デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.416-436(DK550078k) ページ画像

大正15年6月5日(1926年)

是ヨリ先、上海総商会会長虞洽卿ヲ団長トスル中華民国実業団来日ノ報アリ、五月十四日及ビ二十四日、当協会幹事会ヲ開キ、其款待方ニツキ協議ス。栄一、ソレゾレ出席ス。

是日、当協会及ビ日華懇話会ノ共同主催ニヨリ、飛鳥山邸ニ於テ、右一行歓迎午餐会開カル。栄一、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。同日夜、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会幹事ト実業団代表者トノ懇談会開カレ、栄一出席ス。

次イデ八日、栄一、虞洽卿等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催シ、当協会副会長児玉謙次等ト共ニ、日中親善方策ニ関シ、意見ノ交換ヲナス。


■資料

渡日上海実業団書類(DK550078k-0001)
第55巻 p.416-417 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
 - 第55巻 p.417 -ページ画像 
拝啓
    支那実業団渡日ノ件
上海総商会々長虞洽郷氏外同地有力実業団《(虞洽卿)》ハ、左記神戸商業会議所宛上海商業会議所来信ノ通リ、一行約三十五名本月二十日上海発渡日ノ予定ノ旨申来リ候処、其後一行ノ出発ヲ一ケ月延期シ、上海以外漢口南京等ノ各地ヨリモ団員ヲ募集スル事トシ、五月二十日頃渡日ノ予定ノ旨上海商業会議所ヨリ商業会議所聯合会宛、左記ノ通リ来電有之候
左記
    一、支那実業団渡日ニ関スル件(四月八日付神戸商業会議所宛上海商業会議所来信)
 拝啓 先般来種々御配慮ニ預リ候首題ノ件ニ関シ御申越ノ次第、上海総商会ニ仔細伝達ノ上、是非共実現為致度希望ヲ以テ極力慫慂致候処、総商会々長虞氏自ラ進ンデ実行ヲ言明シ、目下同行者募集中ニ有之、明後十日頃人員確定ノ筈ニテ、其際人名判明可仕、孰レモ当地有力実業家ニシテ人員ハ約二十名位ナル可シト申居候、尚此外別派トシテ、隠レタル方面ノ有力者ヲ以テ一団ヲ組織スル計画ヲ進メ居候、其人員ハ約十五名位ナル可ク、同船出発渡日後ハ両者一団ト為サシムル考ニ付、其点御含ミノ上歓迎準備願度、当面ノ問題トシテ汽車乗車賃大割引交渉御決定賜リ度、一行当地出発ハ四月二十日頃トナル予定ニ御座候
    二、商業会議所聯合会ヨリ
      上海商業会議所宛電文(四月十四日付)
 本聯合会ハ虞洽郷氏等実業家《(虞洽卿)》ノ一行ノ渡日ヲ衷心ヨリ歓迎ス、其旨形式ヲトヽノエ御伝達ヲ乞フ、準備ノ都合アリ何日何丸ニテタチ、何日間タイザイノ予定ナリヤ、又従者共人数東京ヘ電報セヨ、尚世話役トシテ貴所書記長御同行アリタシ、「プログラム」ハ当方ニテ作ル
    三、上海商業会議所ヨリ商業会議所
      聯合会宛返電(四月十六日入電)
 貴電ノ趣正式ニ当地総商会ニ伝達シタルトコロ、深甚ノ謝意ヲ表シ且ツ広ク各地ノ有志ヲ募リ、五月二十日頃渡日スル旨回答アリ、委細文
本件ニ関シ東京商業会議所ニテハ、当地ニ於ケル一行歓迎準備ノ為メ特ニ委員ヲ設ケ、去ル十六日第一回委員会ニハ東京会議所側ヨリノ申入ニ依リ、協会ヨリモ書記長出席致候、何レ上海商業会議所ヨリ仔細通信有之候上、御報告可申上候 敬具
  大正十五年四月二十二日        日華実業協会
   会長
    子爵 渋沢栄一殿


渡日上海実業団書類(DK550078k-0002)
第55巻 p.417-419 ページ画像

渡日上海実業団書類           (渋沢子爵家所蔵)
  大正十五年四月卅日
                     日華実業協会
    子爵 渋沢会長殿
拝啓
 - 第55巻 p.418 -ページ画像 
    支那実業団渡日ニ関スル件
右ニ関シ曩ニ御報告申上置候処、其後上海商業会議所ヨリ商業会議所聯合会宛、左記書信ニ接シ候間不取敢入貴覧候、右書信ニ依レハ目下上海・漢口・南京・鎮江・福州等、其他重要郡市ノ有力実業家ヲ糾合中ニテ、名実共ニ代表的実業団体ト為ス事ヲ期シ居リ、五月二十日頃渡日ノ予定ノ趣ニ候
  四月十七日付商業会議所聯合会宛上海商業会議所来信
    中華民国実業団渡日ニ関スル件
拝啓 益御清栄奉賀候
陳者首題ノ件ニ関シ、先般来格別ノ御配慮ヲ蒙リ難有奉深謝候、本件ニ就テハ当所ハ神戸商業会議所鹿島会頭ヨリノ御申越ニ基キ、上海総商会ニ其旨口頭伝達ノ上是非共実現被致候様極力慫慂致居候折柄、同二十四日東京商議ニ於テ開催被致候貴聯合会第四十七回常任委員会ニ於ケル御決議ノ次第承知致候ヲ以テ、三月二十九日正式ニ右総商会会長宛案内状ヲ発シ申シ候処、先方ニ於テハ深甚ノ謝意ヲ表シ、且ツ単ニ上海ノミナラス、漢口・南京・鎮江・福州其他ノ重要都市ノ有力実業家ヲ糾合シ、名実共ニ支那実業界ノ代表団体タラシメンコトヲ期シ爾来之等各地総商会宛専ラ勧誘中ニ有之、従テ当初四月二十日頃上海発赴日ノ予定ナリシ処、広ク各地ヨリ参加ノ事トナリタル為メ出発期ヲ一ケ月延期シ、五月二十日頃渡日ノ運ト可相成、其出発期日・汽船名・日本滞在日数・人員数等、先般以電報御紹介相成候点ニ就テハ確定次第、準備ニ御差支無キ様予メ電報可仕、尚一行世話役トシテ当会議所ヨリ安原書記長ヲ同行為致可申、諸事貴方ト打合ノ上万遺漏ナキ様取計ハシムル事ト致可申候、次ニ当方三月二十九日附正式案内状ニ対シ、上海総商会ヨリ四月十五日附ヲ以テ、別紙写ノ通リ鄭重ナル礼状有之候ニ付、貴聯合会常任委員各位ヘ可然御披露賜リ度、尚本月十四日貴電ニ基キ多少重複ノ点アリタルモ、更ニ貴方特別ノ御誠意ヲ伝フノ一層有意義ナルヲ信シ、去ル十五日(貴電接手ノ翌日)重テ貴電ノ趣前記総商会ニ伝達致置候条、然様御了承被成下度、此段右御通知旁得貴意候 敬具
  大正十五年四月十七日
                 上海日本商業会議所
                   会頭 田辺輝雄
    商業会議所聯合会々長宛
(別紙写)
  一九二六年四月十五日
写                     上海総商会々頭
    上海日本商業会議所会頭宛
三月二十九日附尊書拝見仕候
大阪ニテ開催中ノ電気大博ニ付、博覧会当事者及ビ貴国著名商業会議所ノ御懇篤ナル思召、誠ニ難有奉感謝候
早速視察団組織ニ着手、目下国内重ナル実業団体ニ電照中ニ有之候
一行ハ五月二十日ニ上海出発ノ予定ニ有之候得共、何レ人員確定ノ上ニテ御一報可申上候
 - 第55巻 p.419 -ページ画像 
種々ナル御準備ニ対シ何卒博覧会当事者、日本商業会議所聯合会及ビ神戸商業会議所ヘ宜敷御伝声被下度御願申上候


日華実業協会往復(一)(DK550078k-0003)
第55巻 p.419 ページ画像

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集会日時通知表 大正一五年(DK550078k-0004)
第55巻 p.419 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
五月十四日 金 正午 日華実業協会幹事会(同会)


日華実業協会第六回会務報告書 第一二頁大正一五年一二月刊(DK550078k-0005)
第55巻 p.419 ページ画像

日華実業協会第六回会務報告書  第一二頁大正一五年一二月刊
    役員会並ニ諸会合 (大正十五年一月以降)
○上略
幹事会 五月十四日正午、協会事務所ニテ開会シ、渋沢会長・児玉副会長、白岩・安川・森・奥村・森・角田・倉知・荻野・入江・白仁天宅各幹事出席ノ上、左記事項ヲ協議セリ
 一、上海各支那新聞社一行並ニ支那電気事業関係実業団及民国実業団入京ニ就キ、之ガ歓待方法ニ関スル打合ヲ為シ、民国実業団ニ対シテハ六月五日正午飛鳥山渋沢子爵邸ニ於テ歓迎午餐会ヲ開ク事ニ決定ス
 一、支那特別関税会議並ニ支那時局ニツキ、意見交換ヲナシテ散会ス
○下略


日華実業協会往復(一)(DK550078k-0006)
第55巻 p.419-420 ページ画像

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集会日時通知表 大正一五年(DK550078k-0007)
第55巻 p.420 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年     (渋沢子爵家所蔵)
五月廿四日 月 正午 日華実業協会幹事会(同会)


日華実業協会第六回会務報告書 第一二頁大正一五年一二月刊(DK550078k-0008)
第55巻 p.420 ページ画像

日華実業協会第六回会務報告書  第一二頁大正一五年一二月刊
    役員会並ニ諸会合(大正十五年一月以降)
○上略
幹事会 五月二十四日正午、事務所ニテ開会シ、渋沢会長・児玉副会長、白岩・安川・森・角田・荻野・森各幹事出席ノ上、民国実業団招待会ニ関スル打合ト共ニ、支那関税会議ニツキ意見ヲ交換セリ
○下略


渡日上海実業団書類(DK550078k-0009)
第55巻 p.420 ページ画像

渡日上海実業団書類          (渋沢子爵家所蔵)
 正賓
謹啓
愈御清福奉欣賀候、這回遠路弊邦御訪問相成候ニ就テハ、聊カ御旅情ヲ慰シ歓迎ノ微意ヲ表スル為メ、粗餐拝呈致度候間、御繁用中御迷惑トハ奉存候得共、来ル六月五日正午時、飛鳥山渋沢邸ニ御枉駕ヲ賜ラバ光栄ノ至リニ御座候 敬具
  大正十五年五月二十二日   日華実業協会
                 会長 子爵渋沢栄一
                日華懇話会
                 幹事 藤山雷太
                    森弁治郎
       殿
  ○陪賓及ビ会員一般宛案内状略ス。


竜門雑誌 第四五四号・第一〇五号大正一五年七月 青淵先生動静大要(DK550078k-0010)
第55巻 p.420 ページ画像

竜門雑誌  第四五四号・第一〇五号大正一五年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
五日 渡日民国実業団歓迎会(曖依村荘)日華実業協会催渡日支那実業団長虞洽卿氏等と非公式懇談(東京銀行倶楽部)
六日 民国特命全権大使招待会(帝国ホテル)○下略
  ○中略。
八日 渡日民国実業団長虞氏外七氏等協議会(曖依村荘)○下略

 - 第55巻 p.421 -ページ画像 

集会日時通知表 大正一五年(DK550078k-0011)
第55巻 p.421 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
六月五日 土 午前十一半時 渡日支那実業団歓迎会(飛鳥山邸)
       午後六時   支那実業団代表虞氏ト懇談会(銀行クラブ)
六月六日 日 午後十二半時 中華民国特命全権大使招待会ヘ御臨席
              (帝国ホテル)
  ○中略。
六月八日 火 午前十一時 民国実業団長虞氏、外七名招待午餐会(飛鳥山邸)


日華実業協会第六回会務報告書 第一三―一四頁大正一五年一二月刊(DK550078k-0012)
第55巻 p.421 ページ画像

日華実業協会第六回会務報告書  第一三―一四頁大正一五年一二月刊
    役員会並ニ諸会合(大正十五年一月以降)
○上略
民国実業団入京 歓迎午餐会並ニ懇談会、上海総商会々長虞洽卿氏ヲ団長トスル民国実業一行十九団名予定《(マヽ)》ノ如ク六月二日朝入京
協会及支那懇話会聯合歓迎午餐会《(マヽ)》 六月五日午前十一時半、王子渋沢子爵邸ニ於テ催ス
出席者主賓五十一名、陪賓十二名、各会員側四十名ノ多数ニテ、食後渋沢子爵ノ歓迎ノ辞及虞団長ノ答辞アリ、歓談裡ニ午後四時半散会ス
六月五日午後八時ヨリ、銀行倶楽部ニ於テ、協会幹事及民国実業団代表ト懇談会ヲ開ク
 出席者協会側 渋沢子爵・児玉謙次・安川雄之助・森広蔵・奥村政雄・白岩竜平・白仁武・森弁治郎・角田隆郎・荻野元太郎・河野久太郎ノ諸氏及油谷書記長
 民国実業団側 虞洽卿・余日章・謝仲笙・郭東泉・袁履登・郭外峰・銭孫卿・顧子槃・譚明卿・陳文生・楽振葆ノ諸氏
 相互ニ隔意ナキ意見交換ヲ行ヒ、後十一時四十分更ニ再会ヲ期シテ散会ス
六月八日午前十一時ヨリ、実業団代表虞氏外余氏・郭氏三名ハ予定ノ日光見物ヲ見合セ、王子ニ渋沢子爵ヲ訪問シ、意見ノ交換ヲ為シ、後四時半邸ヲ辞ス、当日児玉副会長、白岩・角田両幹事及油谷書記長出席ス
○下略


日華実業協会第六回会務報告書 第四―六頁大正一五年一二月刊(DK550078k-0013)
第55巻 p.421-422 ページ画像

日華実業協会第六回会務報告書  第四―六頁大正一五年一二月刊
    第六回重要会務報告 大正十五年一月以降
○上略
  一、民国実業団ノ来朝
 本年五月上海総商会長虞洽卿氏ヲ団長トスル民国実業団一行ガ、我カ全国商業会議所聯合会ノ招請ニ応シ入京致シマシタカ、団員ハ上海ニ於ケル総商会代表及南京商会・各業組合・各路聯合会ノ代表者及ヒ長江各地ノ総商会代表ヲ含ミ、其他満洲ヨリ奉天、北支地方ヨリハ北
 - 第55巻 p.422 -ページ画像 
京・天津ノ諸総会モ加ハリ、時局ノ関係上自ラ参加不能ノモノハ代表権ヲ委任シ、一行五拾八名ノ多数ニ上リ、各地ノ有力者ヲ網羅シ、明治四十四年我カ有力ナル実業団一行ノ渡支以来久シク絶ヘタル両国実業団交歓ノ復活ヲ見タル次第テ、国交上ニモ多大ノ効果ヲ収メタル次第テアリマスカ、一行ハ単ニ観光ノミニ止ラス、之ノ機会ニ国民相互ノ感情融和、及ヒ両国実業提携ニ対シ、相当ノ抱負ヲ懐キ、我各方面ト意見交換シ度キ意嚮ノ旨看取サレマシタノデ、当協会ニ於キマシテハ予メ斯カル場合ニ於ケル対策ニツキテモ協議シ置キタル上、一行代表者トノ間ニ懇談会ヲ開キ、右等ノ諸点ニ関シ、充分懇談ヲ遂ケ、其ノ結果実業上ノ提携ニ関シ、一ノ提案ヲ為シ、一行代表者ハ之ニ対シ追テ具体案ヲ回示スルコトヲ約シテ別レマシタ次第テアリマス
 尚支那懇談会《(マヽ)》ト聯合ノ上飛鳥山渋沢会長邸ニ於テ一行ノ歓迎午餐会ヲ催シマシタガ、之等ノ詳細ハ別ニ実業団来朝記録ヲ編纂シ、会員各位ニ配布致シマシタカラ御覧ヲ願ヒマス
○下略


時事新報 第一五四二〇号大正一五年六月六日 支那実業家を迎へて 経済提携の論議 仲裁制度と不平等条約撤廃(DK550078k-0014)
第55巻 p.422-423 ページ画像

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支那時報 第五巻第一号大正一五年七月 渋沢子爵歓迎演説(DK550078k-0015)
第55巻 p.423-426 ページ画像

支那時報  第五巻第一号大正一五年七月
    渋沢子爵歓迎演説
 閣下諸君、今日は日華実業協会及日華懇話会の催で、此度我実業界御視察の為め中華民国実業家の皆様方が、大勢御申合の上一団を造つて御越しになりましに付て、宜い機会と思ひましたので、只今申上げましたやうな団体が、此所に小宴を設けて尊来を請うた訳でございます。折角尊来を戴きましても、御宿をした私の家が甚だ狭くて、多数の主賓を御待遇申すに甚だ不充分であることを甚だ遺憾と致します。けれども私自身に於ては、此上もない喜びと致して居るのでございます。玆に団体を代表しまして、其喜を加へて一言の御礼を申上たいと思ひます。特に長々と申上げますことを略して、心に思ふことを簡単に述べ、殊に尊来の団長其他の諸君に能く御諒解を請ひたいと思ひますが、凡そ物事は多少の懸念をしたことが十分に理解され、且又未来に斯る事がないだらうと云ふことを、想像を以て申す程喜ばしいことはございませぬ。今迄私は各種類の御客に度々御面会したことがございます。歓迎の演説をしたことも少からずございますが、今日は其中で最も愉快に、最も勢宜く、歓迎の言葉を述べ得るやう思ふのでございます。それは今も申した通り、従来に多少曇つた有様があるのは、此雲は確に除れ得るだらうと云ふ想像、又其除れるに付て未来は更に宜い花が見られるだらう、宜い月が眺められるだらう、と云ふ希望を持つからでございます。
 中華民国と我国との国交が、今私の喋々を要する迄もなく実に古い歴史を持つて居ると云ふことは、満場の諸君の御承知の通りであります。而して日本は従来民国の文化に負ふ所が多いのでございます。之も皆様御承知のことである。併し世が段々変化し進んで参るに付ては未来はどうであらうかと云ふことは、唯単に文化が先であるとか、後であるとか云ふ様なことを論ぜずに、御互に力を合せ、大に進んで行かなければならぬと云ふことは、私の私言ではなく、両国を通じた公論であらうと思ふのでございます。殊に種々なる学問の進歩から、世界が段々に狭くなるに随つて、民族的関係、地理的関係に付て、東洋の我々も唯ぢつと安閑として居られぬので、種々なる方面から自分を進めて、我地位を高めなければならぬと云ふことは、貴国の諸君も又
 - 第55巻 p.424 -ページ画像 
我日本の人々も、共に望んで居る所でこざいます。併し或場合には、どうかして共存共栄の観念を以つて《(捨てゝカ)》、唯我独り宜かれと云ふ様な、双方思入れがございまして、或はそれに誤まられたと云ふことも、必ずしもなきにしもあらずと云はざるを得ませぬ。殊に我々の如き老人は別して其事を苦痛に感じてるのでございます。今日尊来の皆様方は、早く既に此事に着目されて、今日迄の有様ではいかぬ、どうしても東洋の文化を進めるには、経済的に日本と力を合せなければならぬと云ふことを深く観察し、且つ断定された為め、我日本の経済事態を十分に御視察なさりたいと思つて御出でだらうと思ふのでございます。即ち十分其向う所に向つたのである。我々は之に対して、真に心を開いて御目に掛けて、真に友達となつて、前に申す有様を是非進めなければならぬと思ひます。今私は実業界の人ではないが、今日集つた実業家諸氏は申す迄もなく、私の説を十分賛成して呉れるに相違ないと思ふのでございます。人文の追々進んで参るに随ひ、世の中が狭くなると云ふことは、争ふ可らざる事実でございます。故に世界を通じて一つの考を持つと云ふことは、是れから先き御同様持つべき観念でございませう。併しながら又或る点から考へますると、人種関係・地理関係と云ふものは、未だ以て全く棄てると云ふ訳には参りませぬ。東洋に於ける民国及び日本の有様は頗る注意すべき関係に居ると申さゞるを得ぬやうに思ひます。貴国は実に天恵に富んで居る。併し其天恵に対し完全に人為が尽されて居りませうか、夫子の言葉に、誠は天の道なり之を誠にするは人の道なりとありますが、まだ貴国の天の道は十分に之を誠にする様になつて居るかどうか、私は疑問であると思ふのでございます。又日本は多少進んで行きたいと云ふても、決して満足に進むことは出来ませぬ。どうしても両国が力を合せ、前申す通り共存共栄で進まなければ、天の教へに背くのではないかと迄、私は思ふのでございます。
 此度御渡来下さつた虞君を団長とした御一同は、蓋し今申上げたことに十分御注意あらせられるやうに私の心には感じます。誠に我が意を得た旅行でありますから、どうか日本の経済界に於ても胸襟を開いて御歓迎申し、唯単に宴席の歓迎ではなく、心の歓迎であり、事物の接触にありたいと思ひます。而して此事情を能く御諒解になつたならば、此諒解は何か一つ物を生み出さなければならぬと思ふのであります。之を生み出し得ると云ふことは、私の常に宿論とする所でありまして、一口に申せば、民国と我が日本との経済共通と言ひますか、斯う云ふやうな事柄に付て、どうぞ一つの生み出すものがあつて欲しいと思ひます。実現する事を希望いたします。事柄に付ては唯此席でのみ申上兼ねまするで、仮令短い御滞在中でも、尚ほ重ねて御協議申上げたいと考へますが、更に私が玆に申上げたことは、総て世の中のことは言ふは易くして行ふは難いことであります。口では言ひますけれども、事実は行はれぬと云ふことが、政治界に、経済界に多いのでございます。言ふて以て行はれぬと云ふことは、貴国にも日本にも能く見る所でございます。我々は其弊害は踏みたくございませぬ。既に宜いと思つて言ふならば、同時に之を行ふべきである。孔子は言に吶に
 - 第55巻 p.425 -ページ画像 
して、行ふに敏ならむことを欲すると言ひました。満堂の諸君、皆君子でないか知らぬが、若し宜いと思つたならば是非行ふことを希望しやうではございませぬか。是は決して貴国の方々にのみ望むのではございませぬ、日本に於ても同様であります。是に一言申添へねばならぬと思ふことがございます。上来申上げ来つたのは即ち民国と我が日本との経済を共通せしめ、或事柄に付いては力を協せて進む、詰り此経済の発展を図りたいと云ふことが私の申述べました要点でございます。且つそれは心ず此機会に大に成立つであらうと希望をしつゝ申上げたのでございます。さりながら此経済に付ては更に一つ注意しなければならぬ要件がございます。
 個々の経済、甚しきは親類同志の経済問題でも、私と云ふことが付くものでございます。論語に九思と云ふことがありまして、其中に得るを見ては義を思ふと云ふことが教へてございます。故に経済と云ふものには、必ず道徳を以て成立たぬと、経済が穏当に進んで行かぬので、私は微力でありますけれども、道徳経済合一論と云ふことを始終申し来つて居ります。若し経済が唯自己さへ都合が宜ければ宜いと云ふことであつたならば、経済を進めるに於て必ず争議が生ずる。十年以前の欧羅巴戦乱も、蓋し経済の利己主義が生んだ戦争であると申しても過言でなからうと思ふのでございます。私心に富んだ西洋の人々は皆此災に罹かるのであつて、我々は宜しく慎しまねばならぬと思ひます。故に私は経済を論ずると共に、経済には道徳が始終共に進んで行かねばならぬと云ふことを、強く主張するのでございます。所謂道徳経済合一論、若し経済が道徳を伴はざる場合は決して十分に進むことは出来ないのであります。然らば又反対に道徳は経済なしに発展することが出来るかと申しますと、否決して発展すべきものではない。空論では駄目である。故に経済と道徳とは始終相俟つて進むべきものであると深く考へるのであります。而して其道徳は何に依るか、矢張り私は之を論語に採りいと思ふ。論語には何とあるか、人々交はるに就て一生守るべきものは何か、と子貢が問ふた時に、曰く恕乎。思ひやりであります。己の欲せざる所を人に施す勿れ、誠に短い言葉でありますけれども、言ひ得て妙であります。己の欲せざる所を人に施さないやうに致したならば、必ず此経済が始終道理正しく進んで行くだらうと思ふのでございます。私は実業界にも居らず、詳しく世の中の事情を知らぬ身柄でございますけれども、誠に歓喜に堪へませぬから玆に押して総代に起ちましたので、我所存を存分に申上げましたが、蓋し日華実業協会及日華懇話会、即ち本日の小宴を催した方々にも、私が今申上げたことを必ず否とは申しませぬから、来賓の皆様方も私の申したことは一同の希望だと十分御諒承下さつて御聴取の程を願ひます。長らく御清聴を煩しましてございます。(文責在記者)
○中略
尚前記虞氏の意見○略ス に対し渋沢子は重ねて特に左の挨拶をせられた
 虞団長の唯今の御演説は寧ろ斯かる此御饗宴の御演説としては余りに沈痛と申上げたい様に考へます、併し心情を御吐露下すつた事は私及び我々協会の人々を真に友達と御覧下すつたと、団長及び御一行の
 - 第55巻 p.426 -ページ画像 
御心事を御察し申し深く諒と致します。但し商売人が政治を嫌ふと云ふ趣意ではありませぬが、併し政治は玩具ではないのですから政治は政治として行かねばならぬ、依て来る所を能く考へ、是は斯うせい、是は斯うせいと余程慎重に致さぬと云ふと、悪くすると国家の政治が子供の玩具になる、是は余程宜く考へねばならぬ、近頃はさう云ふ弊風が貴国にもあるやうだが我が日本にも毎々あり、私共老人は甚だ顔を顰めて居りますから、成るたけ是には御注意を請ひたいと思ひます併し御心事は深く御察し致します、御心事を御察しすると共に尚ほ未来に於て篤と御相談を申上げたいと深く考へまするから、御演説に対しては御心事を御諒察して未来に十分御協議すべきものと斯う御受けしたと云ふことに、団長及び諸君の御諒解を請ひたいと思ひます。
  ○右演説ハ、六月五日飛鳥山邸ニ於テナサレタルモノニシテ、「竜門雑誌」第四五六号(大正一五年九月)ニモ掲載セラレアリ。


中外商業新報 第一四四六八号大正一五年六月六日 渋沢子の民国実業団招宴(DK550078k-0016)
第55巻 p.426 ページ画像

中外商業新報  第一四四六八号大正一五年六月六日
    渋沢子の民国
      実業団招宴
前日の午後を三井男邸の午餐の招宴に歓をつくした民国実業団の一行は、五日○中略 十一時半から滝野川の渋沢子邸で開かれた日華実業協会と日華懇話会主催の午餐会に列なつた、在京日支の実業家百二・三十名集り、渋沢子の挨拶、虞団長の謝辞あり、午後三時半頃まで飛鳥山のほとりに日支両国親善の祝宴が続いた
○下略


東京朝日新聞 第一四三八二号大正一五年六月六日 日支実業家巨頭が経済提携につき協議 支那実業団を迎へ きのふ銀行クラブに さらに熟議を約して別る(DK550078k-0017)
第55巻 p.426-427 ページ画像

東京朝日新聞  第一四三八二号大正一五年六月六日
  日支実業家巨頭が
    経済提携につき協議
      支那実業団を迎へ
        きのふ銀行クラブに
        さらに熟議を約して別る
中華民国実業視察団の虞洽卿会長以下有力者および日華実業協会を中心とする日本側実業家との協議会は
 五日 午後六時から丸の内銀行集会所に開催
  民国側 虞洽卿 謝仲笙 顧子槃 孫梅堂 楽振葆 袁履登 郭外峰 余日章 銭孫卿 譚明卿諸氏
 日本側 渋沢栄一 児玉謙次 白岩竜平 安川雄之助 荻野元太郎 森弁治郎 小野英二郎 油谷恭一諸氏
出席し、渋沢子・虞氏よりそれぞれ日支経済提携の必要を説いた後、具体的提携策の協議に入つた、しかして
 その 具体的対策として、虞氏は支那側を代表し
 不平等条件の存する以上は、到底民国と他国との円満なる提携発展を期することは出来ぬ、例へば最近の関税会議において折角多数国は賛成しても、一国がそれを承認しなければ遂ひに実行することは出来ぬ、これがため関税改正の利益を得ること容易でない、かくの
 - 第55巻 p.427 -ページ画像 
如きは民国が条約決定権においても非常に不公平にして不利の状態に置かれてゐるものであつて、対等において権利を主張することを許されてゐない、よつて日本の実業家が日支親善経済提携をせんとすれば、まづこの不平等条約の撤廃に努力してもらひたい
と不平等条約の撤廃を力説した、これに対し
 渋沢 子および児玉正金銀行頭取等は、交々立つて日本の立場を弁明し
 日本が不平等条約を除去するに苦心した過去の経験からして、支那の今日は同情するが、かくの如き不平等条約の撤廃等政治外交上の問題は、今日こゝに集まつてゐる経済関係の人々によつて解決出来るものではない、これ等のことは政府の仕事としてなされつゝあることである、吾々とてもその解決について出来るだけの努力はするが、我々経済関係のものにおいては、経済上の問題について協議したい、今日の会合においても日本側の希望せんとしたことは、両国実業家がそれぞれ経済団体を組織し、それが始終打合せをして、合弁事業とか、その他経済上実際問題を協議し、日支提携の実を挙げんことを希望する
と日本側はあくまで単なる経済問題に止めんとしたが
 民国 側は依然政治問題の解決を先にせんとし、同実業団の帰国するまでに重ねて協議会を開くこととし、十一時四十分散会○写真略ス


中外商業新報 第一四四七一号大正一五年六月九日 日支経済提携は不調に終る 民国側は廿一ケ条条約の撤廃を前提とした為(DK550078k-0018)
第55巻 p.427-428 ページ画像

中外商業新報  第一四四七一号大正一五年六月九日
    日支経済提携は不調に終る
      民国側は廿一ケ条条約の
        撤廃を前提とした為
○上略八日午前十一時から渋沢子邸に民国実業家側の虞洽卿・郭外峰・余日章・郭東泉の四氏及び渋沢子爵を始め児玉謙次・角田隆郎・白岩竜平の諸氏が再び会合し、更に日支の経済的提携につき協議したが、会合劈頭においてすでに両国実業家の間に大なる意見の相違があつて会議は進捗せず、遂に午後一時半頃虞氏以下の民国実業家は渋沢子邸を辞去した、即ち両者の意見は左の通りである
 ◇日本側 日支の経済的提携の必要は論をまたないところであり、彼我通商貿易の円滑を図るために、日支両国実業家関係者中よりそれぞれ適当の人物をあげて日支混合委員会を設置したい、民国側から廿一ケ条の撤廃をわれわれに要求せられるが、それは小部分の実業家のよくするところでない、もし其点になると政治家の仕事となるから、この際廿一ケ条と経済的提携の問題は別箇に論じたい
 ◇民国側 日本実業家側では政治と経済問題とは別々に論ずることを要求されるけれども、元来政治と経済とは密接不離のものであつて、政治を除外して経済を論ずことをはできぬ、国情を異にする日本はいざ知らず、民国にては絶対にそんなことはできぬ、それで日支の経済的提携を説く前には、必らず二十一ケ条条約問題が解決されることを必要とせねばならぬ
以上の如く、両国実業家によつてある種の意見の相違はきたしたけれ
 - 第55巻 p.428 -ページ画像 
ども、日支経済的提携の
 必要は両者とも痛感してゐるといふことをお互の間に理解することができたので、将来更に何等かの方法でこの種の協議を進めることに両者は一致した、しかし実業団の東京滞在日数もないから、近日中に両者実業家の会合することもできないので、結局は一行の帰国後、彼我有力実業家が委員を選び、その上で交渉することにならうといはれてゐる


東京日日新聞 第一七八七四号大正一五年六月一〇日 実業家を網羅した日華懇親機関 訪日実業団のお土産;日支経済提携 渋沢子爵談(DK550078k-0019)
第55巻 p.428 ページ画像

東京日日新聞  第一七八七四号大正一五年六月一〇日
    実業家を網羅した
      日華懇親機関
        訪日実業団のお土産
去る二日入京せる中華実業団は日華親善のため大なる衝動を与へて十日退京の予定、しかして事実上彼我の東京における具体交渉は八日までに終了し○中略八日渋沢邸の会合において○中略熟議したる結果は、ほぼ左の内案を得るに至つた
 日支経済関係の緊密を加ふるための両国の代表的実業家を網羅する懇親機関を新設すべく努力す、実際商取引上不幸利害の係争に及ぶ場合には、個々に双方より仲裁委員を挙げる等、飽くまで円満協調を期し、日華共通の繁栄に努むるを良法と認む
 これ実に両国が共存共栄の実を挙くるに最も適当なる経済親交策と見られ○中略
    日支経済提携            渋沢子爵談
日支経済提携がいよいよ緊密を加へんとする最近の傾向は、誠に両国民のため欣幸に堪へない、今回の中華実業団の来朝を機会に、政治論を別にして真に両国実業家が融和協調し、相互の繁栄を図るのが刻下の急務と考へ、その具体的方法を協議するために及ばずながら斡旋を試みたが、将来これが実を結べば至幸これに過ぎぬ


渡日上海実業団書類(DK550078k-0020)
第55巻 p.428-430 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓
    六月五日晩銀行倶楽部及同八日渋沢子爵邸ニ於ケル民国実業家代表トノ懇談会談話交換要領
 右当日ノ速記録ヨリ抜萃ノ上、別紙ノ通リ取纏メ
 外務省、上海総領事及上海日本商業会議所会頭宛送付致置候間、不取敢御報告申上候 拝具
  大正十五年六月二十五日
                     日華実業協会
(別紙、謄写版)
(ゴム印)                  (栄一鉛筆)
親展                      一覧済
    六月五日晩銀行倶楽部及同八日渋沢子爵邸ニ於ケル民国実業団代表トノ懇談会談話交換要領
民国実業団側談話要領
 - 第55巻 p.429 -ページ画像 
 両国ノ通商貿易発展ハ固ヨリ切望スル所ナルモ、真ノ提携発展ヲ期スルニハ両国国民相互ノ感情ヲ疎通スルコト必要ニテ、感情融和セザル限リ根本的提携ハ成就シ難シ
 日支両国国民相互間ニハ何等ノ反感及悪感情ナキモ、日本全体ニ対シテハ不幸ニシテ反感ヲ抱キ居ル者多ク、其ノ反感ハ主トシテ政治上ヨリ来レルモノニシテ、之ノ国民的悪感情ヲ一掃シ、政治上ヨリ来ル障害ヲ除去セザル限リ、何レノ方面ヨリスルモ真ノ提携ハ出来難シ、従来両国間政治上ニ於ケル障害ハ主トシテ二十一ケ条問題ニテ、吾国民一般ハ之ノ内容ヲ詳知セズシテ反対シ来レルモ、出来得可クハ現存ノモノヲ基礎トシテ新条約ヲ結ブ事ニ致シ度シト思フ、
 今ヤ支那国民思想ハ自覚シ、当時ノ二十一ケ条ノミナラズ、一般的ニ各国ニ対シテ不平等条約ノ撤廃ヲ叫ビ熱烈ナル希望ヲ有スルニ到リタル現状ナルニ由リ、最モ同情ヲ有セラルル貴国ヨリ、卒先シテ一切ノ不平等条約ノ撤廃ヲ提議サレ、新ニ互恵的平等条約ヲ締結サルルニ到ラバ、両国国民間ノ感情ハ期セズシテ融和シ、進デ経済上其他真ノ根本的親善提携ノ実ヲ挙ゲルヲ得ルニ到ル可シト思フ
 支那ノ現状ニ対シ、各位ヨリ深ク同情サレ憂慮サル点ハ感謝スル所ナリ、現在吾ガ国内ノ状態ハ不良ニテ、政情ノ安定ノ如キ、其ノ時期ハ殆ト予測スル能ハザル状態ニアルモ、少数無力ナル政府当路者ノミニテハ到底斯カル事業ヲシ遂グル事困難ナル故、両国国民相互ノ運動提唱ニ依リ目的達成シ度シ
 昨年ノ五月卅日事件後、一層両国提携ノ必要ナルコトヲ痛感スルモ先以テ之ガ障害タル政治上ノ原因ヲ除去シ、解決スルニ非レバ、設令経済上ノ提携ヲ計ルモ、其ノ結果仮之支那側ノミヲ利スルコトトナルモ、各方面トモ之ニ反対スヘク、殊ニ他各国ノ離間中傷ニ遇フコトアラバ折角ノ提携モ無効ニ了ル憂アリ
協会出席者側談話要領
 現存セル一切ノ不平等条約ヲ撤廃シ互恵的平等条約ニ改締セラレントスル希望ニハ、日本自体ノ経験ニ鑑ミ深ク同情シ、貴国ノ現状ニ対シテハ非常ニ痛心スル所ナルモ、日本ガ不平等条約ヲ改締スルニ到リタルハ決シテ一朝夕ノ問題ニ非ズ、多年ノ苦心経験ヲ嘗メ自ラ努力ノ結果目的ヲ達シタルモノニテ、実質ノ伴ハザル平等ハ一度ハ成功スルコトアリトスルモ、又旧ノ不平等ノ状態ニ立チ還ル可ク、先貴国内政ノ改善、確乎タル中央政府ノ樹立、其他財政経済ノ各方面ニ亘リ国際的地位ノ向上ヲ計ラルルコトヲ第一トシ、而シテ順ヲ逐フテ之等ノ不平等条約撤廃ニ著手サル事肝要ナル可シ
 不平等条約ハ独リ日本トノミナラズ他ノ各国トモ同様ニテ、日本ノミニ対シ先之ヲ撤廃セザレバ、経済上其他両国ノ提携ハ期シ難シトスル理ハ無カル可シト考フ、仮リニ民間ニ於テ事情ヲ理解シ政府ヲ動カストスルモ、現在ノ国際間ノ事柄ハ利害錯綜シ日本独リ行動スルコト甚困難ナリ、殊ニ二十一ケ条約ヲ廃止シ更ニ同条約中現存ノ点丈ケヲ新条約ニ依リ締結スルガ如キハ、一見甚ダ容易ナル様ニ見ユルモ蓋シ実際ニ当リテハ全然不可能ナル可シ、何ントナレバ貴国現在ノ風潮ヨリ見ルモ旅大問題等ニ付テハ国論必ズ沸騰ス可ク、新
 - 第55巻 p.430 -ページ画像 
条約締結ハ民国政府ノ容易ニナス能ハザル所ナル可シ、而シテ我国ニ於テモ旅大問題ノ如キハ、将来東洋平和確保上殆ド商議ノ余地ナキハ自明ノ理ナルヲ以テ、却テ再ビ国民的悪感情ヲ新ニシ紛糾ヲ醸ス憂アル可シ、ヨシ吾々ノミガ反対ナラズト仮定スルモ結局ハ両国政府間ノ問題ニテ、吾々ガ斯ル政治上ノ問題ヲ相互間ニ論談スルモ帰着スル所無カル可シト考フ、折角有力ナル貴実業家一行ノ来朝ヲ機会ニ、吾々実業家トシテハ経済ヲ主トスル一機関ヲ設ケ、相互ニ聯絡シテ永続的提携ノ実ヲ挙グル良法ヲ求メ得ルニ到ラバ幸ニテ、利害共通セル経済上ノ提携ガ完全ニ成ラバ、政治上ヨリ来ル体面問題等ハ自ラ諒解サル可ク、尚独リ経済上ノ方面ノミナラズ必要ニ応ジ政治上ノ問題ヲモ自ラ論議シ得ルコトト思フ 以上
最後ニ支那側代表者ヨリ、両国経済上ノ提携ニ関スル意見ヲ求メラレ之ニ対シ
 日本側ニ於テ日華実業協会ノミナラズ、他ノ有力ナル人ヲ加ヘ、真ニ両国実業上ノ提携ヲ念トスル人ニ依リ一ノ団体ヲ作リ、支那側ニ於テモ之ト同様ノ団体ヲ造リ、日支各半数約三十名以内ノ国内有力ナル委員ヲ選出シ、委員相互ニ研究討論スルコトトシ、其ノ結果ヲ実現シ得ル様ニ仕向クル機関トシテハ如何、而シテ研究討論ノ範囲ハ (一)経済聯絡ヲ本旨トシ、両国国民衣食住ニ対スル必要事項 (二)合弁事業ノ促進 (三)商事争議ノ仲裁和解ニ関スル事項 (四)其他政治教育方面ニ対シテ両国通商ノ発達ヲ阻害スルト認ムル事項ノ研究
等、即席ノ草案ヲ示セルニ、支那側代表者ハ両国親善増進ヲ計ル為メ右ノ如キ機関ノ実現ヲ計リ、帰国後団員一同ハ勿論、更ニ他ノ有力ナル人ヲ加ヘ、熟議ノ上具体案ヲ取纏ムルコトニ努力ス可ク、其ノ結果ヲ待テ日本側ニ於テモ更ニ右具体案ヲ纏メ成案トス可キコトヲ約シ、右ノ即席案ハ文書ノ交付ヲ見合セ口頭丈ケニ止メタリ 以上



〔参考〕渡日上海実業団書類(DK550078k-0021)
第55巻 p.430-431 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  (ゴム印)
  親展
    上海総商会赴日参観団ノ件
                (五月十五日付日清汽船上海支店米里氏来翰)
(前略)本日午前十一時赴日参観団々長虞洽卿氏来店、過般来赴日団ニ対スル当会議所ノ尽力並ニ十七日ノ招待ニ対シ、正式ニ謝礼且ツ挨拶ニ来リタルト前提シ、自分今回ノ赴日ハ只観光ノ為メニアラス、自論タル中日両国民ノ真ノ提携親善ヲ実行セントスルモノニテ、自分ハ齢已ニ六十才ニ達シ余命永カラサルニ付、今後終世ノ仕事トシテ此機会ヲ利用シ中日両国民ノ諒解提携ヲ具体的ニ実行スル事ニシタク、就テハ一行ノ人選ニツキテハ頗ル苦心シ、第一総商会代表者、南市商会代表、各業組合ノ各代表、各路聯合会ノ代表ヲ始メ、長江筋トシテハ漢口・蕪湖・無錫・蚌埠ノ各総商会代表ヲ含ミ、奉天ノ商会モ加ハリ居レルガ、只北京・天津ノ両地ハ内乱ノ関係上其ノ代表権ヲ虞会長ニ与ヘタル次第ニテ、各地各方面ノ事業家ヲ包含シ居リ、殊ニ此内ニハ従来欧米ヨリノ諸織物ヲ輸入シ居レルモノモアリ、此等ハ今回ノ視察
 - 第55巻 p.431 -ページ画像 
ノ結果都合ニヨリテハ欧米トノ関係ヲ絶チ、日本ト取引ヲ開始セントスル考ヘアリ、其他各地各商ヲ網羅セルヲ以テ、本視察渡日後《(団脱)》ハ直接日支貿易ヲ増進スル事多大ナル見込ナルガ、更ニ同氏ノ渡日抱負トシテハ
 第一 最近中国人ノ対日感情ハ頗ル良好トナリ来リタルモ、只今後両国ノ関係上多少ノ障害トナルベキハ例ノ廿一ケ条問題ナルガ本問題中今尚現存セルハ僅カニ四ケ条ニ過キズ、就テハ此際廿一ケ条ヲ取消シ現存四ケ条ヲ別ノ条約トシテ改訂シタリ《(ク)》、此点ニ関シ日本実業家ノ援助ヲ乞ヒ、政府ニ条約改訂ノ請願ヲセラレ度切望ス
 第二 今後中日両国経済提携策トシテ、中国ニ於テ鉱山其ノ他諸事業ヲ中日合弁トシテ経営シタリ《(スル)》為メ、中国政府並ニ日本政府ニ於テ特別保護法ヲ発布セシメ、中日経済提携ヲ実行スル事
 第三 中国両国商事取引上《(日)》ノ繋争問題解決策トシテ、各地両国商会内ニ公断所ヲ設立シ、両国民ノ争議ト《(ヲ)》両国公断所ニテ合議審判シ、可成法律上ノ手続ニヨラズ係争問題ヲ解決シ、両国民ノ感情ヲ疎通融和セシムル事
尚ホ今回ノ赴日団ノ実状ヲ全国ニ普及喧伝セシムルタメ、活動写真隊ヲ同伴シ、上海丸出帆ヨリ帰着ノ情怳《(況)》ヲ「フイルム」ニ収メ帰来、全国各地ニ巡廻喧伝スルトノ事ニ付、小生ハ虞氏ノ抱負ニハ主意ニ於テ賛成ナリ、就テハ此等大目的ヲ達スルニハ只一片ノ儀式的宴会ニテハ不充分ニ付、神戸・大阪ノ有力実業家ヲ始メ、東京ニテハ渋沢子爵・井上準之助氏ヲ始メ、日華実業協会並ニ商議少数有力者トPrivateニ会見ノ機ヲ作リ、相互腹臓《(蔵)》ナキ意見ノ交換ヲ為スベシト注意ヲ与ヘタルニ、同氏モ大ニ之ニ賛シ、何分宜敷頼ムトノ事ニ有之候ニ付テハ、右御含置ノ上、着京ノ上ハ可然御取做被下度 以上



〔参考〕渡日上海実業団書類(DK550078k-0022)
第55巻 p.431 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
    上海虞洽卿氏ヨリ来電
渋沢子爵ニ御転達ヲ請フ、本日上海ニ帰着ス、東京滞在中ハ御優待ニ預リ感謝ニ勝ヘス、虞洽卿等(大正十五年六月十五日発)《(別筆朱書)》



〔参考〕渡日上海実業団書類(DK550078k-0023)
第55巻 p.431-432 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
(ゴム印)
親展
拝啓 左記御参考迄ニ御送付申上候 拝具
  赴日支那実業団ニ干スル在上海矢田総領事来電(大正十五年六月十九日)
支那総商会視察団一行ハ、十五日盛大ナル歓迎裡ニ何レモ上機嫌ニテ上海ニ帰着セリ、虞団長ハ出迎ノ新聞記者ニ対シ「日本朝野ノ歓待至ラサルナク、就中人民側ヨリ示サレタル誠意ハ、日本国民カ日支関係ニ付覚醒シツツアル証拠ニシテ、両国間ノ諒解ハ既ニ踏出シタリ」ト語リ極メテ満足ニ見受ケタリ、当地総商会ハ十七日夜視察団帰国歓迎会ヲ催シタルガ、参加者一千名、本官外日本官民多数招待セラレタリ渡日団員ノ素人芝居及本邦各地ニ於ケル一行歓迎ノ模様ヲ撮セル活動
 - 第55巻 p.432 -ページ画像 
写真等ノ余興アリ、演説ハ「ラヂオ」ヲ以テ放送ノ仕掛ヲナス等、近来例ヲ見サル盛大ナル招待会ナリキ、席上包総商会副会長ハ主催者側ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ベ「一行渡日ハ両国間ノ真正ナル諒解ヲ計ルヲ任務トシタルモノニシテ、総商会ノ歴史上空前ノ壮挙ナリ」ト云ヘルニ対シ、虞会長ハ答辞ヲ述ヘタル上、視察報告演説ニ於テ、各地歓迎ノ状況ヲ語リタル中「日比谷公園ニ於ケル歓迎音楽会ニ於テハ、日本国民ノ熱誠ニ動カサレ、覚ヘス落涙セリ、日本政府及一部大資本家ノ間ニハ、未タ全ク覚醒スルニ至ラサル感アルモ、国民ノ大多数ハ我等ト同様ヨク日支聯絡ノ必要ヲ覚リ居ル事ヲ知リ得タルヲ以テ、今回ノ渡日ハ国民外交上裨益スル所鮮カラサルモノアリト確信ス、日本政府モ遂ニハ多数国民ノ意見ニ動カサレ、密接不可離ノ関係ニ在ル両国ノ経済提携ニ妨碍ヲ成シ来レル不平等条約ノ取消等ニモ、漸次歩ヲ進ムルニ至ルヘシ云々」ト述ベタリ
右団長ノ演説ハ今回ノ視察団渡来ニ対シ、当方面ノ常習的排日家ニ於テ多少ノ反感ヲ示スモノ有ルニ鑑ミ、大ニ「リザーブ」セラレタル点ハ有ルヲ認ムルモ、猶且充分親日的気分ヲ吐露シ居リ、其他ノ団員一般カ本邦ニ於テ受ケ来レル印象ノ極メテ良好ナリシ事ハ、彼等カ同夜羽目ヲ外シテ浮レ喜ビ居タル光景、又活動写真ニ対スル喝采振ニ徴シテ明ナルノミナラズ、各団員ノ感想ニ徴スルモ、今回ノ視察団ハ大成功ヲ収メタルモノト認メラル
尚、虞洽卿帰着早々帝国政府ニ対シ謝意伝達アリタシトテ、鄭重ナル書面ヲ本官ニ寄セタリ
尚、虞洽卿ハ本官ニ対シ、今回日本ニ於ケル各方面トノ懇談中、経済提携問題ヲ後ニシ、先ツ外交問題ヲ論シタルハ自国学生等ニ対スル関係ヲ慮レル為メニシテ、二十一ケ条ト雖今日直ニ何ウシテ呉レト云フ意味ニ非ス、支那国民ノ要望ヲ諒トシ、漸次其ノ実現ヲ計ラレタシトノ真意ナリト内話シ、渋沢子爵等ガ自分ノ所論ヲ余リニ真面目ニ受取ラレタルニハ、却テ困リタリトノ意ヲ漏シ「経済問題ハ両三日内ニ貴下(本官)ヲ訪問シテ具体案ヲ提示スル考ナリ、実ハ日本ニテ経済提携ヲ交渉シタリトセバ、一部ノ支那人ハ種々ノ疑惑邪推ヲ為シ、自分等ハアラヌ攻撃ヲ受ケテ万事打毀シトナレルハ明カナレバ、故意ニ之ヲ差控ヘ帰来、上海ニテ貴下ヲ通シ徐ロニ真面目ノ相談ヲ為シタキ底意ナリ云々」ト語レリ



〔参考〕渡日上海実業団書類(DK550078k-0024)
第55巻 p.432-433 ページ画像

渡日上海実業団書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
(朱印)
[秘]
        上海発
        本省着大正十五年六月二十二日前六、〇〇
    幣原外務大臣            矢田 総領事
第一六九号
往電第一六五号ニ関シ
二十一日虞洽卿来訪シ「日支経済問題ニ関シ渋沢子爵ヨリ提議アリタル際、自分モ其ノ必要ヲ充分認メ居タルモ、商務総会員中ニハ赴日団
 - 第55巻 p.433 -ページ画像 
ヲ出スコトニ付異論ヲ唱ヘ、自分ニ対シ兎角ノ説ヲ為ス者アリシコトヲ熟知シ居タルニ付、右ハ帰国ノ上是等反対者ヲ説得シタル後ニ非ザレバ、具体加《(化)》シ得ズト信ジタルヲ以テ、敢テ「コンミツト」スル能ハザリシガ、帰滬後、自分ニ対スル疑念ハ既ニ氷解セルニ付、各方面ノ重要人物ヲ参同網羅スル為、折角苦心中ナリ、何レ成案ヲ得次第持参スベキニ付、伝達方取計ハレタシ云々」ト語リ、又赴日団ニ参加セル余日章ニ関シ「当人ハ学生間ニ信望勢力有ル者ナルニ付、同人ヲ同行スルコトハ学生ヲ啓発スル上ニ効果有ルベキヲ信ジ、同人同行セバ《(マヽ)》自分ハ青年会ニ対スル援助ヲ打切ルベシト述ベ、熱心ニ説キタル結果、出発間際ニ至リ漸ク参加ヲ承諾セシメタル次第ナルガ、滞日中ハ素ヨリ帰滬後モ学生団ヨリ種々ナル質問或ハ難詰等アリシガ、余自身ノ考モ余程日本ニ傾キタルヲ以テ、進ンデ彼等ヲ説破鎮撫シタルハ今次渡日団ノ一収穫トシテ自ラ誇ル所ナリ云々」ト
 北京・奉天・天津・青島・済南・漢口・蕪湖・南京・蘇州・杭州・福州・厦門・広東・香港ヘ暗送セリ



〔参考〕中外商業新報 第一四四六六号 大正一五年六月四日 中国視察団歓迎茶会 昨日府市と会議所が聯合で(DK550078k-0025)
第55巻 p.433-434 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕中外商業新報 第一四四六七号 大正一五年六月五日 三井男の民国実業視察団一行午餐の招宴(DK550078k-0026)
第55巻 p.434 ページ画像

中外商業新報  第一四四六七号 大正一五年六月五日
    三井男の民国実業視察団一行午餐の招宴
目下滞京中の上海総商会々長虞洽卿氏以下五十有余の中華民国実業視察団の一行は、四日午前新宿御苑拝観を終へて、三井八郎右衛門男の午餐の招宴にのぞんだ、赤坂氷川町の宏荘なる邸内に両国旗を交叉した自動車をずらりと並べて宴に列なつたのは、実業団のほかに汪公使外務省の木村アジア局長、日本の実業家側から渋沢子始め佐々・稲茂登などの東京商業会議所議員、接待の役は三井男を中心に合名・物産鉱山・銀行・信託など三井関係の各会社代表重役各一名づゝ、午後一時食堂が開かれて、別にこれといふ儀式ばつた挨拶もなくて、両国の代表的実業家の交驩は午後二時半に及んで、それから広い庭内散策に移ると、折から初夏の空は美しく晴れて尽きぬ交誼の模様は、外務省や日活の手でカメラに収められ、一行は十分の満足を以て午後三時ごろ辞去、幣原外相のお茶の会に赴いた
 今五日は渋沢子邸において日華実業協会の招待や支那会館の茶の会夜の日支親善音楽会等に出席する事になつて居るが、同日は午前九時から目下工事中の上野浅草間の地下鉄道第一期線工事の状況を視察すると、法学博士趙欣伯氏は六日午後九時半から、母校明治大学の会議室に上京中の中華民国実業視察団長虞洽卿氏他二十余名の一行を招いて、日支親善の懇和会を催す事になつたが、法学界・経済界の諸名士約五十名も出席の筈○写真説明略ス



〔参考〕渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第七六五―七六七頁 昭和八年一二月刊(DK550078k-0027)
第55巻 p.434-436 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第七六五―七六七頁 昭和八年一二月刊
 ○ 第五篇 十二、対外関係
    その三 日華実業協会
○上略
 民国実業団虞洽卿一行が東京へ着いたのは大正十五年六月二日で、爾来数日滞留し、殆ど連日会議と交歓とに送つたが、同月六《(五)》日日華実業協会及日華懇談《(話)》会主催で、飛鳥山の子爵邸で午餐会を催し、盛大に歓迎の意を表したことは、同協会として記録すべきことであるが、実質的には同月五日及八日の懇談会の方が重要である。両度の協議懇談は大分徹底的のものであつたが、日米関係委員会と同様の組織とし、東京並に上海に相対応する団体を起し、相互研究の結果を実現することゝし、其範囲を経済聯絡、合弁事業の促進、商事調停等とせんとする日本側の提案を、支那側代表者に於ても同意し、帰国後熟議の上具
 - 第55巻 p.435 -ページ画像 
体案を練ることになつた。爾来の事情の変化により実現するには至らなかつたけれども、この時の交渉は日華実業協会の歴史に特殊の意義を附するものであつた。右に就て子爵はかう云うて居る。
 『先頃虞洽卿氏等一行の実業団が来朝され、日本の経済事情を調査して帰りたいと云ふことで訪問せられたから、私は日華実業協会代表の位置で、或は歓迎し、又特殊な協議会などを開いて種々意見の交換をした。蓋し斯かる機会に、虞洽卿氏や余日章氏等の人々と、右の如き事情に進ませたいと思つたからで、之を唯空論でなく事実に現はしたいからであつた。之は頗る漠然とした議論であるけれども、要するに私は斯様に考へて居るのである。
 世界が如何になり行くかと云ふことに就ては、学者の説が区々で一定したものはないけれども、変化するものであると云ふ大体論と、日日進歩発達すると云ふことは、何人も異論を唱へ得られぬ所である。現に私が物心ついてから殆ど八十年余の歳月を経過して居るが、其間世に現れた事物に関して考へて見ても、世の中が進んだのを知り得るのであつて、昔は空想として思ひも掛けずに居たことを現実に見るやうになつた。斯様に世が進歩すると云ふことは、私一身の境遇からしても明かであるから、将来も同様進むものと推測して間違はないと思ふ。而して此の変化に伴つて人も亦同じく進みつゝあるのである。一般の動物と人類との相違を考へると、人類が自然に相応じて進むと云ふ点になるので、其の為め教育を盛んにし学問を授ける必要がある。そしてそれに望む所のものは、政治・軍事の進歩もさることながら、主として現代に於ては経済の進展が必要である。然らば此経済の進みは何を目的とするかを考へる必要が起る。若し之を考へぬならば、或る点まで進んでも、基礎が鞏固でなく、丁度子供の積んだ石が、相当高くなつた処で崩れて仕舞ふと同様である。大正三年から七年へかけての欧洲大戦乱などは、蓋し其の好例で、結局経済戦争であつて、経済の発展を自ら破壊したのである。今日東洋に対して力を延ばさうとする英吉利にしても、露西亜にしても、其の勢力伸長の目的の中には経済関係が主要なる位置を占めて居ると思ふ。そして之が為め仮令戦争はあるにしても、兎に角経済関係は斯くして進んで行く。進んでは行くが又戦争で、或る処まで行くと、折角積んだ石を崩壊することになる。即ち自分で積んで自分で壊す、余りに智慧のあることでない。高い処から見たら、人類も案外馬鹿なことをするものだと、さぞ笑止であらうと思はれる。故に之を防がねばならぬ。防ぐには徒らに知識のみを進めず、精神的の進みが必要となり、さうした教育の緊切なることを強く感ずる。
 即ち世の進歩には経済の発展が大切であるが、それは単に財産を殖すとか、商工業を盛んならしめるのみでなく、精神的教育に依つて、経済発達の基礎を堅固に維持する要があるので、人類の進歩を図るには、結局経済と道徳との合一を以て進むの外はない。若し之が十分に徹底すれば、日支両国の国際的友誼や親和は当然完全に行はれる。況んや、日本と中華民国とは、其の国民性に於ても、親密となるべき素質をお互に持つて居るのであるから、其の親善は期して待つべしであ
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る。』