デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
1節 朝鮮
2款 稷山金鉱(稷山金鉱株式会社)
■綱文

第54巻 p.338-349(DK540074k) ページ画像

明治43年7月20日(1910年)

是ヨリ先、栄一、当金鉱経営ニ関シ、浅野総一郎及ビアメリカ合衆国人テーラー、ヘンリー、デシラ等ト屡々会談ノ結果、日米両国人共同経営ノ議成リ、是日、飛鳥山邸ニ於テ、契約書ニ調印ヲ了シタル上、関係者ト共ニ午餐会ヲ開ク。


■資料

(八十島親徳)日録 明治四〇年(DK540074k-0001)
第54巻 p.338 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四〇年    (八十島親義氏所蔵)
五月二日 曇
例刻出勤、本日午後デシラー氏韓国ヨリ上京シ、稷山金礦ヲ既往一ケ年間探礦セシ結果、向後更ニ前進試掘セントノ案ヲ出セリ、今夜帰後彼ノ報告及提案ヲ査閲ス
  ○中略。
五月四日 晴
早ク出勤、午後デシラ兜町ニ来リ、男爵・浅野氏等ト会シ、稷山将来ノ方法ニ関シ、種々協議、八時漸ク帰宅○下略
五月五日 日曜 晴 南烈風
朝デシラ氏・竹鶴氏来訪、昨日浅野氏ヨリ申出ダシ、男爵敢テ排斥セラレザリシ渋沢・浅の側ニ契約以上ノ歩合請求ノ件ニツキ衷情ヲ訴ヘ男爵ヘ之ヲ伝ヘン事ヲ乞フ、素ヨリ理ハデシラノ方ニアル事故快諾ス岸清一氏方ニ至リ、デシラト結フヘキ契約覚書ヲ持参シ、契約書ニ綴リ方ヲ依頼ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK540074k-0002)
第54巻 p.338 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十五日 晴 暖               起床七時就蓐十二時
○上略 午前九時兜町事務所ニ抵リ、韓国行ノ書状ヲ裁ス、米国人デシユラル氏・浅野総一郎氏等来会、稷山金鉱ニ関スル経営方法ヲ契約シ、約書ニ調印ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四〇年(DK540074k-0003)
第54巻 p.338-339 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四〇年     (八十島親義氏所蔵)
五月十五日 快晴
早ク出勤
稷山金鉱共同経営ニ関スル契約案愈確定シ、今日午前デシラ氏兜町ニ来リ、男爵及浅の氏ト共ニ和英両文ノ契約ニ署名捺印ヲ為ス
○下略
  ○中略。
七月四日 晴
例刻出勤、○中略 午後ハ目下上京中ノテーラー氏、ヘンリー氏ト共ニ来
 - 第54巻 p.339 -ページ画像 
訪、男爵ト浅野氏トニテ面会セラレ、兼テデシラーヨリ提出セル既往探礦時代ノ計算書、向後六ケ月間ノ事業計画書等ニツキ逐条説明セシメ、何レモ通過ス、今夜浅野氏ハ芝田町ノ自邸ヘ巨智博士・渋沢男爵テーラー等ヲ招カレ予モ列坐ス○下略
  ○中略。
十一月八日 快晴 暖
○上略
十時出勤、稷山ノ件ニツキ、ゴウエー氏来ル、要件ニ付佐藤毅氏ノ通訳ニテ男爵対話、大ニデシラ側怠慢ヲ指摘説明セラレ、彼閉口シテ帰ル○下略
十一月九日 晴
○上略 昼前浅野氏ヲ新堀ニ訪問シ、同氏多忙ノ為メ馬車ニ同乗シ、氏ガ鉄道庁ヘ赴カル、途スガラニ昨日ゴウヱー来訪ノ要旨ヲ話シ、稷山ノ善後策ニツキ相談ス、氏ノ意見モ此際予ト佐々木保三郎トニテモ一応出張ノ上実地検査ノ後ナラデハ、何レトモ方針ハ立テラレマジトノ意向也○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK540074k-0004)
第54巻 p.339 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月十三日 晴 冷
○上略 午後四時過兜町事務所ニ抵リ、米人デシユラー氏来訪ニ接シ、稷山金鉱ノ事ヲ談ス○下略
十一月十四日 曇 冷
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ○中略 米人デシユラル氏来リ、稷山金鉱ノ事ヲ談ス、浅野氏来会ス○下略
  ○中略。
十一月三十日 晴 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、米国人テーラー、ヘンリー二氏ニ会見シテ韓国稷山金鉱ノ事ヲ談ス、浅野・足立二氏来会ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四〇年(DK540074k-0005)
第54巻 p.339-340 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四〇年      (八十島親義氏所蔵)
十一月十三日 曇
○上略 昼前兜町ヘ、午後デシラ漸ク来訪、男爵ト会見○下略
十一月十四日 晴
○上略 昼前、兜町ニテ、男爵及浅野氏ハ共ニデシラ引見、稷山ノ後図ヲ談判セラル○下略
  ○中略。
十一月十七日 日曜 曇
○上略 夕刻牛込穂積氏ニ至ル、稷山デシラトノ契約修正ノ事ニツキ意見ヲ聞ク○下略
  ○中略。
十一月三十日 晴
○上略 十時出勤、テーラー、ヘンリー二氏約ノ如ク来リ、浅野氏モ来会足立太郎氏愈財務総長タル事ヲ諾シ、近々実地視察ノ筈、又テーラーノ説明及之ヨリ先亀島ノ視察ニヨリ山の時情判明《(事)》シ、一切ノ疑団モ氷
 - 第54巻 p.340 -ページ画像 
解シタルニツキ、本日ヲ以テ契約ニ基ツク出資スヘキ弐万五千円ノ内壱万五千円ヲ払渡ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK540074k-0006)
第54巻 p.340-341 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日 晴 寒
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ○中略 足立太郎氏韓国ヨリ帰京シ、稷山金鉱ノ実況ヲ詳話ス○下略
  ○中略。
一月二十一日 晴 寒
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧ス、浅野総一郎・足立太郎二氏来リ、稷山金鉱ノ事ニ関シ協議ス○下略
  ○中略。
五月二日 晴 暖
○上略 午後二時同気倶楽部ニ抵リ、石川島造船所ニ抵リ、株主総会ニ出席ス、畢テ兜町事務所ニ抵リ○中略 又稷山金鉱ニ関シ、浅野総一郎氏ト共ニ神田氏ノ報告ヲ聞ク、足立・八十島来会ス○下略
  ○中略。
七月四日 雨 冷
○上略 午前九時半女子大学ニ抵リ○中略 畢テ兜町事務所ニ抵リ、稷山金鉱ノ事ニ関シ、米国人ゼ・ジ・デシユラー及ヘンリー二氏ト会見、前原八十島二氏会同ス○下略
  ○中略。
七月十日 晴 冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ○中略 神田礼治氏来リ、稷山金鉱ノ事ヲ談ス、八十島・前原等ト共ニ午飧シ、後同鉱山ニ関シ高根氏草案ノ約定書案ヲ一覧ス○下略
七月十一日 晴 暑
○上略 午後一時兜町事務所ニ抵リ、米国人デシユラー、ヘンリー二氏ト稷山金鉱ニ関シ談話ス、高根義人・前原・八十島氏等来会ス○下略
  ○中略。
七月十四日 晴夕雷雨 暑
○上略 十時半事務所ニ抵リ、英国人ヘンソン氏及米人デシユラル、ヘンリー二氏等ト稷山金鉱ノ事ニ関シ談話ス○下略
  ○中略。
七月十六日 雨 暑
○上略 午後四時兜町事務所ニ抵リ、米国人テシユラル、ヘンリー二氏ト稷山金鉱ノ事ヲ談ス、竹内綱氏来話ス○下略
  ○中略。
七月三十日 晴 大暑
○上略 十一時東京倶楽部ニ抵リ、鶴原氏ニ面会シテ稷山金鉱ノ事○中略 ヲ談ス○下略
  ○中略。
八月三日 晴 大暑
 - 第54巻 p.341 -ページ画像 
○上略 午前十時日本興業銀行ニ抵リ○中略 稷山金鉱ニ関シ、米国人ジヤツク・テシユラー、ヘンリー、テーラー三氏ト種々ノ談判ヲ為ス、協議決定ヲ得ス、更ニ書面ニテ往復スルコトトシテ帰リ去ル○下略
  ○中略。
八月十日 半晴 暑
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ○中略 前原・八十島二氏ト稷山金鉱ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
九月十一日 晴 涼
○上略 午後三時浅野総一郎氏来リテ、稷山金鉱ノ事ヲ協議ス、八十島・前原二氏来会ス○下略
  ○中略。
九月三十日 曇 涼
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ○中略 稷山金鉱ノ件ニ関シテ八十島・前原二氏ト談話ス○下略
  ○中略。
十一月十二日 半晴 寒
○上略 十二時十分新橋発ノ汽車ニテ大磯ニ抵リ、伊藤公爵ヲ訪フ○中略 稷山鉱山ノ事等ヲ詳話ス○下略
  ○中略。
十二月二十二日 晴 寒
○上略 三時再ヒ事務所ニ於テ来人ニ接ス、四時英国人ペレソン氏及技師ハローウエー氏来リ、稷山金鉱ノ事ヲ談ス、八十島・前原二氏同席ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四一年(DK540074k-0007)
第54巻 p.341-342 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四一年    (八十島親義氏所蔵)
一月十六日 晴 道路泥濘
例刻出勤、稷山金鉱ニ関スル組合ノツレジユラータルヘキ足立太郎氏実地ヲ視察シテ昨日帰京、今日来談○下略
  ○中略。
一月廿一日 曇 風立ツ
○上略 昼前浅野氏及足立氏兜町ニ会シ、稷山ノ件協議○下略
  ○中略。
五月二日 晴
○上略 午後三時頃ヨリ兜町ヘ出勤、稷山金鉱ノ件ニツキ視察帰朝シタル神田礼治氏ヲ招キ、渋沢・浅の両氏ニテ(足立氏モ)其報告ヲ聞キ、且向後ノ方針ヲ評議セラルヽ重要ノ会議アルヲ以テナリ
  ○中略。
六月二十六日 大雨
○上略 高根義人氏法律事務所ニ立寄リ、稷山組合契約変更案ノ件ニツキ協議依頼ヲナシ、夕六時帰宅ス
  ○中略。
七月四日 雨午後ハ曇天
朝例刻出勤、ヘンリー、ゼー・デシラ等来リ、多忙、稷山事件也、午
 - 第54巻 p.342 -ページ画像 
後六時半帰宅○下略
  ○中略。
七月十四日 晴夕小夕立
例刻出勤、午前稷山金鉱ノ件ニツキ、ヘンリー、ゼー・ジー・デシラノ両人ハヘンソン氏ヲ伴ヒ来訪、多忙也
○下略
  ○中略。
七月十六日 大雨
○上略
例刻出勤、午後ヘンリー、デシラ、ヒーズ弁護士等来訪、高根・佐藤前原等同席会見、終ニ契約案ニ反対ヲ唱ヘ終ニ物分レトナレリ
○下略
  ○中略。
八月三日 炎天
○上略
出勤後、テーラー、ヘンリー、ゼ・ジ・デシラト稷山金鉱ノ件会見アリ、英国会社トノ交渉ノ件ナレド話枝葉ニ渉リ、コセコセ争議シテハカドラズ、到底男爵ナド大紳士ノ相手ニ非ルヲ嘆ス○下略
  ○中略。
九月十一日 晴
例刻出勤、男爵帰京匆々故百事多忙ナリ○下略
○中略。
九月廿二日 少雨
○上略 夕、テーラー、ヘンリー、ジヨン・デシテ等ト男爵及浅の氏兜町ニ会談セラレ、稷山金鉱ヲ英米日三国人ノ会社トナスノ件ニツキ内協議ヲナシ、終テ晩餐ヲ共ニス
  ○中略。
十月二日 晴
○上略 先月中旬以来、稷山金鉱ノ件、ジヤーデン・マテソンノヘンソン氏ヘ申込ノ往復等ニテ日々多忙ヲ極ムルナリ
  ○中略。
十月十日 晴
○上略 午後、兜町ニ至ル、夕、稷山ノ件ニテ、ヘンリー、デシラ来リ、夜オソクナル○下略
  ○中略。
十二月廿二日 晴夕より曇夜風雨
朝出勤、今日午後四時、ジヤーデンノヘンソン氏及英国ヨリ渡来ノハロウヱー氏来リ、稷山ノ件ニツキ第一回ノ会談アリタリ、予モ列席ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK540074k-0008)
第54巻 p.342-343 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 晴 寒
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ、米国人ヘンリー、テーラー二氏ニ面会シテ稷山ノ事ヲ協議ス、八十島親徳・前原厳太郎同席ス、意見一致スル
 - 第54巻 p.343 -ページ画像 
ヲ以テ、直ニジヤーデン・マチソン商会ヘンソン氏ヘ書通スヘキ事トス○下略
  ○中略。
一月二十九日 晴 寒風強シ
○上略 午後二時兜町事務所ニ抵リ、英人ヘンソン及ハローヱー、米人ヘンリー、テーラー、スミス氏等ト稷山金鉱ノ事ヲ談ス、八十島・前原諸氏同席ス○下略
  ○中略。
三月十八日 曇 軽寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ○中略 前原厳太郎ニ韓国稷山関係ノ事ヲ談ス○中略


(八十島親徳)日録 明治四二年(DK540074k-0009)
第54巻 p.343-345 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四二年      (八十島親義氏所蔵)
一月二日 晴 暖
新年早々用務アリ、十時兜町ヘ出勤ス、韓国稷山金鉱ノ件ニツキ男爵トヘンリー、テーラー等米人ト会談ノ用件出来セシヲ以テ也、十二時半済ミ○下略
  ○中略。
一月二十九日 曇 寒風
○上略 午後二時ジヤーデン・マセソン商社ノヘンソン氏等来リ、稷山ノ件ニ付会見アリ、夕七時帰宅ス
  ○中略。
二月十八日 曇
○上略 午後ハ高根事務所ニ至ル、稷山ノ件オロヤブロウンヒル会社ノホロウヱー氏ト契約案ノ取調ニ就テノ用向也○下略
二月十九日 雨
○上略 午後ハ稷山契約案ノ件ニ付、米人側ヘンリー、テーラー等来訪、其他要務アリ○下略
  ○中略。
二月二十二日 晴
○上略 午後、浅野総一郎氏ヲ内幸町ノ石狩石炭会社ニ訪ヒ、対英人稷山契約ノ事ヲ協議ス○下略
二月廿三日 晴
出勤、今朝十時兜町ニ於テハロウヱー、ヘンソン、ヘンリー、テーラー、スミス、男爵・浅野・高根・前原ノ諸氏会シ、稷山金鉱ニ関シ、オローヤブロウンヒル会社トノ契約書ニ調印ヲ了ス○下略
  ○中略。
二月二十六日 晴
例刻出勤、十時ヨリヘンリー、テーラー兜町ニ来リ、稷山ノ件ニツキ協議ヲ為シ、昼飯ヲ共ニス○下略
  ○中略。
七月十四日 晴 蒸暑夕無風 八十四・五度
午前男爵及浅野氏兜町ニ会シ、稷山金鉱(英国人オローヤブラウンヒル会社契約破談)向後ノ方針ニ付キ協議、米人側ノ申出即負債償却ノ
 - 第54巻 p.344 -ページ画像 
為資金借入度云々ノ件ニ付テモ相談、結局前原トヘンリートニ月末マテニ上京ヲ催《(促)》ス事トナル
  ○中略。
八月四日 時々驟雨(小低気圧)涼
朝、尾崎氏来診、予ハ引籠ルコト今日ニテ九日間、男爵出発前、内外蝟集ノ用向万端皆目ヲ閉チテ静養セルモ、明日ハ稷山金鉱ノ要件ニ関シテ韓国ヨリヘンリー、前原二氏上京ノ筈ナレハ、予ハドーアツテモ出勤ヲ要スル事情アリ○下略
八月五日 晴但時々シヤワー 八十五度
韓国ヨリヘンリー、前原両人ノ上京延引スル事トナリタルタメ、今日ヨリ出勤ノ予定ヲ更ニ延期ス
○下略
  ○中略。
八月九日 快晴
○上略 今日ハ兼テ期セシ稷山金鉱ノ要件ニテ出京ノヘンリー及前原氏ト男爵・浅の氏等会見ニツキ、予ハ初メテ出勤ス、十時半兜町着、何様去月二十七日ヨリ突然欠席ノ後、今日初メテ男爵ニモ謁シ、親シク自分ノ病状ヲ陳ヘ、乍遺憾将来気永ク養生ヲナシタキ旨ヲ乞ヒ、実況ヲ具述セシニ、快諾ヲ与ヘラレ、大慶ニ感ス、男爵ハ予ノ一見病者ノ如クナラザル事、及元気平生ニ変ラサルハ寧ロ意外ニ感セラレシ様拝察セリ
前原氏ヨリ、男爵・若主人及浅の氏ハ山ノ現況ヲ聞取ラレ、向後ノ方針トシテ多少ノ拡展ヲナス必要ハ勿論トシテ、米人側ハ資力ナキニツキ、当方ヨリ貸与又ハ持分外ノ出資ヲナシ、以テ過半ノ権力ヲ得タキ当方ノ内意ハ到底米人承諾スマジキ想像ヲ前原ハ有ス、但米人ハ金ニハ困ルモ、権利ヲ譲ルハ絶対不承知ト察セラルヽ也
午後ヘンリーモ来会、今日ハアマリ深入セズ、只将来拡張ハシタキモ金ナキニ付、現状維持ニテ小規模且姑息ノ仕事ヲナシ、月々ノ利益ニテ追漸発展ノ外ナシトノヘンリーノ内意ノ様也
四時半漸クスム
○下略
八月十日 快晴 暑 八十七度
○上略 昼飯后兜町ニ至ル、今日ハ稷山ノ件ニツキヘンリー等ト第二回ノ会談アルニ付(午後二時ヨリ)テ也、要務ヲ終ヘ六時帰宅ス、ヘンリー等昨年夏頃争論ノトキノ如ク喧嘩口調ニモナラス、至急進行ノ順序宜シ
  ○中略。
八月十二日 晴 八十二度
○上略
稷山ノ件覚書等ノ要件アリシニツキ、午後三時ヨリ出勤、六時半帰宅ス○下略
  ○中略。
八月十六日 晴 八十二度
朝十時出勤、今日ハ稷山ノ件、去十日談合ノ廉々覚書ヲ作リ、ヘンリ
 - 第54巻 p.345 -ページ画像 
ー氏来リ、男爵ト共ニ署名ヲ為シ、玆ニ一段落ヲ着シタリ○下略
  ○中略。
十二月二十七日 晴 寒風
出勤ス、午後浅野総一郎氏始メ前川・神田等ヲ招キ、兜町ニテ稷山ノ件ニ付凝議セラル、予モ勿論同席、明太洞ハ放棄ノ外無カルベシ、稷山現在姑息ノ作業ヲナスハ事情万不得已次第ナルモ、砂金ノ有望、宜敷ドレツヂヲ使用スヘキ事等ハ、ヘンロン、神田両氏等ノ諸説一致スル所ナレバ、組合ノ組織ヲ変更シテ株式会社トナシ、新株ヲ募リテ第三者ヲ加ヘ、其出資ヲ以テドレツヂ事業開始ノ一案ハ、一同大体ニ於テ賛同スル所トナル、多分稷山ヨリヘンリー及前原ヲ招キテ協議スル事トナルベシ、其組織案ハ立案ヲ予ニ命セラル、其他最近ニ前原ガ技師長フワーナムヲ解雇セシ件ハ、先方ノ陳謝ニ依リ宥恕スル様書通スベク決セラル、日没後帰宅
○下略
  ○是年八月十九日、栄一、渡米実業団ヲ率ヒテ渡米、十二月十七日帰国ス。


(八十島親徳)日録 明治四三年(DK540074k-0010)
第54巻 p.345-346 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四三年     (八十島親義氏所蔵)
二月十日 曇後晴 寒シ
朝増田明六氏ヨリ来状、男爵ハ稷山ノ件立案ノ義ニツイテ予ノ帰京ヲ望マルヽ事切ナル趣ナルニツキ、明日一寸上京ノ事ニ決意シ、電信ナド発ス○下略
二月十一日 晴
○上略
午前十一時五十分小田原発帰京ス○下略
二月十二日 晴
○上略
予ガ今回ノ帰京ハ、一月上旬立案シタル稷山前途ノ方針ヲ男爵是認ニ付、更ニ米人等ニ協議スヘキ具体的草案ヲ作ル事ニ就テ、男爵ヨリ予ニ申付アルガ為也、然ルニ男爵過日来聊風邪及胃腸ノ為王子ヘ引コモリ中ナルニ付、予ハ白金ヨリ四里ノ途ヲ王子マデ行カサルヘカラズ、種々考ヘタル末、吉田真太郎ノ自働車会社ヨリ自働車ヲ借リ、夫ニテ九時過ヨリ出向ス、途、橋本ドクトルニ立寄リ受診、善進モセズ、悪進モセズ、先ヅ同辺ナリトノ診察、十一時過王子着、男爵ニ御病床ニテ拝面、前記ノ如ク具体的案(組合員会決議案・起業目論書・定款案)ノ起草ヲ命セラル、且此事ニ就テハ阪谷・篤二等ニモ一応内議ノ上ニテトノ事也、前途ノ大方針ハ、砂金ヲ文明的方式ニヨリ資本ヲ投シテ企業スベク、米人ト協議スルニ在リ、而シテ調査ハ先ニオロヤブラウンヒル会社ノ依頼ニヨリ、米人ハンロンノ調査シタルヲ土台トシ、又起業方法ハ神田礼治・前川益以等ガヘンロン案ヲ土台トシテ立案シタルモノニ拠ラントスルモノ也、病中ト自信シツヽ療養中ノ予ニ取リテハ多少頭脳ヲ労スル仕事ナレトモ、職責ノ行ガヽリ上辞スベクモアラズ、謹諾、帰途阪谷男邸ニ立寄リ一応談話、大体同意セラルヽモ、渋沢家ハ多額ノ新出資ハ成ベク避ケタキ意向也、又同男、予ノ身体ニ対シテハ将来ノ回復ヲ期スルタメ、玆一両年ハ絶対的閑地ニ退キ療養ヲ
 - 第54巻 p.346 -ページ画像 
忠告セラル○下略
二月十三日 晴
○上略 午後、綱町邸ニ至リ、篤二氏ニ面会、稷山ノ件詳細ニ談話ス○中略 今回ノ帰京ハ神経亢奮、食気不進、体温幾分上昇、気分不宜、早ク小田原ヘ帰ラン事ヲ期ス。
  ○中略。
二月十八日 晴
○上略 男爵ヨリ親書ニテ稷山ノ件、ヘンリー、テーラーヨリ多少抗議ノ申出(砂金事業現在当方ノミノ直営及韓人鑑札掘ノ収益ハ彼等ニモ共有ノ権利アリトノ主張、及テーラー病気全快帰韓ニ付テハ元ノ地位ニ就クトノ申出)アリシニツキ、之ニ対スル当方ノ態度ヲ決スル相談ノ為、再応上京ヲ求メラル、予ハ多少ノ風気ナルト、一面ニハ過日ノ具体的立案未成ノ為暫クノ猶予ヲ乞フ旨、増田氏ヲ経テ回答ノ書状ヲ発ス○下略
二月十九日 晴
今日モ尚鼻ツマル、今日ハ稷山ノ件立案ニ従事シ、外出セズ○下略
二月二十日 曇
終日外出セズ、立案従事○下略
二月廿一日 晴
大霜ニテ寒シ、不相変立案ノ仕事ニ勉強ス○下略
  ○中略。
二月二十四日 晴
風気モ快クナリ、又先キノ稷山ノ件具体的案モ出来、一両日前原稿ノマヽ兜町ヘ発送シタルニツキ、男爵ノ召命ニ応シ、延引乍ラ本日上京ス、十一時半小田原発三時半帰宅ス
○下略
二月廿五日 晴
○上略 九時半ヨリ兜町ニ出勤ス、男爵ニ拝面、具体的立案ニ付テハ嘉納セラレ、又此度ノ抗議ニ対スル回答振ニ付テモ決定、直ニ執筆ス○下略
二月廿六日 暖 雨
朝兜町ニ出ツ、稷山ノ件、予ノ立案シタル具体案ニツキ浅野氏ヲ招キ且ツ神田礼治・前川益以氏等ヲモ招キ協議セラル、浅野氏モ同意ニ付ツマリ右ノ案ヲ以テ米人側ニ協議スル事トシ、先ツ其骨子トモナルベキ大要ヲ前原ニ書通シ、彼等ノ意向ヲ叩カシム、又抗議ニ対スル回答モ浅野氏異存ナシ、直ニ発送ス
○下略
二月廿七日 曇 烈風 日曜
午前橋本氏方ニ至リ、診察ヲ受ク、前回ニ比シ宜シ、ラツセルノ部分縮少ス、或ハ固マル傾向ナラントイヘリ○中略
兜町ノ仕事モ昨日ニテ一段落ヲ告ゲシニ付、二時五十九分品川発ニテ小田原ヘ帰ル○下略


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK540074k-0011)
第54巻 p.346-347 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年      (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 曇 寒
 - 第54巻 p.347 -ページ画像 
○上略 午前九時半兜町事務所ニ抵リ、韓国稷山ニ発送スヘキ書状ヲ裁ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四三年(DK540074k-0012)
第54巻 p.347-348 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四三年     (八十島親義氏所蔵)
三月十八日 晴
○上略
兜町ニ出勤シ夕帰宅ス、男爵ニモ拝謁シ、稷山ノ件、経過ヲ承リ○下略
  ○中略。
三月二十四日 曇
○上略 昼飯後、増田明六氏ヨリ来書アリ、稷山ヘンリー、テーラー等ヨリ現行砂金鑑札掘ノ停止ヲ請求シ来リシ処、重大ノ件ナルヲ以テ男爵ハ予ノ帰京ヲ希望セラル、趣ノ申越アリ、幸ヒ予ハ身体ノ工合モヨク又此度ハ小供モ同伴セザルニツキ、何等繋累スル処モ無キヲ以テ即刻仕度ヲナシ、午後二時半小田原発帰京、五時半帰宅○下略
三月二十五日 晴
本日ハ快晴ノ好天気也、十時兜町ニ出勤ス○中略予ヲ招喚セラレタル用件ハ、ヘンリー、テーラー両人ヨリ稷山砂金鑑札掘現制度ハ、有望ナル鉱区ヲ徒ラニ荒廃セシムルナルニ付、至急差トメ度トノ抗議的請求アリシニ付テ、予ニ諮問サレタル也、右ハ従来当方ノ収入トシテ実行シ来リシ事ナルモ、将来文明的方法ヲ以テ、彼等ト共同的ニ砂金ノ経営ヲナサントスル以上ハ、彼等ノ申出モ尤ナル事ナルニ付、可相成同意スルノ意向ヲ以テ考慮スル事、但事ハ韓人ノ多人数ノ既得的利害ニ関スル次第ニモアリ、旁葛原氏ニ上京ヲ促カシ、同人ノ意見ヲモ参酌スル事ニ決シ、ヘンリー、テーラー、前原、葛原諸氏ヘ夫々ノ発状ノ事等ヲ処理シ、夕刻帰宅
○下略
  ○中略。
四月三日 曇
○上略
此度ハ稷山ヨリ葛原氏ヲ上京セシメタル為、五日ニハ是非出勤ノ必要アリ、又男爵ハ来ル九日出発、関西ヘ旅行セラルヽニツキ、夫レマデニハ予ノ前途ノ方針ヲ定ムル等種々ノ要事モアルニヨリ、何レニ致セ玆当分小田原ニハ不在トナルベキヲ以テ、駒正両婢ヲモ同伴帰京○下略
四月四日 曇
○上略
昼兜町ニ至ル、今日ハ男爵血洗島行不在也、稷山ヨリ上京セシメタル高原益吉氏ニ面会○中略七時半帰リ食事
四月五日 晴 風アリ砂塵起ル
朝九時過ヨリ出カケ、兜町ニ出勤ス、男爵ハ多忙也、葛原氏今日モ男爵ト面会ノ機ヲ得ズ、予ハ午後六時半帰宅ス
○下略
  ○中略。
四月八日 晴
○上略 今日ハ平臥療養ス、葛原益吉氏ヲ招キテ稷山砂金地徐々中止ノ件
 - 第54巻 p.348 -ページ画像 
方針立案ヲナシ、予出勤出来ヌニツキ男爵ヘ陳述ヲ依頼ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK540074k-0013)
第54巻 p.348 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
七月十五日 雨 暑
○上略 午前十時事務所ニ抵リ、米国人ヘンリー、テーラー二氏ト稷山金鉱ノ事ヲ談ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四三年(DK540074k-0014)
第54巻 p.348-349 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四三年     (八十島親義氏所蔵)
七月十五日 半晴朝雨
午前十時出勤、目下韓国稷山ヨリ上京中ノヘンリー、テーラー両氏トノ会見ニ同席ス○下略
七月十六日 曇
朝出勤、午后稷山用件ニテヘンリー、テーラー、アンダーソン等トノ会見アリ、佐藤毅ノ通訳也、予モ依例同席ス、夕帰宅也
○下略
  ○中略。
七月十八日 曇 涼
男爵ハ昨日浅野氏ト会見ノ結果、大体ニ於テアンダーソン氏ノ申出ニ応シ、一ケ年間ノ調査ヲ許シ、其後米国会社ヲ立ツル事、彼等ハ五十万円ヲ払込ミ、公称資本ヲ百万弗トスル事、其内四割八歩ヲ当方ニ得ル事、又組合従来ノ支出四十万円ハ毎年利益中ヨリ徐々償還ノ事、等ニ同意ノ事トナリシニツキ、今朝八時半ヨリ兜町ニ於テアンダーソンヘンリー、テーラー等ト浅の氏、男爵等会見、佐藤毅及予陪席、昼頃マデニ大体ノ談合済ミ、夫ヨリ契約案ノ調製ニカヽリ、夕高根博士ヲ訪フ
○下略
七月十九日 曇 蒸暑
朝出勤、高根氏ノ修正案ヲ携ヘ、佐藤氏トホテルニアンダーソンヲ訪フ、男爵及浅野氏モ来会、高根氏モ招キ交渉セシニ、一年間(調査期)ノ石金純益ノ所属ニツキ意見一致セザリシガ、終ニ双方譲歩ノ上決定案ヲ作リ夕兜町ニ帰ル、之より本書ノタイプ佐藤氏担任、予ハ七時帰宅○下略
七月二十日 晴 初メテ真ノ暑ツサトナル
朝兜町ニ至リ、契約書本書校正ノ上、電車利用飛鳥山邸ニ至ル、正午十二時アンダーソン氏・ヘンリー氏・テーラー氏・男爵・浅野氏飛鳥山邸洋室応接ノ間ニテ本契約書ニ署名ノ上正副弐通ヲ分ツ、玆ニ目出度締約済トナル、アンダーソン夫人・ロツク教授・浅野夫人・男爵夫人・高根博士・佐藤毅及予等庭園散歩、茶屋ニテ抹茶ヲ饗セラレ、後余興タル野村文挙・翁支暉氏ノ席画ナドヲ見、ヤガテ一時過ヨリ大広間ニテ日本食ノ饗応アリ、食事中駒梅ノ筑前琵琶、柳橋芸妓ノ手踊等アリ
主賓タルアンダーソン夫妻ハ申スニ及バズ、又ヘンリー、テーラー等モ永年ノ交際トハ申セ、男爵ヨリ饗応サレシハ今回ガ初メテノ事トテ
 - 第54巻 p.349 -ページ画像 
一同大ニ満足ノ様子、殊ニ帰ルニ臨ミみやげトシテ文挙及文暉ノ画ヲ以テセシカバ、尚更ノ好紀念トテ打喜ベリ○下略
  ○中略。
七月廿三日 晴
○上略 九時ヨリ出勤、稷山ノ件、米人アンダーソント締約済ニ付、今後作業ノ方針協議ノ為、男爵ハ本日テーラー、ヘンリー両氏ト会談、午後夫等ニ関シ発状等ノ用向多ク、七時過漸帰宅ス○下略


稷山談判方針 明治四三年七月(DK540074k-0015)
第54巻 p.349 ページ画像

稷山談判方針  明治四三年七月     (八十島親義氏所蔵)
稷山金鉱経営ニ関シテ米国人アンダーソン氏ヨリ提案ノ概要
 調査ノ期間ヲ契約ノ時ヨリ向一ケ年間トシ、其費用ハ総テ同氏ニ於テ負担シ、相当ナリト決定セシ時ハ、左ノ方法ニテ米国ノ法律ニ基キ新会社ヲ組織シテ経営スヘキ事
  但此調査期間中、石金ノ方ハ是迄ノ如ク現組合ニテ営業シテ差支ナキモ、砂金ノ方ハ新規ノ着手ハ見合ハセ度キ事
 調査結了後相当ナリト見込タル場合ニ於テハ、次ノ如クシテ会社ヲ設立スル事
 一会社ノ資本額ハ金弐百万円トシ、内百五拾万円ハ鉱山ヲ代価ニ見積リ、残リ五拾万円ハ米国側ニ於テ引受ケ現金ニテ払込ミ、右資金ヲ以テ石金・砂金共ニ経営スヘキ事
   但資本分割ノ程度ハ凡四拾万円ヲ砂金ニ充テ、他ノ拾万円ヲ以テ石英ヲ経営スヘキ事
 一日米資本者ハ分担割合ハ百分ノ五十二ヲ米国側トシ、四拾八ヲ従前ノ組合ニ割当ツル事
 一従来組合ニ於テ投資シアル金額四拾万円ハ、新会社ノ経営ニ付テ生スル利益金ノ中ヨリ、相当ノ割合ヲ定メ、毎季ニ之ヲ支払フヘキ方法ヲ協定シテ契約スヘキ事
 一会社重役撰挙ノ割合等モ、米国側ニ幾分ヲ多クシテ撰任スヘキ事
 一他日増株等ニ付、モシ日本側ニ於テ懸念ノ事アラハ、相応ノ予防方法ヲ定款ニ設定スル事トスヘキ事

    (別筆)
    四十三年七月
  稷山談判方針
   青淵先生御自筆

  ○封筒裏面略ス。