デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.458-469(DK550090k) ページ画像

昭和2年4月2日(1927年)

是ヨリ先、南京事件等相次イデ起リ、長江流域在留邦人ノ生命財産、危殆ニ瀕スルニ至ル。当協会、幹事会ヲ開キテ、之ガ対策ヲ協議シ、是日栄一、総理大臣若槻礼次郎及ビ外務大臣幣原喜重郎ヲ訪ヒテ、政府ノ緊急善処方ヲ要望シ、同日ノ幹事会ニ右会見顛末ヲ報告ス。

次イデ、天津日本人商業会議所ヨリモ、同地方ノ危局対策ニツキ、当協会ノ協力要請ノ来電アリ、十三日及ビ十八日、幹事会ヲ開キテ種々協議ヲナス。栄一、ソレゾレ出席ス。翌十九日、当協会、「支那時局ニ対スル声明書」ヲ各新聞紙上ニ発表ス。


■資料

日華実業協会往復(二)(DK550090k-0001)
第55巻 p.458 ページ画像

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日華実業協会第七回報告書 第一八―一九頁 昭和二年一二月刊(DK550090k-0002)
第55巻 p.459 ページ画像

日華実業協会第七回報告書  第一八―一九頁 昭和二年一二月刊
    役員会並ニ諸会合記録(大正十四年十二月以降《(五)》)
○上略
幹事会 三月三十日午後四時、事務所ニ於テ開会、児玉副会長及白岩・白仁・入江・森・角田・鈴木・奥村・荻野・天宅各幹事出席、支那時局ニ関シ意見交換ヲ為シ、六時半散会ス、尚本日ノ会議ノ結果、本会ヨリ漢口在留邦人及南京避難者ニ対シ、慰問電報ヲ発送セリ
○下略


日華実業協会往復(二)(DK550090k-0003)
第55巻 p.459 ページ画像

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集会日時通知表 昭和二年(DK550090k-0004)
第55巻 p.459 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 土 午前十半時 外務大臣御訪問、秘書官室ニテ児玉氏会合ノ上ニテ会見
       午前十一時 総理大臣ヲ官舎ニ御訪問
       午后 四時 日華実業協会幹事会(同会)


日華実業協会第七回報告書 第一九―二〇頁 昭和二年一二月刊(DK550090k-0005)
第55巻 p.459-460 ページ画像

日華実業協会第七回報告書  第一九―二〇頁 昭和二年一二月刊
    役員会並ニ諸会合記録(大正十四年十二月以降《(五)》)
○上略
幹事会 四月二日午後四時、事務所ニ於テ開会、渋沢会長及各幹事出席、会長並ニ副会長ヨリ時局ニ関シ当局訪問顛末報告アリ、各自意見交換ヲ為シ、六時半散会セリ
一、時局ニ関スル上海商業会議所来電
 一、今次ノ南京事件ハ、其ノ真相判明スルニ従ヒ、残虐無道ノ行動言語ニ絶セシ事、我帝国ノ威信ニ関スル重大問題ニシテ、日本国民ノ断ジテ黙過シ能ザル処ナリ
 二、南京ニ於ケル蛮行ハ、南軍共産派カ特ニ外国人ヲ目的トシ、将校指揮ノ下ニ白中公然採リタル組織的行動ナル事明瞭ニシテ、戦乱ニ伴フ暴行トハ全然其ノ越《(趣)》ヲ異ニス
 三、蒋介石ハ帝国総領事ニ対シ、該事件ニ関シ全責任ヲ負ヒ、且又将来ニ於ケル各地ノ治安維持ヲ保証スヘキ旨声明セリト雖、各地ニ散在セル狂暴ナル共産的軍隊ハ、今ヤ彼レニ離反シテ、彼レノ威令徹底ヲ望ム能ハズ
 四、蒋介石ハ最近武漢政府ニ圧倒セラレ、単ニ軍部ノ総司令ニ過ス
 - 第55巻 p.460 -ページ画像 
万事共産政府ノ意思ニ甘ンジ、現ニ上海ニ於ケル共産党ノ一機関タル総工会ノ横暴スラ抑制スル能ハザル現状ナリ
   彼レノ治安維持ノ声明ニ対シ信頼ヲ置ガ如キハ危険千万ナリ
 五、故ニ帝国政府ハ、南京事件ノ責任ヲ問フニ際シ、一蒋介石ヲ相手トスルハ重大ナル錯誤ナリ、宜シク共産派ノ根源タル武漢政府ニ対シ、直接強硬ナル交渉ヲ開始スヘシ
 六、右交渉ヲ開始スルト同時ニ、揚子江上流一帯ニ於ケル邦人ノ引上ゲヲ断行スヘシ
 七、目下上海ノ時局ハ、南京事件以来、支那人ト、邦人ヲ含ム外国人トノ関係ニ危悪ヲ加ヘ、然モ共産派ハアラユル機会ヲ利用シテ、排外的動乱ヲ誘発セントスル組織的計画アリ、何時事変ノ勃発ヲ見ルヤハ計リ知ルヘカラス
 八、上海ニ於ケル我海軍陸戦隊ハ、上陸以来難局ニ際シ、ヨク同胞保護ノ職責ヲ全フシタリト雖モ、局面一変シタル今日ニ於テハ陸戦隊ノミニテハ不充分ナリ、時局ハ急速ノ解決望ミ難ク、相当長期ニ渉リ防備ヲ必要トスルヲ以ツテ、此ノ際至急充分ナル陸軍ヲ派遣スルコト最モ必要ナリト信ス
 九、今ヤ共産派ノ行動ハ、北伐軍ノ進転ニ従ヒテ益々暴涙《(戻)》ヲ加ヘ、世界革命ヲ目的トシテ勢力ヲ張リツヽアリ
   我等ハ皆、民衆ヲ敵トスルニ非ス、只共産派ノ暴涙《(戻)》ヲ膺懲スルニアリ、此ノ時局ニ際シ、英米ノ立場ハ共産派ヲ共同ノ敵ト見ル点ニ於テ、吾人ノ方針ニ一致スルカ如シ
   我政府ニ於テモ出来ルタケ共同セラレン事ヲ望ム
 右政府ニ建議セリ、目的達成方宜敷ク御配慮乞フ
○下略


中外商業新報 第一四七六七号 昭和二年四月二日 日華協会が対支策を継続協議(DK550090k-0006)
第55巻 p.460 ページ画像

中外商業新報  第一四七六七号 昭和二年四月二日
    日華協会が
      対支策を継続協議
日華実業協会は対支策について政府に陳情することに決定したことは既報の通りであるが、同会長渋沢子爵は一日午後油谷同会書記長から今日までの経過を詳細に聴取したので、二日児玉同会副会長と同道、若槻首相、外務・海陸各大臣を訪ね、意見を開陳した上政府の意向を聴取し、その結果二日午後四時から同会継続幹事会を開いて対策を協議するさうである



〔参考〕支那関係諸方往復(一) 小畑久五郎宛 昭和二年四月三日(DK550090k-0007)
第55巻 p.460-461 ページ画像

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〔参考〕竜門雑誌 第四六三号・第一―七頁 昭和二年四月 支那問題に就て 青淵先生(DK550090k-0008)
第55巻 p.461-465 ページ画像

竜門雑誌  第四六三号・第一―七頁 昭和二年四月
    支那問題に就て
                      青淵先生
      一
 現下の問題である隣邦中華民国の実状は、誠に同情に堪へない有様であり、且又日本としては大いに憂慮し、我人共に其の成行に深甚の注意を払はねばならぬ事態を呈して居るのであつて、此ことは、今更喋々論ずるまでもない処である。殊に私などは青年の頃から、漢学の教育を受けたから、私の知識の要素は支那にあります。即ち一身一家を修めることも、社会に立つにも、或は国家に尽すにも、所謂日常の進退座臥悉く儒教、殊に主として論語の教に従つて居るから、一層感慨の深いものがあります。
 - 第55巻 p.462 -ページ画像 
 私が論語主義を何故に主張するかをとりたてゝ申すのは、物好みのやうに思はれる嫌があるであらうが、順序として一応申して置きたい私は少年の頃から書物を読み、殊に「経典余師」を愛読しました。此書物は論語の通俗解釈で、地名・人名・物名等の説明をして、論語の主意が一般の人々にも容易に理解せられるやうになつて居るものであつた。又当時論語の朱註も広く行はれた。それは宋朝の学者中の学者と云はれた朱文公が、周茂叔・邵康節・張横渠・程明道・程伊川と云ふやうな人々の研究したものを集大成したものであります。私はそれ等をよく読んで論語の主意を知り、字句などをも暗記しました。即ち「学而時習之、不亦説乎」とか「有朋自遠方来、不亦楽乎」と終始口にして居たのであります。従つて孔子の教へは穏健で訓戒的なものであるから、子供心にも之を守らねばならぬと考へたのであつた。その後、尾高藍香に就て経書などを学び、いよいよ漢学と縁が深くなつたが、藍香は父の甥に当る人故、単に漢学の訓や読を授かるばかりでなく、それに就ての意義や歴史を詳しく教へられ、いよいよ支那に対する理解を増したのであります。
      二
 斯くて私は、長じて後も常に論語を読みましたが、特に論語に依つて世に立たうと決心したのは、屡々云ふ通り明治六年第一銀行を経営することになつてからであります。是より先き、私は仏蘭西から帰つて熟々考へ、政治界に立つには時世に後れた感があり、又御恩を受けた慶喜公に対しても、政治に携つては心苦しいから、それより他の方面で働かう、而も自分一身上の生活のみならず、最初から世の中に役立うとして居た意念を貫く為めにも、社会の向上、経済の発展に尽さうと決心した。其後已むなく大蔵省へ出たが、遂に素志を達し、愈々銀行業者となつたに就て、精神上の中心として守るべきものが必要である、と云つて宗教たる仏教や基督教の如きものを信ずるでもないので、此処に、幼い頃から学んで居り、道理正しいと信ずる孔子の道徳主義を奉ずるに如かずとした。殊に其の説く処は総ての事物に及び、各方面に亘り、小は一身を修めることから、大は国家を治めることまで詳かに説いて居る。例へば富に関しても「富与貴是人之所欲也、不以其道得之不処也、貧与賤是人之所悪也、不以其道得之不去也」と教へて居るのであるから、斯様な教へを人皆が守つて世の中に立てば、誤りも少く、争も減ずるであらうと思ひ、私は論語を読み、論語を奉ずることにしたのであります。此は現在の支那問題とは縁が薄いやうでありますが、私が支那を理解する最初のものである関係上申述べたのであります。論語は孔子自身で立てた説とか、弟子との問答、或は門人の云つたことを集めてあるが、一貫した道徳説であるから、それと経済との関係、言葉を換へると論語と算盤の合一を、私としては人に嫌はれる程説いて居るのであります。
      三
 支那に対しては、事業上に就ても古い関係があります。明治九年末のことであつたと思ひますが、陝西省・甘蕭省方面の饑饉の為め、左宗棠の勢力下にあつた金順と云ふ其地方の将軍から、日本から金を借
 - 第55巻 p.463 -ページ画像 
りたいと云つて来ました。当時日本軍人で支那に滞在する者が少くなかつたが、其内の一人で陸軍大佐の福原和勝と云ふ人を通じて、日本の陸軍に交渉し、それから大蔵卿の大隈(重信)さんに申して来たのである。私は以前から大隈さんと懇親にして居たので、其時大隈さんは私を呼んで次のやうに云はれました。
  「実は支那から金を借りたいと云つて来た。支那に好くして置くことは、日本の将来のためであるが、政府自ら貸金する訳には行かぬ。だから第一銀行から貸したらどうであらうか。第一銀行が銀行として単独で大いに支那へ手を延すと云ふことは、今日の処難しいであらうが、政府も連絡をつけるし、表面は出来ないけれども、事実に於て援助する積りである。支那のそれに関する主任者は許厚如と云ふ者である」
 其処で私も、第一銀行をして海外に発展せしめることが出来る上、金ばかりでなく、物資も欲しいと云ふのであるから、金融の外に、貿易上にも資する訳であるとして乗気になり、物資の関係から三井物産を代表して益田孝君、又大蔵省銀行局長の岩崎小二郎と云ふ人、及び仲介者の福原和勝氏、金を貸す側として私、都合四人で上海へ赴き二三週間滞在して、委員の許厚如と交渉を重ね、二百五十万両の貸借契約を結びました。返済の期間や利率は憶へないが、兎に角対支借款が成立したのであります。然るに其後支那側から契約を破棄したので、解約の罰金として三万ドルか六万ドルかを支払はしめました。此の借款のことは其の時限りの一事件であるが、海外に活躍する為め、此の機会に支那に支店を置かうと考へて、三井物産の上海支店内で、金融取引をする下準備までしました。当時第一銀行は海外支店としては朝鮮に店舗を有つて居たのであります。
 処で銀行事務の教師であつたシヤンド氏に此事を相談した所、厳しく忠告せられたが、尤もと思はれたので遂に実行を中止しました。其のシヤンド氏の説は次のやうなものでありました。
  「第一銀行が海外に支店を出すことは適当でない。元来第一銀行は商業銀行である。内地の金を預り、之を貸出に廻し、日本産業の発展に資するのを目的とするもので、海外の為替取引に関するものとは全然性質が異つて居る。同じく金融機関ではあるが、本質に於て全然違ふ、勿論双方の仕事を掛け持つことも出来ぬことはないが二兎を追ふ者は一兎をも得られない結果となるであらう。殊に銀本位の支那に於ては、金銀の比価変動が常ならず、其途の専門家でも其間に処して宜しきを得ることは中々困難である。況んや素人たる第一銀行はどうしても損失を招き易い。真に危険千万である。貴方は未だ銀行家として玄人とは云へない。たゞよく勉強するから、必ず出来ないとは申さぬけれども、先づ二股をかけることには少なからぬ懸念があるから切におとめする」
 これはほんの概略であるが、此意味の意見書を出した。之を読んだ私は成る程と考へ、直ぐに「御忠告を感謝し、此度のことは思ひ止まる。然し朝鮮の支店のみはよすことは出来ない」と云つて、結局上海の方の計画は中止したのであります。
 - 第55巻 p.464 -ページ画像 
      四
 精神的にも、又経済的にも、私の支那に対する感触は、斯様な事情から永い沿革があるので、何とかして穏健な政治が行はれるやうになり、日本との親善も増し、相互の利害関係も密接にあれかし、と希望し、今も尚心配して居るのであります。従つて日本に来遊さるゝ人々に対しては、私一身には利害上の関係がなくとも、両国の交誼が進み経済上にも貢献するやうにと、出来るだけ接触して心から意見の交換を行ひ、官吏・政治家・実業家或は学者等凡ゆる人々に会見して居るのであります。処がかくの如く怠らず支那との接触を深めて行けば行く程、どうすればよいか判らなくなつて行く有様で、我々凡知では、斯うしたらよいとか、あゝしたらよいとか、云ふことは出来難いのであります。
 たゞ彼の督軍制度を打破して、国内を完全に統一し、而して確実な中央政府が成立しなけれはならぬ。前の革命の時に思ひ切つて督軍制度を廃止すればよかつたであらう。他のこまかいことは私として云へないけれども、此の督軍制度の廃止を断行する必要だけは確言してよいと思ふ。と云つても支那は今国を挙けて乱脈に陥つて居る。それを如何するかゞ焦眉の急務である。如何かしなければならない。此のままでは収拾すべからざるに到るのではあるまいかと懸念せられる。極く最近の有様は、国民軍の主脳者にも、支那が赤化して共産主義となり、無秩序の状態となつてはならぬと云ふことを知つて、相当の手段を講じて居ると聞いて居ります。無秩序に赴くことはどうしても防がねばなるまいと思ひますが、さうした具体的意見は政治に関係したことで、私の徒らに喋々すべきものでないと思ひますから差控へます。
 斯様の状態ではありますが、支那の国民は無能無気力でないから、事業も進歩せしめ、経済の発展もあらしめるであらうと信じて疑ひませぬ。私は政治上のことは別として、人種の上からも、文化の上からも、経済上は云ふまでもなく、国民同士が結びつく必要があるとして之までも個々は勿論であるが、其他団体的にも多少尽力して来たのであります。例へば日支両国の合辦で会社を経営することにすればよからうと考へ、明治四十二年に東亜興業会社、大正二年に中日実業会社を主唱して設立しました。そして相当の見込があると思つて居たのに支那の事態が彼の通りである為め、近時の成行は甚だ面白くないやうであります。又他にも日支両国民の事業提携の話があつたけれども、完全な成立を見ずに終りました。実際支那は天恵の厚い国柄であり、自然仕事も少くないから、此点は何とかして改善して、益々両者の接近を図り、共存共栄で進み度いと切望せざるを得ないのであります。
      五
 政治上の対策も、無遠慮に述べるならば、説がない訳ではないが、具体的のことは只今の処云はぬ方が穏当であらう。政治家としても、現在の状態では対支策はさぞ困難であらうと想像して居ります。今日までの行り方には非難し得る点もあるとは云へ、然らば適当なる対策はときかれると、中々名案はないので、多少の不満を感じながらも、苦心の程をお察して居る次第である。
 - 第55巻 p.465 -ページ画像 
 然しこの事は眼前に迫つた問題であるから、例へ満足なるものでなくとも、何等かの方法を講ぜねばならないから、此程私は日華実業協会の会長である関係から、外務省へ児玉(謙次)さんと共に行つて大臣其他と懇談し、更に私一人で総理大臣に会見し、同様の意見を開陳して置いた。其の要領は、従来の日支経済関係、又日華実業協会関係の報告、及び上海商業会議所からの報告等に、我々の希望をも附け加へて詳細に述べたのであります。両大臣とも叮寧に聞いてよく了解されたが、総理大臣は具体的ではないが
  「実に困つたことである。よくお話は了解したから精々努力する」
 と答へられた。爾来支那の事態は日々悪い方へ進んで居ります。政府当局に会見したのは、南京事件のあつた直後であるが、其の後張作霖は赤化運動に大々的の鉄槌を加ふべき手段を採り、又南方の蒋介石も赤化の有様を憂へて、其の防遏手段に出でゝ居るやうでありますが果して如何なる程度であるか判然しないので、之は政治家の特に考慮すべき処であると思ふて居ります。
 金融関係とか、事業関係とかを如何にするかと云ふやうな問題でなく、今日の事態は、燃え盛る火の手をとめるとか、猛烈な洪水を堰き止めるとかと云ふ眼前のことで、非常時であるだけ私としても、心を深く痛めて居る訳であります。(四月八日談話)
  ○コノ談話ハ栄一個人トシテ発表シタルモノナレドモ、日華実業協会ノ事業ニモ関連アルヲ以テココニ掲ゲタリ。


〔参考〕対支回顧録 対支功労者伝記編纂会編 上巻・第七七八―七七九頁 昭和一一年六月再版刊(DK550090k-0009)
第55巻 p.465 ページ画像

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〔参考〕日華実業協会往復(二)(DK550090k-0010)
第55巻 p.465-466 ページ画像

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〔参考〕日華実業協会往復(二)(DK550090k-0011)
第55巻 p.466-467 ページ画像

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〔参考〕集会日時通知表 昭和二年(DK550090k-0012)
第55巻 p.467 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
四月十三日 水 午前十時半ヨリ 日華実業協会幹事会(同会)
四月十四日 木 〇時半 日華実業協会ヲ御訪問
  ○中略。
四月十八日 月 正午 日華実業協会幹事会(同会)


〔参考〕日華実業協会第七回報告書 第二〇頁 昭和二年一二月刊(DK550090k-0013)
第55巻 p.467 ページ画像

日華実業協会第七回報告書  第二〇頁 昭和二年一二月刊
    役員会並ニ諸会合記録(大正十四十二月以降《(五)》)
○上略
幹事会 四月十三日正午、事務所ニ於テ開会、渋沢会長並ニ白岩・白仁・入江・森・安川・鈴木・荻野・奥村・天宅・倉知各幹事出席、南京事件遭難ノ朝日新聞社同地特派員園田次郎氏ヨリ、同氏ノ遭難実況ヲ聴取セリ
一、時局ニ関スル天津商業会議所来電 ○前掲ニツキ略ス但別紙甲号ノミ収載


〔参考〕日華実業協会往復(二)(DK550090k-0014)
第55巻 p.467 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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〔参考〕日華実業協会第七回報告書 第二二頁 昭和二年一二月刊(DK550090k-0015)
第55巻 p.467 ページ画像

日華実業協会第七回報告書  第二二頁 昭和二年一二月刊
    役員会並ニ諸会合記録(大正十四年十二月以降《(五)》)
○上略
幹事会 支那時局声明書発表 四月十八日正午、事務所ニ於テ開会シ渋沢会長及各幹事出席、支那時局ニ関シ種々協議ノ上、別記○後掲ノ声明書ヲ発表スル事ヲ申合セタリ
午餐会 支那時局ノ進展ニ応ジ意見交換ノ便宜ノ為メ、四月二十六日ヨリ毎日正午、協会事務所ニ幹事参集ノ事トシ、第一日ハ漢口引揚ノ同地居留民団長宝妻氏及長沙引揚ノ山本氏来会、引揚当時ノ状況ヲ聴取セリ
角田幹事渡支 角田幹事ハ社用ノ為メ上海及漢口ニ出張ニツキ、本協会代表トシテ長江各地在留邦人ニ対スル慰問方委嘱セリ
○下略


〔参考〕日華実業協会第七回報告書 第八―一〇頁 昭和二年一二月刊(DK550090k-0016)
第55巻 p.467-469 ページ画像

日華実業協会第七回報告書  第八―一〇頁 昭和二年一二月刊
 - 第55巻 p.468 -ページ画像 
    会務報告
      第七回重要会務報告(昭和元年一月以降《(二)》)
○上略
  一、長江一帯在留並ニ引揚邦人ニ対スル慰問
南方長江一帯ノ事態ハ日ヲ逐フテ悪化シ、遂ニ三月廿五日ノ南京事件トナリ、更ニ四月三日漢口事件ヲ惹起スルニ到リ、一般通商貿易及権利利益擁護上ノ対策以上ニ、在留邦人ノ生命保護如何ガ憂慮サルルノ事態トナリ、遂ニ長江一帯在留邦人ハ、四月廿六日重慶地方在留邦人ノ引揚ケヲ最終トシ、約二千五・六百ノ在留邦人ハ一時上海又ハ本国ニ引揚ケノ止ムナキニ到レリ、之等引揚邦人ハ其後事態稍平静ニ帰シツツアルニ由リ、本年初秋ノ頃ヨリ夫々原地ニ復帰シ始メタルカ、当時本会トシテハ、遭難並ニ在留邦人ニ対スル慰問及食糧品給与ノ途ヲ講シ、更ニ被難邦人救済ニ関シ当局ニ陳情スル外、当時ノ時局ニ対シ左記一般声明書ノ発表ヲ為シタリ
   ○時局ニ対スル声明書(昭和二年四月十九日)
本協会ハ昨年夏以来、支那時局ニ関シ特ニ周到ナル注意ヲ払ツテ最善ノ方法ヲ講スル為メ当局ニ対シ、文書又ハ口頭ヲ以テ、屡次考慮ヲ喚起スル処ガアツタ
然ルニ事態ハ日ヲ逐フテ紛糾悪化ノ一路ヲ辿ツテ、遂ニ南京事件ヨリ引続キ漢口事件ヲ惹起シ、今日ハ経済問題ノミヲ主眼トスル対策ノ時ハ過ギ去ツテ、在支邦人ノ生命財産ノ保護如何ニ直面シ、最早正義人道ニ由リ自衛ノ途ヲ講ズルノ外ハナイ現状ニ立到ツタ
一、長江上流各地ノ居留民ハ殆ンド全部引揚ヲ了セルガ、最後ニ漢口ノ引揚ヲナサシムル事ハ、其影響スル所重大ナルニ付、如何ナル場合ニモ引揚シメザル方針ヲ採ルベキモノト思フ
二、然ルニ漢口ノ現状ニツキ最近頻々接手スル報道ニ由レバ、現ニ残留セル邦人ハ支那暴民ノ為メニ引続キ包囲ヲ受ケ、既ニ糧道ヲ絶タレ飲料水迄モ之ヲ得ルノ途ナク、六百余名ノ残留者ハ一日僅カニ二回ノ粗食ヲナシ得ルニ過ギズシテ、夜警・義勇隊等ニ昼夜困憊ヲ極メツヽアリ、如此状況ハ独リ漢口ノミニ止マラス、上海ノ如キモ邦人義勇隊員ハ何レモ昼夜ノ防備ニ疲レ、現在ノ警備力ニ不足ヲ感シ居レリ、カヽル有様ニテハ何時南京同様ノ惨虐事ヲ繰返サンモ知ルヘカラス、故ニ更ニ十分ナル自衛手段ニ出テネハナラヌ、而シテ此ノ方針ヲ実行スルニハ列国協調ヲ一層必要ト認ム
三、南京事件ノ善後交渉ハ飽迄正義人道ニ立脚シ、厳粛ナル態度ヲ以テ、謝罪及保障ノ実ヲ挙ケシムル様適当ナル措置ヲ取ルコト絶対必要ト認ム
四、支那ハ現ニ無政府状態ニシテ、交渉ノ相手方不明ナル上、南軍ノ如キハ左右両派内訌ノ闘争中ニ在リ、況ヤ第三国ノ干渉ヲ基礎トスル策動行ハレ、未曾有ノ局面テアル、故ニ一部ノ純真ナル愛国運動ニ対シテハ同情ヲ寄スヘキテアルカ、眼前ノ事態ハ徒ラニ幻影ヲ捕捉シ、寛容ノミヲ以テ之ニ対スヘキニ非ス、故ニ当局ハ在支邦人経済的地位ノ擁護、生命財産ノ保護等、国家ノ威信ヲ保持スル為メ、以上ノ趣旨ニ由リ善処サレンコトヲ希望シテ已マサル
 - 第55巻 p.469 -ページ画像 
モノテアル
幹事ノ長江一帯出張 角田幹事社用ノ為メ長江一帯ニ出張ニツキ、特ニ本会代表トシテ各地在留邦人ノ慰問ヲ委嘱シ、又当局ヨリ長江一帯善後措置調査員派遣ニツキ、本会ヨリハ特ニ民間代表トシテ角田幹事並ニ在上海船津幹事ニ委嘱ノ上、右派遣員一行ノ調査ニ加ハル事ト為シタリ
○下略


〔参考〕日華実業協会 【拝啓 支那時局に関する声明書…】(DK550090k-0017)
第55巻 p.469 ページ画像

日華実業協会               (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
    支那時局に関する声明書
右別紙の通り本日各新聞に対し発表致置候間、御承知置願候 敬具
  昭和二年四月十九日
                        日華実業協会
    渋沢子爵殿
  ○別紙声明書(「支那時局に対する声明書」)ハ前掲ト同ジニツキ略ス。


〔参考〕現代日本文明史 3外交史 清沢洌著 第四二五―四二六頁 昭和一六年六月刊(DK550090k-0018)
第55巻 p.469 ページ画像

現代日本文明史 3外交史 清沢洌著  第四二五―四二六頁 昭和一六年六月刊
 ○第四篇 第三章 国際協調時代
    第一節 幣原外交の特徴
○上略
 幣原外交の特徴は二・三の事件に現れた。大正十四年(一九二五年)五月の初め上海の日本人経営の内外綿会社所属の一工場でストライキが起り、騒擾の結果卅一名が死亡した。五月卅日、学生隊の一行が示威運動を行ひ、南京路で工部局巡捕と衝突して死傷者があつた。これが所謂五・卅事件である。この結果、全国を通じて外国人排斥運動が起つた。しかし日本側は工人側の要求を容れたので、排外熱の炎は英国及び英国人に向けられて、日本人はその標的から免れた。更に一層注目すべきは南京事件であつた。昭和二年(一九二七年)国民革命の北伐軍はつひに南京に入つたが、三月廿四日、軍隊の一部及び暴民が各国領事館及び外人住宅を劫掠した為に、下ノ関にあつた英・米軍艦は砲撃を開始した。この暴動は日本領事館にも及んだにも拘らず日本はこの砲撃に参加しなかつた。そればかりではない。同地の日本領事と居留民代表者は、南京邦人保護のために日本軍人が武装して堂堂と繰込むことは、却つて支那人側の感情を刺激するといふので、目立たない方法により武器を搬入するのを賢なりとした。この命令を受けたのが荒木海軍大尉であつたが、この輸送の途中、当時まだ南京を占領してゐた山東軍に発見され凌辱された。在留邦人は荒木大尉の隠忍によつて、尼港の大虐殺と同じ悲運に会するのを免れたと感謝したが、荒木大尉自身はその責任を負うて自殺したのであつた。
○下略