デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
13節 土木・築港・土地会社
1款 関門架橋株式会社
■綱文

第53巻 p.344-345(DK530057k) ページ画像

明治44年8月31日(1911年)

是ヨリ先、栄一、岩下清周・村井吉兵衛・郷誠之助・渡辺嘉一等ト共ニ、関門海峡ニ橋梁ヲ架シテ山陽・九州両鉄道ヲ接続シ、且之ニ電気軌道ヲモ敷設スルノ目的ヲ以テ、当会社ヲ創立セントシ、是日出願ス。陸・海軍、内務ノ三省及ビ鉄道院ニ於テ詮議ノ結果不許可トナル。


■資料

竜門雑誌 第二八〇号・第七二頁明治四四年九月 関門架橋会社計画(DK530057k-0001)
第53巻 p.344 ページ画像

竜門雑誌 第二八〇号・第七二頁明治四四年九月
○関門架橋会社計画 青淵先生を始めとし、村井吉兵衛・郷誠之助・渡辺嘉一・福沢桃介(以上東京)・岩下清周・大林芳五郎・広岡恵三・片岡直温・同直輝・岩本栄之助・志方勢七・速水太郎・野村徳七諸氏の発起計画に係る関門架橋会社は八月三十一日其筋に出願したる由なるが、工事設計其他の概況を記さんに、馬関海峡を横断して一大架橋を為し、橋上に鉄道四線を敷設し、山陽・九州両鉄道の接続を大成すると同時に、電軌に依りて関門両市の連絡を全ふするを以て目的となし、山陽・九州両線に於て他年複々線敷設の必要を見るまでは、橋上四線の内二線を電車専用とし、其複々線敷設後は之を併用するものとし、橋梁はカンテイリーバー式とし、鉄道は広軌とするも山陽・九州両線の広軌改築竣工する迄は狭軌に併用の設計にして、橋梁の延長と其前後に接続して敷設すべき鉄道及び電軌の哩程は大略左の如し。
 △橋梁全長三千八百九十呎△内訳陸橋千八百二十呎△水上橋二千七十呎△鉄道全長五哩七十五鎖△内訳下関一哩十六鎖△門司側四哩五十九鎖△電軌全長三哩二十五鎖△内訳下関側二哩三十鎖△門司側零哩七十鎖
 △資本金総額千五百万円
 千万円架橋費△二百万円修繕費△二百万円電軌費△百万円予備費
 △橋上を通過すべき貨客の一日平均数量及び通過料は左の如し
 △二千五百万円貨物五千噸《(衍)》△六百円旅客列車十二列車△六百円電車乗客六千人△五百円営業費へ△差引三千二百円利益金資本金総額の七朱強に当る


岩下清周伝 故岩下清周君伝記編纂会編 第二編・第八五―八六頁昭和六年五月刊(DK530057k-0002)
第53巻 p.344-345 ページ画像

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