デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.16

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.108-140(DK550026k) ページ画像

大正4年5月7日(1915年)

是ヨリ先、中華民国トノ国交極度ニ緊張シ、是日、総理大臣大隈重信ハ、栄一外各主要銀行代表者ヲ官邸ニ招キ、一朝有事ノ際ニ於ケル軍資調達ニツキ協力ヲ要請ス。栄一答辞ヲ述ブ。

外交交渉ハ、漸クニシテ妥結ヲ見ルニ至リタルモ、中華民国各地ニ日貸排斥運動起ル。仍ツテ六月二十六日、栄一、帝国ホテルニ於テ大倉喜八郎・井上準之助・大橋新太郎等ト会シ、之ガ善後策ニ関シ意見ヲ交換ス。


■資料

中外商業新報 第一〇三三二号 大正四年一月二六日 ○支那の対日態度 俄に楽観を不許(DK550026k-0001)
第55巻 p.108 ページ画像

中外商業新報 第一〇三三二号 大正四年一月二六日
    ○支那の対日態度
      俄に楽観を不許
日支間の新交渉が今後如何に解決さるゝ乎は俄に断言し難きも、其結果の如何が極東の平和に深甚なる影響を有するは云ふ迄も無し、然るに青島陥落以来、袁政府の対日態度は頗る不遜を極め、殊に山東省に於ては日本語に通ぜる腹心の軍人並に官吏を各地に放ち、日本人の行動に対しては細大漏さず報告を徴する抔、殆んど敵国人扱ひをなして憚らざる也、斯る事情なれば、北京政府は事理極めて明白なる税関問題に対しても、其解決を故意に渋滞し、甚だしきに至りては、欧洲戦終熄迄一切の問題の交渉を回避せんとの底意あれば、新交渉が世人が期待するが如く円満に進捗するや否や俄に楽観し難しと


中外商業新報 第一〇四三〇号 大正四年五月四日 ○対支交渉批評 実業家側の意見(DK550026k-0002)
第55巻 p.108-109 ページ画像

中外商業新報 第一〇四三〇号 大正四年五月四日
    ○対支交渉批評
      実業家側の意見
△渋沢栄一男 新聞紙の報道するが如く、三日の臨時閣議に於て愈々最後通牒を支那政府に送致するの止むなきに立到れりとせば、寔に遺憾に堪へずと云ふの外なく、何とか他に良策なかりし乎、政府の従来採り来れる手段に対しては、遺憾ながら満足を表する能はざる筋もあれど、今は死児の齢を算ふるの場合にも非ず、断じて行へば鬼神も避く可しと云へば、或は兵を動かすに至らずして局を結ぶやも知る可らず、若夫れ干戈に訴ふるが如き場合に立至るとせば、日支の実業関係は全く滅茶々々となるの外なく、中日実業公司の如きも其本能の発揮を事実中断せざる可らざるの運命に立至らむ
△近藤廉平男 最後の手段に訴へても目的の貫徹を期する事が、日本将来の為に図りて利益なりや否やは、最も重大の問題也、聞く所によれば、支那に於ける日貨排斥熱は容易ならざるものゝ如く、従来下層
 - 第55巻 p.109 -ページ画像 
社会に蟠りし排日思想は、漸次中流より上流に及び、彼等は日本が支那をして結局第二の朝鮮たらしむるものならざるかと疑ひ、親日主義の支那人も国人の誤解を招く事を惧れて、日本人との応接を努めて避けつゝある有様なれば、日支交渉の如きは此際穏当に局を結ぶべく努力するを最善とすべし、袁総統としては日本の要求を逆用して、対内的に其地位を鞏固ならしむるの意図なしとも云ふ可らず、左すれば日本の態度は、結局袁総統をして益々大成せしむる事となる、併し国際関係は、由来利害を離れて、行懸上、止むを得ず干戈に訴ふるに到る事、かの欧洲大戦争の開始の如き場合もあれば、日本が最後の手段に訴ふべき場合に立至らずとも限らず、若し左る事ありとせば、支那をして復た起つ能はざらしめ、全然日本の威力を以て、今後支那人を圧伏する迄の覚悟を要せん、然らざる以上、最後手段を以て脅す事は、日支の貿易商業関係の上に、悪結果を生ずるの外、何の得る所も無からん
△池田謙三氏 対支交渉は行詰りたるも、之を以つて直ちに日支国交の断絶を来すと推定するは早計に失する観なしとせず、蓋し不得要領の下に対手国を翻弄し、以つて己れの主張を貫徹せんと欲するは、袁が多年の慣用手段にして、袁は此狂言を繰返して我外交の無能に乗ぜんとする下心なるやも知れず、従つて我国の主張到底動かし難きを悟るに至れば、更に応諾せずとも限られざれば也、されど此度は、談判の始めより公にされたる其主義を撤回するに容易ならざるあり、或は勢の向ふ所遂に干戈相見ゆるに至るなきを保せず、這は固より切に日本の好まざる所なれども、苟も支那の頑迷済度し難くんば、此非常手段を採る外他に致方なからむ、今其暁に於ける経済関係を見るに、日支開戦は一時対支貿易を阻害するに止まるべく、其金融財政上に及ぼす影響は極めて微々たるべし


渋沢栄一 日記 大正四年(DK550026k-0003)
第55巻 p.109 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
五月七日 晴
○上略 五時半永田町総理大臣邸ニ抵ル、支那交渉問題ニ付最後ノ通牒ヲ発スルニ至リタル顛末ヲ外務大臣ヨリ詳細ニ演説アリ、次テ万一戦争トナルトキハ戦費ニ関スル財政ニ付若槻大蔵大臣ヨリ演説アリ、後、余ハ来会者ヲ代表シテ答詞ヲ述ヘテ大体ニ賛同ノ事ヲ表明ス、畢テ一同夜飧ヲ共ニス、食卓上大隈総理ノ演説アリ、依テ又一同ニ代リ意見ヲ述フ、宴散シテ若槻大蔵ト他事ヲ談シ、夜十時頃散会帰宿ス


竜門雑誌 第三二四号・第六一頁 大正四年五月 ○大隈首相の緊急招待会(DK550026k-0004)
第55巻 p.109-110 ページ画像

竜門雑誌 第三二四号・第六一頁 大正四年五月
○大隈首相の緊急招待会 日支交渉事件不調に帰し、慎重閣議の結果愈々支那政府に向つて最後通牒を送附することに確定せるや、五月七日大隈首相は第一銀行頭取青淵先生・三井銀行常務取締役早川千吉郎十五銀行頭取松方巌・三菱銀行部長串田万蔵・第百銀行頭取池田謙三安田銀行安田善三郎諸氏、三島日銀総裁・志村勧銀総裁・志立興銀総裁を官邸に招待、若槻蔵相も臨席して、殊に日支事件に対する軍資調達につき前記出席者に予備的交渉を試み、万一の場合に応分の努力を
 - 第55巻 p.110 -ページ画像 
乞ふ旨挨拶ありたるに対し、青淵先生以下衆口一致、東洋永遠の平和維持、邦家百年の計を立つる上に於て、此際政府は最も強硬の態度を持し、果断以て全要求条件の貫徹を期せん事、及一朝国交断絶の場合に臨んでは奉公に吝ならざるべきを約したり、尚銀行家は即時巨億の資金を市場に調達し得る様申合せたる由なるが、幸に袁政府の覚醒により平穏に解決を告げたるは、日支両国の為め洵に喜ぶべき事なり。


中外商業新報 第一〇四三四号 大正四年五月八日 対支交渉始末 七日午後外務省公表(DK550026k-0005)
第55巻 p.110-115 ページ画像

中外商業新報 第一〇四三四号 大正四年五月八日
    対支交渉始末
      七日午後外務省公表
▽帝国提案趣旨 今回帝国政府が支那政府に提出したる要求条件は、日独戦争の善後を図り、日支両国の親善関係を増進し、東洋永遠の平和を保持せんとするを以て眼目となし、帝国が従来支那に関し、列国に対して随時声明したる領土保全・機会均等・門戸開放等の主義と抵触する虞ありと認めらるゝものは、努めて之を避くることに留意したり、従て右条件は大体山東に於て独逸の有する権利の処分に関すること、南満洲及東部内蒙古に於ける帝国特殊の地位及利益の承認に関すること、多年来日支両国間に懸案となり居れる諸問題を解決すること等なり
▽当初提案内容 即ち左の如し
第一、山東省に関する件
一、独逸が山東省に関し条約其他に依り支那より獲得したる一切の権利利益譲与等の処分に付、帝国政府が独逸政府と協定すべき一切の事項を承認すること
二、山東省内若くは其沿岸島嶼を他国に譲与又は貸与せざることを保証すること
三、芝罘又は竜口と膠済鉄道とを連絡すべき鉄道の敷設を帝国に許与すること
四、支那政府自ら山東省の主要都市を外国人の居住貿易の為に開放すること
第二、南満洲及東部内蒙古に関する件
一、旅順・大連租借期限並南満洲及安奉両鉄道に関する各期限を更に九十九年延長すること
二、日本人に対し各種商工業上の建物の建設、又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は所有権を許与すること
三、日本人が居住、往来、並各種商工業及其他の業務に従事することを許すこと
四、日本人に対し特に指定せる鉱山採掘権を許与すること
五、他国人に鉄道敷設権を与へ、又は鉄道敷設の為他国より資金の供給を仰ぐとき、並に諸税を担保として借款を起すときは、予め帝国政府の同意を経べきこと
六、政事・財政・軍事に関する顧問・教官を要する場合には、帝国政府に協議すべきこと
七、吉長鉄道の管理経営を九十九ケ年間日本国に委任すること
 - 第55巻 p.111 -ページ画像 
第三、漢冶萍公司に関する件
一、日本国資本家と同公司との密接なる関係に顧み、本公司を適当の機会に日支合辦となすこと、並に支那政府は帝国の同意を経ずして公司に属する一切の権利財産を自ら処分し、又は公司をして処分せしめざるべき旨を約すること
二、日本資本家側債権保護の必要上、支那政府は本公司に属する諸鉱山附近の鉱山に付、公司の承諾を経ずして之が採掘を公司以外のものに許可せざるべき旨、並に其他直接間接公司に影響を及ぼす虞ある措置を執らんとする場合には、先づ公司の同意を経べき旨を約すること
第四、一般沿岸島嶼の不割譲に関する件
 支那沿岸の港湾及島嶼を他国に譲与又は貸与せざるべき旨を約すること
第五、懸案解決其他に関する件
一、中央政府に政治・財政及軍事顧問として有力なる日本人を傭聘すること
二、支那内地に於ける日本の病院・寺院及学校に対し土地所有権を認むること
三、必要の地方に於ける警察を日支合同とするか、又は此等の地方に於ける警察官庁に日本人を傭聘すること
四、日本より一定数量の兵器の供給を仰ぐか、又は支那に日支合辦の兵器廠を設立し、日本より技師及材料の供給を仰ぐこと
五、武昌と九江・南昌線とを聯絡する鉄道及南昌・杭州間、南昌・潮州間鉄道敷設権を帝国に許与すること
六、台湾との関係及福建不割譲約定の関係に顧み、福建省に於ける鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)に関し、外資を要する場合には、先づ日本国に協議すべきこと
七、支那に於ける日本人の布教権を認むること
▽提案の精神 右の内山東省に関する我要求条項に関しては、曩に帝国政府は多大の犠牲を払ひて同方面に於ける独逸の勢力を駆逐したりと雖も、支那の現状は、到底、独逸が同地方に於て其勢力を回復し、再び将来の禍根となることを防止するの実力を欠くこと明かなるを以て、帝国が叙上の要求を提出して、自ら独逸の有する権利処分の方法を講じ、其勢力の復活を予防するの挙措に出づるは已むを得ざる所なり、又南満洲に関しては、帝国の従来同地方に対して有せる地理上・政治上・商工業の利害上特殊密接なる関係は、前後二回の戦役に依りて特に深きを致せる現勢に顧み、帝国に於て優越なる地位を占む可きは中外の承認する所なり、東部内蒙古に付ても略其軌を一にす
又日支両国和親の関係を益々増進せんが為には、将来両国間に紛糾を生ずべき各種懸案を、此際一併解決すると共に、将来の紛争を防ぐが為、取極を為すことの必要なるは言を俟たざる所なり、帝国政府は、是等の条項は他の各項と区別し、別個の問題として支那政府に其実行を勧告せり、即ち他の各項は主として条約其他に基き、権利として支那の同意を求むるものなるも、本項は専ら支那政府に於て国交の誼を
 - 第55巻 p.112 -ページ画像 
重んずるが為に其実行に同意せんことを求めたるものなり
▽支那の不誠意 叙上の趣旨に基き慎重審議の結果提出したる要求に対し、支那政府は、或は交渉の当初より其内容を厳に秘密に附し置くべき約束あるを無視し、提案各条項を故意に誇大にし、又は誣曲捏造を加へて外間に流布し、以て列国の我に対する反感を挑発せんとし、或は談判の内容を随時新聞に記載せしめて交渉の進行を阻碍し、或は帝国に不利なる報道を捏造し、以て帝国と与国との関係を離間せんと試み、或は膠州湾の無条件還附、日独戦争に依り生じたる損害の賠償等の要求を提出する等、交渉の円満解決を図るの誠意なきものと認めらるゝのみならず、我方に於て十分誠意を披瀝し、要求の趣旨を反覆説明すると共に、支那側の腹蔵なき意見を聴取するに努めたるに拘らず、支那当局は我方の友好的態度を諒とせず、漫りに交渉の遷延を図りたるは掩ふべからざる事実なりとす
帝国政府に於ては、交渉開始以来二十五回の会議を重ね、三ケ月余の日子を費し、有らゆる手段を尽して交渉の円満解決を図りたるも、支那側に於ては、山東省に関する条項に付き略ぼ承諾の意を表するに至りたるも、南満洲に関しては、其主要問題たる居住及土地に関する権利に付種々の制限を加へ、東部内蒙古に関する問題及前記第五項に列記せる諸問題等に付ては、或は国家権に害ありと為し、或は他国との条約に抵触すと為し、帝国公使に於て百方其然らざる所以を説示したるに対し、毫も耳を傾くることなく、全然和衷妥協の誠意を欠きたり然れども帝国政府は、交渉の円満解決が東洋の和平維持の為極めて緊要なるを思ひ、支那側の主張を尊重し、交譲妥協の精神を以て至大の譲歩を為し、去る四月廿六日を以て、支那政府に対し修正案を提出したり
▽修正案の提出 右修正案は従来の会議に於ける支那側の主張を参酌したるものにして、即(一)東部内蒙古に付ては差向き絶対必要なる事項に止め、(二)漢冶萍公司の件は屡次の会見に於て支那側の言明せる事項に止め、(三)沿岸不割譲の件は支那側希望通りの形式に改め、其他顧問の件、学校・病院用地に関する件、兵器の件、福建省の地位に関する件は、総て会議に於ける支那側委員の言明に基けるものと為し、南支鉄道に付ては特に関係第三国の関係を尊重して修正を加へ、布教権の件は他日の交渉に譲り、警察に関する件及寺院用地に関する件は之を撤回したり、修正案の要領左の如し
第一、南満洲及東部内蒙古に関する件より東部内蒙古を除き第二項第三項を左の通訂正す
 (イ)日本国臣民は南満洲に於て各種商工業上の建物を建設する為又は農業経営の為必要なる土地を賃借又は購買することを得
 (ロ)日本国臣民は南満洲に於て自由に居住往来し、各種の商工業及其他の業務に従事することを得
 (ハ)前二項に関し日本国臣民は例規に依り下付せられたる旅券を地方官に提出し登録を受け、且日本国領事官に於て承認したる警察法令に服従し、同じく其承認したる課税に服すべし、民刑訴訟は日本人被告たる場合には日本領事官に於て、又支那人被
 - 第55巻 p.113 -ページ画像 
告たる場合には支那国官吏に於て之を審判し、互に員を派し臨時傍聴することを得、但土地に関する日支人間の民事訴訟は、支那国の法律慣習に依り、日本領事官及支那国官吏に於て共同審判すべし、又将来同地方の司法制度完全に改良せらるゝときは、日本国臣民に関する一切の民刑訴訟は完全に支那国法廷に於て審理すべし
第二、東部内蒙古に関する件
 (イ)該地方に於て日支両国臣民合辦に依り農業及附随工業の経営を為すを允許すること
 (ロ)支那政府が将来該地方に於ける鉄道に関し、又は各種税課を担保として外国より借款を為さんとするときは、先づ日本に商議すること
 (ハ)開放地を増設すること
第三、漢冶萍公司に関しては
  支那政府は(イ)他日同公司と日本資本家との間に合辦の議成りたるときは之を承認すべく、(ロ)同公司を没収せざるべく、(ハ)関係日本資本家の同意なくして、同公司を国有と為すことなかるべく、(ニ)日本国以外より外資を公司に入れしむることなかるべきことを約束すること
第四、支那沿岸不割譲の件は支那政府案の如き声明となすこと
第五、其他の諸点に関しては左記の各項を記録に留め置くこと
 (イ)支那政府は将来必要の場合に日本人を顧問に傭聘すべきこと
 (ロ)日本人支那内地に於て学校・病院を建設する為土地を租借又は購買せんと欲するときは、中央政府之を允許すべきこと
 (ハ)支那政府は、他日其陸軍武官を日本に派し、日本軍事当局者と直接兵器購入、又は支那に於ける日支合辦兵器廠設立のことを協議せしむべきこと
 (ニ)南支地方鉄道敷設権に関しては、他国に於て故障なきこと明なるに至りたる場合には、必ず之を日本国に許与すべく、又は別に日本国政府より、支那政府に於て本件に関係ありと認むる他国との間に直接協議すべきに付、其間本件鉄道は何れの国へも許与せざるべきこと
 (ホ)日本人布教権の問題は之を他日の商議に譲ること
第六、警察合同に関する件は之を撤回す
第七、福建省に関しては
  支那政府は其沿岸に於て造船所・軍用貯炭所若くは海軍根拠地を設け、又は其他の軍事上の施設を為すことを何れの国にも許さゞること、及外国の資金に依り該省沿岸に同様の施設を為さゞることを何等かの形式に於て約束すること
▽膠州湾還附声明
右修正案の提出と同時に、帝国政府は支那政府に対し、帝国が多大の犠牲を払ひて獲取したる膠州湾を、戦後媾和会議の結果、帝国の自由処分に委せらるゝ場合には、(一)膠州湾を商港として開放すること、(二)日本の指定する地区に日本専管居留地を設置すること、(三)列
 - 第55巻 p.114 -ページ画像 
国に於て希望するに於ては共同居留地を設置すること、(四)独逸の施設物処分其他の条件手続に付日支両国間に協定を遂ぐべきこと等の条件の下に、支那に還付すべきことを言明したり、膠州湾は独逸が其東洋に於ける発展の根拠地として多年巨額の資財と多大の勢力とを投じて経営したる軍事上・通商上極めて重要なる地点にして、同地の発展に伴ひ支那の一角に於ける独逸の勢力は実に牢乎として抜くべからざるものあるに至り、支那の独力を以てしては此地を恢復せんとするが如きことは到底望む能はざる所ならんとす、而して帝国は将来東洋の平和を擾乱するの虞ある此禍源を除くが為めには、実に尠少ならざる資財と生命とを擲ちたるものにして、已に此地を奪取したる上は之を如何に処分すべきやは、主として帝国の意志に属し、之を支那に還付すべき何等の義務なきこと勿論なり、然るに帝国に於て進で同地の還付を予約したる所以の者は、実に帝国が日支国交の親善と極東全局の和平とに眷々たるが故に外ならず
▽支那再修正案 然るに支那側に於ては我方交譲妥協の誠意を無視し五月一日に至り更らに我修正案に対する再修正案を提出し、之を以て其最後の決定案なりと声明せり、右支那政府の修正案は、南満洲に関しては日本人の未開放地に於ける居住・営業及土地賃借権を認めたれども、永租権を許与することを拒み、且支那の警察法規に服従し、支那人と同様に各種税課を納め、土地に関する争議に付ては、日支人間は勿論、日本人相互間の訴訟と雖、総て支那官吏の審判に帰すべし等の条件を要求し、東部内蒙古に付ては、同地方の範囲を限局し、我要求の眼目たる日支合辦の農業及附随工業の経営を承認することを拒み且同時に、膠州湾租借地の無条件還附、及日独媾和会議に於ける支那政府参加の承認を求めたるのみならず、日独戦役に依り生じたる損害の全部を日本政府に於て負担すべき旨、並に同戦役に於ける日本軍の軍事的施設の即時撤廃及占領地守備兵の至急撤退を要求し、更に前掲我修正案中第五の全部を拒絶するに至れり
▽支那側の変幻 加之、支那政府修正案には自国委員の責任ある陳述の一部を否定し、一旦撤回したる条項を復活せしめ、或は既に協定済の事項を取消す等背信の廉尠からざるものあり、殊に膠州湾無条件還附の要求、若くは日独戦争の為め生じたる損害賠償負担の要求の如きは、日本に対し到底其容認する能はざること明白なる所のものを求めんとするものにして、而も支那政府は右要求を含める対案を以て其最後の決定なりと明言せり、従て帝国に於て此等の要求を容認せざる限り、他の諸項に関し如何に妥協商定する所あるとも、是等は皆遂に何等の意味をも有せざることなるべく、結局支那政府修正案は其全体に於て全く空漠無意義のものとなるに至るべし
  ▽通牒内容
帝国政府は、支那政府の此の如き態度に鑑み、此上交渉を継続するの余地殆んど之なきを遺憾とするものなりと雖、極東和平の維持を顧ひ努めて本交渉を円満に結了し、時局の紛糾を避けんことを冀ひ、難を忍びて隣邦政府の情意を酌み、我修正案中第五の各項は本交渉と引離し、後日改めて協商することに決定し、右の趣支那政府に申入れしむ
 - 第55巻 p.115 -ページ画像 
ると共に、同政府に於て帝国政府交譲妥協の精神を尊重し、更に慎重なる考量を加へ、我修正案に対し速に承諾の意を表すべきことを勧告せしめ、同時に帝国政府は、之に対し来る五月九日午後六時迄に、支那政府の満足なる回答を期待するものなる旨を声明すべき旨、五月六日を以て在支帝国公使に訓令せり


中外商業新報 第一〇四三六号 大正四年五月一〇日 要求承認条項 我最後要求の全文 日支新条約の内容(DK550026k-0006)
第55巻 p.115-116 ページ画像

中外商業新報 第一〇四三六号 大正四年五月一〇日
    要求承認条項
      我最後要求の全文
      日支新条約の内容
支那が九日公文書を以て容認せる我最後の要求案の全文は左記の如くにして、即ち之が週日後に調印さるべき日支新交渉の骨子となるべし
  △第一 山東に関する件
一、独逸が山東に関し条約其他に依り支那より獲得したる一切の権利利益譲与等の処分に付、帝国政府が独逸政府と協定すべき一切の事項を承認すること
二、山東省内若くは其沿岸島嶼を他国に譲与又は貸与せざることを保証すること
三、芝罘又は竜口と膠済鉄道とを連絡すべき鉄道借款権を帝国に許与すること
四、支那政府自ら山東省の主要都市を外国人の居住貿易の為開放すること
  △第二 南満洲に関する件
一、旅順・大連租借期限並び南満洲及安奉両鉄道に関する各期限を九十九年とすること(但し租借期限は租借条約調印の日より起算し、鉄道は運転開始のとき又工事完成の日より起算す)
二、日本国臣民は南満洲に於て各種商工業上の建物を建設する為め、又は農業経営の為め必要なる土地を賃借又は購買することを得
三、日本国臣民は南満洲に於て自由に居住・往来し、各種の商工業及其他の業務に従事することを得
前二項に関し、日本国臣民は、例規に依り下付せられたる旅券を地方官に提出し登録を受け、且日本国領事官に於て承認したる警察法令に服従し、同じく其承認したる課税に服すべし、民刑訴訟は、日本人被告たる場合には日本領事官に於て、又支那人被告たる場合には支那国官吏に於て之を審判し、互に員を派し臨席傍聴することを得、但土地に関する日支人間の民事訴訟は、支那国の法律慣習に依り日本領事官及支那国官吏に於て共同審判すべし、又将来同地方の司法制度完全に改良せらるゝときは、日本国臣民に関する一切の民刑訴訟は完全に支那国法廷に於て審理すべし
四、日本人に対し特に指定せる鉱山採掘権を許与すること
五、他国人に鉄道敷設権を与へ、又は鉄道敷設の為め他国より資金の供給を仰ぐとき、並に諸税を担保として借款を起すときは、予め帝国政府の同意を経べきこと
六、政治・財政・軍事に関する顧問・教官を要する場合には、帝国政
 - 第55巻 p.116 -ページ画像 
府に協議すべきこと
七、吉長鉄道借款契約を、支那と諸外国との借款契約中の最も有利なる条項に準じて、之が根本的改訂を約すること
  △第三 東蒙古に関する件
一、該地方に於て日支両国臣民合辦に依り農業及附随工業の経営を為すを允許すること
二、支那政府が将来該地方に於ける鉄道に関し、又は各種税課を担保として外国より借款を為さんとするときは、先づ日本に商議すること
三、開放地を増設すること
  △第四 漢冶萍公司に関する件
支那政府は(イ)他日同公司と日本資本家との間に合辦の議成りたるときは之を承認すべく、(ロ)同公司を没収せざるべく、(ハ)関係日本資本家の同意なくして、同公司を国有と為すことなかるべく、(ニ)日本国以外より外資を公司に入れしむることなかるべきことを約束すること
  △第五 不割譲に関する件
支那は沿岸の港湾及島嶼を他国に譲与又は貸与せざるべきを声明すること
  △第六 福建省に関する件
支那政府は其沿岸に於て造船所・軍用貯炭所若くは海軍根拠地を設け又は其他の軍事上の施設を為すことを何れの国にも許さゞること、及び外国の資金に依り該省沿岸に同様の施設を為さゞることを、何等かの形式に於て約束すること


竜門雑誌 第三二五号・第三〇―三一頁 大正四年六月 ○日支の国交際に就て 青淵先生(DK550026k-0007)
第55巻 p.116-117 ページ画像

竜門雑誌 第三二五号・第三〇―三一頁 大正四年六月
    ○日支の国交際に就て
                      青淵先生
  本篇は日本の最後通牒に対し、袁政府の反省に依り満足の回答に接し、国交断絶を危機一髪の間に防ぎ得たる際、時事新報記者が青淵先生を訪ひて、日支今後の国交際に就きて其の意見を問ひて同紙上に掲載せるものなり(編者識)
▽相互の幸福 袁政府の満足なる回答により日支国交の断絶を防ぎ得たるは両国民の為めに至大の幸福にして、戦ひを見ずに終らしめたる両国当路者の労は大に多とせざる可らず、顧みれば、最後通牒の送られたる七日の夜、我々実業家は招かれて首相官邸に政府当局者と会し親しく日支交渉の顛末に関する説明を聴くを得たり、交渉の半途支那の態度に俄然変化を来し、不承諾は峻拒となり哀願は侮慢と変じ、殊に青島還附に対し不遜の言辞を弄し、更に誠意の認むべきなき事情に就き詳細なる説明を受けたるより、事玆に至りては帝国の威信上最後通牒の外途なきを思ひ、或は開戦の不幸を見ることあるべきを覚悟せり、然るに彼に於て反省する所あり、我に於て譲歩に譲歩を重ねたることなれば反省せること寧ろ当然なりと雖、万一頑迷不霊にして尚ほ反省する所なき場合には其結果や悲しむべきものなりしならんに、幸にして事なきを得たるは相互国民の為めに慶賀に堪へず、既に我要求
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の承諾する所となりたる以上、今後外交上の商議に依り円満なる解決を見、一時の暗雲全く払はるゝことならんが、此機会に余は、我国民が今後如何なる態度を以て支那に対すべきかに就き識者の注意を乞はんと欲す、邦人の支那を談ずるもの唇歯輔車を口にせざるものなし、又相扶け相輔くるの要を説かざるものなし、然かも其の実際行ふ所を見るに、恩威併び行はれんことを努むるに止まり、其間一点友愛の念を懐き親善の情味を含める態度を以て彼に対するもの尠し
△指導の任 支那の現状は今更説く迄もなきも、欧米文明の輸入に努めて以来尚ほ年浅く、諸般の制度未だ完からじ、之を産業に就きて見るも、従来支那人の経営せる会社事業は多く満足なる成績を示さず、将来彼の広漠なる国土に於ける天恵富源を開き、世界の富に新なる累積を加へんとせば、国外に人と資本とを求めざるべからず、我国は往昔に於てこそ支那の文明に負ふ所極めて大なるものありしと雖も、開国以来着々国運の伸張を計り、今や彼に比し一日の長あり、斯る事情より考ふるも、又同文同種の誼より云ふも、彼を扶け導くこと正に我国の任ならざる可からず、唇歯輔車を説くもの元より此理に基くものなるべきも、其行ふ所にして友愛を欠かんには、我誠意を徹底せしむること望むべからず、今回の交渉に就きても、最初の要求と最後の結果とが著しく懸隔せる一事は、人をして我主張に懸値ありしやとの疑念を起さしむるやも保すべからず、これ彼をして我誠意を信ぜしむる途なるや、又友愛の義に適へるものなるや、余は今回の交渉の経過に批判を加へんとするものに非ず、衷心平和の維持せられたるを悦ぶ外他意なきものなるも、将来支那人に対する態度に就きては、我国民一般に多大の注意を払ふの要あるを思ふものなり云々。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK550026k-0008)
第55巻 p.117 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
六月廿六日 晴
○上略 午前十二時帝国ホテルニ抵リ、三島子爵ト会話ス、又藤瀬政次郎氏来リ、支那各地ニ於ル日貨排斥ノ近況ヲ演説ス、白岩竜平氏ハ日清汽船会社ノ営業景況ヲ話ス、来会者ハ中日実業会社重役及相談役ノ数名ナリ、午飧後事務所ニ抵リ○下略


中外商業新報 第一〇四八七号 大正四年六月三〇日 ○排日と実業家 折々意見の交換(DK550026k-0009)
第55巻 p.117 ページ画像

中外商業新報 第一〇四八七号 大正四年六月三〇日
    ○排日と実業家
      折々意見の交換
支那の排日問題に対し日本の処す可き善後策に就き、去る廿六日、帝国ホテルに渋沢男を始め、大倉喜八郎・井上準之助・藤瀬政次郎・白岩竜平諸氏等会合協議したるが、当日は何等具体的の談合を見ず、只折々此種会合を催し、各自調査事項を披瀝して意見を交換する事を申合せたるに止まると云へり、次回の会合日は決定せざれど、近く第二回を開催すべしと


竜門雑誌 第三二六号・第七七頁 大正四年七月 ○日貨排斥に就て(DK550026k-0010)
第55巻 p.117-118 ページ画像

竜門雑誌 第三二六号・第七七頁 大正四年七月
○日貨排斥に就て 支那に於ける日貨排斥の傾向益々険悪なるより、
 - 第55巻 p.118 -ページ画像 
六月廿六日午前十一時より青淵先生・井上準之助・柳生一義・大倉喜八郎・藤瀬政次郎・大橋新太郎・中島久万吉・古市公威・白岩竜平・倉知鉄吉諸氏は帝国ホテルに会合し、各自日貨排斥の実況に於いて語る所あり、且つ慎重に其成行を見定めたる上、適当の方法により此の不祥事を一掃せざるべからずとの意見に一致し、更に会合する事とし二時散会せりと



〔参考〕中外商業新報 第一〇四四五号 大正四年五月一九日 ○失敗外交の糺弾 国民同盟会組織成る(DK550026k-0011)
第55巻 p.118-120 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕中外商業新報 第一〇四四九号 大正四年五月二三日 ○内閣三大臣の演説 国政外交財政の説明(DK550026k-0012)
第55巻 p.120-125 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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〔参考〕中外商業新報 第一〇四六六号 大正四年六月九日 日支条約公表 条約・附属文書・声明 支那国政府公文書(DK550026k-0013)
第55巻 p.125-132 ページ画像

中外商業新報 第一〇四六六号 大正四年六月九日
    日支条約公表
      条約・附属文書・声明
      支那国政府公文書
日支条約は八日午後二時外務省に於て、加藤外相と陸公使との間に批淮交換を了せるに就き、加藤外相は同午後四時十分参内し、右条約滞り無く批准交換を終了せる旨奏上せり、同条約は九日の官報を以て公表さるべし、其内容は如左
一、加藤外務大臣の日置公使に与へたる訓令
一、支那国政府提案の対案
一、帝国政府の修正案
一、支那国政府最後修正案
一、支那国政府に対する帝国政府最後通牒
一、最後通牒提出の際在支日置公使より陸外交総長へ手交せる説明書
一、帝国政府の最後通牒に対する支那国政府の回答
一、大正四年五月二十五日調印の条約並同日交換せる公文書
 - 第55巻 p.126 -ページ画像 
一、支那国政府公文書訳文
右の内加藤外相の日置公使に与へたる訓令、支那国政府提出の対案、帝国政府の修正案、支那国政府最後修正案、最後通牒提出の際日置公使より陸外交総長に手交せる説明書等は五月七日外務省より公表せる対支交渉顛末と大同小異に付省略す、而して条約正文・附属文書・声明・支那国政府公文書訳文の全文如左
    □条約正文
  ▽山東省に関する条約
第一条 支那国政府は、独逸国が山東省に関し条約其の他に依り支那国に対して有する一切の権利利益譲与等の処分に付、日本国政府が独逸国政府と協定する一切の事項を承認すべきことを約す
第二条 支那国政府自ら芝罘又は竜口より膠済鉄道に接続する鉄道を敷設せむとする場合に於て、独国が煙濰鉄道借款権を抛棄したるときは、支那国政府は日本国資本家に対し借款を商議すべきことを約す
第三条 支那国政府は成るべく速に、外国人の居住・貿易の為、自ら進みて山東省に於ける適当なる諸都市を開放すべきことを約す
第四条 本条約は調印の日より効力を生ず
 本条約は日本国皇帝陛下及支那共和国大統領閣下に於て批准せらるべく、其の批准書は成るべく速に東京に於て交換すべし
  ▽南満洲及東部内蒙古に関する条約
第一条 両締約国は旅順・大連の租借期限並南満洲鉄道及安奉鉄道に関する期限を何れも九十九箇年に延長すべきことを約す
第二条 日本国臣民は、南満洲に於て各種商工業上の建物を建設する為、又は農業を経営する為、必要なる土地を商租することを得
第三条 日本国臣民は、南満洲に於て自由に居住往来し、各種の商工業其の他の業務に従事することを得
第四条 日本国臣民が東部内蒙古に於て支那国々民と合辦に依り農業及附随工業の経営を為さむとするときは、支那国政府之を承認すべし
第五条 前三条の場合に於て、日本国臣民は、例規に依り下附せられたる旅券を地方官に提出し、登録を受け、又支那国警察法令及課税に服すべし
 民刑訴訟は日本国臣民被告たる場合には日本国領事官に於て、又支那国々民被告たる場合には支那国官吏に於て之を審判し、互に員を派し臨席傍聴せしむることを得、但し土地に関する日本国臣民及支那国々民間の民事訴訟は、支那国の法律及地方慣習に依り両国より員を派し共同審判すべし
 将来同地方の司法制度完全に改良せらるゝときは、日本国臣民に関する一切の民刑訴訟は完全に支那国法廷の審判に帰すべし
第六条 支那国政府は成るべく速に、外国人の居住・貿易の為、自ら進みて東部内蒙古に於ける適当なる諸都市を開放すべきことを約す
第七条 支那国政府は、従来支那国と各外国資本家との間に締結したる鉄道借款契約規定事項を標準と為し、速に吉長鉄道に関する諸協
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約並契約の根本的改訂を行ふべきことを約す
 将来支那国政府に於て、鉄道借款事項に関し外国資本家に対し現在の各鉄道借款契約に比し有利なる条件を附与したるときは、日本国の希望により更に前記吉長鉄道借款契約の改訂を行ふべし
第八条 満洲に関する日支現行各条約は、本条約に別に規定するものを除くの外一切従前通り実行すべし
第九条 本条約は調印の日より効力を生ず
 本条約は日本国皇帝陛下及支那共和国大統領閣下に於て批准せらるべく、其の批准書は成るべく速に東京に於て交換すべし
    □附属公文書
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第一条に規定せる旅順・大連租借期限の延長は民国八十六年即西暦千九百九十七年に至り満期となり、南満洲鉄道還附期限は民国九十一年即西暦二千二年に至り満期と可相成、尚其の原条約第十二条に記載せる運転開始の日より三十六年の後支那国政府に於て買戻すを得るの一節は之を無効とすべく、又安奉鉄道の期限は民国九十六年即西暦二千七年に至り満期と可相成旨御照会の趣致領承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第六条に規定せる開放すべき諸都市及商埠章程は、支那国政府自ら之を擬定し、予め日本公使に協議の上決定可致旨御照会相成致領承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て日本国臣民に於て南満洲に於ける左記各鉱山(既に試掘又は採掘せられたる各鉱区を除く)を速に調査の上選定したる節は、支那国政府は其の試掘又は採掘を允許可致、但し鉱業条例確定に至る迄は現行辦法に準拠すべきものなる旨御照会の趣致領承候
一 奉天省
   所在地    県名           鉱種
  牛心台     本渓           石炭
  田什付溝    本渓           石炭
  杉松崗     海竜           石炭
  鉄廠      通化           石炭
  暖池塘     錦            石炭
  鞍山站一帯   遼陽県より本渓県に亘る  鉄
二 吉林省南部
   所在地    県名           鉱種
  杉松崗     和竜           石炭・鉄
  欠窰      吉林           石炭
  夾皮溝     樺甸           金
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て支那国政府は将来南満洲及東部内蒙古に於て鉄道を敷設する場合には、自国の資金を以てすべく、若し外資を要するときは、先づ日本国資本家に借款を商議可致、又支那国政府は前記地方の各種税課(但し既に支那中央政府借
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款の担保となれる塩税・関税等の類を除く)を担保として外国より借款を起さむとするときは、先づ日本国資本家に商議可致旨、貴国政府の名に於て帝国政府に対し声明相成致頒承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て支那国政府は将来南満洲に於て政治・財政・軍事・警察等に関する外国顧問・教官を傭聘せむとするときは、最先に日本人を傭聘すべき旨、貴国政府の名に於て帝国政府に対し声明相成致領承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第二条に記載せる商租の文字には、三十箇年迄の長き期限附にて且無条件にて更新し得べき租借を含むものと了解致候、右照会得貴意候 敬具
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第五条の規定に依り日本国臣民の服従すべき警察法令及課税は、予め支那国官憲に於て日本国領事館と協議の上施行すべき儀に有之候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第二条・第三条・第四条及第五条は、支那国政府に於て諸般の準備を整ふる必要上、同条約調印後三箇月間其の実施を延期したき旨御照会相成領承、帝国政府に於ては事情已むを得さるものと認め右に致同意候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て支那国政府は日本国資本家と漢冶萍公司との関係極めて密接なるに鑑み、将来同公司と日本国資本家との間に合辦の議成りたるときは之を承認すべく、又同公司を没収することなかるべく、又日本国資本家の同意なくして同公司を国有と為すことなかるべく、又日本国以外より外資を同公司に入れしむることなかるべき旨御照会の趣致領承候
一、以書翰啓上候、陳者聞く所によれば、支那国政府は福建省沿岸地方に於て外国に造船所・軍用貯炭所・海軍根拠地其の他一切の軍事上の施設を為すことを許し、又支那自ら外資を借入れ前記各施設を行はむとするが如き意思ある趣なるが、支那国政府に於ては果して斯かる意思を有せらるゝや否や、御回答を得度此段照会得貴意候
                           敬具
    □膠州湾還附声明
以書翰致啓上候、陳者本使は帝国政府の名に於て玆に左の如く貴国政府に対し声明するの光栄を有し候
日本国政府は現下の戦役終結後、膠州湾租借地にして全然日本国の自由処分に委せらるゝ場合に於ては、左記条件の下に該租借地を支那国に還附すべし
 一膠州湾全部を商港として開放すること
 二日本国政府に於て指定する地区に日本専管居留地を設置すること
 三列国にして希望するに於ては別に共同居留地を設置すること
 四右の外、独逸の営造物及び財産の処分並其の他の条件手続等に付きては、還附実行に先ち日本国政府と支那国政府との間に協定を遂ぐべきこと
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    □支那公文訳文
一、以書翰致啓上候、陳者本総長は支那国政府の名に於て玆に左の如く貴国政府に対し声明するの光栄を有し候
 支那国政府は山東省内若は其の沿海一帯の地又は島嶼を、何等の名義を以てするに拘らず、外国に租与又は譲与することなかるべし
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の山東省に関する条約第三条に規定せる開放すべき諸都市及開埠章程は、支那国政府自ら之を擬定し予め日本国公使に協議の上決定可致候
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第一条に規定せる旅順・大連租借期限の延長は、民国八十六年即西暦千九百九十七年に至り満期となり、南満洲鉄道還附期限は民国九十一年即西暦二千二年に至り満期と可相成、尚其の原条約第十二条に記載せる運転開始の日より三十六年の後、支那国政府に於て買戻すを得るの一節は之を無効とすべく、又安奉鉄道の期限は民国九十六年即西暦二千七年に至り満期と可相成候
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第六条に規定せる開放すべき諸都市及商埠章程は、支那国政府自ら之を擬定し、予め日本国公使に協議の上決定可致候
一、以書翰致啓上候、陳者日本国臣民に於て南満洲に於ける左記各鉱山(既に試掘又は採掘せられたる各鉱区を除く)を速に調査の上選定したる節は、支那国政府は其の試掘又は採掘を允許可致、但し鉱業条例確定に至る迄は現行弁法に準拠すべきものに有之候
一、以書翰致啓上候、陳者本総長は支那国政府の名に於て玆に左の如く貴国政府に対し声明するの光栄を有し候
 支那国政府は将来南満洲及東部内蒙古に於て鉄道を敷設する場合には、自国の資金を以てすべく、若し外資を要するときは、先づ日本国資本家に借款を商議すべし、又支那国政府は前記地方の各種税課(但し既に支那中央政府借款の担保となれる、塩税・関税等の類を除く)を担保として外国より借款を起さむとするときは、先づ日本国資本家に商議すべし
一、以書翰致啓上候、陳者本総長は支那国政府の名に於て玆に左の如く貴国政府に対し声明するの光栄を有し候
 支那国政府は将来南満洲に於て政治・財政・軍事・警察に関する外国顧問・教官を傭聘せむとするときは、最先に日本人を傭聘すべし
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第二条に記載せる商租の文字には、三十箇年迄の長き期限附にて且無条件にて更新し得べき租借を含むものと了解相成候旨、御照会の趣致領承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第五条の規定に依り日本国臣民の服従すべき警察法令及課税は、予め支那国官憲に於て日本国領事官と協議の上施行すべき儀に有之候旨、御照会の趣致領承候
一、以書翰致啓上候、陳者本日調印の南満洲及東部内蒙古に関する条約第二条・第三条・第四条及第五条は、支那国政府に於て諸般の準
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備を整ふる必要上、同条約調印後三箇月間其の実施を延期致度候に付、貴国政府の御同意を得度候
一、以書翰致啓上候、陳者支那国政府は日本国資本家と漢冶萍公司との関係極めて密接なるに鑑み、将来同公司と日本国資本家との間に合辦の議成りたるときは、之を承認すべく、又同公司を没収することなかるべく、又日本国資本家の同意なくして同公司を国有と為すことなかるべく、又日本国以外より外資を同公司に入れしむることなかるべく候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附書翰を以て御申込の趣致領承候、支那国政府は福建省沿岸地方に於て外国の造船所・軍用貯炭所・海軍根拠地其の他一切の軍事上の施設を為すを許すが如きこと決して無之、又外資を借入れ前記施設を為さむと欲するが如き意思なきことを玆に致声明候
一、以書翰致啓上候、陳者本日附貴翰を以て日本国政府は現下の戦役終結後、膠州湾租借地にして全然日本国の自由処分に委せらるゝ場合に於ては、左記条件の下に該租借地を支那国に還附すべき旨、貴国政府の名に於て支那国政府に対し声明相成致領承候
 一、膠州湾全部を商港として開放すること
 二、日本国政府に於て指定する地区に、日本専管居留地を設置すること
 三、列国にして希望するに於ては別に共同居留地を設置すること
 四、右の外、独逸の営造物及財産の処分並其の他の条件手続等に付きては、還附実行に先ち日本国政府と支那国政府との間に協定を遂ぐべきこと
    □最後通牒全文
 帝国政府が五月七日支那政府へ交付せる最後通牒全文如左
抑も帝国政府が支那政府に対し今回の交渉を開始したるは、一は日独戦争に困り発生したる時局の善後を図ると、一は日支両国の親交を阻碍するの原因たるべき諸種の問題を解決し、両国友好関係の基礎を固くし、以て東亜永遠の平和を確保せむとするに在るものにして、本年一月我提案を支那政府に申入れてより以来今日に至るまで胸襟を披き支那政府と会議すること実に二十有五回を重ねたり、此の間帝国政府に於ては、終始妥協の精神を以つて我が提案の要旨を解説し、同時に支那政府の主張に至ては細大努めて之に聴き、円満和平の間に解決を見むことを努めたるに於て、実に余蘊なきを信ず、交渉全部の討議は第二十四回会議即客月十七日に於て略終了したるを以て、帝国政府は交渉全部を通じて支那政府の論議したる所を参酌し、最初編製したる原提案に対し多大の修正譲歩を加へ、同月二十六日を以て修正案を支那政府に提出し、其の同意を求むると同時に、若し支那政府にして該案に対し同意を表するに於ては、日本が多大の犠牲を以て獲得したる膠州湾一帯の地を公正至当なる条件の下に、適当の機会に於て支那に還附すべきことを声明せり
帝国政府の修正案に対し、五月一日を以て支那政府の与へたる回答は全然帝国政府の予期に反するものにして、啻に該案に対し誠意ある研
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究を加へたるの痕を示さざるのみならず、膠州湾還附に関する帝国政府の苦衷と好意とに対しては、殆んど一顧の労をも与へざるものなり元来膠州湾の地たる、商業上軍事上実に東亜に於ける一要地にして、之を獲取するが為に日本帝国の費したる血と財との尠少ならざることは言を俟たざるなり、而して既に一度之を我手に収めたる以上は、敢て支那に還附するの義務毫も之なきに狗はらず、進で之を還附せむとするは、誠に将来に於ける両国国交の親善を思へばなり、然るに支那政府に於いて帝国政府の苦心を諒とせざるは、実に帝国政府の遺憾禁ずる能はざる所なり、支那政府は啻に膠州湾還附に関する帝国政府の情誼を顧みざるのみならず、帝国政府の修正案に対する其の回答に於て、同地の無条件還附を求め、日独戦争に際し日本が膠州湾に於て用兵の結果生じたる避くべからざる各種損害の賠償の責に任ぜむことを求め、其の他同地方に関係し数項の要項を提出すると同時に、更に今後日独媾和の会議に参加するの権あることをも声明せり、殊に膠州湾無条件還附、若くは日独戦争の為に生じたる避くべからざる損害の賠償を日本に於て負担すべしとの要求の如きは、日本に対し到底其の容認する能はざること明白なる所のものを求めむとするに外ならず、而も支那政府は右要求を含める今回の対案を以て其の最後の決答なりと明言せり、従て日本に於て是等の要求を容認せざる限り、他の諸項に関し如何に妥協商定する所あるとも、是等は皆遂に何等の意味をも有せざることゝなるべく、結局支那政府今回の回答は、其の全体に於て全く空漠無意義のものとなるに至るべし、加之、翻て帝国政府の修正案中他の条項に対する支那政府の回答に就て考ふるも、素と南満洲及東部内蒙古の地たる、地理上・政治上将た商工の利害上、帝国の特殊関係を有する地域たるは中外の認むる所にして、此関係は実に帝国が前後二回の戦役を経たるによりて特に深きを致したるものとす、然るに支那政府は此事実を閑却し、帝国の該地方に於ける地位を尊重せず即ち支那政府の代表者が会議の席上言明したる所に基きて、帝国政府が互譲の精神を以て案出したる条項に付ても、支那政府の回答は濫りに之を刪して、代表者の陳述をして一片の空言に止まらしめたるものあり、或は一方に於て之を許しながら他方に於て之を禁ぜんとするが如きものありて、支那当局者の信義と誠意とは全然之を認むるを得ず将又顧問に関する件、学校・病院用地に関する件、兵器若くは兵器廠に関する件、南支鉄道等に関する件等に関しては、帝国政府の修正案は関係外国の同意を条件としたるか、若くは支那政府代表者の已に言明したる処を記録し置かんとするかに止り、何等支那の主権又は条約に抵触するものにあらず、然るに支那政府の回答は、単に主権又は条約等に関係ありとして、帝国政府の希望に応ずることを拒絶せり
帝国政府は、支那政府の此の如き態度に鑑み、此上協商を継続するの余地殆ど之なきを遺憾とするものなりと雖、極東平和の維持に眷々たる帝国は、努めて本交渉を円満に結了し、時局の紛糾を避けむことを冀ひ、難きを忍びて、更に隣邦政府の情意を酌み、曩に帝国政府の提出したる修正案中第五号の各項に就き、已に両国政府代表者間に協定を経たる福建省に関する公文交換の一事を除くの外、五項は本交渉と
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引離し、後日改めて協商することゝなすを承諾すべきにより、支那政府に於ても亦帝国政府の誼を諒とし、他の各項即第一号・第二号・第三号・第四号の各条項及第五号中福建省に関する公文交換の件に付ては、去る四月二十六日を以て提出したる修正案記載の通り、之に対し何等改訂を加へることなく速に応諾せんことを玆に重て勧告し、帝国政府は、此勧告に対し支那政府より来る五月九日午後六時迄に満足なる回答に接せむことを期待す、右期日迄に満足なる回答を受領せざるときは、帝国政府は其の必要と認むる手段を執るべきことを併せて玆に声明す
  □最後通牒回答
五月七日午後三時、支那国政府は、日本国公使の手交せられたる同国政府の最後通牒一件及附加解釈七条を受領せり、該通牒の末段に、日本国政府は支那国政府より五月九日午後六時迄に満足なる回答あらむことを期待す、若し期限に至り満足なる回答接到せざれば、日本国政府は其の必要と認むる手段を執らむと欲す、併て声明すとあり、支那国政府は、東亜の和平を維持する為に起見し、日本国政府より四月二十六日提出せる修正案第五号中の五項を他日の協商に譲る外、第一号第二号・第三号・第四号の各項及第五号中の福建問題に関する公文交換の件は、四月二十六日提出の修正案に記載せる通、並日本国政府より交付せられたる最後通牒附加七条の解釈通り、直に応諾し、以て中日間の有ゆる懸案を解決し、益両国の親善を鞏固ならしめむことを希ふ、即日本国公使は期を定め、外交部に恵臨し、文字の修正を行ひ、速に調印せられむことを請ふ



〔参考〕現代日本文明史 3外交史 清沢洌著 第三六一―三九〇頁 昭和一六年六月刊(DK550026k-0014)
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現代日本文明史 3外交史 清沢洌著 第三六一―三九〇頁 昭和一六年六月刊
 ○第四篇 第一章 世界大戦と日本
    第四節 所謂廿一箇条要求の内容
 日本は膠州湾攻撃に当つても、可能範囲に合法的手段をとつた。ドイツのベルギー通過は無警告で行はれたのに、日本軍の竜口上陸は支那の承認を得た。支那は日本が山東鉄道を押収したことの不都合に抗議したが、しかし同鉄道は事実においてドイツ政府の所有になるもので、如何なる国家と雖も膠州湾攻撃に当つて、該鉄道をそのまゝにして置く如きは想像し得ないところである(註二四)。支那はまた日本が山東省に根拠を持つことを盛んに非難した。だが日本は既に二回に亘つて、極東に海軍根拠地を持つ欧洲国と戦争せざるを得なかつた。この犠牲を再び払はないことを心掛けるのは日本として固より当然である。
 過去において支那は欧洲列強の侵略に対しては唯々としてこれに従つて何等の抗議をしなかつた。然るに日本の行動に対してのみは神経過敏であり、反抗をこれ事とした。北京においても日本に対する猜疑の念は増して行つた。アメリカ公使ラインシュの手記はこれを示す。
 「大総統袁世凱は予との会見を希望したので、予は十月二日にかれを訪問した。かれは交通総長陸徴祥より一層強い口調を以てその危懼を語つた。大総統は曰く『予の得たる情報によれば日本は世界戦
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争の機会に乗じ、支那に対する把握を一層堅固ならしめんとする確乎遠大なる計画を有すと信ずべき理由がある。これがため膠州湾と膠州鉄道とによる山東の管理はその礎石をなすものである。現に日本がドイツさへも企てざりし全山東鉄道の占領を以て脅威せるは、その野望を窺ふにたる。これ軈て支那の心臓に日本の武力を張るものである』(註二五)。
 袁世凱はかういつて米国大統領ウイルソンの干渉を乞ひ、ラインシュはその旨打電した。支那が対日関係において米国に依頼する態度は特にこの頃から深くなつて行つた。他方、日本の態度は北京外交団の間でも問題になつた。当時、日本と好関係にあつたロシア公使は、ラインシュに語つた。「予は支那における事態が大して重大だとは思はない。ただ日本が、それが重大だと称すること、その事が重大事である」と(註二六)。
 日本軍の青島攻略は前述の如く十一月七日を以て完了した。ここに日独戦争は一段落を告げたが、この際日本政府としては二つの問題を解決して置くことが必要であつた。一つは膠州湾に関する問題でありもう一つは堆積して来てゐる日支間の諸懸案の解決だ。外相加藤は十一月十二日に日置公使に帰朝命令を発し、日支交渉に関し打合せることになつた。丁度この頃支那政府は、我駐支軍司令官に対し軍隊の撤去を要求し(十一月十八日)、また翌年(大正四年一九一五年)一月八日に至り、公式に山東省交戦地域撤廃を宣明し、日本兵の即時撤退を要求して来た。日本は固よりこれに抗議したが、この事はその少し以前に起つたところの青島税関吏問題(税関吏任命に関し日本の諒解なくして断行した事件)と共に、日本国内の輿論を駆つて、日支交渉開始に向けることになつた。
 かくして日本が大正四年(一九一五年)一月十八日に支那政府に提議したものが、世に有名なる所謂廿一ケ条の要求である。この対支要求は、五つの条項から成つて居り、その項目は総計二十一ある。即ち(イ)山東省に関する項目が四つ、(ロ)南満洲及び東部内蒙古に関する項目が七つ、(ハ)漢冶萍公司に関する項目が二つ、(ニ)沿岸不割譲に関するものが一つ、(ホ)その他の条項七つである(註二七)。
○中略
    第五節 対支要求の描いた国際的波紋
 日支交渉に関する詳細なる訓令を受取つて北京に帰任した日置公使は大正四年一月十八日、袁世凱に会見し右要求を提出した。
 前述の如く支那は従来、しばしば列強の要求を突きつけられ、しかも悉くこれを受諾してゐる。廿一ケ条が仮に全部要求であつても――加藤は最初から第五号要求を通す意志はなかつた――それは露・仏・独・英の諸国の要求に比し決して苛酷なるものではなかつた。それは支那の宗主権を侵害するものでもないのである(註二八)。しかも事実問題としては支那の上下は、恐らくは最初の対外的敵愾心を示した。これは他の理由と共に、支那の民族主義が漸く覚醒期に向つたことを示すものであり、これを日本からいへば、日本が歴史の不可避な事情によつて、支那経営の著手が時期において遅れて出発したことの不幸
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を語るものであつた。
 右の要求条項を中心に日置公使と支那全権陸徴祥との間に談判を重ねること四ケ月、廿六回。支那は関東州租借期限延長だけはこれを承認する意向を示したが、東部内蒙古に関する問題及び第五号の諸問題については、絶対に交渉に応ずることを拒んだ、そこで我政府は四月廿六日、修正案を提出し譲歩をなしたが、支那はなほこれに応じない日本政府も流石に業を煮やして、元老会議と御前会議とに諮つた後、五月七日を以て最後通牒を発し、第五号を除く全修正案について承諾を迫るに至つた。
 この頃になると世界は、日本に対しその所謂廿一ケ条問題で囂々たる非難を浴せた。その非難は二つに分け得るであらう。一つは要求そのものに対してであり、他は手続きについてであつた。前者については英国政府は数回に亘つて日本の反省を求め、米国も亦日本に質問を発して来た。後者については、日本は対支要求の内容について欧米諸国(英・仏・露・米)に内示したが、その中には第五号七ケ条がふくまれて居らず、これを秘密にしたといふことが新聞で問題になつた。加藤としては交渉上の都合から希望条件として提出したとも云はれるが(註二九)、支那側は勿論として諸外国も、右は各国の思惑を懸念しての結果だと考へた。支那はこの点を利用して盛んに煽りたて、外国の同情を得ると共に、その干渉を誘致せんとした。
 加藤は、しかしかうした困難に屈しなかつた。この問題について、かれが心に期するところあつたのは昨今のことではない。大正元年十二月、桂公が第三次内閣組織の大命を拝するや、当時ロンドン駐在大使たりし加藤に、外相就任の招電を発した。かれは桂に対し「予は決して好んで軍部の希望を斥ける意志なきも、しかも外交は予の指揮、予の政策に統一服令さるべきこと」を提議して、公の無条件応諾によつて入閣を決めたのである(註三〇)。かれがロンドンを去らんとするや、一月三日及び十日の二回に亘り外相グレーと会見し、関東州の租借期(原条約によれば廿五ケ年で一九二三年〔大正十二年〕満期)南満鉄道(卅六ケ年、一九四〇〔昭和十五年〕に支那は買収し得る)安奉線(一九二三年〔大正十二年〕満期)の特許期限延長について諒解を求めて置いた。これに対しグレーは、加藤自身の手記によれば、「何等反対の意見を述べざりしと同時に、著しく会心の模様も見えざりき」(註三一)といふ事実があつた。加藤としては、かねてから日支間に紛争がたへないのは「満蒙における日本の優越的地歩と条約上の諸権利が符合しない」ためであつたと考へたから、この際、解決して置くことは絶対に必要だと信じたのである。
 日支問題の解決は、必要だとは考へたが、かれは飽くまで外交手段による解決を主張した。支那の不誠意が明白になつて、威圧手段を決心した場合においても、その範囲は「条約に規定された兵員までの充実」に限つた。新民屯出兵について、岡陸相が単独に上奏して御裁可を得るや、加藤は烈火の如く憤つて、即刻 陛下に拝謁して陸相の上奏を取下げて了つた。かれが支那に示した強圧手段は、三月初旬、折しも満洲駐屯の師団交代期を利用し、かつ北清駐屯軍を、条約規定兵
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数の限度まで増員した程度に止まつた。民間には例によつて武断論が野火のやうに燃えてゐた。
 日本が発した最後通牒をめぐつて、二つの話題がある。一つは最後通牒は袁世凱の要求によるといふことである。即ち袁としては要求に異議はないが、国論の手前として、且袁は皇帝になる野心あり、これに対する日本の好意を希望する意味から「日本が最後通牒を出してくれ」といつたといふ説である。加藤は第卅六議会で「支那側から最後通牒を一本出して貰ひ度いとの要求があつた」旨を答へて居り、同じことを他の論者もいつてゐる(註三二)。もう一つの事実は、日本が最後通牒を交付する前、即ち五月六日深更に支那は日本側最終条件を承認すべき旨を申し出でたので、日置公使は東京に、最早最後通牒を発する必要なかるべしと思考する旨電報したが、東京からは既に関係四国(英・米・露・仏)の代表者に通告済であるから、さきの訓令通りに通牒を交付すべしと云つて来たとの事実である(註三三)。
 日本の最後通牒に対し支那政府はこれを承諾した。支那の国務会議においては最後まで武力抗争をなすべしとの硬論もあつたが、しかし最後通牒に於ては最も重大な要求(第五号)が撤回されて居つたために、強論を主張した軍人派も日本との開戦を断念し、通牒受諾に同意を表したのである(註三四)。この結果、新条約は大正四年(一九一五年)五月廿五日、北京で調印されたのであるが、その内容は左の六種である。
 一、山東省に関する条約
 二、南満洲及び東部内蒙古に関する条約
 三、漢冶萍公司に関する公文
 四、福建省に関する公文
 五、支那沿岸不割譲に関する声明
 六、所謂第五号案の他日の商議約諾
○中略
 所謂廿一箇条の要求を中心とする加藤の外交が適正であつたかどうかは、その当時から絶えず問題となつたことであつた。加藤が武力干渉の圧力を排して日支懸案解決を目ざし、しかも飽くまで外交手段によつて終始したことは高く買はねばならぬ。支那がその後、該条約を以て(一)最後通牒によつた事、(二)必要機関の同意を得ざりしとの二理由を以て無効を主張したが、これは固より法律論としても無力である。仮令、最後通牒を突きつけても、対手をして納得調印せしむるの利益は、説明するまでもないことである。だが同時に、かれはその外交手続きにおいて少くとも二つの失策をなしたことは認められなくてはならぬ。第一はその要求中の第五号を取りあげたに拘らず、これを関係列国に示さなかつたことだ。加藤がいつてゐるやうに、今まで列国が支那に対し要求する場合に、日本に内示した国のなかつたのは事実だ。それならば加藤は、その例に倣つて寧ろ全然通告しなければよかつたのではないか。それが要求であらうが、希望であらうが、少くとも一部を秘したかにとられたことは、注意深い加藤としては不覚であつた。第二には最後通牒問題である。加藤もいふやうに、それ
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は外交上合法正当なる行為である。しかしその政治的影響は、それとは別に考へなくてはならぬ。況んや前述の如く、その方法によらずとも目的達成の可能性があつたにおいてをやだ。この点について政治家的加藤の面目が十分発揮されなかつたことを惜まなくてはならぬ(註三六)。
    第六節 条約による国際的地固め
 欧洲において死活の戦争が行はれてゐる。日本は聯合国に与して参戦したけれども、僅かに山東省と海軍の一部に兵を動かしただけで、なほはち切れるやうな力を貯へてゐる。既に支那に対しては、その新条約によつて権益を確保した。日本は欧洲列強の支那侵略が始まつて以来二十年間(明治廿八年――大正四年)、長城以南において何等自ら得るところがなかつた。今やその足場を得た。欧洲諸国の力が稀薄になることは、自然に日本が膨脹することであつた。
 つぎに日本が当然打つべき手は、この成果を列国をして承認させることであつた。この事は二重の理由によつて必要であつた。一方において日支新条約については、所謂廿一ケ条要求から捲き起つた列国、殊に英、米の反対があつた。他方においてその中に規定された山東問題は、他の南洋問題と共に当然世界大戦の講和会議に上程さるべきものである。日本は予めこれ等の問題について、列国との諒解を得て置かなくてはならぬ。
○中略
    第七節 石井・ランシング協定
 かうして各国に対する工作は出来あがつた。日本の支那における優越的位置を認めないのは唯アメリカ合衆国だけである。日本の努力は自然にこの方面に向けられた。この結果、出来あがつたのが石井・ランシング協定である。
 石井菊次郎が大正六年(一九一七年)特派全権大使として米国に赴いたのは、最初の目的は必ずしもさうした協定を結ぶためではなかつた。世界大戦に米国が参加したので、日本も聯合国の一員としてこれを祝福し、かつこの際、出来ることなら日米親交の障礙になる虞ある案件を解決せんとするにあつた。石井が米国に行つてみると、日本に対する人気が非常によい。大統領ウイルソンに逢つた時に小当りを試みると、支那問題について何かの諒解に達する十分な脈がある。そこで思ひ立つて、支那における勢力範囲の問題を持ち出したのである。
○中略
 大正六年(一九一七年)十二月二日、日米共同宣言の公文が国務省において取換はされた。これが俗に石井・ランシング協定と称せらるるもので、主要部分は左の如くである。
 日本国及合衆国両政府ハ領土相接近スル国家ノ間ニハ特殊ノ関係ヲ生ズルコトヲ承認ス、従テ合衆国政府ハ日本ガ支那ニ於テ特殊ノ利益ヲ有スルコトヲ承認ス、日本ノ所領ニ接壌スル地方ニ於テ殊ニ然リトス。
 尤モ支那ノ領土主権ハ完全ニ存在スルモノニシテ、合衆国政府ハ日本国ガ其ノ地理的位置ノ結果、右特殊ノ利益ヲ有スルモ、他国ノ通
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商ニ不利ナル偏頗ノ待遇ヲ与ヘ、又ハ条約上支那ノ従来、他国ニ許与セル商業上ノ権利ヲ無視スルコトヲ欲スルモノニ非ザル旨ノ日本政府累次ノ保障ニ全然信頼ス。
 右の宣言の眼目は云ふまでもなく「日本が支那に於て特殊の利益を有することを承認す」といふにある。初め石井は「特殊利益」をパラマウント・インテレスツ(Paramount interests)と提言したが、ランシングはこれに反対し、更にスペシアル・インテレスト・エンド・インフルュエンス(Special interests and influence)なる文句を用ひんとしたが、これにも難色があつた。結局右の如くスペシアル・インテレスツに落着いたのである。(註四六)。
 その後、この「特殊利益」の解釈が、日米両国において同じからざることが明かにされた。ランシングは、それは政治的意義を含まざるものとの解釈をとり、また所謂「廿一ケ条の要求」を裏書きするものでは決してないといつた(註四七)。これに対して石井は「米国政府の承認したるものは主として政治的である……然らずんば日米共同宣言は無意義となるべし」といつてゐる(註四八)。だが、さうした法律的解釈は何れにしても、日本が支那に対する新要求を貫徹した後において、所謂廿一ケ条要求を攻撃することに最も猛烈であつた米国が日本の特殊位置を認めたことが、日本の東亜における優越性が、ここに確立したことを示すものである。解釈は最早大した問題ではない。日本は必要あらば、自己の解釈によつて行動することが出来るのだ。(この石井・ランシング協定はワシントン会議後、大正十二年〔一九二三年〕四月十四日に廃棄された。)
    第八節 西比利亜出兵と西原借款
日本の東亜における位置は、以上の如き外交的交渉によつて、満潮における巨船の如く向上して行つた。これを仮に国際的正攻法と名づけてみやう。これに引続いて、二つの近道を切る方法が試みられた。西比利亜出兵と対支借款(所謂西原借款)がそれである。国家も個人もその得意の時代において、止まるところに止まつて、自ら謙抑することの困難なことを示す例である。
○中略
 この西比利亜出兵の成果については加藤高明(憲政会総裁)が、貴族院において為した質問演説(大正十一年一月廿三日)が最もよく説明してゐるであらう。「此の四年間の西比利亜駐兵は、外は列国の不信を招き、露国の怨恨を買ひ、内は陛下の干城を長く異域の地に曝し莫大なる国帑を浪費し、而して何一つ国家に利益を齎らすことの無かつた外交上稀に見る失政の歴史であると申すの外ないのであります」だが、その失敗がここに止まつたのは、当時、議会と新聞雑誌に批判があつて、これによつて上下が反省したのもその一因であらう。吉野作造が「中央公論」誌上に張つた論陣の如きは最も痛烈なものであつた。
 寺内内閣が為した他の外交は、所謂西原借款に現はれてゐる。寺内首相は個人西原亀三を使者として段祺瑞政府と大借款を締結した。大正六年から翌七年の間に成立した借款が七種類一億四千五百万円に達
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した。これは認められたる政府と政府との間に諒解された借款であるから、それ自身非難するには当らないが、ただそれには確実なる担保がなく、支那の如く政情不安な国を対手としては、いかにも冒険に過ぎるものであつた。それがために殆んど元利一文も還つて来ない状態で、結局、その貸附銀行団に対しては、大蔵省預金部が、この西原借款の肩代りをすることになつた(註五)。
 西原借款は暴挙の別名のやうに攻撃されて来て居る。いかにも思慮と手続きにおいては欠けてゐる。だがかうした外交上の失敗は、全部失敗しても借款金額を失ふに止まる。事実は日本からの顧問が這入り工業品の註文も来て、何分かの利益があつた。固より西比利亜出兵と共に談ずべきではない。
    第九節 パリ講和会議と日本
 四年四ケ月の日子と、八百万の戦死者と、二千万の負傷者を出した欧洲大戦は、一九一八年(大正七年)十一月十一日を以て休戦状態に入つた。続いて翌年一月からパリにおいて講和会議が開かれることになつた。日本は英・米・仏・伊の四大国と共に、重要なる位置を占めた。
 日本の全権は、本国からは侯爵西園寺公望、子爵牧野伸顕を派遣しこれにロンドン駐剳大使珍田捨巳・パリ駐剳大使松井慶四郎・ローマ駐剳大使伊集院彦吉を加へた。○中略 会議の書記局に通告した人員のみでも、英国は百八十四名、仏国は百三十六名、米国は百八名、日本は六十四名といふ多人数であつて、その規模の大を知るに足る。講和会議に参加した聯合国の数は総計廿八ケ国であつた。
 日本は最初から、純粋なる欧洲問題について容喙する意図はなかつた。また世界新秩序を目的とする国際聯盟についても積極的な興味も準備もなかつた。○中略 しかし、日本は東亜に関する限りは、既に実質的に、外交的に準備が出来てゐて、全権も日本の主張が通らなければ途中から引きあげるかも知れない決心を有してゐた(註五四)。
 日本の要求は大体三つからなつてゐた。第一には膠州湾還附問題であり、第二は赤道以北の旧ドイツ領諸島の処分問題であり、第三は国際聯盟規約の中に人種平等主義を挿入することである。○中略
    第十節 膠州湾還附問題の紛糾
 前にも書いたやうに、膠州湾は欧洲大戦が開始されると共に、直ちに日本により攻略され、日本は講和会議までに諸種の手続きを履んでゐた。最初、日本は対独最後通牒において、膠州湾租借地はこれを支那に還附する目的を以て日本に交付することを宣明した。この態度は根本的にはその後一貫して変更しなかつたが、これを攻略するために払つた犠牲の大なるに顧み、そこには当然諸種の条件があつた。この処分について(一)一九一七年のロンドン協約において、日・英・仏伊・露五国間に戦勝分前が内約されて居り(この密約は講和会議の時に始めて公式に発表されて米国を驚かした)、(二)一九一五年五月廿五日の日支交換公文(所謂廿一ケ条々約)及び一九一八年九月廿日の日支取極(山東鉄道に関する)に於て大綱的方針が決定してゐた。
 日本全権牧野伸顕はこれ等の約束を基礎として、一九一九年(大正
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八年)一月廿七日の五ケ国会議において山東省におけるドイツ権利の無条件譲渡を要求した。然るに支那全権顧維釣は廿九日の同会議において発言を求め、これ等の権益を直接支那に還付すべきを要求したのみならず、所謂廿一ケ条条約全部の無効を主張して来た。支那側の主張の要領は左の如くであつた(註五七)。
 一、間接還附(日本がドイツから受取つて更に支那に還付する事)は二重の手間である。
 二、日本全権が採用し、論拠とするところの一九一五年の取極は最後通牒による脅迫に基くものである。
 三、右は大戦から発生したものであるから、講和会議の最終判定に委すべき暫定的取極に過ぎない。
 四、右取極を仮に有効とするも、支那の対独宣戦(一九一七年八月十四日)は「事情を変更」したもので、支那の対独還附要求を妨げない。
 五、対独宣戦に依つて独支間一切の条約協定は消滅し、旧ドイツの権利一切は支那に復帰した。
 六、租借条約には他の第三国に転租を禁じた明文が存する。
 支那はこの議論によつて相当な共鳴者をかち得たのは事実であつた(註五八)。支那はウイルソン大統領が声明した十四ケ条の平和原則にその民族的要望の逃げ場を発見し、自己は何等の犠牲を払はずに、一挙にして山東省旧ドイツ権益の回収と、所謂廿一ケ条条約を破棄せんと欲したのである。支那が国際会議において、かうした積極的態度に出たのは最初であり、その諭旨の是非は別として民族的意識が漸く昂揚されて来たのを見るべきだ。支那の宣伝はまづ米国に対して集中された。このために米国の朝野は殆んどあげて支那側に同情したのであるが、米国全権の内部においても明かに二派に分れた。ウイルソン、ハウス等は、日本の主張に耳を傾けたが、国務長官ランシング、極東問題委員会首席顧問ウイリアムズ、ブリス将軍等は支那を支持した。その後、米国が国際聯盟参加を拒絶したのは、この山東問題が有力なる一因であつた。これに対して英仏、特に英国は山東問題に努力し、次に掲ぐる山東問題の取極めの覚書も英国全権バルフォアに依つて起草されたものである(註五九)。○中略
 米国大統領ウイルソンは、この問題の故に日本が会議より脱退せんことを懸念した。当時イタリーは、既にフューメ問題に関する不満の故に、本国に帰つてあらず、その上に日本が去らば、その国際聯盟案は全く失敗する懼れがある。去らばとて国内輿論の反対は囂々たるものがある。そこで日本をして「日本の政策は唯ドイツの享有せし経済的特権並に青島に、一般条件の下に、一居留地を設定するに止まり、山東半島を完全なる主権に於て支那に還附するに在り……」との宣言を発表せしめ、ここに妥協案は成立した。
 かくて山東問題は片づいたが、これには二つの問題が附随した。一つは支那がパリ講和条約に調印しなかつたことである。他は米国が所謂廿一ケ条条約を否認したことである。そして、この結果は支那と米国とが、膨脹する日本に対し、自然に感情的に結成し来たり、この米
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国の支那支持がまた支那をしてスポイルド・チャイルドに追ひ込む機縁を作つた。支那はそれから常習的に排日運動に入ることになつた。
所謂廿一ケ条要求に関する日本の最後通牒の発せられた五月七日を以て国恥記念日と定め、更にボイコツトが続出したのも、このパリ会議を原因とした(註六一)。
○下略
   ○引用註記ハ略ス。