた大橋氏の帰京を希望したところ、同日午後帰京し、三時に渋沢事務所に来訪せられたので懇談し、種々経緯があつたが、結局補助役たることを承諾して呉れた。翌八月十日小湧谷に避暑したが、同日午後、宮の下に避暑中だつた郷男爵が来訪せられたので、瓦斯問題調停の事を話し、補助役たることを依頼したところ承諾された。かくて愈東京市会で委せると云ふ事になれば、直ぐ起つ積りで居た。ところが八月十二日午前に開かれた東京市会瓦斯委員会及同日午後二時の東京市会全員協議会で拒絶の決議をしたので、玆に手を引くことになつた次第である。(白石憶記)


集会日時通知表 昭和四年(DK530046k-0004)
第53巻 p.239 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
六月廿二日 土 午前八半時 星野錫氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
六月廿四日 月 午前十一時 堀切市長ヲ市役所ニ御訪問(市役所)
六月廿五日 火 午前八半時 瓦斯会社鈴木常務来約(飛鳥山)
   ○中略。
七月八日 月 午後二時 堀切善次郎氏来約(事務所)


東京朝日新聞 第一五四九四号昭和四年六月二五日 ガス問題調停に渋沢老子爵起つ 妥協の余地なき市と会社間に新光明発見されん;確実な話はまだ聞かぬ 堀切市長語る;増資申請あらば拒絶を望む 市会ガス調査委員中橋商相に陳情;だれ切つたガス調査委員会 長時間空費して何等決せず さながら酒宴の如し;ガス経過 商工省で発表(DK530046k-0005)
第53巻 p.239-241 ページ画像

東京朝日新聞 第一五四九四号昭和四年六月二五日
    ガス問題調停に渋沢老子爵起つ
      妥協の余地なき市と会社間に
        新光明発見されん
東京市会の決議により、東京市よりガス会社に要求したガス料金値下は、会社重役会の決議によつて拒絶され、東京市会は又ガス会社から申請した一億円の増資の承認を否決し去り、東京市とガス会社との間に築かれた深い溝はほとんど妥協の余地が見出されず、市当局は二十年にわたる報償契約の破棄か、一挙にして会社を買収せんかのいづれ
 - 第53巻 p.240 -ページ画像 
かの手段に出でんとしてゐる、しかもこの問題は両者の宣伝により全市民的な大きな問題となつたので、実業界方面でもその経過は非常に憂慮されてゐたが、遂に市に関係深い渋沢老子爵はこの調停のため乗だす事になつた、この要務を帯びてか廿四日午前十一時渋沢子は堀切市長を訪問し、約廿分にわたり会見して辞去した、両者の調停に渋沢子が乗だすに至つたのは、ガス会社に関係ある有力な大株主からの依頼らしく、これによつて急迫したガス問題は新たなる方向に進展する事となるであらう
    確実な話は
    まだ聞かぬ
        堀切市長語る
右につき堀切市長は語る
 『渋沢さんが調停にお立になるといふ話は一寸聞いた事もあるが、まだ確実な話としては聞いてゐない、市からはもちろん何も渋沢子に申出た事はない、今朝(二十四日)私が会つたのは事実だが、その時は養育院(渋沢子は市養育院長)の事だけで、ガス問題については全然ふれなかつた』
  増資申請あらば
    拒絶を望む
      市会ガス調査委員
        中橋商相に陳情
東京市会のガス問題調査委員会第二回協議会は、二十四日午後二時から市参事会で開き、冒頭高橋委員長の提議で中橋商工大臣を訪問し陳情することになり、午後三時大臣室で吉野工務局長も列席して、高橋委員長外全員二十名が面会陳情した、まづ高橋委員長から
 会社は増資によるより借入金によるべきものと信じ、市会は満場一致否決した、故にもし会社から増資申請があつた場合、拒絶してもらひたい、然して最近会社は需要者を戸別的に訪問して調印を求めてゐるが、市民の意思でないことを諒承してもらひたい
と陳情するところがあつた、尚その際島中・本多両市議から
 この問題は今や社会問題となり、二百万市民の正義に立脚せる熱烈なる要求が一営利会社のため破れることあらば、勢ひ階級闘争の危険性を誘発するから慎重に考慮してもらひたい
と真面目に一本くぎをさし、次いで森市議の
 ガス事業法によつて市が料金値下げの裁定を大臣に申請し得るや
といふ質問に対し、吉野工務局長より
 法律の一般的解釈からすれば裁定申請が出来ると思ふ
との回答があつて、午後三時四十分大臣官邸を引上た
  だれ切つた
    ガス調査委員会
      長時間空費して何等決せず
        さながら酒宴の如し
商相官邸を引揚げたガス調査委員会は、同四時二十分市参事会で再開高橋委員長から
 - 第53巻 p.241 -ページ画像 
 『根本的解決に関する方針をきめて議事進行をはかつてはどうか』
といふ提議があり、議論百出し、同五時食事のため休憩となり、三時間の後同八時再開した、白上助役から
 『料金値下について大臣に裁定方を申請する材料は十分まとまつてゐる』
との言明があつたが、高橋委員長は調査会の方針としては
 一、会社買収 二、報償契約破棄 三、大臣申請(直下問題)の三案に区別し、各自研究調査して持ちよることにしては如何
と提議したが、結局何等のまとまるところなく、午後二時から同九時までの六・七時間ゴタゴタをくり返して時間を空費し、休憩三時間中は各自すき勝手に酒ビールをとりよせて酒宴を催すなど、一方和田・糟谷外二・三市議はそれに憤慨して、そんな暇があるなら直に審議を続行しろといふ始末で、調査会に対する非難の声が高からんとしてゐる、次回は二十五日午後二時から市参事会で開くことになつた
    ガス経過
      商工省で発表
商工省では廿四日「ガス問題について」なるとう写版刷を発表し、これを関係各方面に配布したが、その内容は去る二十一日の閣議において中橋商相が報告したと同一のもので、一、事件の経過、二、当局の態度の二項に別れ、極く平明に事件の推移を記したものである


東京朝日新聞 第一五四九五号 昭和四年六月二六日 渋沢子と井上氏調停に乗り出す 喧嘩分れのガス問題 いよいよ最後の幕へ;市民を相手にしての喧嘩腰は損と知れ よいお手本は大阪のガス問題 仲裁役の井上準之助氏語る;よろこんで迎へる 解決の途はあるだらう 堀切市長の談;お呼出しがあれば罷り出ます 鈴木常務の談(DK530046k-0006)
第53巻 p.241-243 ページ画像

東京朝日新聞 第一五四九五号 昭和四年六月二六日
  渋沢子と井上氏
    調停に乗り出す
      喧嘩分れのガス問題
        いよいよ最後の幕へ
ガス問題は市当局および市会の決議をも無視せんとする会社側の横車的態度により、両者喧嘩分れの形となつたが、会社があくまで押し切つて増資を敢行しようとしてゐるため、この形勢を憂慮してゐた元市会議員の市政関係者星野錫・山崎亀吉・坪谷善四郎・西沢善七氏等はかねてこれが局面展開策を講究し、適当な調停役を物色してゐたが、漸く渋沢老子爵・井上準之助両氏に白羽の矢を立て、交渉の結果その内諾を得たので、近く右調停役立会の上、市長と鈴木常務の会見といふことになる予定である
  市民を相手にしての
    喧嘩腰は損と知れ
      よいお手本は大阪のガス問題
        仲裁役の井上準之助氏語る
東京市と東京ガスとの関係は今では喧嘩物別れの形となつてゐる、市では増資反対の決議をして、買収か報償契約破棄のいづれかを決定すべく委員会が設けられ、ガス会社の方では二十五日の
 総会 で市の反対にも拘らず増資を決議しようとしてゐるのだと聞いてゐる
 本来この問題は炭価が下つたから直さげをしろといふ市の言分に対
 - 第53巻 p.242 -ページ画像 
し、会社側は大正八年直上当時には安い石炭の契約もあつたが、それでは足らず高い石炭も買つてゐたといふ議論から起つたので
かうなるまでにもつと慎重に互に胸きんを開いて会社の収支状態を研究し、然るべき妥協に到達すべきであつた、もし双方でさうした商議の機会を造る事に努力したなら直下すべきかあるひは反対に直上すべきかの正しい
 結論 に達したであらうが既にかう喧嘩になつてしまつたのでは、市も損なら会社も将来の打撃が少くはあるまい
 これにつけても思ひだすのは明治三十五・六年頃であつたか、大阪市が大阪ガスを相手に報償契約を結ばせるについて大喧嘩をした時の事である、時の大阪市長は鶴原定吉氏、大阪ガスの社長はこの頃物故した片岡直輝氏、元来二人は親友であつたが、公の立場から大喧嘩になり、市民は挙つて市を後援し、大阪ガスをして手も足も出ぬやうな破目に陥らせ、結局大阪市は日本最初の報償契約に成功したのであつた
 当時 私は日銀の大阪支店長をしてゐて喧嘩の模様をよく知つてゐるが、何をいつても道路を使はせてもらふガス会社の方の立場が不利であつた
これを考へると、東京ガスが今のやうに喧嘩腰になつてゐては結局会社が損をするの他はあるまい、が一方市および市民も喧嘩で得をする事は出来ない、何故なら、かうなつては買収か契約破棄かであるが、買収は甚大な市債を擁してゐる今日いふに易く決行するに難い、契約破棄はこれによつて数百万円の道路使用料を徴収し間接に
 市民 の利益になるとはいへ大衆市民が直さげによる直接の利益におよぶものでない
 その上喧嘩となつてしまつた今日、買収するにしても契約破棄にしても価格の折合ひや、破棄後の直あげやで損はしても得のいきさうな道理はなく、いづれにしても市と市民並に会社の三者にとつて共に不幸な事といふの他はない
では現在の状態を打開するの方法如何であるが、これも既に喧嘩となつてしまつては難かしい事で、私はやがて元へもどつて何かの妥協点を見だすやうになるのではないかと思ふ
    よろこんで迎へる
      解決の途はあるだらう
        堀切市長の談
 『渋沢子爵と井上さんが仲介の労をとつてくれることは非常に結構なことで、私としては好意をもつて迎へます、然し市会にガス問題委員会がありますから、正式に両氏から話があれば委員会に報告し委員会の承諾を求める必要があります、最近ガス問題があまり市政に混入して、市政の進行を多少とも停滞させることがあれば市としては困つたことであるが、ガス問題も市政の一部であるから市民の要望するところに従つて解決したいと思つてゐます、どういふ方針で仲介の労を取つてくれるかは両氏に面会した上でないと判りませんが、何等か解決の途があると思ひます』
 - 第53巻 p.243 -ページ画像 
    お呼出しがあれば
      罷り出ます
        鈴木常務の談
 元市会に関係のあつた人達が協議して渋沢・井上両氏に調停役を依頼し、両氏とも承諾されたと聞いてゐます、調停の内容など全くわかりませぬ、市長と自分とがお白洲に呼びだされるわけですが、長老のことでありお呼びだしを拒絶することは出来ませぬ、お呼びだしがあれば早速罷り出でます


東京朝日新聞 第一五四九六号昭和四年六月二七日 渋沢子と井上氏突如、調停役を辞す 『未だその時機ではない』と ガス問題遂に頓挫;玄関を閉めるガス会社の態度 望みがない調停役 渋沢老子爵語る;渋沢子と相談して 井上氏の談;誠に残念だ 堀切市長語る(DK530046k-0007)
第53巻 p.243-244 ページ画像

東京朝日新聞 第一五四九六号昭和四年六月二七日
    渋沢子と井上氏突如、調停役を辞す
      『未だその時機ではない』と
        ガス問題遂に頓挫
行詰まつた東京市と東京ガスとの間を打開すべく、星野錫・田川大吉郎・山崎亀吉・坪谷善四郎の四氏は、過般来渋沢老子爵並に井上準之助氏にこの際両者間の調停役として斡旋の労に当られん事を懇請し、渋沢子もガスの如き一般市民の日常生活に多大の関係ある事業に関しかく紛擾を続けてゐるのは甚だ寒心すべき事であるといふ見地から、「東京市とガス会社との双方ともに真の調停者を求めてゐるやうであれば、老体を提げて何とか尽力しよう」と一応受諾した事は既報の如くであるが、渋沢子は二十五日午後に至り、「まだその機に非ず」といふ理由から調停役たる事を辞退した、同時に井上氏からも辞退の申出があつた、折角両氏の乗出によつて解決の初光を見せたガス問題はこゝに再び頓挫停滞を見るに至つた訳である
    玄関を閉めるガス会社の態度
      望みがない調停役
        渋沢老子爵語る
星野氏等の懇請を辞退するに至つた事情について二十六日朝渋沢子は次の如く語つた
 「廿二日であつたか星野氏等四人の方が来訪せられ、何とか調停してもらへまいかとの事であつたので、自分はガス会社が明治十八年創立された時の産みの親ではあり、一方は何よりも大事な東京市の事であるから、自分一人では困るが、別に相当の人が力をかしてくれ、その上東京市とガス会社の双方共に
 調停 を容れるだけの度量を示すならば、諸君の懇請をお容れしようと答へて置いた、その後自分の手元で果して現在自分の調停が容れらるべき状態に立ち到つてゐるか否かを調べて見たのであるが、どうもまだその時機でないとの結論に達したので、それでは折角乗出しても駄目であらうと思つて、遂に二十五日正式に辞退したのである、何にしてもガス会社が現在の如く玄関を閉めて来るものを拒むといふ風では甚だ穏当でない、この点は最近鈴木常務にも強いばかりが能でないと話して置いた次第である、また双方理屈を取つて動かない間は解決の
 機運 は来らず、結局互に譲歩するの他はあるまいが、それがよく
 - 第53巻 p.244 -ページ画像 
諒解がついた時に再び自分に何とか話があれば、老体を起して尽力する事は一向いとはない、その場合には更めて然るべき調査機関を設け、こゝで調停案を作つて双方に納得してもらふ方法をとるのがいゝと思ふが、何分今はそれまでにする時機ではないと思ふ」
    渋沢子と相談して
      井上氏の談
 昨日渋沢さんとお会ひして色々相談した結果、現在のやうな雲行では到底調停に入つても円満な解決を遂ぐることはむづかしく、私等の努力も結局徒労に帰することゝ考へたので、一まづ調停に入ることはよしました、今のやうな有様では問題が如何に落着するかといふ見当さへつかない
    誠に残念だ
      堀切市長語る
 渋沢子と井上氏が正式に拒絶された理由がわからぬので、なんとも申しあげにくひが非常に惜しいことをした、渋沢子のやうな方が起たれることは権威あることで各方面からも期待されてゐたと思ふ、市当局としては当方から積極的に仲裁者を頼むわけにゆかぬが、市民のためにも一日も早く市に有利な解決を希望してゐる、市としては従来通り調査委員会の方針に従つて善処してゆくまでであつて、方針に何等の変りはない


東京市公報 昭和四年九月二一日 最近の瓦斯問題(十二) 文書課 天野新次郎(DK530046k-0008)
第53巻 p.244-246 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

集会日時通知表 昭和四年(DK530046k-0009)
第53巻 p.246 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
八月五日 月 午前十時 東京市長堀切善次郎氏来約(事務所)
八月六日 火 午前九時 東京夕刊新聞記者団来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
八月九日 金 午後二時 俵商工大臣ヲ官邸ニ御訪問
       午後二時四十五分 堀切東京市長来約(事務所)
八月十日 土 午前八時二十二分 函根温泉へ御出向東京駅発
   ○中略。
八月卅一日 土 午後五・三六時 東京駅着


瓦斯問題ニ関スル書類(DK530046k-0010)
第53巻 p.246-247 ページ画像

瓦斯問題ニ関スル書類          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    瓦斯問題調停申出経過(市長報告)
           (別筆)
           八月九日於市会瓦斯問題調査委員会
一主務大臣裁定申請前の経過
 裁定申請前の事でありますが、渋沢子爵が調停に立たれる積りで、私に内意の聴合はせがありましたので、私は市会の意見を聴いた後でなければと御答して置きました。
 そこで子爵は瓦斯会社の鈴木常務に調停に関し御尋ねになりましたところ、鈴木常務に於ては、会社に今回の瓦斯問題に関しては譲歩するの余地なしといふ返答でありましたそうで、結局子爵は調停の余地なしと考へられ、其の儘になつて仕舞つたのであります。
二裁定申請後に於ける経過
 ところが、一週間程前、鈴木常務は、渋沢子爵を訪問し、曩の態度に就き陳謝し、併せて今回の問題の解決に就ては子爵に宜敷御願する旨を申出てました。
 子爵は之を機会に再び私に内意の御聴合せが御座いました。それは今週の月曜日でありました。そこで私は調停の御申出に応すると致しましても、市会の意嚮を聴かねばならず、又裁定を申請してありますので、商工省の意見も質す必要がありますので、其の旨を返答して置きました。
 其の後、商工大臣の内意を質しましたところ、商工大臣に於かれましては、両者が互譲して調停に依り解決することは結構なことであるとのことでありました。
 その後水曜日に、渋沢子爵より正式に調停に関する市の意嚮の問合せがありましたので、市会の意嚮の決定を待つ間、二・三日の猶予
 - 第53巻 p.247 -ページ画像 
をお願ひ致して置きました。
三調停に関する内容
 渋沢子爵の御意見では、主務大臣の裁定は、一時保留して貰ふこととし、調停案は、子爵に於て御調査の上作成され、本市と会社とに提示して其の承認を求め度いといふことであります。若し右の調停案に対し、両者の何れかの承認を得られない場合は已むを得ずして手を引くより他はないとのことであります。
 調停の範囲は、料金値下、計量器使用料の廃止及資本増加の問題に亘ることは明瞭でありまして、子爵に於かれましても此の事は明かに申されて居られました。
 尚子爵は本調停の補佐役として、郷誠之助男及大橋新太郎氏を御願ひしたいとの御内意でありました。


(鈴木寅彦)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月八日(DK530046k-0011)
第53巻 p.247 ページ画像

(鈴木寅彦)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月八日(渋沢子爵家所蔵)
             (別筆朱書)
             昭和四・八・八
             東京瓦斯常務取締役鈴木寅彦氏来状
拝啓 昨日ハ酷暑之砌長時間御邪魔仕リ、種々御高教ヲ辱フシ拝謝之至ニ御坐候
扨市会方面之情報ニ依ルニ御出馬ヲ歓迎致居候趣ニ御坐候、只御提議ヲ其儘受ケ入ルヽコトハ好マサル風有之候、例ヘハ実行期ヲ五年後トアレハ三年後ヨリトスルトカ、三年後トアレハ一年後ヨリトスルトカソコハ市会ノ力ヲ加ヘ、聊ニテモ市民ニ示ス処アラントスルモノヽ如クニ御坐候、其辺御如才モ被為在間敷候得共、聞及候儘貴聞ニ達候次第ニ候、右当用ノミ申上度如此ニ候 拝具
  八月八日
                        寅彦
    老子爵侍曹


(鈴木寅彦)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月八日(DK530046k-0012)
第53巻 p.247 ページ画像

(鈴木寅彦)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月八日(渋沢子爵家所蔵)
             (別筆朱書)
             昭和四・八・八
             東京瓦斯常務取締役鈴木寅彦氏来状
前略御高免被下度候
市方面ヨリノ情報ニ
 郷男爵ハ既ニ意見発表シ居ラレ、其意見ハ会社側ニ偏シタルモノナリトシ、同男爵ノ出馬アレハ市会ニ於テ反対ノ気勢高マルベシトノ事ニ有之、寧閣下御一人ヲ煩ハスヲ希望シ、日々市長又ハ助役カ御邸ニ参上シ御老体ヲ煩ハスコトヲ頼ムヘシ
トノ事ニ御坐候、勿論御手助ニ誰カ御嘱託被遊候事ニ異議有之間敷様子ニ御坐候、右内々得貴意度如此ニ候 拝具
  八月八日
                         寅彦
    老子爵侍曹


東京朝日新聞 第一五五三八号昭和四年八月八日 ガス問題の調停に渋沢老子爵再び起つ 聖慮に恐く、急転して解決へ 無条件一任と決す;誠意さへあれば私は大に骨を折る 双方に頼まれたので引受けた 渋沢老子爵語る(DK530046k-0013)
第53巻 p.247-249 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五三八号昭和四年八月八日
 - 第53巻 p.248 -ページ画像 
  ガス問題の調停に
    渋沢老子爵再び起つ
      聖慮に恐く、急転して解決へ
        無条件一任と決す
ガス問題は目下東京市とガス会社が商工大臣に裁定方を申請し、両者相譲らずその結果を待つてゐるが、今度渋沢老子爵が再び両者の調停のため老体を提げて乗だす事になつた、渋沢子は去る三日以来市およびガス当局者としばしば会見して、調停に関して両者の意向を訊ねてゐたが、更に七日午前十時には堀切市長、午後一時には鈴木ガス常務と会見、その結果堀切市長は今明日中に急速に市会ガス委員会を開いて、調停に対する市の態度を決定する旨を答へ、鈴木常務は正式に渋沢子に調停を依頼する所があつた、裁定申請中のガス問題がかやうに急転して渋沢子の調停といふ段取になつたのは、既報の如く去る一日葉山御用邸において、恐れ多くも陛下から俵商相に対し、ガス問題に関し御下問があつたことに端を発し、これを聞いた市当局も非常に恐くし、市参与の職にある渋沢老子爵もこの問題について遂に再び老体を提げて調停に起つ事に決意したものである、尚渋沢子は何分老体の事とて適当な協力者を物色中であつたが、大体郷誠之助男にもこの大役に参加を求める事になつた模様である、東京市では今明日中にガス委員会を開き、更に全員協議会か市会かを開いて正式に渋沢子に依頼する事になり、ガス会社も又八日重役会を開くはずで、両者とも結局無条件で一任する事になるらしく、渋沢子は目下渡辺○得男秘書をして商工省とも種々の打合せを進めてゐる
    誠意さへあれば私は大に骨を折る
      双方に頼まれたので引受けた
        渋沢老子爵語る
右について渋沢子爵は左の如く語つた
 ガス問題はいろいろ複雑になつて来て、あれでは双方で解決することは困難だから、この間から一度年寄がひに調停役に出ようと思つて居たがそのまゝになつて居た、ところが最近ますます問題がコヂれて来て到底円満に
 解決 は出来にくい様なゆきがかりになつて居る様だし、恐れ多い話だが、天皇陛下におかせられては去る一日葉山で商工大臣に直接御下問になり、聖慮を煩はし奉つたことは誠に恐くに堪へない次第で、私の友人達も是非とも私に調停役に出てくれろといつて来るものもあり、頼まれゝは仲裁役をやらうと思つて居たら、本日堀切市長が来訪されて是非頼むといふことで、又鈴木常務も先程来られて頼まれたので、いよいよ調停をお引受けして、仲裁役に出ることにした、これから私が調停案を作成するのだが、まだ今はその具体案はない、しかし何れは双方から
 歩み 寄つて、算盤づくで直下げはどれまでとか、増資はどうといふやうにするとか円満に解決したいと思つてゐる、堀切氏も鈴木氏も聖慮を煩はし奉つたことについてはひどく恐くして居た様だから今度は話しはまとまると思ふ、双方で誠意をもつて解決に努める様
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ならどこまでも骨を折るつもりだ


(床次竹二郎)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月九日(DK530046k-0014)
第53巻 p.249 ページ画像

(床次竹二郎)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月九日(渋沢子爵家所蔵)
拝啓 益御清祥為入奉慶賀候、小生目下右手打撲傷治療之為め当地温泉入浴中ニ御座候、今朝新聞を見るに閣下帝都ガス問題之為め御奮起被遊候趣誠に難有次第に奉存候、同問題の解決は独り帝都市民の為めのみにあらさるハ勿論、結果引ゐて各都市にも影響する所有之べく、殊に昨今の時節思想問題等考慮する時、実に容易ならさる義と信し申候、蓋し此問題を処理するハ御迷惑なから老閣下の外無之と存候、新聞を見て感喜之余一筆遥に奉表敬意候 草々頓首
  昭和四年八月九日
                    於甲州下部温泉
                      床次竹二郎
    渋沢老子爵
         閣下


中外商業新報 第一五六二五号昭和四年八月九日 渋沢子けさ大橋氏を招致 会社と市を白紙に返し調停に立たしめん;ガス問題急転 あす市委員会召集 渋沢子にその調停依頼を堀切市長から諮る(DK530046k-0015)
第53巻 p.249 ページ画像

中外商業新報 第一五六二五号昭和四年八月九日
  渋沢子けさ
    大橋氏を招致
      会社と市を白紙に返し
        調停に立たしめん
ガス問題は別項の如く急転直下して、市参与、渋沢子爵の調停にまつことになつたが、渋沢子爵は郷誠之助男を補佐役として選定するものと伝へられてゐるが、郷男はかつてガス問題に対し、増資は当然との意見を公表して居り、かつまた東京電灯取締役会長の地位にあり、東京市が電灯電力料金値下を要求してゐる今日同氏を調停に依頼するは当を得たものでないとの堀切市長の意向に基き、渋沢子は自己の腹心たる大橋新太郎氏と藤田謙一氏の何れかに依頼する模様で、八日午前十一時大橋氏を自邸に招致し種々協議してゐるが、子爵としては会社と市側の両方とも裁定申請書を取下げしめて、白紙の状態に立ち返らしめる意向であると
  ガス問題急転
    あす市委員会召集
      渋沢子にその調停依頼を
        堀切市長から諮る
東京市と東京ガス会社との間に係争中のガス増資問題裁定について過般来両者とも商工省に答弁書提出済みとなつてゐたが、商工省としては明年の総選挙を控へあまつさへ去る一日葉山御用邸に俵商相が天機奉伺の際、ガス問題につき御下問あり、畏くも御軫念あらせられる旨を拝承、恐懼措く能はずとし、問題は急転直下して適当なる調停者を求むることゝなり、去る五日堀切市長は首相官邸に俵首相を訪問し、種々打合はせの結果、渋沢老子爵を煩はすことになり、堀切市長は八日午前の意向をまとめるため、市会のガス問題調査委員長高橋秀臣氏と会見し、九日午前九時ガス調査委員会を招集することに決定した。
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東京朝日新聞 第一五五四〇号昭和四年八月一〇日 郷・大橋両氏を招き箱根で調停案作成 渋沢子のガス調停策;官庁の手を煩す問題でない 渋沢子爵語る;調停が出来れば何より結構 俵商工大臣語る(DK530046k-0016)
第53巻 p.250-251 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五四〇号昭和四年八月一〇日
    郷・大橋両氏を招き
      箱根で調停案作成
        渋沢子のガス調停策
ガス問題について九日俵商相に会見、調停に立つことの諒解を得た渋沢老子爵は、午後大橋新太郎氏を招き、子爵より従来の経緯を報告し種々協議したが、子爵は十日箱根に赴き、十二日同地において郷男・大橋両氏と会見、調停案を協議の上十三日帰京し、前日には全員協議会を終へて態度を決定してゐるはずの市に対して、調停に立つが異存はないかどうかを確めて(ガス会社の方は既に七日異存のないことを確めずみである)いよいよ調停に起つ段取であると
    官庁の手を
      煩す問題でない
        渋沢子爵語る
 『ガス会社の問題が遂に監督官庁の御裁定まで得なければならなくなつたといふことは誠に遺憾であります、元来かういふ問題は官庁を煩らはすまでもなく、双方相対で解決される問題であると思ひますので私はたゞ自分のちう情から遂に調停に立つたのです、ガス会社と私とは実は古い縁故があるので、その古い縁故を頼んで唯私のちう情から市に対してもガス会社に対しても御忠告申あげたいと思ふのであります、そもそもガス会社は、明治七年に由利公正といふ人が府の共有金十一万円程をだして、ヨーロツパからガスの機械を買つて来て、これを吉原にすゑつけようとしたのが始まりであつたが、私はその時大蔵省にゐて共有金の監督を命ぜられてゐたので、吉原にガス機械をすゑつけることに反対し、一般府民に供給する方がいゝと
 主張 したゝめ、府の事業として一般に供給することになり、私は府のガス局長として明治七・八・九年とガス事業にたづさはりました。私はガス事業の如きものは、政府や自治団体でやるよりも民間の営利会社に経営させた方がいゝといふ持論を持つてをりました、明治十五年電灯がついてガスが駄目になるといふうはさが立ち、当時府の中でも、唯でもいゝから大損をせずに処分してしまつた方がいゝといふ意見があつたのを私が頑張り通して、明治十八年私と浅野と藤本とで府には少の損もおかけしないで、二十三万円で民間の事業としたのが今のガス会社の始まりであります、それが時勢と共に今では一億円といふとてつもない大会社となりましたが、これも会社が独りで大きくなつたのではなく、東京といふものが大きくなつたからである、即ちガスをつける人が多くなつたからであります私はこの古い縁故から双方がきいてくれるかどうかわからないが、一応双方の御
 意見 を伺つてみて調停に立たうとしてゐる訳で、いまだ調停に立つた訳ではありません、従つて調停案もいまだ出来て居りません、今日商工大臣にお会ひして御意見を承りますと、大臣も「さういふ
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貴方のやうな古い縁故のある方が調停にお立ち下さることは誠に結構である、御老人に対しては誠にお気の毒だがどうか双方に話して一足づつ歩みよるやうにしてもらひたい」といふやうな御希望でした、然しいよいよ調停に立つとすれば老人の私だけではとても続きませんから、相談対手として郷さんと大橋さんにお願ひしたいと思つてをります、調停案はそれから相談して作るつもりです』
    調停が出来れば
      何より結構
        俵商工大臣語る
 『渋沢子爵が本日態々御出でになつて私と話された所は、ガス会社と東京市会とが互に角突合をしてゐるのを見て、ガス会社の始めの創立者でもあり、かつ東京市とも因縁浅からぬ自分は甚だ面白くないと思つてゐた所、偶々二三の者が自分に両者の調停に立てとすゝめられたので、調停に立たうとした所、ガス会社の方が自分の出るのを望まぬやうな模様だつたので、前回の時には手を引いた訳であるが、その後鈴木常務が来て種々と苦ちうを訴へられたので、再度調停に立たうといふ気持になり、若しガス会社と市側とにしてさしたる反対をせぬなら、出来るだけ努力して見ようと決意した所、ガス会社の方からも調停を頼むとの申入れがあり、堀切市長の方からは十二日の市会の決議を経て何分の返答をするとの話があつたので実はその返答を待つて調停に打つて出るつもりだが、商工大臣としてのこれに関する御意見はどうかと問はれた次第である、そこで私は市およびガス会社と関係深い子爵が立つて、互に背中合せになつてゐる両者をこの際円満に歩み寄らせて、再び以前の如く両者を軌道の上に走らせようと御心配下さることは誠に結構なことで、法律的手段をもつて両者を裁定するより何層倍好影響があるか分らぬ、行政はなめらかに進行する所に眼目があるのだから、子爵によつて両者が円満に折合へば何よりだと御答へした訳である』


中外商業新報 第一五六二六号昭和四年八月一〇日 商工当局も子爵に感謝 昨日商相渋沢子会見;渋沢子から郷男と大橋氏へ ガス調停補佐を交渉;互譲の上纏める考 渋沢子語る(DK530046k-0017)
第53巻 p.251-252 ページ画像

中外商業新報 第一五六二六号昭和四年八月一〇日
    商工当局も
      子爵に感謝
        昨日商相渋沢子会見
ガス増資に関して市当局と会社側との間を調停することゝなつた渋沢子は、九日午後一時四十分首相官邸に俵商相を訪問、先つ調停に立つに至つた経過を述べたる後、商工当局の諒解を求めたるに、俵商相は商工省としては目下裁定準備を進めて居るが、財界に重きをなす老子爵の調停に対して感謝する旨を述べ、約卅分間の会見を終つた、渋沢子は調停の補佐役として郷男と大橋氏を委任することゝなり、両氏の手で直ちに調停案作成に掛かることゝなつた
    渋沢子から
      郷男と大橋氏へ
        ガス調停補佐を交渉
ガス増資の調停役として立つこととなつた渋沢子爵は、九日午後俵商
 - 第53巻 p.252 -ページ画像 
相と会見後直ちに同子事務所に大橋新太郎氏の来訪を受け、いよいよ調停に立つことゝなつた旨を告げたる後、子爵自身は老体なるの故を以て、補佐役としてその援助を求めたるに大橋氏は快諾した、よつて同子は郷誠之助男にも補佐役としての承諾を求むべく十日箱根に赴いて同男と会見することゝなつた、同男の承諾を得れば、三氏協力して調停に取かゝることゝなつてゐるが、渋沢子の意向では先づ当事者双方より希望条件若くは譲歩程度を聴取し、これを基礎として調停案を作成し、相互の譲歩妥協を促す方針である、なほ一部に伝ふる如く、市が郷男若くは大橋氏を以て調停者として不適任なりと排斥するやうな場合には、子爵自らも手を引く覚悟であると
    互譲の上
      纏める考
        渋沢子語る
渋沢子は別項の通り俵商相と会見後左の如く語る
 一ケ月程前、田川・関氏等よりガス増資の調停に立つてはとの話があつたので、出てもいゝと思つて居たが東京市側がこれを好まない様子が見えたので、一旦取止めとなつて居た、併し最近会社側から鈴木常務が来て、ガス問題が畏くも聖上陛下の御下問にあづかつたことについては、臣子として恐懼に堪へないから、何とか一日も早く解決したいと思ふと述べ、調停を依頼されたのでいよいよ立つことゝなつた次第である、調停については各方面の意向も聞かなければならないので、先づこれが裁定をなすべき商工大臣の意見をたづねたわけであるが、商相も私の立つことに対して、好意を寄せて居られる様子だつた、成否は別だが、自分はガス事業に対しても、東京市政についても相当縁故深いものであるから出来るだけ尽して、お互ひに譲歩して貰つて、何とかまとめて見る積りである


中外商業新報 第一五六二六号昭和四年八月一〇日 渋沢子の調停申込を市会委員会に諮る 市長から詳細に子爵申出の説明あり 来る十二日全員協議会で決定;賛否交々 けふは決定せず;条件付で調停依頼か 市会の大勢;渋沢子けさ首相商相を訪問 政府の意向をたゞす;増資は即行し値下を将来に約す 会社側の持出した条件(DK530046k-0018)
第53巻 p.252-255 ページ画像

中外商業新報 第一五六二六号昭和四年八月一〇日
  渋沢子の調停申込を
    市会委員会に諮る
      市長から詳細に子爵申出の説明あり
        来る十二日全員協議会で決定
商工省裁定申請中にある東京市とガス会社との増資問題につき、今回渋沢子爵が正式に東京市に対し仲裁を申込んで来たので、堀切市長の要求により九日午前十時市会事務局にガス問題調査委員会を開いた、まづ高橋(秀)委員長は召集の理由並に従来の経過報告をなし、次で堀切市長は
 ガス問題裁定申請以前に渋沢子爵は本問題について大いに心配され井上準之助氏と相はかつて市役所を訪問され、仲裁の申出をされたことがあるが、その当時鈴木常務は渋沢子の申出を拒絶したのでこの話は消滅してゐたが、去る五日渋沢子爵から「会社側では仲裁を希望してゐる模様であるから市の意向は如何」と内々に語があつたので、商工省の意向を知るために商工大臣の内意を聞くと「渋沢子が出て仲裁するから悪くはあるまい」との意見であつたので、渋沢
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子は鈴木常務を呼び、会社側の意向を確めた模様で、会社側としては一切渋沢子に一任すると云ふことであつたので、市会の意向を聞くために本会を開いて貰つた次第である、子爵の考へでは商工省の裁定を中断して貰ふことゝし、補佐役として郷男と大橋氏とに依頼し、調停案を作つた上でそれによつて会社側と市とを歩み寄らしめ何れか一方がその案により難いときは、止むを得ないから手を引くといふ考へのようである
と大体調停申込みの次第を説明し、委員会では調停の拒否は重大問題であるから、各派で総会を開いた上、十二日午前九時更に委員会を開き引続き午後全員協議会を開き決定することにし、別項の如き問答あり十一時十五分散会した
    賛否交々
      けふは決定せず
 高橋庄之助君(中心会) 会社が一切挙げて渋沢子に一任するとは、絶対無条件一任と云ふ意味か
△堀切市長―無条件一任と云ふ様に聞いてゐる
 糟谷磯平君(中心会) 渋沢子も大橋氏もガス会社の大株主であるが仲裁案が出たとき会社に不利益でも、これに服従するのであらうか
△堀切市長―会社は仲裁案には服従する模様である
 山田保君(更新会) 料金値下問題と増資問題、計量器使用料撤廃とは不可分の関係にあり、重大な点であるが調停者は不可分に考へてゐるかどうか
△堀切市長―料金値下、増資問題、計量器使用料撤廃の三つにつき、包括的であると言明されてゐる
 河村慶次郎(市民会)
調停問題は重大問題であるからこの委員会では態度決定は不可能であるから、参考として意見の交換をしては如何と全員協議会に諮るべきである
 本多市郎君(無所属) 調停に反対するその理由としては
 一、仲裁者は何れも資本家であるから、資本家本位の結果を見る
 二、商工省の裁定の方が、政治問題として責任ある裁定をなすと云ふ意味において、市民に利益となると考へる
故に調停には反対である
 古島宮次郎(市民会)
この委員会は調査委員会であるから、会の性質上決定することは出来ないのであるから、各派総会を開いた上でやりたい、なほ市長は渋沢子からの交渉の経過を書面で御報告願いたい
と委員会打切り説を述べれば、森原嘉逸君も同様な意見で全員協議会を開くことを示し、中立クラブの寺部頼助君は折角委員会を開いたのであるから討論しては如何、と諮つたが葬られ
 島中雄三君(無産党) この委員会は決定権なきことは最初から明白である、市会で決定した意思は市民の意向であつて、決定的のものである、渋沢子であらうが誰であらうが一歩も譲ることは出来ない
と調停に反対し
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 高橋義次郎君(民政クラブ)
渋沢子爵の調停申出を拒絶するか否かは、この委員会の問題ではないが、市長に三つの点に就き質問したい
 一、調停者に条件付で依頼する場合には、受諾されるや否や
 二、商工省の裁定の中断を乞ふことは、商工省の調査の進行をも中断するのか、或は裁断のみを待つて貰ふのか
 三、調停者は補佐役として郷男と大橋氏と聞くが事実であるか
△堀切市長
 一、条件附依頼に応じられるか否やは、条件の内容によることゝ思はれる
 二、調査の進行はするので、裁断だけを、見合せるものと考へられる
 三、左様に聞いてゐる
 高橋君(再) 無条件とは、会社側において明確に意志表示してゐるのか
△堀切市長―その通であるとの問答あり、結局十二日午後一時から市会全員協議会を開いて決定することゝし、同十一時十五分散会した
    条件付で
      調停依頼か
        市会の大勢
ガス問題調停に対する市会委員会の態度は、大体において別項の如く小会派は調停に反対してゐるが、多数派においてもいま更の調停はとやゝ躊躇の色が見えてゐるが、対市民関係において豹変するを遠慮してゐる模様であるから、条件付調停依頼といふ所に落着くものと見られてゐる
    渋沢子けさ
      首相商相を訪問
        政府の意向をたゞす
東京市とガス会社との間に立つて調停の労を執らんとする渋沢栄一子は、九日午後一時四十分首相官邸に浜口首相・俵商相を訪問して政府当局の意向をもたゞす所あつた
    増資は即行し
      値下を将来に約す
        会社側の持出した条件
東京市対東京瓦斯紛争につき渋沢子爵が調停に起つ模様がいよいよ濃厚となつて来たので、瓦斯会社鈴木常務は七日渋沢子と会見し、若し子爵にして調停に起たれる場合は、会社は財界の長老として敬意を払ふべしと暗に調停の快諾をほのめかし、更に八日夜鈴木氏は渋沢子の補佐役を以て擬せられて居る郷誠之助男・大橋新太郎氏を訪問して会社の立場を説明し、若し調停条件作成の場合に、会社は増資即行の代価として料金引下げを将来に約してもよかるべき旨をもらした模様である、但し大橋氏は今日までの処では何等この問題につき関知せざることを明かにしたさうだ、かくして鈴木氏は渋沢子の調停出馬に備へ関係各方面の有力者を個別的に訪問し、予め会社の立場を説明してそ
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の心証を有利に導かんとしきりに活躍してゐる


中外商業新報 第一五六二七号 昭和四年八月一一日 市会小会派も調停依頼に傾く 明日明後日かけて夫々総会;調停依頼決せず 渋沢子との会見顛末報告のけさガス会社重役会;今更何の調停依頼ぞ 鈴木常務語る(DK530046k-0019)
第53巻 p.255 ページ画像

中外商業新報 第一五六二七号 昭和四年八月一一日
    市会小会派も
      調停依頼に傾く
        明日明後日かけて夫々総会
ガス問題調停に対する東京市会の各派の態度は小会派たる民政クラブ、中立クラブ、中心会の三派は十一日午後五時から、市民会、更新会、無産党の各派はそれぞれ十二日午前九時から市会事務局に総会を開き態度を決定するはずであるが、九日ガス問題調査委員会の空気に見らるゝ如く、小会派は調停条件に就きなほ相当の異論があるべきも、大勢は調停案は絶対なものでなく、調停案を見た上でなほ条件等に就き服従しないことも出来るのであるから、強いて調停を拒絶する必要はあるまいといふに傾きつゝある
    調停依頼決せず
      渋沢子との会見顛末報告の
        けさガス会社重役会
東京瓦斯会社では昨報の通り十日午前十時本社に緊急重役会を開き、鈴木常務・若尾鉄之助・太田半六・藤村義朗・武和三郎・中野武二・谷口守雄・関谷兵助の諸重役出席、調停問題につき協議したが、当日は単に鈴木常務から、八日渋沢子並に郷・大橋両氏との会見顛末を報告したに止まり、この際会社側として、渋沢子はもちろん、郷・大橋両長老に瓦斯問題一切の調停を依嘱するかどうかについては、いましばらく市当局その他一般の情勢を見た上で、その態度を決定することに申合せて、当日は何等具体的論議には触れず、十一時半散会した、因みに調停問題について会社側では恐らく近く再度の重役会を開くものと見られてゐる
    今更何の調停依頼ぞ……
      鈴木常務語る
別項の通り、重役会を終つて鈴木常務は調停問題につき、左の通り語つた
 渋沢老子爵が今度ガス問題の調停に起たれたことは、今日の問題がはしなくも聖慮を煩し奉つたことに対し、誠に恐懼に堪へないと云ふ、老子爵個人としての考へから出発されたものであつて、決して会社側から調停の快諾を慫慂したものではない、また郷・大橋両長老の起つに至つたのも、これまた渋沢子爵の場合と同様、全く両長老の個人的の意見に出ものである、従て会社側としては増資問題については既にその裁定方を商工当局の要請通り申請してある、この際今更別にこちらから財界の長老にわざわざ調停を委嘱するやうな考へは毛頭ない、しかし今後渋沢子爵を初め長老連が、実際にガス問題の調停に一肌ぬかれることが明瞭となれば、会社側としてもそれに対して、何とか正式の態度を決定するの必要あることは勿論である

 - 第53巻 p.256 -ページ画像 

東京朝日新聞 第一五五四二号昭和四年八月一二日 渋沢子のガス調停に市会の空気頗る険悪 既に三十余名拒絶を決議しけふの協議会暗黒;三派は調停を拒絶 裁定申請の今日、その要なしと 昨夜聯合協議会で(DK530046k-0020)
第53巻 p.256-257 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五四二号昭和四年八月一二日
  渋沢子のガス調停に
    市会の空気頗る険悪
      既に三十余名拒絶を決議し
        けふの協議会暗黒
渋沢子の調停乗だしに対する市会の意思は十二日午後一時から開れる全員協議会で決定されるのであるが、既に別項の如く中立クラブ、民政クラブ、中心会三派および純無所属、本多市議等三十一名は調停拒絶に一決し、更に無産派六名も調停を希望してゐないので、既に三十七名の態度は調停拒絶に決定した、これに対し多数党たる市民会(三十二名)および更新会(十八名)がいかなる態度に出るかは極めて注目されてゐる、特に今回の調停の動機が会社の申出によつた事が明かになつてゐるので、市会の硬骨議員間では
 非がいづれにあるか既にはつきりしてゐる以上、市は一歩も譲歩の余地のないのに、この際妥協せしめようといふ事は問題をますます長びかせるだけでなく、さうした妥協の調停案は、市で容認出来ない事がはつきりしてゐるのに、今更渋沢子を煩はすにおよぶまい
といふ意見が多い、この形勢の悪化には調停役の一人大橋新太郎氏も驚いて、十一日朝来市民会・更新会の領袖所と密かに会見して、市会の緩和を依頼したとも伝へられてゐる、結局十二日午前中各派はそれぞれ総会を開いて調停問題を協議するはずであるが、大体市民会・更新会は調停依頼に傾いてゐるが、両会内の一部にも調停依頼に反対意見を持つてゐるものがあるので、けふの全員協議会の形勢は極めてこんとんとして来た
    三派は調停を拒絶
      裁定申請の今日、その要なしと
        昨夜聯合協議会で
渋沢子の調停乗だしには市会内部には
 既に商工大臣に裁定を申請してゐる今日、ガス会社と関係の浅くない人々によつての調停は市側にとつて不利だ
といふ意見もあつたが、東京市会中立クラブ・中心会・民政クラブの三派および無所属の本多市議は、十一日午後六時半から上野精養軒に
 三派 聯合協議会を開き種々協議した結果、渋沢子の好意は感謝するが、左記の理由で老子爵の調停を拒絶する事に満場一致決定、十二日午後一時から開かれる市会全員協議会にはこの態度で臨む事になつた、調停拒絶の理由は
一、裁定申請前ならばむしろ進んで依頼するが、既に商工省は裁定に資する調査を終つて、裁定も近い今日横道に外れるのは問題を却つて遅延せしめる
二、市会の決議を、長老有力者の出馬によつて変更する事は、悪例を残す
三、三派はガス会社の増資計画には当初から絶対反対してゐる、今日増資問題を中心とする調停には到底吾々の満足し得る成案を見る事は出来まい、むしろ拒絶すべきである
 - 第53巻 p.257 -ページ画像 
然して三派並に本多市議とで議員三十一名である


東京朝日新聞 第一五五四二号 昭和四年八月一二日 子爵のにほはす調停案内容 増資の一部を認めて直下の時期と程度を言明さす(DK530046k-0021)
第53巻 p.257 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五四二号 昭和四年八月一二日
    子爵のにほはす調停案内容
      増資の一部を認めて
        直下の時期と程度を言明さす
十一日箱根小涌谷に往訪の記者に対し子爵は次の如く語つた
 市と会社との双方を譲歩させるやうな案が出来ても、双方が現在の状態では譲歩に応じないのは明らかで、調停が出来ないから手をひくといふのは不見識極まると九日は大橋氏に十日は郷男に引止められたが、不見識でもいゝ、こちらの調停案に応じられねばあきらめるまでゝ、それまでは極力調停して見ようと決心してゐる旨をお話したら
 両君 とも私を助けることを快諾されたので、会社の方は郷男が詳しく、市の方は大橋氏が従来からいろいろ関係があり、これで私の調停に対する陣立は出来た、市の方の模様はまだはつきりしないが会社の方は過日鈴木常務が来訪の折、今直ぐは困るが、先へ行つたら多少の料金は引下げられると大分色気のあることをいはれてゐるし、郷男には鈴木常務からある程度の譲歩意見を開陳してゐるやうに聞いてゐる、調停案の内容は全く決つてゐない、大雑ぱに見て将来は借入金又社債に資金の調達をやらせ、差し当り所要の二千五百万円を一億円増資の四分一払込でやらせ、料金は引下の時期と程度を会社に言明させるといふやうなところに
 落付 くかも知れぬが、それでは会社が今まで発表してゐる意見と同じなので、かうした双方従来の主張と関係のない他の方法(例へばこれは一例に過ぎぬが公納金の増額とか寄付金とか)を加味しなければ妥協点は発見されぬと思つてゐる


中外商業新報 第一五六二八号昭和四年八月一二日 市会少数派は調停を拒否 市会決議尊重と裁定信頼とできのふ三派聯合総会(DK530046k-0022)
第53巻 p.257-258 ページ画像

中外商業新報 第一五六二八号昭和四年八月一二日
  市会少数派は
    調停を拒否
      市会決議尊重と裁定信頼とで
        きのふ三派聯合総会
渋沢子爵のガス問題調停申込みに対する、東京市会の態度は、十二日の全員協議会で決定を見るはずであるが、市会の少数派たる中立クラブ、民政クラブ、中心会の三派聯合総会は、十一日午後七時上野精養軒に開会、廿三名出席、岡田和一郎博士座長席に着き、調停に応ずべきかこれを拒絶すべきかにつき協議を進め
 市会においては増資は絶対拒絶の意思を表示してゐる、今日渋沢子爵の誠心からの申出には敬意を表するも、一私人の調停によつて市会の意思を動かすの結果となり、増資・料金値下は、少くとも調停に関する限り不可分の関係あるも、増資については絶対に互譲的精神を有しない、即ち市会の決議尊重並に商工大臣の裁定を信頼する意味において、渋沢子爵の調停申込は絶対に拒絶する
 - 第53巻 p.258 -ページ画像 
といふ説多数を占め
 仲裁案を見た上で拒絶し得るのであるからその上にしては如何との少数意見もあつたが、仲裁案を見た上で調停を拒絶することは渋沢子の面目を傷つけるものであると反対され、結局調停に応ずべきか否やを裁決に問ひ、二・三少数意見を除き大多数を以て拒絶することに決定九時半散会した、かくて十二日午前中の市民会、更新会の態度如何によつては、調停拒絶となるやも計り難き情勢となつた


東京朝日新聞 第一五五四三号 昭和四年八月一三日 渋沢子爵のガス調停 断然拒絶に決定す 市会の決議変更の要なしと けふの全員協議会で;各派総会一致拒絶(DK530046k-0023)
第53巻 p.258-259 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五四三号 昭和四年八月一三日
  渋沢子爵のガス調停
    断然拒絶に決定す
      市会の決議変更の要なしと
        けふの全員協議会で
ガス調停問題に関する東京市会全員協議会は十二日午後二時から開会左の申合せを可決し、開会四分にして散会し、堀切市長は直に渋沢子秘書渡辺氏を市役所に呼んで、市会全員協議会の結果を通達する事になつた
 申合せ
 先に本会がガス料金直下および計量器使用料撤廃並に資本金増加反対の決議をなし、これが裁定申請を主務大臣になしたる件に関し、渋沢子爵が老体をもつて調停の労をとられんとするその厚意に対しては、深き感謝と満こうの敬意を表するものなるも、現在の状態においては本会の決議は変更すべき事由なしと信ずるにより、市理事者はこの旨を体し、渋沢子爵に可然伝達あらん事を望む 東京市会全員協議会
 調査委員会も拒絶
 東京市会ガス調査委員会は、十二日午前十一時から市会控室に開会、今回の渋沢子の調停について高橋委員その他から調停を断るべき種々の意見を開陳し、堀切市長から
 今回の調停は無条件とか、条件付とかいふものではなく、渋沢子等によつて出来た調停案を、市およびガス会社両者にそれぞれ見せてこれではどうかといふ了解を求めつゝ調停を進めてゆくといふやうな話しであつた
と説明した、更に委員会の権限について論議を重ねたが、結局同委員会は「渋沢子の調停はお断りする」といふ事を申合せ、同十一時四十分散会した
    各派総会一致拒絶
ガス問題の調停に乗だした渋沢子爵に調停を依頼すべきか否かについて、東京市会各派は十二日午前それぞれ総会を開いた結果、各派は一致して調停をお断りする事に決定した、市会各派を一致してこの態度に出るに至らしめたのは
ガス会社が渋沢子に調停方を懇願しながら、一方において市当局を愚ろうしたパンフレツトを一般に配布し、かつ重役会等における鈴木常務の態度が依然として市に対する一片の誠意も認められない
といふ事に基因し、又渋沢老子爵の調停は感謝してゐるが、調停者と
 - 第53巻 p.259 -ページ画像 
しての渋沢子の共力者―即ち郷男、大橋氏等に対する不満もあつたやうである、かつ既に増資問題に関する裁定方を商工省に申請してありガス料金直下についても商工大臣の発令方を陳情してあるので、今更調停を依頼して却て問題を延引せしむる結果となるであらうといふ事等が主たる拒絶の理由となつたものである


東京朝日新聞 第一五五四三号昭和四年八月一三日 私は手を引くのみ 別段好んで起つたのではない 箱根で渋沢子語る(DK530046k-0024)
第53巻 p.259 ページ画像

東京朝日新聞 第一五五四三号昭和四年八月一三日
    私は手を引くのみ
      別段好んで起つたのではない
        箱根で渋沢子語る
〔箱根宮ノ下電話〕箱根宮ノ下三河屋ホテルに滞在中の渋沢子爵は、十二日ガス調査委員会が同子の調停を拒絶することに決議したといふ報道に関し、左の如く語る
 元来私はこの調停に自分から好んで出たのではない、話は先々月頃からこの問題の関係者からあり、最近に至つて堀切市長とガス会社の鈴木常務とがわざわざ来訪されて、あなたは明治十八年からガス会社に関係され、いはゞ東京ガスの生みの親であるからあなたが調停に立つて下されば必ず円満に話がまとまるだらうとのことでした
      ○
 又俵商工大臣にも会つたところ、同大臣も私が調停に起つことは甚だ結構なことであるから是非さう願ひたいとのことで、私も調停に起つことに決心した次第でした
      ○
 右のやうな経緯ですから、東京市会の方で私の調停を拒むといふなら、まづ堀切市長から正式に私の方へ話があることゝ思ひます、その上でなければ今私の態度は確定出来ないワケですが、市会が果して私の調停を拒絶するといふなら、私としてはもともと自分から好んで起つたのではないのですから、この際手を引く許りです


中外商業新報 第一五六二九号昭和四年八月一三日 渋沢子の調停を市会一致して拒絶 「現状に於ては譲歩の余地なし」と けふの全員協議会で;会社に誠意なき時老子爵を煩はすに堪へず 更新会が出した拒絶理由声明書;また已むを得ず 甚だ遺憾であるが 堀切市長語る;調停は調停 裁定は裁定 商工省は既定方針で裁定準備も進んだ;商工省へ勝手な陳情 ガス会社増資賛否 二組が鉢合せの混雑(DK530046k-0025)
第53巻 p.259-261 ページ画像

中外商業新報 第一五六二九号昭和四年八月一三日
  渋沢子の調停を
    市会一致して拒絶
      「現状に於ては譲歩の余地なし」と
        けふの全員協議会で
渋沢子爵のガス問題調停申込みに応ずべきや否やに関する東京市会ガス問題調査委員会は、十二日午前十一時より市会事務局に開会し、現状においては市会の決議を変更すべき事情に立至つてゐない、即ち市会には絶対に譲歩の余地がないから渋沢老子爵を煩はすにも及ばないとの理由を以て、全員一致調停を拒否することに決定した、なほ市会全員協議会は午後一時四十五分市会議事堂に開会、溝口副議長席に着き、渋沢子爵がガス問題の調停を申出があつたが、午前中各派総会通り市会の決議を変更すべき事情がないから、これを拒絶する意味において左の如き決議を提議し、満場一致可決、堺利彦君決議文案に異議をとなへたが問題にされないで同五十分散会した
 - 第53巻 p.260 -ページ画像 
      決議○前掲ニツキ略ス
    会社に誠意なき時
      老子爵を煩はすに堪へず
        更新会が出した拒絶理由声明書
更新会は十二日午前十一時総会を開き、渋沢子爵の調停出馬を拒絶することに決定し、左の声明書を発した
    声明書
 東京市の大先輩にして、実業界の長老たる渋沢子の出馬は誠に感謝に堪へない、然しながらガス会社今日の態度は一面子爵の出馬を懇請し、他面東京市を讒侮中傷せるパンフレツトを頌布し、且つ新聞紙上及び会社重役会等における鈴木常務の言動は依然として不都合極まるものにして、一点誠意の認むべきもの無し、依て今日の場合老子爵の労を煩はすべき時期に非ずと認め、一に市会の決議を尊重し、商工省の裁定の速かならむことを要望す
    また已むを得ず
      甚だ遺憾であるが
        ◇……堀切市長語る
渋沢子ガス問題調停に対し市会がこれを拒絶したのに関し、堀切市長は左の如く語る
 理事者としては最初から市会の意向と共に進んで来た、今日調停を拒絶する事になつたことは甚だ遺憾であるが又已むを得ない、又理事者としては渋沢子の老躯をひつさげて調停の労をとられんとした御好意に対し満腔の謝意を表する、それ以外には市長として何事も申し上げる言葉がない
  調停は調停……
    裁定は裁定
      商工省は既定方針で
        裁定準備も進んだ
ガス増資調停について東京市会はこれを拒絶することゝなつたが、右について商工当局は左の如く語る
 渋沢子の調停で、ガス問題がうまく成功すれば結構だと思つて居たが、商工省としては最初から言明して居る如く、調停者の出ると否とに拘らず裁定は当然の責務として準備を進めて居るので、東京市会が拒絶しようとしまいと、そんなことは何等関係なく、既定方針を進めて行くだけである
    商工省へ勝手な陳情
      ガス会社増資賛否
        二組が鉢合せの混雑
東京市会では別項の如くガス増資に関する渋沢子の調停を拒絶することになつたので、ガス問題は再び商工省の裁定に逆もどりしたわけであるが、十二日朝来商工省には婦人市政研究会代表者が増資反対、料金値下げの請願書を提出する一方、ガス問題市民大会各区有志と称して五十余名押寄せ、折から俵商相も横山政務次官も不在なので三井事務次官に会見、失業救済のため増資を認めろなどと勝手な陳情などし
 - 第53巻 p.261 -ページ画像 
てごつた返して居る


瓦斯問題ニ関スル書類(DK530046k-0026)
第53巻 p.261 ページ画像

瓦斯問題ニ関スル書類          (渋沢子爵家所蔵)
  昭和四年八月十三日
                           (朱書)
 (八月十三日午後七時飛鳥山邸ヨリ電話ニテ通知アリ) 於小涌谷受付
 東京市外飛鳥山
  渋沢栄一殿
                 奈良ニテ 俵商工大臣
子爵折角調停御意向モ市会ニ於テ拒絶ノ趣誠ニ遺憾ニ堪ヘズ取敢ヘズ御挨拶申上グ


渋沢栄一書翰 大橋新太郎宛昭和四年八月一三日(DK530046k-0027)
第53巻 p.261 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋新太郎宛昭和四年八月一三日(大橋新太郎氏所蔵)
拝啓 残暑尚酷烈ニ候へとも高堂益御清適之条奉賀候、老生も両三日前より当地ニ避暑、爾来健在ニ候間御省念被下度候、然者過般東京なる弊事務所ヘ尊来相願ひ、枉而御賛成相願候東京市対瓦斯会社ニ関する紛議調停之事ハ、昨日東京より特ニ事務所員罷越し爾後東京市又ハ会社之状況詳細ニ報告有之、詰リ東京市ハ別紙之趣意にて調停拒絶と申事ニ相成候由、右ニ付而ハ堀切市長より種々申越も有之候得共、詰リ市議員之気勢会社ニ対して悪感強き為めと申事ニ御坐候、前段之問題ニ付而ハ老生之婆心より或ハ円満之解決もと相考ヘ、賢台ニ御助力相願候のミならす箱根に於てハ郷男爵にも会見種々愚見陳上、既ニ賢台も御同意ニ付是非御応諾と強制せしも、前陳之如く其効を見るニ至らさりしハ聊物足らぬ心地いたし候次第ニ御坐候、右ハ爾来之状況御報告旁過日之御礼まて匆々如此御坐候 敬具
  昭和四年八月十三日
                      渋沢栄一
    大橋賢契
        侍史
(別紙)
      決議○前掲ニツキ略ス
(別筆)
神奈川県金沢町 大橋別荘にて 大橋新太郎様 侍史
神奈川県箱根小涌谷 三河屋旅館 八月十三日 渋沢栄一


(渡辺得男)書翰 渋沢栄一並夫人宛昭和四年八月一六日(DK530046k-0028)
第53巻 p.261-262 ページ画像

(渡辺得男)書翰 渋沢栄一並夫人宛昭和四年八月一六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
          (別筆朱書)
          昭和四年八月十六日付(於小涌谷受付)
          渡辺得男氏来状
 - 第53巻 p.262 -ページ画像 
○上略 陳者過日来不一方御高配被遊候東京市対瓦斯会社の案件ニ関し、御下命の御伝言を市長・鈴木氏及俵商工大臣ニ伝達の儀、昨日高田氏に依頼し、中間の御報告仕候通り市長・鈴木の両氏には一昨十四日親しく面談候処、両氏とも異口同音ニ只管閣下の御高配と御努力と御精神とに対し感佩措く能はず、かく相成り候て誠ニ申訳なしと申居られ候、商工大臣は昨夜関西旅行より帰京の趣にて、本日午前十一時半商工省にて三井次官と同席にて面会、詳細ニ御仰を伝達仕候、然る処今回の事誠ニ遺憾千万にして、子爵の御尽力ニ対し感激の至リニ不堪、御鄭重なる御挨拶にて痛み入る次第、呉々も宜しく御伝を乞ふとの御挨拶ニ有之候、尚本件ニ関し二・三の雑談を交へ、約二十分位にて辞去致し候、尚ほ井上蔵相も二十日頃関西旅行より帰らるゝ趣につき、其上にて非公式ニ御目ニかゝる心算ニ御座候
○中略
  八月十六日夕 得男
   渋沢子爵閣下
    同 令夫人


(大橋新太郎)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月一七日(DK530046k-0029)
第53巻 p.262 ページ画像

(大橋新太郎)書翰 渋沢栄一宛昭和四年八月一七日(渋沢子爵家所蔵)
(別筆)
          昭和四年八月十八日箱根子爵宛
            大橋新太郎氏
拝復
十三日附芳翰難有奉薫誦候、当年酷暑土用あけ却て難凌候へども、於錦地引続き御機嫌克く被為入奉南山候、然者仰聞け之東京市対瓦斯会社紛議ニ関し候御調停は、其後市長殿よりも台下ヘ御説明有之候趣にて、市議員之気勢会社ニ対して悪感強く、其の為め終に円満解決難望傾向ニ相成候由、折角台下御憂慮被下候御親切も其甲斐無御座、郷男も共々心配せられ候も成行の儘と相成遺憾千万ニ奉存候、又右ニつき態々御手紙を辱う仕り、御懇諭賜り候次第恐縮之至りニて逐一敬承仕候、洵ニ台下思召の存し候所真之諒解を得る能はず候事、返す返す残念ニ奉存上候
尚ほ時候柄何卒此上とも御自愛専一に被遊度奉祈念候、孰れ得拝光候上、親敷御挨拶等可申述候へども、不顧略儀以鄙札此段拝答申陳度如斯御座候 恐々謹言
  昭和四年八月十七日          大橋新太郎
    子爵 渋沢栄一様
            侍史


竜門雑誌 第四九二号・第一―八頁昭和四年九月 今回の瓦斯問題に就て 青淵先生(DK530046k-0030)
第53巻 p.262-266 ページ画像

竜門雑誌 第四九二号・第一―八頁昭和四年九月
    今回の瓦斯問題に就て
                      青淵先生
 東京市対東京瓦斯会社の所謂瓦斯問題は、最近かなり社会の視聴を、惹いたやうであるが、問題の真相は相当混雑して居る。私としては一度両者の間に立つて調停を試みやうとした関係上、此処に其間の事情を赤裸々に話して置きたい。それは、将来の参考になると共に、事実
 - 第53巻 p.263 -ページ画像 
の誤解を避ける材料の一つにもなると思はれるからである。
 偖て瓦斯会社の起りから話すのが順序であると思ふが、最初に瓦斯の機械を買ひ込んだのは、彼の太政官札を発行して有名な由利公正氏であつた。何でも明治二年頃欧米に旅行し帰朝してから、東京府知事になつたが、知事になつて東京の有様を見ると、欧米の都市とは比較すべくもなく、殊に灯火に於いて甚しく遅れて居るのを痛感した。然したゞ吉原では場所柄とて、普通蝋燭の外現華灯のやうなもので街路を明るく賑やかにして居たが、頗る不用心で火災が頻々とあつたので之ではならぬと云ふ所から明るいと共に火災をなくするやうにせねばならぬが、それには瓦斯灯にするがよいと云ふので瓦斯の機械を英国から購入したのであつた。其の金額は三・四万円であつたと思ふが、之は楽翁公が積立てられ、当時東京府で保管して居た共有金から支出したのであつて、これで相当広い場所に点火出来るようにしやうとした。但し由利公正氏は程なく府知事を退いたから、それを使用するまでにならなかつた。これが瓦斯設備の抑もの起源であるが、私が瓦斯のことに関係するやうになつたのは明治七年からである。当時の東京府知事は曾て静岡藩の藩政に当つて居た大久保一翁氏で、私はもとから懇親の間柄であつた。申すまでもなく私は明治六年に大蔵省を辞任し、その八月に第一国立銀行が成立し、その総監役となつて銀行全般の実務に当つて居た。従つて私が斯く経済方面に働き、金融業者となつて居たから、大久保氏が府知事として共有金の取締方を東京市民の重なる者に委嘱するに当り、私に白羽の矢をたてたのである。それは市民の共有金取扱ひに付て無駄がないやう、有利に使用し新文明に役立つやうにしたいと云ふ為めであつたらしく、大久保氏が私を信用し且つ新らしい仕事を考案する人物と考へられて、此事を命ぜられたようであつた。それは兎に角私が共有金の取締に任じた為め、其共有金で購入した瓦斯機械の管理をも行ふ訳になつたのである。

 話の序に共有金なるものは如何なる性質のものであり、如何なる歴史を有するものであるかを述べて置きたい。天明年間徳川十代家治将軍が田沼意次を寵用したので、田沼は限りない栄華を為し増長到らざるなく、それこそ秕政百出の有様を呈した。其処で之れを最も憂慮されたのが水戸の文公と称せられる治保と云ふ人で、今にして改革せねば徳川の政治は信を天下に失ふであらうと憂へられ、尾州侯其他と協議して、松平楽翁公を老中に推薦せられた。時の将軍は徳川中興の祖と称せられた紀州からは入つて将軍職に就かれた八代吉宗卿の曾孫に当る十一代家斎卿で、此の人は当時十五歳であつたが才徳兼備の人であつた。また楽翁公は吉宗卿の孫に当るから、家斎将軍とはまた従兄弟であつた。楽翁公が老中になられたのは三十歳の時で、天明七年の八月頃であつた。爾来公は秕政の改革に一意専念尽力し、先づ奢侈を厳禁し倹約を奨励した。そして倹約の実行を市中にまで及ぼし、町内の経費を節約せしめ、之に依て得たものを積立てしめた。実際江戸町内の役員が節約した金額は不明であるが、例へば一年の町内の経費を千両とし、其二割の二百両を節約したとすれば、その節約した二百
 - 第53巻 p.264 -ページ画像 
の十分の一を特に町内の臨時費とし、又其十分の二を町費を納めた人人に割戻し、其残額即ち節約額の十分の七を積立てしめ、それに幕府から同額の加算金を支出して共に積立てた。かく積立た金は、土地を買入れて貸地とするとか、其他種々の事に運用し、備荒貯蓄として元金が年々増加するやうにしてあつた。之れが所謂七分金で、御維新後は東京市民の共有金として残されたものである。此の共有金は概略百六・七十万円に達して居たと思ふ。今から考へると金額としては大したものではないが、物価の安値であつた当時としては中々の大金であつた。今日より約十倍の価値があつたものと仮定すれば、千六・七百万円に相当する訳で、其取締は相当大切な事業であつた。
 由利公正氏が瓦斯の機械を購入したのは、此の共有金の内からであるが、共有金の取締を私が委嘱された当時には、之が運用の為め東京会議所と云ふものがあつた。東京会議所は前に営繕会議所と称したので、三十名ばかりの会議員があつた。その名前は、今一一記憶にないが、西村勝三、杉浦甚兵衛などと云ふ人々も其の内にあつた。兎に角社会的に多少私が名を出して居たから、共有金の支配を命ぜられた訳である。東京会議所の方は其の直後確か楠本正隆氏が府知事であつた時と思ふが、府会が開かれることになり又一方商業会議所も出来ることになつたので、存続の必要がなくなり遂に解散したのである。
 斯様な事情から、共有金の運用に関聯して、種々事業に関係が生じた。即ち東京養育院長になつたり、瓦斯局長になつたりした。その他墓地の整理、橋梁の架設、府市庁舎の建築等にも此の資金を用ひた。然しながら瓦斯の方は容易に点火までの運びに到らなかつたが、明治八・九年頃恰度横浜に瓦斯局を置き、瓦斯の設備をすることになり、仏国からペレゲレンと云ふ技師を招聘したから、東京でも瓦斯管の埋没其他の工事があるので、此人に委嘱して二十数万円を支出し京橋・日本橋の一部に瓦斯管を敷設した。此の時にも協議の席上では種々議論もあつたが、結局天下の必要事であるから是非やらう、また敷設しなければ購入した機械の効用も達せられないからと云ふことで実行したのである。また社会の進みも瓦斯を必要としたが、然し瓦斯に対する理解が一般に少く、収支相償はぬまゝに経過した。処が明治十二年頃になつてからは漸く電気が発達して、尚ほ我が国には其の設備は行はれて居なかつたが、光力では瓦斯以上であると認められるやうになつたので、恰度其頃瓦斯の方はまだ試験時代であるに拘らず、府会の関係者などから厄介物視されるやうになつた。処が此の時浅野総一郎氏が「多くの人々は瓦斯事業を駄目のやうに云ふけれど自分はそうは思はぬ。自分がやつて見たいから東京瓦斯局の事業を払下げてくれ」と云ひ、時の府会議員須藤時一郎・沼間守一・藤田茂吉などと云ふ人達に相談して、払下げ運動を開始した。浅野氏が瓦斯事業に眼を着けたのは偶然ではなく、曩に政府のセメント工場の払下げを受けた経験がある一方、石炭商として瓦斯局へ使用石炭を納入して居たからである。ある日浅野氏が私を訪ねて「府会の或る人達は瓦斯局の事業を払下げてもよいと云つて居り、渋沢さんが賛成するなら実現するとのことであるから、金額十五万円、五万円は即金、残り拾万円を年一万円
 - 第53巻 p.265 -ページ画像 
宛の年賦として払下げて欲しい」と相談を持ちかけたから、「公のものを安価に売ることは罪悪である。実際二十五六万円も費して居るのにどうして十五万円で売れやうか、それでは市民に対して相済まぬ。また自分としては君に払下げて置けば利益になるかも知れぬけれども私は自分の利益を図つて、市民の損失を顧みないと云ふことは出来ない」と強く拒絶したから、此の話は中絶した。其後瓦斯局の事業も稍順調に進んで行き、遂に明治十八年に資本金二十七万円の株式会社にした。従つて共有金を使用して起した瓦斯事業は、利益にこそならなかつたが、損はなかつたのである。
 それから以後瓦斯は、単なる照明から各戸の台所に用ひられ、益々熱としての効用が増して来て、会社としても次第に資本金額が大きくなつた。其の間大橋新太郎氏が専務取締役に任じたり、又高松豊吉氏がそれに代つたりしたが、常に私が取締役会長として事に任じ、明治四十二年実業界隠退を機会に円満退任するまで、二十五年間に亘つて瓦斯会社の事業に携はつた次第である。
 私が瓦斯会社との関係を絶つてから、既に二十年になるから、最近の模様に就ては知る処はないが、此の六月下旬料金問題で東京市と瓦斯会社との間に紛紜があり、解決難に陥つて居るからとして、星野錫・田川大吉郎・山崎亀吉・坪谷善四郎の四氏が来訪し、「貴方は市にも会社にも縁故が深いのであるから両者の間に立つて調停して欲しい。さうしないと到底此の解決は困難である」と言ふので、或は仲裁者となつてもよいと考へたが、一人では困るので、井上準之助氏に話したところ、瓦斯問題の調停ならば手助けするとの答を得たので、其事に付て種々相談し合つた。そして当事者双方の意嚮を探ることになり、恰度東京市養育院のことに付て話があつたので、堀切市長を訪問しての序に此の話が出ると「御迷或でも口をきいて下さるなら結構です」と云つて居たので、瓦斯会社の方でも望むなら調停に立たうかと考へた訳である。処が六月二十五日に瓦斯会社の鈴木寅彦氏が飛鳥山の宅へ来訪して、判然とは云はないが「貴方が出て呉れては困る」と云ふ意味のことを述べ、調停案を出しても拒絶されさうであつた。鈴木氏の意向が右の如くであると判つた以上立入るべきでないと考へ、井上氏とも打合せて体よく断つたのである。
 それから瓦斯問題はいよいよ紛糾して、遂に商工大臣に裁定を仰ぐやうな結果になつて居たが、八月初め再び瓦斯会社の鈴木氏が来訪して「此の前には先輩に対し非礼になつては相済ないと思つて居りましたので、あのやうに申上げたが、先般 聖上陛下が新大臣へ謁見を許された時、俵商工大臣に瓦斯問題の御下問があつたさうで真に恐懼に堪へませぬ。そしてあの時調停を御願ひして居たら、斯う云ふことにはならなかつたと残念に思つて居ります」と述べ、これからでも纏めて欲しい。も一度心配して呉れぬかと云ふやうに解釈される口振りであつた。そこで市の方はどうかと堀切市長の意見を聞いて見ると「市会の方は協議して見ねば判然せぬが、自分は結構だと思ふ」とのことであり、また九日俵商工大臣に首相官邸で会見して「都合によつては瓦斯問題の調停に立つて見やうと思ふが」と云ひ、商工省はどう考へ
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るか、と意見を徴した、すると「事情は井上準之助氏から聞いて居る貴方が立たれるのは頗る結構である」と答へられたので、此処に調停に立つて纏るものなら纏め度いと思つたのである。愈調停に立つなら瓦斯会社も市も、調停者たる私の意見に全然服従するか、或は私の出す調停案に賛成してもらはねばならぬ。然し絶対服従と云ふことは私も好まぬし、又困難であらうから、双方の主張を聞いた上、適当と認められる点を基準として、両方共に半分づゝ譲歩させるとか、一方を三歩、一方を二歩後へ引かせるとか、それは調停者で定めねばならぬと思ひ、出来るだけ命令的でなく懇談的人情的に解決したいと思つて居た。けれども市の方では十二日に市会の全員協議会を開いて調停を依頼するか、断るかを決定すると云ふ返事であつた。それはそれとして私一人では此の調停案が立てられぬから、郷誠之助男と大橋新太郎氏に相談することゝした、前に協力を頼んだ井上準之助氏は大蔵大臣に就任して居たので、此二氏を選んだのである。そこで先づ大橋新太郎氏に協力方を謀つた処「貴方が懇談づくめの調停を為さうとせられるに対して、私は喜んで貴方の為めに出来るだけやりませう。然し此の問題の調停は随分うるさいことゝ思ふ」と云つた。又私は郷男が箱根に行つて居るのを幸とし、予て箱根へ避暑する考へであつたから、十日同地へ赴き調停に立つに就ての私の意見を述べ、賛成協力を求めた処、郷男も「貴方のお伴をしやう」と快諾された。
 然るに十二日の市会の全員協議会では、私への調停を依頼せぬ、と云ふ決議が成り、その意味を市長から渡辺を通じて申して来たので、已むなく此のことは赤面の到り乍ら中止することになつた。かくして瓦斯問題の私の調停は手を染める迄に至らなかつたのであるが、其の間私の調停に立たうとした心事は、何処までも公平に、他を圧迫しやうと云ふやうな考へなど聊かもなく、人情づくで解決させたいと望んだのであつた。殊に市民が毎日使用して居る瓦斯の問題であるから、裁定を主務省に求めると云ふような法律的な争ひにならぬ為めに調停しやうとしたのである。之れは特に誤解のないやうに付け加へて置きたい。

 而して市会の調停を断つたのも、市として瓦斯会社に対し、一歩も譲歩の余地がない為めであるとすれば尤もな訳であると申さねばならぬ。何分前にも述べた通り調停と云ふ事柄は、双方多少づゝ譲歩して意見の一致点を見出すものであるから、譲れぬものならば断つた方が親切であるとも云へるのである。今回の瓦斯問題の沿革並に実際の成り行きは右の通りで、批評や意見は一切述べなかつたが、終りに斯様な問題は出来るだけ円満に、互譲に依つて解決することを望む次第である。(九月九日談話)


竜門雑誌 第四九二号・第九四―九七頁昭和四年九月 渋沢子爵の出馬と瓦斯問題調停決裂の真相 簾月生(DK530046k-0031)
第53巻 p.266-268 ページ画像

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東京瓦斯五十年史 同社編 第五五―五八頁昭和一〇年一〇月刊(DK530046k-0032)
第53巻 p.268-269 ページ画像

東京瓦斯五十年史 同社編 第五五―五八頁昭和一〇年一〇月刊
 ○第壱部 第二編 第四章 昭和四年の増資問題
    第三節 増資断行と再考の通牒
○上略
 商工省では、当社の一億円増資届出○昭和四年七月八日に接するや、即日省議の上再考すべき旨の通牒を当社に寄せたのである。即ち此の場合は主務大臣の裁定を経るを相当と思量するとの趣旨であつたので、当社は直に其の意嚮に従ひ、裁定を申請することにした。
    第四節 増資不認可の裁定
 当社は、七月十三日の重役会の結果、商工省の通牒に従ひ、増資を適当と認める商工大臣の裁定を仰ぐ事に決し、瓦斯事業法第十二条四項に拠り、其の旨を申請した。其の理由は左記要項の通りであつた。
 一、事業の公共的本務に鑑み瓦斯の普及発達に努力して居ること。
 二、前回増資(大正十五年五月、五千五百万円)に市の異議なかりしこと。
 三、前回の増資に依り、事業拡張を遂行したること。
 四、目下拡張計画は、予期以上の実績を挙げ居ること。
 五、目下の拡張計画の完成には、現在の払込資本金では、不足を告げること。
 六、年々の新規需要増加に対し、新資金を要すること。
 七、興業費は株金に拠るを本則とすること。
 八、市の主張に係る社債又は借入金に拠るは、奇道であること。
 九、現今の低金利状勢が、今後永続することは思料し難きに付、借金政策に拠るは不安定なること。
一〇、未払込金なき場合の社債募集は、容易ならざること。
一一、瓦斯供給の如き恒久事業の資金を借入金に拠るは、事業の基礎を不安定ならしむること。
一二、借入金償還に当つて、果して増資を為し得るや否や懸念されること。
一三、報償契約に配当制限あるを以て、金利動揺の場合増資は至難なること。
一四、社債償還期に増資不能の場合は、財政的窮乏に陥ること。
一五、一時の金利安に眩惑して、借金政策に拠らんとするは、会社百年の計に非ざること。
 右の申請と同時に株主に対して、瓦斯事業法の規定に基き、増資問
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題の裁定を申請するに付、先に発送した増資の件は、取消す旨を通知した。
 市は、当社が商工大臣に増資を適当と認める裁定を申請したのと前後して、是を否認する裁定を下され度と、商工大臣に申請した。
 商工省では、当社並に市の双方より相異る申請を受けたので、当社よりは市の申請に対する答弁書(八月一日)を、又市よりは当社の申請に対する答弁書(八月二日)を提出させ、裁定に対する諸般の準備調査を進め、十月二十四日に瓦斯事業委員会を開いて諮問したが、同委員会は、遂に『会社の一億円増資の申請は之を認めざる事』と決議し、之を商工大臣に答申した。
 右に依り商工大臣より其の旨通牒に接したので、当社は増資に関する官公署との交渉は一切之を中止し、改めて適当の措置を講ずる事に方針を決定し、増資は一先づ之を打切つた。
    右当会社ノ増資不認可ノ裁定後モ市ハ瓦斯料金値下ノ運動ヲ続行シ、其後昭和四年十二月二十六日当会社取締役鈴木寅彦ト東京市助役白上祐吉トノ間ニ料金値下ニ関スル折衝行ハレ、両者ノ間ニ(一)会社ハ公納金ヲ百万円トシ(二)市ハ会社ノ増資社債借入ニ対スル許可権ヲ放棄スル条項ヲ骨子トスル瓦斯報償契約案成立セシモ、之ハ市会ノ容ルル処トナラズ、翌五年十一月当会社ハ八銭値下案ヲ発表セシモ亦市会ノ反対ニ遇ヒ、昭和六年一月二十六日商工省ハ旧料金ヨリ十八銭ノ値下即チ千立方呎ニ付二円七銭ノ値下ヲ認可シ、遂ニ料金値下問題ハ落着ヲ見タリ。此期ニ於テ熱量販売制ヲ採用シ一分減配ヲ決行セリ。
    而シテ会社側ノ増資案モ、同年七月三日五千万円増資(資本総額一億五千万円)及ビ社債二千五百万円ノ募集ヲ認可セラルルニ至レリ。


鈴木寅彦談話筆記(DK530046k-0033)
第53巻 p.269-270 ページ画像

鈴木寅彦談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
               昭和九年十二月六日於丸之内日清生命ビル鈴木寅彦事務所 編纂員佐治祐吉聴取
    渋沢子爵の東京瓦斯会社対
    東京市抗争仲裁について
 昭和二年の春の頃……瓦斯が独占事業なものだからサービスが悪いとの批難がありますので、昭和二年の末に急速に決定しまして、大拡張計画をして、即時実行で、新規な関門を増設すれば又取付も急いでやつた事がある。従つてさういふ訳ですから、未活動資本が大いに寝てゐる、今値下をすれば配当を減らさねばならぬ。
 現在○昭和四年の値段は六大都市を通じて――横浜は市営ですから除きまして――大阪・京都・神戸・名古屋・広島のその孰れに比しても呼値が安い、配当からいふも京都は一割四分、其他は皆一割二分で、東京は九分配当をしてをる。何処から見ても東京瓦斯の料金は一番安いものである。今の未活動資本が活動して来れば、公共事業の関係から云うても他所の方から請求されずとも値下をするが、今は配当を下げねば値下が出来ぬのであるから、値下をすることは出来ぬ。
 殊に現在の値段は此前の瓦斯疑獄事件によつて多大の犠牲の払はれたものであるから、其等の人々の感想を顧慮して見た上からも中々値下をする事が困難である。
 故に子爵○栄一が仲裁にお立ち下さるといふ事に対しては御注意を願
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ひ度いと云ふ事を正雄君○渋沢正雄 に申した事がある。
 子爵はその時は仲裁に立たれずに了つた。
 さうして我々は市と抗争を続けた。
 偶新聞に陛下より商工大臣に瓦斯問題に対して軫念を煩はして御下問があつたといふ事を承知致しましたので、早速老子爵を御訪ねして誠に恐懼に堪へぬ、かうなつては利害得失だの面目だのと云ふ事を考慮してゐる暇が無いと考へます、唯斯の如き場合に於てどういふ風に自分の一身を処置してよろしいものであるか、実業界の先達であらるる貴方に教を受けに今日は罷出た次第で厶いますと申上げました。
 かう申上げたらば、可成長い間熟考してゐられました。『自分にも始めての事であつて、如何になさつたらよいものかと云ふ事も考もつきません。なほ、考がつきましたら申上げませう。たゞたゞ他の会社の事と違ひまして、私の創立致しました瓦斯会社の事に関して聖慮を煩はしたと云ふ事に就て深く恐懼致す訳であります。』というて、その事を繰返してをられた。
 その事が因をなして、更に老子爵は調停の労を執らうとされるに到つたものと私は拝察する。
 そして郷男爵及大橋新太郎氏に御相談になつた。御両氏は随分事が面倒なやうだからお立ちにならんがよからうと云はれた。然しながら若し子爵が立つとお極めになるならば、自分共が出来る丈の御手助を致します。といふ事で、子爵は両君と相談をして事を進める心算で調停にお立ちになつた。
 すると市会に於ては決議をもつて渋沢子爵の調停を拒絶した。
 その事を私は知るや其翌朝○八月十三日 早朝に東京を発して、渋沢子爵の行つてをらるゝ箱根小涌谷の三河屋にお訪ねした。
 で、一応の挨拶を交換した後
 『昨日東京市会に於ては、市に対して大功労者である老子爵が事の成行を憂慮されて仲裁にお立ちにならうとするのを、満場一致の決議を以て拒絶したといふ事柄は不都合千万であります。然しながら此決議の因をなしたものは、私が今日迄のなした事が悪かつた為であらうと考へて、今日は其御詑を兼ねて市の決議に対する御慰安を申上げたいと思つて参上致しました。』
と申上げたらば、その時の渋沢さんの言葉がかういふのであつた――
 『今回の事は私が自分の力の足らない事を顧慮せずして自惚を出した事が私の過で厶います。誠に後悔を致してをります。その上私の致した事が貴方の御仕事の御邪魔になつたではあるまいかと思つて恐縮に存じてをります。東京へ帰りますれば早速御宅○鈴木氏註「お屋敷」ト仰セラレシモ御宅トス へ参上してお詑を申上げなければならないと思うてをつた所へ、わざわざ御出を願ひまして何とも恐縮に堪へません。』
 私はたゞたゞ恐入つて引退つた。


郷誠之助談話筆記(DK530046k-0034)
第53巻 p.270-271 ページ画像

郷誠之助談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
               昭和十一年十月九日 於同氏邸 太田慶一・山本鉞治・市川弘勝・山本勇採訪
    青淵先生観と財界に於ける先生との関係
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○上略
      七、徳育についての思出
 渋沢さんについては私にもう一つ思出がある。それは子爵がなくなられる二・三年前に、ガス問題がやかましくなつた頃です。その時分私は箱根の別荘にゐたが、渋沢さんも箱根の三河屋に来て養生してをられて、私の処へ使を寄こされた。私の別荘は山の中腹にあるので、途中大部難儀な所がある。渋沢さんはそこまで上るのは足が悪くて辛いから、済まないが三河屋の方へ来てくれまいか、といふことで、私の方から出掛けて行つたことがある。
 奥様も一緒にみえてをつた。
 その時の話題は、『ガス問題がやかましくなつてゐるが、何とか治めてくれんか。私も東京市には因縁があるから、何とかせねばならぬと思ふが、自分独りでは一寸困る、あなたと一緒ならやれるだらうと思ふ』といふお話で、私に相棒になつてくれといふことであつた。
 しかし、これは渋沢さんが調停に出られるのを、私はお止めした。
といふのは、『私も渋沢さんから相棒になれといはれゝば喜んで片棒を担ぎませうが、この解決には市会議員に金を使はねばなりませぬ。議論ばかりでは解決できませぬ、といつてあなたが金を使つて解決なさるといふことも出来ますまいから、お止しになられた方が宜しいでせう』と私はお止めした。だから後日、瓦斯会社から渋沢さんのところへ調停を大部熱心に頼みに行つたやうだが、とうとう引受けられなかつた。
○下略