デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
5款 中日実業株式会社
■綱文

第55巻 p.86-107(DK550025k) ページ画像

昭和6年6月26日(1931年)

是ヨリ先、当会社ノ中華民国政府ニ対スル電話借款ノ利払資源トシテ、同政府ハ、吉長鉄路ノ収益ヲ以テ之ニ充ツベキコトヲ約セシモ、実行セラレザルニツキ、当会社ハ、該鉄路ノ経営受託者タル南満洲鉄道株式会社ニ対シ、之ガ取立方ヲ要望シ、是日栄一、同会社総裁内田康哉以下首脳者ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ種々懇談スルトコロアリ、次イデ七月二日、外務大臣幣原喜重郎ニ書翰ヲ送リテ、コノ間ノ斡旋ヲ依頼ス。


■資料

(中日実業株式会社)第拾四回営業報告書 自大正拾五年四月至昭和弐年参月 第一―二頁刊(DK550025k-0001)
第55巻 p.86-87 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾四回営業報告書
               自大正拾五年四月至昭和弐年参月 第一―二頁刊
    営業報告書
      第一 業務ノ概況
大正十五年四月一日ヨリ昭和二年三月三十一日ニ至ル当社第拾四回営業年度ニ於テハ、前年度ヨリ引続キ専ラ債務ノ整理ニ努メ、社内経費ノ大削減ヲ断行スルト共ニ、極力債権ノ回収ニ竭シタルモ、中華民国ノ兵乱ハ更ニ拡大サレ、財政ハ一層窮迫セルニ因リ、最近ニ至リテハ殆ンド回収不可能ニ陥リタリ、其概況左ノ如シ
一、借款
 交通部電話拡充借款ハ、其担保タル電話局収入ガ軍閥ノ流用スル所トナリ、月賦金ノ支払ヲ受ケ得ザルノミカ、担保権侵害ヲ蒙レルヲ
 - 第55巻 p.87 -ページ画像 
以テ、当社ハ外務大臣・駐支公使ニ請願シ、外交部ヲ通ジ交通部ニ対シ徹底的抗議中ナリ
山東省実業借款ノ回収ハ月賦入金比較的良好ナル成績ヲ示シ来タリシ処、南北ノ騒乱ニ伴ヒ一頓挫ヲ来タシ、入金杜絶セルニ由リ、当局ニ対シ引続キ厳重交渉中ナリ
漢口造紙廠借款ハ、同廠ガ多年休業中ニシテ元利取立凡ンド不可能ノ状態ニアルヲ以テ、担保物利用ノ途ヲ講ジツヽアルモ、未ダ具体的方法ヲ得ズ、且同廠ガ目下武漢政府ノ勢力範囲ニアル為、当分ハ権利ヲ確保スルニ止メ、時機ノ到来ヲ待ツノ外ナシ
参戦・兵器両借款書換ノ手数料ノ件ニツキテハ引続キ収受ニ努メタルモ、未ダ所期ノ目的ヲ達スル能ハザリシハ甚ダ遺憾トスル所ナリ
○下略


(中日実業株式会社)第拾五回営業報告書 自昭和弐年四月壱日至昭和参年参月参拾壱日 第一―二頁刊(DK550025k-0002)
第55巻 p.87 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾五回営業報告書
             自昭和弐年四月壱日至昭和参年参月参拾壱日 第一―二頁刊
    営業報告書
      第一 業務ノ概況
昭和二年四月一日ヨリ昭和三年三月三十一日ニ至ル当社第拾五回営業年度ニ於テハ、専ラ債権ノ回収並ニ債務ノ整理ニ努メタルモ、中華民国ニ於テハ動乱未ダ終熄ニ至ラズ、南京事件、武漢事変等ノ相亜イデ起ルアリ、一方日本内地ニ於テハ、財界積年ノ宿痾遂ニ銀行ノ破綻、休業等ヲ惹起シ、為メニ債権ノ回収、債務ノ整理共ニ予期ノ目的ヲ遂グルコト能ハザリシヲ遺憾トス
一、借款
 (一)交通部電話拡充借款ハ、民国動乱ノ結果担保権ノ侵害セラルヽコト甚シキヲ以テ、当社ハ政府当局ニ請願シ、飽ク迄抗議ヲ為シ、且ツ極力債権ノ擁護ヲ為スト同時ニ其回収ニ努力中ナリ
 (二)山東省政府実業借款ハ、本期ニ入リテ殆ンド入金杜絶シタルニ由リ、当社ハ有ラユル手段ヲ尽シテ之ガ回収ヲ図リ居ルモ、同省ハ南北接触ノ要地ニテ抗争ノ渦中ニ在ルヲ以テ、督軍ハ軍事ノ籌款ニ汲々トシ、借款償還ヲ顧ミルノ遑ナキ状況ナリ
 (三)参戦・兵器両借款整理手数料収受ノ件ハ、未ダ所期ノ目的ヲ達スル能ハザルモ、引続キ政府当局ト交渉中ナリ
○下略


(中日実業株式会社)第拾六回営業報告書 自昭和参年四月壱日至昭和四年参月参拾壱日 第一―二頁刊(DK550025k-0003)
第55巻 p.87-88 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾六回営業報告書
             自昭和参年四月壱日至昭和四年参月参拾壱日 第一―二頁刊
    営業報告書
      第一 業務ノ概況
○中略
国民政府ハ竟ニ南北統一ノ業ヲ遂ケ、漸ク孫文氏遺嘱ノ建国方略産業政策ニ基キ全国裁兵、関税自主権回復、国債整理等ニ関スル新方針ヲ定メタルモ、未ダ実施ノ運ニ至ラス、且統一日尚浅クシテ完成ノ域ニ達セス、各軍閥互ニ反目シテ戦ヲ構ヘ、之カ為政情ノ安定ヲ欠キ、従
 - 第55巻 p.88 -ページ画像 
テ当社債権ノ回収ハ益々困難ヲ感シ、殆ント不可能ニ陥リ、成績ノ見ルヘキモノナキハ頰ル遺憾ニ堪ヘサル所ナリト雖モ、当社ハ此間ニ処シ、国民政府当局ト不絶折衝ヲ重ネ、当社創立カ故孫文氏尽瘁ノ結果ナル事ヲ当局ニ徹底セシメ、国民政府トノ関係ヲ密接ニスルコトニ努力シツヽアルヲ以テ、次年度ニ於テ相当好果ヲ収メ得ヘシト信スルモノナリ
一、借款
 (一)交通部電話拡充借款ハ、昭和参年六月国民政府ノ正式承認ヲ経交通部ヨリ少額ノ月賦金入金アリタルモ、拾壱月以来入金杜絶シタリ、爾来当社ハ政府当局ニ請願シ、国民政府ニ向ツテ抗議シ、債権ノ回収、担保権擁護ニ付極力交渉中ナリ
 (二)山東省政府実業借款ハ、済南ニ於ケル不祥事変突発以来、省政府ハ泰安ニ移リ、全然交渉不能ニ陥リタルヲ以テ、今期ハ回収皆無ナリシモ、期末ニ入リ国民政府トノ交渉成立シ、近ク日本軍撤退完了ト同時ニ、省政府モ済南ニ入城各機関ノ復旧ト相俟テ、借款償還ノ督促可能ノ時遠カラサルヘシ
○下略


(中日実業株式会社)第拾七回営業報告書 自昭和四年四月壱日至昭和五年参月参拾壱日 第一―二頁刊(DK550025k-0004)
第55巻 p.88-89 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾七回営業報告書
             自昭和四年四月壱日至昭和五年参月参拾壱日 第一―二頁刊
    営業報告書
            東京市麹町区丸ノ内参丁目六番地
                    中日実業株式会社
    第一 業務ノ概況
○中略
国民政府ハ北伐完成シ南北統一サレ、全国ニ青天白日旗ヲ翻シ得タルニ由リ、諸般ノ制度ヲ布キ、全国裁兵、関税自主、内外債整理ノ各項ニツキ実行ニ着手セムトスルニ方リ、裁兵問題ヨリ端ナク内紛ヲ生シ山西・西北ノ両軍ハ連合シテ北方ニ新政府ヲ樹立セントシ、又汪兆銘氏ハ覇ヲ南支ニ唱ヘントスル形勢トナリ、為メニ政情紛糾シ、加フルニ銀価ノ大暴落ヲ来タシタル等、諸種ノ情況ハ当社債権ノ回収ニ一段ノ困難ヲ痛感セシムルニ至レリ。
一、借款
 (一)交通部電話拡充借款ハ、今期ニ入ルモ引続キ入金無カリシカ、国民政府ニ極力交渉ノ結果、同政府ハ交通部当局ニ命ジ、臨時弁法トシテ、不取敢北平電話局ヨリ少額ノ月賦金ヲ支払ハシムル事トナリ、七月以降実行セル処、本年三月ニ至リ同局ハ山西軍系市政府ノ下ニ接収管理ヲ強行セラレ、当社ハ又入金困難トナルベキ形勢ヲ看テ、山西軍総司令部並ニ市政府ニ対シ抗議ノ末、従前通リ少額ノ月賦金支払ノ事ニ交渉纏マリ、爾後復タ入金ヲ得ル見込立チタリ。
 (二)山東省政府実業借款ハ、済南不祥事件突発以来交渉停頓ノ状態ニ在リシガ、同事件モ解決シ、日本軍撤退完了ト共ニ、泰安ニ在リシ省政府ハ済南ニ移サレ、各機関ハ接収サレタルニ由リ、
 - 第55巻 p.89 -ページ画像 
当社ハ本借款回収ニ付キ、省政府ニ対シ交渉ヲ開始セルガ、最近漸ク具体的交渉ニ入ル機運ニ達セリ。
○下略


(中日実業株式会社)第拾八回営業報告書 自昭和五年四月一日至昭和六年三月三十一日 第一―九頁刊(DK550025k-0005)
第55巻 p.89-90 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾八回営業報告書
             自昭和五年四月一日至昭和六年三月三十一日 第一―九頁刊
    第十八回営業報告書
            東京市麹町区丸ノ内参丁目六番地
                     中日実業株式会社
      第一 業務ノ概況
○中略
一、借款
 (一)交通部電話拡充借款ハ、臨時弁法トシテ前期ニ引続キ、山西軍系市政府管理下ニアル北京電話局ヨリ、小額ノ月賦金ヲ支払ハシメ来リタル処、昨年九月、時局急変、奉天軍ト交代シ、一時入金杜絶シタルモ、国民政府副総司令張学良氏ト折衝ノ結果、従前通リ取扱フコトヽナレルモ、当社ハ更ニ月賦金ノ増額方ニ付交通部及北京電話局ニ対シ交渉中ナリ
 (二)山東省政府実業借款ハ、数次ノ動乱及軍政権ノ移動ニヨリ、交渉緒ニ就カザリシガ、其後省政府改組セラレ、韓複渠氏主席ニ就任シ、政権確立セルヲ以テ、引続キ本借款ノ償還並ニ契約更改履行方ニツキ交渉ヲ進メ居レリ
○中略
    第十八回 自昭和五年四月一日至昭和六年三月三十一日 決算報告
○中略
      第四 損失金処分案
 金六万五千七百拾四円拾弐銭        当期損失金
 金九拾七万七千八百四拾九円弐拾銭     前期繰越損失金
  合計 壱百四万参千五百六拾参円参拾弐銭 後期繰越損失金
右之通候也
  昭和六年五月      中日実業株式会社
               取締役総裁  袁乃寛
               取締役副総裁 高木陸郎
               取締役    呂均
               取締役    倉知鉄吉
               取締役    江藤豊二
               取締役    楊毓瑊
               取締役    春田茂躬
               取締役    魏鳳山
               取締役    清水新平
               取締役    閻沢溥
前記各項書類ヲ調査シ其正確ナルヲ認メ玆ニ報告候也
               監査役    加藤辰弥
               監査役    飯田延太郎
 - 第55巻 p.90 -ページ画像 
               監査役    袁永廉
               監査役    局翊清


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0006)
第55巻 p.90-91 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(写)
  昭和六年三月三日       中日実業株式会社
                  副総裁 高木陸郎
   外務大臣
    男爵 幣原喜重郎閣下
謹啓 然者
    交通部電話拡充借款ニ附随セル利払借款担保
    吉長鉄路余剰利益金受取方ニ関スル件
弊社ハ、中華民国政府交通部ニ対シ、大正七年十月二十五日金壱千万円ヲ電話拡充借款トシテ貸付ケ候処、之レガ滞リ利息ニ対シ、大正十二年六月二十五日金百六拾九万弐百五拾四円四拾五銭ノ利払借款ヲ締結致シ候、然而此利払借款ノ償還資源トシテハ、中華民国政府ノ所有ニ係ル吉長鉄路ノ収益ヲ以テ之レニ充ツルコトニ規定シ、交通部ヨリ此旨吉長鉄路管理局ニ対シ訓令ヲ発シタル次第ニ有之候処、吉長鉄路ハ其支払ヲ難ジ、責任回避ヲ為シ居ルノミニテ、更ニ要領ヲ得ル能ハザリシヲ以テ、吉長鉄路ノ委任経営ニ当リ居ル南満洲鉄道株式会社ニ貴省御援助ノ下ニ懇願致シ、昭和二年八月弊社ヨリ同社ニ之レガ取立委任ヲ為スト共ニ、其取立金ヲ引当テニ同社ヨリ弊社ノ所要資金ノ立替払ヲ仰キ得タル次第ニテ、誠ニ同社ニ対シ感謝罷在候処ニ有之候
然ルニ其後モ亦、交通部ハ元利ノ支払ヲ怠リ、昭和五年十二月三十一日現在ニ於テ
  元本借款   金壱千万円也
  其滞利息   金七百八拾九万七千参百弐拾六円七拾七銭也
  利払借款   金百六拾九万零弐百五拾四円四拾五銭也
  其滞利息   金百五拾八万六千五百拾壱円弐拾六銭也
  総計    金弐千百拾七万四千零九拾弐円四拾八銭也
ヲ算シ居候、元来本借款担保トシテ徴求シタル物件中ニハ、北京電話局ヲ初メ全国各電話局及長距離電話ノ現在及将来拡張後ノ財産、並ニ収入全部ヲ包含致シ居リ候ニ付、誠意乏シキ債務者トノ交渉ニ歳月ヲ徒過スルヨリモ、出来得ベクンバ権利ノ本質ニ随ヒ、各電話局ノ財産及収入ニ対シ、帝国政府ノ正当ナル御支援ノ下ニ、直截簡便ナル執行方法ニ拠リ度存候処、現下日支両国々交ノ極メテ「デリケート」ナル実情ニ鑑ミ、大局上弊社ニ右実行ヲ差控フルヲ必要トセラルヽ貴省ノ御指示アルニ於テハ、右実行モ致シ兼ネ候ガ、去リトテ他ニ収入モ無之、該借款利鞘ヲ以テ会社全般ノ経費資源トスル弊社トシテ、其ノ存立上最早忍ブ能ハザル状態ニ立チ至リ申候、然ルニ幸ニシテ利払借款ノ償還資源トシテ交通部ヨリ支払ヲ指定セラレタル吉長鉄道ハ、南満洲鉄道株式会社ノ受託経営ニ係リ、其収益ハ全部同社ノ管理ニ属シ居候関係上、弊社ハ担保権実行ノ手段トシテ、同社管理ノ吉長鉄路収益中金弐拾万円丈ケ弊社ニ転附セシメ度ク、之レ唯一ノ取立方法ト存申
 - 第55巻 p.91 -ページ画像 
候、実ハ前記昭和二年ノ例ノ如ク、今回モ満鉄会社ニ取立委任ニ基ク立替払ヲ願出デンカトモ存候得共、同社ノ立場ヲ忖度スルニ、仮令貴省ノ御口添ヲ煩ハシ候トモ、弊社ヨリノ願出ニ依リテ処理スルコトハ経営委託者タル吉長鉄路管理局ニ対シ遠慮ヲ要スル様子ニ御座候間、弊社ハ右転附ニヨル取立方法ニ出デ度キ次第ニ有之、而テ弊社ニ対スル第三債務者ハ満鉄会社ナル日本法人ナルモ、直接債務者ガ支那ニ存在スル支那政府機関タル吉長鉄路管理局ナルヲ以テ、裁判所ノ転附命令ヲ受クルコトハ甚ダ困難ニシテ、目下金融梗塞ノ為メ該金取立ニ急ヲ要スル弊社トシテハ、裁判ヲ俟ツ余裕無之次第ニ候
玆ニ於テ唯一ノ取立方法ハ、乍恐縮貴省ニ直接御出動ヲ願フ外無之、即チ
 貴省ヨリ満鉄会社ニ対シ、同社ノ管理ニ属スル吉長鉄路収益金中、此際金弐拾万円丈ケ吉長鉄路管理局ニ代リ、中日実業会社ニ支払ヲ為スベシトノ御命令ヲ発セラレ度候
○中略 日支国際関係益々「デリケート」ナル時局ニ際シ、吾国ノ対支企業団体中唯一ノ支那法人タル資格ヲ兼有スル弊社ハ、吾国対支発展上ノ使命益々重大性ヲ加フルヲ思ヒ、如何ニシテモ弊社ノ存立ヲ維持セザル可ラズ、此見地ニ於テ、弊社ハ右御願ヲ敢テ貴省ニ申出候次第ニ有之候間、大局ニ鑑ミラレ、何卒特別ノ御詮議ヲ以テ御聴届ノ上、速ニ満鉄会社ヘ右御命令被成下度偏ニ懇請申上候 謹言


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0007)
第55巻 p.91-96 ページ画像

中日実業会社書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
            (栄一鉛筆)
            高木氏ヨリノ書類ハ一覧ノ後、昨日○六月一七日江口氏飛鳥山邸来訪ニ付種々談話ノ後書類ハ悉ク提供シタリ
  昭和六年六月十六日
              中日実業株式会社
               副総裁 高木陸郎(印)
    渋沢子爵閣下
拝啓
過刻ハ御多用中ニモ不拘、当社ノ現状ニ就キ詳細御聴取被成下、忝ク奉存候、仰ニ従ガヒ別紙
 一、中日実業会社ノ現況ヲ述ベ各位ノ御明鑑ヲ仰グ
 一、中日実業会社ノ特殊的地位ニ就テ
 一、昭和六年五月十五日附外務大臣宛書信写
 一、同年五月二十二日附幣原外務大臣ヨリ満鉄副総裁宛公信写
玆許差出置キ申候ニ付、江口満鉄副総裁ト御面談ノ節篤ト御懇談被成下、当社ノ願意達成ノ様、此上共宜敷御高配賜ハリ度奉懇願候 敬具
(別紙、謄写版)
    中日実業株式会社の現況を述べ
    各位の御明鑑を仰ぐ
                 中日実業株式会社
                  副総裁 高木陸郎
 - 第55巻 p.92 -ページ画像 
大正十一年十一月、不肖渋沢子爵閣下並に先輩諸彦の御推薦を辱ふし政府御諒解の下に、中日実業株式会社副総裁の要職を汚して以来玆に十年、此の間乏しき乍らも過去半生の体験と所有努力とを傾尽し、会社更生の為めに尽瘁し来たりたる次第なるが、民国に於ける政治上経済上の紛乱は、事毎に期待を裏切るものあり、遂に所期の目的を達する能はずして、今や会社の維持極度の困難を感ずるに至れり
此の秋に当り、目前焦眉の急を拯《スクフ》ふ唯一の途は、交通部電話借款元利支払財源たる吉長鉄道の余利を回収するの点に存す、而して之れが為めには、我が政府当局の熱心なる御援助と、満鉄の果敢なる支持を仰がざるべからず
若し、政府当局より此の御庇護を受くる能はず、満鉄当事者の決断之を容れざるに於ては、最早不肖としては他に策の施すなしと言ふの外なし
顧るに不肖副総裁就任当時に於ける本会社の営業状態は、債務累積し経営困難の状態に在りしものなるが、事の玆に至れる所以のものは、主として袁世凱氏の本会社に対して執りたる方針に基因するものなり即ち支那側に於ける本会社創立の主唱者たりし孫文氏が、第二革命に失脚するや、袁世凱氏は孫氏側の持株全部、即ち本会社総株式の約半数を即時掌中に収め、国庫より資金を支出して払込みに充当したり、於玆乎、創立当初は民間会社たりし本会社は、支那に於ては官設の経済機関たる特質を備ふるに至れり
然るに当時に於ける袁世凱の政策は、日本の対支進出を阻止せんとするに存したりしを以て、如斯き特殊機関たる本会社も、遂に充分其の驥足を展ばし能はざりしものなり
若し袁世凱氏にして此の策に出でざりしならんには、本会社は創立後数年を出でずして十分なる機能を発揮し、我が国策の一部を実現すると共に、併せて其の基礎を確固不抜ならしめ得たりしは、察するに難からざるところなり
然るに其後袁氏僵れ安福派之れを継ぐに及び、親日的色彩の下に各種の大小借款糾然として成立したりしも、不幸にして其内閣は久しからずして潰れ、却つて後来彼我の乖離を来たすべき因を作るに至れり
次いで直隷派之れを享くるや、其政策は寧ろ本会社を利用して日支の経済聯絡機関たらしめんとするに在りしものの如く、各種の方策を出したるが、時恰かも不肖任に本会社の副総裁たりしを以て、授くるに一等大綬嘉禾章を以てし、更に北京駐在江藤取締役に対しては二等嘉禾章、及其他本会社々員一両名に対しても三等嘉禾章を綬くる等、甚だ努めたりしも、之亦朞年ならずして政権奉天系に帰し、更に馮玉祥出で、張作霖大元帥となり、此の間支那側株主の更迭行はれ、今や又国民政府に於て、本会社の総裁をはじめ重役其他幹部の更迭を断行し其引継を為さんとする等、支那側に於ては屡々政治的変遷に禍せられ一方日本側に於ても対支経済政策に根本的の変化を見たると、且つは欧戦後の財界変調等の為め、当社は大正十・十一年の交に於て、既に甚だ悲観すべき状態を呈するに至り、其後不肖就任し日夜苦心経営に努め、一時は相当楽観すべき社運を招来し得たるも、直隷派失脚後の
 - 第55巻 p.93 -ページ画像 
支那政情は逐年混乱と不誠意を逓加し来り、遂に今日の如き窮境に陥るの止むなきに至れるなり
本会社は創立の頭初に於て、特に日支両国の国籍を附与せられたるものなるが、由来右両国籍を併有せしめられたる所以のものは、支那内地に於ける不開港地は素より、外国人に於て企及し能はざる各種産業の開発を為さしめ、以て国権の伸張と併せ、両国の共栄を図らんとするの点に存したり
然るにも不拘、充分其機能を発揮し得ざりしものは、既述袁氏の政策に誤られたるは勿論なるが、一面隣邦財政の紊乱と、彼に契約を履行すべき誠意の欠如せる事、亦其因を為せりと言はざるを得ず
不肖は其半生を対支事業に傾尽し来たれるものにして、支那の産業開発は日本の投資と技術に俟つもの多く、之れが為めには本邦資本家の安んじて投資し得るが如く支那の信用を高め、同時に投資に対しては相当の利廻はりあらしめざるべからず、斯くてこそ昉《(ハジ)》めて共存共栄の実挙がり、東洋永遠の平和を将来し得べく、我が国是亦玆に存すとの素懐の下に、本会社の創立には乍不及参画し、且つ側面より協力し来たりたるものなるが、愈々大正十一年倉知鉄吉氏に代はり本会祉副総裁となるに及び、先づ以て内は積年に亘る債務の整理を敢行し、其経費は従前年間三十余万円を要したるものを二十万円に切り下げ、更に之れを八万余円に切り詰め、而かも一切支那側よりの取立金を以て支弁することとし、一方支那政府に対しては国家の信用を回復するの急務なるを力説し、之れが実証を挙げしむる為め、交通部電話借款の償還並に山東省実業借款の整理を敢行せしむると同時に、全般に亘る前の借款回収に鋭意努力したる結果、支那側に於ても却つて相当の諒解と信頼を払ふに至りたる為め、大正十二年渡支以来前後八ケ年間に合計参百四拾余万円を回収し、内弐百弐拾余万円を出資銀行団に償還するを得たり
更に不肖就任当時、我が政府当局より委托せられたる所謂西原借款中の参戦・兵器両借款整理に関しては、数年に亘り幾多の困難を排し、遂に契約書替へに成効し、我が当局の容認を得たると同時に、本会社の享受すべき手数料問題も最近解決を遂ぐるに至れり
然るに昭和二年国民党の北伐遂行後は、所謂革命外交の余波を受け、支那側の誠意全く見るべきもの無く、当局者互に責任を抹《(ナス)》り合ひて敢て交渉に応ぜず、為めに借款の回収殆んど皆無の状態に陥りたり
惟ふに如斯場合には、強硬手段を講じて先方の迷夢を覚まし、以て条理の存するところ邪道の行はれ難きを識らしむるを最も有効とすべし仍ち担保権の実行の如きは正に其一手段なりとす、現に昭和二年我が山東出兵に際し、本会社は山東省に於ける博山電灯借款の回収及博山軽便鉄道借款の担保権実行等により相当の成績を収めたる実例あり
当時交通部電話借款に対しても、本会社は支那政府当局に対し最後的通牒を送り、担保権を実行すべき旨声明したり、蓋し本借款の担保物件たる各地電話局の財産は、北京・天津を始め各れも重要都市に在り其収入の確実なると、事業其のものの重要性よりして、其実行には必ず効果の伴ふべきこと明瞭なりしを以てなり
 - 第55巻 p.94 -ページ画像 
然れ共如斯実収入あるものは、支那軍閥の通弊として軍費の資源を玆に索むる関係上、直系軍隊をして之れを護らしむるを例とす、故に担保権を実行せんとせば勢ひ実力を以て之れに衝らざるべからず
依而本会社は我が政府に対し実力的援助方を願出でたるが、当時済南事変による山東出兵等に関聯し、彼我の感情乖離し、外交関係「デリケート」なりし為め、暫く時期を待つべしとの御内達もあり、止むなく之れを中止したるが、斯くては会社の維持困難なるを免れざるを以て、此の間臨時に他会社の借款整理を引受け、鋭意奔走したるところ相手方は国民政府の有力なる機関なりしも、幸ひに解決を遂ぐる事を得、同時に相当利益を収得したるを以て、辛ふじて存立を完ふせしめ得たり
然るに一昨年来引続く銀貨暴落の結果、事業の範囲を支那に限定され居る本会社としては、最早此の上の躊躇を許し得ざるに至れり
元来交通部電話借款担保たる各地電話局の財産、営業権及び一切の収入、並に山東省実業借款の担保たる諸税金等にして其支那本土に在るものは、之れを差押えんとせば、勢ひ内政干渉とも見られ、国権侵害とも感ぜらるゝ為め、自然外交関係に影響あらんかを慮らるゝ結果、我が当局に於ても本会社の願望を容れられざりしものと解せらる
然るに玆に電話借款関係交通部利払借款の償還財源として指定せられある吉長鉄道余利の如きは、其所在東三省にして、其管理権は直接支那政府の手に在るものに非ざるを以て、之れを差押ふる事は敢て非難なきところなりと信ぜらる
何者、吉長鉄道は吾が満鉄の受任経営下に在り、而して満鉄は日本法人なり、満鉄は吉長鉄道余利に対し第一次五拾万円、第二次五拾万円の両債権を有すと雖も、中日実業は民国十二年五月三十一日附を以て交通部より『吉長鉄道管理局より交通部に納入すべき毎年の利益金中より南満鉄道会社に交附すべき(第一次借款)日金五拾万円の元利割賦金を差引きたる残金中より、中日実業の電話借款関係利払借款日金弐百万円に対する元利として毎年五拾万円宛支払ふ』べき旨の通牒に接し、同時に右の次第は同部より吉長鉄道管理局にも訓令ありたるものなるを以て、中日実業としては満鉄の第二次借款割賦金支払に先だち年額五拾万円宛の償還を受くべき権利を附与せられ居るものなり
吉長鉄道は満鉄の受托経営宜しきを得居る結果、満鉄の前記両借款割賦金を控除するも、尚ほ且つ相当巨額の利益あり、而して此の利益金は内二割を管理費として控除し、残余八割は吉長鉄道管理局を通じ中央政府に納附せらるべきものなるが、吉長鉄道は昨昭和五年度に於ては、銀安の関係より始めて損失を計上したりしと雖も、一昨昭和四年度迄は常に相当利益を挙げ居りしものにして、其中央政府交通部への余利交附総額は累計弐百五拾万余元に達し居れり、而かも此等の金額は政情の関係ありてか、現実には送金を為さずして一旦之れを交通部よりの預り金となし、更に吉長鉄道興業費として支出し居るものにして、如斯は中日実業に対する不当なる取扱と言ふべく、一旦利益金として計上し、其二割を管理費として収受したる以上、残額八割は前記交通部の通牒並に訓令の炳として存する限り、中日実業に交附さるる
 - 第55巻 p.95 -ページ画像 
を至当とすべし
然るに満鉄に於て斯くも当然の条理を容認せず、中日実業に対し之れを交附することを敢てせざるに於ては、日本資本家に対する支那の信用を益々失墜せしむるのみならず、支那をして一層増長堕落せしむる結果を招来すべし、而已ならず本会社としては之れが交附を受けざる限り、最早其存立を維持する事能はざる窮境に在るものなり
満鉄は一面営利会社に相違なきも、同時に帝国の対支経済教導機関としての使命を有す、従而中日実業の創立には当時満腔の賛意を表し、其成立を助成したるものにして、現に大株主としての存在なり
果して然らば、中日実業の如き特殊機関の擁護と維持に対しては、充分なる援助と支持を吝しむべきものに非ず、只玆に如斯取扱を為さんとするに当り、吉長鉄道管理局並に東三省関係官吏は、辞を設けて中央政府鉄道部の命令なき限り此の要求には応じ難しと言ふやも計り難し、而も鉄道部は電話借款は交通部の所管事項なるの故を以て、交通部に対し要求すべしと拒絶することあるべし、更に交通部は之れを内外債整理委員会に附托し一括整理せんと主張するやも知るべからず
然れ共交通部が本会社に対し前記の発令を為したる当時に於ては、鉄道部は現交通部の一局部に過ぎざりしものなりしを以て、現在に於てこそ独立の会計を有すと雖も之れを拒絶すべき何等の根拠を有せず
又内外債整理委員会なるものは、不確実担保債権の整理を取扱ふべきものにして、本債権の如き確実担保を有し、且つ事理明白なるものは当然其整理範囲外に置かるべきものなり
然るにも不拘、交通部に於て強いて之れを内外債整理委員会に附托せんとするに於ては、徒らに新興国民政府の不信用を内外に曝露するに止まり、支那の為めにも執らざる策にして、本会社としても絶体容認せざるところに属す
故に満鉄は前記の実情に鑑み、本会社の希望を容れられ、尠くとも年額二十万円以上を、吉長鉄道金利の内より本会社の為めに交附せらるる様取計らはれんことを望むと同時に、我が政府当局に於ても、確乎たる方針の下に、充分なる御帮助を加えられんことを驥望して止まざる次第なり
若し此の驥望にして容れられざるに於ては、最早本会社の存立を計るべき方法なし、然れ共、本会社の命脈は断じて之れを断つべきものに非ず
何者、方今対支事業を以て其生命とするものは、独り中日実業株式会社に止まらず、然りと雖も、其創立の経緯に於て、其使命に於て、其日支両国籍を有し特異の機能を発揮し得るの点に於て、全く特殊の存在を為すものは本会社にして、而かも如斯特殊機関は後日再び設立し得べきものに非ず
然るに今や其存立危殆に頻す、然りと雖も、前記吉長鉄道余利回収方に関し我が政府当局並に満鉄当事者の支持あらば、未だ命脈を断てりと言ふべからず
但し一朝斯の最後の念願にして容れられざるに於ては、不肖としては最早一日も其任に留まるを得ず、何となれば、不肖就任の際渋沢子爵
 - 第55巻 p.96 -ページ画像 
閣下並に当時の政府当局は不肖に対し「貴下を煩はすは本会社の葬儀を営まんが為めに非ず、起死回生を欲すればなり」との御言葉あり、不肖亦就任以来造次顛沛此の言を信条として努力し来たりしものなれは也
玆に中日実業株式会社の現況を述べ伏して諸賢の御明鑑を仰ぐ 謹言
  昭和六年四月
   ○別紙「中日実業会社ノ特殊的地位ニ就テ」外其他略ス。


集会日時通知表 昭和六年(DK550025k-0008)
第55巻 p.96 ページ画像

集会日時通知表 昭和六年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十六日 火 午前十一時  高木陸郎氏来約(飛鳥山邸)
六月十七日 水 午後一時   高木陸郎氏来約(飛鳥山邸)
        午後一―二時 江口定条氏来約(飛鳥山邸)


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0009)
第55巻 p.96 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
                  (ゴム印)
                  昭和六年六月廿五日
拝啓 益御清祥奉賀候、然者中日実業会社ノ儀ニ就キ御懇話旁粗茶差上度存候間、御繁忙中御迷惑トハ存候得共、御繰合ノ上本月二十六日午後三時丸ノ内銀行倶楽部ニ御光来被成下度、右御案内申上候 敬具
  昭和六年六月二十三日
                      渋沢栄一
                      郷誠之助
    渋沢子爵閣下


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0010)
第55巻 p.96-97 ページ画像

中日実業会社書類(二)          (渋沢子爵家所蔵)
    六月二十六日 於銀行倶楽部茶会
             出席氏名
               満鉄側
                内田総裁  出席
                江口副総裁 〃
                木村理事  〃
                伍堂理事  〃
                神鞭理事  〃
                村上理事  「未決」
                十河理事  (欠席)
                大淵東京支社長 出席
              主人側
                渋沢子爵
                郷男爵
              中日側
                大橋相談役
                高木副総裁
                倉知取締役
                春田取締役
                清水取締役
 - 第55巻 p.97 -ページ画像 
                加藤監査役 以上
   ○右会談ノ内容ニ関スル資料見当ラズ。


集会日時通知表 昭和六年(DK550025k-0011)
第55巻 p.97 ページ画像

集会日時通知表 昭和六年        (渋沢子爵家所蔵)
六月廿五日 木 午後一時 高木陸郎来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
七月二日  木 午前九時 高木陸郎氏来邸(飛鳥山)


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0012)
第55巻 p.97 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(控)
  昭和六年七月二日
    外務大臣 男爵幣原喜重郎殿
                      渋沢栄一
謹啓 益御清適奉賀候、然ハ過般郷誠之助氏ニ於テ老生代理トシテ拝光親シク御懇請申上候中日実業株式会社ノ儀ニ付テハ、不一方御高配ニ預リ、難有奉深謝候、同社ハ去ル大正二年故孫文氏来朝面会仕候節談偶々日支経済聯契ノ事ニ及ビ、其目的ヲ貫徹スル為、両国合弁ノ事業会社ヲ設立シ、支那ノ富源ヲ開発スル事ト相成、老生等発起人トシテ同年八月創立致候次第ニ御座候、然ル処故袁世凱氏ノ希望モ有之、北方側ニ移シ、経営ヲ続ケ来リ候、然ルニ爾来ノ政変ト動乱トニ禍サレ、所期ノ成績ヲ挙グル能ハズ、其中央政府其他ニ対スル貸出金ノ回収容易ナラズ、之ガ為会社ノ維持困難ニ陥リシ実情ハ、既ニ同社当事者ヨリ委曲達貴聞候趣ニ付、玆ニハ不贅候得共、同社債権ノ内、交通部電話借款ニ伴フ利払借款担保ノ一タル吉長鉄道ノ余利ヲ引当ニ、南満洲鉄道会社ニ立替ヲ懇請セル件ニ就テハ、国務御多端ニモ拘ラズ、南満洲鉄道会社ニ対シ特ニ御口添ヲ賜リシ由拝承感激罷在候処、最近南満洲鉄道会社幹部御交迭ノ義ニモ有之候ニ付テハ、重ネテ申上候ハ恐縮千万ニ御座候得共、此上トモ御高配ニヨリ、此特殊ノ性質ト重要ナル使命ヲ有スル同社ノ存続致候様希望ノ至ニ御座候
右ハ是非拝光親シク申上度候処、老衰ノ為不得其意、乍失礼書中如此御座候 敬具


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0013)
第55巻 p.97 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
「甲号」
    昭和六年八月五日幣原外務大臣発内田満鉄総裁宛電報写
吉長鉄道余利ニ関スル中日実業公司借款ハ、同公司ニ於テ飽ク迄訴訟手続ヲ以テ元利ヲ取リ立ツル意向ナルガ、本大臣ニ於テモ之ヲ徹底的ニ援助致度考ナリ、就テハ同公司ヨリ貴方ニ願出デノ該借款ヲ担保トスル立替支出ノ件ハ、同公司浮沈ニ関スル緊急問題ナルニ鑑ミ、此際出来得ル限リ御詮議ヲ願フ


中日実業会社書類(二)(DK550025k-0014)
第55巻 p.97-98 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(朱印)

拝啓 陳者予テ老生関係致居候中日実業会社ハ、去ル大正二年三月故
 - 第55巻 p.98 -ページ画像 
孫文氏来京シ、老生ニ面会ノ際、談偶々民国ニ於ケル富源開発、並ニ日支経済聯絡ノ事ニ及ヒ、之カ実行機関トシテ日支合辦企業会社設立ノ必要ヲ相認メ、爾後両国当事者間ニ交渉ヲ重ネ、両国各折半出資ヲ以テ創立セシモノニ有之候、然ルニ第二革命ノ為孫氏失脚シ、政界隠退ノ結果、故袁世凱氏ノ希望ニ基キ、孫氏ノ同意ヲ経テ同会社ヲ北京政府側ニ移ス事ト相成、大正三年四月定時総会開催ノ折現社名ニ改メ民国農商部ニモ登録シ、日本法人タルト共ニ民国法人トシテ、一般民国ノ会社同様支那内地ニ於テ諸般ノ企業ニ従事シ得ル特殊ノ機能ヲ付与セラレ候、当時老生モ民国遊歴ノ際、北京ニ於テ袁大総統ニ謁見シ同会社経営方針ニ付意見ノ交換ヲ致候事有之、爾来引続キ同社ノ相談役トシテ今日ニ至リ候、然ルニ同社ハ民国累年ノ間断ナキ政変ト動乱トニ禍サレ、所期ノ成績ヲ挙ケ難キノミナラス、其貸付タル資金ハ数回ニ亘ル政府当局交迭ノ都度、引継云々ニ藉口シ、毎々責任ヲ回避セル為、交渉面倒ニシテ回収意ノ如クナラス、僅カニ借款利鞘ヲ以テ経費ニ充テ維持シ来リ候処、最近其利払サヘ実行セサル始末ニテ、同社ハ収入ノ途杜絶、支持容易ナラサル窮境ニ陥リ居リ候、惟フニ同社ノ如キハ、民国ニ於ケル秩序安定ノ上ハ、其使命トスル日支経済聯契ノ主旨ニ基ツキ、富源開発ノ実行機関トシテ相当成績ヲ拳ケ得ベク、国民政府トシテモ亦漸次国内ノ靖定ニ伴ヒ、産業奨励ニ努ムヘキハ勿論ニシテ、随テ同社ヲ利用スルノ機運ニ到達スルノ日モ、遠カラサルベシト愚考セラレ、且又同社ハ早晩民国側重役ヲ改選シ、国民政府要路ノ有力者ヲ抽キ之ニ充テントシ、内交渉ヲ進メツヽアルヤニ仄聞致候左レハ今日ノ場合万一ニモ解体ヲ見ルカ如キ事有之候テハ、他日再ビ斯ル特殊機関ノ組織ヲ企ツルコトアルモ、恐ラク容易ノ業ニハ無之候ニ付、是非共同社ヲ存続セシメ置ク必要アリト確信仕候、幸ヒ同社ノ放資中交通部ニ貸付アル電話借款ノ担保項目ニ、現在貴会社○南満州鉄道株式会社ニ於テ御管理相成居候吉長鉄道ノ収益ヲモ含マレ居候ニ付、同社ハ交通部トノ契約ニ基キ、利払資源トシテ此際同鉄道ノ収益金ヲ取立テ同社ノ維持費ニ充テ度、其実行方ニ付、貴会社ニ対シ懇請致居候趣、就テハ法律上ノ見解ニ或ハ幾分議論ノ余地モ可有之歟トハ存候ヘ共、何分同社ノ安危ハ単ニ我実業界ノ一現象トシテ見送リ難キ次第ナレハ老生ニ於テモ深ク憂慮罷在候、何卒邦家ノ為、我対支企業機関支持ノ御趣旨ニテ、一臂ノ御助力ニ預リ度、格別ノ御詮議奉願上候、尚詳細ノ事情ハ同社当事者ヨリ逐一開陳可仕候間、親シク御聴取被下度、右御依頼ノミ得貴意候 敬具
   ○右ハ栄一ヨリ満鉄幹部ニ宛テタル書翰案ト思ハルルモ、発送セラレタルカ否カ明カナラズ。



〔参考〕中日実業株式会社の過去現在及将来 高木陸郎著 第一―一八頁(昭和二年六月)刊(DK550025k-0015)
第55巻 p.98-107 ページ画像

中日実業株式会社の過去現在及将来 高木陸郎著
                      第一―一八頁(昭和二年六月)刊
 私が主宰して居りまする中日実業株式会社の過去と現在及び将来に就きまして玆に一言を致し、御清鑑を煩したいと存じます。
 当社に対しては、世間の所謂識者諸賢の間にも大分誤解をして居らるる向が無いでもない様でありますから、其の詐らざる真相を披瀝
 - 第55巻 p.99 -ページ画像 
しておきたいのであります。
  昭和二年六月              高木陸郎

    中日実業株式会社の過去現在及将来
                      高木陸郎
      一、当社創立の由来とその特長
 支那には特別の国情があつて、対支事業を企図する者の活動の上に尠からぬ不便不利が伴ひました。之等の障害を緩和する為には、其当時既に設立せられて居りました対支投資機関たる東亜興業会社の外に日支合辦の一機関が必要であると云ふのが夙に我邦識者間に認められた意見でありました。偶々大正二年支那の大総統孫逸仙氏が当時中国鉄路総辦といふ肩書を以つて来朝し、朝野知名の士を訪問しました。当社の相談役渋沢子爵が亦その被訪問者の一人であられた事は申すまでもありませぬ。子爵は深く日支両国の経済提携促進に思ひを致して居られたので、孫氏の来遊を好機とし、孫氏に対してその必要喫緊事なるを力説せられました。第一次支那革命の成功者でもあり、時代に目醒めた支那の新人でもあつた彼が、日支両国の経済提携に考慮を払はざる筈もなかつたのであります。孫氏も全く子爵の意見に同意を表し、玆に日支経済聯絡機関として日支両国籍併備の日支折半の合辦会社を設立することに協定し、政府の諒解をも得て、我邦財界の各方面に賛助を求め、中国興業株式会社と称するものが生れることなつたのであります。
 然るに其後間もなく支那の第二革命の政変が勃発し、再び革命軍の牛耳を執りつゝあつた孫逸仙氏は遂に失敗して没落し、支那の天下は全く袁世凱氏の手に帰することになりました。支那側の中心勢力であつた孫氏の没落が、中国興業の成立を不安ならしめたのは当然の成行でありました。当時孫氏は特に一書を裁して渋沢子爵に呈し、前約実行の不可能となりたることを謝して来たのでありますが、幸か不幸か此間の消息が時の大総統袁世凱氏の知る所となり、遂に袁氏が支那側に立ちて会社を成立せしむることになりました。聡明なる彼の事でもあり、政治的外交上の意味もあつたかも知れませぬが、兎も角彼は当時吾国や吾国実業家の勢力をも無関心にすることが出来なかつたと思はれます。そこで彼は特に孫宝琦氏と李盛鐸氏とを派遣して渋沢子爵と懇談せしめた結果、会社設立の目的が全く日支実業の聯契にあることを諒解し、孫逸仙氏の引受けた株式全部を支那中央政府にて肩替りすることとなり、同時に会社の組織名称をも改めて、玆に始めて中日実業株式会社なるものが成立したのであります。此間日本政府の斡旋がその成立に与つて力あつたことも勿論でありますが、当時民間に於ては、吾が渋沢子爵が最も熱心に奔走せられたので、然く熱心であられたことは日支実業の結合が両国共存共栄の基であると云ふ大局的高遠なる観念の現はれであつたと推測せらるるのであります。
 会社は定款により総裁は支那側に於いて、副総裁は日本側に於て当る事とし、当時外務次官を辞された倉知鉄吉氏を副総裁に挙げ、尾崎敬義氏を専務取締役に任じ、夫々陣容を整へて此の新しく若き而も重
 - 第55巻 p.100 -ページ画像 
大なる使命を帯びた会社は、寔に前途洋々の希望を以て出発したのであります。又支那側に於ては、当時の農商総長張謇氏が中心となり、前交通総長楊士琦氏を総裁とし、株主には支那朝野の名流を並べ、同じく多大の希望を以て、日本側と邁進すべく歩調を整へたかの様に見受けられました。
 本社は我満鉄が満洲に於て活躍し得る如く、支那国土の全般に活用され得る重要な一機関たることは申すまでもありませぬ。他の所謂民間合辦会社とは全く異り、実際に支那政府が現金の払込を完了したる上に、法律上支那法人であり、同時に日本法人である二重人格を完全に所有して居るのであります。対支事業に於て吾が日本が有する唯一無二の機関で、之を善用する上に於ては他に求め得ざる特長の所有者であります。即ち日本に於ては勿論、支那十八省内何れの地に於ても純支那法人同様自由に土地所有も出来、工場設立、鉱山採掘、鉄道敷設等も出来、百般の事業に従事し得る特権があるのであります。二十余年来親しく支那人と接し、自ら日支親善対支事業を以て生命とし、支那富源の開拓を以て日本人の使命であると考へつつあつた私は、日支朝野諸名士の遠大なる識見により遂に斯の如き会社の出生したのを観て、邦家のために衷心歓悦を禁じ得ないのでありました。
      二、社運と時勢
 何事でも環境の影響を免るゝ事は出来ないのでありまして、会社の興隆衰微の如きも勿論時局や時勢に左右せらるる所があるのは、亦不得已事であらうと思はれます。当社も不幸にして此の理に漏れず、成立後絶えず不利な時勢に抑圧され、為めに大に社運の発展を阻害されつつあつたと云ふことは事実であつたと信じます。事後に於て第三者の眼から批判を加へて、放漫なる投資とか、無成算なる濫費とかの冷評を下し、当事者の人格迄疑ふやうな言をなすものもありますが、これは左様に簡単に裁断すべきものでは無からうかと私には考へらるるのであります。私は敢て前責任者の弁護をするものではありませぬが之れは私が日支諸先輩の推挙により当社を引受ました時、会社の状態は尤も衰微を極めた際でありましたので、その当時ふと私の頭に浮んだ感想でありますから、蛇足ながら玆に一言致して置きます。
 実際当社成立後の環境如何を顧みますると、それには当社の進展に不利であつたものが頗る多かつたやうに思ひます。第一に、当社株式の一半を全部引受けた程の袁世凱氏の心事が、彼の対日本政策と共に大に疑はしくあつたのであります。彼は当社に対して多大の庇護援助を与へんとするかの如く振舞つたのでありますが、其後さやうな気振さへ見せないのでありました。それどころか当社に対する袁政府の態度は甚だ冷淡で、輙もすれば当社の発展を闇中から牽制するやうな傾きがありました。支那の国土に於て萌芽する事業が、支那政府の抑圧を受けるのでは、決して健実に伸び行くものではありませぬ。政略万能主義であつた袁世凱氏は、恐らく政略的に当社株式の一半を自己の手に収めたのかとも思はれたのであります。本社成立に対する彼の観念は、恐らく孫氏と根本的に異つて居つたのではなからうかとも考へられたのであります。即ち彼は日支実業提携の必要を夫れ程緊急切実
 - 第55巻 p.101 -ページ画像 
なるものと認めず、株式の一半を潔よく引受けたのも、実は専ら国民党の勢力を殺ぐ彼の慣用手段であつたらしく思はれたのであります。
彼の当社に対する冷淡な仕打から帰納すると、どうしても斯く申さねばならぬのでありました。
 少くとも袁政府から、公正且親切な援助を享くるであらうと期待した当社は、多少の幻滅を感ぜずには居られませんでした。従つて会社の成績も容易に挙らないと云ふ状態の下に、欧洲大戦となつたのであります。
 併し此間の支那に於ける実情は、独り当社のみに属する事ではなく我国の外交・実業とも同様の苦境に落入り、日支関係は大戦前殆んど行詰つてゐた事は事実であります。此の時は袁氏も既に死去し、支那政府は段祺瑞氏が中心勢力となつて居り、吾邦に於ては寺内内閣の頃でありました。所謂景気時代の曙光が輝き始めた折で、日支両国政府の政策に刺戟されたと云ふ理由もあり、我邦の実業家・銀行家は皆争つて支那に於ける実業方面の投資に志し、資金の潤沢を加ふるに伴ひ益々此の投資熱を高めて来たのであります。此の場合に於ては我が中日会社の如き、日支両国に国籍を有する特種機関が、財界の投資仲介者として最も適当であつたのは申すまでもありませぬ。自然当社は資本家より盛に勧誘を受け、知らず知らずの間に巨額なる投資を為すに至つたのでありました。
 若し欧洲大戦の終熄を少くとも一年前に予言し得た予言者があつたとすれば、日本の財界は彼の如き混乱と破滅から逃れ得たことでありませう。従つて吾が中日会社の如きも、現在の如き痛手を負はずに済むだに違ひないのでありますが、神ならぬ人間は運命の前に盲目であるのであります。欧洲大戦の終熄と共に我が財界に事業界に大混乱を来したことは、今日も尚吾々の耳目に新なる所でありまして、中日会社の如きも甚大なる打撃を被つた其の一つであります。即ち我が財界は九天直下の勢で不況の深淵に沈淪した為めに、孰れの方面も殆と狼狽の体で、資金の回収に力めたので、有ゆる対支事業は所謂後軍続かずと云ふ悲惨な状態を現出することになりました。加ふるに大戦終熄の財界に齎せる影響は、支那も亦我国と同様でありました為めに、凡そ我邦の資本家で支那に投資したものの大半は、此際全損と云つてもよい哀れな悲劇を演ずることになりました。当社も此の一般の例に漏れなかつたのみならず、就中桃沖鉱山に莫大な資金を投下して居つたのが殆ど致命的傷手となつたのであります。即ち前代未聞の鉄価暴落と共に異常の困難を招来し、短期高利の借入金に苦しめられ、大正十一年の末頃は全く破滅の運命に逢着しつつあつたのでありました。
      三、私の入社
 不肖私が入社しまして日本側に於ける中日会社主宰の大任を負ふことになりましたのは、前述の如く会社が極端に衰微に傾いた非常の場合でありました。即ち忘れもせぬ大正十一年十一月二十四日に於て副総裁と申す重き任務の椅子に就くことになつたのであります。私も当時余所ながら会社の現状を承知いたしまして、聊か躊躇せざるを得なかつたのでありますが、渋沢子爵閣下始め各相談役諸公の推薦を辱う
 - 第55巻 p.102 -ページ画像 
し、株主各位並に取締役諸君の選任を蒙りましたので、微力をも顧みず窃に決する所もありまして、遂に進んで大任を汚がすことになつたのであります。私の或る友人の中には、如何に君が必死の力を尽くしてもあの瀕死の重症患者を回春せしむることは至難であらうと忠告して呉れたものもありましが、私は諸賢寄託信頼の重きを思ひて、敢て進んで此の重任に膺つたのであります。自己の力をも顧みざる僭上の沙汰とも言へませうが、人生意気に感ず成敗は天に任せんと存じたのでもありました。
 私が斯く申しても、右のやうな漠然とした意気にのみに刺戟せられて感情的に奮起したと云ふ訳でありませぬ。如何に私が勇気があつても、莫大の損失を荷ひ殆ど前途に光明を認め得なくなつた会社を引受けるには、相当の理由もあり、且又相当の信念もなければならぬのであります。之を稍々詳しく述べますと
 一、過去二十余年間の支那に於ける私の智識経験に鑑みると、中日会社の如き機関を有効に活用せなくては到底支那に於て我々日本人の能力を充分に発揚することが出来ない。且又中日会社の如き理想的の組織は恐らく今後再び之を作ることが出来ない。これは全く国家的重要機関であつて之を破滅させては支那は兎も角としても日本の一大損失である。
これが私の内的理由でありました。
 一、大正十一年十一月六日銀行倶楽部に渋沢子爵を始め郷・大倉両男爵、大橋・和田・古市・美濃部・土方の各相談役諸氏が会合せられて、その席上に於て渋沢子爵より不肖に中日会社引請方につき御懇諭があつたのであります。
 一、次いで渋沢子爵と同伴、時の大蔵大臣市来閣下に面会の際、渋沢子爵が先づ発言せられて、中日会社は悲境に沈淪してゐるが高木の入社は決して中日会社の葬式を営ましめんが為めではなく、中日会社をして生気を回復せしめん為めである。即ち中日会社は是非とも存続せしめねばならぬから、相談役一同援助の下に、先以て旧債の整理を断行せしめ、更に進んで中日会社本来の目的に献身的の努力を致させたいのである。此点を考慮せられて向後高庇を賜りたいとの意味を述べられると、大臣は之に応へて、中日会社存立の必要を認むる点は全く子爵と同一意見であるから、出来るだけ援助を計るべしとの意見を声明せられたのであります。
これが私の外的理由であります。
 要するに内には上述の如き信念があり、外には又上述の如き朝野諸賢の寄託と諒解があり、その上に各方面から庇護援助をも与へらるべく期待し得られたので、遂に熟慮の上所存の臍を固め、進んで危殆の地位に立つたのであります。斯の如き国家的重要機関が、斯の如き有力なる諸賢の手に擁護せらるるに於ては、決して絶望すべきでない、旧債の整理、将来の発展の如きは自ら道があるに違ひない、私は唯勇往邁進して行くべき所に行き、進むべき所に進むべきであると決意したのでありました。
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      四、微力の四年間
 私の入社直後に当面すべき重要且火急の問題としては、勿論整理と発展の二途でありました。然し発展を策するに先ちて第一に整理を遂げねばなりませぬ。中日の如き危殆に瀕した現状に於て、所謂活躍発展の如きは寧ろ第二段・第三段に解決せらるべき問題で、最善の整理は同時に最善の発展策であるとも云ひ得るのでありました。私は整理方針として大体左の如き項目を挙げ直ちに整理に着手致しました。
 一、小口短期の債務を長期低利の大口に置き換へること
 二、経費を節減すること、然して経費は当分債権取立の手数料及び利鞘を以て支払すること
 三、利鞘捻出の為め支那政府電話借款入金利子の軽減を銀行団に懇請すること
 四、債権を確実にし取立を厳重にすること
 五、我政府の対支債権の整理委任を引受け手数料を受入るること
 六、新規有利の事業に着手すること
以上六項の中第二項を除いては孰れも難渋なる問題であつて、簡単に解決し得べき筋合のものでは無かつたのであります。特に四項・五項の如きに至つては決して容易なる問題ではなく、寧ろ至難中の至難なるものと称して可なるものでありました。
 然し此際の私の立場として事の難易を顧みる遑もなかつたのであります。私は熟慮の上案出した方針を以て即時断行する外はありませんでした。以下私の進みました道筋に就いて簡単に申述べたいと思ひます。到着点の今日から出発点までの長き行程を回顧致しますると、山あり、河あり、峻坂あり、深谷ありで、人生行路難の感なきにしもあらずと申したいのであります。
 第一項は頗る困難な問題でありましたが、これは最も火急の解決を要するもので、これが為めに当社は極度の苦痛を感じつつあつたのであります。然し会社の相談役就中渋沢子爵・郷男爵・大橋氏及故和田氏の熱心なる御援助の下に、桃沖鉄山の鉱石を担保として政府から長期十七箇年に亘る六分の低利資金三百二拾五万円を借受けることが出来ましたので、之を以て高利短期の負債の大部分を償却し、実に瀕死の会社を救助し得たのであります。厳密なる調査に由りますと、回収の見込のない当会社の債権は約九百余万円となり、殆ど是れは全損とする外ないのであります。
 是が根本的整理は中々容易なことでないのであります。斯の如き窮地に沈淪せる会社を救ひ上げるには、何としても一つ大きな仕事を仕上げ、その利益を以て大きな欠損の穴を埋めなければなりませぬ。第五項に挙げました対支借款整理と云ふやうな大問題に着眼したのも之が為めであつたのであります。此件に就いては第五項の説明として次に申述べます。
 第二項の経費節減に就いては、第一回の整理に於いて三割余を削減し、其後尚力めて冗費を避けつつあつたのでありますが、最近に於て一層緊縮の必要を認め、第一次整理後の経費に約半減に近き大削減を断行しました。それが為め重役も犠牲となり、社員の大部分に退社を
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強ゆることになつたのは寔に余儀ない次第であります。元来当社の経費は利鞘と手数料とを以て支弁し来たつてゐたのでありますが、相手方の支那政情の混乱の為め、之等の収入は最近全く杜絶し、従つて会社の経費を極度に切り詰めねばならぬ羽目に陥りつつあつたのであります。
 第三項に就いては、其後銀行団諸賢の好意に由り私の懇請が許容せられました。元来此の支那政府電話借款は、当社の借入利息が八分二厘五毛であるのに、貸出利息が八分即ち逆鞘となつて居たので、当社が此の関係を持続する限り損失を拡大する訳でありました。幸ひに銀行団が当社の借入利息を七分五厘に軽減せられたので、当社は既往と反対に却つて五厘の利鞘を受入るることになつたのであります。余りに微細な数字の説明に亘るやうでありますが、放漫でない整理の一例として之を述べて置きたいのであります。
 第四項の債権を確実にし取立を厳重にすると云ふことは、素より当社が関係銀行に対する義務としても当然履行せねばならぬ案件でありました。私は入社匆々電話借款壱千万円及び山東省借款参百五拾万円に目を着けたのであります。此の両借款は私の就任前迄全くの貸放しで、利息の如きは唯の一銭だも受取れて居なかつたのでありました。
私は入社以来部員を督励して之が整理に努力し、私の二十年来の支那の友人で当時支那中央政界に時めいて居つた某々と懇談を重ね、幸ひに漸次取立に成功し、此の極度に行詰つて居る支那政府から過去三年間に約弐百五拾万円の現金を取立て、此内約弐百万円を貸出銀行に入金し、残余の利鞘を以て経費を支弁し来つたのであります。此の取立の如きは尋常一様当り前の事と思はれる方もあるかも知れませぬが、少しく支那の実情に通じた人から観たならば、既に破産状態を通り越し役人給料も満足に払ふ事の出来ない相手から取立てた事は、難事中の難事を首尾よく遂行し得たものと認めらるに吝かでないであらうと信じます。
 第五項に就いては、私が殆ど決死的と申したい程の全精神を三年に亘つて傾倒して居りました大問題であつて、私は之に向つて全く精力の限り最善を尽したと信ずるのであります。私が北京に滞留して日夜支那当局大官や民間有力者と折衝した談論の一切は、悉く収めて私の日誌式の記録に在ります。それはかなり尨大な上下二巻となつてをりまして、今日尚私の書房の一隅に当時の労苦を語つて居るのであります。私は時にそのページを繰り展べて当時を追懐し、坐ろに感慨禁する能ざるものがありまして、吾を知るものは夫れ君かとでも申したくなるのであります。私は玆に敢て自己の苦心を披露すると云ふ訳ではなく、且又愚痴を零すと云ふ訳でもありませぬが、私をして玆に斯の如き感傷的な言を吐かしむる程それは全く私の最も苦心したる且又最も至難なる問題であつたのであります。
 即ち当時の私には此の問題の解決と否とが中日会社の死活に関すると考へられた程でありまして、欠損の大部分を塡補して社運を挽回すべき途は、差当り此の問題を捉へて解決を計り、之に由つて利鞘なり手数料なりを収得するより外に見出されなかつたのであります。
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 元来参戦・兵器借款は、支那人からは売国的借款と罵られ、我邦に於ては回収不能と見做された程のもので、大正九年以来利払借款の締結も出来ず殆ど投げ出されの形になつて居つたのであります。その性質上から云つても、支那の国情から云つても、之が解決は難中の難物であるのは当然でありましたが、私は窃に信ずる所もあり、且又支那政界の要路に知己も多かつたところから、之を引受けて解決を計らうと決心しました。そこで種々研究の結果、始めは政府並に三特種銀行主脳者諸彦の援助を得まして、西原借款全部整理の委任を引受けたい考へでありましたが、興業銀行と中華匯業銀行関係のものは夫々銀行方面で処理することになり、最も悪性の参戦・兵器の二借款の整理のみを吾が中日会社に委任せられることとなつたのであります。
 斯くて私は夫々関係銀行及び組合より委任を受け、大正十二年三月支那に渡り愈々支那政府に向つて談判を開始することになりました。
時偶々直隷派が内閣を組織した際で、閣僚中には私と格別の親交あるものがあり、其れが為め尠からぬ便宜もありましたものの、支那に於て政治的悪性の意味を有する西原借款の中でも癌種と呼ばれた参戦・兵器の二借款が容易に解決し得られるものではありませぬ。私は百方苦心を重ねて、日夜交渉を続け、多大な費用をも払つた結果、十二年九月漸くにして政府の同意を得ることになり、将に正式書換調印の運びとならんとした時も時、支那の年中行事とも云ふべき政変に逢着し遺憾ながら中止の已むを得ざるに至りました。其後政変相継ぎ内閣の交迭六回、北京は絶えず混乱状態となつたので、如何に苦慮焦心せるも甲斐なく乗ずべき機会を見出し得なかつたのでありますが、遂に大正十四年九月末、段執政政府の諒解の下に無事調印を了し、玆に始めて多年の懸案を解決し得たのでありました。詳細は煩瑣に亘りますから之を省きますが、要するに二年有半の努力の結果、七分利附国庫証券五千弐百万円に対し延滞利息を八分にて計上し、約弐千七百万円の新国庫証券を発行せしめ、尚此の元利約七千九百万円に対し八分利期限附の新国庫証券を発行せしむることに成効したのであります。
 斯の如くにして私は参兵借款整理の大目的を貫徹したのでありますが、之が整理に由る利鞘なり手数料なりの収得に由つて、当社の基礎を固め、活動に資せんとした私の素志は、不幸にして未だ達成せられないのであります。私が此の仕事に着手しましたのは加藤友三郎内閣の時でありまして、私は当時の当局者より援助的好意の内諾を得、同時に当時の銀行団諸賢の諒解をも得たのであります。即ち当時私の懇請した成功報酬の条件が今日実現せらるべきものであるとすると、当社は約参百参拾四万円の収得がある訳であります。其後大震の惨劇があり、時勢の変化もあり、日本の内閣も四回交迭を見、銀行団主脳者諸賢の交代もありと云ふ次第で、自然に古きものの影が稀薄となり行くのは当然でありますが、私自身の立場としては過去は尚現在の如く甚だ鮮明に感じられるのでありまして、朝野諸賢の充分なる諒解を得ず、不肖本来の微志の達成し得ざるは返す返すも遺憾に存ずるのであります。
 第六項に就いては、我が財界の事情と云ひ、支那時局の不安定と云
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ひ、且又当社の状態と云ひ、容易に手を染め得ざるものでありまして当社独特の本領を大いに発揮するが如き施設は宜しく時機の到来を待つべきでありました。然し将来の為め相当の用意をすると云ふことは当社として勿論必要であるので、当社は私の就任以来一・二新規の事業に着眼し、相当の効果を挙げ得べき運びとなつたものもあります。即ち当社の特質並に使命運用の一端として、支那政府と交渉の結果、日支両政府間の懸案となり居りたる青島塩臨時輸出十六万噸の輸出権を得、又関東庁より渤海湾漁業に使用し得べきトロール船二隻及び手繰底曳網機船二十組の特許を得たのであります。是等は未だ利益を挙ぐる迄にはなつて居りませぬが、利用宜しきを得ば将来必ず相当の収益を見得べきものと信じます。
      五、解嘲と悃請
 以上六項に分ちて述べました如く、私の入社以来今日に至る迄の約四年間は私に対してかなりな労苦を与へつつあつた年月であつて、私としては当社の為め聊か微力を尽し得たと信ずるのであります。此の場合に於て特に申添へて置きたいのは、私はこれまで私と云ふことを主格として仕事の経過を述べて来ましたが、それは勿論私共とか我々とか申すのが至当でありまして、聊かながら上述の成績を挙げ得たのは、申上げる迄もなく悉く私の同僚並に部下社員一同の熱心なる協調的努力の結果であるのであります。且又此の場合に於て私は各方面から恵まれた庇護援助の力が、私共の仕事をよりよく進展せしめたと云ふことも申添へて置きたいのであります。
 然るに世間には事の真相を考慮する用意もなく、漫然と悪声を放ち酷評を加へ、現在に於て当社の負担しつつある一切の債務を以て現社員の責任とし、窮地に陥りつつある当社の状態を以て全然私共の無能無為に出づると見做す方もあるやに仄聞致します。宣伝流行の世態でありまして亦已むを得ざる次第でありますが、万一其れに由つて当社を無用の長物なりとし、苟も当社の存立をして危殆ならしめる如き事があつては寔に由々しき一大事であります。素より一切は当社董督の任務にある私の責任でありまして、斯の如き風評を耳にしますことも私の不徳の致す所に相違なく、顧みて慚愧に堪へざる次第でありますが、之を小にしては同僚部下にも気の毒に感じられ、之を大にしては当社発展の障碍にもなりかねまじく思はれますので、玆に過去四年に亘る当社整理の顛末を開放し、かたがた当社の特色本領を認められて将来の発展に対して庇護援助を惜まれざる大方各位の諒察を請ふ所以であります。
 要するに、私一個の栄辱や進退の如きは問題ではありませぬ。私としては唯渋沢子爵閣下並に知己諸彦の負託の重きを思ひ、聊か犬馬の労を尽さんとするのみでありまして、倘し諸彦にして私の存在を不利なりとせらるるならば、勿論何時にても辞任を潔よくすべく用意して居るのであります。但前にも述べました如く日支経済聯契の微妙なる一機関であつて、両国々勢の興隆をも期待し得べき此の会社が万一瓦解没落の不幸に際会するが如き事あらば、それこそ国家百年の大計を誤るものであつて、及ばずながら日支関係の上に深く考慮を払ひつつ
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ある私の一大恨事であるのであります。
 当社の特質本領に就いては既に冒頭に於て略述しておきましたが、尚玆にその隠微にして而も顕著なる作用に就いて一言し、諸彦の諒解を求め置きたいものがあります。前にも申述べた如く、支那側に属する当社株式の一半は、当時袁政府に於て引受け、国庫の公金を以て払込んだもので、即ち支那政府が支那側に於ける唯一の株主である訳であります。株主名簿に列記せられた支那側数名の株主は、実際に於ては単に形式的に過ぎないのであります。従つて北京内閣の交迭毎に要路の官人が交迭しますると、いつも時の政府の官僚数人が代つて株主となると云ふ奇現象を呈するのであります。然し此の関係が最も微妙にして且便宜ある点であつて、我々は事ある毎に此等の株主で同時に要路の官人であるものと接洽することが出来、而も何事も四角張らずに茶話雑談の如く極めて安易な気持を以て相互の意志を通じ得るのであります。
 一体支那人相手の交渉は、余りに礼儀的な辞令を以てしては、到底その核心に触れることが出来ないのでありますが、当社の如き組織に於ては彼等と赤裸々の会話を交換し得るので、容易に事の真相を捕捉することが出来ます。即ち云はば楽屋内の話が出来る訳であります。
 斯くの如き表面に現はれざる隠微の関係もあつて、互ひに意志の疎通を計り得るのでありますから、若之が運用宜しきを得ば、日支経済聯契の傍ら、両国々家の親善をも促進せしめ、真に強固なる結合も計り得るものと確信致します。然るに刻下支那の時局行詰りの状態にあつて、当社成績の捗々しからぬのみならず、尚窮地に困厄しつつあるのを看て、動もすれば無用視し、甚しきは時代錯誤の会社と断じ、存立を欲せざるものあるやを聞くに至りましては、誠に遺憾至極に存じられるのであります。
 私としては勿論既往に鑑み将来を思ひ、倍々此の日支枢要の機関運用の必要を感じ、活躍進展を熱望しつつあるものであります。然るに世上には財界の浮沈動揺に由りて余りに一方にのみ注意を引かれ、折角得たる特権を忘れんとするものあるやに思はれるのは如何にも残念に存じます。内に囚はれて外を顧みず、現在に執着して将来を忘却することなきや、烏滸がましくはありますが、此の一言を申述べておきたいのであります。
 若し此の如き性質の会社が英国に在り、米国に在つたとすれば、如何でありませうか、彼等は之を放棄して顧みぬでありませうか、或は之が活用に没頭するでありませうか。
 此の機関が一朝廃棄せられたならば、再び之を組織することが恐らく永遠に不可能であります。
 希くば国家百年の大計を念とし、此の際当社の庇護扶育に力を尽されんことを切望悃請に禁へざる次第であります。(代謄写)