デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
1款 三本木渋沢農場
■綱文

第54巻 p.108-120(DK540034k) ページ画像

昭和2年2月23日(1927年)

是日栄一、当農場顧問原熙及ビ上京中ノ当農場主事水野陳好ヲ午餐会ニ招キ、当農場将来ノ方針等ニ関シ懇談ス。

尚、八月下旬、渋沢同族株式会社社長渋沢敬三・同理事増田明六、当農場ヲ視察ス。


■資料

(増田明六)日誌 昭和二年(DK540034k-0001)
第54巻 p.109 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年       (増田正純氏所蔵)
二月十二日 土 晴
○上略
三本木農場水野陳好上京出勤したり
昨年度決算及本年度予算ニ関し本社の決済を仰く為め本日上京したり
○下略
  ○中略。
二月十八日 金 晴                出勤
三本木農場決算書類承認の件
正午、丸の内事務処ニ社長・白石君・水野主事と会し、昨年度決算並本年度予算ニ就き各項ニ亘り検査審議して之を決定したり○下略


集会日時通知表 昭和二年(DK540034k-0002)
第54巻 p.109 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵)
二月廿三日 水 午前十半時 三本木農場ノ件(事務所)


(増田明六)日誌 昭和二年(DK540034k-0003)
第54巻 p.109-114 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年      (増田正純氏所蔵)
二月廿三日 水 晴                出勤
○上略
正午、丸の内事務処にて三本木農場顧問原熙氏を招待午餐会を開く、上京中の水野陳好を列席せしめ、子爵・社長・小生及白石と卓を囲ミ同農場昨年度決算、本年度予算並将来の方針等ニ関し種々談話したり
○下略
  ○中略。
四月四日 月 晴                 出勤
○上略
本日の来訪者
1、川崎新兵衛 三本木原野国営開墾ニ関する件
○下略
四月五日 火 晴                 出席
前十、川崎新兵衛氏と事務処に会談、三本木町稲生耕地整理組合組織会、三本木開墾会社清算事務ニ関する件ニ付き種々意見を交換したり
○下略
  ○中略。
四月八日 金 晴                 出勤
○上略
本日の来訪者
○中略
2、川崎新兵衛 三本木原野国営速成ニ関する件
○下略
  ○中略。
昭和二年七月一日 金 晴             出勤
午前八時半、逓信省ニ於て地方官会議の開催せらるゝを機として、遠藤知事の紹介で青森県新任知事森岡二朗氏を同省会議室ニ訪問した、○中略 遠藤氏ニ導かれて森岡知事ニ面会した、同知事ハ未た三本木農場
 - 第54巻 p.110 -ページ画像 
は視察せさる由であつたが、上北郡大規模開墾事業の為め向後十分尽力せられん事を請ひ、又農場管理人水野陳好を宜敷指導せらるゝ様と懇願して置いた、種々農場の経歴、三本木原野ニ係る沿革等を話したかつたけれと、最早会議開始の時刻ニ迫つた様であつたから、再会の時機を期して別れ、直ニ出勤した、遠藤氏の厚意で幸ニ青森新知事ニ面会し得たのは将来の為め大なる好都合であつた○下略
  ○中略。
八月十四日 日 晴
子爵ニハ斎藤(書生)・荒山(運転手)・藤井(看護婦)外ニ女中一名を連れ、王子午前七時三十九分発汽車ニて伊香保木暮武太夫別館ニ赴かる、先是令夫人(去三日)先発、本日ハ同地ニ於て子爵を迎へらるる都合なり
小生ハ予て腸チブスにて熊谷西田病院分院ニ入院治療中の橋本米子氏見舞の為め、右子爵の御出発ニ同行、熊谷ニて御別れす、車中ニて秩父セメント会社対セメント聯合会の件を御話した、又来廿一日より三本木農場ニ於て社長と会し視察を為す事、及三本木原野大規模開墾事業計画の事を談話したのである○下略
  ○中略。
八月十七日 水 晴                塩原
朝電報と手紙とを書いて三本木の水野君へ出した、夫れは来廿二日午後社長が北海道から三本木へ着するので其出迎の事やら、社長の同地農場視察を機会に関係者招待の事や、社長の日程やら、又小生の同地に行く時日を十九日後四時十四分西那須を立つて廿日午前六時ニ浅虫ニ着し、少憩の後三本木へ到着する都合なとの事を通知したのである
○中略
夜九時頃水野君から電報が来た、小生の来着を待つ、又社長の為ニ町主催歓迎会を催ふす計画があるとの通知であつた、早速歓迎会は是非見合ハす様、又小生は一日延はし廿一日朝一一古間木着と返電した、どうも腸の工合が心配なので尚一日此地で静養した上行く事に決し、斯く打電した訳である
  ○中略。
八月廿日 土 晴             三本木行汽車
○上略
午前水野君から電報があつて、社長の三本木来着ハ樺太海上荒れの為め一日順延する事ニなつたと知らせて来た、さウすると廿三日の着となるのであるから、小生の三本木行も一日順延して良いのであつたが今日出立する事ニして寝台迄も買切つてあるからと直く廿一日朝六時浅虫ニ着き、九時古間木ニ行くと打電して置いて、午後四時十四分西那須野駅発急行列車に乗つた
○下略
八月廿一日 日 晴                 三木木
○上略 午後五時古間木に到者した、水野君が自動車を以て迎ニ来て呉れたので○中略 迎の自動車ニ同乗せしめて安野旅館ニ同行○中略
水野君引続同居、其内斎藤君・河崎君・稲本胤氏氏令息の来訪ニ接し
 - 第54巻 p.111 -ページ画像 
種々の談話が交換された
一大規模開墾ニ関する基本測量の状況
一古和田湖風景保存《(十)》より右開墾反対の状況
一三本木開墾会清算事務《(社脱)》ニ関する事
一稲本氏経営清酒醸造・木炭製造・材木伐採の事
一廿三日当町有志催社長歓迎会の事
一廿四日社長催晩餐会の事
十時諸君辞去す
東京渋沢事務所よりの電報ニ答電を発す、又
小樽渋沢倉庫社長宛廿三・廿四両晩餐会《(気付脱カ)》の事通知した
八月廿二日 月 晴               三本木
昨夜ハ比較的良く寝られた
午前六時起床、社長より農場気付小生宛書翰中ニ、青森市東洋生命保険会社代理店樋口喜一郎氏ニ於て、社長の為ニ歓迎会を催す由なるが止められたいと思ふから、小生より可然断る様とあつたので、今朝右中止を請ふ電話と詳細を悉した書面とを認めて出した
八時恰も広沢弁二君が此宿滞在《(に脱)》して居るとの事を聞いたので、面会を求めた処、却て同君から来訪を受けた、主として同君が会長として尽力しつゝある大規模開墾事業期成会の事業ニ付いて話した、前夜川崎氏と談話した同事業基本測量ニ関する状況と変りは無い、此機会ニ於て同君に特ニ注意を請ふた一事ハ、近頃ハ兎角大地主ニ対する地方人の故意ニ反対を為すものあるが、今般の大規模開墾事業ニしても、渋沢として運動するを自己の利益を図る為めだと云ふものありとすれは実ニ遺憾の至りなるニ付き、斯る場合ニハ渋沢の立場を明かにせられたしと頼んだのである
前九時農場事務所ニ至り、待合ハせ中の水野・斎藤両君と会す、夫れより帳簿及会計を検査し、又各種取引の取扱方を査閲した
一金銀出納帳と証拠書類との対照 伝票は使用せす、支払金ハ受取人の証書又は支払証書及通帳ニ依りて、収入金ハ通帳及農場の受取証扣ニ依りて突き合ハせたり
一元帳と金銀出納帳との突き合ハせ
一当坐預金(八戸商業銀行支店)、稲本商店預金帳の調査及現金の突き合ハせ
一小作証書の検査
一昭和二年度徴収すべき水田小作礼穀調
一同         燕麦数量氏名調
一同         大豆〃〃
一同         小作料金〃
一稲本商店トノ玄米取引、即玄米受渡、代金受渡ノ手続及通帳ノ取調以上ニ付多少訂正セシムヘキ点アリシヲ夫々注意したるが、就中稲本商店との取引ニ付てハ特ニ留意せしめたる次第である
水野君の宅で昼飯の饗を受く
夫れより試験耕作地・厩舎・馬匹・貯蔵庫・乾草所等を視たる上、自動車ニて水野・斎藤両君の案内で樋の口(東平・中平・西平)及相内
 - 第54巻 p.112 -ページ画像 
の小作地を視察して、午後五時帰宿
八月廿三日 火 晴               三本木
午前六時古間木発汽車ニて水野同伴青森ニ行く、八時半着、同君の案内で陸奥館本店ニて朝食の後、県庁ニ森岡二郎知事を訪問す、幸ニ在庁、引見された、渋沢と三本木町との関係経過、農場設置の理由、三本木開発会社との関係来歴等を述べ、三本木原野開発の緊要の状況、大規模開墾事業ニ就て十分尽力せられ度、又之ニ関《(し脱)》て我々の為すべき事あらハ、何分の御指導を請ふ旨を述へたが、知事は篤と承ハり置くべしと答へしが、此事業ニ就ては政府が熱心尽力なる事、県も政府の方針ニ基つき向後共努力する考なりとの話ありて別れたり、夫より内務部長訪問《(を脱)》したるが、東京ニ於ける部長会議出席中の由ニて不在、更ニ耕地課長溝口三郎氏ニ面会、知事との談話と同様の談を為した、同氏は兼て水野・川崎両君等より熱心開墾者なる旨聞及居るニ付き、敢て大規模開墾ニ就て参考を得度旨を以て種々質問したるが、目下農林技師ニ力を協ハセ測量調査中ニて、之が終了せは、予算を作成して議会ニ提出する都合なるが、目下十和田湖国立公園主張者より頻りニ反対の声ありて、内務省ニ於ても等閑視し難く、今夏技師を派遣して調査を為し、又之ニ関し予等の意見を聞かれしが、調査の上ニあらされは回答難致と答へ置きし次第ニて、此反対論は相当融和せしむる必要ありと云はれたり
溝口氏と別れ、寺通ニ双葉商会主樋口喜一郎氏を訪問す、渋沢敬三氏を波土場《(戸)》に迎ふる為め出掛けたりとて不在であつた、同氏は敬三氏を此処ニ要して午餐会を催す由ニ付き、斯くてハ農場ニ於ける日程ニ狂を生するニ付き、之が中止を請ハん為め訪問したるものなるが、同商会へ函館滞在の東洋生命保険金井滋直君よりの入電ニ依れハ、渋沢氏其午餐会を承諾したる由なりし
水野と共ニ県聴前精養軒《(庁)》ニて午餐を執りて、青森停車場ニ至りて渋沢氏の来着を迎ふ、零時四十分安着、同氏は樋口氏等ニ誘ハれて午餐会ニ臨む、小生と水野とは同氏の荷物を持つて浦町の停車場ニ直行したまだ発車の時刻ニ一時間余りあるけれど、他ニ行くのが嫌ニなつたので其儘同処に氏の来着を待つた、二時半の発車に連れ立つて乗り込ミ車中三本木の状況を談話し、四時四十七分古間木に安着、斎藤・川崎・稲本三氏の出迎を受け、自動車に分乗して渋沢農場事務処に於て麦作者一同八十人の出迎を受け、社長及小生より訓示を為し、試験耕作等を参観して、安野旅館に投す
夜六時より安野旅館ニて町長其他有志六十人の諸氏の社長歓迎会ニ出席す(一人の会費芸妓を合ハせ弐円五十銭なりと云ふ)、和田町長歓迎の辞を陳べ、社長謝辞を陳ふ、二時間在席の後退坐す、町有志の催ニ係る宴会にして、如此多数の出席は近頃ニ無き事なりとの事なり、発起人総代和田町長の歓迎辞は、三本木町の発展は渋沢家の農場経営ニ基くものなりと大ニ賞揚の言ありたり
八月廿四日 水 朝雨後霽            三本木
朝八時出発の予定なりしが、時々シヤワーあり、雨止ミを待つて、九時半社長・小生・水野・斎藤同乗自動車ニて出発、別ニ川崎・南・田
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口・笹森の四氏は一台の自動車ニ同乗して同行す、視察の順序如左
一、大素塚参拝の後、図書館参観
 新渡戸伝翁の墓に詣で、其左隣に翁令息十次郎氏の墓(此処ハ分骨したるものにて、盛岡に埋葬しあるが本墓地なりと云ふ)を拝し、夫れより太田氏の経営にかゝる図書館を観る、此処には翁の 《(原本欠字)》年間三本木原野開墾の設計図を始め、各種取調書類其他氏の独力を以て蒐集したる書物を保有して一般の観覧に供し居れり、此処にて敬三氏は金三百円を寄附せられたり
二、七百・根古橋・柳沢九十番・同九十一番の畑及山林
三、向山・向山平・向平ノ各原野植林地
右視察ノ後零時半一川目 《(原本欠字)》方ニ到着す
此処には三本木開墾会社清算人川崎新兵衛・南専松・笹森専太郎・田口 《(原本欠字〉》及百石村長 《(原本欠字)》小学校長 《(原本欠字)》等十数名来会して、予等の為ニ午餐の饗を調ひ且同地沿海岸ニ於地曳網を催して旅情を慰らる、遠慮無く饗を受けたる後、諸氏ニ導かれて海岸ニ至り、太平洋岸ニ出て狂乱怒濤の中を洩々と老若男女が網の両端ニ繋る綱を曳く勇ましき状態を見て、収獲の豊かなるを期待したるが、幸ニ予期以上の漁獲ニて一同喜色満面の状を見、心中深く喜ひつゝ再度 《(原本欠字)》氏方ニ帰来し、厚く芳意を謝し、帰途ハ 《(原本欠字)》氏案内の為自動車に同乗し、二川目ニ至りて向平の残部を見たるが、時間切迫の為め浜道地方を見るニ及はすして帰途ニ就き、往路の凸凹限り無き道を避け遠路ながら深沢・藤ケ森・百石・秋掌・染屋・犬落瀬・折茂・稲吉等の部落を経て三本木に帰着し、直に服装を改め一心亭ニ於ける宴会場ニ臨む
一心亭ニ於ける宴会は、社長の此の視察を機として、三本木町長始め有力者一同を招待して、従来渋沢農場が多年受けたる厚意を謝し、尚将来協力一致発展を図り度しとの意味より催したるものなりしが、出席者七十余名ニ達し頗る盛会なり、宴の開かるゝニ先ち社長より一場の挨拶を為したるニ対し、軍馬育成場支部長 《(原本欠字)》氏の来賓一同を代表したる答辞ありて、三本木町ニ於ける芸妓等酒間を斡旋し、社長及小生各席ニ盃を持廻りたれは、一同も深く厚意を謝し、歓談ニ時を移した、予等の一同の退散を待ちて帰宿したるは午後十時なり
八月廿五日
朝八時出発、水野・斎藤両君の案内ニて 《(原本欠字)》及農場附近の直営山林及畑作を視、水野君宅ニて午餐の饗を受け一旦旅館ニ帰り、行李を整ひ自動車ニて古間木駅ニ至る、川崎・南の諸氏等他の自動車ニて同駅ニ見送る《(り)》来る、途中故障を生したと見へ、三時廿八分発車の際停車場ニ見へざりしが、発車後鉄道線路側ニ到着して帽を打振るニ会し、ハンケチを振りて之ニ応した
同停車場ニて盛岡市稲村要八氏ニ打電し、同地停車場ニて会見せんと通したるニ、六時五十分同駅ニ出迎を受けたれば、一と先敬三氏ニ別れ下車し、稲村氏の案内ニて某旗亭ニ至り○中略 八時半同停車場ニ帰着し、同氏夫婦の見送を受けて発車す○下略
八月廿八日 晴 日                在宅
 - 第54巻 p.114 -ページ画像 
○上略
夕六時、子爵ニハ書生及看護婦を伴ひ伊香保より無事帰京せられた、王子駅ニ出迎へ、次いて飛鳥山邸ニ出てゝ、御不在中の事務処の事務並三本木農場視察の状況ニ付き、大略を御報告を為したのである
  ○中略。
十月十一日 火 晴                出勤
青森県三本木ニ於ける国営大規模開墾期成会を代表して、川崎新兵衛・南専松・伊東正隆・青森県技師三浦氏・渋沢農場主事水野陳好の五氏の来訪ニ会し、広沢弁二氏も来会し、前記五氏の福島・千葉両県ニ於て開墾地巡視したる状況の談話を聴取した
○下略
十月十二日 水 晴                出勤
前日来訪の三本木町五氏再来、今日は大蔵大臣ニ面会して、国営開墾ニ関する来年度予算成立方懇願し度いから、紹介を請うとの事であつた、子爵ニ御話した処、子爵は自分が紹介する問題でも無い様たと云ハれるので、小生より梅沢敬作氏ニ紹介して、同氏より更ニ大臣ニ取次きを請ふ事として添書を認めた
夕刻電話ありて、大臣にハ面会出来なかつたが、政務次官ニ面会して希望を述へたと《(の脱)》事であつた
○下略

(増田明六)日誌 昭和三年(DK540034k-0004)
第54巻 p.114 ページ画像

(増田明六)日誌 昭和三年 (増田正純氏所蔵)
三月二日 金 小雨                出勤
○上略
午後二時より事務処にて社長・渡辺・白石の三氏と共に水野主事より三本木農場の昨年度決算の状況を聞いた、夕方になつたので明日に継続する事として中止した
○下略
三月三日 土 晴                 出勤
○上略
午後四時より前日の残りニ就き三本木農場の予算の説明を水野主事《(よりカ)》を聴取した
午後六時原熙氏来会、同農場の経営ニ関し談話があつて、夫れより銀行倶楽部ニ至り、晩餐を共ニしなから種々意見を交換した
三月四日 日 晴
午前水野主事を同伴、飛鳥山邸ニ子爵を拝訪して、三本木農場の現況及予算の報告をした
○下略


渋沢農場要覧 刊(DK540034k-0005)
第54巻 p.114-115 ページ画像

渋沢農場要覧  刊
    第三章 現在事業状況(昭和三年度)
      第一項 面積

図表を画像で表示面積

 場所     田         畑       宅地        山林        原野         計         町         町       町         町         町          町 前谷地   一三・九四二三   二九・六六〇五  三・〇〇〇〇    七・三〇〇〇    三・二一一三    六三・六五二二      畦畔二・三八〇二  畦畔四・一五〇八  以下p.115 ページ画像  里ノ沢             一一・四一〇二           六〇・〇〇〇〇    二・四九〇七    七六・四二〇一                  二・五一二二 下平     二・二二二二    二・四四二三                       ・七七〇六     六・一五一八          三四二一      三六〇六 北平     五・七六〇四    七・六五一三            九・九五一五              二五・三六一二         ・九二〇五    一・〇七〇五 樋口    一二・八二一九   六〇・五一二一           二〇・〇〇〇〇    九・六三一一   一一三・四九二八        二・〇五〇〇    八・四七〇七 稲吉    三五・八八一六   五二・〇一一六  二・四五一二     ・五〇〇〇    一・三一二八   一〇三・八八一四        五・七四〇五    五・九六二六 東小稲             一〇・六一〇三   ・三六一〇                        一三・一五一三                  二・一八〇〇 相内    一四・四一一五                                一・七〇二九    一八・四二二〇        二・三〇〇六 根古橋              九・五九二九   ・一一一八  一〇〇・〇〇〇〇   三二・四六二五   一四三・五三二四                  一・三四一二 七百               八・八一〇六   ・〇七一五   一一・〇〇〇〇    一・〇五一三    二二・一七一六                  一・二三一二 柳沢九〇番            五・二七二二           一〇・〇〇〇〇   一五・九四〇八    三一・九五二六                   ・七三二六 柳沢九一番            八・一四二八          一二五・〇〇〇〇   三八・五九二一   一七二・八九一六                  一・一四二七 堀切沢             二五・一六〇〇           五〇・〇〇〇〇   二〇・九二〇四    九九・六〇一一                  三・五二〇七 向山              三一・九一〇八           三八・五〇〇〇  三一二・四〇二三   三八七・二八二四                  四・四六二三 内山平             八二・三九二六           一三・〇〇〇〇    五・九三一九   一一二・八四一三                 一一・五〇二八 向平              七七・二四二五           一三・〇〇〇〇  一五九・三三二三   二六〇・四〇〇三                 一〇・八一一五 浜通              一八・四八〇六            三・〇〇〇〇    四・五五二二    二八・六二二二                  二・五八二四   計   八五・〇六〇九  四四一・三五二三  六・〇〇二六  四六一・二五一五  六一〇・三六一二  一六七九・八八一三       一三・七四一〇   六二・〇九〇八 




(増田明六)日誌 昭和三年(DK540034k-0006)
第54巻 p.115-116 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和三年      (増田正純氏所蔵)
六月廿一日 木 雨                出勤
午前八時半麹町五丁目相模屋に青森県知事吉村哲三氏を広沢弁二氏と共に訪問した、先つ随行員の室に通され暫時休憩の後、知事の室ニ入つた、知事は浴衣の儘て両人を引見した、先つ小生より三本木に於ける渋沢農場の経歴を談話し、四十一年前子爵が同地に投資を始めたのは、要するニ広膜《(漠)》たる三本木の平坦なる土地を、故新渡戸伝氏の遺業を受けて開墾するに在りし次第を陳へ、今日訪問するも決して自己の為ニあらす開墾の素志を達せんとするニある旨を述へ、引続き三本木開墾会社株主の紛争事件当時の道岡知事の仲裁条件を説明し、知事としても同地開墾の義務ある旨を概説して、今回の上京を機として本省ニ国営開墾の速成を迫り、同地方民の安堵の念を与ふる様ニせられたしと希望し、広沢氏よりも是非知事の力に依りて開墾の実現せらるゝ様と懇談した、知事も両人の所説を傾聴し、自分としても開墾に賛成であるから努むる所あるべしと述へ、且政府が国営として着手する以上は全国の他の国営より先きニ三本木に起工すべき旨を語られた○下略
  ○中略。
六月廿七日 水 降雨               出勤
午前九時半三本木町附近村長、水野陳好君の案内で来訪ニ接し、面会した、同地国営開墾促進の為め農林・大蔵両省其他関係先を運動の為めニ上京したのである、依て同族会社の同開墾ニ関する方針を話し、
 - 第54巻 p.116 -ページ画像 
諸君に於ても十分尽力ありたしと奨励して置いた○下略
六月廿八日 木 雨                出勤
○上略
正午、社長の催で、昨日来訪した左記人々を工業倶楽部ニ招待して午餐会を開いた
六戸村長吉田正次郎   百石村長三浦元次郎
下田村長袴田健三    大深内村長小向由蔵
藤沢村助役小沢岩見
外ニ水野陳好  広沢弁二
右七氏の外ニ、社長と小生と九名、五階の一室に会し、国営開墾ニ関し種々墾談し、午餐を共にして散会した


集会日時通知表 昭和五年(DK540034k-0007)
第54巻 p.116 ページ画像

集会日時通知表  昭和五年      (渋沢子爵家所蔵)
十月廿九日 水 夕 水野陳好氏来約(飛鳥山邸)


(田村浩)書翰 渋沢敬三宛(昭和六年)一一月一六日(DK540034k-0008)
第54巻 p.116 ページ画像

(田村浩)書翰  渋沢敬三宛(昭和六年)一一月一六日   (渋沢子爵家所蔵)
謹みて哀悼の意を表し候
本県に御農場御経営相成御功績を称え御盛昌を祈上候、当県の土地に因む林檎御贈申上御霊前に恭しくお供へ申上候
  十六日               青森県農務課長
                      田村浩
    渋沢敬三様



〔参考〕開墾地移住経営事例 農林省農務局編 第五五二―五五八頁昭和二年三月刊(DK540034k-0009)
第54巻 p.116-120 ページ画像

開墾地移住経営事例 農林省農務局編  第五五二―五五八頁昭和二年三月刊
 ○青森県
    四 渋沢農場
開墾地所在 青森県上北郡三本木町大字三本木、大深門村大字深持、大字洞内、六戸村大字犬落瀬、下田大村字下田、百石村大字百石
経営者   渋沢農場
甲、開墾地概況
(一)開墾ノ沿革並其ノ成績
 当農場ハ明治二十三年開墾会計《(社)》ヨリ凡四百町歩ノ割渡ヲ受ケ開墾ニ従事セリ、担任技師二名、雇一名ヲ置キ、此ニ当ラシム、植林凡二十七町歩六段歩ヲナセリ、外ニ果樹栽培及殖馬事業ヲナス
 明治三十一年初メテ殖民事業ニ着手ス、自作兼小作経営タリ、同年開墾会社ヨリ新株トシテ千三百町歩ノ割渡ヲ受ク、明治三十三年ヨリ大正九年ニ至ルマテ年々開墾ヲナシ、水田五十四町歩(計八十町歩)、畑三百十町歩(計四百五十町歩)、植林七十一町歩、其ノ他部分林契約地ニ植林ヲナセリ、明治三十八年自作農ヲ廃シ、小作経営ヲナシテ現在ニ至ル
 開墾ノ成績タルヤ、凡千八百町歩ノ内僅ニ五百町歩ノ開墾ヲ見ルニ過キス
 抑モ当農場ハ、三本木開墾会社ノ割渡地ニシテ、同社カ素御料地三
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千余町歩ヲ拝借シ、水田二千町歩、其他植林・畑地・宅地ノ種目ニ開墾シ、以テ同事業成功ノ上、御払下ヲ得ヘク《(キ)》条件ノ下ニ拝借シタルモノナリキ、而ルニ、大正三年ノ払下御検査ニ際シ、其ノ成功程度ハ、実ニ二千町歩ノ開田予定地ノ内、僅ニ成功面積二十町歩ニ過キス、為ニ拝借地御取上ノ悲運ニ遭遇スルノ已ムナキニ至ラムトス時ノ県知事及渋沢子爵其ノ他数名ノ大株主ハ、連名ノ上、会社最初ノ計画通水路ヲ完成シ、水田予定地ヲ開墾スヘキ事ノ保証ヲナシタル誓言書ヲ帝室ニ奉呈シ、特別ノ恩典ヲ蒙リ、御払下ヲ得タルモノナリ
 而シテ当農場ハ、開墾会社ヲ《(ヨリ)》水田予定地トシテ割渡ヲ受ケタル凡八百町歩ハ、山林原野ノ名義ノモトニ荒蕪状態ナリ、故ニ当農場ノ目下ノ急務ハ耕地整理ヲナスニアリト信ス
(二)土地利用ノ概況
 気象関係ト交通運搬トノ不便ハ一毛作ナスニ過キス、農家ノ経済状態ニ不便ヲ来シ、農法極メテ幼稚ナリ、故ニ土地利用モ尚数歩ヲ進ムルノ必要アリ
 (イ)開墾前ニ於ケル土地ノ地目別面積及利用法
  当農場ハ素御料地ニシテ全部原野ナリキ、即チ明治二十三年原野三百七十八町歩ヲ開墾ノ目的ヲ以テ農場ヲ設置シ、更ニ明治二十七年原野千二百七十八町六段六畝二十歩ヲ得、開墾事業ニ着手セリ
 (ロ)開墾後ニ於ケル土地ノ地目別面積及地価・価格、作物ノ種類収穫量、肥料ノ種類及用量

   地目     面積         地価          価額
             町            円            円
   田       八〇・二四一〇   三、八六〇・〇八〇  一六〇、四八六・六七七
   宅地       三・三五二一     六七五・〇八〇    五、〇三五・五〇〇
   畑      四八四・三四二九   八、〇四二・三六〇   二八、八九二・八〇〇
   山林原野 一、一一二・八八二〇   二、六二三・三二一  五〇一、七五七・六〇〇
    計   一、六八〇・八三二〇  一五、五五一・〇二一  九五六、二六二・五六七

  ○右表誤植アルモ訂正ヲ加ヘズ。
 作物ノ種類・収量(平年)

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  種類     収量(段当)  種類   収量(段当)  水稲     一石三斗    大豆     一石二斗  燕麦      三〇貫    陸稲       一石  蕓苔      四一貫    亜麻   茎 五〇〇斤                      実 三斤  馬鈴薯    三五〇貫    大根     五〇〇貫  蕎麦       六斗 



肥料ノ種類及用量 肥料ハ主トシテ厩肥・人糞尿・過燐酸石灰及魚粕ナリ、今其ノ一例ヲ挙ゲテ用量ヲ示サン

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     水稲           燕麦数量     馬鈴薯数量 種類      数量           貫        貫         貫 厩肥     三四〇・〇〇〇  一〇〇・〇〇〇   二五〇・〇〇〇                              石 人糞尿     六〇・〇〇〇              〇・四五〇           石        石 過燐酸石灰     ・一五〇    四・〇〇〇     〇・一五〇           貫 魚粕        ・三〇〇 



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(三)副業ノ状況
 当地区ハ極寒地ニシテ、秋十一月ヨリノ翌春四月ニ至ル約半箇年積雪ト寒冷ノ為野業ヲナスヲ得ス、故ニ近時極力副業奨励ノ結果、近時愈盛トナリ、主トシテ藁工品ヲナス、製縄機ノ如キハ移民舎六十六戸三十台余ヲ有セリ、其ノ他女子ニハ織物組合ヲ設置シ機業ヲナサシム
乙、移住状況
(一)移住ノ沿革並其ノ成績
 当農場ハ明治三十一年ヨリ自作兼小作経営ヲ採用シ、初メテ福島県ヨリ移住民ヲ入レ、移民舎二十五戸ヲ作リ、同三十二年更ニ十五戸ヲ入ル(合計四十戸)、翌三十三年怠業ノモノ四戸ヲ減シ、三十六年三十六戸《(三カ)》トナル、当時小作人ハ何レモ他国ノモノニシテ、殖民事業ノ困憊想像以外ニシテ、明治三十四年初メテ小作料ヲ徴収シ、明治三十五年小作人四十五戸トナル、明治三十七年激減シテ移民舎二十二戸トナレリ、明治三十八年全部小作制度ヲ採リ、漸次増加シ、現在ニテハ六十六戸ニ及ヘリ
 最初ハ不振ナリシモ、漸次良結果ヲ得ルニ至レリ
(二)移住者戸数及人口

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                       作付反別  年次     戸数  人口    田         畑        総収量      摘要                    町                   石 明治三十一年  二五       二一・一九〇七             八三・九四三 同 三十二年  四〇       四三・五〇〇〇            二一六・〇〇〇 同 三十三年  三六       四七・〇五〇〇            三一二・七〇〇 同 三十四年  四〇       四七・〇〇〇〇   四〇・〇〇〇〇  二六八・三〇〇  畑ニハ蕎麦燕麦粟ヲ播ク 同 三十五年  四五       五〇・五〇〇〇   四五・〇〇〇〇   五六・三〇〇  大凶作 同 三十六年  三二       三七・六〇〇〇   五二・八〇〇〇  一四六・七〇〇 同 三十七年  二二       三二・〇〇〇〇   三六・〇〇〇〇 同 三十八年  二六       三一・〇〇〇〇   四八・六〇〇〇 同 三十九年  二六       三一・〇〇〇〇   四八・六〇〇〇 同 四十年   三六       四一・九〇〇〇   六八・三〇〇〇 同 四十一年  四二        二・九〇〇〇   九九・九〇〇〇 同 四十二年  四二  二二一  四二・九〇〇〇   六九・九〇〇〇 同 四十三年  四二  二四〇  四三・九〇〇〇   七四・九〇〇〇 同 四十四年  四二  二六一  四四・七二〇〇   八一・九八〇〇 同 四十五年  四四  二六四  四七・三四二〇   八六・九八一七 大正二年    四二  二八四  四七・三四二〇   九七・〇四二四 同 三年    四四  二九一  四八・六九二六  一〇四・二四〇九 同 四年    五五  三六八  五三・一四〇二  一三一・四九一一 同 五年    五七  三六八  五三・一四一九  一三三・九〇二一 同 六年    五八       五三・六八二一  一四三・七五二九 同 七年    五九  三九五  五四・〇九一一  一四九・七〇〇九 同 八年    六四  四一九  五五・五九一一  一六六・一四一九 同 九年 



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   前住地    戸数  人口     前住地     戸数  人口  福島県信夫郡  二三  一六九   茨城県那珂郡   一    四  同 県伊達郡   一    八   青森県三戸郡   一    五  青森県上北郡  四〇  二七〇     計     六六  四五六 



(三)移住地ニ於ケル宅地ノ配置及家屋ノ構造並価格
 宅地ノ配置ハ耕地ノ中心ニ建設セシムル形式ヲ採リ、併テ交通ノ便ヲ考ヘ、可成ハ大道路ニ接近セシメテ建テタリ
 構造ハ「バラツク」式ニシテ、大抵三間ニ四間、此ニ厩舎ヲ附属セシメタルモノニシテ、価格平均九百円ナリ
(四)移住者招致ノ方法
 広告又ハ人ニヨリ本農場ノ小作料ノ低率、移民舎ノ建設費補助、其ノ他諸般ノ施設ヲ指示シ、移住者ヲ招致セリ、殊ニ前記福島県ノ移住者ハ特ニ人二名ヲ派シ、温泉所其ノ他公会所ニ公告ヲナシ、汽車賃及家具・造作等ノ運搬賃金ハ凡テ当農場ニテ支弁セリ
(五)移住者ノ待遇
 (イ)土地ノ割当方法並其ノ成績
  前記移住民舎配置ニ説述セル如ク、移民舎ハ農地ノ中心ニ建設シ可成各移民舎ニ近キ箇所ヲ其ノ移民舎ノ耕地ト定メテ土地ノ割当ヲナシ、開墾ニ従事セシメタリ、サレハ移民部落ハ集団スト雖、其ノ配列ハ点々伍々ノ有様ヲ免レス、成績ハ当農場移民ノ数ニ比シテ土地多キ為、割当ヲ自由ニ各移民舎ニ近キ所ヲ割当シ、其ノ移民舎ハ点々密集セサリシ為割当成績良好ナリ、只水田ハ畑ニ比シテ僅少ナルタメ、水田割当ニハ面積位置上聊カ困難ヲ感ス
 (ロ)土地ノ貸与又ハ譲渡ニ関スル規定並其ノ成績
  移民舎敷地ハ無料ニテ貸与セリ、其ノ他移民部落ノ氏神ヲ建立シテ、其ノ敷地ヲ与ヘ、其ノ維持費ハ水田ヲ無料ニ貸与シ、此レヲ耕作セシメテ其ノ費ニ当テシム
    小作証書
 一畑段別 歩
  此ノ小作料金 也
  右小作仕候ニ付テハ左ノ各項確ク相守リ可申候
 一、小作料金ハ毎年九月末日及十一月二十日限リ両期ニ於テ半額宛豊凶ニ拘ラス上納可致候事
 二、土地ハ決シテ荒蕪ニ附セス、若シ荒蕪セルトキハ其ノ部ニ対スル小作料ハ納入可致候事
 三、小作料ハ時勢ニ応シテ改正セラルルモ異議無之候事
 四、貴農場ニ於テ道路其ノ他公共用ノ為本土地ヲ必要トセラルル時ハ何時ニテモ無償返地可致候、又水田造成ノタメ必要トセラルル時ハ何時ニテモ本契約ヲ御変更相成候モ更ニ異議無之候事
 五、貴農場御規定及習慣等ハ必ス遵守可仕候事
 六、畑地ハ地方《(力)》ノ減毛ヲ防キ、忘レス施肥可仕候事
 七、契約期間ハ大正九年度ヨリ三年間ニ候事
 八、小作地ハ他ニ転貸致間敷候事
 九、前各項ニ違背シタル時ハ何時小作地ノ返納ヲ命セラルルモ異議
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無之候事
 十、保証人ハ、小作人カ貴農場ニ対シ損害ヲ及ホシタル場合ニハ、速ニ弁済可仕候事
 右為後日保証人連署ヲ以テ小作人一札差入候也
   年月日
                  県郡村字
                   小作人 某(印)
                  県郡村字
                   保証人 某(印)
 三本木渋沢農場
   場長 某殿